虐待を越える力
 
                 エンパワメントセンター代表 森 田  ゆ り
昭和二五年横浜市生まれ。早稲田大学卒。バークレー総合神学大学院比較宗教学専攻修士課程修了。昭和五一年メキシコを経て、五三年カリフォルニアで学ぶ。北米に二一年間在住し、以来インディアン解放運動、反核運動に参加。五八年欧州中距離核配備計画に抗議する生命への断食≠フ代表として原水爆世界大会出席のため、一家で来日。また、インディアン解放運動家のデニス・バンクスの「聖なる魂」を五年がかりで六三年に日本語で出版した。平成二年まで子どもを性的暴力や虐めから守るための指導センター・カリフォルニアCAP勤務。のちにUCLA本部雇用促進事務局に入る。昭和六○年以来、日本にCAPプログラムを紹介し、日本CAPトレーニングセンターを設立。平成九年より二○年ぶりに日本に在住し、人権問題、子どもの虐待、家庭内暴力への理解と対応を促進する活動に専念。著書に「やまなしとり」「あなたが守るあなたの心・あなたのからだ」「聖なる魂」ほか。
                 き き て          西 橋  正 泰
ナレーター:  今、子どもへの虐待や家庭内暴力を防ぐための講座や研修会が各地で広がっています。森田ゆりさんは、虐待や暴力を防止する活動に二十五年以上関わってきました。そして、虐待をされる子ども、虐待をしてしまう親などとの出会いを通して得た経験から、さまざまな提言を行っています。
 

 
森田:  虐待している親たちに、子育てのノーハウを教えてもあまり効果はないんです。というのは、虐待している親たちは、子育てのノーハウを知らないから虐待をしているわけじゃないんですね。もっともっと全人間としての大きなまるごとの人間として、大きな悲しみや痛みや、そういうものを抱え込んだまま生きていて、
 
西橋:  親が?
 
森田:  親ですね。で、そこにいろんな他の人によって、さまざまな様相です。ある人は精神的な問題もある。ある人は一気に凄いストレスができた。ある人は家庭の中で、その人自身がまた夫から暴力を受けているとか、あるいは嫁姑のもの凄い確執の中で生きているとか、そういう一人の人間として―親としてだけじゃなくて、妻として夫として、嫁として、いろんな存在の集合として子どもに虐待がいってしまっている。そういう人に、「もっといい親になりなさい」というアプローチでは、これは効果はないです。
 

ナレーター:  森田ゆりさんは、今、兵庫県西宮市を拠点に、虐待や暴力を防止するためのプログラムに取り組み、専門職の研修や講演などさまざまな活動を実践しています。森田さんはこうした問題に関わるようになったきっかけは、二十五歳の時に行った中央アメリカでの体験でした。大学卒業後、勤めていた出版社を辞めた森田さんは、自分を見つめ直す旅に出掛けました。そこでの先住民の少年との出会いが一つの転機となりました。
 

 
森田:  自分の半生を思い返してみると、何故私は今子どもの人権とか、子どもの問題など関わっているのかと思うと、人生のここそこに子どもとの出会いというのがけっこうあるんですよ。それはいくつかあるんですけれども、その一つとして、メキシコ中南米の生活の後半のほうに出会った一人の先住民の子ども―たまたまバスの中で出会っただけなんですけれども、とっても大きな影響をその後の私に与えたなあ、とやはり今思い返すと思いますね。それは、三等バスに乗って、メキシコシティからオアハカ、そしてグアテマラとの国境と、ずーっと何日間もかけて旅をしたわけですよ。で、三等バスというのは、人間だけ乗っているわけじゃないんです。豚とか鶏とか、いろんなのが一緒に乗っているんですよ。
 
西橋:  それは乗っている人がどっかから連れて運ぶわけですね。
 
森田:  ええ。で、そんなバスに乗っていて、そしてグアテマラとの国境を越えた時、私はたまたまグウグウ寝ていたんですね。で、その当時七十年代の後半なんですけれども、グアテマラの内戦が非常に悪化し始めた時だったんです。そして、あちこちで政府軍と政府に反対する人たちとの争いとか、政府軍のレイプ事件とか、頻発しているよ、非常に危険だ、ということは聞いていたんです。それで、国境を越えたらすぐに政府軍の若い兵士たちにバスが止められて、彼らは機関銃を持ってバスの中に入ってきたんです。バスの中に入って来て、一人ずつチェックされて、私もパスポート見せたんです。けれども、なんか私だけ急に、わぁっわぁっわぁっと言われて、「バスから降りろ」と言われたんですね。一緒に降りていったらジャングルの真っ直中でどうなるのかわからない。絶対降りてはダメだと思ってしがみついていたんです。銃を突き付けられまして、ずるずるバスの出口のほうに連れて行かれたんです。誰も何も言ってくれなかったんですわ。ほんとにこれで私は死ぬかも知れない、と頭をかすめながら、必死に出口のポールにしがみついていたんです。そうしたら突然豚が突進してきたんですよ、後ろから。
 
西橋:  バスの中ですね。
 
森田:  バスの中ですよ。で、兵士にぶっつかったんです。ダッダッダッドーン、と。それは兵士にとって非常にショックだったわけですね。それで二人の兵士は急に恐くなっちゃったみたいで、「もういいわ」みたいな捨てぜりふを言ってスタスタッと出ていっちゃったんですね。私は命を救われたわけです。何が起きたのかよくわからなくて、こうバスの後ろを見たら一番後ろに坐っていた先住民の男の子が、私を見てニコニコ笑っているんですよ。〈あ、そういえば、あの子があの豚を持っていたなぁ〉と思って、そこで私は、〈あ、あの子が助けてくれたんだ〉と。
 
西橋:  豚を離してくれた!
 
森田:  多分そうだと思うんですよ。それを理解して、また彼に目を向けて、深々と頭を下げて笑って感謝をしたんですね。その時、彼との間の目線の出会いみたいなのがあって、その時私は何かほんとに言葉にし尽くせないんですけれども、〈人って、こういう瞬間のために生きるんだなぁ〉ということをとっても強く思ったんですね。それは同時に、今まで自分の生きてきた生き方というのは、いつも背中を押されて、〈私は、いっぱしのジャーナリストになるんだ、もっと凄い人になるんだ、何々になるんだ〉と背中を押されるという形で、いつも生きてきたような気がするんです。実は私はそこから自由になりたかったような気がするんです。けれでも、その瞬間にほんとに〈肩書きだとか、もっと凄い人になってとか、そんなことはどうでもいいことだなぁ〉と。そんなことよりも、〈もっともっと価値のあるのは、今ここで全然知らない子なんだけれども、その子との瞬間の交流、心の出会い、ぶっつかり合いによって生まれた喜びのために人は生きているんじゃないのかなぁ〉ということが、ほんとに電光石火のように全身を貫いたんですね。とても感動的な場面でした。その時私は、自分が今までズーッととらわれてきた生き方から自由になったなぁと思いましたね。
 
ナレーター:  メキシコで二年間暮らした森田さんは、日本への帰国途中、アメリカに立ち寄りました。偶然出会ったアメリカ先住民、ネーティブアメリカンの生き方に共感するものを感じたと言います。
 

 
森田:  ネーティブアメリカンの人たちと出会い、彼らの生き方とか、彼らが大切にしている価値観や思想に触れていく度に、〈あ、これが私が求めているものだ。私が凄く考えてきたことだ〉と凄く響くものを感じて、もっともっとネーティブアメリカンとのいろんな出来事に足を踏み込んでいくわけですね。
 
西橋:  その中で、ネーティブアメリカンの考え方の中で、「これが私の求めていたものだ」とおっしゃいましたけど、そういうものというのは、具体的に、どんなことがあるんですか。
 
森田:  私は、丸い円が凄く好きなんですよ。四角じゃなくて、円が好きです。ネーティブアメリカンの人たちにとって、「円の思想」というのは、例えばどの部族の人たちも、伝統的にはみんな丸い家を作るわけです。丸い家というのは、中に入ったら丸く坐るわけです。そうすると、教室型に坐るのと、丸く坐るというのは、人間の関係性って変わってきますよ。そういうことでもあるし、何か物事を決定する。とりわけ政治的なレベルで、社会的なレベルで何かを決定する時は、何を基準にして決めるのか、といったら、「今、この私たちの決定が、七世代先の子どもにとって、いいことになるか、ならないか。それを考えて決めるんだ」と。これがネーティブアメリカンの人たちの考え方です。七世代先を考えて決定しているんですね。
           
西橋:  何百年ということですね。
 
森田:  そうですね。「命というのは、人間の命だけではなくて、人間は人間だけでは生きられないんだ。草木から、水から、空から、葉っぱから、木から、全部命は円を描きながらみんな繋がっていく」と。それがなんと面白いことに、日本語でいうと、「ご縁」のほうの「縁」なんです。同じ音なんですけど、「円」と「縁」が同じ意味なんです。だから、アメリカの先住民の人たちは、「サークル」というのは、「All my relation」というんです。日本語でいうと「縁」なんです。日本語の、「ご縁がありましたね」「私とあなたは繋がっていますね、私とこの大地も繋がっていて縁があるんです」「たまたま同じ時代に生きた縁」などと言いますね。これは、彼らのとても重要な思想の中心で、その縁というのを、彼らの言葉でいうと、「All my relation(=縁)」という。その生命観というんでしょうか、生態系のすべてがみんな繋がり合ってはじめて、私のエネルギーがあり、私の命があり、そしてそれは七世代先に繋がっていき、七世代先はまたさらに七世代先に繋がっていく、という、そういう命。私もそういうふうに思ってきていました。それが彼らの生命観、価値観として、円という形で現されている。それが家の作り方にも、それから何かシンボルを作る時にも円を作るんです。そんなことで、彼らの中に私はどんどん入っていったことかなぁと思いますね。
 
ナレーター:  アメリカ先住民の権利を求めて活動するデニス・バンクスさんとの出会いも、森田さんに影響を与えました。太鼓という楽器を通して、生命の根源を見つめることになった、と言います。
 

 
森田:  バンクスさんはネーティブアメリカンのドラムを叩き、歌を歌い、そして若者たちを常にリードして、いろんな新しいアクションを提起していっていましたね。何かあると太鼓を持ち出して、太鼓って円でしょう、その周りにみんなが集まって、太鼓のリズムで歌を歌い、踊りを踊る。太鼓のリズムというのは、人の心臓の鼓動に呼応しますね。太鼓が持っている―人を動かし、心を動かし、人の心を繋ぐ、という力は、私たちが忘れてしまっているかも知れない「内にある原始の心であり、力だ」と思うんですね。それを太鼓を叩く中で思い起こしていく。今、私たちが生きているこの現在の社会というのは、便利さと物とに溢れている。なんかいっぱい着ぶくれしている、という感じですね。もっと着なきゃ、もっと学歴や肩書きを付けて、物ももっと入れて、もっと食べてという、どんどん自分の中に何か外からものを詰め込んでいく。そういう意味で、私たちの今の時代というのは病んでいるかなぁ、と思うんですね。また、私は、いろんな物語を子どもに太鼓を叩きながら、鈴を鳴らしながら、お話をするという、ストーリーテリングもよくやるんです。そういうことをするのは、着ぶくれしちゃったものを一つ一つ脱いでいく。もう要らないものを一つ一つ手放していく。詰め込みすぎてしまった知識や情報といったものは、もう自分の命の源に触れるものではないのです。そういうものよりは、むしろ太鼓の音、ドラムの響き、あるいは子供たちに語りかけていく昔ながらのいろんなお話をすることで自然の生命力に触れていく。太鼓というのは大地にしっかり足を踏ん張らないと叩けないですから、しっかりと踏み込み、大地の生命力を吸い上げて、それを太鼓に返していく、ということで、また円とも繋がっていくわけです。それこそグアテマラのバスの中で出会った子どもとの目線の火花の散り合いとも、どこか繋がっているなぁと思うんですね。まさにそういうことが、先ほどの「内なる力」であり、私の原動力になっていますね。
 

ナレーター:  その後、森田さんは、アメリカ人の牧師、リチャード・スティンソンさんと結婚、二人の男の子と一人の女の子の母となります。その頃、子どもへの暴力を防止するためのプログラム、CAP(Child Assault Prevention:子ども虐待防止)と出会いました。暴力や犯罪から、子どもが自分自身で身を守るためのプログラムです。森田さんは、そのプログラムの根本にある考えに、「エンパワメント(empowerment)」という言葉があり、それは「内なる力の回復」を意味することを知りました。
 

 
森田:  エンパワメントというのは、誰でもがみんな実は素晴らしい力を持って生まれている。でも、そういう力を、社会の環境の中で気が付かなかったり、あるいは凄く貶(おとし)められたり、傷付けられたりとかして、自分でも出せなかったりすることがよくある。このCAPのプログラムは、誰でも―子どももいろんな力を持っている。問題を解決する力もあるし、いろんな知恵がある。そういう内にある力に、もっともっと外から働きかけていく。そして、何よりもそのために必要なのは、「みんな一人一人にとっても大切な人権という生きる力の源があるんだよ。それを大切にしてね」と。もし誰かから虐められて、その人権という自分の生きる力の源が傷付けられそうになったら、「なんかできることある? それって何だろうね?」と一緒にロール・プレー(寸劇)をしたりして、参加型の学習で考えていくのが、この「CAP」というプログラムです。その話を聞いた時、すぐに思い出したのが、あのグアテマラで出会った少年だったんです。あの少年は、多分七歳か八歳か、彼はスペイン語も知らなかったんですよ、先住の子どもですから。でも、もの凄くたくさんの知恵を持って、必要な時に、それを発揮していた。
 
西橋:  森田さんを助けてくれたりね。
 
森田:  ええ、そんなふうに。子どもだから、何もできないから、常に私たちが守ってあげなきゃ、という関わり型じゃなくて、「子どもにもこんなことができる。そんなことができる」というのは、大人の支えがあるとできるんです。だから、大人は子どもを支えながら、子供たちにできることを活性化していく。そういう考え方がエンパワメントであり、とても響くものがありました。
 

ナレーター:  森田さんは、一九八五年に子どもへの暴力防止プログラム、CAPを日本に紹介しました。CAPは、一般の子どもを対象に、暴力や犯罪から自分で身を守るための方法を、劇やジェスチャ、そして対話などを通して教える参加型のプログラムです。
 

 
森田:  子供たちに、「みんな一人一人、とっても大切な、誰にも奪われてはならない人権という権利があるよね」と。そのことを、子どもにもわかるように、「安心・自信・自由」という言葉で教えていきます。四歳、五歳、六歳、幼稚園の子供たちは始めて聞く言葉ですよ。でも、それを、「みんなには安心というとっても大切なものがあるよ」と。それから自信、そして自由というとっても大切なものがあるよ、と言って、「安心」「自信」「自由」とこうジェスチャでやるんですよ、歌みたいに。そうすると、子供たちは一回で覚えます。「自分の安心∞自信∞自由=A大切にしていきたい。虐められた時、怖い時、殴られた時、暴力を振るわれた時、そういう時というのは安心じゃないよね。自分に自信がある、そういう時って? なくなっちゃうでしょう。もう嫌だ!といってね、やめて!という自由がある? もうそういう自由もないでしょう? だから、大切な安心∞自信∞自由≠取られちゃう。それを取られないようにするためにはね、どうしたらいいかね?」と言って、子供たちが出会う三つの典型的な暴力の場面を、決して恐くないような形でやるんです。こちらでやるんですね。子供たちが参加するわけじゃないですよ。その典型的な暴力の場面というのは、一番目は虐め場面です。子ども同士の暴力。二番目が、路上で知らない人から誘拐されそうになる。これは実は、数値的にはそんなに頻繁に起きていないです。でも、大人の人たちの不安が強いんです。
 
西橋:  報道されていますからね、たくさん。
 
森田:  ええ。だからこれも入れます。それから三番目は、きわめて頻繁に起きている子どもに対する虐待であり、暴力というのは、知っている人からの性的な暴力ですね。これはなかなか表面化しません。この三つの暴力を、決して恐くしないような形で、子供たちに見せて、「さっきの安心∞自信∞自由≠チてどうなっちゃった、この子は?」と言うと、すぐに子どもたちは、「取られちゃった!なくなっちゃった!」と言いますよ。「あの子、取られちゃったら大変よ!だってそれはあなたの生きる力なんだから。だからなくならないように、何ができるの?」って言って話し掛けていくんです。子供たちはいろんなことを言いますよ。「こういうことできる。ああいうできる」って。それを取り入れながら、こちらとしては準備している答えはあるんですよ。でも、子供たちの意見も取り入れていきます。準備している答えというのは、長年にわたって、暴力に対して効果的に回避する、逃げるためには、どういう方法が使えるのかという、もう何十年もの間に積み重ねられた知恵が生み出している方法があるんですね。それは英語でいうと簡単で分かり易いので、言いますと、「NO」「GO」「TELL」というんですね。「NO」というのは、そういう恐い思いをさせられそうになった、あるいは人権を取られそうになったら、何らかの形で、「止めて!」「NO!」「嫌だ!」、いろんな言い方があるわけですけれども、そういう対応をすることができるんだよ、というんですね。「そういうふうに対応しなさい」とは絶対言わないんですよ。「それもできるよ。嫌と言ってもいいよ」と。虐めをする劇では、上級生がやって来て、「お前、おれのカバンを持て!」とか、「五百円よこせ!」とか、いうわけですね。そうしたら子どもは何も言えないです、最初。当たり前ですよ。上級生が恐いですよ。だから言えない。言えない状況に対して「言いなさい」というのは、言えなかった子どもを凄く責める。でも、「言えるよ。言えなくたってあなたが悪いんじゃないよ」という、そこまでいうことがとても大切ですね。「GO」というのは、逃げるということです。でも、例えば性的な行為をされてしまう、その三番目の劇というのは、きわめて典型的な場面なんです。とてもいろんな優しい言葉を掛けられて、こんなふうに性的にやってくるので、だから逃げるという感じじゃないですね。例えば誘拐されそうになるんだったら、それは逃げるですわ。でも、知った人からの嫌な触り方をされた時は、「いつまでもそこにいなくてもいいよ」と。それも「GO」でしょう。「もうパッと立ち上がって、スースースッと行っちゃっても、全然失礼にならないよ」。でも子供たちの多くは、「そんなこと、この親戚のおじさん、凄く親切で、またお人形買ってくれた。お人形くれた代わりに触ってきた。スッと立ってプッと行っちゃったら失礼になる」と思って、そこに居続けるわけですよ、嫌なことをされても。「自分が恐いなとか、嫌だなとか、安心∞自信∞自由≠ェなくなりそう、と思ったら、「嫌!」といってもいいし、それから立ち上がって行っちゃってもいいよ。或いは走って逃げていってもいいんだよ」と。これ「GO」なんです。でも、「それもできない時もあるよね、恐くて、身動きできなくて。できなかったからといったって、あなたが悪いんじゃないよ」と。最後は「TELL」でしょう。「TELL」というのは、「そういうことがあったらね、きっと誰か信頼できる人に話してね」と。これは、「しなくてもいいよ」と言わないんです。これは最後の砦ですから。だから、「NO≠烽ナきないこともあり、GO≠烽ナきないこともあったかも知れない。それもいいけれども、誰かにそれを話して」と。それを、今度は話を聞いてくれる大人が周りにつかないといけないんですね。だからそういう子どもたちにできることの最初の一歩というのは、「聴く」ということなんです。耳を傾ける。大人が耳を傾ける。でも子どもは、聞いてくれそうな大人にしか言わないんですよ。なんか言ったら、自分が責められそうだったら、「別に何にもないよ。自分虐められていないよ」という形で言うてくれないんですね。だから、常日頃、子どもに話を聴くという姿勢を、周りの大人たちは見せているということが大切ですね。でも、大人って―親も、しばしば教師も、聴くよりは言いたくなっちゃうんです。助言してあげる。「こうしたら」「ああしたら」「だめじゃない、それ」とか教えてあげようとする。それよりも、ただ聞きましょうという、そのほうがずっと子どもにとっては助けになるわけですね。その時の聞き方というのもあるんですよ。それで私はあちこちでこういうような話を呼ばれていく時に、「門構えの聞く≠ナやるんじゃないです」と。それから「尋ねる≠じゃないです」と。「何かあったの」「どうしたんだ」「何があったんだ」と言われたら、なかなか傷付いている子どもたちは―大人もそうですけど―言えないですよ。だから、尋ねるではなくて、聴いてほしい」と。「聴」の字の「聴く」です。「聴」は「耳偏に十四の心」と書いてあるように見えるんですよ。そういう語源ではないんですけれども「まさにそのように聴いてほしいと、お話をしているんです。耳をしっかり傾けて、相手の十四のさまざまな心、時には相反する気持であったりするんですけれども、それでもただただ聴いてあげてください」と。例えば虐待を家で受けている子どもなんかは、多くの子どもは、虐待をしてくる親、とても好きなんですよ。恐い、嫌だ。でも大切な親です。そして、二十四時間殴っているわけじゃないですからね。もしかしたら、週に二回ぐらい、びゅーんと凄い勢いで、暴力、あるいは暴言が出されるけど、他の時はとても優しくて、大好きなお父さん、お母さん。そういう子どもにとって、凄く相反する感情がありますよ。それをも含めて、「そうだね、そんな気持だよね、恐いよね。でもとてもお母さん大好きだね。お父さんもそうだよね」って、いう形でこう十四ものさまざまな心を受け止めていく、という聞き方をしないと、子どものほうは、「ああ、また責められちゃう。また怒られちゃう」。「あなた、さっき、お父さんのことを大嫌いだといったじゃない。どうして今度好きだっていうの」とか言われたら、説明のしようがないですよ。そう思うと、「どうせわかってもらえない」と、言わなくなってしまうんですね。でも、子どもの周りに、話をしっかり聞いてくれる大人たちが、私はもっともっと増えていったら、子どもの虐待問題というのは、非常に効果的な形で解決していくと思うんです。「CAP」というのは、子どものワークショップをやるためには、必ず大人のワークショップというのもやるんですよ。教職員、PTA、親たちにやる。それをしてこなかったら、子どもに、「はい、大人の人に相談してね」と言ったら随分無責任な話ですよ。受け皿がないのに言っている。だから、それをやらなければ、子どものワークショップはできません、というルールになっている。その大人たちへのワークショップの中で、「子どもたちにこんなことを教えますよ。人権というのは私たちはこんなふうに考えています。そして、大人たちもこういうふうに聞いてください。聞ける人になってください。こんなサインを子どもは発しますよ」ということを伝えていくんです。このプログラムはエンパワメントという子供たちの内にある力といったものを活用していく、そういうプログラムです。
 
西橋:  そぅいう意味では、「うおーっ!」という声を出しなさいとか、
 
森田:  「NO」「GO」「TELL」の、「NO」の一つとして、「もし道端で、とても恐い目に遭いそうになったら、特別な叫び声を出そう」といって、それを教えます。相手にビックリさせるという意味で、お腹の底から―いわゆる空手とか、合気道なんかでパッと気合いを出しますでしょう。その考え方と同じなんですよ―それをやるんですね。自分の中に、自分の内に安心を作ろう、というのが、エンパワメントという考え方です。外に安心―例えば防犯ベル、防犯カメラ、警備員の方たち、ロック、そういうものも必要な時は必要です。でも、そればかりに頼るのでは本当の安心は得られないですね。自分の内に安心をつくっていく。その一つは、特別な叫び声であり、その確信は、私は大切な人ですと。そんなことを止めてくださいよ、と思える人権の感覚ですね。それをこの「CAP」のプログラムは、「安心・自信・自由だよね!」と言って、四歳の子どもにも、「安心∞自信∞自由′して取られたくないよね、大切にしていってね、他の人も大切にしたいね」というふうに伝えていきます。
 
ナレーター:  森田さんは、五年前、虐待をしてしまう親の心の回復を支援するためのプログラム、「MY TREE ペアレンツ・プログラム」を開発しました。虐待をしている親たちが、少人数のグループで、ともに学び、苦しさを語り合う中で、暴力によらない子どもとの関係を築くというものです。
 

 
森田:  アメリカで子どもの虐待の問題に関わっていた頃から、虐待している親たちに、子育てのノーハウを教えてもあまり効果はないです。というのは、虐待している親たちは、子育てのノーハウを知らないから虐待をしているわけじゃないよ。もっともっと全人間としての大きなまるごとの人間として、大きな悲しみや痛みや、そういうものを抱え込んだまま生きていて、親がですね、そこにいろんな他の人によって、さまざまな様相です。ある人は精神的な問題もある。ある人は一気に凄いストレスができた。ある人は家庭の中で、その人自身がまた夫から暴力を受けているとか、あるいは嫁姑のもの凄い確執の中で生きているとか、そういう一人の人間として―親としてだけじゃなくて、妻として夫として、嫁として、いろんな存在の集合として、子どもに虐待がいってしまっている、と。そういう人に「もっといい親になりなさい」というアプローチでは、これは効果はないです。だからもっと全体の人間、それこそ生きる命の中心から触れていくようなプログラムが必要だ、と私はアメリカにいた時からずーっと思っていました。それで、そういうものを作っていかなければと、五年前にこのプログラムを開発したんです。プログラムの半分はいろんなことを、参加しながら学んでいって頂きます。残りの半分は、自分をどんどん語っていく。その学習の中で、たくさん自然に触れるとか、自然のシンボルとか、そういったものを使っていきますね。だから「MY TREE」という名前は「私の木」。「木」というのは、多くの人が「命」を連想する「命のシンボル」として使われることが多いですね。だから、プログラムの最初のセッションで、「木の絵を描いてください」と。それぞれ何でもいい、自分の木の絵を描きます。そして、それをみんなに見せて、「何でこんな絵を描いたか、これは何なのか」ということを語って頂きます。別にそれで心理分析をするということでは全然ないんです。一人一人が自分が描いた絵、その木というのは大地に根を張っていく。それと同時に、あなたも根を張っていかれる、と。毎回ちょっとした気功とか太極拳をやり、呼吸法を一緒にやる。そういう時間を十五分ぐらい持ちまして、そういう呼吸する中で、自分が大地に、木が根をはっていく、というようなイメージで、木のイメージとオーバーラップしていきます。子どもに大変な虐待をしてしまっている方たちは、精神的にも不安定な状態にある方もおられます。そうすると、その地に根を張るということは、時にはとても助けられることなんですね。
 
西橋:  大人が暴力を振るう心理というのはどういうことなんでしょう。
 
森田:  暴力を振るわせてしまうような怒りというのは、実は「二次的な怒り」と言いまして、「怒りは仮面」に過ぎないんですよ。仮面ですから裏側の顔があるわけですよ。裏側の顔はどんな顔をしているかというと、怒りの顔というのは、怒っている顔でしょう。でも、その裏側にある本当の顔というのは、シューンとして泣いていたり、どうせ自分なんかダメだ、って思っていたりとか、恐怖に戦いていたりとか、寂しくて堪らなかったり、そういう感情なんですね。その感情が本当の感情なんですよ。でも、その感情がずーっと積み重ねられて、時にはトラウマ(心的後遺症)にすらなっている。あるいはその感情を、一度も表現することができていない。口惜しい、悲しい、恐い、ずーっと押さえつけられている。自分なんかどうせダメなんだ、という―先ほどのCAPの「安心・自信・自由」でいえば、安心、自信・自由がいろんな形で脅かされているそのまんまの状態で、裏側に貼り付いている、そういう感情がなんかのきっかけで刺激されると爆発するんですね。それはすぐ応急手当をしないと、身体的な怪我も深刻になって、本格的な手当が大変になりますね。心の手当の場合もそうです。それほど人間って、身体が白血球を持ってバイ菌を排除するのと同じように、心も非常に強い回復の力を持っているわけです。でも、その回復の力というのは、怪我されたら手当をしておけば活性化していく、と同じように心の応急手当が必要です。具体的に先ほど言った、「耳を傾け、十四もの心をただそのまま聴きましょう」ということです。誰かが、「そうだったんだね。そんなに恐かったんだ。そんなに寂しかったんだね」って、言ってくれた時に、サッと流れ出すんですよ。抱え込んでいた不快な感情がみんなサッと流れ出していってもう大丈夫になりますよ。自分が何らかのいろんな傷を負っている、悲しみを負っている、それに気が付き、それをこの場で語っていくことで、流れていく。その分健康になっていきます。その分怒りの仮面が少し怒りの顔がなおっていく。そんなようなこともこの「MY TREE ペアレンツ・プログラム」ではします。ですから、このプログラムは、外から「こういうふうにあなたを変えてあげますよ、治療してあげますよ、教えてあげますよ」というのではなくて、エンパワメントというその人たち本人が自分の内に持っているものを活性化していく。自分で活性化していく、という手法、方法をとっているんです。
 

ナレーター:  虐待や暴力の防止のために、さまざまな活動を行ってきた森田さんは、新しく「家族えん会議」という試みを始めました。当事者である家族やコミュニティーの力を活用して問題を解決する取り組みです。
 

 
森田:  子どもへ深刻な虐待をしている親たちに対して、子どもを離し、親戚の人に預けるとか、あるいは親と一緒に住みながら訪問して様子を見ていくとか、いろんな措置が、児童相談所などでされていくわけですね。そういう家庭の子どもと親を、どうして暮らしていくのかみたいな決定を、児童相談所がするわけです。でも、その相談のプロセスに、地域のいろんなネットワーク―例えば学校の先生、保育士さん、警察の方たち、そういう人たちが集まって、「どうしようか」という会合はあっても、当事者は参加できないんです。それに対して、この十五年ぐらいの間に、ニュージーランドやカナダなどから始まったんですけれども、もっと当事者の人たち、それから当事者の周りにいる家族、知り合いや地域の人、その子どものことを気にかけている人たち、そういう人たちの力を活用していくことができないだろうか、という動きが始まっていきます。それはどういう方法かといいますと、その子どもの措置の決定に、当事者の人たちに参加してもらう。そういう円を作った会合を開くんですよ。
 
西橋:  まさにその円型で会合するという、
 
森田:  そうです。円型で会合するんです。そこには勿論、日本で言ったら児童相談所の関係者の方が来られます。でも、家族の人たちに来てもらうんです。あるいは拡大家族ですね。それから教会の牧師さんとか、そのコミュニティーの人たちです。その子どもと家族のことを気にしている人たちにも来てもらうんです。そこで訓練を受けた進行役の人が、効果的な話を進めるシナリオに沿って話を進めていきます。そして、「家族がどうするのか」ということを決めていくんです。そうすることで、癒しをもたらしていこう、切れてしまった関係性を取り繕っていこう、ということです。これはもう非常に応用範囲が広いので、例えば今虐めの問題が随分言われていますけれども、学校で子どもが虐めをした。何回もした。もうそんな虐めをする子は学校から追い出しましょう、みたいなことが言われる。しかし、その子はどっかに行って、またするかも知れない。だから、そういうことは効果がないわけですよ。それよりも、そういうことがあったら、「家族えん会議」を開きましょう、と。
 
西橋:  「家族えん会議」の「えん」は、今森田さんたちが平仮名ですよね。
 
森田:  平仮名なんです。家族「えん」と、平仮名を使います。
 
西橋:  この平仮名の「えん」の意味は?
 
森田:  「えん」って、サークルの「円」であり、「ご縁」の「縁」ですね。縁ある人たちが集まって来て丸く坐って、問題の解決のために、自分は何ができるだろうか。「学校の責任だ、親の責任だ」と言うんではなくて、どんな小さなことでもいいから、「私は何かできるか」ということを語り合う。「ただ電話で話を聞いてあげることぐらいしかできないかも知れない。それが私のできることです」、それでもいいんですよ。「自分が何かできるか」ということを語っていきます。この「家族えん会議」―この名称が、私は一番適切だと思います。ご縁を使っていく。関係性を作り直していく。これを私は今後エンパワメントセンターの人たちと一緒に、会合の進行役の人たちをどんどん養成していって、学校で、保育所で、企業の中で、児童相談所で、福祉事務所で、いろんなところで展開していって頂きたいなあと思うんですね。
 
西橋:  エンパワメントの「エン」も、
 
森田:  そうですね。そういう意味合いもあるんです。何故かと言ったら、先ほどの「MY TREE」は親へのエンパワメントだったんですけれども、「家族えん会議」は家族全体、コミュニティーが自分たちの問題を解決していく。裁判所が、福祉事務所が、どこどこが問題を解決していくんではない、ということですね。
 

 
ナレーター:  虐待、虐め、家庭内暴力、さまざまな暴力が溢れている現代の社会。暴力の連鎖から生まれる不安が、世の中に蔓延しつつある状況に、森田さんは強い危惧を感じています。
 

 
森田:  不安という感情なんですけれども、虐待の問題、ドメスティック・バイオレンスの問題、こういう暴力の問題に関わっていると、その感情というのは一つのキー(鍵)になる感情なんです。怒りと不安というのは、私たちこの分野にいる人間にとっては、とても大きな意味を持つ感情です。不安というのは、まずとっても危険な感情だ、と是非みなさんにも知って頂きたいと思うんです。何故かと言ったら、不安って、誰かが不安になると伝染するんですよ。急速に伝染します。どっかでああいう事件が起きた、というと、なんかわからないけど不安になってしまう。伝染性が非常に強いんですね。そういう意味で危険です。もう一つ不安というのは、人は不安に圧倒されちゃうと、思考が停止するんです。ほんとにいろいろ考えて、こんなバカなことをしてはしようがないなぁと思っていても、不安に圧倒されると、もうそうするしかないや、という形で、いい行動判断ができなくなります。そういったいろんな危険性を孕んでいることが、今、私は情報社会の中で実際に起きているなあと思っています。
 
西橋:  私たちの社会には今もたくさんな、さまざまな暴力があるわけですけれども、そういう暴力を少しでも減らしていく。少なくしていくために、私たち一人一人にできることはどんなことだというふうに、森田さんはお考えになりますか。
 
森田:  一つは、暴力に対する対応というのがあまりにも外に安心を求めようとする。例えば防犯カメラを付ける。学校はオートロック化してもう放課後は遊べない。路上に不審者がいないかと監視員が出る、警備員だとか、そういうものというのは、みんな自分の外に安心を求めて、そこに頼ろうとすることですね。そういったものは必要ないと言っているわけではないんですけれども、効果的な安心を作り出すものというのは、内に安心をつくることです。内に安心をつくることの確信というのは、「私はとても大切な人です、あなたも大切な人ですね」とこういうのが人権ということなんですよ。人権とは、「私は大切な人です。勿論あなたも大切な人です。あなたも自分を大切にしてくださいよ。私は大切な人だから、不当なことは止めてくださいよ」ということですね。そういう内に生きる力としての人権、それを軸にした時に安心というのを自分の内にそなえていくことができる。そういうのは、「CAP」のプログラムでは、具体的に声を出してするとか、という話になってきますね。今、社会が、「安心、安全のために」とか、「子どもの安全のために」と、「安心」「安全」という言葉が流行(はやり)言葉になっています。「安心、安全」を言ったら、どのようなことも許されるてしまうような社会になっているのは、不安が凄く膨大して、子どもに対する不安も、それから経済的な不安も、もしかすると、テロリストって襲ってくるのかしら、という不安も、そういったいろんな不安が、私たちのわけのわからないところで組織化されていて、そして管理の目が張りめぐらされている。そういう状況というのはとても心配です。何故心配かというと、今まで日本の歴史でも、他の国の歴史でも、そういう社会状況の中で戦争というものに滑り込んでいくということが繰り返されてきているので、そんなふうになっていかないようにしていかなければならないなと思っています。
 
西橋:  「最大の暴力は戦争」というふうに、森田さんはおっしゃる。
 
森田:  そうですね。最大の子どもへの虐待は、何よりも戦争です。彼らの選択も未来も奪っていく。そして、戦争が起こったら一番最初に数多く傷付いていくのは子供たちです。親が亡くなってしまう、居なくなってしまう。子供たち自身もたくさん死んでいきます。最大の人権侵害は戦争です。人は、「誰か助けてください」と言って、大きな力に、何でもいいから、この不安から解除してください、と外に安心を求めようとしてきますね。そうであるからこそ、私たち自分の内に安心を、それ一人でやっていくのはとても大変ですから、だから誰か隣にいる人、家族の中で、仲間のうちで、その内なる安心を語り合う、あるいはそれこそ、「不安だよね」という不安を口に出してみる。そういう内なる安心を、お互い同士が作っていく、いわば内なる安心の組織化というか、そうする努力。一人で孤立していたら、それはとても大変です。あなたも安心をもって、あっちこっちにもそういう人がいる。そういうことをしていく必要があると思うんです。そういう時に、鍵になるのは、私の物語を話す、私の個人的な話です。あなたの個人的な話を話す。そういう場というのはとても大切だと思うんですね。虐待の被害を受けてきた方たち、ドメスティック・バイオレンスの被害を、暴力を受けてきた方たちにとって、もっとも大切な癒しの場は、自分のストーリーを話せる場なんです。そして、一人の人のストーリーを聴く場ですよ。その時に、私に起きた出来事、私の悲しみ、私の怖さ、私の喜び、そのストーリーが、誰かが語ったストーリーと一緒になって、私たちの物語になるんですね。その時の力というのは大変なものだと思います。私は、一人の人の出会った自分のストーリーと他の人のストーリーが出会って、ああ、私たち共通することがあるんだね。私たちお互いに持っている力あるんだね、って思えた時の、そのなんか力のフュージョン=融合・結合というんですか、というのは、もしかしたら、あらゆる武器よりも、あらゆる兵器よりも、大きな意味ある力じゃないのかなぁと思います。私は、そういう出会いがもたらしていく、そして私のストーリーとあなたのストーリーが出会っていく、その力を信じています。
 
     これは、平成十八年十二月十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである