世界史の中の聖徳太子
 
                        東方学院院長 中 村  元(はじめ)
明治四四年島根県松江市出まれ。日本を代表する哲学者、仏教学者。在家出身でありながらも、仏教思想にとどまらず、西洋哲学にも幅広い知識をもち思想における東洋と西洋の超克を目指していた。東京大学卒業。長く東大教授を勤める。東大教授退官後は、財団法人東方学院を設立。一般への東洋思想の普及にも尽力した。また比較思想学のパイオニアとして、比較思想学会も創設した。サンスクリット語に精通し、仏典などの解説に代表される著作は多数にのぼる。わかりやすい翻訳や解説には定評がある。東京大学名誉教授、日本学士院会員。平成一一年死去。
                        駒沢大学教授 奈 良  康 明(やすあき)
昭和四年東京生まれ。昭和二七年東京大学文学部印度哲学梵文学科卒。東京大学大学院人文科学研究科インド哲学専攻修士課程修了。カルカッタ大学大学院人文科学研究科比較言語学専攻博士課程修了。文学博士。駒沢大学仏教学教授となり、平成六ー一○年学長。のち名誉教授・曹洞宗総合研究センター所長、法清寺住職。著書に「仏教史1―インド東南アジア」「ラーマクリシュナ」「仏教の教え」「釈尊との対話」ほか
 
奈良:  本日は憲法記念日ということでございまして、それに因(ちな)みまして、日本で最初に憲法を作られました聖徳太子(574-622)について、いろいろとお話を伺ってみたいと思います。聖徳太子が、「十七条憲法」(六○四年発布)というものを作られたことは、もう一般によく知られておりますし、またさまざまに評価され論じられているわけであります。本日は特に聖徳太子への憲法、あるいはその思想というものを、世界の歴史の流れの中にどう位置付け評価されるのであろうか。そうしたことを一つの大きなポイントとしながら、東方学院院長の中村元先生からいろいろとお話を伺ってみたいと思います。先生、よろしくお願いを致します。
中村:  どうぞよろしく。
 
奈良:  先生、聖徳太子という方はもうよく知られております通りに、六世紀から七世紀にかけて活躍をされた方でありますが、六世紀から七世紀というのが、世界の歴史の中で非常に重要な、特に思想史の流れにおきましても、非常に偉い偉人が出ましたり、大きな出来事があった。そういう意味で、大変重要な時代ではないかと思いますんですけど。
中村:  そうですね。聖徳太子が出現されて統治されたその時代というものは、世界史的にみましても、殊に思想の面では大きな変動の見られる時代でございます。まず海を越えてお隣の中国大陸に目を向けますと、総じて東アジアは大体仏教圏でありましたが、五八一年には、中国では隋の王朝が樹立されました。そして、六一八年には隋が滅びて、唐の王朝が始まったのであります。隋・唐と申しますのは、殊に中国の思想史におきましても、仏教が盛んになった時代、殊に中国的な仏教が成立し発展した時代ということで注目すべきものでございます。それで中国仏教の偉大な思想家、宗教家でありました天台大師の智(ちぎ)(538-597)は五九七年に亡くなっております。さらに唐の時代に入りますと、どなたもご存じの玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)(602-664)が、遙々と砂漠を越えてインドへ旅行しまして、仏教を勉強して多くの経巻を請来して、六四五年にインドから中国に帰ってきたわけでございますが、それによってまた仏教がさらに発展致しました。この時代に仏教が盛んになったということは、仏教という独自の大いなる思想体系に基づいて、大きな国家の統一を実現したいという、そういう動きに相即しているわけでございまして、同じ東アジアの中国の大陸でも、チベットでも似たようなことが見られるのでございます。日本で聖徳太子が出現されたのは、ちょうどいろいろな豪族部族が対立し争っていたのを統一して、新しい日本の樹立を目指されたというわけでございますが、それと同じようにチベットにおきましては、聖徳太子から大雑把に申しまして五十年ぐらい後に、ソンツエンガンポ王(581-649)という王様が現れまして、そしてチベット全体を統一するとともに、また仏教を盛んにしました。聖徳太子に「十七条憲法」がありますように、ソンツエンガンポ王には「十六条法」というのがあります。十六の箇条を立てた独自の憲法であります。そして、その第一条は、日本の「十七条憲法」の第一条が、「和を以て貴しと為す」という、それに対応するかの如くに、ある伝えによりますと、第一条は、「争う者は罰すること重し」と定められております。そこまで何か通ずるものがあるんでございますね。それからさらに眼を西の方に転じますと、また大きな変化がございますね。一番大きなことは、聖徳太子が亡くなられた六二二年にイスラム教が成立したということですね。
 
奈良:  マホメットが世に出て教えを説いたんですね。
 
中村:  そうですね。マホメットがメディナに移って、ここでイスラム教が起こったわけでありますが、ちょうど接しているわけですね。さらにまた西の方へ目を向けますと、いろいろな諸国で諸王朝の争いがあったわけですが、殊に西ローマ帝国は既に滅びておりました。その後、東ローマを中心として、いろいろ侵略とか戦闘もありましたし、それからフランク王国の建国というのが四八六年になされておりますが、その後いろいろ曲折はございました。諸国いろいろでございますが、しかしそこに通ずるものがあった。殊に、私、一番不思議だと思いますのは、七世紀頃になりますと、インドは分かれておりましたけど、文化的にはやっぱり他の国々と通ずるものがあった。それを象徴的に示すものは、アジャンターの石窟の壁画ですね。殊に第一窟というのが一番後で出来まして立派なものが完成しました。そこに描かれている菩薩の姿ですね、蓮華手菩薩と申しますが、蓮華を手にしている。元の言葉で「パドマパーニ」と申します。その姿が法隆寺の金堂の観音様の姿と実によく似ているんですね。インドのものを見てきた人が日本にそのまま伝えたというわけでもないんでしょうけど、やはり似たものが聖徳太子の頃に現れたということは、何か国々は別でも、そこに精神的に通ずるものがあって、我が国にさえも感化を及ぼしたと言えるんじゃないかと思います。
 
奈良:  先生がずーっと勉強されてこられまして、特に最近では世界の思想史と申しますか、つまり一国の思想の動きだけではなくて、世界中の思想の動きというものをずーっと眺めてくると、「自ずと同じような形での思想の動き、特徴が認められる」と、よく先生は最近お書きになっていらっしゃるわけですが、この六世紀から七世紀というのが、やはりそういう一つの新しいものが出てくる大きな時代だったと思うわけですね。先ほど先生のほうから、仏教が隆昌をきわめた。それが一つの国家というものが、いろいろ部族社会とか、小さなグループで争っていたのが、統一帝国というものが出来上がってくる。そうした統一帝国の、いわば政治理念と申しましょうか、そうしたものとして活用されるということとも絡み合いながら、相即しながら仏教というものが発展をしてくる。あるいはそういう仏教の発展と共に、そういう政治的社会的な動きも見ていかなければならない。
 
中村:  両方が相即していると思いますですね。南アジアになりますと少し遅れまして、ビルマ(ミャンマー)では十二世紀頃、アナウラーター王(1044-1077統治)が出て部族を統一すると共に、仏教をもって国を導いていくということをしました。それからタイ国ではラーマ・カムヘン王(1277-1318統治)という人がやはり統一した。少し遅れますんですが、カンボジアになりますと、ジャヤヴァルマン七世(1181-1215統治)という人が諸部族を統一して国をつくりました。あの時カンボジアの仏教というのは非常に栄えていました。日本ではアンコールワットとかいうものだけ知られていますけどね。このジャヤヴァルマン七世という王様は、慈善院設立命令書を出して、領土の中に百一の病院を作って病める人を救ったということ、それを彼は誇っているんですね。当時の世界において、東西を通じて、仏教の理想を―人を助けるという理想を実現した帝王は東西を通じてなかったでしょうね。
 
奈良:  そういう仏教というものを、一つの国家の統一の政治理念として用いていく。それが当然人を人として扱う仏教の精神の中から、病院を建てるとか、いわば社会福祉的な事業にも、それぞれの諸王が心を砕いている。聖徳太子についても悲田院(ひでんいん)(貧しくて孤独な人を住まわせ養った)、施薬院(せやくいん)(薬草を栽培して人々に分かち与えた)、療病院(りょうびょういん)(男女ともに病人をここで治療した)、敬田院(きょうでんいん)(人々をして悪を断じ善をなさしめるための修養道場である)を造っておられますね。
 
中村:  四院を造った。その影響はずーっと後まで続いておりますが。
 
奈良:  聖徳太子がやはりそうした世界史的な流れの中でいろいろな部族を纏めて一つの統一国家を拵え挙げていかれた、と。そうした時に、「十七条憲法」というものが発布されてくるわけでございますが、その辺のことも踏まえながら、第一条と第二条を一つご紹介をしながらお話を少し伺いたいと思うんです。「十七条憲法」の第一条でございます。
 







 

一に曰(いわ)く、和をもって貴(とうと)しとし、忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ。人みな党(たむら)あり。また達(さと)れる者少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず。また隣里(りんり)に違(たが)う。しかれども、上和(かみやわら)ぎ、下睦(したむつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理(じり)おのずから通ず。何事か成らざらん。
     (十七条憲法)

 
 
「十七条憲法」の第一でございますが、少し言葉で難しい言葉もございますので、ご説明を頂きたいんですが。
 
中村:  「十七条憲法」の最初に、「和をもって貴しとなす」という言葉が出ておりますね。これは聖徳太子の思想を象徴的に示すものだと思うんですが、この表現はどなたでもご存じですけれども、少し学問的に検討致しますと、「和をもって貴しとし」という、「もって」というのはどういうことであるか。原文では「以」という漢字を使っておりますね。これをどう解釈するかということでありますが、今お伝えしたのは、我が国における伝統的な読み方をお伝えしたわけなんです。けれども、漢字の表現法に関する研究というものは、西洋でも進んでおりまして、殊にフランス人が非常に詳しくやっております。西洋人はどっちかというと、合理主義的に解釈しますが、「もって」の「以」という字は、これは「何々を」と読むべきであるというんです。つまり言語学のほうでいう「対格」ですね。
 
奈良:  目的語を示す助詞ですね。
 
中村:  そういうことなんです。直接の目的を示す。だから「和を貴しとなす」と。それだと、意味がはっきりするでしょう、簡潔で。総じて我々はいわゆる漢文の読み方というのは伝えていますけど、西洋人は合理的に解釈する。そういうところもやっぱりこのさえ反省して採るべきものは採って参照すべきじゃないかと思うんです。いずれにしても、この人々が仲良く和を実現するということ、これがもっとも貴いことであるというんですね。お互いに忤(さから)うことのないようにせよ、と。それ以前に、日本ではいろいろの豪族が争っておりました。悲惨なことも行われた。それを止めて平和な国家を作ろうという太子の理想がここに表現されている。これは今度現代に当て嵌めてみますと、世界平和を実現しようという、そういう目標になるわけですね。
 
奈良:  個々の争いはよそうという訴えですね。
 
中村:  そういうわけです。何故争いが起こるかというんですね。そうすると、次ぎに書かれていますように、「人みな党(たむら)あり」と。なんか偏ったわだかまりがある、と。そこで仲間を作るようになる。「また達(さと)れる者少なし」と。ほんとに道理を知っている人が少ない。だから、どうかすると、君とか、父に従わないで争いを起こす。あるいは近隣のコミュニティと諍(いさか)いを起こす。けれども、上の人でも、また下の人でもすべて和らいで睦まじくするならば、お互いに打ち解けて事を論ずることができる。話し合うことができる。そうしたならば、自ずから事柄というものは通ずるところがある。何事でも実現しないことはない筈だ、と、そういっておられるわけですね。
 
奈良:  そうしますと、和を大切にしろ、ということは、何でもいいから喧嘩をするな、誰かが旗を振ったらそれに黙って従っていればいいんだ、という意味での和ではなくて、やはり道理は道理として主張し、お互いに議論を尽くしたうえで、しかし平和に調和のとれた考え方、人間関係の中で事を処していこう。そういうことが一つの大きな平和に連なる。およそそういう意味での和でございますね。
 
中村:  そういう意味です。和というのはやはりめいめいの人が個人存在を保っているわけですね。そしてしかも心を開いて話し合って、それで高い目的を実現するという方向に向かっていくということを、ここではっきり表明している。殊に第一条でこういう道理を表明しているということは非常に注目すべきことだと思いますね。
 
奈良:  それが、「和をもって貴しとなす」という大変有名な言葉で、「十七条憲法」の基本の精神ということでもありますけれど、それが決して何でもいいから平和でありさえすればいいという。個というものを無視するんじゃなくて、むしろ一人ひとり、あるいは個々のグループ乃至人間というものの主張を大事にしながらの全体の調和を考えていくという、そういうことだということでございますね。
 
中村:  そうです。
 
奈良:  第二条をまた読んでみたいと思います。
 







 

二に曰く、篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは、仏と法と僧なり。すなわち四生(ししょう)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(おおむね)なり。いずれの世、いずれの人か、この法を貴ばざらん。人、はなはだ悪(あ)しきもの少なし。よく教うるをもて従う。それ三宝に帰(よ)りまつらずば、何をもってか枉(まが)れるを直(ただ)さん。
     (十七条憲法)
 
 
「十七条憲法」の第二でございますが、ここに仏・法・僧の三宝が出てまいりましたが。
 
中村:  この「三宝」という言葉の意味を少し考えてみたいと思うんです。従来の一般的な理解によりますと、ここで聖徳太子は、「仏教にたよれ」ということを勧めておられるんだ、と。そうすると、後の人はどうかすると、仏教という一つの宗教だけにたよれということになると偏っているんじゃないか、と。そういう思う人もあったわけですが、しかしここで三宝という言葉の意味を考えてみたい。はっきり書かれていますように、三宝―三つの宝というのは、仏と法と僧なんですね。当時は世界宗教というか、普遍宗教というものは、東アジアには仏教だけしかなかった。だから仏教のことを意味したというのは当然ですが、しかしよく考えてみますと、まず「仏」という言葉、これはインドの「ブッダ」という言葉の音を写したわけです。「ブッダ」と申しますのは、仏教の開祖のこともいうけど、あるいは仏教でたてる理想的人格のことをいうわけですが、しかし成り立ちを考えてみますと、仏教が起こった頃には聖者のことをみんなブッダと呼んでいたんです。
 
奈良:  それではブッダというのは、仏教の中で悟りを開いた人だけではないんですね。
 
中村:  ええ。そうなんです。ジャイナ教でも立派な聖者をブッダというんです。
 
奈良:  じゃ、一般的な言葉だったわけですね。
 
中村:  そうです。それからジャイナ教徒が伝えているもろもろの哲人の言葉の集成があるんですね。イシバーシヤーイム(ジャイナ教に限らずバラモン教、仏教を含めた諸哲人、聖者の語録を集めた異色の聖典)という難しい名前ですが、そこに出てくる聖者はみんなブッダと呼ばれているんです。さらに「釈迦に提婆(だいば)」と申しましょう。提婆(だいば)というのは、後世には非常に悪い人のように見られておられますが、あれは要するに異端の徒であった仏教者というだけのことでして、提婆達多(だいばだった)(釈尊に従って出家をするが、釈尊を妬んでことごとく敵対し、三逆罪を犯したとされる)というのが彼の元の名前ですが、提婆達多自身が、「自分はブッダだ」と言っている。それからまた彼に付き従っている人たちが後世までいたんですね、その仲間が。その人たちも彼のことをブッダと呼んでいた。だから聖者・賢者を意味しているわけですね。本当の意味の聖者・賢者となるようにというわけです。聖徳太子はそれを受けておられる。だから聖徳太子の解釈によりますと、ブッダは成就なる存在であって、悟りを開いた人、と、哲学的解釈をしているわけですが。
 
奈良:  直接的には仏教を讃え、仏教の仏を言いながら、その基本的理念とすれば、仏教という一つの教えを離れて、もっと広い意味での人間としての聖者をそこでは意としておられる。
 
中村:  そうです。だからブッダの本質というものは、「太虚」だという。そういうことも聖徳太子は書いておられるんです、これは別のところで。「太虚」というのは中国哲学でよくいう言葉ですが、その言葉をもってきて使っているわけです。だから、名付けるのはどうしてもいいわけです。本当の根本のもの、それを太子はブッダと理解しているわけです。
 
奈良:  そういう一つの聖者と言われる人格、人柄、そうしたものを重んじよ、と。こういうことだと思いますが。先生、仏法僧の「法」というのはどういう意味でございましょう。
 
中村:  これは人の人たる道、それを人を人として保つものという意味ですが、もともと語源的には、「保つもの」というのが、「法」の元の意味です。サンスクリット語で「ダルマ」と申しますが。人を人たらしめるもの。だからその本質を失ったら、格好は人間の格好をしていても人でなしだと言われるわけですね。その人を人として保つ、人間の本当の道ですね、それをダルマと呼んでいる。これは仏教文化圏でみんな奉ぜられているんですが、法を重んじたということで、聖徳太子の先駆者としてよく見られているのは、インドのアショーカ王(漢訳では阿育王と書かれる。在位:紀元前268年頃-紀元前232年頃)ですね。
 
奈良:  西暦前三世紀のインドで初めて統一大帝国を造りあげた王様ですね。
 
中村:  そうです。インドではアショーカ王が全インドを統一した。わが国では文化的に統一して立派にされたのは聖徳太子であるということでよく似ているんです。どちらも法を重んじよ、ということで。ところで、面白いことには、アショーカ王の詔勅文(しょうちょくぶん)というものが、石に刻み付けられてインドにたくさん残っているんですが、アフガニスタンのカンダハルというところに、約四十年ほど前に、ギリシャ語に翻訳されて石に刻み付けられた詔勅文が見つかったんですね。これはフランスの考古学隊が見つけたんですが。これは東と西の相互理解を示すものとして非常に面白いと思うんです。その中では、今申しました法という言葉―仏法の法ですが、それをギリシャ語で、「エウセベイア(eusebeia)」と訳しているんですね。これは、「よく生きること、敬虔なる心」ですね。「敬い慎む敬虔なる心」という意味で、西洋では用いられている。新約聖書の原点は、「コイネー」というギリシャ語で書かれていますが、その中によく出てくるというんですね。そうしますと、聖徳太子が掲げられているこの法という概念は、単に日本だけに通用するものではない。遡ればアショーカ王までいく。さらに西の方に向かっては、ギリシャ哲学の中にも何か対応するものがあるということになるんです。あるいは西洋の宗教の中でも説かれていることである、と。
 
奈良:  なるほど。そうしますと、仏法僧という、通常はこの法を仏陀の教えとか、あるいは仏教の教理とかいう形で解釈する向きがございます。たしかにそれは含まれると思うんですけれども。
 
中村:  ええ。一人でにそうなるんです。
 
奈良:  ひとりでに含まれるんですけれども、それよりはもっと非常に幅広い、たしかに仏教を一つの縁として語ってはいるけれども、仏教そのものを離れたもっと普遍的な人間のあり方、
 
中村:  あらゆる民族の拠り所となるべきものですね。
 
奈良:  それを法と言い、
 
中村:  そうです。それからもう一つ、「僧」と申しますのは、これは「サンガ」というインドの言葉の音を写したわけなんです。古い時代の中国には僧という文字はなかったんです。ところが仏教が伝わって、そこで何とか音を写して表現したいというので、僧という漢字を作っちゃったんですね。サンガ(僧・僧伽(そうぎゃ))というのはどういう意味かと申しますと、昔のインドでは、政治的な意味では共和国を意味している。それから経済的な意味では組合を意味している。
 
奈良:  ギルド(中世ヨーロッパの同業者組合)でございますね。
                 
中村:  ギルドですね。共和国でもギルドでもみんな仲良くしなければならないでしょう。全然違った人が集まって来て、仲良く協力する。それにかたどって、仏教教団というものも、仲の良い人間結合を実現をするという意味で、それでサンガと言ったんです。それを中国で僧と訳したわけですね。中国でも日本でも後代になりますと、東アジアの国では、僧というのは、個々のお坊さんのことを言うんですね。けど、それは東アジアなり、わが国では、人の、個人の帰属意識が強いから大きな集団に入っていく。その意識が強かったわけですね。だから、たまたまお坊さんのことを僧というようになったんだけど、元の意味じゃないんですね。元の意味は、そういうような仲の良い人間結合を作ること。だから、これはどこにでも実現され得るもの。
 
奈良:  そうしますと、仏法僧という言葉も、元の基本的な趣旨を教えられてみますと、人間としての英知を備えたる人が仏であり、それから人間としてのあるべき道を説いたものが法であるし、それから人間としての和合というものを示すものが僧であるという。そうしますと、聖徳太子も先ほどのお話のように、直接的には仏教というものを表面におきながら、その仏教をも包むもっと広い理念を普遍的なものとして取り上げようとされたわけだし、アショーカ王にしても、アショーカ王が決して仏教精神に則って政治をしたというよりも、仏教に直接基づいてはいるけれども、仏教を超えたもっと広い普遍的な、ダルマの精神に従って平和の治世を心懸けたという。だからこそ、現代インドの国家の紋章もアショーカ王の王柱の獅子柱頭をデザインされたものが使われたわけなんでしょうからね。
 
中村:  そうなんです。アショーカ王の詔勅文というのはたくさん残っています、刻み付けられて。国民一般に訴える時には、特殊な宗教に偏るということはないんです。人間一般広く通用すべき理法をダルマと呼んでいるんです。ただ仏教の特別な霊場があるでしょう。そういうところを大事にして、寄進して、そして何か碑文を残すというのは、そういうところでは仏教の色をハッキリ出しています。
 
奈良:  なるほど。そうしますと、また日本の聖徳太子に戻って、いろいろと伺いたいんでございますけれども、仏教信仰の中から出てきながら、その理念をさらに根元に戻って、広い普遍的な法に基づいた一つの治世と言いますか、政治を心懸けておられた。そうしますと、理念と言いますものは、仏教者だけではなく、いろいろな形の人にも共通普遍し妥当するものであったかと思うんですが、聖徳太子以降、日本の思想界あるいは宗教におきましても、聖徳太子の影響というのは大きうございますですね。
 
中村:  大きいですね。これはどの宗派でも聖徳太子を重んじておりますが、殊に一番ハッキリしているのは親鸞聖人じゃないですか。親鸞聖人は特に聖徳太子を尊崇して、聖徳太子奉讃という和讃を作っております。特別に観音様の化身として聖徳太子を尊んでおりますですね。それからその後、時代はちょっと遅れますけれども、忍性律師(にんしょうりっし)(1217-1303)は世界にも比類のないほどの社会奉仕、難民救済をされた人ですが、何故そういう気持を起こしたかというと、聖徳太子の精神に激発されたというんですね。あの方は一時大阪の四天王寺の別当もしていた方ですが、聖徳太子に誓って、人々のために一生奉仕したということです。その他一遍上人にしましても、聖徳太子の御廟に詣った。それから聖徳太子の御廟は磯長(しなが)(大阪府南河内郡太子町)という所にあるんですが、そこには日蓮聖人参籠記念宝塔が建てられておりますが、ずーっとその影響が続いておりますですね。
 
奈良:  仏教関係の方だけでなく、聖徳太子の「十七条憲法」の影響というものが、その他の思想的流れの人にもいろいろと読まれ、大切にされていたことがあったということを伺っておりまして、「十七条憲法」のおおよそのところを少しご紹介をし、コメントを頂きながら、お話を伺いたいと思うんです。時間の関係もございまして、十七条一々読んでいくわけにいきませんので、先生の「十七条憲法」の現代和訳の中から、ポイントのところをちょっと出して頂いて、それを見てポイントをお示し頂く。同時に江戸時代末期の儒学者佐藤一斎(さとういっっさい)(江戸後期の儒者。美濃岩村藩の家老の子。大坂に出て中井竹山に学び、朱子学を主とし、陽明学に傾く。林家の塾長、昌平黌(しょうへいこう)の教官となる。多くの有意の青年の思想的感化を与える:1772-1859)という方が、やはりそうしたことに影響されて、藩のお役人、その他のための教えを説かれているのがあるんだそうでございまして、それと比較しながらいろいろお話を伺いたいと思いますんですが。
 
中村:  そうですね。この佐藤一斎と申しますのは、江戸時代後期の幕府の精神的な指導者だった漢学者でありますが、その人が面白いことには、「重職心得箇条」という十七条を作っているんですね。これは面白いと思うんです。十七という数まで一致するんです。安岡正篤(やすおかまさひろ)(1898-1983)という漢学者がおられます。その方によりますと、「これは聖徳太子に影響されたんだろう」と言われるんです。中味も非常によく似ているんですね。それを、私は今まで知らなかったんですが、たまたま教えられまして、それを私に教えて下さったのは、住友生命の名誉会長の新井正明(あらいまさあき)という方ですが、この方は松下幸之助さんの松下政経塾の理事長もされて、非常に精神的な継承者でもあり、篤志な方ですが、その方が私に教えてくださったんです。大変いいことが書いてある。「これを自分は会社の課長以上の方にみな差し上げて配ることにしている」と、そう言われるんです。比べてみると非常によく合うんですね。
 
奈良:  その重職心得箇条も現代語訳をしたものの中から重要と思われるところを抜粋をさせて頂いて、「十七条憲法」の現代和訳のほうの抜粋したものと一つ並べながら、いろいろとお話を伺ってみたいと思うんですが。
 
中村:  お願いします。
 
奈良:  「十七条憲法」の第三条の一部でありますけれども、
 





 

第三条
・・・天は覆い、地は載せる。・・・上の人が行うことに下の人が追随するのである。
     (十七条憲法)

 
 
「天は覆い、地は載せる」という。これは中国の有名な言葉ですね。
 
中村:  中国の有名な文句ですね。
 
奈良:  それを受けるようにして、「上の人が行うことに下の人々が追随するのである」という。これは、上に立つものが悪いことをしていたら示しがつかない。上の者がきちんとしているからこそ、下の者もきちんとできるという。これは例えば、政界、官界の腐敗なんていうことがよく言われますけれども、そうしたことと考え合わせてみますと、なるほどと、意味がわかるかも知れません。それに対応するように、重職―現代でいうと管理職という言葉がありますでしょう。重職心得箇所というものの中に、
 




 

十五 風儀というものは上の方から起って来るものである。・・・
     (重職心得箇条)

 
 
言っている意味は同じでございましょうね。
 
中村:  同じことですね。
 
奈良:  次は第四条になります。
 







 

第四条
もろもろの官吏は礼法を根本とせよ。そもそも人民を治める根本は、かならず礼法にあるからである。上の人びとに礼法がなければ、下の民衆は秩序が保たれないで乱れることになる。・・・
     (十七条憲法)

 
 
ここに「官吏」という言葉と「礼法を根本とせよ」と。礼法が大切だというんですが、この礼法というのはむしろ礼儀作法ではなくて、倫理道徳、あるいはその役人としての節度をもった正しい心というほどの意味でございましょうか。
 
中村:  これは中国の文化ですね。少なくとも倫理的な面からみると、比較思想の研究者が言っていることですが、「理」が元だというんですね。それはちょうどインドの倫理的な規範が「ダルマ」と呼ばれ、それからギリシャの倫理規範が「ノモス」とギリシャ語で言われている。それと対応するものです。ちょうど東アジア一般の理解をもってきて、ここで礼といっているわけですね。
 
奈良:  それに対応するように、儒学者の佐藤一斎という方が、「重職心得箇条」に、
 





 

一 重役とは国家の大事を処理すべき役職であって、その重の一字を失い、軽々しく落ちつきが無いのは悪い。大事に際し油断があるようでは、この職は務まらない。・・・
     (重職心得箇条)

 
 
重役とは国家の大事を処理すべき重要な役職だ、と。重職というところから重という重い字をとりまして、重々しくなくちゃダメだよ、と。軽々しいのはいかん、と。それだけ責任を感じながら、身を慎み、きちんとした政治をしろ、ということでございますですね。
 
中村:  そうですね。
 
奈良:  なるほど。その辺よく似ておりますですね。
 
中村:  はい。
 
奈良:  次は第五条でございます。
 









 

第五条
役人たちは飲み食いの貧
(むさぼ)りをやめ、物質的な欲をすてて、人民の訴訟を明白に裁かなければならない。・・・このごろのありさまを見ると、訴訟を取り扱う役人たちは私利私欲を図(はか)るのがあたりまえとなって、 賄賂を取って当事者の言い分をきいて、裁きをつけてしまう。・・・こんなことでは、君に仕える官吏たる者の道が欠けてくるのである。
     (十七条憲法)

 
 
ここに「人民」というような言葉がございますけれども、これは当時の政治体制、社会体制の中での言葉でありますし、現在の言葉に直すならば、役人と最初にございますけれども、お役人というよりはむしろ政治家、
 
中村:  そうですね。単に行政職の人たちばかりじゃなくて、今日の言葉に直しますと、政治家も含まれているし、それから司法官なんかも含まれておりますですね。
 
奈良:  そうでしょうね。そして、飲み食いの貪りをやめ、物質的な欲をすて、ずーっと後のほうにまいりますと、訴訟を取り扱うのに、私利私欲を図(はか)っている、と。賄賂を取って当事者の言い分をきいて、裁きをつけるなど、と。現代でもいろいろなところでどうも無いことではなさそうなことが書いてございますね。
 
中村:  現代語に直して味わっていきますと、なかなか辛辣なことを言っていますね。
 
奈良:  最後のほうで「君に仕える官吏たる者」とありますが、これも先ほどと同じでございますね。当時の社会体制、政治体制の中で、天皇制の中で君という、
 
中村:  ようやく中央政権が樹立されたばかりの時ですからね。こういう表現をとったのは当然だと思います。
 
奈良:  この精神を受け取るならば、この場合、君に仕える官吏と言いますよりも、現在では「公僕」という言葉がございますので、「一般の人々に奉仕する仕事の官吏たる者」というふうに読み替えて理解をしてよろしいものかと思いますが。重職心得箇条のほうは、
 



 

六 公平を失っては善い事すらも行われない。・・・
     (重職心得箇条)

 
 
「公平を失わない」ということが書いてございます。
 
中村:  一言で言っておりますね。
 
奈良:  また次に移って頂きましょうか。当時の政治、社会体制の中ですから現在の社会体制とか、あるいは国家のありよう、社会のありようからみますと、言葉にあんまり引きずられますと、ちょっと誤解を招くかと思いますので。
 
中村:  そうですね。その奥には精神を、現代において生かして、我々のものにする、ということが大事だと思います。
 
奈良: 







 

第七条
・・・賢明な人格者が官にあるときには、ほめる声が起こり、よこしまな者が官にあるときには、災禍や乱れがしばしば起こるものである。・・・いにしえの聖王は 官職のために人を求めたのであり、人のために官職を設けることはしなかったのである。
     (十七条憲法)

 
 
官にあるものは賢明な人格者でなければならない、と。まあこういうことを言っておりますし、心の邪な者がそうしたとこにあると災いが起こる、と。
 
中村:  殊に最後に述べていることは痛烈ですね。「いにしえの聖王は官職のために人を求めたので、人のために官職を設けることはしなかった」と。この頃はよく世間で言われることですが、偉い方が辞められると、「誰々さんが辞められるから一つ公団を作ってあげましょう」とか、そうであってはいかん、と。それぞれの公団なり団体なりというものが必要だということを見きわめて、それから適任者を選べということですね。
 
奈良:  やはり政治というものの基本に返って、事柄として重要なものは、役職を置くべきだけれども、人のために私して、勝手に官職を作ってはならない、と。まあこういうことかと思いますが。それに対しまして重職心得箇条のほうは、
 




 

十 政事においては大小軽重の区別を誤ってはならない。・・・
     (重職心得箇条)

 
 
政事においては大小軽重の区別を誤ってはならない。これもやはり管理職として大切なことでございますね。いつの時代にも変わらないことかと思いますけれども。次ぎにまいりましょうか、
 







 

第十条
・・・人にはみなそれぞれ思うところがあり、その心は自分のことを正しいと考える執着がある。・・・しかし自分がかならずしも聖人なのではなく、また他人がかならずしも愚者なのでもない。両方ともに凡夫にすぎないのである。・・・
     (十七条憲法)

 
 
人は個々別々、考えることが違うと。自分のことを正しいと、誰でもそう思うわけです。しかし自分が必ずしも聖人なのではなく、他人が必ずしも愚か者ではないんで、ともに凡夫に過ぎないと心得るべきだ、という。これは耳の痛い言葉でございますね。
 
中村:  深い反省が示されていますね。それを最高の権力者が言ったんですから、大したことですね。
 
奈良:  それに対しまして、重職心得箇条のほうが、またそれに応じたようなことを述べているんでありますけれども、
 





 

二 ・・・自分に部下の考えより良いものがあっても、さして害の無い場合には、部下の考えを用いる方が良い。・・・択り好みをせずに・・・
     (重職心得箇条)

 
 
中村:  重職心得箇条の中の反省もまた非常に具体的でして、いいことをいっていると思いますね。
 
奈良:  そうですね。「自分に部下の考えるより良いものがあっても、さして害のない場合には、部下の考えを用いる方が良い」という。これは大変人間関係と申しますか、非常に相手の立場を考えた、考えるべき一つの提言のように思われますですね。
 
中村:  これを徳川時代に、封建制度がまだあった時代に、こういう反省を述べているんですから、偉いものだと思いますね。それだけの反省をもっていたから、あの徳川時代の政治というものがずっと続いて、そして日本の繁栄の基を作ったということになるんじゃないでしょうか。
 
奈良:  その意味での文化尺度と言いますか、文明度と言いますか、高かったものを思わせられますね。
 
中村:  高かったと思いますね、道徳的に。
 
奈良:  その次を一つ見て見ましょうか。「十七条憲法」の第十三条に当たるところでありますけれども、
 







 

第十三条
もろもろの官職に任ぜられた者は、同じくたがいの職掌を知れ・・・人と和してその職務につき、あたかもずっとおたがいに協力していたかのごとくにせよ。自分には関係のなかったことだといって公務を拒んではならない。
     (十七条憲法)

 
 
これは現代的に言いますと、なすべき事柄に忠実であって、縄張り争いはよせ、ということでございましょうか。
 
中村:  そういうことになりますね。
 
奈良:  あるいはあんまり縄張り争いといいますか、職掌の分担を厳しく守ることによって、仕事自体が上手くいかないようなことがあってはならない、と。
 
中村:  そうですね。そういうことに繋がりますね。
 
奈良:  最近、道路一つ工事するに致しましても、いろいろな役所の各職分によっての連絡があまり上手くいかないというようなことがなきにしもあらずでありましてね。
 
中村:  よくわからないんですが、道路を掘り起こし直しますね。そうするとまた今度次の縄張りの人が来て、また掘ってまた直すということがあります。これは日本ばかりでなくて、他の国でもそうらしいですね。他の国の人からも聞いたことがありますが。
 
中村:  やはり制度、あるいは組織というものが大きくなって、それぞれの職掌というものがきちんとされればされるほど、今度はそういう矛盾が出てきてしまうという。これは一つの体制論と言いますか、組織論の中の大切な問題じゃないかと思いますんですが。それに対しまして、重職心得箇条のほうは、これは面白い言葉が出ておりますですね。
 







 

十四 政事というとこしらえ事、つくろい事をするようにばかりなるものである。何事も自然に現われたままで行くのを「実政」というのであって、役人の仕組むような事は皆「虚政」である・・・通常起こる大抵の仕事は出来るだけ簡易にすべきである。手数を省くことが肝要である。
     (重職心得箇条)

 
 
政事というとこしらえ事、つくろい事になってしまう。何事も自然に現われたままで行くのを「実政」という。役人の仕組むような事は皆「虚政」である、という。
 
中村:  これドキッとするようなことを言っていますね。これは現代語訳ですが、その原文にやはり「実政」「虚政」という言葉を使っていますものね。驚きますね。
 
奈良:  さらに続きまして、
 
「通常起こる大抵の仕事は出来るだけ簡易にすべきである。手数を省くことが肝要である」。これはいろいろな面で思い当たることがございますね。
 
中村:  これは現代にまさにピッタリの戒めじゃないですか。
 
奈良:  そうですね。これは他人(ひと)のことをいうばっかりじゃなくて、私たち一人ひとりの生活の中で、これは適応すべきことが多分にあるように思いますんですけれども。
 
中村:  そうですね。
 
奈良:  次ぎにまいりましょう。
 





 

第十五条
私の利益に背いて公のために向かって進むのは、臣下たる者の道である。・・・
     (十七条憲法)

 
 
ここでも、「臣下たる者の道」とありますけれども、当時の言葉ですので、私どもとしては意味を取る必要があろうかと思います。そうしますと、私の利益を追うな、公のために尽くせ、と。それが臣下たるものの道というのは、現在、公務員の方々は、公僕という言葉がございますんですが、まさにそれを説いていますですね。
 
中村:  そうですね。どのような立場にある人でも公共のためを考えて進め、ということになりましょうね。
 
奈良:  それに対しまして、重職心得箇条のほうは、
 




 

七 衆人が服従することを厭がる所をよく察して、無理押付はしてはならない。・・・
     (重職心得箇条)

 
 
無理押しつけはしなさんな。それから厭がることは嫌なことなんでありますから、その辺をよく心得て、要するに相手の立場に立っていろいろと考えるべきであろう、と、こういうことを言っておりますね。
 
中村:  思いやりがありますね。
 
奈良:  次の条にまいりましょうか。
 





 

第十六条
人民を使役するには時期を選べというのは、古来の良いしきたりである。・・・
     (十七条憲法)

 
 
ここも「人民を使役」という、現在では使えない言葉が出ておりますけれども、その内容から言いますと、一つの会社であれ、役所であれ、一般社会、一般のことであれ、それぞれの人たちの立場とか事情をよく考えて、労働条件を上手く考えろ、という、そういうことでございましょうか。
 
中村:  そうですね。それぞれの時期を考える。チャンスを逃すな、ということにもなりますでしょうね。今どういうことが一番大事であるか、ということを考える。
 
奈良:  おそらく「十七条憲法」の基を作られた時には、例えば、農業の時期であるとか、農繁期の時には人を使うな、ということがきっと背景にあったんだろうと思いますけれども。それに対して佐藤一斎は、
 




 

五 機に応ずということがあるが、これは重要なことである。・・・
     (重職心得箇条)

 
 
機に応ずということがあるが、これは重要なことである。これは読んで字の如く、ほぼ同じことを言っている。
 
中村:  これは現代の政治家だって、やっぱり考えておられることだと思いますが、もっとテキパキとそれを遂行して頂きたいものだと思いますですね。
 
奈良:  そうですね。「十七条憲法」の中の第十七条、最後の言葉ですが、これは大変重要であると同時によく知られた有名な言葉ですが、
 





 

第十七条
重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人びととともに論議すべきである。・・・
     (十七条憲法

 
 
ここでも先ほどの和ということとの関連で、決して黙って従いというんじゃなくて、尽くすべき議論は尽くしていかなくちゃいかんということですね。
 
中村:  西洋の学者が割合言うんですが、東洋的専政なんていうことを申しますでしょう。これは決して専政的じゃないですね。みんな人々の立場を考えて相談して決めろ、と言われているんですから。
 
奈良:  それを受けてもう少しいろいろな立場を考えながら、親切丁寧に解説してくれたという感じが、重職心得箇条の十二ですけれども、
 







 

十二 大臣たるもの胸中に一つの定まった意見を持ち、一度こうだと決心した事を貫き通すべきであるのは当然である。しかしながら心に先入主、偏見をもたないで公平に人の意見を受け入れ、さっとすばやく一転変化しなければならない事もある。・・・
     (重職心得箇条)

 
 
まず一つには、大臣たるもの胸中に一つの定まった意見を持ち、一度こうだと決心した事を貫き通せ、と。これは主体性の問題ですけれども、しかし同時に、先入主、偏見をもたないで公平に人の意見を受け入れろ、と。そして、これは公平でないと思ったらすばやく一転変化することも当然あり得るんだ、と、こういうことを言っておりますね。
 
中村:  つまり人間が高い理想を掲げて、志を立てたならば、それはどこまでも貫き通す必要がある。けれども、実際に遂行するにあたっては、臨機応変に、とらわれないでなすべきである、ということを教えているかと思うんですが。
 
奈良:  こうして「十七条憲法」のそれぞれの条項をすべてというわけにいきませんけれども、めぼしいところをずーっと見てまいったわけでありますけれども、やはり聖徳太子の「十七条憲法」と申しますか、あるいは聖徳太子の思想と申しますか、世界史的に見て聖徳太子の思想の一つの大きな意義というのは、和の精神ということで、普遍的精神ということでございましょうか。
 
中村:  普遍的精神ということが言えると思いますですね。その時代的制約とか、あるいは社会的事情によって、それに応じていろいろ説かれているわけですが、その底には崇高な理想が働いていると思うんです。私は以前に考えていましたが、日本では明治の憲法というのがのちにできましたですね。それから戦後にまた新しい憲法ができましたね。そういうもののほうが条文は細かで具体的なことを教えている。制度的なものを教えていますね。それに対して、聖徳太子の「十七条憲法」というものは、道徳的な心構えの問題が非常に多いですね。「十七条憲法」のほうは、まだ未発展のもので、つまり発展段階に即していうならば幼稚なものである。ところが後の憲法というのは、西洋の影響を受けて、きちんとしたものができたという具合に世間の方はとっておられると思うんです。けれど、きちんとしてできた憲法と雖も、決して千古不易のものではないわけですね。どうかすると、どこの国でも憲法の改正ということが行われておりますですね。どうかすると、国が吹っ飛んでしまう。すると、憲法なんかあるんだか、無いんだかわからないような状態さえも醸し出されておりますね。そういう場合に、正邪是非をどうやって判定するかということなんです。元へかえって反省し批判する必要があるわけです。その場合に、元のものを教えてくれるという点で、聖徳太子の憲法というものは非常な意味を持っている。つまり元のもの、根本的なもの、根底的なものに、聖徳太子の憲法というものはより近いところにあると思うんですね。
 
奈良:  それをもう少し具体的に言いますと、先ほどの仏法僧の三宝が一つの判断の基準となる。
 
中村:  そうなんです。
 
奈良:  それも決して、一つの宗派、一つの宗教グループとしての仏教の仏法僧というよりは、具体的にはそれを一つの媒介として説いてはいるけれども、実は基本的な精神はもっと一仏教というものを超えた―逆にいえば、仏教もその中に含まれるわけですけれども―超えた普遍的な人間としてのあり方、そうしたものが聖徳太子の「十七条憲法」によって、普遍的理念、あるいは政治とか社会を考えていく際の一つの基本の政治理念として説かれてきている、という。
 
中村:  天台大師が、「世の中に仏がおられようと、現れようと、あるいは現れなかろうと、人間の真理、人間の本質というものは永遠に変わらないものである。その永遠なるものに基づいて行動しよう」と言っておられるんですね。これは西洋だって似たような思想がある。例えば、「自然法」を説いたフェルドロース(ドイツ生まれの法学者、歴史学者。ファルツ候の庇護のもとドイツのハイデルベルク大学で政治学、自然法を教えたのちスウェーデンのルンド大学に迎えられ、ここで主著の「自然法と人定法」およびそれを要約した 「自然法に基づく人および市民の義務」を次々に発表した)という人は、「神が造られたものであろうと、あるいはそうでなかろうと、法というものはそれ自身意義のある永遠のものである」ということを説いておりましょう。それに非常に対応関係があると思いますが、人間である限り基づかねばならぬ普遍的な、永遠の理法というものを我々は求めて、それによって実定法に対する批判もなさねばならん。その場合に、聖徳太子の憲法というものは、その基のものを、永遠なるものにもっとも近いところに位置していると思うんですね。
 
奈良:  そうしますと、後代の憲法のように政治情勢、社会情勢が変わったらその意味を失ってしまう、というのと違って、聖徳太子の憲法、聖徳太子の思想が、より普遍的な、人間に基づいた基盤を与えてくれている、と、こういうことかと思います。本日はどうもありがとうございますた。
 
 
 
(参考)
「十七条憲法」 (中村元「十七条憲法」口訳より)
 
第一条
おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならない。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局を見通している者は少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない。
第二条
まごころをこめて三宝をうやまえ。三宝とはさとれる仏と、理法と、人びとのつどいとのことである。それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国々が仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないということがあろうか。人間には極悪のものはまれである。教えられたらば、道理に従うものである。それゆえに、三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行いを何によって正しくすることができようか。
第三条
天皇の詔を承ったときには、かならずそれを謹んで受けよ。君は天のようなものであり、臣民たちは地のようなものである。天は覆い、地は載せる。そのように分の守りがあるから、春・夏・秋・冬の四季が順調に移り行き、万物がそれぞれに発展するのである。もしも地が天を覆うようなことがあれば、破壊が起こるだけである。こういうわけだから、君が命ずれば臣民はそれを承って実行し、上の人が行うことに下の人が追随するのである。だから天皇の詔を承ったならば、かならず謹んで奉ぜよ。もしも謹んで奉じないならば、おのずから事は失敗してしまうであろう。
第四条
もろもろの官吏は礼法を根本とせよ。そもそも人民を治める根本は、かならず礼法にあるからである。上の人びとに礼法がなければ、下の民衆は秩序が保たれないで乱れることになる。また下の民衆のあいだで礼法が保たれていなければ、かならず罪を犯すようなことが起こる。したがってもろもろの官吏が礼を保っていれば、社会秩序が乱れないことになるし、またもろもろの人民が礼を保っていれば、国家はおのずから治まるものである。
(十七条憲法)
第五条 
役人たちは飲み食いの貧(むさぼ)りをやめ、物質的な欲をすてて、人民の訴訟を明白に裁かなければならない。人民のなす訴えは、一日に千件にも及ぶほど多くあるものである。一日でさえそうであるのに、まして一年なり二年なりと、年を重ねてゆくならば、その数は測り知れないほど多くなる。このごろのありさまを見ると、訴訟を取り扱う役人たちは私利私欲を図(はか)るのがあたりまえとなって、 賄賂(わいろ)を取って当事者の言い分をきいて、裁きをつけてしまう。だから財産のある人の訴えは、石を水の中に投げ入れるようにたやすく目的を達成し、反対に貧乏人は、何をたよりにしてよいのか、さっぱりわからなくなってしまう。こんなことでは、君に仕える官吏たる者の道が欠けてくるのである。
第六条
悪を懲らし善を勧めるということは、昔からの良いしきたりである。だから他人のなした善は、これをかくさないで顕し、また他人が悪をなしたのを見れば、かならずそれをやめさせて、正しくしてやれ。諂ったり詐(いつわ)ったりする者は、国家を覆し滅ぼす鋭利な武器であり、人民を絶ち切る鋭い刃のある剣である。また、おもねり媚びる者は、上の人びとに対して好んで目下(めした)の人びとの過失を告げ口し、また部下の人びとに出会うと上役の過失をそしるのが常である。このような人は、みな主君に対しては忠心なく、人民に対しては仁徳がない。これは世の中が大いに乱れる根本なのである。
 
第七条
人には、おのおのその任務がある。職務に関して乱脈にならないようにせよ。賢明な人格者が官にあるときには、ほめる声が起こり、よこしまな者が官にあるときには、災禍や乱れがしばしば起こるものである。世の中には、生まれながらにして聡明な者は少ない。よく道理に心がけるならば、聖者のようになる。およそ、ことがらの大小にかかわらず、ゆるやかなときでも、賢明な人を用いることができたならば、世の中はおのずからゆたかにのびのびとなってくる。これによって国家は永久に栄え、危うくなることはない。ゆえに、いにしえの聖王は 官職のために人を求めたのであり、人のために官職を設けることはしなかったのである。
第八条
もろもろの官吏は、朝は早く役所に出勤し、夕はおそく退出せよ。公の仕事は、うっかりしている暇(いとま)はない。終日つとめてもなし終えがたいものである。したがって、遅く出仕したのでは緊急の事は間に合わないし、また早く退出したのでは、かならず仕事を十分になしとげないことになるのである。
第九条
なこと(信)は人の道(義)の根本である。何ごとをなすにあたっても、まごころをもってすべきである。善いことも悪いことも、成功するのも失敗するのも、かならずこのまごころがあるかどうかにかかっているのである。人びとがたがいにまごころをもって事にあたったならば、どんなことでも成しとげられないことはない。これに反して人びとにまごころがなければ、あらゆることがらがみな失敗してしまうであろう。
第十条
心の中で恨みに思うな。目に角(かど)を立てて怒るな。他人が自分にさからったからとて激怒せぬようにせよ。人にはみなそれぞれ思うところがあり、その心は自分のことを正しいと考える執着がある。他人が正しいと考えることを自分はまちがっていると考え、んが正しいと考えることを他人はまちがっていると考える。しかし自分がかならずしも聖人なのではなく、また他人がかならずしも愚者なのでもない。両方ともに凡夫にすぎないのである。正しいとか、まちがっているとかいう道理を、どうして定められようか。おたがいに賢者であったり愚者であったりすることは、ちょうどみみがね〈鐶〉のどこが初めでどこが終わりだか、端のないようなものである。それゆえに、他人が自分に対して怒ることがあっても、むしろ自分に過失がなかったかどうかを反省せよ。また自分の考えが道理にあっていると思っても、多くの人びとの意見を尊重して同じように行動せよ。
第十一条
下役の者に功績があったか、過失があったかを明らかに観察して、賞も罰もかならず正当であるようにせよ。ところが、このごろでは、功績のある者に賞を与えず、罪のない者を罰することがある。国の政務をつかさどるもろもろの官吏は、賞罰を明らかにして、まちがいのないようにしなければならない。
第十二条
もろもろの地方長官は多くの人民から勝手に税を取り立ててはならない。国に二君はなく、民に二人の君主はいない。全国土の無数に覆い人民たちは、天皇を主君とするのである。官職に任命されたもろもろの官吏はみな天皇の臣下なのである。公の徴税といっしょにみずからの私利のために人民たちから税を取り立てるというようなことをしてよいということがあろうか。
第十三条
もろもろの官職に任ぜられた者は、同じくたがいの職掌を知れ。あるいは病にかかっていたり、あるいは出張していて、仕事をなしえないことがあるであろう。しかしながら仕事をつかさどることができた日には、人と和してその職務につき、あたかもずっとおたがいに協力していたかのごとくにせよ。自分には関係のなかったことだといって公務を拒んではならない。
第十四条
もろもろの官吏は、他人を嫉妬してはならない。自分が他人を嫉(そね)めば、他人もまた自分を嫉む。そうして嫉妬の憂いは際限のないものである。だから、他人の智識が自分よりもすぐれているとそれを悦(よろこ)ばないし、また他人の才能が自分より優っていると、それを嫉み妬むものである。そのゆえに、五百年をへだてて賢人が世に出ても、また千年たってから聖人が世に現れても、それを斥(しりぞ)けるならば、ついに賢人・聖人を得ることはむずかしいであろう。もしも賢人・聖人を得ることができないならば、どうして国を治めることができようか。
第十五条
(わたくし)の利益に背いて公(おおやけ)のために向かって進むのは、臣下たる者の道である。およそ人に私の心があるならば、かならず他人のほうに怨恨の気持ちが起こる。怨恨の気持ちがあるし、かならず心を同じゅうして行動することができない。心を同じゅうして行動するのでなければ、私情のために公の政務を妨げることになる。怨恨の心が起これば、制度に違反し、法を害(そこな)うことになる。だからはじめの第一条にも「上下ともに和(やわら)いで協力せよ」といっておいたのであるが、それもこの趣意を述べたのである。
第十六条
人民を使役するには時期を選べというのは、古来の良いしきたりである。ゆえに冬の月には閑暇があるから、人民を公務に使うべきである。しかし春から秋にいたる間は農繁期であるから、人民を公務に使ってはならない。農耕しなければ食することができないし、養蚕しなければ衣服を着ることができないではないか。
第十七条
重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人びととともに論議すべきである。小さいことがらは大したことはないから、かならずしも多くの人びとに相談する要はない。ただ重大なことがらを論議するにあたっては、あるいはおしか過失がありはしないかという疑いがある。だから多くの人びととともに論じ是非を弁(わきま)えてゆくならば、そのことがらが道理にかなうようになるのである。
 
     これは、平成四年五月三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものを、
     平成十九年五月二十七日に再放送されたものである