心を癒すーターミナルケアの現場からー
 
                        淀川キリスト教病院名誉ホスピス長
                        金城学院大学教授 柏 木  哲 夫
一九三九年生まれ。淀川キリスト教病院名誉ホスピス長・大阪大学名誉教授・金城学院大学教授。近著『あなたともっと話したかった』他
                        き き て     峯 尾  武 男
 
峯尾:  末期癌の患者をケアするホスピスに、日本で最初に本格的に取 り組んできた淀川キリスト教病院です。延命治療が行われるな か、人は誰でも人生の最期をその人らしく迎えたいと望みます。 そのためのホスピスで三十年にわたって多くの人を看取(みと)ってき た医師の柏木哲夫さんをお訪ねします。
 

 
柏木:  五十二歳の卵巣癌の末期の患者さんでしたけれど、亡くなる一週間位前に、「何 か先生のお役に立って死にたい」と言われたんですね。それで その人との関わりの中で、「私が、何か失敗したというか、こ こはこうしたほうが良かったというようなことがきっとあった と思うので、それを教えてほしい」と言ったんです。そうした ら患者さんが、「先生、ちょっと言いにくいんですけど、先生 がそう言われるので」と言われまして、「一月(ひとつき)ほど前に、先 生、私、もうダメなんじゃないでしょうか≠チて、尋ねた時に、 先生は励まされたでしょう」。私は、その時のことをハッキリ 覚えているんですね。というのは、「もうダメなのではないで しょうか」と言われると、ドキッとするわけです。どう返して いいか分からない。それで私は本能的にその時に、Bさんとし ますと、「Bさん、そんな弱音吐いたらダメですよ。頑張りな さいよ」と言ったんです。Bさんは、「はぁ」って、そこで会 話は終わった。「あの時、私は、先生にもっともっと 弱音を聞 いてほしかったんです。だけど先生が励まされたので、二の句 が継げずに黙ってしまいました。その後とってもやるせない思 いが致しました」と言われたんです。ショックでした、私。今までどれほど多く の患者さんを同じようなやるせなさに追い込んでいたか。私は気が付きませんで したからね。弱っている患者さんを励まして、どこが悪いと思っていましたから。 私は医者として当然のことをしている。しかしこの患者さんが遺言のように、「先 生、あの種の励ましはダメですよ」ということを、私に教えて下さって亡くなっ た。そこから私は開眼したわけです。
 
峯尾:  柏木さんはもともとは精神科のお医者さんでいらっしゃったんですね。
 
柏木:  はい。もともと精神科を専攻しまして、日本で 三年ほど精神科医をしまして、それからアメリ カのワシントン大学へ留学しまして、アメリカ の精神医学を学びました。その留学中の一九七 二年に初めて末期の患者さんのケアをするため の「チーム・アプローチ」というのに出逢いま した。これはアメリカでの話でありますが、残 り時間が一ヶ月位の末期の患者さんを、医師、 ナース、ソーシャルワーカー、宗教家といったよう人たちがチ ームで支える。「どのようにすれば、この方が一番平安な最期 を迎えることができるのか」ということをチームで考える、と いう。そういう働きに、私は精神科医として参加したんです。 目からうるこが落ちた、と言いますか、今でこそ「チームケア」 とか、「チーム・アプローチ」というのは極々当然ですけれど、 一九七二年当時というのは、「チーム・アプローチ」というの はほとんどなかったですし、増してちょっとこれは悪い表現なんですが、私は、 当時実は、「どうせ一月(ひとつき)位で亡くなる患者さんに、どうしてみんながこんなに一 生懸命やるのか」と思っていたんです。それはもの凄く新しい新鮮な体験でした。
 
峯尾:  実際にこの淀川キリスト教病院の中に、施設としてのホスピスができたのは、そ れから大分後ですか。
 
柏木:  一九八四年です。十年ばかり経ってからです。
 
峯尾:  柏木さんも内科の勉強もなさった、というふうに伺っているんですが。
 
柏木:  そうです。私は、内科でターミナルケアをしていたんですが、どうも環境が整わ ないとか、チームが組みにくいとか、そういう不満がだんだん 出てきまして、「一体ホスピスという施設はどんなことをして いるんだろうか」ということで、イギリスのホスピスを五つば かり視察をしたんです。その中の一つに、セント・クリストフ ァー・ホスピスというのがありまして、これはロンドンの郊外 にある一九六七年に出来た近代ホスピスの第一号なんです。そ の時に、ドクター・ソンダースというこのホスピスの創設者、 世界の「ホスピスの母」と呼ばれている人に出会いまして、そ の人との出会いがある意味で私の一生を決めたんですね。今までも覚えています けれど、彼女は、「私が精神科の医者で、クリスチャンで、日本でホスピスを作 りたいと思っている」ということをご存じで、二週間ほど一緒に働いたんですけ ど、最後の日にこう言われたんですね。「もし私が癌の末期で、痛みが強くなっ て、ある病院に入院したとする。その時に、私がまず望むのは、経験豊かな精神 科医が私のところへ来てくれて、私の不安に聞き入ってくれることではない。そ れから牧師が来てくれて、あなたの不安のためにお祈りをしましょう≠ニ言っ て、お祈りをしてくれることでもない。私が望むのは、私の痛みがどこからきて いて、どのような薬を、どのような量、どんな間隔で飲めば、この痛みから解放 されるか、ということをキチッと診断してくれて、すぐに痛みを取ってくれるこ とだ」と言われたんです。この言葉は間接的に、「心の専門家、キリストを信じ ているクリスチャンであっても、身体のことをキッチリ分からなかったら、決し てホスピスは出来ませんよ」ということを間接的に言って下さった。その場で私 は決断したんです。「よし、やろう」と。それで帰国して三年ほど内科で痛みの コントロール、症状のコントロール、それから内科一般の研修を受けて、ホスピ スをスタートさせたのです。
 
峯尾:  そうですか。チームがスタートしてから、柏木さんも三十年になるわけですよね。
 
柏木:  はい。そうですね。
 
峯尾:  その間に柏木さんが看取った方というのは何人位になるんですか。
 
柏木:  大体二千五百名位です。
 
峯尾:  そしてホスピスそのものが今日本ではどれ位まで増えてきたんですか。
 
柏木:  二○○三年十月一日現在で百二十一あります。いわゆる政府が認めた公のホスピ スですね。ホスピスとしてまだ認められないままにホスピスケアをしているとこ ろはまだ六、七十あります。
 
峯尾:  「ホスピス」という言葉も、随分私たちにもお馴染みになってきたんですが、そ もそも「ホスピス」というのはどういうものなんですか。
 
柏木:  ラテン語の「hospitium」という言葉から出ているんですね。「hospitium」とい うのは、「親切なもてなし」という基本的には意味がありまして、この「hospi- tium」から、「H」でスタートするさまざまな働きが出ていまして、例えば「h- otel」ですね。「hospital(病院)」もそうです。それから「youth hostel」と かいう、「hostel」もそうですね。それから「host」とか「hostess」という言 葉も、この「hospitium」から出ていまして、全部共通しているのは、「人びと を親切にもてなす」という意味なんですね。「ホスピス(hospice)も「hospit- ium」から出ている。
 
峯尾:  今、ホスピスではいわゆるターミナルケアが此処で行われている、というふうに 考えていいですか。
 
柏木:  そうですね。日本の場合は、ほとんどが癌の末期の患者さんのケアということで すね。
 
峯尾:  そして、その癌の末期の患者さんの精神的な、そして肉体的な苦痛を緩和しよう じゃないか、と。
 
柏木:  そうですね。末期の患者さんというのは、「全人的に痛む」とよく言われるんで す。「全人的」というのは、身体の痛みだけではなくて、心の痛みがある。それ から社会的なさまざまな痛みがある。それからもう一つ、「spiritual・pain」、 これはなかなか訳すのが難しいんですけども、「霊的な痛み」とか、「実存的な 痛み」というふうに言われております。だから非常に複雑な全人的な痛みを持た れるので、そのすべてをケアするというのはかなりキチッとしたチームがないと 難しいんですね。
 
峯尾:  先ほどのソンダース博士の言葉のように、肉体的な痛みというのは、現代医学の 中ではかなり緩和できるようになっているんですか。
 
柏木:  そうですね。例えば痛みということ、身体の痛みということだけを考えますと、 さまざまな薬剤をうまく使う。麻酔科的な技術を導入するということで癌末期の 患者さんの痛みの九割位はなんとかコントロールできるような時代になりまし た。入院して来られた患者さんに、「何が一番辛いですか?」というふうにお尋 ねすると、大体身体の問題をまず出されるんです。これは確かに先ほどのソンダ ース先生の言葉と同じように、まず痛みがあれば痛みを取って貰わないと困る、 と。これは確かだと思うんですね。痛みが取れれば、次にほんとに人間らしい心 の悩み、例えばなんとなく不安だとか、こういろんなことが心配だとか、とって も淋しいとか、そういう心の悩みが出てきますので、それに対してどう対処して いくかということが非常に重要な課題になりますね。
 
峯尾:  実際にそれで三十年やって来られた柏木さんとしては、いろんなものを身体の中 へ蓄えていらっしゃるわけですね。
 
柏木:  ええ。非常に印象的な言葉を何度も聞いたんですけれど、患者さんが、「ホスピ スに来て癒されました」と言われるんです。で、この言葉はある意味で非常に矛 盾しているんですね。ホスピスというのは、癒されることからははみ出した、と いうのは変ですけども、癒すことができない病気の方が来られる。そのことを知 っておられるわけですね、患者さんは。もう治らないということを知っておられ るにも関わらず、ホスピスへ来て、「癒されました」と言われる。辞書を引きま すと、「癒す」という言葉の第一の意味は、「怪我や病気を治す」ということ。
 
峯尾:  「治癒(ちゆ)」という。
 
柏木:  「治癒」と言うことですね。二番目に、「長年欲しいと思っていて、なかなか手 に入らなかったものを手に入れさせる」という意味が辞書にあるんです。末期の 患者さんというのは、怪我や病気が治るということはもうないわけですから、一 番目の意味じゃないですね。二番目の「なかなか手に入らなかったものが手に入 る」ということが、「癒されました」という意味であろう、ということが分かっ てきたんです。それが何かということは、「気持が分かって貰える」ということ だと思うんです。この身体の痛み、心の痛みを持って、例えば二つ、三つ病院を 替わられて、なかなかそこで気持が分かって貰えなかった。「痛みを持っている ということがどれほど辛いことか。やがて死を迎えるということがどれほど切な いことか」というその気持ですね。その気持を分かって貰えなかったという、な かなか手に入らなかったわけです。「気持が分かって貰える」というその気持で すね。それがホスピスへ来て、医師やナースがじっくりベッドサイドで耳を傾け てくれて、自分の悩みを聞いてくれて、弱音を吐かせてくれて、やっと此処へ来 てその気持ちが分かって貰えた。それが「癒された」という言葉になっている、 ということが分かったんですね。だから私は、二千五百人の患者さんを看取って、 精神的な意味で一番大切なのは、「気持が分かる」ということだ、と思いますね。 患者さんにとっては、「気持が分かって貰える」ということが一番大切だ、と思 います。
 
峯尾:  それをお医者さんも、或いは家族もたまたま見舞いに来た人たちも理解しないで、 別の形でその人とずーっと接してきた、ということですね。
 
柏木:  そうですね。病気になって、心が弱っている時に、「励(はげ)ます」というのは、非常 に大切で、「頑張って下さいね」と。「頑張ります」という。例えば手術を受け る前なんか不安になりますよね。しかし患者さん自身は、この不安を克服して頑 張って手術を受けて元気になろう、という気持になっておられる。その時に、「頑 張って下さいね」ということは凄くいいんです。ピタッとくるわけです。それは それでいいんですが、ところがこの「励まし」というのが、最後の最後まで、ち ょっと変な表現ですが、「励ましっぱなし」というのがよくない。日本人という のは、凄く励ますというのが好きで、どんな状態になっても励ますというのを止 めない。医者もナースも家族もだんだん弱っていく患者さんを見て、どうしてい いのか分からなくて、安易に励ましてしまうわけです。「頑張って下さいね」っ て。私は、これを「安易な励まし」というふうに言っているんです。
 
峯尾:  実際に柏木さんは患者さんから、「私はそんなに励まされたくありません」みた いなことをお聞きになったことはあるんですか。
 
柏木:  これは具体的な例ですけれど、七十二歳の膵臓癌の末期の女性の患者さんだった んですけど、だんだん弱ってこられまして、ご本人はやがて自分が死を迎えると いうことは受け入れておられて、とにかく痛みをキッチリ取って欲しい。そうい う意味では死の受け入れ、死の受容ということができておられる方で、とっても 立派な方でした。で、六十八歳の妹さんがおられました。この妹さんが、ご両親 が亡くなっておられるので、お姉さんが唯一の頼りというか、肉親で、どうして もお姉さんの死を受け止めることができないんですね。それで熱心に通っておら れて、いつも励ましておられたわけです。「姉ちゃん、治るから頑張ってね」っ て。はじめのうちは「頑張るよ」って。それをしておられて、この患者自身がだ んだん辛くなってこられた。ある日の回診の時に、「先生、妹、なんとかならな いでしょうか」と言われた。「どうしたんですか?」と訊くと、「もう来るたび に励ますんです。私、ずーっと我慢していたんですけど、もう励まされることが 辛くて辛くてたまらんのです」。この患者さんは凄い人で、「妹の気持もよく分 かるんです。ただ一人の姉を看取ろうとしていてね。見舞いに来ても励ます以外 に言葉がないということもよく分かるんです。だから今まで私、我慢していたん です。ところがだんだん身体が弱ってきて、もう辛くなって、それでもまだ励ま すので、もうこの辛さに耐えられなくなりました。しかし一生懸命来てくれる妹 に、私からそれを言えない。先生、非常に悪いんだけど、先生からちょっと一言 いってくれませんか」と言われたんです。私はその時に、「それじゃ─Aさんと しますと─Aさん、妹さんから、どんな言葉をかけて貰ったらピッタリきます か?」と訊いたんです。そうしたら、この方がしばらく考えておられて、「そう ですねぇ、姉ちゃん、辛いね、しんどいね≠ニいうふうな言葉でしょうかね」 こう言われたんですね。「そうですか」。それで回診が終わって、ちょうど妹さ んが面会に来られたので、ちょっと病室へ行かれる前に、面談室へお連れして、 「実は今日の回診の時に、お姉さんがこんな話をされました」と言ったら、ビッ クリされたんですね。「はぁー、そうですか。私はとにかく励ますことが一番だ、 と思って、一生懸命励ましていました。それが姉にそんなに辛い思いをさせてい たとは全然気が付きませんでした。それじゃ、先生、どんな言葉をかけたらいい んですか?」と言われたんで、「いや、実は私もまったく同じ質問を患者さんに したんです。そうすると、姉ちゃん、辛いね、しんどいね≠ニいうような言葉 が一番いいようですよ」と言ったんですね。この妹さんは凄く真っ正直で、素直 な方で、「それじゃ今日からそれでいきます」と言われて、それで病室へ行かれ て、いきなり「お姉ちゃん、しんどいね、辛いね」と言われたんです。やや演技 的だったですけど。Aさんは、先生が言って下さったなあということで、「そう、 辛いのよ! しんどいのよ!」と言われて、それから妹さんが毎回「辛いね、し んどいね」という言葉を言っておられたら、それが一番ピッタリくるということ が、妹さん自身が気が付いたんですね。妹さん自身の心も変わっていったわけで す。それで安易な励ましから、「辛いね、しんどいね」になってから、二週間ほ どで亡くなりましたけど、その最期の二週間というのはほんとにいいコミニュケ ーションができたんですね。だからどこかでギアチェンジをしないといけない。 あるところまでは励ますというのはいいんですけど、ある一定の時期を過ぎると、 励ますことが患者さんにとって、とっても辛くなる、ということ。これは凄く大 切なことだと思うんです。
 
峯尾:  患者さんそれぞれに、自分の最期を迎える人生の総決算の時にいろんなことをお っしゃったり、場合によってはいろんなことをなさったりするんでしょうね。
 
柏木:  そうですね。二千五百名看取らせて頂いた中で、やはり非常に象徴的に最期の希 望を述べられる人というのがおられますね。例えば思い出すのは、あの方は六十 二歳だったと思うんですが、肝臓癌の末期の女性の患者さんで、ある日の回診の 時に、「弘前の桜が見たい」と言われたんです。数年前のちょうど五月位だった と思うんです。ちょうど弘前の桜が満開になって、何かきっと凄い思い出がある と思うんですね。随分弱っておられて、弘前へ旅をするというのは明らかに命を 縮めるんですね。それで躊躇しました、私。「ウーン」と言ったんですけど。そ うしたら、何故弘前の桜を見たいかということをよくご存じの友人が二人ほどお られまして、「先生、私たちが付いて行きますから、是非許可をして下さい」っ て言われたんです。チームで話し合って、「それじゃ行って貰おう」と。主治医 がもし何かが起こった時には、病院へ駆け込めるように、病状とか、今使ってい るお薬とか、全部紹介状という形をとって、お渡しして、それで二泊三日の旅を して桜を見て来られたんですね。帰って来られた時に、もうビックリするほど弱 られたんです。凄い負担だったと思うんです、身体的に。しかしなんか全身から 「満足感」と言いますか、「これで良かった」という。それで一言私に、「これ で旅立てます」と言われたんです。最後に、「これだけはして死にたい」という。 それがこの人にとっては、「弘前の桜を見る」ということだった。象徴的なこと ですけどね。ちょうどそれから三週間位で亡くなりましたね。弘前に行っておら れなければ一ヶ月以上余命はあったと思うんですけれど。そういう意味では、時 間的には命は少し短くなったけれども、私は、「最後に命が輝いた」と思います ので、それはそれで良かったと思っているんです。そういうふうに、「人生の最 期にどうしても実現したいことを実現したいと思われて、それでなんとか実現さ せてあげようというふうに、周りが動くということが凄く大切だ」と思うんです ね。今までの医学というのは、長さだけを強調して、「少々苦しくても長生きす ればいいではないか」と。「命を縮めるというようなことは一切許可しない」と いう、そういう伝統的な流れがありますけれども、自分が最期を迎える時を考え て見ると、もし、「何かこれだけはして死にたい≠ニ思ったら、少々命が縮ま っても、それをやっぱりしたい、とふうに思う」と思うんですね。
 
峯尾:  そうですね。今、こちらの病棟に入院していらっしゃる方は何 人いらっしゃるんですか。
 
柏木:  我々のホスピスは全部で二十一床あるんですけど、大体十七、 八人でしょうか。時には満床になることもありますけれども。
 
峯尾:  どれ位の期間入院していらっしゃる方が多いんですか。
 
柏木:  そうですね。大体一ヶ月ちょっと切れますけど。
 
峯尾:  その方たちは、「ご自分が末期の癌である」ということはご存じでいらっしゃる わけですね。
 
柏木:  ええ。極々少数の例外を除いて、ご自分の病状はみんな知っておられます。但し、 後どれぐらいの命かということは、知っておられる方もありますし、ご存じでは ない方もあります。実際分からないんです。我々もなかなか分かりませんからね。 だから予後(よご)ということに関しては―「予後」というのは、「後どれくらい生きる」 という意味ですけど、なかなか難しい問題ですね。
 
峯尾:  ただ、それをお知らせする。告知するか、しないか、というのは、その場合によ って、勿論柏木さんたちがご判断なさるわけでしょう。
 
柏木:  そうですね。ケースバイケースと言ってしまえばそうなんですけど、やはりしっ かり予後をお話しないといけない状況の場合は辛いですけれども申し上げます。 例えば若い方で、お子さんがまだ小さい。で、ご主人が亡くなる時に、奥さんと 今後の子どもさんのこととか、家の借金のローンをどうするかとか、いろんな身 辺整理的なことがありますから、あんまり体力が弱ってから分かったら、いろん なことができませんので、辛いですけども、残り時間を申し上げたほうがいい場 合には申し上げます。
 
峯尾:  それを知らされたご本人がそれによって、例えば私なんかだったら、たちまち落 ち込んでしまってお終い、というような気がしますけれども、それによって変わ られる方というのはいらっしゃいますか。
 
柏木:  今までハッキリしていなかったことがハッキリして、落ち込まない人はないです よ。落ち込みます。しかし私の経験では、落ち込んだ後、それなりにそれをうま く消化をされる。そしてご家族の支えで、いろんなことをキッチリしていかれる というケースが多いですね。人間にとって疑心暗鬼なのが一番つらいですね。あ と数年は生きられるのではないか。ひょっとしたら、もうちょっと短いかも分か らない、という。このよく分からない状況でいるということもかなり辛いんです ね。それが例えば三ヶ月なら、三ヶ月というようなことが分かった時に、それは 非常なショックですけれども、そこでモヤッとした気持がストップしますね。そ こで覚悟ができて、残りの三ヶ月を有意義に過ごしていかれるという場合のほう がやはり多いですね。但しその時に、予後を告知する場合はしっかりとしたケア の体制、支えの体制がなかったら、それは患者さんは大変ですから、大条件とし て告知をするからには、最期までキチッとしたケアをする、という、そういう気 持を同時にお伝えするということがとても大切なんです。
 
峯尾:  しかしそうやって、柏木さんの場合は二千五百人、これはもの凄い数だと思いま すが、ここで働いていらっしゃる皆さんも、次々にいらっしゃる方が去っていか れる。それを日常的に接しているわけですね。これはもの凄い重圧、ストレスが 溜まると思うんですけれども。
 
柏木:  そうですね。「ストレスが無い」と言ったら嘘になりますけれど、私は、「その 人が持っているアイデンティティーと言いますか、一体自分は何をするのか。何 をしたいのか。どこで、ある意味で自己実現と言いますか、自分を実現できるの か」ということを考えた時に、ホスピスケアというのは、私は凄くやり甲斐のあ る仕事だというふうに思っているんです。ストレスは確かにありますけれども、 ストレスをうまく処理しながら続けてきた、ということですね。
 
峯尾:  ストレスの処理ですけれども、自分の気持をちょっと解放するというような形で、 柏木さんも何かなさっているというふうに思うんですが。
 
柏木:  実は十年位前から川柳の勉強をしていましてね。自分で何故川柳を始めたのかな あ、と。精神科の医者ですから、少し自己分析をしますと、やっぱり凄く重い仕 事ですね。この重さをずーっと引きずっていくというのは不可能なんです。どこ かで少し重さを取っておくというか、軽くしておくということが凄く大切で、自 分で川柳を作って、少し新聞に投稿して、自分の名前が新聞に載ったりすると嬉 しいですね。患者さんの中にもやっぱり俳句とか川柳をやる人がいますので、患 者さんと川柳のやり取りなんかをしていると、患者さんも喜んで下さる。そうい うユーモアのセンスと言いますか、そういうことで私は随分助けられてきた、と いうふうに思います。
 
峯尾:  柏木さんが、川柳というのは分かるんですが、それが、患者さんに、「どうです、 やってみませんか」と言って、患者さんが受け入れてくれるかどうかというのは、 その方の状態によるところがありますよね。
 
柏木:  それは非常に重要で、押しつけてはいけませんし、それから患者さん自身の背景 というようなこともあります。これは一人の例なんですけど、五十八歳だったと 思いますが、肝臓癌の末期の患者さんで、この方はずーっと俳句をしておられた んですね。私が川柳をなんかやっているということをどうも看護師さんから聞い て、ある日の回診の時に、「先生、私、今までずーっと俳句をやってきましたけ ど、川柳のほうがいいと思うようになりました」と言われたんです。ちょっと私 に対するお世辞かなと思って、「あ、そうですか。どうしてですか?」と訊きま すと、「いや、なんか俳句というのは、春夏秋冬、季語があって煩(うるさ)い。春、夏、 秋、冬と四季に煩い。私のようなターミナルの患者は四季がないほうがいいです」 と言われたんです。これは四つの季節「四季」というのと、死ぬ「死期」を重ね ている。で、「いやぁ、この方、凄いこと言われるな」と思いまして、「そうで すか。それじゃ、まあ四季がない川柳を少しされたらどうですか」。そんな話を しましてね。それからしばらく川柳のやり取りをしたんです。すると一番感激し ましたのは、私と患者さんとの川柳のやり取りを聞いておられた奥さんが、「私 も川柳の勉強をしたい」と言われましてね。「いいでしょう」と。十二月の末に 随分弱られて、ひょっとしたらお正月迎えるのは難しいかなあという状態になら れたんです。しかし、「最後の正月なんでなんとか家で正月を迎えたい」。奥さ んも「そうさせてあげたい」ということで、ちょっと不安だったんですけれど、 お正月を迎えて頂く外泊をして頂いた。寝正月だったんです。そして正月明けに、 ホスピスへ帰って来られて、奥さんが、「先生、ありがとうございました。お陰 様でお正月を家で迎えることができました。主人は寝正月でしたけど、家へ帰れ て良かったと思います。主人の姿を見ていて、私、一句作りました」。短冊に綺 麗な字で書いておられるんですね。それは、
 
癌細胞正月ぐらいは寝て暮らせ
 
と書いてあるんです。これは素晴らしい句だと思うんですよ。その奥さんの辛い 気持、もう主人の身体の中でドンドン増殖する。そしてやがて命を奪おうとして いる癌細胞よ、お前の主人は寝正月ではないか。お前も正月ぐらいは寝て暮らし てくれよ、という。なんかその思い、それをやはりユーモアのセンスで辛さをス ッと吹き飛ばしておられる力。この句は、私は素晴らしい句だと思うんですね。
 

 
柏木流 ほのぼの川柳
 
食卓の愚痴を聞いているパンの耳
よく眠りすっきり目覚めた講演会 
筆舌につくしがたいとよくしゃべり
ウンチだな赤ちゃん急にまじめ顔
犬寝てる角を曲がれと道教え
補聴器の落し物だと車内アナ
 

 
峯尾:  此処は水槽に鯉を飼っているんですね。
 
柏木:  これは、私のアイデアで作った池と鯉なんです けどね。鯉というのは、日本の場合にエネルギ ーとか、元気の象徴ですから、そういう意味で 患者さんにとっても喜ばれます。私の趣味と患 者さんへのプラスと両方あるということです ね。
 
峯尾:  じゃ、この屋上庭園と言っていいのかどうか分 かりませんが、こちらでお話の続きをお聞かせ 下さい。
 

 
峯尾:  緑が見えて、空が見えて、飛行機も飛んでいて、 電車も走っていますし、こういうところへいら っしゃると、患者さんもちょっと気持が元気に なったり、ゆとりが出てきたり、というのもあるんでしょうね。
 
柏木:  そうですね。狭い病室、ベッドの上だけの生活というのは非常に辛いですから、 歩いて出られる人は歩いて来られますし、車椅子の人は車椅子で出られますし、 時にはベッドごとね、天気のいい日にはやはり外の空気に触れ るということはとても大切です。
 
峯尾:  そういう気持のゆとりというのと、お話頂いた川柳のユーモア というのも、結局は人間のゆとりがあって出てくるものですよ ね。
 
柏木:  ある程度ゆとりがないと難しいんですけれど、ユーモアを用い ることによって、逆にゆとりを提供するというか、ゆとりを持 って貰うようにすることもできると思いますね。
 
峯尾:  ここに太鼓判が出てまいりましたけれども、これも柏木さんが お作りになったものですか。
 
柏木:  そうなんです。入院して来られる患者さんが、大体二十パーセ ントから二十五パーセントの方は、例えば痛みのコントロール がうまくできて帰られるんですね。全部が全部 亡くなられるわけではなくて。ただ全快退院の 方はおられなくて、帰ることはできるんだけど も、やっぱり不安なんですね。「退院おめでと うございます」と言っても、「いやぁ、先生、 大丈夫ですか? ちょっと不安なんです」とい う方が多いんで、「いや、医学的には太鼓判を 押せるんですよ」って言ったら、「ほんとに太 鼓判を押せますか?」という人が多いので、それじゃほんとに太鼓判作ろう、と。 非常に単純な発想なんですけどね。それでこれを特注をしました。ちょっと高か ったんですけど。例えば肺癌の患者さんで、退院される時には、「ちゃんと十分 症状が快復してお家に帰られるだけ快復していますから、医学的には太鼓判押せ ますよ」と言ってあげる。「先生、ほんとですか?」「ほんとに押しますよ」っ て、後ろから看護師さんがくれまして、そこで患者さんの胸のところにポンと押 すわけです。そして「太鼓判!」とこういうふうに見せる。
 
峯尾:  ハンコだと字が逆さまになっている。
 
柏木:  患者さんが見てわかるようにしてあるというのがミソなんです。そうすると、あ る患者さんは、「家に帰ってからちょっと不安になることもあったんですけれど、 先生に太鼓判を押して頂いたので、そのことを思い出して、不安が取れました」 と言って下さる方もあって、まあまあ効果がある人には効果がある、と思います ね。これも一つのユーモア療法と言いますか。
 
峯尾:  「療法」とおっしゃいましたけれど、今の医学の中でほんとにユーモアというの は随分大事なものだと見直されている、そういう見方もあるでしょうか。
 
柏木:  そうですね。特にアメリカを中心にして、「ユーモア療法学会」というのが数年 前にできまして、結局、ホスピスだけではなくて、小児病棟とか、慢性期病棟と か、老人病棟とか、病院とか施設に、ユーモアを提供する。例えば、小児病棟で あれば、ピエロの服装をした─これ専門家なんですけど─ユーモア療法士という のが行って、面白い仕草、面白い話をして、子どもたちを笑わせて、暗くならな いように、笑いを取り入れるようにする。そうすると病院に入院している期間が 短くなるという、そんなデータもありますね。日本ではまだまだスタートしたと ころですけど、ユーモア療法というのはかなり重要になるのではないかなと、私 は思っております。
 
峯尾:  心の持ち方というのは如何に大事か、というのはあると思うんですが、一方では 人間百パーセント誰でも最後は死ぬんですが、私たち普段はなるべく死のことは 考えないように、死を遠ざけよう避けよう、という暮らしをしていますよね。
 
柏木:  そうですね。今、日本人の死に場所が家庭から病院へ移りました。八十四パーセ ント位の人が病院で死を迎えているんですね。癌による死だけに限ると九十五パ ーセントが病院で死んでいるんです。ですから日常生活から死が姿を消してしま っているので、ある意味で、しっかり「死を学ぶ」と言いますか、死に対する備 えをしないと、生きた教科書が実際ないわけですね。実際に人が死を迎えるとこ ろを見ている若い人はいませんのでね。ですから私は、「死に備える」というこ とは凄く大切だ、と思っていまして、例えば病院でも学校でも大きな施設では必 ず火災訓練日というのを年に一度設けるんですね。例えばこの病院でも、年に一 度消防署から専門家が来て、消火器の使い方とか、患者さんをどのように安全に 誘導するかとか、要するに火災に備えて訓練する日を作るわけです。ところが火 災の発生率って限りなくゼロに近いですね。ほとんど起こらない。ところが死の 発生率って百パーセントですから、それはサマセット・モーム(イギリスの作家) が、「世の中にはたくさんのまやかしの統計があるけれども、絶対に間違いのな い統計が一つ存在する。それは人間の死亡率は百パーセントであるという統計だ」 と言っていますけど、その通り必ず私たちは死を迎える。発生率百パーセントの 死であるにも関わらず、年に一度もそれに対する備えをしないというのはやっぱ り不合理だ、と思うんですね。発生率ゼロに近い火災に備えるのに、発生率百パ ーセントの死に備えないというのは、どうもおかしい、と私は思います。
 
峯尾:  それに対して、柏木さんは、いろんな提唱をしていらっしゃいますね。
 
柏木:  「提唱」というほどではないんですが、講演などで一般の方にお話をさせて頂く 機会がある時には、「誕生日に死を思う」ということをお奨めしているんですね。 年に一度誕生日というのは必ず巡ってくるわけで、この世に生を受けたものは例 外なく死を迎える。そういう意味では、「誕生日に自分の死を思う、ということ は凄く大切だ」と思っていまして、私自身もそれを実行しています。例えば誕生 日にここ一、二年の間に、自分がもし何らかのことで死ぬということがあった時 に、「身辺は大丈夫だろうか。仕事のことは大丈夫だろうか。家族は大丈夫だろ うか。例えば癌で死ぬのであれば、どこの辺りまで挑戦して、一体病院で死ぬの か、家で死ぬのか」。まあそういう死を巡るさまざまなことに思いを馳せる、と 言いますか、人によってはキチッと遺言状を書いておく、ということも必要かも 分かりませんし、そういうことをお奨めしている。
 
峯尾:  年に一度の誕生日に、「死を考えよう」と。
 
柏木:  はい。もう一つ、今、三人に一人は癌で死ぬ時代を迎えています。三人に一人と いうのは、凄く大きい数字ですよね。まあ高齢化社会で癌になる人が随分増えて いまして、もうすぐ夫婦のどちらか一人、二人に一人は癌になる時代がくるんで すね。ですからもう一つ、私がお奨めしているのは、「結婚記念日に癌を語り合 う」と。ご夫婦の結婚記念日に、まあどちらかが癌になったら、「告知をどうす るのか。それからそれこそ予後の告知はどうするのか」。先ほどちょっと言いま したけど、「どこでどんな治療を受けて、もしどうしてもダメだったら一体どこ で死を迎えるのか」というようなことを夫婦でキッチリ話し合う。結婚記念日に 癌を語り合う。どちらか一方が癌になる可能性が高いわけですから、そういう会 話も必要じゃないかな、と思うんですけどね。
 
峯尾:  柏木家では実践していらっしゃるんですか。
 
柏木:  はい。私は医者ですので、多分分かるだろうなあとは思うんですけど、ひょっと して、私が癌になった時に、私がかかった主治医が、本人には言わないで、家族 にだけしか言わないという、そんな主義の人も時々いますので。だからもし家内 に先に伝わったら、「私にこういうふうに伝えてくれ」ということは言っている んですね。私は、「あなた、癌です」と、直接「癌」という言葉を使われると、 かなりガーンと応えると思うんですよ。だから、「あなた、どうも悪いものであ る可能性も考えておかないといけないようですよ、と言ってくれ」と。そこまで 具体的に家内に言っているんです。そうすると、「私は、それで察するから」と。
 
峯尾:  柏木さんは、「人は生きてきたように、死んでいく」ということをよくおっしゃ っていますよね。
 
柏木:  ええ、そうですね。これは数年前まで私のオリジナルだと思っていたんですが、 どうもそうではなくて、一九○四年、随分前なんですけど、オスラーという医師 が、「患者は生きてきたように死んでいく」という論文を書いているんですね。 多分オリジナルはその辺にまで遡ると思うんですけど。ほんとにたくさんの患者 さんを見て、「人は生きてきたように死んでいく」と思うんですね。ほんとにし っかり生きてきた人はしっかり亡くなっていかれますし、なんかベタベタ生きて きた人はベタベタ亡くなられるし、それから周りに不平ばっかり言って生きてき た人は、なんか我々に不平を言って亡くなって逝かれるし、周りに感謝して生き てきた人は、我々に感謝をして亡くなって逝く。だからそういう意味で死に様と いうのは生き様の集約みたいな感じですね。そういう意味で、人は生きてきたよ うに死んでいく、と。但し数は多くないんですけど、ほんとに人が死を自覚した 時に、凄い変化というか、成長というか、そういうことを体験される人もいるん ですね。キュブラー・ロスという有名なターミナルケアの専門家が、『Death (死)』という本を書いているんです。その副題に、「The final stage of gro- wth(成長の最終段階)」という言葉を書いているんです。「The final stage 」 というのは、「最後の段階」ですね。「growth」というのは、「成長」ですね。「成 長の最後の段階」というふうに書いていまして、その内容は、「人間というのは 死の直前まで成長する可能性がある」という。そういうことなんです。例えばほ んとに不平不満の多かった人が家族にも周りにもずーっと不平を言ってきた人 が、自分の死を自覚した時に、なんか豹変されるというのは変ですけど、凄く感 謝の人になる。自分の一生を振り返って、今までほんとに人に不平ばっかり言っ てきたけれど、「人に支えられて、自分が生きてきた」ということがやっと分か った、と。「ほんとに有難かった」というふうに、大変換を遂げられる、という か、最後にピュッと成長して、最期を遂げられる、という方が時々ありますね。 それは何がそういう変化をもたらすのか、というのは、私はよく分かりませんけ れど、やっぱり人間が死を自覚するというのは凄く大きなことで、それが成長に 繋がるということも、人によってはある、と思いますね。
 
峯尾:  「ターミナルケア」の「ターミナル」という言葉を英語の辞書で引きますと、「終 着駅」という意味は勿論あるんですが、「始発駅」とも書いてあるんですね。
 
柏木:  そうですね。ターミナルというのはラテン語の「テルミヌス(terminus)」とい う言葉からきていましてね。「terminus」というのを辞書で引くと、「境界」と いう言葉が─境目ですね。ですからターミナルケアのもともとの意味は、「境界 のケア」ですね。だから人生観とか価値観から言えば、「終わりのケア」という のではなくて、「境目のケア」ということで、「死というのは確かにこの世との 別れではあるけれども、それは新しい世界の出発なのである」という。そういう 人生観のようなものがターミナルケアの根底にあるわけですね。だからターミナ ルケアの仕事というのは、まあ言えば、「こちら岸から向こう岸へ安全にお渡し するような、渡し守のような仕事」がターミナルケアだ、と思いますね。ですか ら特定の信仰を持っているという必要はないにしても、やはりターミナルケアに 従事する者は、「死というのが終わりの終わり」というのではなくて、「死の向 こう側に新しい死後の世界というのがある」というふうな気持をほとんど人が持 っている。持っていないとなかなかこの仕事というのは難しいだろうな、と思う んですね。
 
峯尾:  今日、伺ったお話の中で、肉体的な苦痛は、現代の医学ではかなり緩和できる、 と。問題は、心の癒しの問題が一番ご本人にとっても辛かったりする例が多い、 ということですよね。
 
柏木:  基本は、「患者さんの傍(そば)に座り込んで、しっかりその患者さんの訴えに耳に傾け る」ということだと思うんですね。その時にやはり「患者の気持ちの理解」とい うことは、結局、「感情の理解」ということですので、感情を表現するような言 葉をしっかりかけていく。例えば会話の中に、「辛いですねぇ。ああ、それは悲 しいですねぇ。淋しいですねぇ」というふうに、感情を表すような言葉をしっか りかけていくということが一つと、もう一つは先ほどちょっと言いましたけども、 「安易な励ましを避けて、理解的な態度をとっていくことだ」と思うんです。で すから五十二歳の患者さんが、「先生、励まされたでしょう。私は弱音吐きたか ったのに」というふうに言われましたよね。その時に私が理解的な態度をとるこ とができていたら、会話の流れというのは、随分変わっていた、と思うんですね。 ちょうどその患者さんを看取って、二ヶ月位のうちに同じような質問をされまし てね。その時、私は、安易に励まさなかった。というのは、教えて貰ったところ ですから。患者さんから「私、もう治らないんじゃないでしょうか?」と言われ た時に、「ああ、ダメかも知れない、そんな気がするんですね」と言ったんです。 これが一番ピタッとくるんですね。患者さんの言われた言葉を、少し自分の言葉 に替えて、「あなたの言われたことはこういうふうに理解するんですけど、この 理解で正しいでしょうか」というふうに返す。そうすると、「先生、そうなんで すよ。もう入院してから三ヶ月でしょう」と言われる。「早いですねぇ、三月(みつき)に なりますねぇ」と言ったんです。「三ヶ月」を「三月(みつき)」に替える。「この頃次第 次第に身体が弱るような気がしましてね」と言われるんで、「あ、そうですか。 次第次第に衰弱する。そんな感じなんですねぇ」と言ったんですね。そうしたら 最後に、「この頃私はもう死ぬのが怖くて怖くて仕方がないんです」と言われた んです。私は「あぁ、そうですかぁ!」って言った。この方が一番言いたかった のは、「死ぬことが怖い」ということだったのです。そこまでいうには、理解的 な態度を取りながら、会話を続ける。しかも会話を患者さん自身がリードする。 私は後から付いて行く、という。これが理解的な態度なんですけど。それは何故 できないか、というと、「もうダメなんではないでしょうか」なんて言われると、 この最後に死というようなことがくるのが本能的に分かるわけですね。そうする と、そんなところへ連れて行かれるととても困る。だから途中で切りたい、と本 能的に思う。私が自己分析すればそうなんです。そうすると、励ますと、そうし たら会話は切れるわけですから。安易な励ましというのは、ある意味で会話の持 続を自ら壊して、そういう会話に付き合えないので切ってしまう、というメカニ ズムが心の中に働いていたんだ、と思うんですね。
 
峯尾:  あくまで相手の患者さんの本当に言いたいことを言葉として出さしてあげる、と いうか、出るまで待つ。
 
柏木:  そうですね。それでもう一つ、心の底にあるのは、死ぬことが怖い。「この怖さ を何とかして下さい」と言われても、私は何もできないです。しかし「死ぬこと が怖い」と言われた患者さんが、「この怖さをなんとかして下さい」とは言われ ない。というのは、医者にその怖さを取ることなんかはできない、ということは ご存じなわけです。しかし「死ぬことが怖い。それを知って欲しい。それを理解 して欲しい。分かって欲しい」と患者さんは思っておられる。だから私自身は、 「死の怖さ」というのを、経験がないものですから、「分かりますよ」なんて決 して言えない。しかし何とか少しでも理解できたらいいな、と思って、「このよ うにあなたの傍(そば)にいるんですよ」と。患者さん自身は、それで十分なんですね。 「死ぬことが怖いんだ」ということが分かってくれれば、もうそれでいいです、 という。それが「癒しに繋がっていく」ということだ、と思うんですね。
 
峯尾:  有り難うございました。
 
 
     これは、平成十五年十一月九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである