坐禅は生涯の主食
 
                     安泰寺 ネルケ 無 方(むほう)
一九六八年、ドイツ生まれ。十六歳の時、高校のサークルで坐禅と出合い、将来禅僧になることを夢見始める。その準備のために大学で哲学と日本学を専攻し、在学中に一年間日本に留学。その時初めて安泰寺に上山し、半年間の修行体験を得る。帰国後に大学を修士課程で卒業し、再び安泰寺に入門。八代目の住職、宮浦信雄老師の弟子となる。まず二年間、雲水として安泰寺で修行、その後、京都の東福寺と小浜の発心寺の専門僧堂にもそれぞれ一年間掛搭し、安泰寺でさらに四年間過ごしてから師匠の法を継ぐ。三十三歳のとき、独立した禅道場を開くために、下山して大阪城公園で「流転会」と称してホームレス雲水生活を開始します。その六ヶ月後、二○○二年の二月に師匠の訃報を聞き、テントをたたみ安泰寺に戻る。今は雲水と年間百人を超える国の内外の参禅者の指導。大阪で知り合った妻と結婚をし、二人の子供の父親でもある。著書に「迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教」
                     ききて 斎 藤  寿 朗
 
 
ナレーター:  安泰寺(あんたいじ)。現在、寺で修行に励む雲水は十人ほど。ほぼ半数はフランスやスペインからやって来た外国人です。安泰寺の住職・ネルケ無方さんです。無方さんはドイツの生まれ、今から十八年前、この寺で出家得度しました。以来禅の道を究めようと、厳しい修行を続けています。安泰寺へ修行にやって来る人の多くは人生の悩みを抱えています。解決の糸口を仏教の教えや禅の修行に求めているのです。
 

 
ネルケ:  本来の修行の意味は、この実践だと思うんですね。その生身の人間の思いを手放して、ただすること、ただ実践すること、それが修行だ、と思っているんです。
 

ナレーター:  安泰寺では禅の教えそのままに、日々の生活のすべてが修行になっています。寺に檀家がないこともあって、米や野菜を自分たちで賄っています。この農作業も禅の修行です。朝から夜まで毎日繰り返される些細な行いにも真剣に向き合うことで、見えてくるものがあるというのです。
 

 
ネルケ:  もうそのまま答えなんですね、この二十四時間の生活が。これから仏になって何かを掴むんではなく、すべてを手放してこの二十四時間の生活になりきることがもうそのまま答えなんですね。それ以上の答えはないんですね。
 

 
ナレーター:  生きる意味を見付けられずにいた青年時代に坐禅と出会い、生きるための心の糧を見出したというネルケ無方さん。今回の「こころの時代」は、安泰寺住職のネルケ無方さんに、自ら歩んだ坐禅人生について聞きます。
 

 
斎藤:  無方さん、この安泰寺というお寺は、元々は京都にあったお寺だったそうですね。
 
ネルケ:  そうです。大正時代の終わり頃に、京都洛北の玄琢(げんたく)というところにできて、ここに移転したのは、三十四年前です。昭和五十二年ですが。
 
斎藤:  もともとどういうことを目ざして建てられたお寺なんですか。
 
ネルケ:  元々は、檀家―今もないんですけれども―最初から檀家がなくて、修行僧が坐禅をしながら勉強ができる場所として造られたそうです。
 
斎藤:  日本人の方もそうですが、海外からいらっしゃっている方も随分多いですね。
 
ネルケ:  そうですね。特に私が住職になってから外国人が増えています。
 
斎藤:  そういう人たちは、このお寺にはいろいろな思いでやって来ていると思うんですけれども、どういうことを求めてやって来る方が多いんですか。
 
ネルケ:  さまざまですけれども、ほとんどの場合は何らかの形で自分の生き方を求めていると思うんです。みんな自分というものをもっていますけれども、単に自分のエゴのために生きていても詰まらない。このエゴを越えた生き方というか、エゴを越えた自己のあり方とはどういうあり方なんだろう。まあそういう問いをもって仏教と出会い、禅と出会いで安泰寺に辿り着くケースが多いと思います。
 
斎藤:  そういう方々はすぐに修行に入って、自分の求めているものを探そうとするのでしょうけれど、どうなんですかね、見ていらっしゃって。
 
ネルケ:  私自身の場合もそうだったんですけれども、自分が求めている方向は、先ず間違っている場合が多いと思うんですね。向こう側に答えがあるだろう、と。で、安泰寺のような場所で修行をすれば、それがどんどん自分の近くによって来るんだろう、というような考えですけれども、実際に安泰寺のようなところで修行をしますと、まず自分を完全に投げ出さないといけないんですね。向こうから自分が求めたものが、その形そのままやって来ないんですね。むしろ全然違う現実問題がそこにあるんですね。人間関係においてもそうですし、また安泰寺は自給自足ですから、辛い肉体労働とか、そういうものを伴っていますから、ここの生活は。ですからこれをみんな最初なかなか覚悟しないで来るわけですから、ここに来れば自ずと自分のすべての問題が解決されると思っていたら、むしろ新しい問題がポコポコと出てくるばかりで、最初はなんか私が求めていたものと違うんじゃないかと、うんざりしたり、悶々したりしていますけれども、それは求めている私の求め方が間違っていたんだと気付いたら、あ、そうか、答えはヒョッとしたら汗を流したり、ブルブル震えたり、この生の命こそ答えだった、という気付きもあったりしますね。
 
斎藤:  そうすると、毎日行っているさまざまな、例えば作務(さむ)だったり、あるいはさまざまな生活だったりということがすべて、
 
ネルケ:  修行です。
 
斎藤:  修行になっている。
 
ネルケ:  その修行が、いずれ五年後、十年後、答えを掴むための手段ではなく、もうそのまま答えなんですね、この二十四時間の生活は。これから仏となって何かを掴むんではなく、すべてを手放して、この二十四時間の生活になりきることが、もうそのまま答えなんですね。それ以上の答えはこないんですね。最初はもっと裏に何か隠されているだろうと。ただ履き物を綺麗に揃えるとか、ちゃんと障子を閉めるとか、それだけじゃない筈だと。その裏になんか隠されているんだとか、食事作法でも、そこに深い意味がどこか隠されていると、みんな思っているんですけれども、何か隠されているんじゃなくて、それになり切ること。ほんとに今ここ、この場に私の命がある。その命に今ここで出会う。それがもう既に答えなんですね。後から答えがわかるんじゃなくて、そのまますべてなんですね。
 
斎藤:  まさに毎日実践して学んでいくということなのですかね。
 
ネルケ:  そうです。ですから修行というのは、みなさんのイメージの中では厳しいものでなくてはならないと思うんですね。勿論厳しい面もあるんです。自分の都合のいいように毎日の修行生活があるわけじゃないです。自分のエゴを捨てなければいけない場面もあって、それはほんとに厳しいですね。本来の修行はこの実践だと思うんですね。禅宗とか仏教一般では、「仏性(ぶっしょう)」と言うんですけれども、みんな仏なんだ、というふうに教えられているんですけれども、この仏性というものは、空気のようなものであって、これは扇子を使わないと風にならないんですね。修行というのは、この扇子で扇(あお)ぐようなもので、自分が本来もっている仏性が、実際に顕(あら)わになる、ということですね。ですから厳しいことじゃなくてもいいんです、修行は。ただ菩薩として生きる、仏として生きることなんですね。この坐禅をするのも、何のために坐禅をしているかというと、仏がする行為ですから、食事も仏として頂く。作業を仏としてしようとする。これは、こっちが生身の人間ですからなかなかできないから厳しく感じられたりしますけれども、その生身の人間の思いを手放して、ただすること、ただ実践すること、それが修行だ、と思っているんです。そこがこの安泰寺の修行のポイントですね。今ここ、この私がダメなんだ、というふうに決めつけないで、まず今ここ、この自分に真っ正面から出会うことなんですね。なかなか私たちは今ここ、だっていつも今ここなんだし、いつも自分になっている筈なんだけれども、本当の今ここ、この自分に出会っていないことが多いと思いますね。それどうやって出会うかというと、一つの道はこの坐禅を組む。坐禅を組んだら、ほんとに目の前は壁ですし、耳に入るのは鳥の声ぐらいですから、今ここ、この自分しかないんです。
 

 
ナレーター:  ネルケさんは、坐禅を心の「主食」と呼んでいます。それは人が生きていくために必要な心の糧を、自らが坐禅に見出したからです。
 

 
 
ネルケ:  この「心の主食」という言葉で言いたいのは、今日本に宗教がないわけではないんですね。宗教は、神道もあれば、キリスト教もあれば、仏教も、いろんな宗教があります。日本人が、「私は何々教徒だから、お前が間違っている」と、西洋人のように宗教のことで喧嘩したりもしないんですね。初詣が神社で、結婚はチャペル、死んだらお坊さんを呼ぶという、非常に広い心をもっておられるんですね。それは食卓で言えば、甘い物ばかり食べているとか、辛い物ばかり食べているんではなく、甘い物も辛い物も酢のものも、みんな仲よく食卓に並んでいて、それをみんな有り難く頂く。それは非常に私たち西洋人が見習わなければいけないところでもあると思うんですが、悪く言えば、これはただおかずのつまみ食いに過ぎないというのが、私の印象ですね。これをすべて有り難く頂くのはいいんですが、ただ自分の心の一生の支えとなる宗教とは何なのかというと、安泰寺の場合は、年間千八百時間坐禅をするわけですけれども、坐禅が心の主食の役割を果たしていると思います。実際の食卓で言えば、玄米なんですね。何で白米ではなく、玄米かと言いますと、一つは、健康にいいという面もあるんですが、もう一つ良いのは、白米は噛まなくてもこうして消化できるんですが、玄米はよくよく噛まないと消化できないんですね。と言いますと、ただ飲み込むんではなく、自分に関わって、噛んで噛んでよく噛んで初めて栄養になるんです。これはこの坐禅にしたって、作務にしたってもそうです。白米のように簡単にものになるものではなく、この私の坐禅だ、と。私がこの坐禅と関わって坐禅を噛み締めなければいけない。夏の暑いのも、冬の寒いのも、自分が関わっていて、それを噛み締めて、実体験して、初めて修行として自分のものとなるんですね。そういう体験はなかなか今の日本ではできないんじゃないか、と。家に住んでいても、クーラー―冷暖房が効いていますから、暑いのも寒いのもなかなか体験できませんし、自分のやっている仕事、みんな一生懸命やっているだろうけれどもね、それが自分が今生きているのとどう関わっているか。そういう実感もない。だから食べるのも白米ですし、その量も年々減っていると聞いておりますけれども、生きている精神面もどんどん白米と言いますか、噛み締めなくていいような、噛み締めていない、消化されていない生き方になってしまっているんではないか、と。そこで今の安泰寺の生活が、一般日本人にとっても一つのヒントになれればと思ってやっているんですね。便利では決してない。楽ではないけれども噛み締めればそれこそ身体の主食にもなるし、心の主食にもなる生活だ、と私は思っております。
 

ナレーター:  ネルケさんは、ドイツで生まれ育ちました。初めて坐禅と出会ったのは、高校に通っていた十六歳の時でした。七歳の時に母親を亡くしていたネルケさんは、幼い時から自分と社会との間に隔たりを感じ、生きる意味を見出せないでいました。そんなネルケさんにとって、初めて出会った坐禅は衝撃的でした。
 

 
ネルケ:  高校にはたまたま坐禅のサークルがありました。サークルをやっていた先生はみんな高校生に声を掛けて誘ったんですね、「参加してみないか」と。私は、当時まったく宗教にも、瞑想にも、東洋的な思想にも興味なかったものですから、「いや、僕は参加しません」と断ったんです。二週間ほど経って、どうもサークルに生徒が集まらないというので、先生がもう一度声を掛けてきたんですね。ますます怪しいと思ったんです。「そんなものに関わりたくない」と言いましたら、先生が、「一度やったことがあるのか?」と。「いや、一度もやったことない。これからもやろうと思っていません」と言いましたら、先生は、「一度もやってみないで、なんでそんなこと言えるんだ。一度やったうえで初めて言えるんじゃないか」と。その理屈に騙されて、今ここに坐っているわけですけれども、この十六歳の時に、一度でやめるつもりでやった坐禅が、まずこの身体の発見をもたらしたんです。
 
斎藤:  どんな発見をもたらしたんですか?
 
ネルケ:  「私にこの身体がある」と。身体は誰でももっているから、子どもでもわかっているんですけれども、「本当の私はどこにいるか」と言ったら、この脳味噌が本当の私だと思っていたんですね。あるいは脳味噌の更に奥の方に、なんか考える主体とか、見る主体があるんだろう、と。これは脳味噌を生かすために必要な道具に過ぎない、と思ったんですね。心臓がないと、脳味噌の方に血液を送ることもできませんし、肺は酸素を取るための道具に過ぎない、と。これは私じゃない、と。坐禅をしてみたら、まず気付いたのは、「私、呼吸しているんじゃないか」と。「息をしているんだ」と。ずっと十六年間それをやったわけですけれども、まったくそれを一度も意識したことがなかったんですが、こうして息を吸って、吐いているのも私なんだ、と。心臓が動いているのも私、と。坐禅して、すぐに実証できたのは、こう座相(ざそう)を変えると自分が変わる。こうして坐っているのと、ずっと授業中にこんな坐り方をしておったんですね。あるいはこう背もたれにこう凭(もた)れて、先生の話を聞いていて、先生に、「お前の姿勢が悪いんだ」と言われたって、いつも思ったのは、姿勢が悪くたって、何が悪いんだ、と。テストで良い成績を取れば、それでいいじゃないか、と。坐禅して初めて、こうして座相が変わると自分が変わる。ということは、この身体も自分だ、と。そして自分が変わるだけではなく、周りの世界まで変わるというか、変わって見える。今まで気付いていなかったものに気付く。今まで聞こえなかった鳥の声が耳に入って、ちゃんと意識されるという。それは私にとってとんでもない発見だったんですね。ずっと子どもの頃から早熟と言いますか、小学生二年生、三年生の時に、「何のために生きなければならない」という問いがあったんですね。「人間ってそもそも何のために生きるんだろう。生きているんだろう、と。人生は意味があるだろうか、と。無いならば自殺した方がよっぽど楽じゃないか、と。何でみんなそんなに喜んで八十まで、九十まで生きていこうとするんだろう、と。何のために学校へ行って、大学まで行って、就職して家庭を持っているんだろうか、と。意味ないじゃないか」と。それを父親に訊いても、学校の先生に聞いても誰も答えてくれないんですね。終いにはこうして考えている自分が、一体何なんだろう。誰がこんな疑問を考えているんだ、と。私が考えているんだけれども、この私って一体何なんだ、と。それに対しても父親は、「それは学校の先生に聞いてみなさい」と。学校の先生は、「それはもうちょっと大きくなって、中学生、高校生になってから勉強すればいい」という。みんな誤魔化しているんですね。
 
斎藤:  じゃ、学校、あるいは家ではどんな生活をなさっていたんですか。
 
ネルケ:  学校から帰ったら、もう部屋に籠もって、一人で寝ころんで考え事をしたことがほとんどですね。ずっと寝ころんで考えて考えて、でも自分でいくら頭の中で考えたって答えは見つからない。そういう暗いというか、引き籠もりに近いような生活だったんですね。
 
斎藤:  外へ遊びに行ったりなんていうことはまったくなしですか。
 
ネルケ:  ほとんどないですね。ですから父親にこの子があんまりにも外に出ないで籠もっているから、「最低でも一日一時間はどこでもいいから外に出ろ」と言われたんですね。仕方なく森に入って時計を見て、一時間過ぎたらまた部屋に戻ったんですね(笑い)。
 
斎藤:  ドイツという国は、キリスト教を信じる人が多い国ですから、キリスト教にもいろいろと考えを求めたり、あるいは救いを求めたり、ということはなさらなかったんですか。
 
ネルケ:  実は母の父―祖父が牧師だったんですね。プロテスタントのルター派の牧師で、母の実家に私が六歳まで住んでいたんですけれども、親にも、あるいは牧師である祖父に、「神様ってほんとに存在するのか。サンタさんが嘘なら、神様だって嘘じゃないの」と聞いてもなかなか子どもにわかるような形で答えてくれないんですね。やはり「それは大きくなってわかるもんだ、と。子どものお前にはわからないんだ」と。それにはやっぱりがっかりしたというか、バカにされた気持になって、そんな説明もできないような神様、どこにいるのもわからない神様は詰まらない。またキリスト教は、仏教と違って真っ正面から何のために生きるんだろう、と。生きることに価値があるかどうか、という問いよりも、隣人を愛することから始まるんですね。隣人を愛することは自分を愛することにもなるんですね。そうすると、生きていて楽しいとか、生きていて価値があるというのは、もう大前提になっているんですね。生きていて意味がないならば、自分を愛することも必要ないし、隣人を愛する必要もないですね。釈尊はそうじゃなくて、そもそも苦である存在をどうするか。そこから出発しているんですね。私の疑問はむしろそこだったんですね。隣人と自分の関係以前に、生きていて価値があるんだろうか、と。何の価値があるだろうか、と。死んだ方がましじゃないか、と。生きることは耐えることだ、と思っていたんですね。堪え忍んで、下手したら八十まで生きるかも知れないけれども、もう自殺しようという、そういう願望もあったんですね、自殺願望。ただ勇気がないんですね。どうせいつでも死ねるんだから、急ぐ必要もないだろう、と。死にたい、というわけじゃないけれども、生きることが辛いというか、退屈というか、そういう毎日だったんですね。
 
斎藤:  じゃ、高校の時に出会った坐禅というものは、かなりそういう状況を変えたんでしょうか。
 
ネルケ:  変えたんですね。トンネルの向こうに灯が見えて、あ、これなら生きていてもいいんだ、と。ひょっとしたらこのトンネルを抜けるというか、そこから抜け出す道があるかも知れない、と。今私はトンネルの中にいるんだけれども、向こうに出たら花が咲いているかも知れないという。初めてそういう希望を持ったんですね、十六歳の時に。
 
 
ナレーター:  坐禅への思いが募(つの)ったネルケさんが、初めて日本を訪れたのは、高校を卒業した十九歳の時でした。しかし憧れの禅の国で、本物の坐禅修行を体験するという望みは、簡単には叶えませんでした。
 

 
ネルケ:  もう期待で胸を膨らませて日本に来たのに、皮肉にも受け入れたホームステイ先がクリスチャン・ホームだったんですね。それで向こうも、プロテスタントの本場ルターの国のドイツから来た少年にいろいろ話でも聞いてみようと期待していたんだろうけれども、お互いちょっとがっかりして、「私は禅のことが知りたい」、あるいは例えば、「日本の尺八の音楽とか、そういうのを聞いてみたい」と言ったら、ホームステイのお父さんが、ベートーベンのレコードを掛けて、「これこそ本物の音楽だ。ドイツから来たお前は何を言っているんだ」と(笑い)。で、一ヶ月半ぐらいクリスチャン・ホームにホームステイをして、それで仏教を探していたんですから、無理にお願いして浄土宗のお寺にも何日かホームステイをさして頂いたんですが、浄土宗ですから、念仏ですね、坐禅ではないんです。それでもちょっと物足らないと思って、ヒッチハイクで京都まで出掛けて、あちこち伽藍ですとか、庭は拝見さして頂いたんですけれども、中に修行僧となるように、修行できるようなところが見つからなくて、それはまあ自分の日本語能力も不足しておりましたし、いろんな事情があったんでしょうから、なかなか伽藍は拝見できても、修行まではできなかったんですね。そこはもう一回今度は大学へ入って本格的に日本語を勉強すれば、探せばきっと修行ができる―その当時は見つからなかったんですけれども―そういう場所もあるだろうという思いでドイツに帰ったんです。
 
斎藤:  じゃ、ご自身としては消化不良のホームステイだったわけですね。
 
ネルケ:  そうですね。消化不良と言えば消化不良ですね。ただまだ探せばあるだろう、と。空港を降りた時点では、禅はそこにないんですけれども、坐禅とか悟りですとか、そこら辺に転がっているわけではないらしいけれども、山に入って探せばきっとどこかにはあるだろう。まだ見つかっていないけれども、希望は捨てていなかったんですね。
 
斎藤:  どういう仏教、どういう坐禅というものを、その当時のネルケさんは求めていたんですか。
 
ネルケ:  あくまでも自分が生きる道を探し求めていた、と思うんですね。自分の生きる道としての仏道です。今ここ、生きている私がどう生きたらよいか、と。その答えを仏教が提供してくれるんではないか、と。ところが実際に日本に来て勉強していても、ほとんど周りの人は、仏教は死んでから関わるものだ、と。仏も死んでからなるものだ、と。まったく私が考えていたものと違うものを考えているんですね。ですから最初のホームステイの時は、まだ日本語もほとんどわからないものですから、もうちょっと日本語を勉強して探せば、こういう仏教も出会うことはあるだろう、と思いましたが、二回目京都で勉強したんですけれども、京都の本山の多いところでさえ、なかなか受け入れてくれるようなお寺は見つからなくて、たまたま園部の昌林寺(しょうりんじ)(京都府南丹市園部町)というお寺で外国人でも、一般の日本人の社会人でも、毎月「接心(せっしん)」と言って集中的に坐禅修行ができるというお寺を紹介して頂いて出会って、そこの和尚さんがたまたまこの安泰寺の出身だったんですね。昔雲水として、ここで修行していたものですから、「本格的に修行するのなら安泰寺に行け」と、その時言われたんですね。初めて、〈あ、ここに私が求めている仏教があるんだ、と。死んでからの仏教とか、そういうのではなく生きているこの私が実践できる道がここにあるんだ〉と。
 

ナレーター:  ネルケさんが、初めて安泰寺を訪れたのは、ドイツの大学を休学して、京都大学に留学していた二十二歳の時でした。寺で待っていたのは、ネルケさんの師匠となる当時の住職・宮浦信雄(みやうらしんゆう)さんでした。宮浦さんが先ず命じたのは、台風で壊れた寺の復旧作業。すぐにでも坐禅三昧の日々が送れると思っていたネルケさんは、来る日も来る日も続く過酷な肉体労働で、心が挫けそうになりました。
 

 
斎藤:  当時安泰寺の修行というのは、どんな感じのものだったんでしょう。
 
ネルケ:  ちょうど私が、初めて山に上がる二週間前に台風十九号という大きな台風が、日本全国に大きな被害をもたらしたと思うんですけれども、バス停からここまでの道が完全に流されて、途中の橋もみんななくなっていたわけです。生活水を貯めている山にあるダムも土砂で埋もれて、この土砂を運び出す作業。また下の町から燃料なり、醤油なり、油なりを一斗缶に入れて、ここまで運ぶという作業。かなり過酷な肉体労働ばかり続いていたんですね。それまで大学で哲学を勉強したり、本ばっかり相手にしていたんですから、こういう肉体労働にまったく慣れていなくて、非常に苦労しましたけれども、私が求めているものは、自分の頭の中にはないとわかっていたんですから、あ、これは身体を使わないとダメなんだろう、というのはわかっていたんですね。わかっていると言ったって、わかっているのは頭なんですから、辛いのは辛いんですけれども、辛くて当たり前だという、そういう覚悟はあったんですね。そしてこのトンネルから出るには、もう真っ直ぐ進むしかないんだ、と。ここで引き返したら、待っているのは、少年時代のあの真っ暗闇しかないから、もういくら辛くたって、ここでは前に進むしかないという気持があって、半年間肉体労働ばっかり続いていましたけれども、大学卒業したら、是非ともここへ出家をしたい、という気持が同時にあったんですね。
 
斎藤:  じゃ、出家をして僧侶になるという、
 
ネルケ:  そうですね。もう本格的に僧侶、他のことは全部捨てて、どうせ他にやりたいことってないんですから、私にとっては出家というのは、そんな大きなステップじゃなかったんですね。もう十六、十七の時点で、他になんかこれがしたいとか、こういう仕事がしたいとか、そういう願望がないもんですから、出家に対するそういうなんか疑問とかはなかったんですね。飛び込んだんですねそのまま、大学卒業してから。
 
斎藤:  しかし当時師匠には、安泰寺に最初にやって来た、それから出家をされた時、それぞれ言葉を投げかけられて、悩まれたこともあるんだそうですね。
 
ネルケ:  はい。最初まだ留学生だった時点では、「お前が安泰寺を創るんだ」と言われたんですね、いきなり。で、これにはホッとしたというか、やったというか、もの凄く刺激されたんですね。あ、私ができる修行、ここ安泰寺では、私が自分の修行ができるんだ、と思ったんですね。ところがいざ出家してみると、よく師匠に言われたのは、「お前なんか、どうでもいい!」ということだったんですね。これは「安泰寺をお前が創るんだ」と、表裏一体の言葉と気付いたのは大分後になってからですね。最初はこれ矛盾しているんじゃないか、と思ったんですね。「お前が安泰寺を創る」と言っておきながら、「お前なんか、どうでもいい!」と。ところが大分経ってからですけれども、気付いたのは、自分のエゴを手放さない限りは、安泰寺を創ることもできませんし、自分の人生を創造することもできませんし、この周りの社会を創ることもできないんですね。両方とも大事なことですね。また私の人生、周りの社会に対する責任感と、自分を手放すということですね。それがわからないうちはどうしても自分の枠の中で安泰寺を創ろうとするから、それを否定する先輩たちとか、師匠に腹が立ったり、悶々したりします。自分の都合のいいように修行生活をつくろうとしてしまいますから、自分の都合のいいようには、一つもいかないんですね。
 
斎藤:  それを出家した頃に言われてしまって、ご自身としては相当悩まれた?
 
ネルケ:  そうですね。山下りて帰ってしまおう、と思ったことも何度かあるんです。だけどもバス停から出るバスは、本数は少ないんですね。一日何本も出ないんですから。午後のバスがもう出てしまったから、次の朝まで待とう、と。次の朝になったら、じゃ、昼まで頑張ろう、と。昼になったら、今日はとにかく夕方までちゃんとやろうと。で、また一日が過ぎて、次の一日、明後日もやってみようという、そんな感じで自分を騙し騙してけっこう続いたんですね、最初の二年間。
 
斎藤:  出家した直後というのは、悩みながらの修行だったわけですかね。
 
ネルケ:  そうですね。悩むんですね。作務の大変さもありますし、上下関係の中でもかなり苦労したんですね。ドイツでは上下関係そのものがあまりはっきりしないんですね。みんなが対等の立場で話合うのは当たり前でしたから、先輩であろうと、自分の意見をいうのは許されるんですけれども、修行道場ですと、それも一つも許されないんですね。典座(てんぞ)(禅寺で食事の世話をする役職の僧侶)当番と言って、台所にも立ってみんなのために料理を作らなければいけないんですけれども、日本料理も基盤も何もわかっていないものですから、「出汁(だし)が効いていない」とか、「うどんが固すぎる」とか、「軟らかすぎる」とか、「腰が立っていない」とか、いろいろ言われて、そんなまったくわからない。どうしたらよいか、と。非常に典座当番でも悩んだりして。これが修行だろうけれども、なかなか周りがみんな日本人ですから、上下関係にこういう意味があるだろうとか、日本料理をなんか外国人にもわかるような形で教えたりはしないし、なかなかできない面もあったと思うんですね。そこを自分一人で悩むことは多かったですね。
 

ナレーター:  禅の修行と頭では理解していても、身体が付いていかない作務と呼ばれる作業。先輩雲水たちとの微妙な人間関係。出家して二度目の冬を迎えても心の拠り所が見えず、ネルケさんの悩みは深まるばかりでした。仲間の雲水たちは、寺での修行に見切りをつけ、次々と山を下りて行きます。ネルケさんは言いようのない無力感に襲われるようになりました。次の年の秋には、安泰寺を出て、別の寺へ赴きました。ネルケ無方さん、二十七歳の時のことでした。
 

 
斎藤:  そうした中で山を下りられることがあって、京都の臨済宗のお寺に一度お入りになることがあったんだそうですね。
 
ネルケ:  なかなか自分の殻を自分で突破できないもんですから、一人の先輩に、「お前はこの安泰寺はまだ緩すぎる。もっと厳しいところへ行った方がいい。曹洞宗より、臨済宗がお前に合っているだろう」と。で、京都にあるある本山僧堂を紹介して頂いて、そこに一年間安居(あんご)(僧侶が一定の期間一カ所に集まり修行に専念すること)することになるですけれども、さすがに厳しいというか、安泰寺も十分厳しいと思っていたんですけれども、まったく先輩は何の遠慮もなく言うことを言うし、御飯を食べる量だって自分の好きな分だけ頂くというわけではなく、食えと言われれば食べなければいけないんですし、トイレも自由に行けるものではなく、先輩がダメだと言ったらトイレも行けない。睡眠時間も短い。四時間ですね、平均して四時間しか寝れない。坐禅中に居眠りしたら、もう警策(きょうさく)という棒で、肩が腫れるまで、あるいは肩から血が出ることもあるんですけれども、叩かれたり、まあいろんな辛い、安泰寺以上に辛い思いと言いますか、ほんとに死ぬんではないかというところまでいくんですけれども、初めて死ぬ、死ぬという自分がいるんだけれども、生きているんじゃないか。ここに生きているんじゃないか、と。まだ死んでいないんじゃないか、と。これ初めて、〈あ、私が生きている〉という生の現実が有り難い現実、事実として受け止めたんですね。それまでは私が生きているということは、問題だと思ったんですね。何で生きているんだろう、と。生きること、詰まらないことだなあとばかり思っていて、初めてこういう辛い体験をして、素晴らしいんじゃないか、と。明日死ぬかも知れないけれども、今生きているんじゃないか、と。ちゃんと生きているじゃないか、と。生きているというか、生かされている。これは素晴らしいことだ、と。いのちが、この身体と心を使って、いのちを生かしているんだ、と。これいろいろ先輩に言われたりしましたけれども、お陰でこういう体験もできましたから、これなら安泰寺へ再び戻って、もう一回師匠の元でやり直そうという気持も湧いてきたんですね。
 
斎藤:  まさに高校の時に初めて坐禅と出会って、息を自分がしているじゃないか、と思った時以来ですか。
 
ネルケ:  そうですね。あの時はうっすらと気付いていたんですけれども、やっぱりまだ徹底していなかったんですね。うっすらと、あ、この身体も私だ、と。世界も私なんだ、と。うっすら感じていたんですけれども、やっぱり安泰寺のような、いろいろ人ともぶっつけ合ったり、自然とぶっつけあったりすると、やっぱり頭でわかったことを一旦忘れてしまって、それは再発見、再確認もできたのは京都の専門僧堂ですね。これは頭だけではなく、実際に二十四時間のことがそうなんだ、と。坐禅している時だけが、そうではなく、掃除している時もそうですし、御飯頂いている時もそうですし、寝ている時もそうですし、みんないのちがいのちをしている現実の一こまひとこま、その中に生かされているのが私。
 
斎藤:  そういう意味では貴重な体験でしたね。
 
ネルケ:  非常に貴重な体験ですね。それがなかったら多分こうした僧侶を止めて、ドイツに帰ってしまったと思うんですね。挫折してしまったと思うんです。
 

 
ナレーター:  京都にある名刹の僧堂での修行を終えたネルケさんは、再び安泰寺に戻りました。以前のような悩みもなくなり、「安泰寺はお前が創れ」と。「お前なんか、どうでもいい!」という矛盾するように聞こえる師匠の言葉の意味が理解できるようになったのも、この三度目の安泰寺の修行時代でした。三度目の安泰寺での修行が四年経ち、ネルケさんは三度山を下りることになります。それは初めて日本に来た時に探して見つからなかった一般の人でも本格的な坐禅修行のできる道場を、自分の手で開きたいと考えたからです。ネルケさんは、大阪に出て托鉢をしながら、青空坐禅道場を開きました。その矢先思いがけない知らせが届きます。それは師匠・宮浦信雄さんの訃報。雪掻き中の事故死でした。ネルケさんは、安泰寺に呼び戻され、住職として寺を継ぐことになるのです。ネルケ無方さん、三十四歳の時のことです。
 

 
斎藤:  ご本人としては、住職を務めるということは、当時はどんなふうに思っていらっしゃいました。戻っていらっしゃった当時は。
 
ネルケ:  戻った当時は、雲水の修行の延長上としか思っていなかったんですね。今まで十年ぐらいやってきたことを、これからもさらに十年続けようと思っていましたけれども、やはり自分の修行を自分でするのと、こうしていろいろな人が自分を頼ってきて、こういう方々を相手にしながら修行するのと、全然違うんですね。自分の修行ばかり考えている場合ではないんですね。雲水だったら自分のこと、あるいは作務なら作務のことで精一杯ですけれども、最終的責任者は堂頭(どうちょう)ですから、そこまで寺の全体まで本気になって心配することはないんですけれども、戻ってきて、まだ弟子も誰もいないんですから、台所から、電話番、お客さんの相手、坐禅の指導、作務、すべて計画を立てるのも自分一人しかいないんです。もう軽い気持で住職になったらとんでもないことをしてしまったという実感があって、ある程度弟子もできて、ある程度、例えば半年でも一年でも留まる人ができるまで三年ぐらい経ったんですね。この三年は私の中でも真っ白ですね。ほとんど記憶も残っていないんです、毎日毎日。
 
斎藤:  で、三年経って、こちらに修行に来ようという方が、少しずついらっしゃるようになって、これまでの安泰寺修行の考え方、スタイルというものは、ご自身ではやはり考えていかなきゃというふうに思われたところはあるんですか。
 
ネルケ:  そうですね。私の基本方針は師匠から受け継いだつもりですね。それは何かというと、みんなそれぞれ各々が責任をもって、この安泰寺を創るんだ、と。しかしそのためにはまた各々が自分を忘れなければいけない、と。自分のエゴを捨てなければいけない。それは今も基本方針ですね。
 
斎藤:  それはご住職の思いというのは、修行しに来ている人たちには伝わってきている感じでしょうか。どうでしょうか。
 
ネルケ:  私がよくいうのは、「大人の修行だ。子どもの修行じゃないんだ」と。人に、親にこうして言われて、親のいう通りにするのは子どもですね。それから師匠に言われない限りは何もしないけれども、師匠に言われたら動く。それは子どもの修行。大人の修行は、安泰寺を私が創る。ただ自己主張ばかりではなく、そのために自分を忘れる。大人になれば、自分を忘れて、例えば子どもの面倒みなければいけない面もあるんですね。大人の修行だ、と。自分のためではなく、自分を忘れて、でも責任があると。そういうことをみんな頭でわかるんですけれども、実際に来て見ると、如何に―私も含めてですけれども―こういう人間が幼稚であるか、ということも、また実感できるんですね。大人の修行と言っておきながら、やっぱり子どもなんだな、と。自分もそうだし、相手も、修行仲間をそうだな、と。だから残念ながら現実問題として喧嘩が絶えなかったり、居眠りから目が覚めてなかったり、いろいろ現実問題が残っているんですね。
 
斎藤:  しかしそうしようとしても難しいですよね。
 
ネルケ:  上手くできないんですね。自分の思う通りになるのは一つもないんですね。人も自分の思う通りになりませんし、自然も自分の思う通りになりませんし、天気だってそうですし、肝心な自分自身ですら、自分も思う通りにならないですね。この私ぐらいは自分で管理できると思っていても、この私ですらなかなか管理できないものですね。
 
斎藤:  悩む人も多い?
 
ネルケ:  多いですね。朝気が付いたら逃げ出したとか、そういう人もたまにいますし、勿論悩みをもって来られますし、この悩みは簡単に解決されるだろうと思って来ますから、これが簡単に解決されないと、また悩みが増えるばかりですから。
 
斎藤:  なかなか自分を投げ出すというのは、わかっているようで、難しいのですね。
 
ネルケ:  難しいですね。人間は基本的に自分を投げ出したくないんですから。自分のエゴが可愛いもんですから。投げ出したい部分もありますけれども、ここだけは残したいというのがどうしてもあるんですね。ここまでは投げだしますよ、ここだけ残しておきますよという。禅の場合は、「百尺竿頭(かんとう)進一歩」(百尺の竿頭に一歩を進む)という言葉があるんですね。「百尺の竿頭」と言うんですね。高さ百尺―三十メートル以上の竿の上に立って、そこでこそまた一歩前に進むのが修行ですけれども、みんなそこで立ち止まって、これまで上ったんだから、これ以上は進めない、と。これで進んでしまったら死ぬんじゃないか。落ちてしまうんじゃないか、と。落ちてしまったら修行できないんじゃないか、と。私のいのちがあってこその修行じゃないか、と。古くから百尺の竿頭の上で、さらに一歩前へ進め、と。それはこの自分のすべて、これだけ残したいというのも、すべて含めて投げ出すということですね。そのために炎天下の草刈りもあれば、寒い中の坐禅もあれば、いろいろあるんですね。
 

 
ナレーター:  ネルケさんは住職となった今も、さまざまな悩みや事情を抱えて寺にやって来る多様な国籍の人たちとともに、常に先頭に立って作務を務める日々を送っています。ネルケさんの心には、自分が初めて坐禅と出会った時の感激と、その後の修行が与えてくれた人生を生きる実感を、できるだけ多くの人と分かり合いたいという思いが常にあります。自分も未だ人生に迷う一人の人間として、同じように人生に迷う人たちに寄り添うことが大切だと考えています。
 

 
斎藤:  若かった時に、「何を求めているか」と聞かれたら、多分「悟り」と答えていたと思うんですね。とにかく悟りたい。今はむしろ迷ったっていいじゃないかという境地ですね。迷いの自覚こそ大事じゃないか、と。自分が迷っているんだ、と。それがはっきり自覚したうえでの修行ですね。迷いから抜け出すというよりも、この迷いのからくりをはっきりさせる。一つの日本仏教の教えで、
 
松影の暗きは月の光かな
 
という詩があるんですね。「松の影」これは迷いですね。自分はエゴもある、欲もある。わからない部分だらけ。こういう松影が、暗ければ暗いほど、それがはっきりすればするほど、月も明るい。月の明るい証拠ですね。ところが悟りばかりを求めると、その月ばっかり求めていて、肝心な自分という松の木を忘れてしまうんですね。だから月もどこを求めたらよいかわからないし、見えてこないんですね。この影が見えて、初めて月もはっきり明るくなるんですね。ただそこを見るんじゃなくて、影を絶えず忘れてはいけないんですね。それを「迷い」というふうにも表現できますし、あるいは「悪」。自分が善い人だと思ったらそれは善い人じゃないんですね。「私は善い人です」と、そんな人がたくさんいますけれども、大体周りの人に嫌われるんですね。自分がそんなに善い人じゃないんだ、と。下手したら俺ほど悪い人は世の中にいない、と自覚して、初めて菩薩の道を歩めるんですね。あるいは私は賢い人だと思ったら、それも困るんですね。俺って何とバカだろう、と。そこで初めて菩薩として日々歩けるんですね。修行できるんですね。私は愚か者だと。悪いんだと。迷っているんだと。この自覚がまず基盤になくてはならんのですね。そこを捨てて、いや私は悟っているんだ、と。修行する必要はないんだ、と。大体私、わかっているから、わからないものはすべてなくなった、と。私は賢いんだ、と。私は善い人だ、と。人に尊敬されて当たり前だ、と。それが一番困るんですね(笑い)。一番仏のありようから遠いんですね。そうじゃなくて、私は迷っている。周りにも迷っている人はたくさんおられるんだから一緒に迷いましょう、と。この迷い、どこから来ているんだろう、と。このからくりはどうなっているんだ、と。お互い迷う者同士として、少しでも仲よく迷えるようにというか、少しずつ迷う凡夫として仏に向かって歩む。凡夫を自分がここにある凡夫を否定して、仏になるんじゃなくて、凡夫を自覚しながら、仏とか菩薩に向かう。それが迷える者の修行ですね。迷わないと悟りも見えてこないんですね。迷いがはっきりすることこそ悟りなんですね。この迷いをはっきりさせてくれるのが悟りですね。悟りがなかったら迷いも迷いとして見えてこないんです。だから迷いが消えてしまって、残るのがただ悟りじゃなくて、悟りのない人には迷いもないんですね。良心のない人は決して悪だという概念を持たないんですね。自分が悪人だという人は、良心があるからこそそう言うんですね。だから悟りも迷いもそうですね。悟りがなかったら迷いという概念とか迷いという実感がそもそも湧いてこないんですね。だから私、迷っているんだ、と。凡夫だ、と。どうしようもない凡夫がここにいるんだ、という実感がもの凄く大事ですね。
 
斎藤:  じゃ、その迷える人間として、これからもあり続けるということですか。
 
ネルケ:  死ぬまでもう徹底的に迷いたいですね。みんなにも迷って欲しいんですね。
 
斎藤:  じゃ、迷える人がネルケさんのところを訪ねたら、そういうその人と一緒に迷おう、と。
 
ネルケ:  そういうことです。それが私の務めだと思っています。
 
斎藤:  これはずっと毎日続いていくことですかね。
 
ネルケ:  そうですね。できたら一日ぐらい休みたいんですけれども(笑い)、毎日続くんでしょうね。
 
斎藤:  有り難うございました。
 
ネルケ:  ありがとうございました。
 
     これは、平成二十三年六月二十六日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである