法然を語る @時代をひらく
 
                  広島大学大学院教授 町 田(まちだ)  宗 鳳(そうほう)
一九五○年、京都市生まれ。一四歳で出家。二○年間、京都・臨済宗大徳寺で修行。三四歳のとき寺を離れ、渡米。ハーバード大学神学部で神学修士号。ペンシルベニア大学東洋学部で博士号取得。一九九○年から、プリンストン大学東洋学部助教授、国立シンガポール大学日本研究科准教授、東京外国語大学教授を経て、現職。同大学、環境平和学プロジェクト研究センター所長。研究分野は、比較宗教学、比較文明論、生命倫理学。座談会「風の集い」を全国各地で開催。著書は『愚者の知恵』『人類は「宗教」に勝てるか』ほか多数。
                  き き て     草 柳  隆 三
 
草柳:  この四月から毎月一回、「法然を語る」と題しまして、十二世紀から十三世紀にかけて活躍致しました法然房源空(ほうねんぼうげんくう)(1133-1212)の事績と教えについてお話をして頂くことに致しました。十二回のシリーズなんですが、このシリーズをずっと通してお話をしてくださいますのは、広島大学大学院教授の町田宗鳳さんです。町田さんは、アメリカのハーバード大学で比較宗教学を専攻されまして、特に法然については深く研究をなさった方でいらっしゃいます。一年間よろしくお願い致します。
 
町田:  こちらこそよろしくお願い致します。
 
草柳:  お話をお伺いする前に、一つご紹介しておきますが、この番組では、こうした副読本として参考書を出しておりますので、番組と合わせて是非ご利用になってください。さて第一回目ということですが、これから長丁場になりますけれども、一つよろしくお願い致します。それで「法然を語る」ということなんですが、法然の時代、つまり平安末期から鎌倉にかけて、この頃って随分たくさん仏教界にはいろいろな大変な人が出た時代なんですよね。
 
町田:  そうですね。私は鎌倉時代を「日本の思想史上のルネッサンス」というふうにとらえておりますけれども、法然上人はその鏑矢的(かぶらやてき)な存在、パイオニアなんですね。その後に親鸞さん、道元さん、日蓮さんと、きら星の如く凄い独創的な思想家が輩出するわけですけれども、その先人をきったのが法然さんなんですね。
 
草柳:  とりわけその法然を今回取り上げる、いわば今日的な意味というんでしょうか、今何故、法然を、ということなんですけれども、今おっしゃったようにまさにパイオニア的な存在の人物だった、ということが当然そうだと思うんですが、何しろ宗教史上に残した事績というんでしょうか、その凄さということがあるわけですか。
 
町田:  そうですね。平安末期というのは、律令制(りつりょうせい)がガラガラ音を立てて壊れ始めた時、世の中は大変混乱していたわけですね。天災・人災ともに夥(おびただ)しい数で起きて、戦乱もありましたからね。人は本当に混乱の極みにあったわけですよ。そういう時代に生まれ落ちて、法然さんは人々にどちらに向かって生きていくべきか、という方向性をお見せになった。それで人々は大きく救われていったと思うんですよ。で、現代平成日本も、これは世界的に言えることですけれども、一つの閉塞感に陥っている。こういう時代だからこそ、大胆に新しい価値観を作っていく必要があると思うんですが、そういう意味において、法然さんは大変良いお手本だと思います。
 
草柳:  そうですか。何故良いお手本なのか、という辺りをこれから詳しくお伺いしていきますけれども、ちょうど八百年ですか、亡くなってから。
 
町田:  そうですね。平成二十三年には、浄土宗知恩院を中心として「宗祖法然上人八百年大遠忌(だいおんき)」というものが営まれる予定になっておりますから、まさにそういう意味においても、今、法然の実像を学んでいくというのは大変意義のあることだ、と思っております。
 
草柳:  これが法然の肖像画なんですが、これはいくつぐらいのものなんでしょうかね。
 
町田:  私は詳しいことは存知あげないんですけれども、おそらく六十代頃のご肖像じゃないでしょうか。
 
草柳:  この時代としては随分長生きをされたんですね。
 
町田:  そうですよ。八十歳ですからね。当時としては信じられない、奇跡的な長寿だったと思いますよ。勿論お弟子さんの親鸞聖人は、九十という恐るべき長寿を全うされておりますけれども、当時平均寿命が三十歳にも至っていなかったと思うんですよね。そういう時代において、お二人ともそこまで長寿を全うされたというのは、単なる肉体的な力じゃないですよ。これは非常に大きな力が働いて、そのお二人が長生きをされたと、私はそのように理解していますけどね。
 
草柳:  他にはさっきお挙げ頂いた、親鸞がいたり、日蓮がいたり、道元がいたり、凄い人たちが出てきたその時代の中で、特に法然に町田さんが惹かれていったというのは、これはどういうことからだったんですか。
 
町田:  いくつかのポイントがありますけれども、一つは、人間的なスケールの大きさ、魅力、それが真っ先にきますね。非常に円熟した人格をお持ちになっていた。それはお歳を召してだんだんそういうふうに円熟していかれたと思うんですが、何人をも包み込むような包容力、そして誰をも許すような寛容性というものを体現しておられる宗教家ですね。そこにまず非常に魅力を感じますね。二つ目は、思想的なことです。日本の思想史上、大きな潮の流れを変えるぐらい大切な役割を果たされた。私は法然さんのことを「思想の革命家」と呼んでいるわけですけれども、比較宗教学者ですから、彼の哲学というか、思想というか、その革新性に大きな魅力を感じた。さらに三つ目は、宗教体験の深さということがあります。単に学問を積まれて、学僧として新しい思想を切り開かれたんじゃなしに、大変深い体験をお持ちになった。私自身が若い頃に禅の修行を囓(かじ)っておったものですから、坐禅を通じて宗教体験を突き詰めていくことの難しさというものを常に実感しておりましたからね。
 
草柳:  町田さんは初めから法然ではなくて、最初は禅の道場で修行なさっていらっしゃったんだそうですね。
 
町田:  そうです。私は十四歳から三十四歳まで、ちょうど二十年間禅寺の土塀の中で過ごした人間です。中学生時代から三十半ばまでずっと坐禅をしてきた人間ですから、宗教体験ということに、実践面からも学問面からも常に強い関心を抱いています。
 
草柳:  町田さんが最初にお入りになって修行された禅というのは、自力と他力と分ければ、自力でしょう。ところが法然さんはそうじゃないわけでしょう。
 
町田:  そうですね。浄土教の立場は一方的に「弥陀の本願」というか、「救いの力」を仰ぐ立場の宗教です。で、私が関わっていた禅宗は、救いは誰にも期待できない、と。仏が救ってくれるわけでもないし、師匠が救ってくれるわけでもない。悟りは自分で切り開く。それが大原則ですよ。だから自力本願と他力本願というのは両極端の仏教の教えですけれども、根っ子は一つなんですよ。これはやってみたらわかるんですけれども、中途半端ではだめですよ。どちらでもいいんですが、坐禅なら坐禅、お念仏ならお念仏を徹底してやってみると、根っ子は一つだった、ということが理屈抜きに納得できてくると思うんですよ。
 
草柳:  その二十年間の間に、町田さんの中で何が起こったわけですか。
 
町田:  毎日毎日明けても暮れても坐禅をしておれば、いろいろな不思議なこともありますから。ただ私は臨済宗に席を置いていたわけですけれども、いわゆる禅のお坊さんがおっしゃるような、「無心」とか、「無我」とか、「無」と言った言葉では覆いきれないような何かがあると。たとい自力で修行していっても、その坐禅の最中に感じるようなものは、やはり宇宙というか、大いなるものに包み込まれるような感覚があるわけですよ。それを「仏様」と言っても、「神様」と言ってもいいんですけれども、自分が消えてしまうわけですから、その入り口では自分が頑張って強い自意識を持って修行に臨むわけですけれども、入っていった先には自分がいないわけですから、何か有り難いものに自分が包まれているとか、支えられているという感覚が、特に私の二十代後半から三十にかけてぐらいの頃に強く出てきたわけですよ。そうすると、これは「無」なんかよりも「南無阿弥陀仏」のお念仏の方が、自分が今感じている感覚、あるいは心境を上手く表現してくれているんじゃないかな、という意識を持ち始めましたね。
 
草柳:  それで後はひたすら法然ということになるわけですか。
 
町田:  いや、そうは単純じゃなくってですね。私は気が多い人間ですから、勿論法然さんのことも勉強しましたけれども、アメリカの大学というのはいろいろなことをトレーニングされますからね。特に私が留学した先は神学部でしたから。
 
草柳:  アメリカの留学なんですけれども、二十年間ずっとこちらで修行なさっていらっしゃったわけでしょう、お寺で。アメリカ留学というのは、何かきっかけがあったわけですか。
 
町田:  勿論いろんな要素が積み重なって起きたことだと思うんですが、大体私は子どもの時から、十四歳で出家する以前は日曜学校―教会に通っていたんです。
 
草柳:  キリスト教の、ですか。
 
町田:  そうです。聖書を勉強したり、聖歌隊に入ったりして、むしろキリスト教に傾倒した少年時代を過ごしていたものですから、三十半ばになって寺を出る時に、再びキリスト教のことを本格的に勉強して仏教との対比をしてみたくなったんですね。
 
草柳:  それで縁あって、アメリカに行かれることになったわけですか。
 
町田:  私の周囲には当時一九六○年代とか七十年代というのは禅ブームでしたから、禅の寺には毎晩のように大勢の外国の方が坐禅に来ていたわけですよ。そういう人たちに、「私は禅宗の修行を随分長くやってきたから、今度は学問をしたい。できたら仏教ではなくって、他の宗教の勉強をして、外から仏教を眺めるような体験を持ちたい」というようなことを日頃口にしていたんですよ。それを聞かれたある学者夫婦が奔走してくれまして、私が留学できるような道を開いてくださったわけです。
 
草柳:  それでアメリカに行かれて神学部にお入りになって、最初はキリスト教を勉強していらっしゃったというか、研究していらっしゃったわけですね。宗教の比較をしてみたいとおっしゃいましたけれども、つまり仏教を別の角度から光を当てて見たい、というふうなことがあったわけですか。
 
町田:  ええ。勿論ありました。先ほども少し触れましたけど、禅と念仏はまったく違うように外からは見えていますけれども、「根っ子は一つ」というような感覚を持っていたものですからね。これは同じように、仏教とキリスト教とか、イスラム教と仏教とか、教義的には歴史も文化も教義も違う宗教であっても、共通基盤があるんではないか、という直感があったんですよ。それを学問的に、論理的に語れるような人間になりたい、と。私は、鈴木大拙(すずきだいせつ)さんの影響を非常に強く受けています。これは私の師匠が関精拙の弟子だったということもありまして、私は高校時代ぐらいから『鈴木大拙全集』を読み込んでいたわけですよ。ですから鈴木大拙先生は国際的な活躍をされて、禅を世界に紹介されたわけですけれども、私は鈴木先生とちょっと違うのは別に禅を紹介したいという気はなかったんですが、禅なり仏教なりを大きなテーブルの上で語ってみたい、という気持は思春期の時から相当強くありました。
 
草柳:  大きなテーブルってなんですか?
 
町田:  宗教というテーブルがあったら、そこにはユダヤ教という宗教があったり、キリスト教があったり、イスラム教があったり、ヒンズー教があったり、いろいろあるわけですよ。そういうさまざまな仏教を俯瞰(ふかん)するような、そういう視点を持ちたい。しかもそれを日本人だけじゃなしに、どういう国の人にも語れるようなそういう人間になりたいというのが、私の思春期からの夢だったんですよ。
 
草柳:  それで学位論文をお書きになるわけですけれども、それで選んだのが法然だったわけでしょう?
 
町田:  そうです。それは先ほど申しましたように、宗教体験上も非常に面白い人物ですし、私は実はキリスト教の神学だけじゃなしに、向こうにいる時は心理学とか人類学とか、いろんな学問をちょっと囓ったわけですよ。ですからいろいろ料理の道具は持っているわけです。それでそのいろんな包丁で料理をできる研究対象として、どなたが相応しいかと思った場合に、法然さんというのは、仏教とキリスト教を対比する上でも大変面白い人物だし、先ほど言った自力と他力の比較とか、あるいは心理学的な分析、そして時代を切り開いたエポックメーカーと言いますか、そういう社会的な役割も果たした。個人的な宗教的な境地を切り開いていっただけではなくて、彼の非常に個人的な精神の歩みと言いますか、求道心が結果的には世の中の流れを変えるぐらいの大きなインパクトを持った。ですから何層にも渡って、法然というのは非常に魅力のある人間像でもあるし、学問の研究対象として奥の深い人だ、と思ったわけですね。
 
草柳:  そのことは八百年経った今、改めてまた新しいテーマを、法然は私たちにメッセージとして送り続けてきている、という感じですかね。
 
町田:  まあ一言で言えば、「常識を破る力」を見せつけられていると思いますね。私たちは常識の奴隷になっていますから。いろんな思い込み、古い制度、伝統―その壁を乗り越えられないから今日的な問題がいろいろあるわけですね。これは何も日本だけではなしに、人類社会自体が今いろいろ地球環境の危機とか、貧富の差とか、あるいはさまざまな形の紛争とか、近代文明は非常に大きな危機に直面していますから、私は比較文明学というのも専門の一つなんですけれども、文明は確実に大きな曲がり角にきているわけで、新しい文明のパラダイム(paradigm:典型、枠組み)というか、人類社会の価値観、そういうものを見出していかなければいけない時代に私たちは生きているわけですよ。ですから単に日本の宗教とか、浄土教とか、そういう枠組みを超えて、法然さんの生き様とか、ものの考え方というのは大変重要なメッセージを我々に届けてくださっているように思います。
 
草柳:  その辺のところは多分これから追々深い話をしてくださると思って期待をしているんですが、先ほど「法然は思想の革命家」とおっしゃいましたよね。
 
町田:  ええ。それは聖徳太子以来、数百年の歴史を日本の仏教は既に積み重ねていたわけで、それはそれで大変貴重なプロセスだったと思うんですけれども、やはり奈良・平安仏教というのは、大変な経済力と政治力を手に入れて、否定的な側面も随分出てきたわけですね。まあ広大な荘園を持って、そこで能動的な小作人を抱え込むとか、社会制度としてもいろいろ問題があったわけですが、仏教が鎮護国家の仏教でしたから、常に救いの対象というのは、天皇であり、皇室であり、お公家様(くげさま)であり、貴族である、と。社会の上層部をターゲットにしていて、人間が救われていく上でも、さまざまな条件付きをしてしまったわけですよ。戒律を保たなければいけないとか、お寺にいろいろと寄贈しなければいけないとか、道徳的に大変資質の高い生活を営んでいないといけないとか、いろいろ条件付きをしてしまったわけですよ。そうすると、そういう救いの条件に当て嵌まる人間というのはほとんどいないわけですよ、ほとんど現実には。
 
草柳:  一握りになってしまったわけですね。
 
町田:  ええ。で、その抱え込まれた仏教の囲いをばっさりと突き崩したのが法然さんの偉大な働きじゃないですか。そう思っています。
 
草柳:  一つは、そういう時代的な背景というものがもの凄く大きく、その底にあったということなんでしょうね。
 
町田:  勿論法然さんの背中を押したのは歴史ですから、彼個人の力というよりも歴史が法然という人物を生み出したわけですからね。それは日本ではまさしく貴族社会から武家社会に移行する時でもありましたから、何もかもの条件が整って、法然という宗教家・思想家が誕生してきたんだと思います。
 
草柳:  要するに、貴族、いわば貴族仏教から庶民の仏教へ、その橋渡し、そのちょうど一番大切な時に法然は大変な働きをした、ということなんですか。
 
町田:  そうですね。法然さんご自身が岡山の土豪の武士ですよね。血を引いておられる。やはりそれまでの僧侶―特に高僧ですね―は貴族の子息が圧倒的だったわけですから、法然さんが当時岡山の随分山深い里から出て来て、延暦寺―日本の仏教の中心地でしたが、そこで本格的な学問を積んで、しかもいろいろ修行もされたと思うんですよ。そこで得た着想はやはり貴族の血を引いた人にはなかったものを、彼は手に入れたと思いますね。
 
草柳:  町田さんはそうした法然の権威だとか常識を打ち破る、そのことに惹かれたというか、法然の新しい意義といったものを見出していくということになるわけですか。
 
町田:  そうです。それと彼の宗教体験の核心には、イメージというものがあるわけですよね。強い浄土のイメージとか、阿弥陀仏のイメージとか、観念ではないんですよ。法然のお始めになった「専修(せんじゅ)念仏」という一つの宗教運動は、理念とか観念から始まっておらなくって、彼がこの目で見たイメージが出発点になっているわけですよ。私たち現代に生きる人間も情報化社会に置かれていますから、ついつい頭でっかちになっている。で、学校教育も受けている。知識偏重のところがあるんです。それはそれで大事なことなんですよ。勿論その知識を吸収していくというのは、とても大事なことなんですが、それと同時に自分の中に具体的で、たしかなイメージというか、ヴィジョンを持っている。それがもの凄く今求められていると思いますよ。
 
草柳:  しかし法然という人は、そのイメージで何を見たわけですか。
 
町田:  当時の人が一番恐れていたのは「死ぬ」ということなんですね。
 
草柳:  戦乱の、というか、世の中荒れに荒れていた時だったでしょうからね。
 
町田:  そうです。「京の都に死体がごろごろしていた」と、『方丈記』に書かれていますからね。いつ死ぬかわからない。戦乱で死ぬかも知れないし、疫病で死ぬかも知れないし、台風や大火で命を落とすかも知れない。飢餓というものも非常に深刻な状況でしたからね。当時の人々は常に死に直面していたわけで、死というものが非常に重く暗くのし掛かっていたそういう時に、法然さんは凄い逆転の発想をしてしまうわけですよ。
 
草柳:  何ですか?
 
町田:  いや、「死は恐れるものではない。死は極楽の入り口であって、決して地獄の入り口ではあり得ない」と。それまでの仏教は『往生要集(おうじょうようしゅう)』を源信(げんしん)(平安時代中期の天台宗の僧。「恵心僧都(えしんそうず)」と尊称される)が書いて以来、平安文化というのは地獄という概念に大きく振り回されるわけですよ。人々の心の中に地獄の恐怖というのが相当大きい位置を占めていたわけです。
 
草柳:  地獄に堕ちるのではないか、ということですね。
 
町田:  ええ。死に様によってはね。臨終の時の死に様によったり、あるいは生前どのような生活をしてきたか。それで死後の行き先が決定付けられる、と。地獄か極楽ね。大抵の人はもう地獄に堕ちると思っているわけですよ。だから不安で不安で、しかも死というのは日常的な出来事でしたからね。それは社会の上下を問わず、当時の日本人の心に、「死の恐怖」というのは強烈にあったわけですよ。それを彼は、「何も恐れることはない。みんながみんな救いの大地である阿弥陀の世界に到達するんですよ。物を落とせば床に落ちるように、私たちは間違いなく南無阿弥陀仏≠ニ言えば、極楽浄土に生まれ変わるんですよ」と。それを非常に分かり易く、どなたにも説き続けたわけですよ。それはみなさんビックリしたと思いますよ。
 
草柳:  「南無阿弥陀仏」と称えることが、それが法然の教えの、いわばエッセンスだったわけですか。
 
町田:  そうです。しかも「口称念仏(くしょうねんぶつ)」と言いまして、口で称える。頭の中で極楽をイメージするような「観想念仏」というのは早くから、特に延暦寺を中心として、南都北嶺(なんとほくれい)の仏教寺院で実践されていたわけですけれども、彼はそういう念仏の条件付きをせず、独自の名号(みょうごう)「南無阿弥陀仏」と称え続ければ、あなたがどういう人生を歩んできたとしても、間違いなく阿弥陀様は救いとってくださいますよ、と。それが一番当時の人が求めていた救いの形じゃないでしょうかね。
 
草柳:  ただしかしそうやって念仏を称えるだけで救われるということについて納得しますかね。
 
町田:  ええ。彼が単に中国の浄土経典を読んで、学僧として、そういう教義を説いても、人は付いてこなかった、と思います。法然さんは他の僧侶と違ったのは、実際に彼は繰り返し集中的な「別時念仏(べつじねんぶつ)」と言いますが、若い時からそういう行(ぎょう)を積んでおられまして、極楽浄土の存在というものに一切疑いがなかったわけですよ。確信を持って語っていた。彼は身体で語っていたわけですね、理念で語らずに。とすると、人々は法然さんの身体から発散されるような自信ですね、そういうものに惹き付けられていった。同じようなことを説いていた人は中国にもいたし、日本でも空也上人(くうやしょうにん)(平安時代中期の僧。天台宗空也派の祖。阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人と称される。民間における浄土教の先駆者と評価される。903-972)とか、十世紀頃から念仏は実践されていましたからね。いろんな方が口にはしておられたわけですけれども、冒頭に申しましたように、法然さんというのはお人柄も非常に魅力的な方で、そして深い宗教体験を持っている。プラス比叡山でも卓越した学僧だったわけですよね。お師匠さんの皇円(こうえん)(1074?-1169?)という人から、将来「円宗(えんしゅう)の棟梁(とうりょう)、(天台座主)になるぞ」と言われたぐらい学問的才能に秀でた人ですから、そのお人柄と体験の深さ、そして学問的な体系だった知識、そういうものが融合して、彼のお念仏があったわけですよ。ですから凄い説得力があった、と思いますよ。
 
草柳:  そしてひたすら念仏を称えることによって、「死は恐くない」ということを一生懸命説いたわけですか。
 
町田:  そうです。「たとい恐いと思ってもいいですよ」と。彼は人の感情をコントロールしようとはしていなかったと思うんですけれども、自分は安心しきっているわけですから、その安心が人に伝わっていく。感染していく。そして法然さん自身が常に進化していた人ですから、比叡山で修行していた時代から、京の都に下りてさまざまな人に出会う。それによって彼自身の人生体験も豊かになっていたし、彼の思想の広がりというのも出てきましたですよね。ですから晩年になればなるほど非常に魅力のある語り口でいろんな方を救いとっていかれた、と思うんですよ。
 
草柳:  念仏を称える人たちが阿弥陀の世界をだんだん信ずるようになってくるわけですかね。
 
町田:  そうですね。実際に法然さんの周りには、老若男女、大勢の方がお集まりになって、法然さんの言葉にありますけれども、朗々と心の底からお念仏を称えると。だから、そういうとってもいい雰囲気が流れていたんじゃないですか。周りの社会状況は大変悲惨である。だけども法然さんにお会いした時は、何かほのぼのとしたものを感じてしまう。増してはご一緒に歌うようにお念仏しておられた可能性が高いですから、お念仏を称えているうちにほんとに救われるんだ、と。ほんとに死というのは、閻魔さんが待っているんじゃなしに、阿弥陀仏が光を放って、ニコニコと私を待ってくださっているんだ、という実感を念仏の中で感じ取るような人がどんどん増えていったんじゃないですか。
 
草柳:  そういえば、「阿弥陀仏」というのは、言語は「光を放つ」という意味があるんだそうですね。
 
町田:  そうですね。「アミターユス(Amit?yus)」「アミターバ(Amit?bha)」と、サンスクリットで申しますけれども、それは「無量寿如来」「無量光如来」と、そういう意味があります。平たく言えば、「無限の命」「無限の光」ですね。現代の我々は、「阿弥陀さん」と言ったら仏壇に収まっている金色の仏像しか思わないんだけれども、私は法然さんというのはおそらく「アミターユス」「アミターバ」―「限りなき命」「限りなき光」と、そういうふうに受け取っておられて、「南無阿弥陀仏」と称えることはこの凡夫の自分、命限られた自分と永遠のいのちが瞬時にして繋がるという、念仏がブリッジになるわけですよ。そういう実感を常にお持ちだったと思う。理屈じゃないんですよ。晩年まで法然さんは「別時(べつじ)念仏」という非常に意識集中的なお念仏をひそかに続けられたわけですが、あまり人にはおっしゃらなかったけれども、それは実感ですよ。自分と永遠の命の繋がりを常にリニューアルするというか、真新しいものにしていく。そういう感覚を磨きに磨いておられた、と思います。ですから彼のところに来て一緒に「南無阿弥陀仏」と称えた人は、「ああ、やっぱり救われるんだ」と、彼のお説教を聞いてそう思うんじゃなしに、彼の声に包まれながらそう感じていかれたんじゃないかな、と想像しています。
 
草柳:  大いなるいのちに包まれていく、という、そんなふうな感触を法然さんの近くで一緒に称えた人たちというのは、知らず知らずそれが身体の中に入っていく、という感覚を持ったんでしょうかね。
 
町田:  そうです。それは決して特殊な体験ではないんです。現代に生きる我々もそういう感覚はいつでも持ち得るものですよ。ただ法然さんが生きた時代は、社会的な混乱が極端な形であった時代ですから、人々は本当に救われたと思いますよ。で、現代もいろいろ閉塞感があり、とかく我々日本人は物事に対して悲観的に考えがちですが、これは一種の民族性だと思っているんですけどね。
 
草柳:  民族性?
 
町田:  悲観主義が。文化でも何かどこか底流に哀調(あいちょう)―寂しいトーンが流れています。それはそれで美学的に、文学的に面白いものはあるんですけれども、やはり新しい時代を切り開くという時には、大胆さとか、勇気とか、そしてヴィジョンとか、そういうものがいるんですよ。それには意識としてヴィジョンを作ろうと思っても作れませんし、なかなか自分の心はコントロールできないんですけれども、その無限なる命というようなことに常に触れているという感覚があれば、自然とそういう創造性―クリエーティブなものがきっと出てくる筈なんですよ。ですから私は法然さんのことを、政治家にも勉強してほしいし、ビジネスマンにも勉強して欲しいし、何も浄土宗の開祖としての法然に閉じ込めることはないと思っています。
 
草柳:  どうすればそういう感触を胸にストンと落とすことができるんでしょうかね。次に、「月かげの至らぬ里は」という有名な歌がございますので、ちょっと見てみることに致しましょう。
 
     月かげの至らぬ里はなけれども
       眺むる人の心にぞ住む
 
どういうふうに町田さんは解釈なさるんですか。
 
町田:  オーソドックスには「月かげ」というのは、「弥陀の本願、阿弥陀様の救いの力」ですよ。それはすべて人に既に届けられている。あと為すべきはこちらからそれに目を向ける。お念仏を称えることによって目を向けると。そうすると、十人が十人、百人が百人、みんな月の光に包まれていくんですよ、という歌ですね。私はもう少し現代的に解釈をしますと、「月かげ」というのは、「透明ないのち」のことですよ。私たちは生物的に限りある命を生きていますけれども、「無量寿、無量光」という「永遠のいのち」は、私は、「透明な光」じゃないか、と―学者らしくないことを言いますけれども―そういう感覚で捉えているんですよ。ですからそれにふと気が付けば、自分一個人の性格とか、今までの生い立ちとか、関係ないんですよ。みんなが「透明ないのち」を頂いているわけですから、だからここにこうして私たちは生きているわけですけれども。それは勿論病気になったり、怪我をしたり、いくつかになったら亡くなるわけですが、それとは別な次元で、「透明ないのち」に我々は貫かれているわけですよ。それを法然さんはその時代に「弥陀の本願」とか、「お念仏」とおっしゃったわけですけれども、別にそういう言葉を遣われなくても、現代は現代で、私たちがどれだけ気忙(きせわ)しい生活をしておろうが、どれだけ経済的に困難な時代にあろうが、この「透明な光」というか、「永遠のいのち」というのは、時代とか空間に左右されることなく、常にここにあるわけですから、それを実感したら、それぞれの分野で、それぞれの職業において、新しいものの見方というのが出てくる筈です。ですから先ほど、政治家にも経営者にも法然の本質を知って頂きたい、というのは、私の宗教学者としての願いがあるわけですよ。みんなが自分のエゴを超えるそういう境地に入っていった時に、素晴らしいものが見えてくる筈ですよ。
 
草柳:  もう一つ、有名な言葉を紹介したいんです。
 
いけらば念仏の功つもり、しならば浄土へまいりなん。とてもかくても此身には、思ひわづらふ事ぞなきと思ぬれば死生(しせい)ともにわづらひなし。
(「つねに仰せられける御詞」)
 
町田:  いいお言葉ですよね。とっても味わい深いお言葉で、何度繰り返してもいいと思うんです。特に最後の「死生ともにわづらひなし」というところがいいですね。
 
草柳:  これを少し現代語風にちょっと訳して頂けませんか。
 
町田:  ここでは、〈生きているうちに称えた念仏の功徳(くどく)で、亡くなってから浄土へ行くのです。自分のことなど、生きているうちのことも亡くなってからのことも、何も思い煩(わずら)うことなどありません〉と、私は一応訳しております。まあ念仏に拘る必要はないと思います。生と死を貫いているものがある。一貫しているものがあるんですよ。これを直感するよりしょうがないんですが、これを直感したら、生きている人間として今日の心配があります。明日の心配があります。それでもいいんですよ。死んでからどこへ行くかもわからないんですけども、この一貫しているものを感じ取れば、平々凡々当たり前の生活が非常に楽しく有り難くなってくるわけですよ。で、一貫しているものをどのように感じていくか。法然さんは、「お念仏を称えなさい」とおっしゃったわけで、必ずしも二十一世紀の現代に生きている私たちにも、もしここに法然さんが来られたら、やっぱり「あなか、お念仏を称えなさいよ」とおっしゃるかどうかはちょっと疑問です。また別なことをおっしゃるかも知れない。だから私は、誰にでもできることと言えば、「今を大切にする」ということです。「今していることを大切にする」それしかないですよ。そこを大切にしていけば、必ず一貫するものが徐々にでも見えてくるんじゃないですか。何か特別なことをする必要があるとは思わないんです。
 
草柳:  「今を大切にする」ってどういうことでしょうか?
 
町田:  今、我々はここで二人で一生懸命話をしているわけだし、食事をする時は食事をすると。何か自分の職業上の物事に取り組んでいる時は、そこにほんとに心を置いて、その道のプロとして真剣に取り組んでいく。そういうところから自分という小さなエゴを遙かに超えた大きなものが見えてくるんです。それはスポーツでもいいし、音楽でもいいし、あるいは具体的に何か技術的なことでもいいし、そこに心を置いていく、ということですよ。だから誰でもできることですよ。
 
草柳:  ひたすら、ひたむきに、ということですね。
 
町田:  そうです。ですから法然さんがおっしゃっていた称名念仏ですよね。「南無阿弥陀仏」というのは、そこに心を置きなさい、というのが、彼の言いたいことだったと思うんですよ。みんな溺れるような気持でいたわけですからね。恐ろしい死の大海に、そこに投げかけられた救いの綱が念仏だったんですから、そこに心を置きなさい、と。で、現代の私たちも、今という瞬間に―考えてみたら、「念仏」の「念」というのは、「今の心」と書きますね。この瞬間の心の置き所ですよ。これは宗教を超えたものですよ。
 
草柳:  先ほどお触れになりましたけれども、現代こそまさにそれが必要だ、というふうに、町田さんはお考えになる、とおっしゃっておられますよね。
 
町田:  ええ。今ね、心と体がバラバラになっちゃっているんですよ。私は、年中世界のさまざまな国に旅をする機会があるんです。世界を見聞させて頂いて、いつも思うことは、日本というのはほんとに恵まれた国ですよ。素晴らしい国ですよ。いろいろ問題はありますけど、それは知っています。それは新聞を読んだらわかる。ニュースを見たらわかる。だけどそういう次元ではなくて、日本というのはいい国だと思いますよ。でもそういう国に生きながら、多くの方が自ら命を絶ってしまわれる。多くの方たちが心を病んでしまわれる。これはどこに原因があるか、というと、心と体がバラバラになっているんです。それを重ね合わせる練習をすべきなんですね。だからお念仏を称えるということも、実はそういう働きがあるわけで、一瞬に「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言っていると重なってくるわけですが、別に念仏でもなくっても、今やっていることを一生懸命やる。それはスポーツであっても、音楽であってもいいわけです。あるいは今している仕事、そこに全身で向かっていった時に、心と体の重なり部分が増えてくるわけです。そこに生き甲斐があって、自然な感謝というのが生まれてくるわけです。そういう意味でも念仏の新しい解釈が可能だと思います。
 
草柳:  もう一つ文章を、道綽(どうしゃく)禅師のお言葉ですが、
 
たとい一形悪(いちぎょうあく)を造れども、ただよく意を繋けて、専精(せんしょう)に常によく念仏せば、一切の諸障(しょしょう)、自然に消除して、定んで往生を得。何ぞ思量(しりょう)せずして、都(すべ)て去りゆく心なきや。
(道綽(どうしゃく)禅師『案楽集(あんらくしゅう)』)
 
町田:  これは、〈たとえ一生の間、悪行を重ねたとしても、心を込めて、いつも一生懸 命念仏すれば、いっさいの罪が自然に消滅して、必ずや往生できる。それなのに、どうしていつまでも過去のことにこだわるのか。〉ということです。
ここで大事なのは最後の部分ですよ。「都(すべ)て去りゆく心なきや」と。昨日のことは昨日のことだ、と。昨日の悲しみは昨日の悲しみである、と。今日まで担ぐな、とおっしゃっているわけですよ。それを忘れる意味での念仏でもあるわけですよ。私はよく「否定的記憶」という言葉を遣うんですが、私たちは長い人生を経て、いろんな嫌な目にも遭ってきているし、忘れたい体験もあるわけですよ。それが心のわだかまりになって、まだ意識の辺にあるうちはいいんだけれども、深い無意識の世界に入っていく。それを私はユング心理学でいう「個人無意識」とか、「普遍無意識」という言葉を遣って説明するんですけれども、沈殿していくわけですよ。
 
草柳:  否定的記憶としてどんどん積み重なっていくということですか。
 
町田:  ええ。自分では忘れているつもりなんだけども、心の奥深いところに沈殿してしまっている。そしてそれが非常に否定的なエネルギーを発して、私たちを悲観的にしたり、訳もなく不安にしたり、訳もなく恐怖を抱いたり、そういう心理的な傾向をもたらすのが、否定的な記憶―昔の言葉で言えば、カルマ(業)のことですが、それを消していきなさい、と。刻々の「南無阿弥陀仏」で消していきなさい、と。それを消したら、きっとあなたは明るい人生を迎えることができるんですよ、というメッセージであるように、私は理解しているんですよ。
 
草柳:  先ほどの言葉をお借りして言えば、「今を大事にする」ことによって否定的記憶ということも徐々に消えていく筈だ、と。
 
町田:  そうなんです。ですから形通り、禅寺に行って坐禅をするとか、お念仏をするとか、それも仏縁のある方は大いにされたらいいんですが、みんながみんなそういうことができるわけじゃないですからね。みんなができる心の修行といえば、「今ここに心を置く」ということですよ。だからたとい一杯のお酒を頂いても、それをしみじみ頂く。一膳のご飯を頂いても、それをしみじみ頂く。そこに私は修行の意味があって、それが現代的な念仏である、と。そう私は理解しているんですよ。
 
草柳:  生きる活力を取り戻せますか。
 
町田:  そうです。情報が飛び回っていますから、益々そういう生の原点に意識をフォーカスしていく、そういうトレーニングが必要ですね。
 
草柳:  このシリーズの一回目ということで、いろいろあちらこちら触れて頂きましたけれども、次回からさらにまたきっと深まっていくお話を聞かせて頂けるものと思います。今日は有り難うございました。
 
町田:  こちらこそ有り難うございました。
 
     これは、平成二十一年四月十九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである