人生蝋燭論
 
                       禅心寺住職 金 子  真 介(しんかい)
                       き き て  金 光  寿 郎
 
ナレーター:  初秋の明るい日差しに照らされて輝く長崎県大村市。大村湾には内外の航空機が発着する長崎航空があり、県の交通の要所となっています。今日これからお訪ねする金子真介さんは、昭和二十一年佐賀県のお生まれ。大学では地理歴史科に学び、一度は旅行会社に勤めましたが、その後一念発起して永平寺僧堂で修行し、改めて駒澤大学で仏教を学び直します。そして六十二年、禅宗寺院が一軒もなかった大村市内に友人と二人でこの禅心寺(ぜんしんじ)を建立しました。
 

金光:  どうもお忙しいところをお邪魔を致します。
 
金子:  久しぶりでございます。
 
金光:  残暑と言いながら暑うございますね。
 
金子:  暑うございます。今年は特別です。九月にこんな暑いのは滅多にありません。
 
金光:  この前お伺いした時はこんなに暑くなかったように記憶しているんですが、いつ頃だったかぼやけているんですけども。
 
金子:  寒い時でしたものね。一月でしたね。
 
金光:  覚えているのは、その時はラジオのお話で、「仏教は心のワクチンです」というお話で感銘深く覚えているんですけれども、その時にお伺いしたかと思うんですけれども、ここへ新しく禅心寺をお作りになったのは何年前でございましょうか。
 
金子:  二十一年前なんです。まだ四十一でございました。
 
金光:  それでこの場所を選ばれたのは? この地は住宅地の真ん中のようでございますけれども。
 
金子:  まずは大村に禅宗のお寺がなかったんです。この住宅地というのは全部それ以前田圃でございました。分譲地で、私どもが買うことのできる金額に合わせて、この場所とこの広さになったんです。
 
金光:  そうですか。じゃ、田圃からこういうのを立ち上げて、こういうふうにお作りになるまでにはいろいろなご苦労がおありだったと思いますけれども。
 
金子:  まあみなさんに助けて頂いて。
 
金光:  その辺の詳しい話は中に入って聞かせて頂きたいと思います。
 
金子:  どうぞお願いします。
 

 
金光:  先ほど二十一年前にこちらの場所に禅心寺を作ろうというふうにお考えになったそうですけれども、中国の孔子という方は、「四十にして惑わず」という言葉を残していらっしゃるんですが、四十にして決心されたわけですか。
 
金子:  正確には三十七ぐらいからですかね。それでここを建てたのが四十一なんですね。世の中の人は、「厄年だからよしな」という人が多かったんですけど、それこそ今おっしゃって気が付いて、〈ああ、いい時やったんだ〉と思ったんです。
金光:  で、ここを選ばれた経緯。どういう形で現在まで続けて確立して来られたと言いますか、その辺の経過をちょっとお聞かせ頂けませんでしょうか。
 
金子:  私が、福井県の永平寺でございますが、修行が終わって、私の父が長崎で住職をしておりました。千軒ぐらいのお檀家がございます。それで帰ってまいりましたら、我々に与えられた仕事というのは、毎月の月行(つきぎょう)に行くことでしたね。その中で、言い方は悪いんですけど、お経の出前持ちをやっているような気がして、本来の姿と違うんじゃないか、と思って、そういうところに私が直接お会いすることはなかったんですけれど、大学の宗教学の教科書で、岸本英夫(きしもとひでお)(宗教学者。元東京大学名誉教授:1903-1964年)先生の言葉と一緒になりまして、それで伝統のある仏教の中で何か間違っているんじゃないかって―今考えれば恥ずかしいようなことなんですけど、それでむしろお檀家のないお寺、そういうものを自分たちの力で建てれるならやってみようという、そういう出発なんです。
 
金光:  それで今おっしゃった岸本先生の言葉というのは、どういう言葉だったんでございますか。
 
金子:  昭和三十年に出版された『人間の科学―人間と宗教』という、科学のいろんなジャンルから、その中に、
 
     現代社会の大空には
     宗教の弔鐘(ちょうしょう)
     響きわたっていると
     感じている人が多い。
     それは
     宗教が人を弔(とむろ)
     鐘の音ではない。
     現代社会が
     宗教終焉(しゅうえん)を弔(とむら)うかの
     響きをもっている
       (岸本英夫)
 
これはとても衝撃的で、大学時代にこの本は見てはいたんですが、ところがちょうどさっき申し上げた長崎でのお経の配達をしている。〈あ、このことじゃないのかな〉って。この出会いがここの寺を建てた―まあ後から理由付けかも知れませんけれども、そういうものになりましたね。
 
金光:  岸本先生ご自身は皮膚癌のために晩年は随分何回も手術されて、癌と苦闘なさった方ですけれども、その方が最後におそらく言い残すというようなおつもりでお書きになったのではないかと思いますが、「現代社会の大空には宗教の弔鐘(ちょうしょう)が響きわたっていると感じている人が多い」これは衝撃的な言葉ですよね。「それは宗教が人を弔(とむろ)う鐘の音ではない。現代社会が宗教終焉(しゅうえん)を弔(とむら)うかの響きをもっている」と。これがやっぱり若い金子真介さんには胸に響いたわけですね。
 
金子:  余談かも知れませんけれど、私は、生まれたのは佐賀県でございました。それで私の父も僧侶でお説教しておりました。それでよく本を読んでいたんですけれど、風邪を引いて隔離されて、それが住職の方丈というところに隔離されて寝ておりましたら、向かい側のちょうど目の前の本立てに水色の表紙で六冊ありまして、それが小学校の四、五年でしょうかね、その頃にテレビも何にもありませんので、文字だから読めるだろうと思って取り出したのが、『人間と宗教』なんですよ。勿論わかるわけありません。ただそこに、あ、こういう本がある、ということを知っていて、そして大学になってから、これを宗教学の中で読みました。だから一度、二度、三度、とこういう出会いがあって、それともう一つここを建てるのに、岸本先生のこの言葉に繋がって、私の母なんですが―もう亡くなりましたが、最後の遺言を残したんですけど、常々言っていたのが、「偉いお坊さんとか、立派なお坊さんにならなくたっていい」って―なれっこないということでしょうね―「ならなくていい。だけど、できたらお前さん、本当のお坊さんになってくれないか」という。私は二十二でお坊さんになりましたから、「本当のお坊さんって、この人は何を言いたいんだろう」という。そういうものと、四十になる時の再び出会った岸本先生のこの言葉が、じゃ貧乏覚悟でここに掘っ立て小屋でも建てて、という、それが始まりでした。
 
金光:  で、今度お邪魔する前にご経歴を拝見しますと、最初大学で地理歴史学科を卒業されて、旅行会社にお勤めになって、それから改めて永平寺に行かれて、大学を改めて宗教学科を出られたというようなことで、やっぱりそこにはお小さい頃からのいろんな環境、教育とか、そういうものの影響みたいなものがあるんではないかな、と感じたんですけれども。
 
金子:  先ほど申し上げたように、父がお説教、いわゆる説教師でした。それで我が家で―お寺でお話をしているところも頻繁に見るんですけれども、ところがこの人は「父親らしくない人だった」と言いましょうかね、家庭人じゃありませんでした。それで自分の書斎で朝から晩まで本を読んでいる。そうすると、御飯のお遣いに行くんですね。「行って来い」って言われて、「失礼致します。御飯ですが」と言って、返事がないとみんなお預けにジッと待っているわけなんです。それで十分か十五分か、何回か行って、それで「御飯です」というと、「ウン」と返事がありまして、そうしたらみんな食事を始める。で、黙って食事頂いて、そうすると、その時に午前中なら午前中やっていたところの自分の発見を、母がいて―子どもが六人でございましたから、子どもがいて、十人ばかりのいろんな人がいましたから、そこで一席あるわけです。それをもうお行儀良く御飯の後痛いのをこらえ、拝聴するわけです。それが気にいっていると、何回も何回もあるんです。そして意味はわからないんですけど、いつの間にか一字一句違わず覚えたというか、皮膚に入ったというか、そういうものがちょうど今禅心寺を建ててから、こういう暮らしを始めてから、ちょうど「百人一首(ひゃくにんしゅ)」の札を取ると、トランプの神経衰弱の二枚目の札が出てくるという具合で出てくるんですね。で、以前もお話申し上げましたが、蝋燭―ああいう蝋燭の火、これは父の十八番(おはこ)でございました。これはしょっちゅうで、それがいつの間にか頭に入っていて、ところが今こんなに分かり易く宗教の意義、それから仏教の入門という、おそらく私が五時間お話をするよりも、この蝋燭の火というのをご披露した方がみなさんわかってくださるんじゃないか、と。そんなものを感じています。
 
金光:  「蝋燭の火」をちょっとご紹介頂けますでしょうか。
 
金子:   人間のいのちは
      一本のローソクに
      火をつけたような
      ものである
      燃えながら
      照らしながら
      刻々と減ってゆく
      減ってゆくいのちを
      減らぬようにすることは
      誰にもできない
      ただ
      どこをどのように
      照らしてゆくか
      これだけが
      人間に与えられた
      たった一つの
      自由である
 
これは小学校二年生ぐらいから聞いたんでしょうかね。効き目というものはワクチンと一緒でなかなかすぐじゃないんですけれど、五十年を経て、という、そんな感じがしております。
 
金光:  たしかに人間の一生というのを蝋燭に譬えますと、一度生まれたらそのまま死ぬまで生きている。ということは、蝋燭の譬えとぴったりするところがありますね。蝋燭というのは、蝋がって、芯があって、これを人間の体に譬えると、どういうことになるんでございますか。
 
金子:  ちょうど「般若心経」に出てくる「五蘊(ごうん)」ですね。「色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)」。この「色」が蝋燭と芯なんですね。
 
金光:  「色」というのは物質的なものですね。
 
金子:  物質です。肉体―物質的なもの。
 
金光:  蝋燭でいうと蝋の部分。人間でいうと体というか、肉体ですね。
 
金子:  そうでしょうね。芯でしょうね。そこに「点された炎」というのが、これが「人間のいのち」―生きている、というものでしょうね。これが継続しているようですけれど、―これをいうとまた難しくなるのか知りませんけれど―炎というのは、その都度新たな蝋と新たな芯と、これが燃えてそれの連続がいのちですよね。だからそういう蝋燭に託されたいのちと―無常ということでしょうし―それをちょっと話が飛ぶかも知れませんけれども、東京工大の本川達雄(もとかわたつお)先生、それから生命科学者の柳澤桂子(やなぎさわけいこ)さんですね、あの方々が「人間の寿命は何をもって決まるか。心拍数。十五億回、もしくは二十億回、これで生命が終わる」と。で、哺乳動物全部―ネズミから象まで、あれを知っておりましたら、この蝋燭というのがよりこうやってみると、脈はいのちを削る鉋の音。そうすると、それを減らないようにすることは誰にもできない。ということは、我々病気になってお医者さまに行く。そこで治ったから死ななくなったのかというと、治ったということは死のほうに近づいている。そうすると、なるほどそれではどこをどのように照らしていくか。これだけがたった一つの人間に与えられた自由である、というのが、ドンと納得がいくという、そんな気がするんですけど。
 
金光:  そこで「五蘊」ということは、肉体とそれから感覚的なもの、それから意志する力だとか認識する作用、その働きを自分、あるいはいのちというふうに考えましても、そこでそれだけではどう生きればというのはなかなか難しいですが、「五蘊」という言葉を聞きますと、「般若心経」にありますね、
 
     五蘊皆空(ごうんかいくう)なりと
     照見(しょうけん)して
     一切の苦厄(くやく)
     度(ど)したもう
 
というのは、一切の苦しみとか、厄(わざわい)みたいなものは、それを超えることができる、と。これはじゃ蝋燭人間としては、具体的にはどういうふうにやっていけばいいんでしょうか。
 
金子:  「苦厄(くやく)を度(ど)したもう」というと、一般的に苦しみから解放される。思い通りになる。そういう意味ではなくって、非常に浅薄な受け止め方だと思うんですけど、「生ききる」。苦の元となるものがあったとしても、そこに既に覚悟ができる、という。そういうところが、「五蘊皆空なりと照見して一切の苦厄を度したもう」ということでしょうね。それをどこをどのように照らすか。〈あ、そうか。無常であって、どこをどのように照らすかだけが与えられた自由なんだ〉って。そこが私は、先ほどおっしゃる仏教の出発点、仏教の入門。それからおそらくキリスト教の洗礼をお受けになる方も、それが出発点。だからそういう意味で、この教えがとても大切。それを我々の今セミナーとか、いろんなお話の会で言っているんですけど、それはすべて、じゃ、そのことを仏教ではどう考えます、ということをお話している。で、それと同時にこの蝋燭人間、それを如何に身近に認識して貰えるか。その認識がない限り、いくら「五蘊皆空」と言ってみても、単に知識として知って頂くだけで、それがどうやら禅心寺の役割と、それから私の母の「本当のお坊さんになんな」という、そこらにあるんじゃないかなと思っているんですけどね。
 
金光:  今伺っていますと、無常である、と。蝋燭は刻々と、炎は減っていくわけですね。人間も脈は打つ度にだんだん制限のある回数に近づいていく、と。そうしますと、固定していないわけですね。常に人間が生きているということは、蝋燭と同じで、いろんなことを考えている。外界はこうで、宇宙でこうで、自分はこうだ、というふうに思い込む意識というのがあるわけですけれども、意識というのはどっちかというと、固定してつい考えがちなんですが、そこにこうしたいという思いにとらわれていると、それが実際の無常というか、移り変わっている宇宙の流れとそぐわないと苦しみが出てくるという。そこのところで、自分のこう思っているのが、事実と違っているな、と。事実は刻々と変わっているんだ、ということが認識できると「皆空なり」と。「空」というと、何もないように思いますけれども、固定したものはない、変化し続けているんだ、ということに気が付くと、苦しみの性質が変わってくる、ということになるわけでしょうか。
 
金子:  そうですね。私はこう思うんですけどね。「五蘊皆空なりと照見して」ということは、これはこの宇宙―人間も含めた―宇宙のありのままの実相ですね。ありのままの姿と、そこに留まらず、今度そこに法則がある。その法則を知ってみると、先ほど金光さんがおっしゃる、固定していると思ったものが、ちっとも固定していない。従って思い通りにならない。そこに苦しみがある。そこで妙な話なんですけれど、私は全国をうろうろしますので、飛行機に乗ることが多いですが、私どもは衣がございますから、スーツケース二つぐらい持って動くんですけど、空港に到着をして、荷物が出てくるのに、自分の荷物はいつも遅く出てくるんです。そこに苦しみですね。もっと早く出てこないかん。ところがこれをよく考えてみますと、勝手な考えでは、一番に出てきて私の前で荷物が停まってくれたら大変取りやすい。ところがこれには羽田にもし二時間前に着いて、楽をして荷物を預けて、そうすると単純に考えて、飛行機の荷物を入れるところの一番奥に入るわけですね。二十分前ぎりぎりに預けたものはドアサイド一番手前に来るわけですね。そうすると、到着したところで、奥から出すわけではありませんので、手前から出していく。これを私は、「ターンテーブルの法則」と、自分で勝手に付けて、
 
金光:  気が付けば、一番先に入れているから一番遅いんだなあと思っていれば、
 
金子:  そうすると、先ほど申し上げた苦しみというものの元となるものは変わらない。けれども、あ、早く入れたから遅くでるんだなあ、と。これが「目覚め」と「悟り」です。それで覚悟がつく。それが「五蘊皆空なり」というのを、今単純な飛行機の例じゃございませんで、もっと科学―現代ですから、自然科学を含めた科学をもって宇宙を解明してくださっている人がいっぱいいらっしゃるわけですから、それをもって照見してみると、ああ、空であるな、と誰にもわかると思うんです。
 
金光:  もう一つ覚悟を決めるのに、参考になるお話ではないか、と思うのが、金子さんはよく「私たちは特別無常号という列車に乗っているんだ」というふうに、私たちの人生を譬えていらっしゃるようですが、これはどういうことなんでございましょうか。
 
金子:  乗り物に乗ることが多いもんですから、そこからの発想なんですけど、特急列車―これは例えば長崎と博多を結ぶ列車は「特急かもめ号」。これは始発駅が博多駅で、そして長崎がターミナル(終着駅)です。そして、それには停車駅が、細かく言えば、二日市(ふつかいち)駅―鳥栖(とす)駅―佐賀駅―肥前山口(ひぜんやまぐち)駅―肥前鹿島駅―諫早(いさはや)駅―浦上(うらかみ)駅―長崎駅。ところが、私どもみんなです、乗っている列車は「特急無常号」というので、その「特急無常号」の始発駅は、博多ではなくて「誕生という駅」生まれですね。そしてターミナルはそのまま「死というターミナル」。そうすると、「特急かもめ号」と違うところは、停車駅がない。停車駅がなく、但し通過駅はある。それが肥前山口ではなくて、「幼年期」「少年期」「青年期」「壮年期」「老年期」という通過駅はある。ところがみんな通過していることの認識すら薄いのではないか。
 
金光:  大体ないですね。
 
金子:  そうすると、車内で何をしているのか。それが列車ならば弁当食べたり、おしゃべりをしたり、他事にうつつを抜かしているわけですね。その間に通過して行っている。よく私申し上げる時に言うんですが、「私たちは今一体どこを走っているんでしょう。必ずしも寿命の八十何歳、そこまでとは保証は絶対にない。思わず終着駅が来るかも知れない。そうすると大方は、まだ佐賀ぐらいと思っているわけですね。でも気の早いちょっと落ち着いた方は諫早に来ると下りる準備をするわけです。それが我々にとっては自分の肉体年齢ということを考えてみた時に、下りる準備―死の準備。それにいつの時点で準備を始めるか、ということなんですね。本当は生まれた時から死の準備をしているんですけれど、その死の準備をするというのが、先ほどの蝋燭の無常に気が付いて、どこをどのように照らすか、という生き方の問題ということになると思うんです。そういう意味で、「特急無常号」の話をしているんです。
 
金光:  蝋燭にしても、特急列車にしても、蝋燭だと燃え始めるともう消えるまでどうにもしょうがない、と。特急列車も終着駅まで行くまでは乗りっぱなし、というふうに考えると、じゃ、人間の自由と言いますか、これは何を頼りにして生きればいいのか。仏教ではどういうふうな説き方を―いろんな説き方があるでしょうけども―どういう説き方を一般の方に話をされる時に参考にしていらっしゃいますか。
 
金子:  今私がたまたま『法句経(ほっくきょう)』をここ五年ぐらいやっているんですが、その『法句経』の中で―これもやっぱり父親の影響って大きいですね。父親から子どもの時から聞かされたものですね。
 
     おのれこそ
     おのれのよるべ
     おのれを措(お)きて
     誰によるべぞ
     よくととのへし
     おのれにこそ
     まことえがたき
     よるべをぞ獲ん
      (法句経一六○)
 
有名な句ですね。これを用いることがとても多うございます。それは我々は何かに頼っている。何かにすがっている。だけど、それよりもすがって頼って本当は引きずられていくんではなくて、自分自身の自己確立。後悔のない価値判断ができる。そういうものが、「照らす」ということの一番基礎に、おそらくそれをどれくらいわきまえているかということが、教養というのはそういうことじゃないかな、と思うんですけれども。
 
金光:  そういう事実を認識することが、できるかできないかで、自分の生き方というのはガラッと変わってくるわけでしょう。そこのところで、どういうふうに自分を頼りにするかというと、事実をそこで認識する。自分という存在は今蝋燭としてはこの辺まで燃えているんだ、ということを意識する。列車だったらこれまで来ているんだ、ということを意識する。そこから新しい生き方みたいなものが生まれてくるということになるわけでしょうか。
 
金子:  この間も、あるお医者様方とちょっと話をして、それでごく親しい方なんですが癌になられた。今闘病中なんです。診療も続けていらっしゃる。その時に、「先生、癌になって良かったね」って、私が言ったんです。私、お酒も頂いていたもんですから、あちらも飲んでいらっしゃった。で、「何ですか?」って。「まず医者は、自分が専門科目の病気に、特に癌になることが一番いい。そうすると、今までの診療というものが如何におろそかだった、ということが気が付きますよ」と、私が言ったんです。そうしたらご本人も、「今までちょっといけなかったな、という思いがあります」と。「それと同時に、癌―いずれ誰でも何かで死ぬんですけど、それがちょうどいい時に―四十代とか五十代とか、まだ生きるのに真っ盛りの時にそういう病気になるということは、できたら避けたいものではあるけれど、実感として自分のいのちの蝋燭がどう燃えているんだ。じゃ、残りどうしよう、という。それぐらいになるといいね。だから癌ということは今の病気の中ではいいんじゃないのか」という。そんなあんまり喜ばれないような話をした。そんな話をしたことがございましたが、そういうところじゃないですかね。
 
金光:  やっぱりそういう状況に、自分は望まないにしても、直面した場合には、そこで正面それを見据えて、事実をみて、そこから生き方を決める。それがやっぱり「おのれを頼りにする。おのれをよるべにする」ということに通ずるわけでございましょうね。
 
金子:  ええ。
 
金光:  そういう人間の、その時その時の生き方の選ぶ参考になるような言葉を、これは昔の方もそれぞれの置かれた事情の中で残して頂いているんじゃないかと思いますが。
 
金子:  お一人は我々の宗旨の、宗派のご開山の道元禅師(1200-1253)ですね。道元禅師とどうも生き方がとても似ていると思うんですが栂尾(とがのお)の明恵上人(みょうえしょうにん)(1173-1232)ですね、道元禅師はああいう『正法眼蔵』をお書きになった方ですから、とても難しい言葉で、
 
     本来の面目
 
と。ところがそれを明恵上人の言葉になると、
 
     阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)
 
と、漢字で当て字で書いていらっしゃいます。
 
金光:  これはどういう言葉でございますか。
 
金子:  これはそのまま「あるべきようわ」なんですね。金子真介は金子真介の「あるべきようわ」何なのか。それが自分の残っている、許されているいのちの時間。それを過ごすのに本来あるべきようわ何なのか、ということを自覚する。それを明恵上人の、これは遺訓になっていますね。それがそこに書いてあるものですけれど、
 
     人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)
     七文字を持つべきなり
     僧には僧のあるべきやう
     俗には俗の
     あるべきやうなり
     帝王には帝王のあるべきやう
     臣下には臣下の
     あるべきやうなり
     この あるべきやうを
     背くがゆえに
     一切悪しきなり
 
私は非常に分かり易い「人のあるべきよう」、そのためには先ほど申し上げた、「おのれこそおのれのよるべ」自己確立をして、それぞれの人間があるべきようを果たしていれば、そこに、「一切悪しきにはならない」ということですね。それが道元禅師の言葉では、「本来の面目」でしょうし、それと道元さまと明恵上人の非常に共通したところ、この「あるべきよう」という、「本来の面目」ということと同時に、「自然法爾(しぜんほうに)」―「自然にまねぶ」ということが一番分かり易い。「あるべきよう」というのも、取り方では妙な取り方になります。
 
金光:  そうですね。これもしかし今格差社会だなんて言われておりますから、そういう格差を是認するというような考えで受け取ると、仏教の本来の無常の中を如何に生きるかという、その生き方が忘れられると、変な固定した観念になってしまうわけですけれども、そうではなくて、その時置かれた―癌になった人は癌になったところで、どう生きるか、と。そういう今置かれている立場で、要は全力を尽くすところに「一切の苦厄を度する」というその辺に通じるところがある。
 
金子:  「苦厄に度する」に通じるんです。通じるんですが、そこに「自然にまねぶ」ということを間に入れてみると、とても分かり易い。
 
金光:  「自然にまねぶ」ということは―「まねぶ」ということは真似するところからきているわけですけれども、「自然にまねぶ」というと、じゃ、具体的に人生ではどういうふうにまねぶということになるんでしょうか。
 
金子:  私は、敢えて「学ぶ」ではなくて、「まねぶ」という。これは梅原猛(うめはらたけし)先生の『古仏のまねび』という、その真似なんですが、私どものこの小さいお寺ですが、本堂の向こうに庭がありまして、私の勉強部屋がその向こうにあったんです。そこで勉強とまでは言いませんけれども、原稿を作ったりしているとくたびれる。くたびれて庭に出てしゃがんでボゥッとしていますと、気が付いてみますと、先ほどお迎えした時に申し上げましたように、ここは造成地でございました。ただそこにこの家を建てたということは、今この寺の境内地―敷地内にある樹木、これは一切何にもなかった。石もなかった。そこに二十年経って見ましたら、「サザンカ貰ってくれないか」「椿を受け持ってくれないか」「長崎で原爆に遭った樫の木を、家は壊していいけど、これ可哀想だから貰ってくれないか」って。そういうものがいつの間にやら集まってきているんですね。それで今藪と化しているわけです。その藪の中にいますと、そこに蜘蛛が巣を張っていたり、それからヒヨドリが来たり、蟻が這っていたり、そういう中に何にもなかったところに、ここに好むとか、好まないじゃなく、縁があって、不思議なことでここに小さな社会を形成しているわけですね。それをまた観察してみると、春花が咲くと、蝶が来て、蜂が来て、そして蜜を吸って、雌蕊と雄蕊交配して立ち去っていく。そして秋になると、鳥が来て、木の実を啄んで、そしてちょっと離れたところに行って、結果的に種蒔きをする。そうすると、その種が落ちて、秋になって木の葉が落ちて、雨が降って、雪が積もって、しかし温床になって、春になってまた新芽が出てくる。天然のリサイクルだと思うんですよ。その中に私が―そこで私とこの植物、自然との違い。有情、非情ですね、情のあるものと無いもの。この区別を考えていると、どこが違うのか。それは小鳥は、「木の実を貰ったからお礼と言っちゃなんですけど」と言って種を蒔くわけではない。蝶は、「蜜を頂いたからお礼と言っちゃなんですが」というところで、その交配をするわけではない。施すでもないですね。与えるでもない。取られる方も種蒔きをするほうも、共通のものは「無我」です、我がない。そしてそこに死が訪れて、従容(しょうよう)として役割を終えて死んでいく。それが私としては、「自然にまねぶ」という。「リサイクル」と「相補依存(そうほいぞん)」と言っているんですけど、リサイクルしていくもの、その中の一過程としての燃えている蝋燭。それも厳密にみると、その一瞬一瞬ですよね。一脈。そして、それと同時にそのリサイクルに関わる相補依存に関わるものが、すべて無我である。それが「あるべきよう」というのは、広いこの宇宙という中で考えてみて、そういうものと、もう一つ考えていることは、「千の風になって」という歌がある。あれが出てきた時に非常に私は感動致しまして、「私のお墓の前で泣かないでください。千の風になって」あれを考えてみたら、人間の肉体もこれ最初は母親の胎内に宿った時の一つの数十万個の中の一つの卵細胞と、それから何億の精子の中の一つですね。この受精卵。これが生まれる時に三兆個。今おそらく五十兆か六十兆個。これが集合している。それももっと細かくみてみると、元素の集合体。それが蝋燭と一緒ですから、固定の時はなく、それをずっと継続していっているような気がする。そして死にます。火葬場へ行きます。そしてカルシウムと水分が蒸発して、そしてそういうものが石灰。そういうものがあって、そしてそれが土に還っていく。ほんの七十年か八十年の時間を同じ条件で形をなしているように見えて、やがてバラバラになって、元素になって、天空に、また次の条件と一緒になっていく。そうするとその間を如何にあるべきようわ、と思うんですね。
 
金光:  と言いながら、一方では間違いなく死ぬわけですけれども、仏教ではもう一方では、死に対して「不死」という考え方、死なないという考え方もあるようでございますが、「不死」についてはどういうようにお考えですか。
 
金子:  お釈迦様がおっしゃる「不死」ということと、それから例えば中国の秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の「不老不死」とはまったく違うことを言っているんですね。秦の始皇帝は「死なず」です。ところが仏教用語で気を付けなければならないことは、仏教用語に「不」が付いた時は、その後にくる言葉を否定するだけではない。例えば「不謹慎(ふきんしん)」、我々はこれは日常のことです。「不謹慎」は謹慎の反対語ですね。ところが、例えば「不放逸(ふほういつ)」、放逸なることなかれ、と普通とります。
 
金光:  したい放題をしてはいけない、と。
 
金子:  ええ。ところが仏教語に頭に「不」が付いた時は、後の言葉の反対をもう少し積極的に進めるという。だから、放逸なることなかれではなく、「努(つと)める」。ともかく努める、という、
 
金光:  精進しなさい、という。
 
金子:  ええ。「放埒(ほうらつ)」と「放逸」は一緒ですね。その放埒でない、というだけではなく、勤勉に努める。こつこつと、こういうことになる。「不死」も「死なず」ではなく、反対を強めるんですから、「死」の反対語は「生きる」です。そうすると、お釈迦様の言葉に出てくる「不死」は、「生き生きと生きる」「赫奕(かくやく)と生きる」。こう解釈して『法句経』なり、お釈迦様の言葉に触れてみると、やっと通りがよくなる。我々の固定観念の秦の始皇帝の「不死」というものであるとおかしくなってしまう。
 
金光:  活動的になるわけですね。生き生きとしている。「不殺生」殺してはいけないというのは?
 
金子:  「生かさずにはおれない」。
 
金光:  そうくるわけですか。
 
金子:  「殺してはいけない」はむしろ道徳でございまして、宗教は倫理ですから、そうすると殺してはならないじゃなく、「殺すことができない」「生かさずにはおれない」。
 
金光:  そこのところがそれぞれの置かれた立場で全力を尽くすという、あるべきようわ、という、今置かれた自分の状態をもっとも活動的に生き生きと生きなさい、という教えに繋がるわけですか。
 
金子:  そうです。だから先ほどの「あるべきようわ」なんですけど、「自然にまねぶ」もそうなんですけれど、今の「不死」とか、あるいは「不殺生」というのは人間以外にはない。主体性というか、生き生き生きる。彼らは無意識に生きているわけです。そうすると、そこの中で家の庭なら庭の中で、この植物たちを殺すことができない。生かさずにはおれない、って。これだけは人間の最大限の特徴で、能力だと思うんですね。それが「人間のあるべきよう」でしょうし、それから先ほどの「照らす」というのもそうでしょう。
 
金光:  そうすると、「不」が付くもので思い出すのは、「不偸盗(ふちゅうとう)」とか、盗んではいけない、というのがありますね。ということは、盗まないだけじゃなくて、
 
金子:  「与えられずはいられない」。
 
金光:  そういう意味があるわけですか。
 
金子:  仏教の「十六條戒」の「五戒法」は、
     不殺生(ふせっしょう)
     不偸盗(ふちゅうとう)
     不邪淫(ふじゃいん)
     不妄語(ふもうご)
     不飲酒(ふいんしゅ)
 
これすべてご受戒や何かの時の「五戒法」の説明をそうしているんです。それがどうも説明をしてみて一番すっと通りがよい。
 
金光:  そうしますと、そういう今までの常識と本来の説かれた真意との違いというのが、だんだん解ってくるような気がするんですが、先ほどのお話の中にも、「本来の面目」という言葉が出てきましたですね。「本来の面目」というと、日頃いろんな意識が渦巻いている中に、「本来の面目」というなんかあんまり目鼻立ちは調っていないにしても、なんか本来の塊みたいなものがあるのではないか、というふうにちょっと意識されるところもあるんですが、先ほどまでの、相互に依存しているもの、お互いに補い合って依存している。俗な言葉でいうと、「持ちつ持たれつ」になるわけだと思うんですが、「持ちつ持たれつ」というのと、「本来の面目」との繋がりというのはどういうふうに考えればよろしいんでしょうか。
 
金子:  「持ちつ持たれつ」というのは、客観的に見た時に「持ちつ持たれつ」ですね。その中の一分子としては、「持ちつも、持たれつも」その意識もないわけですね。そうすると、話が飛びますが、今から百五十億年以前にビッグバンで宇宙ができた。宇宙ができて、そこに塵のようなものがあって、その塵のようなものが、お月様にしちゃって、地球にしちゃって、何かの条件で一緒になって、そしてこれだって永遠ではないわけですから、変容もしているわけですから、これがいつかバラバラになっていく。バラバラになっていっていると、ほんの一瞬であろうと、一時間であろうと、一つの形を作っている。そうすると、これは条件によってこの形が因と縁でできているから、この間―人間だけですよ―人間だけがその自分を取り囲む条件の中で、自分の役割というものは一体何なのか。それを認識するということが「本来の面目」。それを繰り返しますが、自然にまねぶのが一番分かり易いということで、それが私の非常に尊敬する師匠の吉野弘先生の「生命(いのち)は」という中に、〈あ、これなら誰でも同じ気持ちになって、そして本来の面目、生きれるな〉という詩があるんですね。
 
     「生命は」
     生命は
     自分自身だけでは
     完結できないように
     つくられているらしい
     花も
     めしべとおしべが
     揃っているだけでは
     不充分で
     虫や風が訪れて
     めしべとおしべを仲立ちする
 
     生命は
     その中に欠如(けつじょ)を抱き
     それを他者から
     満たしてもらうのだ
 
     世界は多分
     他者の総和
     しかし互いに
     欠如を満たすなどとは
     知りもせず
     知らされもせず
     ばらまかれている者同士
     無関心でいられる間柄
     ときに
     うとましく思う事さえも
     許されている間柄
     そのように
     世界がゆるやかに
     構成されているのは
 
まだあるんですけど、この中に私どもがお詣りに行ったり、田舎に行ったり、そうすると農家のおばあちゃんたちとこう話をしたりすると、その人たちはおそらくこの詩も知らない。自然科学のグランドがどうだということも知らない。だけど脳をむしろ透明な状態でそのまんまの暮らしをしている。だから自然にまねぶ、市井のそういう普通に暮らしていらっしゃるその中に案外捨てたもんじゃないなという、お釈迦様の教えが生きているような気がするんですけど。
 
金光:  これは別にそういう現在の農村の人たちだけではなくて、歌人としてもよく知られています九条武子(くじょうたけこ)(1887-1928)さんなんかも歌を詠っていますね。やっぱり自分の与えられたところでどう生きようか、ということをやっぱり随分ご苦労なさった方ではないかと思うんですが。
 
金子:  九条さんは浄土真宗のご門主さまのお嬢様としてお生まれになったという非常に仏教信仰というところに近いところにいらっしゃったということを踏まえて、それからよくはわかりませんが、ご結婚というものがどちらかというとお幸せということではなかった。そして聡明な方ですから、先ほどの宇宙の実相、法則というものがわかった上で
 
     逃れえぬ定めかしこみ
     ひとすじの道いまぞ踏む
     助けたまはめ
       (九条武子)
 
ここに「逃れえぬ」というところと「定めかしこみ」と、そして最後の「助けたまはめ」という、これは下手な時にお話しますと、泣いてしまいました。それぐらい私は九条さんを尊敬していますので、九条さんの人生と同時に自分自身の人生、逃れえぬ定め、という―さまざまな定めですね。大きいものから日常の小さな定めまで。で、最終的にはそこに「助けたまはめ」と。それは決して何かをどうかしてくれ、ということではなくって、自己確立、それでもこの苦しみの中で与えられた条件の中で生きる力、「エール(yell)」というか、「羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)」というような、ああいう「頑張れ頑張れ」という、そういうものが欲しいというのが、どうも九条さんの歌じゃないかなという気がしています。
 
金光:  九条武子さんの場合は、「逃れえぬ定めかしこみ」という、ご自分の置かれた立場で、そういう歌をお作りになったわけですが、考えてみれば私たちみんながそれぞれの定めを持って生きているわけで、その中でも殊に最近の日本人の死亡率の非常に高くなった癌に罹れた方の場合は、「定めかしこみ」と言いながら、それに正面から向き合って見事に生きるというのは難しいと思うんですけれども、そういう終末期の方たちの病院に何度か見舞いに行かれている金子さんの場合には、やっぱり見事に生きられた方だなあというような、そういう方もお出でではないかと思うんですが。
 
金子:  私たちがこの寺を始めてから―ちょうど空港がありますね。空港で飛行機がすーっと軟着陸―これが私は人間の死というものの軟着陸なんで、生まれる時は助産婦がいる。それから水平飛行の時はケアをする医者がいる。ところがまだないのが着陸のお手伝い、「助死婦(夫)(じょしふ)」と言っているんですが、そういうものも役割としてはやれるものなら、望まれるなら、というところでやっているうちに希望がありまして、その中のお一人が光永隆(みつながたかし)さんという五十六歳で肝臓癌でお亡くなりになった方です。ご本人から「他のことは全部結末がつきました―家族のこと。だけども自分の着陸する時までの心の持ちよう、これを手伝ってください」と。とても私にできることではなかったんですが、最後の四十日、二時間ずつ通っていました。そして彼が息を引き取って、そして奥様が「これ」ってくださいました。告別式と言っても、私はお葬式をする側ではなく、弔問ですから、その時にくださった。それに、
     人として
     あつい涙する
     感激の日々を
     もち続けたい
一九九六年
光永隆
 
これが亡くなる一週間前、とても書も絵も上手な方でございまして、船舶の会社の部長さんでしたけれど、これを最後に書き残してくださった。これは私の宝物でございます。
 
金光:  最初にお訪ねになった時には、どういうご様子だったんですか。
 
金子:  元気でして、電話がかかってきて、「私は今どこどこ病院のこの病棟にいます」と、おっしゃって。それがホスピス病棟と私は知っていたものですから、「えっ!」と言いましたら、「その、えっ!」なんですよ。だけどもさっき申し上げた「こういう状態ですから私だけのために、真介さんも忙しいでしょうけど、私の方はもっと時間がない。だから一緒に過ごしてください」って。行ってやっていたのは何にもしてあげることがなかったんです。ただ墨と硯の用意していらっしゃって、「ここに円相を描いてご覧」って、「あんたの心は円くないから円くならない」と。とても癌の患者さんとの語らいと思えないんですけど、ただ私自身がお目にかける顔ではありませんが、こっちが下がっているんですけど、これが上顎癌という中の骨を削り取って、だからここが下に下がっているんですが、たった私にできたのは、「僕も一緒の病気でした」という。ただあまりにもがんもどきのような軽い病気でございましたからおこがましかったんですけれど、それだけが二人共通で。で、それですべてを委ねてくれて、そして最期は目も見えなくなられて、しかしこの「人としてあつい涙する」これが人間の生きているということの―美味しいものを食べるとか、どっかそんなものでもなんともなく、そぎ落としてそぎ落として、言ってみれば人として生きているという意識が持てる。感激って人間だけですから。だからこれが私はどうも結論のような気がします。そういうふうな光永さんでいらっしゃいました。
 
金光:  人間蝋燭としてはまことに見事な燃え尽き方である。
 
金子:  完全燃焼ですね。
 
金光:  ということですね。私もそういう燃焼の仕方をしたいものだと思いながらお話を伺いました。どうもありがとうございました。
 
金子:  失礼申し上げました。ありがとうございました。
 
     これは、平成二十一年十月四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである