充ち足りるということ
 
                        酪農家      三 友(みとも)  盛 行(もりゆき)
                        ききて
                        東京農業大学教授 小 泉  武 夫
 
三友:  ホォーレオー!ホォーレオー!。よし!よし!
 

 
ナレーター:  北海道根釧(こんせん)原野(げんや)。夏の朝です。 牧草地 で一晩過ごした牛た ちを起こして廻るのが、酪農 家・三友盛行さんの日課です。 牛たちは生命力に溢れた青草 をむさぼるように食べていま す。しかし最近ではこうした 放牧を行う農家は少なくなっ ています。牛舎の中で牛を飼うのに比べ、効率が悪く、経営の大型化が難しいか らです。今も放牧に拘る三友さんの牧場は、根釧原野の中標津町(なかしべつちょう)にあります。昭 和四十三年、この土地に入植しました。乳を搾る牛の数は四十頭、大型化を進め ている周辺の農家の半分です。餌は自然の草が中心で、トウモロコシなどの輸入 穀物は極力減らしています。穀物は、栄養がありますが、牛本来の食べ物ではな いからです。出る牛乳の量は少なくても健康な牛から搾った牛乳のほうがいいと 考えています。
 

三友:  今、あの牛と僕は対話をしたわけ、瞬間的にさ。 それは牛にとって一番幸せな姿。これが一番健 康で幸せなの。噛み返しをする。これ一番安心 している状況。だから草原で食べるだけ食べて 安全な森の中で、外敵が来ないところで、噛み 返しをする。これが一番原型だから。それが一 番幸せ。



 

ナレーター:  朝の搾乳が終わると、三友さんは牛をもう一度牧草地に放します。雪解けの五月 から冬枯れの季節を迎える十一月まで、三友牧 場の牛は一日の大半を自然の中で過ごします。 東京生まれの三友さん、原野に牧場を築いて五 十八歳になりました。
 





 
小泉:  お気に入りの場所ですか。
 
三友:  此処はね、天気が良かったら、こういう仰向け になって、こうして空を見ていれば、幸せなも んで。これはやはり牛のお陰だよね。牛って有 難いなと思うのは、此処に僕が座って居て、何 もしなくとも牛は牧草地へ行って、牧草食べて、 夕方には牛乳出してくれるんだものね。だけど も牛を管理しちゃうと、僕は此処にいることは 出来なくて、大きな牛舎に行って、牛を一所懸 命管理しなければいけないんだけれども、そうすると、人間も牛も、管理するほ うも管理されるほうも辛いよね。だから牛はとにかく放牧地に行ってもらって、 働いて貰って。その時に大事なのは、牛にたくさんを求めなければいいのさ。牛 にたくさんを求めると管理しないといけないけども、牛に適正 に働いて貰って、その適正に働いて貰った結果としての牛乳の 量を、人が受け入れることが出来るか出来ないかだけの問題な んです。管理して一日に四十キロの牛乳がいいのか、放牧して、 結果として二十キロ。その二十キロの牛乳でいいや。まあいい や、というのが大事なのね。二十キロでいいよって。そうした ら牛も人間も健康だよって、時間もたくさんあるよって。そう すると、その二十キロはもしかしたら四十キロより遙かに豊か なものかも知れない。
 

 
ナレーター:  放牧で草をたっぷり食べた牛が出す牛乳はほのかに草の香りが します。
 

 
三友:  搾りたてですよ。
 
小泉:  絞りたて。濃さそうですね。
三友:  そうそう。
 
小泉:  随分甘みが強いけども、さっぱりしていて。濃い感じというよ りもむしろさっぱりしているような感じで、そのクリーミィな 甘さがこう両側からギュッと湧いてきますね。
 
三友:  はい。
 
小泉:  これほんとに喉越しいいですね。
 
三友:  草がほとんどですから。
 
小泉:  そうですか。
 
三友:  ペロペロ嘗めるんだよ。
 

 
ナレーター:  東京農業大学教授の小泉武夫さんは、発酵学の専門家として世界中の食べ物を食 べ歩いてきました。食文化に対する豊かな知識と経験から、昔ながらに時間をか けて作る食べ物、ファーストフード(ハンバーガー、フライドチキン、即席めん 類)に対して、本来の食事のあり方のスローフード(地域の食材を時間をかけて 調理し、感謝を持って、心豊かに、なごやかに食する。地域・家庭の文化として の食事を意味する。運動の発祥の地はイタリアの地方ブラ)を見直すべきと語っ ています。昔ながらのやり方で牛を飼う三友さんの牧場は設備投資が少ないうえ に、牛の病気が少なく、経営は順調です。
 
 
三友:  すごい音を立てますね。
 
小泉:  たくましいね。
 

 
ナレーター:  三友さんの牧場には、牧草だけでなく、さまざまな雑草が生え ています。しかし三友さんはいっこう気にしません。
 

三友:  牧草だけだと、やはり牛は胃の調子が整えることが出来なくて、 人間がいう雑草を食べると、タンポポも食べますから、今オオ バコもありますし。
 
小泉:  これだと何種類ぐらいの、例えばこのエリアだと、オオバコか ら、
 
三友:  十種類ぐらいありますよね。正確にいうと二十何種類というの はあるんでしょうけども。ちょっと見たものでは十種類ぐらい。 経済性からいうとオオバコもタンポポもないほうがいいんです よ。
 
小泉:  そうなんですか。
 
三友:  やはり牧草として。これは雑草ですから。だから此処の世界は 牧草だよといって、お前は牧草で、俺は雑草だという世界ではないんですよ。
 
小泉:  彼らは選んで食っているわけじゃないでしょう。
 
三友:  両方、自分の身体と相談しながら食べるんです。だから牧草だけではやはり物足 らないんだろうと思うんです。だから人間でいうお粥だけでは困る。時として植 物繊維の豊かな、豊富なものを食べたい。
 
小泉:  なるほど。
 
三友:  だからメニューはたくさんあったほうがいいです。
 
小泉:  なるほどね。
 

 
小泉:  三友さんは東京の浅草の生まれだということで、僕はビックリしたんですけども、 浅草からこっちへ来たのはいつ頃?
 
三友:  いえーとね。僕は中学の時に理科の時間に、東京の人間―都会の人間ですよね、 都会の人間は、地方の食料など当たり前のように感じて食べているけども、実は 都会というのは地方によって支えられている。なかんずく第一次産業、農業、漁 業、林業。「都会の人間もね、農業に従事していいんだぞ」と言われたんですね。 「あ、そうか。都会の人間も農業出来るのか」って、単純に思いまして、「じゃ、 どこかで農業やろう」と思ったんです。それで大学は行かないで、日本一周の無 銭旅行に出たんです。
 
小泉:  そこが始まりなんですね。
 
三友:  そうですね。最初に九州まで行って。
 
小泉:  それは昭和何年頃ですか。
 
三友:  東京オリンピックの年ですから、昭和三十九年ですね。三十九 年に東京を出て一年半位廻って、此処の別海町(べっかいちょう)に辿り着いて。
 
小泉:  なるほど。
 
三友:  当時別海町は、パイロットファームという、世銀からお金を借りて、大々的に開 拓行政を始めたところなんですね。それは新聞等で知って、そこで一回実習して みよう、と。で、十九の歳にパイロットに来て、実習をして。当時開拓ですから、 水道も、電気がようやくあったぐらいで、そこで二ヶ月位実習をして、ほんとに 西部開拓史みたいなところで、まだ馬が動力の中心でしたから、馬に乗って町に 行くような、そんな時代で、こんなところで人って生活出来るのかなあって。東 京に比べたら、東京は、東京オリンピックが過ぎてすごい経済成長。此処は非常 に開拓時代。だけども、「東京に比べて何もないんだけども、すべてがある」と いうふうに感じましたね。
 
小泉:  いいですね。
 
三友:  そして朝四時頃起きて、白樺の皮を剥いて、火を炊いて、お湯が沸いて、搾乳を して、日中は乾草(かんそう)を作って―ほんとに新茶のような香りの乾草ですね、馬車にい っぱい積むんですよ。実習生は帰りはその上に乗って、寝転がって、夕星が光り 輝くんですよ。夕星見ながら。朝は朝星、夜は夕星という感じでね。香しい牧草 の中で、「そうだ、俺は此処で農業やろう」と思いましたね。
 
小泉:  「何も無いところだけど、すべてがある」という、そういう所に気が付かれた。 非常に僕はそれも大切なことだと思っているんですけどね。それで此処へ来られ て、今こうしてみると六十ヘクタールというもの凄い広大な土地を牧場に占めて いるんですけども、その中で普通なら、もっともっと牛の数が多くて、酪農経営 として成り立つなら、とてもこんな数の牛ではやっていけないんじゃないかなあ と、僕は最初から此処を案内して貰って感じたんですけどもね。その辺はどうな んですか。
 
三友:  そうですよね。僕は新規入植の開拓ですから、スタートした時にはゼロというよ り、むしろ多額の借金で始めました。多額の借金があれば、それは当然返してい かなければいけない。返すためにはたくさん牛乳を搾る、というふうに誰も考え ます。僕も考えたし、日本という国全体が、経済の成長が第一。同時にその経済 の成長の中で酪農を位置づけられていますから、大きくなることが良いことだ。 最初に入植した時には四十ヘクタールだったんです。四十ヘクタールに相応しい 投資、そして相応しい施設と農業機械、それをすべて整った時点ではちょっとビ ックリするぐらい借金が出来ました。で、その何千万もする借金を返していくた めに、それぞれの人がより大きくして返していこう。僕は一通りのことが揃って、 借金を返していく段階で、「もうこれ以上経営を大きくしない」って。「どうし て大きくしないか」と言ったら、僕は入植した時に、「牛に美味しい草を腹一杯 食べさせたい」、これが最大の望みでした。
 
小泉:  もともと牛が好きなんですね、動物がね。
 
三友:  はい。牛が美味しそうに草を食べる風景というのは、僕は大好きです。入植した 時に、すごく急いだんですね。借金を返さないといけない。草地の開拓ですから、 装置が増えるよりも、牛のほうが遙かに余計に増えちゃったんです。そうすると、 いつも牛は餌が足らない状態だったんですよ。足らない牛に見られると、もの凄 く恥ずかしい、辛いんですよ。二度とこの辛さはしたくないと思ったんです。牛 はお腹いっぱい食べて、ゆっくり座ってね、横になって反芻(はんすう)する。そういう幸せ な牧場を作りたいと思いましたね。それで牛を増やさない。
 
小泉:  人牛一体ですな。
 
三友:  そうですね。で、牛をまず健康にしよう。牛がお腹いっぱいに食べて幸せ。そう すると、見ている農民も幸せ。
 
小泉:  それはもう一つ見方を変えると、三友さんの心の幸せでもあるわけですよね。
 
三友:  そうですね。
 
小泉:  それを実現しようと思って、ほんとに牛にいい草ということになると、そんなに いっぱい手は広げられない、ということになってきますね。
 
三友:  そうですね。もう一つは、東京から来て、「何のために北海道に来たか」という ことの問い掛けはいつもありましてね。で、東京の人間ですから、北海道の広い 牧場という憧れはありましたですよ。
 
小泉:  そうですね。
 
三友:  ところが憧れのための牧場を作るためにはたくさん牛を飼って、収入を得て、作 る。だけれども頑張れば頑張るほど自分の憧れの牧場から離れていってしまうん ですね。
 
小泉:  なるほど。
 
三友:  僕たちは「たくさん」という部分がいいと思ったんですね。効率よくたくさん、
 
小泉:  それだけ借金もあって、入植して、すぐにそれをしないと、勿論それ応えますよ ね。
 
三友:  それで東京から北海道へ来た意味合いを尋ねれば、やはりゆったりと大自然の中 で自然と共に生きていきたい。で、此処へ来たんです。それがだんだん遠ざかっ ていく。遠ざかっていって、追いかければ追いかけるほど遠ざかって。それで僕 は決めたのは、「立ち止まる」ということなんですよ。
 
小泉:  それは大切なことなんですよ。実に大切なこと。
 
三友:  将来を考える時に、日本人は走りながら考えるんですね。まず立ち止まる。で、 従来だと、「立ち止まる」というのは、「すごく置いていかれる」ということな んですね。「立ち止まるということは考える時間を取る」ということですね。立 ち止まった時に一番考えたのは、「開拓というのは自然を克服して、人間のため の場を作る。風土を克服するというのはやはりおかしいんじゃないかなあ」と思 うんですね。で、僕はちょっとあまり健康でなかった時期があって、無理も出来 なかったということもあるんですけども、「風土を乗り越えてじゃなくて、風土 に生かされる」受け身。その「生かされる立場を取ろう」と思うんですね。もっ と言えば、風土の制約を乗り越えるんではなくて、風土の制約の中で、どうやっ て、工夫をして。工夫というのは面白いんですよね。
 
小泉:  それは私は逆にどんどん行ってしまうんじゃなくって、立ち止まることも大切だ と言ったけど、今の話を聞いていますと、立ち止まっただけじゃないですね、三 友さんは。戻ってきちゃったんですね、人間の本来のほうに。僕はそういうのが 大切だと思うんですよ。もうなんか一度立ち止まって、また行く。立ち止まって また行く、というよりも、一層のことは原点に戻って、本当に自然の中で、牛と 共に、納得したその生き方をしていこうということなら、むしろ立ち止まったの が、逆に戻って来たという。そういう勇気と決断だっと思いますよね。
 

 
ナレーター:  三友さんが入植をした時代から、北海道の酪 農は、大きく変わってきました。大型化、機 械化の道をひた走るようになったのです。経 済効率の悪い放牧を行う農家は、次第に減っ ていきました。緑の牧場で、のんびり牛が草 をはむ北海道らしい風景は、今では過去のも のになろうとしています。最近では、牛舎の 中で百頭以上の牛を飼う農家も少なくありま せん。たくさんの牛を飼うには、放牧をしない ほうが合理的です。餌も栄養豊富な輸入穀物を ふんだんに与えます。すべてが少しでも多くの 牛乳を搾るためです。牛乳を出す能力を改良さ れた牛は、一年に一リットルパックにして一万 本もの牛乳を生産します。効率の追求は牧場の 無人化まで及んでいます。牛は餌を目当てに、 自分で搾乳ブースに入ります。するとロボット が動き出し、センサーで牛の乳首の位置を探り当てます。まずはブラシで洗浄。 続いて搾乳機を装着し、自動的に牛乳を搾り始めます。ロボットは二十四時間稼 働。牧場に人間が居なくても順調に牛乳を生産出来るという最新鋭のシステムで す。
 

 
三友:  戦後は食料を増産して、お腹いっぱい国民が食べようという時代があったと思う んですね。次には経済の成長。そうすると、その中で輸入をする。食料品は安い ほうがいいという話になって、そこでコストという話が出てきたですね。そのコ ストということになると、草を牛乳に変えるというのは、経済的にいくとコスト が計算上高くなる。もっと効率いいのは、安い穀物を牛に食べさせると安いコス トで牛乳がたくさん搾れる。で、量の拡大は経営の安定だ、というふうに思い込 んでいましたから、そこで草の代わりに穀物を多給して牛乳を生産する、と。そ ういう思い込みですね。それがいいんだ、というふうに国もそれから農協組織も 個人も思って、穀物をたくさんやっていた。そういう時期が良しとされた時代が あったと思うんだけども。で、二十一世紀になって、いや、実はそうでなくて、 やはり牛本来の持っている力で、搾った健康な牛乳。その健康な牛乳を飲むこと によって、人もまた健康になるんだという。そういう考え方が出てきて、今、や はり酪農の基本に戻ろう。で、穀物を多給すると、当面は安い穀物で、それに見 合う牛乳が出るんで、経済バランスはいいんだけども、長い目でみると、牛が短 命化してしまう。
 
小泉:  なるほど。そういうことはありますよね。
 
三友:  従来はほんとに十歳ぐらいまで牛乳生産できたけども、今は大体五歳ぐらいにな れば。
 
小泉:  ほおー。そんなもんなんですか、今は。
 
三友:  牛乳生産性が落ちるからって、命としては生きていけるけれども、家畜としての 価値観が無くなる。
 
小泉:  なんだか牛をミルク製造器になんか置き換えているような感じですよね。
 
三友:  そうですね。ですから酪農と言いながら、実態は牛乳生産は工業的に、加工業な んですね。
 
小泉:  僕は三友さんのこの牧場に来て入り口に入った瞬間に、例えばヨーロッパのデン マークとかオランダとか、ああいうところの牧場みたいな、アメリカになるとケ ンタッキー州のああいう牧場みたいなところをすぐに思いまして、素敵なところ だなあと思って。それと同時に此処に入って来て、いろんな建物を見たり牛を見 たりすると、みんな幸せだし、活気があって、こんなに素晴らしい。今、「酪農 経営が大変だ」「酪農家が大変だ、大変だ」とみんな言っている中で、これだけ 余裕を持って、しかもある面では自分の納得した生き方で、思うようなことをや っておられるということに対して、僕は、非常に大成功しているな、と思うんで すけどね。
 
三友:  そうですね。成功する、しない、というよりも、「受け入れる」ということが大 事だと思うんですね。
 
小泉:  なるほど。
 
三友:  此処の根室原野は、昔お米作ろう、或いは畑作を作ろうと努力を先人がされてき たけども、やっぱり最終的には草。こういう気候ですから、草なら生育が立派に できる、と。その草とのやっぱり組み合わせ。それは反芻動物の乳牛―牛ですよ ね。この組み合わせは絶妙で、最大最高だと思うんですよね。ただ草と牛の組み 合わせは、自然が与えた最大な組み合わせなんだけども、それで出る牛乳の量が 問題だと思うんですね。
 
小泉:  そういうことですね。それで響きますからね。
 
三友:  経済主義でいくと、もっと欲しいと思うんです。で、もっと欲しい時に、草より も安い輸入穀物を購入、すぐ搾ったらいいという経済価値観があると思うんです。 僕は、こうしてこの牧場がそれなりに成り立っているのは、草から出る牛乳の量 を良しとして受け入れようとしているんですよ。日本という国は、此処はもう草 しか出来ないんだったら、もっと効率いい方法がないかって考えるんですね。あ ると思うんですよ、お金さえ使えば。そうすると切りも限りなくなるんですよ。 僕は、その限界を如何にこうやって受け入れていくかという、その受け入れてい く心が大事だと思うんですね。だから草から牛乳を搾ると年間に一頭当たり「五 千キロしか出ない」という人と、「五千キロも出る」という。僕は、「五千キロ しか生産出来ないんじゃなくて、五千キロも出て有難い」と思っているんですよ。
 
小泉:  なるほどね。
 
三友:  その有難い中で生活することはもっと有難い。
小泉:  なるほど。
 

 
三友:  せっかくですから、このチーズの固まっていくところを一つ見 て下さい。どうぞ。
 

 
ナレーター:  自然の力を借りて農業を行う三友牧場では、目に見えない微生物が重要な役割を 果たしています。牧草でタップリ草を食べた牛の乳を使ってチーズを作るのは、 奥さんの由美子さんです。チーズ作りは、牛 乳に乳酸菌とレンネットを加えることから始 まります。レンネットは仔牛の胃袋の中にあ る酵素で、牛乳を固める役割を果たします。 こうした微生物の働きによって、牛乳は姿を 変えていきます。





 

由美子:  ほんとに目に見えないところでね、乳酸菌や なんかこう頑張っている。
 
小泉:  ええ。



 

 
ナレーター:  待つこと三十分。牛乳の表面はまるでプリンの ような弾力を持ち始めました。牛乳の反応は日 によって微妙に違います。気温などさまざまな 条件を考慮しながら牛乳の状態を見きわめ、作 業を進めます。
 
チーズ作りの正念場はここからです。固まって 適度の弾力を持ち始めた牛乳を、カッターで細 かく切り分けていきます。牛乳はみるみるうちにホエー(乳清)と呼ばれる透き 通った液体と、その中に浮かんだタンパク質の固まり、カード(凝乳)に分かれ ます。このカードに牛乳の栄養と美味さのエッセンスが含まれているのです。
 
およそ一時間攪拌した後、ホエーを抜き取ります。このホエー は餌に混ぜて牛に与えることにしています。残ったカードを発 酵熟成させて作るのがチーズです。カードを円筒の型に押し込 み、圧力を掛けて固めます。型に入れたカードを、熟成庫に入 れて寝かせて置くと、さまざまな微生物が働いて、発酵・熟成 が進みます。長い時間を掛けて牛乳の栄養と美味さをチーズの 中に凝縮させていくのです。
 

由美子:  これが大体十ヶ月です。
 
小泉:  色の入った具合がものすごく素晴らしいです ね。
 
由美子:  随分青くさチーズで、
 
小泉:  幻想的な色していますね。神秘的な色ですよ、これ。
 
由美子:  切ってみましょうか、ちょっと。
 
小泉:  頂きます。香りはほんとに熟成しているんですね。うーん。も の凄いサッパリしている。淡泊で。口にばぁーと広がりますよ、 美味さが。
 
由美子:  美味しいですか。
 
小泉:  美味しいね!でもやっぱり乳酸菌で発酵して、その乳酸菌でいろんな出した酵素 がこうして熟成させるということは、これは早くいうと、乳酸 菌の仕事だけじゃなくて、後は如何にこう熟成を育てるかとい う人間の、
 
由美子:  人間が上手に乳酸菌に関わらなければいけないということで、 なるべくいい状態で働いてもらうように。人間の役割は従。主 じゃなくて従ですね。そしてその従がいかに主を助けるかとい うところに、
 
小泉:  乳酸菌の面倒見がいいんですよ。
 
由美子:  どうなんでしょうか。


 
ナレーター:  牛は人間にさまざまな恵みをもたらしてくれます。タップリ草 を食べて出す風味豊かな牛乳、そしてその牛乳を発酵させて作 るチーズ。三友さんの牧場にはさらにもう一つ大切な生産物が あります。牛の糞尿です。
 
 
三友:  普通、これだけの糞の固まりなら沈んじゃいますよ。というの は此処に乗って歩けない。
 
小泉:  すごいね!
 

 
ナレーター:  三友さんは牛の糞を微生物の力で発酵させ、たい肥を作ってい ます。このたい肥を牧場に撒けば土を豊かにすることができま す。
 

 
三友:  先生はこうやって触っちゃうでしょう。汚いと触りたくない。
 
小泉:  とんでもない!素晴らしい、ほんとに!全然臭いがない、まったく匂わない!こ れは素晴らしいですよ!
 
 
三友:  これがね、実はこれ雨降って滲み出たんですけど、これ活性水 なんですよ。ツルツルで、これ肌が綺麗になる。
 
小泉:  ほんとだ!これ土の匂い。これも、ねぇ。ほぉ!
 
三友:  牛のおしっことか汚いものが染み出ているわけじゃないんです。 三友牧場には夏季は青草の放牧草と冬季のために調整する乾草があり、乾草は冬 季の餌となり、食べ残しはシキワラとなり、糞、尿と共にたい肥の原料となり、 完熟たい肥となって牧草地に散布され、良い土となり、良い草となり、良い牛乳 とチーズとなり、良い糞・尿となり、良いたい肥となって循環を繰り返すのです。
 
小泉:  発酵の段階で、
 
三友:  発酵してね、そういうものがほとんど無機物に変わっちゃっているんですよ。有 機物が。
 

 
小泉:  これこれこれが大事なんですよ。
 
三友:  昔の世代ですよ、これ。
 

 
ナレーター:  たい肥は二年ほどで完全に熟した状態になります。有機物はすべて分解され、牛 の糞は豊かな土に姿を変えています。
 

 
小泉:  あの三友さんはすごいことをやっておられるなあと感心したのは、まずあの糞尿 ですね。今一番問題になっておりますでしょう、糞尿が。私、 ハッキリ言って、あの糞尿があんなに完璧な完熟たい肥になっ ているとは思われなかったの。ところが実際にああして現場へ 行って見ますと、驚くべきものを見ましてね。それで発酵した ところから出てきているあのリグニンという色の濃くなった醤 油の色(牛が乾草した餌の食べ残した部分をシキワラとして利 用している。その結果として糞・尿と混ざる。その牧草の繊維 質に含まれている物質が雨によってしみ出しているための色)、 あれで手を洗ったんだけども、なんともないところが素晴らしい土のいい匂いが する。ああいうことは昔の人の智慧に習ってやられたんですか。あれは最初たい 肥を作るということの今の三友流というのはどっからきたんですか、あれは。
 
三友:  よいたい肥を作るというほどの立派な農家ではなくて、機械力が乏しかった時代 があったんですよ。そうすると、毎年このたい肥を撒くという、一台のトラクタ ーしかなかったんですから、その一台のトラクターで撒くというのはなかなか季 節がどんどん移り変わっていきますから、十分な体制が取れなくて、二年に一回 しかたい肥が撒けなかった時代があるんですよ。ところが二年に一回たい肥を撒 くようになってから、いいたい肥が出来るということに気が付きました。
 
小泉:  そうですかね。素晴らしい、それは。
 
三友:  それで僕はたい肥の発酵ですから、発酵の産物ですから、作ったもんでないんで すね。発見したものなんですね。
 
小泉:  そうそう。
 
三友:  既に微生物が働いているものをたまたま人間が発見するんですよ。僕は二年間時 間を置くことによって、いいたい肥が出来るということを身をもって発見したん です。
 
小泉:  これは発酵学的に言っても、当然なんですよ。それだけ一つでも微生物がどんん どん増えていって、有機物を分解して無機物化していくためにはやっぱり時間が 必要ですからね。
 
三友:  そうですよね。そしてこうやってだんだん経済的にトラクター二台買えるように なって、で二台のトラクターで切り返しをして、そして一台のトラクターで撒く ようになったんです。そんなことが出来て、農業の機械化というのは、たくさん の牧草を短時間に処理するとか、仕事を処理するんじゃなくて、「いいたい肥を 作るために機械化がある」というふうに思ったんです。
 
小泉:  なるほど。
 
三友:  あれを「全部手でやれ」と言ったら無理ですから、トラクターのローター(油圧 式で持ち上げる力がある作業機)という形で切り返しをする。二年に一回すると、 非常に触っても、触りたくなる美味しそうなたい肥が出来るということが分かっ たんです。たい肥は牛にとってみれば甘くて美味しいだろうと思うんです。完熟 たい肥撒いた畑は。量は化成肥料をたくさんやったところに比べて少ないんです。 その時に少ないんだけれども牛に健康な草だというふうに思って、草の少ない量 をこれまた受け入れるということが大事なんですよ。たい肥に頑張って貰って、 いい土を作って出来た草を、「それじゃ少ない」って言ったら、草も土も、実も 蓋もないんですよ。
 
小泉:  三友さんは牛の構造とか、それからこの牧草の草からくる彼らがいっていること を、みな受け入れているんですよ。受け入れている。さっきから「受け入れ」と いうことがあるけど、それは非常に重要なことでね。だったらこっちでこうして やる、という気持にならないから、自然体でこう構えておられる。だからそうい うふうにして牧草を育てるのになるべくたい肥でやる。そうすると非常に美味し いのが出てくる。量は少ないけど、だけどそれを牛が喜んで食べて、それでとっ てもいい乳を出してくれる。
 
三友:  牛と人間は主従関係でないんですよ。並列関係なんですよ。それはお互い様なん です。それでお互い様の世界を守っていく。一つの節度があるんです、ルールが。 ルールは、「取りすぎない」ということ。取りすぎないということが大事なんで すね。それは受け入れるということ、すべてをね。スタートをどこにするかとい うことになると、例えば土がありますね。いい土を作りたいと思う。いい土を作 る。で、結果としていい餌が出来る。牛が食べる。その時に牛乳と牛肉を作る。 これは一つの大事な生産物なんですね。でこの二つは生産物だと思っていますけ ども、三番目の生産物こそが一番大事だ。これが糞尿なんです。この糞尿はまず 美味しそうでなければいけないんですよ。
 
小泉:  なるほど。
 
三友:  美味しそうな糞尿をする。完熟なたい肥を作る。土に戻す。これは循環が。
 
小泉:  循環ですね。今三友さんが「糞尿は生産物である」という。「廃棄物」という考 え方で、国も行政的には生ゴミなんていうのは、ああいうのは廃棄物だと決めて いる。あれは「資源だ」と私は思うんだけども。少し最近考え方が変わってきて いるようですけども。それをまったく牛の糞尿を生産物として、それよりサーク ルの一つの小宇宙を動かしていくためのエネルギー源としてやっているというこ とは非常に面白い考え方だと思いますよ。
 
三友:  そうですよね。だから僕は農民が、僕も農民ですけども、勘違いしたのは農民が 農業をやるんじゃないんですよね。農業というのは昔からあって、そしてこれか らもある存在をスムーズに連携できるように、ちょっとした交通整理をするのが 農民なんですね。
 
小泉:  してあげる。生き物に対して、植物だって、動物だって、目に見えない発酵菌で もそうだと思いますね。
 
三友:  そこに参加するというのは大事だと思いますね。だからチーズ作りもよく家の家 内は、「牛乳が作ってくれているんだ。乳酸菌が作ってくれているんだ」と言い ますけどね。
 
小泉:  なるほど。
 
三友:  それに参加する歓びがあるんですよ。僕は、東京浅草の職人の街に育ったんです から。
 
小泉:  そうですよね、浅草はね。
 
三友:  職人って何か、というと、与えられた素材を一番素直に、特性をキチッと掴んで 伸ばしてあげる。それはどういうものを作るにしろ、家具を作る人は木の特性を 活かして、それぞれ家もそうですけれども、特性を活かしてあげる。
 
小泉:  なるほど。
 
三友:  「特性を越えた作品は出来ない」とよく言いますから。ところがいいものを作ろ うとすると特性を殺しちゃうんですね。農家もたくさん生産量を増やそうと思う と特性を殺しちゃう。だから特性を活かしてあげるということが大事だと思うん ですよね。
 
小泉:  だからそうすると、今一ついうと、東京のああいう大都会の中で今生きていて、 いろいろなにかこれからやりたいという若い人がいっぱい居ると思うけれども、 そういうような観点からみると、まだまだ日本の若い人も、こういう農業の方に 入ってこれる余地ってあると思いますね。
 
三友:  ありますよね。特に都会の中では自己表現する場所がなかなかないんですよ。
 
小泉:  ないですね。
 
三友:  人というのは自己表現したいんですよ。人の自己表現というのは、やはり五官な んですよ。身体を動かして、手に触れるもの、見るもの、匂い、そういう五官を 発揮できる場所を求めていく。その五官を発揮する場所としては、農業というの は非常に素晴らしい舞台だと思うんですね。
 

 
三友:  これはニレの木で、これでも四、五年かなあ。

 
ナレーター:  三友さんは毎年牧場に木を植えています。
 

 
三友:  此処には根室原野に昔はごく当たり前になって、この頃あまり 見ないなというような木の苗を植えて、まだ小さいけども、あと十年もすれば大 分大きくなる。
 

 
ナレーター:  心の安らぐ風景も農家にとって大切な財産だと考えている三友さん。将来は森に 囲まれた牧場にするのが夢だと言います。
 

 
三友:  この辺の小さな木だけども、後十年もすれば大きくなるのかなあと思って楽しみ にしているんです。これらはイタヤと言って、
小泉:  イタヤカエデ。
 
三友:  紅葉の仲間、
 
小泉:  じゃ、後何年かすると、此処は森ですか。
 
三友:  うん、森になるよね。だから昔は原野の中の牧場だったんだけ ども、いつか森の中に牧場があるというのが夢ね。でも木があると、風も穏やか だし、後は木の大きくなる尺度で物事をみるということは大事なんですね。今日 ・明日の話でないから、少なくとも三十年や五十年先のことが、この木を通して、 考えることが出来て、「じゃ、五十年後のために今何をすべきか」と。そういう ふうにものの見方が変わるでしょう。僕たちが、「十年後二十 年後」ってすぐ口では簡単にいうんだけども、なかなか想像出 来ないけども、こうやって振り返ってみると、木が十年後二十 年後こうやって想像させてくれるものね。だってそこにある唐 松だって、十二、三年経っているんだけども、植えた時こんな 小さいでしょう。で背景にはあの唐松ね。
 
小泉:  あれ十二、三年ですか。
 
三友:  そうなんです。だからそうすると、十二、三年って、すごい年月だなあと思うこ とが出来るわけです。そうしたらその十二、三年をこうやって無為に過ごしちゃ いけないというふうに思って、「じゃ、今日何をすべきか」というふうに思いま すね。


 
小泉:  ああ、あそこからちょうど煙が出て、いい風景ですよね。
 

 


ナレーター:  三友さんは牧場の一角に自分の手で小さな小屋を建てました。 部屋の真ん中には開拓時代そのままに、薪ストーブを置いてい ます。三友さんにとってこのストーブの傍らが一番心が落ち着 く場所だと言います。
 

 
小泉:  いいストーブですな。
三友:  そうですね。
 
小泉:  北海道はストーブがないと。此処は三友さんの隠れ家?
 
三友:  隠れ家ですね。今住宅が昔と比べて気密性がよくなって、スト ーブを焚かなくててもよくなって、いわゆるセントラル ヒーテ ィングという時代になってですね、薪を焚きたい、という思い があったんですよ。なかなか薪を焚く場所がなくなって、まあ 此処で薪を焚きたい、と。わざわざこういうのを作って。男の 料理を作って。
 
小泉:  ほぉー。
 
三友:  いろんなものを作って。
 
小泉:  ほんとだ。此処で男の料理を時々作られるわけですね。
 
三友:  作るって、オーブンにイモだとかなんか、ありとあらゆる野菜を入れて此処に置 いておけば。出来上がったら此処で食べて。
 
小泉:  この間ヒョッと考えたことで、「学校給食」とかって、給食というのがあります よね。あの「給食」という言葉は、僕は大嫌いですね。学校給食というのは、な んだか子供たちに、給食というのはなんか餌代わりの感じの世界でしょう。そう いうところも見て、日本人はほんとに最近食が変わりましたね。
 
三友:  そうですね。僕はこの頃思うのは、「食」よりもっとレベルの低い「餌」の世界 ではないかと思うんです。「食べるもの」というのは、一番大事なのは肉体を維 持するという部分であるんですけれども、同時にそれは「文化を継承する」とい うことなんです。僕は、農家として家畜を飼っていますから、「餌やり」という ふうによく言いますよね。だけどそれは食事ですよ、牛にとって。ところが今の 若い子たちは、餌を食べているに過ぎないと思うんです。
 
小泉:  なるほど。
 
三友:  「餌」と「食事」は違うんですね。食の問題を考える上に、「餌化」していきま したでしょう。「餌化」ということは別の視点でみると、若い人は家畜化されて しまったんです。人間として扱わない。家畜として扱うから餌という形になる。 そこには生きて、生命体が維持さえしていればいいんだって。生命体を維持する ためには食事、手がかからなくて、安くて早上がり。いわゆるファースト フー ドみたいな世界になっちゃう。「食べることは生きることだ」と思うんですね。 「食べることを粗末にするということは、生きることを粗末にする」と思うんで すよね。
 
小泉:  その通りですね。
 
三友:  僕は例えば酪農家として、例えば経営改善をしようという話が出る時に、「じゃ、 どこを基盤にして経営改善をしようか」という時に、僕は、「一日一回家族全員 が揃ってご飯を食べよう」というんですよ。酪農家は朝が早いんですから、なか なか学校へ行く時間やなんかで、なかなかちょっと一緒には食べれない。せめて 夕食。夕食は家族全員で食べよう、って。例えば家族全員が七時に揃って食べよ う、と。そうすると父さん、母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、或いは子供 たちの役割が自ずとそこに、それを目標にすると決まってくる。
 
小泉:  そういうことですね。
 
三友:  お母さんは牛舎へ行く、お父さんと。だけど七時に食べるためにはお父さんより、 はやく牛舎を終えて野菜畑に行って、土の付いた野菜を引っ張って取り出してく る。洗う。調理して煮るなりするでしょう。そうすると一時間ぐらいかかる。そ れをやるためには多すぎる牛を整理する。そうすると一緒に御飯を共に食べると いう目標を達成すると、結果として経営が改善できるということになるんです。
 
小泉:  なるほど。
 
三友:  ところがたくさん仕事をして、お金を稼いで、町に行って、ファースト フード なようなものを買って来て、チンして食べちゃう。そういう生活、それは経営改 善にならないといっているんですよ。
 
小泉:  まったくそうですね。
 
三友:  だからせめて夕食だけは家族揃って食べようと。そうすると父さんや母さんや子 供たちの役割が見えてきて、それを達成するためにいろんなことをする。それが 僕は社会を作って、家庭を作っていくものだ、と思うんです。
 
小泉:  それが結局今までの昔の日本の社会なんですよね。それはやっぱり「取り戻す」 ということは非常に重要なことだ、と思いますからね。今一つは、私が小さい時 から、親父に薫陶されたことがあるのは、まず食べ物を食べる時には、「親に感 謝しろ。親に食べ物を与えてもらっているんじゃないか、お前はまだ」って、小 さい時から。二番目は、「お前が食べている食べ物は、これはすべて農家の人た ちの汗水流したお陰で食べているんだから、農家の人たちに感謝をしなさい」と いうのが二番目でした。三番目は、「だからそれだけ貴重なものなんだから一滴 も流さず、一粒も残さず食べろ」と。四つ目は、「他人の食べているものに対し て羨ましく思うな。自分の食べているものが最高だと思え」と。五番目は、「今 言った四つのことをお前の子供にも教えろ」と。こういうことを言われたんです よ、小さい時から。それが今でもまだほんとに頭の中に入っていましてね。です からそういう意味からすると、そういう「食に対する教育」というものが家庭で も出来なくなっちゃったし、学校でも出来なくなっちゃったんですね。だから野 放し状態なんですよ。食というものを今少しほんとに「見えない世界の中に大切 なことがあるんだ」ということで、今一回みんな考え直さなければいかん、とい うことを思っていましてね。
 
三友:  僕は、「二十一世紀は成熟の世界だ」と思っているんです。熟成ですよね。成長 から成熟。酪農で言えば、成長産業として伸びてきた。伸びてきたものを、じゃ そのまま成長神話を信じていくのか。そうじゃなくて、成長はある程度きた。曲 がり角にきて立ち止まってほどほどにやっていく。もっと言えば、循環、そして 維持。人間が存在する限り食料というのは不可欠なものです。同時に農業も酪農 不可欠。不可欠ということは持続するということが前提だと思うんですね、人類 とともに。持続するために、どういう酪農が求められるか、ということだと思う んです。
 
小泉:  そうですよね。
 
三友:  それは原点に戻って、「草を牛乳に変える」というシステムをまず大事にしよう と。大事にすることによって人間の復権できる。復帰できるというところを求め ていきたい。そのためには成長から成熟。成熟は熟成ですから、先ほど話にあり ましたように、目に見えない世界を大事にしていこう、と。「目に見えない世界 を大事にすることが、目に見えない世界に今度は支えられる」ということですか ら、人は自ら生きてなんかいけないと思うんです。牛乳一滴を作ることも出来な いし、お米の一粒も作ることも出来ないですね。支えられている。「その支えら れているという感謝の思いを、目に見えない世界に愛情をもって注いでいく。そ ういう関係を僕は作りたい」と思うんですね。
 
小泉:  それが人間性というものを取り戻した原点の中で、酪農というのを今一回考え直 さないと、なんか物質文明の流れの中に流されただけの酪農であっては、次の世 代にほんとの酪農というものを伝承出来ないと思うんですね。我々は「農」とい う世界でも、「食」という世界でも次の世代に最良のものを構築して渡してあげ るのが、我々の使命だと思うんですよ。それを今なんか自分達の代だけで終わっ てもいいような形を、日本の農業というのは持っているところが、僕は、日本の 農業にすごく前途不安なところがありましてね。
 
三友:  今僕は六十近いですけど、僕らの世代が一番難しいことをしなければいけないん ですね。戦中戦後に生まれて、五十年間一生懸命経済の成長を担ってきた。「行 き過ぎた分を担ってきた人間が、同じ人間が今度は抑制する」という二役をしな ければいけないんですよ。それは非常に世の中が安定的にきた時は、前の人から バトンを受け取って、次の人にスムーズにバトンを受け渡すことが出来たんです ね。ところが「成長だ」というバトンを受け取って、頑張ってきて、今度は立ち 止まって、「成長でない成熟だ」という話を一人二役するって非常に難しいんで すね。その時に今までの連続ではダメなんですね。それはもう価値観を変える。 その価値観を変えることが、二役の人は意外と出来るんだと思うんですよ。それ は行き過ぎたという思いが、日本中にあるんですね。行き過ぎたから立ち止まろ う、って。価値観を変えよう、って。その価値観を変える時に古い上着を脱ぐ勇 気がいるんですよ。日本人に今一番欠けているのは、「今の富を失わないで、も っと幸せになろう」と思っているんです。そうじゃなくて、「もう十分だ」と。 「もう十分だという足る文明」って話よく出るけども、「十分だという部分を自 覚」する。酪農も十分僕は成長したと思うんです。これからは安定的に方向転換 をする。この十分だ。「足りたという思いを一人ひとりが共有したい」と思うん です。じゃ、具体的にどうやって共有するかというと、やはり食事なんですよ。 食べることは生きること。手間暇掛けるということ。
 
小泉:  確かにお金持ちであって、土地持ちであって、それは豊かさの象徴であるかも知 れないけど、だけど本当の豊かさというのはどうなんだろう。すべてそういうお 金を、または土地を持って、一生一代終わって死んで、あの世にそんなものを持 っていける筈がないわけですね。そうすると、私にとっての豊かさというのは、 生き方。毎日の生き方、それがほんとに三友さんみたいに、ほんとに酪農を通し てみた自然、酪農を通して見た生き物、酪農を通してみんなで苦労してきた家族、 こういうものとの毎日の生き方の積み重ねで納得したものが、僕は豊かさじゃな いかなあという気がしますね。
 
 
三友:  こんにちわ。ご苦労様。よく来たね。ご苦労様。
 

 
ナレーター:  三友さんの周りには三友さんの考え方に共鳴す る農家が次第に集まるようになりました。大規 模化をせず、放牧で牛を飼っている人たちです。 時々集まっては自分の牧場の近況などを話し合うようにしています。それぞれが 手作りの料理を持ち寄って食べるのも大きな楽しみの一つです。奥さんの由美子 さんは十ヶ月熟成されたチーズを切ってきました。チーズやヨーグルトなどの乳 製品は勿論、自家製のパンや地元で採れた山 菜、たい肥で育てた野菜の料理が並びました。 食卓に上るのはどれも北海道の風土の中で生 産された安全で美味しい食べ物ばかりです。 牛を増やさず、自然のままの放牧に拘ってき た三友さんは、お金に換算できない豊かさを 探し当てていました。
 
 
     これは、平成十五年十月五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」に放映されたものである