すべては風の中に
 
                       カトリック司祭 井 上  洋 治(ようじ)
一九二七年神奈川県に生まれる。東京大学文学部哲学科を卒業。一九五○年フランスに渡り、カルメル会修道院に入会、修道のかたわらリヨン、リールの各大学で学ぶ。一九五七年カルメル会を退会し、帰国。一九六○年司祭となる。一九八六年より「風の家」を始める。主な著書に「日本とイエスの顔」「キリストを運んだ男」「イエスに魅せられた男」「福音書をよむ旅」「小雀健チャン物語」「南無アッバ」他。
                       き き て    山 田  誠 浩
 
ナレーター:  東京新宿に近いマンションに、「風の家」と名付けられた一室があります。キリスト教を日本の文化の中で捉え直し、イエスの教えを日本人の心情に響く形で伝えたいと作られた場所です。主宰するのはカトリック司祭の井上洋治さん。フランスカルメル会の修道院での修行を経て、七十九歳の今日まで求道の人生を歩んできました。課題は、「身体に合わない洋服のような西洋のキリスト教を、日本人に合わせて仕立て直す」ということでした。日本の精神風土を探りながら、神学や聖書を見つめ直すことで、その道を探し求めてきました。二十三歳で渡ったフランスの修道院で、井上さんは西洋の文化や生活感情と一体となったキリスト教の壁にぶつかります。奇(く)しくも同じ船でフランスに留学した作家遠藤周作は、「母親から与えられたキリスト教を自分の身体に合うものにする」という課題を背負っていました。二人はやがて同じ問題に取り組む生涯の同志となりました。「風の家」を始めて二十年、自然の中での祈りや思索を重ねてきました。生きとし生けるものとともに、イエスが「アッバ(Abba)」と呼んだ神さまの風に身を委(まか)せる、その境地に至ったという井上さんの歩みを伺います。
 

 
山田:  井上さんはずっと日本の文化の中に、キリスト教を根付かせるということをずっとさまざまな行動の中でやっていらっしゃったんですけれども、今、振り返られますと、どういう思いがなさいますでしょうか。
 
井上:  そうですね。やはり「洋服の仕立て直し」という言葉、これはもともと私がフランスにいた時に、ダニエル(Daniel)という、当時とても有名な神学者だったんですけど、その人が、要するに、「今のキリスト教は中世的で現代人の身体に合わない。現代人の身体に合うように服を仕立て直さなければダメだ」ということを、『歴史の神秘に関するエッセイ』に書いたんですね。遠藤さんもたぶんそれを読んだと思うんです。有名な本です。私もそれを読んで、「洋服を仕立て直す」、なかなかいい喩えだなあと思いましてね。ヨーロッパのキリスト教というのは、絢爛(けんらん)としていて、長い歴史を持っていて、たしかに服で言えば、奇麗で素晴らしいんですけれども、ただ自分の身体に合わないわけですね。ダブダブだったり、ガサガサだったりして、ファッションとして良いかも知れんけど、そこからは何か着づらくてね。ほんとにキリスト教徒になって安らぎとか喜びみたいなものがどうしても湧いてこないんですよ。それをどうしても自分の身体に合わせて服を仕立て直したい、と。四、五年前ぐらいになって、ガサガサやっていたら、やっとどっかへ流され着いたというか―辿り着いたというより流され着いたという感じのほうが大きいですね。僕は流され着いて、それで、「ああ、これでいいんだ」というふうになったのが、ほんとに五、六年前からでしょうかね。それで、「良し」と思って、最後に私のライフワークとして、後輩と言いますかね、私の思いを残していきたいと思って書いたのが『わが師イエスの生涯』というこの本だったんですね。
 
山田:  これは『わが師イエスの生涯』というふうに書いてありますけど、これはイエスを通してキリスト教の神というものを求められた、というふうに考えていいんでしょうか。
 
井上:  そうです。イエスさまがお示しくださった神さまですよね。それはもう一つ「南無アッバ」と言います。非常に聞き辛い、はじめて聞けば、「それは何だ」というふうに、山田さんもお思いになるかも知れませんが、この祈りにイエスさまの生涯が凝縮している。そして、「神さまはアッバと呼べる方なのだ」というのが、私はイエスさまの中心的メッセージだと思う。
 
山田:  その「アッバと呼べる」というのはどういう感じ?
 
井上:  要するに、赤ん坊―幼子(おさなご)を自分の腕の中に抱いて、ジッと見ていてくださるお父さんの眼差しみたいなものですね。そこにはまず幼子の安らぎがある。
 
山田:  今、そういうお気持ちでいらっしゃる、というふうに受け取っていいんでしょうか。
 
井上:  そうですね。そこまで流され着いたという、そういう感じもありますね。
 

 
ナレーター:  イエスを師と仰ぎ、イエスが示した神に従って生きる。井上さんがそう決意するきっかけになったのは、戦争の時代に、十代で直面した虚無感でした。幼い頃から身体が弱く、家族が賑やかに集(つど)う正月にも、いつも一人床の中だったという井上さん。誰もが避けられない死という運命を持っていることに、どうしようもない虚しさを感じていました。どんなに努力しても逃れることができない死。それを知りながら生きることの苦しさ故に、井上さんは救いの道を求めました。
 

 
井上:  私がその時苦しめられていた心象風景というのは、長い海岸線がありましてね、そしてそこに静寂が支配している―静けさ。そこにさぁーっと風が吹いて、一粒の小さな砂が左から右にチョロチョロと動く。そしてその後、また長い静寂に戻る。この一粒の砂が私たちの人生だ。だけど苦しいこともあり、悲しいこともあり、勿論嬉しいこともあるとは思うんですけど、だけどそこに死刑の日まで耐えて生きていくというのは、どういう意味があるのか。勿論女の子とお茶を飲んでいたら、その時は愉しい。映画を見たら楽しいけれども、でも百年を越える恋をする者は誰もいないんだという感じですね。新宿のさなかにふっと感じるんですね。そうすると、そこをなんとかしないとニヒルな感じから抜けきれないわけですね。
 
山田:  その青年期の死にまつわる、そういう思いというのを、何か転換していくといいますか、そういうきっかけというのは、どういう形で現れてくるんでしょうか。
 
井上:  それはフランスのベルクソン(1859-1941:フランスの哲学者「生の哲学」提唱者の一人)という哲学者の著作を読んで、私はなんか砂漠の中でオアシスにあったような気がしました。
 
山田:  それはどういう感覚なんでしょうか。
 
井上:  それは結局死の問題もあるんですけれども、人間は―さっき砂の話をしましたけど、要するに原子の固まりで、それがチョコチョコと右から左に動くのが死ぬということである、科学はね。今、単なる機械でしかないんだ、というような感覚が攻め込んできているわけですね。生きる意味は何にもない。じゃ、生きたって、死んだっていいじゃないか、という感じになっているところに、ベルクソンという人は、物を分析して、分けて、それを研究してまた合わせる、と。そういう分析思考というものは、ほんとの死期を捉えていない。というようなものは、ちょうど躍動しているバレリーナーの踊りをスナップ写真で撮っているようなものであって、一番肝心な命というものはそこから逃げていった。その一番肝心な命というものは直感でしか捉えられないものであって、それでそういった空間として考える、命をね。私の心象風景みたいなものの嘘がハッキリするわけですね。そうしたら私の心象風景から出てくるニヒリズムというものは、「それは嘘だ。お前の生き方じゃない」というのを、ベルクソンからボーンと言われたような気がした。「よし生きよう」となったわけですね。生きようとなった。じゃ、どうしようか、と。そうしたら、じゃ、哲学をやってみよう。ベルクソンは哲学者だ。まあいろいろカントとかハイデッガーとか、こうやっているうちに、それなりの満足はあったんですけど、やっぱり一番私を満足させるてくれるのは宗教なんだろうなあ、とこう思ってきて、それで宗教の世界というものにグッと惹かれてきたわけですね。だけどもそこからなかなかキリスト教の世界というのが入りづらい世界なんですよ。猥談しただけでもう地獄に落とされる。すごく厳しい、恐ろしい神さまというのが迫ってくるわけですね。ところがダメだなあという感じがあって、だいぶ長い間カトリックの教会もプロテスタントの教会も行ったりしてグルグル周り歩いていた。
 
山田:  それが、でもカトリックのほうにいってしまうというのは、どういうことが起こったんでしょうか。
 
井上:  それはテレーズ(1873-1897)という人がいまして、聖者とされているんですけれども、十五歳でカルメル会の修道院に入って、二十四歳で亡くなった人なんですね。たった九年間ぐらいしかいないんですけど、そして小学校しか出ていない人なんですけど、その人が亡くなる前書いた自叙伝みたいなのがありまして、
 
山田:  これでしょうか。
 
井上:  そうですね、この『小さき花』というこの人の自叙伝で、私はすごい感動を覚えた。この人は、「神さまはそんな迫ってきたり、裁いたり、猥談だけで地獄に落とすとかそんな方ではないんで、どんな大きな悪いことをしていても、罪を犯していても、そのまま申し訳ないと思って、その懐に飛び込んだら、必ずそれは迎えてくださる方であって、人間は弱かったり、ダメだったり、罪深かったりすればするほど、その人を神さまは大切にしてくださる」と。これは私はたまらないんです。「そうか!」と思ったわけですね。「もし懐に飛び込めば、罪や悪は、みんな神さまが愛の光や炎ですぐ燃やしてくださるんだ」とこういうわけですね。だから大切なのは、父親の腕の中に微睡(まどろ)む幼児の信頼だ。父親だ。ああ、そうか、と思って、じゃ、このテレーズのそういう生きた世界を自分も生きてみたい、と思ったわけです。
 

 
ナレーター:  二十歳でカトリックの洗礼を受けた井上さんは、一九五○年フランスに渡りました。テレーズが示したイエスの道を求め、同じカルメル会の修道院を目指したのです。貨物室のような薄暗い四等船室。そこで出会ったのが、カトリック文学の研究のためフランスに赴く遠藤周作でした。遠藤は、「井上さんが夜一人甲板に出て祈っていた」と日記に記しています。ボルドー近郊、広いブドウ畑に囲まれたブルッセ修道院に入った井上さんは、厳格で知られるカルメル会の規律のもと、一日のほとんどを沈黙して過ごすという生活を始めました。
 

 
井上:  大体祈りと労働ですね。祈りの中には勿論カトリック教会のミサというのがあるわけですけれども、祈りと労働で、まあ夜中は十二時に起きて二時まで、一時間はみんなで詩篇を唱えてお祈りして、後の一時間は黙祷ですね。これを二時頃までやって、というような生活で、ただ勉強はさせないですね。
 
山田:  勉強をさせない? それはどういうことでしょう。
 
井上:  それは余計な知識は不要なんですね。とにかく身体を動かして働く。修行する。
 
山田:  祈りと修行に徹底するわけですね。
井上:  あと読むものは聖書とカルメル会の創立者の本。冬だって暖房ないんですよ。暖房があるのは、お祈りの場所―チャペルと食堂だけで、個室の部屋には全然ないんですよ。木の板があるだけで、二枚の毛布があるだけなんです。寒い寒い。眠れないですよ、寒くて。また起きてきて体操して、また寝るとかね。
 
山田:  そういう日常の生活には、これはまいったなあ、という。そういうお感じはありませんでしたか。
 
井上:  それはまいったな、というのはありましたけれども、でもそこに意味があったわけですよ。すなわちそれをやれば、テレーズの世界が見える。イエスさまの見た世界が見える。苦しくなってきたのは、神父になるための勉強をさせられ始めてからなんですね。神父になるのは、向こうが決めるわけなんです。「井上、お前は司祭になれ。大学まで出てきたんだから」と、勉強が始まるわけです。カトリック教会では哲学を二年やって、神学を四年やるというのが大体義務化されているわけですね。だけどマニュアルがあって、とっても受け取りにくいんですよ。入ってこないんですね。それを普通だったら哲学を勉強すると言ったって、カントならカント―誰でもいいけど―それを勉強するわけで、その主義者になるわけじゃないですね。ところがカトリック教会は違うんですよ。トマス・アクイナス(イタリアのスコラ哲学者・神学者:1225-1274)という十三世紀の神学者がいるんですけど、トマスを勉強するというだけじゃなくて、トマスの主義者にならなければいけないんですよ。これがちょっと違うところですね。今はだいぶ変わっていると思いますよ。だけど当時は少なくともそうだった。それで私は完全に窒息しそうだった。窒息感があるということは、結局信仰の喜びとか安らぎとか、そういうものがないということですよ。それでテレーズが言っていたことが、そこではどう結び付くか。私には、どうしても結び付かんわけですよね。そこからあとリヨンに行ったり、ローマに行ったりしましたけど。
 
山田:  その「窒息しそうだ」という、「息苦しかった」というのはどういうことだったんだというふうに思いになりますか。
 
井上:  一つは神さまの捉え方というのがあったと思いますが、しかしその時には、神さまの捉え方までまだいっていなくて、そういうギリシャから受け継がれてきている知性を徹底的に重んずる、知性によって理解できる、というような信念、知性に対する信頼でしょうか、ところが、私は、初めからそういう知性は不完全なものだ、と。一本の花の存在にもやっぱり神秘がある。神さまの眼差しという人間の知性を超えた神秘があるという思いを持っているわけですから、それを全部理性で処理していこうという姿勢そのものが、私には合わなかったんですね。それから個という感覚が、向こうの人と話していると、これ以上分割できない―不分割な個というものが最後に残る。まず物がこういうふうにあって、物と物が後関係する、という感覚ね。これが理屈じゃないわけですね。理屈以前にそういうものだ、というのがあるような気がする。だから神さまも個、私たちも個なんです。個である神さまに向かっているという感じがある。ところが神さま―もうちょっと言うならば、神さまというのは個であるより前に、働きかも知らない。だからそういうふうな感じがどうも血の中に残っているんですよ。その血の中に残っているものが、なかなかそれを受け付けない。神学はローマでやれ、というんで勿論行ったわけですね。だけどこれはとてもあかん、と。それでもう一回リールのカトリック大学の勉強に戻りたい。というのはフランスのカトリック大学はかなりそういう意味ではトマス主義者にならなければ、というような圧力はほとんど少なかった。それは一番はじめに言いましたダニエルじゃないけど、やっぱり現代人に合う神学でなければダメだ、というようなことは言っていて、ローマとはかなり軋(きし)んだ関係にあったわけですね。だからノートなんかも、教授が「これから先はとらんように」と言って嫌っておったんですね。そういう学校だったからはじめてそこでロシア正教、ギリシャ正教の考え方というのに触れることができた。
 
山田:  それは今まで受けてこられた教育と、どういうふうに違ったんでしょうか。
 
井上:  それは相当違うんですね。まずギリシャ正教にとっては、神さまというのはもう人間の知を超えていて、それで太陽見たら目がつぶれる、というように、「もう神さまというのは闇=A人間の知性にとっては神聖な闇≠セ。これは知性で理解できるという種類のものではない」というところで始まる。それからもう一つは、勿論自然は神さまではないわけですけれども、でも神の光が自然を生かして包んでいるという感じ、いわば風ですね。神の風―プネウマ。これがもの凄くやっぱり強く強調されているんですよ。これは私の心の琴線にはじめて触れたわけです。「そうだ!」と思ったわけですね。それはただ単に超越して、近付きがたいというよりも、もっと大地のように温かく包んでくれる、というふうな、私は少なくともそういうような、ウラジミール・ロスキィというようなロシア正教の神学者の考え方のものを読んでいたら、はじめて喜びというふうな踊ったという感じがしました。それでその時に、ああ、これはやっぱり日本人である私は、日本人の心情でイエスさまの福音(ふくいん)を捉えればいいんだ。ギリシャ正教の人たちはそういうメンタリティというか、とにかくそういう形でイエスさまの福音を捉えていった。だから西洋の方が一生懸命捉えた形をそのまま、その服を着るといったら動けない。だから日本人の心情で、とにかく捉え直していかなくちゃダメなんじゃないかというのは、たしかにリールで教わったことです。
 

 
ナレーター:  井上さんは一九五七年カルメル会を退会し、七年半ぶりに日本に帰国しました。同じ船でフランスに留学した遠藤周作は既に帰国、芥川賞作家となっていました。井上さんは東京の神学校に編入し、司祭になる勉強を続けます。限られた休みのたびに出掛けたのが奈良や京都でした。教授が外国人ばかりだった当時の神学校で、日本文化を学ぶ機会はありませんでした。和辻哲郎(わつじてつろう)や鈴木大拙(だいせつ)などの著作を手に、一人日本の精神風土のありかを探りました。
 

 
井上:  要するに自分の血の中に流れているものは何なんだ、ということなんですね。この西洋の文化に拒絶反応を示している私は何なんだ。それが日本の勉強というか、日本文化の勉強に繋がっていって、やっぱり禅とか、それはだけど自分の血の中に流れているものが、言葉でいったらどういうことなのか、ということはやっぱり時間がかかっていたんじゃないでしょうか。やはりヨーロッパと日本との違いという、今一番感じたのは日本の神社仏閣というのは、大体自然の中に憩(いこ)っているという感じがある。室生寺の五重塔でも、とにかく自然の中に憩っている。そのもとは鎮守の杜(もり)かなんか知らないけど、とにかく自然の中に憩っている。それに対してパリのノートルダム聖堂にしても凄いですよ、街の中心にボーンと建って、目指すものは天ですよね。大地に憩うというよりも、むしろグーンと辺りを制圧していますよ。あれは日本の神社と違う。憩うとか征服するという意味はないかも知れないですけど、とにかく「おれだ!」という感じがしているんですよ。僕は、そうじゃなくて生きとし生けるものとは手を繋いで生きるその受容の安らぎ、そういうものなんじゃないか、と今は思っているわけです。
 
山田:  遠藤周作さんとお会いになるというのは、それはどういうことでお会いになったんですか。
 
井上:  遠藤さんは船で会ってからわざわざその翌年にボルドーに一度来てくれました。ボルドーは随分不便なとこなんですよ。たしかバスで一時間、歩いて一時間ぐらいかかるんじゃないかな、来てくれたわけですね。ところが戒律が厳しいから、あんまり話が出来なくて、非常に申し訳なかったという気があったんです。で、私は帰って来て、神学校というところは自由に外出できませんから休みになって行った。その時に「洋服の仕立て直し」というところでえらい気が合った。「他の人は誰も解らなくっても、俺たちでやろうと。とにかく見習う人というのはいないんだから」と。それはよく覚えていますよ。「見習う人はいないんだから、私たちはとにかく未知の森の中へ入っていくようなもんだから、頑張らなくちゃダメだなあ」ということは言いましたね。遠藤さんは文学者として文壇にいて、宗教にあんまり関係するのは得なことじゃなかったんじゃないかなあ、と僕は思うんだけれども、でもそれは彼が、お母さんの着せてくれた服がダブダブで、まあお互いに完全に孤立していましたから、二人ともそういう面で嬉しかったでしょうね。仲間ができて、戦友だということになって。
 

ナレーター:  日本人の心情でキリスト教を捉え直すという志を抱(かか)えながら、井上さんは念願のカトリック司祭となりました。世田谷や洗足(せんぞく)などの教会で教義を説く一方で、人々が抱える悩みや苦しみに直接向き合うことになりました。さまざまな戒律のある教会の中で、司祭として人々の苦しみにどう答えていけばいいのか悩むようになった井上さんは、その頃出会った法然の生き方を通して、改めてイエスの道を捉え直すようになりました。
 

 
井上:  その人たちにはそれだけの悩みがあるわけです。人生の意味だってそうでしょう。人生の意味だってそうだし、死の問題だってそうだし、それから苦しみの問題だってそうだし、子供を亡くした母親の涙だってそうだし、だからその人たちにとって今の痛みというものが慰められる。ほんとにそこで生きる力が出ればそれでいいわけなんです。教会の中で掟みたいなものがあるわけですね。なんというか義務というものがあって、それができないと苦しくなる。そういう状況というものはやっぱりちょっとおかしいんじゃないか、と。だけど、「じゃ、そんなことはどうでもいいんです」というわけにもいかないものが、どうしても司祭としてあるわけですね。「あんなものはどうだって構いませんよ」と言えないものがあって、そういう狭間で苦しむということは非常にありましたね。何ができるか、と考えてみると、一緒に苦しむ、ということ以外にはたぶん何もできないような気がしているんですね。というのは、洗足池の近くの本屋で、亀井勝一郎の「日本人の精神史研究」の『中世の生死と宗教観』という本に出会ったわけです。「宗教改革への道」というところで、法然さんに会うわけですね。勿論亀井さんの注釈がくっついているわけですけど、その時に非常に僕は心打たれた。人々の涙とか、悲しみ、痛みをあれだけ生涯聞き続けた。勿論偉い方は山のようにいらっしゃるし、それぞれの道があるけど、でも最後まで墨染(すみぞ)めの衣一つで、金もなく、地位もなく、還俗までさせられて四国へ流される。その流されていく途中でも、殺生(せっしょう)して魚を捕らなければ生きていけない漁師の人とか、遊女たちを慰めながら行きますね。『選擇集(せんじゃくしゅう)』の中で、法然さんが、「金のある者は仏像を寄付したら救われるだろう。頭のいい者はお経を勉強したら救われるだろう。意志の強い人間は戒律を守ったら救われるだろう。しかし金もなく、頭も悪く、そして意志の弱い人間はどうしたら救われるんだろう」という。法然さんは四十三歳で開眼して、比叡山から下りて来られるわけなんですね。その四十三までの比叡山での苦しみというのは、そういう人たちがどうしたら救われるのか、というところにかかっていたと思うんです。その法然さんのその生き方でイエスさまを見ると、イエスさまの生涯でなさったことの意味というかな、凄さというか、それがもっとよくわかるような気がした。悲愛(アガベー)の人というか、例えば娼婦―当時は娼婦というのは神から罰せられるべき人なわけです。だけどイエスさまはそれを受け容れて一緒に食事をしたり、酒を飲んだりしている。これが当時のユダヤ教の指導者層の人たちにとっては、もの凄く大きな躓(つまず)きだったわけですね。そういう人は神から罰せられるべき人だから、その人と友だちになるということは自分も罰せられる筈なんだ、そういうことをしてはいけない、と『旧約聖書』に書かれているわけですね。だからそういうことを破っても娼婦の人たちと食事をなさるというところに、その人たちの悲しみというか、一番大切なのは人の思いを大切にすることであって、悲愛であって、必ずしも『旧約聖書』にたくさん書いてある掟を守るということではない、と言われたんじゃないか。そこに何故イエスさまが殺されたか、という。それだけだって万巻の書があるわけですね。だけどそういうことでイエスさまが殺されていったんだ、と。少しずつですけど、そういうイエスさまの最後に結実するイエスさまの姿が少しずつ見えてきた、というふうな感じがあったわけですね。
 
山田:  イエスさまのそういう姿というのは、いろんなものに書かれて、聖書の中にもあり、テレーズもそうですけど、わかっておられる部分もあるわけですね。それが法然を経ることによってなんか変化をしたんでしょうか。
 
井上:  いや、変化じゃなくて、それが確信というか、そういう方だったんだ、と。それから福音書というのは実にいろんな世界から書かれていて、もうそれだけ読んだら矛盾している言葉がグチャグチャあるわけですね。だからテレーズが示したようなイエスはたしかに書かれているけども、また福音書が示しているイエスさまというのは、もっともっと厳しい、そういうイエスを示したら、必ずそういう反論が山のようにくるわけですね。しかしながら自分がイエスさまに従って一生を生きようというんだったら、「こうかも知れない、ああかも知れない、そうでもないかも知れない」と生きなけらばいけないんですね。どっかでイエスさまに従うんだ、という確信がなければならない。論文を書くわけじゃないわけです。自分の生涯をそこに生きるわけですから。それをどう自分に納得させていくかというのに、やっぱり時間がかかっていって、私にとって非常に大きな問題というか、転換になったのは遠藤さんの『沈黙』だったわけですよ。
 
 
ナレーター:  キリスト教の弾圧が続く十七世紀の長崎を舞台に描かれた小説『沈黙』。宣教師のロドリゴは、拷問に苦しむ信者たちを救うために、信仰を捨て、「踏絵(ふみえ)」を踏むという苦渋の決断を迫られます。その時、聞こえてきた「踏むがいい」というイエスの言葉。遠藤周作のこのイエス像に対するキリスト教世界の激しい非難は、井上さんに大きなショックを与えました。
 

 
井上:  私は、遠藤さんに連れて行ってもらって、長崎まで行ったんです。その時に遠藤さんの中には踏み絵の問題というのが浮かんできていて、踏み絵を踏まざるを得ないで生きている人間の悲しみ―だから娼婦でもいいわけですね―そういうようなこの悲しみをイエスさまはどう受け取っていたか、ということを、遠藤さんは書かれるわけですね。そして僕も思うのは、それが弟子の無理解である、と。イエスさまの眼差しというものは、まあどうしようもない、普通の人から見たらダメ人間のような生活をしている人でも掬い上げとっておられる。ところが愛弟子(まなでし)たちは裏切ったわけですよ。最後にイエスさまを見捨てたわけなんです。そのイエスさまを見捨てた中にペテロが居て、ユダがいる。ペテロ、ユダに対してどういう眼差しを向けておられたか、というところにポイントがあって、そしてペトロもユダもイエスさまは包んでおられた。「私を捨てて逃げるだろう」と、はっきりマルコに書かれているわけですね。マルコだけじゃなくて。「あなたは私を捨てて逃げるだろう。裏切るだろう。だけど私はお前たちを捨てない。お前たちを愛してガリラヤで待っているよ」というわけですね。そういう状況の中ではもの凄くはっきりしているわけですね。で、踏むがいい、というロドリゴという宣教師に対しての言葉になって出てくるわけです。「踏むがいい≠ニいう言葉は、最後の晩餐の時にイエスがペトロに言った言葉だ」というのが、遠藤さんの『沈黙』のポイントだと思うんです。そうしたら、「とんでもない、裏切ってもいいとか、悪いことをしてもいいと、こんなことをイエスがいう筈がない」と、てんやわんやになったわけですね。僕はその時に、イエスさまを裏切った者とそれを許すイエスさま、その関係でペテロは間違った筈はないんですよ、それは福音書を書いたわけだから。だから福音書を書いたんですよ、ということを言いたいために、遠藤さんは、「鶏が三回鳴いた」というところで、誰が読んでも、そうだなあ、というふうに書いたんだけど、これがてんやわんやになったわけですね。だからそういうものを聞いているうちに、う〜んと思って、これはもっと確かに自分がそう思っていたテレーズのイエス像というものを、もっと自分に納得させ、かつ他の人たちにも言えるようなところにいかなければ、これはいつまで経ってもてんやわんやで、「そうかも知れない、こうかも知れない」で、みんな終わっちゃう。自分の問題として、これはもっとハッキリやらなければいけないということは非常に強く感じさせられました。それから私は聖書学というものを真剣に自分で始めた、というふうに思っています。
 
山田:  そうやってもう一度聖書の中に入っていかれるという形でつかみ取ってこられた神というのは、どういうものだったんでしょうか。
 
井上:  それはほんとに「これだ」と思ったのは、エレミアス(ドイツの聖書学者:1900-1979)という大変有名な聖書学者ですけど、エレミアスがイエスさまの中心的なメッセージは、「アッバ」というイエスさまの祈りにあって、キリストの弟子になる―キリスト者になるということは神さまを「アッバ」と呼んで祈ることができる、ということなんです。
 
山田:  「アッバ」というのは、どういうことですか。
 
井上:  「アッバ」というのが、イエスさまが当時弟子たちやなんかに喋っていたアラマイ語の言葉で、エレミアスによれば、これは本来幼児語で、乳離れをした子供が、お父さんのことを呼ぶ言葉である。でも、大人になっても親しみを持って父親を呼ぶ時には、大人でも「アッバ」と呼ぶ、とこう説明しているわけですね。ですから、まあ今でいえば、「お父ちゃん」なんでしょうけど、「お父さま」ということもある、と。で、イエスの弟子のパウロという人が書いた手紙がたくさん新約聖書の中にあるんです。その中に、「私たちはイエスさまのプネウマを頂いて、そしてアッバ≠ニ祈っているんだ」と書いてあるんです。それから察すると、初代教会のキリスト者たちは、みんなで「アッバ」とこうお祈りしながら祈りを始めていたんだろう、というふうに言われているわけですね。僕は、それをもの凄く思って、これは「お父さん」というか、「お父ちゃん」という、それはもう審(さば)きの神―『旧約聖書』の初めに書いてある当時のユダヤ教の示していた審(さば)きの神―言うことを聞く者には限りない褒美を与えるけど、言うことを聞かない者には徹底的な罰を与える、という。そういういわば男性原理の強い神ではなくて、もっと母性原理の強いアッバ―お父さま、ということなんだ、と。しかも、それは向かえ合ったお父さまではなくて、後ろから抱き抱えてくださっているお父さま。そのイメージは大地ですよね。母なる大地のイメージに近いわけですね。それは結局テレーズのいったことなんですね。パウロがその前からずっと私は、パウロの「キリストのからだ」という喩えが非常に昔から好きだったんですけど、やはり腎臓があって、肝臓があって、それぞれの命を生きているけど、だって大きな一つの命の場の中に生かされている。それは私にすれば、桜も梅もぺんぺん草もタンポポもみんな大きな大自然の中に生かされて、それぞれの命を生きている。分析の対象になるような、科学的認識の対象になるようなものじゃなくて、後ろから生かしてくださっている、そういう方だ。それは言葉にならない。言葉にならないから、なんと呼んでもいいんですけれども、それに「アッバ」と呼び掛ける。呼んでいるうちに自分が大きな大地の上で咲いている白い花、ぺんぺん草、そういうふうに見えてくる。それが凄く、私は宗教が与えてくれる受容の安らぎというものの一番大切なものなんじゃないかな、とこう思ってきたわけなんですね。
 

 
ナレーター:  日本人の心情で捉えたイエスの福音。井上さんは、一九八六年に「風の家」を始める決心をしました。生きとし生けるものとともに、「アッバ」と呼べる神に祈る。そうした信仰の喜びを若い世代とともに深めていきたいと願ったからでした。機関誌「プネウマ」を発行。祈りの会を開いたり、納得できない聖書の箇所をトコトン議論したり、そうした営みの中から一人一人の心に根ざした信仰が育っていきました。「風の家」とともに歩んで二十年。今、井上さんは、神さまの風に委せて生きるという境地と「南無(なむ)アッバ」という一つの祈りに辿り着いたのだ、と言います。
 

 
井上:  一つのモットーとして、パウロの手紙の中の、
 
     「風に己を委(まか)せきってお生きなさい」(ガラテヤ書:5-16)
 
という言葉をモットーにして―ただしここは訳語なんですけれども―その原文の訳語に、私のかなり生き方が入っていて、私が「風」と訳した言葉は「プネウマ」という言葉なんですね。これは「霊」という意味もあるし、「息」という意味でもあるんです。普通聖書には、「霊の導きに従って歩きなさい」と。たしかに私が、「生きなさい」と言った言葉は、原文はもともとは「歩く」という意味なんですね。でも「霊の導きに従って歩きなさい」ではさっぱりわからないので、それに「従って」というところに、お委せの要素が少し足りないような気が僕はするんですね。「おみ風さまに己を委せきってお生きなさい」という、「委せきる」というところに一つの私が流れ着いたところがあるということだと思うんです。
 
山田:  「南無(なむ)アッバ」と「南無」が付いている。これはどういうことなんでしょうか。
 
井上:  私は、「南無」ということは実はいい言葉だと思って―もともとサンスクリット語だそうですね。
 
山田:  「南無」というのは、「南無阿弥陀仏」の「南無」ということでしょうか。
 
井上:  そうです。「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の「南無」であるし、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」、それから「南無三宝(なむさんぼう)」とも言いますね。そして、「お委せする」ということなんですけど、実に端的にすべてを委せちゃう。なんかこの部分だけ委せる、というんじゃなくて、私自身の全部を委せるという、帰命(きみょう)・帰依(きえ)するという、そういう言葉だ、と思って―これは勿論法然さんの影響もあるかも知れませんけど―「南無」はいい言葉だなあ、と。ゲツセマネで最後イエスさまが、「この苦しみを私から取り除いてください」と。「だけど、お父さま―アッバですね―あなたのお望みになるようになさってください」と。これが最後のイエスさまの生涯の完成の時の前の祈りですね。こういういろいろなお望みがあるけど、でも「最後はあなたさまがお望みになるように私の人生をなさってください」という意味では、「南無」というのはいい言葉じゃないか。私が、ちょっと思うことなんですけど、確かに祈りというのは、心が出るもんなんですけど、しかし逆に言葉で称えている時に、心が変わる、ということがあると思うんです。「人生というのは、自分を示すものではなくて、アッバがご自分のわざを私たち一人一人の人生のうえで実現されていくもんだ」と思っているので、「私たち一人一人のどういう生き方であろうと、ともかくそこに大きなアッバの命が働いている。生かされている。それは自分が主である人生でなくて、アッバがなさっておられる人生。ご自分のわざを示しておられる人生だ」と。ここに転換があるわけですね、委せるということには。自分が主ではない。アッバが主なんだ。だから主語は向こうにある。私は、「南無アッバ」と祈ることによって、そういう転換を与えてくださる、ということだと思うんですね。私にとって祈りというのは、子供の時やったひなたぼっこみたいな感じで、アッバの眼差しの中でひなたぼっこをする、と。話をするというよりも、私にとってはそのほうがはっきりいいような気がしているんですね。この電波が氾濫しているこの世界では、なかなかそれだけ静かな祈りの時間を持ちなさいと言われたら、相当日常生活の中で大変です。その時にそういう眼差し―アッバの眼差しの中に悠然といる。大地の温かさの中にぺんぺん草がある、というふうに自分が見えてくるのには、日常生活の中で「南無アッバ、南無アッバ」というほんの短い祈りを増やしていくことによって、それができるようにして頂けるんじゃないか、と。ただ私はこういう出家同然ような生活なので、ほんとに世間でほんとに忙しい生活を送っていらっしゃる方々のために、どこまで役に立っているのかどうかということについては自信がないんですけれども、「ただ、今、私としてはこういう形でダブダブの服を仕立て直したので、まあご覧になってみてください」というような感じですね。
 

 
     さわやかな五月の風に
     お委せしての
     あなたの葉ずれのささやきは
     なんと透明に かがやいていて
     すばらしいのでしょう
     青空にとけこんでいく
     その澄んだしらべに
     ぼくの心もいつしか
     すいこまれていくような
     気がします
     ぼくもおみ風さまにお委せしながら
     うれしいときも
     哀しいときも
     あなたの葉ずれのように
     生の讃歌をうたいたい
     アッバ アッバ
     南無アッバ
       (「けやきさん」詩集 南無アッバより)
 
 
     これは、平成十八年四月二十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである