生と死の輝きー心の危機を乗り越えてー
 
                           英知大学教授 高 木(たかき)  慶 子(よしこ)
熊本市生まれ。大学で心理学と神学を学び、現在、英知大学で教えながら、死別体験を語り合う会、兵庫・生と死を考える会などを主宰。援助修道会会員。
                           き き て  白 鳥  元 雄
 
白鳥:  緑吹く風も爽やかな五月の上旬。兵庫県尼崎市にある英知大学 に高木慶子(よしこ)さんをお訪ねいたしました。高木さんは、平成二年 から此処の大学で教鞭を執っておられますが、親しい人との死 別体験を持つ方々の心のケアや、終末期にある患者の方の看取 り、いわゆるターミナルケアについてもご経験が深い方です。 阪神淡路大震災では、危機一髪のところを助かったそうで、今 日はご自身の体験を中心にお話を伺います。
 

 
白鳥:  今はほんとにキャンバスの中が一番美しい季節ですね。
 
高木:  そうですね。今日はいいお天気になりましたね。
 
白鳥:  緑も学生の顔もみんな新鮮で。
 
高木:  そうなんです。新しい学生も入りまして、少しずつ慣れてきたようなんでござい ますけれどね。
 
白鳥:  高木さんのお書きになったものを何冊か読ませて頂いたんです が。
 
高木:  そうでございますか。
 
白鳥:  大学の中ではどういう講座をお持ちなんですか。
 
高木:  キリスト教学を担当しているんでございますけれども、でも、人間学で、「生と死 の人間学」というのを持っておるんでございますよ。
 
白鳥:  「生と死の人間学」。今、学問が凄く細分化されている中で、「生と死の人間学」。 かなり大きなテーマですね。
 
高木:  そうなんでございますね。敢えて、私が、その人間学の中でも、「生と死の人間学」 という題名を付けましたのは、実は今、世の中において、「生きている」というこ とと、「死ぬ」ということがどういうことか。非常に分かり難い時代、と申しまし ょうか、それで若い青年たちであっても、生命(いのち)あるものには、すべて死がくるん だ。死を迎えなければならないんだ、ということを一緒に考えたいんでございま すね。死を考えることによって、自分がいま生きているという実感がありますし、 死があるが故に、今、生かされている生命(いのち)の尊さ、そして、今こそ生きているこ の生命(いのち)を輝かさなければいけないというものを、若い学生たちにも分かって頂き たいと思いまして、私は一方的に講義するというよりも、学生と一緒に、「生きて いること」「死」って、どういうことなんだろう、ということを考えたいと思って、 一年間の授業をしております。
 
白鳥:  二十歳前後の学生たちは、「生」は分かるにしても、「死」の問題というものは、 問題意識を共有出来ますか。
 
高木:  大変難しいですけれども、私はこの「生と死の人間学」を何年も授業しておりま して、若い方なりに、「あ、今、自分は生きているんだ。そして、総て自分の飼っ ている ペットも木もお花も死がくるんだ。生命(いのち)もそうなんだ。私もそうなんだ。 私だけでなくて、お袋も親父も死ぬのか。そして、いずれ自分も死ぬのか。だっ たら、今の生命を大事にしないといけない。そうよね。だから、今わの生命(いのち)を輝 かさないといけないのね」というところで、非常に共感が持てるんですね。
決して、死を考えることは、嬉しいことでも、楽しいことでもございませんね。 でも、死を考えることによって、今の生命の尊さが分かって、あんなに輝かしい 顔をしている。ということは、やっていていいんだなあ、と思うんでございます よ。
 
白鳥:  一九九五年一月十七日の朝、阪神淡路大震災のその時に、高木さんは大地震の一 番激しいその真ん中にいらっしゃったんだそうですね。
 
高木:  ええ。そうなんでございますよ。私自身大震災のことを思い出しますと、今、此 処にいるのがとても不思議というよりも、よく生きてきたなあ、という実感でご ざいます。
 
白鳥:  何か修道院の二階で被災された、と伺っておりますが。
 
高木:  そうなんでございます。私どもの修道院が神戸灘区山田町にありまして、一番激 しかった地域の一つなんでございます。そこの修道院の二階の居室にいたんでご ざいます。私は、最初の一撃で、多分、ベッドの上に振り上げられて、宙に浮い た時点で目が覚めましてね。その時には、確かに天井を見ていたような思いがす るんでございますね。次の瞬間は床に叩き付けられているんでございます。どう も、左肘の腕で身体を支えたらしくって、「ここが痛い!」と思いました。「痛 い!」と思った瞬間に、次には音の、「ゴオーッ!」という音、建物総てが軋む音 が、何とももう表現のしようのない音に、「一体、これは何だろう!」と思ったん でございますね。そう思っている時に、人間の身体は不思議と、自分が揺れてい るということに気付いたんでしょう。「地震だ!」と思いました。「地震」と言っ たら、私どもは、「何かの下に潜りなさい」という教育を受けておりますので、潜 ろうと思いましたら、すぐ左の手の前にベットの脚がございましたので、それを 握ってベッドの中に潜りたかったんでございますけれど、何と手を取りたいと思 っても、床を泳いでいるんです。「あれあれあれ」とこう握りたくとも、ベッドと 一緒に自分が流れているんでございますね。それが三回繰り返されました。その 一刻一刻、デジタルに覚えているんでございますね。音、それから自分の身体で 感じたもの、恐怖心、揺れていること。そうしているうちに、右の横にありまし た戸棚が、私の方に向かって倒れたんです。何故、倒れたというのが分かるか、 と言いますと、その戸棚が倒れる風圧を、この首筋と言うんでしょうか、背中に フワッと感じたんでございますね。その時に、「死んだ!」と思いました。「死ん だ!」と思いましたら、次の瞬間、「ガチャン!」という音で、「生きている!」 と。その時の「生きている」という感じは決して忘れられませんね。そのベッド の横にもたれ掛かっている戸棚が、と思ったんでございますね。そして、その戸 棚との隙間から這い出てきて、ドアを開けようとしたんでございますけれども、 ドアが開かないんでございます。ギッシリと。その恐怖でしょうか。その時には 真っ暗になりました。ベッドの脚を見ている時には、まだ見えたんでございます ね。というのは、この非常灯が全部落ちたんで、真っ暗で、真っ暗なところに、 閉じ込められている。それこそ三十秒か、一分もかからない間の恐怖心。その間、 揺れ続けに揺れているんでございますよ。ドアを開けて欲しい、と思いましたら、 廊下を─私ども、その時、修道院、八人おりましてね─「シスター!大丈夫!」 と声を掛けて走っていてくれました、廊下を。「ドアが開かないの!」と叫びまし たら、一生懸命開けてくれたんですが開きません。「ちょっと待って!」というこ とで、金槌を捜してくれました。幸いに金槌がすぐ近くにございましたので、そ れで叩いて開けれくれました。
 
白鳥:  お話を伺っていると、克明に覚えていらっしゃるものですね。
 
高木:  ええ。不思議でございますね。やはりこれほどショッキングな体験を致しますと、 自分で覚えようというんじゃなくて、身体が。そして、もう身体と記憶の中に、 一分一秒ずつ刻まれて残っているんじゃないでしょうか。今、「その当時から三週 間、四週間というのを、全部絵に描きなさい。文字に書きなさい。お話なさい」 と言われても、全部お話出来るくらいでございます。五時四十六分という時、真 っ暗なんでございますね。で、三十分、四十分後に、だんだん朝日が昇って明る くなりまして、私の居室に帰りました。そう致しましたらば、何と、私自身が寝 ておりましたベッドの枕のところまで、戸棚が横にこうかかっているんではなく て、戸棚がベッドの上にキチッと被(かぶ)さっていたんでございますね。それを見まし た時に、私はベッドから振り落とされたから今があるんで、振り落とされていな かったら、もう絶対にこれはただ事ではなかった。死に至っていたんだ、と思っ た。これを自分の目で見ました時に、課されていたんだ、と思いました。どうし て私に課されたんだろう。私はカトリック信者ですので、私の実感は、「神さまが 私を生かして下さったんだ。これからの生命は人様と神さまのために残された生 命なんだ。粗末にしてはいけない」ということを肝に命じました。でも、それと ともに、「生きている」ということの怖さ。私が生きていると、まだ余震が続いて いますでしょう。ですから、もうほんとに複雑な思いでございました。
 
白鳥:  ご自身がそういう被災の真っ直中にいたにも関わらず、すぐに立ち上がって同じ 被災者のみなさんの心のケアの活動を始めますよね。
 
高木:  実は私自身が神学を専攻しておりましたものですから、私自身がこれほどまで、 大震災でショックを受けて、不安と恐怖におののいている。だったならば、ご自 分の家が全壊で、ある方はご家族の方を亡くしていらっしゃるわけでございます でしょう。そういうショッキングな体験をしていらっしゃる方のお心はどんなな んだろう、と思ったんでございますね。ですから、止むに止まれぬ思いで避難所 を訪ねました。それは私の共感というんでしょうか。こんなに私も苦しいんだか ら、それをほんとに苦しんでいらっしゃる方々はどんななんだろう。お話するこ とによって、少しでもお心が楽になられるんじゃないかなあ、という思いで、避 難所に出掛けました。そうしましたら、避難所というのは、ほんとに口では言い 表すことの出来ない過酷な条件でございますよね。広い体育館に、ご自分のスペ ースは敷き布団一枚でございます。そして、寒い時でございましたから、風邪が もの凄く流行っている時でございました。その教室にしても、多目的ホールと言 われるその場所も、全部がそこに入るだけで、風邪が移るようなところに、みな さまがいらっしゃるわけでございますね。それと、大震災というのは、壁を壊し てしまった体験でもございましたね。今まで、私どもは塀を作り、「此処は私のお 家ね」「あなたは此処から向こうのお家ね」という塀を作っておりますね。壁は外 気と内と分けるために壁がございます。そして、障子で、或いはドアで仕切って いるわけでございますね。そして、お洋服で自分自身の身体を守っている。こう いう生活をしておりましたね。それが一瞬にして、塀は無くなるわ、壁も無くな るわ、自分の今まで守っていたお洋服もないわけでございますよ。もう着の身着 のまま逃げてきた状態でございますね。ですから、今まで一生懸命自分を守り隠 してものが無くなって、裸の状態になる。それが大震災の体験でございます。で すから、例えば、避難所にいらっしゃいます方は、着の身着のままのお姿でござ いますね。ですから、ご自分の裸のままのことをお話になるんです。今まで隠し ていたものを、全部もう洗い晒(ざら)しにお話を頂 く体験でございました。
 
白鳥:  此処に、高木さんが被災後に撮られたお写真 ですか。
 
高木:  一週間後に撮った写真でございます。
 
白鳥:  凄まじいですね。
 
高木:  これは私どもの家から歩いて、四分位でしょうか。近所の状況でございます。
白鳥:  まさに、今、おっしゃった塀も壁も何も無くなってしまった。
 
高木:  ええ。
 
白鳥:  お花が残っておりますね。
 
高木:  これは被災地でこういうものがかなり目立ったんでございます ね。家が全壊して、これは焼けた跡でございますね。火事があった後でございま すが、此処で犠牲者、亡くなられた方がいらっしゃいますよ、ということで。
 
白鳥:  犠牲の標し。
 
高木:  そうなんです。犠牲者のために、ご冥福を祈るために、お花があっちこっちと置 かれていたんでございますよ。ですから、そこに参りますと、みなさん、立ちす くんで祈っていらっしゃいましたね。
 
白鳥:  これはお墓。
 
高木:  そうなんでございますよ。
白鳥:  これはお墓のお骨を収めるところの穴。
 
高木:  そうなんでございます。実はお墓が─これは六甲小学校のすぐ 近くにございますお墓なんでございます。お墓の一角が全部墓 石から何から全部倒れまして、お骨が見えていたんです。私は、 さすがにお骨のところにカメラを向けることが出来ませんでし た。で、ちょっと遠くから撮ったんでございます。全部が破壊 されてしまって、お骨が納められているお骨壷まで割れて、骨が見えているんで ございます。それが幾つもなんでございます よ。私は、それを見ました時のショックは、 生きている者にとっても、この大震災はとて もとても辛いことでございましたけど、亡く なられた方にとっても、こんなにお苦しい体 験をもう一度させてしまったことなのかな あ、と思いました。ここを通ります時に、私 は必ず両手を合わせてお祈り致しました。私 だけでなくて、そこをお通りになる方々が、ハッと気付いたら、みなさん、手を 合わせてお祈りしていらっしゃいました。ほんとに辛いことでございました。私 は生まれて初めてでございました。
 
白鳥:  いろんな記録を読ませて頂くと、その時に、かなりの高い熱を出されて、こうや って拝見したところ、決してご丈夫そうなお身体ではないのに、それだけのこと をおやりになった。やはりずうっとカウンセラーとして、みなさんのお話を伺っ て、常に適切なお話をなさっていた、その強さが高木さんにあった、ということ でしょうかね。
 
高木:  そうでございますね。私は、「どうしてすぐ避難所に心のケアとしてお行きになら れたんですか」とよく伺われるんでございますけれども、実は、私は東京で長い 間カウンセラーとして働かせて頂きました。自分がカウンセラーなんでございま すけれど、大震災後に、次の日から、私は高熱を出しました。四十度の熱が出た んでございます。それこそ二日半、ベッドの上で、「ウンウン」と唸っていたんで ございます。その時の恐怖、それから、不安。次から次とくる余震。それから自 分自身が、何も出来ないながら、私どもの修道院の前は大きい通りでございます が、そこを消防車、救急車、自衛隊の車が大きな音を立てて走っていく。すぐ横 も道でございますから。それを聞くだけで恐怖。それに上には、ヘリコプターが たくさんたくさん飛んでいたんでございます。ヘリコプターというのは嫌なもの で、「パタッパタッパタッ」と音がするんでございますね。それが振動の激しいも のですから、「また地震か!」と思うのでございます。その恐ろしさ。ですから、 そういう恐怖と不安で、自分の心が戦(おのの)いていて、その四十度の熱というのも、決 して私は風邪だったんじゃない、と思うんでございます。自分の恐怖と不安で、 身体がもう支え切れなくて、高熱ということで、私に一つの徴(しるし)を出してくれた、 と思うんです。ですから、それが熱が下がった途端に、私は、先ほど申し上げま したように、これだったら、私がこれほどまで、心も身体もメタメタになるなら ば、多くの方々はもっと酷いであろう。それで少しでもいいから、お話を伺いた い、ということで、避難所に伺ったんでございます。
 
白鳥:  高木さんご自身がもうそうやって、心身ともに、
 
高木:  ですから、自分がカウンセラーだからではなくて、私自身がこれほどまでショッ キングな、これほどまで怯(おび)えている私で、それが身体にまで顕れているならば、 私以上に喪失体験をしていらっしゃる方々はどんなか、という思いで、避難所に 伺いました。止むにやまれぬお思いだったんでございます。多くの方からいろん な、考えられないようなことを聞かされました。それはもし大震災がなかったな らば、こういうことは決してお口になさらないであろう、と思われることをたく さん伺いました。それは大震災が総てを裸にしてしまったが故に、ご自分の過去 も今も全部お話になって頂いたんだ、と思うんでございますね。私にとっては、 私の癒しのためでございました。こういうことを申し上げると、とても失礼かも 知れないんでございますけれど、カウンセラーというのは、自分は元気なんだ。 人さまに、クライエントに、「さあ何か、問題があるのね」と言って、こう聞く。 どこかにそういう構えがあると思うんでございますが、大震災の時にはそんな構 えなんかなくて、私も一緒に大泣きに泣いたり、或いは、もう抱き合って、「よく 生きてきたわね」というような、そういうこともたびたびございましたよ。考え てみますと、私自身はそういうことによって、私自身が癒された。こういう大き な災害で、受けたのは、私も初めてでございました。日本は災害大国というんで しょうか、地震も、嵐もございますし、水害もございますね。また、私は、日本 の国内でもそういういろんな災害のニュースを伺っていたんでございますが、や はり余所事(よそごと)だったんでございますね。大震災を体験して、初めて心にこんなに大 きな疵(きず)を受けるんだ。そして、身体にもそれが影響を与えるんだ、ということを 初めて知りましたね。そして、私自身のことを思いますと、私自身は、大震災後、 最初は恐怖と不安でいっぱいで、心は慄き、そして、身体には、「身体が受け止め られないよ」ということで、四十度の熱に六日間苦しみました。で、避難所に行 きながら、今度は嫌悪感なんでございますね。
 
白鳥:  嫌悪感?
 
高木:  ええ。私がそういうふうに命名しているのかも知れませんね。ライフラインが消 えました。水道、ガス、電気、そして、交通、通信機能が全部絶たれてしまう。 そういうふうになりますと、今まで当然と思っていたものが当然でない。例えば、 朝、起きますね。電気をつける。電気をつけても点かないので、ローソクに灯を つけないといけない。顔を洗うための水道。水道の蛇口を開けても、水は出ない。 水のあるところまで行って、水を汲んできて、顔を洗わなければならない。食事 をするにも、ガスも電気もないんですから、冷たいものを頂かなければならない。 総てが、今までの文化生活が切られちゃうんでございますね。そういう中にあっ ても、私は生きることの大変さ。「生きるというのは死ぬより辛いことなんだな あ」ということを、正直のところ感じました。ですから、総てが嫌なんでござい ますね。お水を頂くために、三十分から一時間列んで待ってお水を頂く。そして、 お弁当を頂くためにも、列んでお弁当を頂く。総て待つ、列ぶ。今までまったく 忘れていたことでございますよ。そういうことで、自分が、「身体があるんだ」と いうことに気付くんです。「身体がある」ということで、また余震がくるかも知れ ないという恐怖心。そして、生活することの不便さ。もう総てが嫌になる。それ を私は、「嫌悪感」というふうに名付けたいと思うんでございます。そして、それ が暫くして、その大震災の後遺症だなあ、と思っている時に、避難所に行ってみ ると、みなさん同じなんでございますね。そういう方々とお話し合いながら、私 は、これがありのままの私なんだ。恐怖心と不安。そして、嫌悪感に苛(さいな)まれてい るこの私が、私なんだ。ありのまま漸く受け入れられるようになったのが、三週 間後位でしょうか。それは避難所でそういう同じ体験をした方と出会いながら、 お話させて頂いたお陰なんだ、と思うんでございますよ。ですから、お互いに癒 し合っている、ということですよね。同じ苦しみを受けて、共感して、私も癒し て頂きました。
 
白鳥:  私は、高木さんはカウンセラーとしてあれだけの実績を重ねられた方だから、お 独りでそういう不安、恐怖、或いは、嫌悪感とおっしゃったような、そういった 状態から、災害の体験みたいなものを受け入れる、「受容」というのをカウンセリ ングで言いますね。そして、こう立ち上がって、お独りでやられたのか、と思っ たら、そうじゃないんですか。
 
高木:  いえいえ、違います。私は避難所に行って、避難所の方々と一緒にお話しながら、 私も癒して頂いた、と思っております。そして、特にこういう大きな災害を受け た後に、私はどんなに素晴らしいカウンセラーの方であったとしても、自分で自 分を癒すということは、無理なんじゃないだろうか、ということを、体験から感 じます。というのは、お医者さまが自分の病気を自分で治せませんね。
 
白鳥:  ああ、そうですよね。
 
高木:  お医者さんでございますから、自分でこれは風邪か。じゃ、この薬を飲むか。注 射をするかということが、お分かりになるかも知れませんが、特に心のこういう ふうな悩み、苦しみというのは、誰かの助けがあって癒されていくんじゃござい ませんでしょうか。私の場合には、避難所の方々で癒して頂いたかなあ、と思っ ているんでございます。
 
白鳥:  高木さんはそれから六年経っても、今も、「死別体験者の分かち合いの集い」を中 心にまだ心のケアの活動を続けていらっしゃいますね。もう六年ですか?
 
高木:  はい。私が避難所に参りまして、そこで出会った何人かの方々がご自分のご家族 を亡くしていらっしゃいました。そのお悲しみを伺った時に仰天いたしました。 驚愕いたしましたね。私は、十四年前から、「死別体験の集い」というのを持って おります。毎月、そういう方々がお出でになる集まりを持っております。そこに 大震災でご家族を亡くされた方も大勢お見えになりまして、特に、お子さまを亡 くされたご両親の方々のお苦しみをたくさん伺うことがございました。その方々 が今もずうっとお見えになっております。もう六年半になりますが、でも、まだ まだ心の痛み、悲しみは消えないんでございますね。大震災で亡くなられる、特 に、お子さんを亡くされましたご両親にとっては、日本では、「自分の子供を亡く すより苦しいことはない」という諺がございますように、やはり家族の中でもお 子さまを亡くされた方が、一番お悲しみが深いんじゃないか、と思うんでござい ますよ。その方々とお話をずうっと毎月させて頂きながら思うんでございますけ れど、この大震災だけでなくて、いろんな時にお子さまを亡くされるケースがご ざいますが、この大震災の場合には、お子さまを亡くし、家を無くし、そして、 また避難所に行かなければならなかった。そして、仮設住宅に行って、また新し い家に移るという。また、ご自分の家を全壊で無くして、それに、おまけに火事 になって、ご自分の大事だったもの、宝だったもの、例えば、思い出のあるアル バムとか、そういうものを全部無くすということは、複数に喪失するわけですね。 多重なる喪失でございますよね。そういうことでございますから、単なる子供を 亡くしただけの悲嘆ではなくて、子供は亡くなりますわ、家は無くしました、ご 自分の大事な宝物だった思い出も全部無くしてしまう。何重にも重なる喪失をお 持ちになった方々のお集まりでございますから、本当に凄い重い苦しみを持った 方々のお集まりでございます。
 
白鳥:  高木さんがお書きになった大学の論文集の資料を見せて頂きましたら、そう言っ た中で、もう一つ、例えば、離婚とか、別居とか、した時に、家族の中の自殺、 そう言った家庭の喪失、家族の喪失というか、そういったものまで至るのが、こ んなにも多いのかと、私、ちょっとビックリしたんですが。
 
高木:  そうなんでございます。これは大震災でお子さんを亡くされました三十四人のお 母様方に協力して頂いて、アンケートと言うんでしょうか、データーを取らせて 頂いたんでございますね。このデータによりますと、お子さまを亡くしただけで なくて、家庭の崩壊というんでしょうか、離婚であったり、が多いんでございま す。それも、こういう災害の恐ろしさは、ただ一つだけの喪失ではない、という ことでございますね。もう多重に喪失を重ねて、最後に家庭崩壊というところま でくる、ということでございますね。それを、私は、日本のように災害大国と言 われる日本人はよく知っていたいなあ、と思うんでございますよ。ご覧になりま すように、神戸の街は、見た目においては復興した、と言えるかも知れませんけ れど、人の心の復興はもっともっと時間がかかるんだ。そして、癒しというのは 周りの方々の慈しむ心、温かい心に支えられて、ご自身が温かい思いになられた 時に、心は癒されていくんじゃないか、と思うんでございますね。
 
白鳥:  高木さんは長いことターミナルケア、死の近い重いご病人の終末期患者、よく言 われている方々の看取りと言うんでしょうか、最後の対話者という、そういうお 仕事、役割をなさっていらっしゃっていますね。
 
高木:  もう十五年位になるんでございますけれど、私は医療関係者ではございませんの で、私が終末患者さんのお手伝いをするのは、心と魂のケアのために協力させて 頂くんでございます。「心の、魂のケアってなんですか?」とよく伺われるんでご ざいますけれど、私の場合には、日本の今の医療関係の現場を見ておりますと、 亡くなるその時まで、たくさんの治療がいろいろなされております。これはとて も有り難いことでございますね。私どもが健康な時から病気になって亡くなるま で、お医者様方はありとあらゆる治療をもって、私どもの身体を看取って頂くん でございますけれども、人間は身体だけではございませんよね。心も魂もござい ますから、その心も死を前にして、大変な不安と恐怖をお持ちになりますね。死 もそうでございますよね。私どもが生きているのが当たり前であって、病気にな ってだんだん弱って、死を前にした時の私どもの心の恐怖というのは、もう言葉 に表すことが出来ません。そういう心の思いを出来るだけ軽くして差し上げて、 そして、最後に私の目標としておりますところは、お一人おひとりが、自分の人 生は素晴らしかったんだ、と。これで良かったんだ。そして、そういう素晴らし い人生を送るためには、家族、友人、いろんな方々のお陰で、こういう人生を送 れたんだ。「有り難う」という言葉と、それから、「迷惑を掛けたなあ。ごめんね」 という言葉を残して亡くなって頂きたい、と思うんでございますね。そのお手伝 いをさせて頂いているんです。
 
白鳥:  今まで死の場面に出逢って、死そのものの、先程おっしゃったような豊かな心持 ちで去って逝かれたという方はいらっしゃいますか。
 
高木:  ええ。お陰様で、私の場合には、心のケアということで伺いますので、ご本人の 身体の苦しみ、痛みというものは、お医者さまに行って、出来るだけ緩和して頂 くように致しますが、心にどういう苦しみ、悲しみ、悶(もだ)えを持っていらっしゃる か、ということに焦点を合わせて、お話を致します。キリスト教を信じている私 でございますけど、決して、私は他の宗教に拘りません。もういろんな宗教を信 じていらっしゃる方々のお手伝いも致します。ですから、私の場合には、その方 がどういう宗教を持っていらっしゃるのか、信じていらっしゃるのか、人生観、 価値観はどういうものを持っていらっしゃるか。そういうものも大事にしている 部分でございますね。そして、今おっしゃいましたように、たくさんの方々が、 私の心に生き生きと、今生きていらっしゃる方がいらっしゃいます。素晴らしい 最後をお遂げになった方の実例を申し上げますと、例えば、亡くなられた方なん でございますけれど、私は一度だけしかお目にかかったことがない方がいらっし ゃるんでございます。その方は見事な死でございました。と言いますのは、その 方の場合には、「私は死にたくない、死にたくない」と。死んでも奥様である「お 前に会いたい」。子供がお二人いらっしゃるのでございますけれども、「その息子 たちにも会いたい。でも、死んだらどうなるのか分からないから死にきれない」 とおっしゃっていた方がいらっしゃるんでございます。その方は男性で、四十二 歳で亡くなられた方なんです。そして、そのことを奥様が、お友だちにお話にな って、「だったらば、高木先生に一度会って頂いたらどうかしら」ということで、 お友だちが、私をお呼びになったケースなんでございます。私どもが病室に入っ て参ましたら、奥様に、「高木先生と二人きりになりたいんだ」とおっしゃったん でございますね。それで奥様と私を案内してくれたお友だちは廊下で待機すると いうことになりまして、私と二人きりになりましたら、その方が、「高木先生、死 んだらどうなるんですか?」とお聞きになったんでございます ね。私は初めてお目にかかる方に、それは奥様からも、お友だ ちから伺っておりましたけれども、ご本人から、「死んだらど うなるんですか?」と伺われた時に、どう答えていいか分から ない。そして、見ておりましたら、今亡くなって、息を引き取 ってもおかしくない、という状況なんでございますね。弱り切 っていらっしゃる。その方に長々と説明するわけにも参りませ ん。それで、私は、たびたびそういう時には、こういう絵本を 持って行く場合が多いんでございます。童話とか絵本を。で、 たまたまその方の場合にも、そのお友だちからお電話がございました時に、もう 危篤なんだ、というのが分かりましたので、この絵本を持って行っておりました。 そして、思いましたのは、この答えに私は長く話すことが出来ない。パッと思い 付いたのが、このアンデルセンの「マッチ売りの少女」。これはとても綺麗な絵 で、その「マッチ売りの少女」の最後の場面がこういうふうに書いてあるところ なんでございます。これを取り出しまして、寝ていらっしゃいますその方にこれ を見えるようにして差し上げましたの。ちょっと読んでみます と、「マッチ売りの少女」の最後の場面でございますけれども、
 
少女はもう一度、マッチをかべでこすりました。
その光の中に、おばあさんが、とても優しく、
しあわせそうに立っていました。
「おばあさん!」と、少女は叫びました。
「ああ、私をいっしょに連れて行って!」
少女はすばやく、束になっていたマッチの残りを 全部すりました。
マッチはたいそう明るく輝き、昼間のようになりまし た。
おばあさんは小さい少女を腕にかかえて、
うれしそうに輝きながら高く高くとびました。
空の上には、寒さも、ひもじさも、心配もありません でした。
ふたりは、神さまのそばにいたのでした。
 
そして、このままジッと、その方は見ていらっしゃいました。暫く致しましたら、 私の手をそっと力のない手でお取りになって、「高木先生、ほんとですね! ほん とですね!」とおっしゃったんです。私は、「死んだことがないので、本当かどう か分かりませんが、私もこの場面を信じているんですよ。私が亡くなる時には、 亡くなった父と母が、迎えに来て、神さまのところに道案内してくれるんじゃな いか、と思っているんですよ」と申し上げましたら、その方が、「安心致しました」 という安堵の言葉を吐いて下さったんですね。そして、私は長くいるのはお疲れ になると思いましたので、奥様方をお呼び致しました。「じゃ、また参りましょう ね」と言って帰りました。そう致しましたら、次の日の朝、奥様からお電話がご ざいまして、「実はね、先生、昨日は有り難うございました。主人は見違えるよう に明るくなって、昨日、何か書くもの、紙とペンを貸してくれないか≠ニ言わ れて、持っていったんですね。そう致しましたら、主人は天国の見取り図を描い て、自分の指定席まで描いて、ここで待っているからね≠ニ言って描いてくれ たんです」と、おっしゃったんでございますね。私は、その絵がどういうもので あるか分からなかったんでございますが、亡くなられて、初七日終わった次の日 に、奥様がいらっしゃいまして、「高木先生、これが主人が描いた見取り図です」 と言って、持って来て下さったんです。それを見ますと、B5サイズの紙に、サ インペンで、もうほんとに細い、もう力のない絵が描描かれておりました。見ま すと、それは劇場のような天国なんでございますね。先端に四角でステージみた いなものがございまして、その横に、「神」と書いてある。ずうっと線がある。「こ れなんでございますか?」と伺いましたら、「これはどうも椅子が並んでいる。ス テージの方を向いて」と。そして、一番後ろの入り口のすぐのところに、一つ丸 い標しがございまして、「これは主人の指定席で、天国に入って、一番後ろの、一 番近くの席で、これが僕の席だ。ここでお前を待っている。僕はお前が亡くな る時は、俺が迎えに来てあげるけど、何かでうっかりして、お前が亡くなること が分からなかったら、お前は天国に来て、此処にいる僕を捜してくれ≠ニ言って 亡くなられた」というんですね。私はその絵をコピーさせて頂きたい、と申し上 げたかったんでございますけどね。いえいえ、これはご主人さまが奥様に差し上 げられた尊い一枚の天国の見取り図。それを私のような者がコピーして持つとい うことは、これは不謹慎なこと。奥様が持っていらっしゃる一枚だけが尊いんだ からと思いまして、お願いしなかったんでございますけれどね。
 
白鳥:  高木さんはそういう形で、童話、絵本、凄く今も感動的に、私はお話を伺ったん ですけれども、これは、何故、最後を迎える方にこんなに大きい感動を与えるん ですかね。
 
高木:  やはり絵本、或いは、童話というのは、私どもの幼児体験に基づいていくんじゃ ないかと思うんです。どんなにお歳召した方でも、理屈っぽい方であろうとも、 童話、或いは、絵本を聞きますと、幼かった幼児体験と申しますか、ご自分がお 母様やお父様の膝の上に抱かれながら、読み聞かせて頂いていた、ご両親の温(あたた)か い温(ぬく)もりというものが思い出されるんでございますね。そして、この童話、絵本 というのは、幼い子供でも、どんなにお歳召した方にも、人間のとっても大事な、 根本的な、生きること、死ぬことの、こんな難しい問題を易しい言葉と内容で、 私どもに教えてくれますね。ですから、そこには説明がいらないんでございます。 この二つの点が、絵本を、或いは、童話を使う私のとても大事な理由になってお ります。で、童話を聞いて怒る方はいらっしゃいませんね。そして、理屈っぽく、 またとても哲学的な方も、「これ以上哲学的な答えはありませんね」「宗教的な答 えはありませんね」とおっしゃいます。それは一番根本的な問題を易しい言葉と 内容で、私どもに語り掛けてくれていることと、私どもがもっとも幼い時に受け た親の愛、温もりと言うんでしょうか、それを再体験出来るということがとても 大事な要素にあるような気がするんでございますね。ですから、私の最後の時に も、こういう童話や絵本を、どなたかに見せて頂きながら、「あなたもこういうふ うにして、亡くなられた家族の方がお迎えにいらしゃるのよ」。最愛のマッチ売り の少女にとっては、最愛のおばあさまが迎えに来て下さいましたでしょう。その ように、「最愛の方が、私を迎えに来て下さるのよ」という安心感を与えて頂け る。私もそういう最後でありたいなあ、と思うんです。そのために、どなたかに 手伝って貰わないといけませんね。そして、まだ、私はこういうターミナルケア をしておりますと、いろんなことを考えさせられることがございますね。今、私 どもは、「尊厳死」という言葉をよく使いますね。「尊厳死」というのは、自分で、 例えば、ターミナルで、あと六ヶ月以内には死期がくる。医学的にはもう治らな いんだ、ということが分かった時に、私はこういう治療を受けて、こういうホス ピスで、或いは、一般病棟で、或いは、家族の中で亡くなりたいという、それが 尊厳死でございますよね。
 
白鳥:  ご自分の人格を大事になさって、ご自分でそれを選ぶ、ということですよね。
 
高木:  そうでございます。その一つと致しまして、考えさせられるテーマがございまし た。これは私の古い友人で、暫く連絡がなかったんでございますが、この友だち の場合には、十年前にガンを患って、その後、五回に亘っての手術があったんで ございます。繰り返し繰り返し。六回目になった時に、もうどんなにこれを手術 をしても、主治医からはハッキリと、「またすぐ手術をしないといけないだろう」 と。「今の手術をしても、また手術で、長くて六ヶ月だろう」と言われた時に、も う手術は受けたくない。自分の体力と勝負をしたい、と。それで今、このまま、 手術をしないで、後は痛みだけは止めて欲しい。その代わり家の中で体力の続く 限り家に居たい、ということをお選びになったんですね。それはお医者さまとの お話でお決めになったんですが、ご家族の方に一人娘さんがいらっしゃいました。 そのお嬢さんとご主人はもう一刻でも長く生きて頂きたいわけでございますね。 ですから、「そんなことをしたら、六ヶ月生きられるのに、四ヶ月になるかもしれ ない。五ヶ月になるかもしれない」と言われたら、もう悲しくて仕方がない。で も、ご本人が、「自分はこういうふうにしたい」ということをお通しになりまし た。そして、結果的には、四ヶ月後に亡くなられたんでございます。私はその時 にも、ご一緒に病院で最後を看取らせて頂いたんですが、「高木先生、ありがとう ございました。私の人生はこれで良かったんです。生きる望みがあって、生きて きました。でも、どんなにこの四ヶ月間苦しかったかは、高木先生が一番よくご 存知ですよね」と言われました。それは死との向き合いですからね。それは告知 された人間の悲しみです。苦しみです。この方がおっしゃったのは、「よく死を前 にした方は、死と背中合わせ≠ニいう言葉をお使いになるけど、私は違うの。 ここに肩を並べて死があるのよ。横を向くと、それは死なの。一歩間違ったら、 死の世界に行っちゃうの。この苦しみ分かる」とよくおっしゃっていたんですね。 本当に辛いことだと思いました。そして、亡くなられました。
二年後にそのお嬢様が結婚なさったんでございます。そのお母様にとって苦しい ことは、「一人娘が早く結婚して欲しい。結婚式の花嫁衣装を見たい」とおっしゃ っていたんでございますが、結婚だけは相手のいることだから、ということで、 そして、二年後にお嬢様が結婚なさいました。その時、「披露宴に是非来て欲し い」ということで伺いました。その時のお嬢様のウェデングドレスの綺麗なこと。 この胸のあたりと裾にもう凄い刺繍。それにベールに。私は、見ただけで、これ はもう手でされた刺繍だ、とすぐ分かりました。お色直しの後の着物のまた刺繍 の凄いこと。「まあーっ」と思ったんでございます。で、披露宴の最後に恒例のご 両親様への感謝の記念品の贈呈がございますね。それがあった後にすぐ司会者の 方が、「実は、新婦から亡きお母様への感謝の言葉があります」と言われたんで す。そのお手紙を朗読して下さるのは、「新婦の友人の誰さんです」というご紹介 があって、そして、パッとスクリーンに映されたのが、お母様の笑顔だったんで す。私はアッと思いました。ああ、この方に、このお嬢さんの花嫁姿を見せたか った、と思ったんでございますよ。そうしましたら、お嬢様の朗読が始まったん ですね。それはいつものように、「お父様、お母様、有り難うございました。今日 あるのは、お父様、お母様のお陰です」というお礼の言葉があって、「お母さんが、 もう手術をしない≠ニ言われた時に、お父さんと私は、お母様のわがままだ。 自己主義だ≠ニ言って、さんざん文句を言いました。でも、私の結婚が決まって、 二ヶ月前に、亡くなったお母様のお姉さんから総てを伺いました。それによると、 お母さんは、私の結婚式の姿を見られないので、せめて自分の大好きな刺繍で、 ウェデングドレスと、今、着ているこのお着物に刺繍をすることで飾ってあげた い。だから、手術をしたり、抗ガン剤を受けると、もう体力がないので、私は体 力のある限り、私の花嫁衣装を飾りたい、ということで、お母様は手術をお受け にならなかった≠ニいうことを伺った」。それが綿々と、その時のお手紙、「お母 さん有り難う」という中に、それが出てきたんですね。そのことは、私も伺って いませんでした。もう参列者一同、ハンカチで涙を押さえていらっしゃいました。 とっても素晴らしかったんですね。新婚旅行からお帰りになったお嬢さんが、そ の相手の方と、私のところにお礼にいらっしゃいまして、「実は、私の伯母(おば)が言い ますには、これは高木先生にも、こうこう、こういうことで、主人にも娘にも 何故手術を断ったか≠ニいうことは言っていない。何故言わなかったか、という と、もし私が一生懸命娘を飾りたいためなんだ。そのために体力が欲しい≠ニ 言えば、そんなことをしなくてもいい。一分一秒でも長く生きて欲しいから、 手術をしなさい。治療を受けなさい≠ニ言うであろう。そして、それを高木先生 に言っちゃうと、自分の方の味方になっちゃって、主人を説得するでしょう。娘 にも説得するでしょう。そういうことをして欲しくない。あくまでも、私は悪者 になって、高木先生には、主人と娘の相手になって、そうね、お母様って、わ がままね≠ニ、そう言って欲しかった。それで高木先生にも言わなかった。ごめ んなさい、ということを、伯母が伝えるように、ということでしたので」という ことだったんですね。で、私はそれを伺いました時に、自分の生命の一刻一刻を 投じて、お嬢さんの花嫁衣装を飾りたい、という、お母様の娘さんに対する愛情 と言うんでしょうか、母親の愛は強し、ということを感じましたね。本当に美し い尊いお母様の生き方だ、と思いました。ですから、そういうことは尊厳死の中 に含まれて入れているんでございます。普通の場合に、尊厳死という、みなさん がこういうふうな尊厳死を選びたい、と言った時に、家族全部が、その選びをサ ポートすることが、とても大事なんでございますね。でも、いつもいつもそうは いかない、という例でございましょうね。それこそ本当の理由を言っちゃうと、 家族はそれに反対する。「お母様、お願いだから、一分でも一秒でも長く生きて欲 しい。何もしなくてもいいから」ということになる。ということで、やはり尊厳 死と言いましても、いろいろ難しい問題があるんだなあ、と思いますね。
 
白鳥:  結婚式の最後の場面、それは一つの物語になったかも知れませんけれども、非常 に問題を私たちに投げかけるケースかも知れませんですね。
 
高木:  理由が話せて、総てサポートされるのが最高なんですが、この方のように、理由 を言っちゃうと、自分自身の望みが果たせないから、最後まで言わないで、その 代わり家族のものが苦しむ、という場合がございますね。でも、この場合には、 最後に分かったから、「そうだったの」と言って、「お母様は凄い」ということに なりますけれども、その間、その総てが分かるまで、ご主人とお嬢様の苦しみを、 私はずうっと見ておりましたので、やはりあの場合には、難しい問題を残すんだ なあ、ということを思いました。
 
白鳥:  高木さんもキリスト者として、ご自身で、そういうところは、まさに今、安心立 命のところにいらっしゃるのか、と思いましたけれども。
 
高木:  いえ。私は同じ質問でございますけれど、「高木さんのように、修道者であって、 生と死を考える会をしていたら、もう死は恐くないでしょう」と、よく言われる んでございますけれども、とんでもございません。もし、死に対する不安や恐怖 がなかったならば、こういうお仕事は出来ません。共感が持てません。そして、 私は、「死が恐い。不安がある」というのは、神さまから頂いているプレゼントだ と思います。だから、「死を恐い」と思っていらっしゃる方に、限りない慈しみを 注ぐことが出来ます。で、ないと、何か距離をもってしまうんじゃないか、と思 うんでございますね。
 
白鳥:  どうも有り難うございました。ご健康にお気を付けられて、
 
高木:  はい。有り難うございます。
 
白鳥:  本当に心の言葉というものを常にみなさんにお配り下さい。
 
高木:  はい。どうも今日はほんとにありがとうございました。恐れ入りました。
 
 
     これは、平成十三年五月二十七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。