心の宝≠見つめる
 
                     関西学院大学准教授 藤井 美和(みわ)
一九五九年、兵庫県神戸市生まれ。愛媛大学卒業後、新聞社入社。入社六年目突然難病を発症し、死に直面。入院、リハビリを経て、九○年に関西学院大学に学士編入し、修士課程修了。アメリカ・ワシントン大学に留学し博士号取得。一九九九年から関西学院大学専任講師として死生観を教える。共著に「たましいのケア」「福祉・心理・看護のテキストマイニング入門」「ソーシャルワーク実践の評価方法」ほか。
                     き き て     西橋 正泰
 
ナレーター:  兵庫県西宮市の関西(かんせい)学院大学。ここで十年前からユニークな授業が行われています。それは死に直面した人の気持を疑似体験するというもの。藤井美和准教授が「死生学」の一貫として行っています。授業では、一人の健康な学生が突然癌に冒され亡くなっていく過程を日記を辿る形で疑似体験します。それぞれの学生は、日一日と死に近づく自らの姿を思い浮かべながら、予め紙に書いた大切なものを一枚一枚破り手放していきます。この授業で、学生は死に向かい合う悩みや苦しみを感じ取り、自分にとって大切なものとは何かを突き詰めます。それは心の宝を見つめ、生き方を問い直すことでもあります。
 

 
西橋:  一九九九年の秋からこの関西学院大学で「死生学」を講義しておられる。死ぬ生きる「死生学」という学問ですが、この「死生学」というのはそもそも何をテーマと言いますか、そこのところを少しお話を頂きますか。
 
藤井:  「死生学」というのは、字で書く通り「死ぬと生きる」ということについて、考えるという学問なんですけれども、死というものがあるので、多くの方は「死生学」というと、「人が死ぬ時どうなるのか、ということを勉強するんですか」というふうなことをよく聞かれるんですけども、たしかに死そのものも学の対象にはしているんです。死に逝く人とどういうふうな精神的な苦悩、プロセスを辿られるのかとか、どんなニーズがあってどんなケアが必要なのか、ということも対象にしていますけれども、それだけではなくて、死というものを意識の中におくことによって見えてくるもう一つの側面ですね―「生きる」という。死というものを意識して初めて、私たちが死がくるまでどう生きるのかという、そういう課題が見えてくると思うんです。「生きる」という課題は死があるから出てくる課題でもあるわけですよね。ですから生き方の中に死ぬということも含めて考えていくというのが、「死生学」の基本的な考え方ではないかなというふうに、私は理解しています。ですから死に逝く人のことも学びますけれども、大切な人を亡くした方が、その後どのようにして悲しみを抱えて生きていかれるのかだったり、あるいは今の社会が人の命、生と死をどのように扱っているのかという、命に対する態度ということに注目したりという、かなり個人の問題から世界の問題まで広い範囲で扱っているのが「死生学」です。
 

 
ナレーター:  藤井さんが、「死生学」の授業を行うようになった原点は、難病で死と直面した自らの体験です。

 
西橋:  藤井さんは、クリスチャンのご両親の元でクリスチャンホームでずっと育たれたということですね。
 
藤井:  はい。そうです。両親ともクリスチャンで、母方の祖父母もクリスチャンというクリスチャンホームで育ちまして、三歳の時に幼児洗礼を受けて、両親に教会に連れていってもらうという、そういう生活をしていました。
 
西橋:  十五歳の時に信仰告白をなさった。その時はご自分の意志できちっと、
 
藤井:  そうですね。自分の意志で、「神様を信ずる生き方を選びます」ということを告白しました。
 
西橋:  そして大学では刑法を学ばれているんですよね。
 
藤井:  はい。大学では法曹(ほうそう)の方に進もうと思っていましたので、法学部へ行きまして、刑法を勉強して、司法試験を受けたりしたんですけれども。ただ大学の四年生の時に、いろんな出会いがありまして、社会的な状況とか、いろんなことがあって、マスコミの世界に行きたいというふうに思うようになって、卒業後は新聞社に勤めました。
西橋:  新聞社では働く女性のための新聞を作っておられた。
 
藤井:  そうです。ちょうど五年目ですかね、新しい読み物を出すということで、編集の責任をもつような仕事を与えられて、副編集長として創刊号に関わりました。
 
西橋:  毎晩遅かったそうですね。
藤井:  そうですね。ほんとに終電に乗れたらいいほうというふうな毎日でしたね。でも自分では楽しくやっていましたので、やり甲斐も感じていましたし、ほんとに仕事中心の毎日という、そういう感じでした。
 
西橋:  そういうジャーナリズムの世界で仕事をしておられて、そして二十八歳の時に難病に発病されるんですよね。
 
藤井:  そうです。ちょうど仕事をして原稿を書いていた時なんですけれども、急に右の頭の後頭部がガンガン痛くなって、左手がしびれてきて、それが思えば始まりだったんですけども、どんどんどんどん力が入らなくなっていって―当時はパソコンなんかありませんから、原稿用紙に書くことが凄く難しくなってきて、六日間で全身麻痺になって、救急病棟に運ばれました。
 
西橋:  全身麻痺ですか。
 
藤井:  はい。その時は瞬きもできませんし、指の一本も動かないですし、行ったらすぐにたくさんの管に繋がれるという、そういう状況でしたね。正式には急性多発性根神経炎というものなんですけれども、詳しくはわかっていないんですが、数万人に一人突発的に起こるというふうに言われている病気なんです。
 
西橋:  神経の病気なんですか。
 
藤井:  はい。自分の血液中の血漿が急に悪玉になって、自分の神経を冒(おか)していくというふうに言われている病気なんですけども。
 
西橋:  最初はほんとに死に直面するような状況だったわけですか。
 
藤井:  そうですね。どんどん動かなくなっていって、息ができなくなっていって、主治医の先生からは、「藤井さん、今晩だけは頑張りなさい」というふうに言われました。その時に、自分の人生はこれで終わるのかな、と思いましたね、ほんとに。ですから「頑張れ」と言われても何も頑張ることはできないんですけれども、その晩初めて二十八歳にして、自分自身の人生を振り返って、ほんとにいろんな思いが湧き上がってきたんですね。
 
西橋:  全身麻痺していらっしゃっても、意識ははっきりしていたわけですか。
 
藤井:  そうです。運動神経というんですか、内臓とか、そういうのは全部動かなくなるんですけれども、意識障害はないんですよ。だから家族が呼ばれて、ナース・ステーションに行って、救急病棟といっても部屋でなくて、カーテンなので、そこに家族が呼ばれていて、主治医の先生と話をして、妹が泣いているのとか、母が話を聞いているのとか、全部わかるんですけれども、こちらの方から話すということはまったくできない状態だったですね。
 
西橋:  でも、生きるか死ぬかというところは、辛うじて脱して、その後も、「でも、元気になりますよ」ということではなかったようですね。
 
藤井:  そうですね。最初に、「藤井さん、今晩頑張りなさい」と言われた時に、私はほんとに今まで何のために生きてきたんだろう、と思ったんですね。自分の人生は何だったんだろう、というのがほんとに心の底から湧き上がってきました。あんなに一生懸命していた仕事のことなど全然出てこなかったんですね。もう一つは、人のために何かしてきたのかな、というふうなことも出てきました。ちょっとそれは大それたことですけれども、一番身近な家族に、何かしたことがあっただろうか、というふうに思うと、ほんとに仕事中心の自己実現を目指して頑張っていた時だったので、ほんとに自分のことを支えている家族に何もできていなかったな、というのはほんとに後悔しましたね。ですから次の日にドクターが来られて、「藤井さん、もう死にませんよ」とこうおっしゃったんですね。その時ほんとに生きていられて良かったと思って、涙がボロボロと出てきたんですが、その先生の言葉というのは、「藤井さん、死なないけれども、一生寝たきりか、一年後に車椅子に乗れたら良い方だと思ってください」というふうに言われたんですね。
 
西橋:  直接に?
 
藤井:  直接言われました。その前の晩にとにかく神様に祈って、「もう一回命を与えてほしい。自己満足でもいいから、何か良かったと思えるような生き方がしたい」というふうに、ほんとに涙流して祈ったんですけども、「一生寝たきりか、一年後に車椅子に乗れたら良い方だと思ってください」と言われて時に、すべてのことを人にしてもらって生きているというのは、どんなに辛いことだろうと思ったんですね。それこそ、今度は生きていることが何なんだろう、という。生きていていいんだろうか、という。勿論家族に面倒をみてもらうわけですから、家族の重荷になるんじゃないかとか、そういった思いが毎晩夜になると出てくるんですね。
 
西橋:  それはそうでしょうね。
 
藤井:  昼間は治療とかがありますから、なんとか気持も紛れるんですけれども、夜になると涙が出てしかたがないという、そういう日を過ごしていました。
 
西橋:  その中で信仰というのは支えになりましたか。
 
藤井:  そうですね。信仰というのは、これまでの闘病生活を考えてみると、私は、先ほどもちょっとお話しましたけれども、小さい時から神様がどんな時も一緒にいてくださるという、そういう信仰を持って育ったことというのが、私の人生にとってはもっとも大きな恵みだった、というふうに思っています。これで自分の人生が終わるかなと思った時に、「神様に生かしてほしい」という。それも勝手な祈りなんでしたけれども、そういう神様にすがるということもそうでしたけれども、その後ほんとにいろんな方の出会だったり、家族との関わりの中で、神様がほんとに私が生きていくのに必要なものをすべて与えてくださる、という確認を持つことができるようになっていったんですね。ですから身体はまったく動かないんですけれども、動かなくとも、自分はこれでいいんだ、という自分の存在を受け入れる、ということができてくるようになりました。勿論それももの凄く時間のかかったことなんですけれども。母はほんとにいつもニコニコ笑って来るんですね。私のベッドサイドで泣くことなんて全然なくて、楽しい話をして、自分でいろんなおしゃべりをして、お腹が空いたらおやつを食べたりしながら、で、またニコニコして「またね」とか言って帰って行くんですけれども、私に会いに来るのがそれが嬉しいんだ、という。あなたそのままで私の大切な子どもという、そういうメッセージをずっと母からもらってきましたし、妹もほんとに普通の時と変わらないんですね。もういつも今まで育ってきたように、「こんなになってしまってどうするの」とか、「これから先はどういうふうに過ごすの」とかというふうなことは全然言わなかったですね、家族は。けれど、あまりニコニコして病院へ来ていたものなので、看護士さんなんかは、ちょっと問題のある家族だというふうに思ったみたいで、現状認識がまったくできていないというふうに思われたようで、ある時母が帰る時に呼び止められて、「娘さんはどんな病気か解っているんですか!」とえらく叱られた、というふうに聞いています。
 
西橋:  お母さんが叱られた?
 
藤井:  はい。母は、「私はこの子に会いに来るのが嬉しいんです」ということと、「病気のことは、私たちには何にもできない。それは神様に任せてあります」というふうに看護士さんと長いことお話をしたということで、「教えられました」というふうに、その方はおっしゃってくださったそうなんです。
 
西橋:  看護士さんの方が?
 
藤井:  はい。家ではいつも妹と一緒に泣きながら祈っていた、というのは、ずっと後になってから聞いたんですけども。何かができなくなったことが悲しい。勿論、母も「辛くて悲しかった」というふうに言っていましたけれども、でもそれがすべてではなくて、私が生きてここにいる、ということに喜びがあったり、ここに来るのが楽しいという、私の存在そのものを受け止めてくれる家族がいたというのは、私にとっては大きな恵みだったな、というふうに思っています。
 
西橋:  結局半年ぐらい入院されたんですか。
 
藤井:  はい、そうです。半年とちょっと入院しましたね。その後二年半ぐらいリハビリをして、何とか自分で歩けるようになって、自立できるように少しずつなってきました。
 
西橋:  そうしたら回復は奇跡的だったんですね。
 
藤井:  そうですね。だから、「どうしてここまでよくなったのか」というのは、よく主治医の先生にも言われましたね。
西橋:  一通り身体が動く、食べられる、ものも言えるというような状態になった時の気持というのはどうでしたか。
 
藤井:  そうですね。やっぱりできることが少しずつ増えてくるというのは、とても嬉しいことでした。言ってみれば、当たり前のことが当たり前にできる、ということは嬉しいことでしたけれども、でもやっぱりよくなっていっても、自分がこれからどうやって生きていこうか、というのが、いつも絶えずありましたね。頭の中には、仕事は辞める、と。別の生き方をしたい、というふうに思いましたので。
 
西橋:  仕事を辞めるということを、その闘病中に。
 
藤井:  そうですね、闘病中に。いろんなことがあったんですけれども、当時の日本の医療というのは、ほんとに高度な医療というのはどんどんと進んでいましたけれども、亡くなっていく人に対して何も助けがないんですよね。私のいた病棟も難しい病気な方がたくさんおられて、ほんとに「死にたい、死にたい。もうほんとに殺してくれ」って、苦しみのためにおっしゃる方もおられましたし、あまりの辛さで窓から飛び降りようとされた方もおられました。けれども、そういうふうなほんとに苦しみを抱えて生きる人に対するケアというか、関わりというのがまったくないんですね、病院では。ほんとにいろんな人生をこう過ごして来られた方の最後が、こういう姿であるというのは、あまりにも人間として悲しいと思ったんです。ですから、なんかこう亡くなっていく人だったり、自分の人生を求めていく時に、何かできることがないんだろうか、ということを入院中ずっと考えるようになりました。最初の晩に、「神様、もう一遍いのちをくださったらほんとに自己満足でもいいから、今度は何か人のためにできたらという人生を送りたい」という思いも、その時からずっとありましたので、祈った時から、ほんとにそういうことをずっと入院中考えていましたね。それともう一つは、私の脈とか血圧を測りにこられた看護士さんがおられたんですけども、その方が全部お仕事が終わって、記録も付けられているのに、帰らないで立っておられたんですね、ずっと。大抵の看護士さんは記録も付けられたら、「藤井さん、頑張ってね」とか、「よくなるわよ」とかおっしゃって帰っていくんですけども、自分自身はかなり状態が悪いというのがわかっていますから、そういうことを言われても、毎日言われるので聞き流すしかなかったんですが、その看護士さんはずっと立っておられて、どうされたのかなと思って見ましたら、血圧計を抱えて泣いておられたんですね。ボロボロと泣かれた後に、「藤井さん、辛いね!」っておっしゃってくださって、その後に、「藤井さん、辛いけど、神様の力は弱いところに完全に顕れるからね」っていうふうに言ってくださったんですね。その時、ほんとに私は、一緒に泣いてくださる方がいる、というのはほんとに大きな救いで、ほんとにそういうことだと思うんです、人に関わるというのは。何か安易な励ましとか、元気だね、というのではなくて、一緒に泣いてくださる方だったり、一緒に喜んでくださる方という。私のありのままを受け止めてくださる方がいたということ―家族を含めてですけれども―そういった「あなたはそのままでいいんだ」という、「そのままで生きていていいんだ」という。聖書にも、
 
     わたしの目にあなたは価(あたい)(たか)く、貴(とうと)
         (イザヤ書四十三章四節)
 
という言葉があるんですけれども、ほんとに丸ごと受け止めて貰えるという、そういう方たちがいるということが、たとえ人生の最期に近づいてきたとしても、そういう方がいることによって自分の人生の締め括りというのは、随分違ったものになるんじゃないか、というふうに思いましたね。そのことがきっかけで今の仕事は辞めようというふうに思いました。
 
西橋:  新聞記者の仕事を辞めよう、と。
 
藤井:  はい。
 
ナレーター:  藤井さんは、新聞社を辞め、死に逝く人のケアとソーシャル・ワークを学ぶため、一九九○年関西学院大学に学士編入します。大学で学びながら病院へも出掛け、ソーシャル・ワーカーの実習も重ねました。大学院の修士課程を修了すると、フルブライト留学生として、アメリカ・セントルイスのワシントン大学に留学します。
 

 
西橋:  一九九四年に関西学院の大学院を卒業なさって、で、アメリカのフルブライト留学生としてアメリカに留学なさるわけですね。その大きな目的というのはどういうことだったんですか。
 
藤井:  まず日本でソーシャル・ワーク、社会福祉を勉強してきましたけれども、やっぱり日本では死に逝く人に対してのケアということについては、どの領域も触れていないんですね。ソーシャルワークの子どもの領域でも、高齢者の領域でも、医療福祉の領域でも、死という問題を扱っていない、という。そこにもの凄く大きな限界を感じたというのが一つあります。当時日本では、緩和ケアですね、ホスピスケアという、そういったプログラムを提供している病院は、おそらく十あったかどうかぐらいの時なんですね。今は百何十カ所そういうプログラムはありますけれども、やはりそういったことを勉強するにはホスピスケアだったり、死に逝く人のケアというのは、ごく自然にされているアメリカで勉強をしないと、自分自身得るものがもうこれ以上ないかなと思って留学することにしました。
 
西橋:  そこでいらっしゃった大学で、藤井さんご自身が研究なさった大きなテーマというと、どういうことだったんですか。
 
藤井:  アメリカで研究していたのは、癌の患者さんのクオリティ・オブ・ライフ(quality of life)―人生の質ですね、いのちの質と言ったらいいんでしょうか。長く生きるのが良いというのではなくて、如何に豊かに質の高い人生を送るのか、というのがクオリティ・オブ・ライフという概念なんですけれども、その癌の患者さんのクオリティ・オブ・ライフにどんなことがプラスに影響しているのか、あるいはマイナスに影響しているのか、というのを研究テーマにしていました。人間というのは、「身体的な存在」でもあるし、「心理的な存在」でもあるし、「社会的存在」でもあるんですけれども、それにもう一つ、「スピリチュアルな存在」だというふうに言われているんですね。「スピリチュアル(spiritual)」というのは、いわゆる人間の生きる意味だったり、あるいは何故私は苦しむのかだったり、あるいは自分のしてきたことは赦されるんだろうかとか、そういった誰にも言えないような心の奥の底にある苦しみですよね。そういったものというのは、解決されていくということが、人間のクオリティ・オブ・ライフに大きな影響を与えている。そういう考え方があるんですね。そこで私のした研究というのは、身体的な痛みだったり、心理社会的な側面だったり、それからスピリチュアルな側面での苦しさだったりが、どういうふうに全体的なクオリティ・オブ・ライフに影響するのか、というのを調査したんです。
 
西橋:  その頃出会われたアメリカの患者さんで記憶に残っていらっしゃるような方はいらっしゃいますか。
 
藤井:  私の教会の方で、癌になられて亡くなった方がおられるんですけれども、その方は最後ホスピスを選ばれてご夫婦でお家で過ごされていたんですね。ほんとに最期の時にお家に行った時に、ほんとに抱き合って、いろんな話ができたんですね。亡くなる少し前だったんですけれども、夫婦が同じベッドに寝ていらっしゃるんですね。もうすぐ亡くなるという方と、今までと同じ生活をしていくということで、
 
西橋:  患者さんは奥さんなんですか。
 
藤井:  そうなんです。その方はジェリーというんですけれども、その連れ合いさんはジョンと言うんです。そのジョンとジエリーがいつも一緒のベッドに寝て、最期まで迎えていくという姿は、ほんとに私にとって日本では考えられないですよね。ほんとに祈りの中で賛美歌を歌ってお祈りしたんですけども、ほんとに人生の最期というのが家族に守られて、自分のいのちの纏めができる、ということはほんとに感動しました。
 
ナレーター:  難病に罹り、死に直面してから十一年が経った一九九九年、ドクター・オブ・フィロソフィ(Doctor of Philosophy)の博士号を取得。新たなスタートに立ち、帰国して、大学で「死生学」を教えることになります。
 

 
西橋:  そういう「死生学」を二十歳(はたち)前後の学生たちに講義なさるわけですけれども、二十歳前後ですから、みんなもう元気いっぱいですわね。命の塊みたいな時代の学生たちに教えられる。いろんなことをなさるんでしょうけれども、その中の一つとして、「死の疑似体験」という授業をなさっている。このことを少しお話頂けませんか。
 
藤井:  はい。「死の疑似体験」というのは、死の受け止め方の中でも自分の問題として死を受け止める、ということを体験してもらうという、そういうきっかけとして行っているものなんですね。人の苦しみだったり、社会の見方も大切ですけれども、やっぱり私たち遠くから命を眺めている存在であると思うんですね。苦しむ人からも遠い、いろんないのちに関する社会の問題からも遠い。でも自分自身の問題としていのちに向き合った時、どんなふうなことを感ずるのか、という。私自身も自分の死に直面して、ほんとにいろんなことを衝撃的に受け止めることがたくさんありましたので、学生さんにも自分のいのちに向き合うということとして体験してもらっています。具体的には、それぞれの学生が主人公という設定で、その学生の日記を私が読むという、そういう形で進められるんですけども、その学生の日記というのは、元気だった学生が突然身体の具合が良くなくなって―それ実際癌なんですけれども、違う病名が告げられて、闘病していくうちに、だんだんと自分の命は長くないということがわかっていって、家族との間で病気のことを理解するという場面があったりしながら、最期に自分が亡くなっていく。その直前までの日記という、そういう設定なんですね。学生にはその日記を読む前に、「大切なもの」というのを書いて貰います。「大切なもの」には四種類あって、「形のある、目に見える大切なもの」ですね。それから「大切な人」、それから「大切な活動」、それから「形のない、目に見えないで大切なもの」、その四種類のものを三つずつ書いてもらうんですね。そうすると十二個の大切なものというのが出てくるわけなんですが、それを一つ一つの小さな紙に書いて目の前に置いておいてもらうんです。そしてその日記で自分の身体がだんだん悪くなっていって、いろんなものを手放していかないといけなくなるという、そのプロセスに従って、必要なものを残して、今手放すものを取って破いていくという。破るというのは、もう戻らないという、自分が了解して、これを諦めるというんですかね、手放すという。それと自分自身が死に近づいていく時に、必要なものだけを残していくという、二つの意味合いですよね。必要なものを残すことと、これは今の自分には必要がないというものを破いて手放す、ということですね。
 
西橋:  そもそも十二ですけれども、いろんなことを、学生それぞれ一人ひとりみんな違うんでしょうけど、例えばどんなことが?
 
藤井:  そうですね。大切なものは、自分のしている―音楽をやっている人だったら楽器が出てきたり、あるいは写真だったり、コンタクトとか、携帯も多いですね。パソコンとかいう、いわゆる生活の上からも自分が日常生活の中でかなり依存しているものというものが多いですね。
 
西橋:  形のあるものとしては、
 
藤井:  そうですね。お金というのもありますね。人はやっぱり家族であったりとか、親友が出てきたりだったりとか。活動としては、自分自身が学生ですから、サークルだったり、部活動が多いですね。けれども、そういうものだけではなくて、例えば料理をすることだったり、散歩だったり、歌を歌うことだったり、そういったものも入ってきています。
 
西橋:  そしてもう一つの形のないものとしては?
 
藤井:  それはいろんなものがあるんですけれども、感謝とか、愛とか、信頼とか、そういったものが多いですね。後は神だったり、信仰というのが出てきます。
 
西橋:  友情とか、そういうものもそこへ含まれるわけですか。
 
藤井:  そうですね。友情も出てきますね。
 
西橋:  その中で、例えば人でいうと、誰が残りますか。
 
藤井:  一人は圧倒的にお母さんですね。母親というのが最後に残っている人が多いですね。それから最後に残るものというので、物質的なものはほとんど残らないです。残るのは大切な人か形のない大切なもので、人で言えば圧倒的にお母さん。形のないものでいえば、感謝とか、愛とかですね、そういったものが残りますね。何かを信じておられる方は神とか信仰とかって書いていらっしゃいますね。
 
西橋:  そういう「死の疑似体験」を通して、学生たちに藤井さんが考えて欲しいということというのは、どういうことなんですか。
 
藤井:  そうです。いくつかあるんですけれども、まず学生も私の考えてほしいもの、というのをちゃんと受け止めてはくれているんですが、まず「大切なものが自分にとって何なのか」ということを知ってほしい、というか、向き合ってほしい、ということですよね。そういったものが自分の周りに大切なものとしてあるものなんだ、ということをまず意識して欲しいということ、それから人間というのは、いろんな手に入れてきたものをすべて抱えて死んでいけるわけではなくて、死というのはまさにいろんなものとのお別れだったり、諦めだったり、というのが入ってくると思うんですけれども、そういう過程の中で、自分にとって何が残っていくのか、というところを感じ取ってほしい、というふうに思っています。特に選ぶ時に比べるんですね、「これとこれとどっちを諦めようかな」というふうなことを考える中で、自分にとって意味のあるものはどういう性質のものなのか、ということを感じてほしい、と思っているんです。結局は最終的には最後に残ったものも手放すんですけれども、死のプロセスというのはいろんなものを諦めていく、という作業ですけれども、もしそれが投げやりに、えっ、これは仕方がないとか、ほんとにこんな苦しいことあってたまるか、と思いながらやるのであれば、それはほんとに死のプロセスというものは辛いものだと思うんですけれども、しかし私たちは何も持たずに丸裸で生まれてきて、いろんなものを身に付けていきますよね。けれど、それをやっても最後にはどこかに返していく、という。もし自分の生きて得てきたものを、何かほんとに信頼できるものに委ねていくということができれば、それは決して諦めだったり、苦しみだけの作業ではなくて、自分のすべてを了解して預けていくという委ねの作業というものがあれば、死のプロセスというのは、人生最後の仕事としてほんとに意味あるものになるんじゃないか、というふうに思っているんです。ですから死を受け止め直す、ということを体験してほしい、というふうに学生には言っています。そこから見えてくるのが、生き方を問い直す、ということなんですね。やっぱり死を受け止め直すことによって、自分は何を大切にして生きていくのか。どんな生き方をするのか、ということが学生に問われていくことである、というふうに考えています。
 
西橋:  『たましいのケア』のご本に、その学生の受け止め方がいくつか例がありますね。その中でいくつかご紹介頂けますか。
 
藤井:  私の受け止め方というのは、まず普通であるということが、ほんとにこの上なく貴い大切なことなんだ、ということに気が付く学生が非常に多いんです。例えば、
 
今自分を取り巻く環境の中で、あって当たり前のもの、できて当たり前のこと、そばにいて当たり前の人すべてが当たり前ではなくなっていく。寂しくって怖くて悲しくて、どうすればいいのかわかりませんでした。今まで私の人生って何だろう。何のために生きてきたんだろう。いろんな不安や気持ちやよくわからない気持が入り交じっていました。今の生活って決して当たり前のことじゃなくて、いつ壊れるかわからない。いつ失ってしまうかわからない。とても貴重なものであると感じました。失ってみて初めてわかる大切なものの価値というものを感じました。
 
この後ずっと続くんですけれども、そういうことに気付く学生が多いですね。それから物をいろいろ自分が大切だと思っていたけれども、実際には物質的なものというのは、そんなに大切でなかった、ということがわかる、というのもよく出てくる感想なんです。
 
死に逝く過程の中で、何が支えになったかというと、物質的なものではなく、精神的な目に見えないものが支えになった。死に逝く過程で、物がいくらあっても、そんなものは使う必要もなくなるのだから、それなら最期まで自分を見失うことのないような精神的支えがほしいと感じた。自分を受け止めてくれる人や、人間を超える何かがあることが安らぎを与えてくれた。
 
というのもあります。それから、
 
自分を支えてくれるものは、目に見えないものばかりだった。そしてそれは自分で獲得したり、創り出したものではなく、すべて神様から与えられたものだった。自分自身や物質的なものに頼ることはできなかった。病気になり、次から次へと手放していく過程で、心の中のものだけはいつまでも持っていることができる。自分の人生、いのちは自分のものではないということが明らかになっていくということで、それは与えてくださった神様への信頼が最後まで支えになった。
 
一つ見られる特徴として、自分で今まで生きてきたと思っていたけれども、生かされている、ということを感じる学生が非常に多いんですね。その中の一つの感想なんですけれども、例えばこんなものがありました。
 
いのちは自分のものだから、自分がコントロールできるものだと思っていた。だからいつ死んだって平気だと思っていた。しかしそうではなく、自分が生かされてここにいることを感じた時、そして多くの人に支えられていたことを感じた時、自殺しようなんてバカなことを考えていた自分が恥ずかしくなった。
 
こういうのもありますね。
 
西橋:  授業を通して、「死の疑似体験」という授業、勿論それだけではなくて、ずっと一年間通してのいろんな授業があるんでしょうけれども、それを通して学生の死生観とか人生観とか、いのちに対する考え方とか、そういうものが変わっていくというふうに?
 
藤井:  やっぱり死というものについて、考えてみようという積極的な態度になる、というところが一番変わるところですね。今までは考えるのがちょっと怖いから蓋をしておいて、その時がきたら考えたらいいとか、親の死がきてもその蓋を開けずにすましてしまったりということがあると思うんですけれども、授業として自分からあるのは、死に対する態度が積極的になる、ということですね。それから学生の中には、死は、いわゆる隠しておくべきものだとか、表に出して話してはいけないものだと思っていたけれども、死というものこそが貴いものだとか、死について考えることによって自分の生き方が考え直されたというふうな考え方を持つ学生はとても多いです。ただ「死生学」の授業を受けたからといって、死ぬのが怖くなくなったとか、そういうふうな劇的なものというのは少ないですけれども、向き合おうという姿勢はかなり大きく変わります。
 
西橋:  藤井さんの「死生学」の授業には、社会人の方も大分聴講生としていらっしゃるんだそうですね。
 
藤井:  そうですね。いろんな方が来られています。医療職のことだったり、福祉職の方もおられますし、それから今年はビジネススクールでリーダーを養成されているという教員の方も来られています。あとご自身でいろんな辛い体験を持っておられる方だったり、ご家族のケアを今なさっていらっしゃる方だったり、ご自身がご病気の方だったり、二年前には来られていた方が授業が終わってから亡くなられたんですけれども、学生とみんなで病院に行ったりとかもしましたけれども、そういう外からいろんなことを考えながら来てくださっている方がいるということは学生にとっても、とても目の前でいろんな課題を持っておられる方と触れ合う機会があるので、とても大きな影響を与えて頂いています。そういう専門職の方々は自分が人を援助するという立場に立つ時、特に死の問題だったりとか、医療職の方なんかはどういうふうに受け止めたらいいのかな、ということで来られるんですけれども、でも最終的によくおっしゃるのは、「自分の仕事のためにこういうことを勉強するのが必要だったと思ってきたけれども、そうじゃなくて自分のために必要だった」とおっしゃる方が多いんですね。ですから結局人を援助するという立場で、自分自身の死生観が問われるということはほんとにあるわけですよね。亡くなっていく人というのは、言葉では直接おっしゃらないかも知れませんけれども、「あなたは私の死というのをどういうふうに捉えているのか」とか、「あなたはいのちについてどういうふうな価値観を持っているのか」とか、「私はただ可哀想な人という存在ですか」ということを問うてこられると思うんですね。ほんとに死に直面したり、生きることの苦しみに直面している方々の前に立とうと思った時に、自分自身がいのちをどう受け止めていいかわからないという、そういう状態であれば、何もできないんですよね。ですから、援助の方法とかではなくて、その人の前に立つ人間として、自分自身がどういうふうにいのちを捉えているのか。死ぬこと生きることをどういうふうに受け止めているのか、ということを自分自身の問題として考えておかないと、そういった方たちのことは、傍に行くことすらできないんですね。おそらくそういうことが授業を通していろいろ感じられて、結局は「自分の問題だ」というふうにおっしゃる方が多いです。
 

 
ナレーター:  病む人や生と死の狭間で苦しむ人たちに、どう接したらよいのか。藤井さんは、ケアに当たる人がまず自分なりの死生観を持つことが重要だ、といいます。
 

 
西橋:  「死に逝く人にとってのスピリチュアルな痛み」ということも書いていらっしゃいますが、「スピリチュアルな痛み」ということを少し詳しくお話頂けますか。
 
藤井:  「スピリチュアルな痛み」というのは、自分自身の存在の根元を支えるものだ、と思うんですね。どういう状況にあっても、自分がこう生きていることをよしとできるか、という。いわゆる個々のスピリチュアルな痛みでいえば、自分は何のために生きているんだろうとか、自分は生きていていいんだろうかとか、この苦しみは何のためにあるんだろうかとか、私の今までしてきたことは赦されるんだろうか、という。そういう自己存在の根元的なものを揺り動かすところにあるものだ、と思うんですね。ですから、「存在を支える領域」というふうにも言えると思います。そのスピリチュアルな領域が痛むというのは、そこに自己存在を肯定できない。自分の存在をよしとできない苦しみがある、ということですよ。それは身体が悪くなっていったり、重い障害を持ったりした場合、生きていていいのか、ということは、たくさんの方がそういう悩みや苦しさをお持ちになると思うんです。けれども、スピリチュアルな痛みというのは、必ずしも死に逝く人とか、病気の人だけの問題ではなくて、実はどの人にもあるんですよ。どの人も持っているんだけれども、人生がとても上手く回っている時には、それは顕在化してこない。見えないんですけれども、例えば破産したり、あるいは人間関係が破綻したりとか、友人に裏切られたりとか、病気になったり、人生のいわゆる危機的状況になった時に湧き上がってくる、顕在化してくるというものなんです。ですから、突き詰めていえば、何のために生きるのかとか、自分は生きていていいのか、というものは、どこかにあるんだ、と思うんですね。それが「スピリチュアルな痛み」というふうに言われるものです。
 
西橋:  それをケアするというのは?
 
藤井:  ケアというと非常に難しいと思うんですけれども、もう少し大きなところから説明しますと、人間を捉える時に四つの側面、四つの領域から捉えるという捉え方があるんです。それは、「身体的な存在」「心理的な、精神的な存在」「社会的な存在」、そして「スピリチュアルな存在」として人間を捉える、と。人間を全人として捉えた時に、この四つの側面から捉えることができる、というふうに言われているんです。人間を、その領域のそれぞれが痛むと、その痛みから解放されたい。その痛みを上手く処理したいという、そういうニーズが生まれてくるわけですね。例えば、身体が痛くなったらお薬飲んで痛みを取り去る、ということなんですけれども、社会的なものだったり、心理的なものというのは、例えばカウンセリングを受けたり、精神科や心療内科で何か処方してもらってお薬を飲むということもあると思うんですね。そういったことで何らかの痛みを軽減できる方法があると思うんですけれども、スピリチュアルな痛みというのは、先ほど言いましたように、人間の存在の根元的なところにある痛みですから、生きていいのかとか、何故私はこんなに苦しむのか、という問題ですから、何かお薬を貰ったり、人に話を聞いてもらったりして、「あ、そうだったのか」というふうに、答えができたり、その苦しみから解放されるというものではないんですね。生きる意味だったり、苦しみの意味というのは、その人が見出してこそその人にとって真実なものになる。真実な答えになると思うんですね。だから、「あなた、いい人生だったじゃない」とか、「あなたの生きて意味は、こういうことじゃない」と言ったとしても、人からその答えを押し付けられたとしても、「あ、そうですか」というふうに受け取れるようなものではない、という。ですからその人がどうやって答えを見つけていくか、ということに、「スピリチュアル・ケア」というのは、「寄り添うことだ」と思うんですね。私が入院していた時に、ほんとに両親が丸ごと私を受け止めてくれたこと、妹がいつもニコニコして来てくれたことだったり、あるいは聖書の言葉で私を慰めてくださった看護士さんだったり、そういった「ありのまま受け止められている」と。自分が何かができるから貴いのではなくて、何もできなかったって、何も変わらない。あなたがそこにいることが私にとっても幸せなんだ、という、そういう関係性というのがスピリチュアルな痛みを解決していく大きな助けになる、と思うんですね。けれど、それが人間関係が良ければ、それでいいのか、というと、そうでもないというふうに私は思っています。人間というのはほんとに底の底の部分の苦しみだったり、ほんとにその人に言えないことというのをみな持っていると思うんですね。どんな人間も一点の汚れもない人なんていないと思うんです。みな何らかのしんどさを持って生きているわけですよね。さらに自分の死というものに直面した時に、自分の生きてきたことだったり、自分のこれまでの人生は全部湧き上がってきますよね。赦して欲しい人がいるとか、あの人を赦してあげたかったとか、やり残したことがあるといった、そういったことというのは、どんなに理解のある友人や家族がいたとしても、やっぱり心の底には埋められないものがあると思うんですね。それが私は、人間の限界だ、と思っているんです。その限界を超えるというところに、人間を超えるものとの関係性、いわゆる神だったり、宗教というものが出てくると思うんですね、必要性が。そこに無条件に愛される、無条件に赦される。私はキリスト教の立場なので、そういう言葉でしか説明できないんですけれども、そういう「無条件にあなたが生きているということが、それでいいんだ」「あなたは赦された存在である」という、そういうメッセージをもらうということで、人間は自分は自分を救えないという限界を超えることができるんじゃないか、と思うんですね。それは人間の世界の中だけではどうしても解決の付かないことだというふうに思います。最初に、私が病気だった時に、母が、「病気のことはそれは私は何もできないので祈っています」というのは、そういうことだと思うんですね。何もできないところは、それは何もできなくて、苦しいんですけれども、そこはその限界を超える神様に委ねるという。そういったものが私はスピリチュアル・ケアの原点にあると思うんです。それは特定の宗教じゃなくていいと思うんですけれども、人間の枠の中ですべてが解決するというのは、スピリチュアルな問題に向き合う時には限界を感じるしかないと思うんですね。そういった宗教性だったり、自分の限界を超える何かとの関係性というものが、本当の魂の痛みを抱える人に寄り添う大きな力になるのではないか、というふうに考えています。
 
 
ナレーター:  死をどのように捉え、どう生きるかという教育、デス・エデュケーション(death education)は、大学の授業だけでなく、さまざまな分野で求められるようになってきていると、藤井さんは実感しています。
 

 
藤井:  最近凄く要請の多いのが、特別養護老人ホームで働く職員さんに対するデス・エデュケーションなんですね。いわゆる今特養での看取りというのがこれからどんどん増えていって、介護保険でも看取り加算というのが加えられるようになってから、最後病院に残らないで、終の棲家で最期を迎えたいという方が増えてきて、そこで看取りをしていくということになってきているんですね。そうすると、今度、職員さんが亡くなっていく人をどういうふうにケアすればいいのか、という、いつも大きな問題を持っておられます。
 
西橋:  デス・エデュケーションというのは、死に関する教育ということでしょう。
 
藤井:  そうですね。死ということを意識して、どう生きるか、という、「いのちの教育」ですね。少し前に兵庫県の教育委員会と小・中・高校生の命のデス・エデュケーションのプログラムを立ち上げるのに関わらせて頂いたんですけれども、やっぱり小さい時からそういう機会を与えていくというのが、社会として重要なことだと思うんですね。勿論家庭でのそういったやり取りというのはもっと重要だ、と思うんですけれども、なかなか家庭ではできないことも、今多くなっているので、学校教育の中でもデス・エデュケーションというものが必要になってくる、というふうに思いますね。ですからそういった福祉職の方へのデス・エデュケーションというものも必要ですし―自分の問題としてですよね―必要でしょうし、教育者にも必要だと思いますね。それから今回ビジネス・スクールの他の大学の先生が来られておりますけれども、リーダー養成するということでも、結局社会で人の上に立つということも、生き方そのものが問われますよね。そういった何のためにこの仕事をするのか。何のためにこの企業をするのか、というふうなことを考えた時に、やっぱり自分の生き方というところにくると思うんですね。そう思うと、死を含めてどう生きるのか、というのはほんとにどの人にとっても重要な問題になってくるんじゃないかなと思いますね。
 
西橋:  そういう授業を通したり、ゼミを通して、若い人たち、あるいは社会人を含めて一緒に死の問題、ひいては生きるということの意味を考え続けるということは、藤井さんご自身にとってはどうですか。
 
藤井:  そうですね。私は、「死生学」では教える立場として、実際に教壇に立っているんですけれども、この十年振り返って思うのは、ほんとに学生に教えられたという、そういう感謝の気持ちでいっぱいですね。学生というのはマスで見ると賑やかだったり、好きなことをやっているように見えますけれども、ほんとに一人ひとりに出会うと、二十数年しか経っていないのに、こんなに重たいものを持ってここまで生きてきたのかという子がたくさんいるんですね。そういった学生から、ほんとに生きることというのはどういうことか、ということを突き付けられるような経験もたくさんしてきました。実は、私は、大学の教員になるために勉強してきたわけでもないんですよね。自分が何か亡くなっていく人、あるいはほんとの苦しみの中にいる人に何かできないかという―まあ傲慢な気持ですけれども―そういうことからいのちについて考えるという方向にきたんですね。ですから正直、大学の教員になるということがいいんだろうか、という気持も少なからずずっと持っていました。仕事を始めた当初は特に人生から離れてしまうんじゃないかとか、直接患者さんと会うこともないんだろうかとか、そういうことを思ってきたんですけれども、実は学生に出会うことによって、彼らの苦しみだったり、彼らが必至に生きている姿ということから、ほんとに教える側ではなくて、自分は教えられてきた、ということをずっと感じています。ですから今は彼らから教えて貰ったことを、どこかで還元していくということをずっとしてきたんじゃないかな、というふうに思っています。ですから、生きることという課題は、それぞれがみんな深く受け止めていって、私自身も自分の経験からこういった方向に進みましたけれども、突き詰めていえば、ほんとにすべての人から生きるということを教えて貰いながら、自分自身の生き方というのも日々問い直されているものと感じています。
 
西橋:  今日は有り難うございました。
 
藤井:  有り難うございました。
 
     これは、平成二十一年七月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである