懺悔の心とともに生きる
 
                    直指庵(じきしあん)住職 小田 芳隆(ほうりゅう)
昭和二二年(1947年)宮崎県生まれ。二歳より大分県津久見市の長泉寺で育つ。昭和四五年(1970年)大正大学卒業。一年間の広告会社勤務の後、仏教大学に入学、声明を学ぶ。昭和五○年(1975年)直指庵住職に就任。昭和五七年(1982年)より知恩院の布教師も務める。
                    ききて 西橋 正泰
 
ナレーター:  京都市の西、洛西(らくせい)の嵯峨野(さがの)です。山間(やまあい)の竹林に抱かれた一角にある直指庵(じきしあん)。江戸時代の正保(しょうほう)三年(一六四六年)南禅寺で学んだ僧が、庵を結んだのが始まりとされます。本堂には、「想い出草」と名付けられたノートがいつも置かれています。
 
     そっと
     その意地を
     私の心(ノート)に
     すててください
     苦しむあなたを
     みているのが
     つらいのです
 
「想い出草」のノートには、寺を訪れた人々が自ら抱える悩みや苦しみを書き残しています。
 
「生きている意味がわからなくなります」「仕事のプレッシャに押しつぶされそう」。
 
今回は直指庵の住職小田芳隆さんに、人々の悩みと向き合いながら仏の道を歩む生き方についてお話を伺います。
 

 
西橋:  蝉の声も聞こえますね。見事な紅葉です。
こんにちは。
 
小田:  こんにちは。
 
西橋:  どうぞよろしくお願い致します。まだちょっと暑いですけど。この紅葉は見事ですね。
 
小田:  そうですね。秋になりましたら、この紅葉は真っ赤になります。
 

ナレーター:  小田芳隆さん、六十三歳。直指庵の住職になって三十年あまり。「想い出草」に書き綴られた人々の悩みを受け止め、後世に残していくことに力を注いでいます。また住職を務めながら京都知恩院の布教師として、全国各地の寺に赴いて法話を行い、人々に仏の教えを伝えています。
 

 
西橋:  あそこの額に「直指庵」と書かれていますが、この名前の由来はどういうことですか。
 
小田:  仏教の言葉に「直指人身(じきしじんしん) 見性成仏(けんしょうじょうぶつ)」という言葉がありますけれども、その言葉から、寺号を避けて「直指庵」と号した、と、開山がおっしゃっています。「直ちにあなたの心を指してご覧なさい。そこには仏性―仏様になる仏性がありますよ。成仏できますよ。その心がありますよ」という意味合いですね。
 
西橋:  誰の心にも仏性があるんだ、と。
 
小田:  そうです。あなたの心をちゃんと覗いてご覧なさい。そこには仏様になる種―性根がありますよ、という意味合いですね。
 
西橋:  そうですか。じゃ、お話を伺いたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。
 
小田:  どうぞよろしくお願い致します。
 
 
ナレーター:  秋には美しい紅葉に彩られることで知られる直指庵。昭和四、五十年頃には嵯峨野に観光ブームが湧き起こり、直指庵にも多くの人々が訪れるようになりました。その時落書き防止のため本堂に置かれたのが、「想い出草」のノートです。初めは訪れた人が、名前や住所を記していましたが、やがて心に秘めた悩み苦しみが綴られるようになりました。
 

 
小田:  どうぞ、こちらです。
 
西橋:  ありがとうございます。凄い数ですね。これ全部「想い出草」ノートですか。
 
小田:  そうです。昭和三十六年に、第一号が書かれていますね。
 

 
西橋:  一冊目が置かれてから四十九年。寺ではすべてを大切に保存していて、その数は五千冊を超えました。
 

 
小田:  五十年百年後に、このノートを見ると、日本人の人間模様がわかるんじゃなかろうか、と思いますね。
 
西橋:  そうですね。心の動きとかね。
 
小田:  そうですね。それを思うと楽しみですけどね。
西橋:  年に何回か公開していらっしゃるんですね。
 
小田:  そうですね。春のゴールデンウイークの時と、そして秋の紅葉の時に公開しています。
 
西橋:  じゃ、いろんな方たちが来て、古いのを見たり、
 
小田:  そうですね。過去に書いたけれども、もう一度読み返したい、というお方もお見えになります。
 
西橋:  若い時にこちらに来て書いた人が、
 
小田:  そういうお方が多いから公開するようにしたんですね。
 
西橋:  そうですか。それは自分の心の成長を確認したいということであるかも知れませんね。
 
小田:  そうですね。そういう思いがあると思います。「あの時は若かったな」という、こういう思いもあるんじゃなかろうか、と思いますね。
 
西橋:  この直指庵を訪れて、「想い出草」ノートにいろんな自分の気持ちを書かれる人たちがたくさんいらっしゃるわけですけれども、それは自分自身をここへ来て見つめるという気持からなんでしょうかね。
 
小田:  そうですね。初めて来られたお方は、直指庵に来られて、そして「想い出草」というノートが置かれているというのをご存じなくて来られて、そしてテーブルの上に載せられている「想い出草」ノートを見て、そして他のお方の書いているのを読みながら、じゃ、自分も書いてみようかな、という思いで書かれるというお方もいらっしゃいますね。そういうお方は、この直指庵に来られて、「なんて静かなところなんだろうか。心が安まるところなんだろうか。心が洗われる思いがします」というようなことが必ず書かれている。この直指庵の持っている雰囲気といいますか、この自然さに心が静まって、このノートの中に思いがずっと書かれるんではないかと思うんですけどね。ご存じなお方は、このノートに書きたい、という思いで来られる。
 
西橋:  そういうお方もいらっしゃるわけですね。
 
小田:  いらっしゃいますね。
 
西橋:  確かに本堂は、片方窓の外を見ると、それこそ秋は紅葉がとっても綺麗なんでしょうし、片っ方こっちを見ると仏様がいらっしゃる。その環境がとても大事、
 
小田:  そうですね。
 
西橋:  この「想い出草」ノートを、みなさんがお書きになる傍のあのご本尊は阿弥陀如来様ですか。
 
小田:  阿弥陀如来様ですね。
 
西橋:  阿弥陀如来様にすぐ傍に感じながら、みなさんはこの「想い出草」ノートをお書きになるわけですけれども、その中からちょっとご紹介させて頂います。
 
初めての京都です。お寺、自然などたくさんのものを見て、いろいろなことを考えさせられました。私の仕事はお客様を綺麗にすること、それができれば良いことなのに、売上げのことばかりを思ってしまっています。どうしたら綺麗かより、どうしたら買ってくれるか。凄く寂しいことです。自分は凄く自己中、だから人と上手く関わることができない。仕事(売上げと人)これが私の今のテーマ。またここに来てこれを書いた時の自分振り返りたいです。頑張ります。
 
こういうふうに、自分のその時のテーマを書き残して、後日できたらまた来てみたいという、読んでみたいという思いなんでしょうね。
 
小田:  そうですね。人間はそれぞれお仕事を持っているんですね。お仕事をする。やっぱり売上げを上げなくては商売というのは、儲けなければあかんから、やっぱり売上げを計算するんですけれども、しかしそれがあまりにも表に出てくると嫌らしいですよね。だから人間というのは、やっぱり思いやりの心を持とうと思ったら、「相手の立場に立って、人様の立場に立って物事を考えなさい」とよく言われますよね。で、人様の立場に立ってそれぞれの人はいろんな思いがある。人がどのようにしたら喜んでくれるのかな、と思う。それが大切じゃないですかね。自分が喜ぶんだったら、人様にも喜んで貰えないと、本当の喜びは得られないかな。やっぱり自分のことを中心に考えるのではなくて、人様の立場に立って物事を考えることが大切ですよ、と言って、仏様は教えておってくださるんですけどもね。
 
西橋:  この方はそういうことには気が付いていらっしゃるんですよね。
 
小田:  そうです。気が付いているんですよね。実は気が付いているけれども、なかなかそういう気持にはなれない。
 
西橋:  現実にはね。
 
小田:  「想い出草」のノートの中には、自分の心の中をずっと覗いていって、こんな自分じゃあかんな、反省しなければあかんな、という懺悔(さんげ)の気持、懺悔(ざんげ)の気持がここに現れているのが、この「想い出草」ノートではなかろうかな、と思っているんですけどね。
 
西橋:  反省したり、後悔したり、それからなんか再起を誓ったり、という。
 
小田:  そうですね。
 
西橋:  そういう人の心というのの意味といいますかね。
 
小田:  それはこの直指庵がお寺だからでしょうね。もうお寺であって、そしてなんとも言えないこの静寂の中で仏様に守られているという、そういう思いを頂いて貰える。お寺の本堂というのは、大きい本堂で、仏様がずっと奥の方にお祀りをされている本堂が多いですよね。でも家の本堂の場合は、すぐぽっと手の届くところに仏様がいらっしゃる。だから仏様に見守られているというのを、肌身に感じて頂けるのと違うかな、と、私は思うんですけどね。
 
西橋:  反省とか後悔、さっき「懺悔(さんげ)」という言葉をお使いになりましたけども、この仏教的な意味では、この「懺悔」というのはどういう意味ですか。
 
小田:  今一般的に国語辞書を引くと、「ざんげ」と仮名が符っていますけれども、仏教読みは「さんげ」と読むんですね。古い国語辞書を引いて貰うと「さんげ」と仮名が符っているんです。で、その「懺悔」の「悔」の方は、「悔い改める」という意味があるんんですね。その悔い改める「悔」の方は、自分で犯した罪。ああ、私、こんなことをしてしまった。あの人にこんな悪口言ってしまった。つい嘘をついてしまった、という、自分で作った罪、知って作った罪を心から「申し訳ございません」と言って謝っていく。それが「悔」のほうなんですね。仏教では「懺」という方も非常に大切にするんですね。それは人間というのは、知らず知らずのうちに思わざる罪を犯しているんですね。自分では犯していないと思っているけれども、実は犯し通しの人生を私たちは歩んでいる。例えば我々は生きとし生けるものの命を頂かんことには生きてはいけない。毎日毎日生きとし生きている命を頂戴をしている。それを私たちは罪とも思わずに、当たり前やと思って食べているんですよね。だから食べ物を頂く時には、「有り難うございます」と言うて、手を合わせて合掌して、お念仏でも称えさせて頂いて、「頂きます」と言って頂くんですよね。それをして、初めて懺悔の心がそこに生まれてくるんですけれども、それすらしない。餌を食っているのと同じ行為のお方がたくさんいらっしゃる。それは罪やと思っていらっしゃらない。実は大きな罪なんですね。そういうことをちゃんと心に頂戴しなさいよ、と、お釈迦様はおっしゃっていらっしゃる。今後犯すであろう罪も反省しなさい、というのが「懺」の方に当たりますね。
 
西橋:  今後犯す罪?
 
小田:  人間は悪いことをしてしまったなあ、というて、人様に謝りますよね。「悪かった、申し訳ない。あなたのつい悪口をいうてしまった」というて謝りますよね。じゃ、もう二度とその人の悪口言わんかというたら、そうじゃないですね。またやりますね。だから今後犯すであろう、というその罪も反省しましょう、というのが、「懺」の意味になってくるんですね。ですから仏教的に解釈すると、懺悔というのは非常に大きい意味合いがあるんですね。
 
西橋:  もう少しご紹介させて頂きます。
 
二十日前に母がこの世を去りました。認知症になって約五年、だんだんと母の元気な頃の姿が失われていくのを見ながらも、どうすることもできないのは悲しいものです。施設にお世話になり、おむつの一つも換えてあげられなかったのが後悔です。自分の仕事の忙しさにかまけて、母を訪ねるのが、月に二、三度。何故もっと行くことができなかったのか。今になってはもう遅い。ごめんなさい
 
今、お母さんを亡くされた方の思いですよね。
 
小田:  私も父の死に目にも、母の死に目にも、実は会えませんでした。お説教の約束があって、布教に出ていまして、そして父の死に目にも母の死に目にも会えなかった。父の死の時には、母から電話が掛かってきましてね、「もうお父さんの具合がいよいよダメだから帰っておいで」という電話を頂いた。帰りたかったですね。帰りたかったけれども、帰れなかった。それは約束があったものですから、私たちはいったん約束をすると、どんなことがあっても、それが最優先。私が行けなかったら相手のお寺さんが困るんですよね。ですからそれができない人は、布教師になったらあかんのですよね。だからそれは覚悟の上なんですけれども。で、父や母が亡くなった時にやっぱり思いましたね。なんでもっと親孝行をしてあげることができなかったんやろうか、と思いますね。親孝行の仕方に、三つ説かれていますね。まず第一番目の親孝行の仕方は、お父さんお母さんが年老いた時には、お父さんお母さんの好物なものを、好きなもの、旬なものを食べさしてあげなさい。二つ目の親孝行は、お父さんお母さんが病気で寝込んだ時には、心からの看病をしてさしあげなさい。この二つの親孝行は、私たちの心構えさえあったらできていけるんですね。けれども亡くなった後に私たち嘆くんですよ。なんでもっと親孝行してあげられなかったのか、というて嘆く。その嘆く時に親孝行の仕方があるんですね。亡きお父さんお母さんのために、じゃ、どのような親孝行があるかというたら、自分が正しい信仰の中に入って、その自分の信仰の中にお父さんお母さんを引き込んでさしあげなさい、とお釈迦様はおっしゃっていらっしゃる。だから親孝行は、手遅れじゃないんですね。「ああしてあげたら良かったのに」というて嘆いて、そしてほっといたら親孝行はできないんですね。永久にできないんですね。だからもっとこうしてあげたらいいのに、と思う気持ちを信仰に生かしていくんですね。亡きお父さんお母さんを心から回向(えこう)して差し上げる。供養して差し上げる、というのが、親孝行になっていく、とお釈迦様はおっしゃっていらっしゃるんですね。その信仰の中に、お父さんお母さんを引き込んで差し上げると同時に、自分を取り巻く子どもや孫にその姿を見せるんですよ。だからお父さんお母さんの姿を見て、子どもは、「あ、おじいちゃんおばあちゃんのことをちゃんと大事にしているのやな」というて、親孝行を教えていきなさい、とお釈迦様はおっしゃっていらっしゃる。
 
西橋:  もう少しご紹介させて頂きたいんですけれども、
 
悩み事が多いので、直指庵に来ました。少しでも苦しみが減るように。何故私は大切な人に好かれず、必要とされないのでしょう。考えすぎ。私はいつもネガティブです。ここへ来て少しでもポジティブに、そして前に進めることを願います。人生一度しかない。人生楽しく生きたい。どうか苦しみが減り、無くなりますように。
 
「人生楽しく生きたい」というのは、みんなの思いですけどもね。
 
小田:  そうですよね。お釈迦様は、「愛は悩みを生む」とおっしゃっていますよね。愛は悩みを生む。じゃ、なんで愛することによって、そこに悩みが生まれるのかな、とこう思うんですけれども、お釈迦様は、「我が身のことを愛しなさい」まず大切にしなさい、と。人間というのは、自分より愛おしい者を見つけることはできない。絶対自分が一番可愛い。だから「自分の愛しさを知る者は、他の者を害してはならぬ」とこうおっしゃっていらっしゃるんですね。だから人を愛するということは、自分をまず愛しなければいかん、とこうおっしゃっていますよね。自分自身を大切にしよう、ということをおっしゃっていますけれども、私たちはやっぱり誰しも幸せになりたいですね。不幸せでいいというわけにはいきませんですものね。幸せになりたい。その幸せの持ち方というのが難しいですよね。私たちは目の前の幸せを求めるんです。「お金があったら幸せ。いい彼氏が見つかったら幸せ。綺麗な女性と出会いができたら幸せ。いい家に住めたら幸せ」と言って、目の前の幸せを求めるけれども、実はその目の前の幸せというものは、全部離れていくものだ。「離れていくものは、本当の幸せではない」とおっしゃっていらっしゃるんですね。お釈迦様は、カピラヴァストゥというお城の王子様としてお生まれになった。だからお金にも不自由しないし、地位、名誉、財産にも不自由しないし、綺麗な綺麗なヤショーダラー姫というお姫様を娶っていらっしゃる。ラーフラという可愛い男にも恵まれた。私たち世間のものが求める幸せという幸せを全部持っていらっしゃった。けれども、お釈迦様は必ず人間は死を迎える。死を迎えたならば、儂が持っているところの今の幸せは全部離れていくものだ。お金にしても、地位、名誉も。儂はいずれ父の後を継いで王になる。その王になるその名誉地位も失ってしまう、無くなってしまう、死を迎えたら。愛する子どもも離れていってしまうじゃないか。ヤショーダラー姫も儂から離れていってしまうんじゃないか。離れていってしまうものは本当の幸せではない、とお釈迦様は気付かれた。本当の幸せを求めなければならんというので、四苦八苦の苦しみをどうしたら解決することができるのであろうか、というて、仏門に入っていかれたんですね。そして本当の幸せを求めていかれた。そのことを法然上人は、「喜びの中の喜び」。「幸せ」ということを「喜び」という言葉で表していてくださる。何が喜びなのか、と言ったら、受け難き人身を受けて―人身ということは人のいのち、人の身ということですね―人のいのち、こうして私たちは今人間としていのちを貰っている。生き生かさして頂いている。これは受けがたい受けがたいいのちなんですよ、とおっしゃっているんですね。この世の中には数え切れんほどの生きとし生けるものがおるんですよ。本当に無数の生き物がおる。その生き物がいる中で、人間としていのちを頂戴をしたということは、本当に梵天(ぼんてん)から糸を下して―天の上から細い細い糸をどんどん下してきて、海底の針に通すがごとし、と、お釈迦様はおっしゃっていらっしゃる。天の上から糸をずっと下して海底のあの大きな大きな海の底に置いておるところの針にその糸を通すが如し、とおっしゃっていらっしゃる。だから有り難いですね。有ること難し。有り難い有り難い私たちいのちを頂戴をしている。このいのちを頂戴していることをまず喜びなさい、とおっしゃっています。そのことを当たり前や、と思うておったら幸せを感じられないですよね。人間というのは非常に傲慢なんですね。今生きている、今の生活をしておる、生きているその状態を悪いと思っておらんのですね。全うに生きておると人間誰しも思っておるんです。けれども、あなた、心の中を覗いてご覧なさいよ。汚い汚い心が渦巻いているじゃないの、と法然上人はおっしゃっていらっしゃるんです。何故ならば、私たちの心の中には、あれが欲しい、これが欲しいの欲の心がありますよね。しょうもないことで腹が立つんですね。私、昨日腹が立ちましたよ。阪神タイガースが負けたから(笑い)。最近阪神タイガースが弱いから、阪神タイガースが負けると腹が立つ。自分がしていたら、負けたら腹が立つのは当たり前だ、と思うんですけれども、自分がしていないのに、なんで腹が立つのだろう。立たんでもいいのに、腹が立つんですね。そういう煩悩があるんですね。そして愚痴が出るんですね。何でやろう、という愚痴が出る。そういう心があるから、ああでもない、こうでもない、という。あれが欲しい、これが欲しい。ああなったらいいな、こうなったらいいな、という、いろんな思いが湧いてくるんですね。その思いが叶えられないと、腹が立ったり、人様を責めたり、相手のせいにしたり、という人間の煩悩が湧いてくるんですね。そういう煩悩を持っておる人間だろう。それを見たらほんとに恥ずかしい人間と違うか、と法然上人はおっしゃっていらっしゃる。そのことをしっかりと我が身のほどを見つめて反省していけ、と、こういうているんですね。それが反省できないと、この手が自然に合わさっていかんのですね。ほんとに「仏様、どうぞ如来様、お助けください」という、この手がなかなか合わさっていかん、心からね。自分はこのままでいいと思っておったら、なかなか仏様の前に行こうという気持にもならない。本当に至らんこの私やなあ、こんなことをしたから、あの人に迷惑を掛けてしまったな。こういう自分が、こういうところがあるからなかなか人に好かれない、嫌われるのやな、というて、自分の我が身のほどをちゃんと見つめていったら、反省することがわかってきますよ。その反省する心が湧いてきたならば、自然に謙虚になりますよ。人様は謙虚になったら、知らず知らずの間に好かれる人になっていく。謙虚の人を見て、彼奴嫌いや、という人おりませんよね。あの人いい人やな、なんと慎み深い人やなあ、というて、人様から憧れたり、やっぱり崇め奉られますよね。崇められる人間へとなっていきますよね。
 
 
ナレーター:  小田さんは、昭和二十二年(一九四七年)宮崎県の寺に生まれました。二歳の時、住職を務める父の受け持つ寺が変わり、大分県津久見市(つくみし)に移ります。内気で、人前で話すのが苦手の少年でしたが、お経を読む時だけは、自信が持てた、と言います。
 

 
西橋:  津久見の少年時代の想い出というと、どんなことが思い出されますか。
 
小田:  そうですね。四歳から五歳ぐらいの時には、もうこんな黒い衣を着せて貰って、そして本堂で何事か法要があると、必ずお勤めに参列させられましたね。私、兄弟の三男坊で―五人兄弟の末っ子なんですけれども、二人上に兄がおって、そして他に小僧さんもおりましたので、兄貴からずっと小僧さんが並んで、私が一番下のところに座らされて、お経を唱えさせて頂きましたけれどもね。門前の小僧習わぬ経を読む式で、もう小学校の四年生五年生の時には、普段唱えるお経は全部諳んじられましたね。
 
西橋:  そうですか。
 
小田:  これは有り難いことやなあ、と思うんですけれども。ですから父が非常に厳しい方でしたから、もう何があってもお寺が中心なんです。ですから小学校に通っていて、遠足があろうが、運動会があろうが、お寺で何か行事ができる、例えばお葬式ができたといったら、それが最優先、
 
西橋:  学校も早引きして、
 
小田:  そうです。早引きして帰って来なければならん。それか休まなければあかん。だから何にもない時でしたら、早引きするのはどっちかと言ったら嬉しいから(笑い)お寺に帰りましたけれども。でも楽しいことがある時には―運動会とか、遠足やとか、そういう時には早引きしてという、そういうことが悲しくてしょうがなかったですけれども。でもやっぱり知らず知らずのうちに、そうしてお寺の中で小僧として育てて頂きましたね。
 
西橋:  他の小僧さんなんかと同じように、朝の拭き掃除したりというのは、
 
小田:  ええ。まず一番目が掃除。「一掃除、二勤行、三に学問、四に阿呆」と言われますのでね。まず何があってもお掃除です。もう自分がする場所は担当が決まっているんです。兄は、父がするすぐ足下―仏様の一番足下や手元を兄がする。二番目の兄はお寺の内陣をする。小僧さんはお寺の外陣をする。一番下の私が外周りの一番汚いところをさせられるとかね。掃除が決まっていて、それをせんことには御飯も食べさせて貰えませんでしたから、掃除をするんですね。勤行(ごんぎょう)―お勤めをして、御飯を頂いて、で、学校に行く。でも小僧生活―お寺の生活というのは、それなりにけっこう楽しかったですけどね。決して嫌じゃなかったですね。
 
西橋:  そうですか。じゃ、お経なんかも楽しんで覚える。
 
小田:  そうですね。耳から入ってきましたね。
 
ナレーター:  子どもの頃から、将来は僧侶になることを決めていたという小田さん。東京の大正大学に進学して、仏教の基礎を学びました。ところが大学を卒業すると、大阪の会社に入ってサラリーマン生活を始めます。
 

 
西橋:  卒業なさって、広告会社に入られるんですよね。
 
小田:  ええ。いずれは私はお坊さんになる、というのはもう決めていました。好きでしたので、お坊さんになる。どこかのお寺の住職になるというのは、気持の中で決めていました。けれども、坊さんというのはお山の大将なんですね。一箇寺の住職は一国一城の主なんです。だから自分が思うとおりにできるのが、お坊さんなんですけれども、世間知らずなんですね。お坊さんの世界しか知らんと、どうしても世間知らずになります。で、世間知らずになると、仕事の厳しさというか、どっぷりと坊さんというのはぬるま湯に浸かっているような、御檀家さんに囲まれた非常に恵まれた生活を送っているのが、坊さんの姿ではなかろうかなあ、ということを、私は小さい時から感じていたんです。それが学生時代それが非常に強くなりました。それじゃやっぱりいかんぞ。世間の人の気持がわからんことには、坊さんとしてやっぱり十分じゃなかろう、と。それは坊主の世界はわかっていても、他の世界のことがわからんと、これはあかんのと違うか、と思いました。一番知るにはじゃどういう職に就いたらいいのか、と思いまして、それぞれの分野でプロが集まっている世界を探したら一番手っ取り早いのが広告会社だろう、と。
 
西橋:  一年間でしたね。
 
小田:  一年間でした。わずか一年間でしたけれども、三年分ぐらい働きましたね。朝八時前に会社へ行って、会社を出るのが夜十一時。早くて十一時でしたね。どうかすると十二時回っていましたね。残業、残業で。で、能力給だったから、凄く給料が良かったですからね、それは面白かったですけどね。働けるだけ働いたら社長は喜んでくれたから、いろんなことをさして貰いました。宣伝コピーを書かして貰ったり、カメラマンの真似させて貰ったり、照明さんの真似さして貰ったり。販促のスライドとか、16ミリの映画やとか、そういうのを作っていた会社だったんです。田植機とかコンバインが発売された時分だった。その珍しい農機具をどのようにして売ったらいいのか、というので、スライドの映画を作ったり、16ミリ映画を作ったりという、そういうのをしていましたので、いろんなところにロケに行ったりしたこともありました。いろんなお方と接触しましたので、すごく刺激を受けました。
 
西橋:  そういう一年間のサラリーマン生活を送られて、またもう一度仏教大学に入られたんですね。
 
小田:  で、一年で、実はもっと勤めたかったんです。けれども父が、彼奴はあのままあんな仕事をさしていたら、あの方向に行ったら困るから、辞めさせよ、というので、社長に直談判されまして、知らん間に首になっていました(笑い)。で、それじゃというので、仏教大学に行きました。大正大学の時に専門のことを勉強しておりませんでしたので、浄土学の勉強をまたやろうと思いまして、一年間仏教大学で浄土学の勉強をさせて貰って、それからどうしようかなと思っていた時に、お経に声明(しょうみょう)というのがありましてね、節をつけて唱える。
 
西橋:  歌うような、
 
小田:  そうですね。その声明の勉強をしようと思いました。浄土声明というのは、天台声明が元祖なんです。同じするのやったらやっぱり初歩からしたいというので、天台声明を勉強しようと思いました。で、大正大学に通っている時に、天台宗のお寺の知り合いができまして、その天台宗のお寺に二年半ほどお邪魔をさせてもらって、そしてそこで天台の声明の勉強をさせて貰いました。
 
西橋:  なんか比叡山で加行(けぎょう)というんですか、けっこう厳しい修行もなさったそうですね。
 
小田:  そうですね。各仏教の宗派がありますけれども、行地獄(ぎょうじごく)と言われる一番厳しい修行をさせられるのが比叡山、とこう言われているんですね。で、その比叡山の行を受けてみんか、してみんか、ということを、東京の天台宗のお寺のご住職から誘いを受けまして、「私は浄土宗の僧侶で浄土宗の資格を持っていますけれども」と言いましたら、「いや、受けさしてあげよう」ということで、受けさして頂けるんだったら、受けさして頂きたいと思いまして、受けさして貰いました。その時ちょうど瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)さんと一緒でしてね。瀬戸内寂聴さんは今東光(こんとうこう)のお弟子になって、小説に行き詰まっている時に、やっぱり思い悩んだんでしょうね、僧侶の仏門に入ってこられた。その時にちょうど一緒でした。やっぱり厳しかったですね。天台の行は二ヶ月間、浄土宗の行は三週間、約三倍ですね。ですからやっぱり日にちも長いですし、することも非常に厳しいです。最初の一ヶ月は浄土宗の修行とほとんど同じような修行をします。けれども、次の一ヶ月間というのは、二ヶ月目はまったく密教の修行に入りますから、ですから朝は二時起きなんですね。消灯が十時。十時に寝て、朝二時に起きる。今寝たかと思ったらもう起きなければあかんという。二時に起きたら閼伽水(あかすい)という水を、不動真言を唱えながら桶を担いで閼伽水(あかすい)という仏様にお供えをする水を汲みに行く。そして仏様にお供えをしたら、お堂にポンと入ったら、もうずっと四時間五時間出て来られない、というような行をしましたね。勿論水もかぶりますし、朝、目が覚めたらパッと頭から水をかぶって、そして閼伽水(あかすい)を汲みに行って、仏様にお供えをしたら、お勤めが始まる。
 
ナレーター:  厳しい修行を通して、声明を習得した小田さんは、知恩院の僧侶として法要など宗教行事を専門に司る道を志していました。そんな時、父が大分の寺と兼任で住職を務めていた直指庵の住職になる話が持ち上がります。昭和五十三年(一九七八年)、小田さんは三十一歳で寺に入り、住職の道を歩み始めました。
 

 
西橋:  この直指庵に入山なさったのが三十一歳の時、実際にここでご住職のお仕事をなさったのは三十一歳の時ですね。
 
小田:  そうです。
 
西橋:  ここは檀家のないお寺なんですね。
 
小田:  そうですね。檀家がないお寺ですからね。まあ有り難いことに時勢の流れで、一応観光寺院にはなっておりますけれども、檀家がないから非常にこのお寺を維持していくのが大変なんですよね。お寺の住職の使命というのは、やっぱり一人でも多くのお方にお釈迦様の法というもの、そして法然上人の御教え―私は浄土宗の僧侶ですから、このお寺は浄土宗ですから、浄土宗の教えをお伝えをさして頂くというのが、我々僧侶の使命なんですね。私は声明が好きだったので、声明の方でいくのを法式(ほっしき)というんですね。法式というのは、お経はこのように唱えるんですよ。その作法はこのようにするんですよ。お葬式にはこのようにして作法していくので、お葬式の時はこのお経を唱えるんですよ、というて、それを司っていくのが法式(ほっしき)の世界。だから声明が私は好きだったから、その世界にいくのが手っ取り早いから、その世界にいきたい、と思っていたんです。けれども、この直指庵というお寺の住職になって、そしてお檀家がない。お檀家があるお寺でしたら、お檀家さん相手に法を広めたらいいのですけれども、しかしこの直指庵はお檀家がない。お檀家がないお寺に、いろんな宗派のお方がお見えになる。いろんな宗派のお方がお見えになったら、やっぱり一人でも多くのお方に法をお伝えをするのが僧侶の役目であろうというので、声明の世界よりもやっぱり布教の世界を目指さなければあかん、ということを思いましたね。そしてそのお説教の勉強もだんだんと始めていったのですけどね。
 
 
ナレーター:  当時、直指庵の本堂には、既に「想い出草」のノートが置かれ、寺を訪れた人々が心の悩みや苦しみを書き残していました。小田さんは、「想い出草」に思いを寄せる人々に少しでも心安らえでもらおうと境内に石仏を安置しました。
 

 
西橋:  「想い出草観音菩薩」が境内にございますね。この観音菩薩をもう二十七年前の昭和五十八年に、
 
小田:  五十八年に建立しました。蓮の花を手に持っている観音菩薩のお姿はたくさんあるけれども、「想い出草」のノートを持って頂いて、そしてその「想い出草」ノートの中には、いろんな思いが書かれていますよね。思い、願い、そしてまたいろんな決心やとか、懺悔の気持、そういうものが表れているノートやから、その込められた思いを観音菩薩様にお聞き届け頂きたいなあ、と思いましたね。そういう思いでもって、手に「想い出草観音様」がノートを持っている。
 
西橋:  左手にこう開いてノートを持っていらっしゃいますね。この願いを観音菩薩が、
 
小田:  お聞き届け頂いて、汲み取って頂きたいな、と。悩み苦しみをね、という思いでもって建てさせて貰いました。
 

ナレーター:  現在、日本全国の寺から招かれ、一年の三分の一以上は布教の旅に出ているという小田さん。「想い出草」のノートを通して、多くの人々の人生を知ることで、仏の教えへの思いがいっそう深まった、と言います。
 

 
西橋:  この「想い出草」ノートをお読みになりますね、みなさん書かれたものを。そのことは布教師として、全国で布教活動をなさる上で、何か参考になったりすることがありますか。
 
小田:  例えば、「この世の中は諸行無常(しょぎょうむじょう)ですよ」という、お釈迦様のその言葉を、「諸行無常」とポンとお檀家さんに伝えたかて、「諸行無常」って、言葉ではわかるけども、じゃ、その諸行無常とはいったいどういうことなのか、ということをわかって頂くには、やっぱりそれにいろんな枝葉を付けてお話をせんことには、諸行無常という言葉がなかなか理解されていかない。その諸行無常という言葉をわかってもらうには、「実は家のお檀家さんの若い息子さんが、元気やった人が、実は心筋梗塞を起こしてコロッと亡くなったんですよ」というて、「今の今まで元気だったお方が亡くなっていく。まさにこの世の中は一寸先が見えない。諸行無常ですね」という、そういう喩え話をするのには、「この「想い出草」にはこのようなことが書かれていますよ」ということでもってお話をさして頂くことがたくさんありますね。
 
西橋:  こういう悩みを持っている人がいる。それにはどういうふうに話していけば、その人がまた再起するような道に行けるんだろうか、というようなことをお考えになる時に、
 
小田:  はい。直接相談を受ける場合も、「想い出草」のノートに書かれているような相談もよく受けるんですね。そうすると、ここにこんなことを書いていたな。この子にどのようにお話をしてあげたら、この子の心が安まるのかな、とこう思うんですね。で、いろんなお釈迦様のお話の本やとか、お説教やとか、その学問的なものを読む時に、そういうことを感じながら読むんですね。このノートを読むと、いろんなことが書かれていますけれども、今私たちは実際に生き生かさして頂いているんですよね。そして元気なお方は元気を与えてもらっているんですよね。優しいご主人は優しいご主人をちゃんと与えてもらっているんですよね。今いろんなことを考えたら、ほんとに幸せなんですよね。そのことを「有り難いですね」というて喜ぶこと、それが足ることを知ることですよね。今与えられていることを喜んで、そして新しい希望を持つ。私たちは、欲の心が強いから、欲の心を持つことによって、我々人間は進歩していくんですね。ああなりたい、こうなりたい、楽になろうと思ったら良い学校に行かなあかん。良い学校に行こうと思ったら勉強せなあかんし、そして良い学校を出て良い会社勤めをして、それは欲の心ですよね。欲の心があるから、いろんな進歩があるんですけれども、しかし欲の心があまり強すぎると、そのことが我々の人間性を害してしまいますから、今置かれておるこの立場、今生かさして頂いておるこの状態を心から喜ぶこと、これは食うや足ることを知るという教えでしょうね。
 
西橋:  私たちは、一九四五年に戦争が終わって、より豊かに、ということを追求して、ずっと生きてきたわけですけれども、
 
小田:  私たちが小さい頃を振り返ってみると、今家庭の台所の冷蔵庫をポンと開けて見たら、その時分お正月か、あるいはお盆ぐらいに、年に一回か二回やっと入るようなご馳走が、今各家庭の冷蔵庫の中にはたくさん籠もっている、と思うんですね。本当に豊かになりました、便利になりました。じゃ、有り難いな、と感謝する日暮らしをしているかなと思ったら、そうじゃないですね。よっぽど昔の不便な時の方が「有り難いな」というて、感謝するし、日暮らしを、私はしていたと思うんですね。それはやっぱり父や母やとか、おじいちゃんやおばあちゃんが「有り難いねぇ」というて、そういう言葉を常に言うてくれていたように思うんですね。御飯を頂く時には、「ご先祖様の御蔭ですよ。拾って食べなさい。勿体ないでしょう。有り難いですよ」というて、そういう会話が常にあった。けれども、これだけ物が豊かになって、便利になってくると、こぼした物を今のお母さん方は食べようとすると、「あかん、食べたらあかん。衛生に悪いからほかしまさい」とこう言うんですね。そこをもうちょっと大きな心を持って頂いて、物が豊かになったことをほんとに心から私たちが喜ばさして頂かんと、ますます心が失われていってしまうのではなかろうかな、と思うんですね。そういう心を養うことが、仏様を拝むことでしょうね。それが私は原点やと思いますね。手を合わせて仏様を拝まして頂く。そして心を養おうて頂く。これが私は人間の心を養うほんとに一番の根本根元になっていくのではなかろうかな、と思いますね。
 
西橋:  今日本の社会は、年間に三万人以上の人たちが自ら命を絶つ、という社会になってしまった。何のために生きているんだろうか、というのは、多くの人たちがいろんなシーンで思うことですけれども、その時に死を選ばないで、生を選ぶための視点といいますかね、生きるということを選ぶための視点というのは、どうしたら獲得できるというふうに思われますか。
 
小田:  私たちは尊い命を頂戴しているんですね。そうするとやっぱりこの命がある限り生き抜かんといかんのですね。生き抜くことによって、自分を取り巻いてくださっているお方に、自分の生き様を見せるのが、私たち人間の使命だ、と思うんです。この私には、息子もおれば娘もおりますし、そしてやがて息子が結婚したら孫も生まれてくるでしょうね。そういう子どもたちや孫に、この私の生き様を見せることが、私のこれは役目だと思うんですね。私の命というのは、お父さんお母さんから頂いた命なんですよね。そのお父さんお母さんにお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんがいらっしゃる。そのおじいちゃんおばあちゃんにもご先祖さまがいらっしゃる。そのご先祖さまの命をズーッと遡っていったところが、この私の命の出どこなんですね。根本根元なんですね。命の出どこがあるから、私の命が今あるんですね。それを仏教のことで、「無量寿(むりょうじゅ)」と言いますね。「無量」はかりしれない。はかりしれない命。私たちの凡夫の頭の中で、どうのこうの、ああでもない、こうでもない、ということで、考えても、それはそれは所詮わからないことですよ。「無量の命」とこう言っているんですね。お釈迦様は「無始(むし)」と言いましたね。私たちの命の根本根元は「無始」とこう言いました。それは「無始」というのは、「始が無い」という字が書いてありますけれども、始が無い、という意味じゃないんですね。「始がいつかわからん。昔の昔から」とこうおっしゃっていらっしゃいますね。科学者はこの地球ができたのが四十六億年前、四十七億年前、とこうおっしゃっていらっしゃいますけれども、その時には「何にも命というものはなかったんや」とこうおっしゃっていますね。「命が芽生えたのが、それから十億年後の三十六億年前や」とこうおっしゃっていらっしゃる。何にもないところから命が芽生える筈はないんですね。ちゃんとその前から天地大自然の宇宙に命というものは籠もり籠もっておったんですね。ですから、お釈迦様は「無始」とおっしゃっているんです。「始がいつかわからん昔の昔から」そのことを仏教の言葉で「無量寿」とおっしゃっていらっしゃるんですね。人間というものは、オギャッと生まれてきたら、絶対一人では生きていけませんね。お乳を飲まして頂ける御蔭、あるいはおしめを換えて頂く御蔭、ハイハイし出したらいろんな人の手を差し伸べて頂いて、いろんな人の心配を受けながら、人間はだんだんと成長していくんですね。はかりしれない、とてもじゃないけれども、数え切れんほどの御蔭を頂戴しながら、日々生き生かさして頂いておる。このことを「無量光(むりょうこう)」というんですね。無量の御光(みひかり)。そういう本当にはかりしれない御光を頂戴しておりますよ。「無量寿・無量光」そのことをインドの言葉で「アミタバー・アミタユス」とこういうんですね。「アミタバー」というのは、「無量光」という意味ですね。「アミタユス」というのは「無量寿」という意味なんです。「アミタ即ち阿弥陀(あみだ)」。「阿弥陀様の命を頂戴し、阿弥陀様の御蔭を頂戴をして、今日この私の命があるのでございます。どうぞ阿弥陀如来様、この私の命のすべてをお委せを致しますので、どうぞよろしくお願いを致します。阿弥陀仏」とお念仏を称えさせて頂く。ですから人間というのは、決して自分の命やから自分の勝手に、自分で好きなようにしたらいい、ということにはならんのですよ。私たちの命を今日あるのは尊い尊いお父さんお母さんの御蔭ですよ。おじいちゃんおばあちゃんの御蔭ですよ。ご先祖様の御蔭がなかったら私という命はないんですよ。それは何万何十万と数え切れんほどの命の尊い尊い命を頂戴をしておるんですよ、ということを、私たちは受け取っていかんといかんのですね。でないと、命を粗末にするんですね。私たちのこの命というのは、ズーッと遡っていったら阿弥陀如来様の尊い尊いお慈悲を頂戴をしておるんですよ、ということですよね。そのことを「有り難いことでございます」というて、感謝をさして、日々生き生かさして頂く。そこに本当の喜びの人生が湧き出てくる、と法然上人はおっしゃっていらっしゃるんですけどね。今のお母さん方が、子どもたちに、「あんたなぁ、少々のことはしてもいいけどもな、人様に迷惑だけはかけんように生きていきなさいよ」とよく教えますよね。迷惑だけはかけんように生きていきなさいよ、とこういうんだけれども、それは非常に高慢なんですね。迷惑をかけずに人間は絶対一日たりとも生きていけないんですよね。だって考えて頂けたら、私たちは生きとし生けるものの命を頂かんことには生きていけない。生きとし生けるものに迷惑を掛け通しに生きているんですね。生きていく上において、世間の人たちに迷惑をかけ通しに、よくよく考えてみたら生きているんですよ。そのことをしっかりと頂戴せんと、人間は非常に高慢になるんですね。反省する振りはよくするんですね、人間ね。反省する真似。人間というのは真似ができるんですね。例えば、ご主人が奥さんに、「なんや、今晩のおかず不味いな」とご主人が言うた。それを聞いた奥さんは、腹の中では「何いうているの。文句があるんなら、自分で作ったらいいのに」とこう思いながらでも、逆らったらうるさいから「ごめんなさい、ごめんなさい。私、ちょっと忙しかったさかいに、ちょっと慌てて作ったばっかりに」というて、「ごめんなさい」と言って謝るんですね。心の中では逆なことを考えているんですよ。「何いうているの。偉そうなこというているからに。文句があるんだったら自分で作ったらいいのに」とこう思いながらでも、表面的には「ごめんささい」と謝る真似ができる、ふりができる。これ人間なんですね。何でかというたら、相手の心が見えんから。ご主人には自分の心の中が見えんから、そういう上手な器用なことが人間できるんですね。だから表面的には謝ることは人間できますよ。けれども、心の底から反省することが、対人間関係やったらできないんです。じゃ、どうしたらできていけるかと言ったら、仏様の前に行った時しかできないんですよね。仏様の前に行って、「申し訳ございません」というて、拝んでおると、自分の心の中がよう見えてくるんですよ。仏様には嘘が通用できませんから。仏様は全部私の心を見通しですもの。だから嘘通用せんのですね。だから仏様の前に額づいて、仏と相対した時には、人間が素直になれるんですよ。だから仏を拝みなさい、とおっしゃっていらっしゃるんですね。何のために拝むのか、と言ったら、我が身をちゃんと見つめるためなんですね。そうせんと心から反省はできていかんのですね。で、一日反省することによって、人間が必ず高められていきますね。人間というのは、儂はこれでいいのや、十分や、と思ったら進歩はないんですね。
 
西橋:  どうも有り難うございました。
 
小田:  大変失礼を致しました。
 
     これは、平成二十二年十月三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである