子どもたちに導かれて
 
               弁護士・カリヨン子どもセンター理事長 坪 井  節 子(せつこ)
昭和二八年東京生まれ。昭和五三年早稲田大学第一文学部卒。五五年弁護士登録。六二年から東京弁護士会子ども人権救済センター、日本弁護士会連合会子ども権利委員会、子ども売春被害対策弁護士団などで、非行少年の付添人活動や学校、家庭、福祉の現場で人権救済活動に従事。著書に「弁護士お母さんの子育て新発見」「子どもは大人のパートナー」「家庭の崩壊と子どもたち」「少年法・少年犯罪をどう見たらいいのか」ほか。
 
               き き て           山 田  誠 浩
 
ナレーター:  弁護士の坪井節子さんは、子どもの人権を救済する活動に関わって二十年になります。いじめや不登校、少年犯罪や虐待など、弁護士会の相談員や少年事件の付添人として傷ついた子どもたちの手助けをしてきました。三年前、行き場のない子どもたちのために、NPO法人「カリヨン子どもセンター」を設立、緊急避難ができるシェルターや自立を支援する施設の運営にも携わっています。坪井さんが子どもの問題に関わるようになったのは、弁護士となって七年目のことでした。街の弁護士としてさまざまな事件を扱い、また三人の子どもの母親として多忙な日々を送ってきました。坪井さんは、クリスチャンの家庭に生まれました。しかし高校生の時に教会を離れ、長く信仰とは無縁の生活を送っていました。子どもたちとのさまざまな出会を体験した坪井さんは、今再び教会に足を運ぶようになっています。弁護士として、子どもたちの現実に戸惑いながら手探りで歩んできたという人権救済の道。そして子どもたちとの出会の中から導かれた信仰への道。いつも子どもたちに教えられながら進んできたという坪井さんにその歩みを伺います。
 

 
山田:  もう二十年ですから、随分いろんな子どもたちとの対話をしてこられたということなんですけれども、今そういう子どもたちとの対話の中で、どういうことを一番思っていらっしゃいますか。
 
坪井:  ここ数年痛感をするのは、「ひとりぼっち」ということなんですね。本当に何でこんなにひとりぼっちで生きてきたんだろう。周りに家族はいる、あるいは学校に友だちがいるように見える。けれども、その子たちが、自分がそこにいるということを、誰にも気付かわれていない。自分が苦しんでいるということを誰も知らない。どうせ自分なんて生きていたって、死んでいたって、誰にも関心が払われていないんだ、という思い。本当にひとりぼっちというもの凄い寂しさの中にいる子どもたち。「焼け付くような孤独感」というふうに言った子もいるし、「自分で切って血を見ると安心するんだ」という子もいるし、いろんな言い方をするんだけれど、自分を傷つけることで、自分がやっと生きていられるみたいな、焼け付くようなひとりぼっちの寂しさ、その痛みに耐えかねて、自分をほかの痛みに変えてその痛みに耐えている、という感じなんです。何でこんなに寂しいんだろう。そのことをこの数年ほんとに痛感するようになりました。
 
山田:  子どもたちのことに接するというふうに、そもそもなられたというのは、どういうことからだったんですか。
 
坪井:  とにかく自分の事務所を経営することと、子どもを育てて家のことをやることだけでもう目一杯という毎日を過ごして六、七年やっていたんですね。そんな中で弁護士法の第一条には、「弁護士の使命は人権擁護と社会正義の実現」と書いてあるんですけれども、「人権擁護」ということは、何か弁護士になってからしなければいけないんだろうと思っていたんです。でも、「人権」ということで活動している弁護士の人たちは、例えば、労働者の人権問題、女性の人権問題、障害を持った人の人権、外国人の人権、さまざまな人権問題が弁護士会として関わっている問題がありまして、ほんとに大変な活動をしていらっしゃるわけですよ。人権問題に関わるというのは、ああいうふうに大変なことなんだ。闘わなければならないんだ、というのを見ていて、〈ああ、私にはとてもできない〉と思っていたんですね。その時に、私の所属して東京弁護士会で、「子どもの人権救済センターが開設されました。そこの相談員を募集します」というチラシが送られてきたんですね。「子ども」と付いているから、子どものことぐらいだったら、私にも自分の身の丈に合ってやれるかも知れない、と思っちゃったんですよね。
 
山田:  お母さんでもあるし、
 
坪井:  そうそう。
 
山田:  実際に電話で最初は相談に応じるということをやっていかれたわけですか。
 
坪井:  そうです。自分の想像するような、してきたような「子どもの問題だから」というような、それとは全然違ったわけですよ。例えば、最初の頃に、相談がかかってきて―中学生の女の子だったんですが、「クラスの女の友だちと喧嘩をしてしまって、そうしたらその子が怒って、不良グループに頼んで、そして自分のことを、強姦された。その強姦されて、そのシーンを写真に撮って、それをばらまくぞ、と言って脅して、毎週呼び出されて強姦され続けているんだ」という、そういう相談だったんですよ。もの凄くビックリしちゃって、「え!、そんなことが起きている!」、しかもその子は、誰にも相談できないまま被害者であり続けているわけですよ。「お父さん、お母さん、お仕事して忙しいし、自分がこんな目に遭っているということをお父さん、お母さんが知ったら、もの凄く悲しいじゃん。だから親には相談できません」って言われて、「え、ちょっと待って!」という感じだったですよ。しかも電話相談というのは、子どもが、〈あ、もうこの人は話聞いてくれない〉と思ったら、いつガチャンと切っちゃうかわからないわけですよ。つまりは、話を聞かないということはどういうことかというと、大人のほうが勝手に理解をして、「あなたの問題はこうすればいいのよ」と、バァッと回答し始める。こうなると子どもは、〈この人は聞いてくれない。私が欲しいの、聞きたかったこととは違う〉って思ったら切っちゃうわけですよ。最初のうちは、今までの自分が持っている弁護士としてのノーハウというのかな、親御(おやご)さんの希望を聞いて、そして、「こうやって学校に、こういうふうに交渉して、こういうふうに謝罪文を取って来てほしいとか、あるいは慰謝料請求というような形になるとか、そういったいわゆる大人の世界の解決と同じような解決方法しか私たちはわからないわけですから。だからそういう方法でなんとかやらなきゃ、というようなことをやってみていたわけです。でも終わってみたら、子どもは全然どっかへ、違うところへいっちゃっているんですよ。大人が一生懸命解決したつもりになっているけど、子どもたちがちっとも元気になっていない。あるいはもう完全に私たちのところとは違う世界で、「関係ない、お前たち勝手にやっていてよ」みたいな、そんな感じで荒れていったりしているのを見て、これって子どもの人権救済なんだろうか、と。虚しかったですよ。一体何をすればこの子たちが本当に過去に受けた疵を癒して、回復して立ち上がっていけるものなんだろうか。こんなことをやっているんだったら、私、この現場にいたくない、という思いもしましたね。
 
山田:  だけども、さっき言いましたように、二十年ずっと続けていらっしゃるわけですから、
 
坪井:  ええ。ほんとにそれは子どもたち自身から、私が教えられて、私が抱えていた殻を打ち破られて、どうしたらいいのか、というのを、子どもたちが導いてくれた、というふうに思っているんです。
 

 
ナレーター:  坪井さんは、十年以上前から、仲間の弁護士たちと共に、子どもの人権擁護を訴える芝居を上演しています。一般の子どもたちの参加を募り、一緒に問題を考えようとする芝居。坪井さんは脚本を書いたり、役を演じたりしてきました。いじめや虐待など、背景が複雑な子どもたちの問題は、弁護士にとっても解決が難しいものでした。坪井さんたちは、子どもたちの拙い言葉に耳を傾けて、その実情と苦悩を知り、一つ一つ解決の道を探ってきました。そして出会った子どもたちの現実を、こうした芝居で人々に伝えてきたのです。最初、子どもたちのために何をすればいいのか、戸惑うばかりだった坪井さんにも、活動の原点となった子どもたちとの出会がありました。
 

 
坪井:  自分の中で非常に印象的に残っていることがあるので、ちょっと話をさせて頂きます。その子は私立の中学校を受験して、有名な私立一貫校に入っていた子なんです。もの凄く大変ないじめに遭ってしまって、それでいじめに遭っている子ってみんなそうなんですけど、自分が悪いと思っちゃうんですね。どっちかというと、独りで小説を読んでいるほうが好きだった。だけども、そういう自分がみんなに嫌われると思って、読みたくないマンガの本を一生懸命読んだり、見たくないテレビの番組を見て、お笑いを仕入れたりして、みんなの話に笑わせようと思って、学校に行って、それでみんなの前でゲラゲラ笑ってみせたり、時にはピイロのように何かやってみせたりして、何とかみんなの仲間に入れてもらおうとした。自分を変えればいじめから逃れるんじゃないか、と。でも何にも変わらなかった。それで三ヶ月して、もう力尽きちゃったわけですね。自信を失い、自分というものがわからなくなり、で、「みんなが僕のことが嫌いなんだ。僕は何をしてもダメなんだ。僕がこの教室から居なくなれば、みんなが喜ぶんだ」と思った。それで「学校に行けない」って思ったんです。今まで自分の前に続いていた一本の道がズドン!となくなった。目の前が真っ暗になった。そこまできて、親にだけは一言言わなきゃ、と思って、「僕、もう学校に行けないんだ」と言ったんです。そうしたら、「何言っているの! そんな弱虫だったの、あなたは! あと三ヶ月我慢すれば高校進学できるのよ! 強くなりなさい! 頑張りなさい!」って。親を責めることはできないと思いますよ。どんな親でもやっちゃうことだと思うんです。ところがその言葉を聞いた途端に、最後の命の綱がプツン!と切れた、と彼は感じたんです。何故なら、やっぱり僕が悪いって、親も僕を責めている。「お前が弱いからいけないんだ!」と言っているように聞こえちゃったわけですよ。三学期の終業式の日に遺書を書いて、五十錠の薬を飲んだ。意識朦朧(もうろう)となっているところを発見されて、救急治療を施されて、彼は命を取り留めたんです。ご両親は初めて彼の遺書を読んで、「もう学校なんか行かなくっていい≠チて、初めて言ってくれた。僕はその言葉を聞いて、もう一度生きてみようと思った」と。私と家の娘も家で彼の話を聞いていて、何にも言えなくなっちゃったんです。ただボロボロ泣いているしかなく、って。そうしたら、彼が、そういう私を見て、「こんなに一生懸命子どもの話を聞いてくれる大人がいると思わなかったよ」って、そう言ったんですよ。え!と思いましたね。これなら私にもできるかも知れない、って思ったんですよ。もし子どもたちが求めているのがこういうことなら、何にも応えてあげられない私でも、子どもの話を一生懸命に聞くことぐらいならできるかも知れないって。だからその現場から逃げ出したいと思っていた私にとっては、こんな私でもいいんだ、何もできなくても、子どもの話を聞き続けるというぐらいだったら、無力な私でもやれるかも知れないという思いをそこで抱くことができたんです。救われた、と思いましたね。
これはまた別の男の子のケースなんですけどね。一年間学校に行っていなかった中学生の男の子がいたんですよ。誰が聞いても何も言わないんですよ。何故か、というのは。お母さんからお電話があって、「息子が一人で弁護士さんのところへ行くと言っているので会って下さい」と言われるんです。それで一人でやって来たんですね。凄く大きな子でね。「親御さんも心配だったし、私もなんとかしなきゃと思っているから、なんとか弁護士として解決してあげよう。だから話を聞かせて」みたいな感じで言っていたら、「そんなのしてほしくない」と言われた。凄く腹も立ったんですけどね、正直ね。そこはグッと押さえて、「じゃ、どうしたいの?」って聞いたんです。そうしたら、「僕が一対一で校長先生と話したい」と言ったんですよ。「え! 一人で!」「一人で」って。で、私は学校の先生たちと調整して、校長先生も一対一で彼と会う時間をつくってもらうというところまで漕ぎ着けて、「じゃ、行っていらっしゃい」とこうふうに言ったわけですよね。二時間ぐらい話をしてきて、何を話してきたかも、また話をしてくれなかったんだけれども。それから二週間ぐらいして学校へ行き始めたんですね。本当に苦しみの中にいる人間にとって、他人から与えられる解決では解決にならないんですよ。それは子どもでも同じなんですよ。自分の苦しみを本当に百パーセント、他人(ひと)が理解してくれるわけはないじゃないですか、絶対に。そしてどうしたら元気になれるか。さまざまな励まし、アドバイスは大切かも知れないけども、どうしたらここから立ち上がり、これからどうしたいのか、というのは、究極的にはその人にしかわからないんですよね。だから「学校へ行く、行かないも、僕が自分で判断して、自分の力で決めていくしかない」と言う。どこかにそのエネルギーが彼の中に埋もれているんじゃないかって、そう思えたんです。
 
山田:  そのことって大事なことなんですか。
 
坪井:  凄く大事だと思いますね。子どもたちも打ち拉(し)がれている一つの理由なんですけど、やっぱり奴隷状態になっている。「この子の道はこの子しか歩けないんだ」ということを大人の側がもっともっと意識して、自覚して、そして、「子どもの人生は子どものものなんだ。子どもの人生を子どもに返してあげなくちゃいけないんだ」ということを自覚すること、それが回復をしてきた以降、自分が一歩踏み出していく時に大事なことじゃないか。
 
山田:  その子どもの側には自分で選択し決めていくということは、どういうことを生み出していきますか。
 
坪井:  私が見ていて思うのは、「誇りを取り戻す」という感じ。「自分の人生を自分で歩いている」という誇り。どんなに惨めでも自分にしか歩けなんだ。他の誰にも歩けない自分の人生、凄い大事な人生なんだ。それに気付いて歩み出していく姿。これって凄い感動なんですけど、この誇り高い姿。それを見るからこそ、「あ、子どもも一人の人間なんだ」って思いますね。
 

 
ナレーター:  子どもたちの苦しい胸のうちに耳を傾けている時、坪井さんには時より自分の少女時代の辛さが甦ってきたと言います。坪井さんはクリスチャンの両親のもとに生まれ、幼児洗礼を受けました。高校生の頃までは熱心に教会学校に通う少女でした。しかし思春期を迎え、ドロドロした人間の内面を目の当たりにするうちに、いつも自分を監視しているかのような神の存在を息苦しく感じるようになりました。神から逃れようと教会を離れ、無神論的実存主義の文学や哲学にのめり込むようになります。大学では哲学を専攻、ハイデッガー(ドイツの哲学者:1889-1976)の言葉に神に代わる真理を求めます。子どもたちと向き合うようになった坪井さんは、改めてこの時学んだ言葉の意味を噛み締めることになりました。
 

 
山田:  大学時代に哲学を勉強されますね。先立つ高校時代になんかキリスト教から離れてしまわれたそうですが、それは何だったんですか。
 
坪井:  そうですね。いろんな理由はあったんだと思います。やはり思春期特有のものが出てきたんだと思いますけれども、友だちの間でいろんなことが起きる。競争もあれば、いじめもあるし、いろんなことが起きる。で、自分の自信を喪失することがたくさん起きる。孤独も感じる。あるいは家族の中で幸せだと思っていたはずの家族の中にも実はいろんなことがあったということを知りショックを受ける。自分の中にある悪い気持ち、教会で小さい時から言われてきたことからすれば悪い子であるのがいっぱい出てきちゃったわけですよ。自分の中にさまざまな欲望が出てきたり、悪いことをしたい気持ちが出てきたり、神様がいるから私が悪いことを言われるんだ。神様が居なきゃ悪い子じゃないはずだみたいな、そういう思いというのがだんだんむくむくと出てきたんですよ。そういう中で教会というところが居心地が悪くなっていって、教会に行きたくないって思い出しましたね。そんな時に、たまたま読んだ本が―本は好きだったんですけど―書店を廻って、フッと取ったのがサルトル(フランスの文学者・哲学者。第二次大戦中、抵抗運動に従う。戦後、実存主義を唱道。雑誌「現代」を主宰。後、共産主義思想に近づく:1905-1980)の『水いらず』という小説だったんですよね。全然知らなかったんですよ。サルトルって名前ぐらいは知っていましたけど。で、読み始めていって、それで、えっ!という感じだったんですよね。「神はいないという世界に生きていく」という。その世界があるということを知って解放されたという感じですね。神様は実はいなかったんだ、って。私が騙されていたんだ。本当は自分は自由なんだ。それから無神論実存主義と言われている人たちの文学や哲学をほとんど読み漁っていったんです。ニーチェ(ドイツの哲学者:1844-1900)を読んだり、あるいは日本の大江健三郎とか高橋和巳とか読んでいたんですが、その中で私は埴谷雄高(はにやゆたか)(1909-1997)の小説にものめり込んでしまいましてね。暗闇の中で思索をし続けるみたいなのが凄くピッタリだったんですよ。それまでは神様という価値観の中に生きた人間が、まったく神様がないというところで、この世には価値がないんだ。すべて無なんだ。人間は死んだら無になるんだ。生きている意味なんかないんだ。自分自身で意味は作り出していくしかないという、そういう哲学だったわけです。だとすると、自分が依って立つもの、ってなくなっていっちゃうわけですよ。何してもいいんだ、ということになっちゃう。実はそれって凄く辛かったですね。で、凄く辛かった時期、一時ほんとに死のうというふうに思っていた時もあったんですけど、でもその時にはやっぱり親たちが私のそういう姿を見て、おろおろしているのを見て、この人たちを悲しましちゃいけないと、最後は思ったので、自分で死ぬということだけは止めようと思ったんです。
山田:  さっき伺った子どもの様子なり、気持なりと凄く近いようなところがありますね。
 
坪井:  ありますよね。死んだら楽になると思っていたから。交通事故かなんかに遭って、私のせいじゃなくて死にたいというかね。
 
山田:  そう思っていらっしゃった?
 
坪井:  ええ。それでいいんだと思うんです。その感覚からほんとに長い間抜けられなかった、というのはあったと思います。
 
山田:  それで大学は哲学を専攻?
 
坪井:  哲学に行こう、と。哲学の卒論で「ハイデッガーにおける言葉」というのを卒論のテーマに選んでいたんですね。で、その中のキーワードになっているのは、「言葉は存在の家である」という表現があるんですね。人間であれ、いろんな他のものであれ、存在しているという。その物じゃなくって、それが存在しているということ、そのことを人間は見失って、物しか見なくなっている、と。その時には言葉というものの重要さというものは、頭の中では理念的には思っていたわけです。あ、言葉というのは、人間が存在するものが存在する。それ自体を包み込み、その言葉が存在を傷つけないようになる。それが大切なことなんだ。人間にとっての言葉というのは、何で大切なんだろう、と思っていたんですね。その子どもたちの言葉をやりとりしている時に感じた感覚というのは、「子どもたちが自分の存在を、自分の命を言葉に載せて、その言葉をそっと差し出してくれている」という感じ、それを感じられるようになってきたんですね。凄く言葉は未熟だし、大人に比べたら表現力もとっても未熟なんだけれども、その一言に自分の命を盛って、そして「どうぞ」と差し出しているという感じ。だから私、聞くほうもその言葉をそっと聞いて大事に受け止める。そうすることによって、この子は自分の命や自分の存在を、この人は大事に受け止めてくれた、と感じてくれているらしい。ですから、子どもたちに語る時には、私も自分の命を、自分の存在を、あるいは自分の心を、それを言葉に載せて、そしてそっと差し出す。真剣勝負ですよね。ですから弁護士としてはいろんな大人の人たちの相談を受けるけれど、私は大人の前に座る時にそれほど怖いと思ったことはないんですよ。子どもたちの前に座る時というのは凄く怖いですね。ほんとに子どもたちの鋭さに鍛えられてきたなと思っています。
 
山田:  そういう何人もの子どもたちのやりとりの中で、勿論学生時代に勉強されたことが実感を持って、という感じなんですか。
 
坪井:  そうですね。
 

 
ナレーター:  坪井さんが出会ってきた大勢の子どもたち。問題の原因は異なっていても、みな「自分など生まれてこなければよかった」という思いを抱き苦しんでいました。子どもたちの深い絶望をどう支えていけばよいのか。坪井さんにはその手掛かりを与えてくれた少女との忘れられない思い出があります。十六年前、坪井さんは覚醒剤の使用で逮捕された十六歳の少女を弁護する付添人を務めました。鑑別所に何度も足を運んだ坪井さんは、少女が喧嘩の絶えない両親の元に生まれ、父親の激しい暴力を受けて育ったことを知りました。やり切れない思いから逃れるため、十歳でシンナー、十四歳で覚醒剤を経験した少女。手には自分でタバコの火を押し付けた火傷の痕がいっぱいだったと言います。
 

 
坪井:  「自分が死んでもいいんだ」と思っている子は、他人(ひと)が死ぬことってどうでもいいんですよね。自分を傷つけたって誰も悲しまないのに、何で他人(ひと)を傷つけちゃいけないの。なんで自分だけが責められるの、って。彼女は中学校にあがって授業を妨害したり、エスケープ(escape:授業中教室を抜け出したり講義に欠席したりすること)したり、タバコ吸ったり、悪いこと何でもやった。で、暴走族に入って、リンチをやったりやられたり、入れ墨を入れたり、何度も何度も家出を繰り返して、結局行くところなくてヤクザに拾われて、覚醒剤を打たれて、そして売春をやらされて。鑑別所でテーブル隔てて座っている中学生の女の子に、それだけの話を聞かされて、どうしてあげたらいいんだろう。何にもいう言葉がないという状態だったですね。で、ほんとに何か言わなくちゃと思って、その中でやっと私の中に出てきた言葉が、「あなたは生まれてきたことを誰も喜んでいないと思っているんでしょう。でもあなたの目の前に座っている私は、あなたに生きていてほしいって、そう願っているから、それだけは信じてね」って。私は本気でそう思ったんですね。この子に生きていて欲しいって。子どもに向かってそんな言葉を言ったのは、その時が始めてだったですね。でも彼女はポカンとして、「何を言っているんだろう、この人」というぐらいで、そんな感じだったですね。でもそれでも少しずつ何か心が繋がるような気もしてきて、彼女は「少年院に行きたくない」と言って、一生懸命鑑別所の中で頑張っていました。でも結局両親は一度も彼女を面会に来てくれないのが審判になって、帰る家がなくて、覚醒剤の縁も深いし、売春もやっているし、暴力団との縁も深いし、とてもじゃないけど、社会の中にそのまま帰れるという状態ではなかったんですね。だから審判では、少年院送致という結論が見えてきたわけです。「やっぱりね、あなたは少年院に行くしかないという結論になるんだよ」って、そう言ったら、「もういいよ! 帰ってよ! 私は極道になってやるからね! 少年院に行った奴はみんな極道になるんだよ! もういいから帰ってよ!」と怒鳴りだしたんですよ。「少年院というのは刑務所とは違うんだから、あなたが三度のご飯を食べて、薬を打たず、身体を売らず、もう一度社会の中でどうやって暮らしていくかというのを学んできてもらうところなんだから、私、待っているから、お願いだから、そんなこと言わないで」って一生懸命になって、ほんとにすがるような思いで言ったんですね。その時拒絶されて一切口聞いてくれなくて。そんな怒鳴り声は、外には響いているだろうし、惨めで、惨めでね。五時がきて、係官に「帰って下さい」と言われて、ほんとにトボトボと帰ったんですよ。ただ帰る間際にふっと彼女の顔を見たら涙を流していたんですね。この子は口を聞いてくれないけど、辛いんだな、悲しいんだな、と思ったんですけど、でもそれ以上何もできなくて帰ったんです。次の日も面会に行ったんですけど、同じようなことが繰り返されてね。で、三日目、もう今日が最後ということでもう一回だけと思って行ったんですね。そうしたら彼女が笑顔で入って来て、「先生、私、少年院に行ってくるよ」と言ったんです。この二日間の嵐みたいな中で、私はどうしていいかわからなかったんです。もうほんとに掻き口説いて泣いて、というだけだったんだけど、そうやっている私は、少なくとも逃げなかったんですね、彼女にしてみれば。三日目まで来たという。だからそこで彼女の試し行動に対して、第一次試験をパスさして貰えたんじゃないかと思うんですね。
 
山田:  「試されている」ということって、どういうことですか。
 
坪井:  虐待をされてきた子どもたちって、大人を信じていないんですよ。まず一番信頼すべき親から裏切られるわけですね。それで周りの大人たちが気付いてくれない、あるいは気付いても見ても見ぬふりをする。彼女も「私が少し親切そうな大人の一人として近寄ってきた。だけど、信じたらまた危ないぞ。こいつも私が良い子にしている時だけ、よしよし、とやって来る大人なんだろう。私はほんとはそうじゃない人間だってわかったら、この人も逃げていくんじゃないか」って、そう思っているんだと思うんですよ。もうぎりぎりのところにきた時に、「私のほんとの姿はこういう姿なのよ。あなたも逃げていくんでしょう。逃げていくんなら逃げていけばいいじゃないの」という感じ、それをやっていたんだろうと思うんですよ。そこで大人が逃げていけば、「ああ、やっぱりそうだったんだ。ああ、あの人を信じないでよかった」と。
 
山田:  その後は?
 
坪井:  そうですね。彼女は一年ぐらいで少年院から戻ってきたんです。少年院から戻って来ても家族の後ろ盾がない。中学卒業の資格しかないという女の子が、この日本の社会の中で生きていくのがどんなに大変か、というのを知らされましたね。ほんとに行く場所がないんです。やっと見付けたパチンコ屋の住み込みで、そこで周りの大人たちに散々いじめられて、結局首になっちゃって。で、仕事首になれば寮を追い出されて。まだ十七歳でしょう。ほんとは働けないんだけど、歳を誤魔化して夜の商売に行くしかなかったんですよ。そこでまた暴力を振るう男につかまっちゃうんですよ、こういう子は。寂しいからね。で、赤ちゃん生んじゃってね。命からがら逃げ出して来て。キャバレーで働いて、給料払って貰えないで、首になって。こういうことがずっと起きていってね。でも彼女はほんとにもうダメという時になると、電話掛けてきてくれたんです。「坪井さん、助けて!」って。で、その電話がきたときだけです、私が何かできたのは。弁護士として、暴力を振るう男との関係を切らせるとか、あるいは払って貰えない給料を回収に行くとか、弁護士としてできることってあるじゃないですか。ポツリポツリと、そういう出会だけでした。あの子は覚えてくれている。「あなたに生きて欲しい」って、私が言ったことをあの子はどっかで覚えていてくれていると思いましたね。だからほんとにこのままじゃ死んじゃうというところまできた時、電話をかけてきて、そしてその時は助けてくれる筈だ、と信じてくれていたので。「私はお金はないよ」って、ずっと言っていたから。初めはお金をせびりに来たこともあったけど、「お金はあげられない。私はあなたを助けてあげられるお金は持っていない」って、それは言っていたんです。だからそういう子どもたちは、「ダメだ」と言われていることはしないんですよ、ほんとに。甘ったれてはこないんです。その子はもう既に三十歳を越えて、再婚して、四人の子どものお母さんになって、ほんとに一生懸命生きています。その子が話してくれたことなんだけど、「自分の思っている中学生の子が公園でシンナーを吸っていたんだよ。その子のお母さんは男と逃げちゃったんだよ。お父さんはお酒飲んで暴れて、いつもその子をぶん殴るから、家に居られなくって、公園でウロウロしてシンナー吸っているの。だから私、その子の傍に行ってシンナーの袋取り上げて、シンナーなんか吸うんじゃないよって、そう言ったの。それでお腹空いているだろう。家に来てご飯食べな。毎日家に連れて来て、ご飯食べさしているんだよ」って言われてビックリしてね。私は、「あなた、よくそんな怖いことできるね。私だったらとってもできない」と言ったら、笑ってね、「シンナー吸っている子どもの気持ちは、シンナー吸っていた私じゃないとわからないのよね」って。私たちは彼女の人生をどうしてあげることもできなかった。どんな辛くなってもね。でも彼女はこの世に一人でもいい、ほんとに自分が生きていてほしいと願ってくれる人がいるということは、忘れずにいてくれたの。だから私たちにできるのは、「生きていてほしいって祈っているよ」ということの思いを子どもに伝えることだけ。そんなちっぽけなことであっても、それが届いていれば、子どもはそこを支えに生きていてくれるんだ。自分の人生転び転びしながらも、死んじゃいけないって、思いながら生きていってくれるんだって。凄い励ましを貰いましたね、希望を貰いました。これでいいんだ、というか。「私たちも生きていていいんだ」という感じ。「無力でいい」という、そういうことを教えられた、ということがありましたね。彼女のことを思うと、いつも涙が出てきちゃう。
 
山田:  そういう体験の中から、次へ次へという力を貰ってこられた。
 
坪井:  はい。そうなんです。子どもたちに会うたびにいろんなことを教えられた。それに加えて、弁護士として出会う子どもたちとの出会の中で、この子たちに「生きてほしい」と言いながら、「自分が死んでもいいな」と思っているというのは、それ本物の言葉じゃないよ、という感じを思ってきていましたね。だから私だってやっぱり死んでいいんだなんていうことはないんだ。この子たちに本気でそう言うのなら、自分も生きていいと思われなきゃ、ほんとに言えないんじゃない。ほんとに励ませばいいじゃない、みたいな。だから子どもたちに、そう言うことによって、自分も励ましていた、というのはあったんじゃないかと思いますね。いつでもそれはありました。子どもの人権と言いながら、じゃ、私の人権はどうだったんだろう。子どもの苦しみって言いながら、私の苦しみはどうだんたんだろう、というふうに、こう跳ね返されてくるというのが確かにいつでもあったんですね。だからそういうことを子どもたちに語りながら、実は自分の中にこだまさせていたのかも知れない。
 

 
ナレーター:  「カリヨン子どもセンター」は、虐待などで帰る家がなかったり、行き場がなく、犯罪に巻き込まれたりする子どもたちを救おうと作られたNPO法人です。緊急避難ができるシェルターには個室が用意され、専従のスタッフやボランティア、弁護士や福祉関係者などが連携してサポートにあたっています。普通の一軒家を改造した自立援助ホーム。家族の後ろ盾が得られない十代後半の子どもたちの自立への準備を手助けしています。三人のスタッフが交替でここに寝泊まりし、自立のための資金を貯めたり、家事を覚えたりする子どもたちの生活を支えています。ここに来る子どもたちの中には、満足に食べることも安心して眠ることもできなかった子どもが少なくありません。スタッフはそんな現実に一人で耐えてきた子どもたちに、当たり前の暮らしを取り戻してもらおうとしてきました。そして一緒に過ごす時間を何より大切にしてきました。
 

 
坪井:  食べること、寝ること、そして普通の環境の中でおしゃべりができることって言うのは、どんなに大切かというのは、子どもたちから教えてもらいました。贅沢な食事は全然できないでしょう。だけど一緒に作って一緒に食べると、「一緒に食べるって美味しいね」って言うんですよ。「こんな綺麗なお布団で寝ていいの」って。「いつもぺっちゃんこで、敷きっぱなしで、ゴキブリが這うような布団で寝ていた」って。なんか今の日本で、凄く豊かになっている筈の日本で、食べることや寝ることや暮らすということがちゃんと満足にさせて貰えていない子たちが、こんなにいるんだ、というのは凄くビックリしましたね。だからまずこの暮らしの部分を一緒にしてもらうスタッフって、とっても大事なんです。まず基本です。食べることも、寝ることも、出掛けることも、テレビを見ることも、みんなひとりぼっちでやってきた子どもたちが、そうやって一緒に居てくれるお友だちが居て、一緒に何かをしてもらうという中で、ほんとに目つきが変わって、笑顔が出てきて変わっていくんです。入ってきた時はほんとにみんな異口同音に、まず「生きていても仕方がない。死にたい」と。たくさんのリストカットだとか、大量の服薬とか、いろんなことをやってきた子どもたちですよ。死んでいったほうがいいと思っているから。それが少しずつ当たり前の人間らしいというか、子どもらしい生活になってだんだん元気になってきますと、子どもたちは我が儘がでます。我が儘になってきます。そして悪い子になっていきます。試し行動が始まります。初めのうちはスタッフもおろおろしていたんですけど、だんだんわかってきたから、「良い子している間はまだまだ」と言うてね(笑い)。それで「この糞婆!」とか言いだしたら、「あ、大丈夫」(笑い)。
 
山田:  それは、それでまた大変なんでしょうけど。
 
坪井:  大変なんですよ。スタッフ一人ではやっていけないんです。「うん、これも試し行動なんだよね。今私に向かってきているけど、これは私が嫌いでやっているんじゃないんだよね。そうそう、大丈夫、大丈夫」みたいな、みんなでスクラムを組んでいくんですよ。そうじゃなかったら倒れてしまいます。もの凄いエネルギーだから。行くところがなくって来ているんだから、「出て行け」とは言えない。そういう時、保護者の責任者の本部長や私が子どもに言うんですけど、「私たちはあなたに出て行け≠ニは言えない。でも今のこと続けている限りもう私たちギブアップ」。そういう子どもたちは、ある程度の期間、そういう時期が過ぎていくと、子どもたちはそれでも見捨てられないというのがわかった時に、パタッと扉を開くんですよ。パタパタと開いていく感じ。いつでもいつでも閉ざしていたこと―信用しないぞとか、というふうなことがパタパタと開いていく。「生きていたい。私も生きていたいんだよ。私も愛されたい」ということがほんとに必ず見えてくるんですね。それが見えた時には、ほんとにゾクゾクとするぐらい嬉しい。この子たちを前にして、何かができると思うのは止めよう。私たちにはできないんだから。私たちは無力なんだから。何にもできなくていいんだから。ただ「ひとりぼっちじゃないんだよ」って。これだけが子どもに通じたら、もうそれでOK。それで十分。私たちのカリヨンの活動の目的は、「ひとりぼっちじゃないんだよ」って。そのことが子どもに伝えられたら、それでいい。それでよし、としょう。
 
山田:  子どもの人権救済ということで関わってこられたわけですけれども、当初どうしたらいいかわからないという状態でしたですよね。今、二十年経って、それはどういうふうに思いになっていますか。
 
坪井:  そうですね。自分の中で、「人間なんだ。これが傷つけられると、人間は生きていけないんだ。これが救済されることによって、人間は尊厳を取り戻して生きていけるんだ」というものがわかっていったのが、子どもたちとの出会の中で、一つ一つ獲得していったという感じなんですね。それは一番最初に自分の中に、これだと思ったのは、「あなたは生まれてきて良かったんだよ。ボロボロでも、何でもいい、生まれて良かったんだ。有りのままの自分が生きていていいんだ」ということが人権ということの第一の柱なんだ、と。これが傷つけられると苦しいし、これが回復されると生きていけるという、子どもたちの実感だったですね。二つ目に気付いていったのが、「子どもの人生は子どもが歩くんだ」という。子どもの人生を大人が横取りして、「ああしなさい。こうしなさい」とやってしまうと、子どもたちは奴隷になってしまって、結局人生投げ出して、「どうでもいいや」となってしまう。「あなたの人生はあなたのものなのよ」というふうに子どもたちにこれを返してあげることによって、子どもたちはそこで誇りを取り戻して生きていく。三つ目が、「ひとりぼっちじゃないんだよ」ということですね。ひとりぼっちになったら、どんなに生まれて良かったと自分で思い、どんなに自分の人生は自分で歩くんだと思ったとしても、ひとりぼっちだと思ったら生きていく気力がなくなる。子どもたちに何しろ必要なのは、「ひとりぼっちじゃないんだよ。共に生きるということが、その人が人間らしく生きることなんだ」って。この三つの柱が順番に見えてきた。だから人権というのは、机の上で論じるものではなくて、私たちが生きている中に、一つずつほんとに大切なものとして、これを保証していかなければいけないことなんだ、という。これを学んできた、獲得してきた時間だったなと思っています。
 

 
ナレーター:  「カリヨン」というのは、教会などにある大小さまざまな鉦(かね)を連(つら)ねた楽器のことです。子どもたちを救う活動に、その名を付けた坪井さんは、一人ひとりの子どもや、それを取り巻く大人たちが、それぞれの音色を響かせて、共に生きることを願ってきました。子どもたちの現実と向き合ううちに、坪井さんは一度は離れた教会に再び足を運ぶようになりました。年々増えていった虐待に苦しむ子どもたちとの関わり、中でも虐待で命を落とした幼い子どもとの出会が、坪井さんを再び祈りへと向かわせることになりました。
 

 
坪井:  私は正直言って、学校の問題と少年非行の問題というのには、かなり一生懸命やれるようになっていたんですけれども、虐待問題というのは触(さわ)れなかったんですね。どうしてかというと、身体が強ばって動かなくなっちゃうという状況になっちゃうんですよ。何故かというと、一番大切に取り扱ってほしい親に殴られたり、蹴られたりしながら、死んでいくという。年間六十、七十人の幼い子が死んでいたんですけど、今まではそれでも生きている子どもに出会ってきた。死んでしまった子どもに対しての無力感。絶望的でしょう。これでどうすることもできないという思いの中で、そのことを知った時、泣いているしかなかった夜があったんですね。「何でこんな酷いことが、どうしたらいいんだ、どうしてこんなに何もできない、何でこんな酷いことが起きるの」と言っている時に、もうこれは人間ではどうにもならない、と思ったんですよ。「神様しかいない」とふっと思い出したんですね。神様しかいないんだ。神様しかこの子の涙とか、この子の叫びとか、この子の辛さというものを、誰も抱き留めてあげることができない。この子を抱いてあげられる存在があるとしたら、神様しかいないというふうに、その時思ったんですよ。それでもう教会離れて二十年以上なっていたんじゃないかと思うんですけれども、祈るということをほんとに久しぶりにというか、忘れていた祈りを思い出したと言いますかね。
 
山田:  それはキリスト教の神という感じですか。どうにか神の力でないというふうな漠然としたそういう神という感じですか。
 
坪井:  やっぱり私が知っていた神様はキリスト教の神様しかいなかったから、「神様、私はあなたを裏切った人間ですから、もうどうなっても仕方がないと思っています」というところから始まったんです。「私は神様を裏切ったんだから、今更どうこうしてくれとは言えない。でもあの子だけは抱いて下さい」と言ったんです。「あの子だけは抱いてください。あの子を抱いてあげられるのはあなたしかいないんです」って、そうやって必死に祈ったんです。それがもの凄く私の中で強烈な体験だったんですね。で、それから虐待の事件というものに出会うことが増えていきました。確かに手も足も出ないという困った事件がたくさんくるんだけど、虐待事件がより深い、闇がより深い。どうしたらいいかわからない。それはもう不思議としか言いようがないんですけど、祈る。直ちにその場で御利益がパッとあるとか、そういうんじゃないんですよ。私が予想していた仕方ではない仕方で叶えられていく。そのことが繰り返されていったんですね。私は二十年間祈らずにどうやって生きてきたんだろう、って思い出せないようになっちゃったです。私はどうやって生きていたんだろう。やっぱり自分の力で何かできるってきっと思っていたんですよ。ほんとに無力だと思っていなかったんじゃないでしょうかね。だから祈らずに、どこか自分の力を信じて、それまできたというんですかね。勿論周りの人たちに励まされたり、子どもたちの力を借りたり、いろんな形でしていたけど、祈るというところまでは追い詰められていなかったと思います。
 
山田:  実際に教会に戻られてから、ご自分の中に違いがありますか。
 
坪井:  ありますね。イエスキリストという人は神の御子とされている。もっとも罪のない人なわけですよ。罪がなくて無垢でなんの罪科がない、そういう存在、いのちですよ。その方がこの地上に生まれて、そして人として育って、最後はなんの罪もないのに、その時代にもっとも無惨な刑罰であった十字架刑という刑罰で、木に吊されるという、そういう十字架刑で呪われて死んでいく。この姿に虐待をされて死んでいった子どもたちの姿というのが重なっていったんですね。もっとも罪のない子どもたちが傷つけられ、そして無惨に死んでいく。子どもたちのあの苦しみを共に歩いていけるのは、私たちにはとてもできないこと。それができるのは、もっとも無垢なまま、そしてもっとも残虐な刑罰を受けて死んでいかれたイエスキリスト。子どもたちの苦しみの最後の最後に寄り添っていくことのできる方は、あの方しかいないという。具体的にあの方はそういう道を生ききっていかれたんだ。その事実があるから、私はこの子は神様が抱いてくれる筈だと思って祈ったんです。十字架の意味というのは、そこで漸くわかってきたんですね。で、私にも最後の最後まで寄り添って、「ひとりぼっちではない」って言い続けてくださる方、そして「お前はどんなにボロボロでも、どんなにダメでも生きていいんだ。お前に生きていてほしいと願っている」と言ってくださる方。お前を一人にはしない。それが神様なんだ。その現実の姿がイエスキリスト。十字架なんだという。これが自分の中に、パッと落ちてきたんです。だから「人権」ということで、私が言っていたことというのは、実は教会に通い出した礼拝の中で、あるいは祈りの中で、聖書を読むということが習慣化していって、ほんとに読み出して、説教を聞いてという中で、自分の中で深められて根付いていって、教えられていっている。そういうことが起きていったんですね。私が人権というところで学んできたことが、「そうか、それは神様が言っていることだったんだ。教会の中で神様が言っていらっしゃったことは、このことだったんだ」って。
 
山田:  そうすると、子どもたちに教えられ、進んでこられましたよね。そのことも神の、
 
坪井:  なさってきたことなんだ。「自分がほんとに生きていていい」というところの、何かどこか確信が持てないまま、私は生きてきた。子どもたちに「生きていていいんだよ、生きていていいんだよ」と言いながら、自分のほうは「ほんとに生きていていいんだろうか」というふうな思いがどこか拭い去れなかったというふうなことがずっとあったんですね。だんだん軽くなってきていたんですけど。やはり神様に出会う。もう一度出会直して、「そんなお前も生きていていいんだ。そんなお前に生きていてほしいんだ」とこう神様が言ってくださっている。そして「お前をひとりぼっちにしない」って言ってくださっているということに気付かされて、私はもう本当に「死にたい」ということはこれぽっちも思わなくなったですよ。ずっと生かされて続けてきた。「お前は生きていてほしい」という神様に、私は「生かされ続けてきたんだ」という。その思いに確信を持てたという気持がしました。
 
     これは、平成十九年十二月二十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである