平和への対話≠ノ生きる
 
                 天台座主・延暦寺住職 半 田(はんだ) 孝 淳(こうじゅん)
一九一七年(大正六年)長野県上田市生まれ。一九二八年(昭和三年)得度受戒。大正大学宗教学科卒。上田市・常楽寺住職を勤めながら天台宗のさまざまな要職を歴任。二○○七年(平成十九年)二月より第二五六代座主・延暦寺住職。
                 き き て      中 川  緑
 
ナレーター:  琵琶湖の南西に聳える比叡山。延暦寺は西暦七八八年(延暦七年)に伝教大師最澄(さいちょう)(767?-822)によって国の平和を祈る道場としてこの地に建てられました。延暦寺はさまざまな宗派の祖師を初め、日本の仏教界に多くの人材を輩出してきた寺としても知られています。現在住職であり、宗派を束ねる天台座主(ざす)を務めているのが半田孝淳さんです。今年で九十二歳になる半田さんは、釈迦の教えに基づいていのちの大切さを訴えるとともに、他の宗教や宗派との対話を中心とした交流を積極的に進めています。今日は天台座主半田孝淳さんが重ねている平和のための対話について伺います。
 

 
中川:  今日はありがとうございます。どうぞよろしくお願い致します。伝教大師最澄から数えますと、第二百五十六代というお座主さんの地位に就かれたわけですけれども、そのずっと続いてきたということの重みというのはやはりおありなんでしょうね。
 
半田:  そうですね。やはり天台宗という御宗旨は平安朝の時に桓武(かんむ)天皇の命を受けて、伝教大師が非常にご寵愛を受けたというか、そんなことで日本に大事な仏教を作ろうじゃないかというご決意のもとに、奈良仏教に対して平安時代に一つの仏教を作ろうというような考え方で、このお山へお入りになって、そしてずっと二百五十六代もそれぞれのお座主が、それぞれの功績を残しながら、現在まできているわけです。それはいろんな問題があったろうと思いますよ。特に四百年前には織田信長に焼かれてしまったり、いろんなさまざまなことが行われて、比叡山とは続いているんですが、それはあくまでも比叡山そのものは伝統を維持し、日本の国が本当にいい平和な国になるようにという伝教大師のお言葉を守りながらずっと続くんじゃないですか。
 
中川:  今年の六月には高野山に参拝されましたよね。千二百年以上の歴史の中で天台宗の座主が公式参拝として高野山を訪れたのは初めてというふうに伺いましたけれども、どんなお気持ちで奥の院を歩かれたんでしょうか。
 
半田:  私は、高野山は一度お邪魔したいという気持で、たまたま高野山の管長さんが松長(まつなが)(有慶(ゆうけい))猊下(げいか)ですけれども、この方が全日本の仏教会長になられて、そしていわゆる仏教の人たちをみんな集めてやる一番の長ですから、その方と親しくしていて、比叡山からもお邪魔したいという念願を持っておったんです。たまたま向こうでは、「いつか、じゃ来て頂こう」と。「それじゃちょうど弘法大師(こうぼうだいし)(空海:774-835)さまのお誕生日のお祝いをする「弘法大師降誕会」があるからその時にいらっしゃい」というお誘いを受けまして、そして私は天台宗当局と比叡山のお山の一山の住職と共々お邪魔しましてね。そして、その時は向こうで大変な歓待を受けたわけですね。あそこに高野山大学もありますしね、大勢のお坊さんたちがお迎えする。住職の方々がお迎えするというような心からお迎えを頂きました。私の心もこう熱くなるしね、今までの千二百年のいろんなことがあったと思いますけれども、これでまた手を結んで、いわゆる平安朝時代の二大仏教です。国を守ろう、国が平安になりたいという、伝教大師にしても弘法大師もそのお気持ちがあった筈ですから、それをまた永遠に続く。またお互い同士手を取り合って、いろんなことしていこうという気持がそこに現れまして、それで今お話がありましたように、会見を受けた後、弘法大師の法要に参列して、そしてお二方で交互に回って、弘法大師の幼児のお姿のところに甘茶をかけるという、いわゆる「灌沐会(かんもくえ)」という儀式をさして頂いて、その間真言宗のお坊さんたちの声明(しょうみょう)が約一時間半にわたって流れていく中に弘法大師の御体に向かって、私は甘茶を頭から濯ぐことができた。それが終えてから奥の院にお邪魔さして頂く。松長猊下も「一緒に参りましょう」ということで、ご案内頂きまして、奥の院に行って弘法大師の御廟にお詣りした。非常に嬉しかった、当時ね。これで弘法大師にお詣りができたという気持でいっぱいでね、また伝教大師もきっと喜んでいらっしゃるだろうというふうに、私は思いまして、感激で眠れないくらい嬉しかったですな、感動で。
 
中川:  晴れやかなお顔だったのが印象的でしたね。
 
半田:  そうでございますか。松長猊下も非常に笑みをたたえてね、「ああ、えらいよく来てくれたなぁ」という手を差し伸べる。私も、「ああぁ・・っ」と握手する時は、千二百年遡って、そして結び合っていくという。これからうまくいくんじゃないかという気持になりましたがね。
 
中川:  もともと個人的なご親交はおありだったんですね。
 
半田:  それは私が天台座主になる時に、たまたま向こうはちょっと前に管長になられたんですよ。だからお祝いがたまたま一日違いなんですよ。だから私が、明日の朝私のお祝いをしてくれるという大騒ぎしているところにね、向こうでは松長猊下の晋山式(しんざんしき)がある、と。「それじゃお祝いに行きましょう」というわけで、前の晩大阪へ飛んで行った。そうしたら、松長猊下が翌日また京都へ来てくれた。両方でね。これは気持が通じなければ、お互いにそういうふうになれないんじゃないかな。これは嬉しかったですよ。そんなことからいろんな会合にもお互いに肝胆相照らすというか、そういう気持でやってきたもんですから、スムーズにね、向こうの受け入れ方も非常に有り難く、「いらっしゃい」というような、手を広げて迎え入れてくれた。「私も行きますよ」といって飛んできたという、そういうことがありますな。これは大事なことだと思うんですよ。一対一にしても、これは大事なことだと思うんですよ。
 
中川:  その一対一の心の触れ合いが先にあったからこそ、千二百年を越えての公式参拝に繋がったということなんでしょうかね。
 
半田:  まったくそうだと思いますけどね。それは私が生まれつき暢気な人間で笑ってばかりいるわけなんですがね。
 
中川:  朗らかでいらっしゃるんですね。
 
半田:  馬鹿じゃないかぐらい笑ってばかりいるんですが、そうじゃない、やっぱり相手に好感を持たせなければいけないわけですから、私は、「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉が大好きなんですね。和やかな顔で、そして優しい言葉を掛け合う、と。これがやっぱり人間の一対一との触れ合いじゃないかと思うんですがね。
 

ナレーター:  人と人との対話を重視する半田さんは、国内だけではなく、世界の宗教との交流にも力を注いでいます。毎年八月、比叡山に世界の宗教家が集まって開かれる「宗教サミット」。この集(つど)いが成立した背景には、伝教大師最澄のある教えがありました。
 
半田:  一九八一年にローマ法王が来日された。その時に日本の宗教家がみんなそこに参加して、そしてローマ法王のお話を聞いていたわけなんです。たまたまローマ法王がこういうことをおっしゃったんですね。「日本の偉い大教主であるところの伝教大師は次の言葉を言っている、
 
     己を忘れて他を利するは慈悲の極み也
 
自分は忘れても人のために尽くしなさい、という「己を忘れて他を利するは慈悲の極み也」と。このお言葉を引用されて、「この精神が世界平和、あるいは宗教の協力ということに大事なこと、神の心であり、仏の心である」ということをお話になった。それをたまたま第二百五十三世の山田恵諦(えたい)猊下がお聞きになって、「ああ、素晴らしい」と。「しかも天台宗の代表のそのお言葉を引用されて、この精神が世界を救うんだ。平和になるんだ」というお言葉をキリスト教であるローマ法王が仏教信徒のみんないるところでお話があった。
 
中川:  その教えが実は、だからキリスト教にも通ずる精神だった、ということなんでしょうか。
 
半田:  これはキリスト教で言えば、「愛」の精神である。「博愛」という愛の精神だろうと思うんですね。仏教では「慈悲」と言いますけれども、その「愛」というものに繋がるんではないか。結局都合の悪いことは自分で引き受けて、人にはいいものを与えてやる、というのが、慈悲の精神ですから、そういう心掛けが必要だ、と。日本の国をよくしたり、そして平安の国にするには、結局思いやりの精神に徹しなければいけない、と。相手を思いやることが大事だ。これが「慈悲」なんですけど、この精神を伝教大師はずっと訴えているわけですよ、終始ね。そのお言葉をローマ法王が取り上げたということは 非常に伝教大師のご精神をそのまま訴えてくれた。これは「神の心であり、仏の心である」ということを言われて、そしてこれを引用されて、そして日本の宗教家の人たちに「この精神があれば宗教協力して平和になるよ」ということをおっしゃった。それに山田猊下は感動しちゃったんだ。「わぁ・・、素晴らしいことを言った。居ても立ってもおられなかった」ということをおっしゃっています。
 

ナレーター:  その後一九八六年、ローマ法王はイタリアのアッシジで世界の宗教指導者を集め、「世界平和を祈る集い」を開催します。そして翌年の一九八七年、その精神を引き継ぐ形で「比叡山宗教サミット」は始まりました。当時裏方の一人として各国との交渉に当たった半田さんは、世界の宗教家との対話を積極的に重ねるようになります。
 

 
中川:  宗教によっていろんな考え方が違っても、どこか通じる、人としての生き方とか、どこか根底で繋がっているものが必ずあるということなんですね。
 
半田:  それはあると思いますよ。それはどの宗教だって、いわゆる平安というか、心の平安というか、そういうものを求めるものだろうと思いますよ。イスラム教にしてもキリスト教にしてもすべて心に安定というか、世の中を穏やかにいくようにという気持は、どの宗教でも持っているんじゃないかな。だからそういうことでは違いはないと思う。だからやはり平和の心を起こすように、それぞれ人間一人ずつが、そういう心掛けをすることがいいんじゃないか、と。そうすべきだ、と思うんですね。
 
中川:  宗教だとか、国の違いを越えても心が通じることができるというのはやはり実際にいろんな世界の宗教者の方々とお会いになって実感されることですか。
 
半田:  そうです。それはもうどこの宗教にしても、接して話をしていくうちに、何かそういうものをお互いに得たり取引できますね。それはやっぱり心も平和に動いているんだというようなことを思いますね。だから特に戦争は絶対してはいけない、という気持は持っていると思うんだけれども、為政者によってそう動くんか知らんけど、そういうことは残念だと思いますがね。正義の中に赦しというか、そういうのがあって正義が生きるんじゃないかということだと思います。
 
中川:  「宗教サミット」では対話ということを重視していらっしゃいますけれども、その対話というのは―敢えて伺いますが―何のために必要なんでしょうか。
 
半田:  結局対話をしなければ前進しないの。宗教同士で、どっちが良いか悪いか、というようなことを判断するようなことしかやっていないで、纏めて、いわゆる「世界平和」という大きな目標のためにみんな協力し合わねばならない。それにはやっぱり相手の宗教を知らなければならない。自分の宗教を知っておらなければならない。お互いに対話して、そしてそれを最後に「祈り」へもっていって、そして我々の宗教協力ということをすることによって世界の平和を目指す、と。これが「比叡山宗教サミット」の趣旨なんですよ。何しろお互い同士が触れ合わない限りは何も起きないよ。対話ということは、そういう意味でお互い同士を知り合う、と。相手の宗教も尊敬する。相手の主義はなんであろう。この主義は何であろう、ということですね。日本人というのは割合に広い範囲でお持ちになります。例えば子どもがおぎゃっと生まれれば、「ああ、可愛いな、可愛いな」と、まず氏神さんへ持って行ってやるでしょう。亡くなったらお坊さんがお経をあげるというような、もう神様・仏様というのは一体化しているわけよ。そういうことでキリスト教と仏教との開きといいますか、それをなんか接近させるとか、お互い知り合うというには、個人対個人、あるいは向こうの教主とこちらの大僧正とぶっつかるとか、あらゆる宗教の人たちが世界の宗教家の偉い人とぶつかって歩く。対話しなければ何もわからんわけです。お互いに食事を共にしたりして、コーヒーを飲みながら、「ああ、そうですか」というようなところまでいって初めて、「じゃ、あなたの宗教は」というようなことになったりして話し合えるんじゃないですか。向こうへ行くと綺麗ですわ。それは特色のある宗教ですから、帽子被ったり、いろんな形の人たちが出てくるわけです。そういう方と初めて接する時には、日本じゃないですから、いろんな人たちが来ているわけですから、その人たちと対話をするから大変な緊張もします。そういうことにぶつかってきますな。
 
中川:  その対話、「相手のことを知る」とおっしゃったんですが、よく言われるのは、「相手を尊重して、相手の、例えば自分との違いを認める、というところから始める」というのをよく聞くんですね、人の対話という意味で。ただ宗教となりますと、世界観とか、生き死にに関わるすべてのことの発想が根底から違う場合もありますよね。その難しさというのはお感じになることありますか。
 
半田:  それは確かに宗教が異なれば、また私らもなかなか掴みにくいですけども、いわゆる平和というか、宗教協力によって平和を生み出そう、ということについて同じだろうと思うんです、その接点は。だからいろんな宗教があって、なかなかぶっつかりあえませんが、今までももう事毎に「これは宗教戦争だろう」という。「宗教の争いから起こってきている」と言われるが、そうじゃない。それを守る宗教者がどうしたらお互いに譲り合ってくれるようなことになるか、ということにはやっぱり対話をしなければ、人と人が接し合わなければ、相手がどんな気持ちを持っているかわかりませんわね。そういうことでやっているんですがね。
 
中川:  その時に各宗教のトップの方が実際に顔と顔を合わせて、共にテーブルを囲んで、ということがやはり意味があることなんでしょうね。
 
半田:  大事だと思いますね。なかなかそういう機会は少ないですけれども、何れにしても回数を重ねることによってやっぱり親しくなりますわね。お互い親しくなるにはいろんなことでぶっつかりあっていかなければならんと思いますがね。やはり日本でもそれぞれの宗教が―神社教も行けば、あるいは仏教でも曹洞宗が行けば、臨済宗が行けば、各宗派の人たちがみんな行って―天台宗だけじゃない、全宗教の人たちがみんなそれぞれの形で行って交流を深めている。あるいは禅宗の人は向こうで禅をフランスで教える。フランスの人はまた日本へ来て禅を学ぶ、と。向こうの教会の中に入って教会の生活をしてみるというような日本人もおれば、そういう交流をどんどんしていって初めて人間対人間ということにならなければ、なかなかこう打ち解けるわけにはいかない。またみな凝り固まっていますからね。仏教というのは広い寛容性のあるものですから、手広くしておりますから、その点はいいんですけれども、そういう意味でなかなか入りにくいんじゃないですかな。飛び込むということがね。
 
中川:  最初はそうですよね。
 
半田:  これは何回も同じ人とぶっつかっていますと、自然とニコッと笑っただけでもうすぐ飛び込めますよ。だから最後に閉会式が終わった時に、「peace! peace!」とやるでしょう。「平和! 平和!」と言った時には、誰衆かまわず抱きついて、「平和!平和!」と、男であろうと女であろうとかまわず、みんな抱きついてくる。その姿というのは麗しいなと思うね。私は頭をこうつるつる剃っていますからね、向こうの方の人は鬚が長く痛いけど、抱き合うのは大変ですが、そこまでいかなければいけない。人間をさらけ出さなければ、相手も心を開いてくれないと思うんですわ。
 
中川:  対話ということについて、もう少し伺いたいんですが。
 
半田:  相対することですから、一対一になるわけですね。仏教でいえば「縁起」これがあって、これが生まれる、という。例えば「善因善果」善いことをすれば善い結果がある。「悪因悪果」悪いことをすれば悪いことが生まれる、というような縁起―我があって彼がある。彼があって我がある。こういうことで相対するわけですね。だから決して一人では生きていかれないですよ。生かされているんですよ。大勢の人によって、自然の恵みを得たりして、我々は一人では生きていないんですよ。生かされて生きているんですよ。そういう観点から、今ほんとに人を殺し、特に親が子を殺し、子が親を殺す、というようなことが、なんでこういうことが行われるのか、と。大事ないのちが生まれてくれた、この大事ないのちを殺すなんてとんでもない考え方だ、と。何でこうなったか、ということを非常に私は懸念するんですが、やはり世の中に宗教教育の欠如というか、道徳の欠如というものがあるんじゃないでしょうかね。昔は子どもにしても、一人っ子というのは少なくて、三人四人ができて兄弟喧嘩して、そこにできていく。またグループで喧嘩し合いながらやっていく。必ず人を思う。他人を思う、ということができているわけですよ。ところがなかなかそういうことがなくなって、少子化時代でほんとに自分だけで考えるから、いわゆる弟衆ができないわけですわな。やはり友ができなければならない。だから私、今敢えて言いたいことは、寝食は共にしろ、と。極端に言えば。お互いに同じものを食べて、同じもとに寝ていることによって、「相手はどうしているんだ」「病気しているのか」「元気なのか」という思いやりが起こるんじゃないか、と。ところがそういう生活はさらになし。個人で密室で寝かしている。お父さんとお母さんに会っても、「おはよう」も言わないで学校へ行ってしまう。こういう姿では「和」はできないんじゃないですかな。「和」、と同時に「相手を思う」という気持が起きないんじゃないかな、と。それと同じように、人と人とは相手と対話していくということが如何に大切であるかということをしみじみ思いますね。だから私が外国へ行っていろんな人と接することによって、非常に受けるものは大きい。また相手も私から何か取ったかも知れませんけれども、お互い取り合いながら、いろんなものが成長していくんじゃないかなと思うんです。だからあれはどこの大統領だったか知らんけれども、「あちらの国では裕福な暮らしているんじゃないか。しかしここはもう砂漠で、ただ食べるものもなく、飢えで喘いでいる。同じ人間に生まれて、これでいいのか!」と言った時に、私はハッと思いましたな。世界は広い。世界には多くの人たちがいる。お互いに助け合おう、と。そういう気持をどっかで失っている。日本人が、勿体ないことがさらに山積みになっている。マザー・テレサが、「日本人は、物で栄えて、心で滅びる」ということを看破した。また宗教でも同じことを言っていた。今の世の中は「愛」とか「慈悲」というものに対しては、これは「憎悪だ、憎しみだ」と。そうじゃないんだ。憎しみじゃないんだ。「愛」と「慈悲」の反対は「無関心」だって。無関心だ。関心を持たないからいけないんだ。友だちも関心を持たない。関心を持つことによって、相手はどうしただろう、というふうな気持が大事じゃないかと思います。一人では生きていかれません。大勢の方々とともに生きていくという姿ね。
 
中川:  無関心にならないために―無関心というのは凄く何もしないだけじゃなくて、それ自体が暴力的というか、
 
半田:  そうなんですよ。それは暴力になりますよ。相手に対して関心持たないんだから、相手が何になろうと、殺されようと何しようが知らないと、そんなこと勝手だよと、こういうことになる。
 
中川:  想像力が及ばないということなんですね。
 
半田:  そうなんですよ。だからやはり「無関心」という言葉も大事じゃないかと思うんですよね。
 
中川:  どうして思いやりが欠ける、無関心の人が増える、というふうに思われますか。どうしてでしょう?
 
半田:  いわゆるそういうことが大事だ、ということを、宗教教育なり―「三つ子の魂百まで」と言われるが、保育園の園長を十六年もやりましたけれども、その子どもたちに三つ子の間に植え付けようという気持で一生懸命になってやった時代があります。極端に言えば、食べることを忘れてもそれやろうという気持になりましたがね。そういうふうにして、大事にうまく子どもを育てていくということが如何に大切かということ、それから成長していくんですからね、共同生活なりして、相手をお思いやるような生活設計をするようなふうに心掛けて頂きたいと思いますな。
 
中川:  やっぱり顔と顔を合わせて、一緒にお茶を飲んだり御飯を食べたり、あるいは寝泊まりをしたりするだけで、なんか違いますよね。やっぱり人と人とはもっと繋がれるはずだしね。
 
半田:  繋がりが出てくると思いますね。みんなそれぞれ必ず違うんだから。早く起きる人もおれば、遅く起きる人もあれば、早く寝る人も遅く寝る人もある。また考え方においていろいろあるわけですから、その考え方はみんなバラバラですから、それがお互いにあの人はああいうものを持っているんだ、この人にはこういうものを持っているんだ、と、長所をお互いに獲得したらいいんですよ。
 

ナレーター:  半田さんは、一九一七年(大正六年)、長野県上田市の常楽寺(じょうらくじ)に生まれます。父で住職の孝海(こうかい)さんは原水爆禁止運動などの平和運動に力を注いでいました。
 

 
中川:  お父様・半田孝海さんは生涯を通じて平和運動に大変貢献された方だと伺っておりますけれども、そのお姿を見てやはり感じるところが大きかったんじゃございませんか。
 
半田:  父は必ずしも最初から平和論者であったかどうか、それはわかりませんがね。向学心に燃えて何とか学校へ出してもらいたいということで、叔父さんのところへ養子に入って、で、坊さんの生活をしながら向学心に燃えて学校へ出してもらっていた。その頃学校へ出る人というのはほとんど数えるほどしかいないわけです。そういう恵まれない青年団、あるいは女子青年団の人たちを呼んで、三泊四日で寺を開放していた。寺というものは社会のためにあるんだ、と。社会のためになるんだから寺を開放しようということで、三泊四日、青年たちを呼んで、そして中央から講師を呼んで来てやる。あるいは「婦人夏期大学」と言って、婦人の地位が非常に低いので、何とかして婦人の地位を高めようじゃないか、と。「婦人夏期大学」をやるというようなことを考えたということは、人間は平等である、同じものを同じに恵まれなければおかしいじゃないか、という考えが非常にあったと思います。それがたまたま戦争が終わって、そして懺悔(さんげ)の生活に入って、懺悔して後、「よし、俺はこう生きよう」と。「平和に生きよう」というところから、郷里の人たちの応援を得てやった。一人ではできませんから。
 
中川:  「さんげ」というのはどういうことなんでしょうか。
 
半田:  いわゆる悔い改めるということ。
 
中川:  「ざんげ」と同じことですか。
 
半田:  キリスト教で言えば、「懺悔(ざんげ)」でしょうけど、仏教では「懺悔(さんげ)」という。結局反省をするわけですね。罪なりいろんなものを反省していくことが懺悔で、懺悔がなければ、反省がなければ前進しませんよ。やっぱり一歩上へ高めるには自分自身を振り返って懺悔して、「あ、これじゃいけない」と、前進するということが大事なことなんです。だから私、日記書く時には、困ったことと、それから良いことと、いろいろ分類して一言でも書いておけば、それで今度見た時に、「あ、こういうこともあったんだな」「これは悪いことしたんだな」「この人に対してこんなことしたんだな」ということもありますね。そういう時に、「あ、申し訳ない」というふうなことを懺悔することは大事なことですね。
 
中川:  お父様はどういったことを懺悔されたということなんですか。
 
半田:  それはいわゆるデモクラシー(democracy:民主主義、民主政体)にもいろいろ起きますね。だけどその意志を強く通せばいいけれども、宗教者として戦争協力した面もあるわけですね。これに対して、「日本国家というものは、それでいいのか」ということを、「私たちは誤った方向へいった」ということを、ものを言わないで、考え込んでいた時がありましたからね。「非常にいけなかった」と。「よし、俺はそうじゃない。もっと心の平和になるような運動を展開しよう」ということでたまたまそこにいろんな問題がある時に参画して、そして「これはいいな、国のために、心の平和になる運動だなあ」ということになれば、国を越えて動くという姿になったんだろうと思います。ただ要するに、親父は、宗教的には、「お前は平和に生きていけ」ということだけは言っていましたから。
 
中川:  お父様から言われたんですか。
 
半田:  これは言われました。父は癌で死期は決まっていましたから、危ないな、と思った時に手を握って、その言葉自体が重みを感じました。私には血となって流れているんじゃないか、と思いますがね。
 
中川:  じゃ、意志を継いでほしい、というようなことなんですか、お父様から。
 
半田:  それはありました。いろんな残された意志を継いでいかなければならんですけど、それを特に重く感じておりますね。だから私も、どんなことがあっても戦争をしてはいけない。人のいのちを殺してはいけない、ということから、平和に生きるにはどうすればいいか、ということを絶えず毎日考えてはおりますがね。
 

ナレーター:  父の意志を引き継ぎ、自らも平和運動に力を注いでいる半田さん。二○○五年にフランスで開かれた「平和の祈りの集い」では、父・孝海さんの篤い思いを再確認する大きな感動を体験したと言います。
 

 
半田:  フランスのリヨンでファイナル・セレモニー(final ceremony)に、「是非一つ広島、長崎の原爆投下の六十年だから是非演説やってくれ」と。「よし、行くぞ。反対運動のためによし行こう」といって、結局親父の血が流れてるもんですから、原爆反対運動にはじっとしておれないもんですから、フランスへ行ってリヨンで演説しました。その時にちょうどリヨンの円形のところで大勢に、峠三吉の「ちちをかえせ ははをかえせ」(峠三吉 原爆詩集「序」の一節)という原爆の歌を歌った時に、初めてフランス人がみんな私に立ち上がってくれた。私は演説しているからわからないんだけども、歓声をあげてくれたらしいですが、
 
中川:  スタンディングオベーション(Standing ovation)が起こったんですね。
 
半田:  そうです。たしかにみんなそう言っていますが。私はこんな感激はない。原水爆を毎年訴えているけど何の反響もなかった。ところが、「是非原水爆について話をしてくれ」という向こうからの話ですから、「よし、この機会だ」と思って行ったんですよ。その時の感動は未だに私は忘れません。
 
中川:  その時、お父様のことをやっぱり頭をよぎられましたか。
 
半田:  勿論行く時から原水爆の話をするということだから、親父の血が流れているんで、原爆ということを聞くと、何としても日本は唯一の被爆国ですから、原爆反対を訴えなければならん。どんどんやったことはあるんですけどね、何の反響もないの。
 
中川:  手応えをなかなか感じることができなかった。
 
半田:  なかなか感じかった。その時に初めて、フランスの人たちも原水爆反対と。日本の悲劇を見て、「ああ、気の毒だなあ」ということを思って頂いたということだけで、私は良かったんじゃないかな、と思いますがな。そういうお思い出が今でもあります。だからそれが今続いて、それで現在の比叡山の「宗教サミット」が二十二回続けております。これは大変なことですよ。だから「継続は力なり」と。続けてほしいんだ、と。結局「お花をなんぼ投げたって、根がつかなければ何にもないんだよ」というように、やはり根となり、そしてしっかり地についていくことがないといけないんじゃないか、ということで、非常に「宗教サミット」ということは大変なことだと思いますが、日本でも至る所で起こるんだろうと思います。私も広島へ前にもお邪魔して、広島の原爆のところでお水を置いた時に、ああ、原爆に遭った人たちが、ああ、水を欲しがっているんだな、というので、全国からお水を持って行って、そのお水を掛けた時の感激、感動は忘れませんな。
 

 
中川:  「一日に一回は感動する」ということをおっしゃっていると伺いましたけども。
 
半田:  それは大事なことだと思うんですよ。どんな人でも一日に何か一つ「良いこと」がある筈なんですよ。その良いこと―「ああ、今日は良いことだった」ということで、日記にも書いております。例えば、今日はこれ良かったということについて、ウンと感動することは、次のステップに向かって前進できるんじゃないですか。悲観ばかりしているんじゃなくて。「ああ、良いことやった」「ああ、美しいな」「ああ、綺麗だなあ」というように感動する。それがプラスになるんじゃないですか。
 
中川:  同じ物事でもその受け止め方で自分自身が自ら感動―心を動かすということですね。
 
半田:  そういうものがないと前進しないんじゃないですか。やっぱり引っ込み思案になっていて、そういうふうに考え込んでしまったら何にもならない。やはり一日一遍でも二遍でもいいから、その感動―「ああ良かったなあ」「ああ、良かったなあ」という感動がなければ前進しないんじゃないですか、人間というのは。
 
中川:  お父様は大変行動をされる方だったというふうに資料なんかを拝見しますと思うんですが、そういったところを受け継いでいらっしゃるんじゃないですか。
 
半田:  「智目行足(ちもくぎょうそく)」という言葉が、天台大師の『摩訶止観(まかしかん)』の中にあるんですね。結局こういう知識の目で、そして修行した足で歩け、という。天台宗は、「解行双修(げぎょうそうしゅう)」といって、両方できなければいけないよ、と。学問も実践もできなければいけない。だから天台はそういう意味では学問宗だということを言われると同時に、片っ方は修行道場―千日回峰行があったりして、その行(ぎょう)が行われている神聖な山で、その山からそれぞれのお祖師様たちが育っていくわけですから。そしてそれぞれの宗派を開いて、鎌倉仏教が成り立つわけですからね。だからそんな天台宗の動きというものがあるかと思いますがね。私もなんかもりもりと浮かんできますとすぐ実行力が出ちゃうんですがね。私も座主になりましてから二年半ぐらいになりますが、田舎の人間ですから比叡山の山そのものを知り得ない。なんとか知らなければならないということで、山歩きをしまして、例えば法然上人、日蓮上人、あるいは道元禅師のゆかりの場所を比叡山の中を廻って歩いて、そしてこの目でしっかり確かめると、法然上人はここで学問修行をやったというところへ行きますと、何となく法然上人がお見えになってくるような気が致しまして、ああ、良かったな、と。道元禅師がここでなさったんだなあというようなことを思うと、鎌倉のお祖師さんたちがそれぞれ比叡山へ来て、学ばれた姿を何とかしても知りたい、と。それは本を読んでもいろいろ出てきますよ。だけど実際自分の目で、自分の足で、そこまで行って初めてわかるんじゃないかなというようなことで、まだたくさん残っていますよ。それを来年に向かっても歩こうというような意気込みだけは持っていますがね。
 
中川:  人と人との対話をしていく。そして絆を深めていくために、どんな姿勢で私たちは臨んだらいいんでしょうか。
 
半田:  そうですね。仏教と言いますか、お釈迦様の教えの中に、「心を施せ」という言葉があります。昔から「無財(むざい)の七施(しちせ)」と言って、お金があって施すんではなくて、何もなくても施せるんだ、と。例えば、「眼施(がんせ)」と言って、目で相手に施しをすることができるし、先ほども申し上げましたように、「和顔(わげん)」和やかな顔で人に接しなさい、と。これは大事なことなんですよね。いかめしい恰好なり、あるいは憎いなと思って接したりするんじゃなくて、体全体が和やかなふうにして、顔にもそれが必ず出るものです、心の中に和やかなものを持つと外に出てくるわけですね。あるいは相手に対する言葉ですね。優しい言葉を掛ければ、優しい言葉が返ってくる。「この野郎!」と言ったら、「この野郎!」と返ってくるわけですから。そういう「和顔施(わげんせ)」和やかな顔で、そして優しい言葉を掛け合うということが、人と人との対話する場合にも必要なことです。私は、棟方志功(むなかたしこう)さんと対話をしたことがありますけれど、ぽっと急に相手の気持ちに飛び込むことができた。向こうも入ってきちゃった。これは不思議なんですよ。五分間の対話時間が一時間も二時間も要るようになっちゃったんですがね。そういう相手の心の中に飛び込む。向こうもこちらに入ってくる、と。こういう相照らすということなんですが、どういうところでそういうふうになったかね、急に仲良くなっちゃうんですがね。そういうことはトップレベルの人と話をしている時に、ヨハネ・パウロさんにしてもニコッと笑みをたたえてくる。私も変わってくると、自然に対話というものが解けてくるというかね、入り得るんですよね。それはやっぱり人間生活をしていく上においては大事なことじゃないか、と思います。そんなことで心の施しをしなさい、と。金は無くてもいいから施しをしなさい、と。これはもう言われている言葉ですから、これは大事なことだと思う。今こういう施しをしなくなっちゃった。一対一にしても、だけど相手の顔を睨み合ったりして、あれ何よ、と探り合うんじゃなくて、接して、相手の中に飛び込んでいって、そして和やかに話し合うということによって、相手も、「ああ、この人なら気を許していいんかな。話し合いましょう」というところへ持っていくこと、これは仏教の言葉に「無財の七施」ということがありますから、これは実践することが大事だなあと思いますね。
 
中川:  「和やかな顔で相手に飛び込んでいく」というお話がありましたけど、例えば棟方志功さんとの対話はきっとお互いにパッと通ずる瞬間的なものがあったと思うんですが、そういう人ばかりじゃないですよね。
 
半田:  そうなんです。全人がみんなそうだとは限りません。
 
中川:  なかなか相手の人とちょっと、パッと距離を感じてしまった時に、難しいですよね、飛び込んでいくのって。
 
半田:  それは難しいと思いますけどね。敢えて飛び込んでいくんです、私は。自分を悪くしても飛び込むという気持になりますね。そうすると自然に向こうからも入ってくるんじゃないかと思いますがね。入らない人も中にはあります。それはあるでしょう。何か魂胆を持っている人はあるけど、そうではなくて、そこまでお互いが譲り合うというか、寛容性というか、そういうものをもつことが大事だと思います。結局一人では生きていかれませんよ。先ほど申しました生かされているんですから、自分は。人と共に生きている。共に生きるという言葉がありますね。「共生」という。仏教のキーワードですけど、共に生きる、と。決して一人では生きていかれない。共に生きていく、ということが大事だと思うんですね。
 
中川:  和やかににこやかに相手に接するというのが、もう自然ににこやかになってくる場合もあるし、あえて自分からにこやかにしようと思ってすることもあるということですね。
 
半田:  そういう場合もありますね。
 
中川:  自分からしていけば、
 
半田:  相手も返ってくると思いますね。そんなふうに努力をしていますがね。まだ自分が至らないんだなあと懺悔しますよ。そういうことができないのは私にいろんな欠点があるんだろう、ということを懺悔していきますよ。飛び込めなかった場合は。「ああ、あれは悪かったのか」「そういうことはいけなかったのか」ということを懺悔しますよ。人間なんていうのは懺悔しなければ、反省しなければいけないんですよ。
 
中川:  もう反省なさることないように思うんですが。
 
半田:  いやいや、ある。いっぱいある。日常些細なことがいっぱいある。ですから絶えず反省をして、そして今度はこういう形でいこう、乗り越えていこう、という気持になるんじゃないかと思うんですね。それは大事だと思いますよ。それをやっぱり努力しなければならない。昔から仏教で「戒」という。「戒律(戒め)を守れ」ということがあります。特に仏教の中では一番大事なことは、「五つの戒め(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)」がありますね。これは今できていない。第一条は、「不殺生」人を殺しちゃいけないよ。自分のいのちも絶ってはいけないよ、という。これすら一番大事なことができないんだ。だから平和になるためにも、どうしてもみなさんの心の中に優しい気持があれば、押さえる力が出てこなければならないんじゃないか、と思う。
 
中川:  「戒める」ということは自分の中の欲だとか、悪い思いとかを押さえる、ということですよね。でも、欲の中には良い欲もありますね。頑張ろうとかという。
 
半田:  そうですね。それはいわゆる貪欲(どんよく)ですかね。欲をむさぼるというか、これはしてはならない、と。欲がなければ生きていかれませんから、私も生きる意欲があるから生きているんですよ。まだ生きようという意欲を持っているから生きている。それまでなくしちゃえということではなくて、いわゆる淫らな欲だとか、いわゆるしてはならない欲はしてはいけない。そこで昔から「少欲知足(しょうよくちそく)」という言葉がある。欲を少なくして足ることを知りなさい、という。なかなかこれで満足だよ、私はこれでいいよ、ということはない。あ、食べた後もなんかもう少し食べたいなという。それを押さえる欲が出てこなければダメだよ。だから欲はなるべく少なくして、これで足りるかなということを思うんですね。伝教大師も「道心(どうしん)」というお言葉を遣っていますが、善い心にそのことをしていれば衣食はついてくるんだよ、という。
 
     道心の中(うち)に衣食(いじき)あり。衣食の中に道心なし
 
と言っていらっしゃるように、一生懸命に道を求める心があれば、必要最小限の衣・食(住)は自然に具わってくる。反対に衣食におぼれた、贅沢三昧の生活からは、決して道心は湧いてこない。そういう戒めとして言っておられるわけですから、我々もその戒めについて、そしてこの世の中をわたっていくということが大事なことですから、大勢の今の世の中の人たちにも是非戒めを一つ、自分の戒めでいいですから、こうしてはならぬ、と。「少欲知足」でもいい。それは押さえるんだ、という。耐えるんだ、というものを持っていかれるようにご努力を願うことが大事だ、というふうに思いますがね。
 
中川:  今、伺っていますと、世界の宗教者のトップが顔を合わせて対話をする。それが世界平和に繋がる。それに向けていくということと、近所のお友だちと繋がるとか、家族で繋がるとか、そこで対話をするということとは、そんなに違わないんではないか、と。同じことなんでしょうね。
 
半田:  同じことですよ。だからトップであろうと、子どもたちであろうと、それは同じなんです。だからお互いに触れ合う機会を多くするということが大事じゃないですか。いわゆる昔の子どもだったら、必ずガキ大将がいたりね、そのグループがいて、そしてお互いにぶっつかりあうじゃないですか。そういうことが大事だと思うんですよ。今は子どもの喧嘩に親が出ていっちゃうから、子どもだけで解決できなくなっている。
 
中川:  一方で世界宗教者のみなさんが集まって、お話し合いをして、一生懸命平和のために祈っているにも関わらず、世界のあちこちで未だに紛争が終わらなかったりしていますね。
 
半田:  「そんな祈りなんか何もないじゃないか」と言われるんですがね。その祈りがやはり蓄積されていくわけです。山田猊下ではないが、一本ずつ植えたのが、根を張るような形にならなくちゃいけないわけです。だから小さなことだけど積み重ねる。どんなことでも小さなことから積み重ねていくことが大事だと思うんですがね。最初から大きなものをやろうとすると、これは無理なんですよ。これは瓦解しますよ。
 
中川:  それは続けていかなくてはいけない、ということなんですね。
 
半田:  良いことだと思ったらですよ。悪いことだと思ったら続ける必要はないでしょ。良いという信念があって、良いと思ったら続けるんであって、そうでなければ続かないでしょう。だから良いことだから続くんだ、ということも言えるしね、大事なことだと思いますよ。
 
中川:  ということは、この比叡山での「宗教サミット」は二十二回になるということですけれども、その二十回を越える歴史の中で、「あ、やっぱり続けてきて良かった」と思われることはどんなことですか。
 
半田:  世界がこういう時代になっているだけに、どんな些細なことでも―天台宗だけでも、この団体だけでも続けていって、平和のために祈ろうじゃないかということだけでもいいと思うんですよ。それが大きくなっていく。二十年経ったら記念式典やろうということで、今進めていますけれども、そういうことでいいんじゃないかと思うんです。それはやっぱり小さなものの積み重ねですよ。
 
中川:  続けるって大変ですよね。
 
半田:  大変なことだと思いますよ。いろんなものに言います。結局今世の中は「耐える」ということに欠けているんじゃないか、と。耐えないですよ、みんな引っかかったら良いことの方に飛んで行っちゃう。これで良かったらポッと飛んで行っちゃう。こっち美味いものへ飛んで行っちゃう。そうじゃなくて、物もない、あるいは耐えるということになる考え方ができていないんじゃないかと思う。それは体の上でも、精神的な面においても、これを今やるべきじゃないか、と。耐えること、それは今まで日本がいろんな面で耐えてきましたよ。それで復興してこの日本が出来上がってくる。あの時代の人は耐えて、耐えて、耐えていますよ。「耐える」ということは殊に今大事じゃないか、と思うんですね。
 
中川:  これまでは、例えば日本の中であっても戦争を知っている世代の人たちがいらっしゃいましたけれども、だんだんいなくなりますよね。それはある意味で平和が続いたということでもあるんでしょうけども、今度は平和ということについての活動観というんでしょうか、絶対これを守らなければいけないんだという強い思いが薄れてくるという心配がございませんか。
 
半田:  それはあると思いますね。確かに戦争を知った人がいなくなる。それは戦争をした人たちはいろんな意味で耐えて、その時代を乗り越えていますわね。そして生きていると、いつのまにか消えていってしまう。そうすると、「どういうことをすることが耐えるんだろうか」と。「耐える、って、どういうことだろう」ということに原点に至るわけですね。そういうことを振り返ってみて、どうしたら耐えていけるんだろうか、ということを、お互いが真剣に考える時期がきているんじゃないか、と思いますね。大事な時期だと思いますよ。今、「平和というものをどう思うんだ」ということについて真剣に取り組んでいく時だろうと思うんです。今まで惰性できちゃったかも知れませんね。平和に甘えちゃって。これでいいんだ、これでいいんだ、と。そうじゃないんだ、と。もっと困っているいろんな人がいるじゃないか。人類平等であるんだし、これをやって、これやるんだから、この人のことを考えたら、自分はもっとこうすべきじゃないか。耐えていかなければならない。人のために思いやりを起こさなければいけない、というようなことになってきますわね。そういうような精神を植え付けていく、ということが大事じゃないかと思うんですね。ほんとですよ。しっかりと耐えて頂くこと、これはどんな人間にも耐えて頂きたいと思いますね。
 
中川:  いろんな嫌な事件が起こったり、あるいは世界でも相変わらずなかなか平和が実現しなかったりというのを見ていると、明るい展望というのを持ちづらくなってきたように思うんですが、ご座主さんご自身は、世界はこれから良い方向に行けるんだ、というふうにお考えになりますか。
 
半田:  行かせるんだ、という希望を持っています。どういうことをしたら平和の世界が現出し、平和になるかということは、それぞれの形で考えている。私自身もそういうことを考えている。先ほど言ったように、いわゆる前進したらまた戻って、懺悔をして、そして前進するという意気込みは続けていきますけれども、やはり今まで起こったことに対しては反省というか、懺悔というか、そういうことをしながら前進していこうと、個人では思っています。個の力だけではどうにもなりません。すべての人たちがそういう気持になって頂くことを望んで止まない。そして平和を実現したい、というふうな希望だけは持っております。明るい希望だけは持っています。 
 
中川:  今日はどうもありがとうございました。
 
半田:  どうも失礼致しました。
 
     これは、平成二十一年九月十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである