聴くことの大切さ
 
                       大阪大学教授 鷲 田(わしだ)  清 一(きよかず)
一九四九年京都市うまれ。京都大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。関西大学文学部教授等を経て、大阪大学大学院文学研究科教授。哲学・倫理学専攻。著書に「分散する理性―現象学の視線」「ファッションという装置」「モードの迷宮」「夢のもつれ」「だれのための仕事」「「聴く」ことの力」「顔の現象学」など多数。
                       ききて    西 橋  正 泰
 
西橋:  今日はまだ暑いですけど、此処は緑が校内たくさんありますね。
 
鷲田:  そうですね。昔、山だったところを整備したものですから、万博の終わった跡地を阪大のほうが譲り受けて、このキャンバスを作ったということですけどね。
 
西橋:  広くて気持のいいところですね。今日は鷲田さんにお話を伺うということで、哲学者でいらっしゃいますから、哲学というと、もう私らにとって、反射的に「哲学=難解」と、難しいというイメージがあるんですけれども、お書きになったのを拝見すると、ソクラテス(古代ギリシャの哲学者:前470-前399)の頃は「話をする」ということだったそうですね。
 
鷲田:  そうですよ。彼自身は本一冊も書いていないですよ。彼はそれこそ街中に出て、あるいは食事の場所で議論をいろんな人にふっかけて、それは時には作家であり、時には政治家であり、市井(しせい)の若者であったりするんですけど、そういう人に話をふっかけていって、その人の考えていることを問い詰めていく。「ここに矛盾があるんじゃないか」とか、そういうふうに本人が自分の考え方の誤り、歪みとを知るまで問い詰めていくというような、そういう議論の人だったんですよ。だから哲学というのは、そういう対話とか、ディスカッションから始まった。つまり人と一緒にやるものだった。それが哲学の原点だ、ということがまず一つですね。それからもう一つは、哲学の言葉って難しいというイメージがほんとにありますよ。特に「存在」とか、「無」とか、あるいは日常あまり使わないかも知りませんが、生まれて成るという「生成」なんていう言葉を使うと、もの凄く哲学っぽい話だなあというふうに思われるんですけれど、哲学を生んだヨーロッパでは日常語で書かれていて、実はもの凄く読みやすい本なんです。
 
西橋:  今でもですか?
 
鷲田:  そうです。「自我(じが)」という言葉も哲学で使いますけど、あれは「私(わたくし)」ということですから、私で。
 
西橋:  「私」でいいわけですか。
 
鷲田:  いいわけです。そういう日常の言葉を―ただ日常の言葉って、一つの言葉にいろんな意味の含みというのがありますから、それをきちっと整理して、「この言葉はこういう意味で使おう」というふうにきっちり再定義して、そしてそこから日常の言葉からしっかり論理を組み立てていくという、その作業のことなんですよ。
 
西橋:  対話ということになると、「話す」ということと、それから「聴く」ということがありますよね。
 
鷲田:  対話というのは勿論話だけではなり立たない。要するに言葉のキャッチボールですから、「話す」ことと、「聴く」ということというのを含んでいるけれども、「聴く」ということの難しさというのは、言葉を文字通り聴くということも勿論あるんですけれども、例えば人が本当に訴えるものというのは、言葉の横にある場合がけっこうありますよね。例えば夫婦の間でも、「ちょっと旅行に行きたくなったわ」と、例えば一方が言ったとしても、それは本当に旅行が行きたいということではなくって、もう少し二人でいる時間を大事にしてほしいとか、そういう意味かも知りませんよね。だから、話された言葉をただその文字通り受け止めることが、聴くとは言えないわけですよ。話されたことの横にあるものとか、あるいはもっと大事なのは、「何か話すことで本当は何が訴えたいのか、それを聴く」ということも大切だなあと思うんですね。だから「人の話をちゃんと聞いていない」という時に、たしかに「文字通りその言葉の意味をちゃんと理解して受け止めていない」という意味もあるんですけれども、そうじゃなしにもう一つ、その人の言葉が持っている「決め」、あるいは「訴え」といったものを聞き逃している、ということも、あるいは聞きそびれている、ということもあるんじゃないでしょうかね。
 

 
西橋:  鷲田さんは中学時代にエレキギターを弾いておられたんだそうですね。
 
鷲田:  古い話ですね。日本でもそういう最初のバンドブームというんですか、火が点いた時に、中学三年生の終わりのほうだったと思いますが、クラスメートとバンドを組みました。
 
西橋:  あっちこっちで公演したり?
鷲田:  そんなお金が稼げるようなバンドじゃなかったんですけれども、でもいくつかコンテストに出て、一度は高一の時でしたかね、最年少で優勝しました。
 
西橋:  優勝したんですか?京都の大会かなんかで、
 
鷲田:  ええ。大学生とか社会人とか、全部一緒だったんですけどね。
 
西橋:  そうしたら、相当ですね。
 
鷲田:  いえいえ。バンドを高校二年生で一旦止めたんですけれども、その時最後の公演は京都出身のバンドで、のちに「タイガース」として有名になった、
 
西橋:  沢田研二(けんじ)の、
 
鷲田:  そうそう。あの人たちが「ファニーズ」と言ったんですけれども、一緒にコンサートに出たことがあります。
 
西橋:  そうですか。若き日の沢田研二と若き日の鷲田先生と、
 
鷲田:  向こうが優勝したんですけれどもね。
 
西橋:  グループが違ってね。そうですか。
 
鷲田:  恥ずかしい話で。
 
西橋:  いやいや。受験勉強はどうされたんですか、大学へ入る時?
 
鷲田:  だから、私、できてなかったで、なんか母親が担任の先生に呼び出されていましたね。
 
西橋:  そうですか。現実には受験されて京都大学へお入りになったわけですから、猛勉強もされたんでしょう?
 
鷲田:  そうですね、最後の一年だけは一日八時間ぐらいやったかも知りません。
 
西橋:  集中力がおありなんですね。
 
鷲田:  追い詰められるんで、追い詰められないとダメなんです。今でもそうです。
 
西橋:  哲学との出会いというのは、どういうことだったんですか?
 
鷲田:  思想的なことというのは、高校時代からも関心がなかったわけじゃないですけれども、大学に入って、ちょうど一九六八、九年が大学の一、二年生の時で、その頃というのは、大学はほとんど封鎖状態、
 
西橋:  大学闘争で、
 
鷲田:  ええ。バリケードストライキの状態でしたから、授業というのは二年間ほとんどなかった、あるいは再開されても受けなかったですね。それで代わりにクラスメートと―クラスメートというのは面白いのは文学部にきたということで、いろんな考えを持っている人がいましたから、その教室に寝泊まりして毎日一緒に読書会をやったりしていたんです。
 
西橋:  自主的に?
 
鷲田:  はい。あるいは大学の近くの喫茶店で長居できるところがけっこうありましたので、そこでみんなで本を読むということをやっていました。その時、マルクスの『資本論』を読んだり、ヘーゲルの『論理学』、カントの『純粋理性批判』とか、なんか一人では絶対読めない難しい本をみんなで「ああだ、こうだ」と言って読んだことが哲学に急接近するきっかけになりましたね。
 
西橋:  図書館で哲学の本をむさぼるように読まれた時代がおありだったんだそうですね。
 
鷲田:  そうですね。それは実は大学出てからで、大学時代は絵を描いたり、哲学を勉強したり、いろいろやっていましたけど、最後の卒業論文書いた時に、はじめて哲学の魅力に取り憑かれたわけです。卒業論文を書く前は就職するつもりだったんですけれども、卒業論文を書いたら、もっと勉強したいと思いまして、大学院に進みました。大学院に入って、特に最初の二年間は開館から閉館までずっと図書館の同じ場所で毎日本を読んでいました。
 
西橋:  その時に味合われた哲学の醍醐味といいますか、魅力というのはどういうことだったんですか?
 
鷲田:  これは特に私に限ったことではないと思うんですけれども、哲学の面白さというのは、今まで世界というのがこういうふうにしか自分には見えていなかった。そしてそれが当たり前だと思うものが、いわば一度解体させられて、同じものを見ているんだけど、全然違ったふうに見える、そういう視点を手に入れるというのが面白かったですね。子どものころの喜びに近いんだと思うんですが、積み木をやって、それがガラッと壊れる時の快感、そしてもう一回、一から作り直す時の快感、それに似たものがありましたね。私が大学院で特に集中的に勉強した哲学者の一人に、メルロポンティ(1908-1961)というフランスの哲学者がいるんです。彼の言葉に、
 
哲学するというのは、自分自身の始まりを絶えず更新していくことなんだ。つまりものを考える時に、ここからが出発点で、ここからこういうふうに思考を積み上げていくという時に、哲学するというのは、実はこれは出発点ではなくって、もっと出発点はこっちにあるんだ。これはちっとも出発点ではなくって、中間地点でしかないんだというふうにして、自分の出発点を、もっと手前に、手前に、と遡っていく、更新していく。これが哲学というものなんだ。
 
という言葉がありまして、それは実際にいろんな哲学者の仕事に触れている間に何度も実感できたことですね。
 
西橋:  それで、もっと前、もっと前、ということになれば、それだけ深くなるわけですものね。
 
鷲田:  深くなるというか、分からないものがどんどん増えていきますよ。今まで、「これはこうだ」と決めつけていたもの、あるいは、「こういうものだ」というふうに思い込んでいたものが、そうじゃなくなるわけですから。だから哲学って凄く変な学問で、普通は研究をすればするほど分からないものが分かってくるようになるんですけど、哲学というのは逆に、考えれば考えるほど、今まで当たり前だったものまで分からなくなってくるという、ちょっと逆向きの作業みたいなところがありますね。
 
西橋:  また分からなくなったことをまた考えるのがまた楽しいというか、
 
鷲田:  楽しくって、しんどくって、
 
西橋:  鷲田さんのお書きになったものをいくつか拝見しますと、対象となるジャンルがもの凄く広いですね。私たちの日常的な、例えば「顔」とか、「身体」とか、「ファッション」なんかまでも対象にしていらっしゃいますね。
 
鷲田:  はい。あと、「国家」とか「制度」とかについても考えてきましたけれども、ありとあらゆる領域に哲学というのは絡んでおりますのでね。
 
西橋:  鷲田さんが哲学者としてファッションに興味を持たれたというのは、どんなところなんですか?
 
鷲田:  とにかく面白い素材でした。先ほど「哲学するというのは、何か世界の見え方がゴロッとこれまでと変わってしまう。その体験ができるところに哲学の面白さというのがある」と言いましたけれども、私がファッションとか、顔に一時期夢中になったのは、今までと全然違う見え方というものが、服について、顔について考えると出てきたからなんですね。これまで私たちは服とか靴とかというのは、「身体を保護するためにある」と、あるいは、「美しく見せるためにある」と考えていたんですけれども、例えばハイヒールの形を考えると、わざわざ足を傷めるために考えだされた、わざわざ歩き難くするために考えられたとしか、どうしても思えない、そんな変な形ですよね。それをみんな競って履く。そうすると、我々は、「衣服は身体を保護するものだ」という今までの当たり前の前提を一度外して、人は衣服に、つまりモデルに自分の身体を合わそうとするんだ、と。逆の考え方をしないと、服の謎というのは解けないんじゃないだろうか、というふうに思うんですよ。今日は私はしていませんが、例えばネクタイ一つとってもそうです。ネクタイって身体を保護するものではないですものね。あるいは、今でも女性の方はかなり苦しい下着付けたりなさっている。一体どうしてなんだろう。どうしてズボンに線が走っているんだろう。つまり身体を保護するということと、全然違うところからもう一度出発し直さないと、服の謎は解けないんじゃないかと思ったんですね。顔の場合だともっと怖い謎があるんですよ。顔ってみんな当たり前のように、「これが自分の顔だ」と言っていますが、そして他人も、例えば私の場合でしたら、この顔は見て、「これは私だ」というふうに判断してくれるわけですよね。だから顔って、誰もが持っている当たり前のもの、というのが普通の考えですね。ちょっと考えると、私は自分の顔を生涯一度も見ることはないんです、直に。
 
西橋:  直にね、鏡を通してしか。
 
鷲田:  鏡の顔というのは嘘ですよね。まず左右反転しているということもありますけれども、それ以上に鏡を毎日見ていると、自分のお気に入りの角度というのがあって、そして自分がよく見えるように見ている。イメージで見ているんですよ。だから、いつも良いふうに、良いふうに見るから、実際に写真を撮って、自分のスナップ写真を見せてもらうと、自分が思っている自分の顔と、写真に写っている顔との落差に愕然とすることが多いですね。これは声の場合でもそうですね。自分が知っている自分の声とテープレコーダーで聞く声が全然違う。そうすると、顔というのは実はイメージでしかないんじゃないか。自分の顔というのをそういうふうに考えてくると、人間というのは、これなしであり得ない一番自分にとって大事なもの、あるいは自分そのものであるもの、それから無限の距離で隔てられている、一度もそれに近付くことのできない、直に見ることができないんだ、ということで、私たち一人一人の存在というのは、自分自身の間にもの凄く大きな亀裂を抱え込んだものなんだ、とそんなふうに考えている。そこから考えると、顔の問題というのはまた全然違うように立てられるようになるんですよ。怖い事実だと思われます。
 
西橋:  怖い事実ですね。
 
鷲田:  自分がそれであるところの一番大事なもの、よりによって本人だけが知らない。そんなものを曝(さら)して、私たちは生きているわけですよ。凄く無防備です。だから私なんかの言い方をすると、「顔をベールで覆っているほうが自然だ。無防備でなくなるから」。つまり自分が今どんな顔をしているか。自分には分からない。ところが他人は私の眉の動きのピクピク、あるいは口元の引きつりで、「あ、嘘をついているな」とか、「誤魔化しているな」と、ピッとすぐに分かるわけですよ。だから凄く私たちは無防備なまま自分を曝して生きているわけですから、隠したほうが安全だと思うんですよ。そうすると、例えばベールの習慣なんかでも、あるいは昔京都の貴族の方が眉毛を刷り落として、表情と連動しない、この辺りに眉毛を書き直していたということも意味が分かってくる。つまり顔隠し、表情隠しですよ。じゃ、顔についてどんなふうに考えたらいいのか、という時に、私はこんなふうに考えるんですね。自分の顔というのは、みんな一生懸命自分の顔を作ろうと思ってメイクしたり、おめかししたりしますけれども、本当は自分の顔というのは、他人にプレゼントされるもの、他人によって贈られるものじゃないか、というふうに思うんですよ。私のこの顔というのは、私、今見えないんですけれども、キッと西橋さんのお顔と共振したり、あるいははぐらかしたり、反撥したりしながら、鏡のように絶えず写し合っているわけですね。だからこういうふうに顔を見つめ合っている、話し合っている中で、私の顔というのがこういう関係があるからここに生まれているので、もし私が誰も話す人がいなかった時には、ヒョッとしたら、私の顔というのは実は消えているんじゃないか。つまり私の顔というのは、実は他人が私と関わることで、私に与えてくれるものじゃないか。そういう正反対の考え方ができないか、というふうに思うんです。これをもっともっと一般化していくと、私というものの存在というのは、みんな自分は自分が感じているから、思っているから、この自分はある、というふうに、自分を自分との関係で考えるんですけれども、自分というものの存在というのは、実は他人によって与えられる、そんなふうに考えることはできないか。何か私はいつも常識の反対反対を言っているように聞こえるかも知れませんが、これについても自分というのは人から与えられるものなんだ、ということを体験した例をお話させて頂きますと、もう二十年近く前になるんですが、京都のある病院に三週間ばかり手術のために入院したことがあるんです。
 
西橋:  鷲田さんご自身が?
 
鷲田:  はい。そんな大層な手術じゃなかったので、六人部屋のベットを用意して下さったんです。お昼のご飯が済むと、みなさんお昼寝なさるので、看護士さんがこうカーテンを少し半分ぐらい閉めて回られる。そして静かになりますね。で、その時とんでもないことが起こったんですよ。一人の若い新米の看護婦さんがカーテンを閉めるふりをして、そのままそのカーテンの中に入って、向かいのベッドの八十代の高齢者のお布団の上にうつ伏せになって昼寝されていたんです。最初ビックリしましてね、なんという看護士さんだというふうにビックリしたんです。そのお爺さんというのは、実はご家族もいらっしゃらないし、それからほとんど一日眠っていらっしゃるようなそんな患者さんだったんです。そのことをいいことにしてかどうか分かりませんが、看護士さんは昼すぎに二十分ばかり患者さんのお布団の上で、こういう形で居眠りされていたんですよね。二、三日してお爺さんの様子がいつもと違うのに気付いたんですよ。そのお爺さんは、その看護士さんが昼寝していらっしゃる間だけこう目をパチッと開けられるようになって、横目で何か見ていらっしゃるんですね。何をなさっているのかなあ、と思ったんです。それからそのお爺さんはほんとに動かない寝た切りのお爺さんだったのに、時々手を動かしていらっしゃって、それはどうも看護士さんの肩を押していらっしゃるんですね。
 
西橋:  起こしていらっしゃったんですか?
 
鷲田:  結局ね、一種の監視を―廊下の監視をなさっていたんです。
 
西橋:  あ、廊下を婦長さんとかが通りそうな時は起こして、
 
鷲田:  見つかったら大変なことになりますから、職を失うかも知れないというので、お爺さんはこういうふうに肩を押して合図を送っていらっしゃったんですよ。私はその時には、へぇ!こんな看護もあるのか―良い意味でですよ―してはいけないことをすることでもなり立つ看護ってあるのかと思って酷いショックを受けたんですよ。というのは、お爺さんは―これ私の想像ですけれども―おそらく十年、二十年と人に凭(もた)れられるという経験ってなかったと思うんですよ。自分が誰かに介添えして貰ったり、抱っこしてもらったりということはあった。この子は私が居なかったら大変なことになる。その意味で、この子にとって今の自分というのは凄く決定的な意味を持っている、というふうに感じられると思うんですよ。それでほとんど毎日眠っているお爺さんが、その時だけ目をパチッと開けられた。いわば存在をもう一度立ち上がらすことができた。そうすると、ここから言えるのは、結局自分が自分でいられるのは、実は他人にとって自分が何か意味がある存在である時―言い換えると、自分が他人の中で何かある意味の場所をキチッと示せる時に、人ははじめて、自分がここにいる、ということを感ずることができる。あるいは自分の存在を確かめることができるんじゃないか。そういう意味では、この看護士さんは、してはいけないことをなさったんだけど、お爺さんにお爺さんの自己の存在というものをプレゼントした、贈ってあげた、というふうに考えることができるんじゃないかなあと思うんですよ。
 
西橋:  意図してやったことではないけれども。
 
鷲田:  してはいけないことをしている。けれども結果としてね。だから人間というのは、自分の存在が周りの誰にとっても意味があると思えない時というのが実は一番しんどいじゃないんだろうかなあというふうに思いますね。例えば、こういう経験をしたということを、また看護士さんの集会なんかで、「私、こんな経験して、こんなことを思ったんですよ」というと、またその材料を今度は看護の立場からいろいろ議論してくださるんですね。そんな時に浮かび上がってくる問いの一つが、看護士さんというのは日常患者さんとの間で、もの凄く重い問いを、あるいは答えようのない問いを差し出される、差し向けられることが多いそうなんですよ。それは私も想像付くんですが、例えば、「あの人は一度も病気していないのに、どうして私ばっかり繰り返し繰り返しこんな苦しい目に遭うんですかね」と言われても、答えようがないですね。だからそれについて、「お気の毒ですね」とも言えなくって、ほんとに返す言葉に困られる。それ以上に、例えば身体中いろんな管が突き刺されている状態、あるいは非常に苦痛に襲われている状態の中で、「私、こんな苦しい思いしているんだけど、こんな苦しいことを、この苦しい思い、なんの意味もないんですか?」、あるいは、「苦しんだら苦しんだことに何か意味があるんですか? 生まれるんですか?」と聞かれた時、これも人は答えようがない。あるいはもっと、さらに深刻になってきて、「自分はこんなのでも生きているほうがいいんですか?」「どうして死んではいけないのですか?」「人は本当に居ることのほうが居ないことより価値があるんですか?」というような問いが次から次に出てくる。その時に看護士さんは、ほとんど我々が哲学の教室でやっている議論と同じような問いを、患者さんから問いかけられるということがあるわけですよね。だからその時に看護士さんが患者さんにどういうふうにお答えになるのか、というのは、それは一つの「看護の哲学」そのものであって、私たちもそこから看護士さんがこういうふうにお答えになるということが、逆に今度哲学のほうにとって大きなヒントになることもありますね。そういう意味で、同じ問題を全然違う場所で考えていた者が、一緒に会って話し合うということは、それぞれにとってもの凄く大きな示唆を与えて貰えるということで、私たちが「臨床哲学」と言って、そういう現場に出掛けて行く時の大きなお土産というか、宝物というのは、そういうディスカッションですね。
 

 
西橋:  『〈弱さ〉のちから』という鷲田さんのご本ですけれども、これは鷲田さんは、「哲学のフィールドワーク」というふうに書いていらっしゃいますね。いろんなジャンルの方にお会いになっているんですけれども、このお仕事をなさろうと思われたのは、どういうことだったんですか?
 
鷲田:  私もそうなんですけれども、哲学者というのは、言葉を操(あやつ)り、とにかく喋り詰めですけれども、一度聴くという形で哲学をしてみたい。触れるという形で哲学をしてみたいと思って、これは一年間で十二の現場を訪れ、十二人の方にいろんなお話を伺った記録です。
 
西橋:  その中から生け花の中川幸夫(なかがわゆきお)(一九一八年生まれ。生け花作家。五一年池坊脱退声明を提出。約束事にとらわれない独特の力を秘めて作品を生み出す)さんのお話を少し聞かせて頂けませんか。
 
鷲田:  お訪ねした方はほとんど初対面の方ばかりなんです。勿論中川さんとは初対面です。中川さんのお花というのは、とにかくもの凄く迫力がある。私がそれまで見てきた生け花というものとおよそ違う花の世界を体験していらっしゃるんですね。表現されているもので、一体これ何なんだろうという思いがあったんですね。どうしても会いたくなったのは、とにかく私が考えている生け花と全然違う花との付き合い方なんです。つまり普通の生け花でしたら、お花がほんとに盛りの時に、完全にお花が開ききっている、そこの瞬間を美しく見せる、というのが生け花ですよね。普通の生け花だと思うんですが、中川さんの生け花というのはその後を見せる生け花なんですね。例えば水仙なんかは真っ直ぐな茎であり、葉っぱでありますけれども、節分辺りから萎(な)えてくる。へなへなとしてくる。それをそれとしてまたいのちの一つの形であるわけですからそれを表現する。もっと極端なのは、花の死を見つめる作品というのがとっても多いんです。例えば、彼は困窮していらっしゃる頃は、例えばキャバレーとか喫茶店のお花の入れ替えのお仕事もされていたことがあるんです。そういう時、ほんとに空気が悪いですし、暖房とかもあって、花は数日で萎れてしまうんですね。彼はそれを見て、まだ生きている、と思って、そして彼自身お金がなかったから生け花の素材も買えないので、その花弁を全部ナイロン袋に入れて、何千と持って帰って、そしてそれで何か花の作品が作れないか。これもまだ生きているんだ、ということでガラスの瓶に九百の花弁を入れて、それを一週間ほど寝かしているうちに花から血が出てくるんですよ。彼はそれを「花の血」と名付けて、そしてその瓶を和紙の上に反対向けにドンと置いたら、その血がわぁっと和紙に広がる。それが彼の最初の作品なんですね。
これは、私が、例えば書物の中で、そして言葉という形でやっている哲学とは全然方法は違いますけれども、「いのち」というもの、私たちのいのちについての一つの哲学というか、根本的な考え方が花の中に表現されている、というふうに思いましたね。それを盛りの花だけではなしに、萎(しお)れていく花、死に逝く花、そのすべての段階で、彼は花にそういう別のいのちの形を与えているという、まさにいのちの哲学というものを教わったような気がしますね。例えば水仙であったら、真っ直ぐな時だけ人は愛(め)でるじゃないですか。中川さんは萎れた水仙には萎れた水仙のいのちをそこでしっかり見るわけです。だからどんな形であっても、水仙が水仙としてある限り、盛りでなくっても、それはそれで良し、と肯定するんですね。私はその水仙について言われたことは、そのまま人間についても言われるわけです。人間というのは、例えば壮年期に一番の花がある。それから青年期というのは壮年期に向かって一番エネルギーに充ちている、溌剌としている時だ。歳がいくということはだんだん衰弱していくことだ、何かができなくなっていくことだ、というふうに下り坂でイメージしますね。つまり今の社会というのは、若いこと、あるいは壮年であること、つまりいろんなものを作り出すということで評価する。あるいは作り出す可能性がある世代ということで評価していて、歳がいくということは物が作り出せない。裏返しでいうと、人のお世話にだんだんなることが多くなる時代だというふうに考える。つまり人の価値というのは、その人が何をするか、何ができるか、で計るような社会ですね、私たち。それに対して、中川さんが萎れる水仙を萎れるままで表現するというのは、何もできなくなっていいんだ、と。そこにそのいのちの形がある。それに表現を与えるということで、それはそれで一つのいのちの形ということで肯定するわけですね。つまり人を評価する時に、その人が何ができるか、というところで評価するんではなしに、その人があるというところで評価する。そういう意味の肯定だ、というふうに思いますよね。
 
西橋:  もう一つ、このご本の中で北海道の浦河町(うらかわちょう)の「べてるの家」を訪ねていらっしゃいますね。
 
鷲田:  はい。襟裳岬の漁村でしたですね。
 
西橋:  精神障害者の方とか、それからアルコール依存症の方たちのグループホームですね?
 
鷲田:  そうです。このグループホームというのは、今凄く全国の注目をあびているホームなんですけれども、「治せない医者」を自ら名乗っておられる川村敏明(一九四九年生まれ。札幌医科大学卒業。浦河赤十字病院に勤務)先生という精神科医のお医者さんと、それから社会復帰を促さないソーシャルワーカーを名乗っていらっしゃる向谷地(むかいやち)生良(いくよし)(一九五五年生まれ。北星学園大学卒業。浦河赤十字病院に医療ソーシャルワーカーとして勤務。九三年に有志とともに福祉ショップべてるを設立)さんという二人のリーダーの方がこのグループをずっと支えてこられたんですけれども、私が最初に訪問させて頂いた時に、みなさんが合言葉にされているのが、「三度の飯よりミーティング」と言いまして、治療よりもミーティングが大事、ご飯の時間よりもミーティングが大事、労働よりもミーティングが大事、ということでいろんなことをなんでもミーティングで、話し合いをしながら決めていらっしゃって、この話し合う、ということの大切さというのを目の当たりにしました。どうしてこういう精神障害の体験者の方とか、アルコール依存症の人たちの、そういうグループホームの中でミーティングというのがこれほど重視されているのか、ということを、あらためて考えさせられたんです。そこで思ったのは、ある意味でいろんな困難を、あるいはハンディを抱えた社会的には弱い方々の集まりですよ。ところがその「弱い」ということを、何の怖れも、恐怖感も抱かずに話せるような場というのがそこになり立っている、という感じがしたんですね。自分たちが他の人と比べて特別な苦労を抱え込んでいるんじゃなしに、みんな人それぞれ、ホームの中でも外でも、つまり浦河という町の中でも、みんながいろんな苦労を抱えているんだ。その一つとして自分の苦労もある、ということで、普通だったらそういう自分の弱い面を言葉にする、例えばこんな妄想を見たとか、あるいはこういう脅迫観念があるとか、あるいはこういう不安を持っているとか、被害妄想があるとか、そんなことって、普通は堂々としゃべる類(たぐい)のものじゃないのに、此処では、「これが私の苦労です」ということで、何の恐怖感も不安感もなしに話せて、そういう場がなり立っている、ということに凄く驚きました。この施設が最初出来た時には、町の方は必ずしも賛成ではなかったようなんですけれども、このホームの活動をずっと横でご覧になり、あるいは時には一緒に作業をなさったりしているうちに、町の人自身が変わっていかれたんですよ。
 
西橋:  見方が?
 
鷲田:  はい。一カ所だけ、どうしてもジンとくる文章がありましてね。これは町の人の発言を拾ったものなんですけれども、こんなふうに市民の方がおっしゃっているんです。
私たちが普段の暮らしのなかで忘れてきた、見ないようにしてきた大事なものを、精神障害という病気を通して、教えてくれている人たちなんだね。あの人たちは嘘を言ったりとか無理をしたりとか、人と競ったりとか、自分以外のものになろうとしたときに、病気というスイッチがちゃんとはいる人たちだよね。私たちの隣に、そういう脆さを持った人たちが居てくれることの大切さを考えたときに、とっても大事な存在だよね。
 
そういう思いが、この地域の中に静かに充ちてきているという、このことがとっても素晴らしいというふうに思いましたね。私たちって、強がりして、「みんな頑張れ、頑張ろう」というけど、これはある意味で、みんなほんとは凄く脆(もろ)いもの、弱いものを抱え込んでいるのに、それを押さえつけて、なんとか強がりして頑張っているわけです。この「べてるの家」にいた時に、多くの人が怖がらずに自由に喋れたというのは、自分の中の弱さというものに、もの凄く素直に向き合いている。普通の人がみんなそれを押し殺そうとする、隠そうとする自分の中の弱さを、それをそうしないで、この施設ではむしろそれを自然に言葉にできる。そして自分の苦しさ弱さというものと、もの凄く素直に向き合えているという、このことが町の人まで伝わってきた。そして町の人自身が、自分たちの苦労、あるいは弱さというものと、もっと素直に向き合えるように変わってきた。あの人たちが信号役になって、私たちが無理をする、強がりをしようと思うと、そんなことしなくっていいんだよ、という合図を送ってくれる。そんなふうに町の人が受け取るように、町自体が変わってきたということで、もの凄く素晴らしいことだ、というふうに思いましたね。
 
西橋:  少し「聴く」ということに関して伺いたいんですけれども。介護とか、看護の現場の方たちといろんなお話をなさるということですが、介護や看護の現場の方たちは、対象となる、例えば患者さんとかお年寄りからいろんなことを、「聴く」というのは大事なお仕事なんでしょうね。
 
鷲田:  そうですね。私たちは、聴いて貰って楽になる、ということがありますね。「聴いてもらう」ということと、「解ってもらう」ということとは別だ、と思うんです。例えばほんとに落ち込んでいる時とか、あるいはほんとに重い課題を背負っている時、あるいは人から酷い裏切りを受けた時、もう人が信じられなくなっている時、そういう時というのは、本当は人に話したくないものですよ。むしろいっときでも忘れたいものなんですよ。にもかかわらず、私たちは誰かに聴いてほしい、知っていてほしい、という思いも、また一方にあるんですね。聴くということを考える時に、今、解るということとは違う、と言いましたのは、そんな重いものを自分が、あるいは痛いものを自分が抱え込んでいる時に、そんなのをすぐ解ってもらおうなんて誰も思わないです。変な言い方ですけど、そんなに簡単に解られてたまるか、という思いすらあるわけですよ。にも関わらず、解ってくれなくてもいいんだけれど聴いてほしい、という思いは誰にでもある。あ、この人だったら自分の言葉をそのまま受け止めてくれる、という信頼のようなものがあって、はじめて人は重い口を開くことができると思うんですね。でも、いざ口を開いても、言葉はすらすら出てこないです。例えば自分にとって凄く大事なことを相手に喋ろうという時には、言葉にした瞬間に、こんな言葉で通じるかなあとか、この言葉は軽すぎないかなあとかというふうに、その言葉が相手にどういうふうに今触れているか。その感触を確かめながらしか、言葉にできないですよ。そうすると、凄く言葉が断片的になっていく。チョロッと言って、こんなんでいいかなあという語りしかできないでよ。凄く訥々(とつとつ)とした語り、断片的な語りでしか最初は話せないもんですよ。ところがそうすると、聴くほうはだんだんしんどくなってきますよね。つまり沈黙のほうが遙かに多くなって、その隙間にチラチラっと断片のように言葉が洩れて零れてこないということになると、日常の会話でも、沈黙があると凄く居心地が悪いように、そういう凄く大切な問題、重い問題になってくると、その何倍も沈黙の時間というのが重いものになってくる、耐え難いものになってくる。それで聴く側は、話す人の代わりに語ってしまうんですね。つまりなかなか零れてこない言葉の断片、それを聴くほうが勝手にストーリーで繋いでいって、「あなたの言いたいのはこういうことなんじゃないですか?」「あなたはあの時こういうことがあって、こうだったから、今こういう気持になっているんじゃないですか?」というふうに、先にストーリーを作って、相手の言葉を横取りする、という言葉は悪いでしょうけれども、代わりに語ってしまうんですね。
 
西橋:  推測して、
 
鷲田:  そう。そういうふうに上手く淀みなく語ってもらうと、語りにくい語り手のほうは凄く楽になって、「そうなんです。私が言いたかったのはそのことなんです」と。ああ、解って貰えた、というふうに、その時は凄く楽になるんですよ。けれども、その時だけなんです。何故かというと、聴くのは実は語りにくいことを、その人が自分で語る、という。語ってもらうというところに意味があるからなんですよ。要するに、語り難いことを語るというのは、要するに自分が苦しみの中に埋没している時に、いわばそこから身を引き剥がして、そしてまずこんな事件があった。そしてその時自分はこう考えた。そして今こういう気分である、というふうに、自分の苦しみから身を剥がして、それに距離をとって、ある物語にしないと、人には語れないわけです。そうすると、語るということの意味は、自分が埋没しているその苦しみから距離をとる、というところに意味がある、と。言い換えると、これまで自分がその火中にあった苦しいことに対して、これまでと違う関わりができるというところに意味があるんですね。だからその過程を語る人は自分で語らなければ意味がない。だからその人が語りきるまで待たないで、言葉を迎えにいくというのは、その人の苦労をむしろ免除してしまうことになるので、その時は凄く気は楽になるけれども、また同じことの繰り返しということになるわけですよ。だからそういう意味では、聴くということはほとんど待つということに等しいんじゃないかと思いますね。だから凄くエネルギーの要ることだと思います。耳があれば聴けるというようなものじゃないような気がしますね。
 
西橋:  特に家族同士というのは難しいですね。
 
鷲田:  そうですね。介護生活に入った時に、家族が可哀想に思って、「何でもこれまでできなかったこと、やりたいこと、食べたいもの、全部言ってくれたら、その通りしてあげるから」って、愛情を込めて言うとしますね。で、高齢者の方が、「いや、実は今までほんとはこういうことがしたかったんだ」とか、「こういうものが食べたかったんだ」とかというふうに言ってしまうと、近親者というのは、それにダイレクトに反応してしまいますね。「え、今までそんなことを思っていたの」という感じで、「私はいろんなこと辛抱して一生懸命やってきたのに、あなたはそんなことを考えていたのか」という意味で凄くダイレクトに反応してしまいます。そうすると話した、語ったほうは、「しまった、やっぱりいわなかったほうが良かった」ということで余計寡黙になってしまう、ということもあるわけです。聴くというのは、普通は身近な人が深く聴ける、というふうに言われますけれども、私は逆だと思いますね。身近な人が一番聴くのが難しい。つまり待てない。
 
西橋:  特に子どもなんかだと、すぐ親はすぐ説教したり、子どもがなんか言い始めると、「それはこうだから、こうなんだ」と説教したり、あるいは安易な解決方法としたら、「こうしたらいい」というようなことを言ってみたりしがちですね。
 
鷲田:  その言葉をその言葉としてそのまま受け止めるということが、これも当たり前のことなんだけど、案外私たちにできないことですね。
 
西橋:  その言葉のまんま受け取る。最後に、例えば若い人たちは、今、自分の上の世代、父親時代をなんか見ていて、「精々あんなに頑張ってもあそこまでだ」というふうに、もう見えてしまった、というような感じがする。そういうことについてはどんなふうに?
 
鷲田:  昔言いましたね。今の時代というのは、生まれてから自分の人生考える時も、生まれてから死ぬまで一本線で、自分がどういうことをずっと辿って、連続的にやっていくか、というようなリニアなイメージでは人生というものすら上手く捉えられないような時代になっているんじゃないかと思うんです。「見えちゃっている」というふうに、自分の未来に対して凄く予め断念しているような人たちというのは、まだやっぱり人生というのをリニアに、一本線で考えようとしている。学校へ行って、そして就職して、結婚して、そうすると定年の時にはどれぐらいの給料で、どんな地位で、あとどれくらい年金がもらえるか、というようなこと、それが見えちゃっているというんですけれども、人生というのは、実際にはそんなふうに直線的に動くんじゃなしに、その過程で誰かと会うんです。あるいは誰かと深い関係になって、そのことで自分がもの凄くその人の影響を受ける。あるいはその人との関係のあり方に影響を受けて、その都度ゴロッゴロッと変わっていくんですね。だってそもそもスタートが偶然でしょう。この父親とこの母親のもとに生まれる。これを父とし母として自分が生まれる。これ自分が選んだものじゃないですから、まずその偶然を背負うことから始める。つまりこの親だったから自分はこういう地域に住んだ。こういう人としか子どもの間は付き合わなかった、と。もう凄いいろんな限定があるわけですよね。学校に行けば、もの凄くたくさんの集団なのに、そこから一人親友ができたりする。そして全然違う血筋から出てきたそういう人と、いろんなことを喋る中で、自分がそれに影響されて、もう自分がこの親のもとに生まれたこととは関係のないレベルで、また自分の自己というものを作っていくし、それは今度就職して、どんな同僚に出会うか、あるいはどういう取引先の人と出会うか、人として出会うか、もの凄くまた人生変わってしまいますよね。何より結婚ってそういうものだと思うんですよ。まったく背景の違う人と偶然出会ってつくったのが家族というものですけど、そこから生まれてきた子というのは、必然と言いますかね。だから自分がもしこの人と結婚しないで、別の人と結婚したら、また全然違う人生になった筈だし、人間のネットワークも変わった筈ですね。その間に事故があったりとか、家族を亡くすということが、その都度我々はその場所の中で一番良かれ、あるいはこれが自分に一番相応しいということを選んで、いわば人と偶然に出会いながら、ジグザグにその都度大きくぶれて生きていく。そういう断続的なものとして、自分の一生というのを考えるほうが、現実に即しているんじゃないかなあと思いますね。だから自分の人生について語る時に、まあ伝記のように、「自分がこうこう歩んできたんだ」という書き方よりも、むしろ自分が出会った人について語ることのほうが、かえってほんとの意味での自伝になるんじゃないかなあ、というふうに思いますね。私自身も学生時代に付き合った人ともう三十年以上、ほんとにたまにしか会わなくっても、もう前提なしでいきなりストレートな話できますし、特に哲学に関して、あるいは自分の書き物に対しては、二十代の最後に出会った当時の同僚に決定的な影響を与えられて、文章まで、文体まで変わってしまいましたよ。勿論そういう現実に会う人のみならず、本を通じて会う人だってあり得ると思うんです。ある作家、あるいはある思想家と出会った時に、それ以降自分の書く物はすべてその人が読んだらどう思うだろう、ということを意識して書き出したりするようになるんですね。だから繰り返しになりますが、人の一生というのは、何かこう一直線で語れるものじゃなしに、その都度ふと偶然この人と出会って、自分がこうなっているという語り方をするべきものじゃないかというふうに思いますね。
 
西橋:  決して見えてはいない、と。
 
鷲田:  そうですね。そう思います。
 
西橋:  有り難うございました。
 
     これは、平成十八年九月十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである