人は希望によって生きる
 
                 那覇中央教会名誉牧師 金 城(きんじょう)  重 明(しげあき)
一九二九年、沖縄県渡嘉敷島に生まれる。五五年、青山学院大学文学部キリスト教学科卒業。六○年、ユニオン神学大学(ニューヨーク)修士課程卒業。日本キリスト教団糸満教会並びに同首里教会牧師。沖縄キリスト教短期大学創設(1957)以来、九四年三月定年まで、講師・教授として教鞭をとる。キリスト教学を担当。その間に理事・副理事長・宗教部長・学長を務める。著書に『「集団自決」を心に刻んで』。 
               き き て       西 橋  正 泰
 
ナレーター:  街の喧噪(けんそう)が静まった日曜日の朝、沖縄県那覇市にある那覇中央教会では、いつもの礼拝が行われています。今年八十歳になる金城重明さん。かつてこの教会の牧師を務めていましたが引退。今は名誉牧師として礼拝に出席しております。金城さんの人生には、イエスと出会い、イエスと共に歩むことなしには抱えきれない苦しみがありました。金城さんは、一九二九年沖縄県渡嘉敷島(とかしきじま)に生まれました。多感な少年時代、十六歳の金城さんの運命を大きく変えたのが沖縄戦でした。一九四五年三月下旬から沖縄本島に猛烈な艦砲射撃を加えていたアメリカ軍は、三月二十七日沖縄本島の西にある渡嘉敷島(とかしきじま)に上陸、逃げ惑った住民たちは追い詰められ、肉親の命を絶つことを余儀なくされました。いわゆる集団自決です。渡嘉敷島では三百人を越える人々が命を落としました。金城さんは母親と幼い弟と妹に手を掛け命を絶ちました。強制集団死という苦悩を体験し、生き残った十六歳の少年は、その後どのような人生を歩んできたのでしょうか。その軌跡を伺います。
 

 
西橋:  金城さんは、この那覇中央教会の牧師を二年前までなさっていたんですね。
 
金城:  そうです。
 
西橋:  では、牧師をなさっている時は、ここで毎週日曜日はお説教をなさって。
 
金城:  説教というのは辛(つら)いですよ(笑い)。聖書講義とは違いますから。
 
西橋:  そうですか。
 
金城:  同志社国際高校生が毎年、ここで礼拝をして私の戦争体験を聞いて下さいます。
 
西橋:  京都から来て。
 
金城:  沖縄研修の一番のプログラムがここでの礼拝です。その礼拝の中で、私は体験をいつも話して、もう三十年ぐらいになりますね。この頃修学旅行生―高校生などに話をしているけれども、私はこういうことをいうんですよ。「あなた方はみんな命を持っている。自分の命だけど、あなたがたの所有じゃないんですよ。所有しているこの服だとか、鉛筆とか、いろんな道具はある。命は道具じゃない。これは神様から与えられたもので、自分で処理することはできない。だから自分で命を絶つこと、人の命を絶つことも、これは最大の罪だ。命の重さというのは、一旦失われたらもう取り戻せないものが最高に尊いものだ」といった感じの話をしていますけれども。
 
西橋:  十六歳で、いわゆる集団自決、強制集団死を体験なさって、十八歳の時にキリスト教と出会われた、ということですけれども、敗戦直後のキリスト教と出会うまでの金城少年の心のうちというのはどんな?
 
金城:  慶良間(けらま)諸島の慶留間(げるま)、座間味(ざまみ)、渡嘉敷(とかしき)の三つの島々で、いわゆる「集団自決」、のちに自発的な死ではなかった、ということで、「強制集団死」という言葉に変えられておりますけれども。私の出身の島は渡嘉敷ですけれども、三つの島々で、七百名の犠牲者を出しました。渡嘉敷では三百二十九名の島民が命を失った。
 
西橋:  その亡くなられた方の中に金城さんのご家族もいらっしゃったわけですね。
 
金城:  そうです。一番愛する自分たちの家族から手をかけたのです。いわゆる「殺した」ということをいう人もあるけれども、殺意を持って殺したという意識はまったくないんですよね。殺意なき虐殺と言うのが私の用語です。やっぱり「殺した」というよりも、「家族を失った」と。これからどう生きるかという、将来に対する絶望的な日々。絶望によって悩まされて、生きる意味を喪失した。ですから場合によっては戦争から生き延びたという状況でなければ、自殺の道を選んだかも知れない、というふうに、回顧をしておりますけれども。
 
西橋:  普通の十六歳の少年と言えば、これから人生が開けていくわけですから、とっても希望に満ちた時代だと思うんですけれども、金城さんにとっては、その頃は絶望の日々だったわけですね。
 
金城:  その通りです。
 
西橋:  集団自決と言われることを体験なさって、金城さんが苦しまれたことの本質というのは、どういうことだったんですか。
 
金城:  正直に申しまして、殺意をもって殺したんじゃないんで、「殺してくれ」という、そういう叫びもあったんですよ。むしろ手を貸さないことが残酷だ、と。というのは、鬼畜米英思想がありましてね、生き残って米兵に遭遇すれば、耳や鼻を削ぎ落とされたり、戦車の下敷きにされたり、女性は陵辱(りょうじょく)されるという、残酷な死を遂げねばならない、と。それを避けるべく愛する者に手をかけました。父親がその役割をみんなするわけですよ。しかし多くの父親達は軍隊に行ったり、県外に出稼ぎに行ったりで、父親が少なかったのです。ですから祖父達が手にかけると言う悲劇が起こった。私は兄と二人で絶望的同情から愛する者に手をかけた。それが自分では殺意はないのに、戦後は端から小学生から大人になった人に、「大学の先生しているあの人は、殺したんだ」というふうに言い触らされた。腹が立ったんですけどね。そういうふうに自分では殺意はない。けれども、殺したという事実はあるということで悩むわけですよ。これは戦後二年ぐらい経っていたと思うんですけれども、棚原俊夫(たなはらとしお)さんという、南洋群島から引き揚げて来られた方から、「金城君、この本を読んでごらん」と言って差し出されたのが聖書でした。私の人生における聖書との決定的な出会い。その時、賛美歌も見せられたんです。私はよく意味はわからないけれども、聖書に引き込まれるように読んでいくのですね。不思議なことに、偶然なんですが、聖書に出てくる言葉と、強制集団死で体験した事実を言葉に表すと、「死」とか、「命」とか、「裁き」とか、「永遠の命」とか、これは聖書用語ですけれども、聖書の中に「死」とか、「命」という言葉がある。自分は集団自決で、この死の生き地獄を体験し、命が虫けらのように扱われた。聖書では、命の尊さ―沖縄の言葉では「命(ぬち)どぅ宝」と言うんですけど―生命の尊厳性。他方では命が虫けらのように殺され、殺していった。対照的に「死の問題」「命の尊さ」という用語に出会って、不思議な本だなあ、と思いました。場合によっては、自分は自殺するかも知れないという窮状の中で、「死」とか、「命」とか、「裁き」とか、「救い」などの言葉が、この自分を捉えたのです。そういう状況が聖書との出会いの精神状態でしたね。これはマタイ福音書の十六章二十六節ですが、
 
     人は、たとえ全世界を手に入れても
     自分の命を失ったら
     何の得があろうか。
     自分の命を買い戻すのに
     どんな代価を支払えようか。
 
命の重さ、尊さが、全世界よりも重いんだ、と。戦後は沖縄では「命(ぬち)どぅ宝」という言葉が、命の尊厳性を現すようになったのです。
 
西橋:  命こそ宝だ、と。
 
金城:  「命(ぬち)どぅ宝」という言葉も昔からあったんですよ。特に沖縄戦体験後は非常に重たい意味の言葉として広がってきたんですね。
 
西橋:  一つ一つの言葉が、当時の金城さんの心の中に一つひとつ何か獲得していくような思いでいらっしゃったんですかね。
 
金城:  おっしゃる通りですね。苦しみを背負っていこう、と。それはキリストの十字架によって苦しみを、あの悲劇を負い続けようというのが、私の心境でしたね。
 
西橋:  肉親を亡くされたことと、それからキリストの十字架ということと結び付けていらっしゃいましたね。これはどういうことなんですか。
 
金城:  これは大変私の信仰生活の中で、中心的なと申しますか、重要な要素ですけれども、強制集団死で完全に痛め付けられているわけですよ。そういう意味で、この強制集団死の残酷な記憶というのがトラウマ(心的外傷―外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的ショックを受けた事で、長い間心の傷となってしまうことを指す)になって、絶えず自分を苦しめるわけです。それをキリストの十字架の苦しみ―キリストは罪がないのに万人に代わって十字架にかかって苦しんで死なれました。キリストの十字架の苦難と、私の集団死の苦しみがピタッと重なる。そうすることによって、キリストが私の重荷を、苦しみを負ってくださった、と認識し始める。信仰的には、私の罪の代わりにキリストは十字架にかかって死んだ、と。キリストは十字架にかかって死んだのですが、死を滅ぼして復活された。ここに希望があるのです。そして苦しみが和らげられる。キリストが私の苦しみと絶望を負ってくださっているとの信仰の深まりを認識するようになります。これは人間関係でも、「あなたの苦しみを知っているよ」という、シェア(share:分かち合う)するだけで人間は楽になるものです。それにも共通するわけですけど。
 
西橋:  そのことによって、金城さんの中で何かが変化していったわけですね。
 
金城:  そうです。
 
西橋:  それは何だったんでしょう。
 
金城:  端的に言えば、強制集団死の生き地獄を経て、それこそ絶望的な戦後を歩んできた。そこへ希望の光を見出すということで、これから生きようという、それほど大きな自覚的なものではないけど、少なくとも十六歳の少年にとって、あ、ここに光があるんだ、ということで、一条の光を見出したと言いますか、そこから新しい人生が始まる、ということが言えると思います。
 

 
ナレーター:  愛する家族に手をかけざるを得なかったという苦悩。聖書の中で語られる「命の重さ」「魂の救い」という言葉に惹かれ、希望の光を見出した金城さんは、キリスト教の洗礼を受けたいと願うようになりました。しかし島には教会もなく、牧師もいませんでした。一九四八年二月、金城さんは島を出て、沖縄本島南部の糸満(いとまん)に渡りました。沖縄戦の激戦地だった糸満で、当時伝道活動をしていたのが与那城勇(よなしろいさむ)牧師でした。与那城さんは金城さんに洗礼を授けただけでなく、クリスチャンとしてどう生きるのか、道を示してくれました。戦前歯科医だった与那城さんは、戦後の荒廃した沖縄に必要なことは心の復興だと考え、牧師に転身しました。彼の精力的な伝道は、戦争の痛手から未だ立ち直れない人々の大きな支えとなりました。与那城さんが中心となって手作りの機関誌を発行し、誰にでもわかるよう、イエスの生涯や教えを噛み砕いて伝えることに力を尽くしました。
 

 
金城:  大変印象的なことは、いろんな活動をされているんですけれども、与那城牧師は相手が方言しか通じないでしょう。割と先輩たちの信徒は、方言が自由に喋れるし、聴けるんで、方言で説教を始めた。驚きでしたね。とにかく沖縄戦の廃墟とか、戦後処理というんですかね、特に精神的なケアということで、牧師としての使命を果たしたいという、非常に意欲的な人で、リーダーシップのある先生でした。私はキリストの時代の指導者としては相応しい人で、ひめゆりの塔が出来る前ですかね、教会が建立した石碑があったんですね。あの時に堂々と戦争の被害だけじゃなくて、戦争を起こしたことについての懺悔の祈りもした、というエピソードが残っておりました。
 
西橋:  被害だけじゃなくて、戦争を起こしたという加害の面というんですか、そういうことも、
 
金城:  一早くお祈りをしたのは、日本でもちょっとなかった。与那城先生が最初じゃないかなという気がしますね。
 
西橋:  その与那城勇牧師の元で洗礼を受けられるわけですね。
 
金城:  そういうことです。刳(く)り船で来ていますから、日曜にはどうして間に合わない。それでウイークデイに与那城先生が正牧師になられて私は授洗者第一号になった次第です。奥様がオルガニストで、私の小学校の同級生で糸満高校の生徒だった友人が証人となり、三名だけで教会での洗礼式が執り行われた次第です。その時の感動は忘れることが出来ません。
 
西橋:  どんなお気持ちでしたか。
 
金城:  「地獄から天国へ」という言い方はあんまり相応しくないけど、新しい人生を踏み出して、新たな希望が与えられたのです。あの洗礼式の出来事は、私が生まれ変わるという、文字通り新しい人間・キリスト者としてのスタートになったのです。キリスト者としての命の宗教に目覚めて、新しい出発をしたのです。そういう思い出深い日々だったですね。苦しい集団自決の思い出というのが、心の底にトラウマと言いますか、ズシンとあるものですからね。島を出たいというのは、その厭な恐ろしいあの残虐な集団死を忘れたい、と―正直言って忘れることはできないけど―そういう意味と、沖縄に出て勉強したいという、二つがダブっていたんですね。それとキリスト者になって新しい出発をするということ。
 

 
ナレーター:  働きながら与那城牧師の手伝いを続けた金城さんは、やがて牧師を志すようになりました。二十二歳の時、沖縄のキリスト教会から派遣され、本土への留学生として青山学院大学に進学します。
 

 
金城:  私は、勿論初めて沖縄から島を出て東京の大学に行けたということは大変な誇りと喜びでしたですね。四年間も神学の学問に集中して、意図的にじゃないけども、集中するあまり集団自決の思い出も完全に―記憶が無くなったわけじゃないけど―思い出さないくらい勉強に集中したという。自分の体がどこまで続くかという形で勉強を一日に十五時間もやった。十七時間したら一週間持たなかったですね。
 
西橋:  じゃ、その頃はかつての強制集団死、いわゆる集団自決による痛みからは少し、
 
金城:  解放されたんですね。そういう意味で四年間というのは、私の人生の中で思い出深い大学生活でしたね。
 
西橋:  その頃にははっきりと牧師の道を歩むんだ、というふうに思っておられたわけですね。
 
金城:  そうです。そういう使命感を持って、沖縄キリスト教会からの留学生ですから、責任があるわけですよ。しかも沖縄から派遣されたということで、精一杯神学の勉強して牧師にならなくちゃいけないという使命感が強くありました。
 
西橋:  洗礼を受けられて、「生まれ変わった」というお気持ちになられたというお話でしたけれども、そこまでわかるとしまして、その後伝道者というか、牧師の道を歩むんだという、そこはまた一つジャンプがあるんじゃないですか。
 
金城:  その通りです。まだ牧師というものの実体というか、あるべき姿というのがよくわからない。希望や目標ではあるけれども、まだ牧師の苦労なんてわかりませんからね。そういう意味で与那城先生の牧師生活をかなり見てきて大変だなあという思いはあったけど、それでもやっぱり牧師になることが最大の望みだったわけですね。
 
西橋:  それは与那城さんの牧師としての生き方を側でご覧になって、それで、あ、こういう生き方を自分もしよう、というような思いだったんですか。
 
金城:  ええ。それでもどういう内的な苦労があるかということはよくわからないんですよ。あの時は学生でしたから、神学の学びに打ち込むということに誇りをもっていたということで、牧師は憧れと夢の対象でしかありませんでした。
 

 
ナレーター:  その頃金城さんを捉えた聖書の言葉、信徒パウロがコロサイの信徒へ送った手紙です。
 
     今やわたしは、
     あなたがたのために苦しむことを喜びとし
     キリストの体である教会のために、
     キリストの苦しみの欠けたところを
     身をもって満たしています。
     神は御言葉をあなたがたに余すところなく
     伝えるという務めをわたしにお与えになり、
     この務めのために、
     わたしは教会に仕える者となりました。
       (コロサイの信徒への手紙一章二四―二五)
 

 
金城:  聖書を読み、信仰が深まっていくにつれて、キリストの十字架のお苦しみと、私の集団死の苦悩とがピッタリ重なることによって、内的苦悩が和らげられるという不思議な信仰体験をしたのです。しかし集団死というのは、忘れ去られるべきものではなくて、私の心の中に記憶としてだけではなく、そういう悲惨な戦争で人間が苦しむ、死んでいくということは忘れ去られてはならない。ケースは違いますが、ユダヤ教からキリスト者に改宗した使徒パウロのことを連想させられます。彼はギリシャ、ローマにまで行ってキリストの福音を宣べ伝えました。パウロが神に召されていなければ、新約聖書もキリスト教も生まれなかったでしょう。最初はキリスト者の迫害者だったパウロが、キリストに召されることによって、ユダヤ人から逆に迫害されることになりましす。様々な苦難や迫害を身に受けながら、キリストのために生涯を捧げ、最終的にはローマで殉教したのです。しかし彼の生涯は、キリストの恵みによって愛と喜びと希望に満ち溢れておりました。フィリピ一章二九節には、
 
あなたがたにキリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。
 
と述べられています。この言葉は、私に強く迫ってくるのを感じました。集団死の苦しみはなるべく忘れたい。しかしパウロはキリストのために「苦しむことも、恵みとして与えられている」との言葉は、最初直撃弾のようにも感じられました。苦しむことを避けて生きる訳にはいけない。キリスト教という宗教は、人間を苦しみや罪から解放して、平安を与え、喜びを与える宗教だけれども、苦しむことも賜っているんです。それはキリストが十字架にかかって苦しんだ故に、キリストに在る者もキリストの苦しみに与かるわけです。現在のヨーロッパの優れた神学者であるユルゲン・モルトマン(ドイツの神学者「希望の神学」を提唱)という人を、数年前に沖縄へお招きしたんですよ。講演と説教をしてくださった。彼は、「神も苦しんでいる」と神学を打ち立てた人で、我々は二千年のキリスト教の歴史を見ていくと、初期の時代に、「神が苦しむ」という神学は異端として排撃されたんですよ。しかしこのモルトマン博士は―二十世紀から二十一世紀にかけての優れた神学者ですが―「神が苦しむ」ということを堂々と神学の中で打ち出したわけですね。これは昔だったら異端ですよ。キリストは十字架にかかって苦しんだ、と。神は―キリストは神の子でしょう、自分の御子を十字架に掛けて苦しんだ、と。この苦しみは、父と子の共通の苦しみなんですよね。で、苦しむことのできない神は、人間以下だ、と。「人間だって愛する人のために苦しむ、と。苦しむことは愛の一つの表れだ」というふうに積極的にキリストの十字架の苦しみ、キリストにあって我々も苦しむという神学を学ぶことによって、私はこの集団死の苦悩というものをやっぱり自分の中で消してはならない、と。そういう意味で私は、集団死を体験した一人として、特にクリスチャンとして少ない人間の一人として再び戦争を起こさないために、平和を打ち立てるために集団死の悲惨さ、苦しみを証言し続けることが平和の証言になるんだ、というふうに結び付ける。これが今の私の信仰ですね。
 
西橋:  東京で学んで沖縄に戻って来られる直前に三軒茶屋教会で強制集団死の体験をお話になった。何故その時に話そうというふうに思われたんですか。
 
金城:  三軒茶屋教会というのは、第二の心の故郷のようで、奥興牧師始め、信徒との深い交わりがあり、神学生及び一信徒として育てられました。そういう意味でとっても良い関係があって、思い出深い教会なんです。それでやはり私の信仰の中で一番重要なと言いますか、強制集団死の体験、痛みというのは、どうしても自分の信仰における概念の問題として、一度は語らなくちゃいけないという思いは前からありました。それがもうそろそろ沖縄に帰る。そういう別離のさようならの時期が迫ってきたので―卒業直前でしたかね―三軒茶屋教会で自分の内面のすべてを語る。家族の中で語るような思いでそれを告白し、そういう説教になったわけです。
 

 
ナレーター:  沖縄に戻り、牧師の道を歩み始めた金城さんに響いた信徒パウロの言葉、
 
     わたしは、
     イエスの焼き印を
     身に受けているのです
     (ガラテヤの信徒への手紙―六章一七節)
 

 
金城:  「焼き印」というのは、パウロがキリスト教宣教の中で迫害を受けた、その迫害のことですね。それを彼の内面にはあったわけでありまして、キリストは私のために死んだのだから、自分もキリストのために生涯をかける、と。そういうことも聖書の教えとして私に示されて、そこで三軒茶屋で強制集団死の証言をし、そして帰って来てから、だんだんに私も強制集団死のことを、再びあのような過ち、残虐な行為が行われない、起こしてはならないために敢えて証言する、と。というのは、だんだん時間が経つにつれて強い思いになってくる。だから八十を越えている。なんかそれに対して私は非常に強く押し出されている思いで、要請があるところには、どこへでも飛んでいく、という形で、足腰が立つ間と申しますか、老齢化して呆けない間はやっぱり語り続けようというのが、平和を実現する者の一人として、集団死については証言し続けております。
 
西橋:  お話を伺っていますと、敗戦直後の苦しみが徐々にキリスト教とのいろんな関わりの深さによって、その苦しみそのものが変質してきたというような、
 
金城:  変質という意味じゃなくて、苦しみを受け止める姿勢と言いますか、それは正面に受け止める。戦後の二十年ぐらいですかね、その頃は「話してくれ」と言ったら応じて体験を話をするわけです。だけど原稿を書いたりする、そういう時間に苦しむわけですよ。そして寝られなかったりしたんですね。あまりにも強烈ですから。それがだんだん乗り越えられてくる。それはキリストの十字架の信仰によって乗り越えてきたという意味で、今は積極的に集団自決を語らないことには平和は語れない、というのが、私の信仰の確信と言えるんじゃないかと思います。
 

 
ナレーター:  沖縄戦最大の悲劇とも言われる強制集団死。その生き残りである金城さんは、キリストと出会うことで生きる希望を見出し、過酷な体験を正面から受け止められるようになりました。その信仰の深まりは、また一人の信徒として自らの内面を凝視するだけでなく、積極的に集団死を語り、命の尊さを訴え、平和をつくりだす人々を育てていく、という社会的な広がりともなっていきました。沖縄キリスト教学院大学・短期大学。戦争で荒廃した沖縄の再建を目的として創設された沖縄で初めてのキリスト教系の大学です。沖縄戦で九死に一生を得た当時若い世代に、新しい沖縄を作る精神を養ってほしいという志から生まれました。当初は校舎もなく、教会を仮校舎としてスタートしました。授業も教会の礼拝堂の中で行われました。金城さんも大学の設立に参加、初代学長となった仲里朝章(なかざとちょうしょう)牧師に大きな影響を受けます。仲里さんは戦中教師として多くの教え子を戦場に送り込み、戦後その反省から伝道者となりました。金城さんは、この大学の教授となり、後には学長を務め、沖縄戦の残虐から立ち上げられた大学の使命を守り続けてきました。
 

 
西橋:  金城さんご自身も創設に関わったということですけれども、創設の方たちの思いは、やはりご自身のそれぞれの沖縄戦での体験というものが土台におありだったわけですか。
 
金城:  おっしゃる通りですね、教師も学生も関わった牧師もみんな沖縄戦体験を持っているんですね。あるいは身内の方を失って遺族になったとか、再びこのような残酷な戦争、戦争そのものを繰り返してはならない、と。仲里先生のお話をしますと、戦時中は那覇商業学校の校長をしておられたんですね。
西橋:  教育者でいらっしゃったわけですか。
 
金城:  そうです。ご本人は戦前、戦中の教師ですから、国の政策で皇民化(こうみんか)教育を授けた。クリスチャンだけれども、痛みを覚えながら、生徒たちに国家主義教育を施してきた、ということについての非常に激しい反省があった。そしてもう二度と教壇には立つまいという思いがあったんですけれども、平和教育のキリスト教の学校を始めたいという思いが強くあって、キリスト教育なら自分は先頭に立ってやろう、と。仲里先生の教育方針というのは、キリストの教育。キリスト教主義の教育じゃなくて、キリストの教育という。そういったご希望が強くあったんですね。
 
西橋:  キリスト主義教育じゃなくてキリスト教の教育、その二つの違いがどういうことなんですか。
 
金城:  キリスト教主義教育というのは、キリスト教に基づいたものであり、理念的な要素が強いわけですね。キリストの教育というのは、生きたキリストが当時どういう教えをしたのかという。人格的な、そういう救い主キリストの言葉を、例えば教育にそのまま活かすとか、キリスト教主義になると理念的な形になるんで。仲里先生は戦前、戦中は牧師ではないんで、戦後信徒から牧師になった人ですね。
 
西橋:  どちらかというと、若い学生を育てるわけですから、
 
金城:  人間教育なんですよ。
 
西橋:  キリスト教による平和教育という考え方は、もともとキリスト教の中にそういう平和に対する思想というものが含まれているわけですね。
 
金城:  一番基本にあります。福音宣教とキリストのメッセージを語り伝えるというけど、それは平和の福音ですね。イエス・キリストが平和の主である、と。旧約時代―新訳時代もそうですけれども、平和というのは神様から与えられるもの。それは間違いないけれども、日本語の古い聖書には「平安」という言葉は多くあるけれども、「平和」という言葉は少なかったですね。だから我々はキリスト者の教会は、平和の福音が宣教の目的だから、平和による教育、ピースメーカー(peace maker:平和を実現する人々)を養成するキリスト教学院を建てようという狙いがあったのです。
 
西橋:  ピースメーカーというのは、先ほどお話にでました「平和を実現する」という言葉と結びつくわけですか。
 
金城:  はい。マタイ福音書にあります
 
     平和を実現する人々は、幸いである、
     その人たちは神の子と呼ばれる。
      (マタイによる福音書―五章九節)
 
聖書でも最高の称号というか、神の子はキリストだけなんですよ。我々は人間の子。しかしキリストによって、あなたは神の子というふうに呼ばれるようになるんですね、人間だけれども。そういうことで平和を実現することは最高の教会の使命で、福音宣教にもキリストの御言葉、救いを述べ伝えにも平和の福音、と。ですから平和と無関係にキリストの教えを伝える、伝道するんじゃなくて、キリストによる平和教育、その中にキリストの教えが不可分に結び付いているわけですね。
 

 
ナレーター:  金城さんたちが繰り返し語り続けてきた聖書の言葉、
 
     あなたがたは地の塩である。
     だが、塩に塩気がなくなれば、
     その塩は何によって塩味が付けられよう。
     もはや、何の役にも立たず、
     外に投げ捨てられ、
     人々に踏みつけられるだけである。
     あなたがたは世の光である・・・
     あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
     人々が、あなたがたの立派な行いを見て、
     あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。
       (マタイによる福音書―五章一三―一六節より)
 

 
金城:  塩というのは辛(から)いですね。腐敗防止の役割を果たす、と。それからまた食べ物に入れると、いい味付けをして美味しく食べられるようにするという意味で、キリスト者は、社会というのはいろいろ乱れていて、罪が行われている。腐敗防止をしながら社会的人間関係の中でいい味付けをするという。そういう愛の関係とか、ただ説教するとか、キリストの言葉を聴け、というんじゃなくて、人間関係も潤すというか、これは良い香りを周辺に放つもので、二つの意味があるんですね。それに伴って世の光―闇を照らす。もともと光というのはキリストなんですね。光と言っても具体的な光じゃなくて、キリストは暗闇を照らす眞(まこと)の光ですよ。その光を我々も少しずつ頂いて、暗い闇を照らす、と。人間の暗い思いを明るくするとか、そういう塩と光というのは、塩は食べ物の中に入れることによって溶けるんですね。光はまた燃焼することによって消えていく。闇を照らしながら消えて行く。これは自らを捧げ尽くして他者を生かす犠牲的精神だと思います。塩も食べ物の中で溶けることによって食べ物を味付けしてその本領を発揮する。キリストは「あなたがたは、地の塩であり、世の光である」と言われているのであって、「地の塩、世の光になりなさい」とは言っておられない。
西橋:  このチャペルの入り口に、
 
     あなたたちは真理を知り
     真理はあなたたちを自由にする
       (ヨハネによる福音書八章三二節)
 
という言葉がプレートにして壁にはめ込まれてありますね。この言葉はどういうことなんですか。
 
金城:  これもキリストの御言葉で、ヨハネの福音書八章三二節に記されており、キリストご自身が真理なんです。キリストご自身を同じように、道であり、真理であり、命である、と。ですから人間の根幹的な、根元的なものが全部含んでいるわけですね。キリストが真理であるというのは、罪やそういう非人間的な状況から解放する。そういうものだけど、これ命に通じ、それから道というのは神に至る正しい道を歩む、と。そういう意味で真理を探究することも、究極的にはキリストに通ずるんだ、と。そういう意味で倫理と宗教が、それぞれ分野は別にあるけれども、キリスト教的には、究極的には神の子キリストに繋がっていく、と。しかしそれは強制してはいけない。キリストの学校では、スローガンにキリスト教育をするということがあるわけですから、敢えてキリストの言葉である「真理はあなた方に自由を得させる」ということと、チャペルの道を進んでいるということは、これはシンボリカル(symbolical:象徴的な)なんですけれども。
 
西橋:  お話を伺って、金城さんは、少年時代は軍国少年で、強制集団死を体験なさって、戦後になって聖書と出会われて洗礼を受けられた。洗礼を受けられて、もう六十年以上ということになりますね。振り返ってご覧になって、今どういう考えをお持ちですか。
 
金城:  沖縄戦体験というのは、耐え難い。もし信仰に入っていなければ自殺する道を選んだかも知れない。そういうことで、悲惨な体験はなるべく忘れたい、と。それがやはり今までもある程度解放感はあるけれども、十字架の信仰によって信仰が深められて、集団死を前向きに受け止めることができた。それは平和を志向し、平和を目標として平和に生きる国際関係、人間関係のベースとして集団死があった、ということを記憶から消しちゃうと、ほんとに平和をつくろうということが観念的になりかねない。
 
西橋:  亡くなった方たちへの金城さんの思い、あるいは亡くなった方たちの魂と言いますか、そういうことへの思いが、金城さんをずっとここまで苦しめた。
 
金城:  これは今でも私は加害者意識を持っています。泣いて母、弟、妹たちに手を掛けて、泣いたんです。で、私は国家に対して、軍隊に対しては被害者なんです。強制された枠の中で、殺したという殺意はないけれども、加害者意識はずっと持っています。そういう意味で、過去に過ちを犯したことについて、ドイツのヴァイツゼッカー(ドイツ第六代連邦大統領)の次の名言で覚醒させられました。
 
     過去に目を閉ざす者は
     現在が見えなくなる
      (敗戦四十周年の連邦議会で行った演説の一節)
 
彼は、過去の戦争というのは、体験しない人も、過去の戦争体験の帰結のなかに今過去に対する責任を負わされているのである。だから戦争体験のない子や孫もみなが過去を引き受けねばならない≠ニも言っております。信仰の継承に似た発想があるんですね。
 

 
ナレーター:  ヴァイツゼッカーの言葉と共に、金城さんが忘れられないのは、ナチスの強制収容所を生き延びた精神科医V.E.フランクル(精神科医「夜と霧」の著者:1905-1997)の言葉にも触れていますね。
 
     人は失望によって死に
     希望によって生きる
 

 
金城:  フランクルが、アウシュビッツ収容所で、一九四四年のクリスマスから四五年の新年にかけて続々と死者が出たことを語っております。それはどうも栄養状態が悪かったわけでもない。あるいは伝染性の病気でもない。どうしてあのように人が死んだのかと、よく調べてみたら、クリスマスに解放されるだろうと思ったけれども、それが裏切られた。解放されなかった、と。絶望した人々は死に、希望を持ち続けた人々は生き延びた、と言う。一人の男性は―学者で、地理学の研究がまだ残っている、と。ある人は、娘が海外で自分を待っている、と。自分に絶望した時に、やって外から希望がやってくるんだ、という。これを「コペルニクス的転回」と言っています。フランクルは、どんな絶望的状況の中にも、人間にはなお希望が残されていることを明言しております。私は深い感銘を受けました。「信仰・希望・愛」というのは、ご存じのようにキリストの三本柱だけれども、私はよく高校生、中学生に、「あなたたちはlive―生きる、love―愛する、believe―信ずる、という英語はお分かりでしょう。これら三単語の語源は同じなんですよ。これはキリスト教的な影響を受けた言葉だろうと思うのです。だから「生きる」ということは「愛すること」、「愛する」ということは「信ずること」であります。人類はアダム以来皆罪を犯しました。意識するしないに拘わらず、神の前には、すべての人間が罪人であります。人間を罪から救い出すために、神の子イエス・キリストがこの世界に人間として送られました。罪なき者が、極悪犯罪者として十字架刑に処せられたのです。これは創造者なる神が、御子を通して全ての罪人の責任を取られたことを意味します。神が人間に求められることは自らの罪を認識して悔い改めること≠セけです。強制集団死の罪に対しても罪の告白だけが求められるのです。ご自分の似像に人間を創造された神が、人間に究極的に責任を取られた真実の姿がキリストの十字架の現実であります。二十世紀の著名な神学者カール・バルトが、最期に神のみ前に立つ時の言葉は、「主よ、哀れな罪人を祝福したまえ!」であると言う。私ども弱い者に、平安と喜びを与える信仰の言葉なのであります。
 
     これは、平成二十一年十二月十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである