わたしを導いた言葉
 
                         托鉢者 石 川  洋
昭和五年栃木県うまれ。十七歳の時から、西田天香の薫陶を受ける。戦後は、カンボジア、タイ、韓国など、アジアでも救援活動に参加。現在は、一托鉢者として、教育や福祉の分野で奉仕活動をしている。
                         ききて 金 光  寿 郎
 
ナレーター:  冷たい冬の水を集めて流れる京都鴨川。桃の節句が近いとは言え、春の訪れを実感するにはまだ少し早い二月の末、山科(やましな)の一燈園(いっとうえん)に長くおられた石川洋さんをお訪ね致しました。山科の一燈園は、西田天香(にしだてんこう)(一燈園の創設者:1872-1968)さんが明治三十五年に創設した托鉢奉仕の行を行う修養団体で、全国の道を求める人々に大きな影響を与えました。石川さんは天香さんの最後の愛弟子です。石川さんは、昭和五(一九三○)年のお生まれで、十七歳の年に人生の悩みを持って、七十六歳の天香さんを訪ね、そのまま一燈園に入園しました。それから六十年経ち、今は独立して托鉢奉仕の生活を続ける石川さんには、その生き方に共感を持つ人々が全国におられます。今日は、そのお一人が経営する京都の吉田山山麓の吉田山荘の一室で石川さんの人生を支えた言葉についてお話をして頂きます。
 

 
金光:  私の若い頃は、「言霊(ことだま)」とか、そういう言葉の持つ力というのを随分大事にしている時代があったんですけれども、現代はだんだんそういうのが薄れて、本来の言葉の強さみたいなものが失われてきているんじゃないかと思うんですが、石川先生の場合、これまでの長い人生を歩いてこられて、その中で「こういう言葉があって、何かの時には非常に役にたった」というようなご経験もおありではないかと思うんですが、今日はその辺のお話をお伺いしたいんでございますが、
 
石川:  ありがとうございます。
 
金光:  お小さい頃の印象として、「こういう言葉があります」というのを、何かそういう出来事があったら、その辺からお話を聞かせて頂けませんでしょうか。
 
石川:  はい。今おっしゃって下さったように、私たち人間というものは、言葉も知らないし、喋ることもわからないでこの世に生まれてくるわけです。言葉というのは「母国語」という言葉があるように、やはりお母さんとかお父さんから聞かされる言葉というのは、私はその子の一生をつくりあげるのではなかろうか、と思いますね。ですから、「母国語」という言葉、お母さんの言葉だという重さ。そのお母さんお父さんの言葉は、ご先祖の言葉でもあるし、もっと言えば我々にはわからない宇宙の、私たちに発信してくださるものが実は奥深く宿されているのではないか。我々何もわからずにこの世に生まれるわけですが、そういう不思議なお導きで気付かせて頂いているというのが、それが言葉の持つ大きな意味じゃないかと思いますね。うっかりすると言葉のために自分を台無しにしてしまうこともあるし、またその中からハッと気付いて光を見出すということさえあるわけでございますから、大変大事なことだと思っております。私は、父親と五歳で別れておりまして、父親のことはほとんど母から「あんたのお父さんはこうだよ」ということで聞いているんじゃないかと思うんですが、ただ父親の死に際の時だけは覚えているんですね。ですから、別れるというものがどんなに大切なものであるか。人間というのは、「別れということほど悲しいことはない」というけれども、別れがなければ人生は深まらない、と思っています。ですから自分の小さな言葉で、
 
     別れは人を深め
     出会は人に喜びを与える
 
ということをいつも心に留めておりまして、別れる時ほど人生を深める時なんだ、ということを思っております。父は医者をしておりましたものですから、死ぬ時期というものはそれなりに感じていたと思うんです。大変信仰心の篤い人でありまして、別れ際に私を呼んでくれました。四十五歳で四人の子どもを残すんでありますから、男は長男で私一人なものですから、思いが深かったと思うんですが、その時に、父は「私は死んで逝くけども、道というものは開かれている。だから信じてさえついてくれば、お父さんは先に逝って道を作っておくから、道は必ず開かれている」と言いました。この言葉は私の一生を支える言葉です。ですから、信じて疑わず、歩まして頂ければ必ず道は開けていく。自分に邪(よこしま)な心があったり、邪念(じゃねん)がありますと、道が見えないんですね。ですから、道の見えない時には自分自身の問題だというふうにしっかりと受け止め直すことが大事だと思っております。その父が今際の時に看護婦さんたちに手伝って貰って正座をしまして、そして周囲に集まって来ている近親者の人たちに、「魂というものはなくなるものではない。だから私は死んでいくけれども魂は生きている。だから永遠の別れということはないんだから、一つも苦しんだり、寂しがったり、涙をこぼすことはない」と、むしろ周囲の人に励ましを与えて亡くなって逝きました。最期の言葉が「万事OK」という言葉を言いました。それは四人の子どもを残して「万事OK」はないでしょうけども、それはどうでしょうか、神に委せる一生涯の感謝でないでしょうかね。「万事OK」と言って、座ったまま亡くなっていきまして、その姿は眼に焼き付いております。母親は田舎の造り酒屋の娘でございまして、同じ栃木県なんでありますけれども、古い造り酒屋なんですが、長男の方が学生時代からちょっと雑誌に論評を書く立場の人で、学校を出てから田舎の造り酒屋を継ごうという意志はないんですね。けれどもやっぱり家は継がなきゃなりません。でも自分ができなければ弟に財産を譲っていかなければなりませんから、そういう葛藤もあったんじゃないでしょうかね。そんな家庭問題がありまして、天香さんが大正時代に地方を随分歩かれてご講演をなさっておられますが、天香さんという方は、当時では珍しい方で、学生さんを相手に天香さんは師範学校とか中学校とか、そういうところにご講演に行って、お弟子さん方がその間にお便所の掃除をしておくというようなふうであったようでございます。ですから非常に若い人に影響を与えた方だと思いますね。田舎ですから泊まるところもございませんので、私の母の家にお泊まりくださって、その時にどこでも困ったことは口に出すもので、「実はこういう事情で、長男が遊びに帰ってくると落ち着かないようで、どうしたらいいでしょうか」という言葉を漏らしたんですね。暫く黙っておられて、天香さんが「おじいちゃんおばあちゃんでご心配でしょうけれども、人というものは一人では悪くならない=vと、それだけぽつんとおっしゃった。それをお茶を入れて接待をしている女学生でありました母親が感動をするんですね。今まで聞いたことがないことで、「兄さんどうしよう、家をどうしようか」ということばっかり考えて、自分たちのことを誰も言わない。その時に、「人は一人で悪くならない」と言われました。それを聞いて、女学校を卒業するとその兄さんを連れて一燈園に飛び込むんです。ですから、私自身は、一燈園に飛び込んだ、と思っているけれども、母親のそういう縁がありますのと、父親はほとんど海外で医者をした人で、天香さんがアメリカに講演に行かれた時に、「ボロ車であんたのお父さんはずっと前についてきたよ。あんたのお父さんのことを言いたいな」とおっしゃって、そのままでしたけれども。ですからどうなんでしょうか、我々は一人で生まれてきたと思っているけれども、やっぱり縁がなければいのちは頂けませんし、もっと大きな魂の世界には不思議な縁で、やっぱり導きがあるんじゃないかなあと思って、父母を尊いということよりも、また父母を生んでくださったさまざまな縁というものを、私は大事にしていかなければいけないな、ということを心掛けております。
 
金光:  五歳といいますと、「道が開けている」という言葉を聞いただけではちょっとその意味がわからないにしても、亡くなられる時の言葉というのは非常に鮮明に記憶に残っていて、おそらく後年も折に触れて思い出される言葉ということでございましょうか。
 
石川:  鮮明さは今よりも深いですね。やっぱり別れていく人は、遺言ということではなくて、道は開かれているという後の世界ですからね。これから歩んでいく世界に対して光を教えてくださったということは、私はその時の月の光まで覚えています。もう克明に覚えていますね。ですから早く別れたからどうのこうのということは絶対ないですね。とっても一生の私の支えだと思っております。
 
金光:  そういう五歳の時の非常に強烈な印象をもって、だんだん大きくなって、小学校中学校と行かれるわけですね。その後もいろんなそういう言葉との出会というものはおありでございましょうか。
 
石川:  私は非常に引っ込み事案でしてね、今みなさんにいうと、「出過ぎるんじゃないか」と言われるぐらいあちらこちら動いておりますけれども(笑い)、どっちかというと大人しい子でした。家の中で本を読んでいるような子でして、非常に母には心配をかけたんです。人間は不器用でございまして、自分のことをこう向き合ってしてきたような人間なものですから、小学校の時に二つの非常に大きな経験をしております。一つは運動会でビリから前に走ったことがないんですよ(笑い)。屈辱の運動会に行くのは嫌でしたですね。障害物競走というのは、最初に網を潜らなければならない。ハシゴを潜らなければならない。遅い者はどんどんと遅くなって、早い者はどんどんと早くなっていくんですね。学校を出るまでにビリからちょっと前ぐらいに出られんものかと思っていましたけれども、とうとうビリでした。それでも小学校四年頃かな、この屈辱を何とかならんかなということを思っていまして、パッと思ったのは、何でもないじゃないか。回れ右したら一番じゃないかと思った(笑い)。けど次の瞬間に、回れ右して一番とうそぶいているけれども、それは〈自分の負け惜しみじゃないか。それは自分自身を救うことでもなんでもない。元気づける言葉ではない〉と思ったんです。私はその時に、〈ああ、そうだ。大事なことは負けてもいいから、自分を偽らない。自分の新記録を出したらいいんだ。人様と競争するんじゃなしに、自分自身と闘う人間になろう〉という。それから非常に落ち着いたですね。それと、国語の教科書で「ウサギさんとカメさんの走り比べ」―世界一速いウサギさんが一番のろまなカメさんと走りっこしよう、という。日本の童話じゃなくて、イソップ物語なんですね。けれども、当然ウサギさんが勝って当たり前なんだけれども、「ウサギさんが途中で昼寝をして、夕方カメさんが山の向こうに旗を立てていた」という、国語の教科書で、「油断大敵」ということで教えてもらったと思うんです。私はその時に、〈これは違う〉と思った。それは〈強いウサギさんも油断をしたら、寝ることがあって、負けることがある、という教えてあって、弱いもののために、遅い者のために、どうしたらいいか、ということは、ここには書かれていない〉。私は、〈これは違う〉と思った。その違うと思った時に、学校の校舎は―ちょうど秋です―プラタナスの葉が枯れてキラキラと光る太陽まで覚えていますよ。その時に、私は小さな詩を創りました。
     遅れてもいい
     寝ているウサギさんを起こしてあげられる
     カメさんに私はなりたいな
 
遅いんだったら、人は一人では生きていけないんだから、遅いとか早いという競争じゃなくて、負けるか勝つかじゃなくて、ウサギさんが寝ていたら「ダメだよ」と起こしてあげられるカメさんになる人生もいいんじゃないかな、と思いました。これが私の一生のテーマですね。不器用で、人よりいつも劣っているようなことばっかりなんですけれども、むしろそういうことの中にある生き方というものがあるんじゃないか。人のためにお手伝いのできる生き方はむしろ負の遺産というのかな、強いとか素晴らしいということよりも、弱い人の立場に立てる人間であるか、という。
 
金光:  勝ち負けでないもう一つ違う世界が開けてきますね。
 
石川:  世界が開けてきますね。ところが十年ぐらい前かな、私のところに集まってくれる若い人から、来年の手帖―ちょうど手帳の出る十一月頃です―毎月の小見出しのところに名言が書いてあるんですね。そこに「こんな言葉がありましたよ」と言って、この詩が載っているんですよ。十二月のところにね。「遅れてもいい。寝ているウサギさんを起こしてあげられるカメさんに私はなりたい」と書いてあるんです。ところが名前に「洋」と書いてないんですよ。「聖者の言葉」と書いてあるんですね(笑い)。
 
金光:  そうですか。
 
石川:  「先生、いつのまにか聖者になっていますよ」と(笑い)。ところがこの言葉が後で聞いたら、中国語とかドイツ語とか英語とか、いろんなところに訳されているんです。みんな聖者の言葉になっているんです。ですから、私は勿論聖者じゃないけれども、やっぱり一つの生き方なんだな、ということを教えられて温めております。
 
金光:  そうなると、日常生活も姿勢が変わってきますね。
 
石川:  そうですね。ですから最初におっしゃったように、人間というものはやっぱり経験をしなければ自分は生まれてきませんから、経験というものは素晴らしい感動の経験もあるだろうし、実感としては辛いこと、淋しいこと、そういうことの中でどう自分を生きていくかという、そこでの経験というのが、どっちかいうと、感謝とか励ましとか、自分自身を見詰める言葉になるんじゃないでしょうかね。
 
金光:  石川さんは、昭和一桁のお生まれですから、小学校を修了して中学校へいらっしゃると、もう戦争ということになりますですね。
 
石川:  そうなんですね。私は一九三○年の生まれでして、一九三一年に満州事変があって、ですから戦争の時代をずっと生きてきたという青少年として、そういう歴史的には背景を持っていると思っております。小学校の時には、そういう時代背景というのはわかりませんでしたが、中学校になってくると、ちょうどシンガポール―その当時は昭南(しょうなん)と言っていました―陥落した年に中学校に入りました。ですから戦争ムードの時でございまして、実際には勤労動員で工場に行って、ほとんど学校に行かないというような時代でございました。私が中学校一年の時にはそういう実感がありませんでしたが、二年になって軍隊の学校に行く仲間も出てきますので、「お前も行かないか」というようなお薦めもあったりして、その時に私は一番心の中の大きな疑問というのか、あるいは苦しみといったらいいのか、解決がどうしたらつくのかなという、そのことで一番苦しんだことは、私と中国の青年とは戦う意志はない。アメリカやヨーロッパの若い人たちとも、私が殺し合う理由は一つもない。私の学校の近くには、宇都宮の刑務所があるんですね。その刑務所に近い中学校へ行っているものだから、仮に「正しい戦争だ」と言われても、人を殺したらやっぱり刑務所に入れられるんですよ。殺人ではないか。だから戦っている以上は勝たなければならないだろうけれども、何故私が殺さなければならないような相手ではないのに、国のためにお互いが戦い合うのか。運命というのは何なのか。あるいは生死というのは一体どういうものなのか。それがわからなければ、私は死んでも死ねないと思ったですね。だから学校の勉強なんか全然頭に入らなかった。そのことだけで、それはもの凄く苦しかったですね。戦争中ですから死んで逝くことはそれほど恐いことないですね。けれども、死ぬ理由がないでしょう。ですから、今、平和なの時代になって、「日本がどうだった」とか、「中国がどうだったのか」というのも大事な歴史の一つの見方であるけれども、私はもっと深いところで、戦争が残してくれたものは、勝った者も負けた者もみんな傷ついていますよ。勝って良かったなんていう国はないです、我々の時代でね。生きてきた者としたらみんな苦しんだ、傷だらけですよ、周囲の人から見ても。だから何としてでも人を殺すような時代をつくってはいけないというのは私の根底にありますね。解決しないです。その時にたった一回だけ臨時で教えに来てくれた先生がおったんです。先生方も戦争に行ってしまいますから臨時で来てくださった先生です。若い先生でしたから代用教員で来てくださったんでしょうね。数学の先生でしたが、数学は全然教えてくれなかったです。それは「私も君たちも歴史の歯車というものは、どうすることもできないで戦場に駆り立てられる。それにはその意味があるだろうけれども、私には意味がない」とおっしゃったんですね。「君たちの中に疑問があったら聞いてくれ」と。「歴史の歯車はどうすることもできないけれども、巻き込まれてはいけない。心だけはしっかりしなさい。抵抗しなさいということを言っているんじゃない」と。その時に芭蕉のお弟子さんの滝野瓢水(たきのひょうすい)の
 
     浜までは海女も簑着る時雨かな
 
という俳句を黒板に書いてくださいました。「海女というのはどうせ濡れるんだけれども、時雨が来て海へ走っていく。まあその途中濡れてもどうということはないけれども、時雨れていてもやっぱり浜に行くまでは大事に簑を着て自分を守っていかなければならない。死ぬ時には死ぬことに対してやっぱり穏やかに、そして綺麗に死んでいかなければいけないけれども、死ぬまでは生きることを大事にしなさい。それが大事な覚悟なんだ」という。私は生きる覚悟ということを大事にしています。
 
金光:  今おっしゃった生き死に―生死の問題、それから運命ということは、いつの時代にとっても大きな大事な問題だと思いますが、それからの歩みの中で生死問題、あるいは運命ということについてのお考えもだんだんと決まってくるんではないかと思います。で、戦争は中学校で終わり、
 
石川:  終わりました。で、一年間学校に復学致しまして、それからどうするかなんですね。おっしゃって下さる通りなんですよ。いい学校でしたから、一生懸命勉強して、上にあがるのは今よりも程度高いですからね。しかし、私は将来が見えないんです。戦争は終わったけれども、これでいいんだろうか、と。戦犯は出てくるけれども、この十人や何人かの永久戦犯の人たちによって私は苦しんできたんじゃないか、と。何故人を殺さなければいけないのか。人間の根元にあるものは一体何なのか。もっと言えば人間の罪ですね。だから勉強なんかできないんですね。母親が昔言ったことがありますが、「父は結婚するなら一燈園の人と結婚したいという願いがあった」そうです。ですから不思議なご縁ですね。だから自然に私の運命というのか、お導きがあったと思うんです。実は京都に来て、同志社に入って神学校に行って牧師になろうという思いを持っていたんです。それで大学予科に入るために京都に試験を受けに来たんです。私の心の中には、一燈園に行きたいな、天香さんにお会いしたい。そしてこの苦しみを聞いて頂きたい、という思いがある。それで試験会場を見せて頂いて、私は次の日は試験を受けに行かないで、そのまま一燈園に行ったんです。普通なら天香さんは、若い私に会うよりも先輩に会わせるんですが、まあ母のことを知っていますので、孫が帰ってきたような気持でお会いくださったんでしょう。話を聞いてくださいました。その時に黙って一対一でお聞きくださった。
 
金光:  大分いろいろと述べられたわけですね。
 
石川:  はい。私の苦しみを全部喋りました。私は毎朝黙って早く出て、郊外の森の中に入って、「どうぞ戦争はなくなって、人を殺すような時代がなくなりますように」と言って祈っていました。それが私の日課でした。だから私にとっては真剣勝負なんですね。そういう苦しみをどうしたらいいのか。私はこれからどう生きていったらいいのか、ということをお尋ね致しました。一言もおっしゃらずに黙って聴いて、その後で天香さんが、「あんたの言ったことは間違ってはいない。大事なことだ」とおっしゃった。私は今までこれほど吸い取り紙のように私の言葉を聞いてくれた人はいない。「そんなことしていたらどうするんだ」とか、「そんなことうっかり喋ったら大変だぞ」ということを友だちや先輩に言われ、周囲の人に言われながら、私は母には言いませんでした。でもこの人は黙って聴いてくれて、「あなたの言っていることは間違いはない。大事なことだよ」と言ってくださった。天香さんはどんな人なのか、パッとそれだけでわかりました。私はこの人に生涯ついていこう、と思った。だから若い人が問題を持ってきても、私は聞くことは、「あなたの言っていることは大事なことだ」と信じてあげること、私はそれだけでいいと思うんですね。後は自分の問題ですから。これは天香さんとの私のほんとのいのちの劇的な出会ですね。そしてポツンとおっしゃってくださった言葉は、
     偉くならなくてもいい
     立派にならなくてもいい
     人間というものは人のお役にたつ人になることである
 
とおっしゃった。これはいい加減なことをしない。学校なんかに行くことではない。偉くなったり、立派になろうと思っても、私はなれないだろうし、それよりも人のお役にたつ托鉢者になることが大事なんじゃないか。ちょうど天香さんのお部屋に行くまでに、若い人たちが粗末な服装を着て、山から木を切り下ろして庭先で薪を割っていました。その時にハッと感じたのは、私はどうして生きていったらいいのかと苦しんでここにきたけど、この薪を切っている青年たちは、今日死んでも大丈夫。どこが違うんだろうか。私は真剣に求めて苦しんでいるけれど、この青年たちは、今日死んでいく安らぎを持っている。どう違うんだろうか。私はそのことを天香さんにお尋ね致しました。そうしたら天香さんが、
 
     求める心は淋しい
     捧げる心は豊かである
 
とおっしゃったんです。「私の弟子になるなら今日から自分を捧げなさい」とおっしゃってくださったですね。私は畳に額を付けて、「お願いします」と言って、その時の畳の目まで鮮明に覚えています。天香さんが十七の青年を「よろしい」と言える内容じゃないでしょうけれども、「預かろう」と言って、私を抱き抱えてくださいました。これが天香さんとの私の出会です。私は父母からの縁でもあるし、生まれ変わり生まれ変わっても師匠との縁を繋いでいきたいと思っています。
 
金光:  そうしますと、要するにそれまでのいろんな悩みみたいなものは吸い取って頂いた感じでしょうか。
 
石川:  そうですね。別な言葉で言えば、今七十八歳ですけども、「偉くならなくてもいい。立派にならなくてもいい。人間は人のお役にたつ人になることである」ということは、その時ストンと落ちて、それからは何の人生迷いもないですね。自分の至らなさとかいろんな人との出会でのいろんな問題はありますけど、それは日常起きてくる問題ですが、生きる一本の道は変わらないです。弘法大師の言葉に、「発心即到る」という。発心を起こしたらすぐに到るんだ、という凄い言葉ですけど、私にはそういう感じがしています。
 
金光:  で、もうその場で、天香さんの一燈園の行の生活に入られるわけですか。
 
石川:  そうです。もう学校辞めて行きませんでしたから、それでそのまま見習いみたいなもんでしょうけども、同修の末席に加えさせて頂きました。
 
金光:  私なんか聞くところによりますと、一燈園では下坐行(げざぎょう)ということでお便所の掃除をして歩かれるそうですね。早速そういうこともなさったわけですか。
 
石川:  そうですね。日常いろんなご奉仕もございます。私が一番教えられたのは、天香さんとご一緒に随行して―随行するというのは一番いい勉強なんですね。
 
金光:  一緒に掃除されるわけですか。
 
石川:  勿論そうです。天香さんの傍で天香さんのお手伝いお世話して、そのうちに天香さんからいろいろ教えて頂く。師匠と弟子との繋がりというものは、お世話をしながら教えて頂くことですから、こんなに素晴らしい機会はないんですね。若造の私を連れて行ってくださるということは、最後の弟子になるものですから大事にしてくださったと思うんです。伊勢の方に連れてくださったんです。山科駅で電車が出るまで時間があるものですから、駅の前を掃いていたんです。それで京都駅で乗り換えの京都駅の時間もわかっていましたけど、うっかりしていて、天香さんは先に行ってしまって、私は間に合わなかったんです、掃除するのが一生懸命で。京都駅で一緒になった時に、天香さんが「今日、あんたは少し間違っているな」とおっしゃった。「汽車が来るまでの時間がわかっている。五分という時間、十分という時間がある。その間にどういう掃除の仕方をするかということを決めなさい。箒を持たんでもいい。三分でもできる。素手でゴミを拾うということだけでもできる。言うならば自分が何かをするんじゃなしに、お役にたつにはどうしたらいいのかという、自分を練れ、天下国家を預かる時の器量を養え」とおっしゃられたですね。ただの哲学じゃない。自分を練らんといかん。そして会場に着きましてから、まだお饅頭なんてない時代でしたから、お招きくださった方が手製の饅頭を作って集まってくださる座談会の席にお出しくださいました。天香さんが一つ召し上がって、次ぎに私にきました。でも人数を見ると、お饅頭が足らないんです。私は食べていいのかどうかなと思って思案していたんです。すると天香さんが私の耳元にそっと、「ここでの遠慮は意味がないな」ときつい言葉をおっしゃられたんです。「次の人が待っているんでしょう。お役にたつということは全体を見ることだ。あんたは自分しか見ていない。自分を捨てなさい」とおっしゃった。これは一生の公案ですね。そういうことが一緒についていくと教えられるんです。
 
金光:  足らないからという、周囲を見ているから遠慮した、というふうにちょっと思いますけれども。
 
石川:  思いますけれども、やっぱり自分しか見ていない。「全体を見て、食べてもいい、食べなくてもいい、自分のことは後回しにせ」と。結局そういうことですね。「自分のことは後回しにしなさい。私はそういうわけにいかない。あなたはついてきたんだから、最初から後回しという姿勢を前に、きちっと心掛けていきなさい」ということですね。
 
金光:  要するに、自分をどうしていくか、という。 
 
石川:  そうなんですね。ずっと亡くなるまで細かいことを教えて頂きましたですね。
 
金光:  「でも」という言葉をつけて申し訳ないんですけれども、やっぱり自分中心に考えて生きているような気がするんですね。
 
石川:  そうなんですよ。ですから大事なことは、大きな祈りとか願いとか、それから志というのは大事だけれど、その志を達成するためには自分を磨いていかなければいけないんですね。それは死ぬまで見極めなければならない実践勉強なんじゃないでしょうかね。
 
金光:  そうしますと、下坐行をどれぐらいしなさいというのは、一人で決められるわけですか。
 
石川:  その頃「全国のお便所掃除をしましょう」という一つのテーマが出ました。私は、「栃木県を担当さしてほしい。自分の県ですから」と申しましたら、「あ、それはけっこうだ。けれども一遍にそんなことできることじゃない。一つこれだけのことをきちんとしなさい。一人で一ヶ月に一千軒のお便所の掃除をしてきなさい」とおっしゃってくださった。
 
金光:  一人で?一ヶ月に一千軒!
 
石川:  出来っこないですよ。
 
金光:  これは公案みたいなものですね。どうやればいいのか。
 
石川:  それしかおっしゃらないですからね。「一ヶ月に一人で一千軒をやってきなさい」。これは師匠の公案ですよ。出来ても出来なくても言われたことはしなければならない。出来るからするんじゃないですよ。出来ないから止めるわけじゃない。自分の家へ行ってしまったら崩れますから、自分の家に行かずに、一燈園の雑誌を取っていらっしゃるご婦人のお家にお伺いをして、荷物を置かさせて頂いて、路頭ですからご縁があったら泊めて頂いて、食事を頂いて、という修行ですから、生かされています。けれども「一人で一ヶ月一千軒」ということが頭から離れないですよ。滅多に出来っこないです。でも天香さんが言っている意味があるんです。ところが一週間ほど過ぎましたら、隣の村の村長さんの娘さんでしたが自転車で来てくださって、「京都から変わった修行をなさる方が来られて便所の掃除をしていらっしゃる。一遍見て来よう、と。ニコニコ笑ってやっていたら本物だから、ついて行こう。苦しい顔をしていたら偽物」と思ってやって来られたんですね。たまたま大田原(おおたわら)というところで、神社があって、そこには綺麗な水が流れているんですよ。その水を汲んでお便所の掃除をしていた。気持いいですね。多分ニコニコしていたんじゃないんですか。娘さんの心がニコニコ見えてくださったのかも知れませんが、これは本物だと思ってくださったんですね。それでその人が自転車を置いて、お便所の掃除に入ってくれたんです。その人が入ってからお坊さんとかお商売人さんとかお医者さまの奥様とか二十人ぐらいの方が一週間ぐらい参加してくださるようになったんです。私、今、一ヶ月で二十人の同修を集めるなんていうことはできない。けども、どうしても一ヶ月に一人一千軒しなければならないという大願をしっかり自分の心に焼き付けて、これはどうしてもしなければならない。志は達成しなければならない、その願いが導いてくださったんだと思います。
 
金光:  それで結果的にはできたわけですね。
 
石川:  出来ました。その後で、天香さんが「万灯になる」ということを教えてくださいました。一つひとつ教えられました。その頃は二百五十人から三百人ぐらいの先輩ばっかりで、どうしていいのかわからんほど行き詰まる時もありましたけど、その時天香さんが、私に、「あのな、角(かど)のない小さな石になるな。角のある大きな願いを持つ、大願をもつ石になれ。大願さえあれば、角は自ずからとれる。大事なことは小さなことに拘るな。大きな願いを貫け」とそうおっしゃってくださった。なんか天と地の違いのわかるほど大きな衝撃を受けた言葉だったんです。ちょうど頃を見ておっしゃってくださった言葉です。
 
金光:  下坐行というのは、毎日ずっと続けていっていらっしゃると、その中でいろいろの行動から教えられるということができますでしょうね。
 
石川:  そうですね。自分自身も教えられ、相手もそれで気付くという、両方とも自分の知らなかった本当の自分に巡り会うんじゃないでしょうかね。「足の裏が光る」とおっしゃっています。私がクリスチャンから入ったものですから、天香さんは、「聖書はな、足の裏で読め。仏典も足の裏で読むことだ」ということをおっしゃってくださったですね。
 
金光:  実行なさっていらっしゃる中で、そういう聖書とか仏典の意味がわかってくる?
 
石川:  それと捧げる光でしょうね。それは学問もいらんのだよ。何にも立派でなくでもいいんだという。真心をもって自分を捧げることだという。
 
金光:  そうすると学校なんかで教わるのとも違った知恵と言いますか、人生の味わいみたいなものがわかってくるわけですね。
 
石川:  そうですね。日本の魂の中にはずっとそういうものが底辺にあるんじゃないでしょうかね。学校は知識が中心ですからね。私はそういうことをいろいろと学びながら、あまりにも大きな感動とか喜び感謝というのはあるんだけれども、同時に自分で自分をしっかり見詰めないといけないな、というものと、二つございましたですね。一つは「日常訓」というものを思っていました。
 
金光:  「日常訓」を書いて頂いていますので、それをちょっと拝見しながら、







 

  日常訓(一日生涯)
一、三人交われば必ずわが師あり(孔子)
一、苦しみや行きづまりは成長のメッセージである。
  (失敗を敗北にしてはならない)
一、人生のノートはぺらぺらとめくらず一枚一枚めくること
一、自分の人生の辞書は自分の言葉で書く

 
石川:  一つは、「三人交われば必ずわが師あり」
これは孔子の論語の中に出ております。孔子は生い立ちが我々よりも苦労なさった方で、学校にも行っていないですね。友だちもない。けれども誰かには会う。ただ一日三人の人に会ったら三人の人から必ず学べるという。私は「一日三学」と決めました。三人の方に学ぶ姿勢をしっかりしよう、と。自分の問題ということをはっきりしなければいけない。
二つ目は、「苦しみや行きづまりは成長のメッセージである」
人間というものは、特に私の場合は失敗の連続のような人間ですけれども、「失敗ということは大変な経験であって、失敗を敗北の経験にしてはならない。失敗したからということを敗北の原因にすることほど惨めなことはない。我々の成長はいつでも失敗の積み重ねの上にある大事なことなんだ」と若い人によく言うんです。ただ残念なことは、今の時代は成果主義というのか失敗をすることは許されない。進んで自分の人生に向き合う自分の経験しか自分を伸ばしてくれない。
 
金光:  これでダメだと思う必要ないわけですね。向こうから新しいスタートができると。
 
石川:  そうですね。
三つ目は、「人生のノートはぺらぺらとめくらず一枚一枚めくること」
十代の時は長い人生だと思う。八十だとか九十なんていうのはページを捲るだけでも大変だけども、人生というものをペラペラ捲ってしまったらそれで終わり。いつの間にか過ぎてしまって、ああ、若い時こんなことをもうちょっとしたらいいのに、と、みんな振り返って後悔する。だから一ページ一ページを大事に読むこと。人生のノートはペラペラ捲らずに一枚一枚をしっかりめくること。一日一日をどう生きるかということが大事だ。
 
金光:  「一日生涯」と書いてありますね、そういう意味ですね。
 
石川:  はい。「一日生涯」ですね。「一期一会(いちごいちえ)」という言葉がありますが、私は自分の言葉として、「一日生涯」ということにしているんです。それから、今日死んでも悔いないというものだけはきっちりしておくこと、それが一日生涯だと思うんですね。
四つ目は、「自分の人生の辞書は自分の言葉で書く」
すべて人に教えて頂いていることってありますが、私はこう受け止めて、私はこう自分で今自分の信念を、導きを頂いたという、自分の言葉で書くこと。
 
金光:  そうすると、三人交わって、三つのことを学んだら、それを自分の言葉で書く。
 
石川:  はい。ですから、一生涯自分の辞書を作ろう、と。人に見せるものではないから、それが私の人生テーマです。
 
金光:  そういうことも日常の下坐行を実行なさっている中でだんだんと気付いていかれるということでしょうか。
 
石川:  そうですね。そういう意味では天香さんが教えて頂いた大事なことでもあるんですが、私の受け止めさせて頂いた中で、五つのことを原則に思っています。







 

 行願(下坐行)五則
一、裸になること
二、無一物を修する
三、選ばない
四、頭を下げる
五、万人、万家のしあわせを祈る

 







 
一番目は、「裸になること」
人間というものは自分で自分を着飾っているものがあります。
 
金光:  便所掃除するというようなことは、着飾っていたら出来ませんですね。
 
石川:  出来ませんね。一番質素な格好をするんですが、便所掃除を初めてやる人で、名刺を渡す人があるんですよ。そういうものは全部捨てること。着飾るものは全部捨てること。私は至らない者ですよ、という。生まれたままの自分になることですね。それが大事なことで、裸になり切ること。ですから心の垢を落とすこと。
二番目は、「無一物を修する」
無一物になることですね。人間はポケットに百円でも入れて置いたら、これでパンが買えないかとか、一日百円に迷います。人生はあるものに迷う。百円持てば百円に迷い、千円持てば千円に惑わされます。天香さんが教えてくださったことは、「だんだんと人間は、毒が薬に見えてくる」とおっしゃったですね。
三番目は、「選ばないこと」
これは一軒一軒歩いて行くと入りやすい家と入りにくい家があるんです。入りやすい家と入りにくい家というのは、分かり易く言えば、十人行けば十人とも違うんですよ。私の入りやすい家は友だちにとったら入りにくい家。それは自分のとらわれです。ですから分かり易く言えば、選ばないこと。もうここからここと決めたら、入りやすくっても入りにくくっても大事なことは自分を捨てることです。それを捨てないと一日どこにも入れないです。選ばないこと、逃げないこと、ということが大事です。
四番目は、「頭を下げること」
大願を持ち、志を高く持てば、頭は自ずから低くなる。だから頭を下げられないのはやっぱり高い志がないからでしょうね。捧げるということは大きな願いですから、そのためには下僕になり切ることだと思いますね。
五番目は、「万人・万家の幸せを祈る」
四番目までは自分の誡めですが、五番目は人に対して真心。マザー・テレサ(カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者:1910-1997)は、「大きなことをすることではない。立派なことをすることでもない。大事なことは、今、目の前にある何でもない小さなことにどれだけ愛が込められているか。どれだけ真心が込められているか。大事なことはそれだけです」とマザーにお会いした時にそうおっしゃいました。あ、天香さんとご一緒だな、と思った。だから大事なことは万民万家のお幸せを祈って真心を尽くせるかどうか。お商売人だったら店を大きくすることによってみんな潰れるんですよ。大事なことは今どれだけ真心が尽くせているか、ということをどう守るか、ということじゃないんでしょうかね。私はそれが自分の誡めとして守らして頂いております。
 
金光:  ということは、自分がどうなるか、ということだけではなくて、人様に何ができるかという、
 
石川:  仏教では「菩提心」と言いますけれども、人のために何がお尽くしができるか、ということが、初めで終わりなんでしょうね。
 
金光:  ただ「自分を変える」ことはわりに今日から変わろうと思いますけれども、「人様に変わってもらう」ということは難しゅうございますね。
 
石川:  ですから、これは人に変わってもらうことではなくて、自分が変わることによって、人はそれによって気付かせて頂くきっかけになるんじゃないでしょうか。与えられるものではなくて、その人も持っているんでありますから、お出会をすることは、その人の持っている菩提心を拝まして頂いたらいいわけですから、それを頭を下げて拝まして頂くということなんだろうと思うんですね。
 
金光:  どこかに書いていらっしゃいましたが、「自分中心の生き方というのは泥の船のようなものである。他の人のためにというと、それが祈りの船になる」というような表現をされていましたですね。
 
石川:  私は、講演会に呼ばれて、人よりもほんとに倍近くあちらことら飛び回ってご奉仕させて頂いてきましたが、ちょうど四年前に倒れまして救急車で運ばれたことがあります。七日でもう山がきて終わりになるんじゃないかという状態でした。その時にやっぱり無理だったなあという。そこまではいいんだけども、あの階段上るのは登り切れないで休み休み上って、あの時の無理がきたんじゃないかなあという。四方八方から自分を責める。あの時があったからだよな、という。やっぱり自分自身を自分自身でどんどん落ち込んでいく矢が八方から責めるんですよ。それが苦しかった。誰でも人生は崖っぷちがある。崖っぷちから落ちますよ、必死に堪えているけどね。明るいもの出てこないでね。そういう自分を責めるものばっかり。もう七十五になって、そういう声しかでてこない。けど、これじゃおかしいなと思って、私は一遍土の中に潜ろう、と。それで病室のドアに「面会謝絶」と書いてあったところに、「ただ今さなぎ中」と書いて、一遍土の中でさなぎになろう、と。そうしたら恩が見えるんですよ。限りなきご恩が見える。余所の病棟の患者さんが、変わった人がおるもんだと噂を聞いて、「土の中はどうですか?」と言って訪ねて来るんです。「温かいですよ」とお応えするんです。蝉は自分で土から地上に上がるんじゃなくて、土から押し出されるんだな、と思いました。そう思った時に、今まで自分に向かってきたような矢が、反対に矢がいくんですよ。そして崖っぷちに花が咲いているんですね。その時に、自己中心の小さな船からお役に立とうという、またご恩がわかって、自分のこの歳になって、改めてお役に立つ人間になろうと思った瞬間に祈りに変わったんですね。それから私は今まで歩んできた、違った新しいエネルギーに満ちています。
 
金光:  「祈り」というと、私なんかだと、「何々してください」という祈りになりがちなんですが、そうじゃなくて、外向きのお役に立つ、
 
石川:  お役に立つんだという祈りですね。そしてみんなが私のために祈っていてくださる。祈れば祈ってくださるものが見える。仏を拝めば仏さんが祈ってくださっています。それがこの頃わかる。それが尊いですね。何の心配もない。それが父が教えてくれた「道は開かれている。信ずれば道は開かれている」。向こうからきちっと教えてくださり、導いてくださるものがあるという。自分の一生じゃなくて、人間は人間としていのち頂く時からずっといのちが続いているわけで、楽しい。心の縁はなくなっても、魂はなくならない。そういうなんか別なエネルギーを頂いたような気がして、感謝をして、これからが自分の勉強だと思っております。有り難うございました。
 
     これは、平成二十年三月二十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである