他力の道―エゴの枠が壊れて
 
                      蓮福寺住職 菅 原(すがはら)  信 隆(しんりゅう)
一九五三年北海道函館市に生まれる。室蘭工業大学工業化学科卒業。北海道大学文学部史学科研究生。中央仏教学院本科卒業。龍谷大学文学部仏教学科卒業。浄土真宗本願寺派蓮福寺(佐賀県)住職 
                      き き て 金 光  寿 郎
 
ナレーター:  遠く雲仙岳を望み、長崎、佐賀、福岡、熊本の四県に囲まれた有明海。爽やかな初夏の日差しが眩しい六月の初め、佐賀空港から市内を北へ向かいました。佐賀平野は麦の収穫から田植えの準備に入っていました。市街地を抜けて南北に流れる嘉瀬川(かせがわ)を北へ遡り、さらに支流の名尾川(なおがわ)に沿って東へ進むと緑滴る山並みが続きます。今日はこの山懐に立つ大和町名尾(やまとちょうなお)の蓮福寺(れんぷくじ)をお訪ねします。現在の住職・菅原信隆さんは、昭和二十八年(一九五三年)のお生まれ、室蘭工業大学在学中に生きる意味を見失い、死の不安に襲われるという人生の難問に取り憑かれ、何年も苦しんだ末に、この難問から解放された方です。
 

 
金光:  こちらは佐賀市の北部にあります大和(やまと)の名尾というところだそうですけれども、こちらは山に近い農村地帯ということのようですけれども、特徴のある産物なんてございますか。
 
菅原:  この辺は少し前まではコネギが主でございました。ハウスがいっぱい見えていますけども、ところがだんだんコネギを作る人が老齢化してまいりまして、農家を継ぐ人間もだんだん少なくなってきまして、今若い人が少しばかり違う野菜を作っております。他にはここは、今一軒しかありませんですけども、和紙の産地なんですね。昔はどこの家でも和紙を作っておりましたですけども、和紙の需要が減ってまいりまして、二十年ほど前までは三軒ございましたけども、今は一軒だけですね。
 
金光:  それでお伺うところによりますと、菅原さんはこちらにお生まれになってお育ちになったんじゃないそうですね。どちらですか。
 
菅原:  生まれは北海道の函館ですけども、どうしたことかこんなところにまいりました。
 
金光:  じゃ、そのどうしたことかという、その辺りをこれから聞かせて頂きたいと思いますが、よろしくお願い致します。
 

 
金光:  菅原さんは、北海道の函館でお育ちになって、それで大学は工業大学の工業化学。ご住職の仕事とは関係のない方面に進んでいらっしゃるんですね。
 
菅原:  そうですね。
 
金光:  やっぱり化学はその頃は面白いと思っていらっしゃったんですか。
 
菅原:  高校時代の色が変わるのですね、ああいうのに興味を抱きました。それで進んだんですけども。
金光:  それはそれでおやりになると面白かったですか。
 
菅原:  いや、大学に入って教養の面白くない分野ですね。期待して入るんですけども、多くの学生が面白くないわけですね。私もその一人でございましたけども、勉強しようと思って入ったんですけども、てんで面白さがない。たまたまその時にクラシックギターをラジオで聞きましてね、それまた誘ってくれた人がいたわけですね。それで自然にそのギターを始めましたけどね、クラブに入って。それで性格が凝り性なもんですから、凝ってしまったんですね。大学も、失礼ですけれども授業休んでですね、よう休みました。ただひたすらギターを弾いていました。昼間はギター弾いて、夜は先輩のところで麻雀をする、あるいは酒を飲む、と。そういった生活をずっとしておりました。
 
金光:  それはそれで楽しい生活ですね。
 
菅原:  楽しいですね。ただそういう楽しいことをしておりましても、当時は今みたいに学生はテレビを持っていないものですから、勿論パソコンもないわけですね。そういう時に自分自身の一生涯をずっと考えるわけです、独りの時ですね。そうしますと、「老い」と「死」が見えてくるわけですね。「老い」と「死」ですね。今は楽しいですけども、「老いる」と申しますのは、力が弱まる。容貌が衰える。そうしましたら、喜びが味わいなくなってくるんじゃなかろうか。ということは、「老いる」ということは、人間が不幸せになることじゃなかろうか、というふうに思えてきたわけですね。そして最後に「死」があるわけです。それがだんだん見えてきまして、みんなで一緒にやっている時、あるいはギター弾いている時は楽しいんですけども、自分自身で自分の一生を振り返る、考える、そういうふうなことになりますと、どうも心が暗くなるんですね。でもその頃はまだ大きな問題じゃなかったんですね。二年経ってみて、さあ二年生が終わりました。そうしましたら、春休みもございますけども、里に帰って、そしてすぐに自分のアパートへ戻ってきたわけですね。例の如くにギターを始めましたですけども、何故かそわそわするわけです。何故かな、自分でもわからない。そしてそわそわがだんだん酷くなってきたものですから、気晴らしに外へ出るわけですね。さあ帰って来て、また弾こうかと。このそわそわがもっと高まってきた。だんだん酷くなってきたわけですね。何故だろうかと考えましたけども、気が付きましたらですよ、自分が一番信頼して甘えた先輩たちが一遍に就職してしまった。
 
金光:  卒業して居なくなったわけですね。
 
菅原:  はい。これだったんですね。このそわそわが不安に変わってきて、なにものも手につかない、と。
 
金光:  ギターもできない?
 
菅原:  すべてが手に付かんわけですね。その時にふと感じましたのは、この世に俺はたった一人しかいないと、ふと気が付きましたです。周りにいっぱいいるんですよ。でも自分はたった一人である。この自覚が不安にしたんですね。増幅してまいりました。で、没頭していた道を失っていくわけですね。そうしましたら、学生ながら、周りから見ればつまらん道もございましょうけども、こちらは没頭しているわけですね。没頭した道を失ってしまう。だから生きる道を失ってしまったんです。
 
金光:  別に毎日これまで夢中になってやっていた目標がなくなってしまったわけですね。
 
菅原:  そういうことです。
 
金光:  と言って、新しいものを見つけることもそう簡単にはできない。
 
菅原:  できない。初めて十八で大学に入って、「老い」と「死」の問題がその頃微かに見えておりましたですけどね。もっと見えてきたわけですね。これが見えてきて、今まで矛盾に感じておったのが大きくクローズアップされてまいりました。そうしたら解決の道がないわけですね。そうしますと、不安がだんだん募っていきましてね、今度は恐怖感ですよ。昼間どこに居ていいかわからんわけですね。
 
金光:  昼間も、
 
菅原:  昼間も落ち着き場所がない。部屋に居ってもそわそわして、何か襲ってくる感じで部屋におれない。それじゃ喫茶店に行ってコーヒー飲んで、マンガに没頭しようとするわけですね。これも落ち着き場所がない。面白くないんですね。今度は週刊誌の官能小説に目を向けることで誤魔化そうとするわけです。これもダメだったんですね。何とか昼間はマンガの本にかじり付いて、週刊誌のそういうものにかじり付いておりました。何とか誤魔化しましたですけども、夜は今度は誤魔化しようがない。酒を飲んで誤魔化すわけですね。だけど酒も美味しくない。店が閉まりますと、今度は行く所がないもんですから、部屋に帰ってくるんですが、ところが近くに学生向けのスナックが一軒ありましたけどね。今までは綺麗に見えました。これが襲いかかってくるんです。電気の光も襲いかかってくる。部屋に帰って電気を点けますと、電気の光が襲いかかってくる。そして寝ようと思って電気を消しますと、今度は暗黒の中で何かが襲ってくるみたいでぶるぶる震えておる、と。そういった神経になってまいりました。それが二十歳の終わりでございます。
 
金光:  しかし、自分ではそういう状況から抜け出る道というのは見えないでしょう、なかなか。
 
菅原:  見えないです。後からですね、余裕が出てきた頃に先生に話しましたら、「一種のノイローゼでしょう」というふうに言われましたけども、そういう状況になったわけですね。どのくらい時間が経ったかよう覚えていませんですけども、いろんなものに縋って、そして自分が持っているものを、離すまい、離すまい、とするんですけれども、全部が崩れ去っていきました。ところが全部が崩れ去りますと、これ以上奪われるものもないわけですね。そこまでいきましたら少しばかり落ち着きましたけども、もう落ちるところがないですからね。その中間が苦しいわけですね。十八で大学へ入って、自分を振り返る時に、生きる意味とか、よう考えましたですけども。その間にクローズアップされて大きな問題になりました。生きる意味ですね。そして人間行き場所ないとですよ、今度はもう生きている価値がない。生きる道がない。死を考えるわけですね。死を考えましたら、今度は死の先に何が待っておるか。これが大きな問題になりましたですけども。自殺を真剣に考えましたのは、その頃ですね。死のうとするんですけども―生きる道がないですから。ところがこう左の手首を見ているわけですね。これを切ったら死んで逝けるぞ。こう刃物を持ったわけじゃないですが、自分のじわっと見ておりました。ところが自分の死を考えてみますと、自分だけが暗黒の谷底に真っ逆さまに落ちて行く感じがするわけですね。それが恐くって死ぬこともできない。と言って生きることもできない。どうしようもなくなりましたですね。心の底から助けを求めたのは、その時でございますけども。そしてすべてを失った。すべて失って少しばかり落ち着いてきたもんですから、じゃ、また別の道で生きてみようか、と、こういった気持になったのはその時でございますね。
 
金光:  そうですか。
 
菅原:  全部失ったもんですから、それじゃあらためて生きてみようと思いましたですね。それで今まで勉強しなかったですから、勉強でもしてみようか、と。それから勉強始めました。ただ本を読んだというふうなことがなかったものですから、机に座れんわけですね。一時間坐る練習から始めました。貧乏揺すりして坐れないんですね。一時間を二時間にして、だんだん三時間四時間に、だんだん増えてきました。
 
金光:  その勉強というのは、生き死にの問題ですか、学校の勉強ですか。
 
菅原:  学校の勉強も致しましたですけどね。他にですよ、どうも自分の専門が面白いものに見えなかったものですから、何か別に道がなかろうかと思って、いろんな書物を読み出したですね。いろいろ読みました。その中で歴史ですね、歴史の勉強が非常に興味を引きました。そしてもう一つ歴史にも興味がありましたですけども、歴史を学びましたら―これは大それたことでございますけども、自分が一人の人間としてやらなければならんことがはっきりしてくるんじゃなかろうか。歴史には、一つ法則的なものがあるんじゃなかろうか、と思ったわけですね。それを求めて歴史学にいこうと思いましたですね。ただ私が大学二年生の時が、その秋がオイルショックですね。私が卒業する一年前まではオイルショックでもみんないいところに就職して行きました。私の時からもろに食らったわけですね。その時に道を変える。特に文学部へ行くとなりましたら、これはもう失敗したら大変なことになりますから、親に手紙を書きましたですよ。おそらく原稿用紙にしましたら三十枚ぐらいあったでしょうね。どうしてこんなことをするか、という理由を書きました。そして四年生の冬に家に帰りましたですけども、親は一言も言わないわけですよ。手紙出しても一言も言わない。むこうは知っているわけですね。なんか言うだろうと思っているわけですよ。こちらも言い出し切れない。そこでそれまで父親とまともに話したことがほとんどないですけども、十二月の大晦日だったですね。父親の部屋に行きまして、「文学部に行きたい」と言ったわけですね。大反対されました。それは文学部へ行きましたら、失敗したら大変なことになりますからね。大反対されましたけども。それが一回目ですよ。年が明けまして、不思議なことに家の親父が一万円お年玉くれるわけですね。それまで一度も貰ったことがありません。くれるわけですね。どうしたことかな、と思ったんですね。父に反対されましたですから、これで自分で札幌へ行きましてですよ、アルバイトしながらやろうと思ったわけですね。親が加勢してくれるならば自分でやるしかない。そこで間もなくアパートに帰るという時ですよ、また父親の部屋に入りました。「父さんがどんなに反対しても、俺は行くからね」。「学費はどうするんだ」と言われました。「アルバイトしていきます」と言いましたら、「そんなに行きたいんならば、金を送ってやろう」と。こう言ってくれましたですね。おそらく年末は試したんでしょう。どのくらいの覚悟か試したんですね。どうしてもこの男は行くと、それがわかったものですから、お金を送ってくれるんでしょうね。これで文学部に行きましたですけどもね。二年間やったんですね。二年間やったら何とか道が先に開けてくるんじゃなかろうか、と、こういう期待を込めてやったんですけども、大失敗ですね。
 
金光:  法則は見つからなかったんですか。
 
菅原:  法則は見つからなかった、というよりもですよ、歴史法則というのがありますけれども、代表的なものに、唯物史観とかありますがね。ああいう法則を見出した人間と申しますのは、特別歴史家でもなくていいんですね。歴史を実際勉強してみますと、小さな歴史事実を明らかにしていくんですけども、そんなことしなくても、私が求めたものは得られる、ということですね。失敗はしましたけども、そこで後はどうしていいかわからなくなったものですから、なんとかですよ―もう二十四歳になっていましたから、食べていかなければならんと思って、就職しようと思いましたですね。何でも良かった。まず食べていかないかんと思いましたですけども。それはその時に生きる道はどこへ行っていいかわからんものですから、非常に苦しい気持がございましたけども、何でも仕事ができたわけですね。しかし何をしていいかわからない。どう生きていいかわからない。今まで自分が正しいと思っていたものが正しくなかったわけですね。そうすると、続かないわけです。その時にたまたま父親が、「京都へ行かないか。仏教を勉強してみないか」と言ってくれるものですからね、それで京都へ行くことに致しました。これは京都に行って仏教を勉強したいというよりも、札幌にいるよりは京都の方がまだ違う大学があるだろう、と。一応親父のいうことに従って、一年間京都へ行きましたですよ、そして就職しましてね、夜学に通いながら、新たに道を見出そうとしたんですけどもね。だから仏教の勉強は、したくてしたわけじゃないんですね。しょうがなくて行ったんです。そして一年間の専門学校へ入りましたですけども。実際学びましたら自分が考えておった道とはまったく違うということですね。
 
金光:  考えていたというのは、今まで求めてきた道が違っていたということですか。
 
菅原:  私がお寺に育ちましてですね、仏教に対するイメージを持っておったわけですね。それとはまったく違う道であると、
 
金光:  実際聞いた仏教が。
 
菅原:  自分が二十歳の時に道を失った。これは生きる意味ですね。そして死を自覚した時には死後の世界ですね。これをそのまま仏教が問題にしておったということですね。これがわかりましたです。
 
金光:  その時まで考えていた仏教というのは、どういうものだと考えていらっしゃったんですか。
 
菅原:  そうですね、法事をしたり、あるいは葬式をしたり、宗教と申しますのは当時の何にも知らん状態ですから、何かに縋るんだろう、と。幸福をくれとか、病気を治してくれとか、それぐらいの感覚しかなかったわけですね。
 
金光:  それが専門学校で一年間勉強した時には、あれっ!今まで考えたのとは違うな、と。自分が問題にして悩んでいた問題は、ここでは昔から研究されていたと言いますか、そういうことに気付かれたということですか。
 
菅原:  そうですね。一番最初の方に、煩悩というものを学びました。人間の中には自分自身を苦しめる煩悩というものがあるんだ。「貪欲(とんよく)」「瞋恚(しんに)」「愚痴」ということですね。それを習いました時に、先生はなんということを言われるんだろうか、と思いましたですね。当時は学生運動の盛んな時ですね。私が高校に入学する時に、その一月がこれは東大の安田講堂に機動隊が突撃した時ですよ。あれから二、三年が全国に大学学生運動が広がった時ですね。その影響を既に受けておったんでしょうね。我々が幸せになれないのは社会が悪いのである、と。社会がよくなれば、人間が幸せになれるんだ、というふうに思い込んでいるわけですよ。そういう時に自分自身の中に自分自身を苦しめる原因があるんだ、というふうに習った時に驚きましたですね。
 
金光:  貪り、怒り、愚痴であるというような、何も改めて取り出されて、どうこう言われるものじゃないか、という気がしないでもないですが、やっぱりえっ!と思われましたんですか。
 
菅原:  そんなことを習ったことがないものですから、自分自身を振り返ることがなかったわけですね。初めて聞きました。だからこれは何ということか、と思いましたですね。お寺に生まれてですよ、黙って仏教学へ行きましたら、そんなに驚かないんでしょうけども、全然関係ない方へ行ったものですから。そして自分の思い通りになればですよ、人間とは幸せになれるもんだと思い込んでいるわけですね。ところが「煩悩」というのを習いました。自分自身の中に自分自身を苦しめる原因があるんだ、と。これを教わった時に、これが発端で初めて自分自身を振り返る、こういう目が開きましたですね。
 
金光:  それまでは外を―ギターであるとか、いろんなことで外にあるものを求めて自分の苦しみを何とか逃れようとされたのが、外ばっかり見ていてもダメだ、と。自分自身の方に目が向くということですか。
 
菅原:  そうですね。生まれて初めて自分の方に目が向きましたですけども。もしかしたら、ここに自分の生きる道があるかも知らん、と初めて思いましたですね。だから根本から勉強しなおそうと思いました。そこで龍谷大学の仏教学科に編入して入りましたですけども。一番難しいのから、根本からやろうと思うわけですね。そうしましたら、当時の学生が―今でもそうでしょうけども、インドの一番難しい哲学から始めるわけですよ。唯識学とか空の哲学とかありますけれども、この辺を優秀な学生がやるわけですね。サンスクリット語、パリー語、チベット語も使いますけども、これをやろうと思いましたですね。編入試験を受けまして、教授のところへ行ったんですけども、まず聞かれましたですね。「お前は大学院へ行くか」と訊かれましたものですから、私は行こうと思っていましたから、徹底的に学ぼうと思っていましたですから、「行きます」というふうに答えましたら、「じゃ、これ読みなさい」と。渡されましたのは、見たこともない文字ですね。チベット語です。見たこともない文字です。後はローマ字がずらっと繋がっておると。これサンスクリット語ですね。サンスクリット語はデーバナーガリという文字がありますけれども、それをローマ字化したものですね。切れ目がないんですね。「これを読みなさい。これ読めなかったら、あんた卒業論文書けないよ。卒業できない」と言われました。これはどうしようかと思ったんですけども、チベット語、サンスクリット語、やろうと思っていましたけども、見たこともない文字ですからね、でもやらんならんと思って始めましたですよ。チベット語は語順が日本語と同じですから、日本人にもすぐ学べると思います。サンスクリット語は語順がバラバラなみたいなものですから。サンスクリット語の文法を習い始めましたですけどね、四月から習って十二月にまで習いました。ところがたった一つの授業しか受けていないわけですね。それ受けていれば読めるようになるかと思っているんですけども、てんで読めるとは考えられない。これでは卒業できないだろうと思ったものですから、十二月の末にサンスクリット語の教授のところに行きまして、「先生個人指導をしてください」とお願いしましたですね。一月、家にも帰らなかったですけども、正月終わってすぐに週三回の個人指導が始まりました。予習復習だけで八時間九時間使いました、サンスクリット語だけで。その残りを卒業論文の勉強ですけどもね。八時間九時間、週三回の勉強のために使いましたですけども、これを三ヶ月間やりましたですね。四月の初めにこれ終わりましたですけどもね。終わった時に先生から言われたことは、「君は今の状態で博士課程の力があるよ」と。それだけ上達したということですね。三ヶ月間でそこまでいきましたですけども。それで卒業論文に使うサンスクリット語の原典は全部読めるようになりました。そしてサンスクリット語が読めると、チベット語が読めると。それで論文を書いていくんですけどね。先生に言われましたことは、「八月の終わりまでになんか一つ纏めなさいよ」。曲がりなりに纏めて持って行ったんですよ。「これでは話にならん」と。そして九月の末にまた持って行きました。これもダメで、十月末に持って行きました。三回目です。「まあ少し形になってきたね」。十一月にまた持って行きましたですけども、そしてかなりよくなってきたわけですね。十二月に入りましてですよ、もうこれ以上直しようがないと。そう思ったものですから一番最初に論文を提出致しましたですけども。ところがですね、二年間必死になって論文を書きましたですけども、書いた論文は最終的には先生から誉められました。大学院に来るように勧められましたけども、それだけ先生から認めて頂ける論文は書けたんですけども。ところがですよ、二年間必死になって書いてみてですよ、自分としてはこんなことのために、俺は二年間時間使ったのか。何ということをしていたのか、と思ったですよ。自分が問題であった「生と死の問題」はまったくない。ただ理屈だけでもって、論文を書いていくわけですね。こんなことを続けていったら、先にどうなるのか、と。見えてきましたですね。それまでは、この理論をずっと積み上げていきますと、道が開けてくると思っているわけですね。ところが実際にしてみると、無味乾燥のことをずっとやっているわけですね、哲学と申しますのは。全然自分の生と死に関係がない。そんなことを学者さんたちが論文を書いて認められるわけです。それを自分もしておりました。それが必要ならやるんですけども、二年間必死にしてみて、この先に一体何が待っているか見えてくるわけですね。そうしましたら、自分が積み上げてきたものが、三度崩されましたですね。でも、あの―その時に初めて胸がスカッ―としましたけども。
 
金光:  あれ!そうなんですか。いや、またそこで絶望ということじゃないんですか。
 
菅原:  いや、スカッ―としましたですね。二十歳の時に全部失いました。この時はなんと早合点したわけですね。この道で生きていこうという気持が強くなってきて必死になっていましたけども。歴史学も学んだ。でも自分の期待したものを全く失うわけですね。そこで崩れていく。また道を失いました。今度は仏教に入っていった。これが正しいと思って入ったんですけど、全力でしてみて、これが全部崩されました。そこで初めてスカッ―としましたですけどね。それまでは私はもともと勉強が好きではないですけども、だんんだんしていくうちに好きになってきたわけですね。学者になろうと思っておりました。学者になるということは、要するに偉くなりたかったんですね。勉強するだけでなくて、偉くなりたかったんですよ。ところが最初崩されて、二回目崩されて、三回目崩されましたですね。そしてその時には精一杯したというふうな先ず気持があったわけですね。後ですね、失敗して嫌な道にずっと入っていきましたけども、嫌な道に入ってみて、またそこに道があったわけですね。そしてそれがまた崩された。そこで初めて、「あ、人間の世界というのは何をしてもいいんだなあ。どんな仕事をしてもいいもんだね」と、こう思えてきたですね。
 
金光:  いいと思って外に求めていたのが、ある程度努力して、できたと思っても、それが崩れる。そうすると、もうこれで外に求める求め方というのが、今まで通りのやり方ではダメだ、と。でもダメでも、まだこれまでダメだと思ったら新しい道があるし、だから今すぐ目の前に、「これをしなさい」ということが出てこないにしても、この先にまだなんか自由な世界が広がっているんじゃないか、というか、そういう予感のようなものがあった、とでも言うんでしょうか。
 
菅原:  そうですね。基本はですよ、立派な学者になりたいわけですね。だから勉強したいのは勿論でございますけれども、立場が欲しい、地位が欲しいですね。自分が偉くなりたいわけですね。偉くなりたい、と申しますのは、他人の目に認めて欲しいわけですね。この気持が強すぎましたですよ。だからかえって自分で苦しめたんですけどね。崩されて崩されて、そして気が付きましたら、いろんな道に入ってみれば喜びがあったわけですね。自分が一番嫌だった道にも喜びがございました。道が開けるんですね。そして二十七歳で龍谷大学を卒業しましたけどね。何しても良かったんですね。今そのまんま「営業に行ってきなさい」と言ったら、黙ってできました。ただできるだけでなくて、そこにも喜びがあるんだ、ということを肌で感じましたですね。何してもよろしい、と。商売してもいいですよ、と。何しても良かったんですね。
 
金光:  でも面白いですね。縋るものというか、これをやればいいだろう、と思っているものが、何もないところに、かえって自由さ、と言いますか、
 
菅原:  自由さがあるでしょうね。
 
金光:  その場合は、選ばないで、じゃ次に何か「あなたこれやりませんか」と言われたら、「それをやりましょう」と。そういう割に自由に動けるような、そういう姿勢が、生き方ができるようになっていた、ということですか。
 
菅原:  そういうことですね。何をしても良くなりましたです。ただ能力があるかどうか、これは別ですよ。ただ「これをしなさい」「これをしてください」。何でもできましたですね。ただできるだけじゃなくて、そこにもいろんな喜びがあるんだ、と。これを知りましたですよ。だからいろんな人と友だちになるわけですね。いろんな仕事を自分の仕事に選べる、と。世界が広まるわけです。
 
金光:  自分の枠が壊れちゃった、ということですか。
 
菅原:  そういうことですね。
 
金光:  偉くなるためには、これがいい。無意識のうちでしょうけどね。偉くなりたい、認められたい、というのは。そういう枠の中でいろいろ取捨選択していたのが、枠がなくなれば、割に自由にいろんな人とも付き合えるし、いろんな仕事にも手が出せるし、
 
菅原:  そういう心境ですね。
 
金光:  それで函館から京都にいらっしゃっていて、佐賀県の方にいらっしゃるご縁もその辺でできたんですか。
 
菅原:  そういうふうな感じですね。たまたま近くに佐賀県の近くに友だちがいたものですから、その方の紹介でございますけども。何しろお寺と申しますのは、私は一番したくなった仕事なんです。あと一つどうしてもしちゃならんという仕事もありました。これは学校の先生ですよ。こういうようないい加減な男が先生をしましたら、子どもたちが可哀想だと思いました。だから先生だけはしちゃならんと思いましたですね。ところが何をしてもよろしい、と。何をしてもいいものですから、お寺に入ってもいいわけですね。どこでもかまわん。
 
金光:  じゃ、若い頃はとてもそういう自分の将来はお寺に入るなんていうことは考えられなかった。菅原さんが、入ってもいいわ、と。そこには当然広い道があるんだろう、と思われたわけですね。
 
菅原:  そうですね。それを肌で感じましたですよ。ただ何故そうなったかですよ、説明が付かない。何故自分が二十歳代の一番楽しい筈の時に苦しまなければいけなかったか。何故それが解決したかですね。この説明が付かないんです。だから卒業しましてから、今度は自分の心の整理です。ずっとしてきましたですけども。その整理していく時点で書きましたのが、この「無碍道(むげどう)」という機関紙でございますけども、今五月で二三七号になりましたでそもね。自分の心の整理をするために書き出したものでございますけどね。自分が苦しんだ原因とその解明ですね。何故それが解決していったか、その解明ですね。自分の体験と、そして仏教学で習ってきたこと、浄土真宗の真宗学で習ってきたこと、これがてんで一致しないんです。だから心の説明が付かない。仏教を話すにしましても、自分自身の心が纏まっていないわけですね。二十年ぐらいかかりましたですけども、漸く説明が付きましたですね。
 
金光:  で、そうやっていらっしゃる間に、ご自分で自分の考えを整理された中で、いろんな方がいろんなそういう心境の変化みたいなものについて、言葉を残していらっしゃいますね。例えばこういうことだったのか、というふうに、なんか一、二思い浮かばれるようなことがございますか。
 
菅原:  西田幾多郎(にしだきたろう)先生の『善の研究』ですね。こういう言葉があります。
 
我々は小なる自己を以て自己となす時には苦痛多く、自己が大きくなり客観的自然と一致するに従って、幸福となるのである。
(西田幾多郎「善の研究」)
 
こういうお言葉が『善の研究』の中に出てきますけどもね。
 
金光:  「小なる自己」というのは、おそらく自分がやることがなにも見当たらなくなって、あるいは、あるいは苦しくなって、いろんなことに手を出していらっしゃる、その頃の自分というのは、「小なる自己」ということに当て嵌まるということになりますでしょうか。
 
菅原:  自分の頭でもって全部理解しようと思うわけですね。生きることの意味に致しましても。
 
金光:  今の言葉で、「自己が大きくなり、客観的に自然と一致することにしたがって幸福となる」。だから自分が何もやってもいい、という時には小さな自己が大きな自己に広がっている、ということになるわけですね。
 
菅原:  そうですね。我々は、人間と申しますのは、自然の一部ぐらいしか思っていないわけですけども、それで自分の頭でもって理解しようと、これは壊されて、壊されて、壊されてきて、自然と一致する形ですね。生かされておる、と。あるいは力が湧いてくる、というんですか、何もわからんわけですよ。何もわからないんですけれども、人間はこうなっておるんだなあ、と。植物はこうなっておるんだなあ、と。これを黙って見てまいりました。四月になると孟宗竹が出てきますけどね。あれもの凄い勢いで伸びてくるんですね。グンと伸びていって、ピタッと止まります。それで終わりです。それ以上伸びないんですね。ところが杉なんかですと縄文杉もありますね。何千年も生きている。そういうふうに作られているわけですね。竹がそういうふうに作られている。杉がそのように作られている、人間ってこう作られている。何故か知らんですけどもそう作られておるんですね。見えてまいりました。そうしましたら、矛盾感じたことが矛盾感じなくなりましたですね。わかったわけじゃないんですよ。矛盾感じなくなって、そして問題が問題でなくなりました。そこで生と死の矛盾が解けていったんですけどね。
 
金光:  私なんか小学校以来ですね、問題というのがあれば、必ず答えがあるもんだ、と。これは正しい答えであります、○。間違っています、ダメだ、という×点(ばってん)を貰ったりしてきているわけですけれども、今のお話ですと、問題の答えが出たわけじゃないけれども、なんか問題自体が見えてきた、と。そういう感じのお話でしたけれども、「見える」ということと「答え」という関係は、それはどういうことになるんでしょうか。
 
菅原:  問題に感じたのが、迷った時ですね。
 
金光:  迷っているのは、問題にぶち当たっている、ということですか。
 
菅原:  そうですね。問題に感じましたですよ。ところが見えてきましたら、問題と感じなくなったわけですね。人間とは何故かしらそういうふうに作られているわけですね。
 
金光:  杉の木が伸びる。孟宗竹があるところまで伸びて止まる、と。人間もそういうふうに今生きているようにできているんだ、と。
 
菅原:  そう見えてきましたですね。世の中には、おかしなことを説かれる方がおられるんですけども、親鸞聖人の先生が法然上人ですね。親鸞聖人はお手紙の中で、常々法然上人がこんなことをおっしゃっていらっしゃった、と言われていますけどね。法然上人は常々言われたことは
 
     浄土宗の人は
     愚者になりて往生す。
       (法然上人)
 
「往生」と申しますのは、普通我々が使う時には、「立ち往生」とか、困った時に使いますけども、もともと仏教で「往生」と申しますのは、道が開けたことをいうわけですね。人間と申しますのは、「浄土宗の人は愚者になりて」、「愚者になりて」ということは何もわからんわけですね。わからないで人間救われていくんですよ。
 
金光:  お手紙に書いていらっしゃるわけですか、親鸞聖人が。
 
菅原:  書いています。これが法然上人のおっしゃったことですね。こういうふうな自覚と申しますのは、法然上人だけじゃないんですね。法然上人は自分のことを「愚痴の法然坊」とおっしゃいますけども、お弟子の親鸞聖人は「愚禿(ぐとく)親鸞」ですね。あるいは他の方ですと、源信僧都(げんしんそうず)は「余の如き頑魯(がんろ)の者」です。これも愚かです。
 
金光:  恵心僧都ですね。あの『往生要集』を書かれた方は。あんな大きなものを書かれた方が「余の如き頑魯(がんろ)の者」頑固な愚か者、と。
 
菅原:  そして道元禅師ならば「愚暗(ぐあん)なれども」ですね。『正法眼蔵』に出てまいりますけども。あるいは江戸時代ならば良寛さんですね、「大愚(たいぐ)良寛」ですが。こういうふうに「愚か」というふうに使われていますけども、我々が普通「愚か」というふうに使う時には、自分を飾るわけですね。イタリアの詩人ペトラルカが『わが秘密』の中で言っておりますけれども、「他人を貶(けな)しておいて、自分を謙遜で飾る。これにまさる驕(おご)りはない」というふうに言っておりますけどもね。他人を貶しておいて、自分を謙遜で飾る、と。
 
金光:  自分は謙遜な者だと言って、それで飾っている、と。
 
菅原:  自分を愚かというふうにいうわけですね。で、他人を貶す。
 
金光:  これに勝る驕りはない。
 
菅原:  「驕りはない」と言っていますけどね。我々が普通「愚か」という言葉を使う時には、自分を飾る場合に多いわけですね。ところが法然上人、親鸞聖人、道元禅師、こういった人たちは、そんなことではないわけですね。自分が何もわからない、と。愚かというふうにほんとに思っていますからね。自覚されていますから。従っていろんな道が自分の道になれた筈です。三十五歳にしまして、親鸞聖人は島流しに遭いますよ。法然上人も島流しに遭いますね。この時にどういう心境で流されたか。これは曽孫の覚如(かくにょ)上人が『親鸞伝絵』というのを書いていますけども、かなり飾りが入っているはずです。こういうふうに書いているわけですね。
 
もしも先生(法然上人)が島流しに遭わなかったならば、私も島流しに遭うことはなかったろうと。もしも私が島流しで越後に行くことがなかったならば、どうやってその地域の人間を救っていこうか。従って島流しも先生の御恩であると。
 
こういった文句が出てきますけれども、これはかなり飾りが入っているでしょうけども、飾りをはぎ取りましても、ここには暗さがないんですね。法然上人が他のお弟子さんたちに残した言葉も残っておりますけれども―その島流しに遭う時ですよ。法然上人のお言葉にも暗さがないんです。都から辺鄙なところへ飛ばされるわけですよ。普通なら嫌なんですね。でもそこに行っている道があるんだろう、と。これをご存じなわけですね。従ってここに暗さがございません。愚かであるならば―この自覚がありますと、いろんな人間の話が聞けるんですね。いろんな人間と友だちになれますですよ。いろんな仕事も自分の仕事できるんですけども、ところがお前なんか付き合えるか、ということですね。これは偉いですね。自分が偉いから詰まらん人間と付き合えない、と。自分が偉いですから、詰まらん仕事は自分の仕事と受けられない。自分の愚かさを知っていますと、いろんな友だちができます。たくさんな道が自分の道にできる、と。だから本当に人間が自分が愚かであるということがわかりましたら救われますよ。西田幾多郎先生じゃないですけども、自分たちが自分の頭でもって世界を作っているわけですね。これがちっちゃな人間ですよ。全部自分の頭で理解しようとするわけですね。ところがそれ全部壊されてしまう。これが自力の崩壊でございますけどね。そうしますと、これが崩壊されますと、世界が広がりますよ。喩えますならば、花屋に行きますと立派な花がたくさん売っていますけども、立派な花と申しますのは、いろんな形でもって人間に作られたわけですね。だから立派でございますけども、何かの条件を失いましたら、花を咲かせることもできない。根を張ることもできない。これが立派な花ですよ。ところが雑草と申しますのは、人間にとりまして、価値がないものですから、全然手を加えられていない、と。雑草は、どこへ行っても根を張り、花を咲かせるわけですね。我々も小さな頃からずっと造られてきました。これが分別の世界ですね。分別でもって全部理解しようとすると。勿論これ大事なんですけども、こと生と死の問題に関しましては、分別をどんなに積み上げても、これはちっちゃな世界でございますね。これが壊されて、あるがままにかえっていくんですね。「あるがまま」というのは、「それでいいんだよ」という方があるかも知れませんですけども、あるがままの上に我々は自分の世界を作っているんですね。これが壊されて、あるがままにかえっていくんですね。西田幾多郎が、「客観的自然と一致するに従って、幸福となるのである」、客観的世界にかえっていくわけですけども、そうしましたら大きな世界が広がりますよ、と、こういう世界でございますですね。
 
金光:  これ分別を自分を壊そうたって、自分の座っている座布団を自分で取り除くと同じようなことで、分別を分別で取り壊すわけにはいかんですね。
 
菅原:  おれはどう申し上げても、表現できないと思うんです。経験で学ぶしかないですね。
 
金光:  でもその辺のところを、やっぱり昔の方はその人なりにご縁に従って境地をいろんな言葉で残していらっしゃる。
 
菅原:  「あるがまま」という境地を、親鸞聖人なら「自然法爾(じねんほうに)」ですね。道元禅師ならば、「恁麼(いんも)」という言葉を残されました。これもあるがままでございますけれども、臨済禅師は、臨済録の中で「平常(びょうじょう)」ですね。
 
金光:  普通「平常心(へいじょうしん)」の「平常」という字ですけれども、「びょうじょう」と読むようですね。
 
菅原:  あるいは夢窓国師でありましたら『夢中問答集』に出てまいりますね。「自性天真(じしょうてんしん)」という言葉を使われますけれども、「自然法爾(じねんほうに)」「恁麼(いんも)」「平常(びょうじょう)」「自性天真(じしょうてんしん)」みんなあるがままなんですね。表現は違いますけども、みんなあるがままですよ。
 
金光:  その場合は、自分のはからいの枠が取り払われた世界、壊れた世界という、そういう意味のあるがままということでございますか。
 
菅原:  そうでございますね。
 
金光:  そう聞くと、また分別で、それにはどうすればいいのかな、と思いますけども。
 
菅原:  いろいろな表現されますけども、禅宗の方、真宗の方、あるいは天台宗の方、いろいろありますけれどもね。いろんな表現がありますけども、これは一つの心を違った呼び名で読んでいるだけですよ。こういったことを説かれましたのは、白隠禅師ですね。『遠羅天釜(おらてがま)』の中で、こういうことを言われていますけども。
 
どういうふうな道を辿るか。それは人個人によりますけども、帰っていったらみんなあるがままなんですね。自分の枠が壊されまして、生かされているままですよ。
 
金光:  そうなりますと、修行といいますか、目標を立てて、ああいう人間になりたいとか、そういうのはあるがままとは繋がらない世界ということになりますでしょうか。教えを最初の頃聞いて、なんとかそういう境地になりたいと思って努力するというのは、ちょっとこれ間違っているということになるわけでしょうか、方向が。
 
菅原:  努力するのは大事と思いますね。それだけの気持がなければなかなか到達するのは難しいと思います。しかし最初ですよ、勉強していきますと、だんだん積み上げていきますと、本物に近づく感じがするわけです。
 
金光:  大分わかってきたな、というような、
 
菅原:  ところがですよ、達人が説かれたことを読んでみますと、そうじゃないんですね。清沢満之(きよさわまんし)(1863-1903)先生が、百年ほど前に書いていらっしゃいますけども、
 
生まれた者は必ず死んでいくんだ。これは本当に腹に据わりましたならば、これが阿弥陀仏の救いである。「智慧の光明」という言葉を使われますが。 
 
初めからわかっています、こんなことは。あるいは無常ということが本当に腹に据われば人間救われますよ、と。無我ということが本当に腹に据われば人間救われるよ、と。これみんな最初習うんですね。最初習いますからね、それは入口だとみんな思うんです。
 
金光:  そうです。
 
菅原:  だんだん積み上げていくと、本物に近づく感じがしますね。これが分別の世界です。ところがですよ、これが本当に徹底すれば、これが本物である、と。ここに救いがありますよ、と。こういったことを説かれましたですけどね。道元禅師の言葉を借りますと、「頭正尾正(ずしんびしん)」と申しますけども、頭が正しい、尻尾が正しいですね。最初に習ったことが本当に腹に通りますと、これが究極の悟りの境地である、と。こんなことを道元説かれますけどね。
 
金光:  これは文字に書いて頂いていますが、
 
     おほよそ仏法は、知識のほとりにしてはじめてきくと、
     究竟(くきょう)の果上(かじょう)もひとしきなり。
     これを頭正尾正(ずしんびしん)といふ。
        (道元禅師「諸悪莫作」)
 
初めて聞くのと、究極の結果も同じである、と。頭が正しくて、終わりも正しい、と。首尾一貫しているんだ、と。頭がダメで、終わりがいいということではない、と。
 
菅原:  この「無常」とか、「無我」ということを申し上げますと、これは浄土真宗の方では、私が習ってきた段階では、これは単なる理屈である、というふうに聞いてきたわけですね。人間は念仏によって救われるんですよ、というふうに習ってきました。ところがですよ、「無常」も「無我」も、これが念仏の心ですね。「浄土三部経」によりますと、御浄土相が説かれるんですが、浄土で鳥が鳴いているというわけですね。何と鳴いているかと。「無常、無我、空」と鳴いているわけですね。風が吹いて音を出している。これ「無常、無我、空」ですけどね。あるいは源信僧都が『往生要集』の中で『仏蔵経』を引用されるわけですけどね、その中に「空」とか、「取なく捨なく」ですね。取るものも捨てるものもない。「無相である」とか、「これが腹に据わることが念仏ですよ」と、こう説かれますけどね。「あるがまんま」を表現を変えますと、「無常である。無我である」と。だからあるがまんまの別の表現でございますけどね。あるがまんまが腹にすわるのが、これが仏を念ずるでございますけどね。だから我々が救われるのは、このあるがままでかえっていくだけである、と。これを他の祖師たちも、「自性天真(じしょうてんしん)」とか「恁麼(いんも)」とか、表現は変わりますけども、同じ心を表現した感じが致します。この辺に禅宗も浄土真宗も一緒になって行く世界があるのではないでしょうか。
 
金光:  今までのお話を伺っていまして、「あるがまま」と言いますと、なんか人間横着にできていると、何にもしないで棚からぼた餅みたいなことを、私なんかの頭にはつい浮かんでくるんですが、「あるがまま」というのは、仕事をしたりすることとの関係はどういうことになるんでしょうか。
 
菅原:  「地球が青かった」というふうに言ったのはガガーリンですね。私は乗ったことないですけども、地球は青い、静かだそうですね。ところが、この地球は自転していますね。スピードを調べてみました。計算してみたんですね。赤道近辺が一番距離が長いですけども、地球の自転の速度が、時速はですよ約一六七○キロでございます。
 
金光:  時速一六七○キロですか。
 
菅原:  音速が一二○○キロですね、実際。これはマッハ一です。マッハ一・四近くでもって地球回転しております。静かですけども、もの凄いスピードで回転しています。そしてこれが太陽の周りを公転しているんですけども、これもスピードを計算してみますと、地球の公転スピードは、時速ですよマッハ約九十ぐらいです。
 
金光:  えっ! マッハ一、二、三とか、その辺でなんとか言っているのが九十ですか。
 
菅原:  マッハ九十近くでもって太陽の周りを公転しています。もの凄いスピードで回転しているんですね。静かな世界は、同時に偉大なる動を含んでいるということですよ。我々のいのちにしても然りですね。いのちありますね。しかしどこにいのちがあるのか。これ指摘できないんですね。
 
金光:  これがいのちというわけにはいきませんですね。
 
菅原:  心臓もいのちですね。頭もいのちですけどね。中学校三年生の時に、植物の細胞の映画を見たことがあるんですけども、みんな別々に動いているんですね。細胞と申しますのは。一つのいのちでありながら、たくさんのいのちがあるわけですよ。みんな動いております。いのちは静かなんですね。静かですけども、みんな動いている。だから静かな世界に立つと申しますのは、同時に偉大な動がそこにできるんですけどね。あるがままにかえりますと、地球がもの凄いスピードで回転している。そして公転しておる。「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」という世界がありますけどもね、これ浄土の世界ですよ。娑婆世界を成り立たしめているのは浄土の世界でございますけどね。これは静かな世界である、と。「涅槃寂静」というから静かななんですけどもね。静かな世界にあるがままかえるわけです。そうしましたら、これは偉大なる力をそこに持っております。だから静かな世界に立った人間と申しますのは、自分の身体に大きな力を感じておる、ということですね。これが「他力」でございます。あるがままにかえりましたら、その人間が全身全霊をもって活動する世界がありますよ。周りの植物がそうですね。何の理屈もなく、生々しております。人間だけがこれできないんですね。頭でもって理解しようとするわけですけどね。これが壊されまして、あるがままにかえっていく、と。そうしましたら、我々が精一杯活動する世界がそこにできますよ、と。こういった力を自分の満身に浴びまして、精一杯自分の人生を全うをされた、と。それが昔の名僧でございましょう。
 
金光:  そうしますと、むしろ自分で分別するところにいろんな問題が出たり、悩みが出てきたりしている、その悩みを元にして、そこで自分のはからいを、はからいから離れるところに、今おっしゃったようなあるがままの生きた静かな、しかも力強い世界を感じることができるということだ、と伺いました。どうもありがとうございました。
 
菅原:  どう致しまして。
 
     これは、平成二十二年七月十一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである