生きるための仏教
 
                          千光寺住職 大下 大圓(だいえん)
昭和二十九年岐阜県生まれ。千光寺で出家する(十二歳)。高野山大学文学部仏教学科卒業。岐阜大学教育学部研究生終了。スリランカ国ビドゥヤランカ仏教学院修行留学(テーラヴァダー得度コース)。帰国後、飛騨を拠点として「いのち」のボランティアネットワーク活動を展開し、臨床活動、NPO、まちづくり、ホスピス運動を続けている。また「こころの研修」に関する様々な宿泊研修を主宰しながら飛騨高山市内のクリニックで、医療チームの一員として患者や家族の精神的ケアにあたっている。著書に「わたしとこころを考える」「密教福祉」希望の瞑想」「いい加減に生きる」ほか。 
                          ききて   加瀬 次男
 
ナレーター:  北アルプスの西の麓、岐阜県高山市丹生川町(にゅうかわちょう)、袈裟山の中腹、標高八六○メートルのところに千光寺(せんこうじ)があります。千光寺が開かれたのは千六百年前と伝えられます。のちに弘法大師空海の弟子により真言密教の飛騨祈願所となりました。全盛期の平安時代にはたくさんの伽藍や末寺が建ち並んでいました。戦国時代、戦により焼失しましたが、およそ四百年前の天正(てんしょう)年間に高山城主によって再建されました。千光寺は円空さんの寺として知られています。江戸時代の初め、美濃の国に生まれた円空は日本の各地を旅し、生涯で十二万体もの木造を刻んだと言われます。円空は晩年この寺で六十四体の木造を刻みました。千光寺住職の大下大圓さん、五十三歳。大下さんは仏教についての思いを次のように述べています。
 
仏教とは、突き詰めれば四苦八苦、つまり人間が生きるうえで通らずにはいられない苦しみをどうやったら乗り越えることができるかを考えるもの、私はそう思っています。仏教と言えばお葬式というイメージがありますが、お釈迦様はお葬式は在家の者があるから僧たちはする必要はないと教えています。生老病死という苦しみを抱えて、何故私たちは生きなければならないのか。そういう生きるための智恵を考える。それが仏教本来のあり方なのです。
 

 
ナレーター:  仏教は今を生きる人々に寄り添うもの。そう考える大下さんは病院に足を運び、患者の不安や悩みに耳と傾けるボランティアもしています。
 
大下:  お加減はどうですか?
 
患者:  そうですね。透析が満二十六年になりまして、二十七年目に入ったところなんですが、ちょっと最近は合併症かなんかわからないんですが、心臓がちょっと・・・
 
大下:  お孫さんは元気で?
 
患者:  元気でいます。孫が生き甲斐です(笑い)。
 

 
加瀬:  飛騨高山の市街から十キロほど来たところです。山の中腹にこのお寺があるんですけども、雪がまだ残っております。ちょっと空気も冷たいですね。急な石段をこうして上っております。けっこう息が切れます。お寺があるのが随分山の高いところにある、そんな感じですね。あ、ご住職の大下大圓さんです。大下さん、今日はよろしくどうぞお願いいます。
 
大下:  ようこそお出でくださいました。遠いところご苦労さまでございます。
 
加瀬:  今日もよく冷え込みまして、ちょっと春が足踏みという感じですね。
 
大下:  そうですね。寒いでしょう。大丈夫ですか?
 
加瀬:  例年今頃こんな寒さですか?
 
大下:  そうですね。今年はちょっと遅まきに雪が降りましたので、ちょっと雪の量が多いみたいですね。
 
加瀬:  そうですか。いつもですともう・・・
 
大下:  いつもは三月の下旬には雪は消えています。
 
加瀬:  ここから見通しますこの景色、素晴らしいですね。
 
大下:  ええ。これが御岳山なんですね。ここの千光寺の一番いい風景なんですね。ちょっと木が高くなってきていますけどね。飛騨八景の一つになっていまして、全国からここを訪れるんですね。
 
加瀬:  こちらが北アルプス?
 
大下:  北アルプスはこの左側になりまして、
 
加瀬:  これも素晴らしいですね。
 
大下:  ここへ来ると気持がいい場所ですね。ここに両面宿儺(りょうめんすくな)の石仏がありますので、どうぞ覚えていってください。
 
加瀬:  随分大きな石の像ですね。
 
大下:  ええ。二メートルぐらいあるんですね。
 
加瀬:  ちょっとお姿が変わっていますが、
大下:  はい。石で出来た前と後ろに顔があります。
 
加瀬:  どういう方なんですか?
 
大下:  千六百年前にこの飛騨を治めていた豪族なんですね。前と後ろ二つの顔があります。飛騨の原人みたいな基層文化の最後の飛騨の末裔と言われていますね。
 
加瀬:  そうですか。では一つ庫裏の方にご案内頂きましょうか。
 
大下:  はい。どうぞ行きましょう。
 
ナレーター:  農家に生まれた大下さんは、幼い頃から人間の死ということに深く思いを巡らす少年でした。見知らぬ砂漠を一人彷徨い行き倒れになって死ぬ。そんな夢ばかりを見ていたそうです。人が死ぬとはどういうことなのか。死への思いに突き動かされて、大下さんは十二歳でこの山門をくぐったのです。
 

 
加瀬:  こちらの円空仏、どれもいいお顔をしていらっしゃいますね。
 
大下:  ええ。ニコニコとしていますよね。
 
加瀬:  円空上人がこちらのお寺に来られた時に彫ったものだそうですが。
 
大下:  そうですね。諸国をずっと回って、そして多分やっとの思いで飛騨に入られたと思うんですけどね。ここのお寺へ来て、当時の俊乗(しゅんじょう)というここの住職と意気投合しまして、ここで暫く逗留されながら、まさにそこにお座りになって、円空仏をこの囲炉裏端で彫ったと言われています。
 
加瀬:  そうですか。こちらの仏様はお座りになっていらっしゃいますが、
 
大下:  これは御賓頭盧(おびんずる)さんと言いまして、こういうふうに黒光りしていますでしょう。みなさんが一生懸命手でこうなぜてね、自分の体が弱いところをなぜて、そして信仰というかお祈りされたその手垢の跡ですけどね。どうですか? 加瀬さんちょっと一つ抱いてみてください。こう抱きしめてね。
 
加瀬:  こういう状態ですとまあ仏様が身近にという、そんな感じですね。
 
大下:  そうですね。だから円空さんというのはほんとに庶民の仏。綺麗なきんぴかの仏じゃなくて人々のほんとに心の中に入っていった、そういう背景があったんじゃないかなあと思いますね。
 
加瀬:  そうですか。さて、大下さんが仏門にお入りになろうとお考えになったのは十二歳の時と伺いますけれども。
 
大下:  ええ。私自身が小さい時に死ぬということが恐かった、臆病な子どもだったと思うんですけどね。そういったことを母と話をしていまして、ちょうどご縁があって、「弟子を求めているお寺があるぞ」ということで、「じゃ、行ってみるか」というふうなそんなきっかけで千光寺に来ることになりました。
 
加瀬:  そうですか。このお寺の山門をお母さんに手を引かれておくぐりになって、やはり修行の厳しさは覚悟のうえということですか。
 
大下:  いや、何も知らなかったから入って来れたのかも知れないですね。まあ四人兄弟の末っ子で生まれましたのでね。実際には六人いまして、二人亡くしていますのでね、病気で。ですから、母はずっと小さい時からその二人の子どもを亡くした供養をずっと仏壇にお詣りしていましたですね。そんな姿をずっと小さい時から見ていましたので、なんかお寺に入るとか、仏様をお詣りするというのは、私にとっては自然なことだったと思いましたね。
 
加瀬:  そうですか。「こんなお坊さんになりなさいよ」とお母さんに言われたようなことは?
 
大下:  そうですね。一番よく言われたのは、「人に迷惑をかけるなよ」ということが一番言われていましたね。多分私の人生を見越していたのか、人によく迷惑をかけますので(笑い)。まあそんなことをよく母は口にしていましたね。
 
加瀬:  入門なさってほどなくして、前代のご住職が癌で亡くなられます。そしてその時に大下さんにこの千光寺の後を継ぐようにと託されたそうですが、十二歳の少年がこのお寺を継ぐ。大変なことになりましたね。
 
大下:  ええ。杉本大染(すぎもとだいせん)という和尚さんなんですけどね。胃ガンだったんですが、あの頃はほんとに四十年ほど前ですけれども、治療がほんとに大変だったと思いますね。だから苦しんで苦しんでね、看病する人も大変でした。その苦しい病床の中で壁に「お前は私の「大」を―大染という名前の人でしたから―この「大」を取って、円空の「圓」も取って、「大圓」にするからって、苦しくてあえぐような状態の中で壁に手でずっと書いて、そして、「お前、あと千光寺頼むぞ!」って言われたんですよ。私、頭が真っ白になりましたけれど、それが私の人生を大きく決めるきっかけになったと思いますね。
 

 
ナレーター:  大下さんは、中学を卒業した後、高野山に入ります。専門の修行を積みながら、高校と大学で学びました。大下さんは、二十三歳の時、四国遍路の旅に出ます。僧侶というのは世間の人々からどのように見られているのか。自分はどんな仏教者になったらよいのか。その答えを自分で見出そうと、全行程二千六百キロを歩き通しました。そして翌年大下さんは、スリランカへ留学しました。スリランカが初期仏教の精神と形を今に色濃く伝える国だからでした。大下さんは、現地の僧として得度し、僧院での日々を送りました。
 

 
加瀬:  八年あまり高野山で修行なさって、それから今度はスリランカに修行にお出でになりました。スリランカはいわゆる南方仏教の戒律の厳しい国ですけれどもだいぶ日本の仏教とは様子が違いますか?
 
大下:  そうですね。私は仏教の原点を知りたいというのが、高野山修行時代から思っていまして、研究もそちらのほうをしたんです。一遍行きたいということでスリランカに行って、向こうのお坊さんになって修行もしました。ただ日本とはかなりシステムも違いますけれど、お坊さんはいつも黄色い衣を着まして、どこへでもそれで行くんですね。日本の場合はいろんな法衣―着物がいくつかありまして着替えたりしますけど、向こうはまったく同じ黄色い衣で病院でも在家の家でもいろんなところへそのまま行くというところが自然体だったなと思います。
 
加瀬:  そうですか。日本といいますと、お葬式、法事、そのためにお寺があると、そんなふうに思ってしますんですけれども、スリランカではその辺違いがありますか。
 
大下:  そうですね。庶民というのか、一般の人たちが非常にお寺を大事にするということと、普段から非常に信仰心を持っていますし、国の憲法の中にも仏教を尊ぶというようなところが入っていますから、小さい時の、日本でいうといろんな行事―大きく育っていく時の行事、赤ちゃんが生まれるとお寺へ行ってお詣りをする。小学校へ入ることになると、また行ってお詣りをする。生活の中に仏教が自然な形で根付いているといったほうがいいかも知れないですね。
 
加瀬:  そうですか。そのスリランカで学ばれたこと、特に強く心をとらえたこと、それは何でしょうか?
 
大下:  今風にいうと、「スピリチュアルケア(Spiritual care)」だったと思います。心、いわゆる深い魂のケアというものを向こうのお坊さんも、あるいは一般の人たちの中にもそんなところが入っていたなという感じがします。
 
加瀬:  実際にそれはどんなものですか。
 
大下:  日本で言えば、カウンセリングという領域がありますが、仏教では応機説法(おうきせっぽう)とか対機説法(たいきせっぽう)と言いまして、相手の心に応じた関わりをしていくということが一番基本になっていますね。ですから子どもには子どものような話をして、あるいはお年寄りにはお年寄りの話をしていくというのが向こうのお坊さんは自然体でやっていましたですね。これは日本でもなんとか同じようなことができないかなということが私の向こうへ行った気持ですね。
 
加瀬:  そうですか。日本に帰ったらこのスピリチュアルケア、心のケアをという気持におなりになりましたですね。
 
大下:  そうですね。高野山の修行時代に病気になったんですけれども、自分が患者になりまして、その時の苦しみと言いましょうか、お医者さんや看護婦さんは体のことは一生懸命ケアしてくれますけれど、手術の前の不安な気持ちとか、あるいは痛みの時の不安な気持ち、こういったものに対してはほとんど何もできないというのが現状だったと思いますね。ですからこういうのを患者さんは抱えて病床の中にいるんだと感じた時に、これはなんかやらなければ、という思いが自分の体験を通じて感じたわけですね。
 
加瀬:  そして飛騨にお帰りになってから、まず最初に始められたのは?
 
大下:  「命の勉強会」をみんなでやろうじゃないか、と。ですから生命倫理だとか、一九八○年ちょっと過ぎた頃でしたから癌の告知の問題であるとか、臓器移植とかというような話題もありましたけれども、そういう命に関する勉強会を現場に即応してやっていこうということで、お医者さんや看護婦さん、学校の先生や福祉関係の人、あるいは市民や主婦、いろんな人たちに声をかけて、二十五年前に始めたわけです。
 
加瀬:  そうですか。その心のケア―スピリチュアルケアというのは、病める者、苦しむ者の心の内を聞かせて頂く。
 
大下:  いわば「傾聴(けいちょう)」という基本的なスタイルがありますね。「アクティブ・リスニング(active listening)」という言い方もしますけれども、その人のほんとの心の裏側の、表になかなか出てこないその人の隠されたメッセージ、そういったものを聴きとどめていくという、そういうゆっくりした関わりで、引き出すというよりはその人と一緒に考えていったり、あるいは苦しみにつきあっていったりというような、共に苦しむ関係というようなところがスピリチュアルケアの重要なところかなと思います。聖徳太子が『維摩経(ゆいまきょう)』のお経の中から、「菩薩は衆生病む故に我もまた病み、衆生病癒ゆれば我もまた癒ゆ」と。つまりあなたが病気になれば私も苦しむし、あなたの心が癒されていくならば私も癒されますよ、というような表現なんですけれども、そういうのが日本のケアの原点、スピリチュアルケアの原点だと思います。ですから自分だけが相手を救ってやるというような高慢なものではなくて、常にその人の気持ちの中に心をとどめながら一緒に歩いていく。共にいく。弘法大師の教えの中に「同行二人(どうぎょうににん)」というのがありますが、共に人生や苦しみを一緒に歩いていくという、そういう生き方ではないかなと思います。
 
加瀬:  そうですか。しかし、実際に黒い衣をお召しになった僧侶が病院に入り患者と面談するというのは、当初は随分抵抗があったんじゃないでしょうか。
 
大下:  そうですね。守衛の人たちから、「霊安室はこちらですよ」みたいな話があって、やはり黒い衣というのは一つのインパクトがありまして、逆に言えば日本の坊さんが葬式とか法事しかやっていなかったという、その裏付けでもあったと思うんですよ。ですからスリランカにしろタイにしろ、あるいは台湾のいろんな仏教の人たちはみな僧衣のままいろんなところへ堂々と入って行かれますよね。ですからそういう社会通念的なといいますか、社会の目がそういったものがあったと思いますから、これから少しずつ活動してお坊さんもいろんなところにいるんだという、そういう社会的な認知みたいなものが必要になってくるのかなと思いましたね。
 

ナレーター:  北山邦男さん、大下さんが心のケアに取り組む中で出会った一人です。北山さんは、癌のため働き盛りの四十六歳で亡くなりました。癌の苦痛と闘い、迫り来る死と向き合わなければならなかった北山さん。大下さんはその苦しみに一年近く寄り添いました。
 

 
加瀬:  大下さんが心のケアを続けていらっしゃって、一人の患者さんと出会があり、心のケアをなさった。その患者さんのことについて伺いたいと思うんですけれども、急性白血病だったんだそうですね。
 
大下:  はい。北山邦男さんという方でございました。私は、先ほど言いました「命の勉強会」を始めまして、そのうちに病院とか在宅とかというところで、ボランティア活動を始めていくわけですけど、その中で突然北山さんからお電話がご本人からありまして、「癌の再発で入院しなければいけないんだけど、とても心が苦しい。何とか相談にのってほしい」ということから始まりました。
 
加瀬:  そうですか。
 
大下:  その人の感情の出し方はその人によって違いますけれど、要は不治の病に罹った時に、何とか治りたいという、先ずはそういう基本的な願望を持ちますよね。しかしいろんな検査をしたりする中で、もしかしたらこれは治らないんじゃないかという不安とか恐怖が襲ってきた時に、その時に自分はどうしていったらいいのか。自分の心の持ち方もわからなくなるぐらいに、人というものは混乱するものだと思いますね。そんな中で北山さんも自分の病気というものを何とか治したいという、いわば今でいう科学療法をずっとやっていかれたわけですけれども、なかなか思うように改善していかない。そういうようなことの中で大きなジレンマを持っていらっしゃいました。
 
加瀬:  再入院というのは不安感も増します。また絶望感を抱きます。これまでと様子がだんだん変わってくるんじゃないですかね。
 
大下:  そうですね。今でいうスピリチュアルケアというのがそれにあたるわけですけれども、私は、まずその頃はそんなことも十分勉強もしていなかったわけですが、その北山さんと関わるにつれて、心の人間のあり方というものを学ぶことになったわけですね。そういう治らないということによるショック、そしてそれをどういうふうに受け入れていいか、なかなか受け入れられなくて、例えばそれが怒りになったりとか、抑鬱的なものになったりとか、人の心というのはさまざまに反応するわけですけどね。最終的にそれが自分の中で受け入れられていけば、先ずは生きるにしても死ぬにしても一つの方向性が見えてくるわけですけど、そこへいくのが実は大変なんですね。
 
加瀬:  その北山さんの心の状態、大下さんのケアによって、どんなふうに変わっていったでしょうか。
 
大下:  お釈迦様は「自灯明(じとうみょう)」とか「法灯明(ほうとうみょう)」という言葉を残されています。つまりすべての問題、自分の目の前に出てくる課題は全部自分で解決できるんだ、と。しかしなかなかそれが見えないので、誰かがその鏡役になっていく。たまたま今回の場合は私が北山さんの気持を映し出す存在として、その言葉を一つ一つ意味づけをしていきながら、その人の疑問と対応していって、そして最終的には北山さん自身が自分の中にあるものを見付けていかれたと思います。
 
加瀬:  「自己開示」というそうですけれども。
 
大下:  その人それぞれが持っている死生観とか、人生観とか、家族観とか、いろいろありますね。ですからそれをちゃんと私たちが聴いていく。こちらが勝手に判断をして―宗教家がよくやる手なんですけれども、自分たちの信念や信仰を押し付けてしまう。これはスピリチュアルケアではないんですね。スピリチュアルケアというのは、あくまでその人の心に即応して働きかけていく。ですからまずはこの人はどういうこの人はいのち観を持っているのか、そしてどんな家族との思いを持っているのか。あるいは自分の人生に対してどんな思いを持っているのか、そういうことを注意深くゆっくりゆっくり話を聴かせて頂いて、そしてそれを共通理解の中でお互いにそれを確認しつつ一緒に、「じゃ、その中で問題があった場合に、それを一緒に解決していきましょう。一緒に考えていきましょう」と。まさにこう寄り添ってその苦しみに―対岸で見るのではなくて、その苦しみに寄り添いながら一緒に考えていくこと、それがスピリチュアルケアだと私は思っています。
 
加瀬:  北山さんの場合、そのケアの効果がだんだん現れて、ご家族にメッセージを残す、そんなふうにまでなっていったそうですね。
 
大下:  そうですね。医療者に対しても自分の病気が治らないということに対しての怒りとか、そういった自暴自棄と言いましょうか、そんな時期があったと思います。それからだんだん自分の状態を受け入れられていかれて、最終的には家族に対する思いを残されていかれました。実際日記がありまして、ご家族のご了解を頂いて持って来ておりますので、ちょっとご覧になって頂けますか。
 
加瀬:  ちょっと読ませて頂きます。
 
大下:  どうぞ。
 
加瀬:  「お前と暮らした十七年間、ほんとに楽しかった。お前と一緒になってよかった。夢のような一生、ほんとに楽しかった。人はいつかは死ぬもの、恨み辛みで終わるよりも、家族に思われ、息を引き取れる私は大変幸せ者です。心優しい子どもたち、私は少し他の人よりも先にあの世へ逝くけれど、前途洋々に開けて、何よりも五体満足で、他の人に引けを取ることなく、堂々と成長してください。成長期にお父さんが病に倒れ、頼りになれぬ父だったけれど、その分子どもたちには考えるところも他の人よりも多く情けある人になって貰いたい。多津子、よく仏縁があると言われたね。お前は私の仏様だと病室で思った」。
 
大下:  特に人間の最後の時によく会話に出てくることは、「自分が死んだらどうなるでしょう?」って。それはちょうど私が小さい時に抱えていた課題でもあったわけですが、そういったことをお話の中でやりとりしながらいきますと、その人の死生観が出てきます。大きく分類すると、人間には四つの死生観があって、
一番目は、この世だけだ。死んだら終わりだ。何にもないんだ、と。死後世界―神も仏もない。霊魂もないという価値観があります。
二番目は、人間は死んでもずっと霊魂になり、魂があって生き続けていくんだ、と。死後世ですね。死後の世界を信じて生きようとする生き方。
三番目は、自分の子どもや孫に自分のいのちが受け継がれていけばいいんじゃないか、と。自分の子どもや孫に託していこうという考え方があります。
四番目は、自分というものが死後の世界にはもっと大きく―先ほど言った統合的なとか、超越的と言いましたけど―大きないのちに溶け込んでいく。「融合」という言葉があるんですけども、そういういのちに溶け込んでいきたいという。
大きく分類すると四つぐらいになるんです。それを一人一人の患者さんなり家族の方と話をしながら、この人はどういういのち観を持っているのか、というようなことをじっくり会話していく。そうするとその人の中で、あの世はないと思っていた人もことによって自分の人生というのはどうなるのかというふうで変化していく。まさにその人その人が変性(へんせい)―「変性意識」と言いますけれども、心が変容していくということ、それに常に関わっていくということですね。こちらの関わる側が固定的なものを持たないで、その人の心の変容をそのままこちらも受け止めながら、こうやりとりしながら一緒に歩んでいくという、それが私はスピリチュアルケアだと思っています。
 
加瀬:  その人の心に寄り添いながら共に歩んでいくということですね。
 
大下:  そうです。
 

 
ナレーター:  いずれはやってくる人間の死。その死を心安らかに迎えたいという願い。そのためにはどんな看取りの姿が求められるのか。我が家のような雰囲気を持つホスピスがこの地方にもほしい。大下さんはその夢の実現に向けて活動を続けています。
 
 
ボランティア: 「村にホスピスを作る基金をお願いします。みなさんのご協力で村にホスピスを作りたいと思います。よろしくお願いいたします」
「ありがとうございます」
「村にホスピスを作る会の募金活動をしています。ご協力をお願い致します」
     「どうもありがとうございます」
 

 
ナレーター:  大下さんの母・美津代さんは家族に見守られて自宅で死にたいと日頃からそう語っていました。大下さんは病に伏せっている美津代さんを見舞い、母の好きな声明を唱えました。半年後、美津代さんは鳥が羽を休めるように静かに息を引き取りました。
 

 
加瀬:  大下さんは、二○○四年にお母さんをご自宅で最期を看取られたそうですね。
 
大下:  はい。私は出家した身ですから、最後は母の死に目には会えないというふうな覚悟をしていました。しかしこういうホスピスとか緩和ケアの勉強をする中で、ほんとにこれはご縁だったと思いますけれども、最期の母を看取ることができた、その瞬間まで立ち会いたということは私にとっては一つの大きな幸せだったなあと思っています。
 
加瀬:  どんなふうに見送られたんですか?
 
大下:  癌の末期でしたから、あまり科学療法というのはやらないで、ほんとに自然体に枯れるがごとくいこうということで、本人の了解も得て、三日前まで口から入っていましたが、「もう入らなくなったら点滴はしないで、そのまま静かに」というようなことをあらかじめお互いに決めていました。ですからそんなところで最期の呼吸―下顎(かがく)呼吸と言いますけど、そういう状態が出てきた時に、兄嫁さんから連絡があって行きました。そこでお医者さんや看護婦さんも来ましたけれども、何もしません、というよりは、「どうぞ家族で看取ってください」と。いわば在宅で看取るということは、病院で看取るのとかなり違ったケアになっていくんですね。
 
加瀬:  お母さんの枕元でお母さんのお好きだった声明(しょうみょう)を唱えて差し上げることができたそうですね。
 
大下:  はい。母は、小さい時からそういう子どもを亡くしたということがあってから、仏様をお詣りするということはほんとに朝晩やっておりました。そういう中で御詠歌をやったり、仏教的なことに親しんできました。私が一人前の僧侶になってからは、時々そういう法要にも参加していましたので、あの時のこういうのとか、御詠歌とか、いろいろ注文がありまして、病床にいる時、在宅にいる時も、時々そういったものを唱えていたわけです。
加瀬:  お聞かせ頂けますか。
 
大下:  真言宗の声明の一つをお唱えしてみましょうかね。(声明 四智梵語を唱える)「おん ばざら さとば」というふうに、ずーっとこれが続いていくんですけどね。一行だけ今お唱えしました。
 
加瀬:  声明を唱えられながら、大下さん、どんなお気持ちでいらっしゃいました?
 
大下:  そうですね。私自身が二十歳で病気をした時に、母が枕元で一生懸命お経を唱えてくれたわけです、回復を祈ってね。一生懸命唱えてくれたのを、私は、「あ、お経というのは亡くなった人に唱えるんじゃなくて、こうやって闘病している人にも枕元で唱えても気持いいもんだな」と、私自身が患者の時にそんなことを感じました。ですからほんとに生きている人のためにお経があり声明もあるんだろうというふうに思っていました。ですから母が最期になっていけばいくほどだんだん体も軽くなってきますから、こちらがそういう声明とか御詠歌とか、そういったものをプレゼントすることが母に対しての恩返しだと思ってやりましたね。
 
加瀬:  そうですか。みんなに看取られてお母さんはその時生きる幸せをお感じになったのかも知れませんね。
 
大下:  ええ。そうですね。在宅だというのは、家にいるということはいろんなことができます。病院だとお医者さん、看護婦さんが主になりますけど、在宅の場合、家族がケアの主人公になります。そういう意味ではその家が宗教的なケアをしたかったならば、いっぱいできるわけですね。例えばここの「十三仏」の掛け軸、これも実は母の枕元に掛けていたものです。こういうものを自由にきくし、本人の希望に即して関われるというところが在宅のいいところですね。昔は九十パーセント近くは在宅で亡くなったわけです。ところが今逆転していますね。ほとんど施設で亡くなっていく。しかし家族の事情で現在なかなか家で看取るということは難しくなってきています。でもそういう家族で看取ることができない人に、今度はホスピスとか緩和ケア病棟というのが必要になってくるのかなと思います。
 
加瀬:  今年も高山市内で募金活動をなさっていましたね。
 
大下:  はい。これもそれこそ二十五年前からの「命の勉強会」の延長で、緩和ケア病棟、いわゆる特に日本の癌の末期の方々を対象にした施設ですけど、その施設を作ればいいというのではなくて、私たちはずっと学習会を通じて、「まちづくり」としてのホスピスとか、ビハーラ(仏教的な介護や看取り)―仏教的なケアができたらいいなとこんなふうにも思っているわけです。今病院というのが単独に存在することが多いわけですけど、こういう飛騨なんかの地域の社会においては、いろんな要素が、医療、福祉、教育、文化とか宗教というようなものが統合されたというか、纏まっていくということがとても大切なことでございますね。そういう意味では私たちはずっとボランティアしながら「まちづくり」ということにも関わってきましたので、この地域が誰においても住みやすい街、暮らしやすい地域になるということが大切なことなんで、ホスピス病棟さえできればいいというのではなくて、それが在宅とか、いろんなところと連携していくということが大切なことなので、そういう意味で「まちづくり」という位置付けを私たちは大切にしています。
 
加瀬:  非常に広大なお考えですね。
 
大下:  そうですね。西洋では「ホスピス」―これはもともとキリスト教を語源をするわけですけれども、東洋では「ビハーラ」というような言い方をしました。今、私たちはその地域地域の文化、ずっと伝統的にある伝承された習慣とか文化といったものを大事にして、そういったうえでの「まちづくり」を考えていく。そこに当然仏教とか宗教というものも関係してくるだろうと思いますので、そういう全体的にバランスのとれた「まちづくり」をしていきたいな、というのが私たちの願いです。
 

 
ナレーター:  仏教の心は生きている人々のためにこそもっと生かされるべきだ。大下さんはそう考えています。大下さんは地域の人たちと月に一回御詠歌の練習を続けています。家族や地域社会での関わり合いが濃密であった時代には、互いに助け合い、共に支え合う関係が保たれていました。しかし、人口が減り、高齢化が進む一方の地方では、人々の関係は希薄になりつつあります。そうした時代だこそ、今、人と人とを結ぶ絆としての役割が求められているのではないか。仏教が地域の人たちの心の拠り所でありたい。大下さんはそう考えているのです。
 

 
ナレーター:  この地区に江戸時代から伝わる庚申講(こうしんこう)です。地区の人たちがみんなで身を慎み、お互いの幸せを祈り合う習俗です。大下さんは仏教と共に地域の暮らしの中に息づいてきたこうした伝統文化も、また大切に守り伝えたいものと思っています。生きるための仏教を志して三十年、大下さんの寺を訪れる若い人も増えました。この日は普段孤立しがちな母親たちが集まって、それぞれの悩みを語り合っていました。
 

 
加瀬:  人は生きる限りいろいろな悩みがあります。社会問題化しているものもあります。大下さんはそういったものにも広く目を向けようとしていらしゃいますが、
 
大下:  スリランカ、タイ、韓国、台湾、いろんなところの仏教を見てきて、やはり仏教というのは死んだ人のため、勿論そういう葬儀も大事なんですけども、やはり生きている人のためのものであるべきものだというのは、私の一番大事にしたいことなんですね。ですからほんとに若者の引き籠もりであるとか不登校とか、あるいはリストカットとかいうようなことで悩んでいますし、なかなかそれは表面に現れてきません。でも私のところにはそういう子たちと悲鳴が時々聞こえてきまして、私なりに関わらせて頂いています。で、私がここでできることは、この寺を使って、そういう人たちの癒しの場になったり、あるいは生きるためのヒントを得るような場所になっていけばいいなというふうに思っています。ですから例えば、若いお母さん方も自分の子育てて悩んでいる。自分と子どもという関係の中だけで、狭い考え方の中で苦しんでいる。そうじゃなくて、あなたにはもっと大きないのちがあなたを見守っているんだ、と。それを私は「仏」という言葉を使ってですね、本堂で瞑想をしたり、本堂でいろんなワークをするのは、自分の、といういのちが、自分と子どもだけじゃなくて、もっと大きないのちで、縁によって繋がっているんだ、と。そうすることによって、そんなに頑張らなくても、そんなに自分たちで悩まなくても、もっと人の力を借りたり、いろんな人たちの援助を頂きながらお互いに力を出し合って生きていこうよ、と。それを仏教とかこういうお寺というものを通じて伝えているわけです。
 
加瀬:  若いお母さんたちが瞑想をここでしていらっしゃる。終わった時に何かホッとしたような穏やかな気持でお帰りになりました。それを見て、お母さんたちお一人お一人が生きるための何かを心に結んでいらしたな、そんなことを感じましたね。
 
大下:  そうですね。ですから座談会をしながらよく言うのは、「解決するのは、あなたの中に全部その答えがあるんだよ。その出し方をここで学びましょうよ」と。それがお寺という場所、こういうロケーションを使って自分の中にある解決の糸口を見付けていくという、それを私たちがお手伝いをする、サポートするということじゃないかなと思っています。
 
加瀬:  大下さんが心のケア活動を続けていらして、一番強く感じていらっしゃることはどういうことでございますか。
 
大下:  自分自身思うことは、やはり一生修行だなと思うわけですね。「自利利他」という言葉がありますね。「ほんとに他者を生かしたかったならば、自らを生かすこと。自分の中にある能力というか、自分の中を洞察をして、自分の心を広げて、自分のスピリチュアル性を高めていくということ、それがまさに他者との関わりの中で生かされていくことなんだということで、それが私は大きな縁によって繋がっているから、その縁を大事にして生きていきましょう」ということをよく申し上げています。
 
加瀬:  そしてスピリチュアルケアというのは、決して死ぬ逝く者の人の心の安らぎとか癒しというところにとどまらないで、如何に生きるか。生きていくための心のケア、と。その辺のところが非常に重要なんだな、とお話を伺って私もそう思いました。
 
大下:  そうですね。ほんとにそうだと思います。生きている人のための仏教であると同時にスピリチュアルケアというのは、生まれてからそれを学びつつ、そして成長していくプロセスの中で学んでいくことであり、自分がこの世に生まれた意味を探り、そして、「あ、こんな人生で良かったね。苦しいこともいろいろあったけど、これで良かったんだよ」と、自分の人生に折り合いをつけていくこと。それもスピリチュアルなケアだと思っています。ですからスピリチュアルケアというのは、ほんとに一生にわたって関わっていくものではないかなと思っています。
 
加瀬:  そのお考えに基づいた活動というものが、つまり生きるための仏教に通じていくんだということですね。
 
大下:  はい。私はもう一度仏教というものを、現代にほんとに甦らせたい。それは生きている人のための仏教でもある。勿論亡くなった人たちを供養するということも大切な仏教の側面があるわけですけど、今ほんとにこういう時代だからこそ生きている人のための仏教を広げていきたいというか、みんなで味わっていきたいなと、こんなふうに思っています。生きている人のための仏教、まさに「同行二人」一緒にお遍路して行きましょう、と。円空さんがずっと旅をして、いろんな人に出会って、そして悩み苦しみを伝えていった。それと同じように、今もそういう遍路をする姿、私たちが人生を遍路していくんだという気持で歩んでいきたいなと思います。
 

 
大下:  まあ寺というところに住ませて頂いて、お寺というのはある意味においては広義のNPOなんですよ。ですからそのお寺が持っている歴史とか、地域での役割というものをもう一回見直して、社会資源としてのお寺をこれからはいろんなところで開かれていくといいなと思っています。私もこの千光寺を通じて、人々が気楽に来て、そして心を耕して、また自分の日常生活に帰って「頑張るぞ」と言って生きれる、そんなお寺にしていきたいな、と思っております。
 
加瀬:  お話を伺って、この生きるための心のケアというのが如何に大切かわかりました。私は相手の身になってものを考え、話をし、そして人の心を思いやる思いやりの気持をこれまで以上に深められたらなと、深めてまいりたいと、そんなことを思いました。どうもお話をありがとうございました。
 
大下:  こちらこそほんとにお世話になりました。ありがとうございました。
 
 
     これは、平成二十年三月三十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである