自己の究明
 
                    駒澤大学教授 鈴 木  格 禅(かくぜん)
大正十五年、愛知県生まれ。昭和二八年、駒澤大学仏教学部卒業。駒澤大学名誉教授。大本山永平寺眼蔵会講師のほか、坐禅会講師として日本ばかりでなく世界各地に赴いて、指導し法を説いた。平成一一年八月遷化。主な著書に、「若き道元のことば正法眼蔵随聞記に学ぶ」「道元禅師全集」「禅と念仏」ほか。
                    き き て  金 光  寿 郎
 
ナレーター:  早春の穏やかな日を浴びて広がる神奈川県逗子(ずし)市。海岸から一キロあまり離れた静かな住宅街に駒澤大学教授鈴木格禅さんのお住まいがあります。鈴木さんは大正十五年のお生まれで、第二次大戦中、陸軍航空隊に入隊。戦後さまざまな仕事に取り組んだ後、禅宗寺院に入り、禅の実践と研究の道を歩んで来られました。今日はご自身の体験などを振り返りながらお話を伺います。
 

金光:  おはようございます。
 
鈴木:  おはようございます。
 
金光:  どうもご無沙汰致しまして。どうぞよろしくお願い致します。
 
鈴木:  遠いところどうも有り難うございます。
金光:  今、お庭を拝見していたんですが、これだけいろんな種類の木や草がありますと、けっこうこれで四季の移り変わりというのはお感じになるものでございましょうね。
 
鈴木:  猫の額みたいな狭い庭ですけれども、いろんな草や木がいっぱいありましてね、それぞれ特徴があって、春夏秋冬、それなりに楽しんでおります。
金光:  その辺の梅もそろそろ終わり、残りの梅、こちらは紅梅でございますね。
 
鈴木:  ええ。白梅はほとんど散っちゃいましたけれども、
 
     梅一輪 一輪ほどの暖かさ
 
なんていう句(服部嵐雪の句)がございましたですね。
 
金光:  もう大分一輪が咲いて、散って、という時期で、
 
鈴木:  梅というのは、道元禅師という、私ども宗旨の先祖でありますけれども、道元禅師さまは大変梅が大変お好きなようでして、代表的な著作の『正法眼蔵』というものがたくさんありますけれども、その中の一つの巻に「梅華(ばいか)」の巻というのがございまして、
 
     雨をなし雲をなすは梅華の云為(うんい)なり・・・
     梅華を古今と称するなり
        (『正法眼蔵』梅華)
 
雨を降らしたり雲が流れたりするのは梅の華だ、とこういうんですね。ちょっと普通の理屈ではわからないような、合わないような感じがするんでありますけれども、「梅の華」という言葉で「働き」ということを表現しているのではないのか、そんな感じが致します。
 
金光:  お言葉を伺いますと、自分が居て梅の花が咲いているのを離れて見ているというよりも、梅の花と一体といいますか、一つの世界の言葉のようでございますね。
 
鈴木:  そう思いますね。「物、事という存在やら事柄やらといったようなものがみんな梅の花だ」という言い方なんですね。その中には、「時間というようなものも梅だ」とこういうふうに仰せになっていますね。
 
金光:  道元禅師さまは、
 
     仏道とは自己を習うなり
 
という言葉もおっしゃっているようですが、今日はその「自己」ということについて、これからお話を伺わせて頂きたいと思うんですが、じゃ、お部屋の方でゆっくりと聞かせて頂けますでしょうか。
 
鈴木:  はい。そうですね。
 
金光:  よろしくお願い致します。
 

 
金光:  今日のテーマの「自己の究明」の「自己」ということでございますが、私、考えてみますと、いくら自己反省をしましても、「自分がどういうことをしたか」とか、「考えている」とかということを、「見ている自分というのは最後まで残るんじゃないか」と思うんですが、そうすると見ている自分というのは、自分ではどうにも知りようがないんではないか、という疑問がいつもあるんですけれども、自己ということについて、仏教―禅の方ではどういうふうに考えていらっしゃるんでしょうか。
 
鈴木:  昔浅草の観音様の裏辺りに住んでいた人の話ですけれども、慌て者が居て、二人で遊びに行った。それで橋の上で行き倒れになっている人が居て、役人が、「この者を誰か知らないか」というと、その通りかかったのが、「俺の友人だ」というんで、「今、本人を呼んで来ますから」と(笑い)。で、長屋へ呼びに行って、そして連れて来る。そうすると倒れている人を見て、「あ、俺だ」なんていうてね、そしてその人を抱き上げて、「倒れているのは確かに俺だけれども、抱いておる俺は一体どこの俺だろう」なんていうおちのある話が大変面白く、そんな問題をなんか指摘しているような感じがして好きな話の一つですけれどもね。「反省」と言ったって、見る自分がちゃんと残るわけですから、見られる自分は一体何か。見ている自分は一体何か。そういったことが案外どっかへ置き忘れられて、「本当の自分を掴んじゃった」とかですね、いろんな言い方で表現されますけれども、もっと綿密に考えてみていい問題だという気が致しますですね。その自己ということもさりながら、一体生ということはどういうことであるか。死ということはどういうことであるのか。人間は一体この世の中に何をしにきたのか。また何をなさねばならんのか。それからどこから来て、どこへ行くのか。そしてそんなことを考えている自分というのは一体何者であるのか、というようなことは、これは禅宗だけではなしに、仏教、それから広く宗教一般が基本的に持っている大変大事な問題であるというような気が致しますですね。
 
金光:  考えてみますと、生まれる時に、「お前はどこへ生まれて、何をしなさい」なんていうことは一切教えて貰わないで、気が付いてみたら、この世に生まれているということですから、
 
鈴木:  そういうことです。性別でもそうですね。生まれる家だって、貧乏な家には生まれたくないと思っても、そういうところで生まれざるを得ないことだってあるわけですしね。
 
金光:  仏教の場合は、その辺の始末というのは、これはできているんでございますか。
 
鈴木:  ちゃんとできている筈であります。これは中国の唐の時代、七世紀頃の方でありますけれども、選挙になると、どこの選挙事務所でも飾られて、胸に「必勝」だなんて書いている達磨様というのは禅宗の先祖だというふうに言われますけれども、その達磨さんから六人目の方に慧能(えのう)禅師という方がいらっしゃいます。その慧能禅師のところに一人の修行僧が訪ねてまいりました。その方の名前を懐譲(えじょう)(677-744)と言うんでありますけれども、もともとこの方は嵩山(すうざん)というところの慧安(えあん)という方について修行をなさっていた。その懐譲さんが大変できた人物であったので、もっと勝れた方に紹介をしていきたいと思ったんでありましょう。その慧安和尚が、「お前さん、慧能さんのところへ行きなさい」と言われて訪ねて行く話があります。それがこんな話であります。六祖というのは達磨様から六代目のお祖師さまであるという意味で「六祖」と。普通「六祖慧能」というんでありますが、曹渓山(そうけいざん)に住んでおわしましたので、「曹渓慧能(そうけいえのう)」とも、あるいは「大鑑慧能(たいかんえのう)」とも、いろいろとお呼びするわけでありますが、懐譲さんが訪ねてきました。そこで、
     「什麼處来(そものところより来る)」
 
有り体に言えば、「どっからきなさった」こういう翻訳でいいと思いますけれども、「どっからお出でなさった」と、こう聞いた。そうすると、懐譲さん―後に南嶽というところで仏法を鼓吹(こすい)を致しましたので、「南嶽懐譲(なんがくえじょう)」というふううに呼んでおりますけれども―その懐譲さんが、
 
     「嵩山安国師處来」(嵩山安国師(すうざんあんこくし)の處(ところ)より来(きた)る)
 
「嵩山の慧安国師のところからやってきました」と。
 
金光:  懐譲さんの答えは、今日の私たちが挨拶の時に、「どっからいらっしゃいましたか」というと、「こちらから来ました」「あそこから来ました」というふうに同じ、日常の挨拶ということでございますね。
 
鈴木:  ところが、慧能さんの問いは、もう一つ含むところがあったに違いない。そこで慧能さんは改めて問い直します。それはこう言うんであります。
     「什麼物恁處来(そももついんもらい)」
 
難しい言い方でありますが、「他ならぬ何者が、どのようにしてやって来たか」
 
金光:  これは随分意味が違ってきますね。
 
鈴木:  はい。これが慧能さんが、「どこからきなさった」という問いの底に秘めていた。
 
金光:  ちゃんとそういうものを含んだ質問だったわけですね、最初の質問が。
 
鈴木:  そうだと思います。それを場所と人の名前を言ってしまったものだから落第です。はずれだよ、と。そういうふうな結果になった。そして八年目にやっと 
 
     「説示一物即不中(せつじいちもつふちゅう)」
 
とこう答えて、やっとまあその問題を通過する、と。
 
金光:  それはまたどういう意味になるわけでございますか。
 
鈴木:  「一物」という言葉の理解の仕方がいろいろとありましょうから、それこそこれが問題でありますけれども、枠をつけてしまう。仕切を付けてしまう。限定してしまったら、それははずれだよ、と。普通に読みますと、「説いて一物を示さば、即ち当たらず」こう読むのでありますから、「これだ」と言ってしまうと、それは「はずれだ」と、こういう理屈になります。
 
金光:  現実に懐譲さんという人は、そこに存在しているわけですけれども、それを「これこれ、この懐譲が」というと、もうそれではずれる、そういうことにもなりますね。
 
鈴木:  そういうことですね。もう一つ受け取り方がございまして、
 
     「什麼物恁處来(そももついんもらい)」
 
というのが、「什麼物」というのも「何者」。人間―私なら私というものにかこつけて言い換えするならば、「ほかならぬ私なるあなた自身、どのようにしてやって来たのか」そういう受け取り方が一つありますですね。ちょっとそこで脱線をしてみますと、道元禅師から三十九年ばかり後でお生まれになった方でありますけれども、時宗(じしゅう)という宗旨がございますですね。時宗をお開きになった遊行(ゆぎょう)の捨て聖(ひじり)というふうに言われます一遍(いっぺん)上人のお言葉の中に、
 
     六道輪廻の間には
     ともなふ人もなかりけり
     独り生まれて独り死す
     生死の道こそ悲しけれ
       (一遍上人)
 
こんなお言葉があるように思います。人は死ぬ時には、親も兄弟も恋人も親友も、富も権力も知恵も財産も社会的な名誉も何も助けてくれない。ついでに言えば、神も仏も助けてくれない。たった独り死んでいかなくちゃならない。そういった意味では掛け替えがない。代返ができない。代理ができない、というのが、自己の存在の事実だ。そういった意味で他ならぬ何者だ、というと、私の生きている事実、お前さん、というふうに言われると、そういう意味での私というふうな理解をする必要があるような気がします。だけどもどっから来たのか。どのようにして来たのか。どっから来てどこに行くのか。先ほど申し上げたように、そうすると普通は、「お袋様のお腹から来て、お墓にいってしまう」「俺は天国へ行きたいんだ」「俺は悪いことばっかりしたから地獄にいくに違いない」と、どっかで思っていながら、「やっぱり俺は極楽の方がいいよ」なんて思っているに違いない。だけども慧能さんの問いというのは、そういうことではないような気がしますね。
 
金光:  先ほどの嵩山の安国師のところから来ましたというのと似たような印象がありますので、やっぱり違うんでございますね。
 
鈴木:  違うんです。だからもう一つ言葉の理解の仕方は、「什麼(そも)」というのは、「何者」というので、限定ができないですね。「恁處来(いんもらい)」というのは、そのように現状―現状というのは、ここにある、ということでありますから、「私どものはからいの尽きたものとして、すべての物・事が今ここにある」こういう読み方が一つできる。そうしますと、これは「何者がどこから来たのか」という質問の言葉でありますけれども、「この言葉自身が現実をそのまま説明をした」―説明といいますかね、そういう言葉として受け取られる。
 
金光:  もう「どこどこへ生まれなさい」なんていう条件なしで、とにかく「生きているではないか。ここに存在しているではないか」という、そういう事実、
 
鈴木:  そうです。ですから慧能さんのところに懐譲さんがお出でになった。それを慧能さんがご覧になって、そして「什麼物恁處来」こううけがったという受け取り方もできる筈であります。ですからこの言葉というのは、大変大事な言葉でありますし、それから懐譲さんが答えた「一物」というのは、「無限」と言いますか、「枠の付かないもの、働きの世界」、そんなものに枠を付けて、「こうだよ」というふうに言ってしまったら、それはもう検討違いだ。はずれだ。でありますから、慧能さんの「什麼物恁處来」という言葉と、懐譲さんの「説示一物即不中」という言葉は、先ほど申し上げたみたいに、「宗教というものの一番底のところに秘められているもっとも大事な問題であるのではないのか。そしてこれを明らかにする。あるいはこういう事実に気付くことが自己をあきらめるということになるのではないだろうか」。そうしますと、「自己というのは、自分でこうだというふうに枠の付けられない現生(げんなま)のものだ」というふうに言わざるを得ないのではないでしょうか。
 
金光:  今お話を伺いながら、こちらの床の間に掛かっている軸を拝見していて、なんか今のお話とこの軸の世界が共通している世界ではないか、というような気が何となくしているんでございますが、この軸はどういう経緯でできたものでございますか。
 
鈴木:  これは、前置きが少し長くなりますが、私は小さい時からいろんなことがあって、死ぬことばっかりを考えていました。昭和十七年に死ぬというようなことを、ある意味で正当付けるということでしょうかね、そうせざるを得ない事情があったりして、そして極めて厳重な身体検査と大変難しい学科試験を受けて、そして陸軍に入ろうとしたんでありますけれども、入るその日に身体の故障が発見されて、そして落とされてしまいました。帰って行くべきところもないような事情と状況にあって、途方に暮れておりましたら、一人の将校が通りかかって、その人に助けられまして、「身体を治したら一期遅れて陸軍に入ることを考慮する」というふうに言われました。そのためには身体を治さなくちゃいけない。親切な方で病院まで探してくれまして、そこで手術を致しました。ところが何回も手術をせざるを得ない羽目になって、都合六回その病院で手術をしました。きざな言葉でありますけれども、人生悩んでいたというのか、いろいろと苦しんでおりました。だからそういう自分を助けてくれる、あるいは渇きを癒してくれるような書物はないか。そう思って街へ出ました。ちょうど病院が東京神田の九段下にございました。あの辺りから神保町(じんぼうちょう)を経て、そしてずっと古本屋の街が続いているところでありますので、しらみつぶしに探して歩いたんでありますが、自分の身丈(みたけ)に合う本がないんです。これはいいと思って手に取ると難しすぎてよくわからない。これはどうだろうかと思ってみると、これが実に詰まらない。途方に暮れてある意味ではすっかり失望して病院に帰って来ようとして、最後の古本屋―今でも覚えておりますけれども、裸電球が下がっていたその店先に横積みになっている本を二、三冊、あちらこちら手にとって、そして最後に手に取った本が、澤木興道(さわきこうどう)(1880-1965)老師のお話を筆録した本でありました。もう非常に感銘しました。それは生きた言葉で本当のことが書いてある。その本には坐禅のことも書いてあって、それから私は壮絶に坐禅をするようになりました。一期遅れて秋に陸軍に入りました。入ってからもよく入院をしたりせざるを得ない状況になったんでありますが、陸軍に入ってからもしょっちゅう坐禅を熱心に致しました。ご承知のように戦が負けて、そして復員をしました。復員するといっても家も何にもありません。迎えてくれる人も何もない状況だったので、どこへ復員していいかわからなかったんですけれども、郷里に近いところに遠い親戚を辿ってまあその辺りへ復員を致しました。だけども生きていかなくちゃいけませんので、復員の時に貰った毛布だの飛行服だの、みんな売り払って、そして闇の行商人になったんであります。行商しながら旅をしておりましたが、ある日とてもじゃないがほんとに生きるのが切なくなって、天竜川の奥の方でありましたけれども、天竜川に架かっている橋の上から川に飛び込んで死んでしまおうと思ったんですが、なんか内側の方から、それを押し止める声がして、その土地の寺に飛び込んで、「わし、坊さんになりたい」こう言いました。そこの和尚が紹介してくれたのが、静岡県の山の中の大変貧乏な禅寺でした。それが昭和二十一年の九月二十九日でありますけれども、まあ落下傘袋を一つ手にして、そして落ち葉の道を踏んでそのお寺の小僧になりました。ところがまったく私は知らなかったんでありますけれども、同じ年の四月です―私は小僧になったのは九月でありますけれども―同じ年の四月にそのお寺に「曹洞宗第十二指定専門僧堂」というものが開設されて、そして寺の住職ではなくて、僧堂の責任者堂長として任命されたのが澤木興道老師なんです。それはほんとに感激でしたですね。そして昭和二十一年の暮れ、これはお釈迦様がお悟りを開いたということを記念する坐禅を禅宗のお寺―修行道場ではどこでも十二月一日から八日までするんでありますけれども、その僧堂では日にちを遅らして二十日前後だと思いましたけれども、一週間びっちりと坐禅を致しました。それを「接心(せっしん)」というんでありますが、その接心が終わって、興道老師を駅まで送って行くことになりました。寺から駅までほぼ一里あります。その道すがら老師に、「何か字を書いてください」そういってお願いをした。ところが、年が明けても送ってきてくれない。そして小僧の言うことだからやってくれないのだろう、あるいはお忘れになっちゃったのかな、なんて思っていたら、ある日届けられた。それがこの詩なんであります。
 
金光:  それで終わりの方に、「沙門興道(しゃもんこうどう)」という字があるわけですね。澤木興道老師の詩で、これはどういうふうに読むんでございましょうか。
 
鈴木:  終わりの方に書かれてありますように、「録永平祖師示衆之贈格禅敬兄(永平祖師の示衆を録し、之を格禅敬兄に贈る)」とこう書いてあるんであります。これをお書きになった時、澤木興道老師は、昭和二十二年でありますから、六十七歳でございました。それが一介の小僧に「格禅敬兄」なんて、私はほんとに恐縮し感激を致しました。この偈は―詩のことを「偈(げ)」というふうにいうんでありますけれども、道元禅師が興聖寺(こうしょうじ)におわしました頃示されたもので、普通に読みますと、上堂して、そして前にこういうことがあって、そして詩を示される、というような形があるんでありますが、これはこれだけが一つポツンとあるだけであります。
読み方は
     一生年月是何必 (一生の年月是(こ)れ何必(かひつ)
     萬事回頭非得失 (萬事(ばんじ)(こうべ)を回(めぐ)らさば得失に非ず)
     覚路荘厳誰不道 (覚路(かくろ)の荘厳(しょうごん)(たれ)か道(い)わざらん)
     摩訶般若波羅蜜 (摩訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)と)
 
金光:  どういう意味でございましょうか。
 
鈴木:  これを私が訳してみました。あまり上手な訳じゃないんで恥ずかしいけども、
 
     人の一生いろいろあるが
     善いも悪いも何もない
     まことの道のありようは
     はからい尽きた只のみち
 
ちょっとどっか大事なものがスカッと抜けたような感じがして、舌足らずなんですけれども。それからもう一つ同じようなことでありますけれども、
 
     一生は己(おの)が思いの枠の外
     是非得失をよくみれば
     みんな己れの都合だけ
     まことの世界を生きるのは
     はからい尽きた只の道
 
どれも上手な訳ではなくて、どうも言い足りないなという思いが切にするんでありますけれども、精一杯言葉を移し替えたわけです。
 
金光:  この中でほとんど一番聞き慣れないというのは「何必(かひつ)」という、これはどういう時に普通遣われているんでしょうか。
 
鈴木:  これは、道元禅師のお遣いになったもの、回数としては六回ぐらいしかないような記憶でありますが、普通に読めば、「何必(かひつ)」「不必(ふひつ)」というふうな言葉も遣いようがあるようでして、日本語で読めば、「何ぞ必ずしも」という。それはどういうことかというと、「決まっていない。定め難い」こういう意味のようですね。それを私は若い頃に―今でも若いつもりでおりますけれども―若い頃にそのことを素材として小理屈を考えたことがありました。そういう扱いをすればするように意味をもってくる言葉で、大変大事な内容を持ったものだというふうに理解しておりますけれども、しかし人は理屈で生きているのではございませんでしてね、生きている事実があって理屈がくっついてくる、ということがありますので、人間の手垢が付くとダメです。
 
金光:  そういう手垢の付かない自分というのは、私の考えればすぐ手垢がついてしまう。どうすればいいのか、ということですが、その辺はどういうことなんでございましょうか。
 
鈴木:  今ご紹介申し上げました道元禅師の偈で言えば、「何必」というのがいろいろあるけれども、「本来もともとそれは手垢の付かない働きのさまざまな様相だ」というふうにいうことができると思うんですけれども、ただ生きるというのは手垢の中で生きる。それしか生きようがないんですね。でありますから、有名な弘法大師がお書きになった『秘蔵寶?(ひぞうほうやく)』という大変大事な書物がございますけれども、その序文に相当する一番最後のところに、
     生生生生暗生始 (生まれ生まれて生(しょう)の始めに暗く)
     死死死死冥死終 (死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し)
         (弘法大師空海『秘蔵寶?』)
 
という言葉がございます。それからまた道元禅師さまの『正法眼蔵』という著作の「諸悪莫作(しょあくまくさ)」という巻があるんでありますけれども、その中で、
     (しょう)をあきらめ
     死をあきらむるは
     佛家一大事の因縁なり
       (『正法眼蔵』諸悪莫作(しょあくまくさ)
 
というふうに仰せになっております。そうするとこれは普通では「生死(せいし)」という読み癖がありますけれども、仏教では普通「しょうじ」というふうに読みます。そうすると、弘法大師も日本を代表する大変立派なお坊様でありますし、道元禅師も外すことのできない大変な禅僧でありますが、お二方(ふたかた)も、それから他の方々もなべて仰せになることは、「生と死―生死というものを知らない。生死というものをあきらめる。はっきりさせるということが、これが仏法という宗教の一大眼目である。一大事なんだ」ということを仰せになっている。そうすると、生死ということは一体どういうことなのか、ということでありますけれども、こんなものを書いたんですがご参考になるかどうかよくわかりませんが、普通は生まれて死んでいく。後で都合がありますので、ラテン語らしいんですが、どういうふうに読むかよくわかりませんが、生というのがビータ(vita)、それから死というのがモース(mors)ということだそうですありますが、その間普通は生まれた、そして死んだ。だから死の方にウエイトがかかって、で、死というものをどういうふうに受け入れていくか。そういった意味での生と死ということが大問題です。もう一つ意味がありまして、時間と空間というものを占領して、一つの私なら私という個人が生まれて死んで逝くまで何をしているかというと、自分を軸にして自分の気に入るように、これを外すわけにいかないんですね。そのことを仏教の言葉で、「生死去来(しょうじこらい)」とか「六道輪廻(ろくどうりんね)」とか、行ったり来たりであり、グルグル廻り、ということなんですね。全然人間がしずまっていない。だからそういった意味で、「生死去来」という意味の生死は、人間の藻掻(もが)きであり、喘(あえ)ぎであり、あるいは狼狽(うろた)えであり、ぐずりだというふうに表現していいのではないでしょうか。
 
金光:  そこは善いこともあるし、悪いこともある世界ですね。
 
鈴木:  ええ。善いことばっかりを求めてぐずっているんです。だけれどもそのことを「グルグル廻り」と言い、「去来(こらい)」という言葉で表現するわけでありますので、つまりそういったことのしずまりということが仏教、並びに他の修行の宗教というものが持つ基本的な一つの求めの世界なのではないだろうか。そういうふうに思いますですね。初めの方に話が返っていってしまいますけれども、自分がこの世の中に何をするために来たのか。何を果たさなければならんのか、というようなことが、やっぱり重大な問題としてありますね。戦争中に、この方は二十歳か二十一歳で亡くなったと思いますけれども、非常に真面目な青年がおりまして、二百五十キロ爆弾を吊る下げて亡くなっていってしまわなければならない、そういうための壮烈な教育と訓練を受けました。私どももそういうことのために訓練と教育を受けたわけでありますが、自分は何を果たさなければならんのか、という重大な問題は、既に命令によって与えられてしまっているわけです。明日の朝爆弾を抱いて飛び立って行くだけだ、と。だけれども、それを果たさなければならん自分というものは一体何者なのか、ということ、これわからない。それで非常に苦しんで飛び立って行ってもう帰っては来ませんでした。そうすると、平和な時代では勿論何を果たさなければならんのか、ということは重大問題でありますし、それは自分が苦しんで学び取っていくべきものなんでありましょう。だけれども、私は小さい時から死ぬことばっかり考えていた。だけれども、軍隊に入ってみますと、今度は死ぬということを真っ正面に見据えた教育と訓練が壮烈に行われます。そう致しますと、死の方が自分の方に迫ってくる。これは逃れようがない。生まれた者は必ず死ぬということはわかっているんだけれども、しかしそれは向こうから与えられて、自分の死に関係なしに押し付けられる、と言いますか、迫ってくるという、非常に苦しみました。だから人間が生きていることを図式に表現すると、いずれ死ぬんだから死というものは約束されて生があるよ。死の上に死がある。これはフランスの文豪だったビクトル・ユゴーが、「ちょうど人間というのは死刑囚みたいな者だ。約束されているんだ。生まれたら必ず死ななければいけない。だけど今まだ死刑執行の命令が来ない。そういう状況だ」ということを言っておりますけれども、まさにその通りなんでありましょう。だけれども、私はそれはまだ考えられた生と死であるに違いない。この字(生死)(註、下の画像参照)は私の発明なんです。どの辞典にもございませんがね。この「生/死」ではなくて、死と生がくっついている。こっちを見れば死、こっちを見れば生でありますが、これは離すことは出来ません。(生死)は一字なんです。で、生と死―(生死)というのは、こういうふうにうけがって、自分の真下というか―真下というよりはもっとくっついた意味で生死というのはある、と。だから生まれて、年老いてやがて死んでいくということではなしに、生の瞬間瞬間がいつでもこういう構造において成り立っている、という理解がなければならんのだろう、というふうに思っています。これをこんなきざな書き方をしたのは、イタリア語もフランス語も、「生」というのは「V」で始まる。それから「死」というのは「M」で始まる。で、これになぞらえてMとVがくっついている。「V/M」ではなくて、(MV)(註、下の画像参照。Mと赤字のVが一つになっている)が一つのもんだ。こういうことを切実に思っているんです。
 
金光:  それはそれこそ手垢の付かない自分の生き方。自分というものの存在は、その生と死がばらばらではなくて、それがもうくっついている。そこに裸の手垢の付かない存在があるという。
 
鈴木:  手垢の付けようがない、という。そこで私はクリスチャンじゃございませんけれども、終戦直後に手に入れた聖書を、ひっくり返し繰り返し拝見しているんでありますが、「創世記」の中に有名なところでありますけれども、
     ヱホバ神土の塵を以て
     人を造り生気(いのちのいき)を其鼻に
     吹き入れたまへり 
     人即生霊(いけるもの)となりぬ
       (旧約聖書「創世記」二章ー七)
 
そういう記述がございます。これは仏教という宗教は、造り主としての神を言いません。創り主の代わりに―代わりといってはいけませんが、「存在というのは縁起によってあるんだ」ということを教える宗教でありますけれども、ただ私という存在が、自分の生によってできたのではない。創られたものだ。縁起せられたものだ。だから「神の働き」というふうに言ってしまうと問題がありますが、「神を働き」というふうに、「働きを仮に神」というふうに言い換えてみますとチャンネルが続くんじゃないだろうか、と。つまりご紹介した「創世記」の言葉といったようなものを、仮に素材に致しますと、この存在は神の形によって創られた。そしてそれはまだ人形でしかありませんから、神が鼻から息をフッと吹き入れられて、人間になった。そうするとこの私の神の形、そしてこの神の息をしている。だけれども母親のお腹に宿った瞬間から私自身は、この個体のために生きる。だから初めから神のものとしか生きられない。どんなにすればするほど神から遠ざかっていってしまう。
 
金光:  生まれた時から自己中心的に生きるようにできている、と。
 
鈴木:  そうです。必ず自己中心的であり、主我的でしか生きられない。
 
金光:  しかし、だからこそ困ったり悩んだり苦しんだりするわけですね。
 
鈴木:  そうですね。自分をほかにして、私ということはあり得ませんですね。
 
金光:  でもそうなると、それが手垢の付かない存在とは、どう結び付くんでございましょうか。
 
鈴木:  ですから主我的というのは、自分が思っても思わなくても自己中心的にしか働かないですね。人間の心臓というのは、その人の握り拳ぐらいなものです、ってね。これが一日二十四時間に十万回こう動くんです、ってね。そして凡そ八トンの血液を送り出している。全然そんなこと、私知りませんでした。
 
金光:  はからいなしに動いているんですね。
 
鈴木:  はからいなしに。それから脳細胞などもどんどん代謝していくようでありますけれども、そんなこといっこう私どもは知りません。食べたものがどういうふうに運ばれていくのか。どういう細胞や血液が働きをしているのか、まったく知らないけれども、それにも関わらず、なんかこうして、
 
金光:  そんなところは伺うとよくわかるんです。
 
鈴木:  そうすると、何か自分をたくし込んでくるみたいなあり方というのは、やっぱりこれは手垢、どこまでも自己中心的でありますから、どうも自分の都合、エゴを重層させるような方向にしか機能しない。そういうことが生の人間のあり方。それを「生死去来」「六道輪廻」というんだけども、それではそういうおどろしい、欲たらしい、物欲しい私というものが、どうしたら本当に生きられるのか、と。これが問題ですね。私は、くだらないものをいっぱい詰め込んで、どうしようもない自分というものを素材として、そしてまこと≠証明していくこと、これが人間の大事なのではないか。おのれ自己を究明する。己を究明する。具体的な一つのあり方なのではないだろうか、こう思うんであります。
 
金光:  それが「まことの道」というのは、それこそはからいを離れた世界。
 
鈴木:  それが、「まこと」というのを、私はこういうふうに考えているんであります。それはカタカナでこう書くんです。私の意図しているのは「マコト(真事)」なんです。嘘でないということ。こういうふうなイメージで考えている。「事」というのは、具体的なことですね。抽象的なことではなくて、それが本当だということです。だけどもマコト(真事)というのは考える真実、それから「俺はマコト(真事)を持っている」という、いろいろな言い方がありますけれども、私はやっぱり具体的なマコト(真事)、これを「摩訶般若波羅蜜」とこう言ったのではないだろうか。因みに申し上げますと、「摩訶般若波羅蜜」というのは、普通は「大いなる智慧の働きである」というふうな翻訳で遣いますけれども、道元禅師という方は、例えば「四枚の般若がある。それは行住坐臥≠ニいうことだ。みんな生活が般若だ」という。そうすると、どうも非常にこのマコト(真事)というような言葉で表現したいことと、どっかチャンネルが続いてくれるんじゃないのかなと思いますね。マコト(真事)というのは一定していない。何がマコト(真事)かわからない。だってさまざまな人間には状況があり、それから変化がありますので、その都度その都度やっぱりマコト(真事)がある筈です。だから「一生年月是何必(いっしょうねんげつこれかひつ)」決まっていないさまざまな、いろいろあるけれども、その一つひとつに対応するマコト(真事)というものがなければならない。愚かしい、貧しい私が、そういうマコト(真事)を証明していくんです。「證」―これは「さとり」と読んでしまうと、ちょっと意味が違ってまいりますが、これをこう書いてもいいわけですがね。これは「証明」です。具体的に自分でマコト(真事)を証明していく。それがやはり人間というものの果たしていかなければならない大事なのではないだろうか。そこが突き詰められた、究明されるべき自己のあり方なんだろう、と。だから究明された自己がこういうものだ、といって懐へ入れてしまったら、箪笥にしまってしまったら、床の間の置物としてしまわないで、現生(げんなま)で、
 
金光:  時々刻々、その時々証明していく、ということでございますね。
 
鈴木:  マコト(真事)を証明し続けていくところに、マコト(真事)の我、自己というものがあらわになるのではないだろうか。こういうふうに思います。
 
金光:  マコトの道を実践するというのは、言葉とすればこれは易しい言葉ですけれども、時々刻々それを実践するというのは、現実には非常にこれ厳しいことのように思いますが。
 
鈴木:  これも新約聖書の「マタイ伝」の中に、
 
     汝らの中
     たれか思ひ煩ひて
     身の長(たけ)一尺を加へ得んや
      (新約聖書「マタイ伝」六章ー二七)
 
自分のはからいというもので、自分が存在せしめられているのではない。「大いなるもの」というけれども、なんか創り主みたいなものがあって、それによって促されているということでもない、というんでありますが、しかしわがはからいの尽きたところによって、自分があらしめられている。それは自己存在の事実であります。それがマコト(真事)、それもマコト(真事)ですね。マコト(真事)を外して私はない。葛城(かつらぎ)の慈雲尊者(じうんそんじゃ)(1718-1804)の法語の中に、
 
     もし一念をおこして
     我これ凡夫なりといわば
     三世の諸仏を謗(ぼう)ずるなり
 
というお言葉がございます。さっきの「得失にあらず」ということも、慈雲尊者のお言葉をお借りすれば、「何事もなきぞ」というふうに仰せになっていらっしゃる。そうすると、そういうマコト(真事)に導かれて、私どもは生きていくほかございませんで、ただ自分が救われる、あるいは狼狽えなしになればいいということだけではいきませんので、自己存在というものが、どんなにくだらなくとも、それが私は若い頃に「自分が生きていることそれ自身が罪悪ではないか」と思って、非常に苦しんだことがあるんでありますけれども、一面そういうふうに思いながら、しかし「あんなものでも生かされている」という一つの励まし、そういった受け取られ方だってあり得るのではないだろうか。そんなふうにも思ったりもする。で、ありますから、自分の持っているくだらなさや、貧しさというものを燃料にして、そうして歴史の現実―難しいきざな言葉でありますけれども、そういったものに関わっていくことができるのではないだろうか。だから私ども盗人すれば文句なしに盗人なんです、いっくら内緒にやっても。それは学問や教養や人間の資質、性格、頭がいいとか、悪いとか、狡(ずる)いとか、そんなことに全然関係なしに、盗人すれば泥棒です。坐禅すれば坐禅の人。道元禅師の宗教の一番中心をなすのが坐禅でありますけれども、道元禅師の坐禅というのは「祗管打坐(しかんたざ)」と言って、「何もならない」というふうに、澤木興道老師は仰せになりましたけれども、それは手放しの坐禅、つまり自分の方にかき込んで来ない。神に創られたままの形。神の呼吸を、息を只する。無条件でする。強いて言えばそういう構造を持った坐禅なのではないだろうか、とそう思います。
 
金光:  そこに手垢の付かない自分というものがあらわになってくる、ということでございましょう。
 
鈴木:  その通りです。マコト(真事)あらわになる、というのは、どこまでもこう自分が尽きていくということがなければ、マコト(真事)にならないだろう、という気がしてなりません。
 
金光:  そうしますと、日々マコト(真事)を行ずる、あるいは仏様の教えの通りに身体を持っていく。そういうところに本当の自分の自己の本質みたいなものがあらわになってくる、というふうに考えてよろしいか、と承ったんでございますが、今日はどうも有り難うございました。
 
鈴木:  有り難うございました。
 
     これは、平成二十二年四月二十五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で、平成七年四月二十三日に放映されたもの
     の再放送である。