禅の心 医の心
 
                 禅僧・臨床医学研修生 対 本(つしもと)  宗 訓(そうくん)
一九五四年愛媛県に生まれ。一九七九年京都大学文学部哲学科卒業。京都嵯峨天龍寺僧堂にて修行。天龍寺派管長平田精耕老師に嗣法。国内およびヨーロッパにて禅指導や講演などの宗教活動を行う。一九九三年臨済宗佛通寺派管長に就任。二○○○年帝京大学医学部医学科入学。同年一一月佛痛寺派管長辞任。二○○六年帝京大学医学部医学科卒業。第百回医師国家試験合格。現在 臨床研修医。著書に「坐禅〈いま・ここ・自分〉を生きる」「禅僧が医師をめざす理由」ほか。
                 ききて        西 橋  正 泰
 
西橋:  安らぎの心で人生の終末を迎えたいというのは誰しもの願いです。その願いを手助けしようということで、手助けするためには宗教だけでなく、医学を学ぶ必要があるというふうにお考えになって、四十代半ばで医師を志し、今お医者さんになられた禅僧の対本宗訓さんに今日はお話を伺います。どうぞよろしくお願い致します。
 
対本:  こちらこそよろしくお願い致します。
西橋:  まず最初に、どうしてお医者さんになろうと思われたんですか。
 
対本:  そうですね。一言で申しますと、やはり「生老病死」―四苦という仏教の根幹の教えですけれども、「生老病死」の現実を究めたいと、医療者として、また特に宗教者として、そういう思いでこの道を選びました。
 
西橋:  後で、詳しいお話をお願い致します。
 
対本:  承知致しました。
 
西橋:  ところで、ほぼ三十年近く前になりますが、二十五歳の時に雲水として、ここに修行に来られたわけですね。
 
対本:  そうですね。
西橋:  あの門を潜られたですか。
 
対本:  ええ。ちょうどあれは天龍僧堂の山門、いわゆる正門なんですけれどもね。あこからずっと向こう側にあります玄関へ網代笠を掲げて入門をお願いしに入っていくわけなんですけれども、あそこに大きな金木犀(きんもくせい)の木が一叢(ひとむら)ございますけれども、ちょうど十月四日でした。非常に強烈な香りを放っておりまして、いまだに脳裏にその匂いとともに緊張感が焼き付いておりますね。
 
西橋:  そうですか。で、当時はここが禅堂だったわけですね。
 
対本:  そうですね。修行僧、つまり雲水ですね、雲水がここでみんなで寝起きを共にしまして、切磋琢磨しながら五年十年と自己を究めるために坐禅修行を続けるという。禅僧としてはほんと原点の場所なんですね。
 
西橋:  じゃ、中でお話をお願い致します。
 
対本:  承知致しました。
 

 
西橋:  対本さんは愛媛県の禅寺でお生まれになったんだそうですね。
 
対本:  そうですね。愛媛県の片田舎。ミカンと蒲鉾しかない町でしたですけどね。だけど非常に自然豊かな町でした。そこで父親が禅寺の住職しておりまして、寺の長男として、私は生まれました。十八歳の時までお仏飯を頂戴しながら学校へ通って、十八歳の時に京都に出て来たということなんですね。
西橋:  小学校四年生の時に「お小僧さん」ということで、実際にお父さんと一緒にお葬式にいらっしゃるわけですね。
 
対本:  参りました。お寺の子は頭をクリクリ頭にして、坊主頭にしてお檀家さんのお勤めをきちっと果たさなければいかんというのが、私の父親の教育方針でした。小学校一年生の時に得度をして、お坊さんの籍に入って、それから日常の中で般若心経から始まって、いろいろこまごましたお経まで口移しに教えてくれました。坐禅会もやっておりましたので、居士さんという一般の在家の坐禅修行者の方々と一緒に坐禅も始めましたですね。そうするうちに小学校四年生になりまして、いわゆるデビューですね、お檀家さんのご葬儀に初めてお小僧さんとして、出頭させて頂いたわけです。
 
西橋:  小学校四年生の元気坊主だとエネルギーの塊ですよね。生命力のある。
 
対本:  そうですね。
 
西橋:  その男の子にとって死と向き合わなければならないわけでしょう。
 
対本:  そうですね。極めて唐突でしたね。後で考えれば当たり前じゃないかと思うんですけれども、やはり子どもですから、現実感というのはないんですよね。お檀家さんが亡くなって、いざ葬儀に出頭して、とにかく教えられた通りきちっと儀式の役割を果たさなければいけないというので、それで頭がいっぱいだったんですね。で、儀式自体は無事に終わったんですけど、その後でいざ出棺の段ということになりまして、長い箱が下ろされまして、蓋を取ると人が横たわっていた。ビックリしましたね。それまで私は祖父母は私が物心付く以前に他界しておりましたので、寺の息子でありながら、身内にそういった不幸がなかったんですね。それまで経験しなかったんです。で、お檀家さんのご葬儀に行って初めて亡くなった方というのを目にしたものですから、非常に唐突な経験で、最初しばらく御飯が食べられなくなりました。子ども心に非常に刺激が強すぎたんですね。
 
西橋:  その頃はやがて僧侶になるという覚悟はおありだったんですか。
 
対本:  朧気ながらにあったと思いますね。そういう教育をされておりましたので。
 
西橋:  嫌じゃなかったですか。
 
対本:  嫌ではなかったんですけどね。ただご葬儀に参列するのは正直苦痛だったんですね。要するにご遺体と対面しなければいけない。それも肉親であればまだ情が繋がっていますけれども、お檀家さんとは言いながら、他人というと失礼かも知れませんけども、何故自分がそういった思いをしなければいけないんだろうかという、そういう葛藤のようなものがありましたね。
 
西橋:  愛媛から十八歳になって京都に出て来られて、京都大学に入られた時に、宗教哲学というものを専攻しようと思われたのはどうしてだったんですか。
 
対本:  文学部は哲学系、歴史系、文学系といろいろ分かれておりますけれども、哲学に進みたいというのは高校時代から思っていたんですね。やはり人の生き死にの問題、仏教では「生死(しょうじ)」と言いますけれども、生と死というものについて、小さい頃から死が日常にあったという意味でも勿論そうですし、思春期時代の多感な時期、いろんな文学作品を読んでも、やはり生死の問題というのは出てきますね。まあそういった意味でも、哲学の中にはそういった回答があるんじゃないかという思いが一つありましたね。いろいろ宗教学を選ぶ動機というのはあったと思うんですけれども、一番ポイントのところはやはり「生死」生と死の問題だったというふうに思います。
 
西橋:  そして天龍寺に二十五歳でいらっしゃるわけですね。ここでの修行というのはどうでしたか。かなり厳しいものでしたか。
 
対本:  そうですね。修行は勿論厳しい禅の修行ですから、私がここに入門しました時には、十数名修行僧が居て、みんな先輩ですよね、非常にきびきびと己に厳しく、お互い切磋琢磨している。寺の息子ですから、やはりどことなく甘いところもあるんですね。それとあと学生気分がやはり抜け切らないところもありまして、ですから最初の一年間は徹底的にそういうものを鍛え上げられましたですね。
 
西橋:  この元の禅堂で坐禅を組むだけではなくて、生活も、
 
対本:  そうなんですね。畳がずっと敷き詰めてありますけれども、ちょうどこの一畳分が一人の修行僧に与えられた生活空間なんですね。よく言います「座って半畳、寝て一畳」。坐禅をする時には前の半分あれば事足りるわけですね。そこで坐禅をして、そして寝る時は上に黒い幕が垂らしてありますけど、あの奥に煎餅布団がこう丸くくるまれて放り込んである。そこから下へポンと下ろしまして、煎餅布団掛けてその中へくるまって寝るという、そういう生活なんですね。
 
西橋:  食事は別のところなんですか。
 
対本:  食事はさっき正門を入った玄関のところに、「食堂」と書いて「じきどう」と読むんですけどね、そこでみんな一列になって食事をする。食事をするのも修行の一貫ですから、お粥を啜ったり、沢庵を噛む時に音を一切立てちゃいけない。最後食べ終わりましたら、きちっとお茶で濯いでその水も全部飲んでしまう。お米一粒のいのちというものも粗末にしないできちっと頂いていくという。修行のために頂戴するんだという。ですから食事と言えども一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)、きちっと自己を見詰めながらやらなければいけないという。まさに二十四時間修行でないものはないんですね。
 
西橋:  その修行時代に一月に亡くなられた平田精耕(ひらたせいこう)(1924-2008)さんの指導を受けられたわけですね。
 
対本:  そうです。私が入門した時は、おそらく師匠の平田精耕老師が一番脂の乗り切った時代だったんじゃないかと思うんですね。非常に厳しい指導をして下さいました。
 
西橋:  ここで修行なさった期間というのは十年ぐらいですか。
 
対本:  ずっと終日詰めていたのは十年ですね。十年経った時にヨーロッパへ指導に行けという指示と共に、「修行道場との生活は一区切り付けて、いわば社会に出て実地の修行をしなさい」と。よくおっしゃったのは、「基本の力」、それと「応用の力」とよくおっしゃっていましたね。「修行道場というのはあくまでも禅僧として基本の力を身に付けるところだ。基本の力だけで終わったんじゃこれは役に立たない」というんですね。「宗教者として一番大切なのは現実の社会の真っ直中にあって、どう力を発揮することができるか。道場の中だけで、温室育ちじゃ何の力も出ないんだ」ということを常々おっしゃっていたんですね。それで十年目に放り出されたような感じですね。私はその時東京の方へ行って、全生庵(ぜんしょうあん)という有名な大きなお寺があります。そこの方丈さんが非常に良くしてくださいまして、「じゃ、家で実地の仕事をしながら、月一回は天龍寺へ帰って参禅の修行を続けなさい」ということで、東京の方へ行きました。
 
西橋:  そういう東京も含めての修行時代に「生老病死」と言うんですか、そういうことについてのお考えというのは深まっていかれたんでしょうね。
 
対本:  そうですね。これはいわゆる宗教の―禅仏教ですね―伝統的な教えと言うんでしょうか、例えば私たち臨済の―禅宗は臨済宗、曹洞宗とご承知のように分かれておりますけれども、臨済禅の修行には公案(こうあん)修行というのがございます。老師から公案という課題を与えられて、それを坐禅をしていたり、あるいは畑を耕したり、作務(さむ)をやっているその間もずっと念頭において自らの見解を工夫し続けるわけなんですけども、そういった公案修行の中に生老病死を扱った問題というのも当然出てくるわけなんですね。そういった時はやはり私もより力が入りまして一生懸命なんとか究めようということで坐禅に励んだりもしました。しかしながらそこで言われるところの伝統的な生老病死というものに対する見方というものは、私自身にとってはあんまり心に響かなかったんですね。やはりこれは自分自身で究めるしかない。よく考えれば一人ひとりみんな違っていいんですよ、見解というものは。己自身の見解というものをきちっと究めていかなければならない。そういう思いというのはだんだん強くなってきました。
 
西橋:  そういう中で身に付けられた見解と、それから現実にお父様が亡くなられますね。
 
対本:  ええ。私が三十二歳だったと思うんですね。僧堂修行も十年を越えていましたか、そういった時に父が亡くなって、実際さっきも申しましたように、身内に不幸は経験したことがなかった。私の父が亡くなるというその一連のプロセスに立ち会ったのが私にとっては初めての経験だったんですね。よく「一人称の死(本人)」とか、「二人称の死(親しい者)」、あるいは「三人称の死(遠い他人)」という言い方はなされますけれども、まさに自分の父親ですから他人じゃないわけですね。「三人称の死」じゃなくって「二人称の死」。これはもう全然質的に違うものがありましたね。
 
西橋:  それまでに考えておられた死というものと違った?
 
対本:  そうですね。それはお檀家さんの死であったり、あるいは知人の死であったり、それぞれ関係の遠い近いによって受ける心のインパクトというものは違うものがありますけれども、やはり父親ですから、それまでに経験した如何なるものよりも何十倍も重いものでした。そこで初めて死というものはこういうものだったのか。今まで考えていた死というのは、いわば亡くなった後のご遺体を指して、死だと私は受け止めていたんですね。例えばお檀家さんが亡くなる。枕経(まくらぎょう)に呼ばれる。お詣りに行って見たら当然冷たくなって横たわっていらっしゃるわけですね。それを見て私は死だと思っていたんですね。
 
西橋:  お父様が亡くなられる何週間か前ぐらいに、「お父さんの視線に気が付いた」ということを書いていらっしゃいましたね。瞳の輝きと言いますか。
 
対本:  そうなんです。一週間前だったか二週間前だったか忘れましたけれども、最終的にあれが最後の見舞いになったんじゃないかと思うんですね。その時にこうやりとりをしておりました時に、いつもは私の顔をきちっと見ながら父は話をしてくれていたんですけれども、その時は話をしながらも、受け答えにぶれは何もないんです。きちっと意識レベルはきちっとあったんですけれども、視線が私を通り越している。どっか私を通り越してずっと向こうの彼方の空間に―視線が定まらないんじゃなくて、彼方の空間に視線が定まっているんですね、ピタッと。何かを見ている。しかも眼の輝きがほんとに生き生きしている。楽しそうというと当たらないかも知れませんけども、ほんとに輝いている。その時に私は直感というんでしょうか、〈父は次の世界を見ているな〉と。今から移っていこうとする次の世界にもう意識のレベルが定まりかけているんじゃないか、というふうなことを思いました。ですから〈人間は肉体の死でもって終わりではない〉ということは、私は今でも確信しております。自分と父親の一連のプロセスを経験することで、死というものはやはり時々刻々と繋がっていく一つの過程なんだ、プロセスなんだということはよく分かりました。同時に宗教者というのはやはり死んだ後のいろんな儀式も勿論大切なんですけれども、追善法要も勿論大事な役割なんですけれども、死に向かって時々刻々と経過していく。まさに亡くなっていこうとする、そういったプロセスの上で死というものをもっと見詰めていかなければいけないし、そのプロセスの上でどういうふうに役割を果たしていけるか。そこをもっと宗教者としては課題にしなければいけないんじゃないかということを痛感しました。
 
西橋:  そういう意味では「deathの死ではなくdyingの死を見よう」だというふうにおっしゃいますね。
 
対本:  そうですね。そういうふうに私は本の中で表現しましたけれども、deathの死じゃなくてdying。まさにいま死なんとする、死につつあるという一つのプロセスとして、もっと死というものを捉え直さなければいけないんじゃないか、というふうに当時思いました。
 
西橋:  そういう意味ではお父様の死というのは、対本さんにとって大変大きなメッセージと言いますか。
 
対本:  ありました。まさに父が身をもって教えてくれた生老病死の教えですね。ほんとに有り難く思っています。
 
ナレーター:  対本さんは、三十八歳の若さで広島県三原市に本山がある臨済宗佛通寺派管長に就任しました。対本さんは若い雲水を指導する傍ら、講演などで生と死の問題を積極的に取り上げました。
 

 
西橋:  三十八歳という若さで管長という非常に重要なポストと言いますか、言われた時のお気持ちというのはどうでしたか。
 
対本:  そうですね。これは唐突でしたからビックリ致しました。自分に務まるのかなという思いが先に立ちましたけれども、師匠の平田精耕老師の厳命ですから、「とにかく行け」と。「大丈夫だから行け」というふうにおっしゃいましたね。後はまあ自分の努力と、それから多くの方々のお力添えを頂ければ、なんとかなるんじゃないかなというふうに思いましたですね。
 
西橋:  先ほどの生老病死という面からみた時に、対本さんは、「亡くなってから葬儀に招かれるよりも亡くなる前に呼んで下さい」ということをおっしゃっていますね。
 
対本:  その頃からそういうふうなことを言っていたんですね。いろいろ説法とか講演というのは数多くやっておりましたものですから、機会ある毎にそういう意味のことを多くの方々の前でお話していたんだと思うんですね。僧侶はご承知のように、亡くなってから「枕経に来てください」とか、それからまたそれに引き続いて葬儀を勤めさして頂くとか、そういう形が一般的なんですけれども、人生「生老病死」というのは、生きている時の教え。その方にとって生きている時にどういうふうな、生きていらっしゃる時、宗教者としてどういうふうな関わりが持てるか。そこが私は大切だと思うんですね。亡くなった後のことも勿論大切なんですけれども、やっぱり釈尊が説かれた「生老病死」というのは、やはり生きて悩み苦しんでいる。生きて苦痛を訴えている。生きて不安に苛(さいな)まれているという。そこにどういうふうに宗教者は関わっていくのか。そこが私は大事だと思うんですね。ですから、どれだけのことが自分にとってできるかわからないけれども、とにかく「もしよろしければ亡くなる前に枕元に、ベッドサイドに呼んで頂ければ有り難い」と、そういうふうに申し上げました。
 
西橋:  宗教的には人間の体と心というものを一体として捉えるという考え方があるんですか。
 
対本:  そうです。「身心一如(しんじんいちにょ)」というふうに申しますけれども、体と心―身心というのは身と心。心と身じゃなくて、仏教では身を先に書きます。「身心一如」と申しますけれども、体と心を二元対立的に捉えない、別々のものとは捉えないということですね。東洋医学の根本理念でもあるそうなんですけれども、禅の修行においてもやはり身心一如ということは会得できるわけなんですね。そうは言いましても、実際私たちが何か病気になりまして、あるいは怪我を致しまして痛くて堪らない。のたうち回って苦しむとすれば、それは明らかに体が痛いんですね。勿論「心身相関」―繋がっていますから、東洋の、あるいは仏教的な「身心一如」という言葉を持ち出さなくても、今の西洋医学的な考え方からでも、「psychosomatic(心身医学の)」と言いますけれども、体と心というのはどこかできちっと結びついている。だから心療内科とか、そういう診療科もありますね。体が痛ければやはり心も病みますし、逆に心が病んでいればその表現として体のほうに症状が出るということはよくあることですね。体が辛い、体が苦しい時に、いくら禅の教えを説いてみたところで耳に入っていかない。仏様の有り難い教えを言い聞かせたところでもう何も残らないんですね。それより何とか体の苦痛を取り除いて欲しい。この体の痛みを何とかコントロールして欲しいという、それが私たちの患者さんの正直な心の叫びなんですね。体の痛みを何とかするということは、医学の、医者の仕事でありまして、宗教者の仕事ではないですね。体の痛みをコントロールするにはやはりきちっと医学を学んで、そして正規のトレーニングを受けて医師として対処しなければいけない、そういうことだと思います。
 
西橋:  管長というお仕事をなさっている時に、医療というものと宗教というものとは何とか結びつけられないかというか、そんなふうにお考えになったんですか。
 
対本:  そうです。ちょっと大それた発想かも知れませんけどね。しかしよくよく考えてみれば、医療と宗教というのはもともと不可分一体だった時代があったんですね。私はのちに「僧医(そうい)」という言葉を掲げて、自分の行動理念にしているんです。ほんとに大昔は大陸から渡来した、あるいは帰化したような坊さんとか、あるいは中国へ留学をして仏教を学んできた坊さんたちが僧医として活躍していた時代があったんですね。いわゆる漢方でしょうかね。大陸の薬草―本草(ほんぞう)の知識です。あるいはそういう時代ですから加持祈祷のような要素も当然入ったと思うんですけれども、今の時代からすれば、代替医療の一貫のように捉えられるかも知れませんけれども、僧医という形で実際役割を果たしていく。そこでは医療と宗教というものはほんとに不可分一体、未分化な形だったんですね。現代でもそういった意味で、私は加持祈祷をやろうとは思わないんですけれども、あくまでも西洋医学というものをベースにして活動したいと思っているんです。医療と宗教というものは十分両立しうる、と。是非その可能性を開きたいというふうに思っています。
 
西橋:  そのことを対本さんは、ご自身一身で両方をという、非常に大胆な発想でそれを実際になさったわけですけれども、そこまでご自分を駆り立てていったものというのは何だったんですか。
 
対本:  何でしょうかね。時々自分でも不思議なんですけどね。特にこれだ、という一つの理由というものは勿論ないんです。いろんな要素が絡み合って個人的な、例えば父の死を通して感じ取ったこと、そういった要素もありますし、それからさっき申しましたように宗教者としてどうあるべきか。自分自身どういう宗教家でありたいかという、そういう思いをずっと見詰めていったところ、それもやはり一つの大きな要素になっている。いろんな要素が絡み合っているわけで、何か明確な一つというわけじゃないんですね。だけど、私にとってはこの道しかない。是が非でもこの道を通らないと自分の目指しているものは開けない、というふうに思ったから、医学の道を目指したわけなんですね。
 
西橋:  そういう追い掛けてみようというご自分の夢をといいますかね、としても医学部に入ること自体がとっても難しいことですよね。だから受験勉強もしなければいけないし、片方で佛通寺派の管長という大事なお仕事もあるわけで、そこのところの両立というのは死に物狂いだったですか。
 
西橋:  難しかったですね。たしかに難しかったです。どう時間を割いて受験勉強をするかという、そこが一番難点でしたです。当然睡眠時間を削るしかないわけでして、二年二回チャレンジしてダメだったらもうこれは縁がないと潔く諦めて坊さんの道をそのままずっといこうというふうに決めていました。しかし必ずどっかで道は開けるんじゃないかという、そういう思いは常に心の奥底にありました。
 

 
ナレーター:  対本さんは、四十五歳で東京の帝京大学医学部に合格しました。しかし勉学と宗教活動の両立は難しく、間もなく佛通寺派管長を辞任し、一禅僧になって医学の道に進むことにしました。
 

 
西橋:  東京での医学部の学生時代に、周りはウンと若い医学生たちですよね。その中でそういう医学の道を目指す若い人たちと生老病死について語り合うようなことっておありでしたか。
 
対本:  ほとんどないですね。忙しくてですね。非常に医学部の勉強というのは、分量が膨大ですし、実習も入ってきます。何分勉強付いていかなければいけません。そこに集中するあまり、なかなかそういった「いのちとは何か」とか、「死とは何か」とかということを改めて思いを巡らすようなゆとりがないというのが、これは医学教育の一つの問題点でもあると思うんですね。最近はさすがにそういう点が反省されまして、それぞれの大学で工夫がなされているんですね。我々の時にも一コマか二コマそういう授業がありました。終末期医療のビデオを見せられて、人間の死というものをもうちょっと考えようという授業だったんですけれども、あまりにも短すぎて、それと若い学生さんにとってはやっぱり唐突過ぎて意図したことの成果はおそらくなかったんだろうと思うんですね。しかしながら逆に言えば、例えば二年生の時に解剖実習をやります。献体、いわゆるご遺体を一つ一つ解剖させて頂くんですね。解剖実習というのは私も含めてですけれども、医学生にとっては前半の一つの山場になるんですね。言い換えればイニシエーション(initiation:入会の儀式)のようなものですね。そこを通過することによってまさに顔付きが変わってくる。医学を学ぶ、将来医師を目指すんだという動機をもう一回再確認するという機会になります。ほんとに亡くなった方のご遺体ですから、勿論いのちはそこにはないんです。生きているという意味ではないんんですけれども、しかし紛れもなく何十年間の人生を生きてこられたそのお方の顔の表情とか、手の先のこういうところにも個人個人の表情があるんですね。手相がどうとかじゃなくて、手の辺りとか、そういうものに触れながら、一つ一つ筋肉を分けたり、血管を出したり、臓器を一つ一つ取り上げたり、そういう中で、相手は亡くなったご遺体―死体なんですけれども、それを通してまたいのちを学ぶ。それを通して死というものを予感していく。今度五年生になりますと、病棟実習というのが一年かけてあるんです。各科を廻っていくんですね。そこでは当然実際の患者さんを学生として担当させて頂きますので、いろいろとお話をして問診をとったり、毎日の診療回診について廻ったり、検査に一緒にお供したり、それから治療計画を上の先生たちと一緒に立てたり、あるいはオペ室に入って実際に手術の現場に立ち会ったり、時には受け持ちの患者さんが亡くなられて一緒にお見送りをしたりという、そういう医療の現場へ五年生が出ていくわけなんですね。そこで実際患者さんの生老病死に接して、やはりその時も学生さん顔付きが変わってきますね。ほんとに医者に一歩近づくというんでしょうかね。
 
西橋:  対本さんご自身にとって、小さい頃からご遺体と向き合わなければいけないという体験は随分積まれてこられたわけですけれども、で、今度は解剖という現場に立った時に、何か違うものがご自身の中に湧いてくるようなこともおありでしたか。
 
対本:  こういう言い方をすると非常に申し訳ないんですけれども、僧侶として枕経とかご葬儀に参りまして、そこで接するご遺体と病院で接するご遺体と違うんですね。勿論これ感じ取り方の問題だと思うけれどもね。何故かご葬儀とか枕経の場合はちょっと生々しさがあるし、だけど病院で、例えば解剖実習でご遺体と接する、あるいは実際担当の患者さんが亡くなる。そういった時はまた全然感覚が違うというんでしょうか、恐いとか気味が悪いとか、あるいはこの場から離れたいとか、そういう思いは一切湧いてこないんですね。非常に不思議だと思うんですね。
 
西橋:  その違いというのは何なんでしょう?
 
対本:  一つには病院では医師として、ドクターの眼で見ていますね。ドクターというのは厳密な意味でサイエンステストではないと思うんですけどね。サイエンスだけじゃないですから。だけどあくまでも人間の体を冷徹に見ているものがあるんですね、感情を排して。ですからそういうことも一つ関わりがあるんじゃないかと思うんですけどね。ご葬儀なんかへ行きますと、やはりいろんな面が当然渦巻きますよね。いろんな思いが渦巻く空間ですし、故人にまつわるいろんなものがそこにあるわけですね。そういう中で宗教者として一定の時間過ごすということですから全然異質のものがあると思うんですね。
 

ナレーター:  対本さんは五十一歳で医師の国家試験に合格しました。現在研修医として臨床経験を積む日々を過ごしています。
 

 
西橋:  人の心を見詰める宗教者としての目と、それから病んでいる人、あるいは亡くなった人を見る医師としての目ですね、これをやがては統一してもうちょっと違う形にしたいというふうに思っていらっしゃるんですか。
 
対本:  そうですね。そこまでいくには宗教者としての面もさることながら、これは当然医師としてのトレーニングをずっと積んでいかないといけないと思うんですね。まだ今駆け出しですから、とてもとてもその領域には及ばないんですけれども、これから十年十五年と医師として修行を重ねていくうちに、ある程度今おっしゃったような世界も近づくんじゃないかと思いますね。
 
西橋:  人間の体と心を一体のもの、あるいは表裏一体のものとして捉えるということは、宗教でいういのちと医療でいういのちというのは何か違いみたいなものがあるんですかね。
 
対本:  医学の教科書には不思議なことに「いのち」という言葉、「生命」という言葉はあまり出てこないんですね。これは「いのち」というものが非常に大きな概念であると、いわば上位概念であるというふうなことが一つの理由だと思うんですね。医学医療というのはまさしく人のいのちを預かっている、そういう学問であり技術である筈なんですけれども、不思議なことに教科書の中にそういったものがあまり出てこない。私は非常に不思議だなあというふうに学生時代に思ったんですね。しかし実際医療現場に立ちまして、生の患者さんに触れ合って、そこで感じるいのちの世界というのは、教科書では全然説明仕切れないような、そういういのちの現場ですよね。それはまさに体の肉体的な、身体的ないのちと、それから心としてのいのちというんでしょうか、それとが一体となったようなものですからね。よく外科の先生が座右の銘にしていらっしゃる「鬼手仏心(きしゅぶっしん)」という言葉があります。外科の先生は、メスと取って人間の体を裂いていく。もう一点の人情も差し挟むことはない。医者というのは冷徹な目で人間の体を見なければいけないんですね。体を診る時、体を処置をする時には冷徹に人情を挟まない。そうしないとありのままのものが見えてこないし、的確な処置はできないわけですね。だけどメスを置きますと、今度は仏の心なんですね。患者さんと日常触れ合う中で、「和顔愛語(わげんあいご)」とも言いますけど、穏やかな顔付きで思いやりの籠もった言葉使いで、ほんとに患者さんの心のケアの世界ですね。医者の理想の姿として、特に外科医のあり方として、「鬼手仏心」という言葉が好まれるんです。鬼の手―鬼とこれ角が生えた鬼でなくって、これは神のことなんですね。神の手を持つ。ドクターってよくテレビに出ますけれども、ブラックジャックのように鋭いメスさばきをする。しかしながらいったんメスを置けば、ほんと慈愛の面で患者を包み込むようにケアをしていくという。医療者の理想の姿だと思うんですけども、何か宗教者とも重なり合いを感じさせますね。医者にして既に体と心の両面の視線が必要だということ、宗教者も心を説くとは言っても、それこそ身心一如で体も含まれるわけですから、体もきちっと見る目を持たなければいけないんじゃないかと思うんですね。現代は特に生命科学が非常に進歩してきまして、我々が子どもの頃には考え付かなかったような遺伝子の世界ですね。中学生だって私たちの体はDNAの中にいろんな塩基の組み合わせで遺伝情報が伝えられるんだということを知っていますよ。生命科学というのはほんとに長足の進歩を見せたわけなんです。宗教者の私たちが説く心とかいのちというのは、やはり現代において、そういうものを説くんであれば、どうしても生命科学的な知見の概略というものを念頭において説かないと、仏典からそのまま受け売りの文句で説いたとしても、もう高齢の方であまり耳に馴染まないような、そういう時代になってしまったんですね。
 
西橋:  だからご自身も僧侶であり、かつ科学の目といいますか、そういうものを持ちたいと。
 
対本:  そうですね。現代を生きる僧侶には、自然科学的な眼差しというのは非常に必要だと思うんです。向こう側から―仏様の側、お悟りの側から説いただけではダメだと私は思いますね。どうしても肉体を見る目はもう必須のものだと思うんです。
 
西橋:  そのことが医師になろうという決意にも結びつくわけですね。
 
対本:  勿論そうですね。中には、「別にそこまでしなくてもいいじゃないか」とおっしゃる方がよくいらっしゃるんです。「僧侶は僧侶の道をまっしぐらに進んでいけばいいんだ」というふうにおっしゃるんですけどね。まあこの世の中、多様性の時代ですから、私のような道を進む者がいてもいいんじゃないかと思います。何かのお役に立てるんじゃないかと思うんですね。いろんな可能性というものは考えてもいいと思うんです。
 
西橋:  「僧医」という、僧侶で医師であるという。この僧医としての可能性と言いますか、対本さんご自身が考えていらっしゃる新しい展開と言いますか、可能性はどんなことですか。
 
対本:  なかなかイメージとして私も湧いてこないところもあるんですね。最終的にこうなるとか、こうしたいとかという明確なビジョンが必ずしもあるわけじゃないんです。これは一つには、先人がいないという。誰かこの方を目標としてという具体的な先人がいないということも一つある。それともう一つは、進んでいくに従って展開が見えてくるということもありますね。まさに私の場合もそういう感じで、方向はわかっているんですね。こちらの方向だということは私もわかっているんですけれども、じゃ、具体的にどうかというのはまだ見えてこないんですね。僧医―お坊さんであり、また医師でもあるということで、具体的には私は緩和ケアを目指しているんです。「緩和ケア」というのはよく「終末期医療」と言われるんですけれども、最近あまり「終末期」という言葉は好まれなくなってきまして、むしろ「緩和ケア(palliative medicine:緩和医療)」というんですけど、そういう言葉がよく使われるようになってきました。
 
西橋:  痛みや苦しみを和らげる、という。
 
対本:  そうですね。痛みや苦しみを全部取ってしまうことはなかなかできないんですけども、「和らげる、緩和する」ということですね。当然癌とか、そういう悪性疾患の終末期の患者さんのケアということも勿論あるんですけれども、ただ緩和ケアというのは何もエンドステージだけじゃなくて、医療すべてにわたって根本的にあるべき一つの哲学なんだという捉え方が今なされています。ですから生老病死の全般にわたって、その根底に緩和ケアの精神がなければいけないということですね。たしかにその通りだと思うんです。しかし具体的には、主に終末期の患者さん、まさにこれから死に向かって歩んでいかれる、そういう患者さんをどうケアさして頂くかという、その緩和ケアを目指したいと思っております。どういう方面からアプローチするのか。それはいま研修医をやりながら、各科―いろんな科をローテーションしていきますから、その中でいろんな可能性とか、もう一つは自分の適性というものを見極めていきたいと思います。今いろんなホスピスが次々と出来てきておりますけれども、まだまだ緩和ケアのベッドは足りないと言われるんですけどね。「ホスピスへ行かれるんですか?」というお尋ねもよく受けるんです。まあ研修には一回ホスピス行ってみたいと思うんですけれども、在宅ホスピス―在宅での看取りという選択肢も勿論あります。ですからまだまだイメージが決まっていないということが現実です。
 
西橋:  緩和という意味では、お薬なんかを使って痛みなんかを押さえていくということもあるんでしょうけども、合わせて精神面でアプローチで押さえていくということも考えられるわけですね。
 
対本:  そうですね。どうしても肉体的な痛み・苦痛というものをコントロールするというのはやはり先決だと私は思うんですね。そうしないと自分自身を振り返る心のゆとりも生まれないわけですし、まさに患者さんは人生を完成させようとしている一番大事な時期なんですね。また後のこともお考えにならなければいけないでしょうし、親しい家族や友人との別れの最期の時間というものも、有意義に過ごして頂かなければいけないわけですね。しかしそういう時に、肉体的な苦痛に苛まれていては、とても心のゆとりも生まれないし、またどんな語り掛けも耳に入っていかないわけですね。幸いモルヒネとかお薬がありますので、WHOのほうもきちんと指針が出ております。日本の医療もだんだんそういうふうになっていっておりますので、適性にお薬を使えばきちんと痛みというのは九十何パーセントコントロールできるわけですし、またいろいろとそれに付随した症状も出てきますね。それぞれに対応の仕方というのがあるわけですね。ですから先ずは身体的な痛みのコントロール、症状の緩和というものをきちっとした上で、そして後は心のケアというんでしょうか、精神的な部分をどういうふうにみていくかという、そこはある意味で宗教者としての役割だと思いますね。
 
西橋:  今五十三歳でいらっしゃいますね。
 
対本:  五十三です。
 
西橋:  後一年研修医として、勿論立派なお医者さんなんですけども、もう一年間研修医が残っている。その後新しい展開を考えていらっしゃる。そうすると、これから大きな目標に向かって進まれる。時間との闘いみたいなものもおありじゃないですか。
 
対本:  あまり時間のことは考えていないんですよ。自分の中での漠然としたプランというのは、今五十三歳。六十歳までは修行の時期だと私は思っているんです。トレーニングの時期だと思っているんです。どういう道を進むにしても、やはり医学部を卒業して、医師国家試験に合格して、医師免許を得ているわけなんですけれども、卒業後やっぱり十年ぐらいはいろんな修練を積まないと一人前の医療活動はできない。どの世界もそうだと思うんですけどね。六十歳を目安にしていろいろとトレーニングを積まして頂く。六十歳過ぎて―還暦ですよ―そこから自分自身どういった 自分の思うような展開が得られるか、そこからが勝負だろうと思っています。そうこうするうちに、人間の寿命というのはわかりませんから、いのちが尽きるかも知れませんけれども、それはそれで私はよしとしていますね。それこそ「いま・ここ」、一日一日を私は精一杯やっておりますので、そこまでのプロセスは私にとって大きな足跡。なんらかの意味で他の方々のお役に立てる部分もあるんじゃないかと思います。私自身としてはまた次ぎ生まれ変わって、そこからまたスタートするということでやりたいと思いますね。
 
西橋:  今の話に出ました「いま・ここ・自分」ということをよくおっしゃいますね。「いま・ここ・自分」という「自分」というのは?
 
対本:  「自分」というのは、別に自分一人が良ければいいとか、そういう自分じゃなくて、それこそ我々禅僧が一番求めていかなければいけない「自己の本心・本性」というんでしょうかね。他人も勿論大事なんです。大乗仏教と言われる、これは「自分を捨てて、まず相手を」という、そういう生き方なんですけれども、それはそれでいいんですけれども、しかし何事ををするにしてもやはり自分自身の所在がおろそかになりますと、物事というのは何も決まらないわけです。自分がぶれていますと。ですからまずは自分の足元をきちっと見詰めて、そして軸足を定めようと。そういう意味で「いま・ここ・自分」と。他人(ひと)よりも自分です。他人(ひと)はどうでもよくって自分が先だということじゃなくて、何をするにも自分の軸足をきちんと踏みしめるということだと思います。
 
 
西橋:  主体性?
 
対本:  主体性ですね。
 
西橋:  ありがとうございました。
 
対本:  ありがとうございました。
 
     これは、平成二十年三月九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである