本当の自信を得るために
 
                            正眼寺住職 山 川  宗 玄(そうげん)
                            ききて   町 永  俊 雄
 
ナレーター:  岐阜県美濃加茂市、その山間に臨済宗妙心寺派正眼寺(しょうげんじ)がありま す。厳しい修行で知られる禅の世界、その中でもとりわけ厳格 な修行の専門道場として全国に知られています。坐禅を通じて 雑念を捨て感覚を研ぎ澄ます。プロ野球元監督・川上哲治(てつはる)さん や星野仙一さんも、この正眼寺で自分を磨きました。起床は三 時半、質素な食事の他は坐禅と読経と労働に明け暮れる毎日。 雲水たちは、共同生活をしながらひたすら精進することを求め られます。正眼寺住職・山川宗玄老師の若き日 の姿です。物理学を学び、青春を楽しんだ大学 時代、僧侶となることはまったく考えていませ んでした。そんな山川さんが出家したのは、「自 分とは何者か」という疑問を真剣に悩んだ結果 だ、と言います。「自分とは何者か」。それは 学生運動が盛んだった七十年代初め、多くの若 者を惹き付けたテーマでした。




 

 
町永:  僕は、僭越ですけど、山川老師とは同時代ということで、ちょ っと昔話になりますけれども、若い頃というのは独特の激しい 時代で、
 
山川:  そうですね。学園紛争だけじゃなくて、ほんとに東大の封鎖事 件とか、第二次安保とか、いろいろあった時代ですから。私は どちらかというと、あの当時の言葉で言えば、ノンポリ(non   political)に近かったんですが、それでもストには何度か行っ たりしておりますね。そして学生の大半が、というよりか、す べてが、「社会の中でどう生きていくのか」とか、「社会とどう 関わっていくのか」「自分がその中でどういう役目を果たして いくのか」ということを真剣に悩んだ時代だと思いますね。我 々だけではありません。それ以前もそうだったかも知れません けれど、特にそういうふうな大きな変革期にあった、と思いま すね。
 
町永:  そうですね。
 
山川:  その中で、私もおったわけですが、どちらかというと、一歩引いて学生紛争を見 ておりましたね。盛んに誘われはしたんですけど、一歩引いておったし、まった く逃げたわけじゃありませんけど、そういう中で、「どうも違うな、社会を変え るのはほんとに正しいのかな」という思いがやっぱりありましたね。
 
町永:  そうですか。
 
山川:  「社会を変えるんではない方法はないのか」と。それは「自分を変えていくのが 正しいんではないか。自分がほんとに変わったなら、世の中も変わるんではない か」と漠然と思っていましたね。
 
町永:  いわゆるあの頃は政治の季節ですから、体制を変えようとか、いろいろ社会の変 革、もっとこう変えていこうという大きなうねりがあったんですが、その中にあ って、「自分を変えよう」と。
 
山川:  「変えていかなければならないぞ」ということと、「変えていくのが正しいんで はないか」と。
 
町永:  それはどういうことで? 一人ひとりが変わっていけば相対としての社会が変わ るということですか。
 
山川:  そういうことですね。それが正しいあり方ではないか、というふうに。何となく 漠然的に、その当時はですね。
 
町永:  老師はその頃は普通の学生であった?
 
山川:  まあ理工系の学問をしておりました。
 
町永:  理工系だったんですか。
 
山川:  はい。物理学なんですけども。
 
町永:  ほおー。
 
山川:  ですから、まったく宗教とは縁のない、ただ生まれが寺の次男ですから。
 
町永:  あ、そうですか。
 
山川:  兄が、寺を継ぐための大学へ進学しましたので。ですから次男としては別にどの 道を選ぼうといいわけで。
 
町永:  そういった学園紛争の最中にあって、漠然とそういうことがあって、「自分を変 えよう」と。
 
山川:  そうですね。
 
町永:  それでどうなさいました?
 
山川:  変えるのにいろんな方法があるかと思うんですけども、私は「肉体派」という言 い方はおかしいですけども、どちらかというと、身体を使うほうが好きだったん ですね。物理学という学問をしながらですね。ですから夏休みを北海道へ行きま して、援農という。
 
町永:  ありました。あの頃に。
 
山川:  酪農家とかですね、それから昆布漁ですね。これが二つ大きな援農でしたけども。
 
町永:  私は沖縄へサトウキビを、
 
山川:  じゃ、一緒ですね。どちらを選ぼうかなあと思ったんですけどね、まあ昆布でも 良かったんですけども、動物のほうが好きだからということで、酪農家のほうに 援農―アルバイトじゃありませんね。あの当時一日働いても千円位しかなりませ んでしたから。で、酪農家の中に身を置かして貰ったわけです。そういうことを 続けているうちに、物理学からいつの間にか酪農家のほうに意識が変わってきち ゃったんです。酪農家として一生過ごそうかな、というふうに思いが生まれてき ました。最初の年の印象が良かったんでしょうね。ほんとに精一杯身体を動かし て。実は学問のほうの書物も持って行ったんですよ。夜は読もうと思って。とこ ろが一日の仕事が終わって、布団の中に入って読もうかなあと思った途端に、一 行も読まないうちにフッと寝てしまうわけです。クタクタですからね。朝になっ てですね、繰り返しているうちに、これはもうダメだということで、本をほっぽ り出して、そっちのほうへ専念したわけです。そのうちになんとも言えない充実 感を覚えるわけですよ。地に足が着いているという感じなんですよ。毎日毎日が それこそ牛と一体となっているというんですか、大自然の中に一体となった生き 方をさせて貰っているような気がしましてね。何とも言えない充実感で、「じゃ、 それならばもう一度、来年行こう」。また来年も、その次の年も行った。三年続 けて行きました。それがさらに高じて、冬まで行きました。合計で一年位の日数 を牧場で過ごしました。そこで真剣に牧場の仕事をしようか、と。牧場の仕事は 第一次産業ですから、人の食に関わることですから、即人の生活に大きな役割を 果たしますよね。まあ簡単な言葉で言えば、人の役に立つ一番の仕事でしょう。 食べ物を提供して、安全で良い物を、安く提供できれば、これこそ数字に表れる 人のためですよね。だからそちらに、これは自分の最終的な選択肢だ、というふ うに思って、三年通って、合計一年位の日数をその牧場で過ごさせて貰ったわけ です。ところが三年位になった時に、身体の変調がきまして、腰ではなくて、そ の時は背骨を痛めてしまった。腰のほうも痛めてしまったりして、肉体的に自信 がだんだんそれとは裏腹になくなってきてしまった。三年目になった頃に、実は 卒業の時期だったわけです。卒業しなければならないわけですが、大学院に進学 するか、牧場をやりかけたから牧場主になるか、或いはまったく違う世界に就職 するのか、選択肢が三つあったわけです。その卒業の年に、私はどうにも決めら れなかったわけですよ、何をしたらいいかということが―牧場をやってみたいと 思うんですけども、夢物語であったから、決められなかったわけですね。しかし 卒業は迫っています。単位が足りなければ簡単なんですけども、単位が足りてお ったわけですよ。このままでは追い出されてしまう。父親に相談しまして、「一 年間時間をくれないか」と。「考えさせてくれ」と。「自分で一年後には生きる 道を決めるから、大学の席を一応置いておいてくれ、置かしてくれ」と、大学の ほうにもゼミの担当教官にお願いしまして、「単位出さんで下さい」と。
 
町永:  あ、そうですか。
 
山川:  そうしたら、受けてくれました。またその当時そういうのが多かったですね。自 主留年というのが多かった。その一人になりましてね。一年間は父親の許可を貰 いまして、その代わり生活は自分でする。アルバイトをしてする、と。牧場へ行 ったり、或いは旅行したりとか、好きな本を読んだりとか。
 
町永:  今でいうモラトリアムという。
 
山川:  まあそんなようなものですね。一年間経ちました。立とうという時に決まらない んですね。やっぱり甘いんでしょうね。
 
町永:  一年経ってもまだ進路が分からない?
 
山川:  分からないんですね。いろいろ悩んではいるんですけど、やっぱり甘さがありま すよ。若いせいもありますから。
 
町永:  なんでそう決まらなかったんですかね。何を一番悩んでいらっしゃったんです か?
 
山川:  結局、漠然とした思いですね。自分を変えないと、ほんとに人のためにも、世の ためにも―大げさですけどね。そんなことを思っておったかどうか分かりません けど、「自分を変えるのが一番大事な仕事ではないか」というようなことをどっ かで感じていたんだと思いますね。
 
町永:  なんかあの頃に自分が何者であるか、ちょっと分からないという時代ではありま したね。
 
山川:  そうですね。それは実感としてありますね。ですからそこで悩んで、結論が出な いわけですよ。出ないんであれば、結論を出さないといかんのです。結論が出な いから、結論を出さないといかんのです。だって一年しか余裕は貰っておりませ んので。そこで結論を出したわけです。こういう結論を出すわけです。「結論が 出ないんだから、結論がでなくてもいい結論を許して貰える世界しかない。悩ん でおるんだから、悩みを許してくれる世界を選択しなければならんな」と。フッ と思ったら、「ああ、なんだ。宗教の世界があったじゃないか」。私は寺で生ま れましたので、禅宗の寺の子供ですので、小さい時から、そういう禅宗とは接触 があったわけですよ。
 
町永:  じゃ、「結論が出ない」と。で、「悩んでいられるところを結論として出そう」 と。
 
山川:  そうです。
 
町永:  「悩むために選んだ」と。
 
山川:  そうですね。安易な選択ですけれども。
 
町永:  安易なんでしょうか?
 
山川:  「一生悩んでは許される世界を、なんだ、目の前にあったじゃないか」。フッと ほんとにその時は嬉しかったですね。
 
町永:  どうですか? その悩むために入られて、本来の結論というのは見出されたんで しょうか。
 
山川:  いや、そう簡単なものじゃありませんですね。ある面で言えば、一生悩むと思い ますが、しかし「修行を一生続ける」という結論が 出ましたですね。「一生修 行させて頂く」という。それで十分だ、と思いますね。
 

 
ナレーター:  一生悩める職業として、修行僧の道を選んだ山川さん。しかし正眼寺での修行は、 山川さんの想像以上に厳しいものでした。年 に二回行われる先輩僧との面接。自分では精 一杯勤めている筈なのに、決して褒めては貰 えません。
 

先輩僧一:  修行とは如何なるものか。入室参禅のこと、 専門道場のあり方。そういうところあたりが 全然分からずに、世間で練り上げた学問で自分で都合のいいように解釈して、通 用しないところは切り捨てて、こじんまりと纏めたもので、良しとしているとこ ろがあると思います。
 
先輩僧二:  そういうものをいっぱい投げ打って、そっから始まるんだ! 今までのものを後 生大事に持っておって、いくら精進努力したところで、大した者になるかえ!
 

 
山川:  「頑張る」という言葉は、禅宗の世界では大事にしています。「頑張るな」とは 言いません。「頑張れ、頑張れ」という言葉はそう使えませんけども、「勇猛心(ゆみょうしん) でもって精進(しょうじん)せよ」というような表現をしたりして、精進というものを厳しく 課します。しかしそれは世間での「頑張り」とは違う「頑張り」ですね。此処に 雲水が二十人もいるわけですけども、その二十人の雲水が、一人ひとり、他人と 競争して頑張れじゃなくて、自分の内側に向かって精一杯努めよ」という意味で の頑張りは強制しますね。
 
町永:  強制するんですか。
 
山川:  そういうふうにもっていかないと、どうにもなりません。
 
町永:  頑張れ、と。厳しい修行の場であると伺っていますので、「頑張りなさい」とい うのは、修行としてある意味で強制する。
 
山川:  そうです。
 
町永:  我々がこれまでに頑張ってきたのと、どう違いますかね。
 
山川:  我々の世界で「もうダメだ」という。つまり人間的に、肉体的にも、精神的にも 限界だという時に、「ダメだ」という表現をしますね。「その人間がダメだ と表現したところから、本当に修行が始まるんだ」と言います。
 
町永:  私など今の時代にいますと、「もう頑張るのは止めようや」と。「一途に駆け足 で、急ぎ足で頑張りすぎた。もっとゆとりを持とう。もっと癒される時間を持と う」という気分でもあるんですけども、これはどうでしょう?
 
山川:  ええ。それはよく分かりますし、それは正しいと思います。ただそれは他との競 争でしょう。「他に対して自分が頑張るんだ」ということですね。つまりそれは 「頑張る」という言葉は、「我を張る」ということの転用だ、というふうに言わ れていますね、言葉の上では。「我(が)を張る」ことはやはり苦しみや迷いを作る原 因になりますから。例えで申し上げますと、会社の中で、今、課長さんがいろん な仕事をして業績を上げたりなんかすれば、その業績が認められて、その上の部 長とか、専務とか、だんだん昇っていくのが世の中の普通の努力に対する報酬と いうんでしょうか、見返りというんでしょうか、そういうふうになりますね。そ れははっきり地位とか名誉とかで現されますね。最終的にどうなっていくか、と 言ったら、課長さんから部長になって、部長から専務になって、専務から最終的 に社長になるかも知れませんが、そこで、じゃ、そうなった時に満足出来るかと 言った場合、ほんとに満足という言葉は、我々の世界では「安心(あんじん)」ということに なると思いますけど、「安心が得られるか」と言ったら、途端に上に昇ったら昇 っただけ、今度は下に落ちることの不安に駆られるんじゃないでしょうかね。優 秀な成績をあげていても、「どっかで同僚から、或いは後輩から追い抜かれるん ではないか」という不安感を持って、毎日毎日過ごさざるを得ない、と思います よ。そうすると、仮に成功しても、仮にトップになっても、その人は満足感でな くて、安心じゃなくて、不安を抱えた成功になりますよ。それが世間での頑張り の最終的な結論じゃないですか。
 
町永:  そうすると、老師のおっしゃる自分との頑張りとは、我を張るということではな いんですか。
 
山川:  「我を張る」ことではありません。他人と比較すれば自分の努力が足らないとか、 ということはよく分かると思うんですけども、その比較すべき相手がはっきりい ないんだということが、修行の世界では分かってもらわんといかんです。これは 修行だけではなくて、世間でも本当はそうでなければならんと思うんですね。「自 分の務めを精一杯果たす」ということが、本当は一番大事なのに、「比較して努 力の足らないところを成果によって誤魔化している」というのが、「世間の人の 頑張る」の言葉ではないか、と思いますね。
 
町永:  どっかで誤魔化して?
 
山川:  ええ。本当の努力というものを、人と競争して勝ったとか、人よりも成績が良か ったとか、成果があがったとか、ということで誤魔化しているというふうに、私 は思います。「一人ひとりが精一杯の努力をし続けた時に、もうダメだ≠ニい う時が訪れる。そこから本当のその人の世界が現れてくるんだ」というのが、我 々の訴えるところですね。
 
町永:  その辺りはどうやって分かるものなんでしょうか。
 
山川:  分かるというよりも、一つ私の経験談で申しますと、昭和四十九年に、この道場 に「掛塔(かとう)」と言いまして、入門致しました。その一年間がある面でいうと、私の 財産みたいなものなんですが、それなりの決意をしてこの道場に来たんです。も ともと腰を痛めていたものですから、そういう一つの弱味を持っていたわけです ね、身体の。で、此処に掛塔入門しまして、三ヶ月位はほんとに無我夢中で、何 が起きたかよく分からないぐらい本当に一日一日を必死に過ごしてきたわけで す。ある程度経ってからフッと自分を振り返ってみた時に、もともと弱い腰が更 に弱くなっていたわけです。つまり睡眠時間は少ない。労働は厳しい。作務(さむ)と申 しますが、それは厳しい。更に托鉢で遠方に歩いて行って、歩いて帰って来なけ ればならん。その托鉢の時にも重い米を首からぶら下げて来なければならん。そ ういう日々で腰に負担がかかります。坐禅は特にその通りなんです。こちらの正 眼寺に来て、初めて坐禅したようなものですから、そんなにキチッとした坐禅と いうのか、理想的な坐禅ができていませんから、余計腰に負担がかかります。で、 その頃にそれこそ「ダメだ」という状況になったわけです。冷静に判断したわけ ではないんですけども、身体が保たないだろうという状況になりました。現実的 にはどういうことかと言いますと、もう身体に何か怪我をして傷を作った場合に 化膿したのが治らないんですね。相当身体が弱っているんだと思います。免疫力 が落ちたんでしょうね。そういう状態で睡眠時間は一日一時間とか、二時間とか。
 
町永:  一時間か二時間、
 
山川:  二時間ですが。勿論坐禅していますので、少しは身体は休めて いると思いますけども。そういうふうなことが続いたわけです。 睡眠時間が一時間とか、二時間というのは、此処に雲水がその 当時三十五人おりました。三十五番目の雲水でしたから、風呂 に入るのは三十五番目に入りますし、出るのは一番に出なけれ ばいかん。坐禅も正規の坐禅が済んだ後、これ「規矩坐(きくざ)」と言 うんですけども、規矩坐が済んだ後は、「夜坐(やざ)」と言って夜自 由に坐ることになっています。これは正眼寺の伝統で言います と、三十五番目の者は三十五番目に夜坐に出ていくんですが、帰って来るのは一 番最後に帰らなければいかんということになりますと、三十五人雲水がいますと、 一人ずつこうずれて帰ってくるわけですけども、五分ずつずらしても、もう既に 三時間位のずれがあるわけですね。ですから夜休む時間を計算をしますと、私は 休む時間がいつも夜中の一時とか、二時ですね。開静というて、起きる時間が三 時半ですから、単純計算でも一時間位の睡眠になりますね。そんな状態が続いた わけです。そこでもうこれはいかん。あれだけ強い決意して、此処に来たんです けども。このうえは倒れるかも知れないな、と。病気がさらに進むか、場合によ っては死ぬかも知れない―これ大袈裟ではありますけども―そういうことがあり ました。で、そういう中で自分なりに考えました。大して冷静な判断ができない ような状態にはなっていたと思うんですけど、このまま居れば自分が身体をほん とに壊してしまって、再起不能になる可能性が高いな、と。どうしようかと必死 に考えまして、逃げるのは嫌ですから、もう逃げないで堂々と山を下りる方法は ないか、ということでいろいろ考えたんです。そこへ思い付いたのは、修行中に パタッと倒れることだ、と。見事に倒れて、それでみんなから、修行は成就しな くて可哀想だが、これはもうほんとに名誉の戦死みたいなものですから、鳴物入(なりものいり) で帰してはくれないでしょうけども、救急車に乗せて帰してくれるかな、という ぐらいの、そういう発想をしたんですね。
 
町永:  一層倒れて終えば、山から下りられる、と。
 
山川:  そうです。逃げるわけにいかんけれども、逃げないでなんとか命が助かる、身体 が助かる方法はないかと考えて、まあその当時は必死だったんですね。そのよう に決意をしまして、「じゃ、見事に倒れてサッと山を下ろさせて貰おう」と。こ のまま正眼寺でほんとは修行したかったんですけども、身体が保たない、と。こ れは現実問題でしたから。そこで倒れるための算段をいろいろ考えました。フッ と頭に浮かんだのは、「短い時間で倒れよう。そのためにどうしたらいいか」と。 さらに疲れること、更に身体を壊すこと、更にまあ要するに気力を無くすことで すね。それに一番いいのは坐禅もしっかりやる。作務もみんなの倍をやるとか、 托鉢に出ても今までのところふうふう言いながらやっていたわけですが、それを もう一つ勢いを出してやるとか、要するに早く身体をダメにしてしまうのがいい だろう。徹底的に痛めつけることをしたわけです。そして私の計算では一週間で パタッと倒れて、みんなから「残念だったね」と、送り返して貰えると思ってい たわけです。で、一週間やってみたわけです、必死に。しかし倒れないんですよ。 二週間もやったんです。ダメでした。その頃になりますと、これはやり方が拙い んではないかと思うようになりました。方法は他にありませんので、もう少し頑 張らなければいかん、というふうに思ったわけです。先ほどの「頑張り」ですね。 そこでただ一つだけどうしても出来ないのが睡眠時間をゼロにしてしまうことが 出来なかったんですよ。ゼロにして終えば倒れるだろうということは分かってい たんです。ところがゼロに出来ないんです。何故かというと、立っても坐っても 寝てしまうんです。その頃になりますと、横にならなくても寝てしまう。だから ゼロには出来ないわけですね。したくても出来ないんです。それでも精一杯それ なりにやってみましたけど、三週間やっても倒れませんでした。四週間たっても 倒れない。困りましたですね。困ったけども、毎日同じようにやるしかありませ ん。本当に疲労困憊(こんぱい)という言葉が通じないぐらいフラフラとしていたと思います。 ですからその当時の記憶がよくないんです。あんまりないんです。しかしある時、 夜坐に出て、みんな禅堂に戻ったり、同僚たちも先に帰りますから、独りで本堂 の縁で坐っている時、時計の音が聞こえるわけです。「ボーンボーン」と。夜中 の二時だなと。一つ鳴れば一時とか、一時半ですね。そういうことだけはフッと 分かるんです。それほどだから身に入った坐禅が出来ていないんだと思います。 そうすると、その当時は情けないことですが、「ボーンボーン」と二時がなると、 「あと一時間半しか休めないんだな」とフッと思うんですよ。サッと頭に浮かぶ んですよ。倒れたいと思っているのに、卑しいもんですね。「あと一時間半しか もう横になる時間がないんだな」と思うんです。「ボーン」と鳴れば、「あと二 時間半だな」と。「二時間半しかないな」と。ある日なんですけども、何日だと 記憶ありませんし、いつだったかということもハッキリは覚えていないんですけ ども、その日に限って、「ボーンボーン」と二時が鳴ったんですが、普通でした ら、「あと一時間半しか休めないな」ということが頭にフッと浮かぶんですが、 その時、どういうわけか知りません。「一時間半も休めるのかな」と。「も」と いう言葉が浮かんだんですよ。「しか」から「も」に変わっただけです。何の変 化もないんですが、その「しか」から「も」に変わった途端に、ガラガラガラッ と「自分は変わった」ということを感じましたね。「完全に変わった」と思いま したね。
 
町永:  あ、そうですか。
 
山川:  「しか」という言葉と、「も」とほんとに一字しか違わんですけど、その「も」 という言葉がどこから生まれてきたかも知りません。ただ「今日は一時間半も休 めるのか」でなくて、「休まして頂けるのか」ということもまで変わりますね。 その「も」が生まれた時に、「あ、頑張って頑張って、もうダメだというところ から始まるんだな」という意味が少し分かりましたね。私は修行で頑張ったわけ じゃないんですね。正しい方法ではなかったんです。邪道だったんですが、早く 倒れたい、という思いですね。楽になりたい、という思いがあって、確かに今ま での修行よりは格段厳しいことを自分に課してやりましたけども、それはまった く目的が拙い目的だったわけです。それが幸いにやってやってダメだという世界 から更にその向こうまで無意識でやってしまったわけですね。「己事究明(こじきゅうめい)」とい う言葉がございまして、「我々の自分自身を掘り下げていく。本当の自分に出遇 うためにそれこそ精進していく」ことを、「己事究明」と言います。目的は愚か な目的だったわけですけども、結果的にはそのことのちょっと片鱗を見させて頂 きましたね。自分の本当の世界の片鱗を。悟ったとはそこでは完全に言えないと 思いますけども、「生かされているんだ」と。その当時二十三歳でしたから、「自 分でここまで生きてきたんだ」という傲慢な気持がやはりありますね。「誰の世 話にもなっていないんだ」と。修行の世界に入ってきた時にも、「自分で精一杯 やればいいんだ」と。そんな思いはあったんですが、「ダメだ」という時に、そ ういうものは全部なくなっておりますよ。飛んでしまっています。
 
町永:  余分なものがそこで削ぎ落とされたということになるんでしょうかね。
 
山川:  ええ。ただ倒れるための毎日毎日だったわけですけども、そこが私にとっては有 難かった一瞬ですね。
 
町永:  そこが出発点であると。
 
山川:  ええ。
 

 
ナレーター:  入門一年目で、自分の限界を超える経験をした山川さん。無我夢中の体験の中で 出遇った不思議な安心感。その記憶が修行の日々を支えました。入門当時三十五 人いた雲水の中で山川さんはただ一人、正眼寺に残りました。
 

 
町永:  一般の人がなかなか修行の場というのは求めてあまり体験しません。そうします と、精一杯やるということを、どういうことを縁(よすが)にしてやっていけばよろしい んでしょうか。
 
山川:  一つの例でお話しますと、例えば料理の問題でも、これは実際此処で伺った話な んですが、料理でもって人を癒しているというんでしょうか、人を救っている方 がございます。世の中にたくさんそういう方がおられると思うんですけども、そ の方が正眼寺にお客さんで見えたものですから、その時に食事を差し上げたんで すよ。その食事は大変喜ばれて、「美味しかった」と言われたんですね。そして 食事談義になったわけですよ。その時に、「このホウレン草は随分美味しく湯掻(ゆが) いてありますね」というようなことを言われてですね、「いや、上手くいったか どうか知りませんが、ホウレン草、湯掻くのは難しいですね」というような話に なった時に、その方が、「そうなんです。ホウレン草湯掻くのでも大変難しいで すよ」と言われました。「へぇー、どこが難しいですか?」と。「色が変わった らスッとあげて、水で冷やせばよろしいでしょう」と私が申し上げたら、「いや、 それでは足らないですね。不十分ですね」って言われた。「どこが不十分です か?」と訊きましたら、「ホウレン草を茹でますね。茹でてサッと鮮やかな色に 変わります。変わった後でもう一度変わるんです」。「どういうふうに変わりま すか?」と言ったら、「サッと色が鮮やかなグリーンになった時に、その次にも う一度変わる」。というのは、「フッと透明になる」と言うんです。「その透明 になった時にサッとあげるのがいい。その時に本物の味が出るんだ」と言われた んですよ。私が言ったわけじゃない。その方が言ったんです。それを私は聞きま して、「うーん。禅と一緒ですな」と言ったんです。つまり先ほどの私の体験も ―他にも何度もそういう体験しているわけですけども、よく似ておりますでしょ う。つまり変化する。変化するだけではダメなんですよ。もう一度変えるところ があるんです。透明になってくると思うんです。そこで本物が現れるんです。だ からホウレン草もサッと鮮やかなグリーンになった時に、スッとあげるんじゃな くて、もう一つスーッと透明になる時がある。わずか零点何秒だそうですよ。そ れを逃したらもう途端に茹ですぎ、その前でしたら硬い、茹で方が足らない。
 
町永:  我々の世界で言いますと、我を張るような頑張りではない。他人と比較するよう な頑張りを止める、というだけでは足りなくって、
 
山川:  そうです。そこから頑張って、頑張って、いくということはだんだんホウレン草 の色が変わるようなものです。変化するだけではダメなんです。変化して透明に なっていかなければならない。「透明になるということは、向こうの世界とこっ ちの世界が、境がなくなる」ということでしょう。「料理に身を任す」という表 現はちょっと大袈裟かも知りませんけども、「ホウレン草と自分とが一つになっ ていく」と。そこで透明な世界を知っている方は、サッとそこで本当の味が出る んだという長い経験、深い経験でそれを分かって、そういうふうなものを人に差 し上げると大変喜んで頂ける。美味しいホウレン草になるわけですよ。それは自 分も安心ですが、人まで喜びを与えますよね。ところが同じホウレン草でも、「こ れでいいんだ。本に書いてあったから、レシピに書いてあったから」と、ここで サッとあげて出せば、早めであれば硬いでしょうし、遅れていれば味がちょっと もう半分腐ったような味がするかも知れませんね。
 
町永:  それは料理の瞬間である、パッと透明になる、全身全霊を打ち込んで捉えた瞬間。 それはちょうど山川老師がおっしゃったずーっと修行を続けて、辛いつらいとい う中で、一時間半しか眠れないというのは、一時間半も眠らせて頂けるという、 何かその瞬間と相通ずるものがありそうですね。
 
山川:  ありますね。実は「透明になる」ということが分かる、ということが大事なんで すよ。つまりそれは「透明になったということが分かる」ということは、その人 も、その料理に打ち込んでいて、まったく「料理と一つになっている」。ホウレ ン草と一つになって、自分が透明になっていたからでしょう。そこまでその人が 料理に必死になっていたということ、それを我々もいろんなところで、みなさん は、それぞれの職業、仕事、役目というのはありますよね。年齢もいろいろある わけですが、それぞれの世界で、それをされたらいいんですよ。
 
町永:  ホウレン草がこう色が変わるだけではなくて、ある瞬間、透明になる瞬間を見出 せるかどうか。
 
山川:  そうです。それは、するところに集中していかなければならんでしょう。片手間 に、テレビを見ながらホウレン草茹でておったら、まずその透明の瞬間見逃しま す。見逃すよりも、それを感じ取ることが出来ないと思いますよ。全身全霊でも ってしなければければ捉えられない。
町永:  じゃ、一般の我々の暮らしの中でも、そういう瞬間はあるわけ ですか。
 
山川:  どなたでもいつでもありますよ。だからそれをされたらいいん ですよ。
 
町永:  つまりホウレン草が、色が変わって透明になる瞬間であるとか、 懸命になる瞬間という、何か大きなものがあると。
 
山川:  世間の場で、と言いましょうか、私は詳しいことは分かりませんが、野球選手で、 イチロー選手とか、松井選手が大リーグで活躍されていますね。ああいう人たち、 ほんとに若いのに大変な力を発揮している。才能を発揮しているな、と思うんで す。私は、新聞の記事とか、インタビューの話とかを読んだりしますと、イチロ ー選手は、この辺のところがよく分かっている人だな、と思いますね。当たって いるかどうか知りませんが、イチロー選手は、「インタビュー嫌いだ」と言われ ていますね。だから試合後にコメントを求めても何も言わない、という人らしい ですね。どうしてそういうことをするかというと、簡単に我々が想像出来るとこ ろでは試合に集中するためでしょうね。自分の務めに集中するためでしょうね。 結果が良かろうが悪かろうがコメントいつも一緒ですね。勝負にあまり頓着して いないというふうに、いつも書いてあります。あれを見ますと、やはりイチロー 選手はそのことに集中している、徹底しているな、と思いますね。今、自分の務 め、打者としてのとか、どこを守っているかちょっと知りませんけども、守って いるところに、その選手としての役目を毎日毎日精一杯務めれば、果たせばいい んだ、と。結果のことはあんまり考えていません。「今できることを精一杯、今 に集中している」という方ですね。
 
町永:  結果として、
 
山川:  結果はそれこそ並の人じゃありませんですものね。結果はそのように付いている わけですから。でも一瞬一瞬はほんとにその場に集中しているだけですよ。先の ことを、競争心とかも一切ないんじゃないですか。その一つのいい例でございま すね。
 

 
ナレーター:  対象と一体になるほど、自分の道に徹する人の心には、自信というものが宿って いると、山川さんは言います。禅でいう自信。それは我を張る ことなく、自らを大いなるものに信(まか)すことのできる境地です。 結果はどうあれ、努力を続けること、そのものへの信頼がここ にあります。
 

 
山川:  勿論、天然の自信に溢れた人というのはいるらしいですけどね。 そういう人は結局は任せ切った生き方が出来る人だと思いますね。大丈夫なんだ。 ほんとに天真爛漫ということですよ。天意というんですが、天の意志に沿った生 き方が出来る人は、何も苦労がないですよ。そういう生き方を本来我々はすべき だということですよ。また出来るんだということですよ。ただ私らのように、そ ういう素質が薄いものは、そういう深い体験をどっかでしないと、そこに至らな いわけですよ。ですから日々精一杯することで、それでも足りません。だから一 生やらざるを得ないんです。一生やってもダメかも知れませんが、その時はどう するか。昔思ったことがありますね、修行時代で、それは今のような形でありま せん。まだまだほんとに何も分からない頃ですね。修行の世界でスランプがあり ます。要するに倒れて山を下りようというのが、最初のスランプでした。それ以 降にも随分スランプはありましたね。競争しないと言いながら、やはり競争して いて、自分の後輩が自分をドンドン追い抜いていくような、そういう現象があっ たりして、或いはもう一つは、修行に飽きたという言葉はおかしいんですけども、 つまりほんとに長い期間自分自身でも満足できないというんですか、なんかもや もやした雰囲気の状態が続いた時がありますね。その時このまま居たって大した ことにならんな。修行しても大したことにならんな、と。実はそういう思いが生 まれた時があるんですよ。だから山を下りて、どっかでいい寺にでも入って結婚 でもしようかな、と思ったこともあります。でも、その中にもう一つは、ずーっ と悩み続けていける場所が此処である、と。職業ということはおかしいですけど も、生きる道は此処だという思いと、両方がありますからね。そういう葛藤が生 まれますよ。「頑張ったって、これしか出来ないじゃないか。俺のレベルはこん なもんじゃないか」。そういう思いがいつでも葛藤するわけです。でも「頑張れ、 更に精一杯やれ」という思いのほうがだんだん強くなってきた時に、反発するわ けですよ。「一生懸けたって、お前のレベルはこれだぞ。修行なんか絶対成就で きんぞ。大したお坊さんにもなれんぞ」という思いが湧くわけです。その時にこ ちらの思いがグッと押し潰しましたね。どういう結論かというと、「死ぬまでや ったって、お前の成果はこんなもんだ。仏法を学ぶというけれど、この辺しか出 来ない。死ぬまでやったって、こんなもんだぞ」という思いに対して、「いいよ、 それでもかまわん」。「どうするんだ」と言った時に、「もう一度生まれ変わって やる」。そういうのがフッと湧いてきたんです。
 
町永:  それは生まれ変わっても修行をさらに続ける、と。
 
山川:  「生まれ変わって、もう一回修行させて貰う」と。これは何にも荒唐無稽(こうとうむけい)な冗談 でも何でもないです。スランプの時に、真にそういう気持がグッと湧いてきたん ですね。それが湧いた途端に、フッと悩みが解けましたね。「何だ。生まれ変わ ってもう一度やればいいんだ。ダメでいいんだ」と。「精一杯やって、ダメだっ たら、もう一度生まれ変わってやればいいんだ」。それが自然に湧いてきました。 また本当の意味での自信に繋がります。「信(まか)せてしまう。一生かけてやるんだ」 と。「ダメだったら、もう一度生まれ変わらせて貰うんだ」という意識ですよ。 生まれ変われるかどうか分かりませんよ。そんなこと多分不可能でしょうけども。 もう一度生まれ変わってでもやらせて貰うんだというのは、本当の自信ですよね。
 

(「禅の世界ー正眼寺僧堂の四季ー」  の映像から)
 
ナレーター:  寒さが最も厳しい一月。正眼寺では、七日間を 一日と見立てて、不眠不休の修行をする臘八大(ろうはつおお) 接心(せっしん)が行われます。七日七晩、横になることは 許されません。雲水たちは、自分を限界まで追 い込んで、本来の自分を見出そうとします。大 接心最後の夜、午前零時を越えて、雲水たち に一杯のうどんが振る舞われます。もうダメ だと何度も思った末に味わううどんの美味さ、 お湯の温もり、生きて此処にあることの大き な安心(あんじん)が雲水たちを包みます。
 

 
山川:  まあフッと頭に浮かんだことなんですけどね、何も大袈裟なことではありません。 日本の人たちが、「昔はそういう生き方をしていたんだ」という一つの例だと思 います。丹波地方のある方から伺った話で、ほんとにこれは面白いというか、い い話だなと思いました。「昔日本人はやはり自然のサイクルと同化していた」と 言うんでしょうか、「一体になって生きていた」という証拠だと思うんです。こ れから冬を迎えるわけですが、長い冬を経て春になると、人間というのは、大き な開放感に満ち溢れますね。そうすると、丹波地方のあるところは、こういう伝 統行事があったんだそうです。三月のお彼岸の頃に、ちょうど春分ですから、昼 と夜が一緒になりますね。その時になりましたら、部落の人たちが、古老を中心 にして、春分の日に朝起きたら真っ直ぐ東に歩いて行くんだそうです。その前日 に、みんな弁当を用意して、おにぎりとか、酒を積んだり、果物とか入れて、み んなそういうものを持って、背負って、真っ直ぐ東に歩いて行く。そうすると太 陽が上がってきますね。ずーっと上がってきて昼になって、ちょうど中天になっ た時に昼ご飯にするんだそうです。行き着いたところで。毎年やっていることで すから、いつも同じとこなんでしょうけど、そこで食事を頂いたならば、今度は 片付けて、今度は太陽を追うようにして真っ直ぐ西に歩いて行く。そして家に帰 ってくるんだそうです。これを毎年毎年行っていた。春を喜ぶ行事だそうです。
 
町永:  まさに太陽を追って歩いて行って、また追って帰って来る。
 
山川:  自然と一体になって生きている。春を実感して、これから春だぞという。それか ら田圃を耕したりなんかするでしょうね。
 
町永:  何とも大らかな生き方、
 
山川:  だからそういうことが日本に伝統として残っていたわけです。あったわけですか ら。そういう方々はほんとに日々を精一杯の生き方をした。自然と一体になって、 そういう安心の世界に生きていたんじゃないでしょうかね。
 
町永:  きわめてシンプルな、
 
山川:  何も難しいことないですね。
 
町永:  懸命に生きればいいんだ、と。
 
山川:  大地に任せるものは任せなければならんなと。自然の営みの中で、我々は生きて いかなけらばならんのだ、と。そこから得られるほんとに自分の楽しみとか、喜 びというものを頂いて、生かさせて貰っているんだ。そこに大きな安心というも のがありますね。ほんとに我(が)が取れて、真の自信に至った人は、もっと楽な、肩 肘張らない生き方が出来ると思いますよ。これは私の尊敬するある和尚の話なん ですが、もう亡くなって終えました。百六歳で亡くなった方です。この方が百歳 になっても日々の務めというものを果たしておられました。簡単に言いますと、 要するに労働していたんですよ。百歳越えて、庭の草取りとか、石運びとか、掃 除とかされていたわけですよ、毎日毎日。ある時にどういうふうに思われたか知 りませんが、パゴダと言いまして、一つの仏塔を造りたいと思われたんですね。 で、結果的に三メートル以上の仏塔を造られました。私は、何度もそこの寺に伺 って、その老僧が仏塔を造っているところに遇いまして、傍に見ていて、コンク リートを練ってですよ、こういう塔を造って、だんだん積み上げていくわけです。 それで基礎も自分で造られて、「そんなの大変だから、誰か檀家さんに手伝って 貰ったらどうですか」と、私が言ったら、老僧は、「いや、手伝ってもらったら、 自分の仕事にならんから、自分でやる」というんですよ。「ところがそんな大き なコンクリートの固まり造って、わが身で運ぶわけにいきませんでしょう。どう するんですか」と言ったら、「チィーンブロックで吊ったらば、それでゴッと運 ぶ」というんですよ。「それ一人でやったら危険だから、それこそ誰かの補助が ないといかんでしょう」。「いや、自分一人でやる」と言うんですよ。「でもそ れは老僧の力ではほんとに手伝って貰った何倍も何十倍もかかるんじゃありませ んか」と言いましたら、「いや、その通りだよ」と。「儂は百歳になったから、 若い人の、或いは若い時の十分の一しか仕事できんわ」と言うんですよ。「そう でしょう。十分の一しか出来ないんだから、人に手伝って貰ったら如何ですか」 と、こう言いかけたんですね。そうしたら、その老僧が言われたですよ、ポツリ と、「十分の一しか出来んから、人の十倍かけてやるわな」。そうしたら何にも 言えませんですね。そこが大きな自信だと思いますよ。
 
町永:  あ、なるほど。
 
山川:  百歳を越えてですよ、自分がこうしたいと思ったことを続けるわけですよ。でも 成人の十分の一の力しかないんですよ。百歳越えているんですから。だからどう したらいいかと言ったら、「十倍かけてやる」というんですよ。この言葉は恐ろ しい言葉ですね。でも自信に溢れた言葉ですね。「最後、自分は木が立ち枯れる ように死にたい」と言われて、実際にそのように百六歳で亡くなられました。
 
町永:  ほんとうの自信に満ちた生き方ですね。
 
山川:  無理は必要ないですよ。我も張っていない。出来ることを精一杯、ちゃんと智慧 を使って、十分の一しか出来なかったら、十倍かければ、十分の一掛ける十は、 一ですもの。
 
 
     これは、平成十五年十一月三十日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである