木と話し 人を育てる
 
                         宮大工 小 川  三 夫(みつお)
昭和二十二(一九四七)年、栃木県生まれ。四十一年、栃木県立氏家高等学校卒業。卒業直後、西岡常一棟梁の門を叩くが断られる。飯山の仏壇屋、日御碕神社、酒垂神社で修業をしたあと、四十四年、西岡棟梁の内弟子となる。法輪寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔の再建に副棟梁として活躍。五十二年、鵤工舎を設立。鵤工舎舎主。著書に「不揃いの木を汲む」「木のいのち木のこころ」地篇は、西岡棟梁が著した天篇とともに大きな反響を巻き起こした。
                         ききて 西 橋  正 泰
 
西橋:  奈良・斑鳩の里、法隆寺の近くの法輪寺(ほうりんじ)にお邪魔しています。今日はお寺や神社の建築修理に携わる宮大工の小川三夫さんにお話を聞きます。小川さんはこの道もう四十年近くになります。若き法隆寺の宮大工西岡常一(にしおかつねかず)(1908-1995)さんに弟子入りして、最初に手掛けた仕事がこの法輪寺の三重塔の建築でした。
 

 
ナレーター:  奈良・斑鳩(いかるが)町にある法輪寺。飛鳥時代七世紀初めに建立されたとされる寺院です。法輪寺の三重塔は、飛鳥時代の様式を伝える貴重な建物でしたが、昭和十九年、落雷で焼失しました。戦後、地元の人々や作家の幸田文(こうだあや)さんなど多くの人々の努力によって、昭和五十年に再建されました。工事の棟梁(とうりょう)は宮大工西岡常一さんでした。その西岡さんが育てたただ一人の内弟子が小川三夫さんです。
 

 
西橋:  小川さん、この立派な三重塔は、小川さんがお若い頃に西岡常一棟梁から、「お前がやれ」と言われた最初の仕事なんだそうですね。
 
小川:  そうですね。しかしその時は、西岡棟梁はちょうど薬師寺の金堂をやっていましたから、手が抜けられないんで、「俺の代わりにお前やってくれ」ということで。棟梁が居ればちゃんと棟梁がやりましたよ。
 
西橋:  これ、完成した時は嬉しかったでしょう。
小川:  う〜ん。みなさん、そう言いますけどね、完成するという時には、これはこの塔を作るために、足場作ったりして、外から見えないんですよ。覆ってしまってあるんですよ。それが大体出来たので素屋根(すやね)を上からズーッとはずしていくわけですよ。そうすると、その素屋根から上の方が少しずつ少しずつ見えてくるわけですわ。
 
西橋:  なるほど。見えてきた。どうでしょう?
 
小川:  見えた時に―まだ三重目の屋根だけが見えた時なんですけれども、ちょうどその時に終わったから帰ろうと思って、田圃道から振り返ったら、三重の軒の反りが凄く反っているんですよ。ああ、これはこれで失敗したな、と思いましたよ。
 
西橋:  そのように反るように作ったんじゃないですか?
 
小川:  いや。それはですね、軒の反りというのは一番気になるところなんですね。美しい反りでなくちゃいけないんです。しかしそれだけが気になっていたんでしょうな。そして作っている時には、それが見えないんですよ、覆いに屋根が隠れて。それがはずれた時に、ギューッと反ってしまっているんですよ。もの凄く反ったように見えたんですね。それだから失敗したなと思って、ほんまにその夜は眠れなかったですね。
 
西橋:  反りが強すぎて見えた?
 
小川:  強すぎたように見えたんですね。これは鑿(のみ)で腹かっさばらなきゃならないかな、とこう思ったですよ。しかし、次の朝来た時に、いやぁ奇麗な線に見えたんですよ。やっぱり気になって気になっていたからでしょうな。まあこれで大丈夫と思ったわけですよ。
 
西橋:  ホッとしましたね。
 
小川:  ホッとしますよ。それがだんだん素屋根が抜けて全部見えてきた。そして全部はずしたらですね、これは美しいというよりも、もうそれからはこの建物に対して手を加えてあげることは出来ないわけですよ。ですから、一日も長生きしてくれ、というような祈りの気持ですね。だから嬉しいとか、そういうことはないですね。何があっても倒れないように我慢せ、建っていてくれ、というようなもんですよ。
 
西橋:  小川さんが宮大工を志したのは、ご出身の栃木県から修学旅行で、すぐこの近くの法隆寺に来られた。そのことがきっかけだそうですね。
 
小川:  そうです。その時に法隆寺を案内してくれた方が、「この塔は千三百年前に建ったものですよ」と言われた時に、この大きな材料、塔の上の宝輪(ほうりん)、千三百年前、どうして運んで来たのか、と思っているうちに、あ、この仕事をやったらいいんではないかなあ、と思ってきたんですね。
 
西橋:  珍しいですね。高校生の修学旅行で、法隆寺の五重塔を見て、こういう仕事を自分でやろうと思う少年はなかなかいないんじゃないですかね。
 
小川:  そんなことないでしょう。自分はそれほど学校の成績が良くなかったから一生懸命そういうことを考えたんじゃないですか。人と違うようなことをしなくちゃならない、と。しかし、さすがにその時に、これが良い、と。ちょうどその頃は、ロケットが月に飛ぶような時代でして、ロケットが月に当たるということは、一キロ先の蠅の目玉にものを当てるようなもんだ、と言っていましたよ。しかしその仕事をやるということはたくさんのデータを揃えてから事に当たるんですよ。しかし法隆寺の五重塔は作ろうと思う信念で作りあげたような気がしますから、そっちの血と汗を学んだほうが、これはずっと良いんではないかと思って、そっちを選んだわけです。
 
西橋:  データを積み重ねてやる仕事はあるだろうけれども、自分にはこの法隆寺の塔を作った人の信念を学ぼうと、
 
小川:  そうですね。
 
西橋:  そういうものを仕事にしたい、と。
 
小川:  そういう信念さえあれば、どんな世の中でも生きていける、と思ったわけです。それで法隆寺の塔を作った工人の血と汗を学んだほうがいいんではないかと思って、宮大工を目指したわけです。しかし、自分は生まれが栃木県なんで、法隆寺に大工さんが居るのか、居ないかも、そんなことは全然わかりませんでしたね。
 
西橋:  「宮大工」なんていう言葉もわからない?
 
小川:  わかりませんでしたね。それで卒業する一ヶ月ぐらい前、昭和四十一年の二月です、ここに来て、
 
西橋:  こちらへ来て、今度は一人で?
 
小川:  そうです。来たらちょうど大工さんが二人居て、そこで西岡棟梁に会って、「こういう仕事をしたいんですけれども」と言ったところ、まだ十八なんですけども、「年齢が長(た)けすぎる」といわれた。
 
西橋:  もう年齢が行き過ぎていると?
 
小川:  はい。それと、「今は仕事がない」という、二つの理由で断られてしまったんです。
 
西橋:  弟子入りを断られた、西岡棟梁に。
 
小川:  はい。
 
西橋:  どうされました?
 
小川:  断られた。しょうがないですから。西岡棟梁は、「どうしてもやりたいんだったら、文部省へ紹介状を書いてやるから」と言ってくれたんですが、文部省へ行っても大工を養成する機関ではないからね。それで行くとこがなかって、それで飯山(いいやま)というところに仏壇を作っているところがあるんですよ。仏壇を作ればちょっとでも宮大工に近い道ではないかと思って、そこへ修業に行きましたね。
 
西橋:  長野県の?
 
小川:  長野県の飯山ですね。そこで一年間修業して、また法隆寺へ来たんですよ。法隆寺に来たらば、今度は「島根県の日御碕(ひのみさき)というところに図面描きの仕事があるので、じゃ、そこへ行くか」と言われたんですね。図面描きに行きました。図面を描くいっても、自分はそういう学校も出ていないし、何にもわからない。ですから普通の技師の方であれば三ヶ月ぐらいで仕事が終わると思います。しかし自分は一年半かかりましたね。
 
西橋:  その図面を描くのに?
 
小川:  図面描くだけで。見よう見まねで描くんですから。それはしょうがないですわな。それが終わって、その図面を文部省に報告することができましたよ。その次ぎに今度、兵庫県の豊岡というところに神社の解体修理があったんです。そこへ人夫として行っていました。自分は何にもないですから。その時に、三ヶ月ぐらいして西岡棟梁からから手紙が来て、「奈良の法輪寺というところで、これから三重塔の工事がある。お前一人ぐらいならば来てもよろしい」というのが来たんです。ですから西岡棟梁を初めて訪ねてからまる三年経った四年目の春に、「法隆寺へ来てもよろしい」という手紙が来たんです。
 
西橋:  そうですか。でも、西岡常一棟梁は、小川さんのことをどっかでいつも気にかけていてくださったんですね。
 
小川:  そうでしょうね。自分も「今はこういう仕事をしています。こういうとこで仕事をしています」と、行き先は全部知らせておきましたから、その時手紙がきたんです。
 
西橋:  そうですか。そうしてこの現場でこの塔を建てることになるわけですけど、でも一番最初に修学旅行で見た法隆寺の五重塔の美しさというか、そういうものに惹(ひ)かれたんですか。
 
小川:  まあ美しさとか、そういうものもありましたけれども、ようこういうものを建てたな、と思ったわけですわ。
 
西橋:  千何百年も前に、その信念で、
 
小川:  建てあげる信念を学んだらいいんではないか、と思ったわけですよ。
 
西橋:  小川さん、西岡棟梁のところに最初に弟子入りされた時に、「テレビなんか見ちゃいけない」と言われたんだそうですね。
 
小川:  そうです。法隆寺に来た時に、まず最初に「道具を見せなさい」と言われたんですね。
 
西橋:  自分の道具を見せなさい、と。
 
小川:  そうでしょうね。それは大工として来るんですから、職人が見れば大工の力量はわかりますわ。「道具を見せなさい」と。道具を見せたんですよ。道具箱を開けて見せたら、鑿を取って、ぽっと投げられましたな。
 
西橋:  そうですか。
 
小川:  こんなんでは使い物にならん、ということでしょう。次ぎに、「納屋の掃除をしなさい」と言われました。納屋に上って見ると、この塔の引きかけの図面がありました。西岡棟梁の大工道具が置いてあります。それを見てもよろしい、ということでしょうね。
 
西橋:  「納屋の掃除をしなさい」ということは、道具を見てもいい、と。
 
小川:  そうです。それで、自分は弟子入りが許されたんだな、と思いましたよ。西岡棟梁という人は、「お前を弟子にする」ということは一言も言ったことないですね。弟子だとか、そんなのないです。「納屋の掃除をせ」、それでもう気が付きなさい、ということでしょうね。それでその夜に、「これから一年間は、テレビ、新聞、ラジオ、そういうものに一切目をくれてはいけない。刃物研ぎだけをしなさい」ということです。
 
西橋:  そうですか。新聞も?
 
小川:  世の中のことなど一切気を付けてはいけない、ということですね。そういう教えですわ。
 
西橋:  気持をもう刃物一本に、
 
小川:  そうですね。「刃を研ぎなさい」というだけでしたね。
 
西橋:  それ守りました?
 
小川:  守りましたよ、自分は。ちゃんと一年間というか、刃物研ぎだけをずっとしましたね。「毎日、夜、刃物を研ぎなさい」と言われていて、毎日毎日刃物研いでいた。そうしたら三ヶ月ぐらいした時に、棟梁が納屋に上って来てくれて、鉋をかけてくれる。「鉋屑というものはこういうもんだ」と見せてくれたんです。その鉋屑はほんとに真綿を広げたような、向こうが透けて見えるような鉋屑ですよ。薄いんです。ですからその鉋屑をもらって、窓ガラスに貼って、そういう鉋屑が出るようになるまで研いでは削り、研いでは削りの練習をするわけです。西岡棟梁と二十何年間ずーっと一緒にいました。しかし何にも教えてくれません。その鉋屑一枚、手本を示してくれた。「こういうもんだ」と言ってくれたのは、その鉋屑一枚ですわ、いまだかって。後は何にも指導というか、教えてくれたものはないですね。しかし一緒に棟梁の家に住んで、一緒の空気を吸って、一緒の飯を食べて、一緒のところに寝て、毎日毎日通ってくるわけですから、そういう間にいろんなことが身に付く、ということでしょうな、自然に。
 
西橋:  学ぶ気さえあれば。
 
小川:  そうそう。そうでしょうな。そう思います。だから何にも教えてくれないのは、自分たちの仕事でしょうな。自分が西岡に居た時に、西岡の次男で賢二(けんじ)さんというのがいるんですね。賢ちゃんが来て、あんまり独りでいるから誘ってくれたわけです。勉強かなんか知らんけど、「日曜日に浄瑠璃寺に見学に行こう」ということで行ったんですよ。そして帰って来たら、西岡棟梁が草を刈っているわけです。畑の草をですね。その草の刈り方はまったく違うんですな。怒りに満ちて刈っているんですよ、カッカッカッと。 
 
西橋:  怒りの表現をしているわけですね。
 
小川:  そう。何故かというと、「お前はまだ建物を見に行っても見る目がない。見る目がないのに、何故行った」ということですわ。「それだけ暇があるんだったらば、刃物を研ぎなさい」ということだな。それから一切行きませんよ。どこにも行かなかったな。
 
西橋:  さっき「納屋の掃除をしなさい」と言われた。納屋には西岡棟梁の道具がある。ご覧になったんですか?
 
小川:  はい。今、西岡棟梁の道具が残っております。その道具を見ると、やっぱり自分たちでは道具の味というんですか、そういうものが出せないですね。西岡棟梁の道具は、今でも現場に行っても使える、というような身構えでいますよ、道具自身が。
西橋:  身構えている?
 
小川:  道具が身構えていますね。自分たちの道具は一週間も使わなかったら、ほんとにぼぉっとしてしまいますよ、見た瞬間が。そういうものですね。昔の人の道具というのはですね。
西橋:  もう西岡棟梁が亡くなってから?
 
小川:  もう十年になりますね。十年経っても身構えています、凄いですね、道具はね。そういう味は自分たちの道具では出せませんな。やっぱり西岡棟梁の、それは魂というか、そういうもんなんでしょうな。自分たちが思えるのには、自分たちはほんとに苦しくなった時には、電気道具とか、いろんなそういうものを使ってしまいますよ。しかしそれに耐えて使いこなされた道具というものには、もうやっぱり魂が入りますよ。その道具はそれが全然違いますね、自分たちとはですね。ですから西岡棟梁という人は、「最後の宮大工棟梁、西岡常一」と、よう言われますよ、世の中に。しかし、最後の宮大工棟梁と言ったら、私も宮大工やっているんだから、「最後ではない」という人もたくさんいると思います。けれども、西岡棟梁という人は、古代工人の魂と技を学んだ人ですよ、持った人ですよね。技は自分たちも一生懸命やれば、そこに近づくレベルになるかも知れない。けれども、魂は全然ダメですね。どんなにやったって、棟梁のその魂というか、気持というか、そこまでには達しない、と思いますね、自分たちは。それだけやっぱり凄い人だった、と思いますね。道具自体もそのように見えますわ。
 
西橋:  小川さんの道具もお持ち頂きました。ちょっと見せて頂けますか。
 
小川:  これが槍鉋(やりかんな)というものなんです。この法輪寺の三重塔は、これでみんな仕上げてあるんです。最後に仕上げるものがこれなんですね。よう見ると、こうバァッと模様になっているような感じがします、横からみるとですね。これで仕上げるんですよ。今は台鉋で仕上げますけども、昔は台鉋がなかったので、槍鉋で仕上げたわけですね。ちょっと削ってみますね。
 
西橋:  お願いします。・・・よく削れますね。
 
小川:  そうですね。こういうような笹の葉で屑ってあるようなもんですから、横から見ると、こう波が打って、柔らかく見えるんですね。
 
西橋:  波うっていますね。
 
小川:  それが日の光なんか当たると、さぁ〜っとさざ波のようになって、で木造建築なんかは柔らかく感じるわけです。
 
西橋:  なるほど。工人にとって道具というのはなんですか?
 
小川:  やっぱり爪で削れないんですから、爪で削れれば道具は持たなくてもいいんですけども、これでは削れないんですから、手、指の延長でしょうな。ですから、自分の指を大切にするように、道具も大切にしなくちゃいけませんね。穴を手で叩いて、穴が彫れるんであれば、鑿という道具は持たなくてもいいわけですよ。しかしそうじゃないから、それを持って仕事をするという。こういう道具は簡単ですよ、単純ですよ。今の機械というのは複雑ですよ。複雑な道具は一種類の仕事しか出来ません。こういう単純な道具はいろんなことが出来ますよ。削ったり、穴を開けたり、単純であれば単純であるほど、道具というのは使い道があるというようなことですね。それは自分が工夫しますから、こっちで手は。機械は自分の手が入りませんからね。そのような感じがします。ですからこの手道具をたくさん使わなくちゃいけない、ということですね。ですから、今のように簡単に物を作るとなると、機械を上手く使う人はできるかも知れないですけども、やはり自分たちの世界は、手道具を使いこなした後に、機械を使うと上手く使いますね。ですから、機械を先に使わして、仕事を教えたらダメですね。これだって、物を削るのにもやっぱり何ヶ月もかかかりますよ、削れるようになるのに。しかし、これを研ぐということになると、もっとかかりますね。一、二年はかかりますね、奇麗に研げるようになるまでには。やっぱりそこまでしないと、仕事ではないですわ。道具を使えるようにする、ということですね。
 
西橋:  手の延長、
 
小川:  延長ですね。道具というのは手の延長。職人は自分の意志をこの道具に託して、それで物を作るということですからね。ですから、手を洗うように道具も奇麗にしてやらなくちゃいけないということですわ。
 
ナレーター:  七世紀の終わりごろ、白鳳時代に建立されたと伝えられる薬師寺。十六世紀、戦乱の戦火により、金堂はじめ多くの建物が焼失しました。昭和四十六年、白鳳様式の金堂を復興する工事が始まりました。唯一残っていた白鳳時代の建造物の東塔などを資料に、創建当時の華麗な木造建築の再建を目指しました。工事の棟梁には、宮大工西岡常一さんが迎えられました。内弟子になった小川さんも工事に携わります。
 

 
西橋:  薬師寺のお仕事というのはどうでしたか?
 
小川:  やっぱり薬師寺さんも大きかったですからね。法輪寺は飛鳥建物ですが、薬師寺は白鳳建物ですよ。ですから勉強にはなりました。あれだけ大きい建物の仕事をさせて貰えますということはやはり嬉しいことですね。もっと嬉しいのは西岡棟梁でしょうな。西岡棟梁はそれまで法隆寺で昭和の大修理を―解体修理をして、そこでいろんなことを学んだと思いますね。そのいろいろ学んだことを、今度実践で薬師寺にぶっつけることが出来ましたからね。ですから、自分で思うのには、「法隆寺で学んで薬師寺で花咲いた」という人だと思いますね。
 
西橋:  法隆寺を解体する中で、「ああ、そうか。こういうふうに昔の工人はしていたのか」と、いろんなことを吸収して、それを今度は薬師寺のほうでは、一から自分できるわけですからね。
 
小川:  一から自分でできるものね。
 
西橋:  金堂も西塔も。
 
小川:  はい。やっぱりそれだけ運がいいというか、そういう巡りあった人ですね。
 
西橋:  小川さんの書いていらっしゃる本の中に、例えば、「法隆寺の建物の中に入ったり、薬師寺の建物の中に入ったりすると、木の塊(かたまり)だ」というようなことをおっしゃっていますね。
 
小川:  それはそうですよ。薬師寺さんの西塔を作る時なんかは、今の国宝の東塔の中に一年ほど入りまして調べましたよ。そうすると、中に入ると、千三百年前の白鳳時代の工人の鑿跡とか道具跡というものがあるわけですよ。そうすると、その頃にはいいノコギリがなかったから、木と格闘しているのがありありとわかるんですね。道具が今のようにないですから、木を叩き切っているわけですよ。木を切るんじゃなくて、もう切る道具がないから、叩き割っているんですよ。それが中に入りますと見えるんですよ。外からはそれは見えないんですけれども。木と格闘した跡がありありとわかるんですね。そうすると、木でも今のように製材ができませんから、木を割って使うわけですよ。木を割って使うということは、木は性なりにしか割れませんから。だから曲がったものは曲がったままですよ。そういうものを適材適所に持ってきて使えきっているんですね。見えるところだけ、ちょっと加工してあるわけですよ。中はもうそのままですよ。もう木と格闘して作ったんだな、と思いますよ。そういうのがありありと見えますね。ですから、それをそのようにして作ってあるもの、今のようにキチッととめてないですよ。一本一本はもうほんとにバラバラですよ。それを上手く組み上げているんですね、昔の人は。ですから、不揃いの木、バラバラの木を使うということは、今のように規格化されたもの、寸法が合っている、そういうものを組み上げるということは、一人の棟梁が居ればできることです。しかし、不揃いの木で組み上げるということは、それに従事している人みんなが棟梁ぐらいの力がないと、それを組み上げることはできませんな。それだけ難しいですよ。木を一本一本見て、これはどこへ使う、どこへ使う、と。ですから、西岡棟梁がよく「木の癖を組め」ということを言いましたけれども、その癖もその通り一つ一つ見た時よくわかるわけです。それを適材適所に組んで、そして出来上がったものは「総持(そうも)ち」で建っている、というんですね。
 
西橋:  「そうもち」で?
 
小川:  一本一本ではなくて「総持ち」―全体でそれを持ち合っている。それが古代建築ですわ。ですから、そういうものがあれば、それを手本として、技術は引き継がれていくわけですよ。そうでしょう、法隆寺があって、西岡棟梁が居たから、昭和の大修理の時に、飛鳥人の工人と対話ができたから、昭和にあれが復元できたんだ、と思うんですよ。それまでは長い間、飛鳥の工人というか、飛鳥の技術というものは、誰も受け継いでいないわけですよ。しかし、昭和にそれを解体修理した時に、解体修理しながら、千三百年前の工人と話をしながら、「こういうもんであったろう」「こうであろう」と理解して、出来ると思うんですよ。ですから、自分たちの仕事も、それは思いますね。西岡棟梁が居て、自分も弟子になりますよ。その人たちに、西岡棟梁から教わったことを弟子に教えていく。そんなことは引き継ぎでも伝統でも何でもないですよ。棟梁と自分との間に法輪寺さんを作った、薬師寺さんを作りました。自分と弟子の間にも、いろんなたくさんのものを作っておりますよ。それが、嘘偽りもないものであって、何百年か経って、それを解体修理した人が、自分たちの今やっている技術を理解してくれる人いたら、平成の大工さんはこういう工夫としていたとか、そういうものがわかるわけですね。それが伝統だと思うんですよ。
 
西橋:  この法輪寺の塔も何百年後かに、また解体した時に、大工さんたちが見て、で、小川さんの仕事と、小川さんと対話するわけですね。
 
小川:  そうですね。この自分たちと作った人と対話するわけですね。
 
西橋:  対話するわけですね、この塔を通してね。
 
小川:  それができるわけですよ、これがあれば。
 
西橋:  本物があれば、しっかりしたものがあればね。
 
小川:  だから下手は下手なりでもいい。嘘偽りのないものを一生懸命したものを残しておかなければいけない、ということでしょうな。
 
西橋:  鵤(いかるが)工舎はもう法輪寺のすぐ近くですね。
 
小川:  そうですね。歩いて三分かかります。隣なんですね。
 
西橋:  じゃ、毎日あの三重塔がここから見えるわけですね。
 
小川:  見ていますわ。
西橋:  一九七七年(昭和五十二年)、三十歳で独立して、この「鵤工舎」を設立された。その時の気持というのはどういうことだったんですか?
 
小川:  西岡棟梁と一緒に居て、法輪寺の飛鳥建築、薬師寺の白鳳建築を勉強させてもらった。それにまだまだありますよ、鎌倉、室町、江戸と。その時代によって特徴があります。そういうのを勉強したい、というので独立したんですけどね。
西橋:  この「鵤工舎」というのは、お寺とか神社専門の建設会社ですね。
 
小川:  はい。
 
西橋:  今風にいえば、そういうことですけれども、小川さんは、「宮大工の工人集団」というふうにおっしゃっていますね。
 
小川:  そうですね。「工人集団」というよりも、西岡棟梁からいろんなことを学びましたね。それで弟子を採(と)って。しかし初めは、自分は思ったのは、自分でこの仕事をやっていこうと思っても一人ではできないんです。物を持つにしても、両脇で二人で重い物を持って、そこへ置く台を置く人がいないとだめです。そうすると三人必要なんですね。みんなで三人。だから二人だけは弟子を採ろうと思ったんです。でも、今になってみると、だんだん弟子が増えてきてしまって、今二十五、六人の弟子がいますね。
 
西橋:  そうですか。此処と栃木県の方にも作業所ありますね。
 
小川:  あります。
 
西橋:  栃木県はもっと広い?
 
小川:  広いですね。もっと大きな建築ができるように、広く取ってあります。
 
西橋:  そういうところで若い人を育てるというのは、小川さんが育てられたような形で育てていらっしゃるんですか。
 
小川:  そうですね。「育てる」というよりも、必要があったから弟子を採ったんですけども、今はそれが増えてしまって、まあ育てる、ということになっているんでしょうけども。家は、通いの子はほとんでいないんです。十年間は通いではなくて、みな同じところに寝て、同じ飯を食べて、同じ空気を吸って、そして生活をする、ということですね。
 
西橋:  じゃ、これは寮みたいなものはないですけど、どっか住むところがあるんですか?
 
小川:  あるんですよ。すぐ側にあるんですよ。みんなでそこで食事をして、みんな通ってくるんですよ。側にあるんですけどね。
 
西橋:  そこで食事なんかもみんな手分けして作って?
 
小川:  はい。食事は、入って来た子―一番の新人が作るんですよ。
 
西橋:  そうですか。じゃ、まず入って来たら、みんなの食事作り。その段階で、ある程度、向いているとか向いていないとか、という。
 
小川:  そうですね。食事作らせるとすぐにわかりますわ。やっぱり食事を作るということですから、段取りをしなくちゃならない。その段取りの良さがあるかないか。そして人の食べ物を作るのですから、愛情があるかないか、それはすぐわかりますよ。それを一年間ぐらいこう見ているわけですわ。ですから、掃除をさせたってすぐにわかりますよ。仕事の、その子の性格がよく出ますから。そういうものを見ているということですね。
 
西橋:  そういうことを一年ぐらいで、「君はあまり向かないから」ということもあるんですか。
小川:  「向かない」というよりも、それを見て、こういうふうにも持っていったらいいんじゃないか、というふうにみるわけですね。
 
西橋:  その後の指導方針を、一人一人の癖を汲むわけですね。
 
小川:  ですから何人もいますけども、食事作りの上手いのは仕事も上手いですね。すぐにわかりますわ。
 
西橋:  今、二十五人とおっしゃいましたけれども、年々新しい人が入り、十年ぐらいで交代していくわけですか。
 
小川:  そうですね。「十年の修業をしたら独立しなさい」と。今まではそういうふうにして、みんな独立させましたね。
 
西橋:  そうですか。じゃ、でもせっかく一人前になって、働き盛りというと独立する。
 
小川:  そうですよ。ですから勿体なかったですね。大変ですよ。これからはまたそうじゃなくて、「自分たちの家―鵤工舎という家を作れ」というふうな感じで言っているんです。もう自分が育てる段階じゃないですから、家の若い子たちがみんなやっていますから。
 
西橋:  そうすると、入って来た人はまず食事作りなんかしながら、だんだん現場にいくようになって、兄貴分たちのやっていることを見て、
 
小川:  そうですね。それを見て、学んでいくということですね。ですから、家は何も教えないですよ。教えなくてもいいんですよ。同じ飯を食べて、同じ空気を吸って、同じところに居て、そして先輩たちの仕事を見ていれば自然に覚えていきますね。
 
西橋:  小川さんがなんか秘伝を伝受するとか、そういうことは?
 
小川:  全然ないですね。
 
西橋:  「捨て育ち」とかという言葉をおっしゃっていますね。
 
小川:  はい。家は何にも教えないですから、捨て育ちで、人は育ちますね。
 
西橋:  捨てておけば、そのままで?
 
小川:  だから教えということは親切なようで、身に付きませんな。
 
西橋:  何から何まで、手取り足取りでは。
 
小川:  ダメですね。しかし、「何故本当に教えなくていいのか」ということは違うんですよ。ほんとに教えなくてよかったら、どういうふうになってしまうかわかりませんよ。しかしそうじゃなくて、みんなが学ぼうとする雰囲気をみんなで作っておりますわ。その雰囲気があるから捨て育ちでいい、ということですよ。その雰囲気がなければ教えなくちゃいけないでしょうな。
 
西橋:  その学ぼうとする雰囲気はどうやって作られたんですか?
 
小川:  それは、自分はわかりませんけども、弟子が親方のやることをよう見ていますよ。そうしてまた新人は先輩のやることをよう見ていますね。そういうふうに自然にできているんじゃないですか。自分でこうだと思って作った覚えはないですね。
 
西橋:  でも、そういう空気が、鵤工舎ができてもう三十年になりますね。その三十年間でずっと作り上げられてきたわけですね。
 
小川:  そうですね。そういうのはみんな身に沁みていますから、自然にそのようになるということでしょうな。
 
西橋:  ただ若い青年たちですから、やりたいこともあるでしょうし、外に行けば遊びたいことがたくさんあるでしょうし、ぶつかることもあるんではないですか。
 
小川:  いや、ぶつかることとか、そういうことないですね。
 
西橋:  ないですか?
 
小川:  ないですね。それはやっぱり食事作りが一番先ですからでしょうな。
 
西橋:  そうですか。
 
小川:  そんな感じでみんな優しくなりますね。穏やかですわ。
 
西橋:  そうですか。
 
小川:  やはりこれはやっぱり大きな木を持ちますから、それを動かしますから、みんなして力を合わせなくちゃいけない、ということがわかりましょうな。十年も一緒に生活をしていると、やはり優しくなければ一緒に生活できない、ということに気付きますよ。ですから、みんな同じような優しい子ばっかしになってきますね。
 
西橋:  一緒に木を担ぐんだったら思いやりとか、
 
小川:  そうですよ。見ていると力のある子は重いほうにスーッと走りますもの。
 
西橋:  そうですか。
 
小川:  思いやり、優しさ、そういうものがなければ、長い間生活できない、ということでしょうな。「アパートから通っていいですか」なんていう子もいますよ。辛くてですね。しかしそれはダメですわ。それはアパートから通ってしまえば、自分の、一人の考えでしかない。家は良いことでも悪いことでも、みんなしてそれをやっている、触れ合っている。それがいいんじゃないですかね。
 
西橋:  小川さんは今でも一緒に若い人たちとご飯を食べるんですか。
 
小川:  そうですよ。ですから、入ってきた子ばっかしの子は、料理初めてですから下手ですよ。やっと一年ぐらい経つと美味しくなってきますよ。そうするとまた新しい子が来ますから、そうするといつも美味しいものはなかなか食べられないような生活ですけども、みんなその繰り返しですわ。
 
西橋:  美味しくなってきたな、と思ってきたら、現場に出さなくちゃいけないですからね。
 
小川:  交代ですわ。
 
西橋:  料理作りというのはけっこう時間もかかるでしょうね。
 
小川:  かかりますよ。でも、家は三十分しかやらないんですよ、料理作るのにですね。夕方六時半から作って、七時にみんなして食べます。それから片付けをします。それから買い物に行きます。
 
西橋:  夜、買い物に?
 
小川:  夜、買い物に行って、四袋ぐらい持って来ますね、両脇に。それから帰って来てから、次の日の昼と夜の下拵えをしておかなくちゃならないですよ。それでなくちゃ間に合いませんもの。その下拵えが十二時ぐらいまでで終わる子であれば、鵤工舎に勤まるんですよ。しかし過ぎてしまうと、今度は自分で刃物研ぐ時間もなくなってしまいますよ。
 
西橋:  寝なくちゃいけませんからね。
 
小川:  そうですね。それで今年の春でしたかな、そういう子が来て、朝二時半頃に台所で音がしますんで、「お前早いな」と言って起きて行ったんですよ。そうしたら昨日からずっとまだやっているんですよ。まだキャベツ切っているんですよ。下拵えが終わらないんですね。その子はやっぱり朝逃げしましたな。
 
西橋:  そうですか。
 
小川:  それが段取りなんです。ダラダラやったらダメなんです。考え考えしなくちゃならないんですね、段取りを。そのために三十分しかやらないんですよ。それで大変ですよね。頭キリキリになるほど考えるんじゃないですか。それが訓練なんですよ。
 
西橋:  訓練。ここまで準備しておけば三十分でできる、と。
 
小川:  それを手早くやらなくちゃならないんですよ。それだから、いくら時間がかかってもいいでは、これは訓練にはならないですから、三十分。
 
西橋:  夜のうちに朝、昼、晩の準備ですか。
 
小川:  大体朝は味噌汁ですからすぐでしょう。だから昼、夜ですね。
 
西橋:  おかずをね。
 
小川:  その買い物に行かなくちゃならないということですね。それは可哀想なようですよ。一層懸命やって、それを十二時までで終われば、その後に二時ぐらいまでは刃物研ぎの練習ができるんですな。
 
西橋:  夜中の二時まで?
 
小川:  そうです。だから風呂に入る時間もなし、何にもないんじゃないですかね。遊ぶなんていうこと考えつかないんじゃないですか。
 
西橋:  二時までやったら、もう起きるのは五時くらいですか?
 
小川:  六時ですね。
 
西橋:  四時間しか寝られない。
 
小川:  それくらいですね。ですから、何故そんなふうにするか、というと、やっぱり職人ですから、物を作るということですから、物を作ることはやっぱり自分で執念の物作りをしなくちゃいけないんですね。工作技術で物作ったらダメなんですよ。執念の物作りをした子は出来上がったものに対して必ず不平不満があるわけです。「あそこをこうしておけばよかったな」とか、それがもっと仕事のやる気を起こすわけですよ。しかし、「執念の物作りをしろ」と言って教えても、そんなものはわかりませんよ。今まで三十年ほどやってきましたけど、最近感じたのは、日常生活が辛い、厳しい、そういう修業であれば、執念の物作りというものに何となく気がつく。だから厳しく厳しく育てなくちゃダメですね。可哀想なようだけども、そういうふうにしなくちゃいけないような気がしますね。
 
西橋:  でも、その厳しさの中に、自分なりに将来に対して、「やがてああいうものも作れるんだ」とか、「ああいう現場でああいう仕事ができるんだ」というような思いがだんだん湧いてくるわけですか?
 
小川:  そうですよ。自分がやっぱり棟梁になってみたい。こういう建物を建ててみたい。それがあるからみんなして頑張れるんじゃないですかね。そういうもんだと思いますよ。厳しいばっかしじゃないですよ。みんな一緒に生活しているから、その中に、「自分だけが」というふうになると、やっぱりついて来られないでしょうけども、みんな一緒ですから、やっていられますわね。それで例えば一緒の飯を食う、一緒の生活をするということで、家でやっているんです。こういうことがありましたね。現場棟梁―ちょっとこの子は仕事ができるようになったからと思って、小さな現場一つ預けたわけですよ。そしてそれを見事にやったんで、「じゃ、大きな現場棟梁をお前に任せるから」と。その子はほんとに一言も言葉を発するような子じゃないですね。黙っているんです。なかなか無駄口をたたかないですよ。しかし、「お前は現場棟梁なんだから、若い子を指導しなくちゃいけない。だからちゃんとこういうふうに言って説明しなくちゃいけなんだぞ」と、言った途端に、その子は、「俺は言わねえ、そういうことは。しかし、この子がここで失敗するということはわかる」と言うんだね。「その失敗するところだけは前もって言う。後は任せる」と言った。これがやっぱり同じ飯を食って、ずっと生活をしていると、そういうふうになるだろうな。それをしなかったらわかりませんわな。「鵤工舎の生活は厳しい」というけど、みんなそういうふうにしてやっている。やっぱり自分はそれでいいんだな、と思います。今、それを望んでいる子はまだまだいますよ。
 
西橋:  そうですか。
 
小川:  大体年間二百五十人ぐらい応募がありますからね。
 
西橋:  入りたいと?
 
小川:  入りたいと。だから、今、「若い子は、若い子は」というけども、中にはちゃんと一生懸命やりたいんだという子はいますね。
 
西橋:  捨てたもんじゃないですね。
 
小川:  そうですよ。
 
西橋:  その中から、この人を採ろうというのはどうやって決めるんですか?
 
小川:  それは大体年間に三人ぐらいしか採りません。先輩がいますから。今、みんなして寝泊まりですから、ベッドが空かないと採れないということですね。「この仕事しかない。これしかない」という子をなるべく採るんです。前に、ここへ早稲田大学の文学部を卒業するという子と、ちょうど中学生が来ました。その時、「面接します」と言って面接し、「中学生のほうを採ります」と言ったんです。大学生のほうが、「何故ですか?」というから、「あなたは二十二で、まだ心が定めっていない。この子は十五で大工の道へ入ろうと決めているから、こっちを採ります」と。「解りました」と言って帰ったんですよ。しかしそれは嘘なんですよ。それは表向きの話なんですよ。その大学生を家で採用しなくても、他で生きていく能力があるんですよ。その能力ある子を採ると、十年ぐらいの修行中にもの凄く苦しくなった時に他を見てしまうんですね。ですから、そうすると他を見て、「私自身だけここでなんでこんな思いをしなくちゃならないんだ」と思うだけでも可哀想でしょう。ですから、そういう苦しくなった時でも逃げ道のない子をなるべく採るようにしています。そうすると、普通でいう学校の成績が良かったとか、そういう子ではダメですね。やっぱり遊んだ遊んだ、遊び倒したような子がいいですね。この町に居られないんだ、という子だったらば、もう最高ですからね、一生懸命やりますよ。家は、そういう子が多いですね。
 
西橋:  そういう子にかき回されるようなことはないですか?
 
小川:  ないですね。それはちゃんとした「鵤工舎」というものがありますから、その中へ入ればみんな優しくなりますよ。そういう人はいませんな。
 
西橋:  でも、小川さん自身はけっこう真面目だったんでしょう。
 
小川:  大体ね。成績は五十五人中五十五番ですから・・・まあ真面目だったんじゃないですか(笑い)。だから気付くことがいっぱいあるんですよ。褒められたことないし、「お前は絶対進学できない」と、先生に言われていたら、何か考えなくちゃならないでしょう。そういうもんじゃないですかね。だから、みんが、「悪い子が」という。悪い子の育て方はようわかりますよ。ですから、その町に居られないとか、親から捨てられたなんていう子であったらば、それしかないんですよ。そこで一生懸命やりますよ。
 
西橋:  逃げ場がない。
 
小川:  逃げ場がない、というのがいいですね。修業するのにはですね。やはり甘いとこがあったらダメですよ。西岡棟梁あたりは、ほんとに自分自身に厳しい人でしたね。自分自身に厳しく厳しく生きた人が、感じ得た本当の優しさ、というのを持った人でしたね。ですから、厳しさのない優しさは甘いに繋がってしまいますね。やっぱり厳しさを味合わなくちゃダメですね。それを超えて、その人が優しくなったら本当の優しさでしょうな。だから、家の子はみんな優しいと思いますよ。思いやりもあると思いますよ。それは十年の間にそういうふうにしていかなければ、思いやりがなければ、一緒に生活ができなかったんですから。ですから、若い子ばっかりいますから、「喧嘩とか何かがあるか?」とよう聞かれますけど、そんなことは一切ないです。同じ空気を吸って、同じ飯を食べて、同じ目的を持って一緒に生活するということ、これが一番の教育でしょうな。一番いいことじゃないですかね。
 
西橋:  具体的に仕事をして、形を作っていくんですから。
 
小川:  作っていくんですからね。それをまた我慢した上での楽しみですわな。それは建築ですから、今日は何センチ伸びたとか、何センチあがった、というような感じですよ。それは楽しいですよ。
 
西橋:  さっき法隆寺や薬師寺の塔の中に入ると、不揃いの木が実に上手く組み合わされていて、「総持ち」とおっしゃいましたね、そういうふうに作られているんだ、と。それは、鵤工舎の人間の面でも同じようなことが言えるんですかね。
 
小川:  同じですね。やっぱり強い人間もいますし、弱い人間もいますよ。そういうものがみんな合わさってできる、と。今、大きな建築をしているんですよ。 宮城県の角田市(かくだし)に長泉寺(ちょうせんじ)というお寺をやっているんです。みんなしてやっているんですけども、その大きなお寺を誰一人として、「俺はこれを作れる」という自信のある子は誰もいませんよ。しかし、「鵤工舎」として、みんなしてやればできる、ということがあるんですね。それは強いもんですよ。やはりそういうもんでなくちゃいけないと思います。一人素晴らしい人がいてもダメで、みんなして力を合わせてやるのは総持ちを同じでしょうな。
 
西橋:  総持ちですね。
 
小川:  そんなような気がしますね。
 
西橋:  「鵤工舎」という心柱があって。
 
小川:  そうですね。そこに居れば、どんな建築でもできるとか、そういうものをみんなして味わって作っているんじゃないですかね。だから誰一人として、優れて、そういうことを作れるような子というのは居ないけれども、鵤工舎全部してやればできる。それはやっぱり教育でもないんでもないでしょうな。みんなして触れ合って、一緒のところに生活をしているということ。一緒の目的を持って生活をしている。これが一番大事でしょうな。ですから、例えば先ほど言ったように、「この子がここで失敗する。失敗するということがわかるから、先に言っておく」と。そんなの母親に言いたいですな。子どもにがみがみいうな。子どもはわかるんだから。失敗するということだけ、ちょっと言っておくぐらいの人だったら間違いないわな。しかし、それをするのには触れ合っていなくちゃダメですよ。みんなして触れ合っていなくちゃならない、ということです。ですから、家は、「アパートから通いたい」と言っても、それはダメです。そういうような形で仕事をしているので、教えるということは誰もしていないですね。手本を見せているというのはありますけれども、「これをこうしなさい」とか、どうのこうの、教えている人はいないですね。それでも人は育ちますよ。自分は思うのには、家に修業に来る。修業に来て、自分はこのお堂だったら全部刻んで墨付けして作ることができる、というぐらいでも、まあ棟梁になる器の四分の一ですよ。それぐらいしかないですよ。後の四分の一は、弟子を採って人を育てられるか。あとの四分の一は、予算内に仕事がちゃんと収まるか。で、もう一つは、信頼を得て仕事を頂けるか。そこまでなかったら棟梁ではないですな。仕事を収められる、というだけでは只の職人ですわな。棟梁というのはそこまでいかなくちゃいけないですわ。
 
西橋:  経営感覚から美的なものから。
 
小川:  それから人を纏めていく総合力から、そういうものをみんな兼ね備えていかなならないですね。そう思いますね。
 
西橋:  小川さんは修学旅行で法隆寺の五重塔を見て宮大工になられたわけですけれども、これから修学旅行で法隆寺にも大勢の子供たちが来ますけれども、そういう子供たちに何を見てほしい、何をしてほしいですか?
小川:  それは千三百年経っている、これはエンタシスが特徴だとか、仏さまはすらっとして、それが特徴だとか、そういうことばっかしを学校では教えてきますよね。
 
西橋:  知識ですね。
 
小川:  知識を。その知識でみんな見ていますよ。五十人居れば五十人みんなそれで見ていますよ。しかし、そうではないと思うんですね。自分は思うのには、この柱が千三百年、塔を支えてきた柱だ。その力というものを味わってほしい、と思いますね。その柱に触って抱きつくような子がほしい、と思いますね。それをするのには、先に知識を教えてしまっては、そういうことは思わないですな。
 
西橋:  何とか様式でどうのこうの、というよりも、柱に抱きついて、
 
小川:  小さな子だったらなおさらそうですよ。小さなうちから様式言う必要なんですよね。抱きついて触ったり、そういう子であってほしい、と思うんです。
 
西橋:  来たら触ったりね。
 
小川:  そういう感じる子、というのが欲しいですね。
 
     これは、平成十八年十一月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである