道元のことば C貧に道あり
 
                       駒澤大学教授 角 田(つのだ)  泰 隆(たいりゅう)
                       ききて    草 柳  隆 三
 
草柳:  「道元のことば」の第四回になりました。道元禅師の弟子懐奘(えじょう)の手になる『正法眼蔵随聞記』では、修行者に対して、仏道の心構えといったものを大変厳しく説いている。それを今まで見てきたわけですが、とりわけ今回のテーマ「貧に道あり」というのは、現代の修行者にとってもかなり厄介なものではないかという気がするんですね。今日のテーマの「貧というのは一体どういうことなのか」ということについて、いつものように駒沢大学教授角田泰隆さんにいろいろ伺ってまいります。どうぞよろしくお願い致します。
 
角田:  よろしくお願い致します。
 
草柳:  今日は「貧」がテーマになるわけですが、前回は「我執を離れる」、つまり「私が、私が」というふうに言っていたんではダメだ、ということだったですね。
 
角田:  そうですね。「我執」というのは、自分自身に対するとらわれであるわけですけど、一般的な言い方をすれば、「エゴ」ということになると思いますが、そのエゴを離れる、ということですね。あらゆる私たちの日常生活における苦悩―苦しみや悩みというのはこのエゴの心、我執がもととなって、そこから生まれてくるというふうに言われるわけです。自分というものを、自我意識と言いますが、「俺が、俺が」という心が非常に強いですと、自分と他人を比較したり、あるいは対立させたり、また競争したりするわけですね。そこで優劣とか、損得とか、そして勝ち負けとか、そういうものが生じて、そこから我々はいろいろな苦しみや悩みというものを受けると言いますか、そういうものが生じてくるわけなんです。その我執というのは、自分自身に対するとらわれ、ということなんですけども、と同時に、自分の持っている物、自分の所有物、そういうものに対するとらわれでもあるんですね。ですから今日の「貧なるべし。貧に道あり」というのは、自分自身の所有物、持ち物という物に対する話でもありますので、大きくみれば我執というものと関係してくるわけですね。それを離れるということが大切ですね。
 
草柳:  そうすると、今日のテーマは、前回のテーマ「我執を離れる」ということの心構えは一体どういうふうにすれば、ということに繋がっていくと思うんですが。
 
角田:  そうですね。具体的なあり方として、どのような実践をしていったらいいのか、ということになりますね。
 
草柳:  「貧」というのは文字通りみると、「貧しさ、あるいは貧しくある」ということですよね。
 
角田:  そうですね。そうすると、何か「貧乏であれ」「貧しくあれ」というふうにも受け取られがちなんですが、必ずしも貧乏に生きればいいということではなくて、欲を離れると言いますか、物に対する欲望というもの、とらわれというものを離れるという意味での貧ということについて、これからお話をさせて頂くんですが、結論的にはそういうことにはなると思いますね。
 
草柳:  当然「貧」ということ、「貧であるべきだ」ということの中には、物質的なことも入っているわけですよね。
 
角田:  そうですね。物ということですね。
 
草柳:  今、私たちの身の周りはほんとに物だらけですから、その中で貧ということを考えたり、あるいは心構えとしてどう持つかということを考えるというのは、けっこうこれは厄介なことのようですね。
 
角田:  そうなんです。非常にこれが難しいんですね。私自身にとってみても、それでは私は貧であるのか、と。今、道元禅師は「貧しくあれ」と言われますけれども、自分がそういう状態であるのかというと、決してそうではありませんんので、そこのところで、今日の「貧に道あり」というものに限らず、今までずっと「出家とは何か」という問題も、「我執を離れる」という問題も、私自身が道元禅師の教えをみなさんに解説しながら、みんなこう自分自身に返ってくるんですね。そういう点では非常に辛い難しい問題なんですが、今日の「貧」ということは特にその中でも自分自身、これは難しい問題だというふうに思うんですね。これについては、私が学生の頃道元禅師の教えを学ばせて頂いた鏡島元隆(かがみしまげんりゅう)という先生がおられるんですね。鏡島先生は道元禅師の研究の第一人者と言われた大変勝(すぐ)れた学者であられたんですが、勿論お寺の住職であり僧侶でもあった先生なんですが、やはり『正法眼蔵随聞記』を取り上げて、『正法眼蔵随聞記に学ぶ』という本をお書きになっているんです。その中で今回の「こころの時代」と同様のテーマを取り上げて、それについてお話をされているんです。その中で鏡島先生も「学道はすべからく貧なるべし」というところにおいて、「これは非常に難しい問題だ」とおっしゃっているんですね。「難しい」というのは、理解するのに難しいのではなくて、実践するのに難しい、と。だから、「このテーマはできれば避けて通りたい」とおっしゃっているんです。「避けて通りたいんだけれども、しかし『正法眼蔵随聞記』の中では非常に重要なテーマですから、どうしても避けて通ることができない」ということを本でお書きになっているんですね。
 
草柳:  角田先生も今日はかなり辛いところですか。
 
角田:  辛いところがありますね(笑い)。それで鏡島先生がその本の中で、キリスト教にも同じ話があるということで、鏡島先生が紹介されているんですね。「イエスのところにある求道者(ぐどうしゃ)が訪ねて来るわけです。非常に富める者であった。財産を持った者が訪ねて来まして、その者がイエスに対して、「師よ、わたしは何をしたら永遠の生命を嗣(つ)ぐことができるでしょうか?」と質問するわけです。するとイエスが、「モーゼ律にあるように、姦淫せず、殺さず、盗まず、汝の父と母を敬え」というんです。そうしますと、その求道者は、「そういうことであれば、私は生まれた時からずっと守ってまいりました」というんですね。それを聞いたイエスが、「いや、もう一つなお足らぬことが一つある。汝の持てるものをことごとく売って、貧しき者に分かち与えよ。その後で来たって我に従え」とこういうふうにいうわけです。それを聞いてその求道者は大変悲しみ畏れ、イエスの前を去って行く。求道者が立ち去って行く後ろ姿を見てイエスが、「富めるものの神の国に入るはいかに難(かた)いかな。富めるものの神の国に入るは駱駝(らくだ)が針の穴を通るより難い」と言ったという。
 
草柳:  もうほとんど不可能であると、
 
角田:  そうですね。「針の穴を駱駝が通る」という喩えで、それは不可能なんだ、と。富める者は神の国に入ることが難しいという。そういう喩えをあげて、そして鏡島先生は、「私も、もし釈尊(お釈迦様)にそう言われたら、あるいは道元にそう言われたら、やはりこの求道者と同じように、畏れ悲しんでその元を立ち去るしかない」と、こういうふうにおっしゃっているんです。それでその最後の結びとして、「私も道元禅師の元を立ち去らねばいけない。そういうことを痛む心を持って告白しなければならない」という形でおっしゃって、この論を進めておられるんですね。
 
草柳:  その辺の事情を『随聞記』ではどういうふうに言っているのか、ということを先ずそれを読んでみましょう。
 
一日(いちじつ)、僧来りて学道の用心を問ふ次(つい)でに、示(じ)に云(いわ)く、学道の人は先づすべからく貧なるべし。財多ければ必ずその志を失ふ。在家学道の者、猶ほ財宝にまとはり、居所を貧(むさぼ)り、眷属(けんぞく)に交れば、直饒(たとい)その志ありと云へども、障道(しょうどう)の縁多し。・・・
僧は一衣一鉢(いちえいっぱつ)のほかは財宝を持たず、居所を思はず、衣食(えじき)を貧らざる間(あいだ)、一向に学道す。これは分々(ぶんぶん)みな得益(とくやく)あるなり。その故は、貧なるが道に親しきなり。
(『正法眼蔵随聞記』四ノ十一)
 
「財多ければ必ずその志を失う」なんて、今のお話ですね。
 
角田:  そうですね。これを解説をしていきますが、「一日(いちじつ)」ある日、「僧来りて学道の用心を問ふ次でに」ある僧が道元禅師のもとにやって来て修行のうえでの心得を道元禅師に質問した。その時に、「示に云く」道元禅師が示して言われた。「学道の人は先ずすべからく貧なるべし」これは有名な言葉なんですね。学道の人―修行者は第一に必ず貧しくなければいけない。貧(ひん)でなければいけない。「財多ければ必ずその志を失ふ」たくさんいろいろなものを持っていますと、必ずその道を求める志を失ってしまう。「在家学道の者、猶ほ財宝にまとはり」一般の方々の中にも自宅で仏教を学んで修行している者もいたわけです。いわゆる居士(こじ)と言われる人々ですけれども、そういう在家学道の人たちも、「猶ほ財宝にまとはり」―まとわりというのは囲まれているということですが、いろいろな財産を持っている。ざまざまなものに囲まれている。そして「居所を貧り」良い住まいを求める。「眷属に交れば」眷属というのは家族とか、親戚とか、一族のことですが、そういう人と関わっているので、「直饒(たとい)その志ありと云へども」道を求める志がたといあっても、「障道の縁多し」修行を妨げる、縁というのは条件・原因となるものですが、修行を妨げる原因となるものが多い、と。「僧は一衣一鉢のほかは財宝を持たず」それに対して僧侶というのは昔から一枚のお袈裟と一つの鉢―食事をしたりする時の食器、あるいは托鉢、乞食(こつじき)ということをしたわけですが、その時に食べ物を盛ってもらって歩く、その鉢ですね。これは「三衣一鉢」という言葉もございますが、ここでは道元禅師は「一衣一鉢」とおっしゃっています。まあ必要最低限のわずかな衣類と一つの応量器(おうりょうき)と言われる鉢がある。それが僧侶の持ち物なんですね。その他は財宝を持たない。そして、「居所を思はず」自分の住居ということも思わない。雲水と言われるように、雲のように水の如くあちこちと旅をして歩くわけですから、居所を思わず、「衣食を貧らざる間」衣類や食べ物を貪らないので、「一向に学道す」ひたすら学道をすることができる、と。「これは分々みな得益あるなり」分分というのはそれぞれということですね。それぞれみな利益を得るところがあるからである。それぞれというのは、衣食住において必要最低限の生活をするわけでありますので、それらの物というものに心を奪われることがないんですね。それで修行に専念できるということから、さまざまな利益を得る、悟りを得るとか、あるいは心の平静を得ることができる、そういうような利益を得ることができる、ということですね。「その故は、貧なるが道に親しきなり」その理由は貧しいことが道に親しいのである、と。こういう解釈なんですね。
 
草柳:  ここのポイントとしては、「ひたすら道を求めなさい。妨げになるものはどんどん排除しなさい」ということですね。
 
角田:  そういうことになりますね。最後の「貧なるが道に親しきなり」という言葉もありますけれども、「貧」という、「貧しい」というそのものを讃えているのではなくて、道に親しきなり、というところなんですね。結局修行するものは、道を求めるというのが第一でありますから、それにあたって財がありますと、道を求めるということの邪魔になるわけです。そういうことから「貧なるが道に親しきなり」と。それは大変重要なポイントであるかと思いますね。
 
草柳:  そのためにはさらに具体的には、仏教の場合には、釈尊といってもいいと思うんですけれども、どういうふうなことを言っているわけですか。
 
角田:  そうですね。私たちが物を持つ、あるいは所有するということになりますと、それをずっと維持しようと思ったり、あるいはそれを持っていますと、奪われまえと思いますし、またなくさないようにと思いますし、いろいろな煩わしいことが増えるわけですね。心配事が増える。基本的には釈尊の頃から僧侶というのは必要最低限のものを持って、そして自分の所有物を少なくすることによって精神的な安楽こそが大切だったんじゃないでしょうかね。精神的なものですね。
 
草柳:  それこそ宗派を問わず、仏教ではとても大切な言葉だと思うんですが、「少欲知足(しょうよくちそく)」という言葉がありますね。あれは釈尊の頃からの言葉なんですか。
 
角田:  そうですね。『仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)』というお経に出てくるわけですけれども、道元禅師がここで「貧なるべし」と言っていることも、中国においてもやはり「修行というのは貧でなければいけない。豊であっては修行を全うすることはなかなか難しい」ということを言っています。古くは釈尊の教えそのものの中に、『遺教経』というのは、お釈迦様が亡くなる直前に弟子たちに説かれたという教えなんですが、その中の第一番目と第二番目に「少欲」と「知足」ということが説かれているんですね。如何にそれが大切であったかということになると思います。
 
草柳:  そこのところを読んでみたいと思います。
 
一つには少欲。仏言(のたまわ)く、汝等比丘(なんだちびく)、当(まさ)に知るべし、多欲の人は多く利を求むるが故に、苦悩も亦多し。少欲の人は、求むること無く欲無ければ、則ち此の患(うれ)い無し。・・・
少欲を行ずる者は、心則ち坦然(たんねん)として、憂畏(うい)する所無し、事に触れて余り有り、常に足らざること無し。
(『正法眼蔵』八大人覚)
 
先ず前半の「少欲」のほうなんですが、
 
角田:  これは道元の『正法眼蔵』の中の「八大人覚(はちだいにんがく)」という巻で説かれているものから引用しているわけですが、釈尊の『遺教経』をさらに道元禅師が短く纏められて示されているものであります。この「八大人覚」というのは、八つの、大人(だいにん)というのは仏という意味なんですが、八つの仏の覚(さと)りですね。あるいは覚りに至るための実践と言ってもいいかと思います。第一番目に「少欲」ということが説かれております。「一つには少欲」これは欲を少なくするということですね。「仏言く」釈尊がおっしゃった。「汝等比丘」みなさん修行者よ、「当に知るべし」まさに知るがよい。「多欲の人は」欲の多い人は、「多く利を求むるが故に」多く利益を求めるので、「苦悩も亦多し」苦悩もまた多い。それに対して、「少欲の人は」欲の少ない人は、「求むること無く欲無ければ」求めることがなく、欲がないので、「則ち此の患い無し」此の患い無しというのは、苦しむことがないということですね。「少欲を行ずる者は、心則ち坦然として」少欲を実践する者は、心が、坦然というのは平安・平静であるというような意味ですが、心が平静であって、「憂畏する所無し」この「憂畏」の「憂」は憂いですね、「畏」は畏れ、憂いたり畏れたりすることがない。「事に触れて」どのような出来事に触れて出遭っても、「余り有り」というのは、余裕があるということですね。「常に足らざること無し」常に満足しないということがないのだ。こういうことが第一番目に説かれているわけですね。
 
草柳:  この後二番目を紹介したいんですが、「少欲」というふうにいっているからには、欲を否定しているわけではないんですか。
 
角田:  否定しているわけではないんですね。釈尊も、「女性に対して、時々は装飾品を与えなさい」というようなことも言っておられます。一切そういうものを持つなとか、否定したわけではなくて、あまりな贅沢はいけないということに理解してよろしいと思うんです。少欲というのはあまり物を持っていない人は、それ以上にあまり持たないようにする。そういう欲を少なくしていくということであります。次の「知足」というのは、今度はある程度持っている人が、今持っているもので満足していく、ということになるんです。
 
草柳:  では、その部分をお読みしましょう。
 
二つには知足(ちそく)。仏言く、汝等比丘、若(も)し諸の苦悩を脱せんと欲せば、当(まさ)に知足を観ずべし。知足の法は、則ち是れ富楽安穏(ふらくあんのん)の処なり。知足の人は、地上に臥(ふ)すと雖も、猶ほ安楽なりとす。不知足(ふちそく)の者は、天堂(てんどう)に処すと雖も、亦た意(こころ)に称(かな)わず。不知足の者は、富むと雖も而も貧しし。知足の人は、貧ししと雖も而も富めり。
(『正法眼蔵』八大人覚)
 
これをちょっと簡単にご説明して頂けますか。
 
角田:  「二つには知足」知足は足ることを知るということで、満足するということですね。「仏言く」釈尊がおっしゃった。「汝等比丘」みなさん、修行者たちよ。「若し諸の苦悩を脱せんと欲せば」さまざまな苦悩から抜け出ようと思うならば、「当に知足を観ずべし」まさに満足するということをよくよく知りなさい。「知足の法は、則ち是れ富楽安穏の処なり」満足するという、そういうあり方というのは、そこのところに心の豊かさとか安らぎというものがあるんだ。「知足の人は」この満足を知ることが出来る人は、「地上に臥すと雖も、猶ほ安楽なりとす」この地上というのは、次の天堂という言葉に対して、私たち人間界。天堂のほうが天上の世界というような解釈ができますけれども、この人間界で今寝て居ても、地上で寝ているような私たちも、この満足を知る人はなお安楽である。安らかな気持でいるんだ、と。それに対して、「不知足の者は、天堂に処す」満足を知らない人は、天上界で暮らしていたとしても―天上界というのは非常に物質的には恵まれた何不自由のない満ち足りた世界として仏教で考えている世界ですが、そういう満ち足りた世界に居たとしても、「亦た意(こころ)に称(かな)わず」また満足することがないんだ、ということですね。この地上とか天堂というのを、また違う解釈をしてみますと、この地上というのは地面に寝ていても、というふうにも訳すことができます。例えば地面に直接寝ているような生活をしていても、豊な気持でいるし、「天堂に処す」というのは御殿のような立派な建物に住んでいても満足できない、という解釈もできるんですね。「不知足の者は、富むと雖も而も貧しし」足ることを知らない者は、物質的に裕福であっても心は貧しいのだ。「知足の人は、貧ししと雖も而も富めり」満足を知ることができる人は、物質的には貧しくても、心は富んでいる。豊であるのだという、そういう言葉でありますね。
 
草柳:  まさにこの辺はその心構えを説いている部分なんでしょうけれども、今のようなお話を伺って、『随聞記』をずっと見ていきますと、例えば宮沢賢治の「雨にも負けず」という詩がありますね。「一日に玄米四合と味噌とわずかな野菜を食べる」という、あれをチラッと思い出すんですよ。
 
角田:  そうですね。私も大好きな詩なんですけれども、まさに必要最低限の人間の生活のあり方が健康にはきっといいんでしょうね。私もそういう宮沢賢治の詩なんかをこういうところで思い浮かべるわけなんですけどね。ここに、「一つには少欲」「二つには知足」とありますけれども、全部で八つあるんです。「八大人覚」と言って、お釈迦様が亡くなる直前に弟子たちに説かれたという八つの実践があるんです。後の六つは何だろうかというふうに思われると思いますので、簡単に説明していきますと、三番目は「楽寂静(ぎょうじゃくじょう)」静かな場所を好んで修行する。四番目は「勤精進(ごんしょうじん)」修行を怠らずにずっと修行を続けていく。五番目は「不妄念(ふもうねん)」釈尊の教えを常に心の中に思っている。六番目は「修禅定(しゅぜんじょう)」坐禅をする。七番目は「修智慧(しゅちえ)」智慧を磨いて、智慧を用いた生活を行う。八番目は「不戯論(ふけろん)」無駄な議論とか、論争をしない。こういう八つの教えがありまして、その中の一番目と二番目に、「少欲」と「知足」ということが説かれているんですね。
 
草柳:  最初と二番目にこれがあるということは、それだけ少欲、知足ということの大切さを強調したいということの現れなんでしょうか。
 
角田:  当然そうだと思いますね。一番目と二番目にこの二つがあるということですね。
 
草柳:  「ただひたすら学道する」というのは何回も出てきますけれども、でも食べる物、あるいは着る物の必要最低限ということを考えると、その辺はどうなんですか。衣食(えじき)ということは?
 
角田:  そうですね。やはり必要最低限の衣食は勿論必要なことでしょうね。食べなくては生きていけないし、着る物もなければ困りますから。それでもなお道元禅師はそういうものよりも先ず修行ということをいうんですね。それは何故かと言いますと、ちょっと次の話を見てみたいと思うんですが。で、次の話の前に中国でもやはり「貧とか、貧しくあれ」ということは言っていたんです。中国において、禅が看話禅(かんなぜん)(公案を参究して悟りを目指す禅)と黙照禅(もくしょうぜん)(悟りを求めず黙々と坐禅をする)というふうに大きく二つに分かれていく時期があるんです。日本で言えば臨済宗と曹洞宗に分かれていくと言いますか、看話禅と言われるほうは臨済宗の系統になっていくわけです。黙照禅と言われるほうは曹洞宗の系統の禅となっていくんです。黙照禅の系統の宏智正覚(わんししょうかく)(1091-1157)という方のお話なんです。この宏智禅師という方は中国の宋代の方でありますけれども、天童山景徳寺(てんどうざんけいとくじ)というお寺の住職をされているんですね。そのお寺は大変大きなお寺で、千人の修行者が居てもなんとかなるようないろいろなものも揃っていて、食料も貯えてあるような非常に大きな修行道場だったんですね。お寺の中で修行している人が七百人、そして中に入れず外で暮らしている人が三百人おった、という。千人も一つのお寺で修行していたという非常に大きなお寺だった。福井県の永平寺も日本では非常に大きな修行道場なんですが、大体二百人くらいなんですね。千人というのは凄い数なんです。ところが宏智禅師が天童山の住職になりますと、当時大変人気のあった偉大な禅師であったので、さらに人が増えたんですね。お寺の中で生活する人が千人になり、外で生活している修行する人が五、六百人というような大勢集まってしまったんですね。その時に知事と言いまして修行道場の中で経営を司る―食料の調達とか、財政的なことを司る役の人がいるんです―その知事が宏智禅師に、「こんなに人が多くなりますと、修行することができない。だから少し禅師のお気持ちもわかるけれども、五、六百人減らさないとお寺がやっていけません」というふうに言うんです。そうしますと、宏智禅師が、「人々、皆、口あり。汝が事にあずからず。嘆くことなかれ」というんですね。「みんな口を持っているんだから心配することはない。ほっとけ」というようなことをいうわけです。それはどういうことかと言いますと、食べるということは誰でも食べないと生きていけませんからなんとかするんですね。そして着る物もないと困りますので、ほっといてもみんななんとかするものだ、と。そうであるから先ずは修行を怠らないように厳しく言っておかないと修行そのものがだんだんされなくなっていっちゃうんですね。だから非常に修行ということを厳しくいうんです。食べるとか、着るとか、ということは放っておいてもみんななんとかするものだ、と。信者のところに廻って食物を貰い歩くとかね。
 
草柳:  そういうことから着る物で言えば、例えば糞掃衣(ふんぞうえ)みたいなものが出てきたんでしょうね。
 
角田:  はい。糞掃衣(ふんぞうえ)については前にお話しましたけどね。だから食べる、着ることは大切なことなんです。大切なことなんですからほんとは強調しなければいけないんですが、ただこれはほんとに生きることの基本的なことだから、そんなに言わなくてもみんななんとかするだろう、と。もし食べられなくなればこっちから出ていけ、と追わなくとも自然とみんな居なくなる筈だ、と。だから敢えて修行僧を少なくするように考えなくてもよい、ほっとけ、というようなことを宏智禅師が言っているわけですね。
 
草柳:  そして、その後にこういう下りになるわけですね。その部分を読んでみますと、
 
人皆生得(しょうとく)の衣食(えじき)有り。思ふによりても出来(いできた)らず、求めずとも来らざるにあらず。・・・
釈尊遺付(ゆいふ)の福分(ふくぶん)あり、諸天応供(おうぐ)の衣食あり。また天然生得の命分(みょうぶん)あり。求め思はずとも、任運として有るべき命分なり。直饒(たとい)走り求めて財をもちたりとも、無常忽(たちま)ちに来たらん時如何。故に学人はただ宜しく余事に心を留めず、一向に道を学すべきなり。
(『正法眼蔵随聞記』三ノ十)
 
言いたいことは最後の「学人はただ宜しく余事に心を留めず、一向に道を学すべきなり」なんでしょうけれども、簡単に説明して頂けますでしょうか。
 
角田:  今も申し上げました宏智禅師のお話に続いて、この話というものを考えた時に、というところから繋がっていく部分なんですね。「人皆生得の衣食有り」人は皆、生まれながらに得ている、備わっているということですね。仏教では、そういう考え方です。みんなそれぞれ生まれながらに備わっている衣類だとか、食事の量というものがあるんだ。「思ふによりても出来らず」いくら求めてもそれは得られるものではなし、また、「求めずとも来らざるにあらず」求めないからといって、得られないものでもない。求めなくとも得られることもあるわけですね。「釈尊遺付の福分あり」これは実はお釈迦様というのは、ほんとは百歳生きるだけの徳のあった方なんですが、それを二十年縮めて―八十歳で亡くなっているんです―八十歳で亡くなったということは二十年縮められた、と。何故縮められたかというと、後代の弟子たちのために、その福分―食べ物とか衣類のそういうお徳、量を後世の弟子たちに分け残されたという、そういう信仰があるんです。「諸天応供の衣食あり」諸天というのはもろもろの天人が仏教ではいるわけですけれども、言葉を換えれば、大自然の恵みというふうにいってもいいんですね。木の実を食べたり、あるいは自然にある植物なんかを身に纏ったりして、ということだと思いますね。「また天然生得の命分あり」天然というのは生まれながらに、生得―備わっているということですね。生まれながらに備わっている、命分は寿命のことであります。私たちの寿命も生まれながらに備わっているんだという仏教の信仰ですね、「求め思はずとも、任運として有るべき命分なり」求めたり思ったりしなくても、運に任せてある私たちの寿命である。自然と備わっている寿命である、と。だから、「直饒走り求めて財をもちたりとも」たとい走り廻って求めて財産を持ったとしても、「無常忽ちに来たらん時如何」この無常というのは死そのものですね。死ということを無常というんです。つまり死というものが突然やって来たら一体どうであろう、と。「故に学人はただ宜しく余事に心を留めず」だから修行者はただ、余事というのは修行以外の衣食というものに心を留めず、煩わせないで、「一向に道を学すべきなり」ひたすら修行を行うべきである、と。こういうふうに解説することができますね。
 
草柳:  ここの今のところのポイントというのは、勿論「一向に学道すべきだ。余事に心を留めず」というところだろうと思うんですけれども、つまりそういうふうにひたすら道を極めようというふうに修行していれば、自ずから着る物や、食べる物は備わってくるということなんですか。
 
角田:  そうですね。そういうように信じてとにかく修行に専念しなさい、と。食べる物、着る物はなんとかなるものだ。備わってくるものだ、と。お釈迦様が残されたんだ。こういうのはやっぱり修行する者にとっては心強いですね。信仰なんですけれども、だから大丈夫なんだ、修行していればそういうものは心配しなくとも自然と備わるものなんだ、という考え方ですね。道元禅師よりちょっと前に栄西(えいさい)(1141-1215)禅師がおられたんですね。栄西禅師の話も『随聞記』の中にはたくさん出てくるんですね。それを見ますと、非常に生活が苦しかった、と。
 
草柳:  道元と栄西は大体同時代になるわけですか。
 
角田:  そうですね。栄西禅師の方が少し早いんですけれども。道元禅師が十五歳ぐらいの時に栄西禅師は亡くなっている。『随聞記』の中に栄西禅師の話はいくつも出てきまして、それは京都の建仁寺での話なんですね。建仁寺というお寺は建仁三年(1203)に源頼家(みなもとのよりいえ)が創建して、栄西禅師が開山になっているんです。そのお寺の話がよく出てくるんですが、非常に貧しいお寺だったんですね。食べる物がない。こんな話が実は出てくるんです。台所に一切食べ物がなくなってしまうわけですね。栄西禅師がある信者さんの家に行った時に絹を一疋―二反ぐらい供養を受けるわけです。そして栄西禅師はそれを頂いて他の者に持たせずに、自分で懐に入れて大切にお寺まで持って来て、そして食事の係の僧侶に渡すんです。「これをお金にして、明朝みんなに食事(お粥)をこれで食べさせてやってくれ」と言って渡すんです。ところがその直後に別の信者さんが来るんですね。「ちょっと困ったことになりまして、絹が数反必要になってしまった。もし少しでもあればお分け頂けないでしょうか」と頼むわけです。すると栄西禅師はさっき貰ってきた絹をその食事係の人から取り返して、その信者さんにあげてしまうんです。みんな修行僧ががっかりするわけですよ。明日朝これで食事ができると思っていたら、栄西禅師がそんなことをされた。そんな話も出てくるくらい非常に当時の建仁寺は食べ物がないという時期があったんですね。それからこんな話もあるんですね。栄西禅師の話で、在家の信者の方が訪ねてくるんですね。その人は非常に貧しい人で夫婦と子どもが三人いるんだけれども、「もう数日何も食べていない。このままでは飢え死にしてしまうから何かあったらお恵み頂けないでしょうか」と建仁寺を訪ねて来るわけです。それで栄西禅師がお寺のあちこち見渡しましても、厨房には食べ物が何もないんです。差し上げるような絹も衣類の材料も何もない。それで困りまして、その時たまたま薬師如来のお像がありまして、その仏像の光背にするためにとっておいた銅板があったので、栄西禅師はそれを砕いて束にして、その者に、「これをお金に換えて飢えを凌(しの)ぎなさい」と与えてしまうんです。そんな話がありますね。これは仏物己用(ぶつもつこよう)という罪になるんですね。お寺の公の物を自分で人にあげてしまうというのは、お寺の決まりとしてはほんとはいけないことなんですね。で、周りの弟子たちもちょっと栄西禅師がされたことに対して、「それは大変な罪を作ることになってしまわれるんじゃないでしょうか」と言いますと、「いや、いいんだ。自分は罪を犯して地獄に堕ちたとしても、一般在家の人たちの飢えを救ってあげないといけないんだから、仏様の身になって考えれば、自分の体を施しても救ってあげる筈だから、仏像そのものをあげてしまってもいいくらいなんだ」というようなことを言って、弟子たちを説得するんです。そういう話があるくらい当時ほんとに食べ物がなかったんですね。
 
草柳:  当然ひもじい思いを修行者は強いられるわけですね。栄西だってそれを見て、何とかしたいという気持は当然あったんでしょうけど、でも今言ったような在家の人にその物を与えた栄西の考えというのは一体どういうところからきているのかというのを、さっきの話の続きとして『随聞記』の中でこんなふううに言っているんです。
 
後に僧正自ら云く、「各、僻事(ひがごと)にぞ思はるらん。然れども、我れ思はくは、衆僧面面仏道の志ありて集まれり。一日絶食(ぜつじき)して餓死すとも、苦しかるべからず。俗の世に交はれるが、指当りて事闕(ことかく)らん苦悩を助けたらんは、各々(おのおの)のためにも、一日の食を去って人の苦を息(やす)めたらんは、利益勝(すぐ)れたるべし」と。
(『正法眼蔵随聞記』一ノ十四)
 
角田:  これはさっきお話致しましたせっかく絹をもらってきたのに、すぐにそれを在家の信者の方に渡してしまったという、その話の後に続いてくる文章なんですね。そういうことがあって、「後に僧正自ら云く」栄西禅師が自らおっしゃった。「各、僻事にぞ思はるらん」それぞれ私がしたことは疑問に思うかも知れない。「然れども、我れ思はくは」私の思うに、「衆僧面面仏道の志ありて集まれり」みなさん修行者はそれぞれ仏の道を求めるそういう志があって集まっているんだ。「一日絶食して餓死すとも」一日何も食べないで、餓死したとしても、「苦しかるべからず」差し支えないはずだ。「俗の世に交はれるが、指当りて事闕らん苦悩を助けたらんは」この俗世間に暮らしている者が差し当たって事欠いた、そういう苦悩というものを助けたのだから、「各々のためにも」みなにとっても、「一日の食を去って」一日何も食べないで、「人の苦を息めたらんは」人々の苦しみというのを和らげてあげたのであるから、「利益勝れたるべし」その功徳は勝れているはずだ。これは厳しいですね。我々修行僧は一般の人を助けるためだったら、自分たちも餓死してもいいんだ。そういうつもりでみんな集まって修行しているんだろう。みな修行するというのは自分のためではなくて、これは衆生を救うことが最大の目指す生き方ですから、そういうことを思えば、何も集まって自分たちが生活していく、修行していくために集まっているんじゃないだろう、ということで、とても厳しい話ですね。
 
草柳:  ここまで徹底すべきなのだ。勿論『随聞記』が説いている相手というのは修行僧であるにしても、そこまで徹底して仏道を極めるためには絶対避けて通れないというふうに、今の栄西の話なんかを聞いていますと、しみじみお感じになるでしょうね。
 
角田:  そうですね。こういう話が『随聞記』にいくつも出てくるわけですね。そして道元禅師も『随聞記』でお話になっているということは、非常に重要なことなんでありますけれども、実際に食べるものがなかったんでしょうね。非常に苦しいひもじい生活をしていた。そういう中で修行者を励ましながら生きていたんでしょうね。栄西禅師も辛かったと思いますよ。修行僧に食べさせてあげたいんだけれども、それを分け与えてしまう。
 
草柳:  そうでしょうね。どのような高僧であっても心穏やかでないものがあるんじゃないかななんていうふうに思ったりするんです。また次の『随聞記』から読ませて頂きます。
 
夜話に云(いわ)く、学道の人は尤(もと)も貧なるべし。世人(せじん)を見るに、財ある人は先ず瞋恚(しんい)、恥辱(ちじょく)の二難、定りて来るなり。財あれば人これを奪い取らんと欲(おも)ふ。我れは取られじとする時、瞋恚忽ちに起こる。・・・
貧にして貧(むさぼ)らざる時は、先づこの難を免(まぬが)る。安楽自在なり。証拠眼前なり、教文(きょうもん)を待つべからず。
(『正法眼蔵随聞記』四ノ四)
 
ここではどういうことを言っているんですか。
 
角田:  これは財産があると、人はこれを奪い取ろうと思うし、自分は奪われまいと思う。そういうところにいろいろな悩み苦しみ、さまざまな問題が起こってくるということですね。ちょっと訳してみますが、
 
「夜話に云く」夜話というのは、夜、坐禅をするわけですが、その坐禅の合間に道元が説法されているんですね。「学道の人は尤も貧なるべし」修行する者は特に貧しくあるべきである。「世人を見るに」世の中の人を見ると、「財ある人は先ず瞋恚、恥辱の二難、定りて来るなり」財産のある人は先ず「瞋恚」というのは怒りの心でありますね。「恥辱」というのは恥ということですが、名誉を損なってしまうような恥。この二つの災難が必ずやってくるんだ、と。というのは「財あれば人これを奪い取らんと欲ふ」財産がありますと、人はこれを奪い取ろうと思うし、「我れは取られじとする時」自分は財産を取られまいとする。その時、「瞋恚忽ちに起こる」怒りの心が両者にたちまち起こる、と。この間にちょっと話があるんですけれども、そういう奪い取ろうと思ったり奪い取られまいとする。というのは、これは盗賊のようなことをいうわけではなくて、いわゆる財産争いですね。当時も財産争いのようなことがあったようでありまして、そして訴訟が起きたりしていたようであります。そして今の裁判のようなことになって対決をする。そしてついには闘争をしたり、合戦に至ったりする。実際に戦いになったりする。そういう中で勿論怒りの心も起こりますし、周りの人たちはその様子を見ていますから、恥を曝すことになったわけですね。当時、そんなことがあったようであります。そして、「貧にして貧らざる時は、先づこの難を免る」貧しくて物を貪らない時はこういうような災難を免れることができるんだ。「安楽自在なり」安楽で自由である。「証拠眼前なり」というのは、この証拠は目の前に現れているというのは、修行している修行道場が実際貧しかったわけでありまして、貧しい生活をしているんだけれども、とても煩わしさもなく、安楽で自在であったわけです。だからもみなも自分でそう思うだろう。安楽自在ではないか、と。敢えて、「教文を待つべからず」というのは、教文から学ぶ必要もあるまい。そういうことをここで道元禅師が言っておられるわけですね。
 
草柳:  『随聞記』というのは、あくまでも修行者に対して修行の心得、心構えといったものを説いているわけでしょう。そういうことがあるんですけれども、今日のお話の纏めをもう一度したいんですけども、今日のテーマになった「貧」というのをもう一度整理して、決して「貧しさ、貧しいこと」を勧めているわけではないんですね。
 
角田:  そうですね。貧乏の勧めではないわけですね。結局は「贅沢をしてはいけない」という形で受け取られていけば、現代的にいいと思うんです。まあ必要以上の財産を貯えたり、あるいは贅沢なことは修行の妨げになるわけです。心安らかに生きるということができない。そういうことであるから、結局貧ということを説くわけです。それにしても現代の日本は「廃棄大国」などというような言葉も聞いたことがありますけれども、年間に何百万トン、何千万トンというような―数字をよくわかりませんけれども―多くの食べられる食料を捨てているというようなことを聞いたことがありますね。食料自給率も四十パーセントを下回っている、と。そういうようないろいろな報道を聞くと、何とかならないものかなあというふうに思うんです。必ずしも貧乏になれとか、すべて自分の持っている物を捨ててしまえということではなくて、現代社会においてなるべく必要最低限の―最低限でなくてもいいんですが、ほんとに必要なもの、必要なことを考えて、もう少し、先ほどの「少欲知足」という生活がしていけないものかなあというふうに思いますね。
 
草柳:  必要最低限というのは一体どこで線を引けば、ということもありますしね。
 
角田:  そうですね。
 
草柳:  少なくとも『随聞記』の中の教えで道元が、必要以上の貯えをすることは差し障りなんだ、ということはよくわかりましたですね。
 
角田:  そうですね。これから先日本の国がどうなっていくかわかりませんけれども、世界の人口は非常に増えていく。そういう中で地球温暖化とかさまざまな環境の問題で、食料の生産そのものはだんだん減っていく、ということも考えられますね。日本で今依然として飽食の時代が続いておりますけれども、世界的にみれば、貧困の国というのはあるわけですね。アフリカ初めインド、中国、そういう人口の大きい国ではそういう問題が出てくると思うんですが、私は必ずや日本もいずれ食糧危機まではいかなくても、食料がだんだん減ってきて不足していく。そういう時代が今後くるんじゃないかと思うんですね。だから今の時点において、財産を捨てろ、ということではなくて、今後そういう時代を迎えるに当たって、私たちはこの道元禅師の「貧なるべし」「貧に道あり」という教えから重要なものを教わっていかなくてはいけない。そんなふうに思います。
 
草柳:  また次回ということで、ありがとうございました。
 
角田:  ありがとうございました。
 
     これは、平成二十年七月二十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである