七粒の米に託して
 
                    篠ノ井・円福寺東堂 藤 本  幸 邦(こうほう)
明治四三年長野市生まれ。昭和一○年駒澤大学仏教学科卒業。渡邊薫美師の門に入り、世界一家の原理を学ぶ。昭和二○年曹洞宗大本山総持寺にて修行中応召。昭和二一年復員。戦災孤児救済運動を推進。昭和二三年養護施設・円福寺愛育園を創立し園長。円福寺愛育園・円福幼稚園円福保育園理事長を兼ね、世界法民太陽学園学園長として世界一家を唱導。円福友の会を主宰。アジア難民救済・途上国学童支援のサバ運動を展開中。著書に「愛育園物語 おっしゃん」「おっしゃんの茶話」ほか。
                    き き て      金 光  寿 郎
 
ナレーター:  遠く雪に覆われた北アルプスの山々を望む長野市篠ノ井(しののい)。長野市の南西部に広がるこの地方にも都市化の波が押し寄せています。篠ノ井の南を千曲川(ちくまがわ)が大きなカーブを描いて流れています。この千曲川の北岸、篠ノ井橋にほぼ近い篠ノ井横田と呼ばれるところに円福寺という小さな禅寺が建っています。最近このお寺の住職を退いて禅宗で東堂(とうどう)と呼ばれる地位に就いた藤本幸邦さんは、第二次大戦後の昭和二十一年から戦災孤児を引き取って育てるようになり、現在まで大勢の子どもたちの面倒を見てきました。最近は東南アジアや中国へ出掛けて各国の恵まれない子どもたちへ支援の手を差し伸べていると聞き、そのお話を伺うために円福寺をお訪ね致しました。温かいコタツにあたりながらお話を伺うことができました。
 

 
金光:  今年は、平成七年になったわけでございますが、お生まれは何年のお生まれでございますか。
 
藤本:  明治四十三年です。
 
金光:  確か一九一○年ということですので、数えで八十六におなりになるわけでございますね。
 
藤本:  そうですね。今年は八十五になりました。
 
金光:  そうですね。お生まれはこのお寺でお生まれになったんでございますか。
 
藤本:  ええ。この寺で生まれたわけですけどね、こんな貧乏寺に生まれました。これも自分で生まれようと思って生まれたわけじゃないんですよ。生まれてみたら円福寺だった。それでまたこんなに長生きするとも思っていなかったんですね。こういうことはやっぱり人は運命の中に生きるものですね。ですから道元禅師が、
 
     生死は仏の御(おん)いのちなり
 
と。ですから仏様のおいのちを頂いて、今生かされて頂いているようなわけです。
 
金光:  お小さい頃からお坊さんになろうというふうなおつもりでいらっしゃったわけですか。
 
藤本:  まあ子どもの時からお経を教えて貰いましてね。小僧の時からお衣を着て檀家を回ったり、御法事に行ったりしていました。
 
金光:  こちらに来る途中に円福寺愛育園とか、円福寺幼稚園、円福寺保育園とか、いろいろ「円福寺」が付いた学校とか保育園というのがあったんですが、そういうお仕事は、これはどういうところからお始めになったんでございますか。
 
藤本:  まあ自然と出来ちゃったんです。ですから一番最初は、上野の駅からたまたま出会った三人の戦災孤児を連れて来て、そして育ってやろうと思ったのが始まりで、まさか一生子育て和尚になるとは思わなかったです。
 
金光:  でも、その時やっぱり可哀想だと思っても、いろんな事情でやめておこうという方もいらっしゃるでしょうが、その時いきなりパッと連れて来れたということは、その前にそういうふうなことを自分としてはやってみようというふうなお気持ちをお持ちになっていたということでございますか。
 
藤本:  それは、私も坊さんにならなければいけない、と。でも自分の生まれつきが、まことにどうも自分で省みても、学問のほうがあまりできませんしね、また自分自身我が儘育ちでしたから、お経をといっても、それが仏教のお経は難しくて、「摩訶般若波羅蜜多(まかはんにゃはらみった)」と言ったってわからないから、お法事に行って、このお経が済むとお斎(とき)が出て腹がみったになるのかな、なんて思っていたんですがね(笑い)。「お経の意味がわからない」と、父である師匠に申しましたら、「駒沢大学に行けば解る」と。そこで大学へ行ったら、なおわからないんです。困ってしまってですね、これはもう自分はもう大した和尚にはなれないや、と思って。子どもは好きでしたからね、日曜毎に東京・永平寺別院の日曜学校へ行って子どもと遊んでいた。ところが、その礼拝の歌に、「修証義(しゅしょうぎ)の歌」というお経の歌があります。それの一節なんですが、
     我は仏にならずとも
     生きとし生けるものみなを
     もらさず救い助けんと
     誓う心ぞ仏なる
 
金光:  額が掛かっているのと同じ、あの言葉でございますね。
 
藤本:  そうです。
 
金光:  「発願利生」
     我は仏にならずとも
     生きとし生けるものみなを
     もらさず救い助けんと
     誓う心ぞ仏なる
 
「我は仏にならずとも」という言葉から出ているわけですね。
 
藤本:  大体禅の修行は自ら修行して見性成仏(けんしょうじょうぶつ)、即身成仏(そくしんじょうぶつ)する、と。それが禅の修行の願いなんです。ところがとてもそんな悟りなんか開かれっこもないし、仏教の教理も難しくてわからないんですから困っていたところが、「我は仏にならずとも生きとし生けるものみなをもらさず救い助けんと誓う心ぞ仏なる」。あ、これならば、少しは世のため人のために尽くせる坊さんになれば、仏様のお弟子にして頂けるのかと思ったら、救われたような思いになりましてね。これからというものは、この歌を歌い続けたんです。
 
金光:  そういうお気持でずーっといらっしゃったから、戦災孤児を見付けた時に、よし、連れて帰ろう、と。一緒に帰ろうというふうに決心なさったんですね。
 
藤本:  そうです。そういうことをいつも思って、そういう世のために尽くせる和尚になるには自分を修行しなくちゃダメだと思って、その願いで―ただ悟りを開こうという願いではなくて、人のためになれる坊さんになりたいと思って修行した。そういう思いがいつもありましたからね。そこでわずかなたとい三人の子どもでも助けたいという願いがあった。その願いを仏様は叶えてくださった。
 
金光:  でも実際問題としては、愛育園という園までに成長発展するまでには、いろいろご苦労があったと思いますが、終戦後すぐいきなり連れて来られて、物も少ないでしょうし、ご苦労だったでしょうね。
 
藤本:  まあそれは母や家内が反対しましたがね。連れて来てしまったんですから、三人だけということで始めましたが、「全国のお寺に孤児一人ずつ」という運動を起こして、あちらのお寺、こちらのお寺にもお願いしたんです。それが児童福祉法施工の初日の昭和二十三年五月四日で、それが児童福祉法の中の里親制度と一致していたんです。そんな制度があるなんて知らないでいたんですが、県に登録に行きましたら、「是非施設をやってくれないか。法律が出来ても子どもを預ける場所がない」と言われる。「じゃ、まあ十人ぐらいならできやしないか」というので、この庫裏(くり)を子どもの家にしましてね、それで私が園長、家内が保母兼炊事婦、母親を助手として、十人の子どもを始めたんです。それがだんだん増えましてね、二十人、三十人となってお寺はごった返しました。
 
金光:  でも、それだけ二十人も、三十人もいらっしゃると、そういう子どもさんたち―家庭での躾なんかもおそらく受けていない子どもさんでしょうが、そういう方をどういう方針と言いますか、どういう姿勢でお育てになったんでございますか。
 
藤本:  そうですね。その当時のスローガンは、
 
     正しくあれ
     情け深くあれ
     よく働け
 
と。この三つですね、子どもたちを育てたんですが、まあ家内と私で本当に我が子と共に、自分の子どものように可愛がって育てましたがね。
 
金光:  預かった子どもさんたちとご自分のお子さんたち一緒に育てられたんですね。
 
藤本:  ええ。ですから、娘など、私が父親だと知ったのは、小学校三年頃だったというんです。
 
金光:  そうですか。
 
藤本:  それを「お父さんだとわかったことが悲しかった」というんです。
 
金光:  えっ! 何でですか?
 
藤本:  「私だけどうしておっしゃんの子でなくちゃいけないんだ」と。
 
金光:  あ、なるほど。
 
藤本:  「みんなが一緒に兄弟のように暮らしているのに、おっしゃんの子≠ニ言われるのは辛い」と、こう言いましたがね。まだまだ戦後の物のない頃で、バナナもなければ、洗濯機もないから、家内に随分苦労をかけました。
 
金光:  でも、そういう戦災で貧困の中の孤児と、現在の愛育園に預かっている子どもさんたちは貧困の子ども≠ニは言えないわけですね。だいぶ事情が変わってきているのではございませんか。
 
藤本:  今は繁栄の孤児です。昔は戦災と戦後の貧困の孤児ですが、今は繁栄の孤児です。
 
金光:  「繁栄の孤児」と言いますと?
 
藤本:  それは、離婚家庭、あるいは登校拒否、崩壊家庭。ですから今の子どもたちはほとんど片親はあるんです。ですから昔と違います。両親があっても学校へ行けない子がいる。現在はあまり恵まれすぎて孤独なんですね。みんながですね。ですから寂しい。今の子どもは全部愛情欠乏症です。寂しいから人を虐めるんです。物は豊かですけど、心は寂しいんです。
 
金光:  そういう子どもさんに対して愛育園ではどういうふうに接していらっしゃるわけですか。
 
藤本:  ここは「大きな家族・愛の家」と。今、四十人いますけども、大きい家族なんです。職員が子どもたちを見てやるというんじゃなくて、一緒になって暮らしている。
 
金光:  でも、愛情を注ぐという場合には、何でも子どもたちが欲しい物を欲しいようにさしてやるというのが、子どもに対する愛情だと思っている方もいるようですが、そういうわけにもいかないんじゃないかと思いますが。
 
藤本:  そうですね。物にはやはり限度がありますし、欲をいえばきりがないですからね。お釈迦様は、「小欲知足(しょうよくちそく)」と。欲があればきりがない。だから欲を少なくして足ることを知れ、とおっしゃいましたが、今は福祉社会で子どもも恵まれていますから、そんな昔のような不自由はありません。けれども、問題は心ですね。愛情です。ですから可愛がって育ててやること。ただ集団ですから、規律は厳しいです。
 
金光:  そうですか。
 
藤本:  規律は守らなければいけない。後は自由ですね。ですから勉強したくない者は勉強しなくていいし、寝ていたい者は寝ていてもいいんです。遊びたい者は遊んでいてもいいんです。自由ということは、人に言われてやることではなしに、自分から進んでやることだから、出鱈目をやることじゃなくて、何でも自分でやりなさい、と。これは良かったですね。そういう点は、かえって勉強したり、かえってここを掃除するんですよ。
 
金光:  あ、そうですか。
 
藤本:  自分から進んでやれ、と言っているんですよ。やった時は誉めてやるんですね。「よくやったなぁ」ってね。そうすると、だんだんそうなってきます。ですから、規律と自由。規律は守らなければならないですね。ですから、赤青黄色、これは守らなければダメです。
 
金光:  赤の時に勝手に進んでしまうと事故が起きますから。
 
藤本:  「みんなで渡れば怖くない」なんて言っているからダメなんです。ちゃんと守らなくちゃいけないですね。しかし、守ることによって、自分が自由にできる。ですから、今、規則ということをいうと、みんないけないことだと思っていますが、禅でも規矩(きく)というものがありまして、禅の規律というものを守ったうえでの自由。
 
金光:  これは言葉を換えますと、もっとも合理的な行動の方法、それが禅の場合の規矩といいますか、規則ということになるわけですね。
 
藤本:  そうなんです。ですから私たちが生活し易いように決まっている。それを守らないと、みんな全体が乱れちゃうわけですね。
 
金光:  口で「規律を守ろう」と言っても、どういうふうにすればいいのかわからない子どもさんもいるんじゃないかと思いますが、具体的には、例えば「こういうことをしましょう」というようなことで、日常の生活の中で「こういうことをしましょう。こういうことをしましょう」というようなこともおっしゃっているんじゃございませんか。
 
藤本:  それはまず、履き物を揃えなさい。履き物を揃えると心も揃ってくる。心が揃うと履き物も揃っている、と。履き物は双子の兄弟だからね(笑い)。だからバラバラにしては可哀想だよ。仲良く揃えてあげようね。お手洗いのスリッパは後から入る人のために回れ右して向こう向きに出てきて、そうすると、後から入る人は「ありがとう」と。その次の人も「ありがとう」というからね。仲良くなっちゃう。後はどうでもいいや、と出てきちゃうとダメなんですね。
     はきものをそろえる
     はきものを そろえると心もそろう
     心が そろうと はきものも そろう
     ぬぐときに そろえて おくと
     はくときに 心が みだれない
     だれかが みだして おいたら
     だまって そろえて おいて あげよう
     そうすれば きっと 世界中の
     人の心も そろうでしょう
 
だから履き物を揃えると心も揃う。心が揃うと履き物も揃う。脱ぐ時に揃えておくと、履く時に心が乱れない―これは坐禅です。誰かが乱しておいたら、黙って揃えておいてあげよう―自分のことより他人のことをやってあげる。そうすればきっと世界中の人の心も揃うでしょう。
 
金光:  自分が揃えることが世界中の人の心も揃えることになる、と。
 
藤本:  そうです。みんなでやり合えば。「自分の国だけ良ければ」「自分さえ良ければ」と言っている人が集まれば平和はないです。道元禅師が、
 
     (ひそか)に修(しゅう)するは、乃ち菩提心の親しきなり
 
お手洗いなんか誰も見ていないでしょう。また誰かが見ているからやると言うんじゃなくて、誰も見ていなくても揃えておく。それが仏様に仲良くなる修行だ。ですからみんな黙って履き物を揃えてやって。
 
金光:  それならできますね。
 
藤本:  ええ。これは誰でもできます。
 
金光:  やろうと思えば、
 
藤本:  ところが、やろうと思わなければ誰もできない。誰でもできることだけれども、誰でもできない。この誰でもできることを。できないことをやれ、というんじゃない。人はできることをやる。赤ちゃんは赤ちゃんでおっぱい飲んでいればいい。子どもは子どもで遊んでいればいい。少し大きくなったら勉強し、さらにいったら自分のできる仕事をする。できない仕事をやらなくてもいい。ですから、できることをみんながやる。それが、「人人道器(にんにんどうき)」ということですね。
 
金光:  それだったら、しかし能力がどう違っていても、誰でもできることがあるわけですね。
 
藤本:  ええ。これは誰でもできることをやる。
 
金光:  自分自身にできることをやる。
 
藤本:  やればいい。
 
金光:  それをやっていると、愛育園の中のいろんな子どもさんが見えていても、それが自然に気持が通い合うようになるわけですか。
 
藤本:  そうです。これだけでは、やぁやぁと私は言いませんがね。私が直しておくんです。そうすると、子どもがいつの間にか直すようになります。その次は、「明るく挨拶をしよう」。
 
     朝は「おはようございます」
     夜は「おやすみなさいませ」
     「いただきます」 に 「ごちそうさま」
     おでかけ おかえり ごあいさつ
     だれかにあったら「こんにちわ」
     別れるときは「さようなら」
     しっぱいしたら「すみません」
     お礼の言葉は「ありがとう」
     いたわることばは「ごくろうさん」
     愛のことばに花が咲く
 
子どもたちはご挨拶ができるようになります。今の子はあんまりご挨拶できませんから、だから「愛育園の子どもは挨拶がいい」と言われるんです。
 
金光:  さうですね。それだけちゃんと言葉が決まって、お別れの時も、朝晩も、そういう言葉になっていますと、これはできるでしょうね。
 
藤本:  そうです。後は、「綺麗にお掃除をしよう」と。
 
     歯を綺麗に磨き
     体を綺麗にして衛生的
     部屋も綺麗にし
     仏様を拝んで綺麗な心になりましょう
 
と。これが愛育園の三つの、
 
     きちんと履き物を揃える。
     明るくご挨拶をして
     綺麗にお掃除をしよう。
 
これが愛育園の生活の基本です。
 
金光:  そういうふうに、愛育園で日本の孤児の方たちを育てていらっしゃった藤本さんが、今は中国とかアジアの人たちを助けるために、「サバ運動」という運動をなさっていらっしゃるそうですが、「サバ運動」というのは、これはどういう内容なんでございますか。
 
藤本:  それは禅寺のお食事の作法に「サバ(生飯)」という儀式があるわけです。それはご飯を頂く前にお膳の隅に七粒ほど取っておく。こうやって薬指と親指で挟むんですけどね。そうしておいて後で小鳥に施す。修行さして頂いて、感謝と施しの心を持たなくちゃいけないというのを儀式にし、それで小鳥に後で施すという。
 
金光:  自分だけが食べないで小鳥に分けてやる。その精神を、
 
藤本:  それを今度は、日本国民のみさなんにお願いして、「ご飯を食べたら一円ください」と。「それでアジアの子どもや、アジアの困っている人のために尽くそうではありませんか」と。実はもう十数年前ですけれども、インドの仏跡参拝をしまして、あまりにも日本と違って貧しい子どもたちの姿を見まして、これは何とかしなくちゃならないと思ったんですが、とても私にはそんな力はありませんから、心にだけは抱いていたんですがね。曹洞宗が教団をあげてカンボジアの難民を救う仕事を始めた時に飛び込んで行きまして、今日までそうこうしているうちに、「サバ運動」ということを思い付きまして、そして大勢のみなさんに、「ご飯食べたら一円ください」というサバ運動を始めたところが、お陰様で一万人を越えました。
 
金光:  そうですか。
 
藤本:  ですから、大体一年に千円ぐらいになりますから、一千万円ぐらいのお金が頂けますから、それで今度はアジアの子どもたちの学校を造ってやったり、学校を出す育英資金にしたり、そういう方向に今使わせて頂いて、これからももっともっとみなさんと一緒になって進めたいと思っているんです。
 
金光:  アジアの子どもたちというと、随分各地にいるわけですけれども、ここは長野市で、信州大学に見えている留学生の人のお手伝いと言いますか、その人たちにも援助してあげているんだそうですね。
 
藤本:  それはアジアの子どもたちを救おうと思ったところが、地元にアジアがあったんですよ。それは信州大学にほとんど留学で来ているのは東南アジアの留学生です。あ、その人たちに一つお願いして、アジアの子どもたちが救って貰えるような、めいめいの国がもっと子どもを学校へ出してやれるような国になって貰いたいと、一つお願いしよう、と。それで留学生にわずかですが、一年に一万円ずつの希望の本を買ってあげることにしたんです。
 
金光:  その「本を買ってあげる」ということを思いつかれたのは、それはまたどういうところからでございますか。
 
藤本:  それは最初は、私費留学生にわずかですが、お金をあげていたんです。そうしたところが、何か哀れみをもってやっているということじゃ、これは拙いと思ったんですね、同情心では。助けてやるなんていう、そういう心じゃなくて、これはアジアの留学生と一緒になってやろう、と。それには私費留学生も公費留学生もない、と。みんなに一万円ずつ希望の図書を贈ってあげましょう、ということに切り換えたんです。ですから、送呈式にも、「今、円高でお困りだから差し上げているんじゃありません。みなさんはイエスです。どうか一つみさなんのお国へ帰ったら日本と提携して、そして立派な国をつくって貰いたい。そしてアジア人はみんな仲良くしましょう。アジア人は殺し合い、また武器を買って、そんなつまらないことをいつまでもやらないで、みんな仲良くしましょう。そういうお願いをしているんです、みなさんに。どうか一つ私の気持をわかってくださって、みなさんも一緒にこれから平和なアジアをつくっていこうじゃありませんか」と。
 
金光:  そういう方がもうそれぞれの国にお帰りになっていらっしゃる方もお出でなんですね。
 
藤本:  ええ。ですから、とてもこれを喜びまして、「円福友の会を忘れない。みんな国へ帰ったら大いに宣伝する」と言って、留学生がそれぞれ円福友の会から本を贈ってもらったことをとても喜んで、作文集を出しているんですがね。それがまた非常に率直にいろんなことを書いてくれて、「貰った本はいつまでもいつまでも使っています」と。大きな辞書なんかもあげますし、専門書も買ってあげられるので、去年二百五十八人に買ってあげることができました。また今年も、「みんなに五百人になっても買ってあげますよ」と言ったらみんな拍手していました。
 
金光:  そういう方のお一人で、中国の方が藤本さんの本を中国語に翻訳なさったそうですね。
 
藤本:  それは河北省の科学院の経済研究所の劉さんという客員留学生ですが、すっかり円福友の会の運動に共鳴しまして、そして「私を中国に紹介したい」というんですね。この『和尚』という本が、私の『おっしゃん』という本を中国語に翻訳されたものです。「おっしゃん」というのはこの辺で和尚さんのことをいうんですがね。中国でいえば和尚です。みんな漢文で私読めませんけれども、こういうふうに訳しているんです。北京で出版してくれたんです。
 
金光:  そうですか。
 
藤本:  ですから、この劉さんが、私に「円福友の会として中国の貧しい農村を助けてくれ」言われたんです。「できるだけのことをやりましょう」ということになったんです。中国では片方では栄えていますがね。
 
金光:  そうですね。南の方の上海なんかは随分発展していますね。
 
藤本:  田舎に入ればほんとに貧しいです。河北省滄州に千童鎮(せんどうちん)という村がありまして、その村は特別貧しいんですね。自給自足のような体制で、学校なんかはボロで、子どもたちが雨の日は学校へ来られないというような―こういう草が生えているような、こんな状況なんです。学校を建てることはちょっと、と思っていたんですがね。「じゃ、机と腰掛けを百セット買ってくれ」というんですよ。「じゃ、どれくらいだ」と言ったら、「二十万円ぐらいで買える」と言うんです。すぐ買ってやりまして、その送呈式もとても喜んでくれました。
金光:  お出でになったんですか。
 
藤本:  その時は行けなかった。そのうちにこの写真見まして、う〜ん、これじゃ建て直してやりたい、と思ったんです。で、向こう様と合弁でいこう、と。村の人たちもボランティアをやったり、
 
金光:  こちらが全部あげるんじゃなくて、一緒にやりましょう、と。
 
藤本:  一緒にやろう、と。こっちが建ててあげるんじゃなくて、向こうが建てるのを手伝ってあげましょう、ということですね。「大体七百万円ぐらいかかる」というんですよ。「じゃ、四百万円出しましょう」ということで、この間寒かったですが行って来ました。
 
金光:  そうですか。
 
藤本:  それで、約束を固めてきましたら、ほんとにみんなが待っていてくれました。ですから、留学生が間へ入ってこういうことができたんですね。円福友の会は、これからも今度は来ている留学生が、みんな今度は各国へ戻ったならば、国際ボランティアのお手伝いを留学生と今度は手を取ってやりたいと思っています。
 
金光:  そういう向こうの現地の方がいらっしゃると、現地の様子もよくわかりますよね。
 
藤本:  そうでなければ、中国は体制が違いますから、彼がいなければできなかった。今はいろいろな経済上のお取引なんかの話はしていても、日本人が行って学校を建てるのを手伝った、というのは円福友の会が初めてです。
 
金光:  中国は随分歴史の古い国ですが、現地へ行ってご覧になると、千童鎮というところは?
 
藤本:  それは本人からも知らせてきましたが、千童鎮は二千二百年ほど前、秦(しん)の始皇帝(しこうてい)(前259-前210)が体が弱くなったので、日本へ行って不老長寿の薬をもらって来い、と。千人の少年少女を船に乗せて、徐福(じょふく)という人が団長になって日本へ渡った。そういういわれがあるんです。ところがそれっきり帰って来ない。その村では五十年に一度、でかいお祭りをやって、みなさんが千人の若者たちのお帰りを心から待っています、という。
 
金光:  徐福さんの一行が帰って来るのを待っている。それを五十年毎に盛大なお祭りをやる。
 
藤本:  盛大なお祭りをやるんです。これがその時のお祭りなんですね。
 
金光:  これは凄いですね。
 
藤本:  今、こういう碑が建っているんです。
金光:  なるほど。「千童城」と書いてますね。
 
藤本:  「千童城」と書いてあります。そのいわれは間違いない、と。紀元前の話ですからね。それでも五十年毎にはお祭りして、「徐福さん、早く帰ってください」というお祭りが二千年続いている。
 
金光:  これは?
藤本:  その時の様子を書いたもので、こういう船に乗ってみんな別れを惜しんで送っているところなんです。
 
金光:  向こうの村にあるわけですか。
 
藤本:  そうなんです。迎賓館にありました。鹽山縣(えんざんけん)の迎賓館に書いてあります。ですから、伝説じゃなくて実際なんでしょうね。ほんとに日本へ渡ったと思います。
 
金光:  そういういわば歴史のある村に、こちらの長野県の篠ノ井にある円福友の会の人たちと、そこの人たちとが手を結んで学校を建てる。
 
藤本:  そうなんです。ですから、「私は不老長寿の薬は持って来ませんでしたが、日中友好の心を持ってきました」と(笑い)。みんな喜んで拍手しましたよ。ですから、こうして私とすれば、とてもこんなことまでできるなんて夢にも思いませんでした。精々、愛育園の子ども、と思っていましたがね。アジアの子どもたちのために、一食一円のわずかなお金だけれども、これは大きな一円です。それはどんな財産よりも貴いお金だと思うんです。
 
金光:  しかもそれで日本と中国の土地の人たちの心が結び会えるという、これが大きいですね。
 
藤本:  ほんとに結び会う。今年十月一日に完成のお祝いなんです。その時私を名誉校長にする、と言っているんです。名誉校長になってもどうにもならないけど、中国はそういう大げさにやるんでしょうね。まあ大体四月頃から工事が始まる。九月いっぱいに出来て、十月一日にはまた出掛けて行きます。
 
金光:  そういう手伝いもなさっていらっしゃいますけれども、さっきもおっしゃったように、一食一円のサバ運動というのは、いろんな形でアジアの人たちの、いわばお手伝いと言いますか、自立のお手伝いをなさっていらっしゃるようですね。
 
藤本:  そうです。カンボジアに学校を、一昨年も去年も建てることができました。毎年三つずつ建って、これで六校建てたわけですが、これは曹洞宗ボランティア会に委託しまして建ててもらっているんですけど、カンボジアへも去年行ってまいりました。今年もまた出来上がれば、お祝いに行きたいと思っております。
 
金光:  こんなに次々に、
 
藤本:  そうです。これも喜びますね。言葉が通じませんが、私が、「またこれからも建てますよ」と言ったところが、向こうの副知事が、同じ仏教の国ですから抱きついてきました。ですから、みんなで助け合っていかなくちゃいけないですね。そうすれば平和ですよ。
 
金光:  やっぱりこちらが助けてあげる、というんじゃなくて、向こうの人と一緒に学校を建てる。
 
藤本:  やはり向こうの人もボランティアと言いますか、村中の人が出て一生懸命やって、そしてやりませよう。今度中国の場合は、円福友の会が直接ですから、特にそういう意味で、向こう様が一生懸命やって、そこをお手伝いをする、と。こういう形でこちらから建ってあげますと、中国では、「煉瓦一つでもいいから、日本から貰えば嬉しい。心を貰いたい」と、こういう向こうの挨拶でした。
 
金光:  そういう地道な形で交流ができると、自然にお互いに仲良くやっていける、という。事実、やっていくことができるわけですね。
 
藤本:  ええ。
 
金光:  サバ運動ではタイとかカンボジアで、いろんな形の協力をなさっていらっしゃるそうですね。具体的にはどういうことをなさっていらっしゃるんですか。
 
藤本:  タイの農村の子どもが、「中学に行けない」と言いますから、「どのくらいお金があれば中学へ出してやれるんですか?」と言ったら、「一年に一千バーツあればいい」と。日本のお金で五千円です。「それぐらいでいいですか。それじゃ毎年五十万円円福友の会のサバ運動であげますよ」と。それで今、二百人ぐらいの子どもが中学に行けるようになったんです。インドネシアのジャカルタにも行きまして、ここも全然ボランティアをやっておられなかったので、「どうか底辺の子どものために」と言って、五十万円ほど出したところが、「そういう受け皿がない」というから、「育英事業を作ってください」と言ったら、「ジャカルタ・ジャパン・クラブ」を作ってくれまして、それで今、毎年五十万ずつ贈っているんです。向こうの人も協力したと思うんですけど、高校生が四百人、大学生も二十人ぐらい行っているという報告がきております。
 
金光:  現地にも時々はお出でになるわけですか。
 
藤本:  ええ。それは曹洞宗ボランティア会のほうの繋がりで、タイの難民キャンプへ行きましたし、それから貧しい農村の問題にぶつかったわけです。そういう中で、たまたまバンコクのスラムの子どもを助けているプラティープ先生と出会う機会があったわけです。これは大変だと思いまして応援をしていたんですが、そのうちにプラティープ先生が、「教育里親になってくれないか」と言われたんです。
 
金光:  「教育里親」というのは、どういうことなんでしょう。
 
藤本:  普通ならば、里親というと、子どもを自分が引き取って育てていますね。しかし、その子どもたちの勉強のために、学校へ行けるために支援をする。それを教育里親と。
 
金光:  学校へ行けるために親代わりに助けてあげる、と。そういう意味で教育里親、という。
 
藤本:  そうです。そういう意味で教育里親というんです。
 
金光:  プラティープさんというと、バンコックのスラムで子どもたちを教えて、TVで私拝見したことがある方かと思うんですが。
 
藤本:  そうです。ですから、スラムで生まれて、スラムで育って、ウンと苦労して、そして夜学の学校を出ましてね。ほんとはスラムから逃れたいと思って勉強したんだそうですが、スラムの子どもたちに懐かれて、それで「このスラムの子どもたちのために」と言って、塾を始めて、今では「スラムの天使」といわれるぐらいみんなに感謝されているプラティープ先生という偉い先生がいらっしゃるんですよ。
 
金光:  その方とお出会いになったわけですね。
 
藤本:  そうなんです。そして、私も先生に感動しまして、「じゃ、少しお役に立ちましょう」ということで、「月にどのくらいで学校へ出してやれるのか?」言いましたら、「小学校は大体千円、中学生になると二千円から二千五百円、高校生になると四千円位」といいますから、「それじゃ、小学校から始めよう」というわけで、今中学もまじえて百人に贈っているんです。百人と言ったって、一ヶ月十万円送ればいいんですから。
 
金光:  そうですか。そうすると、変な話ですが、円高も非常にそういう意味では役に立つわけですね。
 
藤本:  ええ。私にとっては円高黒字は大変な力で、大体インドネシアへ行ってもタイへ行っても二十倍ぐらいになります。ですから、百万持っていけば、二千万になっちゃうんですよ。
 
金光:  それで、そういう子どもたちに、例えば小学生ですと千円渡す。
 
藤本:  写真も送って寄越しますし、成績表や手紙も寄越しますよ。私の愛育園から始まった子どもを思う心が、仏様が導いてくださって、大勢のアジアの子どもを可愛がってやれると、ほんとに私は有り難いと思っているんです。
 
金光:  たまにはその子どもたちにお会いになることもあるんですか。
 
藤本:  去年もカンボジアに学校を建てました。そのお祝いに行った帰りに寄りました。そうしたら子どもたちが待っているんですよ。それで、みんなこうやって待っているんですよ。ですから、「いやぁ、よく待っていてくれたねぇ。それじゃ、これからもね、中学へ行きたいものは、勉強すれば中学へ出してやる。高校へ行きたい者も高校へ出してやるから頑張れ。だけども八十四だから、九十まで生きても六年だから、その後はあてにならないから、後六年間頑張る」と、こういった。そうしたら、通訳が、「子どもたちが百まで生きてくれ、と言っていますよ」というから(笑い)、「へぇ、それは無理だなあ」と言ったら、後ろのほうでお母さんたちがこうやっていますから、「あれはなんだ」と言ったら、通訳が、「二百まで生きてくれ」と(笑い)。それはちょっと無理だと思ったんですがね。これがプラティープ先生です。プラティープ先生が、「和尚さんはどうしてそういう優しい心を持っているんですか?」と聞くんですよ。「私は優しい心なんか持っていませんよ。私は嬉しい心を持っているんです。こんなに子どもたちが喜んでいるのを見ると嬉しくてしょうがないんですよ。私は同情でやっているんじゃないんです。私自身がほんとに嬉しくてやっているんです」。「その思想は何ですか?」とこういうんです。「思想はこの地上に敵を無くしたい。そして、みんなで仲良く暮らしたい。愛してやれば敵は無くなるんですから。愛さないでいるから、敵があるんですから。ただ戦争は反対だ。戦争は惨いからいやだ。それじゃダメなんですね。向こうを愛してやれば、目の前の敵は消えちゃうんですよ。ですから、子どもたちがこんなに喜んでいるでしょう。私がプラティープ先生に言ったんですよ。「先生も私も一生懸命頑張っていますがね、命には限りがあります。しかし人間だってそんなに愚かでなくて、人間が人間を殺し合うような戦争をいつまでも続けていませんよ。だから、地球家族・人類一家≠ネんだから、みんなで助け合おう、みんなで幸せになろうと、こういう願いで進んでいけば、必ず地球はそうなるから、私たちが死んでも必ずこの願いは受け継いでくれる。人類がだんだんわかってくれる日があるから、ともかく一生懸命二人でやりませよう」と言ったら、プラティープ先生が、グッと私の手を両手で握ってね。目に涙が光っていました。私はやらなきゃならないと思ったですね。もっとやるんだ、と。それは上野の駅で、戦災孤児と出会った時と同じ衝動が私の胸に湧いてきました。これやらなきゃ。とうとう百人まで漕ぎ着けた。
 
金光:  「われは仏にならずとも」という、その気持ちがずーっと現在まで続いていらっしゃるし、言葉はわからなくても、上野の駅で戦災孤児に会った、それと同じことがタイのバンコックの子どもたちにも通じている、ということでございましょうね。
 
藤本:  まあ私はそんなことができるとは思わなかったけれども、この歌の願いに生きてきたら、仏様がさせてくださったですね。こんな有り難いことはないです。飛行機の窓から見ますと、タイ、ラオスの国境を眺めて、ずーっとベトナムまで続いているアジアの海岸、メコン川をパッと見ながら、私は、
 
     わが胸のいのちのほのお燃えあがる
     ゆきなんゆきなんアジアの子らの為に
 
と誓ったですよ。
 
金光:  お話を伺っていますと、円福友の会で協力なさっている場合に、さっきの中国の方だとか、プラティープさんのように、現地で一生懸命やっていらっしゃる方のお手伝いをする。そういう具体的な協力を現地の人と一緒に仕事ができると、これは単なる援助というのとは、随分効果が違うような気がしますね。
 
藤本:  そうですね。今まではとかく慈善的な気持があるわけですね。でもそれは留学生の場合、特に嫌がられます。情けを掛けられるということはね。ですから、私はそれがわかりましたからもう情けじゃない。地球をみんな幸せにするんだ。その一緒の協力者だ。一緒にやりませよう、と。これが私の方針で、そういうことがわかってくれている人がだんだん増えてくることを望み、日本の国の中にも、「和尚さんと一緒にやりませよう」という人がだんだん増えてきました。これは有り難いことです。もうバブルが弾けて、そして日本人は、何かお金さえあれば幸せであると思ってきた時に、何か今、お金だけあったってダメなんだ、という虚しい思いになっているんじゃないでしょうか。その時に、行くべき先はもう地上に敵のない、地球上みんなで仲良く暮らす、そういう時代へと、新しい世紀は戦争では平和をつくれないんです。これからは、人間が人間を愛し合うことによってのみ、平和というのは達成されるんです。そういうことを思う時に、また自分の国だけが幸せであればいいという、昔の愛国心はもう通じない。これからは世界に尽くす愛国心にならなくちゃ。世界を愛することが自分の国を愛することだ、という愛国心にならなくちゃいけない。だから向こうにやってやるんじゃない。それは人類から、お互いに地球を幸せにしようじゃないかという、この願いこそ新しい世紀への道だ、と私は確信して、サバ運動の「一食一円」の心をもらう。道元禅師は、
 
     一銭一草の財(たから)をも布施すべし
     此世他世(しせたせ)の善根を兆(きざ)
 
大きなお金よりも、その一円を出す心を貰いたい。この世も世界も、自分も世界もみんな幸せになるぞ、と。だから、その布施の願いを、仏教では「喜捨(きしゃ)」と言います。喜んで捨てなさい、人のために。そうすればみんな幸せになるぞ、と。ですから、そのものの軽きを嫌わず。
 
金光:  一銭でもいいと、
 
藤本:  ええ。その心の慈善、一円の軽きを嫌わず、その一円に本当の愛の真心を込めなさい、と。それは大きな力になる、と。こういう教えの詩ですね。私は至らない自分の生涯でしたけれども、自分を励ましてくれたのは、道元禅師の歌が元にあるんですね。
     愚かなる我は
     仏にならずとも
     衆生を渡す
     僧の身ならん
 
と、道元禅師が詠んでいらっしゃる。七百年の後に、藤本幸邦という愚かな和尚が出るだろう、と。それでも坊さんになれることを教えておいてやろうというわけで、この歌を作っておいてくださった。
 
金光:  藤本さんのために作ってくださった。
 
藤本:  ええ。私のために。私のような至らない者でも、道元禅師のおっしゃっている「愚かなる我は、仏にならずとも、衆生を渡す僧の身ならん」とおっしゃっていて、お前もそうなれよ、と、こうおっしゃっていると思うと、ほんとに私の元にはあの「修証義」の道元禅師のお歌があったんだなあと思っています。この道八十四年、今年八十五歳になりますが、生きて一筋に生きて来られたことを心から有り難いと思っております。
 
金光:  最初にご紹介頂いた「我は仏にならずとも」という「修証義の歌」、それからこの「愚かなる我は仏にならずとも衆生を渡す僧の身ならん」という、このお気持ちが八十四年の生涯を貫いて現在まで至っていると、そういうことでございますね。
 
藤本:  そうです。
 
金光:  どうもありがとうございました。
 
     これは、平成七年一月二十九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである