時を越え 伝えるもの
 
                     興福寺貫首 多 川(たがわ)  俊 映(しゅんえい)
一九四七年、奈良県生まれ。一九六九年、立命館大学文学部哲学科心理学専攻卒業。一九八九年より奈良興福寺の貫首を務める。中金堂の再建など、興福寺の伽藍復興に精力的に取り組んでいる。また、唯識論や仏教文化論の研究、執筆活動、講演活動なども行なっている。能や詩、音楽などにも関心が深い。著書「日本仏教講座1奈良仏教」「阿修羅を究める」「はじめての唯識」「唯識十章」「観音仏教のこころ」ほか。
                     き き て 西 橋  正 泰
 
ナレーター:  奈良興福寺(こうふくじ)。日本を代表する文化財の一つとして世界遺産に登録されています。現在住職である貫首(かんす)を務めるのが多川俊映さん、六十二歳。和銅三年(西暦七一○年)の創建以来守られてきた寺の教えを、後の世に伝えることに力を注いでいます。そしてもう一つ多川さんが力を注いでいるのが、国宝阿修羅像(あしゅらぞう)を初めとする創建の頃の貴重な仏像が物語る天平(てんぴょう)の息吹を甦らせることです。創建から千三百年を迎えようとしている興福寺の貫首多川俊映さんに寺に伝わる教えの真髄と時代を超えて伝えていくことの大切さについて伺います。
 

 
西橋:  興福寺は来年創建千三百年を迎えるんだそうですね。
 
多川:  はい。日本の都が藤原京から平城遷都致しますのが和銅三年ですけれど、それと同じ時期に興福寺ができたんだという寺伝がございまして、それで来年が創建千三百年の年なんですね。
 
西橋:  その千三百年を記念する一つとして、今、東京の国立博物館で「阿修羅展」をやっていますね。大変な人ですね。私も拝見しましたけれども。
 
多川:  そうですか。予想以上な人気でございますね。興福寺といえば、まず阿修羅像ということでしょうね。それとやっぱりお像に結晶しました天平文化といいますか、仏教文化といいますか、そういうものがみなさんを魅了するんじゃないですか。
西橋:  お顔が三面あるわけですよね。微妙に違いますね。
 
多川:  微妙というよりかなり違うんじゃないでしょうか。正面のお顔というのは優しいお顔と一般には言われますけども、光の当て方でかなり眉を寄せておりますから、恐い顔にもなりますし、それから横のお顔などはかなりやんちゃというか、唇を噛んだり、そういう表情ですね。
西橋:  手が六本ですね。
 
多川:  六本ですね。前が第一手と二手というか、それが前で合掌しておられて、それで後が―もともと持物(じもつ)といいまして、持ち物がありましたんですね。一番上に掲げてあるのが太陽と月を持っていた、と。それは絵などで確実なんですけども、あと横に出ております二本の手は何を持っていたかちょっとよくわからないですけど、なんか持っておられたんですね。
西橋:  正面の合掌は少し両手の間に隙間がありますね。
 
多川:  ええ。ありますね。というか、明治の古い写真を見ますと、向かって左の手が実はございませんでして、火事に何度も遭っておりますしね、特に一番最後の火事というのが十八世紀の初めなんです、亨保(きょうほう)二年なんですけど、その時に持ち出した時におそらく欠けたんだろうと思います。それはですから明治時代の後補ですね。
西橋:  手を合わせるということは、仏教でいうと、どういうことですか。
 
多川:  これはいろいろな解釈ができると思いますけども、私などはやはり善と悪とか、それから愛と憎しみとか、私たち日常生活というと、すべてそういうふうにしてセットにして考えておりますね、右と左とか、生と死とか。それでどっちだというような選択をしますね。そうではないんだ、と。仏教というのは両方を同時に味わいとるというか、それが初めて本当の世界を現すんだ、と。そういうことが合掌の意味だ、と私は思っているんです。ですから合掌しますと、右とも左ともなくなりますね。そういう世界こそ本当の世界だ、と。それを私たちは分析して、右だ左だとか、善だ悪だとか、そういう世界を創り出しているという感じが致しますね。ですから合掌というのは、イコール(=)仏教の理想の世界を現している、というふうに思っているんです。
 
西橋:  多川さんご自身にとって、阿修羅像というのはどういう存在ですか。
 
多川:  仏教の世界から言いますと、やはり大事なのはご本尊でいらっしゃって、阿修羅にいえば、ご本尊のお釈迦様が仏教世界なんですね。それを釈迦浄土変(しゃかじょうどへん)と言っていますけれども。そのお釈迦様の世界のバイプレーヤー(byplayer)といいますかね、脇役の脇役というか、一番世界の端っこにいらっしゃる方なんですね。ですからそういう意味では軽いというか、そういう立場なんですけれど、しかしそういう端っこにいらっしゃる方も極めて造形がしっかりしているんですね。つまりほとんど暗いお堂にいらっしゃるわけですけども、目立つのは当然ご本尊だけですけども、光の当たらないそういうご仏像も手抜きがないんですよ。きっちりと造形がしている。これがやはり今の私たちの住んでいる平成と天平との違うところだと思うんですよ。そういう意味で阿修羅像というのは、なにか今の私たちの世界の至らなさと言いますか、足らないところをこう指摘しているような、そういう受け止め方をしております。
 

ナレーター:  奈良市の中心部に位置する興福寺。興福寺の僧侶の息子として生まれた多川さんはこの広い境内で幼少期を過ごします。
 

 
西橋:  この興福寺の境内が多川さんにとって生まれ育った場所ですから、遊び場でもあったわけですね。
 
多川:  そうですね。ただ大きくなったらと言いますか、できるだけ遠い世界で暮らしたいな、と思いましたね。
 
西橋:  離れたいということですか。
 
多川:  そうです。
 
西橋:  どうしてですか?
 
多川:  これはいろんなものがコンプレックス(complex)というか、複合になっておりますので、なかなかよく説明できないんですけども、違う世界があるだろう、というのが率直な気持でしたね。
西橋:  お父様(多川乗俊)が先々代の貫首でいらっしゃいますね。
 
多川:  そうです。
 
西橋:  どんなお父さんでしたか。
 
多川:  父は明治三十七年生まれの、明治の人間ですね。ですから説明をほとんどしない人ですし、とにかく私が小学校五年生の時に、ここに新しくお弟子さんが入って来られまして、一緒に得度(とくど)を受けたんです。それもほとんど説明はございませんでしたね。とにかく「明日得度するから」という感じです。
 
西橋:  えッ!という感じでしたか。
 
多川:  そんな感じですね。説明をしない人。それから明治の人はみなそうでしょうけども、順序だって教えるということはしませんですよ。ですから例えば、「明日法要があるから出ろ」という感じですね。どういう法要で、どういう順序でというようなことを一切説明しませんね。それはおそらくそこへ何年も参加して、だんだん自分で覚えていく、そういうものだ、と。すべて見て覚えるとか、盗んで覚えるとか、そういうのが昔の教育でしょう。その点でも、私は大体自分でも厄介な性格だと思いますけれど、理屈で納得するというか、それがないとなかなか前へ進めない人間なものですから、ちょっと困りましたですね。
 
西橋:  それは小学校五年生とおっしゃいましたが、小学校五年生の得度以前と得度以後とで何が変わりましたか。
 
多川:  特にその時は、暫くして中学生ですし、高校生ですし、私は昭和二十二年の生まれで、いわば団塊の世代で、受験戦争というのがちょうど出だした頃ですよ。ですから中高というのはごくごく普通の人と同じ生活です。
 
西橋:  そうですか。時々お寺の行事なんかにも参加して、
 
多川:  そうです。その時は勿論早退ですね。学校を早引けで、それが当たり前でしたですね。
 

 
ナレーター:  多川さんはその後立命館大学へ進学します。心理学を専攻し、それを活かした寺とは別の就職先も考えていました。しかしある日興福寺の教えである唯識(ゆいしき)の魅力に気付いたと言います。
 

 
西橋:  学生時代に仏教への接近というのはどうだったんですか。
 
多川:  三回生を過ぎた辺りで、心理学というのは当然欧米の心理学でして、分析をしていくというのが中心ですね。ただ人間というのは、分析して、分析したものをもう一度総合しても、おそらく本当の人間というのは捉えられないんじゃないかな。それは最初の方から思っておりまして、そこで仏教というのが初めて自分の目の前に現れたんですね。それは実は大学の研究室に『唯識心理学』という古めかしい本がありまして、それをちょっと手に取って読んだのが最初なんです。
 
西橋:  その「唯識心理学」というのは、実はここの興福寺さんは法相宗(ほっそうしゅう)の大本山ですよね。法相宗というのは、別の名前では「唯識宗」とも言われる。そうすると、「唯識」という言葉についてはもうかなりいろんな知識は以前からおありだったわけですか。
 
多川:  名前だけは知っておりました。
 
西橋:  たまたま大学にその本があって、お読みになった。どうでしたか?
 
多川:  東洋にもこういう考え方があるのか、ということでしたね、一口にいえば。そこからいろんな仏教の本を乱読するという感じで。そうすると、今まで自分がイメージしていた仏教とは全然違うというか、なんか明るいものを見出していくようなイメージを持ったんですよ。つまり逆にいえば、それまでは仏教というのは暗いものだなあという思い込みがあったわけです。そこでほんとに百八十度変わったというか、そこから少し仏教をやってみようかな、というふうに思いながら学校を出たわけですね。
 
西橋:  唯識というお話がありましたけども、唯識心理学というのに、こんな考え方が東洋に古くからあったのか、とおっしゃいましたが、このパネルで少し考え方を簡単にご説明して頂けますか。
 
多川:  簡単に一口に言ってしまえば、私たちの心の構造はどうなっているのか。あるいは私たちの心の働きはどういうものがあるのか。あるいは認識の仕組みはどうなっているのか。そういうのを総合的に考察して、そのことによって自分の心というものをしっかりと把握しながらお釈迦様の世界に一歩一歩進んでいく、というのが唯識の方法論です。一番大事なのは私たちの心の構造がどうなっているか、ということですね。それでここにありますように、実は「心」というのは単一のものではなくて、「表層」と「深層」というふうに構造としては二重構造になっている。これが大枠ですね。それで「表層の心」というのが、いわば私たちが普通「心」と呼んでいる部分です。これには六つございまして、「眼識、耳識、鼻識、舌識、身識」、これは今風に言いますと、五感覚ですね。「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚」ですね。
 
西橋:  身識というのは触覚ですね。
 
多川:  触覚です。こういうものは当然ものを知り分ける力を持っておりますから、心の一部だ、と。で、そのいろんな情報を総合して判断をしていくというのが「意識」ですね。これが普通私たちが「心」と言っている領域ですね。ところが勿論「意識」にしても、「眼識」にしても、全部途切れるわけですね。瞼を閉じますと、当然物は見えませんですね。それから「意識」にしましても、熟睡を致しましたら、当然意識は途切れるわけですね。今私は眠っている、ということを意識しながら寝ている人は誰もいませんですね。ですけど、次の朝起きた時に、その意識は当然繋がるわけですね。「し残した仕事を今日やる」と言いますね、「約束を今日やるんだ」という形で当然繋がっている。それをぶつぶつ切れる、途切れ途切れの意識をバックアップする、そういう深い心が当然あるというのが、この「深層の心」ですね。これには唯識では二つ考えておりまして、「末那識(まなしき)」と「阿頼耶識(あらやしき)」なんですね。「末那識(まなしき)」というのは、自己中心性、あるいは自己執着心ですね。例えば意識で友だちと諍(いさか)いを起こして、それで少し言い過ぎた、と反省など致しますね。反省というのは大変いいことですけれど、その時でもこの「末那識」というのは、自分がいいんだ、正しかったんだ、と。そういう囁きを―これは聞こえないんです。聞こえないんですけども、私たちに囁きかけている、囁き続けている。どこまでも自分が中心なんだ、と。これは意識しないわけですね。でもよく音楽で通奏低音(つうそうていおん)(バロック音楽において行われる演奏形態の一つ。低音部の旋律とともに、即興的な和音を付け加えて伴奏する演奏形態である。イタリア語のバッソ・コンティヌオ(Basso continuo)の訳語で、伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名がある)なんかありますね。ああいう感じで囁きかけている、と。
 
西橋:  胸の中で鳴り響いている、静かに。
 
多川:  そうですね。まさに大事なのは「阿頼耶識(あらやしき)」という深層心理でして、唯識によればすべてがこの「阿頼耶識」から出たもんだ、と。この「阿頼耶」という言葉ですけども、これは漢字にはほどんど意味がございません。「アラヤ」というサンスクリット語がございまして、その音を漢字に写しただけでございます。「アラヤ」というのは「蔵」とか、「物を保有する」という意味なんですね。インドと中国の間にヒマラヤ山脈がございますでしょう。あれも「ヒマアラヤ」なんですね。「ヒマ」というのは「雪」という意味でして、雪を年中頂きに持っている山。それで古代インド人はあれは「ヒマアラヤだ」と言ったんですね。
 
西橋:  雪の蔵だ、と。
 
多川:  ですからそれと同じように阿頼耶というのは蔵なんですね。なんか持っている、と。何を持っているのか、ということですけれど、ここが一番唯識で大事なところなんですけれど、私たちというのは毎日いろんな行為、行動を積み重ねておりますね。ほとんど無意識といいますか、もう終わればそのままその行為というのは消えてしまう、と。たしかによく「言いっぱなし」というのがありますけど、言ってそれがそのまま消えていくという感じを持ちますけども、仏教では行為の情報と言いますか、気分というか、余韻というか、そういうものが実はなくならないんだ、と。それは一番自分の深い心の領域に送り込まれて保存されるんだ、と。つまり阿頼耶識というのは自分の行動の情報を溜めるとこなんですね。その行為の情報というのは、唯識では「種子(しゅうじ)」と呼んでおりますけども、当然意識で何か思いますね。思うということも仏教では行為行動ですから、何か好きな人、嫌いな人、憎いとか、何か欲しいとかと思いますね。そういうものも瞬時に消えてしまうもんですけれど、その情報というのが当然残るというわけですよ。それが「阿頼耶識」に蓄積される。いろんな思いが蓄積されていくわけですね。
 
西橋:  じゃ、この阿頼耶識はこの種子がいっぱい詰まっているわけですね。
 
多川:  そうです。ですから詰まっているだけなら何の問題もないんですけれど、この種子が同じような状況になりますと、今度は再び「表層の心」の方へ上がってきて、具体的な行為行動になっていく、と。そういう心理メカニズムを私たちは持っているんだ、ということですね。
 
西橋:  じゃ、例えば意識の中でなんか少し悪いこと考えたりすると、それはこの種子という形でここに一回保存されて、なんか機会があったら、それがふっと出てきたりするという。
 
多川:  そうです。まったく同じ行為ではないんですけれど、それに類似したような行為が深層から浮かび上がってくるんだ、ということですね。
 
西橋:  恐いですね。
 
多川:  恐いですね。人間の思いというのは、一日にしたら相当な数らしいですね。これはアメリカの現代科学の研究がありまして、どういうふうにカウントしたのかよくわかりませんですけれど、一日の一人の人間の想念―思いというのはいくつあるか、という研究があるんですよ。そうすると驚くなかれ六万個あるというんですね。そういうものがみな瞬時に消えるわけですね。ですから思った本人でもほとんど忘れているものがほとんどだと思いますけども、そういうものでもやはり善悪のはっきりしたものは当然種子で、種子が阿頼耶識の中に保存される。ですから他ならぬ自分の行為が自分を作っていく、と。これが唯識教学のもっとも大事な部分だと思います。
 
西橋:  思うだけだったら、あんなこと思っても、こんなこと思ってもいいじゃないか、というんじゃなくて、思うことそのものを浄めていかなければいけないんだ、と。
 
多川:  そうですね。唯識仏教というのは、すべてを自分の心の要素に還元をして考えようという立場なものですから、仏教の一番肝心なところをほんとにダイレクトに追求している宗派だと思いますね。
 
西橋:  それが法相宗(唯識宗)でもあるわけですね。こういう考え方が学生でいらっしゃった多川さんにとっては非常に合理的な考え方だというふうに響いたわけですね。
 
多川:  合理的というか、もう素直に納得致しましたですね。それで欧米の心理学の中にも当然無意識を説く学派がありまして、例えばフロイト(オーストリアの心理学者、精神医学者:1856-1939)などはそうですね。しかし十八世紀、十九世紀という感じでございましょう。しかしこの東洋の中に無意識というか、意識下の問題を極めて明白に捉えているというのが、三、四、五世紀なんですね。これには驚嘆しましたですね。そこから東洋のものの考え方と言いますか、人間の見方というか、そういうものというのは奥深いものだなと思って、それが仏教に入る最初ですね。これでやっていけるかな、という感じがしたんです。
 
西橋:  さっきご自身のことを、「理屈で納得できないとなかなか前に進めない」というふうにもおっしゃいました。じゃ、これで入れるという自信にも繋がっていったんでしょうか。
 
多川:  はい。ただ合理性ばっかり仏教は追求しておりませんで、勿論それを突き抜けたもっと大きな世界というか、それこそ、例えば生と死、善と悪、愛と憎しみというふうに分離しないで、分離しない大本(おおもと)の世界というものがあるんだ、というのは後でわかってくるわけですけども、最初はやっぱりそういう感じでしたね。
 

ナレーター:  目に見える行動だけではなく、目に見えない心のうちを律していくこと、そのことこそが己を高めていくという唯識の教えに感銘を受けた多川さん。大学卒業後、興福寺の僧侶として生きていくことを決意します。
 

 
西橋:  大学卒業なさって、この興福寺での僧侶としての生活が始まるわけですけれど、随分日常の生活そのものが変わりましたか。
 
多川:  まあ当然変わりましたですね。それで私は先ほどの話のようにお寺の中に生まれたんですけれど、しかし自覚的に仏教の世界に入ったんだ、という意識を今でも持っておりまして、自分自身をかなり変えたと思います。ただ仏教にはそういう教えを勉強するという側面だけではなくて、具体的に仏様を礼拝するという側面もございますから、その辺で少し行をしたいなと思って、それで私の師匠に話を致しましたら、こういう興福寺を含めて奈良のお寺は「顕教(けんぎょう)」と言いまして、それに対して「密教」というのがございますね。密教の勉強も少し最初にやるというのが、大体スタイルなんですね。そういうものですから真言宗のお寺にご厄介になりまして、それで仏様の礼拝の仕方と言いますかね、そういう行を少しやらせて頂きました。
 
西橋:  師匠とおっしゃったのはお父様ですね。
 
多川:  そうです。その当時西大寺の長老をなさっておられました松本実道(じつどう)さんが生駒の中腹に宝山寺(ほうざんじ)というお寺の住職でもございまして、その宝山寺さんで行をさして頂いたんです。
 
西橋:  そちらは密教なわけですか。
 
多川:  そうです。それで何十日と籠もって行をやるわけです。礼拝の仕方を教えて頂くわけですね。その時に私の性格と言いますか、理屈なもんですから、一々「これはどういう意味がありますか」とか、「なんでこういうことをやるんですか」ということをかなりしつこく聞いたらしいんですよ。それで行を終わってからの話なんですけども、終わって、「とくかくよくやった」ということで色紙に頂いたんです。その色紙にはどういう言葉が書かれていたかと言いますと、弘法大師様のお言葉なんですけども、
 
     真言は不思議なり
     観誦(かんじゅ)すれば無明(むみょう)を除く
 
という言葉なんですね。これは、御真言は不思議だ。人間の思議を超えたものだ、と。つまり理屈だとか、説明というのを超えたものだ、と。観誦というのは、意味だということよりも、大きくその真言それ自体を身体で全体で唱えていくと。そういうふうにすれば無明といいまして、これは人間を支配している根本的な迷いですけども、そういうものを除いていく力があるんだ、と。そういう色紙を頂いたんですよ。その時にやっぱり理屈だけで成り立っている世界ではない、と。もう一方では、人間の思議と言いますか、そういう思いをうんと超えたものなんだ、と。そういうところもやっぱり意識をしないと仏教の世界は小さくなるんだろう、と。ですから私の直接の師匠は私の父なんですけれど、そういう意味で大変なご指導をして頂いたのが松本実道さんだと思います。その後なんか迷ったり悩んだりすると、長老様のところへ行きまして、一時間ばかりお話を聞いて頂いて、それで帰って来るという。それを二十代ずっとそうでしたですね。
 
西橋:  でも素敵な関係ですね。
 
多川:  今振り返りますと、どういうことを聞きに行って、それで長老さんがどういうことをおっしゃったのか、というのはほとんど覚えておりませんですよ。ですけども何かほんとに悩んで行って、帰る時はほんとに清々しく帰ると言いますかね、そういう人に巡り会えたというのはほんとに有り難いと思っています。
 
西橋:  そして多川さんは、この興福寺にいらっしゃった僧侶の方の昔の日記を随分お読みになったんだそうですね。
 
多川:  はい。これはどういうふうにして生きていくと言いますか、僧侶として生きていくかというのは、その後もやっぱり悩みましてね。そうすると自分たちの先輩がどういうふうにして日々過ごしたんだろうか、というのは当然思いますでしょう。そんなもので、たまたま『多聞院(たもんいん)日記』という、中世末ですね、近世初頭に出られたお坊さんの日記が中世史料として残っておりますので、そういう日記を捲ったりして、少し自分なりに勉強したつもりです。
 
西橋:  『多聞院(たもんいん)日記』というのは、長実房英俊(ちょうじつぼうえいしゅん)という方がお書きになった、という。多聞院というところに住んでおられた?
 
多川:  そうです。これは当時よく勉強なさったお坊さんらしくて、近世初頭ではベストスリーぐらいに入る興福寺のお坊さんだったようですね。この方はとにかくメモ魔でして、何でも何でもメモする。それが例えば京都で起こった事件、日本の全体を揺るがすような事件なんかも当然お書きになるということで、史料になっているんですね。ですけど私が非常に興味を持ちましたのは、そうでなくて、多聞院英俊の肉声と言いますかね、当然人間としては老いていくわけですけれど、老いていくところをどういうふうにして感じているのかなという、そういうポイントで日記なんか読んだことがあるんですよ。なかなか面白くて、これは多聞院日記を読む立場の人は非常に大事な立場かなと思っています。つまり一人のお坊さんが老いていく。当然それをそのまま受け止めるというのが仏教のあり方です。ですけどなかなかそうはいかないんですよね。やっぱり老いの先には死がありますし、それをそのまま流れるままに、あるがままに受け止めて、この世の生を終えるというのはなかなか至難のわざですよ。やっぱり悩んだりいろいろするわけですね。そういうものが比較的ストレートに出ているかなという気がします。
 
西橋:  要するに生身の人間としての長実房英俊(ちょうじつぼうえいしゅん)像が伺えるわけですね。
 
多川:  ええ。
 
西橋:  そこからどんなことを? ああそうだったのか、というような、何か気付きみたいなのが?
 
多川:  ええ。それはそれよりは共感といいますか、それこそ理屈でわかっていても若さに執着したり、都合の良さに執着したりするわけですよね。そこを勿論突き抜けていかなくてはいけないわけですけれど、お前もというか、自分の大先輩ですよね、大先輩もけっこう悩んでいるんだなあという感じですよね。そういうところへ少し肩の力がほぐれるというかね―あまりいい読み方ではないのかもわからないですけど。
 
 
ナレーター:  仏の道に進んでからは、修行に明け暮れる毎日を送った多川さん。平成元年(1989年)四十二歳で興福寺の貫首に就任します。
 

 
西橋:  貫首となられた時のご自身の受け止め方というのは如何でしたか。
 
多川:  まあはっきりいえば偉いことになった、と思いました。こういう寺の住職と言いますか、貫首というのは七十前後の人たちがおなりになりますでしょう。ですから如何にも早い。どうしようかと思いましたですね、その当時は。今はもう終身でございませんで、任期制でして、五年という期間になっているんです。それで重任しているわけですけど。
 
西橋:  一期五年で、
 
多川:  そうです。ただ今から振り返りますと、最初の五年間というか、一期はかなり緊張しておったと思いますね。
 
西橋:  先輩の方たちもたくさんいらっしゃるわけでしょうからね。
 
多川:  例えば私が大変お世話になりました松本実道さんも現職で西大寺さんの長老としていらっしゃいますしね。大先輩に囲まれていたわけですよ。それは一口にいえば、きわめてやりにくいでしたですね。
 
ナレーター:  興福寺の一角に佇(たたず)む南円堂(なんえんどう)。西国三十三所の札所としても知られるこのお堂は、明治維新の神仏分離まで続いた興福寺と春日大社との密接な繋がりを今に伝えています。この南円堂の大修理が、多川さんが貫首に就任しての大仕事でした。
 

 
多川:  南円堂というお堂は本堂ではないんですけれど、本堂並みと言いますかね、あるいは本堂よりも大事なんだ、という特殊なお堂でございまして、それから西国三十三所の札所にもなっておりまして、大事なお堂なのできっちりと修理したいということで、平成八年三月に完成しました。
 
西橋:  南円堂のご本尊が不空羂索(ふくうけんじゃく)観世音菩薩ですか。
 
多川:  そうです。最初はお堂だけ、お堂は重要文化財なんですけれど、お堂の半解体だけで、という話だったんですけども、途中からこの機会にご本尊も少し修理する必要があるから、ということで大修理になりましたですね。
 
西橋:  不空羂索観音は春日大社とも非常に関係のある仏さんですね。
 
多川:  そうです。説はいろいろあるんですけども、春日大社の第一殿の神様、春日大社というのは本社が四柱いらっしゃるんですね。その第一殿の武甕槌(たけみかづち)の神様の本地仏(ほんじぶつ)ともいわれておりまして非常に大事です。それからお堂の前によく行って頂きましたら正面の扉の上に注連縄(しめなわ)が飾ってございます。これは中にご本尊の前に春日神像がお祀りしておりまして、
 
西橋:  体内にですか?
 
多川:  前です。春日赤童子と言いまして、真っ赤な身体をなさっているんですけども、それは春日の神様なんですね。その神様のお像をご安置しておりますので、非常にそういう意味でも大事なお堂ですね。
 

 
ナレーター:  平成八年(1996年)南円堂の大修理を七年越しでやり遂げた多川さんは、天平の息吹を今に甦らせることを考え、失われた伽藍の再建(さいこん)に取りかかります。現在は江戸時代に焼失し、仮のお堂が建てられたままになっている興福寺の本堂・中金堂(ちゅうこんどう)の再建を進めています。
 

 
西橋:  多川さんは、「天平の文化空間の再構成」ということをキャッチフレーズにして取り組んでいらっしゃるわけですね。
 
多川:  もともと興福寺は奈良時代の創建ですから、天平時代に戻るというのが、実はいつの時代の興福寺でもテーマなんですね。火事が多いお寺で、焼けては建てなんですけど、復興する時に、どういう復興の仕方をするかというか、昔通り前のように建て直すということが一種の至上命令なんですね。それで勿論平面は何にも動いておりませんし、例えば今度中金堂というのを再建しようということになっておりますけども、中金堂はこれまで七回焼けているわけですけど、その基壇といいますか、それが天平時代の基壇をそのまま使って、平安時代も鎌倉時代も室町時代も復興しているんですね。
 
西橋:  じゃ、その基壇は今の石があったり、壇ができたりしていますけど、そこまでできていますけども、昔の天平のまんまをまた、
 
多川:  今は史跡になっておりまして、それは保護しなくちゃいけないということになっておりますので、それを保護した上に新しい礎石を据え付けて、上を建てると。
 
西橋:  でも、位置としては変わらない。
多川:  何にも変わっておりません。ですから昔のままに造り直すというか、再建していくというのが興福寺の永遠のテーマですね。ですから天平の回帰、
 
西橋:  仏像などに込めた作り手の思いとか天平時代の人々の心と言いますか、そういったものも甦らせてみたいという。
 
多川:  当然そうですね。ただ形だけを再構成していくんではなくて、天平時代というのはやっぱり血な臭い政争があったり、それから遣唐使が持って帰った天然痘で多くの方が亡くなったりとか、ある角度からいうと大変暗い時代ですけれど、別の角度からすると、これから日本という国を作っていくんだという、そういう気合いに満ち溢れていた時代でもあったと思うんですね。そういうところでいろんなものが作られていたわけですけども、これが見えないからといって手抜きしないというか、非常にきっちりと仕上げていっている。そこが私たちが住んでいる平成とは随分違うな、という気が致しますね。
 
西橋:  多川さんは団塊の世代とおっしゃいましたけども、今六十二歳でいらっしゃいますね。これから先ほど英俊さんのお話もありましたが、どんなふうにご自身の生き方としては考えていらっしゃいますか。
 
多川:  当面はこの創建千三百年の記念事業がございますので、それにかかり切るということでしょうか。そう致しますと、順調にいきますと、七十ぐらいで中金堂も完成する、と。その後はまたその後で考えるということになりますけれど、まあ頂いたいのちですから、それをなるべく加工しないで大事にしていきたいなと思いますけどね。私たちのこういうお寺におります者は、どこのお寺でもそうだと思いますけれど、簡単に言ってしまえば、リレー走者だというふうに思います。まあ渡されたバトンというものを次の人に渡すまで落とさないで、歩みは鈍くとも確実にバトンを持って、それも確実にその次の人に渡していく、というのが私たちの最大の務めだと思いますね。私は、リレー走者というか、バトンとかいうことで非常に印象的なのは、去年北京(ペキン)でオリンピックがございましたね。もうそろそろ一年ぐらいなってくると、「ペキン」の「ぺ」も言わないんですけれど、私、非常に忘れがたいシーンがございまして、それは男女ともの陸上リレー競技―四百とか八百ですね、あれを見ておりましたら、優勝候補とか、そういうところが次々とバトンを渡す時に落としたり、そういうことが非常に多かったですね。それは陸上ですからより早くというのがテーマだといえばテーマですけども、肝心なバトンを落としてしまったり、うまく繋げなかったりするというのは、それで失格するわけですから、あれを見ておりまして、バトンは落としたらダメだな、と。私たちの社会というのは、生活の知恵とか、こういう時にこういうことをやるんだよとか、やっちゃいけないんだよとか、そういう日常茶飯事のちょっとしたことなどを案外受け渡してこなかったんじゃないかな、という気がするんですね。それを大きくいいますと、東洋の知恵とか東洋の思想というものをほんとにリレーしてきていないんじゃないかな、と思うんですね。私たちはちょうど団塊の世代で、両親が―私の場合は両方とも明治の人でしたけども、あるいは一般的には大正時代でしょうか。でもその方たちというのはまだ日本の良さとか、生活の知恵などを相当持っておりましたですよね。ここをなんとか踏ん張って後の世代に受け渡していくということは、団塊の世代の大事な任務かな、というふうに私は思っております。
 
西橋:  今、世界的な不況と言われて、日本でも自殺者の数が増えている、というふうにも言われるんですけども、こういう時代に仏教の教えの果たす役割はどんなところにあるというふうにお考えですか。
 
多川:  私たちのこの社会というのは、善と悪、愛と憎しみ、美しいものと醜いもの、それから生と死というふうに仕分けをしますね。それで例えば生と死であれば、「どっちなんだ」と言われた時には、当然今の私たちは生きておりますから、生きるということですよね。そうすると途端に死というのは自分の視野から遠ざかっていきますね。勿論人間ですからいずれは死ぬんですけども、それはいずれのことだというふうに思った途端に、ハッと見えなくなってしまう。で、生きるということに懸命になる、と。そのこと自体は、私は間違っていないですけれど、あまりにも生―生きるということに片寄りすぎている。そこが極めて皮肉なんですけれど、生の味といいますか、生きる意味が薄れているだろう、と。それが社会の根底に横たわっていて、それが一方では、勿論自殺なさる方は尊い命を絶つんですから、もう原因は複合的だと思いますよ。ですけれど、なんか一番底辺がそういう生きる味が私たちの社会は薄くなっているんだろうと思うんですね。そこをなんとか是正をするというのが、私たちの仏教の務めだと思います。それで生だけでなくて、私たちのもう一方には死というものが厳然とあって、いずれは死ぬんだ、ということではなくて、今の中で生と死が絡み合いながら展開している。それが人間の存在なんだ、という受け止め方をちゃんとしないと、これからもいのちの意味が軽くなる一方だな、と思います。簡単な話なんですけども、私たちはおぎゃっと生まれてから、死に一歩一歩近づいているわけですよね。今も近づいているわけですよ。死というものが遠ざかっていくものであれば、問題にしなくてもいいのかもわかりませんけども、瞬間瞬間近づいていっているもんだ、と。そういうものをちゃんと受け止めて、死に行く自分といいますかね、その中で今日生きているんだ、という感覚をきっちり持たないといけないのかな、と思っております。
 
西橋:  死に行く自分という感覚を持つということは、そのことによって悲観的になるんじゃなくって、その日今をどうやって生きていくかという。
 
多川:  そうですね。だから今生きているこの一瞬が価値があるというか、光っていくんだという。斎藤史(さいとうふみ)さんという女流の歌人がいらっしゃいますが、この方は生と死というのをちゃんと受け止めていらっしゃる、
     死の側より照明(てら)せば
     ことにかがやきて
     ひたくれなゐの
     生(せい)ならずやも
 
という、そういう詩を出しておられるんですね。つまり生きているんですけれど、それを死の側から照射するというか、照らしてみる。そうすると、今生きている瞬間というのはことに輝いている、と。で、その次の「ひたくれなゐの生(せい)ならずやも」―「も」は詠嘆の助字ですから、「ひたくれないゐ」というのは、漢字で書きますと「直紅」真っ赤なんですよ、深紅(しんく)ですよ。ですから、それはもう私たちのこの身体の中にある血の色そのものですよね。そういうものにもの凄く輝いて鮮やかだというわけですよね。それは生きているんだ、ということだけで、死を意識しないではなかなか把握できない。死という側から捉えて初めて、生はそういうものなんだ、という。ですから私たちというのは生と死というふうに分けないで、仏教では「生死(しょうじ)」と呼んでおりますけども、そういう全体として、今、私がこうして生きているんだ、という、そういう人間の見方と言いますかね、自分の捉え方というか、そういうことをしないとやっぱり薄味になる、と。今生きている味が薄ければ、当然大きな問題が被ってきた時に、もう止めようかということにもなるかもわかりません。そういう今死というのは生を否定する見がちなものだという感じですね。そう思っている限り、生というのは輝かないんじゃないかと思いますね。
 
西橋:  一体のものとして、
 
多川:  そうですね。現実になんか私はある人にお伺いしたんですけども、こういう一本の手に五本の指がありますけれども、これ最初から五本に指が離れていないんです、ってね。最初は五本ともひっついているんですって。指と指の間の細胞がある時点で死ぬんです、ってね。死ぬスイッチが入る。それで離れて五本の指になるんだ、という。ですから私たちの身体というのは、そういう生と死がほんとに絡み合ってこの一瞬一瞬生きているわけでしょう。ですからやっぱり死というものを否定するもんだ、という捉え方ではなくて、むしろ生きるためのものなんだ、というふうな捉え方をしないと、ますます生きる味が薄くなるんじゃないでしょうか。そこを私たちは事ある毎に申し上げていくというのが、私たちの務めかなと思います。
 
西橋:  今日は有り難うございました。
 
     これは、平成二十一年五月十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである