親鸞の涙に導かれて
 
                    同朋大学講師 (チャン)  偉(ウェイ)
一九五六年、中華人民共和国・長春生まれ。吉林省体育学院で教鞭を執る。『暗い絵』の翻訳をきっかけで野間宏と出会う。一九九二年、日本に留学。福島大学大学院修士課程修了。大東文化大学大学院博士後期課程修了。親鸞と野間宏・戦後文学との関係を研究。著書に、「海をこえて響くお念仏」「野間宏文学と親鸞」ほか
                    き き て   加 瀬  次 男
ナレーター:  張偉(チャンウェイ)さん。中国朝鮮州に生まれた張(チャン)さんは、一九九二年に日本に留学。今、名古屋の大学で教鞭を執りながら、親鸞思想をライフワークとして研究しています。中国で日本文学を研究していた張偉さんが親鸞と出遇ったのは、親鸞(1173-1262)の研究で知られる作家の野間宏(のまひろし)(1915-1991)の作品を翻訳したことがきっかけでした。野間の親鸞理解に惹かれた張さんは、親鸞の思想の源流を訪ね、中国の経典も研究するようになりました。そしてその思想が日本だけでなく、広く世界に見出されるべきものと考え、親鸞の思想を母国に紹介する仕事に日夜取り組んできました。
 

 
加瀬:  張(チャン)さんは、今、何故日本で親鸞さんと向き合っているんですか。
 
張:  やっぱりご縁ですね。私は有り難いご縁に恵まれて親鸞聖人と出遇いました。私は親鸞聖人に出遇って、親鸞聖人の著作を読んでいるうちに、自分の使命はここにあるとますます強く感じてきました。
 
加瀬:  使命?
 
張:  使命とは、仏教の真髄は親鸞を通してもっとたくさんの人に伝わることができると思い、そのために私は力を尽くして頑張りたいです。
 

 
ナレーター:  張さんに初めて日本語を教えてくれたのは、医師だった父親でした。戦前の旧満州時代、日本人の経営する病院に勤めていた父は、日本語が堪能で、日本の医科大学に留学することも夢見ていました。しかし戦争のために、その願いはついに叶いませんでした。戦後、父と張さんは文化大革命を体験しました。父は日本との関わりが深かったために厳しく糾弾されました。周囲から責められる中で、少女だった張さんは、自分自身も父親をなじり深く傷つけてしまったと言います。この四十年、自責の念を抱えて生きてきた張さんは、その痛み故に親鸞の思想に深く惹かれていきました。
 
 
加瀬:  この辺りは東京浅草になるんですけども、お寺がずっと並んでいますでしょう。ここ「なつめでら」と書いてありますね。
 
張:  そうですね。
 

 
ナレーター:  「なつめ山運行寺」。先々代の住職が中国浄土教の祖とされる曇鸞(どんらん)(476-550?)を敬慕したことから、中国と深い関わりを持ってきました。戦後間もなく、戦争の犠牲となり、日本で亡くなった中国人の供養をし、その遺骨を祖国に送り返すなど、仏教を通して平和と友好に力を尽くしてきました。張さんが中国人である自分と親鸞との深い縁(えにし)を実感したのは、十年前、中国人として受け止めてきた親鸞を語るため、初めてこの寺に招かれた時のことでした。

 
張:  棗寺(なつめでら)の本堂に入ると、正面の阿弥陀仏の左側に、曇鸞大師の像が、右側に親鸞聖人の像が安置されているのが見えました。それを眺めながら、中国人である私が、曇鸞大師の教えに最初に接したのは、親鸞聖人の『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の言葉を読んだときだったことを思い出し、不思議な感動をおぼえました。遙か彼方(かなた)から「南無阿弥陀仏」の声が聞こえてきました。日本語の発音「ナムアミダブツ」か、中国語の発音「ナンウアミトフォ」か、はっきりとは区別がつかず、ただ一つの声が響いてくるようでした。
その時、阿弥陀仏、曇鸞大師、親鸞聖人、また私がともに包まれた無限な大空間が、後ろに広がっていると実感しました。
そのような無限な時間と空間を流れてきた念仏の声こそ、中国人である私に、親鸞聖人と出遇うご縁を恵んでくれたのです。
(『海をこえて響くお念仏』)
 
 
加瀬:  この寺は日中友好の架け橋になった寺ですよね。
 
張:  そうですね。仏教のご縁によって、中国と日本が深く結ばれていることを感じております。
 
加瀬:  そうですか。張さんが親鸞の研究に打ち込まれるようになったそのきっかけというのは、作家の野間宏との出会いだ、というふうに伺いますが。
 
張:  そうですね。野間宏の『暗い絵』という小説を中国語に翻訳をさせて頂きました。『暗い絵』という小説は、戦後派文学の第一声と言われる作品です。最初の作品ですね。一九四五年八月十五日、日本は敗戦を迎えました。その時、今まで日本人の精神を支えてきたものは急に崩れました。日本人の心は、その時の東京の街と同じように廃墟になりました。そして戦争を体験した文学者たちは、民族の精神を求めるために文学作品を書き始めました。そのグループを「戦後派文学」と言います。その代表的な作家は野間宏です。
 
加瀬:  ここにこうしておりますと、都心の繁華街にあるお寺とは思えないほど静かですし、心が安まりますし、人の心が荒(すさ)んでいるとか、環境問題がどうだとか、そんなことがまったく関係がないように思えてしまうんですがね。
 
張:  そうですね。でも現実は厳しいですよ。今、地球は危機に瀕(ひん)していて、また人類も危機に瀕していると言われます。そんな今の時代こそ、親鸞の思想は深く問いかけてくると感じております。
 
加瀬:  作家の野間宏も四十年も前から、こんな時代がやってくるということを随分心配しておりましたね。
 
張:  野間宏は、地球環境の危機をヨーロッパ合理主義の行き詰まりだと考えていました。それでその危機を乗り越える道は、仏教―親鸞に求めることができると言いました。
 
加瀬:  張さんは、野間宏とどういうふうにお付き合いを進めていらっしゃったんですか。
 
張:  私はまだ中国にいた時、野間宏はたくさん親鸞の作品と自分が書いた親鸞についての作品を私に送って下さいました。私はそれを読んで、野間さんの深い親鸞理解に心が惹かれて日本に留学してきました。今は親鸞の思想をライフワークにしております。
 

 
ナレーター:  張さんに生涯にわたる親鸞との出遇いをもたらした野間宏は、戦後の日本文学を代表する作家です。人間の根底に横たわる闇を見詰め、親鸞の思想の現代的な意味を問い続けました。野間宏は、一九一五年、神戸市で生まれました。父卯一(ういち)は、親鸞の教えを奉ずる一派を開いていました。自宅を説教所とし、山越(やまごえ)阿弥陀如来の絵を掲げ、貧しい勤め人や商店主、農民たちを相手に布教活動を行っていました。家には信者たちが鉦を打ち鳴らしながら唱える和讃や念仏の声が満ちていました。親鸞の教えは、幼い野間の体の中に深く染み込み、その魂のほとんど全部を占めていた、と言います。しかし、野間の親鸞への思いは、途絶えたかのような一時期を迎えます。父親が亡くなると、一家は貧しさに直面しました。その中で父の仏教を、社会の矛盾や失業の問題などを解決する力のない偽善的なものとして、疑問を抱くようになりました。そして、肌身に染み込んだ親鸞の教えを否定しようと、史的唯物論に近づいていきました。しかし親鸞の思想は、野間から去るかと見えてついに離れることなく、その心のうちに深く根を張っていたのです。野間は、五十四歳の時、親鸞の思想を伝えた『歎異抄(たんにしょう)』について書き、その後親鸞思想の結晶と言われる『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を深く読み込みました。『教行信証』は、三十五歳の時、流罪の刑を受けた親鸞が、越後や関東で貧しさに沈む農民や漁師に混じって暮らす中、書き続けたと言われています。野間は、親鸞についてこう述べています。
親鸞は、これまで絶対に救われないものとして救いから遠くへだてられていた、悪を犯し罪におちるその多くの人たちをこそ救われなければならないと考えた。というのも自分自身をもふくめて、あたりを見渡すかぎり、すべてはこのような大悪人や大悪人にいつかは落ちるにちがいないものばかりであると見るほかないことを知りつくしていたのである。
しかも自分もまたそれらの人たちとへだたりはないとして、それを救う道は、と問いたずね、ついにその道を探しえた、そしてそれがここにある、と書き記しているのである。
 

加瀬:  張さんが、親鸞との出遇いを深めるようになっていった。それはどういう経緯からなんですか。
 
張:  それは私が文化大革命を体験しましたから。文化大革命は、まさに私には人間の深い闇を見せつけました。文革をリードした人たちだけじゃなくて、私自身の中にも深い闇があることを思い知らされました。もしこの文化大革命の体験がなかったとしたら、私は本当の意味での親鸞との出遇いはなかったかも知れません。一九六六年、文化大革命が始まったばかりの年でした。ある日、私は友だちの琴さんと彼女の家で遊んでいました。琴(きん)さんのおじいさんとおばあさんは、椅子に坐って、私たちの遊びを眺めていました。その時、突然ドアが蹴飛ばされ、紅衛兵一団が流れ込んで来ました。彼らは琴さんのおじいさんとおばあさんを囲んで、暴力を振るいかかりました。その中の一人の十六歳の中学生は、腰にあったベルトを使って、二人に思う存分に暴力を振るいました。そして手に持っていた刀で、おじいさんの鼻の肉を削ぎ落としました。次ぎにおばあさんをその場で殴り殺したのです。その凄惨(せいさん)な場面、血の臭いと叫び声は、怒りと憎しみとともに、私の中に深く残されました。一九六八年、文化大革命がますます残酷になった年でした。その時、私の父は長春(ちょうしゅん)の市立病院に医師として勤めておりました。旧満州の時代、父は日本人が経営した病院に勤めた経歴があります。そういうことを理由にして、父は日本のスパイとして糾弾されることになりました。忘れようにも忘れられないある日のことでした。市立病院の構内で走資派(そうしは)(資本主義の道を歩む権力者のこと)を批闘(革命の対象になる人を引っ張り出して批判する闘争)する大会が開かれていました。父は大きな台の上に首に大きなプラカードを掛けられて、腰を曲げて立っていました。「日本のスパイを打倒せよ」とスローガンを叫びながら、民衆は父にゴミとか石を投げ込んだのです。父は震いながらみんなの前で立っていました。父は、非人間的な侮辱に耐えられずに、自殺しようとしてたくさんの睡眠薬を飲みました。私の必死の呼びかけで、「お父さん!お父さん!」と夢中に呼んだものですから、その私の声に、父は死を諦めて、たくさんの水を飲んで命を取り留めました。
 
加瀬:  張さんにとってはどういうお父さんだったんですか。
 
張:  父の人間性というならば、父には二つの座右の銘があります。一つは、
 
     閑時莫論人非 (閑の時、他人の悪いことを議論しないで)
     静坐常思己過 (いつも静かに自分の過ちを反省する)
 
ということです。もう一つは、
 
     冤家易結不易解 (怨みを結びやすいけれど解けにくい)
 
こういう諺から見られた父の人間性は、絶対に他者の悪口を言わないのです。また他者を怨まないのです。何か不公平に扱われるならば、自分の中で処理してしまったようです。
 
加瀬:  憧れのお父さんという存在だったんでしょうね。
 
張:  そうですね。とても子どもの気持ちを理解して、子どもの心を傷つけない父でした。
 
加瀬:  そういうお父さんが紅衛兵に囲まれてつるし上げにされている。随分酷いことだなあというふうに心を痛めるということはありましたでしょうね。
 
張:  そうですね。日本のスパイの娘として虐められて、あの辛さがたくさん溜まっていた私は、とうとうその辛さに耐えられなくなりました。ある日家の中で爆発しました。私はピアノの蓋を叩き付けて「どうして私はこんな家庭に生まれたの! 革命家の家が良かったのに!」と、泣きながら家を飛び出しました。その飛び出した時に見た父の顔を今思い出しても心が痛むのです。家族一人ひとりは外の圧力に潰されそうになった時に、私は自分だけの辛さを怒りにして父にぶつけました。それは外の圧力に恐々としていた父には、さらに裏側から圧力をかけることになりました。実は、父は自殺の道を選んだ原因はここにもありました。それは私自身が誰よりも感じ取ったことでした。私は父を死から呼び戻した娘として、その後熱心に父を看病した娘として、みんなに誉められたのです。私を犯罪者として見る人は誰もいませんでした。でも罪を犯した実感は、私の中に刻み込みました。それは私の精神に染み込む痛みになって、私の後の人生の道を伴ってきました。
 

 
ナレーター:  十年に亘った文化大革命。革命という名のもとに、多くの人々が断罪され、傷つけられました。張さんの父もその一人でした。革命の嵐が過ぎ去り、改革解放が叫ばれる新たな時代が訪れても、張さんの心からは、反論も許されずに、人民の敵とされた人々の悲惨な姿が離れませんでした。そして、父を責めた自分の心の闇。自分は被害者であると同時に加害者でもあるということへの深い痛みを抱き続けていました。そんな張さんの心を捉えた一つの体験があります。文化大革命が去って十年あまりが経った頃、張さんの知り合いの老人を殺した紅衛兵が、自らの罪を謝罪する場に居合わせたのです。文化大革命の当時、まだ十六歳の中学生だったその人は、張さんの兄の同級生でした。近所の人々の前で涙を抑えきれずに詫びる彼もまた、力による闘争に身を投ずるなか、片方の眼を失っていました。張さんは、時代の嵐に弄(もてあそ)ばれ、加害者にならざるを得なかった人たちもまた、その心の中に深い傷を負っていたことを知り、言い知れぬ悲しみに満たされました。その時張さんが強く感じたことがありました。人間は誰でも自我にとらわれた闇を抱えていて、自分と他者を分けることから対立が生まれ、争いが生ずる。この自分と他者という二元対立的な悪循環の中に、人間は喘(あえ)いできた。しかし、時代に翻弄され、悪人にならざるを得なかった人々の苦悩と悲哀の中に、罪を犯した者と犯さなかった者という二元対立を超えた人間そのものに共通する深い苦悩と悲哀があるのではないか。
 

 
張:  文化大革命については、今も私は他人事のように言うことはできません。一人の体験者の蟻のような眼差しで見たことしか言えないのです。十年の文化大革命は、私にとってもっともショックを受けたのは、この人間社会の倫理道徳の秤の定かではないことです。昨日まで罪だと言われるものは、今日になって無罪になった時もあります。即ちこの人間社会での善と悪を量る秤は、実は定かではないものです。それは常に人間の都合によって修正されたり、破られたりする危うさを伴っています。そういう意味で、この人間社会で生きているかぎり、誰であっても人生の根底には罪を犯す可能性を抱えています。
加瀬:  そうですか。
 
張:  それは人間存在の深い悲しみです。誰も逃れられません。私は、仏教に学んだのは、「絶対平等性」です。特に親鸞に学んだのは、「人間の悪としての絶対平等性」です。世の中で人々は、善人もいるし、悪人もいる。犯罪者もいる。無罪の人もいるのですが、そのすべての異なりは彼岸の如来の眼差しから見ると、服装の異なりに過ぎないです。人間の赤裸々な存在は、みんな罪悪煩悩の存在です。そういうことを親鸞に教わりました。そういうことは、親鸞が痛みを持って教えて下さいました。
 
加瀬:  張さんが親鸞の思想に初めて触れられた時、どんなことをお感じになりましたか。
 
張:  それは、如何なる思想家にも見られなかったすべての人間の罪を自分自身の痛みとして受け止める。特に悪人にされた人々の悲しみや苦しみを高みから見下ろすのではなくて、同じ目線で、涙で受け止めるところに心が惹かれていました。私は、親鸞聖人と出遇って、『教行信証』を読み続けました。その中でもっとも心が惹かれたのは、「阿闍世(あじゃせ)の悲劇」です。親鸞聖人は、その悲劇を長く引用しました。阿闍世(あじゃせ)は人生の因縁によって父親を殺害しました。その後、父親を殺害したことに痛みを感じて深い後悔の念を生じました。そのため体中に出来物が生じて、熱も出てきました。こういうふうに身心ともに痛みに苛(さいな)まれた阿闍世(あじゃせ)は、繰り返してこのような言葉を叫び続けました。「父は無罪なのに、私は無謀にも父を殺害しました。私は地獄に墜ちる罪を犯しました。私の懺悔を聞いてください」。この言葉に私は、親鸞聖人の涙と痛みを感じております。そういう阿闍世(あじゃせ)の叫びを聞いているうちに、私は、自分自身が体験した文化大革命の時代の悲劇をあらためて体験しました。阿闍世(あじゃせ)の叫び声には、たくさん生身の人間の声を聞きました。この阿闍世(あじゃせ)の物語を語る前に、親鸞は自分自身への懺悔の声を発しました。このようですね。
 
     誠知悲哉、愚禿鸞 (誠に知りぬ 悲しきかな、愚禿鸞(ぐとくらん)
     沈没於愛欲広海  (愛欲の広海(こうかい)に沈没し)
     迷惑於名利太山  (名利(みょうり)の太山(たいさん)に迷惑して)
     不喜入定聚之数  (定聚(じょうじゅ)の数に入ることを喜ばず)
     不快近真証之証  (真証(しんしょう)の証に近づくことを快(たの)しまざることを)
     可恥可傷埃    (恥ずべし傷むべし、と)
 
この言葉の意味は、「悲しいことには、自分が仏教の教えを知りながら、なかなか欲望から身を抜け出すことはできない。早く悟りを開くことを喜ばない。それは恥ずべきであり、傷むべしである」。この親鸞の言葉に痛みを感じる時、私は、親鸞の言葉を、親鸞の泣き声として聞きました。その時、私は初めて加害者と言われたこの紅衛兵も痛んでいることを思い知りました。その時私の中で三十数年来溜まってきた憎しみや怒りは、大きな悲しみに揺さぶられ、どうしようもない思いでした。親鸞聖人は、痛みを持って、身を持って、怒りを悲しみに転ずる道を教わったのです。そこには悪しき者を捜し、怒りや憎しみを他者にぶつけようとする常識的な人間真理が破られて、対立と敵意の中で続いてきた悪循環に一つの出口を示してくださると思います。
 

 
ナレーター:  張さんを親鸞に導いた野間宏は、文学は人間に関わる一切の問題と取り組まなければならず、また文明批判の機能を失ってはならないものと考えていました。野間は、晩年原子力や核の問題、遺伝子工学や宇宙開発の問題、環境破壊や熱汚染と呼んだ地球温暖化の問題などと向き合い、現代文明が抱え込んでいる深刻な問題の根元に横たわるものに目をこらしていました。現代の危機的状況が深刻度を加える中で、親鸞の思想の中には、その行き詰まりを希望に変える道があると語り続けました。親鸞は、人間が自らその生き方を変革し、新しい生命観を築き上げるべきであると呼び掛けている。その思いを広く世界に紹介する仕事を託そうと、張さんの日本留学を心待ちにしていました。しかし、張さんの留学が実現する直前、野間は病のため世を去ります。親鸞が現代に問いかけていることを一緒に掘り起こそうという野間の思いを、張さんは自分への宿題と受け止めてきました。
 

 
加瀬:  親鸞は自分の生きた平安末期から鎌倉にかけての時代を、「末法(まっぽう)の時代」と捉えておりました。
 
張:  そうですね。
 
加瀬:  作家の野間宏も、「今の社会は末法時代によく似ている」と言っております。野間は、どういう局面を捉えてそう言っているんでしょうか。
 
張:  末法時代とは、仏法はなくなり、人々は仏法を無視して生きている時代ですね。それは心の危機です。野間さんは、この心の危機と現代の環境の危機と結びつけて捉えています。今は、四十年前、野間さんが問題提起した時代と比べれば、諸問題はいっそう深刻になっています。例えば地球上で人間と他の生物の関係の中で「人間」を中心にします。それで人間の都合によって、他の生物を犠牲にしたり利用したりして、地球の生体界を破壊することになります。また人間関係の中で、自己と他者の関係の中で「私」を中心にします。そこから嫉妬や怒りなどを生じて、人間関係は緊張になってしまうのです。人間中心主義、二元対立とは、仏教で内という心の働きから生ずるものです。内は如来の心が「慈悲(じひ)」と呼ばれる時、人間の心の働きをいうのです。野間宏は、人間中心主義、二元対立的な考え方を、ヨーロッパ思想に片付けたのですね。実は二元対立とか人間中心主義とか、ヨーロッパの特有のものではないでしょう。人間の心の働きは同じです。たしかにヨーロッパは現代文明のリーダーになっています。でもアジアの人々も追い付いていこうと一生懸命です。洋の東西を問わずに、今、人類全体が共に歩んできた道を反省し、共に未来への道を求めるべき時期だと思います。野間さんも、この環境の危機を乗り越えるために、近代合理主義を超えて、国を越え、海を越えて、人間同士は共に手をつないで、共に新しい生命観、自然観、生命倫理観を構築するのが不可欠だと言いました。
 

 
ナレーター:  野間宏は、私たち人間がよって立つべき生命観について、次のように述べています。
 
弥陀の光明が、太陽の光のように、もろもろの人民、とび歩く小さな虫けら(?(けんひ))、うごめくウジ虫((ぜんどう))など一切の生命をもったものにひとしく光を惜しみなく届かせる。
そういう仏教の浄土理論には、現代において自然界の生き物のいのちと人間のいのちの関わりを明らかにする生命理論がそなわっている。
一切の有情(うじょう)
みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母兄弟(ぶぼきょうだい)なり(『歎異抄』)
この世の生きとし生けるものは、人も他の生き物たちもみんないのちは繋がっている。
 
三十年も前から地球環境の問題に注目し、親鸞の生命観にその解決の手掛かりを求めた野間の先見性に、張さんは深く感銘を受けると言います。
 

 
張:  野間さんは、『親鸞』という作品の中で、『教行信証』の一節を引用して、このように述べました。
 
もろもろの無数天下の幽冥(ゆうめい)のところを炎照(えんしょう)するにみな常に大明(だいみょう)なり
諸有の人民 ?(けんぴ)(ぜんどう)の類
阿弥陀仏の光明を見ざることなきなり
 
即ち親鸞は、小さい虫にも眼差しを注ぎ、その動物たちと深い関わりを持って生きていた
 
と野間さんは述べたのです。即ち野間さんは仏教と親鸞思想に、新しい自然観、生命観、倫理観を生じてくることを期待したのです。今、地球の危機、環境の危機を解決する道を、野間さんは仏教の「慈悲(じひ)」に求めると述べたのです。そこには野間宏の追求の新しい到達点を示しています。「慈悲」は仏教の根本です。「慈」は喜び、「悲」は痛みです。「慈悲」とは喜びや痛みを一つの心で共有するとのことです。仏教の意味においての心は、体の感覚をも含んでいるのです。他者の苦しみや悲しみを、我が身の痛みで受けるところには、仏教の慈悲の特徴があります。一つの痛みの中で、自己と他者の血肉が繋がってくるのですね。そういう感受性を育てることができれば、今のような宇宙に文明の発展を求めて歯止めも効かない自然破壊を進めている人類の歩みに、一つの方向転換の可能性が現れてくると思います。お経において「自然(しぜん)」を「じねん」と言いますね。それは物質世界のものではなくて、一種の永遠無限の働きです。親鸞の自然観とは何なのか。仏教の考えでいうならば「縁起(えんぎ)」ですね。物事が縁によって生じ、縁によって展開して、縁によって消滅していくという考えで自然を考えています。また自然というより、私たちを取り巻く環境について、そういうふうに考えています。この世を「穢土(えど)」と言うでしょう。阿弥陀如来の世界を「浄土」と言います。浄土にいくことは、一つの世界からもう一つの世界にいくというような交換的な場所の移動ではありません。私の身をこの泥沼のような現実から救い出して、良いところに置くのではありません。泥沼のような現実で藻掻(もが)いていきます。藻掻きながら常に大いなる力から藻掻いていく勇気を頂くということです。それは一種の心の働きの転換を意味するのです。南無阿弥陀仏を唱えることは、私たちの人生感覚の転換を促します。「ナンウアミトフォ」と唱えて、彼岸から響いてくる響きを聞き、大いなる阿弥陀如来の眼差しを感じます。そのうちに自分の人生のうえには、永遠無限な働きが働いていることを感じる。自分のいのちへは大いなるいのちに進まれることを感じるのです。そこにはもし本当にそういう感受性が育てられていくならば、何か素晴らしいものが現れてくると思います。
 
加瀬:  自然破壊、環境破壊を食い止めるのは、これは人間がやらなければならないことですけれども、その人間の心のうちに親鸞の教えが息づいているということが必要になりそうですね。
 
張:  そうですね。環境破壊、地球破壊を食い止めるには、人間が取り組まなければならないですね。今、みんなさまざまに努力しているようですね。例えば新しい技術の開発によってできるだけ二酸化炭素を削減したり、また日常生活の中で地球エコに気をつかいながら生きていくことですね。これは大切なことですが、いくら頑張っても、実は自然を破壊しなければ、人間は生きられないのです。また「いのちの平等」と言いながら、他のいのちを犠牲にしなければ、私たちは生きることはできないでしょう。こういう厳しい現実を生きていくには、何を大切にしなければならないのでしょうか。まず親鸞の教えを踏まえて、今の破壊された地球環境に直面する時、自分が悪い、自分の悪を自覚すること、また私たちのいのちのために、犠牲になった他のいのちの悲しみや苦しみを自分自身の痛みとして感じることはとても大切です。また人生の道の方向も大切です。それについて親鸞聖人の教えがあります。『正信偈(しょうしんげ)』の言葉です。
 
凡聖逆謗斉回入(ぼんしょうぎゃくほうさいえにゅう) 如衆水入海一味(にょしゅしいにゅうかいいちみ) (凡夫も聖人も罪を犯した者もすべて川が海に流れ込むように阿弥陀如来の本願海(ほんがんかい)に導かれる)
 
本願海は「大慈大悲」の海です。「絶対平等」の海です。これは私が親鸞聖人に教わった人生の道の方向です。また人類が共に展開されるべき方向だと思います。阿弥陀如来の大いなる慈悲の眼差しは、すべての人間を罪悪煩悩として見ていますが、また一つ一つ小さいいのちの大切さをも見逃していません。お釈迦様はこのように言いました。
 
衆生はみんな蓮です。蓮は色がそれぞれです。赤いのも黄色いのも青いのも白いのもあります。でも蓮であることは同じです。また蓮は、置かれた状況がそれぞれです。綺麗な花として咲いたのもある。蕾になって咲こうとしたのもある。水面に出ようとしたのも、また泥沼の中に藻掻いて全然蓮の形が見えないのもあります。でも条件を与えるならば、みんな綺麗な蓮として咲くことができるのです。
 
加瀬:  張さんには、八百年前の親鸞の思想から今を読み解くということをして頂きましたけれども、こんな時代だからこそ、心しなければならないことと言いましたら、それは何でしょうか。
 
張:  仏教の思想の核心は「大慈大悲(だいじだいひ)」です。親鸞の思想の核心もここにあると思います。「大慈大悲」とは、すべていのちの苦しみや悲しみを自分自身の痛みとして感じ、すべてのいのちを苦しみから救い出そうという大いなる働きです。今の時代こそ、他者の、その他のいのちの苦しみや悲しみを自分自身の痛みとして感じるという感受性がもっとも大切なんだと思います。親鸞は、私にとって八百年前の人で終わらないのです。今ここにいると思えてならないです。海を越えて伝わってきた念仏は、日本の風土に生かされ、親鸞の血肉に温められて、涙と痛みを持って、もっとも人間の心の深いところに届く力になっています。そういうような大切な教えは、これから海を越えて、さらに広く広く海を越えて、苦難に満ちた地球の各地に広がっていくようになることを、私は心から願っております。
 

 
ナレーター:  張さんは、日本で育(はぐく)まれた親鸞の思想とそのメッセージを、今、故郷中国に送り届けようとしています。『歎異抄』の中国語訳をようやく成し遂げ、北京で出版する準備を進めています。そして引き続き、親鸞の『教行信証』の中国語訳にも取り組んでいます。中国人の張さんが、「何故日本の親鸞なのですか?」、張さんはよくそう問われることがあるそうです。一言で言えば、「親鸞の思想が涙によって貫かれているからです」、張さんはそう答えています。人間のあらゆる違いや異なりを越えて、人間の心に迫るもの、それは理性を超え、分別を超えて、人間の心の奥底からしみ出る痛みと慈しみの涙なのではないか。張さんは親鸞からその涙の力を教えられたのだ、と言います。親鸞が、その一心で受け止めた仏の眼差し。その同じ仏の眼差しに包まれて自分も生きている。そう感じることで、張さんは苦しみながらも、生きていく力を与えられてきました。四十年前の父との記憶も、以前とは違った思いで噛み締めるようになったと言います。
 

 
加瀬:  お父さんはどんなふうにご覧になっているんでしょうね、娘の張さんを。
 
張:  そうですね。父は、自分自身が他者を怨まない、他者と戦いたくない、と思っていたのに、やっぱり人間闘争に巻き込まれました。父の一番苦しんだのは、やっぱり人間同士の戦いですね。私は親鸞聖人に人生の道を教わりました。人間同士の戦い、殺し合う悪循環を乗り越える道を教わりました。これから父と一緒にその方向に向かって、苦悩に満ちた現実を藻掻きながら共に生きていきたいと思います。亡くなっても藻掻いていると思います。
 
加瀬:  お父さんが?
 
張:  はい。その道を見付けないままで亡くなったでしょう。その時私も同じように藻掻いていました。人生の道の方向を知らずに、無我夢中に何かを求めようとしました。今はその人生の道の方向を教わりました。だから、父と一緒に同じ方向に藻掻いていこうと思います。
 
     これは、平成二十年九月七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである