わが道を照らされて―ハマーショルドとともに―
 
                      国際法学者 最 上(もがみ) 敏 樹(としき) 
一九五○年北海道生まれ。一九七四年東京大学法学部卒業。一九八○年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。一九九九年から二○○一年まで日本平和学会会長を務めた日本の法学者。国連や国際法を通していかに平和な世界を築くかを研究。国際基督教大学教授。国際基督教大学平和研究所所長。専門は、国際法、国際機構論。法学博士。著書に『ユネスコの危機と世界秩序―非暴力革命としての国際機構』『国連システムを超えて』『国際機構論』『人道的介入―正義の武力行使はあるか』『国連とアメリカ』『国境なき平和に』『いま平和とは―人権と人道をめぐる九話』『国際立憲主義の時代』ほか。
                      き き て 道 傳 愛 子
 
ナレーター:  国と国とが睨み合い、世界大戦勃発の危機が高まった一九五十年代、平和の舵取りを任された人物がいました。第二代国連事務総長・スエーデン人のダグ・ハマーショルドです。対立を深める東西両陣営の狭間でどちらの側にも組みせず、国連主体の紛争解決を目指し、国連平和維持軍を創設、世界平和に貢献しました。しかし、その職務の最中、ハマーショルドは飛行機事故で不慮の死を遂げます。一九六一年、内戦の収拾のために赴いたコンゴでのことでした。その死後、ニューヨークの自宅の一室から三十年に亘って綴られた日記が見つかりました。日記は『道しるべ』の名で、世界各国で出版され、多くの人たちの心を捉えました。国際法学者の最上敏樹さんは『道しるべ』に残されたハマーショルドの言葉に惹かれ続けられてきた一人です。
 

 
道傳:  ハマーショルドとの出会いは十六歳の時だそうですけれども、どういうきっかけがおありだったんでしょうか。
 
最上:  そもそもは彼の日記ですね、『道しるべ』という日記を間違えて買った、というのがきっかけなんですね。高校生の時でしたから、国連などに興味があって、国際問題も興味があった年だったんですけれども、その国連事務総長が書いた日記を読んでみたいと思った。それを読めば国連のこととか、国連事務総長のことがわかるだろう、と思って買ったわけなんですね。ところが読んでみると、読めども読めども、国連の話も、国連事務総長の話も一行も出てこないということで、最初は肩すかしを食らった気持だったんです。ただそれが逆に日記の中には、彼の深い精神性に溢れた言葉がたくさん書かれていて、全然別の面で深く衝撃を受けた、というのが最初の出会いでした。
 
道傳:  今日はその時のご本をお持ちくださったという。
 
最上:  はい。これがその時買ったものです。
 
道傳:  どのくらい前ですか。
 
最上:  四十三年前です。この本を繰り返し何度も読みましたけれども、これを読んでいくつもの箇所に影響を受けて、その後自分の人生で辛かった時、悲しかった時、あるいは少々の挫折をした時、そういう時に読んでいますね。ですから傍線が引かれているところは大体そういう時に読んだのだな、ということがわかる箇所に引かれているものが多いです。自分を多分ハマーショルドを通して励まそうとしていたんでしょうね。そういう文章がとても多い日記ですから。彼自身が日記を書くことによって、自分自身を励ましていたんだろうと思います。ちょうど私の場合で言いますと、このハマーショルドの本を読む直前に、『二十歳のエチュード』という、その頃よく読まれていた本があって、これを読んでいたということがあるんです。これがその当時買った本ですが、これは原口統三(はらぐちとうぞう)という十九歳十ヶ月で自死した一高(第一高等学校)の生徒の遺稿なんですね。手記なんです。この人は、その時代の精神をまともに受けて、「自我を確立する」ということを自分の至上命題にしてきた人です。それで自分を鍛えていく。その中で自分の魂の純粋さを追い詰めて追い詰めていくわけですね。そのうちにだんだんそれが自分にとっても重くなってしまった、ということなんだろうと思うんです。自我を確立する。魂の純粋さを追いかける。それで周囲の人の与えてくれる温かさに我慢がならないというのが、だんだんそこまでいってしまうわけですね。そういうふうになった人間の行き着く先はどこか、と言ったらやっぱり自死だったということですね。自分で自分の命を奪ってしまう、ということをやってしまった人なんですが、その本から既に高校に入って間もなくな頃に大きな衝撃を受けていたんですね。自我を追求するというのは、ここまで徹底しなければいけないのか、と自分で思っていましてね。それは子どもらしい思い込みでもあるんです。そうなんですが、そう思い込んでいた。日本が近代に入ってからずっと言われてきたことですけれども、「近代の国家として、国民として、日本人は個を確立しなければいけない」とか、「自我を確立しなければいけない」とか―この二つはちょっとほんとは違うと思うんですけれどもね―何しろそれがいわばスローガンのようにして言われてきた。我々が高校までの頃に、まだそういう時代精神が残っていて、「日本人は自我の確立が足らないから、それをやらなければ西洋には追いつけないのだ」という価値観がずっとありましたね。それを私どもも信じていましたから、そうしなければいけないんだ、と思っていた。思っていたら、この本を読んだら、「自我を捨てろ」ということが書いてあるわけですね。まったく逆のことが書いてあるわけです。「自己放棄をしなければいけない」という、そういうことが繰り返し書かれているものですから、ヨーロッパに近いところで、自分の精神を鍛えた人が、こういうまったく逆のことを言っているのだな、ということで、ある意味で救われた面があるんですね。
 
道傳:  十六歳頃というのは、とても多感な年齢でもありますけれども、ご自身にとっても自我の問題というのは、ちょっと深刻な、その歳なりの問題として向き合っていらっしゃったんでしょうか。
 
最上:  そうですね。深刻だったと思いますね。ヒョッとしたら自分ではまだ処理仕切れない問題をその歳で抱え込んでしまった、ということなんだと思いますね。自分の育ち方やなんかいろんなことの結果として、自分が自分を支えられるような強さを持たなければいけないという環境にあった、ということなんだと思いますが、そう思い込んでいるところで、このハマーショルドの本を読んで、まったく別のことが書いてあったということで、それも我々が、自我を確立する時の模範になる筈の西洋文明体系の中から、そういう言葉が出てきたというのは何故なんだろう。この人は何を考えていたんだろう、ということを『道しるべ』を読んで考え始めた、ということなんですね。最初それを読んだ時には、「捨てなさい」とか、「滅却しなさい」とか言われても、それだけでは意味がわからないわけですよね。何故この人は、「自分を確立するな」と言っているんだろうか、という戸惑いを感じながら読んでいくわけですよね。読み進めるうちに、それが彼の信仰の問題に繋がっていくのだ、ということがだんだんわかってくるんですね。「自分の中の強い自我があると、神を受け入れる余地がなくなっていくから、だからその部分を軽くしなければいけない」というのが、彼の出発点ですよね。だからそれを捨てる。それを滅却する。自我を神に勝たせてはいけない、という構図で、ハマーショルドの中では、「自我滅却」とか、「自己放棄」とかというものが出てくるんですね。
 
道傳:  ちょっと東洋的というか、仏教的というか、執着を捨てるというような、
 
最上:  ええ。実際、彼自身も日本語に訳すならば、「無我」と訳せるような言葉を何度も使っていまして、そういう東洋的なものに対する彼の共感というのはあったんだろうと思います。晩年には俳句なども作っていますし、そういう世界への共感が多分彼の中の心の中のどっかに最初からあったんだろうと思いますね。
 
道傳:  東洋とか西洋というのを乗り越えたところで、
 
最上:  そうですね。それは多分共通のものがあるでしょうね。彼自身はきわめて西欧的な家庭環境の中で、そういう教育を受けて、きわめて西欧的な知性の持ち主だったと思いますけれども、それを突き詰めているうちに知性を越えたものを彼自身も求め始めているんですね、人生の中でね。知性だけでは信仰を完成させることもできないし、人生を完成させることもできないというのが、彼の基本的な捉え方だったように思いますね。そこに東洋的なものがどっか入り込むんだろうと思います。
 
道傳:  特に心に残っていらっしゃる言葉がおありでしょうか。
 
最上:  そうですね。彼の『道しるべ』の中には、あれもこれも心に残る言葉が多くて、どこかと言われるととても難しいんですけど、最初から最後まで全部読まなければいけないようなことになってしまうんですが、これは一九五十年の、私の生まれた年の日記ですが、こんな一節があります。
絶滅の渦まく炎のうちにあり、仮借(かしゃく)なき自己滅却による冷徹な犠牲的行為のうちにあるときなら、おまえは死をよろこび迎えもしよう。
しかし、日一日と、それがおまえのなかでおもむろに成長するとき、おまえは不安にさいなまれる。
―おまえの生命の頭上に懸ることばなき判決の重さももとにあるがゆえに。
 
ちょっと難しいんですけども。
 

 
ナレーター:  絶滅の渦まく炎のうちにあり、仮借(かしゃく)なき自己滅却による冷徹な犠牲的行為のうちにあるときなら、おまえは死をよろこび迎えもしよう。
しかし、日一日と、それがおまえのなかでおもむろに成長するとき、おまえは不安にさいなまれる。
―おまえの生命の頭上に懸ることばなき判決の重さももとにあるがゆえに。
(『道しるべ』より)
 

 
最上:  自己滅却をして死を迎える時には、心が落ち着いて、それを迎えることができる、という考え方を、彼は持っているわけですね。それとは逆に、「自我が心の中で膨らんでいった時には、自分の自我を盾に取って神様と向かい合わなければいけない、そういう状態で、あなたは神様の判決を受け入れることができますか」という問い掛けなんですね。それは多分できない筈なのであって、「自我と神と対決させても平安は得られない。ほんとに平安を得ようと思ったら、自我を滅却させるということが何より必要だ」ということを、彼は言っている箇所ですね。とても難しいですけれども、多分こういう難しいところから、彼は自分の人生の思考を出発させたんだろうと思います。それが彼がまだ四十五歳の時でしょうかね。もうそろそろ人生の思考が成熟し始めている頃ですね。それがこんな言葉の中に表れていると思います。
 
道傳:  高校生の時に、そういう言葉に出会われた時には、結局凄く難解という印象で受け止められましたか。
 
最上:  ええ。難しいなと思いましたね。すぐには解りませんでした。でもこの本はとても大事なことが書いてあるらしいということがわかったということで、特に自我の問題の捉え方ということが、さっき申しましたように、自分にとってはとても衝撃だったもんですから、そのことだけでも自分の頭の中で明らかにする価値があるだろうと思ったんですね。それを追い掛けているうちに他の文章の良さも目に入ってくるという順序だったと思います。
 
道傳:  私もこの『道しるべ』を読んだんですけれども、まあ日記というより、ちょっと詩集のような、とても趣の変わった本ですよね。
 
最上:  そうですね。「今日こんなことがありました」という式の日記とはおよそ違いますよね。彼自身はこの日記のことを、「自分と神との対話」というふうに言っていますけれどもね。そういうふうに自分自身を見つめて、それを神に向ける言葉として、何をしたら良いのだろうかという観点で書かれていますから、非常に突き詰めてものを考えている文章ですよね。それがでも同時に、ただの聖書の引用みたいなことにならないで、彼自身の詩的(ポエティック)な精神がそこに瑞々しく反映されていまして、その意味では国連事務総長という職にあった人の回顧録のようなものとは全然違いますし、それから哲学書とも違いますし、それから教会の説教とも違う。にも係わらず、彼の信仰がじわっと伝わってくるような、そういう本ですね。とても美しいです。
 
道傳:  じゃ、良い意味で期待が裏切られたような、そんな出会いでしょうか。
 
最上:  そうなんです。
 

 
ナレーター:  十代でハマーショルドに出会った最上さんは、国際法や国際機構の研究を生涯の仕事として歩んできました。紛争の拡大を防ぎ、平和をつくりだすために、国際法はどうあらねばならないのか。それぞれの国の利害を越えて平和を築くために、国連はどのような役割を果たすべきか。法や国連のあり方を考えてきました。最上さんの研究は、社会科学の分析的な手法に頼るだけではありません。平和の実現は、人間一人ひとりの生き方に関わっているという考えから、文学や芸術の世界に人間のあり方を読み解こうとしてきました。そうした姿勢は、国連事務総長として数々の調停を実現したハマーショルドが歩んだ道にも通じるものでした。
 

 
道傳:  最上さんは、ハマーショルドの故郷スエーデンに研究のために滞在されますけれども、これもハマーショルドに導かれるようにして、というところでしょうか。
 
最上:  そうですね。直接には友人がやっていた研究所で一時身を寄せて、そこで研究三昧の生活を送ろうということだったんですね。とは言え、じゃ、ハマーショルドにまったく何の関係もなかったかというと、そんなことはなくて、やはりいくら研究のためとは言え、スエーデンに行く人というのはあまりいませんのでね、スエーデンの研究でもなければ。にも関わらず行ったというのは、やはりハマーショルドに引かれて、一度はあの人の国で過ごしてみたいと思う気持ちが心の中にあったのだろうと思います。
 
道傳:  十六歳の頃から思っていらっしゃったわけですから、念願が叶ってというところでしたでしょうか。
 
最上:  そうですね。十六歳の時からもう二十年経っていましたけれども、あぁ、ここがハマーショルドの生まれた国なのだな、育った国なのだなあ、という感慨無量のものがやっぱりありましたですね。
 
道傳:  お写真をいくつか持って来て頂いたのですが、その時のものでしょうか。
 
最上:  そうですね。ここがスエーデンの南端の方にあるバッコクラという村の彼の夏の家です。もともと農家だったところを彼が直して、それで国連事務総長を辞めてからここに隠退するというつもりでいたようですね。とても質素で綺麗な家でした。馬小屋なんかもそのままありましてね、とても質素な建物だなあと思ったのですが、やはり書斎だけはハマーショルドが生きていた頃の様子を復元したいと思ったのか、ニューヨークから運んで来た机とか、こんなものがあって、この空間が取り分け一軒の農家の中でハマーショルドの雰囲気をそのままたたえたものなんですね。窓からバルト海が見えますし、こういう静謐な空間で彼は自分の晩年を過ごそうと思っていたのだろうと思うと、やはり自分がここまで導かれて辿り着いたのかなという気がしましたね。
 
道傳:  そうですか。
 
最上:  そちらは彼のお墓で、建っている大きな石がハマーショルド家代々の大きな墓石です。
 
道傳:  人の背丈よりも高いですね。
 
最上:  ずっと高いんですね。三メートルぐらいありますでしょうか。その前にここにありますのがダグ・ハマーショルド本人の墓石です。名家ですから大きな家の墓石の前のいろんな人のお墓が、墓石が置かれているという、そういう設定になっているんですね。
 
道傳:  そうなんですか。独特の空気の透明感なのか、季節のせいもあるかも知れないけれども。
 
最上:  スエーデン全体に透明感が漂っていますね。ちょうど日本で言いますと、札幌のような雰囲気があって、植物などもよく似ていますね。ポプラがありリラがあり、それから冬になるとナナカマドという赤い実を付ける綺麗なお花があって、そういう面でも非常によく似ていますし、何よりも空気の乾いた張りつめた緊張感という点では非常によく似ているなと思いました。
 
道傳:  そうですか。初めて訪ねてご覧になって、どんなことが印象に強く残っていますか。
 
最上:  そうですね。ああ、こういう風土があったからハマーショルドのような人も生まれたのだなということは感じましたね。国全体がとても真面目ですし、穏やかですし、スエーデン人がよく好む言葉に「中庸(ちゅうよう)」としか訳しようがない言葉があるんですね。スエーデン語では「lagom」と言いますけれども、何と訳したらいいのかなといろいろ考えているうちに、「中庸」と言えばいいんだ、ということに気が付いたのですが、真ん中を好みます。極端を嫌がる。真ん中で、真ん中を選べば人生は穏やかに過ごせるという世界観がどうもあの人たちにはあるような気がしますね。そういう意味では、人を押し退けたりするという文化はあまりありませんし、一年間気持の上でゆったり暮らせるところでした。
 
道傳:  国連事務総長としてのハマーショルドというのは、たくさん業績を残しているわけですけれども、同時に何か大変なことがあった時には、「ダグ・ハマーショルドに任せておきなさい」というようなことが、合言葉になったと言われるほど信頼されていた、と。そこまで人々の信望を得たというのはどうしてだった、というふうにご覧になりますか。
 
最上:  そうですね。これはいくつも理由があると思います。一つは、どの国に対しても事務総長の立場から言うべきことははっきりと言う人だった。歴代の事務総長は、それぞれに優秀さを持った人ですから、それぞれ特徴があるのですが、加盟国に対する率直さという点では、彼は群を抜いてはっきりしていたと思います。事務総長に就任して、最初に彼がやったことは、アメリカがグアテマラに介入している国に対する批判でした。それから間もなくして今度はスエズ危機があって、イギリス、フランス等がエジプトに介入するのですけれども、その時にもイギリス、フランスをはっきりと批判しています。その後一九六○年代になってコンゴ動乱が起きて、その時にはソ連にいろいろ批判をされながらも、ソ連とは違った政策を彼ははっきりと主張する。そういう意味で、加盟国に対する率直さ、自分の信念を伝える時の確信というものが、彼が敬意を払われた大きな理由だったと思いますね。勿論率直ですから、対象になった国は彼を嫌うわけですよね。嫌われても彼は、それは国連事務総長としての立場でものを言っているのである。国連憲章を大事にするから、あるいは国連加盟国のことを考えるから、自分はこういうことを言っているのだ、ということを躊躇(ためら)わずに言うんですね。それが敬意の源であったような気がします。
 
道傳:  先ほどのスエーデンの人たちの気質のようなところでの中庸というのと、ちょっとまた違う、リスクを敢えて取るというか、ハマーショルドのその様子というのはどうなんでしょう。それもやはりハマーショルドの持っていたものなんですか。
 
最上:  そうですね。信念は固いですね。それがまたスエーデン人の気質の一つだろうと思いますけれども。特にハマーショルドの場合には、信念というのが、自分の個人としての好き嫌いの問題ではなくて、やはり国連憲章というものがあって、そのために自分は働かなければならない。国連の加盟国があり、その背後に世界の人々がいて、その視点から自分はこう言っているのだ、と思ったことは、躊躇わずに言い続けるということですね。信念の根拠が違うわけです。自分がこれが好きだからではなくて、この人たちのためには、これがもっとも良いことなのだという、そういう信念ですね。それは怖(お)めず臆(おく)せず恐れずに言ったということですよね。
 
道傳:  国連政治の最前線にいた国連事務総長としてのハマーショルドという一面とは、もう一つ非常に文学的な詩人としての一面を持っていたんですよね。
 
最上:  そうですね。それが、その当時にも、それから今も、ハマーショルドという人に対する敬意の独特な面があると思いますね。ただ単に政治の最前線で政治の駆け引きをしながら乗りこなしたというだけであるなら、それはその程度のことだろうと思うんです。彼の場合には、芸術に造詣が非常に深くて、取り分け文学ですね―ノーベル文学賞の選考にも深く関わっていた人で、そういう知識がとても豊富な人でしたから、それは普段の事務総長としての生活の中でも、彼の深い教養というものが滲み出ていたわけですよね。その点に対する敬意というものもやはり強かったと思います。よく「神様が間違えてボタンを全部押してしまった人」なんていう言い方をしますけれども、彼の場合もそうだったと思いますね。外交官としての能力も非常に高い。それと学者として教えていたこともありますけど、そういう能力も高い。文学的な素養が非常に強くて、彼の書いた日記も、さっき道傳さんがおっしゃったように、まるで詩のような文章である部分がたくさんありますね。で、登山をよくし、それから写真をよくし―これはほとんどプロ並みの腕前でやっていて―というさまざまな能力を一遍に持ってしまっていた人だったですね。
 
道傳:  ハマーショルド自身は、そういった文学的な、あるいは詩人としての一面と、国連事務総長という立場と、どういうふうに分けて考えたりしていたんでしょうか、どうでしょう。
 
最上:  それは彼が国連事務総長としてのスピーチの中で言っているところがあるんですけれども、多分それは彼の本音だったろうと思うんですね。事務総長としての仕事はあくまで国益の調整などではなくて、人類に向かって話すことだ。その点では、詩人と本質的に変わらないという認識があって、それはどこまで一般的にそう言えるものかどうかわかりませんけれども、彼はそういうふうに考えていたようですね。にも関わらず、彼は事務総長としてのどろどろした仕事は、それはそれでこなす。世俗的にこなす。それを一方でやりながら、仕事が終わってニューヨークの自分のアパートに帰った瞬間に、自分の世界に入り込んで、非常に詩的(ポエティック)な世界に入り込んで、そこで神との対話が始まるという時間の使い分けをしていたのだろうなあと思います。でも根本的には、彼の中には芸術家の目が非常に強くて、特に詩人としての目が非常に強くて、それが彼の本領だったのだろうと思いますね。それが本領で、それとは別の日常の仕事を堪(こら)えながらやっているという姿があったように思います。ですから、彼が日記の中で何度か―晩年の頃ですけれども―「自分が仮面をかぶっている」という言い方をしているところがあるんですね。それはどうしようもない嫌な世界で耐えながら仕事をこなしている。これは本当の自分の姿ではない、と彼は思っているんですね。じゃ、自分の姿は何なのか、というと、日記に向かって神と対話している時の自分だ、という。そういう意味での使い分けはあるんじゃないでしょうか。サン・ジョン・ペルス(1887-1975)という詩人―とても良い詩を書く人ですけれども、この人をハマーショルドは取り分け好んでいて、それで危機の時に何度もサン・ジョン・ペルスの詩集を携えて仕事に臨んでいる、という記録が残っているんですね。それぐらい好きだったようです。このサン・ジョン・ペルスの詩の中で、『年代記』と呼ばれる代表的な詩集が一つあるんですけれども、これをスエーデン語に翻訳したのがハマーショルドです。ノーベル文学賞に推薦して、そして一九六○年のノーベル文学賞はサン・ジョン・ペルスになっているんですね。これはね、ハマーショルドという人は精力的な人だったのだなと思うんですが、翻訳を完成して、それをノーベル文学賞の選考委員会に推薦する文章を書いたのが一九六○年八月なんですね。これはコンゴ動乱がもう真っ盛りになっている時です。日中は危機に対処するために、ハマーショルドは事務総長としての仕事を朝から晩までやっているわけですね。夜中に帰ってから自分のその翻訳の仕事なり、推薦状書きなりのことをやる、と。「よくあの人は、あれだけの仕事ができたものだ」という、みんながあきれたような印象を今でも書き残していますね。そういう人だったようです。その頃にサン・ジョン・ペルスに書き送った手紙のようですけれども、「この荒廃と狂気の中で、あなたの詩だけが一服の清涼剤だ」という書き方をしているのがあるんですね。彼が日々体験していることが、荒れた世界であり、狂気の世界であるという認識があって、それに耐えていたのでしょうね。耐えながら、でも自分の魂の率直さ純潔さというものは、失わないようにしたいと思いながら晩年になった時期を彼は過ごしていた。だから楽なことではないと思いますね。
 
道傳:  今ですと、現在、グローバルとか多様性への理解みたいなことを、リーダーに求められる資質として言われたりしますけれども、そういうふうなことが言われる前から、ハマーショルドは、もしかしたらば、そういったものの理解ですとか、自然に持っていた人でしょうか。
 
最上:  そうですね。自然に持っていたのか、彼が訓練で身に付けたのかわかりませんけれども、いろんな文化、いろんな人々に対して、心が開かれていた人だなあ、ということはよくわかります。例えば一九五五年に、彼は北京に行っています。これは朝鮮戦争の後始末で、朝鮮戦争の時に中国に捕らえられたアメリカ人のパイロットがいるんですね。このパイロットの引き取り交渉で、彼は中国に行って、当時の周恩来(しゅうおんらい)首相と面談をしているんですね。これは大変上手くいった外交交渉で、国連の歴史に残る名交渉で良い成果を出したのですけれども、その時に彼は、「周恩来首相という人に大変な感銘を受けた」ということを書き残しているんですね。「周恩来という人が持っている気品」のことも書いていますし、「外交に携わるものとしての並外れた知性を持っている人だ。自分はこの人にほんとに感銘を受けた」ということを、彼は書いていましてね。それは彼にとっては、新しい事柄であった筈のアジアの人間との割合初期の頃の接触ですよね。それについて、彼は自分の受けた感銘というものをあまり躊躇わずに、実に率直に、彼の文章自体が実に美しい書き方で、周恩来という人への賛辞を送っていますね。
 

 
ナレーター:  ハマーショルドの手腕が高く評価されたのは、スエズ危機の時でした。それまで対立する東西両陣営の利害によって左右されてきた国連決議。ハマーショルドは、いずれのに陣営にも組みせず、国連事務総長としての強いリーダーシップによって、国連主体で紛争を解決する道を開いたのです。ハマーショルドは、数々の紛争地帯を歩き、平和維持軍の役割を強めることで、和平を実現していきました。しかし、不偏不党を貫こうとするハマーショルドは、東西両陣営から不満と攻撃の対象にされます。華々しい活躍は、同時に厳しい孤立を伴うものでした。
 

 
道傳:  ハマーショルドが向き合っていた日々の生活というのは、もう国際関係のドロドロしたものでもあり、国連の機構の中の人間関係でもあり、という中でのことなわけですよね。
 
最上:  そうですね。ただ日記を読んでいますと、その辺りがほとんど出てこないですね。国連の事務総長になる前から、スエーデンに暮らしていた頃から、彼が抱えていた人生の悩みというのは同じようなものだったろうと思うんですね。とても恵まれた家に生まれて、人からも羨まれるような暮らしをずっとしてきて、能力的にも百年二百年に一人という抜群の能力を持っていた人で、それに対するやっかみもありますし、陰口も叩かれる。それからそういう並外れた人ですから、人と上手くいかないこともよくある。それを乗り越えてこなければいけなかったという点では、国連事務総長になる前から、彼の悩みは始まっていたんだろうと思いますね。国連に入れば入ったで、これはまた非常に目立つ地位ですから、陰口も叩かれますし、表面きって批判もされますし、マスコミにもいろいろ書かれますし、新聞などで書きたい放題書かれることがあるわけですね。で、この人は滅多に感情を表に出さない人でしたけれども、ある時新聞を読んで、そのまま床に放りだしてすたすたと行ってしまった、ということがある、という証言がありますね。よほど記事の内容が腹に据えかねたんだろうと思います。そんなことがあって、でもほとんどそれは日記には出てこないんですね。私たちのような立場で研究をしていますと、日付さえわかれば、この頃には国連でこんなことがあった日だな、と思って、そんな時にちょっとハマーショルドの心が乱れているのだな、と思うようなことがあるんですよ、たまには。それはよほど調べなければわからないことで、日記だけ読んでいるのには、彼はいつも魂の平静を保とうとして書いていた、あるいはほんとに黙って書いていたのだろうと思います。そういう印象しか受けないですね。ですから常に自分に厳しくあって、一旦日記に向かったら、それは彼だけの世界、あるいは彼と神と二人だけの対話の世界に入ってしまう、という使い分けを多分していたんだろうと思います。これは一九五一年の日記です。これはスエーデンの登山家の著作からの引用なんですけれども、こんな短い一節があるんですね。
 
大地に重みをかけぬこと。悲愴な口調で、さらに高くと叫ぶのは無用である。ただ、これだけでよい。大地に重みをかけぬこと。
 
というだけなんです。これね、ちょっと分かり難いですが、「悲愴な口調で、さらに高くと叫ぶのは無用である」というのは、いわば我々普通の人間の生き方を示していて、もっと向上したいとか、もっと偉くなりたいとか、もっと欲しいとか、ありますでしょう。それはほんとに欲の塊の場合もあるし、もっと純粋に自分を高めたい。良い人間になりたい、というようないろんな形があり得ると思うんですが、彼は、「それはしなくていい」と言うんですね。そんなふうに求める必要はない。自分をもっと立派にしようとか、そういうことさえ考える必要はない。じゃ、何が必要なのか、というと、今我々が生きているというだけで、大地にも、周りの人々にも、いろんな形で重みを掛けている。その重みを取り除くだけでも随分立派な人生になる、という、そういう捉え方ですよね。ですから不必要に自分にいろんな課題を与えることが、かえって害になることさえあって、で、あるならば、それはやらない方がいいんじゃないか。自分を軽くする。自分を軽くしただけでも、この地球と、それから周りの人々に対する貢献は計り知れない、という考え方で―ちょっと考え方かも知れませんけれども、見方によっては我々の心を軽くしてくれる考え方ですよね。勿論大地に重みを掛けないということは、そんなに簡単かといったら、それもまた簡単ではない。
 
道傳:  それは最初に耳にしますと、もしかすると他者との関わりですとか、世の中への自分の関与とか、そういったものを極力減らしていくという、ちょっと消極的なようにも聞こえなくはないんですが、それとはまた違うんでしょうか。
 
最上:  そうですよね。そういうふうに聞こえる可能性がありますね。多分違うと思います。「自分を軽くする」というのは、人との関わりを持たないのではなくて、人と関わりを持つ。でもそれは自分のために、自分の名誉とか、自分の欲とか、そういうことのためにやるのではなくて、人の良き生のために自分が生きる、ということですね。それは彼にとっては、これも辛いかも知れないけれども大きな目的だったようで、人間が痛みに耐えられるだろうか、ということを、しばしば彼は日記の中でも自問自答しているんですね。それで自分が痛みに耐えられないことが時にある筈だ。それはどういう場合かというと、自分が今やっていることが自分だけのためにやっていることであるならば、そこで降り掛かってくる痛みというものは耐えにくいだろう。それに対して、自分が今やっていることが人のためであるならば、人の犠牲になるためにやっていることであるならば、その痛みに耐えられる、ということを言っているんですね。これも、そうではない、という考え方の人もいるかも知れませんけれども、彼にとっては、自分を律していく、律するための基本原則がそういうことだったんですね。自己犠牲。人のために生きる、ということですね。
 
道傳:  ハマーショルドが、どんな状況の中でも、理想を語り、信念を貫くことができた、ということの背景には、何があるとお考えになりますか。
 
最上:  そうですね。勿論それは、彼が子どもの頃から築いてきた価値観があって、それに基づく信念ということがあった、と思うんですけれどもね。でも信念があっても、それをみんなが支持してくれるとは限りませんから、その中で彼が孤独な状況に置かれることもあったと思うんですね。でもそれでも、その孤独にも拘わらず、彼が自分の信念を曲げるということはしなかった、ということは、孤独ということ自体に、彼が積極的な意味を与えていたからだろう、と思うんですね。これが普通の人とちょっと違うところで、彼は出発点から、そんなことがあったようでして、例えば日記の中にこんな一節があります。
 
この星の元に生きるには、自らの人生が、如何なる道筋を辿るかを、孤独という代価を支払って学ぶことである
 
とあるんですね。で、この意味では、彼は孤独であるということを、人生の当然の前提であると受け止めていることになりますよね。勿論彼は、孤独であるということの辛さ寂しさということは解ってはいるんですけれども、だから嫌だとか、孤独な人生に価値がないとか、というふうに思っていなくて、まさに孤独という代価を払いながら、自分の人生をより良きものにしていくという、また別の信念があった人ですね。
 
道傳:  それでいいんだと。
 
最上:  それでいいのだ、と。これは信仰の問題であると同時に、彼にある種の信仰をもたらした、彼の持って生まれた性質だとも言えるんですけれども、例えば彼が大きく影響を受けたキリスト教信仰の中に、キリスト教神秘主義というものがあります。中世の人で例えばトマス・ア・ケンビス(中世のキリスト教神秘主義の思想家:1380-1470)などという人がよく知られていて、ハマーショルドの日記には、トマス・ア・ケンビスからの引用が非常に多いんですね。それぐらい影響を受けている。この神秘主義とは何なのか、と言いますと、これもちょっと難しいんですね。ハマーショルドやシモーヌ・ヴェイユ(フランスの哲学者:1909-1943)を考えて頂ければわかるんですけれども、「自分を虚(むな)しくして、それによって神が自分に恩寵を与えてくれるのを待つ」というのが、一つの骨格なんですね。つまり毎日自分がこういう苦労をしよう、努力をしよう。それによって神に近づいていこうというのではなくて、神の方から恩寵が与えられる。その与えられるきっかけは何かと言ったら、自分を虚しくすることだ、ということなんですね。そこで孤独というものが出てくるわけです。自分を虚しくするということは、否応なしに孤独にならざるを得ないですよね。自分の中にたくさんの財産があり、たくさんの人に取り囲まれていて、という、そういうのとは違った状況を作るわけですから、否応なしに孤独にならざるを得ない。でもそれは自分の選択であって、進んで受け入れるというものが、ハマーショルドの中にあって、それはキリスト教信仰神秘と強く結び付いていた、ということですね。
 
道傳:  否定的な意味合いは、そこにはないわけですね。
 
最上:  そうですね。むしろないだろうと思います。孤独と言いますと、なんか友だちがいないとか、我々は情け無い状態なんだとか、というふうについつい我々は考えがちですけれども、必ずしもそうではなくて、ハマーショルドのようなものの考え方をしますと、いわば自分の魂を清めていく過程なのだ。で、それによって神の恩寵を受け入れやすくするための準備作業なのだ、という積極的な意味づけがありますよね。その意味では、孤独というのは、単に忌み嫌うものではなくて、むしろある種の心の備えであり、ある種の美徳でさえあり得る、という。ハマーショルドからそういう孤独感が見えてきますね。ハマーショルドの日記を読んでいますと、ハマーショルドという人にとって、死というものがこれまた彼の中に最初から価値として、当然の前提になるような価値として、与えられていたものなのだな、という印象を強く受けます。それはどういうことかと言いますと、まずいずれ死ななければならないということがあって、で、同じように死ぬのであれば、それは良き死を死にたい。良き死は死ぬべきだ、ということがあって、「良き死とは何なのか」と言われたら、それは神から恩寵を受けられるような、恵みを受けられるような、そういう死というぐらいの意味なんだろうと思います。で、その良き死というものが前提になっていて、良き死のために、今日明日、一日一日を良き生として生きようという、そういう決意が感じられるんですね。これは漠然とした憧れではなくて、彼のほとんど決意です。そういうことがよく表れた日記の箇所がありまして、これは一九五二年の一節ですけれども、
 
死はおまえから生に捧げる決定的な贈物たるべきであり、生にたいする裏切りであってはならぬ。
 
ということを言っているんですね。
 

 
ナレーター:  決定的に生から逃れよ―と。おまえは誘われるかもしれぬ。―いけない! 死はおまえから生に捧げる決定的な贈物たるべきであり、生にたいする裏切りであってはならぬ。
 

 
最上:  「死が生に対する贈物でなければならない」という、そういうことで、「自分が何のために生きるのか」ということを考えた時に、それは最後に、「良き死を死ぬことだ。そのために毎日生きているのだ」という、そういう前向きな位置付けですよね。それで「死が裏切りであってはならない」というのは、生きることに疲れて、失望して、「ああ、もうダメだ」と言って、白旗を掲げるようにして死ぬのではなくて、良き生を積み重ねて、「これですべてやり尽くした」と言って、死ねるかどうかを、彼はずっと自分に課していた、ということなんだと思いますね。この「生に捧げる決定的な贈物であるべきだ」という、この決意は、私はとても感銘を受けた一節です。
 
道傳:  「死」という言葉であったり、「より良い死」ということを見たり聞いたりしますと、ちょっとドキッとしますけれども、それはよりよく生きることと繋がっているということなんですね。
 
最上:  そうですね。死というものは、決して否定的なイメージでは捉えられていないですよね。毎日どの道生きなければならない。最後は神に向かって生きているのだ、ということが、その完成が死なんだから、だからその完成としてしっかりとした綺麗な形のものであるようにするためには、今日明日を生きなければならない。そういういつでもそのための準備を調えておかなければならないという、彼の決意でもあるわけですよね。ですから、やるべきことをやって、安心して死を迎え入れようという、そういう決意が日記の隅々まで漂っていますね。
 
道傳:  ハマーショルド自身は、ああいう事故で突然に亡くなったということを考えると、尚更意味が重く伝わりますね。
 
最上:  そうですね。誰もあんなことを想定していなかったし、彼自身も別に想定していたわけではないと思うんですね。ほんとにその前日まで良き生を積み重ねていた人が、ああいう不測の事態が起きて命を失ったというのは、我々にとっても胸が詰まる思いがしますね。
 

 
ナレーター:  ハマーショルドが亡くなったのは、一九六一年、コンゴ内戦の最中のことでした。民族対立に端を発した紛争には、地下資源の利権を巡って、アメリカやソ連などの大国が介入していました。事態収拾のため自らコンゴに赴いたハマーショルド。しかしその飛行機が墜落、帰らぬ人となりました。その時ハマーショルドが唯一携えていた本が、中世の思想家トマス・ア・ケンビスの著書『キリストにならいて』でした。余白には「如何なる権威の介入をも受け入れない」という決意が記されていたと言います。
 

 
最上:  われわれは、わが亡きあとにせめて端正さだけでも生き残ってくれるよう、端正さを保ちつつ死ぬべきであると、私は信じている。
 
と、こう言っているんですね。
 

 
ナレーター:  われわれは、わが亡きあとにせめて端正さだけでも生き残ってくれるよう、端正さを保ちつつ死ぬべきであると、私は信じている。
 

 
最上:  自分はいつか死ぬだろう。自分はその時に失われてしまうけれども、その後に端正さだけは残ってほしい。そういう彼の珍しい願望ですね。願望を言っていて、それで、じゃ、そのために何をすべきなのか、と言ったら、端正さを保ちつつ死ぬべきである。どんな時でも、端正のままで死にたい、という。それで自分の亡き後に端正さだけは残ってくれるだろう、という、こういう言い方ですね。で、この言葉に一番最初に惹かれて、今でもやっぱりもし無理矢理一つを選びなさい、と言われたら、この言葉を選びます。で、端正さと、この箇所を彼は英語で書いているんですけれども、英語では「decency」という言葉を使っています。これはなかなか日本語には訳しにくい言葉で、「品位」とか、「品のよさ」とか、そういうような訳され方をすることが多いんですけれども、それではやっぱり足りなくて、強いて一番意味の近い言葉を捜すならば「端正さ」だろうと思いますね。これはジョージ・オーウェル(イギリスの作家、ジャーナリスト:1903-1950)というイギリスの作家がいますけれども、彼が好んで使った言葉ですね。ジョージ・オーウェルとどっちが先かわかりませんが、ハマーショルドにとっても「decency」という、英語でいうと、「decency」になる言葉が、人生の最大の価値の一つだった、ということが、これでわかるんですね。とてもなかなかこういう生き方までには到達できないと思いますけれども、端正に死ぬということと、端正に生きるということが、一つの指針になるかな、という思いで、いつもこの文章を眺めています。
 
道傳:  亡くなった後、肉体が滅んでも、その「decency(端正さ)」が残るように、と言った時の、その死後の端正さというのは、どういうことをハマーショルドは言っていたんでしょうか。
 
最上:  彼が時代に残した理念とか思想とか、そういうものが残る、ということですね。彼は、国連事務総長という仕事をやっていたわけですけれども、事務総長という仕事のやり方の中で、不偏不党を保つとか、事務総長としての独立性を保つとか、それから人と議論する時にも不必要に怒鳴り合いにならないように品位を保って行うとか、そういうことが残っていますよね。その意味では、彼は自分の念願を果たしたように思うんです。何年か前に、前の事務総長だったアナン(第七代国際連合事務総長)さんが、ハマーショルドについて書いた文章があるんですね。それを見ますと、アナンさんという人が、ハマーショルドという偉大な先人である国連事務総長の行動様式とか、思考とか、そういったものから、非常に強く影響を受けているということを、彼自身が書いていますね。そういう形でハマーショルドの端正なスタイルというものは、後々まで残っているのではないでしょうか。それは国際関係を見る時もそうですね。国際関係というのは、力のぶつかり合いで、欲得のぶつかり合いで、綺麗なものなど何一つないんだ、というような説明もよくされますけれども、決してそうではない。そこに理性を持ち込み、愛を持ち込み、その中で処理できることもたくさんあるのだというスタイルを、彼から学んだ人は多いと思うんです。そういうことがある限りは、ハマーショルドの死後も、彼の端正さは生き残っているという気がします。
 
道傳:  そういうハマーショルドの詩人であり、人類に向かって語り掛けるという国連事務総長としてのお仕事の一面もあり、という姿というのは、最上さんご自身のさまざまなお仕事の側面と照らし合わせて、ちょっと重なり合うようにお感じになることはおありですか。
 
最上:  私はこういう偉人と並べられるような人間では全然ありませんのでね、ちょっと単純な比較はできないと思いますけれども、まったく異分野に股を掛けて関心があるという点では共通性があるかな、と思いますね。私も元々は法律家ですけれども、文学も好きで、特に詩が好きですから、こういう人が他にもいたのだなと思うのは励みになります。
 
道傳:  学生に対してのゼミであったり、授業というのも、まさに地球について、世界について語り掛けるお仕事でもありますよね。
 
最上:  そうですね。ですからその時にやっぱり二つのものを両立させなければならないという教え方を学生にするようにはなりますね。一方では社会科学ですから、社会の認識をきちんと正確にしなければいけないということがあり、他方では文学的な感性と言いますかね、世界で起きている事柄への共感のあり方、他の人間に対する共感というものがなければいけないということはよくおっしゃるんですね。それがなければ、いくら社会科学的な認識が客観的で正確であっても、その効果には限度があるんじゃないか。やっぱり人間が相手ですから、社会科学というのは、同時に人間科学でもあるわけで、その時に人間に対する共感がなければ、学問は成り立たないですよね。だから同時に、ただの情緒論ではない。情緒ではなくて、共感を保って、尚かつ客観的な認識を土台に仕事をするのだという、そういう発想がいつも自分への教訓としてあって、その教訓を学生にも教え伝えようとしているということです。
 
道傳:  この『道しるべ』が書かれてからもう何十年か経つわけですけれども、
 
最上:  そうですね。後で自分で思ったことなんですけれども、『道しるべ』を読んだ時が十六歳で、その時に全部わかったとまでは思いませんけれども、そこから受けた衝撃は大きくて、後で考えたことは、あの時に自分の人生が決定付けられたな、という気がするんですね。若い頃にはやはり自分に対してとても厳しくて、自分自身がそうであったように、自分勝手に人生から脱線しかねない自分をどう戒めていくか。そういうことの、まさに道しるべだった人であるように思うんですね。この人の研ぎ澄まされた生き方を見て、自分の至らなさを感じて、自分ももうちょっと何とかしなければいけない、と。それも自分を軽々しく自分の命を投げ捨ててしますのではなくて、自分の生きること、死ぬことを正面から受け止めて、考えるためのよすがというのが、ハマーショルドという人の意味であったように思います。だんだんこちらも歳をとってきて、ハマーショルドからより強く感じるようになったのは、この人がいつも人のために生きようとしていた、ということですね。もの凄く強く自分を持っているんですけれども、その中で自我を滅却しようとする。自我を滅却しようとして自分の個性を殺すのかと言ったら、そうではなくて、自分の個性を生かしながら、尚かつ自分の欲得のためにやるのではなくて、人のために生きたい、人に尽くしたい、という強い意志が溢れ出てくるのを感じるんですね。自分も今、だんだん人生が終わりに近づいてきて、この人から最後に何を学ばねばならないかと考えた時に、人のために生きる、人に尽くすということは、どういうことなのかなということを、この人からもう少し学び取りたい気がします。
 
     これは、平成二十二年十二月五日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである