瓦礫(がれき)の中から言葉を 
 
                作家・元共同通信外信部次長 辺 見(へんみ) 庸(よう)
一九四四年、宮城県石巻市生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。共同通信社に入社し、外信部のエース記者として、北京、モスクワ、ハノイ特派員などを務め、北京特派員時代の一九七九年には『近代化を進める中国に関する報道』により新聞協会賞を受賞。一九八七年、二度目となる北京特派員を務めた際、胡耀邦総書記辞任に関連した中国共産党の機密文書をスクープし、中国当局から国外退去処分を受けた。外信部次長を務めていた一九九一年、職場での経験に着想を得た小説『自動起床装置』を発表、芥川賞を受賞した。また一九九四年には、社会の最底辺の貧困にあえぐ人たちや、原発事故で放射能汚染された村に留まる人たちなど、極限の「生」における「食」を扱った『もの食う人びと』で、講談社ノンフィクション賞を受賞。この作品は、小中学生向けに教育マンガ化され、学校図書館にも配架されている。一九九五年、地下鉄サリン事件に遭遇。一九九六年に共同通信社を退社、本格的な執筆活動に入った。近年は「右傾化に対する抵抗」などをテーマに活発な論陣を張っている。二○○四年には講演中に脳出血で倒れ、二○○五年には大腸癌にも冒されたことを公表したが、二○○六年に『自分自身への審問』を復帰作として上梓するなど、精力的な執筆活動を続けている。二○一一年、詩集『生首』で中原中也賞受賞。
 
ナレーター:  太平洋に注ぐ北上川の河口に開けた街、宮城県石巻市は作家辺見庸さんの故郷です。黒潮と親潮が交わる世界有数の漁場で知られた故郷。その大地が揺れ、津波に飲まれたのは、三月十一日のことでした。
 

 
(三月二十六日、この日、被災地からの電話でホスピスにいる母と地震後初めて話す)
 
辺見:  もしもし、揺れるから心配だろうけど、大丈夫だから、余震だからね。あんまりテレビなんか見ないで。テレビ見ていると聞いたけどさ、テレビなんか見ないで。なんか好きな音楽でも聞いた方がいいって・・・そうそうそう・・・大丈夫、ちゃんと犬いるから・・・頑張って、さっちゃんによろしくね。どうも有り難う。電話有り難う。声聞けて安心したよ。有り難う、有り難う。
 

ナレーター:  通信社の特派員として、中国、ベトナムを巡り活躍した辺見さんは、一九九一年、小説『自動起床装置』で芥川賞を受賞。以後チェルノブイリ原発汚染地帯など、世界各地に取材し、極限状況の人間を見つめた『もの食う人びと』など、数多くの作品を発表してきました。脳出血による半身麻痺、癌の発病と闘いながら、今も筆を執り続けています。
 

 
辺見:  石巻のことを、この震災の前に、僕は直接的にはあまり触れていないんだね。今度ね、それは恥ずかしいけれども、ビックリするくらい、ある種の衝撃として気付かされたんです。自分の表現を支えてきた土台に、魚臭い街があったのか、ということを思い知らされたわけです。堤防があって、そこに行って、時には妹と、あるいは近所の子どもと一緒に、あるいは犬と一緒に行って、海岸で遊ばない日はなかった。いつも耳鳴りのような、幻聴のような潮騒と海鳴りを不思議に思ってきた。いつも謎めいていた。僕にとっては、あの荒れ狂った海が、世界への入口だったし、ずっと授業中に校舎の窓からも海が見えた。いつか海の向こうに行くんだというふうに、自分で決めていた。中国とベトナムの戦場を見た。ボスニアの紛争を見た。ソマリアの内戦も見た。飢えて死んで逝く人たちも見てきた。私はいつもそこで自分はコスモポリタン(cosmopolitan:一国に定住せず、さすらい歩く人)みたいなものだ。根無し草だというふうに思っていた。僕にはルーツがないんだと思っていた。記憶の根拠になるものは、ほんとはないんだ、というふうに思ってきたけれども、今度という今度は、ほんとに思い知らされた。慌てている。自分には立つ瀬がないとさえ思えるようになっているわけです。二○一一年三月十一日の午後に、いったい何が起きたのか。僕らはまだ三・一一(三月十一日)から、それほど時間が経過していないんで、正直茫然自失(ぼうぜんじしつ)しているというふうに思うんです。茫然自失している理由は、その破壊の大きさと、あのダイナミズムを表す言葉を誰ももっていなかったことだというふうに思うんです。それを言い表す言葉が数字以外にないということは、こんな寂しいことはない。みなさんが待ち望んでいるのは、水であり、食料であり、願望かも知れない。と同時に、胸の底に届く言葉でもあるような気がしているわけです。それは決して、通り一遍の「頑張れ」とか、あるいは「復興」とか、「団結」とかを、スローガン的にいうことではない。私が死ぬまでの間に、精々出来ること、それはこの度の出来事を、しっかりと深く考えて、考え抜いて、そして創造して、それらを言葉として打ち立てて、その打ち立てた言葉を、未完成であれ、死者たち、それから今失意の底に沈んでいる人々に、僕自身の痛みというのかな、痛みの念とともに届ける。それが私に残された使命なのではないか、というふうに思うんです。
 

 
ナレーター:  辺見さんが紡ぎ出す言葉は、詩の世界に広がっています。二○一○年に発表した最初の詩集『生首(なまくび)』。大震災の一ヶ月前に中原中也賞を受賞しました。そこには故郷石巻で、幼い頃から肌で感じ取っていたある予感が刻まれています。
「入江」
 
入江はガーネット色によどんでいた
疲れた血の色だった
父を誘ったときには
半透明の胆礬(たんばん)色だったのに
いかにもあつらえたみたいな
青空の色だったから
かえって怪しかったのだ
ぼくは葦の原にもぐった
うずくまって身を隠した
入江にはなにもなかった
太陽に暈(かさ)がかかった
鼓膜がどうにかなったと錯覚するほど
音が死んでいた
入江がゆっくりと兆(きざ)していた
葦は影絵だった
入江は孕(はら)んでいた
入江は疲れを孕んでいた
入江は疲労であった
疲れの底に、
ふとどきな気配もあった
だが、だめかもしれなかった
もうだめかもしれなかった
それでも油断はできなかった
ぼくは葦にひそみ
葦と葦の間から
入江を見つづけた
入江の中央に
銀色の水柱がそばだつのを
ざわっと聳(そび)えるのを
じっと待ちつづけた
 

 
辺見:  あの入江は、いつも何かを兆していたわけね。いつも何かを孕んでいたわけ。それは優しさでもあったけれども、殺意のようなものでもあった。とてつもない静的なものであると同時に、とてつもなく清いものでもあった。血のように赤くなる時もあった。どこからくるのか赤錆のようなものがわいてくる時もあったし、そこに僕がしゃがんでいるのがとっても好きだった。そこで私が感じていたのは、何かとんでもないことが、いつか起きるんではないか、というふうな脅えとおそれなんです。「おそれ」というのは、文字で書くとしたら、恐怖の字ではなくて、「畏怖(いふ)」の「畏(い)」の「おそれ」なんです。畏怖なんです。それは単に怖がることではない。もっと畏れかしこまる。もっと尊厳なもの。我々が太刀打ちできないもの、あるいは太刀打ちしてはいけないようなもの、このようなものを感じてきたわけです。甚大な被害を受けた石巻及び三陸の沿岸都市。今常に暗い気配、兆しというものが孕んでいたし見せていたに違いないというふうに思うんです。決して水の仕業とは思えないんだ、津波が。もっと金属的な、酷く重いものが一気に押し付けてくる。違うんだ、今度のは。突進してくるんだ。だから鉄とかコンクリートとか、そういうどでかいものが爆撃受けたみたいに破断するというのかね、そうしたら容易に想像つくと思うんだよ。人間の身体はどうなるのか。もう一発でねじ切れてしまうわけだ。それは僕の友人は、そういう大袈裟な酷い言葉を言わない人間だけれども、「地獄だ!」と言ったよ。
 

 
ナレーター:  障害を抱え、被害地に身を投ずることができない辺見さんが、故郷の今を知る窓としてきたのは、友人が撮影し送ってくる現地の写真です。
 

 
辺見:  僕は、ほとんどは石巻出身の僕の高校の後輩がベタで送ってきた映像で見ているわけね。テレビの映像はいつの間にか、凄いんだけれども、事態が棄却されている。私が見ている映像と違うんです。例えば車が何台も折り重なって、中に人がいるまま黒こげになって、私のいた小学校が焼け爛(ただ)れている。その絶大な風景を表す言葉がない。ただ慟哭(どうこく)するしかない。ただ泣き叫ぶしかない。実は三・一一の事柄の経験したこともない巨大さから、私の眼から見れば、いろいろな危ない事象が今芽を出し始めているんではないか、というふうに思っているんです。それは一つは、今回の物事を宗教的な予言のように、あるいは誰かが言ったかも知れないんですけれども、「天罰がきた」とかという形で、今度の我々の経験というものを改修していく。こういう思考のプロセスは、きわめて危険だ、というふうに、私は断言したいというふうに思うんです。そうではない。これは天罰では断じてあり得ない、というふうに、私は考えています。私が思い付いたのは、新約聖書の最後に配置された「ヨハネの黙示録」第六章で出てくる
 
神と子羊の怒りの大いなる日が来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか
 
という、怒りの大いなる日がきたからである。人間の王国が滅びて、神の完全な支配が実現していく過程の中で表現された、いわばキリスト教的な黙示文学ですね。先人たちがもったイメージの手掛かりとして、このことを私は想起したわけです。イメージすることは、別に罪ではないし、悪いことではない。ただこれに拝跪(はいき)していく。跪(ひざまづ)いてしまうのは、私は違うのではないか、というふうに思っているんです。そこからは、立ち上がる術はない。人としての希望があり得ない。三・一一は、我々に根源的な認識論上の修正を迫っている、というふうに、僕は今感じているわけです。世界認識上、あるいは宇宙認識上、僕たちにあの未曾有の出来事は改変を迫っている。物事には、あるいは世界の事象には、
 
一、あり得ないこと(the impossible)
二、あるかも知れないこと(the provable)
三、避けられないこと(the inevitable)
 
この三つに大別できるのではないか、というふうに、長じて私は自然に思うようになっていた、と思うんです。で、差し当たり私が考えているのは、一番目は、impossibleはこういうふうに修正しなければいけないというふうに思っているんです。一番目は、impossibleは、あり得ないことはあり得ない。かつてあり得ないとされたことはあり得ない、ということです。つまりすべての可能性は、可能性の二と三の方に収斂されていくであろう、という認識論上の修正であります。つまり起こり得る(provable)か、あるいは避けられない(inevitable)であろう、というふうに、私は修正せざるを得ない、というふうに思うんです。あの光景とは、尺度を変えて考えて見れば、宇宙的な規模で考えてみるとしたら、喩えに語弊があるかも知れないけれども、それを恐れずにいうとすれば、「宇宙の一瞬のくしゃみ」のようなことかも知れない。かつて地震というものは、最大級でもこの程度までしかなかった。従ってそれ以上は想定しないで済む、というのは、データ史からきた私は不遜な行為ではないか、と思うんです。それは著しく反省しなければいけない。大自然はそんなものではない。宇宙の一瞬のくしゃみが、人間社会、人類社会の破滅に繋がるんだということを、我々は考えなければいかん。そうしたら、核というものを持ち得る発電というものが、本当に根源的に安全かどうか。それは宇宙の摂理というものに照らせば、どうなのか、ということを、もっと謙虚に考えるきっかけになるのではないか、というふうに、私は思うんです。私たちのいのちというものが、何て短いんだろう。何て予定されていないのであろう、ということに打ちのめされたわけです。そしてその小さないのちというものが、そしてかくも短いいのちというものが、簡単に物化されていくことと、そして宇宙の悠久のいのちというものが、実は重なり合っている。短い人間の人のいのちというものと、宇宙の悠久のいのちというものが交差し、重なり合い、肌と肌と合わせていること、その恐怖と狡猾を、放逸のようなものと畏怖の面の両方を、今度私は自覚したわけです。もう一つ見たこともない荒(あら)ぶる風景というのを見て、私が思い付いたのは、アドルノ(ユダヤ系ドイツ哲学者)が言った言葉なんです。
 
アウシュビッツ以後 詩を書くことは野蛮である
(アドルノ「文化批評と社会」より)
 
ユダヤ人たちは、信じがたいほどの殺戮という苦難に遭いながら、アドルノが語ったのは、「詩を書くことは野蛮である」これはどういう意味なのか、というのを、私は前からこのアドルノの『文化批評と社会』という本を読んでおりましたけれども、僕はわかっていなかった、というふうに思うんです。今考えているわけです。今三・一一の途方もない風景を見ながら思っているわけです。我々のコミュニティ(community:共同社会、地域社会)やソサイエティー(society:社会)がもっている文化でしょうか、言語を含む文化というものを、アウシュビッツを前提しないで、それによってその苦難というものを、その残虐というものを、その殺戮というものを通さないで見た場合、それを平気で美しい詩を書くことができるのか。世界がここまできてしまったのに、尚かつ美しい詩を書くのか。ただ美しい詩を書くのか。つまり私たちのこの一大悲劇を表す文化というのは、三・一一以前にあった文化と、これからも同じであっていいのだろうか、というふうな設問なんです。それは「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」という警句にどこかで導かれている気が私はするわけです。
 
ナレーター:  三・一一以後、震災は今も続いています。辺見さんは、かつて危機に瀕した人間たちが、その奥底で何を見出し、何を語ってきたのか、考えてきました。一つの手掛かりは、アルジェリヤ生まれの作家・アルベール・カミュの小説「ペスト」です。伝染病に襲われ封鎖隔離された死の街を舞台に、逃げ場を失った市民や格闘する医師の姿が描かれています。
 

 
辺見:  神が考えたペストの世界、オランという街の出来事は、こういう場面に立ち至った時に考える叩き台にはなるであろうというふうに、私は思うんです。ペストで何十人、何百人が死んでいく中で、主人公の医者のベルナール・リゥー、彼はこの破綻に瀕した状態の中で、どうあるべきか、ということを問うた時に、あきれるほど単純なことをいうわけです。ベルナール・リゥーはこういったわけです。
 
人は人に対して誠実であること。これが大事なんだ。
 
このあらゆるレトリック(rhetoric:修辞)というものを削ぎ落とした「誠実」という一語を、私は若い時にちょっとバカにしていました。私の胸には届いていなかった。けれども、今やっとわかったような気がするわけです。リゥーの言っていることは、こうなんです。「人は人にひたすら誠実であることの掛け替えのなさ」というのは、混乱の極みであるがゆえに、それに乗じるのではなくて、「他者に対して、いつもより優しく、それから誠実であること」。愛とか、あるいは誠実という。今までそれまでの安寧(あんねい)の中で、ある種の悠々として、我々は演ずることができたことが、果たして可能なのか。家もない、食料もない。ただ震えるだけの被災者の群れ、そして貧しい人たちと弱い人たちに、今私たちがもっている自らのものを分け与えて、ともに生きることができるのか。それぞれの職業にある人、あるいは今職業にない人も、またそれぞれの位置で、やるべき事柄を、やるべき仕事を誠実に追求できるのか。私たちが負わなければいけないものを、私たちが担わなければいけないもの、それは人の苦しみなんです。個人の苦しみなんです。私たちが問われているのは、国でもなければ、民族でもない。今真価が問われているのは、明らかに疑いもなく個人なんです。個なんです。かつての大震災の時も、以後もそうでした。そして戦争から立ち上がってくる以前もそうでした。「国難」という言葉が必ず登場する。国家存亡の時、大和魂、日本人としての精神、日本人としての団結。何故他民族はあってはいけないのか。たくさん外国人も亡くなっているんではないか、というふうに私は思うんです。神は、結局人間は禍を制止し得ないであろう。人は一度起きた悲劇を忘れるであろう。ペストはまたどこかで起き上がってくるであろう、というふうなことを示唆して、『ペスト』という小説は閉じていくわけですけれども、私はそういう予感を思いつつも、でも救いは、例外的な個人にある、というふうに思う。常に個人は例外的でありますけれども、例外的な個人が悪魔しか見ていない破局の中で、誠実ということを実践していく。この壊された街、壊された大地、そしてあれだけ荒れ狂った海は、また時がくれば、カミュの『ペスト』でも同じように平らかになる。無かったことのように、海は青くなり、海は凪、大地は静まり、草が生えてくる。新しいいのちがたくさん出てくる。それでも私は痛み続けなければいけない、と思っているわけです。そして何よりも、私は私に課さなければいけないのは、もっともっと考えなければいけない。そして考えたことを、少しずつ言葉にしていかなければいけない、というふうに、私は思っています。放射線がかなり高いレベルのあるところに留まって患者を診ている医者、どうあってもそこを動かないでやる、というふうな医者。あれだよ。あれベルナール・リゥーだよ。あれが「誠実さ」というもんだよ。あれが「救い」なんだよ。原発の放射能の前に置いていかれて、老人ホームの人たちが死んでいた。これだけの数字が出てくると、そのようなほんとに哀切極まる死というものは軽く考えられてしまう。で、八十、九十の人だから、もういいだろう、というふうなこと。そうではないんだよ。俺は思うんだよ。今生まれてきた人、これから生まれてくる子たち、それから自分の母親を含め、ホスピスから電話があったんだけど、死ななければいかん、と思っているわけね。死ななければいかん、と。そういう人たちをこそやっぱり励ました方がいいんだよ。そういう人たちでも生きるべきなんだよ。助けてあげなければいけないんだよ。「若いから、この人は有能だから、この人は社会に役に立つから、だから生きてもらう」ということであっては、「絶対違う!」。この人は社会に何にも役にも立たない。放っておいたって死ぬんなら、そういう人たちは生きてもらった方がいいんだよ。少なくともそういう精神を我々はもたなければ、人ではないよ。
 

 
ナレーター:           辺見 庸新作詩
「どれかひとつだけ教えてほしい」四月十八日脱稿
 
わたしはまだ立っている
潜望鏡のように
三月の水は瞳孔のすぐ下まできている
さっきカヤネズミが
横倒しにながれていった
虹彩(こうさい)をかするようにして
ガラスビーズの眼が
わたしをちらりと見た
わたしはカヤネズミの眼に問うた
やつぎばやに
―洗われているのだろうか
―ながされているのだろうか
―壊されているのだろうか
―造られているのだろうか
―これは〈後〉なのだろうか
―これは〈前〉なのだろうか
カヤネズミはキキとして笑って
角膜のむこうにながれていった
ガラス体が水でいっぱいになった
世界は滲出させられていた
 

 
辺見:  私たちは、何を失ったのか。何を失っていないのか、と思う時に、人命と物を失った。けれども、その私たちが、人間の生というものを、六十、七十、八十年というふうに区切ってきた。疑いもしなかった人間の生というものが、ある日突然に、不意に、幾重もの部位(ぶい)になってしまう。部位―手は手、足は足、そういうふうにバラバラになって、一つは別の港に流れて行き、一つは津波で別の浜辺に打ち上げられる。そのようなことがあるんだ。この破壊。限りない破壊を表現する言葉を、私たちは失うも何も、最初からもっていなかった。用意していなかったのではないか、というふうに、私はハッと思い至るわけです。今流されているテレビのニュースの言葉、あそこに事態の本質に迫る、本質に近づこうとする言葉はあるでしょうか。今表現されている新聞の言葉の中に、この巨大な悲劇の深みに入っていこうとする言葉があるだろうか。物化(ものか)された人間、つまり人が一体としての身体の形を留めおかないものが多数あったわけだけども、部位としての人間しかなかったわけだけれども、それを無いことのように写してしまう。それは私は、人を救っているようで、どうなんだろう、というふうに思うんです。それはひょっとしたら違うんではないか、というふうにも思うんです。人は、ある日突然まったく幾重なく物化(ものか)してしまう、という哲理をメディアは無視する。それは僕は逆に畏れ多いことではないか。死者に対する敬意が逆に無いのではないか、とさえ思うんです。私も四半世紀以上、メディアの世界にいたからよく知っています。「オリンピック」「戦争」というものは、メディアにいる人間は、個が個たり得なくなる。誰も異を称えなくなる。まるで一緒に闘っているような顔付きをする。三月十一日を境に、少なくとも数日間―一週間か十日、テレビからコマーシャルが消えた。政府広告のようなもの、「人に優しくしよう」みたいなキャッチフレーズが、気が狂わんばかりに、何度も何度も何度も流されていく。今度は優しさを押し売りしてくる。あれは裏返して言えば、三・一一以前は、みんなでとにかく人を出し抜いても「金儲けしようじゃないか」と言ってきたじゃないか、というふうに、僕は思う。そのことに、あなた方の表現世界は奉仕してきたじゃないか、と、僕は言いたい。「投資に乗り遅れるな」「ハイリスク、ハイリターンだ」と言ってきたじゃないか。そのための映像をあんた方は作ったじゃないか。そのための言葉を、詩人たちも無警戒に作ってきたではないか。誰がそれに異を称えたか、というふうに僕は言いたい。人は買い占めに走る。それを今頃になって、「見にくい」という。でも既にその姿はあった。三・一一の遙か以前からあった。そのような世界に我々はずっと本当は生きてきた。だから言っているわけです。そこには持つべき予感というものを、むしろ排除するものがあった。破壊に至った時に、それを予感しなかった責任は誰か、問われなければいけない。それは私であり、文を綴るものたち、自称であれ、他称であれ、あるいは大家であれ、名もない者であれ、詩人たち、作家たちは、全員がその責めを負わなければいけない、というふうに、私は思っているんです。私たちはもっと予感すべきだった。書くべきであった。僕は今、勿論怒っているけれども、怒ることは無意味だ、と思っている。書こうと思う。僕の誠実は、それでもって証(あか)すしかできない。拙いけれども、これだけの出来事、あるいはそれ以降の出来事に、僕の筆力、僕の表現は追いつかないだろう。到底追いつかないことはわかっている。けれども、試みようと思う。それが亡くなった人たち、痛んでいる人たちに対して、僕ができるおそらく唯一のことではないか、というふうに、僕は思う。我々は、もともとあるかなきかの言葉をもっていたけれども、それでもこの瓦礫の山、焼け爛(ただ)れた汚水に沈んだ放射能の農村、水溜まりに浸けられ瓦礫の中に、我々が浪費した言葉たちの欠片(かけら)が落ちている。それを一つひとつ拾い集めて、水で洗って、もう一度抱きしめるように丁寧にその言葉たちを組み立てていく。それが可能ではないかというふうに、私は今思っているし、そう思いたいと思う。焼け爛れて撓んで水浸しになった言葉を一つひとつ屈(かが)んで拾い集めて、それを大事に組み立てていって、何か新しい言葉、それは取りも直さず人に対する関心であります。言葉というものは、単なる道具ではない。言葉というものは、人に対する関心の現れだと思う。自分たちが、あるいは失われたいのちが、世界のどういう位置にいるのか、ということを、わからせてくれる言葉を発することができれば、もっと人の魂、今生きている魂、そしてこの宙に浮かぶ亡くなった人たちの霊が、もっと安まるのではないか、というふうに思うんです。それを持ち合わせていないから、こんなにも不安で、切なくて、苦しくて、悲しくて、そして虚しいんだ。空漠としているんだというふうに、私は思う。その中には、もう戻りはしないであろう日常を、何日かすれば、何ヶ月もすれば、何年かすれば、戻るに違いないという暗黙の了解のようなものがある。しかし私はそうは思わない。私がまったく一個人の物書きの予感というものを、ここで誤解を怖れずに言えば、そのような日常は戻りはしない。私は不安を煽るために言っているのではないわけです。そのような規模ではなかった。もしかつての日常が、かつてのように戻って、また文章家たちが商品を送るために文を綴り魂を売る。万物を商品化していく。そのような日常にまた舞い戻るとしたら、私は舞い戻らないと思うけれども、舞い戻ることにはほとんど意味がないとさえ思う。絶望というのを、私は何度も考えました。こう思うんです。絶望というのは、人というものの一つの能力である。能力の一つである、というふうに思うんです。絶望できるということであります。そして今ある絶望をもっと深めていくというのも能力であり、それが弁証法的に言えば難しくなりますけれども、新しい可能性への糸口になっていくんではないか、というふうに思っているわけです。私は絶望は浅い次元で、あるいは悲嘆というものを、浅いままに終わらせて、自分のエネルギーを燃え尽くしてしまうのは、違うかな、というふうに今思っているんです。何とかそこを一歩踏み出して、深めていく。悲しみをもっと深めていく。絶望をもう一段深めていく。自分の魂、自分の悲しみの質に合った言葉を、言語を捜して、それを一連(ひとつな)なりの表現にしていく。それが絶望から這い上がる糸口になるのではないか、というふうに、私は思っているんです。ですから絶望と悲嘆は留め置かない。それをそれとして留め置くのではなくて、逆にむしろ深めつつ言語化していく、という作業が、私は必要だ、と思う。我々は、それでも生き残ったわけです。あるいはこうも言えるかも知れない。生き残ってしまった、と。あの震災の破局の最中にいる人は、私の友人もそうだし、彼らから聞きもしましたけれども、「生きていることは偶然なんであって、あの光景に遭っては、死することが当然なんだ、と。生きていることがたまたまなんであって、死ぬることが普遍なんだ」というふうな、三・一一以前とまったく違うパラドクシカル(paradoxical:逆説的な)なことをいう人もいた。でも私はこのひっくり返ったような言い方、表現は、一面どころか半面の真理を言い当てている、というふうに思うんです。我々は、それを少なくとも我々の思想の中に含みもってもいいんではないか、というふうに思うんです。やはり私は、「いつ、どうやって、どこに向かって歩き出せばいいか」というふうな設問をする時に思うんです。言葉は必要である、というふうに思うんです。私たちが見捨てた言葉を、我々がもう一度回復する、ということが必要である。それはどういうことかというと、廃墟にされた外部―外の世界、これは廃墟であります。外部に対する内部を拵えなければならない。新しい内部を自分の手で掘り進まなければいけない。私の言葉で言えば、こうです。「著しく壊れ、破壊され、暴力の限りを振るわれた我々の外部に対して、私たちは新しい内部を探(あなぐ)り、それを掘らなければけない」。何をもっているのか、というふうに言われそうですけれども、わかってくださる方もいると思う。我々は、廃墟に佇(たたず)んで、立ちつくして、あるいはよろよろと歩き出しながら、新しい内面を拵(こしら)える必要がある。徒労(とろう)のような作業かも知れないけれども、それは意味のないことではない。新しい内面を、新しい内部を、我々は拵える。それは決していたずらに虚しい物理的な復興だけをいうことだけではない。あるいはどこか虚しい、集団的な鼓舞(こぶ)を語るのではない。「日本人の精神」というふうな言葉だけを振り回すのではない。もっと私として、私のいう個的な実存、そこに見合う腑に落ちる内面というものを自分に拵える。ということは、私の言葉、私はあまりよう言わないわけですけれども、それが希望ではないか、というふうに、僕は思っているわけです。
 

 
ナレーター:     辺見 庸新作詩(四月十八日脱稿)
「死者にことばをあてがえ」
 
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる
それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統(す)べない
かれやかのじょだけのことばを
百年かけて
海とその影から掬(すく)
砂いっぱいの死者に
どうかことばをあてがえ
水いっぱいの死者は
それまでどうか眠りにおちるな
石いっぱいの死者は
それまでどうか語れ
夜ふけの浜辺にあおむいて
わたしの死者よ
どうかひとりでうたえ
浜菊(はまぎく)はまだ咲くな
畔唐菜(アゼトウナ)はまだ悼(いた)むな
わたしの死者
ひとりびとりの肺に
ことなる
それだけの
ふさわしいことばが
あてがわれるまで
 
     これは、平成二十三年四月二十四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである