死を受け容れる
 
                       歌人・医師  上 田  三四二(みよじ)
大正十二年、兵庫県生まれ。第三高等学校、京都大学医学部卒業。医師、歌人、文芸評論家、作家。平成元年没。著書に、歌集「黙契」「雉」「湧井」「遊行」「上田三四二全歌集」、評論集「西行・実朝・良寛」「この世この生」「徒然草を読む」、創作集「深んど」「惜身命」ほか
                       駒沢大学教授 脇 本(わきもと)  平 也(つねや)
大正十年岡山県生まれ。昭和十九年東京帝国大学文学部宗教学宗教史学科卒。東京大学教授、駒沢大学教授を歴任、のち国際宗教研究所理事長、日本宗教学会会長を務める。著書に「評伝清沢満之」「宗教を語る―入門宗教学」
 
 
脇本:  今日は、「死を受け容れる」という、基本的にはそういうテーマでいろいろお話を伺いたいと思うんです。死の問題というのは、これは人間誰でも問題として抱えているわけなんですけれども、しかし私なんか身に沁みて死のことを考えるというふうな機会は、そうあるわけではございませんで、考えてもどうもただ観念的に机上の空論のような形に私なんかはなってしまうんですけれども、上田さんの場合には、ご自身が重い病気をなさって、言ってみれば死の淵を覗き込むような、そういうご体験をお持ちだった。これはご自分でしたくてなさったわけではない(笑い)、向こうのほうから襲いかかったということだと思いますけれども、そういうところから少しずつお話を伺いたいと思いますが。
 
上田:  はい。最初の病気が二十年前なんですけど、その時は私はまだ四十出たとこでしたので、なんか非常にこれからと思っている時だったもんですから、大変ショックが大きかったんです。
 
脇本:  昭和四十一年でしたか?
上田:  四十一年ですね。まあお陰で生きてきましたので、いつも再発ということを考えながら生きてきたようなことで、十年経って、「もう大丈夫よ」と言われた時は嬉しかったですけれども。
 
脇本:  その時のご病気は癌でございますね?
 
上田:  そうです。腸なんですけれども(結腸癌)。それでだいぶ気が緩んでいたところへ、一昨年なんですけどね、また今度は泌尿科のほうなんですけれど、病気致しましてね。それで二年目なんですけれど、あまり先が楽しみというわけじゃありませんし、まあこうして一応元気ではおりますけれども、いわば半分病気と一緒にいるようなところがありますのでね。いろいろ病気をもとにして考えましたけど、まあ基本的にいいますと、「死」ということ、でも逆にいえば、「生きる」ということですのでね。先が限られたような感じで生きているということは、生の側に賭けているといいますか、そういうところがあるんですね。今日の話の始めにちょっとそのことも申し上げたいと思うのは、『一言芳談(いちごんほうだん)』というのがあります。これは鎌倉時代の法然系の隠遁者の、あの人たちの考え方というのは、「この世は穢土(えど)だ。よく穢れた世で、あの世が彼岸なので、この世からあの世へ移っていくという厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)≠ナすね、その態度で、生きていることを厭(いと)うといって、この世にいるのが、あの世へいくための待ち期間だ」と、そういうふうに考えていますね。それは「あの世というのがもとで、この世というのは仮の住まいだ」というふうにいって、「ここは住むべきものではないんだ。早くあの世へいくのが念願なんだ」というふうな立場なんですね。私は逆でして、そういうふうには解決してこなかったつもりなんですね。できれば、「あの世ということを考えずに生きたい」と思ってきたんです。今度の病気をしましてから、やっぱりあの世というのが―あの世と言わないにしても、何か死後ということを考えて―歳のせいということもあるのかも知れませんけど―そういうふうには考えられたらというふうに思いましてね。それまでは、「死というのがすべての終わりなんだ」という。そして、そういう立場で解決と言いますか、なんとか安心が得られたら、というふうに思ってまいりましたね。その解決法というと―解決と言えるかどうか知りませんけど、そういうふうに解決していくというのが、二十年近い間の私の生き方なんですね。
 
脇本:  私の恩師にあたる岸本英夫(1903-1964)という先生がおりまして、この方が黒色腫(メラノーム)という癌に罹られたあと、『死を見つめる心』という―これは遺稿ですけれども―本になりましたけれども、十年間生きていらっしゃる間にいろいろお書きになった。それと上田さんのお書きになったものと、よく似たところがございまして、私は感銘したんです。岸本先生というのは、旧制の高等学校へ入り、理科の方なんです。で、上田さんも理科ですね。
 
上田:  そうです。
 
脇本:  ですから、非常に理科的な、といいますか、近代科学的なものの考え方を若い頃から身に付けていらっしゃいましたから、「この世の向こうに来世がある」とか、「死後の浄土がある」というふうなことは到底受け入れることはできない。岸本先生は宗教学をなさっていますから、世界中の宗教をいろいろ研究の対象として、そこでは「浄土」とか「来世」とか「他界」という、そういうイメージがたくさん出てきますから、そういうものの事例はよくご存じなわけなんですけれども、ご自身はそういう「死後のことというふうなことは、どうも私の心にとっぷりと落ち着かない」と。そこで「来世のことはもうない」と。はっきり「来世はない」という立場で、しかし癌と闘って死と向きあうという。その時に「どう生きるか」ということをいろいろお考えになりまして。上田さんがお書きになったものだと、「滝口までの距離は死までの生の持時間だが、それは水流となって刻一刻、滝口に向かっている。滝口を落下してからのちの水流の行方については、私ははじめから思惟を放棄していた。死後は不可欠であり、なまじっか推量をゆるさない。死はある。しかし死後はない。死の滝口は、そこに集まった水流をどっと瀑下に引き落とすとみえたところで、神隠しにでもあったように水の量は消え、滝壺は涸れている。それが死というもののありようだ」と。それで岸本先生が、「来世がない」ということとしてお考えになったのは、「今生きているこの一瞬、この現在を力いっぱい充実して生きることだ」と。「よく生きることだ」というふうな言い方をなさっていましたが、上田さんの場合も兼好法師の『徒然草』なんかをお引きになりながら、そういう「先途(せんど)なき生で、現在の今の、只今の一瞬を生きる」というお考えをだいぶお持ちになっておられますね。それが少し変わるといいますか?
 
上田:  「変わっていくほうがいいかなあ」と。「変わらざるを得ないか」というところで、「信じられたらなあ」という気があって、そのことを後ほど、できればお教え頂きたいと思っておりますけど。今おっしゃったように、「今ここに我あり」という、道元でいえば、「自今(じこん)、而今(にこん)」というんですか、そういうところで考えるわけなんですけど、最初の病気をしまして、その時に、「お前はこういう病気なんだ」と言われた時ですね、「まさか自分が!」と―誰でもそう思うんですけどね―まだ若いうちですし、予期しなかった病気になったと思うんですね。その時、咄嗟に、「お前は大変な病気なんだ」と、はっきりそうは言わないんですけど、私も医者なもんですからわかりまして、その時の気持で、「死が前にあって、こちら側から死を迎える」わけですね。「死のこちら側から、間近な死を見た」。それが死に直面した時の最初の心境なんですね。その時に思ったのは、非常にこれはつまんないような考え方なんですけど、誰でも考えると思うのは、「誰でもが死ぬんだ」ということですね。私は四十歳過ぎですけど、四十としますと、「四十で、六十の人もいるし、八十の人もいるけれども、必ず死は到来するんだ。そうすると、その点では不公平はないので、まあ十年早いか、二十年早いか、というだけだ」という、そういう納得の仕方が一つあるわけですね。もう一つは、これは今の納得の仕方というのは大変苦し紛れですけれどね。もうちょっと積極的に、「ああ、もう少し生きたかった。もう十年か二十年―これから仕事をしたいと思っているところでしたから―生きたかった」と。そうすると、今の岸本先生の話じゃないんですけど、岸本先生の生き方がそうだと思いますけど、「できるだけ一生懸命この世で生きたい。仕事をしたい」ということでございましてね。それでなんかそれも「あくせくじゃなくって、ほんとに懸命に、なんか充実した人生を送りたい」と思いまして、それがいつ絶たれるかわかりませんので、あんまり長い計画はできないんですね。まあ一年なら一年、二年なら二年というふうな計画のもとに仕事をしまして、それで五年過ぎた頃なんか、ほんとに「ああ、五年過ごした」と思いましてね。それで十年生き、そして私は二十年生かされて、その間はかなり自分では仕事をしたと思うんです。自分なりに仕事をね、まあしましたので、今度―一昨年ですけど、六十になって病気になった時ですね、今度は歳もいっていますし、仕事もかなりしてきましたので、「まあいいわ」とまでは言いませんけれども、「まあこれは仕方がないな」と、まあこれは二度目ですし、かなり面の皮も厚くなっておりますので、わりに動揺しなかったんですけどね。そんなふうに、要するに、「充実して生きていこう」ということですね。そのような考え方をしてまいりました。「生というのは、死を必ず控えているのが生だ」という。「誰も死ぬんだ」というのが一つですね。それともう一つは、今いったように、「できるだけ充実した生き方」というか、「精いっぱい生きる」という。岸本先生の場合は十年でしたけど、十年を精いっぱい生きられた、ということですね。そういうふうに私も生きてきた。そういうのが最初の一番解決のし易い問題だと思ったんですね。そしてまあ生きてきたんですけど。兼好のことが出ましたけど、死そのものですね、「ともかく死に向かって進んでいくので、それはどのように考えていったらいいだろうか」「どうしたら解決できるんだろう」というふうに考えていったのが、もう一つの考え方なんですね。その時たまたまですけれども、兼好を読みまして、兼好の生き方の中で、そういうのを自分なりに考えまして、それで、「先途なき生」―先のない生、ということですけど、この考え方は手術の体験が一つ入っているんですよ。それで手術で麻酔を致しますね。私は、麻酔というのは、「死の予行」というふうに考えまして、それはどういうことかというと、麻酔は昏睡ですから、普通の睡眠じゃなくて、非常に死の崖っぷちまでいったような深い眠りですから死とほとんど同じだ、と思うんですね。最初の手術は二時間半かかったんですね。その時麻酔をかけられて、フッと眼(まなこ)を閉じたわけですね、寝たわけです。その下がった目蓋がパッと開いた瞬間、「あ、これから麻酔がかかるんかなあ」と思っていたら、終わっているんですね。ですからこれがそうすると、「死なんだな」と。一瞬なんですね。一瞬というより、むしろもう時間が無いようなもの、時間が消えるということですね。それでその時思ったのは、「一瞬が永遠なんだ」と。「永遠が一瞬」なんで、私は目が覚めたから一瞬とか思いますけど、そのまま目が覚めなければ、それがそのまま死ですからね。死というのは、何でもないんだ、と。フッとこう眠る。「死というのはほんのちょっと眠ることなんだなあ」と思ったんですね。目が覚めなければ、もうそれで―だけどやっぱりちょっと眠っているだけで、例えばそれが一年後、あるいはミイラのように二千年とか三千年後に目が覚めても、それはやっぱり一瞬だったんじゃないだろうか、というふうな気が致しましたね。とても不思議なもんだ。「死というのは時間が結局無いんだ」ということですね。そういう体験が一つございまして。それからもう一つは、手術の時の体験で、今の「死は一瞬だ。ちょっと眠るだけだ」ということをもう少し理屈っぽく考えまして、それはどういうことかといいますと、今、滝口のほうへ、死という門へずっと進んでいく時に、具体的にいえば、二十四時間、明日の今死ぬとこういうふうに考えますと、二十四時間後(あと)がある、と。それが今度半分になって十二時間、後また半分になって六時間になって、三時間となって、一時間半になる。こういうふうになっていっても―半減法で、これは考え方の便利なために言っているだけで―だんだん近付いていきましても、いくらでも時間というのは分けられるんじゃないか、と。ずんずん近付いていきますけれども、そうすると、妙な言い方ですけど、「死に近付くけれども死に近づけない」ということなんですね。なるほど客観的に見ていると、その人は死ぬんですけど、死ぬ本人から見ますと、死にずっと近付いていく時に、いくら近付いても近づけない、と。要するに、「本人にとっては、死というのは触れることはできないんじゃないか。体験ができないんじゃないか」と。本人が死というものを触れた時には、本人は死んでいるわけですからね。それをもう少し理屈っぽくいうと、いつまでたっても、死に近付いているわけで、永遠に本人は死に近付いていっているわけなんですね。そんなふうに考えましてね。兼好はどうもそういうふうな考え方をしていたんじゃないかなあ、と。これは独断ですけど、思いましたんですけどね。
 
脇本:  「アキレスは亀に追いつけない」という。体験としてみれば、生きているのはもう半分まで、その半分、その半分、永遠に半分しか本人としてはいけないという。
 
上田:  そういう時期、そういうふうに切望しながら、私はこの世で生きるということですね。この世の中で一番健康な考え方でいえば、死を考えないで生きられるのが一番健康だなと思うんです。モンテニューなんかはそんなふうに考えているように思いますね。一番健全な、普通な考え方で、世間の普通の人は、あんまり死ということを考えずに生きて、それで一生懸命働いて死んでいく、という。働きということの中で、私なんかは一番いい生き方は、なんか創造的な仕事をつくっていく―文学とか芸術とか―私の場合はそういうことが一番充実した生き方だと思ってきました。要するに力いっぱい生きて、死ということを直接知らずに、考えずに、というのが非常に健康な生き方だなあ、と思ったりもするんですけどね。でもこういうことがあるんですよ。私が小学校三、四年の頃ですけど、おばあさんの傍に寝ていたんですけど、暗闇の中で、不意に「ああ、自分は死ぬんだ」という恐怖に襲われたことがあるんです。どういう機会だったんでしょうね。ほんとに恐かったんですね。「自分が消えてしまうんだ」と思ったことがあるんですね。これはどうなんでしょうかね。そういうことを大勢の方に聞いたことはないんですけど、そういう体験があるんです。普段子どもですから遊んでいるんで知らないんだけど、時々夜に寝ると、もうそれこそ声を叫びたくなるほど、その怖さというものがあるんです。そういうのはどうなんでしょうかね?
 
脇本:  そういう死の問題を考えないで、一生死ぬ瞬間まで考えないで、健やかに生きていければ、これは一つの幸せな生き方だろうと思いますですが、しかし、これは性格やなんかにもよるんでしょうけどね。アメリカの心理学者でウィリアム・ジェイムズが、「健やかな魂の持ち主」と「病める魂の持ち主」という、人間にはどうも二つのタイプがある、と。それで「健やかな魂の持ち主」は非常に楽天的といいますか、少々苦しいことやなんかあっても、雨が降ったら雨は必ず晴れるんだ、と。それが宗教に結び付くと、「世はすべて事もなし」という、神さまがいらっしゃるんだから、すべては今苦しくっても、神さまがちゃんと最後の締め括りをしてくださるんだ、という、そういういわば楽天的といいますか、そういう方向でものを考えることのできるようなタイプの人と、それからそういうふうに暢気(のんき)に考えていられなくて、現在いくら健康であっても、「いつか死ななきゃならない」とか、「いつか病気になるんだ」という、いわば人生の闇の面といいますか、そういうものに心を掴まれてしまうという、そういうタイプの人とあって、そういうタイプの人の場合に、宗教のあり方がまた変わってくる、というふうなことをいっておりますね。しかし一般的にいえば、やはりなんかの機会に死という問題を考えないで済むというわけにはいかないじゃないでしょうかね。そういう意味では、なんといっても、生と死、死と生というのは、これはどちらがどちらを包んでいるか、ということも見方ですけれども、離して考えることができないものですから、やはり今、上田さんのおっしゃった「麻酔が死の予行であった」とおっしゃいましたですね。そういう「死の予行」といいますか、或いは「死の稽古」といいますか、そういうことを麻酔でたまたまなさるということの他に、頭の中で稽古する。頭の中で予行してみるということも大切なことになるんじゃないでしょうかね。
 
上田:  兼好は、「明日死ぬと思え」というんですね。ですからそれは予行ですわね。「二十四時間後に死ぬと思って生きろ」と。「それでまた死ななければ、もう一日また明日死ぬと思って生きよ」と。そんなふうに、それが兼好のいう「先途なき生」という言い方ですね。それもやっぱり病める魂ですかね。私なんかもそちらのほうで、そして心だけでなしに、身体まで病気になりましたから、余計そんなふうな考えにいったんでしょうけどね。でも目の前に死を控えているという考え方だと、生が非常に濃縮してきますのでね、そういう生き方というのも、かえって生を励起(れいき)させる―奮い立たせるという意味ではね。死を含まない、今どちらがどちらかわからないとおっしゃったけど、ほんとに死というものを含まない、あるいは予想しない生というものはほんとはないわけで、ですから死を考えるということはほんとに生を考えるということかも知りませんしね。そんなふうにしてきていまして、最近になってまた多少考えが変わってきたところがあるんですけどもね。
 
脇本:  それが二度目の癌の手術?
 
上田:  そうですね。
 
脇本:  その時にやはり麻酔で?
 
上田:  はい。麻酔で。今度はちょっと厄介な病気でして、手術が長くかかって、十一時間かかったんですよね。
 
脇本:  そんなに!
 
上田:  はい。もうほんとに半日寝ていたわけですけど、それも体験的には二度目ですから、わりあい図太くなっていましてね。やっぱり一瞬でしたね。それで、そのあと「死後」ということですね―死んだのち、後世(ごせ)―後の世というところまではいかないにしても、なんか「死後」ということに対する一つの関心が自分でも出てきて、その時に―これどうなんでしょうかね―ふっと思ったのが、「生前(せいぜん)」―生まれてくる前ということですね。
 
脇本:  われわれは普通死というものを問題にして、「死んだらあとどうなる」というふうに一生懸命苦にしますけども、みんな生まれてきた、「その生まれてくる前はどうだった」ということを苦にする人はあんまりいないんですね(笑い)。これは片手落ちといえば片手落ち。とにかくわれわれは決して生まれようとして思って生まれてきたわけじゃない。どういうわけだか生まれちゃったわけですね。その「生まれる前が」ということはあまり気にしないで、それで「死んだらその後は」というので気にするわけですね。これは考えてみると、本人からいうと、自分の自由意志というふうなものとまったく関係のない出来事が生まれるというところで起こり、死ぬというところで起こるわけですね。だから生まれる前というふうなことも、考えてみれば非常に大きな問題になるんだ、と思うんですけどね。
 
上田:  要するに、「連続として捉えたい」というそんな考えが出てきまして。生という五十年なら五十年、八十年なら八十年という、生まれる前、それから死後というふうに連続的に捉えられないだろうか、と思ったんです。そうしますと、生前―父母未生以前の消息ですね―生前が闇の中としますと、そこから何かの形で自分が出てきた、と。この世というのは、例えば光の世界と考えますと、闇の中から光のあるところに―自分も光というふうに、生きているということが光ることなんで、ちょっと光って、そしてまた闇へ入っていく、と。でも闇自身は一つのなんか全体じゃないか、と。そうすると、見える光る部分も全体の中の一部じゃないか、と思いましてね。それでその時に、考えましたのは、比喩なんですけど、光といいましたけど、生きているということは光ですけど、可視光線、見える光ですね。これを光の世界というふうに考えますと、生きている人生というのは光っている部分の中の昼みたいなものですね。そういう中で、それは一つの電磁波―われわれの眼で見ると時にいう電磁波の赤から紫までの七色が合わさったら、光のそういう電磁波の波長の世界ですね。それで見ているわけですけど、それで生きているわけですけど、そのもうちょっと波長が長くなると、赤外線になりますね。もっと電磁波の波長がうんと長いのが電波なんですね。電波が非常に波長が長くて、勿論見えませんです。それがまあ赤の見える範囲のほうの赤外線のほうから、今度紫のほうへいきますと、同じ電磁波でも紫外線になって、これはまた見えませんですし、それからもうちょっと短い波長でいくと、X線、γ(ガンマー)線なんかのやっぱり電磁波なんですね。もっと短いのになると宇宙線なんですけど、全部が同じ性質の電磁波なんですね。
 
脇本:  そうですか。
 
上田:  電波、赤外線、可視光線、紫外線、X線、γ線、宇宙線というのは同じ性質の電磁波なんですね。その可視光線の部分だけが見えるわけなんです。見えるというのは人間の目で見える、感覚として見えるというわけなんですけどね。自分の生ということを考えると、その見える世界がまあ生きている命の世界で、生まれてくる以前というのは、なんか変な言い方だけど、赤外線のほうから送られてきていましてね、それで見える世界に入って、また見えない紫外線のほうの世界に消えていく、と。そして、ウンと長い波長とウンと短い波長というのは、単なる妄想ですけど、どこかで一つひっくり返って結び付くんじゃないんじゃないかという、そういうふうに考えたいわけなんですけどね。そうすると、なんか生死を、「生前、生、死後」という全部をなんか比喩的な理解の仕方ですけど、なんとなく納得できるんじゃないかというふうに思いましてね。それを宗教というのはやっぱり死後を問題に致しますわね。或いは死後を問題にしないという立場も、死後を問題にするわけでしょうけど、そんなとこで、そこに宗教―死を受け容れるというようなことにしても、死後をどう考えるかということが、一番大事な、大きなことで、日本人は先ほどおっしゃいましたように、どっちかといえば、「死後がない」という人のほうが多いんじゃないかと、私は思うんですけどね。でも私は叱られたことがありますね。「お前は考えが足りないんだ。死後はあるんだ」といって、頭から言われたこともあるし、そういう方もいらっしゃるわけですね。
 
脇本:  死後の問題というのは―どうも死後といえば非常にイメージ自由な感じですね。極楽浄土があって、あるいは天国があって、そこでは迦陵頻迦(かりょうびんが)の声が聞こえて、というふうな、そういうこの世的な、感性的なイメージで、死後というものを考えるという。それは一つの古い時代からの伝統がありますから、そういうものは近代科学的なものの考え方の人からみると、どうしても受け容れられないという。ですから、死後の浄土というふうなものを、どうとらえるかという、先ほどの「厭離穢土欣求浄土」―その浄土をどうとらえるかというところが、ずいぶん宗教思想の中でも、ある意味で変わってきているところがありますね。現在の浄土教で「浄土」というふうなことをいう場合には、おっしゃるような、この世の感性的なものとはレベルの違う形で、死後の浄土というふうなものを考えますし、それから親鸞なんかは、浄土真宗で「浄土を信ずる」という、その代表的なものの一つですけれども、親鸞のものをジッと読んでみると、そういういわば空想的な世界というものは、親鸞の中にはなかった、という気が致しますけどね。
 
上田:  往相(おうそう)に対する還相(げんそう)、還ってくるというようなこともあったんでしょうから。
 
脇本:  そして、最後のところで出てくるのが、「自然法爾(じねんほうに)(他から何の力を加えられることなく、諸法のおのずからそうあること)」というふうなことをいうんです。それは人間の側で、「ああだ、こうだ」と思いはかり、はからいをしてみても、それは及ばないので、自ずからに法爾としてあるものという、あるものというよりは、法爾としての働きというんでしょうか、そういうものが出てきますですね。そうなりますと、先ほどのお話の電磁波というんですか、何かすべて命あるものを、あるいは生きたり死んだりするもの、その命の働きを働かせているその源泉というふうな、そんなようなイメージが親鸞の場合には出てまいります。
 
上田:  親鸞は、「仏性」という言葉を使いますか? 仏の性ですね。
 
脇本:  経典に出てきますから、それは使いますが、そうですね、道元やなんかほど、仏性とは言いませんですね。
 
上田:  そうですか。
 
脇本:  今お話を伺って、また思い出しますのは、岸本先生のことなんですがね。岸本先生が、先ほど言いましたように、癌に罹られて、それで、「今の一瞬を充実して生きる」ということをお考えになって、そこで私なんかは、学生の時からずっと、あと助手になり、ずっと可愛がって頂いたんですけれども、その間に病気になられる前と、なられた後とでは、われわれ、学生、教え子に対する姿勢も全然変わってこられるんですね。それは非常にこう太ったまるまるとした身体つきの方で、だから身体つきと同じように、「非常に円満な穏やかな先生だ」というふうに言われていましてね。われわれに非常に優しくいろいろ接しておられたんですが、病気になった後からは、「脇本君、今この一瞬が真剣勝負だよ」という、そういう形で、今まで私が書いた論文やなんかヘマがあっても、「ここんとこ、おかしいじゃないかな」というのが、それが違うんですよ、「これは何だ!」というようにね、真剣勝負なんです。そういう姿勢で学生にも接せられましたから、その他の点でも仕事をどんどんなさったですね。クリエーティブとおっしゃいましたが、クリエーティブな仕事をなさったんですけれども。それが癌の方は普通五年経って再発しなければ少し安心だといわれていますね。
 
上田:  十年だともう安心だという。
 
脇本:  五年過ぎて、その間に皮膚癌―黒色腫(メラノーム)ですから、額のようなところへポツッとニキビのようなものができるんですね。これを取って調べると、やはり癌なんですね。ですから、頭辺りですが、それを二十回ぐらい小さなほくろのようなものを取る手術をしましてね。それでその取った跡は穴が開きますから、太股(ふともも)から皮膚を取って埋めるという。ですから、「脇本君、僕の太腿は切られの与三郎だよ」というふうなことをおっしゃっていましたがね。そういう激しい癌と闘いながら、大学の教授としての他に、図書館長というふうな大きな仕事をお引き受けになられたり、非常にクリエーティブに仕事をなさるんですね。それが非常に激しく、もう一瞬一瞬燃えて燃えて生きるという。それをご自身でも、「イノシシのように突進する」というふうな書き方で顧みておりますけど。そういう生き方をなさっていたのが、七年、八年ぐらい過ぎた辺りでしょうかね、「少し人生というものに対する姿勢が、どうも自分の中で変わってきたような気がする」とおっしゃるんですね。
 
上田:  それはなんか緩やかに、
 
脇本:  ええ。非常に緩やかになりましてね。そして激しく充実して生きるということの他に、今生かされているその命を―これは「心身(しんじん)永く閑(しず)かなり」という兼好がいうみたいな、生かされてある今を、ある意味でゆったりと受け容れて、そして楽しみとまではおっしゃらなかったかも知れませんが、そういうゆとりのある、という姿勢になってこられましてね。その時にお考えになったのが、要するに、「死というのは別れである」と。「別れというのは、つまり死というのは何もかも無くなっちゃう、と思っていたけども、そうじゃない。自分は死んでも、死ぬのは自分が死ぬのであって、死んだ後に世界は残っている。自分が生まれる前に世界はあったはずだ。そういう意味では、要するに、自分が名残惜しいけれども、後ろ髪を引かれながら、みんなと別れていく。その別れということは、この世に生きている限りは旅行に行ったりなんかで絶えずやっている。その絶えずやっている旅行、それの別れを今度は大いなる別れで別れるんだ。別れた後、宇宙の生命に戻って永遠の休息に入る」というお考えになってこられたんですね。それでわれわれも十年近くになりましたから、回復なさるのかなあと思っていたら、そうはいかなかったんですけどね。脳の全体にメラノームが広がっていた、ということで亡くなられたんです。そういう一方で、死を目前に見ながら、そこの「生きている間の一瞬一瞬を激しく燃焼して生きる」という。それの他に、「今生きている命、それを楽しく受け容れていこう」というふうな、そしてその後は、「宇宙の生命の中へ戻って安らう」というふうな考えをされておられましたね。われわれの個々の命が生きている、その命の全部をこう支えているといいますか、上田さんの言い方でいうと、宇宙全体の電磁波というんですか?
 
上田:  それはあくまでも比喩ですけれども。今の「別れ」ということですね。死はそうなんで、それは他の人との―愛する者とか、親しい者とかの別れ―この世の別れですけれど、自分自身でいうと、これをちょっと妙な言い方ですけど、死というのは、「身と心の別れ」なんですね。死という、あるいは死後の問題ということにいくと、身心の問題ですね。身と心とをどう捉えるか、という。死というのは明らかに身体を捨てることですから―先ほど浄土のことがでましたけれども、昔の極楽図なんかを見ると身体があるんで変なんですけど、地獄でも身体が虐められていますが―身体は無いわけですね。その点はキリスト教なんかのほうがむしろそういう考え方に近いかも知れませんが、魂だけの世界ということになりましょうけれども、どうも身心の問題が大変難しくって、身体を離れて心があるか、ということなんですね。あるいは心を離れて身体を捉えられるだろうか、ということなんですね。そこのところを宗教の人たちはどういうふうに考えているんだろうか、と思いましてね。ちょっと話はほかのことになるかも知れませんが、「黄泉(よみ)」という考え方と「浄土」という考え方が二つあるという気がするんですね。古い日本人の考え方は、黄泉的な考え方―「黄泉」というのは伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が死んだ伊弉冉尊(いざなみのみこと)を訪ね、黄泉の国へ往く、「見るな」のタブーに背いて蛆のたかった屍を見て、恐ろしくなって逃げ還る、という。その死体的な見方ですね。これは身体でもって死を見ているわけですね。身体的な死の感覚なんですね。それから「浄土」というほうは、心を主としてみた死後の世界なんで、どうも死というのは、非常に非日常的なもの、あるいは超自然的な現象で、われわれが生きているということは、日常的なふうに思っていますけど、死そのもの自身は非常に超自然的なものなので、そうすると死後とみるのはやはり身体的な認識でみてはいけない。黄泉的な見方をしてはいけないので、やっぱり心の浄土的なというか―身体が極楽浄土の図じゃなくって―極楽的な浄土的な見方が必要なんじゃないか、というふうに思って、認識の尺度を死後というのは別なんじゃないか、そういうふうに思っておるんですけどね。西行(さいぎょう)をお坊さんと言えるかどうかわかりませんが、私は歌をやるもんですから、それで西行のものも読んだんですけど、「願はくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ」の歌がございますね。ああいう歌を見ていると、そして死後の歌が二つあるんですけどね。
 
     来む世には心のうちにあらはさむあかでやみぬる月の光を
 
死んでからは、生きている間に月を十分見なかったから、心の中で月を見たい、という歌が一つ。もう一つは、
 
     仏には桜の花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば
 
死んだら桜をまつってくれ。まだ見飽きないから、と。
こういう歌があるんですね。それは西行は桜と月というものを通してまた現世と何かが保ちたいという気持があって、もっと端的にいえば、身体を引きつけて、あの世へ移りたいという、こういう気持が西行の死の死生観じゃないか、というふうな気がするんですけどね。二度目の病気してから西行を見直したんですけど、その後道元を、難しかったですけど見直したんです。まだそこにも一つの考え方があると思いましたけど、身体と心というのはどうなんでしょうね? 解決はおそらくできなんですけど、何がほんとに一番近いんだろうかということですね。
 
脇本:  道元という名前がでましたけれども、道元なんかのものの考え方では、「身」と「心」と二つ分けて考えるのがそもそも迷いであって、「身と心とは分けることはできない」という。そういう見方を致しますですね。しかし、肉体の死というふうなものを捉えようとするいろんな捉え方があるわけですけれども、いずれにしても、少なくともわれわれの五尺の肉体といいますか、これにはどう転んでみても寿命があり、どう転んでみてもいつかは消えていくものである、という。これはもうどうしようもないといいますか、いってみれば自ずからに当然のことなんですね。それをやっぱり凡人ですから、死にたくないとか、なんとかいろいろ考えるわけだけど、それでムダな抵抗をしたり、いろいろこう取引のようなことを考えてみたり、憂鬱になったり、いろいろするわけですが、最終的には肉体が滅んでいくという意味での死というふうなものを受け容れるということは、非常に大切なんだろうと思いますね。そういう死を受け容れるという立場に、どうしたら立てるかというところで、浄土の問題が出てきたり、命の問題が出てきたり、いろいろするわけですけれども、しかしそうやって死のことをなるべく考えないんじゃなくて、考えて、そしてそれを受け容れて生きるという、そういう生き方はやはり何か今までとは違う風景が見えてくるといいますか、そういうふうなことがあるんじゃございませんでしょうか。おそらく道元の場合には、世界をどう捉え、時間をどう捉えるかということが、坐禅―只管打坐(しかんたざ)というあれに繋がっているんだと思うんですね。われわれが文字で読んで、これは「こうだろう、ああだろう」というふうに、ある意味で非常に魅力的な文章ですから、魅力に惹かれて、そして考えてもわからなくて、わからないところがむしろ魅力にもなったり、というふうなところもあるんですけれども、あれを本当にわかろうと思ったら、やっぱり自分が只管打坐―坐るという、その中で当人は、世界全体になっちゃうというか、当人が法そのものになっちゃうというか、それに吸収されちゃうというか、先ほどのお話にありましたような、従来のわれわれのものの見方考え方感じ方とは違う。そういうところがあるんじゃないかという気がしますわね。
 
上田:  道元はたしかに難しくて、私も学生の頃から読もうと思っておったんですけど、文庫本をね。戦争中ではとても読めませんで、やっと今時分になって、しかも訳者のものを参考にしながら読んでなんとか自分としては理解しようと思って読んだんですが、病気する直前なんですけどね。自分の理解した範囲で言いますと、今おっしゃったように、世界と一つになるというのは、世界も全部仏性なんだ、と。一切衆生みな仏性という形で、全部仏さまの性を具えているんだ、と。それは隠れていてなかなか現れないので、それを見付けるというか、現れるためにどうするかというと、まず自分の身を奇麗にする、清浄にする、清らかにする、と。そしてそんなふうにして只管打坐をすると、身も非常に透明になっていって、そこに清浄な自然が、山川が流れ込んでくる、と。一体になるというふうにして、要するに、世界―この世ですね、今ここに、それが全部が一つの仏性世界なんだ。そういうものが、今ここに顕現するんだ、現れるんだ、という、それが「身心脱落(しんじんだつらく)」で―「脱落(だつらく)」というのは、「透脱(とうだつ)」とも言っていますね。その「透」というのが大変意味があるように思ったんですけどね。すべてが仏さまの世界なんだ、ということですね。
 
脇本:  清らかで、
 
上田:  はい。透明な清浄な世界だ、と。それがほんとの世の中の世界で、人間もそうだし、万物もそうなんだ、ということだと思うんですね。そこだとほんとに生も死も、今の坐禅の中で見付けたあり方というのは、もう一体化しているし、そういう混然とした中で「身心脱落」「身心透脱」というのは、やっぱり大悟ですわね。そういうのは実際坐ってみないとわからないんでしょうけれども、なんとなくわかる気もするんですね。
 
脇本:  まあそういう道元さんは高くて手が届かないんですけれども、同じ曹洞宗の良寛さんですね、良寛さんは、またわれわれにも、子どもにも親しみやすいものの見方、生き方を示してくださっているわけですが、あの良寛さんのものを、上田さんはよく引いていらっしゃいますけど。
 
上田:  ちょっと勉強しましたけど。良寛は、道元ほど難しさはなくって、大変親しいんですけど、やっぱり禅的な、そういった大きな時間とか空間の考え方があると思うんです。大変親しみやすくって、そして私は良寛も道元も西行もそうですけど、もう一人勉強しました他のお坊さんもまあそうなんですけど、要するに何かこの世ですね、仏性ということからいえば、清浄な、清らかな世界、そういうのをみんな求めて、それが本当のあり方なんだというふうに、そういう世界観を持ち、そういう人生観を持ち、また実際そういう生き方をしてきたというふうに思うんですね。そういう中で、「生死一如(しょうじいちにょ)」といいますか、あるいは「身心一如」ということですね。そうすると何かそこで時間も空間も何かうまく言いませんが、解けて、全部自分も入れてくれるし、自分がそういうものだというふうな、大きい言い方をすれば、そういうものが開けてくるんだろうと。なかなか凡人はそうもいきませんからね、じたばたするだけなんですけれども。
 
脇本:  上田さんがお書きになったものの中に、良寛の詩がありましたですね。
 
     生涯身を立つるに懶(ものう)く (生涯懶立身)
     騰々天真に任(まか)す     (騰々任天真)
     嚢中(のうちゅう) 三升の米     (嚢中三升米)
     炉辺 一束の薪     (炉辺一束薪)
     誰れか問はん迷悟の跡  (誰問迷悟跡)
     何(いずくん)ぞ知らん名利(みょうり)の塵  (何知名利塵)
     夜雨草庵(やうそうあん)の裡(うち)      (夜雨草庵裡)
     双脚(そうきゃく)等間(とうかん)に伸(のば)す    (双脚等間伸)
良寛
 
上田:  「夜雨草庵の裡、双脚等間に伸す」といって、「夜雨」―雨が降っているところで、草庵の中で、「双脚」二つの脚を、「等間」というのは伸びやかにという、あれは良寛の境地なんでしょうね。
 
脇本:  それがどうも世界と和解するというか、死との和解というふうな、そういう自分の死というふうな、そういうある意味でいえば小さいことよりも、もっと大きく、世界と和解するというふうな、私は上田さんのものを読んで、「夜雨草庵の裡、双脚等間に伸す」、これはいいなと思いまして、非常に感銘深く読まして頂きました。
 
上田:  良寛は和解の名人ですね。達人ですね。ほんとにそういう世界と人と―苦労したわけでしょうけど、苦労しながらそこへ到達したと思いますね。死とも和解したんですね。
 
脇本:  そういうあくせくあくせく私なんかも平生やっていますけれども、時々そういう世界と和解した方々の姿というようなものを拝見して、心を洗って清らかになりたいと思います。どうも本当にありがとうございました。
 
上田:  ありがとうございました。
 
 
     これは、昭和六十一年九月七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである