森を守る 心を守る
 
                    国際日本文化研究センター教授 安 田  喜 憲(よしのり)
一九四六年三重県に生まれる。地理学・環境考古学を専攻。一九八○年環境考古学を提唱。人類をどのような環境の中で生活していたかを科学的に解明する環境考古学を展開。一九八八年国際日本文化研究センター助教授。一九九四年教授。
                    き き て          西 橋  正 泰
 
西橋:  京都市西京区の国際日本文化研究センター。此 処は一九八七年の創立以来、日本文化の研究と 世界文明の研究を積み重ねてきました。その過 程で最近ユニークな文明論が発表されました。 それは人類の文明史を大きく二つのパターンに 区分するものです。一つは、「力と闘争の文明」、 もう一つは、「美と慈悲の文明」です。「力と 闘争の文明は森を破壊する畑作牧畜民の文明」 であり、「美と慈悲の文明は森と共存する稲作漁労民の文明」に代表されるとし ています。二つの文明を分けるのは、森との関わりの中で生み出された人々の心 のあり方だ、というのです。その森の心を守ることが、日本人の未来を保証する ものだ、という提言もなされています。今日は、『敵を作る文明 和をなす文明』、 この著作の著者のお一人でいらっしゃいます、主として森や気候の変化との関係 で文明や文化を追求してこられた、環境考古学がご専門の安田喜憲さんにお話を 伺います。どうぞよろしくお願い致します。
安田さん、世界の古代の文明というと、私たちはすぐ四大文明と思うんですけれ ども、安田さんは今回大きく二つの文明に分類された、そこのところを少しお話 頂けますか。
 
安田:  四大文明というのは、メソポタミア文明、インダス文明、エジ プト文明、そして黄河文明ですけれども、我々はこういうもの が文明の原型である、というふうに考えていたわけですけれど も、実は長いこと研究をしてきますと、そういう文明とは違う もう一つの文明があったんじゃないか、ということに気付いた わけです。従来の文明というのは、ユーラシア大陸の西の方に あります文明ですが、こういう文明は、実は「人間が何を食べ るか」ということで、大きく、私は二つに分けたわけです。「何 を食べるか」というと、こっちの西の方は、「ミルクを飲む」ということが、大 変大きいんです。ミルクを飲んで、バターや或いはチーズを作って、そして羊や 山羊の肉を食べる。そしてパンを食べるんですね。こういう食生活をしたのが西 の方の文明です。これは家畜を飼いますから、どうしても動物と対決しなければ ならない。ですから動物と対決するためには力がいりますね。ですから、「力と 闘争の文明」というのは動物型の文明から生まれているわけですね。これに対し て環太平洋地域、この地域には実はそれとは違った文明があったんじゃないか、 というのは、私の大きな仮説なんです。今までそんなこと言った人は誰もいませ ん。で、環太平洋地域には、実は乳利用しない。つまりミルクを飲まない。そう いう文明があった、ということです。例えばマヤ文明とか、或いはアズティク文 明、或いはインダス文明、インカ文明というのがございますが、こういう文明、 あそこには例えばラマとか、アルパカという家畜がいるじゃないか、というんで すけども、彼らは肉や毛皮は利用するんですけれども、バターやチーズというか、 ミルクは利用しないんですね。ミルクの香りがしないんです。ミルクの香りがし ない文明がもう一つ、例えば私たちが慣れ親しんでいますお米を食べて、魚を食 べる。それを「稲作漁労文明」と言っていますけども、こういう文明がもう一つ 実はあったんじゃないか、ということを提起したわけですね。
 
西橋:  動物型に対しては、植物型と言いますか。
 
安田:  そうです。これはあまり家畜を利用しませんから、人間が生きるためにはタンパ ク源がないと生きられません。ですから此処では魚を食べるわけですね。片方は タンパク質として肉を食べて、ミルクを飲んで、バターやチー ズを作る。片や魚を食べる。その代わりミルクやバターやチー ズを利用しない、という。そういう二つの大きな文明のパター ンが提示できるんじゃないか、ということです。
 
西橋:  なるほど。その文明の骨格の基本と言いますか、それを決める のは何なんですか。
 
安田:  今申し上げたように、「人間が何を食べるか」ということが一番重要だと、私は 思います。文明というものの形成を考えた時には、人間は生きるためには食べな ければいけません。その食べるということは生きるためですから、無意識のうち にどんどんと食べているわけですね。しかし食べる行為の中で、人間の身体は勿 論、心のあり方というものも決定されるんじゃないか、というふうに考えるわけ です。人間は自然と関わっているわけです。自然との関わりの中で、人間が一番 大事なことは、「人間が何を食べるか」ということですね。パンを食べてミルク を飲んで、バターやチーズを食べて肉を食べる、という。こういうライフスタイ ルと、お米を食べて、そして魚を食べる。こういうライフスタイルには、人間の 身体は勿論のこと、心のあり方、更にはその文明が持っている文明の心、更には もっと突き詰めますと、自然に対する人間の干渉のあり方、森に対する干渉のあ り方も変わってくる。
 
西橋:  「かんしょう」というのは「関わる」。
 
安田:  関わり合いのあり方が変わってくるんですね。
 
西橋:  今、「心のあり方」というふうにもおっしゃいましたけども、それはやがては宗 教ということにも繋がっていくわけですか。
 
安田:  勿論そうです。ですから今までは宗教というのは、これはある特定の教祖が考え た、と。仏教だったらお釈迦さんが考え、キリスト教はイエスキリストがお考え になったと、こういうふうに考えるわけですが、僕はそうじゃなくて、「まず宗 教の原点も人間が何を食べるか。何を食べるかによって、自然とどう関わってき たか、風土とどう関わっていたか、ということが、これが宗教のまず原点だ」と いうふうに思うんですね。
 
西橋:  その風土との関わりですね。人の心の反映としての宗教と、それから風土という のが、どんなふうに関わってくるのか、というところを少しお聞かせ頂けません か。
 
安田:  今までは我々はヨーロッパの科学を勉強してきました。で、近代ヨーロッパ文明 という文明の元に発展した科学の中で、現代の文明の繁栄があるわけですけども、 この文明が持っている一つの大きな弱点は、例えばトマス・アクィナス(Thomas, Aquinas, Saint:1225?-1274)という人が『神学大全』というのを書いておりま すけれども、その中では、「自然というのは、不完全なものだ」という考えです。 或いはリカァドウ(Ricardo,David:1722〜1823)という人が十七世紀に、『機械 論』というのを出しますけども、「自然は機械に過ぎない」という考えですね。 そこで、「もっとも崇高なものは何か」というと、それは、「人間の理性」であ る。「人間の理性こそがもっとも神に近いものであって、自然は不完全で未熟で ある。だから自然を保護する、人間は自然を保護する立場にあるけれども、自然 を崇拝することはない」という、こういう考えがキリスト教の延長線上に発展し た近代ヨーロッパ文明の考えですね。それに対して我々が持っている伝統的な考 え方というのは、「自然は人間以上に完全なものであって、神に等しいもの。人 間は自然に守られている」という。つまり東洋と西洋の間に、ここも大きな違い があるわけです。自然との関係ですね。「心と身体は勿論一体だけど、心と自然 も一体だ」と思うんです。それを僕は、「心自(しんじ)一元論」といっているんです。つ まり私たちの心というのは、これ呼吸して、自然と繋がっているわけですね。で すから自然の影響をもろに受けると思うんですよ。だからその心が作り出した宗 教も、風土と深い関係がある。だから森の心の人、砂漠の人、海の心の人がいる。 そういう森の心の人が作り出した宗教が、例えば仏教であるし、砂漠の心の人が 作り出したのが、ユダヤ、キリスト教であると、極論すれば、というような考え をもつ必要があるんじゃないか、と思うんです。例えば、これ は青森県の蔦(つた)温泉という美しいブナの森ですけれども、森の中 へ入って行くと、まず何があるか、というと、騒々しいんです よ。
 
西橋:  ほぉー。
 
安田:  葉擦れの音がザワザワとする。それから水がゴォーッと流れて いる。そして蝉がジィージィーと夏だと鳴いていますね。夜キャンプしますと、 そうすると猪や狸がゴソゴソと動きます。森というのは非常に騒々しくて不気味 なんですけども、これは何の音かというと、これは「いのちの音」ですね。森と いうのは、「いのちに満ち溢れている」。そういう森の中でずーっと暮らした人 々。その森のいのちというのは、森が春夏秋冬の季節の循環に応じて、「いのち の永劫の再生」というのを繰り返していますね。森のいのちが冬死んだようにな るけれども、必ず翌年の春には甦ってきます。ですから森の中にいる人々のもの の考え方というのは、そういう「再生と循環」という考え方に影響されるわけで す。
 
西橋:  森の心の中核というのは、いわゆるアニミズムということになるんですか。
               、
安田:  「森の心」というのは、これは「自分の存在の小ささを認識する」ということで すね。つまり森の中に立つと、私の前に樹齢千年の巨木が立っています。これは 私よりも十倍以上生きているわけですね。そのいのちの重みに圧倒されますから、 「なんだ自分のいのちというのは、やっぱりこの森の複雑な多様ないのちの中で は単なる一つの小さな存在に過ぎない」という考えを持つわけですね。そして自 ずから自分よりも長生きした巨木に対して、その巨木に「いのちに対する崇拝の 念」というのをもつようになります。
 
西橋:  さて、安田さんは、一九九○年に、『アニミズム ルネッサンス』という英文の 論文を発表なさった。この内容を少し話して頂けませんか。
 
安田:  これは悲しい思い出ですけども、私は一九九○年に、この国際日本文化研究セン ターの「日文研ニュースレター」というところに、この「アニ ミズム ルネッサンス」という短いエッセイを書いたんです。先 ほど申し上げたように、「二十一世紀というのは、地球環境問 題が重要な世紀だから、地球環境を守るためには、アニミズム の世界を取り戻さなければならない」ということを英語で書い たわけですよ。そうしたら当時、今から十三年も前ですけども、 いろんなところから厳しい批判がきました。
 
西橋:  海外から?
 
安田:  ええ。イギリスのイアン・リーダーというような人は、僕は何を書いたかとい うと、『アニミズム ルネッサンス』の中に、「例えばマヤとか、或いはインカ、 アズティクですね、こういう人々はかつて太陽に生け贄を捧げ ていた。捧げていたけれども、彼らは自然を崇拝して、そして 大変平和な文明、穏やかな美と慈悲の文明を持っていた」とい うことを、その本の中に書いたわけですよ。そうしたら、イギ リスのイアン・リーダーという人が、何と言ったかというと、 「太陽に人間の生け贄を捧げるような文明が、何が平和なんだ」 というわけです。「そんなことをいうような人間は、日文研か ら追い出せ」という。イギリス、オーストラリア、いろんなと ころからやって来ていましたよ。しかし、その後、実はこれは 二千年です。実は、『Forest and Civilisations』という本 を書きました。これは私が初めて英語にした本でございますけ ども、この中で何を書いたかというと、例えばこれは、『FOREー STS AND ANIMIZIM(森とアニミズム)』です。それからこれ は、『FORESTS AND WITCHES(森と魔女)』、こういうタイトル の本を実は書いたんですね。一九九○年に、『アニミズム ルネ ッサンス』という本を書いた時には、世界中から、ぼろくそに 言われたわけです。ところがそれから十年後に、この『森とア ニミズム』とか、『森と魔女』というようなことを書いたこの 本が、実はイギリスでもの凄く売れたんです。イギリス以外の ドイツとか、或いはロシア、それからオーストラリア、ニュー ・ジーランド、こういったところから、これを書評してくれた わけですよ。非常に高い評価を得ているわけですね。「この『ア ニミズムルネッサンス』というのは、けしからん」というんじ ゃなくて、「これこそ新しい二十一世紀の未来を指示する一つ の生き方である」というふうに評価を頂いているわけです。この十年の間に大き く変わった、という。それが世の中というのは変わるもんだなあ、と思いますね。
 
 
西橋:  でも、その十年の間の変化の契機というのは何かあったんですかね。受け止め方 の変化が。
 
安田:  それは僕は、「地球環境問題だ」と思います。ちょうど一九九○年に、私が、『ア ニミズ ムルネッサンス』を書いた直後から、オゾンホール(南極大陸上空のオ ゾン層の濃度が異常に低くなる現象)というのが出来た。南極や北極にオゾンホ ールが出来て、これがドンドンと拡大している。その問題がやっぱり一つの大き な契機になった、と思うんです。それから急激にみなさんの関心が地球環境問題 にわあっと傾斜していった。それが、このアニミズムというものに関しての考え 方を大きく転換させる要因だった、と思います。
 
西橋:  安田さんが、「環境考古学」というものを提唱なさって、学問として確立された。 そのことと、安田さんご自身の育てられた環境、そういったこととは何か繋がり がありますか。
 
安田:  そうですね。まあ自分が育った風土というものは、人間は抜き差しがたいものを 持っている、と思いますね。僕は小さい時は祖父に連れられてよく植林に行きま した。
 
西橋:  山の近くだった?
 
安田:  山の近くでしたからね。ですからそういう祖父からいろいろ教えられたというこ とは一つ大きいですね。もう一つ実は僕は、「畑作牧畜文明が森を破壊する。ダ メだ」というふうに言っているんです。実は僕の父方も母方も、母方なんかは三 百頭も乳牛を飼っている大きな酪農農家なんですよ。牛を飼っているんです。そ れで僕は故郷に帰ったら、町長さんが、「日文研に来たし、講演しろ」と言われ て講演したんですよ。「畑作牧畜民は森を破壊するし、稲作漁労民は森を守った。 これからあんまり羊や山羊や牛を飼うような文明では、この地球はやっていけま せんよ」という話をしたんです。そうしたら、おじさんやおばさんが泣いている んですよね。「お前は小さい時に僕は親父が早く死にましたから、経済的に苦 しかったのは全部それは母方の牛を飼っているその財力で大学も出させて貰った わけです─それを先祖に唾をするようなことをよく言う」と言われて、僕はその 時初めて、「あ、僕が言っていることは、そう言えば自分の先祖がやっていたこ とと矛盾するな」と思って、実はずーっと悩んでいたんですね。しかし僕は小さ い時に僕の祖父が、家に飼っていた牛が病気になったわけです。祖父は一所懸命 三日徹夜で看病していた。それを記憶していますよ。一所懸命看病していた。そ して牛が死んでしまったんですね。死んだ時に祖父は目を真っ赤にして泣いてい ましたね。つまり牛を飼うということは、それは牛の心を分かってほんとに愛し て飼ってやる、ということですね。だから日本でおそらく飼われている牛という のは、そういう非常に大切に愛されて飼っている、ということですね。だから生 まれ育ったところの―大体この番組を聞いておられる方は大体おじいさんやおば あさん方が多いですけども―隔世遺伝じゃないでしょうか。物事は大体おじいさ んの考えというのが孫に伝わっていく。だから、「一所懸命おじいさんやおばあ さんがいいことを考えて、そして教育すれば、孫には必ずそれが伝わっていく」 と言いますね。僕は、もう一つ父親から勉強したことは、父親が教育者で、長い こと同和地区の校長をしていたんですよ。長いこと校長をしていましたんですけ ども、早く亡くなったんですけどもね。父親の遺言が、「弱い者の立場に立った 時に、真実が分かる」というのは、これは僕の父親の遺言でした。ですから弱い 者の立場、つまり当時は被差別部落の人でしたけども、今は弱い者の立場は誰か、 というと、自然ですよ。ですから僕はいつも癖なんですけども、弱いもの、弱い ものに目がいくんですよ。「そこから物事を掘り進めていけば、現実の社会が抱 えている問題点が分かるんじゃないか」と。こういう視点なんですね。ですから 僕が一所懸命環境問題に情熱を注いでいるというのは、「この地球上で一番弱い 立場に置かれているのが森であり、森の中の動物であり、森の中の生き物」なん ですね。こういう自然であるということ、これが環境考古学の出発です。
 
西橋:  なるほど。若い頃に最澄とか空海にも大変興味を持たれたというふうに伺ってい ますけども。
 
安田:  それはあまりこんなところで自慢できる話じゃないんですけども、僕は大学の受 験にも失敗しまして、そして若い時にほんとに自分はダメだなあ、と思ったこと があったんです。強い自己否定を体験しました。その強い自己否定を体験し、ど うしようか、と思っていた時に、最澄さんのこの言葉に出合ったんです。十九歳 の時でしたけども、
 
愚中(ぐちゅう)ノ極愚(ごくぐ)
狂中(おうちゅう)ノ極狂(ごくおう)
塵秀(じんとく)ノ有情(うじょう)
底下(ていげ)ノ最澄
 
ということです。これはどういうことか、というと、「自分は愚か者の中でもき わめて愚かな者であり、気が動転した者の中でももっとも気の動転した者であっ て、最低の人間だ」と。こういう言葉を残して最澄さんは十九歳の時に、比叡山 に出家されるんです。僕はこれを見て、「あ、あの天台宗を開祖した比叡山の根 本の巨大な宗教体系の原点を作った最澄さんでさえ、自分がダメだ、と思うこと があったのか」ということを発見して、それで心救われた感じがしましたね。そ の後、いろいろ勉強していると、実はこの最澄さんの哲学の根幹が、「山川草木(さんせんそうもく) 国土悉皆成仏(こくどしっかいじょうぶつ)」ということです。これは、「山や川、草や木、国土に至るまでみ んな仏になりますよ」という教えですね。これはどういうことかというと、「こ の宇宙の中の生きとし生けるものの中で、人間のいのち、自分のいのちというの は、取るに足らない小さなものですよ。自分も仏になれるけども、山や川や草や 木もみんな仏になれます」という。こういうことを『天台本覚論』の核心に最澄 さんは教えになったわけです。そういう発想ができるというのは、どうしてか、 というと、若い時に、「自分はダメじゃないか、という強い自己否定を持ったか らこそ、そういう発想が出来たんじゃないか」と思うんですね。自分は、「エリ ートだ、出来る、出来る」という自信満々の人には、そういう発想は出来ない、 と思うんですね。最澄さんや空海さんの「強い自己否定を伴ったその心を癒した のはどこか、というと、森だった」ということですね。
 
西橋:  比叡山とか、高野山とか。
 
安田:  そうですね。空海さんは最後は、ああいう世間の栄達を達成した人ですけども、 結局空海さんもどこへきたか。「さあ森へ行ってゆったりと遊ぼうではないか。 森こそが、これはこの世よりも美しいけども、あの世よりも美しいぞ」と空海さ んは言っているんですね。
 

 
西橋:  さて、安田喜憲さんの研究手法の一つとして、 土砂の年縞(ねんこう)を調べる方法があります。年縞とは、 木の年輪のようなもので、一年毎に積もる土砂 の成分の分析で、過去の気候の変動を正確に把 握することが可能になります。まず無酸素状態 の湖の底を選んでボーリングし、土砂を採取し ます。無酸素状態だと、いろいろな物質がその ままの姿で静かに積み重なっていくのです。採 取された土砂を見ると、あたかも木の年輪のような縞を見ることができます。電 子顕微鏡を使って土砂の中にある花粉の種類、量などを調べると、過去の気候の 変化が、一年毎、或いは季節毎に分かるのです。百メートルの深さの土砂で、十 五万年ほどの気候の変動が分析されたケースもあると言います。
安田さん、この土砂の年縞を調べる研究手法が非常に注目され ている。その理由はどういうことなんでしょうか。
 
安田:  これが私の専門ですけれども、私はこれまで、「環境の変化、 例えば気候の変化が文明を衰亡させた」とか、そういうような 研究をしてきたわけですけども、今までは過去の年代を決定す るのに、放射性炭素年代法という方法を使ってきている。これ は「C一四年代測定」と言いますけども、これにはどうしても統計上の誤差が付 くんです。例えば±千年とか、±五百年というような誤差がつくわけですね。そ うしますと、それで決まった年代というのは、本当にこの事件が起きた時に起こ ったかどうか、ということを特定できなかったわけです。でも歴史というのは、 明日ガラッと変わる時もあるわけですね。ホンの一年や二年で大きく歴史は変わ りますけども、しかしそれと対応する過去の気候の変動の時間軸というのは、放 射性炭素年代法という方法で今まで決めていたものですから、どうしても±百年 の誤差がついたら、もうほんとだったか。「安田が、気候が変わったから文明 が衰亡している ≠ニ言っているけれど、いや本当かもしれないけど本当か?」 ということですね。だからはっきり言って、あんまり信用されていなかった、と 思います。しかしこの年縞というものを発見したことによって、 年縞は年輪と同じですから、一万本目は今から約一万年前に限 りなく近いわけですよ。ですから誤差がありません。ですから そこにはしかも年縞の中には花粉や珪藻(けいそう)、或いは中国から飛ん できたレス(黄土)、或いは湖の中の粘土鉱物といった、さま ざまな過去の環境を復元する分析のターゲットがたくさん含ま れているんですね。ですから過去の環境をきわめて多角的に多 様な環境を高精度の時間軸、つまり一年毎、或いはもっと極論 すれば、季節毎に復元できるようになったわけです。これで初めて歴史的な事件 と、僕たちが復元した環境の歴史環境史ですね、気候の変動や森林の歴史と一 対一のところでディスカッションできるようになった。これでやっと我々は歴史 と環境の関係を誰にも文句言われないレベルで論ずることができるようになった んです。
西橋:  そうすると、歴史的な大きな事件があるとしますと、そうする と、その場所で掘って見なければいけないんですか、それぞれ の場所で。
 
安田:  ええ。年縞があるというところは、どこでもあるわけじゃあり ませんので、そこが限界にちょっと問題なんです。つまり年縞 があるというところは、例えば火山の周り、火口湖とか、或い は日本で言いますと、水月湖(福井県)であるとか、或いは東 郷湖のようなところ。かなり条件がいいところでないと、どこ でもあるわけじゃないんです。ですから人類の歴史をすべてに わたって、環境との関係で論じられるほどには、全世界にはな いんです。しかし少なくとも日本は世界の中で最も年縞がよく 残っているところですね。それ以外に最も研究が進んでおりま すのは、ヨーロッパです。ヨーロッパにもたくさん素晴らしい 年縞が見つかっております。それから南米ですね。こういった 所は全部美しい所なんですよ。四季の変化、季節の変化がハッ キリしていて、風景の美しい所、こういう所に年縞があるんで すね。それからもう一つは、私たちが注目しておりますのは、 今の西アジアのような乾燥した所にある塩湖―塩の湖、此処に もあるんです。
 
西橋:  その気候の年縞によって分かった、この時代にはこういう気候 だったということと、それから例えば巨大な宗教の発生と言いますか、誕生、そ ういうことともかなり密接に関わっているんですか。
 
安田:  それは、過去の気候変動を細かく分析して見ますと、私たちがお話している心と か宗教の問題、それと気候変動の間にも大変深い関係がある、ということが分か ってきました。それは巨大宗教が誕生した時代というのは、今から約紀元前千二 百年ですね。三千二百年位前から紀元前の五百年位の間のことなんです。この時 代というのは、巨大宗教が誕生した時代というのは、実は地球の気候が最も大き く変動した時代だった、ということが分かってきました。
 
西橋:  どういう気候だったんですか。
 
安田:  それは紀元前千二百年位から気候が急激に寒冷化します。特に紀元前九百年から 紀元前五百年の間、この時代は著しい寒冷期で、そして例えばイスラエルの地域 なんかでは激しい干ばつが起こった。干ばつが起こって水が不足した。そして同 時に、食料不足が起こって飢饉が起こったり、或いは昆虫が大発生したり、或い は疫病が流行するというような、そういうきわめて困難な時代であった、という ことが分かってきました。その時代に実は世界各地で偉大な思想家が誕生するん ですけども、例えばギリシャでは例えば「万物は水からできている」といったタ ーレスという人が出たり、或いはピタゴラスの定理を発見したピタゴラスも、そ の時代に出るんですよ。或いはソクラテス、プラトン、アリストテレスもみんな そうです。同じように中国では、孔子や孟子、或いは老子や荘子という、こうい う儒教や道教を考えるような人が出てくる。或いはインドでは、お釈迦さんの前 に、例えばウバニシャッド哲学(インドの直観哲学・宗教の源流)とか、或いは マハビーラというような哲学が流行して、そして仏教が誕生してくるわけですね。 同じように西アジアで何が起こったか、というと、今までは大地の神様・メドゥ サ(ギリシャ神話の女神)のような大地の神様に、みんなが崇拝をしていたんで すが、それに代わって、天の神様、嵐の神様がもの凄く大きな力を持ってくるん ですよ。その一例が、此処のシリアやレバノンで大きな力を持 ってきます天候神・バアルという神様なんですね。このバアル という神様、これは右手に斧を持って、左に稲妻を持ったり、 或いは蛇を握り締めているのもいるんですよ。蛇をやっつける んですね。つまりメドゥサ、つまりそれ以前の大地の女神とい うのは、蛇を神様にしていたわけでしょう。ところが新しく出 てきた天の神様、嵐の神様は、蛇を斧でやっつける。そういう しかも男の神様なんです。しかも紀元前一千二百年から始まっ た気候変動の中できら星のように出現してきた思想家は全部男 ですね。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、孔子、孟子、 イエス、ユダヤ教のモーゼ、すべて男性ですね。つまりそれ以 前の世界というのは、メドゥサ、これ女神に代表されるように、 女性中心の世界だったわけです。これが紀元前一千年前後を中 心とする大きな気候変動を契機にして、男中心の社会に変わっ た、ということです。そして大地から天、特にイスラエルでは 大地から天へと大きく神々の中心軸が移動した、ということで すね。これは人類史における大きな転換で、これまではこの時代を伊東俊太郎と いう先生は、「精神革命」という名前を付けられました。つまり人類史の精神史 がこれから始まるということですね。或いはヤスパース(Jaspers, Karl:1883-1 969)という哲学者は、これを「枢軸(すうじく)の時代」という名前を付けましたが、全世 界各地に巨大な思想家が現れて、巨大な宗教が誕生した。今までは、宗教という のはこれから誕生した、ということですね。その背景には巨大な気候変動があっ て、そして民族移動があって、みんなが飢饉に遭ったり、或いは疫病が大流行し て、困難に直面した時に、実はそれを救うような新しい世界観とか、思想が出て くる、ということですね。
 
西橋:  でも、安田さんはそれ以前の大地母神(大地の豊穣の女神)の時代の人々の考え 方というか、そういうものをもう一回再確認、再認識しないといけない、と。
 
安田:  そうですね。その男性中心の社会が出現したことによって、例えば今までは人間 が自然に生け贄を捧げていたわけでしょう。そういったこともキリスト教によっ て「それはダメだ」と言われておさまった。そして人間中心の世界がそこで形成 されていくわけですね。そして人間は幸せによりなった、と思います。そしてど んどんと文明が発展した。そして今日のような豊かな社会を我々は築き上げたわ けです。しかし地球環境問題が起こったことによって、その男性中心の社会が抱 えていた文明の問題がハッキリでてきたと思うんですね。つまり男中心の社会、 男の神様だけの社会では戦争ばかりやって、自然をどんどんと破壊していく。そ ういうこの時代に代わる新しい時代を作るのは、もう一度二千五百年よりも前に あった大地母神の神々の時代を思い起こす必要があるんじゃないか。そうしない と、人類は自然と共存出来ないんじゃないか、というふうに思うんですね。それ を僕は、「二千五百年目のカルマ」と言っているんですね。「業(ごう)」ですね。つま り女性から男性に変わった。しかしもう一度女性中心の社会であったアニミズム の世界というのを、この世の中にある程度復権しないと、二十一世紀に人間は危 ないですよ、ということですね。
 

 
西橋:  中国の長江(ちょうこう)文明の発掘調査のリーダーをなさったわけですね。
 
安田:  ええ。これは私は勿論現地の調査の隊長ですけれども、実際のプロジェクトの発 案は、国際日本文化センターの顧問をなさっておられます梅原猛(たけし)先生なんです よ。梅原先生が、「最初に長江文明というのは存在するんじゃないか」というこ とを指摘されて、「お前、行って調査して来い」と言われまして、それで一九九 一年から始まったんです。具体的なプロジェクト自身は、本格的には一九九四年 からです。許可を取るのに三年も費やしたんですよ。
 
西橋:  中国の。
 
安田:  ええ。
西橋:  中国の学者方も一緒に調査なさった?
 
安田:  勿論そうです。日中共同ですね。これが私た ちが一九九七年から本格的に調査を致しまし た湖南(こなん)省の城(じょう)頭山(とうさん)遺跡という遺跡です。これ が円形の城壁に囲まれているんですね。この 円形の城壁に囲まれた面積は大体十万平方メ ートル、直径三百六十メートル位 の円形の 遺跡なんです。北と南と東に門がありまして、 そして城壁が出来たのが、今から六千三百年 前です。まさに中国最古の城壁都市だろう、 と。こういう立派な都市が見つかりました。 そしてこの東門の背後から祭壇が見つかった んです。祭壇はおそらく日本の新嘗祭(にいなめさい)に似た ような、そういう稲作の豊穣(ほうじょう)を祈るような祭 りが行われたんじゃないか。生け贄があった 人骨と思われるものが四体見つかりまして、 それが全部頭が太陽の昇る東南の方向に向い ているわけです。当時は長江文明の大きな世 界観、稲作漁労民にとって、もっとも重要な ものは、太陽の運行だったんです。太陽が稲 作を行ううえでも最も重要ですね。その太陽 を運んでいるのは二羽の鳥であるというふう に、彼らは考えたわけです。それが浙江(せっこう)省の 河姆渡(かぼと)という象牙に彫られた二羽の鳥と、そ  れを運んでいる鳥と太陽なんです。だから太  陽が東から昇ってきますと、これは鳥が運ん  でくる、と。そして西に沈んでいく。また翌 朝、鳥が太陽を運んで来る。鳥と太陽という  ものが、長江文明にとってはもっとも重要な  神様だったわけですね。
 
西橋:  そうですか。そして長江文明の特徴は、「鳥と太陽」ということの今お話があっ たんですが、全体的に見た時に長江文明の特徴というのは、どういうことですか。
 
安田:  長江文明の大きな特色は、「お米を食べて、魚を食べる人々が文明を持っていた」 ということです。今までは文明というものは、「パンを食べて、ミルクを飲んで、 肉を食べる人、こういう人だけが文明を持っていた」と思ったわけです。今まで の四大文明というのも、メソポタミアもインダスも、黄河もエジプトもみんなパ ンを食べて、ミルクを飲んで、肉を食べる人ですね。これに対して、「お米を食 べて、魚を食べる人。お米を食べるところは汚い。お米を作るのはドロドロとし た田圃の中で這いずり廻らなければいけないし、そして魚を食べている。これは 下賤(げせん)な物を食っている。ああいうものが文明を持っている筈がない」というふう に信じていたわけですよ。お米を食べて魚を食べる日本人でさえ、「稲作漁労民 が文明を持っているとはあり得ない」と思っていたんです、ホンの最近まで。
 
西橋:  その長江文明はやがて滅ぶわけですか。
 
安田:  そうです。長江文明は、実はこれは「稲作漁労文明であったと同時に、森の文明」 でもあったんです。同時に環境復元しますと、カシやシイの深い森に覆われてい た。メソポタミアとかインダスとか、エジプトというのは、これはどちらかとい うと、森とは関係ないですね。森の少ないような、草原が多いようなところで、 文明が誕生しているわけですが、この長江文明というのは森に囲まれていた。し かもその森はカシやシイの、私たちがよく見ている照葉樹林(しょうようじゅりん)という、そういう 森ですね。ところが面白いことに、出てきた木材がございます。遺跡を発掘しま すと、いろんな炭片とか、材木片がたくさん出てくるんですけど、それを米延仁 忘博士が、一千点位細かく分析したわけですよ。「これは何の種類の木だ、何の 種類の木だ」と。ところが一千点分析しても、八十パーセントが楓(フウ)という木だっ たわけですよ。楓の木というのは、みなさんご存じないかも知らんけど、今最近 街路樹で、アメリカ楓(フウ)というのがありますね。カエデのような葉っぱをした、そ の楓の木だったんです。何で城頭山遺跡の人々が、楓の木ばっかり集めているか、 という。これは謎なんですけど、周りにはカシやシイの森があるわけですが、彼 らはそれではなくて、楓の木を選択的に選んでいるわけです。ですからおそらく 楓の木に対する神話だとか、それだけ楓の木ばっかりやっているわけですから、 当然彼らは楓の木が大好きですから、楓の木の文化というようなものもあった、 と思うんです。それでそういうような文化を持った人々が、今の中国にどっか居 ないかなあ、ということで捜してみたわけです。捜して見たら、現在の雲南(うんなん)省や 貴州(きしゅう)省にいる苗(ミヤオ)族という人がいるんですね。苗族の女性が、今お祭りで素晴ら しい銀の服装を着けているところですね。苗族 というのは女性中心なんです。そして苗族の人 々が崇拝しているのは何か、というと、実は楓 の木だったんですよ。楓の木なんです。彼らは 集落の真ん中に?笙柱(ろしょうばしら)という柱を立てて、そ の?笙柱の周りで毎年お祭りをする時にダンス をする。さっきのような銀の衣装を着飾ってダ ンスをするわけですが、この?笙柱は必ず楓の 木で作らなければいけない。その楓の木で作っ た?笙柱の上に、鳥が留まっているんですね。 鳥は太陽の昇る東の方を向いているわけです。 それで苗族の氏族は、自分たちは楓の木の子孫 である、と。つまり森の文明の伝統を持ってい るわけですよ。自分たちが楓の木の子孫で、そ の楓の木をとても大事にして、そしてその柱の 上に鳥を祀って、そして太陽を拝んでいる。こ れは城頭山遺跡の文化とまったく同じと言ってもいいわけです。そうすると、こ ういう仮説が成り立つんじゃないかと思うんです。つまり今までは私たちは長江 文明の担い手というのは誰かよく分からなかった。誰がこういう中国最初の文化 を創ったのか。いろいろ考えていたわけですが、実はそれは今雲南省や貴州省の 山の中にひっそりと暮らしている苗族とかトン族というような少数民族じゃなか ったか。
 
西橋:  長江文明を支えていた?
 
安田:  支えていた、というふうに考えられるようになったわけです。何故かというと、 実は四千年前に大きな気候変動がありまして、そして今の漢民族のルーツになる ような畑作牧畜民の人が、大挙して南の方へ南下するんですね。南下して来て、 もともと長江流域には、今の苗族やトン族のような少数民族の祖先になる人、つ まり太陽を崇拝し、鳥を崇拝し、楓の木が大好きな人々が住んでいたんです。そ ういう人々を四千年前以降、黄河文明が発展してくると、それが南の方へ侵略を して集合してくる。何故黄河文明の人々が苗族やトン族のような少数民族、長江 流域に住んでいた稲作漁労民を追放出来たかというと、一つは、 彼らは馬に乗っていた。もう一つは、その時代に既に金属を手 にしていた。金属製の武器を持っていたんです。それでもとも と北方にいた畑作牧畜民、黄河流域に住んでいた人々が大挙し て南へ南下して行って、彼らを南の山の方へけ散らしていった。 だから苗族の人々はこういう伝承を持っているんです。楓の木 というのは、秋になると真っ赤に色付くんです。赤い葉っぱに なる。ほんとに紅葉する。血のような色になるんです。それは どうしてかというと、「我々の先祖が北からやって来た畑作牧畜民の人々と争っ て負けた。首を切られた。その首を切られた時の血が楓の木に付いて真っ赤にな ったんだ」という伝承を持っているんですね。だからそういう北から侵略して来 た人々に対して、南へ逃れて行った人々は、苗族やトン族のような雲南省の山の 中にいる人ですよ。じゃ、海岸にいた人はどこへ行ったか、というと、海岸に行 く人は行くところがありませんから、ボート・ピープルになるしかないわけです ね。そして彼らがボート・ピープルになって、そして日本に来て、お米を―稲作 漁労文明というのをもたらしたんですね。大事なことは、稲作漁労民の人々が日 本にやって来ます。やって来た時にもともとそこらに縄文人が住んでいるわけで すね。じゃ、そこで宗教戦争が起こったか、というと、多分起こらなかったと思 うんです。何故かというと、もともと縄文の人々も太陽を崇拝し、鳥を崇拝し、 そして再生と循環の世界観というのを持っていて、森の宗教を持っていたんです ね。そこへ稲作漁労民の人々が水を中心としたような宗教を持ってきたわけです が、それも太陽と鳥を崇拝して、再生と循環の世界観を持っている。同じような 世界観ですから、戦争はおそらく宗教戦争はなくて、上手く融合していったんじ ゃないか。そして新しい時代を作っていったんじゃないか、と思うんですね。
 
西橋:  安田さん、その縄文時代に長江文明をも受け入れていった日本人は、その後時間 をかけて、どういう宗教感情を身につけていった、とお考えですか。
 
安田:  日本人の大きな特色というのは、縄文時代以来の森の文明の伝統は、「生きとし 生けるもののいのちの尊さを実感して、自然への畏敬(いけい)への念を持って、そしてこ の宇宙は永劫のいのちの再生と循環を繰り返している」という世界観があったと 思うんですね。そこへ長江文明の稲作漁労文明の伝統がやってきたことによって、 「森とプラス水の循環というものを確立した世界観というのが生まれた」と思う んですよ。お米を作るということは、水との関わり合いをなくしては絶対不可能 ですね。しかし水というのは、お米を作ろうとすると、自分の田圃に水を引いて くるわけですけども、これは他人のことも考えないと自分のお米作れませんね。 自分のところだけを水引いてきて、下流に流さなかったら下流の人は困ってしま うでしょう。自分のところの田圃を作るということは、他人のことも考えないと 作れない。絶えずその中には自分の欲望、自分がもっとお米を作りたい作りたい、 という欲望をある程度我慢して、他者のための利益になることもしなければなら ないという利他の精神と言いますか、そういうものは日常生活の中で、水田稲作 農業というのは醸成してきた、と思うんですね。これが日本人の大きな心のクッ ションと言いますか、心の作法と言いますかね。ですから何か事があった時でも、 日本人は稲作漁労のお米を作るという中で、お米を作るというのは大変難しい農 業ですし、そして同時に他人のことも考えながら、厳しい労働をしなければいけ ない。そういう農業の中で、日本人は我慢をする、忍耐をするということを、自 ずから身に付けたと思うんですよ。だから心のクッションが他の畑作牧畜民の人 に比べて、大きいような気がしますね。
 
西橋:  安田さんのおっしゃる「ニュー・アニミズム論」ですね、この骨子を少しお話に なって頂けませんか。
 
安田:  「ニュー・アニミズム」というと、大げさですけども、二十一世紀という時代は どういう世紀か。これは明らかに地球温暖化の世紀である、ということは、誰で も分かるわけです。IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)、 つまり「気候変動に関する政府間パネル」という大きなプロジェクトがあるわけ ですが、これがかつては、二十一世紀内の気温の上昇率は三・五度だ、と。最高 ですね。それを修正したんですよ。五・八度も上がる可能性がある、というふう に。
 
西橋:  今よりも、
 
安田:  ええ。五・八度上がると、一体何が起こるかということです。一番重要なことは、 これはほぼ間違いないことですが、地球の年平均気温が五・八度も上がったら、 これは勿論巨大な台風がやってきて、災害が起こるとか、海面が上昇するとか、 いろんな災害が増大するということ、これは誰でも予想がつくことですけども、 もっとも恐ろしいのは、飲み水が無くなるということです。人間が生きるために 必要最低限の淡水飲料水が無くなるということですね。おそらくこのままいっ たら二千二十五年には、五十億人の人が飲料水に事欠く、そういう状況が生まれ るんじゃないか、と。
 
西橋:  二千二十五年の人口が、大体八十億と言われていますが、そのうちの五十億人が。
 
安田:  八十億まで達するかどうか分かりませんけども、その五十億の人々が干ばつに 苛(さいな)まれて、飲み水の危機に直面するという。この図は、干ばつの危機、飲み水 の危機にもっとも直面するであろう、色の赤いところですね。 こういった地域が激しい干ばつに見まわれるということですね。 例えば中国の黄河流、此処はもう既に黄河は涸れ始めています からね。或いはアメリカの穀倉地帯であるグレートベースンで すね。或いはアフリカの北部、それから地中海沿岸ですね。こ ういったところが激しい干ばつに見まわれて、そして水さえ手 に入らない時代がやってくる。そういう時代が予想されている んだったら、水を守っているのは何か。水のタンクは何か。こ れは森ですよ。森の中にこそ水は蓄えられているわけですから、地球を森で埋め 尽くす。世界を森で埋め尽くせば、人類は危機を脱することができるわけですね。 その世界を森で埋め尽くすことができる。そういう哲学や文明というものをずー っと長い間熟成してきたのは、実は日本ですよ。この日本が先端を切って世界を 森で埋め尽くす。そして水の危機を回避しようという運動に立ち上がるべきだ、 と僕は思いますね。
 
西橋:  環境が非常に大きく厳しく、人間にとって変わっていく。そして水を巡る争い、 或いは食料を巡る争いというものが予想されるという状況の中では、もう戦争な んかしている場合じゃないですね。文明間の対話とか、共に生きるのはどうして いったらいいのか、ということを、急いで考えて実行していかなければならない 時代になっているんですね。
 
安田:  そうですね。二十一世紀に、人類がどうすれば持続的な発展を維持できるか、と いうことがもっとも大きな課題なわけです。世界はともに宗教観の違い、世界観 の違い、自分を善、相手を悪と見なすような世界観を取り払って、互いの価値を 認め合いながら、多様な世界、つまり多神教の世界ですね、多様な世界をお互い に認め合いながら、自然と共存していく道を見つけないと、人類は滅亡へ向かう しかないと思うんですね。ですからそういう面で自然を崇拝し、今までは、「自 然を子供だ、自然は不完全だ。だから人間が守られなければならない」というの は、一つのロジックですけれども、しかしその自然をやっぱり畏敬して崇拝し、 そしてその民族さまざまな価値を持った人々が、仲良く平和共存しながら生きて いくという、そういう世界を作っていかないとダメだ、と思いますね。
 
西橋:  今日はどうもありがとうございました。
 
 
     これは、平成十五年十月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである