神が与えた試練と共に
 
                              医 師 河 野(かわの) 博 臣(ひろおみ)
                              ききて 黒 田 あゆみ
                                   (アナウンサー)
 
(講演の場面から)
 
河野:  私がガン患者になった時ですね、どうしても、自分がガンにな ったんだろうか、ということをあまり思いませんでした。よく ガンの患者さんというのは、「どうして、私、ガンになるんで すか」と言いますね。多分、医者というのは、「あなたは熱い 物を食べるとか、塩気の物を食べるから、胃ガンになったんで しょう」というような受け答えをしますが、患者さんというの は、そういうことに納得しませんね。最近、イギリスあたりで、 「Narrative Based Medicine(物語を基礎とする医療)」とい うのが言われ始めております。「これはどういうことか」と言いますと、今日、み なさんにお話したいのは、このことでございます。というのは、成る程、確かに 塩気の物とか、熱い物を食べる。タバコを吸う、ということで、ガンになるとい うことは、科学的にはよく理解出来ますし、これは、いつ、何処でも、誰でも同 じようなことが言えることですね。ところが、私なら私がガンになるという、私 については、必ずしも納得いかないですね。みんながみんなそうでないわけです。 私がなぜガンになったのか、そのことをみんな知りたいわけですね。
 
質問者:  「私がなぜこの病気になったのか」とか、「ガンになってしまったのか」という、 問い掛けというのは、現場では多々ある、そういう場面には出っくわしますし、 なかなか問い掛けに対して、しっかりと明確に答えることが出来ない自分という のがありまして、その辺、難しいですが、何かそういうご指導がありましたら、 宜しくお願い致します。
 
河野:  実務的な問題ですね。「どうして私がガンになったんですか」という、その問題に 答えはございませんのですね。その人にとって一つの答えしかないわけですよ。 納得いくね。成る程、ということを分かって貰うためには、話を聞くということ ですね。聞きながらですよ、話をしながら、こういうふうな中で、患者さんとい うのは、何となく分かってくるんですね。だから、それが、Aとか、Bとか、は っきり分かるんじゃなくて、私がガンになって死んでいくというのは、こういう ことだなあということを、何となく、一つの物語として、自分の中に納得してい く。だから、ただ、教えるんじゃなくて、お話を聞くということですね。決して、 答えはないんですよ。答えがあるようなつもりでお話すると大変です。そうじゃ ないんです。答えは本人の中にあるわけです。

 
ナレーター: 患者中心の医療を志し、ガンの終末期医療や心のケアを続け てきた河野博臣さん。三十年以上に亘って、神戸の街で、前進 的な取り組みを行ってきました。キリスト教の信仰を持つ河野 さんが、一人ひとりの患者の話に耳を傾ける医療を深めてきた 人生には、神の試練とも言えるさまざまな体験がありました。 ガンのため、胃の五分の四を切除したのは、一年半前。手術は 成功し、診療も再開しました。このところ傷の痛みが増し、食事も思うように進 まないなど、予期しなかった術後の不調に悩まされています。体重が十六キロ減 り、体力の衰えも激しいため、バナナや栄養剤の点滴が欠かせません。診療時間 は、以前の三分の二にしています。それでも病の体験を患者と分かち合う時間を 大切にしたいと願っています。試練から多くを学んだという河野さんの医師とし ての歩みと信仰の深まりを伺います。
 

 
黒田:  先生は、術後一年以上経っても痛いとか、それから気分的に鬱(うつ)になるということ を想像していらっしゃったですか。
河野:  いや。あまり想像していなかったです。痛みがずうっとくると、 人間というのは痛みに弱いですね。憂鬱になってくるんですね。 鬱になる。それで再発でもしたんかなあ、と思ったりする。
 
黒田:  そういう再発ということではない?
 
河野:  再発は何遍も調べたけど無いんですね。しかし、僕は、胃ガンと分かった時は、 そんなにショックではなかったんですね。
 
黒田:  どうしてですか?
 
河野:  胃ガンだったら、どうにか切り抜ける、と。
 
黒田:  治癒(ちゆ)率が高いんですね。
 
河野:  ええ。そういう気があったんです。だから、あまり心配なかった。ただ、やっぱ りなったかな、と。俺もやっぱりガン患者になったな、と思ったですね。
 
黒田:  ガン患者になってしまった。
 
河野:  隆起病変(りゅうきびょうへん)型だったら、肝臓に結構転移が起こるから、そっちの方も心配しなくち ゃいかん、と。家ですぐ腫瘍(しゅよう)マーカー調べた。ちょうど二十四日のクリスマス イ ブの日に、夜七時半、診察していたら、ファックスが入ってきた。
 
黒田:  先生の病院で、ご自分で他の患者さんの診察をしていらっしゃったら。
 
河野:  ファックスが入ってきた。そのファックス見た時に、GRPというのが、百八十 あったんですね。
 
黒田:  それは肝臓の値なんですね。
 
河野:  はい。だから、百八十というのは、いわゆる肝臓転移があるという可能性が非常 に高いわけです。その時は、ガクッときました。僕の経験ですよ。肝臓転移があ れば、また肺転移とか、骨の転移に移っていきますから、転移があれば、ずうっ と悩まないかんな、と思った。その後、三十分間、診た患者のことを覚えていな い。死というものは、現実に自分のものになるでしょう。というのは、この世か ら、私が亡くなるわけですよ。そのことが私に切実に迫ってくるわけです。まだ、 ガンと言っても、その辺がはっきりしない場合は、まだまだそれまで考えないで 良かったんですが、もう決まると、死とほんとに対決した生き方をしなくちゃい けない。そのことがぐうっと迫ってくるんです。今でもあまり変わりませんけど。
 
黒田:  気持は?
 
河野:  はい。
 
黒田:  計り知れぬ。
 
河野:  恥ずかしいですけど、治療医者としての態度は本当にないですね。態度はほんと にガン患者ですわ。
 

 
ナレーター: 河野さんがガンと診断されたのは、ちょうど新聞に、医師として見送った患者 のことを連載している時のことでした。自分がガン患者となって、初めて知った 検査の辛さや、告知への動揺は、想像を超えるものでした。それはキリスト者と して、信仰を試される体験でもありました。
 
私はガンになってしまった以上、連載のなかでガン患 者の体験手記を書こうと思った。それこそが、私がし なければならないことだと決心した。とにかく私はガ ン患者になったのだという実感が、私の全体を占めて いた。そして検査中待合室で待っているときの、「あ あでもない、こうでもない」と考えるつらさを、想像 できないようなつらい痛みや忍耐を、病院や医師は患 者に強いていることを知らされた。
初めての恐るべき体験であり、人生最後の生死のチャ ンスが与えられた。「ありがとう。とにかく生きるよ うにがんばるつもりだ。いい先生に出会うことを祈る だけだ」と妻に話かけた。
祈りができない。ガンとわかって、神の意志を知りた いと何度も思い、深く祈りたいと何度も思うが、でき ない。どうしてだろうか。
(『幸福な最期』より)
 

 
河野:  僕は、ほんとに祈れなかったんです、ガンと分かった時に。もうちょっと神に祈 れば随分答えが出たと思うんですが、祈れない自分というのがありましたからね。 なかなか自分というものを捨てられない、とかね。だから、神はいろんな試練を 与えられるから、それから、実は逃げ出したいことの方が強かったですね。
 
黒田:  「逃げ出したい」と。「これを取り去って下さい」とか、「癒して下さい」という 祈りは、どうなんですか、先生に取っては?
 
河野:  その辺が非常に矛盾ですね。というのは、今まで大学の二年から、私は入信した んですが、
 
黒田:  信仰に入って、
 
河野:  信仰に入って、ずうっと長い間やっているんですけど、その間でもほんとの意味 でのキリスト者になっていない、と思いますね。これは、年数とは関係なしに、 ある日突然に、そういう気持になってきた、と言いますか、神は、「お前はいくら 経ってもほんとのおれの気持ちが分からんから、お前、今度、ガンになってみい。 そうしたら、ほんとのことが分かるんじゃないか」と言われたような気がしたん です。その時に少し祈れるような気がしたんですね。
 

ナレーター: 戦時中、海軍に志願した河野さんは、敗戦 を軍艦の甲板の上で迎えました。死を免れた 時、その後の人生を賭けようと思ったのは、 医師という仕事でした。幼い頃、結核で亡く なった兄の最後を間近に見た体験を思い出し たからです。人の命を救うことを志し、久留 米医科大学に入学しました。医学部二年生の 時、キリスト教の洗礼を受けます。信仰を持つ医師たちの献身的な生き方に憧れ たからでした。軍国主義の中で育った青年にとって、キリスト教の考え方は、新 鮮でもあったのです。外科医となった時、河野さんは、患部を切り取る技術を高 めることが、医師としての最大の使命と考えていました。しかし、その信条は、 その後の体験で揺らぐことになります。外科医としての最初の試練は、手術で癒 すことが出来ない患者との出会いでした。何度手術しても、症状が改善しない手 術頻回(ひんかい)症。それは病気になることで、周囲の目を引こうとする心身症でした。
 

 
河野:  最初に外科医になってから、ずうっと自分は何でも 出来ると思っていたんで す。外科頻回症の患者で、何遍も手術を、六ヶ月位手術して、六ヶ月経って、ま た同じように痛くなってきて、腸閉塞を起こ す。そういう三十歳の女の方に出会った。い よいよ四回目ですが、
 
黒田:  手術が四回目?
 
河野:  四回目は出来ないことが分かって、その患者 さんと主治医のところに行った。外科医で手 術が出来ないというのは、これこそ自分の自尊心を傷付けられる。しょうがない ですからね。そうしたら、初めてその時に、その奥さんが、「自分が腸閉塞の症状 が出てきたら、主人が自分の方に目を向けてくれる」と。これ が手術頻回症という。その背後には、主人の愛を得るための、 いわゆる心身症ですね。そのことが、背景にあると初めて分か った。メスで切れない、そういう外科の病気があるんだ、とい うことを教えられた。それが、今から四十年位前ですね。それ でも、同じような調子で、手術なんかしているうちに、今度、 子供を神様から引き上げられてしまった。自分は偉いんだ、自 分は外科医として何でも出来るんだ、という気持がずうっとあ ったんだ、と思います。
 

 
ナレーター: 医師として、人間として、河野さんの生き方を大きく変える事件が起こったの は、三十二歳の時でした。
 
三十歳を過ぎていた私は、外科医として自分の外科手 術に少しずつ自信をもつようになり、毎日患者の病巣 を切りとる治療を最高の喜びとしていた。ガン患者が 再発して苦しみの中で死んでいくことも何度もあった が、科学的な目で冷たく見送って、殆ど感情は湧かな いと言ってよかった。
いつものように病院につくと、すぐにレントゲン室に 入って胆のう造影の患者のX線撮影を始めていた。
外から大声で内科の同僚が「先生、早く家に帰って下さい。何か大変な ことが起こっているから」と言われて、造影剤の注射の手を休めた。
線路に人だかりがしているのを見て、私は何か大変な予感を感じて家に 急いだ。
次女が線路に落ちていた白いボールを拾いにいこうとして、特急電車に はねられたのである。
私は無言で線路に出、飛び散った二歳の子供の肉片を集め、死を確認し なくてはならなかった。私は、自分の子供がこの世に生をうけ二年にし て、このように無惨な死に会わなければならない意味を、肉片を集めな がら氷ついた頭の中で考えていた。
(『病気と自己実現』より)
 

 
河野:  僕ら明石の教会と六甲の教会の両方に行っていましたから、両方の牧師が来てく れた。
 
黒田:  弔問に、ですね。
 
河野:  その時に、持って来てくれた聖句(せいく)は、もう非常に、それこそびっくりするような 聖句で、
 
神のなされることは 皆その時にかなって美しい
と。
 
黒田:  「神のなされることは 皆その時にかなって美しい」。それは?
 
河野:  「神のなされることは 皆その時にかなって美しい」と、『伝道の書』にあるんで す。
 
黒田:  『伝道の書』の三章十一節ですね。
 
河野:  そうです。
 
黒田:  「神のなされることは 皆その時にかなって美しい」
 
と、続くんですけど。
 
河野:  その二人の牧師先生が、両方とも、その聖句を持って来てくれた。なんでこんな 聖句を持って来てくれるのか、分からなくて、その時、腹が立った、と思います よ、多分。拒否した、と思いますよ。
 
黒田:  拒否?
 
河野:  この聖句を受け入れるということが出来なかった、と思う。
 
黒田:  受け入れられないですよね。
 
河野:  死んでから、ずうっと、「何で、何で」というのがありましたからね。「何で神様 は、一年八ヶ月位の、それこそ何の罪もない子供をすぐ死なさねばいけないのか」 と。これは、子供の罪よりも、私自体の問題だ、と思って。最初は欝になって、 それから、自分のことを知りたいために、心の問題のシンポジュームとか、そう いう会があると、そこに出掛けて行って、矢鱈と喧嘩のような形で、こっちから いろんなことを質問したり、「お前、こうやろう」とかと。要するに、自分を知る ために、道場破りのようなことをやったんです。
 
黒田:  議論を吹っ掛けたわけですね。
 
河野:  そうそう。そういうことをしても、ちっとも変わらないんですよね。
 
黒田:  変わらないというのは、どういうことですか。
 
河野:  平安が来ないんです。そのことをやっても、自分の中の影の部分と言いますか、 それが見えてこなかったんです。その時に、樋口先生にお会いしたんです。
 
黒田:  同志社の心理学の先生ですね。
 
河野:  はい。会があって、出て行って、そこで出会った。この先生に、師事することが 大事だなあと、そんなふうに直感したんです。
 
 
ナレーター: 聖書の言葉では、心の平安を得られなかった河野さんは、ユ ング派の心理学者樋口和彦(ひぐちかずひこ)さんのもとに通います。娘の死の意 味を知るために、心の奥底を見詰める分析は、十年にも及びま した。ユングは、人間には無意識の中に押さえ込んだもう一つ の人格があると考えました。それが、影と呼ばれる人間の悪の 側面です。無意識の顕れである夢を分析することで、河野さん は自分の心の中にも、悪や罪をなす一面があることに気付かさ れるようになりました。
 

 
黒田:  十年も心理を追求されたんですか。ご自分の、ですか?
 
河野:  はい。自分自身の問題ですね。まず最初は、「子供の死は、私と関わりがあるか」 ということ。というのは、私の中の影の部分が、罪と関係ある、ということが、 だんだん夢分析をやっているうちに分かってきたんです。
 
黒田:  心理学の夢分析ですね。
 
河野:  はい。私の子供を、馬に乗って撫で斬りにするような夢を見たりするんですね。 分析を受けるために、夢を朝方取るんです。
 
黒田:  どんな夢を見たか付けるんですね。
 
河野:  それは、どれもこれもドロドロした夢ばっかりですよ。こんなに自分の中の心の 中が汚かったか、と思った。いわゆる、罪でいっぱいですね。
 
黒田:  ご自分を責めていらっしゃるから、そういう夢を見たんではないんですか?
 
河野:  いやいや。そうじゃないと思うな。夢の中の私を見ると、子供が何を言っても、 受け入れない。拒否するというか、「黙っておけ」というような調子で。だから、 子供は単なる付属品みたいなレベルじゃなかったか、と思います。
 

 
ナレーター: 河野さんは、分析が深まるとともに、自分と子供との関係は、医師としての自 分と、患者との関係でもあると感じるようになりました。
 
私の前では、もはや患者は人格をもった人間ではなかった。
患者の身体自体にメスを当て科学的にきっぱりと切る。
私は科学的に論理的になることによって、患者の感情を否定するととも に、自分自身の患者に対する同情や苦しみを引きうけようとする心の動 きをもできるだけ無視し、否定していたのであった。
しかし、予期しない突然の子供の死は、今まで否定し抑圧して動きを失 い心の片隅へ片隅へと逃げていた感情をとらえてしまった。「私の子供は 何故死ななければならなかったのか」。それを考え苦しんでいるうちに 「私が手術したガン患者は何故死ななくてはならなかったのか」。そし て、「死ななければならない患者が、どうして私の診療を受けなければな らなかったのか」という思いが次々に湧き起こってきた。
初めて、死んでいった患者のことを想い出したのである。
(『病気と自己実現』より)
 

 
河野:  深層心理をやればやるほど、その辺が深くなってきて、それは苦しみなんです。 苦しめば苦しむほど、それはやっぱり神様の恵みだったのかも知れませんね。今 でも覚えていますけど、京都の樋口先生の家で分析を受けて、帰りに、お宮様の 境内を通って帰って行く時に、畑の細道を通って来たら─樋口先生はあまり何も 言えませんよ。言わないけども─夢の中の私のやってきたことを、ずうっと考え ていくにつれて、「おれはなんと傲慢で、自分中心に生きてきた人間だな」という ことが、だんだん分かってきた。「それで、神様は、一番大事な子供を取ってしま った」と。「それは自分の罪のせいだ」ということが分かってきた。子供の死とい うのは、単なる子供の死じゃなくて、子供の死を通して、「お前自体が、自分の死 をほんとに見つめなければ駄目じゃないか」と言われたように思うんです。それ から今まで、患者の見方が変わってくるようになったんです。今まで手術するで しょう。そして、ガンが再発していきますね。
 
黒田:  患者さんがね。
 
河野:  ガンの再発は医学的には当然だと思うし、まあ再発して、あと死んで逝くことは 当然だと思う。それで、患者の苦しみとか、訴えとか、家族の悲しみとかは、あ まり今まで受けることがなくて、拒否していたんですね。
 
黒田:  治療者の立場で。
 
河野:  客観的に見ているだけ。ところがそうじゃなくて、子供が死んで初めて、「ああ、 患者はこんなに苦しんでいたんだ。家族はこんなに悲しんでいたんだ」と、少し 変わってきたんです。
 
 
ナレーター: 一九六八年に開業。娘の死によって、「死に逝く患者とどう向 き合うか」が、河野さんのテーマとなっていました。手術だけ でなく、ガンが進行した患者を支える往診も始めたのです。ま だ、「ホスピス(hospice)」という言葉すら知られていなかっ た時代、スタートは手探りでした。開業して間もなく、河野さ んは再び医師としての未熟さを突き付けられる体験をします。 尊敬する牧師の胃ガンを手術した時のことです。
 
三十六年前の出来事である。N牧師が胃の不調を訴え、胃のスキルスで あることが判明し、手術をしなくてはならないと思った。
教区長が牧師にガンであることを告げ、私が手術することを納得された。 奥さんは抑うつが強い人だから本人に先に話し、奥さんには告げないこ とにした。
私は絶対に助ける必要があるという使命を感じていた。
しかし、手術は失敗に終わった。
奥さんに牧師のガンについて十分な説明をしなかったことが最大の問題 になった。牧師が死なれ、教会葬のときも出席を拒否され、病気の説明 さえ出来なかった。今でいうインフォームド・コンセント(説明と承認) を家族に十分しておけばよかったのであろうが、その時にはそれができ なかった。
「お前にまかせるよ」といってくださったN牧師の気持を考えると、苦 悩が倍加する。
(『幸福な最期』より)
 

 
河野:  結局、奥様にちゃんと言わなかったことが、後で、奥さんとの間の和解がなかな か得られなかった。だから、家族のケアが足らなかったんです。今から三十何年 前でしょう。そういうのはまだはっきりしない時ですね。これではいかん、と思 った。だから、これは、ただ単に、僕一人の問題ではなくて、組織的に、末期胃 ガンの人に対して、「どういうふうにターミナルケア(terminal care)をやって いったらいいか。
 
黒田:  ターミナルケアとは終末期医療ですね。治すということではなくて、
 
河野:  そうそう。死をどうケアするか。私はその頃、死んで逝く人をどんなふうにケア していくか。どういうふうにサポートしていくか、ということが、私の問題とし て出てきたんです。自分の子供を亡くしたということと、それから、自分の尊敬 する牧師を、自分の手で手術して亡くした。このことをよりよく見ていくために は、みんなで、特に、終末期医療をどうケアやっていくか。みんなで勉強してい くことが、非常に大事なことだ、当然なことだ、と思われたんです。それで呼び かけたんです。
 
黒田:  使命感ではなくて、心からの欲求だったわけですか。
 
河野:  そうですね。だから、今、ここに苦しんでいるから、医者としてこうすべきだ、 というんじゃなくて、自分の中に、子供の死を通して、患者の死というのは、自 分の死と繋がるということが分かってきていましたから、そのことをしていくの が当然だ、と常に思ってきた。だから、「べき」ではなかったんです。
 

 
ナレーター: 一九七七年、河野さんは、医療者や心理学者に呼びかけて、「死の臨床研究会」 を立ち上げました。治すことばかりに重点が置かれ、死に直面する患者や家族を 支えてこなかった医療に、新しい分野を拓く取り組みでした。 一方、毎日の診察で出会う患者のために、「いずみの会」を設 立。患者同士が、互いに病気の苦しみや不安を語り合うことで、 心を癒し、病気に立ち向かう力を引き出そうというものでした。 河野さんは、日々の臨床の体験を通して、日本の終末期医療の 先導役となっていきました。その実践は、最愛の娘や自ら執刀 した恩師の死という試練によって深められた死に逝く者への思 いが生み出したものでした。五十代となった河野さんは、医師 としての自分を、さらに試される体験をします。寝る間を惜しんで、患者の往診 を続けるうちに、風邪を拗(こじ)らせて、喘息(ぜんそく)となったのです。「喘息の苦しみなしに、 その後の自分はあり得ない」と、河野さんは言います。毎朝の散歩は、その時以 来の習慣です。

 
河野:  喘息でね。喘息はこう歩いた方が楽なんです。呼吸が一つ整っ てくるでしょう。走るわけじゃないし。
 

 
わたしは、医者の不養生と言われるくらいの多忙さの中で、閉塞性の気 管支疾患にかかり、苦しい闘病生活をせざるを得なくなった。それまで は、なぜこんなに元気なんだろうかと自分でも驚くほど、自ら全能者の ごとく患者を治療し、患者が医者に対して抱く魔術師や全能者という投 影に応えてきた。そして自分の中の「傷ついた治療者」を否定し続けて きた。そして、自分がキリスト者の医師であると思えば思うほど、他の 医者よりは多くの愛をもち、患者を深く愛していると考えるようになり、 知らぬ間に患者にも愛を強要していたことに気づかなかったのである。 そして患者に自分の愛が受け入れられない時には、理論的になり、狂暴 になり、自分の無意識の中の悪の力を総動員して、患者に襲いかかるこ ともした。
自分の弱さを少しも認めようとはせず、倒れるまで治療者という力を捨 てようとはしなかったのである。
(『病気と自己実現』より)
 

 
黒田:  ほんとに患者さん本位のお仕事を続けられている中で、ご自分も喘息という病に なられた。
 
河野:  それは、それこそ神様の試練や、と思うんですけど。
 
黒田:  試練?
 
河野:  僕は、やはり患者中心の医療なんて言いながら、やっぱり自分中心、医療者中心 ということを、やっぱり上下関係があまり変わっていなかったんじゃないか、と 思うんです。喘息があるということで、必ず自分に限界があることが分かります ね。無理をすると、すぐ喘息です。だから、患者を診ていると、必ず後、喘息を 起こす。三回救急車で運ばれた。
 
黒田:  入院された?
 
河野:  患者を看とるたびに、人間は弱いなあ、と。だから、サポート出来るんだ、とい うことが、看ているたびに感じさせられるわけです。今までは、ただ俺は治して やったんだとか、看とってやったんだ、というのではなくて、必ず後で、自分が 喘息発作を起こす。それがこれでしょうね。
 
黒田:  「これ」と言いますと?
 
河野:  そこで、今後ならないように、「私に一つのとげを与えられた」。
 
黒田:  「コリント人への第二の手紙」の十二章七節の、
 
そこで、高慢にならないように、私の肉体に一つのとげが与えられた
 
河野:  はい。この苦しみが続けば続くほど、この箇所が自分の中に入ってくるんですよ。
 
黒田:  パウロの場合には、
 
その病を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。ところが、 主は、「わたしの恵みはあなたにじゅうぶんである。私の力は弱いところ に完全にあらわれる」。それだから、キリストの力は私に宿るようにむし ろ喜んで自分の弱さを誇ろう
(「コリント人への第二の手紙」十二章八、九節)
 
という句ですね。
 
河野:  はい。この箇所がその後からずうっと、この聖句が、私の生きる言葉になってい ったんです。だから、発作が起こるたびに、この箇所を心に何遍も唱える。それ が私の一つの祈りでしょうね。僕は苦しんでいる時にこそ、自分の内が見れるし、 苦しんでいる時にこそ、自分の罪の問題とか、自分がやっていることをもう一度 見直すという、見直しがきくのであって、必ずそこには、自分の弱さというのに 気付く。だから、傲慢にならないために、神が人間に与えている一つの、それこ そサタンの使いというか、そういうように受け取っていくと分かる、と思います。
 

 
医師が、患者の苦痛の外にあるとき、医師は患者とともに生きることを 拒否しているのだということをわたしは長い間理解できなかった。
しかし、不思議なことに、自分が病気になることによって病人の気持が 少しでも共感できるようになった。苦しんでいる病人のそばに、少しで も居れるようになったのである。しかし、それは、自分自身も病気の苦 しみに耐えなければならないという体験を通してである。
もう不必要な強がりは止めようと思う。患者と同じように、病気に苦し み悩む人間であることをはっきりと知らせよう。弱さを誇りにしよう。 弱いから人間は強くなれるのだということを、患者と一緒に思うように しようと思った。
(『病気と自己実現』より)
 

 
ナレーター: 人間の心と身体を癒す技としての医療とは何か。自らもガン患者となった河野 さんは、医師と患者が、同じ苦しみを分け合う中で互いに癒されていくことに気 付くようになりました。
 

 
河野:  いまなんか、調子は悪いことありますか。
 
高出: やっぱりありますね。たまにしんどい時もあるし、
 
河野:  そんなときは不安なる?
高出: 多少あることはありますね。まあ長く続かないので、そのうち 忘れますけども、
 

 
 
ナレーター: 高出昌洋(たかでまさひろ)さんは、二十年前に胃ガンの手術を受けて以来、ず うっとこの医院に通っています。
 

 
河野:  痕が消えたの。
 
高出: 大分消えましたけどね。長いことここに残っていま したね。ここからストーンと、
 
河野:  大分大きいわ。
 
高出: ミミズが這ったみたいに。
 
河野:  ガスかなあ。あんたガスが多いなあ。
 
高出: そうですか。
 
河野 どないやった、手術の後は?
 
高出: もう大分忘れましたけどね。それでも縫った後は、かなり長い間痛かったと思い ますね。
 
河野:  まさかこんなふうに、症状が出てくるとか思わなかったし。思 いながらも、患者さん診るし。患者さんがきつい患者さんが来 れば来るほど、こっちも鬱になっていくやろう。
 
高出: 多分に精神的な面がありますね。
 
河野:  うちも弱くなってきたね。
 
高出: 先生もやってまだ二年ぐらいですからね。
 
河野:  一年ちょっとだが、
 
高出: まだまだですよね。
 
河野:  どの位で少し気力出てきた?
 
高出: やぱっり三年、四年かかったような気がしますね。体力が回復しないと、気力は ついていかないし。体力と言っても、なかなか、今でもそうですけど、そんなに 前みたいにもどるわけじゃないですよね。そうしたら、無理したら疲れると。こ れハッキリしていますよね。やっぱり今から考えたら、兎に角、無理をしない。
 
河野:  ゆっくりしようかなと思っているんだけど。寒いとお腹が痛うなるし。やっぱり この痛みとか、症状は気になるね。
 
高出: なりますね。先生は腹巻きされているんですか?
 
河野:  腹巻きずうっとしていたんだけど、したらまたそれが負担になるね。
 
高出: 私もずうっと手術以来、夏でも腹巻きしていますけど。
 
河野:  今でも・・・へえー。
 
高出: 無いと落ち着かないような感じがして。どんな暑い時でも必ずしています。
 
河野:  へえー。僕も続けようかなあ。痛いのがどうも気になってね。
 

 
河野:  医の元型というのは、どうしても治らない病を自分の中に持っている。医の神様 は、自分の中にどうしても治らない病をみなそれぞれ持っていますよね。それで こそ、患者の苦しみとかが分かるわけです。私自身も、自分がガンで、というこ とは、そういうものの元型に近づけるんじゃないか、と思っていますね。傷付い た医師としてね。だから、たとえ肉体的に、もしガンが良くなったにしても、心 のガンというのは、ずうっと残っていって、傷付いた医師としてやっていきたい と思うわけです。
 
黒田:  完全に取り去られない方が、かえって医師としてはいいということですか?
 
河野:  そうです。むしろ肉体的なガンは良くなっても、心のガンというのは、そう簡 単に終わるものじゃないし、傷もそう簡単に癒されるものではない。自分の中に、 そういう癒されない病を常に持っていることに気付く。傷付いた医者の元型を、 自分がその立場にある、ということが大事だ。今からずうっと、その立場でやっ ていかなくちゃいけないだろう、と思うわけです。
 
黒田:  最初に、「神のなされることは、皆その時にかなって美しい」という、お嬢さんが 亡くなった時に与えられた言葉は?
 
河野:  そこだけが目に入ってですね。あまりにも酷かったんです。
 
黒田:  きつい言葉ですよね。
 
河野:  肝心な、
 
天が下のすべてのことには季節があり すべてのわざに時がある
 
と。ここが見えなかったんです。
 
黒田:  『伝道の書』の三章の一節に、
 
天が下すべてのことには季節があり すべてのわざに時がある。
 
河野:  生まるる時があり 死ぬる時があり 植えるに時があり 植えたるものを抜 くに時があり 殺すに時があり いやすに時がある。
(『伝道の書』三章一〜三節)
 
この辺が漸く分かってきたんです。「いつも神様は、私に時を与えてくれたん だ」。その「時」というのに、気が付かなかったわけです。これは、ただ「単なる 時」でなくて、いわゆる「時空を超えた時」ですね。
 
黒田:  時空を超えた時?
 
河野:  「癒す時」とか、「癒される時」とか、「死ぬ時」とか。「この時は、ある時がこ ないと、そうならない」のであって、「何時何分に死ぬという、その時じゃない」 わけです。
 
黒田:  それではないんですか?
 
河野:  それではない。だから、そういう時を、「神様は、私に癒される時がある」という ことを、「時を知らせている」のに、それに気付かなかったということです。あま りにも、「神のなされることは、皆その時にかなって美しい」と。子供を亡くして、 悲しみの時に、何が美しいんだ、と思って。ここだけが目に入って、最初の一節 の、
 
天が下のすべてのことに季節があり すべてのわざに時がある
(『伝道の書』三章一節)
 
と。これが目に付かなかったわけです。
 
黒田:  それは、例えば、お嬢さんが事故で奪われたのは、時と、どう関わってくるんで すか。
 
河野:  それは、私の中の罪の問題と、子供の死というのは、一つの、神様はそういう時 を与えて、私がそれに気付かなければいけない時にいるんでしょうね。だから、 否応なしに、「子供を奪われたことで、自分の内的な世界に目を向けなければいけ ない。そういう時が与えられた」ということですね。
 
黒田:  今回のガンは、神のなされる時としては、どういう時だったというふうに、今思 っていらっしゃいますか。
 
河野:  そうですね。あまりにも、私は今までやってきたこと事態が、人のためと、患者 のためと思ってやっていた、と思っていたんですけど、実際は患者中心じゃなく て、自分中心の医療をやっていた、と。そういうことが、「いよいよ最終的な時が きた」と。
 
黒田:  気付かされる時が?
 
河野:  私は傷付いた医師という、治療者ということは、非常に自分の中で大事だと思い ながら、喘息した時も、自分は傷付いた医師として、患者を理解出来ると思った んですけど、なかなか自分の苦しみの方が先になって、患者の苦しみが後になる。 そういうことがずうっとあったんじゃないでしょうかね。ほんと申しますと、今 度、ガンになるまでは、「神様が私になんかそういう道を敷いて下さっている」と 思わなかったですよ。ガンになって初めて、子供の死からガン患者のためのWH Oの仕事とか、いろんなことで学会作ったりした。「開業医でありながら、そんな ことをよくやるな」と言われるんですけど、決して、それ一つ一つが苦しいこと とは思っていませんね。神様は、ずうっと私にそういう道を敷いていてくれてい て、そこを歩いて来たような感じですね。後、どうなるか分かりませんけれども。 多分、後、自分の思いをいくら頑張ってこうなろうといっても、なかなかそうい かないですね。後は神様のなさるようになっていかんとしようがない、と思って います。多分、そうなるでしょう。
 

 
黒田:  河野さんが、今、願っているのは、震災で中断したままの「完成期医療福祉セン ター」の実現と、全国的な「ガン患者の会」の発足です。誰にでも訪れる死を前 にした時間を、一生を意味付ける完成の時と考え、共に支え合いたい、と思って いるのです。
 
 
     これは、平成十三年七月一日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。