修験の行
 
                      慈眼寺住職 塩 沼(しおぬま)  亮潤(りょうじゅん)
昭和四三年宮城県仙台市生まれ。一九八七年東北高校を卒業後、六二年一九歳で奈良県吉野の金峯山寺で得度。二三歳から一日四十八キロメートルを歩く千日回峰行を九年間の荒行と、九日間の四無行(食べず、飲まず、寝ず、横にならず)を平成一二年に満行。想像を絶する荒行であったが、雷の匂いが分かる程本能が研ぎ澄まされた。平成十三年より仙台市慈眼寺住職。一八年三月に百日間の五穀絶ちと塩断ちの八千枚大護摩供を満行。
                      ききて   金 光  寿 郎
 
ナレーター:  仙台市太白区秋保町(たいはくくあきうまち)。仙台市の中心街を西へ向かい、古くから有名な秋保温泉を通り抜けると、暖冬と言われる冬の気温も次第に下がって、粉雪が舞い始めました。名取川の上流滝原(たきはら)というところに慈眼寺権現堂(じげんじごんげんどう)があります。今日はそこの住職塩沼亮潤さんをお訪ね致します。塩沼さんは、昭和四十三年のお生まれで、平成四年に奈良県吉野の大峯(おおみね)山系を巡る千日回峰行(かいほうぎょう)を初め、七年間の行を満行して、三十一歳で阿闍梨(あじゃり)の称号をもらわれました。回峰行では比叡山が有名ですが、塩沼さんは奈良県吉野の大峯山系で決められた場所を礼拝しながら一日に四十八キロの峯峯を回る千日回峰行を達成されたのです。郷里の仙台に帰って新しい寺院を建て、自給自足の将来を考えながら活躍しておられると伺いお訪ね致しました。
 

 
金光:  先ほど、畑仕事をなさっていらっしゃる阿闍梨さんのお姿を拝見しましたけれども、だいぶ板に付いているというか、鍬を振るうのも慣れていらっしゃるようでございますが、お百姓のご経験はこちらにいらっしゃる前におありだったんですか。
 
塩沼:  いえ、全然ありませんでした。こっちへ来てから農業をしようかなあと思いまして、それから始めました。
 
金光:  そうですか。それでここへはいつ頃いらっしゃったんですか。
 
塩沼:  今から五年ほど前になります。
 
金光:  それまではたしか八年ぐらい前は、大峰山の大峯千日回峰行を満行なさっていらっしゃるわけですね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  往復四十八キロの道を一日で上って下りていらっしゃるような、そういう行をなさって、ということは、その頃も農業のご経験はまったくなかったわけでしょう。
 
塩沼:  まったく無い状態で、行が終わりまして、やはり田舎に住みたいということと、畑があったら畑がしたい。またお詣りに来られた方と縁側でお茶を飲めるようなお坊さんになりたいということで、こちらの地に帰ってまいりました。
 
金光:  で、今随分立派なお堂が建っておりますけれども、四年前にいらっしゃった時はああいうお堂は?
 
塩沼:  もう此処は全然荒れ野原でした。そこから一つ一つみんなで造り上げて、今日このような伽藍になっております。
 
金光:  そうですか。それじゃその回峰行のお話から、それからお堂が出来て、現在どういう生活をなさっているのか、という詳しい話をあちらで聞かせて頂きたいと思います。よろしくお願い致します。
 
塩沼:  はい。どうぞ。
 

 
金光:  伺うところによりますと、塩沼阿闍梨さんは、八年前に大峯山の千日回峰行を満行なさったということを伺いましたが、いつ頃からその回峰行の行をしようと思われたんですか。
 
塩沼:  小学校の五年生ぐらいだったと思います。その頃にNHKテレビで酒井雄哉(さかいゆうさい)さんという阿闍梨さんの番組がございまして、それを見た時に自分もこの行をしたいというような気持に駆られまして、
 
金光:  「小学校の五年生ぐらいで」というのは、でもほんとにその時はさっとそういうふうに思われたわけですか。
 
塩沼:  はい。その番組を見た時に、白装束を付けまして、編笠(あみがさ)を被り、杖を持って山々を走る行者さんの姿を見まして、自分もこの行なんかやってみたいな、というような気持が心の中から湧いてきまして、
 
金光:  でも、普通小学校の五年生ですと、どっちかというと、遊びたい盛りみたいな年齢ではないかと思うんですが、そういうものに関心をお持ちになるようなご家庭だったんでしょうか。
 
塩沼:  そうですね。家の祖母とか母によく手を引かれまして、近所の神社ですとかお寺さんをお詣りする時に、手を引かれながら、「将来はほんとに世の中のため、人のためになるような人間になるんやで」というような、手を引かれてずーっとお詣りをさして頂きましたので、神様・仏さんに対する信心というのが小さい頃から生活環境の中で培われてきたんだと思うんですね。
 
金光:  それ嫌だな、なんてまったく考えないでインプットされていたわけですね。
 
塩沼:  自然に神仏に対する感謝の気持を親から教わったような気が致します。
 
金光:  そういう心の土台がある時に、酒井阿闍梨さんのあの千日回峰行、歩いている姿というのはほんとに飛ぶように坂なんかを走っていらっしゃるような印象ですけれども、子ども心にそれが強い印象を与えたわけですね。
 
塩沼:  そうですね。私は―昔の人は誰でもそうだったんですけれども―あまり一般の方から見て良い生活水準ではないような、そういう家庭の環境の中で育ちましたもんで、みなさんのお陰でもっていろんな助けがあって、小さい頃からみなさんに育てられたんですね。そういう方々に少しでもご恩に報いていきたいなという気持が心のどっかにやっぱりあったと思うんです。それプラス、どうしても学校の時に回峰行をやりたいという気持になって、中学校、高校になってもその気持が全然消えなかったので、
 
金光:  そうですか。
 
塩沼:  はい。その世界に入っていったような感じです。
 
金光:  じゃ、高等学校を出られて、普通だと進学するか、就職するかなんていうふうに考える時期がきますよね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  その時には行をすると決めていらっしゃったわけですか。
 
塩沼:  心の中はその気持しかまったくなくて、何の迷いもなかったです。
 
金光:  回峰行で有名なのは比叡山ですよね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  酒井阿闍梨さんも比叡山の回峰行をなさったわけですが、塩沼阿闍梨さんは大峯山の回峰行を選ばれたというのは、これはどういうことなんですか。
 
塩沼:  比叡山の方に行こうと思っていたんですけれども、たまたま知り合いから聞いたところによると、「千三百年の中で、まだ一人しか成し遂げていない回峰行をしている場所が奈良の吉野山にある」ということを聞きまして、それで調べてみたところ、どうも標高差ですとか、一日の距離ですとか、そういうふうなものが厳しいのが奈良の吉野山でしたので、これは一度厳しい方を聞いた以上は、そちらの方に挑んでいこうという気持が強くなりまして、また修験道の山でしたので、そちらの方に惹かれて吉野の山を訪ねました。
 
金光:  それで実際回峰行に入られるのは、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)に入られて、そこで出家得度をなさるわけですね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  それから何年目ぐらいにその回峰行を始めることができたわけですか。
 
塩沼:  四年、間がありました。その間は小僧生活です。来る日も来る日も掃除―お寺の作務(さむ)ですね、それを中心にさして頂きまして、四年目に回峰行ができる順番が回ってまいりました。
 
金光:  特別に回峰行をする場合には資格か何かあるんですか。こういう基準に達しないと回峰行をしてはいけないとか、別にそういうものはないんですか。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  じゃ、希望すると誰でも「どうぞ」という。そうでもないわけでしょう?
 
塩沼:  そうです。行院というのがありまして、まず二年間、行院を履修したものが百日回峰行を許されるということになります。
 
金光:  まず百日の回峰行をする。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  それで大峯山の百日回峰行ということですけれども、ちょっと地図を用意しているんですが、大峯山の百日回峰行というのは―大峰山というと奥駈けが有名ですけれども―金峯山寺からはどういうふうにコースを取られるわけですか。
 
塩沼:  奈良の吉野山から二十四キロ先に大峰山と言われるお山がございます。そこが標高一七一九メートルになりますけれども、
 
金光:  大峯山というのは個々一つの山じゃないわけでしょう。
 
塩沼:  大峯山系ということで、正確には山上ヶ岳と申します。
 
金光:  そうしますと、吉野山からその山上ヶ岳までが二十四キロ、
 
塩沼:  そこまで行きまして、その日のうちにまた吉野山まで帰ってくるという行程になります。
 
金光:  そうすると、往復四十八キロですか? 
 
塩沼:  はい。
 
金光:  吉野山から一旦下りになるわけですね。
 
塩沼:  そうです。
 
金光:  下って、それからまた一七一九メートル上って、で、また下りて。これはきついですね。
 
塩沼:  そうですね。午後の十一時三十分に起床致しまして、
 
金光:  真夜中?
 
塩沼:  はい。真夜中の十一時三十分に起床致しまして、それから装束を付けて、それでテクテクと歩くわけです。
金光:  蔵王堂がありますね、この蔵王堂の下の方からスタートなさるわけですか。
 
塩沼:  そこの蔵王堂から階段で五百段ほど下ったところに参籠所があります。
 
金光:  そこがスタートで、
 
塩沼:  はい。そこで起床致しまして、まずお滝で身を浄めます。
 
金光:  その近くにあるわけですか?
 
塩沼:  はい。
 
金光:  身を浄めて、それから階段を五百段上られて、
 
塩沼:  蔵王堂に来て、蔵王堂の下で着替えを致しまして、そこでおにぎりを食べながら装束に着替えまして、十二時半ぐらいに出発致します。
 
金光:  真夜中ですから真っ暗ですわね。
 
塩沼:  はい。提灯一つで、たった一人で山の中に入って行きます。
 
金光:  そうすると、暗い道だと、提灯一つだと頼りないんじゃございませんか、歩く道は。
 
塩沼:  もう慣れです。
 
金光:  前もって下調べなんかできるんですか。
 
塩沼:  それはできないですけど。奥駈けとか、そういうふうな行が何度かありますのでそういう時には二、三度上っておりますので、それを頼りに行が始まります。
 
金光:  でも、最初は慣れないと道を間違えるというようなことはないわけですか。
 
塩沼:  大体大丈夫です。
 
金光:  この写真は、行者姿でだいぶ歩き慣れていらっしゃるお姿のようですけれども、
 
塩沼:  大体これは七百日目ぐらいでしょうか。
 
金光:  じゃ、もうずいぶん体の方も、
 
塩沼:  はい。これは大峯山頂付近です。
 
金光:  そうすると、写真が撮れるということは、真っ暗闇ではなくて、明るくなっているということですね。
 
塩沼:  はい。朝の八時半ぐらいでしょうか。
 
金光:  そうですか。それで、回峰行というと、ただ歩くだけではなくて、こういうふうに拝むところがあるわけでしょう。これはどちらでございますか。
塩沼:  これは蔵王堂の境内になります。
 
金光:  じゃ、蔵王堂の境内で、ここでも礼拝して、それからまた次の礼拝の箇所へ歩いていらっしゃる。
 
塩沼:  道中行って帰ってくるまで百十八カ所の礼拝する場所がございます。そこで般若心経を唱え、ご真言を唱え、一カ所一カ所礼拝してまいります。
 
金光:  ご真言というのは、同じご真言なんですか。場所によって違う?
 
塩沼:  お祀りしている場所によって違いますので、次第書を見ながら初めのうちは、
 
金光:  なかなか最初は覚えられないでしょうね。
 
塩沼:  なかなか大変ですけれども、あと慣れでしょうかね。だんだんと、
 
金光:  最初はかなり時間がかかりますね。そうやって拝む場所で、真言はこういうことで、一応メモなんかなさっているのをご覧なさるのかも知れませんけれども、最初はかなり時間がかかるんじゃございませんか。
 
塩沼:  最初のほうは慣れないですから、覚束ずにやっておりますけれども、自然と流れが身体に染み付いてくると言いましょうか、奇麗な形が調ってくると言いましょうか、
 
金光:  道もいろんな道がありますですね。これはどのあたりでございましょうか。
 
塩沼:  これは大峯山の山頂から大体二百メートルぐらい下ってきたところです。
 
金光:  じゃ、暗いうちに下って上ってきて、この辺りに来ると明るくなっているわけですね。これはどちらでしょうか。
 
塩沼:  これはちょうど中間地点の百丁茶屋跡(ひゃくちょうちゃやあと)という場所になります。そこにあります祠は、役行者様がお祀りしてあるところで、こういう場所には般若心経を唱えながら礼拝してまいります。
 
金光:  この写真なんか拝見しますと、相当急な所ですね。
 
塩沼:  これは油こぼしと言われる場所で、油をこぼしたように岩がつるつるとすべるという所から、そういう地名がつきました。
 
金光:  そうすると、雨でも降ると大変ですね。
 
塩沼:  それで鎖が掛かっておりますので、鎖をよじ上りながら上ってまいります。
 
金光:  これもその続きでございますけれども、やっぱりここに鎖がありますね。
 
塩沼:  はい。これをよじ上りながら上っていくわけです。少しでも足の置き場所が一寸でも違ったら谷底へ転落してしまうような、そういう場所も上って行きますので、なかなか気が抜けないです。行者にとっては次の一歩がわかりません。
 
金光:  それでそういうきつい行程のなかで、その日に下りられて、次の翌日の準備なんかされたその後でご自分でその時の気持を書き留めていらっしゃるのがあるということで、それを拝見してビックリしたんですが、ちょっと読まして頂きますと―これは随分最初の頃だと思いますけれども、
 
行者なんて次の一歩が分からないんだ。行くか行かないかじゃぁない。行くだけなんだ。理屈なんか通りゃしない。もし行がなけりゃぁ短刀で腹を切るしかない。もう次の一歩が分からないんだ。みんなの幸せだけを念じ、右左右左右左、
 
足が右左というのがあるかと思いますと、これはだいぶ経ってからでしょうが、
 
雨や風は自分に何を教えてくれるのか。少し足を止めて考えてみると、自分が一本の木であるとしたら、ただ天に向かって真っ直ぐ伸び、風は自分を鍛え、雨は自分を潤し、太陽の光を受け、ただ天に向かって成長する直向(ひたむ)きさ。大きくなるにつれ、しっかりと根を下ろす木に考えさせられた。
 
これは「一六六」と書いていらっしゃるけれども、この頃になるとだいぶ慣れてきていらっしゃるわけでしょう。
 
塩沼:  だいぶ慣れてきております。
 
金光:  最初の頃は、右左、右左という、
 
塩沼:  最初の頃はもうただ右も左もわかりませんので、それこそ勢いだけでやっていたような感じが致します。それが年数をふる毎に、だんだんと山の怖さを知っていくわけです。〈あ、こうなったらこうなるんだ。ああなったら、こうなるんだ〉というたくさん失敗をしまして、全部こうなんだ、という山の理屈がわかってきた頃に終わってしますような感じがします。
 
金光:  そうしますと、最初の頃ですね、身体だって高等学校の頃は学校へいらっしゃるのに走って行の準備をなさっているようなこともちょっと伺いましたが、そういうことをなさっていても最初の百日回峰行の時は、身体のほうがついていかない場合もございますでしょう。
 
塩沼:  そうですね。行者にとっては調子がいいか悪いかじゃなくて、調子が悪いか最悪か、常にそういう瀬戸際で行じてまいりますので、よほど精神的にも肉体的にもかなり強いものがなければならないと思うんです。
 
金光:  身体の調子が悪くなることもございましょう。
 
塩沼:  はい。行者の掟というか、行に入ったら途中で止めることができない。万が一途中で止めることがある場合には、腰に差してある短刀でもって自分の腹を切って仏さまに詫びて行を終わる、という掟があります。気持的にはどんなに追い込まれても楽しい日々なんですけれども、掟としましては一旦始まった行は後戻りできない。
 
金光:  でも、これは変なたとえで、行の人にそういうことをいうと申し訳ないんですが、例えば受験の勉強をしなければいけない、と。よし、明日からやるぞ、と。ちゃんと目標なんか立ててやり始めても、怠け心が出てきたりするわけなんですが―私なんかの場合は。その行の途中、足が―例えば膝が痛くて、痛みがだんだん激しくなったりするような場合があるとすると、そういう時でも痛いからどうしようか、休もうか、というようなことは考えないで、とにかく進むだけなんですか。
 
塩沼:  はい。初めのうち、そういう経験がやっぱりありました。全然初めのうちは山のことがわかりませんので、少し勢いよく坂を下ってきたところ、右の膝に少し無理が祟ったのか、水が溜まったような状態になりました。右足を庇(かば)っている時に、今度左の膝にも水が溜まった状態になったと思うんです。もう足が棒のようになって、曲がらない膝のような状態になりまして、布団の中で、〈明日どうやって行こう。起きたら足が動くんだろうかなあ〉と、布団の中で初めの頃は心細く涙を流しているんですけれども、でも一旦朝がまいりますと、這うようにして滝に行って、気合いを入れると、膝が不思議と痛みながらもだんだん曲がるようになりまして、それでも押していったという、初めの年ですけれども、そんな失敗も経験してまいりました。
 
金光:  そうすると、そういう時は、時間的にはやっぱり何ともない時に比べると時間がかかりますわね。
 
塩沼:  妥協したら帰って来る時間が―三時に帰ってくる時間が、四時でも五時でもなると思います。
 
金光:  そうしない?
 
塩沼:  そうしますと、結局みなさんに心配をかける。〈他人(ひと)に心配をかけるような行者では行者失格〉と強い気持が、自分に言い聞かせていたものがありますので、それを押して、みなさんに足の痛みがわからないように、ばれないように押して堪えてきました。
 
金光:  そうすると、痛みがあっても、それを乗り越えるというその気持はやっぱり自分が行者だから、行をすると決めたから、という、そこが基本になるわけですかね。
 
塩沼:  「行をしてくれ」と、誰からも頼まれていませんので、行をするといったのは自分ですので、行をすると決めた以上はみなさんに迷惑を掛けないように、心配掛けないように、それが行者としての基本だと思います。
 
金光:  それから日常生活と行の違いでしょうね。自分が決めたんだから、自分が止めようと思ったら止めてもいいと、すぐ妥協する方向へ私の心なんか行きかねないわけですけれども、それじゃ行者は勤まらないということでございますね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  しかし、そうはおっしゃいましても、ここに書いていらっしゃるのを拝見しますと、
 
熱三十八度、ふしぶし痛む。首もまわらない。食えば下痢。でも皆が言う「元気そうやね」と。
 
やっぱりこういうのを拝見しますと、ある程度身体が慣れてきても、時によると熱が出たり、下痢なさったりすることもあるわけですか。生身の人間ですからね。
 
塩沼:  はい。おそらく四百九十日目前後だったと思いますけども、千日回峰行の中で、〈自分がこれで終わりだ〉と思う。〈いのちがこれで終わりか。尽きるか、ここで〉というふうな時の日誌だと思うんですけれども。ちょうどお腹を冷やしてしまいまして、食べたものが二時間ほどで出てくるような、そんな状態で、四十八キロ、何も食べずに歩いた日もありまして、
 
金光:  それでも歩かれるわけですか?
 
塩沼:  それでも歩かなければならないという決まりですので、それで石に躓(つまず)いて―躓いて三メートルぐらい飛んで、地面に打ち付けられて、〈自分もこれで終わりか〉と思った時に、目の前に砂があったんです。おかしな話ですけども、「砂を咬むような思い」という言葉がありますけれども、実際に砂を咬んだらどんな味なんだろうと思いまして、砂を嘗めて、咬んで、〈これはちょっと不味いな〉と。また立ち上がったので、まだ歩けるかも知れないと思って、それでまた奮い立って歩いて、ボロボロになって歩いてきたような気が致します。それでもみんなから、「元気そうやね」と言われた時には、もうさすがに腹の中では泣きそうな感じでしたけれども、でも「有り難うございます」ということで、
 
金光:  で、お休みになるところへガックリバッタリ倒れてしまうというわけにはいかないんでしょう?
 
塩沼:  そうですね。帰って来ますと、掃除洗濯、身の周りのことは全部自分でやりますので、
 
金光:  これは大変ですね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  しかし、そういう状態で、なおかつ、そういうことができるというのはどこから出てくるんですかね。ご自分でも説明し難いかも知れませんが、
 
塩沼:  そうですね。もう一旦自分がやると決めて、神仏を信じて、ただただ前に進むしかないという日々だったような気が致します。
 
金光:  じゃ、とにかくもう始めた以上は、前に進む以外にない、と。それが前進の力になっているわけですね。
 
塩沼:  はい。
金光:  この写真は千日満行の日のお写真ですね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  これはもう下へ下りられた時ですか。
 
塩沼:  最後の蔵王堂でのお勤めの前になります。
 
金光:  この時のお気持ちというのはどういうものでございますか。
 
塩沼:  この時の気持はいつのもように行って、いつものように帰って来た、という。明日から山に行かなくてもいいんだ、という、それだけの気持だったんですね。その前日九九九日目にこんなことを思いながら床に就いたんですけれども、いよいよ明日で千日、なかなか寝付けませんで、それで色紙に「人生生涯小僧」とたくさん書いたんです。
塩沼:  一枚だけでなくて?
 
塩沼:  はい。たくさん書きまして。自分で言うのもおかしいんですけれども、〈なんで自分の気持というのはこんなに奇麗になるんだろう。こういう奇麗な気持のままずーっと身体が持つなら、足が持つなら歩き続けていたい〉と思いまして、それで「人生生涯小僧」と。吉野山に入ってきたその時の小僧のような気持でずーっと歩き続けたいと思って、ずーっと願っていたんですけれども。
 
塩沼:  その頃お書きになったものを拝見しますと、例えば八三七日目、
 
身体を通じて心に伝わりし、辛さ苦しさの中から、
楽しさ、温かさを知りゆくもの。
夢、希望、青春、すべてを捧げ生きる心。
これが私の宝であり、目を閉じるまで、
この心かわらぬことが私の願いであります。
祈りがかなうよう、今は心をこめる努力を惜しみません。
 
これが八三七日目のご感想ですけれども、この延長が今九九九日目のお気持ということになったわけですね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  「人生生涯小僧」ということは、結局行をする行者としての気持を千日回峰行が満行になっても続けていきたい。そういうお気持のわけですよね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  そういうお気持が、それから「四無(しむ)の行(ぎょう)」、四つの・・・
 
塩沼:  断食、断水、不眠、不臥、
 
金光:  その四無の行(断食・断水・不眠・不臥)を実施しようと思って実行されたのは―四無行の断食・断水・不眠・不臥というのは、歩くのとまったく違う方向の行なんですけれども、これをなさろうと思ったのはどういうところからでございますか。
 
塩沼:  これは千日回峰行と四無行が一つになっておりまして、千日回峰行をした者は四無行をしなければならない、というような決まりになっております。
 
金光:  そうですか。それで四無行というのは、断食は―水を飲んでの断食だと実行なさった方は随分いらっしゃるわけですけれども、断水して、不眠、不臥ということになってくると、事に依ると、命が危ないということもあるわけでございましょう。
 
塩沼:  はい。これは生と死が五分五分ということで、行に入る前に、「生き葬式」と言われる儀式をしてから行に入ります。
 
金光:  そうですか。
 
塩沼:  はい。「行者亮潤、今日まで自分の行をということで行じてまいりましたけれども、今日この限り堂入りすることに相なりました」ということを皆様方にご挨拶をしまして、「もしかすると、これが永遠のお別れになるかも知れません」ということで、一山のお坊さんたちと自分の親族にご挨拶をしてからお堂に入っていくんです。そして、お堂に入りまして、百八回の礼拝を致します。その礼拝の最中に一人一人お堂から出て行きまして、それで最後に行者とその行を助ける助法の僧が残って、九日間がスタートいたします。
 
金光:  これは四無行の時のお写真だと思いますが、これはどういう?
 
塩沼:  一日三回本尊様の前に行ってお勤めを致します。そして一日に一回外に出てお仏さんにお供えするお水を汲みに行きます。それとそれ以外は蔵王権現のご真言を十万遍、不動明王のご真言を十万遍、合計二十万遍真言を唱えなければならないというきまりになっております。
 
金光:  二十万遍というと、これは休む時がないくらい時間がかかるんじゃございませんか。
 
塩沼:  時間的にはギリギリです。
 
金光:  そうでしょうね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  数は数えるわけですか?
 
塩沼:  ええ。数珠でもって真言を一つ称える度に自分の手で一つと。珠が百八個ついているんですけれども、これを一個一個こうやって、仏様のご真言をお唱えする毎に一つ一つずらしていきます。それで一周で百遍ということで、
 
金光:  数えなくて、こうやっているうちに、節目がくると百遍と、
 
塩沼:  はい。
 
金光:  それをしるし付けるんですか?
 
塩沼:  百遍を数えますと、この珠でもって、これを一つずつずらしていく。これが十になると千ということで。これ一万まで数えられますので。
 
金光:  しかもその途中でこういう勤めがあるわけですね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  どうですか? 肉体的に一日目二日目三日目身体の状況は?
 
塩沼:  だんだんと体力的にも落ちていくのが目に見えてわかります。動作がだんだんと遅くなりますし、歩く時もそうですね。少し普通に歩いただけでも脈が百以上ぐらいになるんではなかろうか、と思います。水分を取りませんので、血がドロドロになってくると思うんですけども。喉の渇きというふうなものは、生き地獄のような感じが致します。
 
金光:  そうでしょうね。それでしかも午前二時ですか、閼伽井(あかい)―仏様へのお水をお堂の外へ出掛けて、水を汲んで帰って来てお供えするわけでしょう。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  だって、口にはできないわけですよね。
 
塩沼:  しかし、ちょうど中日(なかび)と言いまして、五日目から一日一回のうがいが許されます。
 
金光:  そうですか。これがその時のお写真だろうと思いますが、大きめのお茶碗で、
 
塩沼:  これを一方にはなみなみと入ってある水があります。それを口に含んで、
 
金光:  飲むわけにいかにわけですね。
 
塩沼:  飲んだら終わりです。失敗です。こちらの空の方の同じ大きさのお茶碗のほうに移すんです。それでみんなが見て、「量が同じですね」ということで、ちゃんと確かめられます。
 
金光:  でも、口の中へ入れて、戻して、移されるだけでも肉体というのは反応するものですか。
 
塩沼:  だいぶこのうがいがあってからは身体が楽になりました。
 
金光:  飲まなくても?
 
塩沼:  はい。
 
金光:  水というものの力というのは凄いですね。
 
塩沼:  凄いですね。やっぱり人間にとって一番大事なものじゃないでしょうか。
 
金光:  そういう体験をなさると、それこそ水一滴でも、これは有り難いもんだというのが身体に沁みていらっしゃるでしょうね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  四無行の時でも、その中でちゃんと自分の気持を書いていらっしゃるんですが、一番最初だろうと思いますけれども、
 
おだやかに おちついて みほとけに
みなさんに 手を合わせ 四無の行
 
ということで、これはおそらく四無の行をお始めになる時のお気持ちなんでしょうね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  その途中だと思いますけれども、
 
普段私たちは如何に幸せでしょう。
ご飯も食べることができない人たちが世界にどれほどいるでしょう。
その苦しみ痛みからみれば 私の苦しみなんて
どんなに辛くても苦しくても 取り乱さず優しさと大らかさ、
そしてのびのびと清らかな心で行じれば必ず守られるのです。
 
ということですね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  で、うがいをされます。それからまたあと断食、断水、不眠、不臥が続くわけですね。
 
塩沼:  はい。回峰行との違いは、日数的に非常に短い。けれども、危険を伴う行ですので、九日間という間は非常にアッという間に過ぎたような気が致します。
 
金光:  そうですか。
 
塩沼:  はい。しかし行の最中に、私の記憶にはないですけれども、横に付いていた随行僧の人が、私は目を開けて真言を称えているのに、声を掛けても反応しない。「阿闍梨さん! 阿闍梨さん!」と声を掛けても反応しない、と言いますね。それで五分ぐらいずっと名前を呼び続けていたらしいです。
 
金光:  そうですか。
 
塩沼:  手は動いているが、しかし意識はどっかに飛んでいってしまったんでしょうね。生死の世界を彷徨っていたんでしょうか。それで後から言われて、そういうことがありました、と。〈あ、そうか〉と思って、血相を変えて私の名前を呼んでいるんですね。〈みなさんどうしたんだろう〉と思って、後からそういう記憶が甦ってきました。〈あ、あの時か〉と思いまして。必ずそういう時がありますので、そういう時にはみんなで名前を呼んで戻してください、という言い伝えはございます。
 
金光:  そうですか。その時にはご本人は、意識の上ではまったく自分がどういう状況になっているか。普通に行を続けていらっしゃると、気持の上ではそういうお気持だのに周囲から見ていると、いわば「幽明界を異にす」という言葉がありますけれども、現(うつつ)と、現(うつつ)でない、その辺りを彷徨っていらっしゃったという、そういう状況かも知れませんね。
 
塩沼:  そうですね。線香が点(とも)れていって、それが砕けて下に落ちるのがスローモーションのように見えて、砕ける音がするのも聞こえますね。五官がかなり鋭くなっているんだと思うんです。逆さ屏風を立てているんですけれども、そこから人が入ってきますと、その人の匂いがするんですね。普段は絶対しないんですけど、〈誰々が来たな〉と思うんですね。そうすると、間違いなくその人であったり、
 
金光:  そうですか。屏風の向こうでしょう?
 
塩沼:  屏風の向こうです。
 
金光:  私は、戦後、最初に回峰行をなさった葉上照澄(はがみしょうちょう)阿闍梨さんのお話を伺った時に、やっぱり四無行の三日目に、「死臭が出た」ということを、ご本人はわからないけど、調べていたお医者さんが、「これはもう危ないぞ」というようなことをおっしゃったようですけれども、塩沼阿闍梨さんの場合でもやっぱり死臭というのは出るもんですか。
 
塩沼:  やはり「四日目に死臭がした」と、みんなが言っておりました。
 
金光:  ご自分は?
 
塩沼:  自分は全然かわらないです。
 
金光:  そうですか。
 
塩沼:  不思議なものですね。
 
金光:  それでそういう形で九日間の四無の行が終わられると―これは終わられた後のお写真ですね。
 
塩沼:  そうですね。これが本堂から参籠所まできつい坂道がありますので、籠に載って帰りました。
 
金光:  そうですか。この時は籠に載ってお帰りになって、
 
塩沼:  はい。
 
金光:  でも、それだけ断食、断水、不眠、不臥をなさると、後の回復の過程というのはなかなか難しいんじゃございませんか。
 
塩沼:  上手にしないと、なかなか体調を壊してしまったり致しますんで、私の場合は重湯を頂きながら一週間ほどで普通の食事に戻りました。
 
金光:  それくらいゆっくりと、
 
塩沼:  ゆっくりゆっくりと、
 
金光:  そうしますと、ある程度そういう状態になっていると、一日ぐらい延びてもそんなにきつくはないわけですか。
 
塩沼:  そうですね。行の考え方が、「備えあれば憂いなし」ということで、行に入る三日目からほぼ断食状態に入っておりました。
 
金光:  じゃ、実質的には九日じゃなくて、
 
塩沼:  十三日ぐらい断食はしていたような気が致します。行に入る時にはもう既に空腹感は一切なかったです。
 
金光:  無いものですか?
 
塩沼:  調整していきましたので、
 
金光:  そうですか。そうやって四無行をなさって、それからこちらに帰られたのは、その後ですね。お山じゃなくて、仙台生まれの阿闍梨さんですけれども、仙台の太白区も西の方、山形に近いこの地になんで来られたわけですか。
 
塩沼:  やはり田舎に住みたいというふうな気持が強くございました。畑をやったり、みんなでゆっくりとお詣りする方とお茶を飲みたいなという、そういうお寺が造りたくて仙台の方に帰ってまいりました。
 
金光:  さっきもおっしゃっていましたけれども、そのお気持は行をなさっている間もだんだん強く、
 
 
塩沼:  強くなってきたんですね。それで仙台の方に帰ってまいりました。
 
金光:  それでこちらにお帰りになっても、また昨年、断食じゃなくて、塩断ちと五穀断ちの行をなさっていますね。百日間の五穀断ち、これはまたどういうことでお始めになったんですか。
 
塩沼:  「八千枚の大護摩供(だいごまく)」というお行がございまして、その前行(ぜんぎょう)として、その前の百日間、一日三回本尊様の前で「不動立印軌(ふどうりゅういんく)」という修行をして、なおかつ「五穀等塩を断ちなさい」という決まりがあるんです。
 
金光:  そうですか。で、五穀というと、お米に、大麦、小麦、大豆、小豆ですね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  それに胡麻が入るんですか?
 
塩沼:  胡麻も入ります。
 
金光:  それを食べないとどういうことになりますか、身体の方は?
 
塩沼:  一番初めに塩も取りませんので、記憶力が低下致しました。その代わり一週間か十日来た頃でしょうか、逆にまた記憶力のほうが戻ってきて、かえって普段の三倍ぐらいの速さで本が読めたり、
 
金光:  え!
 
塩沼:  いろんな不思議な体験を致しました。
 
金光:  私はこの頃記憶力がないなあと思っているんですが、少し塩断ちかなんかしたほうがいいのかも知れませんね(笑い)。
 
塩沼:  五穀を食べないので、馬力はでないんですけれども、
 
金光:  頭のほうはそういうことがあるわけですか。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  で、そういう行を百日間お続けになった後で、その八千枚の大護摩供をなさる。これは八千枚の護摩の時の写真だと思いますけれども、けっこう炎は高く上がるんですね。
 
塩沼:  三メートルぐらい上がりますね。
 
金光:  この距離でこれだけ炎が上がりますと、熱いもんですか。
 
塩沼:  塩を取っていないんで、熱さが感じないんです。
 
金光:  そんな結果が出てくるんですか。
 
塩沼:  周りの修行僧たちは火傷をたくさんしたんですけども、
 
金光:  火傷をするんですか?
 
塩沼:  はい。私は全然熱くなく、行を修法することができました。
 
金光:  八千枚の護摩木をどの位の期間で焚くわけですか。
 
塩沼:  一昼夜、やはり飲まず食わず寝ずで一昼夜焚き続けます。
 
金光:  お不動さんの真言を?
 
塩沼:  お不動さん真言を称えて、
 
金光:  二十四時間?
 
塩沼:  二十四時間、一本一本、みなさん方のお願い事を火に投じていくわけです。
 
金光:  で、食べなくてそうやっても、阿闍梨さんの身体はそういうふうになっているから別に後でグッタリなんていうことはないわけですか。
 
塩沼:  なかったです。
 
金光:  じゃ、普通の次の日からまた普通の生活ができる?
 
塩沼:  そうですね。自分の心の中で、行といって、その時に肩に力が入るのではなく、そうなってしまったらこれが自分の日常だと思うようにしております。
 
金光:  なるほど。そうすると、八千枚の大護摩供が終わっても、また新しい違った形の行に入るということにも通ずるわけですね。
 
塩沼:  そうですね。
 
金光:  山の行と里の行というのがあるんだそうですけれども、昔からの言い伝えに。やっぱり山の行というのは目立ちますし、如何にも行だという感じはしますけれども、里の行というのは、あんまり行だという感じはしないんじゃございませんか。
 
塩沼:  そんなことはないです。
 
金光:  そう思うのは?
 
塩沼:  行もいろんなとらえ方があると思うんです。「自分の行」と「みなさんのための行」という考え方、「ある一定の期間の行」という考え方、また「人生すべてを行だ」と捉える考え方がありますけれども、私は坐禅している時とか、行をしている時とか、その時だけ一息一息を大切にするんじゃなくて、普段の生活の中でも、ご飯を作りながらも、歩きながらでも、一息一息を、人生という行を大切に生きているのが人として一番理想だな、という考えにだんだんと変わってまいりました。
 
金光:  そうですよね。四無の行を終わった後の感想をお書きになっている文だと思いますけれども、
 
たとえ時代が変わっても、
お釈迦様が示してくれたお手本通り歩む道こそ
み仏に仕える者の定めだから
行は始まりも、終わりもない、ただ無の心。
 
やっぱり期間を決めて、この間だけこういう行をしましょう、というのでは、その期間が終わって元の木阿弥じゃ意味がないわけですね。
 
塩沼:  そうですね。行を通して、大自然がいろんなことを教えてくれます。例えば雨が降って、その雨が自分の涙とともに地面に落ちます。それが雲となって、また自分に戻ってきて、今のこのポタポタと落ちる雨音、この雨音さえも「悟れ悟れ」と励ましてくれているような、そんなことも大自然の中から教わるんですね。教わっても、実際山で教わったことを、山はたった一人ですので、今度は人と人、みなさんとお互いに和していく時に、やはり自分の苦手な人もいれば、自分のほんとに好きな人もいる。これどちらの縁も大切にしていくことが一番理想なんですけれども、その行がおそらく待っているんじゃないでしょうか。いわゆる善い縁と悪い縁、どちらも感謝できるような行、これは山ではできない里の行ですよね。
 
金光:  なるほど。で、また最初の頃の山の行のお話になるかと思いますけれども、山と自分、山に向かい合う自分の心が、その日その日によって、いろんな自分を見せて貰えるというか、そういう関係がでてくるんじゃないかという気がするんですが。
 
塩沼:  初めは何も分からないんで、身体も力んで、肩に力が入って山々を歩くんですね。そうすると、当然のことながら右左とつく足も自然に対して厳しく、ただただ力強く蹴って歩く。そうすると膝を痛めたり腰を痛めたり、いろんな痛みを自分で悟って、これではいけないんだなあ。山も優しく歩いてあげると、その優しさが返ってくる。人にも自然にも優しくしていかないとダメなんだなあということを山で教えて頂きます。
 
金光:  さっき読まして頂いた「右左右左」も、やっぱり素直にいこうとか、謙虚にいこうとか何かそういう言葉が足の運びに自然にそって出てくるみたいなこともちゃんと書いていらっしゃいますね。
 
塩沼:  もう「右左右左」ではなくて、「素直、謙虚、素直、謙虚」というふうな感じで、子どもの心のような感じで歩んでおりました、最後のほうは。
 
金光:  でも、そういうふうに、いわば山に対する姿勢みたいなものが千日の間にもだんだんと変わってくるように、人生そのものも、いわば難所もあれば楽なところもあればいろいろあるわけですけれども、そういう生き方の、自分自身の心のコントロールといいますか、心の持ち方みたいなのは、山でなくても自分に、順境の時もあれば、逆境の時もあれば、辛い時もあれば、楽しい時もあるわけですけれども、その辺の心の持ち方だというのは、今のお話に通ずるところがあるんじゃないかという気がするんですが。
 
塩沼:  そうですね。行が始める前は、ゴールは見えません。
 
金光:  そういうもんですか。
 
塩沼:  そうですね。ゴールが見えないので、取り敢えず足元の石に躓かないように、右左右左歩いていくと、やがてゴールってこんなところか。ゴールってこういうところだったんだ、ということで―でも何の環境も変わっていないんだ、ということに気付かされるわけです。
 
金光:  そうすると、里へ下りて来られて、里でいろんな方が見えますよね。それで非常にすぐ意気投合と言いますか、心が通い合う人もいれば、なかなか難しい人もいろんな方がいらっしゃると思うんですけれども、そういう場合も、大体自分に都合のいい人とは親しくなりたいと思うし、自分が近づきにくい人はまあいいやという感じで避けたいような気持が私なんか起きるわけですけれども。
 
塩沼:  行が終わって一番自分自身が変わったということは、嫌いな人がなくなった、ということです。昔、行をしている最中は、「十人いれば十人、みんな平等に接することができますか?」と聞かれたら、できませんでした。
 
金光:  できないのが普通だと思いますですがね。
 
塩沼:  何故自分がそれできないんだろう。もしできなかったら、お坊さん失格じゃないかなあ、と考えて、
 
金光:  厳しいですね。
 
塩沼:  考えて行に打ち込んだ結果、あ、なるほどな、ということで、どちらも感謝できるようになって、それからは十人居ても百人居てもみんな一緒のように、みんな人が好きになったですね。行が終わって、一番自分が変わったということは、自分が与えられた環境、この与えられた環境を感謝して生きていくこと。これが人にとって一番大切なんじゃなかろうかと思います。例えば、自分自身の理想が百点満点だとします。でも七十点満点。百人居たら七十人しかいい人がいない、好きな人がいないということになります。でもそれが自分が与えられた環境なんで、これで感謝して生きていこう、五十点より零点よりいいやと思って、やっぱり感謝の気持を一番行によって教わったことじゃないでしょうか。
 
金光:  行をなさっている間にだんだんとそういう感謝の気持が強くなってこられたわけですか。
 
塩沼:  はい。おそらく大自然というのはいろんなことを教えてくれますね。一本の木も種から水があって、空気があって、光があって、ずーっと育っていきます。で、双葉が出てだんだんと大きく天に向かって真っ直ぐに木が伸びていくんですね。ところが人間の心だけです。善い心と悪い心があるからさまざまな方向にのびていきます。でも、自然というのは天に向かって、真っ直ぐお天道様に向かって進んでいく。そういう姿勢というのかな、そういうふうなものを、自分も真似しないとな、と。自分もそうあるべきなんだな、ということを教わってくるんで、だんだんと自分の醜いところ、悪いところ、これを反省していって、少しずつ少しずつ自分の理想とする自分ができてきたような気がいたします。役行者のご遺訓で、
 
身の苦によって
心乱れざれば
証果(しょうか)自づから至る
 
という言葉があるんですね。
 
金光:  身の苦によって心が乱れなければいい結果が出てくると。自ずから至るということですね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  やっぱり行を通じてやっていらっしゃると、その通りだなあと思われますか。
 
塩沼:  やはり行に入りますと、いろいろと毎日毎日が追い込まれた状態にあります。それでもなお信じて、自分自身を信ずるということが一番の自信になると思うんです。過信と自信とは違うんで、自分の努力に対する自信ですね。
 
金光:  裏付けがないと、ただ空想だけじゃこれは過信になってしまいますね。
 
塩沼:  そうですね。日々の努力、これに対して自分なら大丈夫だと。自分を信ずる、そういう強さが出てまいります。でも行をしていると、いろいろとこれを体験してきますので、何で自分というのはこんなに辛い思いをしなければならないか。人生って何でこんなに辛いだろうかとか、当然のことながら昔は思った時もあったような気が致します。でもいろんな行を通じて、こういう辛さとか、苦しさ、これは仏さんが自分の成長のために与えてくださったプレゼントなんだ、というようなことがだんだんとわかってきました。実際にじゃ昔と変わったかというと、何の環境も変わっていない。こうだったんだ。自分にありのままに気づくこと。こういうことが行なんじゃないかなあということを思いました。でも人間というのはもの凄く不平等だなあ。なんて自分だけがこうなんだなあ、と思う人もいるかも知れませんけれども、ある日山を下りてきた時に、炎天下の中、タンポポの穂があったんです。突然の突風で、その種が方々に散っていったんです。一つはコンクリートの上に落ちるものあれば、水溜まりの上に落ちるものもある。また成長するように環境が調った土のふくよかなところに落ちる種もある。そうか自分たちはこの世の中に生を授かった時に、「いってきなさいよ」ということで、ふうっとこの地球にいのちを授かった場所がこの日本であったり、或いはいろんな国々であったり、これは平等なんだなあと。でも空気も光も水もすべて私たちは平等に与えられております。でもそういう感謝の気持を生活の中でだんだん忘れてくるんです。でも、それにだんだん少しずつ気付かされたような気が致します。
 
金光:  気付かれると、そこで自分たちの生き方とタンポポの穂がフッと、しかも落ちるところがそれぞれ違うことによって、生かされている自分と同じような境遇、与えられた人間というもののいのちの意味みたいなものがそこでパッと閃かれたわけですね。
 
塩沼:  はい。
 
金光:  でもそう思うと、気は楽ですね。
 
塩沼:  気は楽ですね。よく「私は凡人だからできません」という方がいるんですけれども、私はこんなことをいうんですね、「もしお坊さんでも、凡人でも必ずあの世に逝く時がまいります。その日その時がきた時に閻魔さんの前をみんな通ります。お坊さんでも善いことをしたら胸を張って通れるし、悪いことをしたら―凡人でも一緒ですよね。いいことをしたら胸を張って通れるし悪いことをしたらアッというふうな感じで通っていくんでしょうけれども、だから胸張って生きていけるように、また閻魔さんのところへいった時に胸を張れるように、そういうように日々善いことをして悪いことをしない。これが信仰の原点だと思います」と。
 
金光:  善いことをしなさい。悪いことはいけませんよ、ということは『七仏通誡偈(しちぶつつうかいげ)』という昔から仏教の一番基本だというふうに言われているように伺っておりますけれども、行をずーっと続けてこられた阿闍梨さんからそのお言葉を頂けて大変有り難いと思って伺いました。どうも有り難うございました。
 
塩沼:  有り難うございました。
 
 
   これは、平成十九年四月八日に、NHK教育テレビの
   「こころの時代」で放映されたものである