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                  看護師・牧師 エリザベス・マッキンレー
Elizabeth Mackinlay。セントマークス国立神学センター「高齢化および牧会研究センター」所長、チャールズ・スタート大学神学部准教授。一九九五年、四六歳で認知症と診断されたクリスティーン・ブライデンの相談相手となり、その深い対話からクリスティーンの著書『私は誰になっていくの?』が生まれ、「スピリチュアル回想法」がつくられた。
                  ききて 川村 勇次:通訳 馬籠 久美子
 
ナレーター:  今年三月、札幌にオーストラリアから一人の女性が訪れました。看護師で牧師のエリザベス・マッキンレー。長年高齢者の医療や看護の現場で働き、身体や心のケアだけでなく、その人の生きる意味を支えることが大切だと考えてきました。病気や障害のため、生きることの意味を見出せずにいる人々に、それを探し出す方法を伝えようと世界各地で活動しています。この日訪れたのは、認知症の人たちが暮らすグループホームです。エリザベスの方法の基本は対話です。話し合いに先立ち、参加者一人ひとりの人となりについて職員に確認します。これまでの人生の中で大切にしてきたこと、辛い経験などを、生きてきた歴史の中に生きる意味を見つける手掛かりを探すのです。川窪さんは四年前、五十四歳で認知症と診断されて退職。ここに通うようになりました。下田さんは看護師でした。三人の子どもを育てましたが、二人に先立たれています。渡辺さんは戦争中、家族と共に当時の満州に渡り、引き揚げてきた経験があります。
 

 
エリザベス:  下田さんにお聞きしようと思うんですけども、
 
下田:  どうぞ、どうぞ。
 
エリザベス:  下田さんが生きてこられた人生で一番大切なものって何でしょうかね。
 
下田:  いろんな―ですけど、家族の死に接することがやっぱり辛かったですね。
エリザベス:  渡辺さん、今ご自分の人生で一番大事なことって何でしょう?
 
渡辺:  一番大事なこと、家族との絆、それからみなさんここでお世話 になっている人たちの愛情ですかね。頂けるということはそれが私には一番幸せに感じました。
 
エリザベス:  川窪さんにもちょっとお聞きしたいんですけど、今ご自分の人生生きてこられて、一番大事なものって何でしょうかね。
 
川窪:  家族、
 
エリザベス:  家族って大事だと思うんですけど、もうちょっと聞かせて頂け ますか。家族ってどうしてそんなに大切なんでしょう。
 
川窪:  なくてはならないですよね。
 
エリザベス:  今、川窪さんは生きている意味ってどんなところに見ていらっしゃるのかなと思って、
 
川窪:  難しいですね(笑い)。
 
 
ナレーター:  エリザベスは、こうした対話を通して人生に深く分け入っていく方法を「スピリチュアル回想法」と名付けて纏めあげました。それは自分の人生を振り返り、今生きることの意味を見出せるよう助けるための方法です。研修や講演を重ねるエリザベスにその意味を伺いました。
 

 
川村:  エリザベスさん、今日はどうもありがとうございます。昨日私 たちはグループホームで暮らしている人、そして通って来る人との対話を立ち会わせて頂きましたけれども、ここでエリザベスさんが訊かれたのは、「生きる意味」ということでした。このことを話し合うというのはどうしてなんでしょうか。
 
エリザベス:  生きることに意味がなければ、生きる希望もありません。人にとって生きる意味を見出すことは、人間であることの中心にあるものです。どのような状況にあろうと、希望を見出すことのできる人は生き続けることができます。人生で守るべき大切なものがある、生きる意味がある、と信ずることができるなら、どんな逆境にあろうと生き続けることができるのです。ヴィクトール・フランクル(オーストリアの心理学者。著書に『夜と霧』がある:1905-1997)がこんなことを書いています。彼は、第二次世界大戦中、強制収容所で他の人たちと共にとてつもない苦しみを味わいました。そこで「早く力尽きてしまう人」と「生き延びる人がいる」ことに気付いた、というのです。そこで人々が持ち寄る希望、例えば夫や妻とまた会える日がくるかも知れないというような極めて望みの薄いものだとしても、その希望こそが彼らを生き延びさせている、とわかったのです。フランクルは言っています。どんな状況でも、希望と意味を見出すことが大きな違いを生む。それが私が、「意味を探す」と言っていることなのです。誰も人に生きる意味を与えることはできません。しかしその手助けをすることはできます。
 

 
ナレーター:  エリザベスが生まれたのは、第二次世界大戦中の一九四○年。少女時代の多くをメルボルンから汽車で八時間ほど離れた祖父母の農場で過ごします。この時の経験が、看護師、そして牧師の道に進むエリザベスの原点となりました。幼い日のエリザベスは、信仰心の篤い祖父母から大きな影響を受けました。祖父母は、羊を飼い、小麦を生産する農場を経営していました。
 

 
エリザベス:  私は子どもの頃、母と一緒に祖父母の農場で暮らしていました。当時父は戦争に行っていました。私は祖父の後をくっついて歩き、そこで起きることすべてに心を引かれたのです。動物が産まれる瞬間も、羊が殺されるところも見ました。解剖学を学んで、動物や人間の身体はどういう仕組みになっているのか。どうやって動いているのか知りたいと思っていました。特に祖父からは極めて大きな影響を受けました。祖父は当時小麦畑や牧場の真ん中にある村の教会の長老でした。信仰が篤く、教会に通って礼拝の手伝いなどをしていたのを覚えています。私もいつも祖父と一緒に教会に行きました。誰に対しても親切な人でした。祖父は私にとってお手本そのものです。信仰の旅路の模範でした。私が十二歳頃、祖母が脳卒中を起こしました。庭で遊んでいた時、祖父が呼びに来たことを覚えています。「おばあちゃんが倒れた!もうこれまでのようにはいかないぞ。おばあちゃんは重い病気なんだ」。そして、「救急車に乗って街まで一緒に行くかい」と聞きました。それで私は生まれて初めて病院に行きました。祖母は半身麻痺となっていて、以前の姿はもう二度と戻らないのだ、とわかりました。胸がいっぱいになり、その時どうしたらおばあちゃんの力になれるだろうと思ったのです。退院後、祖父は祖母の身の回りの世話をよくしていました。入浴も助けていました。祖母は大柄な人で太っていましたから、身体の麻痺が酷くなると、ベッドから車椅子に移動させるだけでも、祖父には大変な重労働でした。そこで祖父は農夫として培った技術を使い、寝室の天井に滑車とロープを取り付けて、祖母を吊り上げ、ベッドから椅子に移せるようにしたのです。祖父の工夫の仕方は、思いやりと知恵に溢れていました。私にとって祖父はケアのお手本でもありました。ちょうどその頃、私は将来の進路を決めなければならない時期にきていました。父は、私が教師になることを望んでいました。当時私は十四歳ぐらいでしたが、自分の人生は神に捧げたい、と切実に願っていました。それがキリスト教徒としての私の歩む旅路だと信じ、神のお導きを祈りました。
 

 
ナレーター:  エリザベスは看護師の道を選びました。十七歳の時、病院で働きながら看護の勉強を始めます。知恵に溢れた祖父のケアを理想に、看護の道に入ったエリザベス。しかし当時看護師に求められた役割は、手術の準備や着替えの手伝いなど限られたものでした。その後イギリスの病院でも経験を積み、どうしたら理想の看護に近づけるのか、懸命に模索を続けていました。
 

 
エリザベス:  一九六○年代半ば、私はメルボルンにある近代的な病院の形整外科で働いていました。その頃私は結婚したばかりで、自分の果たすべき役割や、これ何をすべきかを考えていました。私は形整外科の個室病棟にいたのですが、そこでは驚くことばかりでした。例えばこんなことがありました。私たち看護師が、身体介護をやり終えて、患者さんとおしゃべりをしていると、婦長がやって来て、「戸棚を掃除しなさい」とか、「他のことをするように」言うのです。患者さんと話をすることを禁じられていましたから、他に何もすることがなくて、ゲームをして時間を潰すことすらありました。私は、これは馬鹿げていると思いました。看護師として雇われているのに、この病院では仕事に何の満足感もないのです。これが本当に看護師の仕事なのだろうか。こんなことを続けられるのかしら。私は実習を受けた病院を訪ね、指導教員の方たちに話をしました。先生は言いました。「ここに戻って来なさい。そして看護師たちの先生になりなさい」。それがきっかけで、私は教える仕事に進むことになりました。この時先生の導きがなかったら、私は看護師を続けていなかったと思います。
 
川村:  当時の看護の仕事に足りないものって、どういうことでしょうか。
 
エリザベス:  人を人としてケアすることができていない、と感じていました。それは病院の組織にも、看護師に与えられる役割にも、看護教育にも共通して欠けている視点でした。そこでは一人の人のある部分を見るだけで、全体をケアすることはできませんでした。心や魂という人間の大切な部分に対するケア、つまりスピリチュアルケアがごっそり抜け落ちていたのです。患者さんのスピリチュアルなニーズを扱うのは、看護師の役割ではない、と教えられていたことに、私は気付きました。当時私たち看護師が果たす役割といえば、カトリックを信仰する患者さんの病状が悪化して、最期の儀式をしたいと望んだ時、神父さんが来る場所を用意し、その案内をすることぐらいでした。また別の宗派の患者さんたちにも、聖職者が病院に来てスピリチュアルなケアを行うことがありました。私は、あの人たちのしていることは、本当に素晴らしいと思い、心惹かれました。しかしスピリチュアルケアを提供している人は、みな正式に認められた聖職者でした。そして全員が男性でした。女性はそういうことができなかったのです。そこで私は考えました。そうだ、私は看護師で、それが私の役割だ。聖職者の役割とは違う。私は聖職者にはなれないのだから。暫くの間はそうやって物事に蓋をしていました。もっと他のやり方はないのか。私は看護大学に進み、看護教育を学び始めました。
 
ナレーター:  あくまでも看護師として、自分に何ができるか。可能性を追求しようとしたエリザベス。そんな折、自らの根底を揺るがす事態に突き当たります。検査で子宮頚癌(しきゅうけいがん)が見つかり、手術を受けることになったのです。それまで育児と看護の仕事に追われていたエリザベスは、自分自身の生きる意味を問い直しました。
 

エリザベス:  もしかしたら、私はこのガンで死ぬのかも知れない、と私は考えました。これは、私にとってどんな意味があるのか。私が私として、今ここにいることにどういう意味があるのだろう。私は自分の人生すべてを振り返り、検証し始めました。すると、中にはあまり良いとは思えないものがありました。パーティーに行ったり、いろいろなことをして楽しんでいたことなどです。そして突然気付いたのです。そこは私がいるべきところではない。私のいのちは私に与えられた贈り物なのだ。この与えられたいのちで、何をするかが大事なのだ、と。神はこのいのちを他の人のために使うことを望んでおられるし、私には与えるべきものがあると、自分が信じていることに気付いたのです。それ以来ずっと私はあの時ガンになったことに感謝しています。
 
川村:  ご自分の生きる意味をそうやって問い始められて、答えはすぐに得られたのでしょうか。
 
エリザベス:  人生の旅路では、一度にすべての答えは得られない、ということがわかりました。またこの旅路を歩くうちに、驚くようなことがどんどん起きてくるので、時々立ち止まって、凄いと言わずにはいられないほどでした。それからずっと長い間看護実践法の開発に携わったのですが、向かうべき方向が見えてきたのは、看護教育学の修士号を取るために勉強していた時です。当時、私は看護の立場から感染症に対する対策を研究していました。高齢者が何故インフルエンザの予防ワクチンを、接種することを選んだり、選ばなかったりするのか。その理由を調査した時のことです。四人から六人ほどのグループを設定し、アンケートに答えてもらったのです。アンケート記入には三十分ほどかかりました。それで私は、その施設で暮らしているお年寄りたちにとても気の毒なことをしたと感じました。「私は、こんなことのためにお時間を使わせて申し訳ありません」とお詫びしました。するとお年寄りは、「いいえ、いいえ。ありがとう」と言ったのです。「ありがとうって、何をですか?」。するとこう言いました。「何かを考えたのは、随分久しぶりなんですよ」。それで私はお年寄りたちに、「毎日どんなことをしているのか?」を聞きました。すると、彼らは言いました。「意味のあることは何もないのです。私たちはここにいても良いと思える理由は何もないの」。その時私は思ったのです。「あ、これが欠けている部分だ」と。老いることにはどういう意味があるのか。お年寄り自身にとって、老いることはどんな経験なのか。困難に直面した時、同じような健康状態でも、希望を持てる人と、病気に負けてしまう人がいるのは何故か。どうして生き生きしている人と、そうでない人がいるのか。こうして私は何十年も前からの疑問に再び向き合おうとしていました。誰も注目していませんでしたが、そこに本当のニーズがあると思いました。同時に、私は自分の信仰を深めることにも心惹かれていました。それで神学を勉強し始めたのです。
 

 
ナレーター:  人々の生きる意味と関わっていく必要を感じたエリザベス。看護師をしながら神学を学び、五十三歳で牧師となりました。女性には閉ざされていた聖職者への道が漸く開き始めた頃でした。年老いたり、病気になったりして、生きる気力まで失いかけた人たちが、どうすれば生きる意味を見出せるのか。牧師になって二年後、エリザベスの元に一人の女性が相談に訪れました。キリスト教の集まりで出会ったクリスティーン・ブライデン。四十六三で認知症と診断され、失意のどん底にあった彼女は、自分の魂を導いてくれるスピリチュアルディレクターを求めていました。
 

 
エリザベス:  クリスティーンは言いました。「私のスピリチュアルディレクターになってくれませんか」。私は困ってしまい、即答できませんでした。私は、看護師で、牧師にもなっていましたが、私の中の看護師の部分は、「認知症の人のスピリチュアルディレクターなんてどうやったらいいかわからないわ」と言っていました。そこでクリスティーンには、「神にお祈りしてみなければ」と言いました。彼女は言いました。「私があなたに頼んだのは、あなたが看護師で牧師だからです。私にはその両方が必要なのです」。私の看護師の部分はこう言いました。「認知症は、病状を管理すればいいのよ。ケアのモデルもあるし、認知症の進行段階に合わせてみれば、すべて予測できる。当て嵌めさえすればいい」。一方牧師の部分はこう言っていました。「この旅を歩みなさい。とにかくやるのよ」。そんなふうにして、私たちは彼女の家で会うようになりました。最初の頃は、二週間に一度ぐらいだったでしょうか。大抵私が彼女の家に出掛けて行き、一緒に昼食を食べ、共に時間を過ごしました。これは驚くべき時間でした。スピリチュアルディレクターは何をするのか。それは人生の旅路を共に歩くのです。その途上で、その人が自分自身で意味を見出せるよう助けるのです。ではどうすれば認知症に意味を見出すことができるのか。当時私にはわかりませんでした。私は看護師ですから、病室に入って行って、「ブラウンさん、今日は足の具合は如何ですか?」とか、「咳はどうですか?」と聞くことはできます。しかし、「認知症の具合はどうですか?」と聞くことは、同じには思えません。認知症という言葉を使うことすら避ける人も多いのです。そこで私は聞きました。「何について話しましょうか?」。「認知症について話したいんです」と彼女は答えました。それがクリスティーンと私との対話の始まりでした。彼女が本気で信仰の旅路を歩むようになってからまだ日の浅い時期でした。
 
 
ナレーター:  クリスティーンは、オーストラリア連邦政府で働きながら、離婚した夫との間の三人の娘たちを育てていました。認知症が進むと、娘たちの顔もわからなくなってしまうのか。どうやって娘たちを育てればいいのか。さまざまな不安に、エリザベスは耳を傾けました。クリスティーンがもっとも怖れていたのは、心の拠り所としていた信仰に関わる問題でした。
 

 
エリザベス:  「この病気を旅するうちに、私は神を失うのでしょうか」。私は、どうしよう。そんな質問があるとは思わなかったわ、と思いました。それは手にあまる大変な質問でした。当時の医学では、この病気の進行と共に、自己は崩壊する、とされていたからです。自己が失われるのに、神に答えることができるのでしょうか。不可能だと思いました。つまり看護師としての部分では、「病気によって自己が崩壊するのだから、神がわかる可能性はない」と考えたのです。一方で、牧師としての部分は、「さあ、それはわからないわよ」と言っていました。「可能性はある筈だ」と。それで私は、「スピリチュアルなものへの意識は、最後に失われるものだと思うわ」と言ったのです。ところが、彼女がその時の会話をもとに書いたメモを見ると、「スピリチュアルなものは失われない」と私が言った、と書いてあったんです。私はそのメモをじっと見つめました。「クリスティーン、私はそうは言わなかったわよ。スピリチュアルなものは最後に失われる、と言ったのよ」。すると彼女が言いました。「確かにそうね。だからそれは私は死ぬまでスピリチュアルなものを持ち続ける、ということでしょう」。その言葉を聞いて、私は自分の信仰を根本から考え直しました。私の信ずる神は、認知症の人に対して、どこにおられるのか。神は、人と話すことはできなくなり、すべてを失ったような人間でも包み込んでくださるほど大きい存在ではないのか。それとももっとも神を必要としている人間の傍には、居てくださらないようなものなのか。私は思いました。良い時だけ、そこにいるような神は、神ではない。すると、十字架に架けられたイエスが心に浮かびました。認知症の人たちのためにも、神はおられる、ということを信じないならば、イエスが私たちのためになさったことを、否定することになりはしないか。私は自分の中の疑う心と闘いました。その時に私は大きく成長することができたと思います。自分自身が心にどういう神のイメージを抱いているのかを問われたわけですから。
 

 
ナレーター:  私は誰になっていくのか。エリザベスとの対話を重ね、生きる希望を見出そうとしたクリスティーンは、その歩みを一冊の本(『Who will I be when I die? (日本語訳:私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界)』に記しました。
その後クリスティーンは結婚相談所を訪ね、元外交官のポール・ブライデンを紹介されました。翌年結婚。生きる意味を求める旅を続けます。クリスティーンは、自らの経験を語り伝えるため、世界各国を訪れ、二○○三年には日本にもやってきました。認知症になったら何もわからなくなると考えられていた当時、自分の内面を見つめ語るクリスティーンの言葉は、それまでの常識を覆すものでした。
 

 
私たちの心を読み取り
何ができるかを見ながらケアを調節してください
死までの旅路を歩めるように
 

 
ナレーター:  『Dancing With Dementia: My Story Of Living Positively With Dementia(私は私になっていく―痴呆とダンスを)』。クリスティーンは生きる意味を見出し、希望を掴み取った自らの軌跡を二冊目の本に表しました。
 

 
エリザベス:  彼女の二冊目の本は、病気の進行と共に、認知症の人と周りの人、そして神との関係がどう変化していくかを語っています。認知機能が少しずつ崩壊していくことを語りながら、彼女はこのことを見事に表現していると思います。クリスティーンは病気が進み、自分でシャワーを浴びることさえ難しくなりました。温度調節ができないため、誰かがいないと火傷(やけど)するかも知れないのです。身体的なことが徐々に崩壊してきていました。クリスティーンは、自分の外側からいろいろなものが失われていっているといいます。例えば名前を記憶する能力が失われつつあります。しかし彼女の存在の奥深くには、人間であることの本質が現れています。それはこの病気によって損(そこ)なわれはしないのです。例えれば名札が剥がれ落ちるようなものだ、とクリスティーンは言います。娘たちの名前を思い出せなくても、誰なのかがわかる。知っているとは外側に名札を貼ることよりもずっと深いことなのだ、と。これは私が自分の母について経験したことでもあります。母は二年ほど前に亡くなりましたが、晩年は認知症でした。私は母のところによく行きましたが、「母に会えに行く」と言うと、多くの人が、「お母さんは、あなたがわかるの?」と聞きました。私は言ったものです。「それは間違った質問よ。大事なのは、母がどう思うかなのよ」。私は母が起き上がって、「エリザベスよく来てくれたわね」などと言ってくれるとは期待していませんでした。でも母の目や手の握り方から、母はまだそこにいる、ということが私にはわかりました。母の死の瞬間に傍にいられたのは光栄なことでした。本当に特別な時でした。知っている、ということは人に名札を貼ることではないのです。その人の心や魂と深く繋がっているということです。それがクリスティーンが私に教えてくれたことです。彼女と周りの人たち、そして神との関係は変化しながら続いていくのです。
 
川村:  そうすると、クリスティーンは「知る」ということについて、彼女の考えを言ったわけですけれども、エリザベスさんもそれをまったく自分も同感であると思われたわけですか。
 
エリザベス:  はい。納得できました。神が認知症の人をどうご覧になっているか、もう一度見つめ直し、発見することでよく理解できました。クリスティーンの言っているのは、人間の本質に関することであり、それは大変よくわかります。認知症の人が私に教えてくれたのです。
 

 
ナレーター:  クリスティーンとの経験を通じて、エリザベスの研究は新たな段階に踏み込みました。生きる意味は、すべての人に必要なことではないのか。エリザベスは各地の施設に暮らす百人以上の認知症の人たちと生きる意味を探す対話を行いました。そして連邦政府の助成金も得て、誰もが実践できる方法論として、五年がかりで纏めあげました。それが『スピリチュアル回想法』です。エリザベスがクリスティーンとの対話を始めて十五年、オーストラリアでは年に一度、「認知症啓発週間」が定められ、さまざまなイベントが行われるようになりました。二年前ブリスデンで開かれた若年認知症についてのシンポジウム。エリザベスは、「スピリチュアル回想法」について講演しました。ここにクリスティーン夫妻と共に、彼女の体験に励まされた札幌の若年認知症の男性二人も招待されていました。
 

 
エリザベス:  「スピリチュアル回想法」は、できないことではなく、できることに注目します。この違いはささやかですが重要です。「私は私である」という感覚を取り戻す助けになります。
 
ナレーター:  シンポジウムでは日本からの参加者も発表しました。
 
川窪:  みさなん、今日わ。合奏団です。演奏させて頂きます。
 
ナレーター:  若年認知症の男性とその妻、ケアスタッフが生きる意味を求めて結成した楽団です。クリスティーンとエリザベスは、認知症が進んでも生きる意味は持ち続けることができる、と説いています。楽団のメンバーは、時にそれを見失いそうになる不安を二人に語りました。
川窪:  頭の中がもやもやがずっと継続する時と、なんか急にパッと晴れたみたいになる時と交互になるんですよね。なんか良い方法がないかなということで、藻掻くんですけど、そこのところの答えはまだちょっと解いていかないと。
 
エリザベス:  問題は本当の私にどこから繋がっていけるかです。宗教的な儀式を通してでしょうか。スピリチュアルなことからでしょうか。あるいはもっと広く考えることもできます。花の美しさや身の回りのもの、音楽や芸術を通して本当の私に繋がることもあると思いますよ。
 
川窪:  音楽が特に好きで、音楽を中学校ぐらいの時からかな、ずっとやってきたことが凄く自分の人生の中でも潤いにはなっている。
 
エリザベス:  素晴らしいですね。これまで長い間音楽を大事に思ってきたことが、今あなたが生きる意味を探す上で中心になっているのだと思います。演奏をしていると元気がでると聞けて嬉しいです。良かったですね。
 

 
川村:  エリザベスさんは、「スピリチュアル回想法」というものを創られて、いろんな多くの人とやってこられた。これから何をしようとされているのか教えて頂けますか。
 
エリザベス:  今、私はこのプログラムを、認知症の人々だけでなく、認知症でない人々に応用できるように発展させたいと思っています。人生について、より深くスピリチュアルなところで考える能力は、本来人間に備わっているのかも知れません。けれども、二十世紀西洋では文明の発達と共に、私たちはこの能力の多くを捨て去ってしまいました。そしてこう言ったのです。「ほら、今の私たちはずっと賢くなった。科学技術は進歩して、あらゆることを解決するだろう」。でも、おそらく中世には人々が、人生の旅路でスピリチュアルに成長し、生きる意味を見つけ、それを神と結び付ける方法が確かにあったと思うのです。私はオリンピック選手のことを思い浮かべます。選手たちはあらゆる身体的な技を練習し、高度な能力を発揮できるまでに身体を鍛え、より高い限界に挑みます。ともすれば、おろそかにして終いがちですが、スピリチュアルな面についてもまたそのような練習と意識的な取り組みが必要だと思います。スピリチュアルな領域を旅するには、生きる力がさらに必要になるからです。老境に差し掛かっている人には尚更のことです。人は中年以降、我を省みて、人生の意味を考え始めるという自然な流れがあると思います。私は何のために生きているのか。この思いは老いるに従ってもっと強くなります。生きる意味を失い、生きることに堪えられず、もう死にたいと思っている高齢者もいます。スピリチュアルなことは、このような領域で素晴らしい可能性を発揮できると思います。人が老いることで重要な点は、歳と共に身体が衰えていくという事実です。それはおそらく若い頃には、思いもしなかったような、乗り越える力を発達させるきっかけになります。あたかも神は、人間が身体の衰えと共に、困難や喪失を乗り越える方法を身に付け、神に近づいていくという賢明な計画を持っておられるかのようです。作家のリック・ムーディ(アメリカの小説家:1961-)は、「老いることは、私たちが、「する人(human doing)」から「いる人(human being)」へ、そして「なる人(human becoming)」へと移っていくための自然の修道院なのだ」と言っています。私たちは、クリスティーンが言っているような、本当の自分へと成長することができるのです。これは現代の消費社会では難しいことです。しかしもはや私たちは何を作ったかによって自分の価値を証明する必要はありません。ただ、居ることによって受け入れられるのでなければなりません。歳を取るに従い、身体と心、魂の繋がりがより強く密接になり、本当の自分になっていくのです。
 

 
エリザベス:  渡辺さんが今まで生きてこられて、その中で一番嬉しかったこと、思い出、何かありますか。
 
渡辺: 私の、あれは戦争があり、いろいろあったから。私の人生はやっぱり辛いことが多いんですよね。満州から引き揚げて来る時に、ロシア人に追いかけられたりして、それで山の中に逃げ込んで、それで母親がお腹が大きかったんですよね。それで今度、私、慶子というんですけど、子どもが出てくるのに、みんな助けてくれないんです。自分の身がやっとですからね。「慶子、赤ちゃん引っ張ってくれ!」と言ったってね、引っ張りようがないんです、まだ十一歳ですから。そして昔の人だから着物着ていたから、腰巻き取ってね、そうしたら兵隊さんが二人来たんです。兵隊さんに助けられて、その赤ちゃん、腰巻きに包んで、穴掘って、そして土かぶせて、刀持っていたからすぐ殺して、すぐ歩いたんです。歩いて帰って来た。「日本、日本」とね。誰も待ってくれないんですから。みんな自分の命が大事だからね。日本に帰って来るの、みんな楽しみにしてね、「日本、日本」と言って帰って来たんですよ。母親が帰って来て、お産の後が悪くて、もうお腹もカンカンでね、それで二ヶ月ぐらいで亡くなっていったんです。
 
エリザベス:  日本の戦争の話というのは、ちょっと読んだり、どこかで聞いたことがあったんですけど、こんなふうに話して頂いたのは初めてなんで、こんなお話聞かせて頂いて光栄だなと思います。
 
ナレーター:  渡辺さんは長い間話続けました。しかし他の参加者はずっと耳を傾けていました。自分にとって大切な話をみんなに聞いて貰えること、エリザベスはそれもまた生きる意味を探す大切な鍵だと考えています。
 
渡辺: だから思っていても、この人何だ。ほら吹いているんじゃないかと。やっぱり経験していないと、そう思うんですよね。戦地の話を何十年ぶりに、聞いて頂いて有り難うございます。
 
エリザベス:  お話くださって有り難うございました。川窪さんの場合は、今まで生きていらっしゃって、一番楽しかったこととか、一番今嬉しいこととかって何でしょうね。
 
川窪:  今、絶好調だからね(笑い)。けっこう元気。これキープしないと。
 
エリザベス:  今、認知症でいらっしゃるでしょう。認知症でクラリネットを吹くというのはやっぱり嬉しいことですか。
 
渡辺: どうだろうね。慣れちゃったからね。あんまり気取りもなく、喜んでという感じだね。へたくそですけどね。
 
エリザベス:  (笑い)上手ですよ。すぐ謙遜なさるからね。さっき渡辺さんの方から、ちょっとこれが辛かったんだよ、というような戦争のお話を伺ったんで、川窪さんと、それからその次に下田さんに、人生の中で、これが辛かったな、というお話をちょっと聞きたいなと思うんですけども。
 

 
グループホーム職員 藤井宏子:  今日、来られた方は、普段も、例えば心の話とか、そういう家族の話とか、割と語ってくれる方たちなんですけれども、あんなにスパッと答えるというのは、私は思っていませんでした。すっきりと答えていたし、あまりはぐらかさなかったし、それからけっこう難しい話題でも的を得た答えをしていたと思います。それは驚きました。表面的にただ落ち着いて過ごせるとか、それから楽しい場面というのは一杯あるんですけども、もし私がこういうところにいるとしたら、それだけじゃないでしょう、と、やっぱり思うんですよね。自分が死ぬ前に私の生きてきた意味とか、そういうのがもし記憶とかが上手くいかなくても、自分でその意味はなんらかの形で掴み取りたいと思うので、そこの部分を一緒にいる人に助けて貰えたら―さりげなくですけども―助けて貰えたらいいな。そのことを私は忘れないように傍にいて頂けたらいいなと思うので、そういうふうにありたいと思いました。
 

 
エリザベス:  素晴らしかったと思います。よい分かち合いができましたね。
 
川村:  初めてですけども、上手くいきました?
 
エリザベス:  今日は違う文化、違う言語の人たちとの間で、果たして上手くいくだろうかと思っていたのですが、オーストラリアの場合と非常によく似たものが出てくることがとてもよくわかりました。
 
     これは、平成二十二年五月二十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである