種まく人に
 
                      牧師・農業 阿 蘇(あそ)  敏 文(としふみ)
一九四○年、日本占領下の北朝鮮の清津に生まれる。青山学院大学文学部神学科・同大学院修了。弘前学院聖愛中学、高等学校宗教主任、女子学院中学、高等学校聖書科教師等を歴任。一九七五年から一九六六年まで、日本キリスト教団百人町主任担任牧師、現在は同教会の担任牧師、日本キリスト教団「働く人」編集委員、日本キリスト教協議会「核問題小委員会」委員等を歴任。一九八八年より河合塾コスモの農園担当講師。八六年から現在に至るまで、日本キリスト教協議会「フィリピン委員会」委員。「JFCを支えるネットワーク」共同代表。フィリピンの非営利団体「マリガヤハウス」理事長。NPO法人「フードボートジャパン」理事。「原子力行政を問い直す宗教者の会」世話人。茨城県竜ヶ崎市の畑2反、田一反で有機無農薬の農業を営んでいる。著書に「現場からの道」。
                      き き て 山 田  誠 浩
 
ナレーター:  茨城県の、とある野菜畑。これは大手予備校の講座、農園ゼミの一こまです。講師を努めるのは阿蘇敏文さん。一年を通して若者たちと有機農業に取り組みます。この日はジャガイモの植え付け。畑に自分たちで作った堆肥を入れます。参加しているのは、高校を辞めたり、行かなかったりした若者たちです。学校とは違う学びの場で、大学への進学など将来を模索しています。農園ゼミは教科の授業だけでなく、幅広い体験をしながら豊かな視野を育てられるようにと設けられています。参加者の中には、学校との齟齬(そご)や虐め、不登校など、心の苦しみを体験した人が少なくありません。阿蘇さんは、キリスト教の牧師をしながら教師として働き、二十年ほど前から予備校でゼミを担当するようになりました。これまでは若者たちと共に働いてきましたが、今呼吸器の難病のため自由に動けません。酸素を吸入しながら作業を見守ります。阿蘇さんは、自分とは何か、探し求める若者たちの姿をこの農園で見つめてきました。年に四、五回合宿も行われる農園ゼミ。農作業と共に欠かせない時間があります。みんなで育てた作物を素材に全員で食事を作ります。一週間の出来事や自分が感じたことなど、自由に話し、共有する食卓を、阿蘇さんは大切にしてきました。
 
阿蘇:  食べましょう。じゃ、いいですか。作ってくれた人、ありがとう。じゃ、みんなで頂きましょう。頂きます。
 
学生:  頂きます。
 
ナレーター:  阿蘇さんが若者と共に農業をする時間を通して見出したものは何なのか、伺います。
 

 
山田:  農園ゼミというのを二十年ぐらい続けていらっしゃるということなんですけども、高等学校の卒業資格試験を受けるためのコースということですから、そういうことをめざしている学生たちだと思うんですけども、子どもたち自身はどういう状態の学生たちが多いんでしょうか。
 
阿蘇:  子どもはいろんなタイプの人たちがいます。「僕なんか辞めさせられた」というような表現はあまりしないんですけども、自分が積極的に辞めた、と。そういう、いわゆるレールに乗っていけば真っ直ぐ行ける、というようなところでなくて、自分で考えて主体的に、親に「この学校を辞めたい」というわけですよ。そうすると親だってそんなに簡単に入ったところを「辞めなさい」と認めたくないでしょう。だけどそれにも関わらず、子どもは主張したり、実際に動けなくて行かなかったり、そういうある意味でエネルギーを持った子たちなんですね。社会的にみると、エネルギーがないかも知れません、見えないかも知れない。しかしその子どもの本質の中に猛烈なエネルギーを持っていると思うんですね。でっかい日本の教育制度を自分から抜け出そうとするわけですよ。そのエネルギーって凄いと思いますね。
 
山田:  今の教育制度の中では、はみ出して出ていくことになるけれども、それは出ていくというエネルギーを自分で判断している。そういう力がある子だという。
 
阿蘇:  僕はそう理解するんです、基本的に。そういう子どもでもやっぱり一つの社会のレールから抜けた時というのは、やっぱり心になんかやましいものというか、後ろめたいものを持つわけですよね。みんなと違う生き方をしなければならないというだけでね。真面目に考えれば考えるほど、そういう。ですから非常にセンスの良い子、頭の逆に良い子、それと同時にそれ故に心を痛める子どもたちがたくさんいるんですね。
 
山田:  そういう若者たちと実際に農園ゼミですね、農業を一緒にやるという形で生活することになるわけですか。
 
阿蘇:  そうなんですね。農業というのは巾が広いんですね。例えば土を耕すだけが農業じゃない。種を蒔くだけが農業じゃないわけですね。種一つとっても、種苗というのはたくさんの可能性を持ったものです。土壌にしろ、気候にしろ、水にしろ、それから農業土木にしろ、それから作物の流通にしろ、農協にしろ、もう農民文学にしろ、例えばある時、農園で漢文の先生と一緒にゼミをやったんですよ。どうするのかというと、漢文で農業というと、その時漢文の講師が中国の農業風景の漢詩を持ってきたんです。それをその農園で地べたに坐って、漢詩をみんなで勉強して、中国農業の風景をみるわけですよ。芸術があって、そして物を自分で作って、例えば自分で小屋を建てるとか、動物を飼うとか、それから採れたもので加工するとか、あらゆるものが含まれているんですね。
 
山田:  そういうことは学生と共にやりたいというのは、学生たちに何をこう?
 
阿蘇:  農園では、あらゆること、可能な限りチャンスを作って勉強したいと思っているわけですよ。ですから原発のことも勉強しますし、それこそ日本の核の勉強もしますし、軍事の勉強もしますし、経済も勉強するし、そういうような、あらゆる可能な限りいろんな場を提供したい。例えば先ほどいろんな農業の巾があると言いましたけれども、彫刻展に連れて行ったりもします。それから美術展にも連れて行ったりします。海外から来ている人たちでいろんな国々の人たちにその国の農業について話をしてもらうこともあります。そうすると、その農業と今度日本がどう繋がっているか、という問題になるわけですよ。その場ではできないんだけども、後でみんなでフォローして、日本とその国の農業関係、経済関係、こういうのをずっと勉強していくわけですよ。そうすると、子どもたちはどんどん世界が広がる。例えば僕の友人たちが訪ねてきたりします。それが近所の地元の人だとか、あるいは地元の彫刻家だとか、芸術家だとか、建築家だとか、それぞれ専門の仕事をしている人たちですよ。ある時は屠殺(とさつ)をしている人と親しくなっていて、その人が一日に四百頭の豚の腹を切る仕事をしている。その人から屠殺の話をしてもらったりね。それは私たちが豚を食べているという現実を知ることとか、まあそんな人が来るとか、いろんな種類の人が来ますよ。田植えだとか、稲刈りだとかという時には、外国人もたくさん来ます。アジアの人たちがたくさん来ます。そういう広がりの中で、彼らが出会って、目の前で国際的な社会というか、そこにあるわけですよ。そういう場に自分がいるということ、これはやっぱりかなり大きいんじゃないかと思いますね。
 
山田:  ということは、そういう体験を今までしたことがないまま育ってきているということでしょうか。
 
阿蘇:  そうでしょう。あそこの農園という場によって、質が変わるものと出会うんですね。例えば時間でいうと、我々の時間というのは時計で一時間二時間とか分で、それから学校もそうですし、テレビもそうですし、汽車も電車もみんなそうやって決められた時間に区切られているじゃないですか。そういう生活を全部しているわけじゃないですか。ところが農園に来ると、ある意味で時間は関係ないわけですね。日が出ると働いて、日が落ちると仕事を止める、と。日が落ちるたって、夏は落ちるのは遅いし、冬は四時ぐらいになったら寒くてやっていけない、と。そういう時間が違うし、物を植えたら育っていく時間というのは、物によって違うわけですよね。そういう時間の流れを彼らは体験するし、それから稲一本だって、この稲は昔から種が繋がってきたわけですよ。そういう永遠の時間を彼らが農園の中で、自分がその場に入るわけですよ。それを本当に意識しているかどうかわかりませんけども、そういう延々と流れている時間の中に彼らは触れるわけですね。それから今度は時間だけじゃなくて、空間もそうです。それはそういう空間と時間の広がり、無限さというか、広大さ、自分はどこにいるか、ということが見えてくるわけですね。自分が立っている位置が、そういう広がりの中で、その人たちと接することによって、物と接することによって、今自分はどこにいるんだろう、ということが見えてくるんだろうと思うんですよ。自分の立っている場を感じてくるんでしょうね。
 
山田:  牧師としての阿蘇さんにとっては、この場所というのはどういう場所というふうに考えていらっしゃるんですか。
 
阿蘇:  そうですね。私はそこにいる子どもたちにキリスト教の話をするわけじゃないし、聖書の話をしたり、お祈りをしたり、証詞(しょうし)をするなんていうことはしないんですね、一度もしない。だけども別にしなくても、そこに人がいて、一緒の思いをして、そして食事を感謝して、作った人にも食物にも動物にも感謝して食べるというのは、これはお祈りの気持と一緒ですよね。お祈りですよ、みんな。そういうようなことで、私は別にそこでそういう宗教儀式をする気はないし、それから農園に来ている子どもたちに、僕は聖書を語るとか、神様を語るとか、そういうようなことはしないですね。
 
山田:  それは一切なさらないんですか。
 
阿蘇:  一切しないですね。神という言葉は使わないかも知れませんね。使う必要がないですね。
 
山田:  それはどういう意味ですか。
 
阿蘇:  使わなくても、例えばそこに悩んで、傷ついて、苦しんだ人がいて、その人が農園に来て、人と出会って、自然と出会って、いろんな歴史と出会って、そしてその人がいつの間にかよみがえって。死んだ状態です、そういう意味で。精神的に死んだ状態で来ていて、苦闘して、そういう人が元気になって出て行く。甦ってくる。まさに復活するという。そういう出来事がそこにいっぱい起こっているわけですね、農園で。それはまさにキリスト教そのものですよね。
 
山田:  そうすると、そこはやっぱり阿蘇さんにとっては大事な宗教というんでしょうか、キリスト教の場所ではあるわけですね。
 
阿蘇:  キリスト教の場ではないです。あれは普通の農家の食卓であり、ゼミの食卓であり、しかし「共会(きょうかい)」ですね。「きょうかい」と言っても教える会の教会ではなくて、共にある会ですね―「共会」。キリスト教の教会の本質は、人間を本当に人間一人ひとりが自由であって、解放されていて、喜んで生きていいんだよ、と。そうやって励ますのが教会ですよ。私はそこで食卓を囲んでいる子どもたちが、みんな自由で、主体的で、そして仲間と共に生きられる人。苦しみを持ちながらも生きていく、そういう勇気のある人。その人たちがそこにいるということは、それが教会であって、それが僕の考え方ですし、僕の信仰の理解です。
 

 
ナレーター:  阿蘇さんは、一九四○年、鉱山の技師として働く父の元、今の北朝鮮チョンジン(清津)で生まれました。五歳の時に敗戦。両親や妹と山に身を潜(ひそ)めながらの逃避行の末、青森県弘前市に引き揚げます。生まれたばかりの妹は餓死。阿蘇さんは朝鮮半島のお婆さんたちが差し出してくれたおにぎりで命を繋ぎました。貧しさの中、キリスト教に出会い、洗礼を受けたのは高校一年生の時。聖書が描く、持てるものを分かち合い、すべての人が支え合って生きるという世界に、阿蘇さんは理想を見出していました。一九六○年、大学に進み神学を学びます。当時大学では聖書に書かれたことを歴史的科学的に検証しようとする新しい学問が盛んに取り入れられていました。
 

 
阿蘇:  大学に入った時の僕は、非常に純朴な、ナイーブ(naive)な信仰の持ち主ですよ。伝統的な信仰を伝統的な教会から教えられて、そしてそのまま信じて、それは僕なりの解釈があったとしても、基本的にはその教理で、教えられたものを信じて、真面目にやってきて、神学校に入ったら全然違うことを教えられるわけですよ。つまり学問としての、神学も学問ですから、科学的に扱うわけですよ。そうすると信仰というのは学問じゃないですから、持っているものが自分の考えていたものと全然違う。バラバラにされるわけですよ。例えばイエスという人の人物が聖書に書かれてあって、物語があるわけですよ。だけど例えばクリスマスにしろ、復活にしろ、そういう物語がイエスが生まれて、ユダヤの馬小屋に生まれて、それで十字架に架かって死んで、復活して天に還っていって、またこの世にやってくる、というようなものの考え方、神学なわけですよ。ところが僕らが習った神学では、クリスマスというのは、クリスマスの物語として後でくっつけたものだ、と。それから復活したというのも後でくっつけた物語で、それはその二つの大きな枠を外すと、真ん中にイエスの生涯が残るわけですよ。この地上で生きた生涯が。で、さらにその生涯生きたけども、いっぱい書かれてあるけれども、イエスが語った言葉というのは本当に少ないわけですよ。ところが丸ごとイエスの教えだと思って信じているわけですよ。僕は神学校で学ぶことによって、それらはそういうものでない、ということを学ぶことによって、自分が思っていたものがボロボロ取れていくわけですよ。学べば学ぶほど学校へ行くとグラッと魅力的な学問に引っ張られて、現代的な科学的な神学という学問に引っ張られて、また片っ方自分の古いものに戻っていくという。こういう振り子のような生活を神学校の学生時代過ごしましたね。
 
山田:  つまり今まで信じておられた聖書に書かれていることの内容が、そのことによって否定されるんですか。
 
阿蘇:  全面否定なんかし得ないと思いますね。ただそれが本当の信仰か、という問いはきますよね。剥ぎ取っていって、イエスの最後の姿が―残った骨と皮ばかりのイエスが浮かび上がってくるわけですよ。「このイエスでもういいか」と僕は問われて、僕は前の理想的なイエスじゃなくて、「このイエスでいい」と。さらにこのイエスがこの地上を歩んだということが、いわゆる歴史的な人物として、何月何日から何月何日まで生きた人物でなく、という形で、いなくてもいいと。で、そこにいたイエスという人が、貧しい、弱い、虐げられた人たち、差別された人たち、痛んだ人たち、その人たちといつも一緒にいて、その人たちの側に立って、そしてその人たちがイエスと出会うことによって、喜んで元気になって社会の中で生きていくことができた。そういう解放者のイエス。そのイエスを私は信じよう、ということになったわけですね。
 

 
ナレーター:  大学院を卒業後、青森県のキリスト教主義の学校で教師・牧師となった阿蘇さんは、ある研修会に出会います。それはキリスト教の各教派の人々が集まり、立場の違いを越えて、教会を革新するための神学や方法論を国際的に研究しようとする場でした。一方的に教義を教えるのでなく、一人ひとりの可能性を引き出す教会。それぞれの社会の課題に積極的に関わる教会をめざすという考え方に、阿蘇さんは深く共感します。その後アメリカのシカゴにある本部に留学して、一年間学び、議論を繰り返す日々を送りました。
 

 
阿蘇:  そこで出会ったのは驚きであり、自分の考え方に非常に大きな影響を与えたと思いますね。やっぱりこれまでは学校の教師にしろ、牧師にしろ、リーダーというのはある意味で上から教えるという。引っ張っていくという。そういう考え方をしていたんですけども、そこに行くことによって、そういうリーダーというのはある意味で時代遅れというかな、そういう考え方はしない、と。リーダーは教えるんじゃなくて、みんなが話せるような場を提供する。
 
山田:  話せるような場を提供する?
 
阿蘇:  そうです。その人たちの考えを聞ける人間となる。別な表現をすれば、そこで聞く人間というか、仕える人間というか、下準備をする人間というか、そういうあり方が本当のリーダーなんだ、ということを、そこで学んだような気がするんですよ。ですから百八十度逆転しましたね。みんなの考えを僕が聞いて引き出すというかな。教育の基本というのは引き出すということじゃないですかね。それが当たり前のようになったし、子どもと会話をするという技術も学びましたね。例えばいろんな技術がありますけれども、一枚の絵を見て、その絵を通して、子どもたち全員と会話ができる、という方法を学びましたね。「この絵はどうでした?」って、例えば質問します。あるいは映画を見て、「今日の映画はどうだった?」という、そういうことを普通質問するじゃないですか。これだと、答えは大体決まるでしょう。「今日の映画は良かったよ」とか、「あまり面白くなかった」とか、「あそこの場面は良かった」とか、まあその次は進まないですよ。だけど僕はそこで学んだことは、この一枚の絵を見て、「この絵の中に何色がありますか?」という質問します。そうすると百パーセントの人が答えられますね。赤あり、黄色あり、緑あり、白ある、と。で、その次に「何が描いてありますか?」という。「木があって、犬がいて、人がいて」とかって答えられますよね。そうすると、それは客観的な質問ですよ。百パーセントの人が答えられますよ。次に、「この絵をどこでもいいから切ってください」と。「二つに分けてください」と。「半分にしようが、端っこにしようがどう切ろうが、曲線であろうが、あなたはどっちを取りますか?」と。「私はこっちを取る」「あっち取る」と言いますね。それはその人の判断が入っていますよね。そこでもまだ答えられますよね。あるいは、「その絵の中からどんな音が聞こえますか?」とか、あるいは、「どんな言葉が聞こえてきますか?」とか、という質問をします。そうすると、全員答えられるとは限らない。その次に、「あなたならこの絵にどういう言葉を付け加えますか?」という質問をしてみます。そうすると、もっと答えられなくなります。そして、「この絵は題があるけれども、あなたならこの絵の題を何と変えますか?」という質問をします。もっと答えられません。さらに、「この絵の中で起こっていることと、あなたの人生の中で起こっていることの共通点はどこにありますか?」という質問をする。そうすると、これはなかなか答えは返ってこない。返ってこなくても、そういう質問をすることによって、最初はわぁわぁ手を挙げて答えているのが、だんだんだんだん静かになってきて、ずっと自分の内側を見てきます。で、そのことによって、この絵は何を語ろうとしているのか、という絵と自分とこの絵を通して、何かを語ろうとする絵描きとの出会いが、対話が可能になってくるわけですよね。火を見た時も、火について会話をすることも可能だし、石でも水でも、いろんな会話をする時に、その基本がわかっていると会話ができます。そういうことを身に付けて、教会で教会の人と対話をする。あるいは学校で子どもたちを対話をする。そういう時に凄く役立って、前だったら教師として、何か質問しているという単純な質問じゃなくて、もうちょっと深いところでその子を理解しようとするというふうに変わっていくわけですね。
 
山田:  それは農園ゼミでも活きているんですか?
 
阿蘇:  もう十分に活きていて、凄くどの場面でも―キャンプファイヤーをやって、みんなで火を燃したとしますよね。その火を見ながら、「あなたが一番最近見た、このキャンプファイヤー以外の火が燃えているのはどこで見ましたか?」という質問をします。そうすると、「ああ、あそこで見た」「ここで見た」「ここで見た」と。その次に、「一番小さい時に見た火で記憶のあるのはどういう火ですか?」という質問をします。そうすると、みんなも考えて思い出して、過去を振り返って言いますね。「火はどんな作用をしますか?」と。「火は暖かいし、人を温めてくれるし、それから調理もできるし」という答えが出てきますね。「だけど、破壊的力はないんだろうか?」って。そうすると、「火は火事だ」と答えますね。「この火というのは、もう一つ人間の最期の時に火を使うんじゃないのか?」って質問します。そうすると、みんなギョッ!として考えるわけですよ。そうすると、ずっと考えて、「火葬場で自分を燃やす火にもなる、と。そういう火である、と。この火と自分はそういう深い関係を持っている」と。最初は百パーセントの人が答えられる。次は七十五パーセントの人が答えられる。次は五十パーセントの人が答えられる。後はもう少数の二十五パーセントの人ぐらいだ。最後の質問の方では、誰も答えが出てこない。みんなと一つの火を見ながら、水を見ながら、絵を見ながら、みんなの実存と僕の実存の、みんなが深いところで考えることによって一つとなるということが―一体とはなりません―深いところで考えてということにおいて一体となります。そういうことを学びましたね。
 

 
ナレーター:  阿蘇さんは、留学で世界各国の人々との繋がりができたことをきっかけに、アジアの貧困や開発の現場に足を運ぶようになりました。そこで目の当たりにした貧困と日本との関係。アジアの貧しい人たちと共に生きるためには、消費一辺倒の自分自身の暮らしを変えなければならない。そう思った阿蘇さんは、自給自足をめざし、農業を学ぶようになりました。その頃、阿蘇さんは予備校の講師となり、日本やアジアの食糧問題を考えるゼミを開いていました。そこで学ぶ若者たちに、農業をやってみないか、と声をかけます。焚き火を焚いて作った鍋料理で暖を取りながら、使われていなかった川崎市の住宅地の一角を、自分たちの手で開墾していきました。手探りで始めた農業。阿蘇さんたちは、思いも掛けない苦労と喜びを味わうことになりました。
 

 
阿蘇:  竹の根というのは、想像以上に、十メートルとか続くわけですよ。それが縦横無尽に走っているわけですよ。子どもたちと始めた時は、わぁそれはもう一日に五メートルと進まなかったですよ。巾一メートルで五メートルを土を綺麗にするというのはね。それを始めた時、農業やっているのか、土木事業やっているのかわからなかったですね。その時に、子どもたちが、「やる」と言ったから子どもたちと一緒に始めて、一回目はそれをやった。次の週に、子どもたち来るかな、と思ったんですよ。あまりに大変だから。スコップだって何も持ったことない子どもたちですよ。そうしたら、次の週全員来たんですよ。それには感動しましたね。いや、ビックリしまして。また次の週も同じように働いて、そして何もないところで外で地べたに坐って、薪を拾って来て飯盒で御飯炊いて食べる。そしてヘトヘトになってみんな帰って。三週―三回目ですよね。さてこの次はどうだろうか、と行ってみたんですよ。そうしたら一人以外全員来たんですよ。一人来なかったな、と思ったんですよ。そうしたら、終わる頃にその子がやってきたんですよ。実は自転車が途中で故障したかなんかで。いや、これは嬉しいな、と。子どもたちも一緒に本気で―本気でというか、新しいことをすることの喜びを子どもたちも持ったわけですよね。私自身も農業始めて、農業それ自身私もやったことないわけですよね。自分はそれこそ経験したことがない。喜びを私も体験しているわけですよ。子どもたちとも体験したと同じように。
 
山田:  それは例えば大変なこと、汗かいてやることが意外に楽しかったということですか。
 
阿蘇:  そうです。我々のところは有機農業ですから、草との闘いですね。もう春から冬までずっと草を取っていますよね。取っても取っても次のところまた出てくるし、だけど、そういう草を取りながら、みんなでお話をしながら、隣の人と話せる。向かいの人と話せる。普通のいわゆる教室での授業では、お話―私語はしないじゃないですか。しちゃいけない。ゼミはそれは自由にできるわけですよ。青空の下で、風に吹かれて、鳥の声を聞いて、虫が下に出てきたら、キャッ!と言いながら、そういう対話がこうできていくわけですね、自然に。最初来た時、全然喋らなかった。笑いもしなかった。そういう子がいたわけですよ。で、みんなの仲間にも入らないで、みんなが居ても外に一人居て、何か一生懸命草のところで虫を見ているとか―虫が好きだったらしいんですけどね―そういう子がいつの間にか大声を出して笑うようになるわけですよ。みんなと話せるようになっていくわけですよ。凄く極端ですよね。
 
山田:  それは何故なんですかね。
 
阿蘇:  何故ですかね? 田植えをして、それから育って稲刈りをします。その時に、みんなに稲を一本取ってもらいます。その一本の稲に何粒の種ができているかを全員に数えてもらいます。そうすると「百何十粒」とか言うんですね。「その穂が一茎に何本出ているか?」というのを数えてもらいます。「二十本」とか、「三十本」とか。「その穂数と、掛ける何個か?」と。「何千個」とか、三千個ぐらいできるわけですよ。元は一個の米粒、種ですよ。一粒の種が死んで、芽が出て、そしてそれが育って実を付ける時に、三千倍とかになっていくわけですよ。それは「あなた方の人生と一緒だ。あなた方の人生一人の人生だ、と。一つだけども、しかし育って実を付けるといろんな良い影響を与えることができる。力になる。実を結ぶ。そういう可能性を持っているんだ」というようなことを、その場で話すわけですよ。そうすると、みなさんね、大感動しますね。「ああ、いのち≠チてこういうものか」と。私自身も毎年それやりますけれども、毎年嬉しいですね。子どもたちは、いのち≠ノいつも近くにいる。そのことによって変わっていけるようになるわけですね。
山田:  それはやっぱり農園に来る迄には体験したことのない驚きがあるでしょうね。
 
阿蘇:  そうだと思いますね。
 

 
阿蘇:  農園の関係する人で、自殺をした人もいるんです。来て間もなく―数ヶ月ですね―で、ゆっくりとも話す時間もない間に自殺しちゃった、男の子で。それから卒業して大学へ行って、時々OBで顔を出していた男の子なんですけどね。その子も自殺しましたね。そういう子もいるんです。どうにもならなかったですね。僕は力になれなかったな、と。
 
山田:  そういう思いもある子どもたちもいるわけですね。
 
阿蘇:  ええ。一人の女の子は、六ヶ月ぐらいに、私が沖縄に居たら電話が掛かってきたんですよ。「阿蘇さん、私死にたい」という電話なんです、いきなり。ビックリしまして、「ちょっと待って!」って。「僕はあなたと四月に会って、まだ二ヶ月も経っていない。ちょっと待って。あなたのことを十分知らない。だから僕は東京に帰るまで死なないで待って居てくれ」と言って電話を切りました。まあ有名な良い学校を中退した子です。それでその子の問題というのは、いつも他人(ひと)と比較するんです。他人と比較して劣等感に襲われるわけです。まあずっとその子と話して会話を続けていました。「何がしたいんだ?」と言ったら、「生物が好きだ」という話がわかっていたんです。夏に七月に友人のお坊さんがいるんですけども、そのお坊さんたちが、「屋久島で若い人を集めてウミガメの調査をする計画をしている。その準備のために屋久島に行く」という話を彼がしてくれたわけです。そこで、「今、こういう子がいる。その時に一緒に連れて行ってくれないか。面倒見てくれないか」と。そうしたら、「いいよ」ということで、彼女を屋久島に送ったわけです。死にたいという子が屋久島に一人で出掛けていったわけです。その坊さんたちと出会って、ウミガメが夜に産卵をする調査に行って、ウミガメが夜に涙流しながら産卵している姿と出会うわけですよ。そういう姿と出会って、彼女は、「いのち」と「生きる」ということは、どういうことなのか、ということを、ウミガメを通して得たんじゃないだろうか、と思うんですね。そこでは何によってそうなったとか、根堀り葉堀り聞く必要もないです。彼女は元気になって帰って来たんです。私はキリスト教の牧師で、一人は日本の坊さんですよ。この二人が協力して、一人の悩めるというかな、死にたい命のかかった女の子を一緒に見守り、その子が元気になった、と。そういう体験を持っていて、とっても嬉しいですね。
 
山田:  一緒にされる人たちが、クリスチャンであろうが、なかろうが、そういうことは全然問題ではないですね。
 
阿蘇:  そういうことですね。彼らたちみんな苦しんでいるんです。それでそれは苦しめられている。苦しめられているのは、いろんな要求や期待が子どもにあるわけですね。親の期待もあるし、親族の期待もあるし、これは自分自身でもある意味で期待を自分で持つし、たくさんの期待―これを僕は、「鎧(よろい)」と言うんですけれども―鎧を着せられている。着せられていると同時に、自分もまた鎧を着る。何故かというと、相手から攻撃されないような鎧も着なくちゃいけない。弱さを見せない鎧。本当は弱いんだけど、強く見せている、と。そういう鎧をガッチリと着ている。雁字搦めになっている。そういう心理的な状況にいるんじゃないか、と思うんですよ。
 
山田:  それは、例えば、「こういう学校に行きなさい」とか言われることだとか、「こういう職業に就きなさい」とかという期待があるわけですね。
 
阿蘇:  そうです。それは凄い強いですよ。その中で藻掻いて、自分はその鎧のままではいけない、と。もっと自分の人生あるんじゃないか、と。その鎧とは合わない、という中で、凄く葛藤して痛んでいるわけですよ。ある子は、その鎧を三年目にしてやっと脱げた、という子もいますよ。その子もやっぱり「医者」というようなものとか、あるいは自分に凄い高いハードルをつけて生きている、と。良い子である、という鎧をいっぱい着ていて、疲れ果てて、だけども自分はプライドがある、ということで、そういうものを脱ごうとする努力をするけども脱げないんですよね。何故か。脱ごうとするけども、また疲れてしまって、その努力に疲れるんですよ。で、たまたまその子は農園の卒業の前に合宿があったんですよ。その合宿で、「これが最後のあなたチャンスになるから、自分のこれまでの生活、苦闘の生活を、みんな話してみないか、と。そのままもし出て行ったら、大学へ行っても、新しい友だちにも、殻が破れていないから、同じ鎧で対応しなくちゃいけない、と。だからここで頑張って、話してみるか、と。話すという決断をすること自体が、あなたは自分が新しくなって、殻を破ることだ、と。僕はそう理解する」と言うと、その子は「やります」と言って、慌てて話してくれたんですよ。
 
山田:  何故そういうふうに鎧を着ていたのか。それは何だったのか、ということを話たんですか。
 
阿蘇:  そうそう。自分の方がプライドが高いから他を低く見る。「こんなこともできないような人たちだ」とか、「こんな人たちと自分は付き合っても、話してもわかってくれない人たちだから話さない」とか、そういう形でどんどんある意味で切っていくわけですね、友情を。
 
山田:  農園ゼミに来たそこでの人たちも、今までずっとそういうふうに見ていたということですか。
 
阿蘇:  「見ていた」と言うんですよ。みんなも「お高くとまっている」という感じのことを、彼女に対してみんな思っていたでしょう。割と冷ややかな子で、ということでも。それが、「そういう自分だった」ということを告白するわけですよ。それがやっぱり彼女にとっては変化ですよね。自分をある意味で、それは自分の強さであると同時に弱さですよ。その弱さを表現したわけですよね。だからそういう意味では、彼女は殻を破ったろう、と僕は思っているんです。
 
山田:  そういうふうに彼女が発言したことで、どうなったんでしょうか。
 
阿蘇:  そういう彼女の真剣な話、真実の話を聞いた後に続く人たちも、みんな自分の話をする時に、ほんとに真実の話をしていきましたよ。ですから、みんな本当の話をしますから、涙なしに語れない。話す前にテッシュを先に、「頂戴!」とかいう人がいて、それで話し出すんですね。話す前に、「もう私ダメ!」とか言って泣いているんですね。そういうようなことが、起こった時があったんですよ。ほんとに「ああ、素晴らしい出来事だなあ」というふうに思いますね。まさに出来事ですよね。
 
山田:  農園ゼミの何がそういうふうに、若い人たちが着ている鎧だとか、気持を変えていくことに繋がっていっているんでしょうかね。
 
阿蘇:  そうですね。だからそういう子たちがお互いに出会って話をするわけですよ。そうすると、「お前もそんな鎧を着ていたのか」とか、自分のことを話すことによって相手もまたそれがわかってくる。お互いにそういうのが少しずつわかってきて、「ああ、これが鎧だったのか」というのも、あるいは農園に来る大人たちと出会い、世界の人たちと出会うことによって、鎧が、「ああ、あれが鎧で、脱いでいい鎧なんだ、と。もっと自由に生きられるんだ」と。で、ある子がこんな表現をしたことがあります。「自分は農園に行って、バラバラだった自分が結び合わされた、と。例えば時計があって、時計が分解されてバラバラだった。自分はそういう状態で農園に来た。だけど今は、それらが全部必要なところに必要なネジが入って動き出した」と。そういう自分になっていくわけですよ。それは私は別に一つひとつネジを、「ここに入れなさい。あそこに入れなさい」と教えたわけじゃないわけですよ。彼女がいろんな人と出会い、いろんなところへ出掛け、いろんな体験をしながら、自分を組み立て直すわけですね。そういう力というのは、やっぱりそれぞれみんな持っていますよね。ただお互いにそれを刺激しあっている。そういう刺激の場じゃないかな、と思いますね。
 
山田:  ゼミを受けている学生たちとのそういう触れ合いの中で、阿蘇さん自身が変わっていかれた、という側面もあるんですか。
 
阿蘇:  それは大きいですね。彼らから私が学んだことというのは、それは大学で学んだことなんかよりも遙かに多いですね。学生たちと生で接することによって、あの場が「人間として何なのか。人間何なのか。自分何なのか」ということを、彼らから学びましたね。私は大学院も出ている。アメリカにも留学している。それから社会的な地位もある。牧師でもある、と。さらには男でもある、と。彼らよりも歳をとっている、と。そういうのは全部権威ですよ。何もない人たちから見たら。それをそこに立って、いつも対応していたんですね。彼らはある意味でゼロです。その人たちと既にそんなたくさん持っていた―それを「鎧」と表現してもいいかも知れませんね―いろんなものを着て、で、彼らと対応していた。だけど彼らは裸で接してくるわけですよ。生で接してくるわけですよ。で、その中で私は、ちゃんと彼らの鋭い批判力と洞察力があるし、それから敏感さを持っていますしね。如何に私がそういう鎧をいっぱい着ている人間であるかということを見抜いて、指摘しますよ。
 
山田:  阿蘇さん自身はそういう農園ゼミを始める時に、こういうことをやれば若い人たちを変えていく力があるんだ、ということをわかって始められたんですか。
 
阿蘇:  いやいや。僕自身も初めてですから、みんなとやった時は。一年前には農業実習みたいなものをやって学んできましたよ。だけど、私自身が蚯蚓(みみず)が大嫌いで、一階よりも二階以上に住みたいという、そういう人間なんですよ。それでみんなが「やる」というから、「一緒にやろう」と言って、食料問題とか、土の問題とか、農業の問題をゼミで勉強していた。だけど、勉強ばっかりしても何も変わらない、と。それで僕はアジアの人たちと接して、「日本が変わらなくちゃ、日本人変わらなくちゃ、アジアは変わらない」と言われて、それで自分自身も変わらなくちゃいけない、と。先ずは農業をやろう、と。
 
山田:  そうすると、むしろ具体的に学生たちが変わっていく様子を見ていらっしゃって、「あ、その場所にはこういう力があるんだ」というふうに思いになったんですか。
 
阿蘇:  そうなんです。最初からそんな力があるなんて全然思っていなかったですよ。不思議な力を僕自身も何度も何度も見ていくわけです、子どもたちを通して。
 
山田:  何なんでしょうか、その力をいうのは?
 
阿蘇:  やっぱりさっき言いましたように、時間と空間の場がそこにあるんだろう、と。農地という場というのが、ただ平面にそこにあるんじゃなくて、長い時間の流れと空間の―一点の空間だけども、実は広がりのある空間、あこにあるんじゃないか。それからもう一つは、そういう場を通して人と人が出会う。それから自分がそれぞれ自然と出会う。それだけじゃなくて、そういう自然や人を超えた、さらにそれを超したわからない何か、それを超えたもっと大きいものというかな、神秘的なもの、神秘の力というか、なんか不思議な力に出会っているんじゃないか、と。それちょっと表現できませんけどね。そういう感じがしますよね。だからこの場が人と人を結び付ける。人とこの場を結び付けて変えていく。その場が力を持っている。その場を通して繋がっていく。それがこの場というものがないと、お互いに変わり得なかったろう、と思うんですね。どうしてその場があるか、というのは、どうして力を持っているのか、というのは、これはちょっと難しい。わからないですね、ある意味で。
 
山田:  農園ゼミで一緒にやっている若い人たちに、今どういう思いでいらっしゃるんでしょうか。
 
阿蘇:  そうですね。私はハンディを負って、ハンディをある意味で、いろんな意味で新しく知るんですね。人間といのちというのは、例えば若い人に、「人生は長いよ。長いから何とか」と。誰も長い人生を考える。しかし人生というのはそんな長いものではなくて、実は一呼吸吸って、ハァっと吐く。この短い呼吸の連続でしかない、と。これが繋がって人生ができていくものだ、というようなことも、私、最近気が付きまして。そういうようなことから始まって、自分の弱さから、いろんな弱い人たちのことがよく見えるようになってきました。それは残念ながら、申し訳ないけれども、元気の時には見えなかった事柄です。今、彼らにはそういう弱さのある人たちのことがもっとよく理解できる。彼ら自身もそういう意味で、例えば農園に一週間しか来れなかった人がいる。私も今たまたま一週間に一回しか行けない。あと家でベッドの上にいる、と。だけど農園に行くと元気を貰うんです。元気になるんですよ。彼らも多分そうだったと思うんです。そのことがよくわかるようになりました。
 
     これは、平成二十二年四月四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである