天平(てんぴょう)の言霊(ことだま)をみつめて
 
                     奈良大学教授 上 野  誠(まこと)
一九六○年福岡県生まれ。民俗学者、万葉学者、奈良大学文学部国文学科教授。「万葉集」の挽歌史的研究と、万葉文化論を主な研究の対象とし、主な手法研究は歌から飛鳥・奈良時代の生活情報を導き出し、それを用いて万葉集の読みを深めるという。数多くの講演や万葉ウォークイベントを行う。そのほか、NHKのラジオ、テレビで万葉集を講義。MBSラジオ番組での「上野誠の万葉歌ごよみ」を放送中である。飛鳥周遊リレーウォーク・毎日カルチャースペシャル ラジオウォークには毎年講師として参加している。「平城京遷都1300年記念イベント」の中心メンバーでもある。著書に「古代日本の文芸空間」「古典と民俗学論集」「魂の古代学」「万葉体感紀行」「万葉びとの生活空間」「みんなの万葉集」ほか。
                     き き て  岸 本  多万重
 
ナレーター:  今から千三百年前、奈良平城京に都が移り、天平文化が華開きました。その時代に編纂されたのが、日本最古の歌集『万葉集』です。七世紀から八世紀にかけて作られた和歌、およそ四千五百首が納められています。奈良大学教授の上野誠さんは、『万葉集』の魅力に惹かれ、凡そ三十年にわたって研究を重ねてきました。上野誠さんの研究の特色は、体で感じる万葉集です。歌が詠まれた場所を実際に歩いて、歌の世界を追体験し、理解を深めることを大切にしてきました。その上野さんが最近関心を高めているのは、唐招提寺を開いた僧侶鑑真(がんじん)(奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖:688-763)です。鑑真が唐から苦難の末、日本に渡って来たのは、七五三年。『万葉集』の成立と同じ時期に当たります。天平文化の中で重要な位置を占める万葉集と鑑真。今も日本人の心に大きな影響を与えていると、上野さんは考えています。
 

 
岸本:  『万葉集』からお話を伺いますけれども、『万葉集』の魅力について上野さんは、どんなふうにお考えになりますか。
 
上野:  そうね。私自身の見方は、なんか芸術、芸術ということで、愛と死を見つめるみたいな万葉観に対して、なんか肩肘張るのを止めて、千三百年前のスナップ写真を見るように、「あ、こういうこともあるのか」「こういう思いがあったのか」というふうに、私は見た方が、よりいろんな情報が『万葉集』から掬えるんじゃないか。またいろんなものが浮かび上がってくるんじゃないか、と思っています。ちょっと紹介されてもらうと、こういう歌があるんですね。作者未詳歌なんですけどね、
 
     恋をいへば
     薄きことなり
     然れども
     我は忘れじ
     恋ひは死ぬとも
      (作者未詳)
 
「恋をいへば薄きことなり」というのは、恋をいうことを口に出して、「好きだよ」とか、いろんなことを言ったとしても、それは所詮言葉だ、と。それは薄っぺらなものじゃないか、と。そうすると口がうまい人は勝つわけですよ(笑い)。
 
岸本:  今の時代はそうかも知れませんね(笑い)。
 
上野:  今の時代はそうなりますよね。口で「好きだ、好きだ」と言っていればいいわけだからね。だから恋と言えば、「薄きことなり」うすっぺらなものだ。そうであるけれども、「我は忘れじ」私は忘れないよ。恋は死んだとしても、というぐらいのことなんですね。「恋をいへば 薄きことなり 然れども 我は忘れじ 恋ひは死ぬとも」。これをどういうふうに言おうかと、イメージとしてね。「私は教養もないし、歌も詠めないし、あんまり家だって裕福じゃないしね、でもアナタを思っている気持ちは深いんですよ」というようなものを、もし訴えようとすることだったら、私、ちょっとこういうふうに訳してみたんですね。
 
口に出して言ってしまえば「恋」なんてうすっぺらな言葉だよ・・・
でもね、アタイはね、忘れないよ、アンタのこと。たとえ、恋に狂って、死んじまったとしてもね、
 
ぐらい訳すと、「アタイは」とこう。それを「わたくし」というのか、「わたし」というのか、「あたし」というのかね。もう「アタイ」というのは一番くだけた表現ですね。
 
岸本:  プライドがないですね。
 
上野:  同じ表現でも、「私、真心で考えてよ。うまくも言えないよ。でもね」というところがあるでしょう。それを「アタイは」というところで、こういうふうに設定をいくつかしていって、訳したら、こういう口語訳ができるよ、と。
 
岸本:  『万葉集』には、挽歌(ばんか)―亡くなった人を悼む歌というのも数多くあるんですね。
上野:  ええ。私自身は、研究の最初期には―二十代後半から三十代半ばまでは、『万葉集』の挽歌の研究を中心的にやっていたわけです。その中でこういう歌があるんですね。
 
     人はよし
     思い止むとも
     玉かづら
     影に見えつつ
     忘らえぬかも
      (倭大后)
 
これ天智天皇が亡くなった時に、倭大后(やまとのおおきさき)という―皇后さんですね―が詠った歌なんですよ。他人はもう思うのを止めて忘れるかも知れない、と。「人はよし思い止むとも 玉かづら影に見えつつ」―「玉かづら」は、「影」にかかる枕言葉ですから、影に見えながら忘れない、と、こういうわけですね。これを私は読んだ時に、、お葬式に出ましたら、いろんな葬式との関わり方があるんですね。ほんとに自分の肉親を亡くしてしまった、友人を亡くしてしまった。一方で、いやぁ、会社の上司から、「このお葬式は出ておきなさい」と言われて来ているんだ、という人だっているかも知れない。つまりその人を弔うということでは同じなんだけれども、思いはみんな違うわけですよ。関わりがさまざまなんですよ。そういった時に、「あなたのことはたとい他の人が思うことを止めたとしても、少なくとも私だけは、あなたのことを覚えています」。これは死者に対する最大の敬意だし、最大の愛情表現だ、と思うんですよ。ちょうど私が多分大学院生頃だと思うんですけど、東京にマザーテレサ(カトリック修道女。インドのコルカタで孤児・病人の救済に献身:1910-1997)が来られまして―多分四谷(よつや)の大学のキャンパスだったと思うんですけどね―私はちょっと後ろの方から聞いていたんです。マザーテレサが、「私は、死を待つ人の家≠ニいうのをやっている。路上生活をしている人たちがいるんだが、最期にほんとに手の尽くしようがなくて、死を待つしかないという時に、その家に来てもらって、その人のまず名前を聞いて、次にお弔いを出す時のために、本人の意向を尊重するために宗教を聞く―ヒンズー教、イスラム教、キリスト教とかいろんな宗教の人がいますからね。それは何故かというと、「死者に対する尊厳を守るためだ」と言っていたんです。それは、「どんなに物質的で豊かで、経済的に豊かであっても、死ぬ間際に一人ぼっちの死ほど孤独なものはないでしょう」というわけですよ。「あ、そうか」と。つまり、「ひょっとすると一度も名前なんか呼ばれたことがなくって、実際には名前が付けられていない方もいらっしゃる。名前を初めて呼ばれる、初めて付けられる。そういった人たちが、最期に自分も世の中に生きたことが尊重されて、あの世に飛び立っていく、そのお手伝いをしている」というふうにおっしゃっていたんですね。で、私はその時はわからなかったんですが、数年して天智天皇挽歌を調べていて、「人はよし 思い止むとも 玉かづら 影に見えつつ 忘らえぬかも」という表現を、「どんなに他の人が忘れているとしても、私の心の中にはあなたの姿は永遠ですよ」というふうに、これ最大の愛の表現である、と。マザーテレサが言っていることは、どういうことを言っているかというと、「自分ができるのはたくさんの路上生活者のほんの一部の人の看取りをしてやることしかできない。でも自分たちであっても、こういう生活をしている人間であっても、最期はこの世に自分の生というものを認められて、自分の生きているということの尊厳を認められて、死んでいくことができると思えば、多くの人たちに勇気が与えられる」。その時に私は忘れられないんでけれども、こういうふうにおっしゃっていたんですね。「愛の反対語というのは、憎しみだ、と思っているかも知れませんが、そうではない。無視だ」。無視しないということを、言っていたんですね。それで僕は考えていて、常に古典の表現というようなものの中で、確かにその表現がどういうものを意味しているか、ということを、千三百年前に返って解釈をしていくということが我々の一番の仕事で、人が読めないものを読めるようにする。間違った解釈を正す、というのが、我々の仕事なんだけれども、その表現が今の私たちにとってどういう意味があるか、ということも、まったく関係なしに、私は古典学者だから千三百年前だけというのも、これを私は古典学者としてやっぱりよくないことだと思うんですね。
 
岸本:  『万葉集』の挽歌と、今お話頂いた、東京で出会われたマザーテレサの言葉が繋がっていく。人の気持に届いていくという。
 
上野:  つまり我々はね、ほんとにもの凄い大きな思想だなとか、凄いなとか思うもの、それがなんか遠くから来るものはみんないいのかというと、そうではなくて、日本の歌の源流になっている千二百五十年ぐらい前―もうちょっと後かね―それぐらいにできた歌集に、こういう思想だと読み取れないこともない。
 
岸本:  現代に生きる私たちと、ほんとに気持が繋がっているような気がしてくる感じがするんですが。
 
上野:  そうですよね。共通するものは大きいわけですよ。だから『万葉集』を読んだり、『源氏物語』を読んでも涙が流れることがあるわけですね。それはその時代の「言霊(ことだま)」という考え方が、万葉集の時代に既にあるんですが、「言葉というものは魂である」と。従って、その言霊というものは、魂なので、相手の魂を揺り動かすこともあるし、励ましてくれる、祝福してくれることもある、という考え方なんですよ。我々は医学の発達とともに、長寿社会というのができたんだけれども、それでも生命というのは有限である。そうすると、「言葉だって信じられない。言葉なんて薄っぺらなものだ」と言いながらも、自分が死んだ後に残るのは、ひょっとすると言葉だけかも知れないんですよ。つまりその時作った歌。そういう意味でいうと、『万葉集』は万葉集として、七世紀後半から八世紀半ばまでを生きた人の証だし、今歌を作っている人は、二○一○年の今を生きている証だし、歌というのは、肉体が朽ち果てるものであるならば、それはやっぱり生きた証として考えていくべき側面があるんだと思います。喜怒哀楽(きどあいらく)―喜び悲しみというようなものを、どういうふうに表現し、どういうふうに癒すか、というのは、今日では宗教の役割なんだけれども、ひょっとすると、日本人の心の中で、思いをどう伝え、人間の心をどう癒し、人をどう悼むか、ということで考えると、わかっているのは、多くの日本人にとって宗教かも知れない。つまり死の間際に、どういう歌を残し、肉体が朽ち果てた後に、それをどういう形で伝いたいか、ということで考えると、歌というのは―ほんとに我田引水で申し訳ないんだけれども―私は、日本人にとって一番影響力のある宗教だと思っています。
 

 
ナレーター:  上野さんは、一九六○年、福岡県の着物問屋を営む商家で生まれました。その家族は親戚一同日々俳句を楽しむ、いわば文学一家でした。
 

 
岸本:  上野さんは小さい頃から本を読むのがお好きだったり、文学の勉強に興味がおありだったんですか。
 
上野:  そうでもないですね。確かに環境はそうだったと思います。福岡という土地柄も、松山ほどではないのですが、けっこう俳句が盛んで、母親もホトトギス(正岡子規・高浜虚子が関わった俳句雑誌)の同人で、親戚もほとんど俳句をしている俳人なんですよ。それで親戚の寄り合いがあるたんびに、向こうの言葉で、「まことしゃん、どうして俳句をせんとね! はよう俳句ばせな跡取りにならないかんばい!」と言うんですね。まあそれはその地域で、そういう役割を果たしていますからね。それが嫌でね。でも考えてみたら、ちょっと外れましたけど似たようなことをやっていると思いますよ。
 
 
ナレーター:  上野さんに大きな影響を与えた一人は、母親の繁子さんです。繁子さんは息子の成長の節目に自作の俳句を送って励ましました。
 

 
上野:  大学受験に落っこって浪人したわけですね。で、まあ勉強して合格した時に、その時に母親が、俳句を二句僕にくれたんですね。その一つは、
 
     受験子(じゅけんし)のもう振りむかぬ距離に母
 
「受験子」というのは私ですね。もう振り向かない距離に母親が立っている。大学へ行くのを見送るわけですね。もう一つの意味は、多分青春期に差し掛かっていて、子どもと心が通じ合わなくなってきたという寂しさを詠っているのかも知れない。もう一つは、
 
     子には子の夢を羽ばたかせて鳥雲(とりくも)
 
子どもには子どもの夢を羽ばたかせて、鳥が雲の中に消えていくように、飛び立って行きなさい、と。そういうなかなか良い句をもらったんですね。東京に行きまして、私が、学校の食堂でうどんをすすっていますと、多分前にその席にいた人が新聞を置いていってしまったみたいなんですね。誰も居ないから読んでいいだろうと思って読んだ。たまたま俳壇のところがありまして自然と目をやると、こういう俳句が載っていた。ああ、いいな、と思いましてね、
 
     一流に少し外れて入学す
 
まあしょうがないか。ちょっと一流というわけではないけども、まあ合格は合格だ。良かった。ふっと見ましたら、「福岡」とこう書いてあるんです。あ、俺と同じ同郷か。ふっと見ましたら、「上野」と書いてあるんですね。で、「上野繁子」と見た時に、あ、お母ちゃんや。こう思った時に、私にくれた短冊と新聞に投稿したのはこんなに違うか、と。ところが、「一流に少し外れて入学す」の方が、母親の安心という感じが出ている。これが私にとっての十九歳の時のスナップ写真なんですよ。当時の写真がたとい燃えてしまったとしても、私自身の思い出を語る時に、母親のその三句は残るわけですよ。
 

 
ナレーター:  大学では歴史学を学びたいと考えていた上野さん。しかし希望した道には進むことができず、第二志望の国文学に取り組むことになりました。そこで『万葉集』と出会います。研究を進めるうち、歴史書にはない魅力を『万葉集』に見出し、次第に引き込まれていきました。
 

 
上野:  歴史というのは、ほんとに事務的なんですよ、ある意味で。しかも何か事故が起こった時とか、政治的な政変とか、そういうことについては書いてある。ところが日常を送った時、どういう宴会をやったか。宴会の時にどんな美人が侍(はべ)っていたか。どんな御飯が出たか。その時にどんな歌を詠ったか、というのが『万葉集』なんです。歴史書には出てこない。そうすると『万葉集』が語る歴史というのは、「日本書紀」や「続日本紀」というのは官報。要するに官報というのは、日本国政府が出している政府の公のいろんな法令を布告したりする、というものですよね。更には新聞の一面記事―首相はどういうことに直面して、どういう政治課題があるか。ところが『万葉集』というのは三面記事だったり、週刊誌だったりするわけですよ。例えばバッシング(bashing) を受けている政治家―大臣の奥さんはどんな買い物をしているのか。どんな買い物の仕方をしているのか。更には悲惨な事故に遭った家族たちは、その後どういう暮らしをしているのか、というようなことがわかるのは、実は新聞の三面記事だったり、社会面だったり、更には週刊誌だったりするわけですよ。だから『万葉集』というのは、むしろ公の歴史、公の時間というものを記述する官報や新聞の一面に対して、私的な時間を記述する。まあ新聞の三面記事だったり、週刊誌だったり、というようなものとして読んだ方が、より実存(じつぞん)に近い。「実存」というのは難しい言葉ですが、実際に近い、そういうことですね。
 
岸本:  そういう解釈というのは、なかなか『万葉集』というものを最初捉える時に、思い浮かばない発想ですね。
 
上野:  それは、『万葉集』そのものが持っている魅力を本当にみんな語り得たか、というと、私はまだまだ語り尽くしていない、と思うんですね。「こんな歌もあるんですよ。こんな世界もあるんですよ」ということを示していくことだって、我々の仕事の一つだと思いますね。
 
岸本:  四千五百あるんですものね。
 
上野:  それは、七世紀、八世紀を生きた人の声を四千五百十六首、これを持っているということは財産だと思うし、きざな言い方なんですけど、「声の缶詰」だと思っているんですよ。声を缶詰にして閉じ込めちゃって、それを開けると匂いがしたり、味がしたりする。どういうふうに吟味していくかというのは、それは現代人の我々の感性で読み解いていく部分が絶対にあると思うんですね。それがなかったら、平成の時代に勉強している意味はないでしょうね。
 

ナレーター:  上野さんが、『万葉集』の研究で大切にしているのは体感することです。歌が詠まれた現場へ赴き、そこに身を置くことで、理解が深まると言います。更には歴史学や考古学、民俗学などの研究成果を取り込んで、歌が詠まれた当時の暮らしがどういうものであったのか、を考えていきます。こうした方法を採るようになったのは、大学時代に出会ったある研究者の影響があったからです。
 

 
上野:  古典だけでなく、文学品の半分は読者が作るものなんです。読者側が持っている生活体験というようなものが、読む時に反映されるのは当然です。それを排除することはできない。読むのは自分なんだから。そこからスタートしなければいけない。そういうことを国文学で強く意識しなければいけない、ということを言ったのは、折口信夫(おりぐちしのぶ)(日本の民俗学、国文学、国学の研究者:1887-1953)という学者ですね。折口信夫の言霊の中で、私が大切にしている言葉があって、どういうことかというと、「日本文学の研究の出発点というものは、日本人の生活と文学がどのように関わるというところから考えなければいかない」。つまり生活というものがあって、そこから文学が生まれてくるんだから、生活部分を抜きにして解釈をしてしまうと、大きな過ちを犯してしまうのではないか。だから生活を含み込むという考え方ですね。そのために折口信夫は、民俗学を取り込んだ国文学研究というものを作ろうと努力したんですね。
 
岸本:  折口さんは、上野さんと同じ大学で学んでいますね。
 
上野:  そうなんです。僕も折口さんの影響を受けて、ある時は反発し、ある時は共感し、また発言の深みというのがわかってきて、例えば『万葉集』に「馬乗り衣」というのが出てくる―馬に乗るための衣。そうすると、「馬乗り衣」なんて出てきた場合、あ、そうか馬に乗るためには特別な衣を付けていたのか。それはそうすると、馬に乗るというのはどういうことだろう、というと、馬の値段というのはもの凄く高くて、今でいうと、馬に乗っているということは、高級車に乗っている、と同じことだ。そうすると、馬に乗って男性が自分の家に訪ねて来てくれるというのは、女性にとってはもの凄い嬉しいことだ、と。そうすると、何故恋人たちが馬の蹄の音にドキドキする歌を残しているのか、というのが、そこでやっとわかってくるわけですよ。馬の値段って高いぞ。貴族の乗り物だぞ、と。そうやって家に来てくれた。周りの人も聞いていたかも知れない、ということがわかってくるわけですね。というふうに、生活実感がなかったら、僕は、文学というのは解釈できないと思うんですよ。
 
 
ナレーター:  『万葉集』の研究に取り組み始めた頃、上野さんは祖母きくのさんの死に出会います。きくのさんの死に向き合う姿には、『万葉集』の歌人にも通ずる美学があったと言います。
 

 
上野:  私が二十三歳の時だったですけど、お婆さんが死んだんですね。その時に遺品の整理をすると、今のように紙おむつがありませんので、自分が縫った大量の大人用のおむつが出てきた。つまり自分が寝た切りになった時のために縫っていたんですね。我々家族にわからないように準備をしていた。意識がなくなるかも知れない、と。どんなに偉そうなことを言っていても、またどんなに健康に気を使ったとしても、自分の身の最期の処し方というところまで、自分自身ではどうにもならないことってあるんですね。当然死ぬ前に意識がなくなる、ということってあるでしょうし、それに備えて生きていくというのは、常に自分の死を自覚して生きていくということができる人だな、というのがあって。それがその箪笥の一つの所はみんな自分のために作ったおむつですよ。ところがその下を引き出して見ると、高級品のもの凄い大島紬(おおしまつむぎ)がたくさん出てくるわけですね。これは、店のお手伝いをするし切り盛りをする、へそくりも当然ある。そのへそくりでその着物を作っていた。そして当時―二、三十年前ぐらいまでは―福岡には良い劇場はなかったんですが、東京から歌舞伎が来て、二、三日の公演だったですが行くわけです。そうすると、大島紬なんか着て行くわけですよ。そういうことで生活を楽しむわけです。園芸でもさまざまな鉢植えなんていうのも玄人肌しだったですね。そうすると、確かにそれを語る言葉はないですよ。例えば死を自覚するとか、生を楽しむとか、その語る言葉はお婆さんは持っていなかったけれども、生活態度として、死というものを意識しながら生きていたし、また生活も楽しんでいこうとする。僕は、それがもし文学として、例えば歌として表現されるということであるならば、大伴旅人(おおとものたびと)(奈良時代初期の政治家、歌人:665-731)―大伴家持のお父さんなんですが―この人に「酒を讃(ほ)むる歌十三首」があり、お酒というものにはどんな得があるか、ということが書いてあるんですが、その巻三の三四九番に、
 
     生ける者(ひと)
     遂にも死ぬる
     ものにあれば
     この世なる間は
     楽しくをあらな
      (大伴旅人)
 
生きるものはついには死ぬ運命であるものなので、この世にある間は楽しく生きていくのが良いのではないか、ということですね。これを私流の言葉で訳すと、
 
     生きとし生ける者は―
     ついには死を迎える
     ならば、この世にいる間は・・・
     楽しく生きなきゃ―、ソン!
 
というのが私流の訳なんです。
 
岸本:  生き生きと伝わってきますね。もともと歌も分かり易いと感じましたけれども、なんかそこに人間が今見えてくるという、
 
上野:  血が通うというかね。それを見た時に、自分が生きてきた中で、「あ、こういうところが、ここに書いてあることと相当符号しているのではないか」。つまり生きていく人間の側がその古典ともう一回出会って、ふっとその古典の意味が身体の中に染み込んでくる瞬間というのがあってね。それは二十三歳の時、お婆さんが死んだ後に大量の縫った大人のおむつ、下の段には大島紬があった。僕はその時わからなかったんだけども、二、三年して研究のために『万葉集』を捲っていて、「あ、旅人(たびと)がこんなことを言っている。あ、そうか。人間というのは、死ぬ運命ならば生きている喜びというのが実感できるように生きなさい」という。死を自覚しながら、生の喜びというのを如何に味わうか、というところなんですね。生きている間は楽しまなくちゃ損よ、というような。で、それはわが家にも浮き沈みがあり、さまざまな良いこと悪いことが山のようにあり、その中で八十三歳まで生きて、そういった中で自分の最期の身は、完全に最後は家族に委ねなければいけない。他人に委ねなければいかんのだけれども、せめて迷惑掛けないようにおむつだけは縫っておこう。でも一方で、生きている間は着物も楽しみましょう。鉢植えも楽しみましょう。歌舞伎にも行きましょう、という。僕は、そういうものが「東洋的教養」とか「日本的教養」というものかも知れない。それは単に書物を読むことだけではないと思うんですよ。そういうことを感じますね。
 

 
ナレーター:  去年十一月、奈良唐招提寺の金堂は十年がかりの平成の大修理を終え、天平の甍(いらか)の輝きを取り戻しました。上野さんは、最近この唐招提寺を開いた僧、鑑真に心惹かれると言います。鑑真は、万葉集の時代唐で活躍していました。仏教の正式な戒律をもたらして欲しいという強い要請を受けて、日本へ渡ることを決意します。今に残る鑑真の生涯を伝える絵巻です。そこには鑑真が日本へ着くまでの十年あまりにわたる苦難の様子が描かれています。日本からの使者の要請を受けて出発した鑑真は、海を渡ることに五度も失敗します。荒波による難破。それに鑑真を唐に留めたいという人たちのさまざまな妨害のためです。七五三年、六度目の挑戦で漸く日本へ辿り着いた時には、目が見えなくなっていました。当時の都・平城京に入って戒律を広め、日本の仏教制度を調えます。晩年には、唐招提寺を開いて多くの優秀な弟子を育て、七十六歳の生涯を閉じました。
 

 
岸本:  上野さんは、最近になって鑑真についてお書きになっていますね。鑑真に興味を持たれたのは、どうしてなんでしょう。
 
上野:  私は、今年で五十歳。この年齢を若いと考えるか、それとも初老に入ったと考えるか。今まではまだ若いということかも知れないが、鑑真が日本にやって来ることを決意したのは、五十五歳なんですね。当時の寿命を考えると晩年ですよ。つまり五十五歳から始まる物語、五十五歳から始まる冒険なんですね。当時の資料によると、「江南第一の伝戒(でんかい)の僧」と言われていますので、中国の南の方で戒律を授ける一番の権威の人物であった、というふうに書いてあるわけですよ。つまり弟子たちもおり、功成り名を遂げて、僧侶としてはもう最高位に近いところまできていて、何で日本へ渡るのか、と。
 
ナレーター:  絵巻には、唐にいた鑑真が日本へ渡る決意をした場面が描かれています。勝れた僧を日本へ連れ帰る使命を与えられて唐へ渡った若き僧・栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)。九年をかけて漸く出会った名僧鑑真に、「弟子を日本へ派遣して欲しい」と頼みました。しかし日本へ行こうと手を挙げる弟子は誰もいません。それを見た鑑真はこう言います。「これは仏法に関わることだ。どうして命を惜しもうか。みなが行かないなら、私が行く」。唐と日本の行き来は、当時荒波を渡る命懸けの航海でした。それを鑑真自身が行おうというのです。
 

 
上野:  日本に来朝を決意した時に、一言で決めるじゃないですか。「誰も行かないんだったら私が行こう。これは仏法のためですよ。身を惜しんではいけません」。それだけですよ。そういうようなシンプルで、かつ力強いメッセージ。それは多くの人を揺り動かす言葉なんですよ。で、人の心を揺り動かすことができる言葉の力を、日本人は「言葉の魂」と理解していっていたわけですね。それが「言霊(ことだま)」ということで、その言霊があるからこそ、遠くにいる人も感動させることができる。未来にいる人たちも感動させることができる。それは肉体が滅んでも、言霊は存在する、というような発想。鑑真は、「これは法のためですよ。誰も行かないんだったら、私が行きます。身を惜しんではいけません」。その言葉で人の心を揺り動かして、何十人という人が日本へ一緒に行こう。そして日本でも協力者を得、そしてお寺も今に続いている、ということですよ。それはやっぱり鑑真の言霊の力だと思いますね。
 
岸本:  お聞きすると、鑑真の言霊に通ずるものが、上野さんが三十年研究を続けてこられた『万葉集』にもあるということでしょうか。
 
上野:  そうね。結局、肉体が滅びた後には、言葉が残って、自分が生きた証としてその言葉がなる。更には後世の人の気持を揺り動かすとすると、言葉を信じざるを得ないわけですよ。そしてその言葉が今にも生き続けていて、現在の人の心を揺り動かす側面もある。ここまでの話は、情熱の物語。如何に宗教家として情熱を持って、意志を強く持って、そして五回もチャレンジして、失敗と妨害にも遭って、失明しながら日本に渡ってくる。ところが、一方で鑑真という人の強(したた)かさがわかってきたんですね、私なりに。例えば鑑真は、日本に渡ってお寺を開くためには、どういう人たちを連れて行ったらいいか。自分一人だけではまずい。お坊さんだけでもまずい。仏師も連れて行かなければいけないだろう。更にはお寺を建てる技術者だって要るだろう。薬草なんかを見極める人だって要るだろう。そして「仏舎利(ぶっしゃり)」と言って、仏様のお骨を持っていくわけですよ。そうすれば、みんなの心をこの仏舎利一つになるだろう。そして、どういうようなものを持って行ったら日本で活動できるか。つまり鑑真は、宗教者として身一つで乗り込んで行ったように、我々は考えがちだが、日本に行った時にどういう活動ができるかということを用意周到にやっているわけです。鑑真の伝記というのを読んで見て、鑑真自身が言っていた行動というのは、一方で計算されながら、自分の持っている宗教的情熱というものをこう形にしていく。だから心、技の両方を持っているんですね。そして心と技を使うことによって形にする。だから心、技、形というのは連続していって、そして最終的には自分の思いというものを遂げていくことができる。だから情熱は必要なんだけど、情熱だけでは実現できない。そのためにはいろんな技というものが必要だ、ということを知っている。「心技体(しんぎたい)」と言ってもいいかも知れない。そういうようなところが鑑真の面白さであり、僕が面白いと思うところですね。
 
岸本:  実際鑑真が日本に来てから残したもので、今に伝わっているものというのは、どんなものなんでしょう。
 
上野:  鑑真の持ち込んだものとして、私自身は、それを今の言葉で、総括すれば一種の理想主義だと思うんですよ。例えば、争いはよくない。戦争は良くない。でもそれは一体そういうような社会を作るためには、あなた自身はどんなことができるんでしょうか。あなた自身は、我が儘言っていませんか。更にはムダな殺生をしていませんか。人との和を保っていますか。食事のことについて、作法はちゃんと守っていますか、というところから始まって、それは一種の「身体性」と言いますかね。つまり仏教経典というものは、経典で学べばいいとは言いながら、一方でたくさん儀礼があるし、そしてそれを身に付けていく。そういった中で、生活の一つひとつを、己を律していく生き方ですよね。私は、己を律していくという生き方、例えば人に迷惑をかけてはいけないというような倫理観。それは大切だ。日本人にとっては大きな倫理観なんだけれども、じゃ、何ができるか。私のお婆ちゃんの場合は、死ぬ前に家族に迷惑を掛けたらよくないから、おむつでも縫っておこうか、ということですね。これはやっぱり一つの己を律していく生き方ですね。確かに生は楽しいんだけれども、己を律していく生き方というものを伝えてくれたその宗教の優しさ、宗教の厳しさ。その厳しさの部分も伝えてくれたのが、おそらく僕は鑑真だ、と思っています。だからさまざまな宗教変革の中で、堕落することもあるわけですよ。心の平和を求めつつ、戦争になったりすることもあるわけですよ。そんな時に理想主義に返って、やっぱり平和は大切じゃないか。そのためには身を律していくことが大切じゃないか、というような心の拠り所になっていく。だから、ちょっとおかしいぞ。俺たちもっと背筋をちゃんと伸ばして、そしてやっていこうよ、という時には、鑑真の理想というのは、どの時代も想起していった、と思うんですね。だからある意味で、戒律を伝えた僧である。そして日本仏教に新体制を与える。身体で体得するものを教えた人である。そういうことを僕は鑑真については最近資料を見ていて感じますね。
 
 
ナレーター:  日本最古の和歌集、『万葉集』。その同じ時代に苦難を超えて日本へやってきた僧・鑑真。およそ千三百年の時を越えて残された言葉に耳を傾けることは、今を生きる私たちにとっても大きな意味がある、と、上野さんは考えています。
 

 
岸本:  『万葉集』と鑑真の生き方から、私たちが学ぶことができるものは、どういうものだとお考えですか。
 
上野:  言葉の力を信じて、それを形にする。だから言葉の力というものを『万葉集』は感じさせてくれますね。それは『万葉集』の中にも出てくる言霊というものですよ。それに対して、発した言葉を如何に実現していくか、ということ、そのために必要なのは、意志だったり、技術だったりするわけですよ。それは鑑真の伝記をちょっと紐解いて見ると、あ、こういう理想主義的な考え方を持つ一方で、それを実現するためにはどうすればよいかという模索が行われているという点は、心惹かれるところじゃないでしょうか。
 
岸本:  私たちは何かに向かって、こうありたいとか、なりたいと思っている。でもなかなか自分で自分の背中をいつも押せるかというとそうもいかないですね。まあいいか、と思ってしまうこともありますし、もっと楽しいこともあったりするかも知れない。そこを一度気持を奮い立たせる。そういうものに繋がるということなんですか。
 
上野:  それはやっぱり言葉の力なんでしょうね。肉体は滅びてしまうのだが、言葉は文字によって残すことができる。人が記憶に留めることができる。それによって、それを通じて、自分自身も新しい生き方を模索することができるというのは、やっぱり言葉の力だし、言葉を信じるということだと思いますね。
 
岸本:  それが古典の中にあるということでしょうか。
 
上野:  そうですね。そういうものをストックしていて、「あなたたちね、困った時にはこれを読みなさい」ということで、膨大な図書館を用意してくれたわけですよ、先輩たちは。我々はそれを読むことによって、「ああ、そうだったのか」と思う。それは自分たちと違う尺度を持っていた自分たちの先輩がいる。だから我々は今違和感を感ずる。そうすると、自分たちの尺度もこれ絶対的じゃないよ、ということに気付かされる。まあ今の社会に求められているということは、「より早く、より大きく、より効率的に」ということを訴えないと会社としても生き抜けない。個人としても生き抜けない。生きていくことができない。ところが一方で、今我々と違った尺度というものが存在することを知る、と。しかもそれは自分たちの先輩だと考えた時に、そういうような複数の尺度というものを古典から学び取るということは、人生の深みを与えること、つまり一つの単一の尺度だけで走っている人には、周りが何にも見えないわけですよ。ところがああ、こういう考え方もある。こういう見方もある。歴史的にはこうなんだ。それをもう一つ深みを与える、ということでいうと、人間って「倫理が大切だ」というけど、もう一つ「情感」ってあるわけですね、その人が持っている。その人が持っている語りだと、みんな納得するんだけど、別な人が同じことを言っても、そういったものっていうのは、人間的魅力の一つをして、深みがあるかどうか、ということだと思うんですね。そういうようなものは、近代百年等閑視(とうかんし)していた、と思うんですよ。あんまりそういうものを省みなかった。そういうようなもの、古典をじっくり読んで、そこから人生について考えましょう、というようなことを、「そうか。『源氏物語』って、こんなラブストーリーだったんだ。こんなところにこの人の辛さがあるのか。『万葉集』って面白いな。こういうような表現で男の人に家に来て貰おうとするのか。こんなふうに嫉妬しているのか。そういうようなことを我々が知識のストックとして持っておく。更にはそういう情感というものを持っておく。そうすると、今度は逆にそういうストックを持っていることによって、現代の今生まれているもの、発生しているものに対する洞察力が養われる。そういうことを持っていることが、その人の人生の豊かさ、その人生の深さだ、と私は思います。
 
岸本:  ありがとうございました。
 
 
     これは、平成二十二年六月十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである