見えないものを見 聴こえないものを聴く
         ー止揚学園の四十年ー
 
                          止揚学園リーダー 福 井  達 雨(たつう)
一九三二年近江八幡市で生まれ、少年期を当時の満州で過ごす。同志社大学で神学部を卒業し、障害児の教育と差別に取り組む。著書に、「ゆっくり歩こうなあ」「僕アホやない人間だ」「一人は力です」など。
                          き き て    峯 尾  武 男
 
峯尾:  滋賀県能登川(のとがわ)町の一角に、知能に障害をもつ人たちの家、「社 会福祉法人汀(みぎわ)会止揚(しよう)学園」があります。この施設は、リーダ ーの福井達雨さんが、大学在学中に、知能に障害をもつ子供た ちに出会ったことがきっかけで、一九六二年(昭和三十七年)、 滋賀県近江八幡市のお寺の跡地に開いたことから始まりまし た。三年後の一九六五年(昭和四十年)に、今のこの地に移転 しましたが、創設以来三十九年、一貫して福祉の向上に尽くし、 人権問題や障害者教育の在り方などについて、社会に問題提起してきました。施 設は、子どもたちの成長もあって、一九八九年(平成元年)に大人の施設になり ました。今、三十六人の知的障害者、三十三人の職員が共同生活をしています。 モットーは、「差別を無くし、総ての人が胸を張って生きていけるような世界を作 りたい」です。
 

 
峯尾:  この止揚学園では、共同生活の中から多くの歌が生まれました。保母さんによる 「止揚シスターズ」というグループも結成されていて、施設の内外で歌が披露さ れています。今日の「こころの時代」は、この施設の中でうまれた歌を挟(はさ)みなが ら進めていきます。現在の「止揚シスターズ」のメンバー、堀亜聖(あきよ)さん、西竹め ぐみさん、西村美紀さんによる歌、先ず、「愛それは行動」です。どうぞ。
 

(止揚シスターズが歌う場面)
 
「愛それは行動です」
 
愛それは言葉でなく 汗をながすこと
愛それは言葉でなく 捧げあうこと
すべての喜びを ともに分け合い
悲しみ苦しみを ともに歩むこと
愛それは言葉でなく 汗をながすこと
愛それは言葉でなく 捧げあうこと
 
愛それは言葉でなく 永遠(とわ)につづくもの
愛それは言葉でなく 信じあうこと
空をながれてかなたにとけてゆく
雲のまにまに楽しき歌ごえ
愛それは言葉でなく 汗をながすこと
愛それは言葉でなく 捧げあうこと
 

 
峯尾:  それでは、福井達雨さんにお話を伺ってまいります。どうぞよろしくお願い致し ます。
 
福井:  こちらこそ。
 
峯尾:  早速、歌を聴かせて頂いたんですが、今の「愛それは行動です」 というのは、どういう背景で生まれた歌なんですか。
 
福井:  私はクリスチャンなんですね。私たちの世界では、よく「愛」 とか、「優しい心」ということが語られるんですけれども、た だそれだけで過ぎていくという世界が非常に多いわけです。私 はやっぱり聖書を読んでいて、イエス様の生き方というのは、 そういう世界ではなかったような気がするんですね。それは何 故かというと、イエス様は、本当は神様だったのに、その神の主権とか正義をみ んな捨てて、私たちのところに来て下さって、僕(しもべ)になって、そして一番自分の大 切な生命(いのち)まで私たちに下さって、そして私たちの罪を全部引き受けて、十字架に かかって、天上に召され、復活されたわけです。私は、その世界は行動の世界だ ったなあ、と思うんです。イエス様の生きられた生き方というのは、行動を通し て、愛を私たちに示して下さった、そこが素晴らしいとこだと思うんです。私は、 それを、「愛は綺麗な言葉ではなくて、祈りから生まれる温かくて美しい行動なん や」と。「行動の伴わない愛や祈りや聖書や心なんて、虚(むな)しいじゃないか」って、 ズーッと言い続けてきたんですね。だから私は、今も、「愛それは行動なんや」と こう考えているわけです。
 
峯尾:  この歌が数多くあるこの学園の中で作られた歌のうちの一つですよね。
 
福井:  はい。
 
峯尾:  全部でどれくらいあるんですか。
 
福井:  止揚学園は、手作りの歌が三百五十曲位あります。
 
峯尾:  福井さんがお作りになるものが殆どなんでしょう。
 
福井:  いや、私はあまり作らないんですけども、私が此処で作っている歌は非常に単純 で、易しい歌で、反対に非常に高度な歌というのは、保母さんとか、その歌を歌 っている止揚シスターズの人たちとか、そういう人が作るんです。特に止揚学園 で生活している知能に重い障害をもった人たちは、現代の私たちの歌には付いて こられないわけです。それはスピードが早いとか、テンポが早いとか、或いは非 常にリズム感が豊かな世界だとか、そういうものにどうしても付いてこられない ので、私たちはとても悲しい思いをしていたわけです。そこで、「この人たちはど んな歌が歌えるのかなあ」「この人たちの歌があるんじゃないかなあ」と、こんな ことを考えたわけですね。今の日本の社会や人間の社会、この地球は、やはり強 い者、頑張れる者、出来る者が主体で、ものが進んでいって、その人たちの文化 とか、生活とか、或いは歌とか、そういうものがいつも優先しているわけです。 私は、そういう強い多数側の文化や音楽だけではなくて、弱い少数の側の人たち からも、文化や生活や歌があると思うんですね。そこから歌を作ってみたら、私 たちも歌えるし、その人たちも歌えるんじゃないか、と考えたわけです。例えば、 「みたら」ということしか言えない女の人がいるんですね。その人に楽しく歌を 歌わせてやりたいわけです。私たちだけが、「ワー」と、歌うと付いてこられない ので、例えば、
 
どろんこ道を歩いてみたら(・・・)
くつも膝っこぞうも
どろんこ どろどろ
 
って、その歌は、「みたら、みたら、みたら」と歌えるわけです。そして、「歩い てみたら(・・・)」という歌詞があるから、そこは一緒に歌えるんですね。そうすると、 その人も歌えるし、私たちも歌える。こういう歌があるんじゃないか、と。そう いう中で出来たのが止揚学園の手作りの歌なんです。
 
峯尾:  そうすると、此処で暮らしている知能に重い障害をもつ人たちの思いとか、それ からその行動を、そこから、福井さんが受け取ったものが、あくまで、もとにな って歌が作られている。
 
福井:  そうなんですね。止揚学園のいき方というのは、多数側の強い 私たちの時間とか、生活とか、色とか、そういう形で進めてき たんじゃなくて、この知能に重い障害をもった人たちの生活や 色や歌や、そういうものを主体に行動してきたところなもので すから、歌自体もこの人たちから生まれた歌を作って、みんな で歌おうと考えたわけです。
 
峯尾:  それから今私たちの後ろにある鮮やかな絵ですけれども、これ も同じような考えのもとに出来上がった作品なんですか。
 
福井:  実は、この人たちと生活をして気付くことは、白とか黒という色は、好きじゃな いんです。例えば、白の部屋に入れたり、黒の部屋に入っていると、非常に心が 不安定になってしまって、そして、荒れたり、多動になったり、物を投げたり、 そうなっていってしまうんです。おかしいなあ、と思って、よくよく見ていたら、 この人たちの好きな色がカラフルな色なんですね。私はその時、ふと思ったのは、 人間は原始の時代は、みなカラフルな色、原色を使っていたんじゃないか、と。 それが人間がだんだん賢くなってくると、中間色を使い出したんじゃないか、と 思ったんです。実はこの人たちの色、その中で私たちも今生活をしているんです が、このカラフルな色の中で生活をすると、心が安らかになってくるんです。で、 私は、やっぱりこの人たちは、原色が好きなんだから、こうい う色をこの止揚学園の中にたくさん持ち込もう、と考えたんで すが、必然的にこの人たちが創る絵、描く絵もカラフルになっ てしまうんですね。だから私も、いつもカラフルな服を着てい るんですよ(笑い)。
 
峯尾:  下の方は魚で、上はお日様?
 
福井:  そうですね。実は止揚学園の知能に重い障害をもった仲間の人は、日本で初めて 集団で、日本の飛行機に乗って外国旅行した人たちなんです。この壁画の絵は、 シンガポールのセントサ島というところで、日没の時にそこに行ったんですが、 太陽がゆっくりと沈んでいくその美しい景色を描いた絵なんですね。私は、この 絵が出来た時に、とっても心を打たれたのは、 例えばここに魚がいるわけです。これは、ほ んとはこんな小さな魚が海辺にいたんですけ ども、私は魚釣りとか、魚が好きだから、 「あ、あそこに魚がいるなあ」と、「青い色、 赤い色の魚がいるなあ」と海を見ていたんで すが、実は帰って来て、この絵が出来た時に、 私が見ていたその魚が全部描いてあるんで す。そこで、私と一緒に行った保母さんたちに聞いたわけです よ。「あなたは、あの時にこの小さな魚に気が付いたか?」っ て。そうしたら、みんな凄い赤い日没の太陽の方に気を奪われ て、魚なんか気が付いていなかったんです。それが、その小さ な魚を、障害をもつ人たちがちゃんと描いているんです。私は、 ほんとに驚いたのは、実は止揚学園の仲間は知能に重い障害を もった仲間ですから、多くの人は「何も分からない」とか、「何 も感じない」とか、「何も見ることが出来ないじゃないか」と 思っているわけです。だけど、この絵を見て、「この人たちはすべてを見ているん やなあ」と思ったんです。「私たちが見逃すこともキチッと見ている。本当は、私 たちが考えたり感じてきたこととは全然違うんだなあ。この人たちには、私たち 以上にいろんなものを見、いろんなものを感じる豊かな心があるなあ」と思った のが、この絵なんですね。だから、この絵は非常に私にとっては印象の深い絵な んです。
 
峯尾:  さて、福井さんご自身のことですけれども、お書きになったものの中に、「六十五 歳、或いは、六十五歳を過ぎてから、見えないものを見、聴こえないものを聴く ことが出来るようになった」ということを書いていらっしゃいますが、これはど ういうことがあって、実際にはどういうことなんですか。
 
福井:  「全部が見えるようになった」とか、「全部が聴こえるようになった」と言って いるわけじゃなくて、まだほんとにわずか、幼稚園の子どもぐらいの段階なんで すけど、実は私は若い時、「非常に激しい人間」と言われて、「喧嘩の達雨」とか、 「鬼の福井」と言われて、「知能に障害をもった人たちの差別があったら、絶対に ゆるさない」と、激しい言い方していたんです。そういう中でやっぱり多くの人 は、私のことを、「障害児のことについては、神様のような存在だ」と言ってくれ る人がいたわけです。私も得意になりまして、「そうや、障害者のことだったら、 私に任せておけ」というわけですよ。そういう向こう意気の強い、若い時代があ ったんですけど、今から考えると、あの時は、何も分かっていなかったなあ、と か、何も感じていなかったなあ、と思うことが多いわけです。実は、私は知能に 重い障害をもった仲間と、五十年を共に生きてきました。そして、六十五歳を過 ぎ始めてから、少しこの人たちの見えない心の言葉が聴こえてくるような気がす るんです。例えば、私は、昔はとても厳しかったので、保母さんにも、或いは、 職員にも、知能に重い障害をもった人にも、とても厳しかったんです。それだか ら、叱る時でも、もの凄く厳しく叱ったんですけども、今から考えると、それは、 その人がいう目に見えることだけを見て叱っていたと思うんです。だから、とて も厳しかったと思うんです。しかし、今は、障害をもつ人たちのところへ私が行 くと、「ごめんね」って、謝っているんです。その目からほんとに、「ごめんなさ い」って、こう言っている声が聴こえるような気がするんです。「もうこんなに謝 っているんだから、ゆるしてやったらいいわ」と言って、前みたいに叱らなくな ったんですね。実は、不思議ですね、その声が聴こえてくると、若い時に持って いた高慢なものが、体の中から外へ一つ飛び出していって、反対に謙虚さが入っ てくるような気がするんです。また声が聴こえてくると、高慢なものが飛び出し ていって、謙虚なものが一つ入ってくるような気がするんです。そして、少しず つ少しずつ謙虚さをもち始めてから、声が聴こえてきたような気が、私はしてい るわけです。そういうことを言っているんですけどね。
 
峯尾:  福井さんとしては、「大学在学中に非常に大きな出会いがあった」と、最初にご紹 介しましたが、京都の大学ですよね。
 
福井:  はい。同志社大学ですけどね。
 
峯尾:  その頃、知能に重い障害をもつ子供たちとの出会いがあったわけですか。
 
福井:  そうなんですね。私はキリスト教の牧師になるために、同志社大学の神学部とい うところにいたんですけど、その二回生の時にデートしていたんです。私は、若 い時、頭の毛がいっぱいあったし、スラッとしていたから、割りに女の子にもて てたんですよ。琵琶湖から瀬田川という川が流れているんですが、その川端が桜 並木で、ちょうど春の美しい時に一人の女の人とデートしていたら、看板が目に 入ったんです。それが、今、私自身が、「差別だ」と言って使わないようにしてい った言葉ですけども、「精神薄弱児施設・落穂寮」と書いてあったんです。私は、 「精神薄弱児」ってなんのことか分からへんから、「これなんや」って、女の人に 聞いたら、「京都の動物園のお猿より面白い子がここにいる」と言ったんです。
 
峯尾:  ほお!
 
福井:  私は非常におっちょこちょいなうえに、そういうことがあると、パッと見に行き たい性格ですから、「見に行こう」と言って、見に行ったんですよ。それが、この 知能に重い障害をもった子供との出会いだったんです。もう非常に恥ずかしくて、 障害をもつ人たちに申し訳ないんですけど、お猿を見に行くような思いでその施 設に入ったんですね。それから五十年。実は、そんないい加減な私が、この知能 に重い障害をもった人たち、仲間を通して、今のように変えられてきた、と思う んですね。あの時の出会いはほんとに差別的だった、と思っていますし、恥ずか しい出会いでしたけれども、その出会いがやっぱり意味をもった、と思いますね。 そして、今の私があったんや、というふうに考えていますね。
 
峯尾:  止揚学園という施設を自ら今度はお造りになった。この場所ではなくて、近江八 幡市のお寺の跡地と紹介しましたけれど、資金などは既にちゃんと用意されてい たんですか。
 
福井:  いやね、何もお金はなかったんです。だけど、四人の知能に重い障害をもった子 供が私の側にいたんです。その時分ですから、今と違いますのでね、その中の二 人は座敷牢という中に入れられていて、一人は天井裏に隠されていて、一人は牛 小屋で、牛の居なくなった土間に穴が掘ってあって、そこに入れられていたんで す。それを見た時に、カッとしましてね、そこにいたお母さんに、「何て酷(ひど)いこと をしているんや! 子どもが可哀想や!」と怒鳴ったんですよ。そうしたら、お母 さんが、目からワァッと涙流して、「福井さんの怒る気持は分かるけど、今この子 を外へ出したら、石投げられるし、からかわれるし、自動車の前に飛び出して行 っても、殆どの人がそれを止めてくれへん。この穴の中に入れている時だけが生 命が守れるんだ」と言われたんです。私、愕然(がくぜん)としましてね、その時に、ふと感 じたのは、「この穴の中に入れたのは、両親やなかった。周囲の冷たい日本人達(たち)だ った」と。その「達(たち)」の中に、私も居たと思ったんです。だから、私は第三者的 な姿勢しかもっていなかったから叱られたんだ、と思ったんです。「ああ、この子 を穴の中に入れたのは、私やったんやなあ」と。「謝(あやま)らなければいけない」と思 ったんです。謝るということは、「ごめんなさい」「すみません」という言葉で済 ますことでなくて、謝ったことを行動に示さんとダメやと思ったんですね。そし て、その四人の子どもと共に生きたかったわけです。その時、実はお金が全くあ りませんでした。たまたま、父親が工場の中で火事を出したんです。ちょっとし たミスで、小火(ぼや)だったんですけども。それで父親は責任感の強い人ですから、退 職したために、退職金が入ったんです。
 
峯尾:  はあー。
 
福井:  その中の十万円を借りまして、その十万円で、近江八幡のある村に当時「化(ば)け寺」 と言われていて、とっても古いお寺があったんですが、それを買ったんです。そ して、そこに生まれたのが、止揚学園なんです。その時から四人の子どもたちと 生き始めました。
 
峯尾:  最初から、「止揚(しよう)」という名前をお付けになったんですか。
 
福井:  そうですね。「止揚」と付けた時、多くの人は、「難しいから止めろ」と。「もっ と易しい名前にしろ」と言われたんですけれども、私たちの学生の時、「止揚」と いうのは、普通用語だったんです。
 
峯尾:  そうですね。哲学用語でも、学生ならみんなが分かっているつもりで使いました ですね。
 
福井:  そうですね。「止揚」というのは、ヘーゲル(ドイツ古典哲学の代表者:Georg
Wilhelm Friedrich Hegel:1770-1831)という哲学者が使った言葉で、簡単に説明 すると、「二つのものがあって、それがぶつかって一つになって、そして、一つに なったものが力を合わせて前に進む」という意味なんですね。私は知能に重い障 害をもった仲間と、知能に障害をもたない仲間の私たちが、ぶつかって一つにな って、差別がとても強い、次元の低い日本の社会から差別がない、すべてのもの が胸を張って生きられるイエス様の愛が満ちる社会を造れないか、と思って、「止 揚」と名付けたんです。今、「止揚」と名付けて良かった、と思っています。とい うのは、あの時、「難しい」と言われたけど、難しいから、大抵の人が、「止揚と いうのはどういう意味ですか?」と聞いてくださるんですよ。説明すると、もの 凄く印象に残るんです。私は、先見の目があったなあ。この言葉を使って良かっ たなあ、といつも思っているんですよ。
 
峯尾:  一九六二年(昭和三十七年)に、最初に、四人の子どもたちと一緒にスタートし て、三年後の一九六五年(昭和四十年)に、今のこの地に来たわけですね。
 
福井:  そうです。
 
峯尾:  今、こうやって見ていますと、すぐ側を町の広報車が通ったりしましたけれども、 ほんとに町並みの続きにあるところで、こんなことを伺っていいかどうか分かり ませんが、此処へ施設を造るという時に、周りの方の理解というのはすぐ得られ たんですか。
 
福井:  この周囲の人の個人とは、仲が良かったと思うんです。止揚学園が出来てから、 地域の人たちはとても良くして下さいます、 今も。野菜が出来たら持って来て下さったり、 近くにお寺が二つもあるから、お供え物が多 くなると、持って来て下さったり、「遊びに おいで」と言って下さったり、個人的には軋(あつ) 轢(れつ)はなかったと思うんです。しかし、集団組 織としてのぶつかりはいっぱい起きてきて、 それは養護学校義務化という政令が出た頃、 この止揚学園の子どもたちは、日本で初めて 集団で町の小、中学校に通った子どもたちな んです。その子どもたちを、町の人たちが、 率直に言うと、「こんな子どもが学校に来て いると、私たちの子どもが勉強出来なくなっ て、・・大学、・・高校に行けなくなって、 悪くなる。だから、養護学校義務化というい い政令が出たから、この際、追い出そう」と いうことで、追い出し運動が起きたんです。その時、大変でしたね。この辺にも、 「能登川の教育を潰(つぶ)す福井達雨、すぐ能登川から出ていけ!」とか、紙貼られた りね。いろんなことがあって。ただ、有り難いことに、今はそれが全部消えてし まって、とても温かいところで生活をしているというのが止揚学園ですね。非常 によく町の人たちと交流していますね。
 
峯尾:  それは福井さんとしても、腹が立って堪(たま)らない、喧嘩をしたくなるようなことと か、辛いことがいっぱいあって、今日に至っていると思うんですが、やはりそれ を基本的に支えてくれたのは、やっぱり当時一緒に暮らし始めた子どもたちです か。
 
福井:  そうですね。例えば、養護学校義務化の時に、「ここから出て行け!」とか言 っていたリーダーの人たちがいるわけでしょう。私は、非常に 感情的な人間だから、道でそういう人たちにすれ合うと、「く そ!」と思って、プッと横を向いてしまうわけですよ。向こう もプッと横を向いているわけです。そしてすれ違って行くわけ です。でも、ある時、障害をもつ子どもたちを連れて散歩して いたんですよ。そうしたら、向こうから二人ほど、追い出し運 動をしているリーダーの人がやって来たんですね。すると、こ の子どもたちが、明るい顔して、「おはようございます!」「お はようございます!」。みんな挨拶するんですよ、もの凄い明るい声で。向こうの 人もそっぽを向くわけにいかないから、「どう、元気?」とか聞いているんです よ。「あ、これやなあ」と思ったわけです。「こういう姿勢もっていったらうまく いくんやないかなあ」と。実はその時にも、「この人たちの明るい姿勢、誰をもゆ るしていける姿勢というのは、どんな時にも大切やなあ、それ が愛やなあ」と教えられたことがあるんですけど、私はこの人 たちに教えられたことがもの凄くたくさんある、と思うんです。 例えば、今は秋の終わりだから草はないですけど、夏になると 此処は雑草がものすごく生えるわけです。だから雑草刈りをせ んならんですね。私らやっぱり嫌なんですよ。もう汗タラタラ 流して、しんどいなあ、と思うわけです。実はその横の方に、 チェリアという名前の馬が居て、「チェリア」というのは、 インドのケララ州の言葉で、「小さくて可愛い」という意味な んです。そして、そこに「ナンニー」という「牧場」がありま すが、「ナンニー」というのは、その州の言葉で、「ありがと う」ということですが、その世話をしている仲間が数人いるん ですけど、その数人と此処の雑草刈りをせんならんです。雑草 刈っていると嫌でね、「この間刈ったのに、一週間したら、ま た生えてきた。いややなあ」と思うわけです。こうして刈って いる時、私の横に、M君という仲間が居たので、「M君、雑草 という草は嫌やなあ、ほんまにいやや、こんな雑草あらへん方がいいのになあ」 と言ったです。そうしたら、ジッと私の顔を見ているんです。「M君、君、そう思 わへん?」と聞いたら、「思わへん」というんです。「なんでや?」というたら、 「あんなあ、雑草ドンドン伸びる。チェリア、元気になる。ありがとうやろう」 と言ったんです。私、ドキッとしてね、彼は私にこういうことを示してくれたと 思うんです。「雑草がドンドン伸びるということは素晴らしい ことや。何故ならそれをチェリアという馬が食べて、そして、 活き活きと生きている。雑草は自分の命を投げ出して、チェリ アを守ってくれているんや。だから、その雑草に、ありがと う≠ニいうべきじゃないか」と、彼は言ったと思うんです。私 はその時、ふと思ったのは、一つは、「雑草も野菜も動物も、 自分のいのち投げ出して、私たちを守ってくれているのに、人 間だけはどうしてそういうことが下手なんやろう。自分の一番 大切なものを他者に捧げて、生きることがとても下手や」と。「人を殺しても、テ ロとか、報復という形で殺しても、自分は生きようとか、他人(ひと)は不幸にしても、 自分だけは得(とく)して幸せになるとか、そういうことをしているのは、人間だけじゃ ないかなあ」と思って、「いのちあるものの中で、人間が一番劣っているのじゃな いかなあ」と、ふと思ったんです。もう一つは、私のように、「嫌やなあ、雑草と いうのは嫌な草だ」と思う人間と、M君のように、「ありがとう」と思う人間がい ると思うんです。M君のような思いを持つ人間が増えたら、私は、テロや、報復 や、戦争やとか、いのちを侵すことは無くなると思うんですね。私は、実はこの 人たちのこういう言葉、或いは、見えないいろんなもので、随分支えられてきた なあ、教えられてきたなあ、と思うことがたくさんありますね。
 
峯尾:  さて、それでは再び止揚シスターズの歌をお聞き頂きましょう。歌の後、引き続 き、福井さんにお話を伺ってまいります。「あじさいのはな」です。
 

 
「あじさいのはな」
 
あじさいの花 わたしとおなじ
雨の日も晴れの日も
あじさいの花 わたしとおなじ
雨の日も晴れの日も
花も笑ってる葉っぱも笑ってる
でんでんむしは葉っぱの上で
ねむってる 美しい
あじさいの花 あじさいの花 美しい
 

 
峯尾:  「あじさいのはな」というのは、やはり此処で暮らす人たちの気持がそのまま出 ているような歌ですよね。
 
福井:  そうですね。実は、私は、「達雨」という名で、「雨」という字が付くんですけ ど、雨が嫌いなんです。
 
峯尾:  あ、そうですか。
 
福井:  というのは、軽い神経痛やリューマチがあって、雨の時は身体が痛くなるんです よ。気持が憂鬱になるんです。その時も、雨がシトシト降っていて、憂鬱だなあ と、暗い顔をしていたら、M子さんという女の人が来て、「はい、これ!」と言 って、紙を渡してくれたんです。フッと見たら、もの凄い拙(つたな)い字で、詩が書いて あるんですよ。
 
あじさいのはな
はれのひも
あめのひもわらっている
 
と書いてあったんです。私は、ハッと思って、実はM子さんはこういうふうに言 おうと思ったと思うんですけども、「あじさいの花はなんであんなに美しいか、知 っているか」と。「それは雨の日も晴れの日もニコニコ笑っているからやで。だ から、福井さん、暗い顔をしていたらなあ、みんなが暗くなるし、自分も暗くな るから、ダメだよ。どんな時でもニコニコして笑っていなくちゃダメだよ。明る さはすべてを活き活きと生かす泉なんだよ」ということを私に示してくれた、と 思うんです。その詩を基本(もと)に作ったのが、「あじさいのはな」という歌なんです。 あれは間違いなく私の作詩作曲なんです。(笑い)
 
峯尾:  そうですか。いろんな動物もいる止揚学園ですが、「一九八九年(平成元年)に子 どもの施設から、成人の施設に変わった」と、最初にご紹介したんですが、此処 にいる人たちが卒業していくということはないんですか。
 
福井:  はい。実は止揚学園が出来た時は、子どもの施設だったんです。全員五歳から十 歳位の時から仲間になったんですが、今、みんな歳をとって、一番若い人が二十 九歳、一番歳の大きな人が五十三歳になったんですね。みな歳 をとっていきますし、子どもの施設だと、二十歳を過ぎると法 的に成人の施設に移さなければいけないものですから、思い切 って、その時に成人の施設に変えたんですね。これは一つの理 想があって、実はこの人たちは、知能に重い障害をもった仲間 ですから、いろんなところに適応する力がとても弱いので、例 えば、家、子どもの施設、成人の施設、老人の施設、って、い くつも生活する場を変えてやると、とっても不幸やないか、と 思っているんです。出来たらずっと一つの所で居られたら、と思いまして、成人 施設に変えたんですね。止揚学園に来た人は一生此処にいるということが殆どだ、 と思うんです。止揚学園は納骨堂を持っていますから、天上に召されたら、その 納骨堂の中で生活をして、亡くなっても此処で生活している。此処は不思議なん ですけども、仲間になった人たちは殆ど辞めないんです。だから、全員二十年、 三十年と、ずっと一緒にきたんですね。だから、そういうことが私たちの理想と して生まれたんですね。それから納骨堂を子どもの施設の時から持ったんですけ ども、それは何故かというと、私たちにとって、納骨堂は悲しみの場所ではなく て、喜び・希望の場所だったんです。というのは、天上に召された時も、あそこ で知能に重い障害をもった仲間と、知能に障害をもたない仲間の私たちが共に生 きよう、と。だから、天上に召されても共に生きるんだ、と。生きている時も「共(とも) に」だけども、死んでも「共(とも)に」という思いで、納骨堂が出来たものですから、 あの納骨堂は、私たちにとっては、とても深い意味がある明るい場所なんですね。
 
峯尾:  今、知能に重い障害をもった人たちが三十六人、職員の方が三十三人。この数字 を見ていますと、職員の方の数が他の施設に比べて多い。ある意味で、「恵まれて いる」という言い方がいいのかどうか分かりませんけども、多いですよね。
 
福井:  はい。どうしてかというと、ほんとは法的には十七人の職員の施設なんです。だ から、国は十七人分の職員の費用については見てくれるんですが、あとは見てく れないんです。実は十七人ですと、この知能に重い障害の仲間 の人たちに、昼間接することの出来る保母さんや、男の職員が 二、三人なんですね。というのは、十七人では、休みもあるし、 炊事に入る人もあれば、夜に宿直をした人は翌日休みになって いるとか、という形で、直接接する職員は、三、四人しかいな いんですね。三、四人で今四十人近い人を見ようとすると、や はり今の止揚学園のような明るい状況、オムツもしていない、 食器も陶器を使っている、部屋の中もピカピカと輝いて美しい。 こういう状況は保てないと思うんです。三、四人の職員ですと どうしても、まず部屋には鍵をかけんといかんでしょうね。そ れからオムツにしなければいけないだろうし、どうしても外に 出て行く人たちがいると、やっぱり塀を作ったり、或いは、玄 関を作って鍵を掛けたりせんならんと思うんですけども、止揚 学園は塀がない。そういう鍵の掛かる玄関はない。戸も鍵が掛 かっていない。いつも開放的なのは、実はそれだけの職員がい るからだ、と思うんです。私はいつも思ってきたのは、ほんと は小さな時、この人たちは家にいるのが一番幸せだ、と思うんです。お父さん、 お母さんの側にいるのが。それがやはりそこから止揚学園に連れられて来た。そ れだけで、私は不幸だと思うんですね。だから止揚学園に来た障害をもつ仲間に は、家にいるよりも、いい生活をどうしても保証したかったんです。どういうこ とかというと、いつもカラフルな服が着られる。陶器のお茶碗で手作りの温かい 食事がとれる。ドンドン外に出て行ける。悩んでいる人、疲れた人も、いろんな 人たちが来て共に歩める。そのような自分たちの家庭を上回る環境をつくりたか ったわけです。そのために職員の数もそれだけ要ったということになりますね。 経済的には非常に大変ですけどね。
 
峯尾:  職員の方たち、その保母さんたち、止揚シスターズの三人もそうだけれども、明 るいですよね、みなさんね。
 
福井:  そうですね。
 
峯尾:  みなさん、明るい性格の方ばかりが職員として入って来られるんですか。
 
福井:  いや、そういうことはないと思うんですね。この人たちが此処に来て、仲間にな った時は、今のやはり短大とか大学を出た若い人ですから、まず言えることは、 大きな声で話しませんね。それから大きな声で笑いませんね。それから食事はあ まり摂らないです。朝は挨拶してくれないし、向こうから積極的に語り掛けると いうことは非常に少なかった、と思うんですね。
 
峯尾:  リーダー・福井達雨さんのお人柄とか、人格とかだけではなくて、それ以上に、 そうすると、知能に重い障害をもった人たちの姿、その有りよ うが大きな影響を与えている。
 
福井:  そうでしょうね。私なんか非常に我が儘(まま)やし、欠点も多いし、 短気やし、私とだったら職員の殆どはイライラしているんじゃ ないかと思うんですね。障害をもつこの人たちのゆっくりした ところ、現在のこのスピードの早い中で、私たちは精神的にイ ライラさせられたり、なんか身体がいつも痛かったり、そんな 状況の中で、この人たちのゆっくりした時間、ゆっくりした歩み、「ゆっくり歩こ うな」という世界が、私たちの心を非常に優しく正常化していくんじゃないか、 という気がするんですね。ただ、ここで知って欲しいのは、知能に障害をもった 仲間は、人間ですから、欠点もありますし、それから弱点もあります。私たちに とって、「嫌やなあ」というところもやっぱりもっています。あの人たちは神様、 仏様ではございませんから。だけども、私がもてない「優しさ」とか、「ああ、こ ういうことを私は考えられなかったなあ」とか、「こういうことは感じられなかっ たなあ」ということを、時々ふと示してくれる時があるんです。その時に、「ワァ ー、凄いなあ、私にもてないものをもっているなあ」と感じることがよくありま すね。
 
峯尾:  先程、話が出ましたが、福井さんご自身が、六十五歳、こう見えないものを見、 聴こえないものを聴くことが出来ることによって、福井さんご自身は変わられた。 それが結果的に、この施設・止揚学園の中に何か変化をもたらしたんでしょうか。
 
福井:  こういうことを思うんですけども、若い時はやっぱり短気だったし、包容力が非 常に少なかった、と思うんです。私の心の中には、激しいものが燃えたぎってい て、すべて「私や」というような思いがあって、「私の言うことは正しいんや」と。 反対に「相手はすべて悪い」と、正義だけしかもたず、そういう形で人と接する から、他人(ひと)の話を聞いたりとか、包容したりとかせず、心の中にいつも暗さがあ りましたね、なんとなく。それが歳をだんだん取ってきて、そして、この人たち の声が少し聴こえてくるようになってきて、特に仲間たちが言ってくれるんです けども、「若い時よりも頑固で無くなったなあ」と言ってくれるんです。もう一つ は、「明るくなってきたなあ」と言ってくれるんです。不思議ですね。確かに自分 も歳をとってきて、明るくなった、と思いますね、若い時よりも。それと頑固さ が無くなったような気がしますね。人の意見もよく聞けるようになったような気 がするんです。自分でこういうことを言うと、誤解を受けて、怪しからん、とい う人が出てくるかも分かりませんけれども、自分なりに、そこがもの凄く変わっ た、と思いますね。だから、「正義」だけではなくて、「愛」をもてるようになっ たような気がするんです。正義は自分は正しい、相手が悪いと責めますけれども、 愛は、相手を生かしてゆるしていく領域がある、と。ふと思うのは、「正義と愛と いうのは、一つのものじゃないかなあ」と。「正義だけというものはない。愛だけ というものはない。正義と愛が一つになって、素晴らしい生き方というのが生ま れるんじゃないかなあ」と。例えば、差別があった時に、私たちは正義でそれに ぶっつかります。だけども、正義だけでぶつかっていくと、相手を殺してしまい ます。正義って、やっぱり相手を殺すまで押し詰めていく、と思うんですよ。そ の時にやっぱり愛をもたないとあかんなあ。ゆるしをもたんとあかんなあ、とい う、若い時にもてなかった、そんなものが心の中に芽生えるんですね。正義で戦 っている時も、愛をもたなければいけないんだ、と。だから、正義と愛は一つじ ゃないかなあ、と思う時がよくありますね。そういうところが私の変わったとこ でしょうかね。
 
福井:  それでは、止揚シスターズとみなさんの合唱で、今度は、「この道さかのぼれば」 を聞いて頂きましょう。
 
 
   「この道さかのぼれば」
 
この道さかのぼれば
どんなどこでもへっちゃらさ
この道さかのぼれば
どんなどこでもへっちゃらさ
ハーイいこうよ
イエイ イエイ イエイ・・・
ハーイ あせふきながら
イエイ イエイ イエイ・・・
ハーイ そこから
イエイ イエイ イエイ・・・
        ハーイ 海がみえる
 

 
峯尾:  福井さんはこの止揚学園の中にいらっしゃる時間もそうですが、外で、今講演に は年に二百回位と伺っていますし、一方では、助言を求めたり、悩みをもったり する方が此処を訪ねて来られて、相談相手になられたり、言うなれば、この中に 閉じこもっているのではなくて、社会の動きをいろいろ見ていらっしゃいますよ ね。そこから学園の中だけでなくて、そこから見えてくるもの、社会全体を見て、 見えてくるものというのは、福井さん、例えばどんなものがありますか。
 
福井:  そうですね。やはり今は情報技術の時代なんですね。私は、情報技術ということ から生まれた新しい差別というものが起きたような気がするんです。これは殆ど の人が気付いて下さらないことだと思うんですね。例えば、情報技術という合理 的な社会というのは、スピードが早くドンドン進んでいくわけですから、それに 私たちの仲間の人たちは付いていけない。で、取り残されてしまう、と。例を言 えば、この町にはJRの能登川駅があります。実は改札が全部自動化されていま す。昔は自動化ではなかったんですね。自動化でない時には、止揚学園の仲間の 人が能登川駅へ行くと、駅員さんが出て来て、ニコニコしながら、「京都に行くの か」「大阪に行くのか」と聞いて下さって、そして、切符を渡すと、パンチを入れ て、ポケットに入れて下さるんです。だから、障害をもつこの人たちは一人で切 符買ってプラットホームへ出て行けたんです。でも今は自動化ですから、ボタン を押したり、切符を改札の機械に入れたりしなければいけないですね。一人もそ れが出来ないんです。だから、今の能登川駅では障害者は切り捨てられてしまっ た、と思うんですね。また例えば、能登川の町も田舎町ですけども、最近スーパ ーとかコンビニ形式のお店屋さんが増えたわけですね。そうしますと、昔は買い 物に行くと、店員さんが居てくれて、「あれください」というと、「これですか」 と言って、包んでかごの中に入れて、そしてポケットの中にある財布を出してく れて、そしてそこへお釣り銭を入れてくれる。昔の人はちゃんとしてくれるんで すね。今、例えば、コンビニやスーパー化されたところに行くと、自分で物を取 って、自分で運んで行って、自分でお金を払って、自分で包んで持って帰るんで す。実は私たちの仲間は一人もそういうことは出来ないんです。そういう場から も切り捨てられたんですね。私は、情報技術という合理的な社会は、頑張れる強 い人たちにとっては非常に素晴らしいものだ、と思うけども、頑張れない、弱い、 出来ないこの人たちは、どんどん切り捨てていってしまう。それが情報だと思う んです。そういう中でどんどんと切り捨てられていく私たちの仲間がいる。それ を多くの人は気付いて下さらないんじゃないか、と思うんです。例えば、障害を もった人たちも確かに昔よりは、今の方がテレビにも、ラジオにも、新聞にも、 よく取り上げられるようになりました。だから、「昔より障害をもった人は、みな が支え、差別が無くなってきているんじゃないか」と、みなさんおっしゃるわけ ですけども、それは誤解だと思うんです。情報の恐ろしさだ、と思うんです。実 はそこに出て来られる障害をもった人は、マラソンで優勝した人とか、スポーツ で金メダルを貰ったとか、詩が創れるとか、絵が描けるとか、自分の主張が出来 るとか、文章が書けるとか、そういう強い、出来る、頑張れる障害者の人たちな んです。そして、私たちの仲間のような、頑張れない、弱い障害者、知能に重い 障害をもった人は、もうそこには出られなくなってしまったんです。全然出てき ません。だから、みなさんはこの人たちをお忘れになっているし、無関心である、 と。実は情報というのは、非常に誤解を与えている部分がある、と思うんです。 こんなところで、こんなことを、情報の中で言っては悪いと思いながら言ってい るんですけれども、そこを、みなさんが気付いて下さっていないんじゃないか。 非常に誤解しているという部分を知って下さっていないんじゃないか、というこ とを、私はこの頃しみじみと感じているんですね。だから、みんなが情報の中で 広がっているというけども、私はほんとは情報によってみんなの思考や行動が狭 くさせられているんじゃないか、と。だからこそ、この人たちが押し詰められて いるこの現実が理解出来ないんじゃないか、という気がするんです。
 
峯尾:  福井さんたちが目指しているのが、「差別を無くし、すべての人たちが胸を張って 生きられる世界だ」とすると、そこへ何となく私ども少しずつでも近付いている のかなあ、と思ったんですが、今のお話を伺っていても、そんなこと軽々しくは 言えませんね。
 
福井:  そうですね。こんなことを思うんですけども、こうして五十年間、この知能に重 い障害者の仲間と生きてきて、やっぱり私はどうしても上に立ってしまうんです。 この人たちを下に落としてしまって、自分が上に立ってしまう。やっぱり私の方 がよく出来るとか、理解力があるとか、いろんなことが、どうしても上に立って しまうんですよ。アッと気が付いて、「あ、こんな高慢ではあかんわ」とか、「謙 虚にならんとあかんわ」なんて、ふと思うんですけども、実は言葉使い一つでも、 そうなんですね。私と、この知能に重い障害をもった人との会話を、例えば、テ ープレコーダーに吹き込んで聞いてみたら、私の言葉は、いつも殆ど命令語、禁 止語なんです。「してはいけない」「しなさい」。言葉一つ捉えても、私はやっぱ り上に立ってしまっているんですね。「これはいかん」「謙虚にならんといかん」 「こんな高慢はいかん」と思って、下に下りようとしますと、もの凄い努力がい るわけです。私は、その凄い努力がいるということほど、やはり高慢になってい るんだ、と思うんです。そして、その時に、いつも思うことは、上に立っていた ら、この人たちの不満とか、心の言葉とか、いろんなものが聴こえなくなるなあ、 と。そしていろいろなものが見えなくなってしまうなあ、ということに気が付く んです。不思議ですよ。上に立ちますと、この人たちのいろんなものが聴こえな くなり、見えなくなるんです。これはいかん、と思って、下に下りていこうとす る。下という言葉は誤解されたら困るんですけども。そして、下に立つ愛、上に 立たない優しさをもった時に、この人たちの見えない心の言葉や不満やいろんな ものが聴こえてきて、いろんなものが見えてくるんです。だから、そこが今、私 たちが気付いていないところじゃないか、という気がするんで す。いつも上から見ているから。それだから、そういう合理的 な社会の中で起きる新しい差別なんかも、誰も気が付かない、 と思うんですね。いつも思うのは、私たちが上に立たない優し さ、下に立つ愛をもたない限り、この知能に重い障害をもった 仲間とは、共に生きられないな、ということなんですね。不思 議ですね。上に立つと見えなくなり、聴こえなくなりますね。 そして、共に生き始めると、見え、聴こえてくる。ここを一人 ひとりが気付いていかんといけないじゃないかなあ、と思っていますね。ある日、 私の横に一人の男性の仲間が、おにぎりを食べていたんです。私は、こう言った んですね。「あのなあ、僕なあ、春はとっても美しいから凄く好きなんや。でも、 冬は僕は寒がりだから嫌いなんや。君、春、夏、秋、冬、どの季節が好きや?」 と聞いたことがあるんです。そうしたら返事しないんですよ。私は、ほんとはク リスチャンで、教育者だから、円満な性格者でなかったらいけないんだけど、そ んなのとはほど遠い存在だから、「真面目に聞いているのに、返事しおらん」と怒 りを感じてきて、「返事せえへんのか!」と言ったら、「僕、せえへん」と言うん です。「何で、せえへんのや!」と言ったら、「あんなあ、春、嫌いと言ったら可 哀想やろう」と言われたんです。その時にやっぱりハッと思ったんです。私とい うのは、「いつも自分の立場から、ものを考え、自分の立場から決定し、好き 嫌いだ=vと言っているわけです。いつも「中心は自分」なんですね。でも彼 は少し違うような気がするんです。それは、「相手の立場からものを考えている」 ような気がするんです。そして、嫌われるということは、弱い少数派に立たされ ることが多いですから、「弱い人の立場から、ものを考えているなあ」と思ったん です。その時に、彼と私とどっちが本当の優しさや、素直さを持っているのかな あ、と思ったことがあるんです。私は、いろんな時に、自分の立場で判断して、「こ うや」と言わないで、私たちの立場をよく考えて下さって、聞いて下さったら、 素直にスーッと入っていくんじゃないか、という気がするんです。それが優しさ というのではないか、という気がしていて、いつもこう思えて、この人たちから 教えられたことなんですけどね。そんなことを思います。
 
峯尾:  さて、再び今日のタイトルが、「見えないものを見、聴こえないものを聴く」です が、六十五歳で一つの新しい境地に、福井さんは入られた。もうすぐ七十、いま 六十九歳ですね。どうでしょう。まだまだこれからさらに新しい境地が福井さん に訪れると、ご自身ではお考えになっていますか。
 
福井:  私は、若い仲間の職員たちによく言うのは、「歳をとることは少しも恐ろしくな い」と言っているんです。「悲しいことでも、寂しいことでもない」と。「なぜな ら一日一日と成長しているよ」と、言っているんです。同時に、「歳をとるという ことは、一日一日成長していくことやないか」と。「私自身も一日一日とやっぱり 成長していると、自分なりに思う。私の若い時の欠陥が少しずつなくなっていく し、この人たちに対する人間としての見方がどんどん変わっていくし、例えば、 自然に対する美しさにドキッとして、ああ、美しいなあと思う気持ちも深くなっ てきたし、そうして、一日一日成長していくものが歳をとることや」と、こうい うふうに言っているんです。私は、そう捉えているわけです。だから、私にとっ ては、これからもっともっと成長がある、というふうに考えていますね。
 
峯尾:  ありがとうございました。
 
福井:  どうもありがとうございました。
 
 

 
「ゆっくり歩こうなあ」
 
ゆっくり歩こうなあ
ゆっくり歩こうなあ
あまり急ぐと
大切なものを見逃します
だからゆっくり歩こうなあ
ゆっくり歩こうなあ
きっと見えないものが きこえてきます
キラッ キラッ かがやく青い空
チッチッさえずる鳥の声 ランランラン
  サラサラつたわる
小川のせせらぎ
そんな美しいものが 聞こえてきます
だからゆっくり歩こうなあ
        ゆっくり歩こうなあ
        ゆっくり歩こうなあ
きっと見えないものが 見えてきます
ゆたかな ゆたかな心が
優しい優しい愛が
温かい温かい思いやりが
そんな美しいものが見えてきます
だからゆっくり歩こうなあ
ゆっくり歩こうなあ 歩こうなあ
 
 
     これは、平成十三年十二月九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである