いのちへの旅路
 
                   帯津三敬病院名誉院長 帯 津(おびつ)  良 一(りょういち)
昭和一一年埼玉県生まれ。六一年東京大学医学部卒業。東京大学医学部第三外科、共立蒲原総合病院外科、都立駒込病院外科医長などを経て、八二年埼玉県川越市に帯津三敬病院を開設し院長となる。二○○○年に「楊名時太極拳二一世紀養生熟」を設立し熟頭となる。現在は、帯津三敬病院名誉院長。帯津三敬熟クリニック主宰。日本ホリスティック医学協会会長。調和道協会会長。著書に「〈いのち〉の場と医療」「帯津良一の現代養生訓」「がんになったとき真っ先に読む本」、共著に「〈気〉と呼吸法」「〈呼吸〉という生き方」ほか。
                   き き て       山 田  誠 浩
 
ナレーター:  埼玉県川越市にある帯津三敬(おびつさんけい)病院。名誉院長の帯津良一さんは、朝、誰よりも早く出勤します。朝一番に名誉院長室にある神棚の塩と水を替え、中国土産の観音像の前でお経を唱えるのが日課です。帯津さんは、早くから癌の治療に漢方薬や鍼灸、気功など中国医学を採り入れてきました。西洋医学だけに頼らず、代替(だいたい)療法と呼ばれる各地の伝統医学や民間療法、心理療法などを組み合わせた総合的な癌治療を行ってきたのです。病院の開設は二十六年前、大病院の外科医として食道癌手術に力を傾ける中で、西洋医学の限界に気付いたからでした。西洋医学を補うために自ら中国医学を学び、世界各地の代替療法の現場を視察しました。さらに患者たちが持ち込んでくるさまざまな療法を一緒に吟味しながら、一人一人の生きる力を最大限に引き出す医療を模索してきました。目標とするのはホリスティック医学(holistic medicine:ギリシャ語の「holos(全体)を語源とする。西洋医学だけを中心とした医学の考え方を誤りとして、肉体のみでなく精神性や霊性までも含めたものを総称して「ホリスティック医学」と呼ぶ)、体だけでなく心やいのちを持った人間をまるごと支える医学です。人間まるごととは何か。いのちとは何なのか。問い続けてきました。
 

 
山田:  長丁場になりますが、どうぞよろしくお願い致します。
 
帯津:  よろしくお願い致します。ほんとにお答えするつもりだから気楽なんですけど、対談でも自分が作っていくというのはもの凄くくたびれますけどね。
 
山田:  そうですよね。
 
帯津:  受け身のほうはそんなに疲れません。
 
山田:  この部屋で患者さんと時々面談もされるわけですか。
 
帯津:  ええ。これは大体「朝の戦略会議」って患者さんが入院してきて、必ず一度二人きりでこれからどういう治療をしていこうか、ということを話合うわけですよ。
 
山田:  戦略会議ですか?
 
帯津:  戦略会議。戦略を立てるわけですね。それは患者さんの意志を尊重しますから、患者さんの話をじっくり聞いて、こちらのまた考えと摺り合わせていくのですよ。それである線を出したら、「それじゃ今日からこれでいきましょう」と。で、チェックをしながらその戦略を遂行していくというわけです。西洋医学的な治療法にだけ拘っていると、治療法が枯渇するということが常にあるわけですよ。種類はそんなにないですからね。ところが私がやっているように、西洋医学以外の治療法―「代替療法」と呼ばれていますけどね。これは世に五万とありますから、それを五万とあるから余計マニュアルできないわけですよ、マニュアル化はね。だから患者さんの意向を聞いて、その中から選んで、これならやれる、というものを選んでいくわけですね。
 
山田:  そういう「代替療法」とおっしゃいましたけど、それは例えばどういうものを、というふうに、僕らがイメージする場合は?
 
帯津:  西洋医学以外は全部この範疇に入るんですけど、イメージからいくと、まず我々がパッと思い付くのは中国医学ですね。漢方薬、鍼灸、気功、食養生。その延長にあるのがインドの医学のアーユルヴェーダ―(世界最古体系的な健康法。3000-5000年前からインドに伝承される伝統医学体系。アーユス(生命)とヴェーダー(知識・英知・科学)を組み合わせたもので、「生命の科学」の意味を持ち、個人の体質に合わせた自然療法を行う)、それからヨーロッパでいうと最近日本でも少し知られてきましたけど、ホメオパシー(Homeopathie:全ての症状に、それに似た作用を起す極微量の激毒薬を投与する治療法。ハーネマンにより体系化され、ドイツを中心に今日も民間療法的に普及)だとか、あるいはスピリチュアル・ヒーリング(「祈り」と「手かざし」)だとか、いろんなハーブもありますよね。そういうものがたくさんあるものですから、何が適切かということは一つ考えなければいけないのと、患者さんの意向を考えて、こう合わせていくわけですね。
 
山田:  そういうあらゆるものを手段としてお互いに考えていこうという。
 
帯津:  そうです。これもちゃんと患者さんとの間で、「これは決して特効薬でありません。あまり過大評価してもいけません。だけど必ず何か一歩前に出してくれる可能性があるから、その可能性を求めてやっていきましょう」というわけですね。私の方の興味からいくと、患者さんがどこの生まれで、今、どこに住んでいて、どういう仕事をしてきた人なのか。その人の生涯の背景ですね。これにもの凄く関心があるんですよ。ついそういう話から入っちゃうんですよ。例えば、「羽生市」なんて書いてあると、「いつからお住まいですか?」とかね、田山花袋(たやまかたい)の話をしたり―『蒲団』という小説がありましたよね。そんなことで大体患者さんにしてみると、なかなか病気の話をしないな、という感じもあるんですよ。それから例えば食道癌の方が来ると、私、昔食道癌専門にやっていましたからライフスタイルをちょっと聞きたくなるんですよ。例えば強い酒を飲んでいたかとか、タバコも一緒に吸っていたかとかと、そういう話題ですぐに時間が経っていきますから、それからおもむろに「あなたの病状はこうですよ」。それは本人も当然知っているわけですよ。そこで「じゃ、どうしましょうか」「こういう治療法はどうですか」というようなことから始めるわけですね。
 
山田:  つまりそれは雑談を単にしていらっしゃるわけではなくて、
 
帯津:  その人がこういう生涯を送ってきたというのは、なんかいのちとも非常に深い関わりがあるし、それから生きる悲しみというと、みんな悲しいと思われちゃ困るんだけど、私としては、なんかそこの生涯、あるいは病気になった背景、家族関係とか、そういうのになんか悲しみを見出すことが多いんですよね。
 
山田:  悲しみ?
 
帯津:  生きる悲しみ。そこのところから患者さんとお互いに悲しみを認め合って、分かち合っていくということから医療者と患者さんというのは結び付いていくと思っているんですよ。
 
山田:  それはどういうことですか? 悲しみを特に大事にするというのは? 
 
帯津:  それは、私がこの病院を始める前は、一人の外科医として、大病院の一コマに過ぎなかったから、患者さんの毀れた機械をどんどん手術をしていくわけですよ。外科医の頃は顔なんか見なくていいんです。こうこう喋っていて、いろいろデータを見たりして。ところが中国医学をやると、診断の意味で顔を見ますね。で、顔を見ているうちに少しずつ心の中が見えてきて、やっぱり心の持ちようと病気の推移と深い関係があるというのがわかってきました。私が最初に分かったのは―これは勘違いだったんですけど―「明るく前向きな人がいい」ということを最初は思ったんですよ。どうも明るく前向きの人はたしかに状況はいいんですよ。いいから明るいとも言えるんですけどね。だからそうだとすれば、患者さんの明るく前向きな気持を維持して頂くように周りの人がサポートするというのが医療の中で大事なことだろう、というふうに思い付いたわけです。それで心理療法のチームを実は作ったわけです。ところが、人間というのは明るく前向きにできていないんですね。もう私の一言で、ド―ンと落ちてから。「今度の検査の結果が悪かったですよ」と、「こういうわけです」というだけで、サッと暗い顔になるし、女性の方なんかだと涙ぐんだりする。だからどうも「人間というのは明るく前向きにできていないな」と思ったんです。それで「明るく前向き」ということを、みんなでサポートするのは間違いじゃないかと思って、それから「じゃ、人間はどうできているんだろう」と考えていきまして、本を読んだり、それから人間を観察したりね。そうしたらやっぱりこれは「生きる悲しみというものを、みなさんは背負って生きているんだ」と、そう思ったんですね。だからやっぱり人間というのは悲しくて淋しい存在である、と。本来的には。その胸に抱いた悲しみを尊重しあって、こちらの私も人間ですから悲しみを持っていますよね。そこのところから医療が始まるし、患者さんと医療者のコミュニケーションができあがるんだ、と思うようになったわけです。
 
山田:  そういう悲しみを持っていらっしゃる患者さんを、今、どういう形で見ていく医学というものを目指していらっしゃるということなんですか。
 
帯津:  やはり病というのは部分の故障だけじゃなくて、人間まるごとのいのちのレベルという、いのちのエネルギーが低下した状態、そういうようなことにきちっと焦点を合わせていかないと、これを引き上げていくということで医療というのは成り立っていくだろう、と。特に癌の場合は、癌という病気は体だけの病気じゃないと思うんですよね。その人の心の問題とか、深くいのちのあたりのレベルの深い関わりがある病気だと思うんです。ですからこういう病気と付き合っていくためには、そこへ思いを馳せないといけないんですね。ただ表面的な体の異常だけを診ていたんじゃよくないと思うんですね。だから全体の医療というのはだんだんそういうふうになってこなければいけないと思うんですね。
 

ナレーター:  かつて帯津さんが勤めていた東京都立駒込病院。赴任した一九七五年は、病院が建てられ、東京都の癌センターの役割を担う高度先進医療の拠点となった年でした。東京大学第三外科で食道癌を研究、各地の病院で自分の腕を磨いていた帯津さんは、ここに外科医長として招かれました。最新の設備が整った病院で、連日手術室に入った帯津さん。病巣の切除こそ癌克服の決め手と信じ技術の向上に邁進していたといいます。
 

 
帯津:  駒込病院に赴任した時なんか今でも覚えています。五月の連休の中だったか、連休明けぐらいに有楽町の都庁で辞令もらって、「すぐ任地に直行してください」なんて言われて―あの頃はまだタクシーなんか今みたいに乗らなかったんですよ―バスで駒込病院の前に下りたわけですよ。そしてひょいっと見たら、抜けるような青空の中に駒込病院がずっと建っているでしょう。もの凄い闘志が湧いて、これで癌を俺たちの手で克服できるかも知れない、と野望に燃えたわけですよ。我々が医者になりたての頃は、食道癌というのは、例えば胸の食道にできた癌の場合、胸を開けてそこを取って、そして取っただけじゃ食べることができませんから、お腹を開けて胃袋を動かして繋ぐわけですよ。繋ぐ場所が頚部で結ぶことが多かったですね。いろんな術式があるんですけどね。そうすると、胸を開けて、お腹を開けて、首も切開するわけですよ。だからやることが多いし、合併症も多いし、大変な手術だったんですね。だからとにかく患者さんを手際のいい手術でもって早く回復させる。それが我々の第一目標というか当面の目標であった。それがだんだん時代を経るに従って、何が進歩したというのではなくて、だんだん進歩してきましたから、ちょうど私が駒込病院に赴任したのが一九七五年ですがその頃になると、もう食道癌の手術がそんなに大変な手術でなくて、割合手際よくできるようになってきたわけですよ。だから私たち専門家として、もの凄く意気軒昂として仕事をしたわけですね。昔のほんとに手こずって手こずってという手術じゃなくなりましたからね。そして自分がきちっと会心の手術をした、と。これでよくなってくれると思っている人が、やがてまた再発で私の外来にやってくるわけですね。例えば半年後でも来ますね。一年、二年、三年と。それを診るとガクッとくるわけですね。手術が安全であるだけじゃ手術にならないので、よく治さないといけませんからね。それで、「いやぁ、昔とあんまり変わらないな」と思ったんですよね。昔というのは、苦労した手術の時と。それで、私は調べてみることにした。アメリカの『アナルズ・オブ・サージャリー(Annals of Surgery)』という外科の雑誌としては最高の権威のある雑誌があるんですよ。それから食道癌の治療の成績を述べている論文をザッと引き出していったんですね。引き出していって、それを表にしてみたら、なんと何十年前とあんまり変わらないんですよ。「五年生存率」なんていうのがね。「何だこれは」と思ったんですね。それで医学の進歩はどこへいっちゃったんだろう、とこう思ったわけです。それで西洋医学の限界というのを考えるようになったわけなんです。
 
山田:  その事態というのはかなり大きなショックだったんですか。
 
帯津:  そうですね。西洋医学というのはほんとに優れた医学だと思うんですよ。これはいろんな病巣に対してこれをしっかり把握して、これを治していく、ということにおいては、まったく他の医学の追従を許さないし、誇るべき医学なんですけど、どうもそのために部分と部分との間の繋がりみたいなもの―目に見えない。我々の体というのはただ臓器が寄せ集まって生きているわけじゃなくて、有機的な繋がりのもとに、全体としての振る舞いをしているわけですよ。そういう生き方なのに、手術というと病巣しかやらない。それがいけないんじゃない。だから繋がりをきちっとみる目が必要です。局所あるいは部分をしっかりみるのが得意な西洋医学に対して、西洋医学が不得意としている繋がりをみる治療法を加えるともっとよく治るんだろうと思った。で、繋がりを診る医学というのは何だ、というと、これはすぐ中国医学にいくんですよね。
 
山田:  その中国医学を「繋がり」とおっしゃいましたけど、それとその根本的に西洋医学と何が違うんでしょうか。
 
帯津:  これは西洋医学はあくまでも病巣を把握して、それに対して科学的な裏付けをきちっと求めていくわけですね。中国医学は「全体の歪み」を診るわけですよ。
 
山田:  歪み?
 
帯津:  病巣そのものよりも、例えば「陰陽五行(いんようごぎょう)」でいくと、「木・火・土・金・水」ですから、心臓と肝臓が非常に密接な関係が―親子の関係がありますね。だから肝臓の病気を診る時に当然心臓のことを考える。心臓の病気を診る時に当然肝臓のことを考える。それでいつも関連して全体の歪みを捉えていくわけです。そこが違うんですね。ただ中国医学は全体の歪みを捉える方法論として長い歴史を持っていますけど、まだまだ今の科学のレベルでもこれを十分に支えておりません。ですから西洋医学側からみると中国医学は経験的な医学であって、統計処理ができるとか、あるいはしっかりした科学的な根拠に裏付けられている、というものではないんだ、という気があるわけですよ、日本に。だけどこれは中国医学が悪いんじゃなくて、そこまで中国医学の方法論を裏付けることができない科学のレベルですよ。これがまだ未熟なんですよ。ほんとは科学の責任なんです。中国医学の責任じゃないんですね。だけどそういう目で見られる。中国医学の四千年の実績をみれば、これは一概に捨て去れるものではないですよ。
 

ナレーター:  一九八○年、帯津さんは初めて中国を訪れます。癌の治療がどのように行われているのか、視察するためでした。当時中国でも癌治療の中心は西洋医学でした。しかしそこに中国の伝統医学を組み合わせている病院が少なくありませんでした。帯津さんはそうした施設を訪れる中で、忘れられない光景に出会います。
 

 
帯津:  中国に行く時は中国医学がどういうふうに癌の治療に関与しているか、というのを見にいったわけですから、何となく気持の中では、漢方薬で凄い秘薬みたいなものがあるんじゃないか。あるいは鍼灸の名人がいるんじゃないか、ということを考えていった。気功という頭はなかったですよ。そうしたら意外とこっちのほうは得るものはないんですよ。素晴らしい名人にも会わないし、秘薬にも遇わなかった。ところが肺ガンの専門病院で辛育令(しんいくれい)という有名な先生がいたんです―世界的な権威ですけど―この人がトップに立ってやっている北京の「肺癌研究所」の付属病院で、開胸手術というんですけど、胸を開く手術を全部ハリ麻酔でやるというんですね。私が見学にいくというから向こうも用意してくれたんだと思う。まずその頃は日本から見学に行くなんていうことは、そんなにしばしばあることではなかったと思うんで、あちらも歓迎してくれて、私が入って行きましたら、三人で手術をしていて、もう胸が開いて、三人でサッササッサやっているんです。それが私が入って行ったら、パッと手術を止めて、私たちのほうを向いて三人とも会釈するんですよ。歓迎の意を示してくれる。これはほんとは外科としてはよくないことなんです。三人が術野(手術野)から目を離すというのは、これは何が起こるかわからないですよ。ピュッなんて血が出てくる。必ず一人はちゃんと見ていなければならない。二人が向こうを見ても。だから私は外科医として、随分のんびりしているんだなあと思ったんですけどね。でもこれは手術が上手くいっているんだろうと思って。それで患者さんのほうをひょいっと見たら、患者さんも会釈するんですよ。これはビックリした。これも度肝(どぎも)抜かれましたね。だって胸が開いているんですから。胸が開いていて、ガーゼに血が滲んでいるわけですよ。これは凄いなと思って訊いてみたら、案内の人が、「これはハリ麻酔だ。意識はあるんだ」というわけですね。鍼はこういうふうになっていて、この「合谷(ごうこく)」というところと「三陽絡(さんようらく)」というところがある。ここに一本ずつ鍼が入っているだけです。これで麻酔がかかっちゃったんですね。意識はあって、胸を開けて、痛くないんですよ。その手術が無事に終わって、その人はほんとに全身麻酔じゃありませんから、意識がずっとあるわけですから、もう終わったらすぐに自分でストレッチャーの上に移って、それでパジャマを着せてもらって、私のほうに向かって挨拶して出て行きましたからね。これはほんとにビックリしました。それで辛育令先生に、「ハリ麻酔は誰でも効くんですか?」と聞いたら、「いや、そんなことはありません。効かない人もいます。途中で切れる人もいます。どちらかと言えば、素直な人がよく効きます」というんですね。素直でない人はどうも効きにくい。だけど素直であるか素直でないか、というのは、手術前に人を見たってわかりませんよね。だから「どうするんですか?」と訊いたら、「みんな気功をやらせるんだ」と。「手術前三週間、気功をやらせる。そうすると効き目がよくなる」というんですね。ということは、三週間気功をやるとみんな素直になるというわけですよ。それで、「中庭でやっていますよ」なんて言われて、ひょいっと見たら、五、六人が―何という功法か、その時は私は気功の知識があまりなかったんで覚えていないんですけど―立ってやっているんですよ。それを見た時に、「あ、何だ。これ呼吸法じゃないか」と思ったんですね。呼吸法は、私は既にその頃「調和道」の丹田呼吸法というのをやっていましたので、「あ、そうか」と閃いたんです。「これだ! これが中国医学のエースだ。これを癌の治療に入れよう」と思ったんですね。それで彼に訊いてみたら、「いや、癌の治療にも使っていますよ。再発防止とか、それから手術して胸を開けたけど、癌がいろんなところへ浸潤していて取りきれないんで止めた、こういう人の治療に使ってけっこう良いですよ」と言われる。それで私は鍼灸と漢方薬であまりめぼしい場面にぶつからなかったものですから、これで気功を何とか採り入れようという気になったわけですよ。
 
山田:  それが、先生が気功をちゃんと採り入れていくきっかけになったわけですか?
 
帯津:  そうですね。気功は中国医学の一方の柱ですけど、これはあくまでも養生法ですよ。食事と気功は「養生医学」と言われています。漢方薬と鍼灸は「治療医学」と言われているんですね。だから養生法ですからいのちを正しく養っていくというものでしょう。だから機械の修理をするような治療法じゃございませんけど。
 
山田:  それはまだ駒込病院にいらっしゃる時に、そういうことを中国に行って学んで来られたわけですね。
 
帯津:  そうです。
 
山田:  しかし駒込病院ではそういうことを採り入れることはなかなか難しいということだったでしょうか。
 
帯津:  中国で学んだことが、駒込病院だからという意味ではなくて、例えば駒込病院がその頃はちょうど美濃部都知事の頃にできたんですよ。だから美濃部さんが相当力を入れて作りましたから、設備はいいし、要するに高度先進医療ですよ。患者さんはやっぱり青空に聳え立つ大ビルデングの中で、高度先進医療を受けようと思って来るわけですよ。そこへ中国医学だなんて言ったって、「気功をやりましょうか」なんて言ったって、誰も相手にしてくれません。そういうことで駒込病院という組織がいけないんじゃなくて、そういう状況ですね。それがやっぱり私の思いとちょっと交錯しなかったわけですね。それで私がいくら患者さんに勧めても気功なんかに来てくれないんですよ。それでもうこれはダメかなと思って諦めようかと思ったんですけど、いずれ東から風が吹く、と思ったんですね。
 
山田:  東から風?
 
帯津:  ところが西ですね、ほんとはね。中国は西なんですけどね。東洋医学という考えがあるから東からと思ったんですね。よし、それなら今から準備しよう、と。駒込病院のような大組織にいると、準備しようと思っても自分の一人の意志で何かできるわけではありませんから。自分でできることというと、小さいながらもそれこそお山の大将になれる施設を作ろう、と。郷里が川越ですから、ここへ作る準備を始めたわけです。
 
ナレーター:  一九八二年、帯津さんは、西洋医学と中国医学の統合を目指して、帯津三敬病院を設立します。開設当初から病院には道場が作られていました。癌治療に気功を用いる施設などなかった時代に、自らその道を学び、患者たちと一緒に気功や呼吸法に取り組みました。日本ではまだ癌治療に使われることが少なかった漢方薬。中国から癌の漢方薬治療の専門家を招いて処方を学び、さまざまな生薬(しょうやく)を揃えていきました。
 

帯津:  じゃ、リラックスして、目を瞑って体の中を見てください。
 
ナレーター:  こうした取り組みに期待をかけ、全国から患者が集まってくるようになりました。帯津さんは、中国医学だけでなく、患者さんが探し出してくる数多くの代替療法にも目を開かれます。患者とともに新しい癌治療に取り組む日々。やがて人間まるごとを支え、いのちを見詰める医療へと導かれていくことになりました。
 

 
帯津:  駒込病院にいる頃は、先ほど来申し上げましたように、相手は病巣でしょう。手術して、合併症の多い一週間、十日というものが無事に過ぎると、こちらは一安心(ひとあんしん)するわけです。患者さんがまあ口から水分、あるいはお粥が食べられるようになって、病院の中を歩き始めると、もう急速に関心がなくなってくるわけです。次の患者さんのほうにこちらの関心が移っていくわけですね。だから患者さんの心の中とか、いのちとかまでには目がなかなか向けなかったんです。今度こっちの病院になると、中国医学は顔をよく見ますし、毎朝気功をやっていますと、同じメンバーが毎朝集まってやっていれば、お互いに顔が見えますから、だんだんと心の中が見えてくるし、戦友のような感じになってくるわけですよ。二人で協力して、前に何か一歩一歩進んでいく、という感じが強いですからね。何か医者と患者と言うんじゃなくて、もう少し人間と人間としてのコミュニケーションというか、繋がりが出来てくるんですね。そうすると、お互いのいのちのレベルまで視野の中に入ってくる。自然にこういったような気がしますね。だから、例えばこの病院を始めた頃、癌の患者さんがだんだん集まって来て、重症の方も集まって来ますから亡くなる方も当然多いわけですね、だんだん。そうすると、一緒に一生懸命気功やったり、琵琶の葉のお灸をわいわい言いながらやったりした仲間が死んでいく時というのは、傍でやっぱり見送ろう、という気になるわけです。だから大抵その頃というのは、「今日はあの人が危ないな」と思うと、いつもここへ寝ていたんですよ。ここに寝ていて、いつ呼ばれてでも行けるように。ちょうど亡くなる時に傍にいてあげるだけなんですけどね。そうすると、その人のいのちというものに思いがいくようにだんだんなってきますね。一個の物体じゃないですからね、亡くなった方はね。
 
山田:  そうすると、西洋医学に中国医学を加えられて、気功も一つとしてなさっていきますね。そういうふうに二つの医学をドッキングさせるという、先生がある程度目指していらっしゃるものに近づいていったんでしょうか。
 
帯津:  ええ。その頃ははっきりあまり認識していなかったかも知れませんけど、要するに中国医学と西洋医学を合わせただけだと、戦術が多いというだけですね。
 
山田:  戦術が?
 
帯津:  使える武器が多い。使える武器が多いということはいいことなんですけど、でもそれだけでは大きな効果を生むには至らないと思うんですよ。やっぱり気持の繋がりというか、西洋医学、中国医学を合わせて、その一つの世界みたいな中で、自分が縦横無尽に動けるという状態になって、患者さんと繋がっていくという。そこまでいかないと、なかなか効果を出すというところまでいかないと思うんですよね。だから早い話が、中国でそういう病院をたくさん見て来ましたけど、西洋医学のエキスパートがいる。その同じ建物の中に中国医学のエキスパートがいる。で、患者さんに応じて、ある日は中国医学の先生が来る。手術が必要な時は西洋医学が出てくる。これだとちょっと便利になったぐらいで患者さんのためにそう大きな貢献はしていないと思うんですね。
 
山田:  そうすると、そこで何が必要だ、というふうに思いになったわけですか。
 
帯津:  それは、例えば西洋医学と中国医学を私の中できちっと統合するということなんですね。ごく自然に患者さんを見たら、これは西洋医学の治療法と漢方薬、これでいいとか、スッと出てこないといけないですよ。だからコンサルテーションなんかしてゆっくりやっているんじゃなくて、自分の中で統合させて、いわば自由自在に思い付くわけですよね。それをやっていく。「統合」というのは「積分」という意味なんですよね。だから「足し算」じゃなくて積分ですから、「積分」というのは文学的に言えば、一回バラバラにして、集め直して新しい体系を作ることですから。ちょうど私が始めて五年後に「日本ホリスティック医学協会」ができるんです。私は、「中国医学と西洋医学というだけでなくて、やっぱり人間まるごとみないといけないんだ」ということにだんだん気持が変わってきたんですね。で、心の面を合わせると、それじゃ人間まるごとになるのか。心の持ちようによって、症状の推移が違うということがわかってきたものですから、それならば心理療法のチームを作って、患者さん一人一人の心をサポートしていこう、と。そうすると、私のところでは、西洋医学と中国医学と心の医学が手持ちの武器として揃ったわけですよ。人間全体をみることになるか、と、まあ一時はホッとして、これでホリスティックだな、と思った時期もあるんですけど、どうもやっているうちに、そうでもないなという。やっぱり分けて、例えば「体・心・いのち」―英語圏でしたら、「ボディ・マインド・スピリット」とすぐ言うんですけど―「体・心・いのち」と分けるでしょう。体に働きかける西洋医学、心に働きかける今のいろんな心理療法、いのちに働きかけるものとして中国医学を初めとする多くの代替療法、これはもういのちのレベルに入っていくという方法として認識できるわけですけど、そういうものを人に重ね合わせてやっているだけでは人間まるごとにならないんじゃないか、と。もっと人間まるごとをスポッと捉える方法論ができて―あるシステムが―それで人間まるごとにパッと近づける方法論ができないといけないんじゃないか、と。この病院という建物の中で、医者とかいろんな医療者、患者さん、ご家族が一体となって共有するいのちというものを、お互いに自分のいのちも引き上げる。人のいのちも引き上げる。そういう一つの場ができないといけないんだろうと思うんですね。
 

 
ナレーター:  新しい時代の癌治療のパイオニアとして歩んできた帯津さん。進むべき医療の方向を見出すために、医学だけでなく、物理学や哲学などさまざまな分野の専門家に教えを乞い、「いのちとは何なのか」答えを求め続けてきました。「ホリスティック医学とは何なのか」「人間を体だけでなく、心やいのちを含めてまるごと捉えるとはどういうことなのか」。何度も問い直さざるを得なかった帯津さんは、やがていのちを「場」の視点から捉えようとする考えに至ります。
 

 
帯津:  「いのちというのは何だろう」というのは、「その先に繋がりはどこに存在するのか」というのをまず考えたんですよ。頭で考えている時に、私は、外科ですから体の中をいつもいじっていましたでしょう。そう言えば、あの隙間は何だろう、と思ったんです。体の中は隙間だらけなんですね。
 
山田:  そうなんですか?
 
帯津:  ええ。隙間だらけ。例えばお腹を開けるとパッと空気が入りますね。そうすると、全部隙間が生きてくるわけですよ。例えば横隔膜と肝臓の間には隙間があって手が入るし、胃袋と肝臓の間にも隙間があるし、胃袋をこう引っ張り上げると、膵臓の間に隙間がある。だから、あの何もない隙間というのは何だろう、と。ここに繋がりが存在するんじゃないか、と。目に見えない繋がりが。こう考えていたら、ちょうど電線が縦横に張り巡らされている状況が思い浮かんだわけですよ。体の中の隙間に目に見えないネットワークが存在して、そこにエネルギーと一緒のいのちがあるじゃないか、というふうに何となく思うようになってきていたんですね。そしてそこで、「場」に到達したのは、実は清水博(ひろし)(東京大学名誉教授)先生という―当時は東大の薬学部の教授だったんですけど―『生命を捉えなおす』という名著があるんですけどね。これを読んで「生命を捉えなおす」ですから、いのちのことをガッと書いているんです。この先生にどうしてもお会いしてお話を伺いたいということで、それが実現して東大の研究室にお話に行ったんですね。そうしたら、先生が、「あなたは、東洋医学というのは何だと思います」というから、私はその頃考えていた「エントロピーの医学だと思います」と言いましたら、「エントロピーの医学という考え方もいいですね」。エントロピーというのは熱力学の言葉ですけど、要するに秩序性が壊れていくんですね。エントロピーが増大する。だからエントロピーを増大させないために、体の中に日々生じてくるエントロピーを排泄物として―大小便だとか、吐く息だとか、汗だとか―出して、我々は体の中でのエントロピーを増やさないで秩序を守っている、ということが言われているんですよ。中国医学は、漢方薬も鍼灸もかなりこの排泄というものを重視していますから。ですから私は中国医学、あるいは東洋医学は、エントロピーを排泄する医学なんだ、と。清水先生はそんなことは先刻ご承知で、「それはそうかも知れない」と。「だけど私は東洋医学というのは場の医学だと思う」と、こう言われたんですね。それで私は、ネットワークまできていたわけでしょう。「場」と言われてから、「ああ、そうか」と思って、そのネットワークの網の目を限りなく小さく小さくしていくと「場」になってしまうんですよ。例えば電気なら電気が連続して分布していると「電場」になるわけです。磁気が分布していると「磁場」でしょう。両方が分布していたら「電磁波」じゃないですか。だから非常に細かい物理的な量の分布状態を「場」というわけですから。生命と非常に深い関わりのある「気」のようなものが分布しているとなると、「気場(きば)」と言ってもいいと思うんですね。だけどまだちょっと「気場」というには時期尚早ですから、「気場」と言わないで、私は全体を引っくるめて「いのちの場」、すなわち「生命場」と呼ぶことにしたんです。
 
山田:  体全体をそういうふうに捉えるわけですか。
 
帯津:  そういうふうに捉えるわけですね。
 
山田:  「いのちの場」と。
 
帯津:  「いのちの場」。それはその「生命の場」というのは真空じゃありませんから、これは当然エネルギーを持っていますね。そのエネルギーがいのちなんだ、というところへ辿り着いたわけですよ。だからいのちがターゲットになる以上、その「場」というものを考えていかなければいけないんじゃないか、と。そうすると、その「場」には、エネルギーがあって、これを高めて、そのエネルギーがいのちだとして、これがなんらかの理由でもって低下した時に、これを回復する能力がその場その場に備わっている能力が「自然治癒力」だろう、と。外から働いて回復させることを「治し」対して「癒し」と言っているんだろう、と。それから自分の力でこれを回復していくことを「養生」というんじゃないか。そうすると、ホリスティック医学というか、人間まるごと診る医学は、「場」に注目して、「自然治癒力」に注目して、そして「癒し」に注目して、「養生」に注目する。こういうふうな輪郭が見えてきたわけなんですね。
 
山田:  そうすると、一人一人のいのちというものをそういう「場だ」と考えられることで、それがいろんなところへ繋がりを持っているというふうに?
 
帯津:  そうですね。繋がっているというふうに思ったわけです。それが体の中の場というのは皮膚でもって閉ざされた存在じゃないわけですよ。皮膚は穴だらけですし―顕微鏡で見れば―もう常に繋がっている。こう喋ったりしていれば、この肺と胃の中と繋がっていますね。だからやっぱり外界の環境の場というものも大事になってきて、いきいきしているわけですからね。「これは私ですよ」と言っていられない。
 
山田:  それは一人ひとり―僕には僕のいのちの、帯津さんには帯津さんのいのちがあって、だけどそういうものは関係しあっているという意味ですか?
 
帯津:  関係しあっているということですね。別に区切られたもんじゃない、という。反対に言えば、この空間にあるエネルギーがいのちだとすると、この宇宙の空間もエネルギーを持っていて、いのちがあるわけですよ。その宇宙のいのちの一部が私の中に宿っている、と。逆に考えて、外側から眺めればそういうことになるわけですね。こっち側からいうと、私のいのちが宇宙まで広がっているんだ、という。向こうから見ると宇宙のいのちの一部がお前の中に入っているんだ、という見方になるわけです。
 
山田:  今、帯津さんの話を聞きながら、僕は「えっ!」とか反応しているわけですよ。、それは当然こう繋がり合っているわけですね。そういうことが同じ場にいる人にはなんらかの形で行っている、というふうに捉えることですか。
 
帯津:  そういうことですね。だから「場に身と置く」という場合に、「良い場」と「悪い場」が当然あるんで、そういうことも医療という見方から考えると無視できないものがあるわけですよ。
 
山田:  そういうふうにいのちを捉えていかれると、医療というものがどういうふうにあるべきだというふうに?
 
帯津:  そういうふうに考えると、二十世紀の医療は、西洋医学が中心だったわけですね。だから体に注目しているから体の故障を治せばいい、と。そうじゃなくていのちのレベルまで目を向けると、いのちの状態を少しでも高めていかなければいけない、とそういうふうに焦点が違ってくるんですね。そうすると、医療という場合に、患者さん中心に、ご家族とか、ご友人がいるでしょう。それから、その人が病に、という状況になったということで、病院という新しい場ができるわけですよ。医療の場―医者、看護師、薬剤師、鍼灸師―この人たちがみんなでもって、患者さんを中心にして、その患者さんの治癒力を高めて、病を克服されるように、みんなし向けていくわけですけど、それにはやっぱり一人一人が自分のいのちの場のエネルギーを高めて、それで共有する医療という場のエネルギーを全体で高めていくことによって、患者さんが癒されていく。他の医療者やご家族も同じく癒されていく。そういう状況にならないと、医療と言えないだろうと思うんですね。
 
山田:  それこそお医者さんや医療関係者は、患者さんとどういうふうに関係を結んでいくということでございますか。
 
帯津:  これは、例えば西洋医学でいうと、技術と知識を持ったプロフェッショナルとしてのドクターが、素人の患者さんに対峙するという形でいいわけですよ。素人の患者さんの体に生じた故障をプロフェッショナルがいって治して帰って来る。だからそれだけの直接の関係ですけど、そうじゃなく、今のような自然治癒力が含まれた場というものを考えると、これは一方がプロフェッショナルで一方が素人という考えでなくて、みんな対等の立場で一体となって、それで協力してエネルギーを高める、と。自然治癒力を高める。だからそうすると、それぞれがどちらが治療者で、どちらが治療される者というふうに分かれなくなってくるわけですね。お互いがその自分の立場立場で共有する場のエネルギーを高めるということに貢献していけばいいわけです。だから誰がどっちの、というのではなくて、自分のいのちのエネルギーを高めるということは、人間である以上やるわけですね。相手のいのちの場に思いをやって、これが高まることをまたこちらも一生懸命やってあげる。お互いにやり合うわけですね。だから一体となったものを二人の協力でもって高めていく、と。これがこれからの医療のあり方だろうと思っているんですよ。その時に、相手の場に思いをやるというのは、そしてまたできたらこの二人が共有する場のエネルギーを高めるんだ、というのは、いわば「祈りだ」と思うんですよね。だから「祈る」ということは、とにかく相手に対してその思いをやる、ということに他ならないわけですね。
 
 
ナレーター:  帯津さんは、病院の現場で続けてきたいのちの探求を数々の本に記してきました。ともに歩んだ人々を見送ることも少なくなかった帯津さん。いのちを「場のエネルギー」と捉えるならば、「死とは何なのか」。さらに患者たちの傍らで考え続けました。
 

 
帯津:  やっぱりこの死に逝く人の顔をじっと見ていますと、しかも戦友ですからね。そうすると、みんななんとなくいい顔をするんですね。亡くなって、スッと。亡くなる前は苦しそうな顔をする人もいますけど、でも亡くなって、スッとみんないい顔なんですよ。この世でのお勤めというか、終わって、さあ、向こうに行こうという。そういう安心感、安堵感みたいなものを感じたんですよ。どこへ行くんだろうと、このいのちは。で、肉体は滅びますね。潰えるんですけど、いのちというのは「場のエネルギー」ですから、物理的な存在ですから、消えたりしないと思うんですよ。これどこかへ行くに違いない。行くとしたらやっぱり自分の来たところへ戻るんだろう、と。どこから来たか、というのを逆に考えたわけですね。私は親のいのちから出てきたわけでしょう。両親はまたそれぞれの両親、それぞれの両親、ズーッといくと、ちょうど宇宙ができるところまで辿り着くわけですね、ビッグバンのところまで。そのビッグバンのところから百五十億年かけてこれまで来た。ここで地球上に現れて、で、肉体という衣服を与えられて、この何十年間地球上で暮らす。いのちというのは循環しているんだろう、と。それが百五十億年が二つで三百億年になりますが―別にきちんと考えることはないんですけど―とにかく循環している、と。死も一つの通過点だろう、というふうに考えていいんじゃないか、と思うようになったんですね。これは例えば、私のように帰るという見方もあるけど、帰るじゃなくて、共有する大きないのちの一部が私のいのち。そうすると、これは繋がっているわけですから、私が死んでもこのいのちは共有するいのちの中で生き続けるというふうに。これは池田晶子(あきこ)(1960-2007)さんという哲学者がそういう考えですね。「池田は死んでも私は死なない」というんですよ。「池田は死んでも私は、池田というレッテルの離れた肉体は死ぬけど、私のいのちはもうこの宇宙の中に広がっているいのちの一部だから、これは存在し続けるんだ」。これが一つの分かり易い考えだと私は思っているんですね。
 

ナレーター:  毎週火曜日の夕方、帯津さんは病院の道場で「二十一世紀養生熟」を開いています。病のあるなしに関わらず、病院という枠を越えて参加者を募り、気功や太極拳に取り組みながら、いのちのエネルギーを高め合おうという会です。死を終点ではなく、通過点と捉え、どこまでもいのちのエネルギーを高め続ける生き方を、帯津さんは「養生」と呼んでいます。目指すのは、生老病死のすべてのステージに寄り添う医療。死を越えて広がる共有するいのちの世界に、誰もが思いを馳せる場の創設です。
 

 
帯津:  私も結局気功をここで始めたのは、癌患者の病状に完全に役立つだろうと思って始めたんですね。だから病を未然に防ぐ。中国の人がいう「未病」なんていう言葉がありますけど、そういう意味で、未然に防ぐということは、今ある病状を悪くしない、というのと同じことですからね。癌がある程度あっても、これ以上悪くしないで、そこでストップしておけば、未然に防いでいることになるわけですね。だからそういうことで使っていたんですけど、一緒に患者さんとやっているうちに、だんだんこれは虚空と繋がるということの、いずれ我々が死んで虚空(こくう)に還る。そのためのリハーサルを毎日やっているんじゃないか、と。気功の一挙手一投足は、常に相手が虚空だと思えば、太極拳みたいに攻めの動作とか受けの動作がありますね。これは相手が人間なら武術ですけど、相手が虚空なら死んでいずれ虚空に還る日のリハーサルを気功でやっているんじゃないか、と思うようになったんです。リハーサルだと思うと、これもまた楽しいですよ。「いつか向こうへ往く日のリハーサルだよ」と、塾生にみんな言ってやっておりますけどね。そうすると、気功そのものの存在が急に大きくなってきたような感じを受けますね。
 
山田:  それは生老病死、いずれの段階でもその養生という形で、そして具体的に気功で、虚空と交流し、そうやっていく人間をまるごと捉えていくのが、最初におっしゃったようにホリスティック医学ということですか。
 
帯津:  そうなんですね。そういう向上する存在としての人間をまるごと捉える。その中で病とかそういう生老病死を考えていくわけですから、これは今までの病気に対する考え方がガラッと変わってくると思うんですね。これは医療者だけが考えるんじゃなくて、みんなが考えないといけませんけどね。一つの過程であって、その中で自分が向上する中で病というものも捉えていく。たまたま起こった事件としてね。
 
山田:  西洋医学の中にいらっしゃって、そのことだけでものを解決するという構造の中にいらっしゃった帯津さんが、ずっとそういう経路を辿って、今この時点におられるわけですけれど、どういう思いですか。
 
帯津:  今、思い出したのは、先ほど言いました初めて私が北京でハリ麻酔を見た時の辛育令先生という、胸部外科の権威ですけど、私がちょうど六十歳の時ですから、最初に会った時からいうと、十五、六年経っているんだろうと思うんですけどね。北京のある「中日友好医院」という大きな病院があるんです。私はそこに用事があって行って、その時の院長と話していたら、「今、たまたま辛育令先生が病院に来ていますよ。あなたお会いになりたいでしょう」というので、「あ、それは会いたいですね」。そして彼と会ったら、彼はまた私のことを覚えてくれていて、「飯でも食おう」と言って、病院の前の―中国ですから中華料理店ですけど―中華料理店に連れて行ってくれた。それで御飯を食べ始めた。暫くしたら、辛育令先生が、「ちょっとあなたに話しておきたいことがあるんだけど、聞いてくれますか」と。「何ですか?」と言ったら、「私は肺の手術を随分してきたけど、昔は癌のある病巣しか見ていなかった」というんですね、手術の時にね。「それがある歳になってきて、なんか患者さんの全体が見えるようになってきた。それがまた何年かしたら、もうみんな患者さんは自分の分身だと思えるようになってきた。いのちが繋がっている、と。分身だと思えるようになった。それをまた越えたらもう手術する患者さんだけでなくて、道で行き交う人もみんな分身に見えてきた」というんですね。「凄いことを言うな、この人は」と思った。そうしたら彼が、「それでそうなると、あなた生きているのが楽しいよ」というわけなんですね。「私は、マンションの十四階に住んでいる。ところがエレベーターに乗らなくなった」というんですね。「十四階を歩いて上がる。歩いて下りる。これは体のためじゃなくて、もうみんな分身に見えてくると楽しくてしょうがないんだ」と。それで私は、その時に、「えっ!」と思って―この人と十五歳違うんですよ。私が六十歳で彼が七十五歳―だから七十五までに、この人の境地になれるかなあ、とその時思ったんですよ。だけど「やっぱりなってみよう」と。急にこの先の十五年が輝いて見えてきたんですよ。やり甲斐のある十五年で。今、私、七十二になったところなんですね。だからあと三年しかないんですけど、まだ見えませんね、分身には。
 
山田:  そうですか。
 
帯津:  みなさんが分身に。だけどこういうのは一瞬にしてなるだろうと思っている。じわじわとなるんじゃなくて、と思って、高を括(くく)っているんですけど、七十五までにそうなればいいな。それでそうしたら、十五歳ぐらい若い人を掴まえて、「飯でも食うか」と言って、「あなた、ちょっと一言聞いてくれないか」と言ってみたいな、と。それが私のこれからの生き甲斐の一つになっているのは確か。実にあの先生は忘れられないところがありますね。
 
     これは、平成二十年四月二十七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである