人生の荷物は少ない方がいい
 
                    禅 僧 トーマス・カーシュナー
一九四九年アメリカ生まれ。二十歳で来日。禅寺で修行。現在は花園大学国際禅学研究所研究員。著書に「禅僧になったアメリカ人」
                    ききて 峯 尾  武 男
 
峯尾:  京都嵐山渡月橋の近くにある臨川寺(りんせんじ)に来ています。この臨川寺は天竜寺の別院です。この臨川寺にアメリカからトーマス・カーシュナーさんが来て、ここに一人で暮らしています。カーシュナーさんは、二十歳の時、日本にやって来ました。以来、三十七年間禅の道を迷いながら辿って来られたという人です。どんなふうにして禅の修行に、そして禅僧として日本に暮らすようになったのか、いろいろとこれからお話を伺ってまいります。

 
ナレーター:  臨川寺は、一三三五年、後醍醐天皇が臨済宗の僧夢窓(むそう)国師を開山にして創建されました。アメリカ人の禅僧トーマス・カーシュナーさんはこの寺に住んで八年になります。
 

 
 
峯尾:  カーシュナーさん、おはようございます。
 
カーシュナー:  おはようございます。
 
峯尾:  この作業は毎日やっていらっしゃるんですか。
 
カーシュナー:  いや、広すぎてとても毎日はできませんけど、線が乱れたら、できるだけ線を引いています。
峯尾:  真っ直ぐな線をこれだけ広いお庭で引くというのは大変でしょうね。
 
カーシュナー:  そうですね。やっぱり幅がありますので、途中で曲がったりしますけど、それこそ集中力が必要です。
 
峯尾:  集中力ね。これも作務(さむ)としては大事な精神を集中するということもあるんですかね。
カーシュナー:  まあ一つの修行と言えるでしょう。
 
峯尾:  今日はとってもいいお天気になって陽当たりも良さそうなので、そちらでしばらくお話を聞かせてください。
 
カーシュナー:  よろしくお願いします。
 

 
ナレーター:  カーシュナーさんは、寺の掃除や庭園の案内などをしながら京都の花園大学で禅の研究をしています。
 

 
峯尾:  カーシュナーさんにとって、禅の魅力というのは何なんですか?
 
カーシュナー:  普通の人は自分の考えに流されてしまって、それが自分だと思い込んで、そこに縛られるような感じですね。私もそうでした。しかし禅をやって自分を見つめるというか、考えに流されないで、ほんとの自分を知る。つまり考え以前の自分を知る一つの手掛かりになるわけです。
 
峯尾:  それがいろんな形で、迷いの中で修行を続けて来られた結果として、辿り着いた、という言い方はいけないかも知れませんけれども、そういう心境なんですかね。
 
カーシュナー:  まあ「辿り着いた」というか、まだまだ途中ですが。
 
峯尾:  お生まれが一九四九年で、アメリカのニューヨークの近くのコネチカット州のお生まれですよね。
 
カーシュナー:  はい。
 
峯尾:  どんなご家庭で生まれられたんですか?
 
カーシュナー:  父が医者で、大学の先生ですから、お金持ちとまでは言いませんけど、普通の家庭で五人兄弟で、私は次男でした。
 
峯尾:  勿論キリスト教徒の家?
 
カーシュナー:  キリスト教の中のカトリックの家で、普通のカトリックの信者さんの教育を受けたわけです。
 
峯尾:  そうですか。どういう少年だったんですか?
 
カーシュナー:  そうですね。まあどっちかというと内向的で、少し心配性のところがあって、でもそれ以外のところはごく普通の少年だったと思います。
 
峯尾:  そして禅というものが、禅仏教が日本にあるということを知られたのはどういうきっかけだったんですか?
 
カーシュナー:  初めて知ったのは高校の時です。その時これからどうしようといろいろ将来のことを考えていた。ちょうどベトナム戦争が始まった頃ですから、当時の若者は大なり小なりみんなある程度迷いがあったと思います。ちょうどその時、日本式でいえば高校三年生の時に、友だちから禅の話を初めて聞きました。で、なかなか面白いと思って、当時禅の本として鈴木大拙の『Introduction to Zen(禅入門)』という本が最初でした。
 
峯尾:  それをお読みになって、どんなことを感じられました?
 
カーシュナー:  鈴木大拙はよく悟りの話とか、禅体験の話を中心にして禅の説明をするわけです。そこが魅力的でした。宗教というものは、何かを信じるだけのものではなく、体験というものがただ単に信ずるより確かなものだ、と私は感じ取ったわけです。それで初めてかなり禅に関心を持ったわけです。
 
峯尾:  高校生の時にね。
 
カーシュナー:  高校生の時です。特に当時、私は初恋の時に失恋があって、それでかなり人生とは何かと思い悩んでいた。その初恋の時に、もし本当の自分が出ていたら、そんな経験はなかったんじゃないかな、と。勿論本当の自分とは何か、と、そういうようなことをいろいろ考え出したわけです。
 
峯尾:  鈴木大拙さんの禅という本で、人間には悟りという境地があるんだという、そのお話を読まれた。よし、日本へ行ってやるぞ、そんなふううに結び付きましたか?
 
カーシュナー:  最初はとてもそこまでわからなかったんですが、本で読んだ限りは、それは抽象的なもので終わってしまうと思うんですね。ですから後から聞いた話ですけど、なかなかいい話だと思っていたのは、「道を歩むためには、まず道がある。それから道を得た人も実際にいる。その二つの条件があれば、はじめて人が道を歩むことができる」と。私の場合は、鈴木大拙の本を読んで、「道がある」ということを知ったわけです。
 
峯尾:  そして、はじめにちょっとご紹介したんですが、実際に日本にいらっしゃったのが、一九六九年、二十歳になるかならないかの頃に、早稲田大学の国際学部にいらっしゃったんですね。
 
カーシュナー:  ちょうどアメリカの大学と早稲田大学はそういうプログラムを組んでいたわけです。日本に来る前に、『禅と弓道』という本を読んで、非常に日本の弓道と禅が関係が深く、むしろ一つの禅への道として弓道があるという、その『禅と弓道』という本を読んで、早稲田大学に入った時に、弓道部に入ったんです。一年間弓を引いていた。弓道の先生は稲垣源四郎(いながきげんしろう)さんという、当時有名な先生でしたけど、稲垣源四郎先生は八年間一生懸命禅の修行もされた方でしたから、禅の話もいろいろ先生から聞いて、一年間終わった時に、稲垣先生へ相談に行ったわけです。「実はアメリカに戻って大学を卒業するのが筋だと思いますけど、本当の気持は日本に残って、もうちょっと修行の道を続けたいと思っています。正直言いますと、私は迷っています」と。その時に稲垣源四郎先生が、英語で、「Strike while the iron is hot(鉄は熱いうちに打て)」と。だから、大学は後になっても卒業できますけど、そういう修行したい気持があれば一生懸命やったほうがいいという意味で、それで私は日本に残ることに決めました。
 
峯尾:  弓の修行よりは、本来の目的であったと禅の修行の道に入っていきたい、ということですね。
 
カーシュナー:  弓には弓の道があり、禅には禅の道があります。当然共通性もありますけど、もし本当の目的が禅なら、直接禅をやったほうがいい、というふうに稲垣先生から勧められたわけです。最初の禅道場を紹介してくださったのが稲垣先生でした。谷中(やなか)(東京都)に全生庵(ぜんしょうあん)(山岡鉄舟が開いた禅の道場)というお寺がありますけど、二人で朝早く全生庵に行って初めて坐禅をしました。
 
峯尾:  はじめてやられた時、どうでしたか?
 
カーシュナー:  とにかく足が痛いんですね。坐禅の姿勢は、慣れたらこれほど楽な姿勢はないんです。最初のうちは、特にアメリカ人ですから、胡座(あぐら)で坐ることができないような硬い足でした。足を組んだ姿勢で坐るのが慣れていませんから腰も痛いですし、背中も痛いんです。まあとにかく「足痛いのも我慢するのが修行ですから」と言われて、最初は半分我慢大会で坐っていたわけです。それからは専門道場の生活をちょっと見たいと思って、それで全生庵の平井玄恭和尚さんにお願いしたんです。全生庵の和尚さんが静岡県三島の龍澤寺(りゅうたくじ)専門道場に私を紹介してくれたわけです。当時英会話の学校で教えていて、三日間の休みをとって生活を体験したんです。それでさらに興味ができたんです。
 
 
ナレーター:  坐禅で何かが掴めるのではないかと思ったカーシュナーさんは、さらに禅を深めるために、長野県にある正安寺(しょうあんじ)(長野県佐久市)で五ヶ月間禅の修行を経験しました。
 

 
カーシュナー:  この正安寺に入る前に、「攝心(せっしん)」と言って、一週間の修行の期間があるんです。「攝(せつ)」は手偏に三つの耳と書きますから、ジッと自分の心を見つめるというような意味で、また「接(せつ)」とも書きますが、自分の心に接するという意味にも取るわけです。攝心は大体朝三時半か四時ぐらいから、夜の九時か十時ぐらいまでズーッと坐禅するわけです。十一月に行きましたけど、四十分、五十分ぐらい坐れるようになっていたんで少しぐらいは自信があったわけです。ところが一日坐っていますと、だんだんと痛くなって、最初の一?(いっしゅ)、二?ぐらいは大丈夫ですけど、途中で非常に痛くなって、もう文字通り我慢大会になって、実を言いますと、その一週間で五キロも痩せたんです。さっき言ったように、我慢するのも修行ですから、とにかく何が何でも最後まで続けるということが大事だと思いますが、とても坐禅にもなっていなかったんです。「なんで私は、わざわざこんな遠い国に来て、こんな寺に入って、わけのわからん坐禅をやっているのだろう」と思っていたぐらいですが、それでも終わったら、やっぱりこれしかない、と思っていたわけです。
 
峯尾:  坐っている間って、まったく素人の質問ですが、雑念、いろいろ思いが出てこないんですか?
 
カーシュナー:  それが一番問題なんですね。「妄想雑念」と、禅で言っていますけど、最初の頃はそれを抑えようとするわけです。力でね。力でそれを抑えて、何か静かな心境になろうとするわけです。つまり力をもって妄想雑念を無くしようとするわけです。あるいは自分の頭の中で、その静けさという一つの考えをつくって、そういう状態になろうとするわけですね。どっちもやっぱり無理なんです。やっているうちに、考えを抑えるんじゃなく、いつも禅では言っていますが、最初の頃はなかなか理解しないんですが、ただみるわけです。一つ一つ考えが出てくると、それが出た瞬間にそれをみて、それを意識するわけです。で、意識をしていると、その次の、「念」というんですけど、一つの考えですね。一念目の念が出れば、それを意識すれば、第二の念が出ないんです。第一の念がそのうちに消えてしまって、やっているうちに、考えが起こる以前の心がみえてくるわけです。これは何も悟りの心境でも何でもないわけです。誰でも少々真面目に坐禅すれば、これぐらいのことは絶対できると思います。その考えが起きる以前の心をみると、今度は考えが起ころうとするそういう心の動きが見えてくるわけです。その段階では、ただエネルギーに過ぎないというんですかね、そういう動きが見えてきて、それが考えになる前の段階ですから、それもズーッと見つめると、考えにならないうちに消えていくわけです。ですから、無念無想とはいうんですが、それはもう人間が生きている間は、それはなかなかないんですが、その「念」とか、「想」、要するに妄想雑念に流されないようになるわけですね。釈尊みたいに悟って終えばどういう心境かわかりませんけどね。普通の坐禅の過程はそういうようなものだと、私は理解しているわけです。
 
峯尾:  ただそこへ達するまでは、坐っているだけで足が痛くなってくる。苦しくなってくる、となると、まだまだそこへ到達するには、先が長いということになってしまうんですかね。
 
カーシュナー:  まあ慣れるのはかなり時間がかかりますね。ただ足が痛いのも、いろいろそういう苦しいことも、慣れてきますと同じように見つめることができるわけです。それは流されないで。仏教では「四聖諦(ししょうたい)」と言うんですが、人生は苦しみである、と。そこから始めるわけです。でも苦しみと痛みとは違うわけですね。痛みというのは単なる事実なんです。怪我すれば痛い。痛くなればおかしい。むしろ困るわけですね。だから痛みというものは単なる事実であって、それに抵抗するから苦しみが生まれるわけです。坐禅に慣れてくると、痛みというものを、ただあるがままに見つめて、抵抗しなくなるわけです。だから苦しみにはならないわけです。ある程度痛くなると、あるとしても、動きたくなるんですが、最初の頃の痛みと全然違うんですね。
 
峯尾:  そして、カーシュナーさん、次は神戸の祥福寺(しょうふくじ)に行かれる。これは更なる新しい段階を求めて、ということなんですか。
 
カーシュナー:  はい。塚田耕雲(こううん)老師の正安寺は、お寺ではありましたけど、修行道場ではなかったわけです。で、正安寺に半年ぐらいいたところで、専門道場の生活をちょっとやってみたい。臨済宗の場合は、大体二、三十人ぐらいの雲水―修行僧が集まって、修行を中心にした一つの道場で、そこで三年間修行すれば、和尚さんになる資格ができるわけです。和尚さんになるだけではなく、修行の道を最後までいきたいと思えば、人によって違うんですが、十五年、二十年ぐらい修行して、修行が終わるまで、そういう修行を続けるところでもあるわけです。そういう生活をしてみたいと、正安寺の塚田耕雲老師に話をしますと、「それは大変よろしいです。やっぱり団体生活をやって、同じ修行者と一緒にやらないとなかなか修行というものが進みませんから、それは大変いい。いつ行くんですか?」と。これは六月の話でした。「今は雨安居(うあんご)の途中ですから、雪安居の始まる九月に入ろうと思います」と老師に言ったら、老師が、「いや、今からすぐに行けばいい」と言われたわけです。ですから、「はい、わかりました」と。荷物を纏めて、それで正安寺は出て、神戸の祥福寺(しょうふくじ)僧堂に行きました。当時は、祥福僧堂は三十名の雲水で、非常に充実した本格的な修行生活でした。
 
峯尾:  そこではカーシュナーさんとしては、これでいいんだろうか、というような迷いはまったくなかった?
 
カーシュナー:  最初は二十一歳でしたので、非常に理想に燃えて、今から本格的な修行が始まるな、と、やる気いっぱいの時でしたから、それほど迷いはありませんでした。
 

 
ナレーター:  カーシュナーさんは、神戸の祥福寺で大攝心(おおぜっしん)の修行をしました。臨済宗の大攝心は、坐禅が中心の修行です。冬は朝四時に起き、お経を読む朝課(ちょうか)、老師に指導を受ける参禅(さんぜん)の他は、夜九時までひたすら坐禅します。大攝心は一週間続きます。
 

 
峯尾:  その祥福寺での大攝心を何回も経験されたわけですよね。大攝心やってみられて、どうでした?
 
カーシュナー:  結局自分の普段の枠を出て、自分が自分の限界だと思い込んでいる、そういう限界を超えるための大攝心ですから、さすがにこの何百年何千年の経験がある禅宗だと思っていました。大攝心のように朝から晩まで坐っていますと、時々半分偶然にいい心境にパッと入るわけです。「ああ、こういうものかなあ」と。その時に老師がそれを確かめるわけです。「いや、それはあんたの迷いだ」とかね。それが迷いなら、老師はその時にズバリというわけです。「いや、その調子でさらに続けなさい」とか、老師がいうわけです。大攝心は今まで自分が知らなかった心境に入る一つのいいチャンスを与える、そういう場面なんですね。そういう調子で、大攝心を二回三回ぐらいやっていると、非常に開かれた気持になってくる。そういうような経験があると、さらにやる気が湧いてきます。大攝心というものは凄く考えたいいものだと思います。
 
峯尾:  そういう経験を積み重ねていって、いよいよ在家ではなくて出家して、居士(こじ)(在家の禅の修行者)から雲水になろうというお気持ちに、カーシュナーさんの場合にはなっていったんでしょうか。
 
カーシュナー:  祥福寺にいる間は修行を始めたばっかりで、若き二十一歳、二十二歳の時で、理想に燃えていて、やる気いっぱいで、あんまり迷いがなかったわけですね。実際修行生活をやってみますと、現実は必ず理想とする自分の考えたものとは少し違うので、やり始めて大概誰でも三年四年目ぐらいの時に、いわゆるスランプというのが出るわけですね。ちょっとこれでいいんだろうか、と。自分の考えと違う、と。ちょうど祥福寺に三年間おって、そういうような迷いが出始めたんです。で、坊さんの生活が好きだし、祥福寺でやっていて自分の性格に合っていると思うところもあったわけですが、逆に、出家したほうが自分の意志が固まるんじゃないかなあという気持もあったわけです。そういう意味もあって、三年目で出家しようと思って、富士山の近くの小さなお寺に行って得度(とくど)して、建長寺に入ったわけです。

 
ナレーター:  カーシュナーさんが出家したのは二十四歳。僧名は釈 雄峯(しゃくゆうほう)です。得度し、雲水になったカーシュナーさんは、鎌倉建長寺の専門道場で修行します。
 

 
カーシュナー:  建長寺に入って、まず新しいところだったんです。しかも祥福寺の時は居士(こじ)として、在家の人の形で入って、かなり自由な立場だったんです。止めようと思ったらいつも止められます。ところが出家して正式に専門道場に入ると、全然立場が違うわけです。まず師匠の面子(めんつ)というものがあるわけです。師匠が保証人になって、この人なら大丈夫だという、そういう気持で弟子を専門道場に出すわけです。ですから、師匠の面子も当然ありますし、それから自分がせっかく入ったばかりなのに、もし止めたら自分の面子も潰れる、と。しかし、やっぱり自分の道に迷いがあるのは確かなんです。迷いがあるんですが、じゃ、もし止めたら何をするか、と思うと、そういう道もないわけです。当時私は、そういう非常に追い詰められたところがあって、一般の仕事を考えても、私に合うような仕事はとても思い付かないし、一般の生活ではとても満足できないと思っていたわけです。ですから、私は、この禅の道しかないと強く思っていたわけです。自分にとってこれしかない禅の道を、しかし私はできるのだろうか、と。三年間やってみて、自分が思っていたようになかなか進まないし、そういうような非常に複雑な心境であり、止めるにも周りの状況で止めることもできませんし、言った通り無理に止めても行くところがない、と。それでさらに追い詰められたような心境になっていたわけです。まあそういう状態が一ヶ月二ヶ月続いて、いよいよ躁鬱病(そううつびょう)的な状態で、つまり逃げ道がない、と。大体鬱になる人の一番共通するのは逃げ道がないというような気持になると聞いています。しかも僧堂の専門道場の厳しい生活があるわけです。当時の建長寺僧堂は特に自分の暇は全然なく、ほんとに朝から晩まで坐禅か作務か、そういうような毎日でしたから。そういう状態になって、その状態が一ヶ月ぐらい続いて、毎日毎日むしろ深刻になったような感じでした。最後には、〈自分がどうなるだろう〉と思うぐらいになっていた。ある日、一人の雲水と一緒に仕事をしていたわけです。二人で仕事をしているもので、一応自分のやることが終わった時に、その雲水が、私が悩んでいることを感じていたわけです。「ちょっと休んだらどうか」と。仕事がそこまでですから、「横になって休めばいい」と言ったわけです。それで横になったら、鬱のような状態になって、その時にフッと思ったわけです。どこからこの考えが出てきたかわからないような感じで、たといこういうような状態が、残りの五十年か六十年、一生続いても―これキリスト教的な表現ででたんですが―こういう状態が私が最後まで続いても、神さまの意思に任すしかない、と。そういうような考えがふっと出たわけです。その瞬間に、鬱の気持が消えてしまって、全然戻らなかったんです。その時からそれまで苦しかった建長寺の生活が逆に楽しくなったんです。「今までは、まわりがすべて鏡だった。自分しか映っていない鏡だった。そんな状態から、急にその鏡が窓になった。そんな開放的に感じた」という表現を聞いたことがあるんです。全く同じで、ちょうどそれまで鏡だったものが急に窓になった、と。つまり「鏡だった」というのは、自分しか映らないわけです。すべてが自分の問題しか考えられないわけです。率直にいえば、自分中心にしか考えないわけです。周りの状況に非常に抵抗を感じるわけです。私はこれで我慢できないかった。しかし、どうしようもない。それが急に、〈いや、これでいいんだ〉と思いますと、急に周りのものが見えてきて、ほんとにそれを受け入れるようになったわけです。非常に急な転換というかね。とにかくその生活に対する抵抗が全然なくなくなったわけです。さっき痛みが苦しみと違うものだと話しましたけど、専門道場の生活はとにかく肉体的に辛い面があるわけです。睡眠時間が短い。冬になって草鞋履いたままで、雪の日でも托鉢に出る。いろんな意味で肉体的に辛い面があるんです。そういう辛い面に対して、抵抗がなくなり何ということもないわけです。昔の人だって誰だってできた生活です。その時また違った意味で、坐禅がまた楽しくなって、建長寺も作務が非常に多いし、それが楽しみを感じるようになったわけです。
 
峯尾:  迷うというのは辛いことかも知れないけれども、ある意味でいうと、迷いがあって、次の段階があるというふうにもなるんでしょかね。
 
カーシュナー:  人間も悩んで迷わないとなかなか変わらないと思います。迷うのが苦しいんですが、やっぱり迷っている時はそれが自分の現状というんですかね、それが自分の、その時のあるがままの姿なんです。ですから、その迷いを見つめて、逃げないで、その迷いの真相が見えてくると、その場に自分というものが見えてくると思います。
 

ナレーター:  その後カーシュナーさんは、修行を一旦休み、京都の大谷大学に入学、日本仏教を勉強しました。それには身の定まらないカーシュナーさんを心配した父親の勧めがありました。
 

 
カーシュナー:  三年近く道場を離れて、大学生活をやっていて、その間ずーっと衣姿で大学に通っていました。やはり一般の普通の世界に戻っていたわけです。大学卒業した時は三十一歳です。二十代は、若者が理想に燃えて、時間がいくらでもあるような余裕があるわけです。ところが三十代になると、私の場合は落ち着いて、前ほどの問題意識がなかったといいますか、まあ大学の三年間を体験して、普通の生活も悪くないというような大なり小なりの考えがあったわけです。坊さんは坊さんでいいんですが、坐禅の道は続けたい。修行は続けたいという気持があったんです。それで通い禅はどうかなあと思ったんです。どっかのお寺に住みながら、坐禅だけ参禅だけは僧堂専門道場に行って老師に聞いて頂く、と、そういうふうに考えて、私が建長寺にいた時の湊素堂(みなとそどう)老師が、私が大学に行っている間に建仁寺(けんにんじ)の専門道場に戻られていたわけです。ですから、建仁寺に行って湊老師に相談すると、「そんな中途半端なやり方ではダメだ。やるなら雲水として専門道場に入り直して、また雲水としてやればいい」と言われたんです。そこまで言われますと、「わかりました」と。それで大学を卒業してから、もう一遍正式な雲水として建仁寺の専門道場に入ったわけです。入ってからまた迷いがちょっと出てきたわけです。建長寺に入った時に迷ってそれを解決して迷いがなくなりましたけど、建仁寺に入った時点で、今までとはまた違った意味の迷いが始まったわけです。どういう形で修行すればいいのか。それから大学の三年間に一般の生活を体験していたし、その間翻訳とか、自分にとっていろいろ面白い仕事をやっていたわけです。例えば大学にいる間、先生の論文の英訳するというのも結構やり甲斐があるということがわかっていて、一般の生活はそれほど二十代に思っていたほど悪くないな、というような気持になっていました。それで、三十代だと、二十代ほど時間的な余裕がもうないわけです。何かやろうと思ったら、すぐやらなければならないわけです。特に私もこの道にはじめて入った時、人間関係も大なり小なり関係があったわけです。ですから三十代になって、もし結婚するとか、そういうことをするなら、そろそろしなければならない。そういうごくまた人間的な迷いを感じながら建仁寺に入った。建長寺のような危機はなかったんですが、ほんとに自分がこれからどうしたらいいのか、というような気持はずーっと続いたわけです。道場に入った以上は真面目にしなければならないと思って、最低は三年間いることに決めたわけです。その三年終わったらどうしょうか、と。その三年間はそれなりに充実していたわけです。やっぱり専門道場に入ると規則正しい生活もありますし、坐禅の時間もけっこう長いですし、作務もあります。湊素堂(みなとそどう)老師がよく使っていた言葉ですけど、リズムというものがあって、そのリズムにのって、けっこう迷いながらでもいい三年間でした。充実した三年間でしたけど、三年終わっても依然として迷いというか、いろいろ考えるわけです。特に西洋人の場合は、二十、二十一歳ぐらいの、あんまり若く修行の道に入ると、最初は凄く燃えているような形で修行を続けますけど、大体私と同じぐらい年齢の三十代に入ると、寺ばかりが人生じゃないとか、そういうような迷いが出てきて、いろいろ考え出すわけです。一旦そういう修行を離れて結婚する人もいれば、仕事に入って、いわゆるキャリアを始める人もいます。それで十年十五年経って、やっぱりお寺に残れば良かったと思う人もいれば、離れて良かったと思う人もいますが、私の場合も、いってみればそのようなごく人間的な迷いだったと思います。
 
峯尾:  それで結局建仁寺を離れられるということになるんですか?
 
カーシュナー:  三年間やって、三年間きっちりやればいいと思って、私の師匠と相談して、建仁寺の役位(やくい)(修行経験が長く、専門道場運営の諸役を担当する人)の雲水さんに話して、それで出たんです。
 

ナレーター:  寺を出たカーシュナーさんは、東洋医学や仏教学などさまざまな勉強をしました。その後名古屋にある南山大学の南山大学宗教文化研究所の研究員になり、本の編集などに従事しました。
 

 
カーシュナー:  六年目に入りますと、突然身体の調子が悪くなったんです。ちょっとした怪我でしたけど、それが妙に気になって、その時から神経的な、あるいは消化器的ないろんな自覚症状が出て、だんだんと下り坂というか、最後には何にも食べられなくなったわけです。アメリカに帰ってCTスキャンで調べたら、膵臓(すいぞう)に腫瘍(しゅよう)の影が見付かったわけです。かなり形ははっきりしていたんです。結果として、「膵臓腫瘍の疑いがある」ということになったわけです。「これは手術できます」と言われたんですが、膵臓腫瘍というのは、手術でも生存率は非常に少ないと言われています。手術は二週間後を予定したんです。結局、その後自分の体調が崩れて、いろいろその間やってみたんですが、回復せず、私として、はじめて死ぬという、死ということをほんとに実感した経験でした。その時に感じたのは、一つは、〈如何に人生が短い〉ということ。その時、四十七歳でしたけど、それまでの四十七年はアッという瞬間で終わってしまっていたような感じでした。人生は短い。それから自分のいろんなものを振り返ってみても、いわゆる外向きのもの―仕事、いろいろ人間関係とか、迷っていたり、考えていたんですが、少なくとも私の場合は、最後になると、死ぬことを問題にしていることは、私にとってあんまり意味がなかったわけです。仕事の面も、いろんな人間関係の面も、自分にとって振り返ってみると、価値があったのは、内的成長というか、内的変化というか、つまり専門道場にいた間には、いろいろ迷いはありましたけど、少しずつ成長しているような気持があったんです。変化があるというような気持があったんです。で、結局死ぬ時、自分の人生を振り返ってみて、いかに自分が内的に変わったということが一つの判断の基準になる、ということを非常に強く感じたんです。これも人によって違うかも知れませんけど、そういう状態になって、〈人が生まれて生きている間、何かやるべきことがそれぞれある〉と非常につよく感じたんです。これは理屈じゃないんです。本を読んで、なるほどとか、そういうような気持じゃなく、ほんとに骨の真髄から感じたような感じでした。〈やるべきことをやらないと、人生をムダに過ごしたことになる〉というように非常に強く感じたんです。死ぬ時になれば、死ぬにも死にきれないというか、それほど苦しいものがないと思ったんです。結局、膵臓腫瘍だという医者の診断があって、そういうことを考えながら二週間を過ごして、手術の日になって手術を受けたんです。目が覚めたら近くに妹がいたんです。妹が、「兄さん、お腹を切ってみると、結局何もなかったんですよ」というんです。
 
峯尾:  膵臓に影がある。それは腫瘍である、と言われたものが、手術してみたら何もなかった?
 
カーシュナー:  ええ。周りの人で、「誤診だ」と言っていたお医者さんもいましたし、「奇跡だ」という人もいましたけど、私にとっては、結局〈新たなるチャンスというんですか、やり直す機会を与えてくださった〉というような気持でした。ですから、少しぐらい力が戻ってきたんです。しかし依然としてあまり食べられませんでしたけど、少しずつ回復に向かったわけです。少しぐらい力がついたら、結局大学の仕事を退職して、京都に戻って、また寺に戻りましょう、と、そういう気持になったわけです。
 
峯尾:  もしかすると、この腫瘍のために死ぬかも知れない、と思った時に、生まれてきて、それぞれ人間にはなすべきことがある、というのを考えられて、今から先の人生の中で果たしていこう、というお気持ちなんですか?
 
カーシュナー:  今はかなり前と違ったような気持で坐禅しているわけです。前の坐禅をみますと、大なり小なり何かの目的があってしていたわけです。禅の老師、禅の指導者が一番強く言われるのは、「坐禅というものは計算じゃない。そういう目的があってもダメだ」と強調するんですが、なかなかそういうわけにはいかないわけです。何か坐禅をすれば、例えば性格的にも何かなると、私は思っていたわけです。問題解決になる、悩みが解決するとか、そういうような目的が絶えずあったと思います。ところが病気して、一遍死というものに直面すると、坐禅そのものが目的になるような形なんですね。自分の心を見つめるというかね。坐禅によってそういう状態を深めるということ、そのものが目的になるわけです。例えば迷いが起きても、悩みがあっても、怒りでも何でも、普段はそれに流されるんですが、禅でよく「己事究明(こじきゅうめい)」―己というものを調べて見つめて明らかにする、というんですが、そういう心境で坐禅をすると、例えば迷うことがあっても、それはその時の自分なんです。だから迷うというもの、怒りというものは、そういうものが自分の心、つまり己事究明の一つの手掛かりになるというか、道具になるわけです。そういうところが前と違うと思います。
 
峯尾:  カーシュナーさんがおっしゃっる「人生の荷物は少ないほうがいい」というのも比較的新しいお考え、境地なんですか?
 
カーシュナー:  私、昔から一つの理想というか、夢として、それがありましたけど、この坐禅という道は、私はとっても悟りまではいっていませんし、悟りというものがなかなかできないんですが、やっているうちには、味わいというものが誰でも出るくると思います。その味わいの一つは、やっぱり内的にも、それに伴って外に関しても、ものが少ないほうが気楽だということがわかってくると思いますが、それに徹底するのがなかなか難しいことなんですね。
 
峯尾:  どうしても集めたがるという、
 
カーシュナー:  う〜ん。人間の一つの本能だと思いますけど、結局方向性なんだと思います。さっき言ったように、完全に悟るということは釈尊ですら、「生きている間は、完全に百パーセントまでの悟りは不可能だ」というわけです。でも別に完全じゃなくてもいいと思います。つまりその方向に生きていればいいと思います。どちらの方向に進んでいるかが問題だと思います。別に誰でも坐禅しなければならないことでもないわけですね。一人一人が自分の歩むべき道がどっかでわかっていると思います。そこの方向に進んでいるという気持さえあれば、死ぬ時になれば、ある程度安心して死ぬことができると思います。死ぬことだけが問題じゃないんですが、生きる時もやっぱり生き甲斐を感じて生きることが出来ると思います。
 
峯尾:  ありがとうございました。
 
     これは、平成十九年二月十一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである