老いをみつめて
 
                             哲学者 鶴 見  俊 輔(しゅんすけ)
                             ききて 西 橋  正 泰
ナレーター:  京都にある徳正寺(とくしょうじ)。この寺は哲学者・鶴見俊 輔さんと縁が深い寺です。
 

 
西橋:  鶴見さん、桜が咲いていますね。
 
鶴見:  そうですね。此処は古いお寺らしいんですけども。
 







 
ナレーター:  鶴見さんが研究仲間と集まる場所として、たびたび訪れた思い 出の寺。鶴見さんたちが創刊した雑誌『思想の科学』の会合。 そして、さまざまな分野の研究者や一般の人々との共同研究が 此処で行われました。鶴見俊輔さん、八十歳。 戦後日本を代表する思想家の一人です。幅広い 知的関心をもって評論活動を行いながら、生活 の中の哲学を作りあげてきました。一九二二年 に東京で生まれた鶴見さんは、太平洋戦争前の アメリカで教育を受けます。日米開戦の後に捕 らえられ、獄中でハーバード大学哲学科を卒業 しました。交換船で帰国後、海軍の軍属、つま り文官として、ジャワに滞在します。鶴見さんの戦後思想界で の出発は、雑誌『思想の科学』の創刊に始まります。五十年続 いたこの雑誌の中で、日常の生活や大衆という視点を思想の中 心に据え、独自の立場から日本社会を捉え直してきました。鶴 見さんの活動は、学問研究だけに留まりません。ベトナム戦争 反対の市民運動や、脱走兵支援の市民運動などで、大きな役割 を果たし、社会に積極的な発言を続けてきました。鶴見さんの 思想と行動は、一つの体系では捉え切れない独自の広がりをも っています。鶴見さんたちがたびたび会合を開いた本堂で、鶴見さんの思想に大 きな影響を与えたご両親の話から聞きました。
 

西橋:  ご両親のことを伺いたいんですけれども、政治家であり、作家 であり、この鶴見祐輔(ゆうすけ)さんは、俊輔さんにとってはどういう存 在だったですか。
 
鶴見:  子供の時は、「偉い人だ」と思っていたんですね。つまり地位 から言って、お祖父さんと似たわけですから、
 
西橋:  お祖父さんは、後藤新平(鶴見さんの祖父:内相・外相・東京市 長などを歴任した政治家:1857-1929)、
 
鶴見:  祖父さんというのは偉い人で、親父はまあそれほど偉くないけ ども、偉い人と思っていたんです。親父は極めて依怙贔屓(えこひいき)の人 で、率直に言えば、能天気な人なんだ。それでいつも一番でず ーっときて、それで自分が能力があるからそうなって、やがて 総理大臣になるだろうと思っているような人だから、結局一番 病だったんだなあと思うね。
 

 
ナレーター:  父・鶴見祐輔さんは東京帝国大学を卒業後、鉄道院に勤務。退 官後は欧米各国の大学などを訪れて、民間外交の推進に努めま した。その後は国会議員として活躍します。また祐輔さんは、 『英雄待望論』を書いたベストセラー作家でもありました。常 に一番を目指すタイプの人だった、と鶴見さんは言います。
 

 
鶴見:  大体、日本で大学教授なんかを見ていると、大体一番病だな。一番だったらいい と思っていて、小学校一年の時からずーっと、一年生が二年生のが出来るという のは大体間違っているんですよ。ずーっと一番でこうくるでしょう。先生は次々 変わるんだから、繰り返し変わっていくわけでしょう。先生の心の中にある答え を、ただ一つの答えを、学者犬の勘でパッと当てて、「はい、はい」と手を挙げる わけだから、それを十八年間繰り返してご覧なさい。それも一番病の弊害が出て くるし、それは学問なんていうのと随分関係ありませんよ。学習にはいいですけ ども。違う答えをどんどんやっていく。つまり残像のない人間になりますね。自 分の元型(もとかた)の上に、それとの対話で築いていく、というんじゃないんですよ。私は、 それは一九○五年、日露戦争に負けなかった、という終わり以後、日本の文化の 型ということに、日本の知識人の型ですね。
 
西橋:  残像がない?
 
鶴見:  残像の上に築かない。日本の大学というのは、小学校ではそうですが、まず国家 が出来てから、それに合わせて作る教育の体系なんですよ。だから日本の大学と いうのは、東大は国家が作った大学ですよね。だから逆に言いましょう。何故私 が留置場にいる三ヶ月の中で、ハーバード大学は私に学位をくれたのか。それは アメリカが、国家が出来るのは一七七六年です。ハーバード大学が出来たのは一 六三六年ですよ。国家よりも前にあったから。そういう視野を 身に付けるのは当然なんで、国家のやった裁定をそのまま大学 が認めることはしないんですよ。単純なことです。日本の場合 は、国家が大学を作るんですから、東京帝国大学というのは、 国家の役に立つ為にあるわけですからね。そういうふうになっ ちゃうんです。だから残像のない文化というのは、繰り返し国 家の政策に合わせて転向していく文化なんです。だから日本の 知識人の文化というのは転向文化なんです。
 
西橋:  それはつまり国家が何か方針を変えれば、もうそれに合わせて自分の考え方も変 えていくという。
 
鶴見:  そうです。そのことに自覚がないんですよね。
 
西橋:  残像がある人と残像のない人との違いというのは、どういうところに、どんな形 で出てくるんでしょう。
 
鶴見:  明治国家は、成立をする前に生まれ育った人は残像がある人は多いでしょうね。 明治六年に教育制度が出来るわけだから、一八七三年ですね。それから小学校一 年生より二年生方が出来て、二年生より三年生が出来て、というふうになるでし ょう。で、教師は生徒より出来て、大学へ入ると学生より教授が出来るという。 そんなことはないんですよ。そういうことで押し付けてしまうと、結局元がどう いうところから出てきたか。一体自分はどういう問題をもって、小学校へ入る前 の六年間を生きてきたか、というのは、自分の思想の元型、それを繰り返し掘り 起こして対話するということがなくなってくるんですよね。終いには、それは故 郷をほじくり返して、列島改造やるなんていうところまでいくでしょう。それで ヨーロッパメガネ掛けますね。それだと思います。だから、ヨーロッパメガネ掛 けると、フランス大革命とか、イギリスのクロムウェルの革命に比べて、日本の 明治維新は不徹底だとか、そういうふうになってきて、自分たちが成し遂げた一 八五三年以後の苦闘というか、自分たちのやった成り行きそのものを掴めなくな っちゃうんじゃないですか。で、そういう考え方が、大正、昭和期の日本の考え 方で、ヨーロッパの理論をもってきて見ますね。理論というのは、もともとの郷 土というのものから無関係な理論作ると、これは必ず空転するところまでいっち ゃうんですよね。
 
西橋:  明治国家というものを作っていこうという意志のもとに、ヨーロッパのいろんな 考え方なんかを、それに都合のいいように取り入れていこうとする。そういう中 からくる、それまでの日本人がもっていたいろんな道理とか、知恵とかというも のが失われていった、ということなんでしょうか。
 
鶴見:  そうです。だから、もともと学校制度はとても上手く出来ていて、学習には便利 ですよ。だけど実は江戸時代の中期で計ると、同時代のフランス、イギリスに比 べて、日本人のもっていた知能というか、知識は劣っていないんですよ。勝ると も劣っていない。読み書きソロバンですね。明治に入ってからの躍進というのは、 その上に立って出来たものなんで、そういうことさえ自覚しないでやってきてい るでしょう。ことに戦後になってくると、それが加速されるんですよ。というの は、一九五五年から高度成長が始まる。これは富永健一の説ですが、その上に広 告文化というのが入ってきて、広告というのは電車の吊り広告でも、テレビの広 告でも、その商品が商店に出ていって無くなるまで有効ならそれでいいんです。 買ってもらうためですから。そうすると、その有効期限というのはひと月とか精 々半年でしょう。残像のない文化でしょう。大体今の日本人が最もよく読んでい るものって広告ですよ。別に単行本たくさん読んでいるわけでもないんですから。 新聞も読まなくなってきたでしょう、内容は。広告はとって置くらしいけど。こ うなってくると、終戦後の現代日本文化は広告文化を主流とすると思います。こ れは残像のない文化です。どうしてこんなに繰り返し買い換えなければいけない んだろう。元の形の残像をもっている人って少ないでしょう。
 
西橋:  新商品を買ってもらうためには、残像はむしろ困るわけですね。
 
鶴見:  そうです。だから、この先どんどんいくわけですね。そうすると、残像がないと いうことはもう取り返しがつかないです。
 

 
ナレーター:  鶴見さんは、残像を自分自身に深く刻まれた記憶や風景と考えています。明治以 降の教育は暗記重視で、自分に刻まれた古い記憶を通して考える機会がなくなっ たと指摘しています。切花のように、自分の根にあたる記憶から切り離された教 育になっているという鶴見さん。残像との対話を繰り返して、その上に自分の思 想を築いていくことが大切であると考えています。そうした考えをもつ鶴見さん は、目前(もくぜん)に見えることで一番を目指していた父・祐輔さんに対して、複雑な思い を抱いていました。
 

 
西橋:  お父様の鶴見祐輔さんは、そういう意味では、残像という面では?
 
鶴見:  一番一番できた人ですから、まさに残像のない有能な人間。親父は才能はありま したよ。見識がなかったんです。見識というのは残像のない人間には生まれませ んよ。昭和十一年です。二二六(ににろく)事件の年ですよ。親父はその時まではやる気はあ ったんです。大正時代はある種の自由主義ですね。そのやる気というのは、昭和 十一年までは持続していた。あそこで手を離してしまった。ですから結局、戦争 万歳の口ですね。翼賛(よくさん)会なんかに入っても自分はずーっと一番できたんだから、 総理大臣になれると思っているんですよ。単純なそういう能天気な男なんです。
 
西橋:  「十一年まではやる気があった」とおっしゃったのは、「国際派型自由主義者」と いうふうに言われたそうですけれども、お父さんは。その自由 主義者としての信念を貫く気が十一年まではあった、というこ とですか。
 
鶴見:  昭和六年にははっきり形を残していますよ。張作霖(ちょうさくりん)(中華民国 の軍人・政治家。一九二八年関東軍の陰謀による列車爆破で死 亡:1873-1928)爆殺に反対したんですから、議会で。第三政党 を率いていたんです、小さな。その時はやったんです。その意 志はすぐ捨てたんではなくて、昭和十一年まで持続していた。あれで終わりだな。
 
西橋:  二二六事件からもう世の中の流れでいくしかないと、そこを鶴見さんは息子とし て、
 
鶴見:  屈辱を感じますね、そういう時に。
 

 
ナレーター:  祐輔さんは晩年の十四年間を寝たきりで暮しました。脳の病気となり、言葉が話 せなくなったのです。そんな父親と身振り手振りでコミュニケーションをとるう ちに、「父親に対する思いが変化した」と言います。

 
鶴見:  それは十四年寝ていた時に、親父は気分が明るいんですよね。 あれは出来ないことだなあ、と思いますね。そのうちに自分の 葬式に言及するんですよ。私は、金庫を開けて見たら、遺書が あったんです。「禅宗でやってくれ」というから、私は、川越 の平林寺に行って、住職に頼んできたんですよね。「それ止め ろ」というんですよね。困っちゃって、私は。向うは何も喋らないですよ。
「Yes」「No」だけでずーっとやって、「キリスト教ですか?」。「そうだ」。キリス ト教の宗派もずーっとやっていったら、「お母さんと同じなんですか?」と言った ら─彼の細君ですね─バプテストなんですよ。「違う」と言うんですよ。で、こう やっていったら、まあ当てずっぽうで、「クエーカーですか?」と言ったら、「そ うだ」というんですよ。ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)から派生した脱 走兵援助で、クエーカー(キリスト教プロテスタントの一派。絶対平和主義の立 場をとる)の若い人が私の仲間なんですよ。クエーカーの東京チャプターの中心 は上代たのさんだったので、手紙書いて、「入りたいと言っていますが、どうです か?」と言ったら、若い人を差し向けて意志を確認するんです。その向こうから さしむけてきた人は、そうしたら脱走兵援助の仲間だった。
 
西橋:  ベ平連で、
 
鶴見:  派生するわけですね。だからそういうやり取りから見て、親父はボケていないん です。親父の葬式はクエーカーでやったんです。で、それをやったのは、ベ平連 の若い人と、脱走兵援助の仲間が事務を全部をやったんです。
 
西橋:  お父さんは、脱走兵に鶴見さんが関わっていらっしゃるというようなことをご存 知だったんですか。
鶴見:  知っています。だから最初の脱走兵は二つに分けて、二人親父 の家に泊めたんです。私が動けないから。その次の朝、親父は 脱走兵と知っていて握手しています。頭が、はっきりしている ことは確かなんですよ。倒れた後の十四年間、足掛け十五年と いうのは、やっぱり親父は偉いんじゃないかな、と私は思いま した。結局、それは親父にとっての残像に戻ったんじゃないで すか。本来親父はそういう楽天的な、今の状況の中で前向きに 生きていくという考えがあって生きていたんでしょうね。そういう残像があった んだと思うんです。だからクエーカーというのも、その残像から出来てくるんで、 これは新渡戸稲造(にとべいなぞう)(国際平和を唱えた教育者・農学者:1862-1933)はクエーカー だったんだけども。それから親父はそういうふうに青年時代にそういう理想をも っていたわけでしょうね。
 
西橋:  新渡戸稲造は、お父様の先生になるわけですね。
 
鶴見:  そうです。だから、そういうところは、親父にとっての残像に戻っていったんじ ゃないかな、という気がします。だから私としては初めて親父を残像のある人間 として対した、ということになりますね。私が、親父を軽蔑して何十年、にも関 わらず、親父は同じ軽蔑をもって私に対していないんですよ。この時に、「あ、親 父との喧嘩は俺の負けだ」と思った。深く愛するものが勝つ。それははっきりし ている。私との個人的な喧嘩ですよ。ところが私の負け。
 
西橋:  突然ですが、鶴見さんご自身にとっての残像というのは?
 
鶴見:  それはお袋ですよ。お袋は私の先住民族なんだから。あかんぼうには自分が自分 だ、という意識がないわけだから。母親が自分の中で判断し決めるわけでしょう。 お袋は一方的に命令していて、私が自分の持てる不良性を発揮してからは、不良 少年である私とお袋との対話になっていくわけ。それが私の著作なんです。
 

 
ナレーター:  鶴見俊輔さんの母、愛子さんは、大臣や東京市長を務めた政治 家・後藤新平(ごとうしんぺい)の娘として生まれました。愛子さんは長男である 鶴見さんに対して、常に厳しい態度で臨んだと言います。そん な母親に鶴見さんはどんな子供として対したのでしょうか。
 

 
鶴見:  生まれついての不良少年です。だから自分の内部にそういう不 良少年というのをもっていて、それは自分の中にずーっといるものですね。要す るにお袋に叱られて、「お前は悪い子だ」って。もう定義されるんだから、悪い子 に違いない。記憶にあるものは、どっかからは、昔もあったんです。「あいつは食 いたいな」と、目が覚めたら思って、暗いうちに階段を下りていって、それを何 とか取り出して盗んで食っていると、お袋は目聡いから、すぐ下りて来て、掴ま えて、「あなたは悪い子である」と。「あなたのような子供がいることはご先祖に 申し訳ない。あなたを殺して自分も死ぬ」というんですよ。それが芝居でなくて 声(せい)涙(るい)ともにくだっているんですよ、体がふるえて。もう参ったね、全く。そうい う夜中で。それぐらいから覚えているわけ。勿論、私の方も決して譲らないから、 私のする悪事はだんだんに高じていく。複雑になってくるし。だから小学校へ入 っても、要するに小学校の中で、「不良」と言えば、私のことだったんですよ。後 になって考えてみると、お袋は非常に自己嫌悪のある人で、それを私に口を開け させて、ガーッと毒汁を私の中に注ぎ込むという中世の写瓶(しゃびょう)ですね。ああいうも のだったと思うんです。だからお袋は、自分が世の中にちやほやされるのは、自 分が値打ちがあるからではなくて、自分自身の親父の地位が高いためにそうなっ ているんだ、というのを、ずーっと実感をもっていったから、私がちやほやされ て、なんかになるというのをもの凄く警戒して、とにかくぶったり叩いたり縛っ たりと、あかんぼうはミミズみたいなもの、蓑虫みたいなものですから、踏み潰 すことも出来るわけでしょう。だから大変なものとして私の上に君臨していたわ けだね。ダヴィデとゴリアテというところじゃないんですよ。お袋にとっては、 愛するということはぶったり叩いたり折檻して叱るということなんですから。
 
西橋:  俊輔少年にどんな人間になって欲しいと思って、そういう折檻とか叩いたりとか、
 
鶴見:  人の迷惑にならないような堅実なことをやって欲しい。私は悪知恵があるから、 人が訪ねて来て、「大きくなったら何になるの?」と訊かれる。「小間物屋でも開 いて、地道に生きていく」と言うと、お袋は喜んでいるんですよ。子どもに簡単 に騙されるような正義の人だったんだ。
 
西橋:  歳も重ねていきますね。そうすると、不良度も増していくわけですか。
 
鶴見:  ですから、男女関係というのがやがて入ってくるでしょう。だんだん悪くなるん です。
 
西橋:  それで究極的には自殺未遂のような、
 
鶴見:  そうですね。結局、そういうふうにしても、そういう少年にとっては、男女関係 を安定して続けていくということは出来ないですよ。自分は悪いと思っているか ら、上手くいくわけないです。その自殺未遂をすることだけが、お袋を止める方 法なんですね。だから、街中で、これも渋谷のカフェー街なんだけども、カルモ チンを三十錠まで売ってくれたんですよ。それを四軒位三十錠ずつ買ってくるで しょう。そうすると、致死量になりますよね。それを今度はカフェーに入ってい って、私は酒飲まないんですよ。フレンソーダ頼んで少しずつ飲んでいく。死ぬ こと怖くなくなっているからね。ヨロヨロしていてバッタリ倒れて。だからそう すると、お巡りさんが来て交番に引っ張って行って殴るんですよね。「若いのに、 非常時なのに、こんなに酔っ払って」─酔っ払っていると思って─だんだんに酒 気を感じないから、変だと思って、今度は病院に連れて行って、吐かされるわけ ですね。だから、生きる方がずーっと辛い、と思ったね。それを二度ほどやって いるうちに、もうお袋はまいった。だから私としては、自分が死んで死体をお袋 に突きつけてやりたい。そういう意志ですよ。
 
西橋:  それは報復ですか。
 
鶴見:  そうです。お袋に手をあげるということはなかったですね。
 
西橋:  その母・愛子さんの呪縛から鶴見さんが解き放たれたのはどういう、
 
鶴見:  それは親父です。私は学校三度放り出されましたからね。「こいつ、どうにもしよ うがない」と思ったから、私に株券つけて、アメリカにやったんです。
 
西橋:  アメリカへ?
 
鶴見:  ええ。私が不良少年だった、学校三度放り出された、という理由以外に、アメリ カに行く根拠はありません。
 
西橋:  ああ、そうですか。アメリカへいらっしゃったのはお幾つの頃でしたか?
 
鶴見:  十五です。
 
西橋:  十五歳で。つまりもうこの日本を離れてアメリカへ行きたいんだ、とご自身で意 志表示をされたわけじゃない?
 
鶴見:  全然行きたいわけじゃない。ほんとに死にたいんですよ。
 
西橋:  でもアメリカに行くことによって、お母様の呪縛からは解き放たれた。
 
鶴見:  そう。死んで愛情から自由になりたい。それが私の子供の時からの希望なんです。 大変人生苦しかったね。愛されることは苦しいことだ、というだけは、よく分か った。愛されることだけは避けたい。それは原点で私の哲学が歪んでいるんです よ。
 
西橋:  そのお母様が亡くなられた時に、鶴見さんご自身はどんな感懐をお持ちになりま したか。
 
鶴見:  当時、私はずーっと家を出ていたんです。亡くなる直前に行って、病院で何日か を過ごしました。お袋が私に対して、もっとも影響をもった人でしょうね。だか ら、好敵手死す、という感じですね。
 
西橋:  今、八十歳の鶴見さんからご覧になって、お母様の愛子さんは改めてどういう存 在ですか。
 
鶴見:  いや、無茶な人だけど、私は生き残ったから、私はお袋に感謝していますよ。も ともとお袋にぶったり叩かれたり縛られたりした時も、私はお袋を愛していた。 お袋は私を愛しているからこういう酷い目に遇わせるんだということも、動物と して分かっているわけですよ。私は手をあげたこともないし。ただお袋の言い分 には従わない。この不良性というのは生得(しょうとく)のものですね。動物的なものだと思 う。動物にもそういう子がいるんじゃないの。そう思える。悪いやつなんですよ、 要するに。
 
西橋:  「悪人ともよくおっしゃるんですが」─。
 
鶴見:  その不良少年との対話というのは、八十年続いているわけですね。その対話も少 しずつ変わってくるし、不良少年の立場というものも、八十年前と同じじゃない ですから、変わってきますね。だから私の生涯というのは、結局お袋との対話。 だから自分の著作というのは、何人かの人に読んで貰っているけども、私にとっ ては基本的には、お袋に対して、そういったある種の呟きなんですよ。その連続 性ですね。
 

 
ナレーター:  母に対する愛情と反発という矛盾した思いが、鶴見さんの思想に大きな影響を与 えました。母親が自分を叩く風景が、鶴見さんの残像となり、常にその風景に立 ち返って、自分の思想を作り上げてきたのです。そんな鶴見さんが、今、興味を 惹かれているのは、俳句です。人が作った俳句をよく読んでいるという鶴見さん。 俳句は残像と深い関わりがあると考えています。
 

 
鶴見:  近頃八十になってビックリしているんだけども、近頃俳句を作る人と割合に付き 合いが生じてね。私はよく俳句を読むんですよ。そうすると、自分の生涯で、二 十歳の時と、今八十歳の時と、盛んに俳句を読むということは、近頃おこってい ることですね。
 
西橋:  二十歳の頃には俳句を?
 
鶴見:  二十歳の頃は海軍の軍属でジャワにいたから、毎日新聞を作っ ているわけ。「敵の読む新聞と同じものを作ってくれ」という んですよ。私は、夜短波放送を聞いていて、メモ取ったものを 中心に、朝、事務所に出て行って、毎日新聞を作っていたんで すよ。で、日本の新聞も送られてくるでしょう。大本営発表に は、嘘がとても多いですよね。それを伝えている新聞もそう。 その中で、これは確実だと思えたのが、「柏戸破る」─後の強 い柏戸でなくて、弱い柏戸ですよ、当時の。
 
西橋:  お相撲の、
 
鶴見:  これは確かだろう。それから読み物の中でいうと、俳句をよく読みましたね。俳 句が一番性に合うわけ。「俳句と柏戸破る」はこれは嘘はないんですよ。俳句を作 る人は当時も、戦争中も、郷土俳句なんてあって、五七五の中に戦争万歳なんて 割り込めないんですよ。だから俳句にいいものがあったんです、戦争中も。今、 俳句作る人との付き合いがあって、私にとっては俳句を読む第二の季節に入った。
 
西橋:  そうですか。
 
鶴見:  俳句を作る人は残像に注意しています。だけど、俳句は明治以前の文化の形をも っている。明治以前の文化というのは、残像を持っている人多いですよ。俳句と いうのは残像の文学なんです。だから自分の残像によって作るわけで、物事の風 景の残像によって書く。他の人の残像に自分の残像って反応す るわけでしょう。だから残像を自分の中に持たない人は、いい 俳句を作れないですよ。だからまったく誰が一番という世界じ ゃないんです。だから俳句の会だって、名前伏せて評点入れる だけでしょう。小学校一番とか二番とか、そういう級長が決ま っているような、そういう世界と違いますよね。それは明治国 家が出来る前に作られた一つの日本の文化の型だと思うんです。 現代国家、明治国家の出来る前は、残像のある文化ですよ。だ から俳句なんか出てくるんですし。ですから、明治国家以前の文化というのは、 大体日清戦争までは続いたんですね。それまで生まれて育った人は、明治以前の 文化の中で生きているわけですから、だから夏目漱石とか、森鴎外とか、ヨーロ ッパの文化を身に付けた人からも、偉大な人も生まれたんです。何か一角(ひとかど)の仕事 をしようと思ったら、残像との対話が必要じゃないですか。
 

 
ナレーター:  鶴見さんは、近年老いについての思索を重ねてきました。五十代の後半から、老 いについての共同研究に取り組み、多くの成果を残しています。こうした活動の 中で、鶴見さんは、老いと残像にも、深い関係があると考えるようになりました。
 

 
鶴見:  老いというのは─とにかく私は、八十まで生きてビックリしているんですよ。こ んなに長く生きると思っていなかったし、大体、十三、四で自殺して終わり、と 思っていたわけですから、後もの凄く長い付録があるわけですからね。で、耄碌(もうろく) してきたんですね。今、耄碌をテストするのに、一つ方法があるんですが、今、 私は割合京都の末に住んでいますから、原稿書いたりして出しに行く。そういう 時に速達やなんかで郵便局へ行くんですよ。郵便局で小切手をお金にしたりいろ んなことがありますから、いろんなこと書くでしょう。そうすると、もともと私 は字が苦手なんですが、一回でパスすることないんですよ。二度、三度と書き直 しさせられるでしょう。そうすると、小学校の時の試験で失敗したことに非常に 似ていて、完全に却下されて、もう落第と決まって出て来ることはないんですが、 仮及第の感じで近くの郵便局から帰ってくるんです。それがやっぱり自分の耄碌 のテストですね。この位程度。もう一つは、これ自覚してから、 「耄碌帖」というのを作っているんですよ。ここに三冊あるん ですが、最初に作っているのは、これで、英語でいうと、「Co- mmonplace Book」というんです。
 
西橋:  「書き抜き帳」という。
 
鶴見:  ええ。一九九二年だから十年になりますね。こういうものを作 っているんです。耄碌すると、他人が言ったことと、自分が考 えたことは、区別が分からなくなるんですよ。両方混ぜこぜに なって、どっちでもどうでもいいという仕方で書いているんで すね。だから自分の独創性ということは必ずしも要らない。書 き抜いてある、
 
新聞紙すっくと立ちて飛ぶ場末
             三橋敏雄
 
新聞というのは、その日の新聞は新聞なんだけど、もう読んじゃって捨てられる と、新聞紙になるわけですよ。
 
西橋:  古新聞、
 
鶴見:  そうそう、パッと飛んでいるわけ。新聞紙の中の一つひとつの三面記事は、実は 命をもっていて、すッくと立って、時代と対している、という志のある俳句です ね。凄いと思うんですよ。これは小学校卒業の人です。素晴らしい人ですよ。こ れは自分の言葉ですが、





 

自分という存在の形に
なじむか?
なじまないか。それが
哲学の問題。
 
 
というふうに、私は哲学を規定するわけね。これは大体二行なんですが。そうい うふうに自分から出た言葉とか、他人の言ったことで、あ、面白いな、と思った ことを書き抜いたりするわけですね。そうすると、耄碌というのは、残像の現れ てくる瞬間というか、形でもありますから、そんなに─もうろくは不便ですよ。 これいろいろ困るんですけども─悪いばっかりじゃないということですね。
 
西橋:  こうやってお書きになって、それからまた何か発想が広がっていくとか─。
 
鶴見:  そういうことはあります。その力は残像にあるわけ。しかし、その時に何か長い 論文を一気に書けるということはないですね。もうそれだけの力がないから。だ けどそれを覚えていて見ていることで、なんかそれを自分の書くものに織り込ま れる、ということはありますよ。それは自分の仕事の形にも影響があるわけです ね。
 
西橋:  「老いに根ざす思想」と言いますが、「ボケの中に根ざした思想」という言葉を使 っていらっしゃいますね。
 
鶴見:  ボケの中では、水かわらなくて橋の下が見えてくるみたいなんで、ボケによって、 残像が出てくるでしょう。だからそういうのが自然なんじゃないかな、と思うん ですよ。だから、つまりお袋に叱られて過ごしたその時の、生まれながらの不良 少年の形がぜぜのあじろぎみたいに現れてくる。それは避けられないんじゃない か、と思っていますよ。
 
西橋:   「ボケの中に根ざした思想」の文脈の中だったと思うんですが、「南京(なんきん)虐殺しない でくれよ」という言葉が、
 
鶴見:  そうそう。だから私の考え方にあるのは、戦争は嫌だ、ということですね。だか ら官僚には、大体一番病に罹った人だから、「今のアメリカではこうなっている」 とか、いろいろいう人がいるとしますね。そういう人と対話して、私の言いたい ことは、「南京虐殺しないでくれよ」というだけです。そう言ったら、「南京虐殺。 そんなのは、もう六十年も前に終わっているんですよ」なんて。それでも平気で、 「南京虐殺しないでくれよ」と繰り返し言っている。これは官僚から見たらボケ ちゃったら話にならんと思うような、そういう対話のシナリオを内に持っている んですよ。それだけなんです。つまり、一番病で常に新しい情報をもらって、ア メリカにくっ付いていくのを正当化するような、そういう官僚的考え方に、ボケ によって対抗したい、ということですね。
 
西橋:  私事ですが、私の母も今九十一で、ついこの前骨折して入院していたんですよね。 それで病院にいって、いろいろなことを思ったら、「この人から僕は生まれて、こ の人に育てられたんだ」ということと、「この人のようにもし長生きすれば自分も またなるんだなあ」ということを思ったんですけど、普段なかなかこの人に自分 が育てられたとか、やがてこうなるんだ、という想像力みたいなものって、なか なか持てないですよね。仕事している間というか、現役の間というのは。こう立 場が変わるということに─。
 
鶴見:  長い間家族やっていると、立場は必ず変わるし、変わらなければその家族として はもたないと思いますね。河合隼雄さんが上手いことを言ったと思うのは、「日本 で夫婦というのが、それが宗教だ」というんですよ。卓見だと思いましたね。離 婚少ないでしょう。繰り返し離婚していれば、夫婦は宗教と言えないでしょう。 だけど、ずーっと続いていくとすれば、繰り返し立場が逆転があるし、また子供 が、育てられている子供がやがて家長になっていくんです。だから、家長として の意識を持つ子供というのはいるんですよね。そういうふうになっていくのが当 然、という感じですね。だから、例えば現在も私は文筆業から引退したわけでは ないんですが、もともと凄い悪筆なので、私の細君がワードプロセッサーに打ち 込んでくれるわけ。そのプロセスで機械に助けられていろんな改良も起こってく るでしょう。それで辛うじて現役の物書きとして留まっていられるんです。です から、私の細君に言わせると、家族は三人なんですが、一番文章が上手いのは息 子であって、次が彼女であって、私は、ナンバー・スリーなんですよ。ナンバー ・スリーで、ちゃんと文筆業に残っておられるんだから有難いことなんですが、 家族の介護によってこれは成り立っているわけなんです。そういうふうにいろい ろ変わるんですね。家長が変わるんですよ、実際は。だから固定した番付なんて いうのは、家にはないんですよ。これだけ長寿社会になってくれば、それは当然 でしょう。
 
西橋:  そういう意味では、ある時期ある時期で家族が助け合って生きていくというか、
 
鶴見:  そうです。
 

 
ナレーター:  老いと家族の関係について、『思想の科学』に投稿された文章があります。「そ の他の関係」という文章です。この文章は、孫娘が自分の祖母とその世話をして いる家族ではない女性の姿を描いたものです。この投稿がきっかけで、鶴見さん は家族以外の他人との関係も重要な役割を果たす、と考えるようになりました。
 

 
鶴見:  面白いものなんですよ。それは全くの実感で、倉田亞季子というその人はおばあ さんのところによく遊びにいくんだけども、おばあさんと一緒に暮している、全 く親類じゃない女性がいて、その人とおばあさんはとっても隔てなく暮している。 自分は血縁だから、法律や関係があって、このおばあさんが死ぬと、なんか自分 にもくるわけですが、まったくそういう法律の保護を受けていなくて、実際にお ばあさんと毎日共感して住んでいるのは、この人じゃないか。そういうことを尊 重しないでいいのか、という提案なんですよ。素晴らしい論文なんです。現在の 中心にある論文。家族でさえも、それだけで自給自足で持たなくなって、実はそ の他の関係が重要になってくるんです。それだけの認識をもっている親族がいた というのは、倉田亞季子の投書がはっきりそれを出しているんで、凄いなあと思 ったんです。だから、昔というか、明治国家以前は、その他の関係というのは、 村だったんですよ。谷川雁(がん)(詩人・評論家)が、「村、これが日本の文化の生み出 した最高のものだ」と言ったのは卓見ですね。つまり近代なんかじゃない、とい うんですよ。
 
西橋:  その場合の村の持っている良さというか、村の持っているマイナスみたいなもの も当然ありますよね。
 
鶴見:  勿論、村の持っているマイナスを、そればかりを映し出して、理論を作ったのが、 日本の近代思想であり、日本の社会科学だったんじゃないでしょうか。そのとこ ろを東大社会学科出身の谷川雁が突いているんですよ。
 
西橋:  大事にしなければいけないものまでも、その家庭の中で削(そ)いでしまったんじゃな いか、ということですか。
 
鶴見:  村は偉大なものを作ってきた。家族も、結局は見知らぬ他人になっていく。その ことにお互いに堪えなければいけないと思いますね。どうしてもその他の関係に 頼る。例えば、道端で倒れているにしたって、それを焼き場にもっていく人がい るわけですから、その他の関係に頼らざるを得ないと思いますね。
 

 
ナレーター:  鶴見さんが自分自身の老いを意識するようになった頃、大腸癌を患いました。九 年前のことです。八十年の人生の中で、鶴見さんは癌だけでなく、結核、鬱病な どの病気を経験しています。これらの病気体験を通して、人生の終わりをどう迎 えるかについての思索を深めてきました。
 

 
鶴見:  それはこれだけ人に迷惑掛けてきたんだから、あまり他人に迷惑掛けないで、食 物が喉を通る間は食べるけども、通らなくなったら別に延命処置を取らず、水を 飲んで、水が通らなくなったら、それで終わりで、病院の外で なんとなく果てたい、と思いますね。だから、私は、一つシナ リオをもっているんですよね。その辺で倒れて死んでいると、 お巡りさんが来て探るでしょう。そうすると、持っているもの の中に、「推理作家協会員」というのがあるんですよね。パッ と見て「え!これ推理作家なのか。あんまり聞かない名前だな あ」と。これですよ。
 
西橋: 




 

会員証
日本推理作家協会
鶴見俊輔
本協会会員であることを証明する
 
 
鶴見:  良いでしょう。これお巡りさんが見つけて、「推理作家? あまり聞かない名前だ なあ。売れない作家だろう?」なんていう会話が聞こえてくるのを私は今から楽 しんでいますね。そうすると、それはお袋が私に植え込んだ理想に近いわけでし ょう。
 
西橋:  小間物屋さんと通ずるものがあるわけですね。
 
鶴見:  そこでぶっ倒れて死んでいたら。それが理想ですよ。あんまり他人に迷惑掛けた くないんだなあ。今まで他人に迷惑掛けてきた人生だったということは確かです。
 
西橋:  何かにお書きになっていた中で、「物となって終わる」という、
 
鶴見:  そうですね。だんだん老人になってくると物の部分が大きくなってくるんじゃな いでしょうか。家族にとっても物になって、互いに見知らぬ物になっていく。そ のことはそんなに悪いことでも恐ろしいこととも思わないんですよ。生きている さまざまなものに対して、人間迷惑掛けているわけですから、もうソロソロ終わ りにした方がいい、人間はね。「今までお世話になりました。さようなら」という ふうにして、あっさり退くのが、人間としてはいいんじゃないですか、という考 えで、「人間は永遠だ」なんていうことを、全然考えませんね。そういう意味では、 キリスト教から随分離れた思想をもっていますね。マルクス主義とも違うと思う。 マルクス主義は近代主義ですからね。だから自分は何に近いかといえば、キリス ト教、仏教も入ってくる前の、もともと人間がそうだった一種のアニミズムが私 の考え方だ、と思いますね。そのものは、ないものなんだから、一種の虚無的な ものでしょう。アメリカ先住民はいろんな詩やなんか書いていますね。私の好き な詩は、「今日は死ぬのにいい日」─これ素晴らしいですね。晴れわたっていて、 「今日は死ぬのにいい日」というふうに、今を捉える。これは殆ど日本の中に育 ってきた俳句と見合うものじゃないですか。俳句の中にはもともとトーテム(t- otem:未開社会において種族または民族などによって神聖視され、崇拝される動植 物や自然現象など)がありますよね。動物、植物と一緒だ、という。アメリカ先 住民にもあるわけです。それからもう一つは、イシ(ishi:カリフォルニア地方の 先住民ヤヒの最後の人)の出現なんです。
 
西橋:  いし?
 
鶴見:  イシという先住民が、最後一人になっちゃって、意を決して、カリフォルニアの 都市に向って歩いて来るんです。偶然そこで先住民の言葉を知らないものだから、 人類学者クローバー(Alfred Louis Kroeber:1875-1960)と言語学者のサピア
(Edward Sapir:1884-1939)を呼び集めて、イシの言葉を解読するんです。彼ら はもの凄く優れた人で、サピアはその時代に並ぶ者のないアメリカ一の言語学者 で、クローバーはドイツ生まれのアメリカ人で、人類学者ですが、彼の元居た住 居まで行って、どういう物を食べていて、どういうふうに魚を捕って、どういう ふうに服を作っていたかを教えて貰って、これは非常に高貴な人だ。気高い人だ という直感を持つんですよ。どうしてこういう気高い人たちを、しかも知能の高 い人をどんどん殺していったのか。アメリカの中の白人の存在について贖罪(しょくざい)感を 抱くんですね。ほとんど鬱病になってしまうんです。細君が自分の旦那が死に、 イシも死に絶えた後、イシの伝記書くんですよ。娘にも伝わって、娘はSF作家 になって、イシが生きらるような未来社会を書いて、それは、『ゲド戦記』となっ ている。アメリカの文化の中の最も重要な流れと思いますね。だから、そういう ものと呼応する文化、もともとは私たちと同じ人たちをベーリング海峡を伝わっ て向うへ行ったんですから、日本も育てるのがいいですね。実は俳句も一つのト ーテムなんで、俳句の文化というのは、それに見合うものなんですよ。「今日は死 ぬのにいい日」なんていう、先住民の詩の一行は、我々ももっているでしょう。 それは良寛さんとかそういうものですよね。そこにはアメリカ化している日本の 近代には、捉えられていない別のものが現れている、あるんだ。それを捉えると ころまで我々が行くかどうか。
 
西橋:  今月、鶴見さんは詩集をお出しになりますね。
 
鶴見:  生涯、ただ一つの詩集は、今月出るわけですが、タイトルだけは決まっているん ですよ。『もうろくの春』というんです。それは、私は十歳そこそこの頃、『ツル ゲーネフと散文詩』というのを読んでいたんですよ。それもともとツルゲーネフ は、「耄碌」という題を付けていたんです。「セニリア(senilia)」という。それ は出版社が、それはあんまりだと思って、「散文詩」というちょっと格下の題を付 けちゃったんですけどね。私はその「セニリア」というのを覚えていたものです から、自分の詩集の題に、「もうろくの春」という題を付けたんですけど。もうろ くも死ぬことも、私にとってはそんなに暗い話題じゃないんですよ。つまり、物 になるって、物との連帯を回復するというのは、そんなに悪いことではないと思 うんですね。ほんとにこの地球に長い間住ませて貰って申し訳なかったなあとい う。英語でいうと、「over stayed」という感じが非常にありますね。「有難う。さ ようなら」という感じ。
 
西橋:  地球に戻っていく、というか。
 
鶴見:  そうですね。物に還って、何事もない。無に帰るということでしょうね。自分の 意識としては。そんなに嫌な気分ではないですね。
 





















 

忍術はめずらしくなくなった

猿飛佐助は 猿になって飛んだ
霧隠才蔵は 霧になってかくれた
それは こどものころの夢で
今では 不思議と思えない

変身 それをなしとげて今があり
それをなしとげて ここを去る

私は猿になり 霧になる
というよりも 霧が私になり
石が私になって 今いるので
この私が 変幻

ここをはなれては
われらは たがいに知らず
私は私に
会う時もない
(鶴見 俊輔 詩集より)
 
 
 
     これは、平成十五年一月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである