ともに祈り ともに彫る
 
                        仏師 松 本  明 慶(みょうけい)
昭和十年京都市生まれ。高卒後の昭和三十八年、十九歳で仏師を志し慶派最後の仏師・野崎宗慶に弟子入り、仏師運慶・快慶の流れをくむ慶派の継承者。五十年明慶と名乗る。平成三年大仏師号拝命。京都仏像彫刻家協会会長。京都・東寺、三千院の本尊など仏像を制作するほか、高野山金剛峯寺の四大明王、フランス国立ギメ美術館の仏像二○○体など古仏の修復も手掛ける。
                        ききて 西 橋  正 泰
 
ナレーター:  仏師松本明慶さんは、「木の中に仏の姿が見える」と言います。
 

 
松本:  木とほんとに話し合いしながら、相手が「ここ取れ、ここ取れ」と言うてくれている通り取っていけばいいんで、それを相談しながらやっているんですね。
 

ナレーター:  松本さんは四十五年にわたって仏像を彫り続けています。その数は数千体に及び、大仏も十三体彫り上げました。京都市の西、竹林が広がる大原野に松本さんの工房があります。工房では身の丈一丈六尺、およそ五メートルの大仏が完成を迎えようとしていました。今回の「こころの時代」は、仏師松本明慶さんを訪ねます。
 

 
西橋:  大仏さんが完成したんですね、ほぼね。
 
松本:  そうですね。ほぼ完成しました、これで。一番上に如来さんが乗ってはるでしょう。あれは観音さんじゃないんですね。だから頭の上に十と、ご本尊さんで十一なんですね。実際は十二顔が載っているんです。あとはちょっと眉間のところに仏さんがいらっしゃるでしょう。あれも如来さんなんですね。正式に言えば十三個顔があるんです。観音という場合、必ず阿弥陀さんがおられるんですね。聖観音(しょうかんのん)さんもありますからね。拝まれる方は前から横からいろんな角度から見て頂いたらお顔の相が全部変わるんですね。だからこそ拝まれている仏さんの相をみて、いろんな思いが自分の方に伝わるんですね。特に十一面観音というのはそのうちの御利益の強い仏さんの一人なんですね。大勢のいろんな顔があるように、ちょっと悪(わる)さしたら怒っているような、いろんな顔がある。基本的には前の三面が菩薩面で、人間はそういう顔になりたいと思って拝むんですね。調子のいい時はこっちの顔で、ちょっと調子悪い時にはこちらの顔、もっと調子の悪い時には反対側の顔、というイメージがある。勿論最終的には一番上の如来さんに救われたいと思うんですね。そういうふうにして出来ているものですね。
 
西橋:  今どんなお気持ちですか?
 
松本:  そうですね。大仏はやっぱりひとしおのこともありますけどね。長い時間触っていますからね。出て行きはる時には一抹の寂しさもありますし、出来上がってくると、ほんとに嬉しい反面、早く出て行かれるんで寂しさもありますね。
 
西橋:  でも改めてお寺に据えられた仏さんを拝むと、また別の感慨もあるでしょう。
 
松本:  自分の手元を離れるので、もう自分のものではないので、なんか触るのもおそれおおい感じがします。神々しい感じがしますね。
 
ナレーター:  この大仏は横浜市にある三會寺(さんねじ)の観音堂の本尊となります。仏師松本さんに、「仏とは何か」「仏像を作るとはどういうことなのか」を聞きました。
 

 
西橋:  少年時代は松本さんは京都の市内の、
 
松本:  そうですね。野崎というところです。
 
西橋:  平安神宮近くの野崎ですか。
 
松本:  そうです。職人町だったそうですね。意外と近所に仏師さんがおられたとか、仏壇を作っておられる方とか、飾り金具―彫金をされている方も、ほんとに歩いて直ぐというところにおられました。
 
西橋:  まあ町のあちこちに職人さんが住んでいるという、
 
松本:  そういう音が聞こえる町ですね。また寺町と言いまして、近くにお寺ばっかりのあるところもありましたね。だから土地柄から言えば、お寺の面積がかなり占めている場所でした。
 
西橋:  仏師の道に入られるそもそものスタートなんですけれども、松本さんが十七歳の高校生の時に、四歳年下の弟さんが亡くなられたという、松本さんにとっては大きな出来事があったわけですね。
松本:  それがきっかけですね。弟はもともと体が弱かったんですけど、病に倒れてしまって。
 
西橋:  まさか亡くなるとは思っておられなかったわけでしょう? 入院しても。
 
松本:  はい。人一倍弟については思いがありましたからね。体が弱かったですから、自分の子どもみたいなイメージがありましたからね。昔の子というのは弱い子ができれば自分が養わなければならんという覚悟がありましたね。
 
西橋:  急に亡くなられたその衝撃は大きかったでしょう。
 
松本:  凄く大きな衝撃ですね。まず自分を取り乱しますよ。勿論親もそうですし、家庭というのがやっぱりうまく纏まらなくなりましたね。
 
西橋:  そこからどうして仏さんを作ろうというところに結び付くんですか?
 
松本:  結局僕らはお寺の傍にいましたから、亡くなったらお寺に入るというのが普通でしたからね。だからそこのところで、仏さんがほんとにおられるんでしたら、何で順番が違うんや、と思いましたね。
 
西橋:  年取ったほうから亡くなっていくのが自然なのに、と。
 
松本:  人間というのは自然に反することがよく起こるんですね。だからそれについて自分の世界として、どうしても知りたかった。仏さんは、子どもの時分からわけわからんでも、僕らの子ども時分というのは、必ず親から「仏さんが見てはるで」というのが教育の一貫でしたからね。ということは、見てはるんであれば助かるというイメージがありましたね。だから「何々したらあかんで、仏みてはるで」という話が普通でしたものね。「喧嘩したらあかんで、仏さん見てはるで」「人の物を盗ったら仏さん見てはるで」というのが、普通の世界でしょう。その世界から逸脱していましたからね。
 
西橋:  弟さんの死というのがね?
 
松本:  はい。
 
西橋:  仏さんが見てはるのであったら何で助けてくれへんねん、という気になる。
 
松本:  そのうちに、自分でそうしたら助けてやる仏像じゃないんですけど、作りたいという気持に勝手に向きましたね。だからほんとに我流ですけれども、何でもかんでも彫ったんですよ。
 
西橋:  仏さんを?
 
松本:  はい。勿論高価な木は買いませんし、道具もいいものもありませんけれども、その辺にある何でもかんでも使って、川原に行けば木が落ちていますし、家の解体があれば木をくれますし、酷かったのは電信柱貰ってきて彫りましたね。
 
西橋:  仏さんと亡くなられた弟さんとが二重写しみたいになったところがある?
 
松本:  そうなります。それは確実ですね。
 
西橋:  弟さんを取り戻したいみたいな気もあったんですかね。
松本:  いろんな気持があったんです。もう一つは、魂が死んでいないとか、死んでいても傍にいるんや、というのが、確実にそれをやっていることによって癒されます。
 
西橋:  そしてもういろんな木から仏さんを彫り出されて、身の回りにたくさんになって、そういう状況を高校の恩師の美術の先生が心配されたそうですね。
 
松本:  そうなんです。部屋いっぱいになる。それを佐和隆研(さわりゅうけん)(元京都市立芸術大学学長)先生のところに持って行ったんですね。佐和先生が凄い先生とわからなかったんですけれども、どれ持っていったらいいかわからなくって、車にいっぱい持って行ったんですよ。そうしたら何も言わずに、即座に仏師の先生のところに連れていってくれたんです。
 
西橋:  それが野崎宗慶(そうけい)さんだったわけですね。もう野崎さんは八十代でしたね。
 
松本:  そうです。八十二歳でしたね。
 
西橋:  で、たくさん彫った仏さんを持って行きました時、野崎さんはどうおっしゃったんですか?
 
松本:  一つ摘むように持たれて、「おう、ようむしっているな」と言われた。つまり「彫っている」と言わなかったんです。ビックリされたみたいでしたけどね。ごりごりやっていたんですね。それを「一つ預かっておく」と言われて、床の間のほうにぽっと置かれたんです。それが弟子入りOKのサインですね。
 
西橋:  弟子入りを認めるという。
 
松本:  即座だったんですね。で、勿論歳をめしているし、もうお弟子さんを採らないという先生だったんですけどね。
 
西橋:  荒々しい松本さんが作られた仏さんに野崎さんは何かをお感じになったんでしょうね。
 
松本:  そうだと思います。それから同じ床の間の上に薬師如来が飾られてあったんですね。「それを取って来い」と言われたんですよ。「お前の作品と比べる」ということで、それを取りにいく時に、実は立とうと思っても足がガタガタ震いて立てなかったんです。何とかそこに辿り着いて持った時に手が振るいて落としちゃったんです、板の間にパーンと。尊くて触れないんですよ。自分の作品とあまりにも違いがありましてね。卵と一緒でどれ位きつく握っていいのか、初めて触るものだからわからないんですね。
 
西橋:  それは野崎さんの薬師如来の作品だったわけですね?
 
松本:  はい。落としました。ほんと心臓が止まりましたよ。ほんとにごろっと落としました。それが先生との第一回の出会いだったんです。だからその時にほんとに感じたのは、一つの出会いというのは長さじゃないんですね。一つの出会いというのは深度なんです。その深度というのが、自分には「この人は絶対や」ということを感じました。
 
西橋:  「ようむしっているな」と言われた松本さんの仏像と、それから「あれ取って来い」と言われた野崎さんの薬師如来と、今考えてみて、何が違ったんだというふうに?
 
松本:  それは圧倒的な力の差ですよ。向こうは仏さんになってはるし、僕のはネズミが餅をかじった見たいな彫り方ですよ。姿もバランスも悪いですしね。それを見抜いて頂くのも何かのご縁があったと思いますね。「こいつを一人前にしてやろう」と思っても、先生の場合は年取っていはりますから、十年二十年僕を見て貰えるわけじゃないので、だから逆にその出会いが僕をもの凄く大きくしたのは事実ですね。ということは僕のほうも、その先生に習うということは、時間が限られていまして、勿論高齢ですから長い時間ワンツーマンで教えてもらえるわけじゃなくて、ほんとに短い時間―一日が数時間ですからね―だからその間の過ごし方だとか、先生から頂くものを如何に吸収するか、ということで、先生のほうもそれを悟っておられて、実技よりも実は口答のほうが多かったんです。先生は難聴で耳が遠くなっておられるんで、補聴器がはずれるんですね。それでもしゃべりもって、彫りもって、いろんなことを話してくれるんですね。それが僕のほんとの仏像を彫るための基礎みたいなものですね。その当時は理解できなかったこともたくさんあるんですね。ところがやっぱり自分が必ず行き当たるんですね。それを越えた時に初めてその口伝の意味がわかる。すべてがわかるのに十五年から二十年近くかかりましたね。それから初めて自分が仏師になれたなあという感じがしましたね。
 
西橋:  野崎宗慶さんは、最後の慶派―運慶、快慶の慶派の最後の大仏師と、当時言われていた方で、結果的には松本さんは、野崎宗慶さんが亡くなるまでの一年半しか習えなかったわけですね。
 
松本:  そうです。
 
西橋:  今、「口伝」とおっしゃいましたけれども、例えばどんなお話があるんですか?
 
松本:  まあ剣道で言えば免許皆伝書をくれるじゃないですか。あれを口移しで全部貰えるんですね。例えば面白い話でしたら、「ちょっと天狗になれ」という話があるんですね。というのは、目が先に肥えてくれば彫るのが嫌になるでしょう。自分が嫌になって。つまり失敗ばっかりするから。そうでなしに自分がちょっと自信を持ってやると、前より前に進み易くなるんですね。いわば、彫る姿勢についてのいろいろお話をされるんです。それから一休(室町時代の禅僧)さんの話をされたりするんです。一休さんの話も非常に面白い話で、一休さんと船頭の掛け合いの話をされるんですね。これが僕の口伝の中では、先生から聞いた中では一番凄い話なんですよ。一休さんというのは八幡(やわた)のところに住んでおられたんです。木津川の畔なんですね。そこの川からずっと船で下って行って、大阪で用をされるんです。その時に船頭は、「一休さんほど偉い人だったら、仏さん見せてくれ」という話をするんですね。そうしたら一休さんが、「わかった。見せてあげよう。その代わりに条件がある。棹をさす時に大きな声で仏来い!≠ニ大阪に着くまで怒鳴りなさい」と言われた。「仏来い!」って、大阪に着くまで。そうすると四十分ぐらい下りですからかかる。それで「仏来い!仏来い!」と言って棹さしていったんですね。一休さんが大阪に用を足して舟に戻ってきた時に、船頭に、「仏来いと言ったら見たか」と聞いたんです。そうすると船頭さんは「見た」と。その話をされたんですよ。十九歳の僕にはその話を聞いても何にもわからないですよ。「仏来い」と言って「見えた」と言っても、意味がわからない。全然禅問答のようでわからないんです。ところが自分が努力してずっとやっていくと、ちょっとは作品を買ってもらったりして進化していくじゃないですか。お得意さんができたり、お弟子さんが来たり、またいい人に巡り会いたりすることによってどんどんいい巡り会いがでるんですよ。「これなんや」とわかったんです。十五年かかりました。
 
西橋:  要するに、「仏来い、仏来い」と船頭が一生懸命言ったと同じように、一生懸命何か努力していって初めて見えてくるものがある、と。
 
松本:  「この世に仏がいるんだ」という話ですね。だから「自分が努力した分だけしか、仏はお前を呼ばない。仏は来ない」ということですね。どの職業でも何でもそうですね。師匠からはその説明がなかったですからね。
 
西橋:  野崎さんは、「これはこういう意味や」ということは言わないわけですね。
 
松本:  はい。例えば、「阿弥陀さんはこういう人だ」「お不動さんはこういうふうに彫りなさい」ということは勿論口伝で全部教えて頂くんですけれども、それはある程度みれば、図面もあるし、先生の作品も残っていますからお借りして写すこともできます。そういう代々から伝わってきた口伝というのは、先生の口からしか聞けないので、それを松本に早く教えておいてやろう、と。自分の命と交換ですよね。それまでして頂いた先生がおられる、という。
 
西橋:  野崎宗慶さんが一年半後に亡くなられますね。その時二十歳ですか?
 
松本:  そうです。
 
西橋:  その後の身の振り方は?
 
松本:  いろいろあったんですけどね。佐和先生が心配されて、「あの師匠のところへいくか」「どこどこへ行くとか」といろいろな選択肢を頂いたんですけども。でも師匠と呼ぶ人はほんとに先生しかおられないので、「けっこうです」ということでお断りしたんです。
 
西橋:  師匠は野崎宗慶さんお一人、と。
 
松本:  はい。というのは、やっぱり先生とのそういう出会いが自分にはほんとに頑なにありましたからね。他の方を同じように自分が受け入れない、という。だけど、勿論他の先生も僕は師匠としていたんです。わからなくなれば、一応「ここ教えて貰いたい」とか、見に行ったりとかはするんですけど、あくまでも先生ではなく、アドバイザーですね。
 
西橋:  生活していかなければいけないので、ご苦労も多かったんでしょう?
 
松本:  そうですね。そういう意味では、苦労ということではなく―苦労に見えるんですけど―僕自身は実は一回も苦労したことはないんです。だから、「休みもなく、こんなに長くやっておって苦労か」と言ったら苦労じゃないんですね。別に普通なんです。逆に苦労と感じたらたぶん止めていると思いますね。「苦労なんや、こんな苦労嫌や」と思ったらたぶん止めたと思います。
 
西橋:  でもトラックの運転手を一時なさったりしたんでしょう。
 
松本:  それは木を買うためとか、食料買うためとか、御飯を食べていくためには、ダンプカーの運転手のアルバイトをしたりしたこともありますし、長い間熱帯魚屋さんも十年以上していましたね。
 
西橋:  熱帯魚を売りながら仏さんを彫っていた?
 
松本:  ダンプの運転手しているんじゃやっぱり疲れます。それともう一つは、彫る時間ができないんですね。まさか運転しながら彫るわけにいきません。熱帯魚屋だと店番しながら彫れますからね。
 
西橋:  干支(えと)を随分作られたそうですね。
 
松本:  そうです。奈良の春日大社の干支を下請けなんですけれども、多い時には一万個ぐらい作りましたね。
 
西橋:  それで生活を支えたわけですね。
 
松本:  そうです。それでも干支だけでは生活は支えられないんですね。熱帯魚屋をやっているうちに、「おっちゃん、いいのを作っているな。僕にも干支を彫らしてくれ」という子が来ましたね。
 
西橋:  近所の子で? 「おっちゃん、面白そうなことをしているので、僕にもやらせて」と言って。
 
松本:  はい。その子が一番弟子ですね。その子がそうやって来ているうちに中学にあがり、高校の時に美術学校に行って卒業したら家に飛び込んで来ました。そうこうしているうちに、いろんな子がやって来てましたね。僕は弟を亡くしているので、子どもが好きなんで、家に野球のチームができるぐらい来ましたね。
 
西橋:  お弟子さんが?
 
松本:  はい。たくさんいてもなかなか給料払えないので、熱帯魚屋さんの収入で食べさせていました。何よりもプラスになったのは、そのお金で材木が買いますからね。本も買います。我々の本は高いんです。その当時で、万もしたんですね。
 
西橋:  その本の中には、例えば仏像と言っても、いろんな仏さんがあるわけですから、「この仏さんはこういう性格の仏さんなんだ」とか、「身に付けておられるこれはこういう意味があるんだ」とかというようなことも、その本の中には含まれているんですか。
 
松本:  それについてはあまり重視はしていなかったんです。仏さんのニュアンスなんです。僕は「仏さんの匂い」と呼んでおるんですけど、そういうものが漂っている本があれば買うんです。一体でも自分の好きな仏さんがあれば、
 
西橋:  仏さんの匂い?
 
松本:  はい。何とも言えぬ、テクニック以上の何かがあるんですよ、仏さんというのは。あの先生はこういうものを出しているとか、この時代はこういうものを出しているというのがあれば、思わず買ってしまうんですね。
 
西橋:  「仏さんの匂い」ということで言えば、六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)にはよく通われたんだそうですね。
 
松本:  六波羅蜜寺には地蔵さんがあります。あの地蔵さんは今でも惚れていますから。
 
西橋:  それが運慶の?
 
松本:  そうですね。運慶の作と言われているものですけどね。
 
西橋:  どこがそんなに魅力的だったんですか?
 
松本:  さっき言ったような「匂い」です。他の仏さんとは格が違うんですね。それは言葉とかで言い尽くせぬぐらい格があるんです。それが一番運慶にはあるんです。だから木彫家の中で、彼ほど秀でた人は実はいないんですよ。それだけやっぱり凄いですね。背中の丸みなんかにしても、勿論顔の相もそうなんですけど、真似できないものがあるんですよ。それを僕は簡単に「匂い」とか、「格」とか言うていますけども、ほんとに真似できないものがあるんですね。だから逆に、今になってみたら負け惜しみじゃないですけど、真似する必要もないと思いますけどね。だからその人の匂いとその知恵をずっと頂ければ、それで自分のものと足して前に進めばいいんで、それと同じものを作っても仕方がないんです。今、機械がありますので、アートスキャンで全部計って、同じように彫っていけば、時間さえかければ同じものができるんです。
 
西橋:  そういう意味で、松本さんは、「仏さんの品格」ということを大事にされているんですね。
 
松本:  一番大事ですね。僕の追求しているのはその一言に尽きますね。仏さんだから品格がなかったらダメです。
 
西橋:  お若い頃に、「苦労じゃない」とおっしゃいましたけれども、いろいろ努力しておられた時代に、お友だちがとっても大事な助言をくれたんだそうですね。
 
松本:  そうですね。それは僕の高校の時の親友なんです。「お前はね、なんか良いものをいっぱい作っているけど、それは自分のためだろう。でも、最後は人が見てくれるんだから、人のために仏像というのはあるんだ」と言われた。その彼が―実は僕が第一回の個展を朝日新聞のバックで朝日会館でさせて貰ったんです。それが初めての個展だったんです―久しぶりに入って来て、「おい、松本、どれだけ売れた?」と言われたんで、「これほど売れたんや」言ったら、「あと全部俺が買うや」と言って買ってくれたんです。そのお金でアトリエを建てることができたんです。
 
西橋:  その言葉が大きかったんですね。
 
松本:  その人は商売している服飾デザイナーですから、人を喜ばせないと商いできないわけです。自分のためのデッサンを描いて、「最高のファッションや」と言たって、人が喜ばなかったら誰も買わないんですね。私は、「他の職業をしていきながら、自分のを彫っていけば、それでいい」と考えていたんですね。熱帯魚屋さんをしながら、何でもかまわんから、自分はこれをしていきたい。売るために彫るんじゃない、と思ったんですね。
 
西橋:  そして三十歳の時に、運慶・快慶の慶派という野崎宗慶先生の慶派の名を嗣がれるわけですね。今の「明慶(みょうけい)」さんというお名前を名乗られる。
 
松本:  実はこれは亡くなった野崎宗慶先生から頂いたわけではないんです。跡を継いでおられたのはご子息なんです。
 
西橋:  野崎一良(かずよし)さんとおっしゃる。
 
松本:  そうなんです。その方は京都芸大の現代彫刻の先生をしておられたんですね。そのことに対しては直ぐに快諾して頂いて、「親父の「慶」の一字をやるから「明慶(みょうけい)」と名乗りなさい」ということでした。
 
西橋:  ご本名が「勝明(かつあき)」さん。その「勝明」さんの「明」と、
 
松本:  先生の「慶」を頂いて「明慶」が良いじゃないか、と。いろんなことを考えて頂いたんですけど、それが一番向いているというので、「お前が跡を継げ」ということでした。
 
西橋:  そういう意味では慶派が繋がったわけですね。
 
松本:  そうですね。嬉しいです。慶派に拘るんですけど、実は慶派って別に嗣ぐのは難しくはないんですよ。人間が続いているみたいに、みなさん習って来たら系図は続いているんですね。その時に一番大切なのは、先生から慶派貰うだけじゃなくて、「それに相応しい人間になりたい」と思ったんですね。「慶派を嗣いでも、全然あかんや」と言われるのが一番嫌だったんで、だからこそ余計嗣ぎたかったんですよ。勿論先生の名前を汚したくないし、そうするとより頑張り易い立場に自分が押されるじゃないですか。それが一番大きいですね。
 
西橋:  お若い時に車にたくさんご自分の仏像を積んで行商に行かれたそうですね。
 
松本:  そうです。一遍どれぐらいの値が出るのかというのと、生活をしなければなりませんので行商に行ったんです。ほんとに笑い話で、よく行商しましたね。友だちの車を借りたのに、六千円ほどしかなかったので、ガソリン代を心配しなければならないほどですた。ということは、廻っていたらなくなります。その当時はガソリン代四十円ぐらいでしたけど、地道ですからけっこうガソリンを食うんですよ。だからほんとに帰りのガソリン代のことを心配しましたね。逆に絶対に「売れるんや、売れるんや」ということを思ってやっていましたね。
 
西橋:  どっちの方へ行かれたんですか。
 
松本:  西ですね。まず広島で仏壇店に飛び込んだんですね。で、話したら若造ですけど、一応ちゃんと座布団出して頂いて、説明聞いてもらって、「これ、貰っておくわ」と言われて、その当時で一万円ぐらいで仏さんを買って貰ったんです。そうすると、持ってきたお金より多くなったんですね。それでお風呂に入れましたし、車の中で寝ていても安心感がありましたね。その足であっちこっち売りに行って、九州まで行きました。実は断られた店は一軒だけあったんですね。その店は玄関払いでした。他の店の方は全部一応通してくれて、話を聞いてくれて注文を頂きました。熱意に感心して頂いたのが主だと思いますけどね。その時のことを、「第一回の売れた時は、チャップリンの気持ちがわかった」と言っていつも弟子に話すんです。ぴよっ!と飛ぶでしょう。あれを同じようにやってみました。売れた時に、「やった!」と言ってね。自分の作品が認められた、という喜びですね。
 
西橋:  その繋がりはずっと続いたんでしょう?
 
松本:  はい。その人たちは僕をちゃんと後押しして頂いて、順次名前と同じように作品があがってくれば、「これじゃ気の毒なんで」というので、もう少し高く買ってくれました。だからこちらから「なんぼで買ってくれ」ということはまずなかったですね。
 

ナレーター:  「仏来い!」と一生懸命に呼べば、仏は自分の前に来てくれる。師匠の話を胸に、松本さんは仏像彫刻一筋に打ち込んできました。松本さんの彫った仏像は、北海道から九州まで全国の寺院に納められています。「大仏師」の称号を受けたのは一九九一年のことです。
 

 
西橋:  さて、ここにも先ほど話して頂いた観音さんの大仏さんがあるんですけれども、大仏を作るということは、やはり仏師としては非常に大きな目標なんですか。
 
松本:  憧れも一つありましてね。小さいものは施主がなくても自分で出来ますけれども、大仏だけは施主がなかったら出来ないですね。これを置いておくことすらなかなか難しいですからね。勿論費用もかかりますし。やっぱりそれを相手が「やらせてあげる」というだけの自分に力がなかったら難しいんです。つまり自己満足で彫れないわけです。だからやっぱりこういう作品は作りたいと思います、仏師は。それともう一つは、我々人間が何故これを大きく感じるかと言ったら、人間の姿をされているからなんです、この作品は。というのは、我々人間は、例えば僕より二十センチ超えた人だったら、「わぁ、大きな方や」というでしょう。たったこれだけですからね。でもこれなんか家一軒ぐらいしかないですから、何も大きいものでも何でもないんですよ。大きく感じるのは人間の姿なんです。それがたとい仁王さんであろうが、不動明王みたいな勇ましい仏さんでも、人間の品格とか優しさが感じられなかったら、やっぱり仏とは言わないんです。単に怒っているだけでは難しいんで。
西橋:  最初の大仏さんは広島市の福王寺(ふくおうじ)というところに納められたそうですね。
 
松本:  そうです。それは不動明王ですね。
 
西橋:  その不動明王の制作経緯を少し話して頂けませんか。
 
松本:  これはもともと紹介して頂いたのは、佐和先生の甥に当たる方に紹介してもらったんです。そのお寺のことについて、「こんなことをやって困っているんや。大きなお寺だけれどもお客さんもないし」というので、ご紹介を受けたんですよ。そうしたらその本尊さんは、「立木仏」と言いまして、生えている木から不動明王一体を彫って、そこに社ができていたわけですよ。
 
西橋:  え! 生えている木に不動明王を彫って?
 
松本:  はい。それが信仰の対象になって、だんだん大きなお寺になったんですね。そういう経緯があったんです。
 
西橋:  もともとの立木というのは焼けてしまったんですか? 落雷ですか?
 
松本:  落雷です。
 
西橋:  落雷で本堂も、その仏さんも焼けてしまった。
 
松本:  勿論根っこから生えているわけだから持って出るわけにいきませんね。それで「代わりのものを」という話があった。それで「お厨子を作られるのであったら、その厨子の代わりに大仏を作って、焼けて空洞になっていますから、ごそっと被せたらどうですか。ごそっと上から被せたらできるでしょう。大仏さんを重ねたらいいでしょう」と言ったら、「それは名案や」と言われて。
 
西橋:  でも一番最初大仏を作られる時には、どうやって作っていくか。どう計算していくかという難しさがおありだったんじゃないですか?
 
松本:  それは口伝の中にちゃんとありますから。それと師匠から大仏のことは全部教えてもらって頂いていますから。
 
ナレーター:  大仏を作る時には、まず小さな雛型を作ります。彫り上げた雛型を熱湯に浸けると、接着剤が溶け、輪切りにしたような部材に分かれます。雛型は、厚さ一センチほどの板を貼り合わせています。頭の部分の部材は合わせて十八枚。すべての部材に一センチ四方の方眼が記されています。方眼を目安に拡大した部材が作られます。この部材を組み立てると大仏を作ることが出来ます。
 

西橋:  大仏さんのそういう口伝がおありだったとしても、現実に作っていく時には、これだけの作業場がいるわけでしょう。
 
松本:  そうです。
 
西橋:  天井は何メートルぐらいあるんですか?
 
松本:  十四メートルぐらいしかないんです。これ以上越えるものは半分に割って作るんです。腰から上だけとか、腰から下だけとかというふうに。この建物はいろんな建築士が来て、「よう考えて、うまく作っているな」と言われますね。アーチ型になっています。四本のアーチで受け止めているんです。力が全部分散されて、この建物全部で受けているようになっているんです。
西橋:  一九九八年に完成した鹿児島市の最福寺(さいふくじ)(鹿児島県平川町)の大弁財天というのは、これは木造仏で世界一だそうですね。
 
松本:  と言われていますね。世界を廻っていませんけど、一応世界一と言われて、苦情がないところをみますと、一番大きいと思いますね。
 
西橋:  十八・五メートルあるそうですね。
 
松本:  台座の下から天辺までですね。
 
西橋:  何でまたそんな大きいものを?
 
松本:  これは限界に挑戦したいということもありましたし、またその最福寺の貫首さんが、私に委せてくれたんですよ。だから「予算も何にもない。それでもやってみるか」と言われた時に、「はい。やります」と二つ返事で引き受けました。契約書も何もないんですよ。
 
ナレーター:  木造仏としては世界最大級と言われる大弁財天が、鹿児島市にある最福寺に納められています。巨大な大弁財天のために、高さ三十五メートルのお堂が建てられました。この巨大な大仏作りのために、松本さんは三十人の弟子とともに技術と体力を振り絞り、四十三歳から十一年の歳月を費やしました。
 

 
松本:  制作を終えた時にはホッとしたというか、これでやっと終わったんやなという感じがしましたけどね。ただ向こうでほんまに完成して、台にボンと載せた時には笑顔だけしかなかったですね。ああ、これでほんとに自分がやったことが報われたんやな、と。仏師として満面の笑顔でした。だからやった感無量というよりは、全員がほんとの笑顔でしたね、ニコニコ笑って、お祭りする感じではなくて、ほんとの笑顔でした。体は飛んでいないんですけど、顔だけはクシャクシャでしたね。それぞれみんないろんな思い出があります。手を詰めた者や手を切った者もありますし、怒られたりとか、ハッパを落として割ったりとか、いろんなエピソードが全部みんなの上に走馬燈になって、あがったのを見て、こんなことをやらせてもらったんやな、という。
 
西橋:  そういうドラマを作り上げていく。そのお弟子さんたちは今何人ぐらい?
 
松本:  今、四十人いますね。一番古い人で二十一年間いますからね。
 
西橋:  それだけのお弟子さんを育てあげていく心というのは大変でしょう。
 
松本:  それは楽しいですね。弟子が育っていくのを見るのが楽しみですね、苦労よりも。
 
西橋:  一番弟子に伝えたいことは何ですか?
 
松本:  まず僕が今持っている情熱みたいなものでしょうね。「こんなに楽しいんや」という。だからほんとに苦しいことというのは、僕らはいつも考えていない。苦楽は表裏一体なんです。苦しいことは楽しいことなんですね。また逆に楽しいから苦しいことも起こりますね。苦しいことをやれば楽しいことも起こってきますね。やはり人間は苦しみや悲しみを幸せのほうに向けられるんです。幸せだからと油断していたら苦しみがきますよ。苦しみを耐えていたらまた幸せがきます。そのくり返しだと思うんですね。「それなら苦楽のどちらも友だちにして頑張ったほうが面白いんじゃないか」という話をします。弟子にも、「よく働いて、自分が何か損したか?」と訊きますね。何も損はないんですね。だから家の子はよく働いてくれます。夜遅くまでようやります。率先して手本を見せてあげたいと思います。それが伝えたいことです。
 
西橋:  工房を見せて頂きましたけれども、何人ものお弟子さんたちがそれぞれの持ち場に坐って一生懸命やっておられましたね。
 
松本:  ああいうのを見ると、ある意味でわくわくしますね。こいつこんなの生まれたな、とか、こいつこう直してあげられたらいいかなあとかね。作品というのは、出来たものの評価も大事ですけれども、できるまでの評価のほうが大切だと思っていますから、「出来方が一番大事だ」という話をします。出来る過程が一番大事なんです。出来たのはその結果ですから、それは良くても悪くてもできますからね。あかん時にはやり直しもできるものはやってしまいますし、できますけれども、過程は直らないですね、過ぎた時間だから。その時に正しい過程を踏んだ人がやっぱりよくなるんです。その基本になるのがやっぱり基礎なんですね。勿論体力もそうです。基礎体力がなかったらいかんし、すべて基礎ですね。
 
西橋:  この前、ちょうど刃物屋さんが来られました時に、みんなわぁっと群がっていましたね。
 
松本:  刃物を管理しなければダメなんですよ。だからいつも弟子にいうんですね。「こんな仏さんを制作させてもらって、お金の使い道を間違ってはダメや。刃物を買ったり、カメラ買ったり、本買ったりするのは楽しいでしょう。それから余ったものがあれば使ってもいいですけれども、一番先にそれがなかったら、人からお給金を貰えないよ」という話をします。「お給金を貰えるというのは、自分が一番仏師らしい腕だから貰えるんであって、飲み屋へ行って飲んだりするのが一番楽しいのだったら、それはあんた仏師の資格はない」という話をしますね。
 
ナレーター:  京都の街中に、松本さんの仏像を展示する美術館があります。二○○六年、昭和と平成に生きてきた仏師の証として、後世の人々に観て貰うために開設しました。館内には百八十体の仏像が展示してあります。
 

 
西橋:  非常に落ち着いた空気とちょっと楽しいような空気がありますね。
 
松本:  そうですね。仏さんというのは実は陰気くさいものではないですよ。だから華やかな仏さんもおられるし、ほんとにもっちゃりした仏さんもおられるし、ただ自分のやってきた歴史の中で、ここに置いてあるのが四十年前から制作したものが現在並んでいるんです。
 
西橋:  不動明王は守り本尊ですね。
 
松本:  そうです。私は酉年生まれですから、守り本尊になります。どうしても仕事で、なんか彫れと言われた時にはそちらのほうに目が向いていきやすいですね。
 
西橋:  こちらのは?
 
松本:  楠ですね。
 
西橋:  楠ですか。ちょっと赤い、
 
松本:  全部一木ですね。
 
西橋:  光背は別?
 
松本:  光背は別ですね。一木というのは本体を指すんですけどね。一つの木からなるだけ出してあげたい。木の中に住んでおられるんだから、要らんところだけ取りたい。それが中から仏さんが生まれてくる一瞬です。
西橋:  こちらは子安観音ですね。非常に穏やかな表情ですね。
 
松本:  そうですね。この作品はもっとも古くからやり出した時の一作なんです。こういうイメージから今のいろんな観音さんが生まれてきたんですね。原点みたいなところですね。
 
西橋:  そのイメージというのは、お顔ですか?
 
松本:  お顔も全体のところですね。雲の中から小僧さんたち生まれてくるでしょう。これは亡くなった弟のイメージがやっぱりあるんですよ。亡くなったら荼毘(だび)にふされます。水蒸気になりますね。そこからまたいのちが芽生えて、天上界から、観音さんから子どもさんを授かるという意味で、だから子安観音というよりは「子授け」という意味があるんです。天女、一番上の仏の手の上に載っている小僧さんが衣があれを止めちゃうんですね。天人になりますから。それぞれの家庭に入って行ける、って。だから順番にいろいろの子どもたちがそこの雲の間からいろいろなことを考えもって生まれてくるんですよ。
 
西橋:  衣ですか?
 
松本:  後ろ見ているから分かり難いんですけどね。「お前は観音さんの生まれ変わりよ」と言ってくれるんで。だからグローバルに言えば、人悉く皆兄弟という感覚の作品なんです。
 
西橋:  左手では頭を撫でていますね。
松本:  やっぱり賢い子だなあと誉めているわけですね。やっぱり誉められることによってその子どもが余計賢くなるんですね。あの子がこの中で一番賢そうな顔に彫っていると思いますよ。お利口さんですね。足の裏を掻いている子がいるでしょう。ああいう子なんてやんちゃな格好しているでしょう。後ろ向きの、そういうことを考えてやる。
 
西橋:  その辺は発想としては?
松本:  自分の思うストーリーを考えて、その通り手が動いていきますね。
 
西橋:  そういう意味では、仏さんを彫っていらっしゃるんですけれども、やっぱり人間の姿とどこか重ね合わせて、
 
松本:  そうですね。もともと仏さんというのは、すべて人間の姿をかりて化身されているわけですから当然そこにきますね。もっと美しい姿を考えれば、やっぱり童子だと思うんですね。子どもは可能性だってすべて秘めているんじゃないですか。どんな方だっていろんな可能性がありますよね。
 
西橋:  今ちょっとお手元に木の原材料がありますね。その上にあるのは?
 
松本:  これは弘法大師なんですけど、わざと上に置いているんです。この白檀の塊の上に「大師」と「六寸」と書いていますが、これは六寸の弘法大師が入っていますよ、ということですね。だからこの木を見た時に、これを最大限生かすには弘法大師以外にないわけです。ということは、ここでこうこれを置いてあげた時にはまったく無駄なくこうして入ってしまうんですね。
 
西橋:  ぴったりですね。
 
松本:  はい。だからほんとに無駄がなく、一番そつなく仕事が進められる大きさなんですね。だからデッサンは必要ないんです。デッサンすればそれに当て嵌めて素材を探してしまいますから。当て嵌めるんじゃなくて、そこに一番無駄なくその素材が生きる。逆に一期一会で一番生きるものに変化さしていくことが大事なんですね。そこにおられるんだから。
 
西橋:  素材に絵を描いたりは全然しないわけですね。
 
松本:  そうです。ここ(素材)に書くのはこの一本の線だけなんですね。
 
西橋:  中心線だけですか?
 
松本:  そうです。これ以外のことはしないんですね。
 
西橋:  でも彫りながら形を。これは小さいですけれども、もっと大きい材料があって「荒彫り」とおっしゃっていますね。どういうことですか?
 
松本:  そうですね。もう削っているんじゃなくて、もうほんとに化身に向かって、頭に向かって撫でているんですね。だからこそヘッドスピードが早くなって、あのような鋭く入っていく。
 
西橋:  すっと要らないところを落としていく。
 
松本:  そうですね。だから木に対して痛がらせないですね。僕が一番最初に師匠に「かじったようだ」と言われたことと一緒のことで、そうでなくて木のほうが切られて気持良く思っているというような感覚ですね。勿論リズミカルに同じ一定のリズムで切っていくんですよ。だから木が刻まれているんじゃなくて、ほんとに要らん埃を払って貰っている。逆に散髪している感覚のうちに仏が出来てくるのが理想的ですね、木に対してですよ。
 
西橋:  その時には自分の中に像が浮かんでいるわけですね。
 
松本:  そうですね。勿論進めていくうちに鮮明にわかりますね。一番最初というのはアバウトしかわからないんです。進めていくと、どんどんそれが鮮明に見えてくる。カメラのピントを合わしてピッと見える一瞬があるんですね。自分と仏さんと距離が一緒になった時にピッと見えますね。そうするともっと思い切って彫れますね。
 
西橋:  じゃ、最初から細かいところが全部見えるのではなくて、
 
松本:  絶対に見えません。確実に見えるのはこの中に六寸の弘法大師がおられるのは確実に見えますね。それを取って、要るところ要らんところは確実に見えますね。微妙な皺までは、深さまでは決まらないですね。
 
西橋:  それはピントが合った時に、
 
松本:  そうです。ピントが合った時に、どんどんピントが合っていくわけです。最初は、何センチ単位で取らないと時間が勿体ないですね。木に対してちまちましているといい作品に上がらないですね。その一例が、こういう作品なんですね。これは烏枢沙摩(うすさま)明王という仏さんなんですけども、この仏さんはこう取り出しますでしょう。三本足だから立つと言われます。これを抜くと、こうして置いてあげると、こうして立ってしまうんですね。
 
西橋:  片足で!
 
松本:  はい。これも同じことで要らんところだけ取れば立つんですね。決して後で立たせるように練習したわけではないんですね。
 
西橋:  立たすには、重さのバランスもある?
 
松本:  重さのバランスをとるというのは、足の太さ、左右の太さを同じだけの体力で、足がこっちへいっているわけじゃないので、それでちゃんと膝が出た分だけは、こちらの重さだけでバランスが合うんですね。計算して合わそうとしたら、こちら何グラムやるとか、手が細かったり太なったりするんで、そうじゃなくてほんとに人体を正しいスケールで作っていたら絶対これはできるものなんですね。だから逆にこの足がないほうが綺麗に立ちますね。下駄をはずすと面積が広いじゃないですか。なかった方がよく立ちます。素足のほうが面積が広くなりますから立ちますね。この足をもっとすぼめても立ちますよ。だからどの時もそうなんですけど、バランスが崩れたらいい仏さんにはならないです。例えばこれがひっくり返るものだったら拝んでいても危なっかしいじゃないですか。
西橋:  四十五年間、仏さん作り続けておられるわけですけれども、どういう仏さんを作りたいと思って、この四十五年間ずっと続けてこられたんですか。
 
西橋:  一つは、一貫しているのは―他のものも作りますけれども―仏像を作りたいということが一つの大きなテーマなんです。ほんとに自分が行きたい場所というのは正直まだ見えないんですね。ただ少しずつ縮まってはきていますけどね。それはこういうものはだんだん結集されていると思いますけどね。無駄のない動きであったりとか、余分な肉は付けないとか、余分に付けるんであったら、付けたものがどうなるかとか、例えば童子をいっぱい作っている中でも、子どもにどういう動きが与えられるかとか、そういう細かいところの積み重ねが一つ一つよくしていくんですね。だからそれぞれの仏さんの性格を知らなかったらできないんです。だから仏さんの性格はどういうことであるか。その性格を我々はどうして知るかと言ったら「感得」なんです。感じたものしかないんですね。誰も見たことないわけですから。自分なりに感得したものがどんどん変わっていくわけですね。例えば一番最初に僕が不動明王を作った時と、今では気持がまったく違いますね。不動の怒りに対しては、昔は恐ければいい、と。そうでなくて、人を怒る時にはこれぐらい怒ったら聞いて貰えるという限度というのがあるわけです。後は恐怖心になったりするわけなんです。その限度の範囲もだんだん年をいくと丸くなってきますね。だから「松本先生の作品のお不動さんを見た時に、恐いだけと違うな」と言ってくれるのは嬉しいですね。それは仏さんのご理解に一歩近づいていると思うんですね。若い時は、単に人よりうまく作りたいとか、いわゆるお不動さんというのは自分の頭の中では刀を持っていて強い修行をしているイメージがありました。それだけでは人を引っ張っていけない。だんだん丸くなるだけと違って、目的が変わりますね。受け止めてくれはる人の相をより広く受け止めるのが仏像なんで、修行している人だけが不動さんのところへいくわけではないんで、やっぱりお不動さんの力というのは、もっともっとグローバルな大きなものなんですね。だからこの人だけ助けてあげようと思っているものではないんです。だから勿論善人も必要だし、悪人だって必要になってくるようなものなんで、それの感性がだんだん積み重ねによって変わるんですね。不動明王だけ彫るだけではうまくならないので、そこで子ども彫ったり、観音さん彫ったりすることによってニュアンスがあちこちから入ってきて、優しさがまた別の角度で出てきたりとか、膚一つの優しさを表現できます。不動さんは昔はきゅっと筋肉が出ていたんですけど、やっぱりお経に書いてあるみたいに「童子形に彫れ」と書いてありますから。でも施主が「やっぱり大きい筋肉入れてくれ」と言われたら入れるんですよ。それはその人が求めているものも大事なことなんで、その人の求められたものは切り捨てることはしませんし、「私の不動さんはこんなにしてほしい」と言われたら、こっちは職人ですからその人に見合うものを作るのも職人です。だからこそ自分は自分の思うものも作らせてもらうし、技術的には求めはった人に一番満足して貰いたい。でなかったら拝まれる方が「嫌や嫌や」と拝んで貰っても決していいことはないんです。例えば、「自分の子どもを先に亡くした」と、私の母と同じような方が来られるわけですね。そして写真を見せられて、「この子と似た雰囲気にしてほしい」と言われる。この子の通りに彫ったら仏にならないので―仏さんでないのだから―でもこの顎のところはちょっと採り入れましょうとか、このラインが非常にいいので仏さんに近いものがあるので、それを採り入れて彫ってあげたら、ひとしおその人のいいものになりますね。そうせんと、その人の顔を作ってあげたんでは、そのお母さんの時は仏さんと拝まれますけれども、そのお母さんが亡くなったら、もう誰もイメージがないわけですから、単に「おかしな顔をした人間臭い仏さんやな」と言われて大事にされんかもわかりませんね。そうじゃなくて、その人の思いを何でも受け止めようと思えば、そこへ織り込むことは出来ますけれども、そのものにはできないんですね。それぞれの悲しみを織り込んであげることはよくします。それが僕の大事な仕事なんです。まして人の心を救えるわけなんですから。人を亡くした人としては何が悲しいかといったら、それ以上の悲しみないわけですから。お金落とした、家を焼かれたり、いろいろ悲しいことはありますが、自分の子どもを亡くすことがもっとも悲しいことなんです。
 
西橋:  その悲しみを織り込むということは、松本さんの原体験の弟さんを亡くした悲しみを、とにかく仏像(仏さん)という形で彫り続けたところと同じ?
 
松本:  同じです。だから織り込むことは乗り越えることになるんですね。乗り越えなかったらいつまでも引きずってしまうんですね。特に亡くなった息子がここにおるんや、というので拝まれますね。そうするとこれによってその奥さんは寂しくなくなりますね。心が穏やかになります。それは亡くなった弟さんとか、息子さんたちが喜ぶことですね。僕の母もそうですけれども、毎日弟の前で泣いていましたね。それが泣かなくなりましたね。そのこと自体弟も喜んでくれると思うんです。悲しみというのは必ずそういう乗り越えるものがなかったら乗り越えられないですね。それに手助けができるというのは非常に嬉しいですね。
 
西橋:  ありがとうございました。
 
     これは、平成二十年四月十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである