弱き立場の人々に学ぶ
 
                    カトリック司祭 本 田(ほんだ)  哲 郎(てつろう)
一九四二年生まれ。一九六五年上智大学を卒業し、カトリック教会フランシスコ会に入会。一九七一年司祭叙階。一九八九年より大阪あいりん地区(釜ヶ崎)で労働者の支援活動を続けながら聖書の見直しに取り組んでいる。著書に「イザヤ書を読む」「小さくされた者の側に立つ神」「釜ヶ崎と福音」ほか。
                    ききて     西 橋  正 泰
 
ナレーター:  大阪市西成区のあいりん地区。かつて釜ヶ崎と呼ばれたこの街にはおよそ二万人の労働者が暮らしています。この街の人々は今もここを釜ヶ崎と呼んでいます。カトリック司祭本田哲郎さん。本田さんはこの街にある労働者支援施設「ふるさとの家」で生活相談や支援活動を続けながら、「労働者の」と名付けたミサを毎週日曜日の朝に行っています。本田さんがこの街で暮らすようになって間もなく二十年、街の人々と生活を共にすることで、キリスト教の教えや聖書の言葉の本質が見えてきたといいます。
 

 
西橋:  今日は日曜日で、ミサが朝九時からでしたね。見せて頂いたんですけれども、本田さんはそのTシャッツ姿で、それでサンダル履きで、神父さんのあの厳かなスタイルとはちょっと違いますね。それは何かやっぱり意図がおありになってですか。
 
本田:  はい。普通教会では、ヨーロッパ、アメリカ、日本、どこもそうですけれども、私たち司祭というと、ほんとに小綺麗な、しかも祭服というものを着込んで、一般庶民の生活と一歩越えたところから、みんな関わって、神様はこんなふうにみんなと繋がろうとしているということを、徴(しるし)としても表そうという、そういう魂胆が宗教の中にはある筈なんですね。私も神父になろうと思った時、みんなを超越したような立場で働くことに憧れて神父を目指したんですけれども、だけど聖書を学んでいけばいくほど、イエスさんはどうもそうではなかったみたいで、多くの貧しい人たちがイエスになんか違うものを見いだしてついていったという感じですね。そのポイントはリーダーシップをとる偉大な宗教者だからというよりも、「誰よりも痛みをわかる存在だったから」という、聖書に書いてあるのは、そこ一点なんですよ。それでイエス自身がユダヤ教の文化の中では差別された生い立ちでしたし、差別された生活を送るしかなかったし、そしてもっとも卑しめられる状態で、十字架の上で処刑にされて犯罪者として死んでいった。そういうイエスがなんで神々しいスタイルで人を導いたというようなイメージを教会は持たせてきたんだろうか。それに対して疑問を感じて、それでさらに聖書を詳しくみていくにつれて、釜ヶ崎のこういう環境の中で、ほんとに労働者たちが信頼を持って関わっている私らの先輩たちが、みんな格好をつけないというか、立て前に拘らないというか、そういう生き方をしているのに気付かされて、あ、そうなんだ、司祭だからと言って、特別な格好をして惑わすようなことはかえって良くないんだということに気付かされて、ごく普通に釜ヶ崎にいる時着ているそのままで、ミサを捧げたほうがいいんだな、と、そんなふうな思いです。
 
西橋:  さて、本田さんは、お生まれは一九四二年(昭和十七年)、ちょうど戦時中ですよね。台湾でお生まれになって、三歳の時に、戦争が終わってから鹿児島県のご両親の故郷の奄美大島へ引き揚げて来られた。
 
本田:  そうです。
 
西橋:  ご両親はクリスチャンでいらっっしゃったわけですね。
 
本田:  ええ。私で四代目ですから、曾祖父がクリスチャンになった時代ですね。
 
西橋:  そして中学時代ぐらいから宗教者の道に進むんだという決意がおありだったそうですね。
 
本田:  まあ決意はあったんでしょうね。でも、その経緯はちょっと変わっていて、子どもの頃から親の教育とか親の願いも後押しして、ということだったと思うんですけど、中学一年の時に―その時は既に埼玉県の浦和に引っ越してきていました―昔から知っているカナダ人の神父さんが、「哲っちゃん、横浜へ行きたいか?」と訊くんです。外人なんですがね。〈横浜、あ、格好いいな〉と、そんな感じで、遊びに連れてくれるんだと思って、「あ、行きたい」と言ったら、「じゃ、行こうな」と言ってね。それで何日か経って行った。後からちょっとお話聞いてみたら、「横浜に司祭の、子どもの養成所というか、志願院(しがんいん)が今度できるから、そこの第一期生として行こうな」という話だったわけですね。
 
西橋:  将来、司祭になるべき子どもたちを教育するところですね。
 
本田:  そうです。学生寮みたいな。で、内実がわかったけれども、別に嫌だとも思わなかった。そんなわけで自然体で横浜に住むようになった。寮生活をしながら、そこから横浜市立の大鳥中学校の二年に編入して、そこから通ったんです。
 
西橋:  最初は何となく誘われて横浜へ行って、という自然な流れであったんでしょうけれども、青年期を迎えて自分は宗教者として生きていくんだという、その決意というのはどういうところからだったんですか。
 
本田:  そうですね。大学を卒業したその同じ月の三月、フランシスコ会という修道会に入るんです。そこで初めて着衣と言って、修道服を貰うわけですね。そこで着衣した時に、果たして自分は本当にこの道を自分から選んだのだろうか、と、ちょっと不安な思いに駆られましてね。だけども相変わらず人からよく思われたいという、子どもの時から持っていた自分の価値観というか、人から尊敬される人にならなければならないというか、キリスト教的な信仰に基づく養成の一つの空気でもあったんだと思います。だから学校もいつも良い子を演じていたし、友だち同士の喧嘩があったら仲裁するとかね、そんな格好いいことばっかり捜していた。それがずっと大学の時も抜け切れていなかったし、修道院に入ってからも相変わらず同じで、人から一目置かれる人にって、そういう嫌らしい気持をずっと持っていた。それが神父になっても変わっていなかった。修練を終わって、さらに哲学を二年やって、その後四年間の神学を修めから神父になるんですけれども、その間もずっといわゆるよい子症候群の自分でしたね。
 

ナレーター:  一九七三年、三十代を迎えた本田さんは、聖書を詳しく学ぶため、バチカンにあるローマ教皇庁の聖書研究所へ留学しました。しかし聖書を詳しく学んでも、よい子症候群という内面に変化は見られなかったと言います。
 

 
本田:  人からよく見られたい。多分誰でも持ちがちな気持だと思いますけれども、でもそれが宗教者の場合は違うだろう、と。人からどう見られるかで、それに合わせて生きるような宗教者であったら、これはナンセンスじゃないか、と。漸くその辺りから気になりまして。それがフランシスコ会の日本管区の総責任者である日本管区長に―フランシスコ会の選挙で決めるんですよ―何故かたまたま私が選挙で選ばれた。結果的に選ばれてしまったその時に、ほんとに自分はこのままでいいのか、と。相変わらず人の顔色を見て生きている自分というのがよくわかるわけですからね。傍目にはそうは見えなかったみたいです、必ずしもね。でも自分の正直な思いとしてはみんなからよく見られたい。だからここから何とか脱却しなければならないと思って、管区長の職にありながら、必死になって祈り―今までも修道者ですから、それなりに祈り真面目にやっていたつもりなんです―だけども、人目も構わずほんとに神様助けてくれという感じでやったり、ミサも真剣に捧げたりした。だけどどうも効果がなかったなという、相変わらず人の思いを気にする自分でしたね。
 
西橋:  さきほどおしゃったフランシスコ会の日本管区長に選ばれて、その時にこの釜ヶ崎との出会いがあったわけですね。
 
本田:  そうなんです。フランシスコ会というのは、今から八百年ぐらい前に創立されて、イタリアのアシジというところの、「アシジの貧者」と呼ばれていたフランシスコという人が創立者で、それ以来続いている修道会なんです。そのフランシスコ会が世界中にあって、大体会員が五万人ぐらいいるんですけれども、その中で管区長に選ばれた時に管区長の務めというのが、古い修道会なもので、教会法そのものに書いてあるわけなんですね。例えば、その一つに、「管区長は三年に一度は自分の会員を視察しなければならない」と。全世界に適用される教会法なんですね。それに従って北海道から沖縄まで会員たちが働いているところを泊まり歩いて、そして視察場所の一つに釜ヶ崎もあった、ということなんですね。
西橋:  この「ふるさとの家」ですね。
 
本田:  ええ。そこに私たちの先輩のフランシスコ会の会員が働いていました。
 
西橋:  責任者として視察に来られて、夜に夜回りをなさったんだそうですね。
 
本田:  はい。夜回りもあまり、本音からいうと、参加したくなかったんですよ。というのは、これまで意識するとしないとに関わらず、日の当たる道ばっかり選んでいた自分で、そんなよい子症候群の自分なものですから、できればこんなとこ何も首突っ込みたくないという思いがあった。だけども同時に管区長でありながら、会員が働いている現場のつとめの一端にすら触れようとしないのか、というふうに思われたくない。批判されたくない。そんな自分の面子だけ考えて参加したわけですよ。それも積極的に参加しているふうにも装ったりしてね。だから当然夜回りするといっても、通り一遍に、私としては、できるだけ関わらないつもりで参加したわけなんですけど。他の人みんなと毛布を配ったりなんかした、
 
西橋:  冬で野宿している人たちに毛布配って歩いたわけですね。
 
本田:  はい。それでいきがかり上、たった一人で、路上に寝ている労働者と一対一で関わることになった時に―それこそもうほんとに差別的な思いがあったんだな、と今はわかるんですけれども―怖かった。そこで寝ている人が怖かった。ほんとにびびっていた。だけど知らん顔して、無視して、ボランティアの人たちが向こうで集合するところに行くほど図々しくもなれなかった。だからそんなんで声をかけざるを得なかった。「毛布要りませんか」と声を掛けた時に、彼がいきなり傍で声が聞こえたものだからビックリして、カッとこっちを振り向いたわけです。うつ伏せになって寝ていた人がね。その彼も勿論驚いたわけで、驚いた彼を見てこっちはもっと驚いて、〈あ、なんかされる〉という被害意識いっぱいだったわけですよ。それで思わず身を避(よ)けていた。その後何も進展しないから、〈あらっ!〉と思って、その人をおそるおそる見たら、彼がちょっと体を起こして、こっちを見て、にっこり笑っているんですよ。ニコッと笑って、彼がこういうんですね。「にんちゃん、すまんな、おおきに」と。その言葉を聞いて、それまでの緊張が全部解けてしまった。人間ってげんきんなものだな、と思ったのは、みんなが向こうで待っていてくれる。そこへ行くまでにもう一人ぐらい寝ていてくれないかなって。それくらい嬉しかったというか、そういう体験して、東京へ戻って、暫くしてから、なんかいつもの自分と違うかなということに気が付き始めた。いつもと同じことをやっているのに何が違うんだろう? 東京の六本木四丁目に修道院の本部がありますからね。そこでなんか違うなと思って立ち止まって考えてみた時に、小さい物心ついた頃から習い性になっていた「人の目を気にする自分」というのが、フッとなくなっていた。その時です、気が付いたのは。何でだろう? 何か特別なことがあったわけではないのに? 何かな? 何か肩が軽いし、何で自分がこんなに軽くなったんだろう? と自分をふりかえった時に、どうも釜ヶ崎のあの出会いかなあ、というふうに、なんとなく思ったんです。いやぁ、そんな筈ないな。私は宗教者だから、私があそこで寝ていた人を元気付けたとか、救ってあげたとかというんだったら、すんなり納得していたと思うんですけれども、こっちが怖くて、びびりっぱなしで、たかだか人から渡された毛布を「ハイ」と言って渡しただけのことしかできていなかった。彼は私に特になんかしてくれたわけじゃないんだけど、こっちのびびり加減を見抜いたうえで、安心させてくれて、「すまんな、おおきに」と声を掛けてくれて、その結果この解放感がある。それはないだろう、というね。普通は宗教者が人を救うんだよという、こんなこちこちの常識でしかなかったですから信じられなかった。
 

 
ナレーター:  日本管区長の任期を全うした本田さんは、一九八九年十一月に自ら希望してあいりん地区へ赴任してきました。あいりん地区は高度成長期にニュータウン開発や、工場建設のための労働者を派遣する大規模な基地となりました。全国各地から多くの人々が仕事を求めてこの街に集まり、経済の発展を支えていたのです。今この街には長引く不況が大きな陰を落としています。その日の寝場所さえ確保できず、路上生活を強いられている人々が数多くいます。本田さんは野宿を強いられている労働者の姿から、イエスキリストの立つ位置を再確認したといいます。イエスは痛みを知る人と共にある。釜ヶ崎の仲間の側にこそ存在する。本田さんがこの思いに至るのは、あるきかっけがありました。それは一九六○年代からここで労働者の支援活動を続けていたプロテスタントの牧師金井愛明(かないあいめい)さんとの出会いでした。
 

 
本田:  私が釜ヶ崎に来て間もない頃、金井愛明さんから聞いたことなんですけれども、ご自身がやっていらっしゃる労働者のための食堂のすぐ向かいに公園があって、そこで毎日炊き出しが行われていて、そこに大勢の野宿している労働者が並んでいるわけです。その列の一番最後の方にいる人がカラカラッと鍋の空っぽに近くなった音が聞こえてきて心配になってきて、〈自分の分あるかな〉と、こうやって覗いている姿を見て金井さんは思ったんですって。「こういう列の一番最後に並んでいるそこまで小さくされた状態にいるその人と共に神様はいつも同じ視線で見ている」。世の中を心配しているというかね、そんなことをおっしゃったんですね。それを最初聞いた時は、私はそこまで言えるかなみたいな、批判的に見ていた部分もあったんですね。けれども、ここの絵に使わせて貰っているんですけれども、ある時一人の人からクリスマスカード貰って、たまたまこんな小さなカードだったんですけどね。それはちょうど野宿の状態で、炊き出しに並んでいる姿だな、と直感でわかって、後でいろいろ聞いてみたら、これを描いた人は、アイヘンバーグ(挿絵画家:1901-1990)さんという人で、その人がニューヨークの炊き出し風景だったのか、それともシェルターに並んでいる列だったのか、定かでないんですけれども、画家の目で公園で見ていて、「どっち側にキリストが働いているの」という時に、彼の直感で、列の真ん中にキリストがいる、という。後光が射しているように描いてます。これを見て、あ、金井先生がおっしゃったのは、こういうこと、同じことだったんだ。そういう目で見たら、確かに普段自分が労働者との関わりの中で、〈へえ、この人、凄いな〉と思うような、凄い感性に気付かせてくれるものがいっぱいあって。たしかにそう言われてみれば、聖書に書いてあるのはこういうことだったんだ。一枚の絵に描くとしたら。神様はいろんなことができる人を通して、豊かさを分配するという方じゃなくて、何もない、何の力もない、そういう状態にあるその人の目から見て、「何が本当は必要なの?」「どういう関わりが大事なことだったの?」「社会というのはどんなふうにならなければいけないの?」、そんなふうな視点が、要するに聖書が言っている福音の視点なんだ、ということですね。それを金井先生は見事にご自分の言葉でおっしゃっていた。それでますます〈ああ、そうなんだ〉と自分の心がシンと落ち着くような気がした。
 
西橋:  それでこれは本田さんのご本ですけれども、『釜ヶ崎と福音』という、「神は貧しく小さくされた者と共に」というサブタイトルが付いていますが、その表紙にも今の絵(版画)を使っていらっしゃるんですね。
 
本田:  はい。そしてここにちょっと書かして貰ったことですが、
 
     小さくされた者の側に立つ神・・・
 
     「サービスする側にではなく、
     サービスを受けねばならない側に、
     主はおられる。」
 
     小さくされている側に
     神の力は働いている
 
金井先生のおっしゃったことと、この絵が語っていることと、そして私が釜ヶ崎でほんとに体験する、日々新たにされる気付きだなと思っています。
 
西橋:  この「小さくされた者」という表現は、逆に「小さくしている人たちがいる」ということですね。
 
本田:  はい。ほんとにもっと豊で、もっといろいろあるんだけど、社会そのものがその人を押し込めたり、選択肢を奪ったりして小さくしてしまっている。それは病気についても、体の障害についてもそうだし。その人が小さいわけじゃなくて、それハンディキャップということで、自由に動けない状態にしてしまっているだけのことです。「本人が小さいんじゃなくて、小さくされているだけでしょう」という思いを伝えたい。だからそういう意味では、私もボランティアをしている以上、誰かを小さくしている側なんだな、という。そういう思いも込めて小さくされている人々の側に神様は働いている。そちら側に真実がある。そういうサブタイトルです。
私は最初の頃、できるだけ日雇い労働者と同じ立場に立てるように頑張らなくちゃ、と思ってね。日雇いにもせっせと通ったりしたんですよ。最初の二年ぐらいですね。何日かおきにしか行けなかったんですけど、それでも仕事の現場でいろいろやっていくうちに何となく自信もついてきたりして、そして見てくれも日雇い労働者っぽく変わって、それがまた私にとっては誇らしくもあった。そんな頃、ある時一緒に現場で昼の弁当食っていた一人の、ちょっと年輩の労働者が、「あんた、まだ若そうだけど、家には連絡しておるんか?」というから、あ、私も日雇い労働者と見て貰っているのかなと、なんか嬉しくなって、「ええ。時々やっています」と言ったんですよ。そうしたら、「わしの家の電話番号、これや」と言って、数字をペラペラ言うんですね。「それでな、住所はこれや」と言って、北九州の方の住所を言うんです。最後の何千何百何番という番地まで暗記しているわけです。あ、そうか。「じゃ、先輩も時々は連絡しているんですね」と言ったら、「いや、わし、三十年連絡していない」という。「えっ! 番地を覚えていて、電話番号まで暗記しているぐらい知っているのに、えっ何で?」と言ったら、「今さらなぁ」と一言おっしゃったわけですよ。それを聞いて、「あ、そうか。私、頑張って日雇い労働者っぽくなったなということで、糠喜びしていたけども、〈本当の痛みのところ、本当の寂しさのところ、同じところに立てはしなかったんだ〉ということに漸く気付かされてね。もうそこからは自分が無理して〈小さき者の一人ですよ〉みたいな格好とかはできなくなったし、しちゃいけないんだとよくわかって。
私がちゃんとアパートに住んでいて、普通に三度飯を食っている、生活にそれほど困っていないというのがわかっていて、自転車でその辺パッと通るでしょう。そうしたら野宿している労働者が「お〜い! 本田さん、ちょっと顔色悪いけど寝ていないんか」とかね、そういう思いやりに満ちた―からかいでなくて―声を掛けてくれるんですよ。〈あらぁ、凄い人たちだな〉と思ったりして、本当に神様というのは、そこから、そちら側から働いているんだという、ますます確信を持つようになっているんですね。
 

 
ナレーター:  今、本田さんが寝起きしているのは、施設の近くにある二畳一間。家賃一月一万七千円のアパートです。この一室で本田さんは聖書の原典にまで遡り、独自の翻訳を進めています。本田さんは、以前カトリック教会とプロテスタント教団などが宗派の壁を越えて取り組んだ聖書の新しい日本語訳に、翻訳・編集委員の一人として参加しました。本田さんが現在一人進めている翻訳作業は、これまで教会が与えてきたキリスト教の教えや聖書の言葉、そして本田さん自身の生き方を見つめ直すことに繋がっているのです。
 

 
本田:  「神様は天の高みから地を見下ろしてくださっている方、その神様が自分の一人子である神の子を人間に受肉させてくれた。へりくだってくれた」という。「受肉は神自身がへりくだることの見本。上から下に手を差し伸べている」という。だから持っている者が、持たない者に哀れみの眼差しを向ける、施しをする、というのがごく自然体で無反省に行われてしまうわけなんです。同じキリスト教的な文化の影響というのは、日本にもかなり浸透していますからね。同じような価値観が浸透していて、強い者は弱い者を助けるんだ、という、こんな発想しかないわけです。だから弱い者は、いつまで経っても助けてもらう側でしかない。いつまでも深呼吸できない。宗教ですらそうなってしまっている。いやぁ、これは人権という括りでみたらほんとにその人の尊厳をないがしろにしていることじゃないの、ということです。宗教がそんなことを平気でやって、しかも良いことしているみたいな感覚でいる。それが世間一般にも不思議でないという見方をされてしまっている。そこに問題があるんじゃないの。差別の根元、偏見のもとというのはそこにあったんじゃないですか、ということです。「いっぱいあるから独り占めしないで分けてあげましょう」じゃなくて、「何にもないからこそ、何が本当は必要なんだ。何を先にやってほしいんだ、という貧しい人たちに聞くことから行動を起こすべきです。「貧しいことが良いこと」なんじゃなくて、「社会的に小さき者でいることが神に近い存在だ」と言っているんじゃなくて、「小さくされているが故に、どうなればもう少しゆとりを持てるようになるか。もっと豊かさを共有できるか。それを小さくされている人は誰よりもわかっている。それを聖書は言っている。まさに一番小さくされた者を通して神様が働いているよ。だから小さくされている仲間は勇気を持って立ち上がろうね」と言っているということです。そこのところに気付いて貰いたいから、みんなが後生大事にしている聖書だけれど、その中味はみんなが思っていることと、実はちょっと違うんじゃない、ということを突き付けたい、という思いがあるんです。
 
西橋:  例えば「新共同訳」の『新約聖書』の中で、「マタイによる福音書」の「山上の説教を始める」というとこがありますね。その中で、
     心の貧しい人々は、幸いである、
     天の国はその人たちのものである。
     悲しむ人々は、幸いである、
     その人たちは慰められる。
     柔和な人々は、幸いである、
     その人たちは地を受け継ぐ。
 
という部分がありますね。これは「新共同訳」ですが、本田さんの個人訳では?
 
本田:  私の訳で結論からいうと、「心底貧しい人たちは、神からの力がある」
 
西橋:  「心の貧しい人々は」というところが、「心底貧しい人たちは」。「幸いである」というところが、
 
本田:  「神からの力がある」ある。「心の貧しい」ということは、その表現自体がまずい。心が豊かなのがいいに決まっている。どんな子どもに聞いてもわかる。だけども聖書の言語を直訳したらそうなるから、ということで、「心の貧しい人は」、しかもそれは「幸いだ」って。「貧しくて良かったね」と言っているふうに聞こえますよね。だけど釜ヶ崎に来て、仕事もなくて、寝場所もなくて、今日食べるものもなくて、炊き出しに並ぶしかない。その炊き出しも今日は雨が降ってないみたい。そんなおろおろしている人たちが貧しさを幸せだと感じたことは一度もないし、そんな現実に合わないことを、イエスがほんとに言ったの?という、そういう思いからチェックをいれたわけですよ。そうしたら貧しい人というのは、ヘブライ語まで遡ってみると、「アナヴィム」。「アナーヴ」というのは、「抑圧する」という意味なんですよね。だから「アナヴィム」というのは「抑圧された人たち」。その抑圧された人たちが、霊の側面からも、という意味で、ほんとにとことん貧しくされているということをヘブライ的な表現として語っているだけの話ですね。それを直訳したら意味が違ってしまう日本語の感覚、あるいはヨーロッパ語の感覚で言えば、「心底、あるいはとことん貧しくされている人たちは、神からの力いっぱい持っているよ」と、イエスはメッセージで言っているんだ。「あんた貧しくされているがゆえに、凄いパワーを持っている筈だよ。真実を見抜いている筈だよ」って、そういうことですよ。そして、「天の国はその人たちのものである」という。「神に繋がる世界はまずあんたたちがその当事者なんだよ」という。誰かに手を引いていってもらって、この宗教に入って、そして「神様と繋がろうね」じゃなくって、「あんたたち貧しく小さくされているが故に、文句なしに今のあなたたちの感性は神様の感性と同じだよ。心配しないでよ。もう天の国はあんたたちのものなんだ」それが第一声なんですよ。それは、「貧しいままでいましょうね」と言っているんじゃなくて、「貧しくされているがゆえに、どうなりたいか。誰よりもわかっているよね。そこを目指していこう。そしてそれのために、みんなに、他の人に呼び掛けようよ。それが実現できるようにみんなで協力し合おうよ」という。その立ち上がりを促す言葉なんです。
その次は、「悲しむ人々は、幸いである」という、その言葉なんですけれども、ギリシャ語の「ペンスーンテス」という言葉はお悔やみの悲しみを表す言葉なので、貧しさの中で生きていく中で、とうとううちのおばちゃん、薬も薬草も買ってあげることもできなくて死んじゃった。そして生まれたばかりの赤ちゃん、結局お母さんお乳十分出なくて、食べ物も口に入らずに死んじゃったね」って、ぽろぽろ家族が死んでいくわけですよ。そういう死別の悲しみにあるというのは、とことん貧しくされた状態の一つの表現なんですね。だからこそ「あんたたちがこうあるべきと思うことは正しいんだよ。神の力がある。神はそこで働いているんだよ」と言っているわけですね。その人はその勢いで頑張ったら、神様から慰めて貰えるよ。
その次の「柔和の人々は、幸いである」といわれると、私たち子どもの頃、その聖書の言葉を聞くと、いつもにこやかでいなくちゃいけないんだ。ちょっとやそっとで腹を立てちゃいけない。怒ってはならない、とよく言われましたからね。日本語でよく「金持ち喧嘩せず」という言葉があって、「たっぷりあるから少々のことでは寛大に振る舞って、いいよ、いいよ、赦してやるよ」みたいな、そんなイメージと繋がってしまうんですよ。「柔和」という言葉はね。だけどここの原文が、「プラエーイス」という言葉は、さっき言った「アナーヴ(抑圧)」という言葉から出てきた言葉で、抑圧されているんだけども、同じようにしんどい思いをしている仲間に、痛みが分かるからこそ慰めてやれる。その優しさを表す言葉。だから抑圧にめげずに仲間をかばっている、という、そういう貧しく小さくされた仲間の一つの場面なんですね。それを語っていて、だからクリスチャンが、「柔和でいましょうね」とか、「よい人間になるつもりだったら柔和を忘れていませんよ。イライラするなよ」というふうな、そんな教育的な言葉としてしか受け止めていなかった。だから立派なクリスチャンの政治家たちは日本に来たり、あるいは外国を訪問したりする時、〈あ、この人宣教師かな〉と思うような穏やかな顔で微笑みたたえていたりするわけですよ。それは柔和をやっているわけですよ。だけどほんとの意味は抑圧されているにもかかわらず、「仲間として、その辛さわかるから頑張ろうな」と言って、「めげちゃダメだよ」という、こんな感じで優しく関わる。それを指す言葉です。
 
西橋:  連帯みたいな?
 
本田:  連帯みたいな、思いやり。だから「柔和な人は幸いである」という翻訳は、むしろイエスが言いたかったことと裏腹のことを推し進めてしまう。
 

 
ナレーター:  本田さんが聖書の言葉と向き合って訳した「マタイによる福音書」の一節です。
     心底貧しい人たちは、
     神からの力がある。
     天の国は
     その人たちのものである。
 
     死別の哀(かな)しみにある人は、
     神からの力がある。
     その人は慰めを得る。
 
     抑圧にめげない人は、
     神からの力がある。
     その人は地を受けつぐ。
 
     解放をこころざして迫害される人たちは、
     神からの力がある。
     天の国はその人たちのものである。
      (「マタイによる福音書」第五章山上の説教より:本田哲郎訳)
 

 
西橋:  聖書の原典の言葉の持っている「生命力」というんですか、そういうものをもう一度掬いあげるというような思いもおありなんですか。
 
本田:  そうですね。聖書の原典が表している文脈を読み取る。「どういう流れで、その言葉が語られているのか。誰に向かって語られているのか」ということを、それを抜きにして、「あ、この言葉覚え易い」と、たとえば「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」とあったら、「あ、これはなかなか良いわ」といって、自分たちの仲間内だけであてはめる。グループとしては排他的でありながら、仲間内でお互いに支え合える状態を作ってしまうわけですね。だけど文脈からみたら、その次ぎにしっかり書かれているのは、「小さくされた人々と関わるなかで」ということ。その中で「彼らが喜ぶなら喜ぶ。泣いているなら共に泣くという関わりをしなくちゃダメじゃない」ということを言っているのに、「手の届かないところはいいから」みたいな、そんなふうになってしまう。
 
西橋:  「隣人愛(りんじんあい)」というような言葉について解釈が違うという?
 
本田:  そうですね。「隣人愛」とか、「敵をも愛しなさい」「互いに愛し合いなさい」とかね、キリスト教イコール愛の宗教と言われるぐらいに、「愛」という言葉をいっぱい使う。聖書にいっぱい出てくるんです。その「愛する」という、「隣人を愛する」というのはどういうことなのか、というのが実は「自分が大切なように、その人をも大切にする」そのことだった。「愛しなさい」と言われたら、普通思うのは、「私は愛情をこの人に対して持っているかしら?」ってチェックしなければならないし、その前に「この人嫌いじゃないの、好きにもなっていないよ」という、そういう相手を愛情を持って愛するなんてできる筈ないのに、大体そんなふうに思うわけですよね。にも関わらず、「隣人愛」これは聖書の一番大事なことの要約、「この言葉に尽きるんだ」とまで聖書自身には書いてあるわけですからね。「隣人愛、隣人愛」とみんないうわけですよ。教会もそうです。ところがルカ福音書に出てくる、「じゃ、あなたの隣人って誰なの? 私の隣人って誰?」と言う時に、普通「隣人愛」とだけ聞いていたら、まず自分を中心に据えて、「一番近い人、隣の人」、ここで言ったら西橋さんが私の今の隣人だし、スタッフの方たちが近いし、そしてもっと広くみたら釜ヶ崎の仲間たちが私の隣人だ、と。そんなふうな捉え方しかしない。自分を中心に据えて、隣の人と考えるわけですね。だから普通世間一般でも、隣人愛を実践しようと思ったら、まず家族を大切にする。兄弟姉妹、そして仕事場での同僚とか、そこからなかなか抜け出せないわけですよね。だけどルカ福音書(第十章「善いサマリア人」)で言っているのは、ある人が、「隣人愛を実践することが大事だ」とイエスに言われて、。私もやっている積もりだけど、という腹を持ちながら、「私の隣人とは誰でしょう?」とイエスに逆に質問したことがある。その時にイエスが、「ある人がエルサレムからエリコに下っていく途中、追いはぎに遭いましたよ。その人はぼこぼこに殴られて、服をはがされて、半死半生の状態、青息吐息の状態で捨てられてしまいました。そこをいろんな人が通っていくけれども、ちょっと見て、「あ、やばい」と言って、そのまま通り過ぎて行きました。だけどある一人の人が、それを見て、「あ、ほっとけない」と思って、わざわざ近づいて行って、その人の傷口を葡萄酒で洗って、包帯を巻いて、自分の乗ってきたロバに乗せて連れて行きました。そして下のエリコの町に着いた時に、そこの宿屋の親父さんに頼んで、「私はまた所用でちょっと他へ行くけども、帰りにまた寄るから、この人の面倒を見てやってくれないか」と言って、頼んで行った。そしてその時イエスが、その質問した人に、「私の隣人とは誰でしょう?」と訊いた人に向かって、「この傷付いた人にとって、誰が隣人になったのか?」という、逆の問い掛けをした。それによって隣人愛というのは何なのか、初めて見えてきた。それは「一番しんどい思いをしている人を中心に考えて、隣に立つ、一緒に行動する、連帯する」という、そういうことなんだよ。だから自分に近い人を一生懸命大切に大切にしたからといって、それは聖書でいう意味の隣人愛とは違うんだよということです。だけどたいていの人はまず家族が大事だよ、と言って、自分の近くのところから同心円の広がりのように、少しずつ愛を及ぼしていこうとする。だからこの辺になったらもう薄らいできて、愛なんだか、何なんだか、ただ通行人と同じになってしまう。それでもいいんだよ、みたいな捉え方をしてしまう。だとすると、今の日本社会みたいに格差がどんどん広がっていく。その中で勝ち組の人にとって隣人は勝ち組の仲間なんですよ。こっちの負け組と見なされる、そういう人たちのところに全然目がいかないし、経済の潤いも及んでいかない。もうそれこそ弱肉強食というか、自分と身近の仲間たちが美味しいものを食っていけばいい。後は切り捨てや、そんな感じになってしまう。だけどイエスが聖書で言いたいことはそうじゃない。一番しんどい状況におかれている人たちのところに行ってその人の隣人になれということです。動けるのはそこそこ豊かさを味わっている人たち。車でも行けるし、電車にも乗って行けるし、そういうことなんだから、まず出掛けて行って、繋がらしてもらって、そして彼や彼女の一番願っている状態に少しでも近づけるように、自分に与えられたポジションで協力していく。学校の教師OKです。国会議員OKです。会社社長もOKです。家庭の主婦でもいいんです。それを捨てる必要はないんです。だけどその場で繋がっていく。その場で彼らの願いが実現し易いように動いていく。それぞれの場で。一番貧しい仲間が願っている状態にみんなで実現していくんだ。そういう協力の仕方、それを「連帯」という言葉で表現したら一番無難かなと思っているんですけどね。
 
西橋:  本田さんはこの釜ヶ崎で働く労働者の人たち、あるいは野宿を強いられている人たちと一緒に生活していく中で、こういう聖書の個人訳をずっと進めていらっしゃるわけですけれども、今、「幸福」とか、「福音」という、喜ばしい知らせとか、あるいは「平和」とかというと、どういうことだというふうに?
 
本田:  聖書が指摘してくれている平和の概念というのは、こういうことなんですよ。「傷付いた部分が一つもない完全さ」です。「シャローム」というヘブライ語の言葉が聖書に時々出てくる。「シャローム」というのは、「傷付いた部分が一つもない。それほどの完璧さ、完全さ、それが平和なんだ」という。だから平和を実現していこうとします。みんな誰でも平和大好きですから、平和のために働きたい。平和運動っていっぱいありますよね。そういう時に、私たちはともすると、「諍(いさか)いがない」とか、「戦争がない」とか、「あんまり治安がよくない」とか、そういうところをチェックして、治安大丈夫だな、と。「日本は六十年間平和を維持してきたよ」って、自己満足することが多いんですけども、だけど日本の中でアイヌの人たち、沖縄の人たちがどんなに辛い思いを強いられてきたか。被差別部落の人たちの辛さ、在日の人たちの辛さ、障害者の人たちの利便の問題、いろいろある。ある種の病気について、ハンセン病であったら隔離されていたりとか、さまざまな疵だらけのひびだらけの日本の社会、それを国の偉いさんたちは、「日本はほんとに一度も侵略したことなかった」とか、そんなことで「平和だ」というような感覚は、結局さっきの隣人愛の取り違えと同じで、こんな時代はいつまで続いても胸張れることじゃないじゃないって。大多数の人がそこそこの車を持つ家庭であったとしても、その中に一部いつまで経っても辛い思い、差別されるままで過ごしていたら、そんなのを平和と言っちゃいけないんだよ、という。もっと謙虚に聖書から学ぶゆとりができたら―聖書を別に読まなくても―傍で苦しんでいる仲間をほっとけないという気持、そこさえ持てたら黙っていても正しい平和運動、平和起こしができるんじゃないですか。そのためには一番小さくされている仲間を絶対見過ごすなよということです。層として、貧しい層とかね、層として社会的弱者をとらえるという見方、それをもう一歩踏み込んでほしい。社会的弱者と言われている人たちの中にも、虐げる側に立つ人がいるし、虐げられる人もいる。子どもたちはほとんど大人の権利が持たされていない社会的弱者なんだけども、その中でもいじめる側がいるし、いじめられる少数がいる。それを乗り越える、一つの、私の目から見て、大事なことというのは、一番しんどい状況にある人たちにどれほど寄り添うことができるか。どれほど連帯できるかです。どれほどその視座を借りてものが見えるようになるか。大臣辞める必要ないんですよ。ドクター辞める必要ない。その大事な社会的に評価される地位にありながら、どこから見るか。一番しんどい思いをしている人の目から見て、自分はここで何を選択すべきか、ということです。学校の先生もしかりですよ、みんながそんなふうに動いてくれたら、世の中きっと変わると思いますよ。
 
西橋:  一番小さくされた者の視座で見る。
 
本田:  それは簡単じゃないと思います。例えば私が一生懸命努力して、一日雇い労働者と同じ立場にすら立てなかった、という、この現実があるわけですよ。あるいはどんなに思いやりに満ちた人でも、障害者の介護させてもらっていて、一生懸命やるけれども、その障害者、当事者と同じところには立てない。どんなに頑張っても立てない。そこのところをわかって関わる。つまり「立てなかったらどうなるの?」。相手のいうことをしっかり真摯に受け止める。それを信じて、そっちの方向で協力していく。私は、英語を習い始めの頃に習う「理解」する「understand」という言葉と重ねて思い出したらいいんじゃないのか、と思う。ほんとに理解し合いたかったら、同じところに立とうと頑張るんじゃなくて、相手よりも下に立つ。つまり相手から学ぶ姿勢で関わる。教えて貰いながら自分ができることがどんどん決まっていく、という関係性ですね。それが私は大事じゃないかなと思うんです。
 
西橋:  どうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十年七月十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである