西国巡礼の旅からー歩きながらの禅ー
 
                           松尾寺住職 松 尾  心 空(しんくう)
                           ききて   金 光  寿 郎(としお)
 
ナレーター:  舞鶴市にあります松尾寺のご住職・松尾心空さんに、「西国巡礼の旅からー歩き ながらの禅」というテーマでお話をして頂きます。松尾さんは、昭和三年生まれ で、五十九歳から西国三十三カ所の徒歩巡礼を始め、四国八十八カ所の巡礼や岐 阜県にあります西国最後の札所・三十三番谷汲山(たにぐみさん)華厳寺(けごんじ)から長野の善光寺まで二 百八十キロの徒歩巡礼を行って、現在までに六千キロ以上を歩き、その間に「歩 きながらの禅」についても工夫を続けてこられました。一回目の今朝は、「西国 徒歩巡礼の魅力」その味わいについて伺います。ききてはラジオ深夜便、「ここ ろの時代」の金光寿郎ディレクターです。
 

 
(第一回目)
 
金光:  松尾さんは、西国の三十三カ所の札所の二十九番の松尾寺のご住職でいらっしゃ るわけですが、札所のご住職だから巡礼の旅を若い頃からなさっていた、という ことでございますか。
 
松尾:  ええ。昭和三十二年位からバスに乗る西国詣りを、回を重ねてわりにしておった んですけども、かねてから歩く巡礼―徒歩巡礼をしたいという気持は抱いており まして、たまたま昭和六十二年が、花山(かざん)法皇が西国札所巡礼を中興なさって一千 年という節目になったものですから、この年にいわゆる「法灯リレー」というこ とをしてみては、ということを各御山主猊下(ごさんしゅげいか)に申し上げたところ、ご賛同を得ま して、一番から三十三番まで、法灯を歩いて運ぶという行事が出来ました。
 
金光:  法の灯火(ともしび)、
 
松尾:  左様でございます。オリンピック流の言い方をしますと、「聖火リレー」と申し ますか、それを行ったわけですが、爾後このことによって、西国巡礼の古道の発 掘ということがかなり出来たように思いますので、この機会に是非自分自身の足 で一番から三十三番まで、一千キロの道を歩きたいと、こういう気持になりまし て、勿論昭和六十二年は、二十九番の松尾寺から三十番の竹生島(ちくぶしま)宝厳寺(ほうごんじ)へ目指し て、約七十キロの道を歩いて、法灯を運んだわけですけれども、爾後、全行程を 十二のセクトに分けまして、千キロの道を歩き終えたわけです。
 
金光:  六十二年というと、失礼ですが、お歳はおいくつぐらいですか。
 
松尾:  はい。私は昭和三年の生まれでございますので、五十九歳でございました。
 
金光:  やっぱりバスで歩かれるのと、徒歩で歩かれるのは、これは全然違いますでしょ う。
 
松尾:  違いますね。やはり触れ合いというものがまるっきり違ってまいりますのと、そ ういうことで非常に感動がございました。一度回っただけではなんか物足らなく て、三回は回りたいと、こういうような願いを立てまして、平成七年の五月にち ょうど三周―三千キロを歩き終えることができたわけですが、爾後、お四国遍路 も致しましたし、小豆島も詣り、また三十三番の谷汲山から善光寺目指して二百 八十キロの道も歩き、この十六年間で、出ますこと八十回、約六千キロあまりの 道を徒歩巡礼することが出来たわけです。
 
金光:  じゃ、一番最初の昭和六十二年にバス旅行から足の旅行に―巡礼に変えられた最 初の頃の身体の具合からですね、ちょっとお話聞かせて頂けませんですか。最初 は―此処は舞鶴市でございますが―此処から滋賀県の琵琶湖の竹生島まで山越え で歩くわけですか。
 
松尾:  そうです。小浜まで一旦出まして、ここから約三十キロございますが、小浜から いわゆる鯖街道へ南下致しまして、また古い言葉で言えば、九里半(くりはん)街道というの に入って、今津の港から竹生島ということですが、当初の時はいわゆる正確な道(みち) 程(のり)もハッキリしておりませんで、ついつい無理をしがちなこともありました。そ の次に歩きましたのが、書写山(しょしゃざん)から成相山(なりあいさん)、姫路から宮津まで日本列島横断約百 二十キロございますが、この時なども、姫路から生野(いくの)まで四十五キロ、一気に歩 きまして、この時は着きましたらカエルが地面に叩き付けられたような格好で、 動くこともできんような疲労でございましたけど、しかし人間の足というのは、 ようしたもので、手は使い痛みということがありますけれども、足は一夜休みま すと、自ずと回復しておりまして、またその後も歩くことができましたので、爾 来自信を得まして、今は平均三十キロあまり、先日も熊野の道を歩いてまいりま したけれども、一番たくさん歩いた日は三十八キロほど歩きました。宿へ着きま すと、さすがに靴の紐を解くと、ちょっとにわかに立つことができませんで、そ れこそ這うようにして自分の部屋へ入って、暫く休まんといかんというようなこ とでございますが。
 
金光:  最初はお一人で歩かれたんですか。仲間と何人かのご同行と一緒に歩かれたんで すか。
 
松尾:  当初から同行がございまして、二十人ぐらいのグループで発足致しております。
 
金光:  でも二十人いらっしゃると、お歳もある程度違うでしょうし、足の強い人、弱い 人、なかなかグループだと同じ行動をとると、あんまり早く歩けないようなこと があるんじゃございませんか。
 
松尾:  そうですね。ある程度平均の歩度というのは出来てまいりまして、それに合わせ て歩くということになるんです。どうしても遅れがちで、小走りで絶えず後から 追いついてこなければならないような人もいるんですが、そういうことはやはり 高齢の方が多かったんで、気の毒だなと思いながら、かつては歩いておったんで すが、なんぞはからん、今はこちらがその立場でして、みなさんのお荷物になっ ているようなことですが、しかし先日も約二百キロに近い道を二回に分けて、那 智山から紀三井寺まで熊野古道を歩くことができまして、非常に感動を新たにし たわけでございます。
 
金光:  熊野古道といいますと、平安時代、或いは鎌倉時代辺り、熊野御幸(ごこう)と言いますか、 京都から何百人というお公家(くげ)さんとか、天皇、或いは法皇さまが行列して、しか も何十回となく歩いていらっしゃる方もおいでのようでございますが、そういう 話には聞いておりましたけれども、熊野の一番の青岸渡寺(せいがんとじ)から、二番目が紀三井 寺でございますでしょう、そこまでの古道というのはけっこう険(けわ)しいように聞い ておりますが。
 
松尾:  青岸渡寺を出まして、大雲取、小雲取、滝尻王子まで出るわけでございますが、 この間の道が特に険しいわけです。しかし、魅力は抜群でございまして、実は私 は、この道を今度で七回目でございます。「伊勢へ七度(ななたび)、熊野へ三度(みたび)、愛宕山(あたごさん)へ は月参り」とこう申しますけど、私にとっては熊野は七度、特別な魅力を感じて おります。
 
金光:  その魅力というと、もう少し伺うと、どういうところですか。歩いて楽しいとい うよりも、むしろ久しぶりに歩かれると、身体がきついとか疲れた、という感じ は当然お感じになるんじゃないか、と思いますが。
 
松尾:  私と一緒に歩いている方からお手紙を頂いて、「十本の足の爪が全部真っ黒にな った。いずれ抜け替わるだろうと思う」ということなんですが、というて、「こ れは苦しくて次は嫌だというより、むしろまた誘われたら行く気持になる。これ は自分でも不思議なことだ」ということをいうておられます。
 
金光:  その方はお幾つぐらいの方ですか。
 
松尾:  その方は、私より十五ほど若い方なんですけど。
 
金光:  そうすると、六十近いですね。
 
松尾:  そうですね。
 
金光:  やっぱり相当身体のほうは、どっちかいうと壮年よりも老年のほうに近い方でご ざいますね。
 
松尾:  もっと若い頃から参加なさっていまして、「顧みれば阪神大震災の時にテレビを 見ていたら、あるおばあちゃんが出てまいりまして、物はたくさん失ったけれ ども、心を得ました≠ニさり気なく喋っておられるのを見て、大変自分も感を催 した」というんですね。豊中の方に暮らしておられる方ですから、「その時のこ とを思うと、近くにおる自分も何か出来ることがないか、と心がはやったことを 思い出すんです。ついてやはり熊野の道など歩きますと、一緒に歩く人との心の 通い合いとか、いろんなお接待を受ける、そういう有り難さとか、文字通り心を 豊かにできる。心を得る。それ故にこの徒歩巡礼というものが、自分が続けられ る所以じゃなかろうか」というようなことを言っておられますが、まさしくそう ではないか、と思うんです。
 
金光:  先ほどの熊野御幸の話なんかを聞きましても、本で読んだりしますと、当時随分 「アリの熊野詣で」とか、なんとか言われたというようなことは聞いても、もう 一つ実感としてピンとこない。なんでそんなに熊野へお詣りしたかったのか、と いう気が、どことなくあるんですけれども、花山法皇さまのお名前がさっき出ま したけれども、花山法皇の歩かれた道をお歩きになると、やっぱりその辺の熊野 御幸の人たちのお気持ちというようなものも、実際身体でその道を歩かれた後と、 その前とは違ってくるものですか。
 
松尾:  はい。また、いろんな歴史をそこに散りばめてありまして、数多くの掲示板、説 明板等々で昔を偲ぶ説明がいろいろあります。或いはまた和歌なんかが古い時 代のものから近世では斉藤茂吉、土屋文明、長塚節(たかし)、こういった人たちの歌碑 も立っておるわけですね。土屋文明なんかも、「その宮人がここを通って、輿(こし) の中は雨で海の如し≠ニ言っているけれども、じゃ、輿を担いだ郎党の気持はど うだったろう」ということをいうているんですが、自分がそこを歩いてみますと、 なるほど、という実感を持ちますし、熊野に関して言いますと、幸いにして語り 部のような方もボランティアに付いて頂けることがございまして、いろんな説明 を聞きますと、なんか如実に様々な歴史が浮かんでまいります。また具体的には、 例えば「この辺には家がありました」と。「家のある所には必ずお茶がある。そ れから竹がある。それから茗荷(みょうが)がある。この三つが条件だ」という。要するに生 活用具としての竹。薬としても用いましたお茶。それから茗荷というのは割合に 豊富に出来るから、そういうのをおかずにした、ということなんでしょうけど。 この間も歩きまして、つくづく感じましたのが、「この辺は旅籠の跡であったが、 昭和三十五年位からそれは無くなった」と。ちょっとそれを経済の動きと考え合 わせてみますと、ちょうど高度成長期にかかるわけで、人手が足らなくて困った。 やっぱり山間で暮らしているよりは町へ出て行った、ということは当然であろう と思いますが、そういう動きをまざまざと歩いている中に、時代の流れというも のを肌身に感ずることができますのが、一つの大きな喜びです。あの道は平成元 年に初めて通ったのですが、その時はほんとにお会いする人はまったくなかった ですが、爾後熊野というのは盛んに宣伝されるようになりまして、いろんなイベ ントが行われたようで、今度は世界遺産にもなるという話でけっこうなことだと 思うんですが、ただイベントのために道が舗装された。その道がいわば机上の計 算で、歩くと雨が降っていると滑るわけなんですね。これなんかもうちょっと配 慮頂くべきものじゃなかったかと思うんですが、そういう点は残念ですけれども。 やはり熊野の魅力にはほんとに心奪われている、というのが現状です。
 
金光:  山は随分深いようでございますが、今でも昔のそういう古道の面影が残っている ところはかなりあるんでございますか。
 
 
松尾:  開発の兆しがご多分に漏れず熊野にも出ておりまして、今申しました道を補修す るためには舗装ということもやむを得ざる一つの手だてだと思うんですが、しか しいずれにしましても、自然を保っているという点では、西国巡礼の道としては 一番のものではないか、と思っております。
 
金光:  西国にはその他の三十三観音さまがあるわけですけれども、二番から後の札所も、 これもずーっと歩いて、
 
松尾:  はい。名前を挙げますと、竹内(たけうち)街道、官道第一号竹内街道とか、山辺(やまのべ)の道―大和 路の道ですね、山陽道、東海道は申すに及ばず、今申しました鯖街道、或いはま た中仙道、随分歴史の彩りの多い道でありますので、それぞれに興趣は尽きんわ けですが、特に私の手許には、明治二十六年に千葉県の方で、五人のグループで お詣りになった方の記録がございまして、それを頂いたんですが、それなどを見 ますと、行程もさることながら、旅館でなんぼで泊まったとか、舟の渡し賃がな んぼ要ったとか、
 
金光:  そこまで克明に、
 
松尾:  全部書いてありまして、それを物価を比較するだけでもなかなか興味が湧きます。 最後は岐阜から当時の、いわば国鉄で帰っておるんですが、比較的当時の汽車賃 は高かったんだなあ、と思ったりします。そういうのを比較してみますと、殊の 外面白いんですが、この山でも、過去にはお家が順番に巡礼宿をやっておったよ うでして、大体お弁当付きの一泊十四銭というのが、平均的な値段だったようで す。京都市内で泊まって―どういうところへ泊まったか知らんが、一泊二十銭、 と。それから橋を渡ると無賃橋というのがありますが、昔は橋を渡るのにお金が 要ったのかなあ。いわば橋を渡るということは一つの高速道路ですから、それを 無賃で渡れたんで無賃橋なのかなあと思って、そういう理解をするわけです。処 々方々にそういう経済的な面のみならず、芭蕉の句があったりしますので、文化、 歴史との触れ合い、近松門左衛門の「おさん茂平」の話とか、それぞれがなかな か興味がございます。例えば天理の近所に芭蕉の句碑があるわけですが、歩いて 巡礼しておりますと、朝の間はペースが速く歩けるんですが、昼下がり、午後の 三時ぐらいになってまいりますと、疲労がピークに達しまして、今日泊まる宿も 今や近しと首を長くするような思いで歩いておりました時に、ヒョッと目に入り ましたのが、
 
くたびれて宿かる比(ころ)や藤の花
 
芭蕉の句でして、こちらがくたびれておりますので、この句の意味が、綿に水が 染み込むように、紙の上では到底理解のできない、そういうようなものに触れた 時の感動がございました。今申します、「おさん茂平」の跡なんか歩きました時 に出てまいりましたのは、観音様を近松門左衛門が申しましたが、「三十三に御(お) 身(み)を変へ―三十三に化身(けしん)なさる、身を変えることですね―色で導き、情けで教へ、 恋を菩提(ぼだい)の橋となし、渡して、救う観世音(かんぜおん)、願いは妙(たえ)に有難(ありがた)し(曾根崎心中)」 とこういう恋愛という人間の一つの大きな問題がある。これも「色で導き情けで 教へ、恋を菩提の橋となし」という、この近松の名文なんかも思い出されまして、 そういう生きた文化との触れ合いというものが、また大変興味を掻き立ててくれ るわけです。
 
金光:  そういう昔の人も、いわば自分と同じ道を歩いたんだな、という、そういう気持 にも当然なって、一層親しみも湧くということでしょうが、現在のお歩きになる 場合のお仲間はその都度変わるんですか。大体同じようなご同行(どうぎょう)の人が多いん ですか。
 
松尾:  やはりそれぞれ年齢も加わりますと、八十歳位の方も・・・。
 
金光:  そんな人も行っていらっしゃるんですか。
 
松尾:  はい。この位の年令が一応の限界になっておるんです。もっとも特別な方は、こ の近辺のお坊さんで九十位までお歩きになられた方がございますね。
 
金光:  心掛けてウオーキングとか、ジョギングなんかなされば別ですけれども、そうで ないと、そんなに歩くことをしょっちゅうする。日常の行動は全部歩いて、とい うようなことではないでしょうけれども、そういう方は、歩くということに、歩 く楽しさ、歩くことの有り難さと言いますか、そういうものを感じていらっしゃ るわけでしょうか。
 
松尾:  やっぱりよくしたもので、例えばデパートへ行っても、今日はエレベーター使わ ないとか、役所へ行っても階段で、或いは地下鉄など、老人パスかなんかでただ だそうですけども、それを二つや三つの駅を歩くとか、そういうような平素の何 となく歩くための意識が働きまして、歩くということに絶えず心は集中しており ますから、日々の生活の中に、そういうものが生きてまいりまして、そういうこ との積み重ねがやっぱり実行に移した時に、それ相応の効果をあげているようで す。また私はよく言うんですが、今の時代はガソリンによる纏足(てんそく)だ、と。或いは また自動車が増えるほど、それに比例して糖尿病が多くなっているとか。ヒポク ラテス(古代のギリシャの医師:前460ー375?)の言葉ですが、「歩くことは良薬 である」と。「良薬は口に苦し」。やっぱりそれ相応の苦痛は伴いますけれども、 歩かれた方の話に、達成した感―充足感は他に代え難い、と。是非次も参りたい、 というようなことで、現在はご承知のように、満腹はあっても満足がないという 時代。いったいどこで満足をするか。この前も八時間に亘る手術を受けて、三ヶ 月も入院なさった方が、ものの半年ぐらいで元気になって、この二百キロに近い 道を歩かれて、到着した時に泣いておられましたですが、今の時代では最高の贅 沢な旅だな、と。どんなにいい旅館で、或いはどんなにいい温泉に浸かって、美 酒、佳肴(かこう)でもって遇せられても、涙するということはなかなかないんで、心の満 足を得られる旅。そういうのが足を痛めてこそ、そこに大きな喜びが生まれる、 ということではないかと思います。
 
金光:  そういうふうに歩かれる時は、みなさん巡礼の服装をなさって、足下(あしもと)は草鞋(わらじ)では なくて、現在は靴でございましょうけれども、後は大体昔のスタイルでお歩きに なるわけですか。
 
松尾:  あまり難しいことは言わずに、ご自由に、という建前にしておるんですけども、 一緒に歩いていると、やっぱり白衣を着たい、おいずるを頂きたい、菅笠、お杖 と、まぁ白に交われば白くなるんですか、自ずとそういう決まった服装に、みな さんがなっていかれるんです。足下は、地下足袋は今は舗装道路が多いんで、ど うしてもショックが多いので、スニーカーなんかがいいわけですが、特別の方は 草鞋(わらじ)ということもお見受けします。けれども、これは約三十キロぐらいで、底が 抜けますので、そういう方は必ず二足なり、三足なり用意しなけらばならないの ですが、これは非常に稀な例で、大体スニーカーを履いておられる方が多いと思 います。
 
金光:  道中だと、「六根清浄」とか、そういうことをお唱えになったり、或いは、般若 心経をいつも唱えたりという、そういう調子で巡礼なさっておるんでしょうか。
 
松尾:  勿論目的地と致します札所に着いた時には、お経をあげるのは当然のことですけ れども、例えば熊野道なら王子社、或いはまた各特別のご寺院なんかが途中にご ざいますと立ち寄らせて頂いて、おトイレなんかもそういう場所でお借りするわ けです。そういうところで、神仏のあるところは、絶えずお経をあげるというこ とは心掛けております。実は高齢の方もいらっしゃいますので、万一のことを考 えて、伴走車を付けております。その伴走車の方が事前に行って、納経の御朱印 を貰っておいてもらう、ということは致しておりますので、我々が参った時、団 体でもございますと、時間的な問題が出てまいりますので、そういう便宜は伴走 車で致しております。
 
金光:  巡礼の場合でも、若い方ですと、要するに目的はそのお寺さんに、その札所の観 音様に行ってお詣りすれば、それで途中はどうでもいいではないか、と。簡単に 目的だけ達成できれば、そのほうが現代的ではなかろうか、というような考えを する人もいないではないと思うんですが、やっぱり歩くということと、車・バス で回るのとは、随分違うものでございますか。
 
松尾:  この前、お四国で歌碑がございまして、
 
金とひま使いて歩む遍路道
  この疲れこの痛みありがたきかな
 
金と閑を使うということは、リアルな表現ですが、事実自動車で走れば一時間で 走れるところを一日かけて歩いて泊まるんですから、時間的にも経済的にも、こ れは随分要っていることは確かなんで、しかもそこへもってきて、疲れがあり、 痛みがある。けれども、疲れがあり、痛みがあるが故に有り難いんですね。法悦 があるわけです。この前も石山寺までの旅で歩いた方がございますが、ちょっと 交通事故に遭われて、足が故障している。
 
金光:  前に交通事故に遭った方が歩かれた、ということですね。
 
松尾:  そうです。自転車に乗っておられて、自動車に当てられた、というようなことで、 ちょっと足を不自由に―歩けないことはないんですけれども。
 
金光:  引きずるような感じで?
 
松尾:  ええ。この方が三十キロ歩かれまして、歩けないだろうと思っていたら歩けたと いうんで嬉しい。その時に、石山寺さんの御詠歌ですが、
 
後の世を願う心はかろくとも 仏の誓ひおもき石山
 
という、こういう御詠歌をあげた時に、アッと、自分一人で歩いたんじゃないん だ、と。仏の誓い重き石山に、後ろから押して貰って歩くことが出来たんだ、と。 ちょうど大きな船が海の上で浮かんでいる、あの浮力を受けて、そういう観音様 の船を浮かばせるような力を受けたんだ、という。和歌にそれを思って、胸に込 み上げるものが出てきた、という、こういう思いを述懐(じゅっかい)されたんですが。
 
金光:  重き石山は、掛詞(かけことば)で、
 
松尾:  石山寺でございますので、そういうふうに掛詞(かけことば)で詠ってあるわけです。
 
金光:  昔の人は、乗り物や車が無かったものですから、どこでも足で歩くということで、 足は当然鍛えられているわけですけれども、現代の人は、なかなか日常はそうは いかないんで、若い人なんかも時には一緒に歩かれますか。
 
松尾:  この前は、我々のグループで歩いておられたご婦人の方ですが、この方が胃ガン になられまして、「行きたい行きたい」と言っておられた熊野へ行けなくなって、 お嬢さんがいわば身代わりになって、「母が行きたいと言っていたところへ、自 分が行かせて貰う」と言って来られた。ちょうどまた、峰にそういう見合いの和 歌がございまして、
 
歩まねば供養ならずと亡き母の
  のたまひてゐし雲取に来ぬ
 
という、こういう和歌ですね。
 
金光:  それは別の方が、
 
松尾:  別の方の句碑が立っているわけです。たまたまそれが自分の体験と一致したわけ ですね。
 
金光:  そうですか。
 
松尾:  ちょうどお嬢さんにしたら、まさに体験そのものですね。
 
金光:  そうすると、たまたまそういう句碑があったわけですけれども、やっぱりそのお 嬢さんにしても、歩かれたから、それが身に沁みた、ということですね。
 
松尾:  そういうことですね。前にサンチャゴ巡礼(キリスト教十二使徒の一人である聖 ヤコブ(スペイン語名サンティアゴ)の墓が九世紀初頭、スペイン北西部サンテ ィアゴ・デ・コンポステーラで発見され、それ以来、ローマ、エルサレムと並び、 このサンティアゴがヨーロッパ三大巡礼地の一つとして崇められ、キリスト教信 者の心の拠り所となっている)なんかも世界的にも有名ですが、八百キロ位ある んですか、その道を飛行機で行けば、一時間。歩けば四十日と。何で歩くんだ、 という若者への質問に、「見えないものが見えてくる」と、こういう言葉がござ います。
えらいこれは話が飛びますけれども、この寺で、お茶がちょっとございますんで すが、自然に生えたような格好でできておったお茶なんですけど、おじいさん二 人にそれを摘んで貰いまして、蒸して揉んで干す、と。こういうことをしていた 経緯の中で、一人のおじいさんは、「こんなことせんでも、どこそこへ行ったら、 百匁なんぼで売っている」と。当時はグラムでなくて、匁だったんですが。そう したら、もう一人のおじいさんが、「百匁なんぼで、それは売っているか知らん けれども、ものには冥加(みょうが)というものがある」と。この二人の話がなかなか面白い な、と思ったんですね。「みょうが」の「みょう」は「冥途(めいど)」の「冥(めい)」。見えな い世界。見えない世界からのご加護。これが「冥加」になるわけですが。事実こ の徒歩巡礼に出て、一番感じますものは、この冥加ではないか、と。目に見えな い、しかも自分を支えて貰っている大きな力、それに多少とも触れることができ る、感じることができる。それが一つの大きな喜びではないか、と思うんです。 実は昨年秋、私は、ちょっと心臓の病気が出まして、初めての経験だったんです が。それで教えられたことですが、心臓というのは、一日に脈拍が十万回、血管 の長さは六万メートル。
 
金光:  六万メートルですか!
 
松尾:  流れる血流の量が、七千リットルから八千リットル。一升瓶に換算致しますと、 四千本ですね。それだけのものを毎日毎日一瞬の休みなく、十万回打ち、八千リ ットル運ぶ、ということを休みなくしている。
 
金光:  心臓が?
 
松尾:  心臓の力でね。これはまあ大変なことだ、と思って。私は、全然意識せずに、こ ういう力が働いている。これはやっぱり冥加―見えない世界のご加護、見えない 世界の御利益(ごりやく)と言いますか、ご承知の夢窓国師―天竜寺の開祖ですが、『夢中問 答』という有名な書物を出しておられますけれども、その中に、「恩力」という ことが出ています。親の恩―いわゆる父の恩・母の恩と書く「恩力」という言葉 が出て参りますが、まさにこれは恩力だな、と。私自身の心臓を動かして貰うの みならず、土中の一寸の虫に至るまで、同じこの力で働く。この冥加というもの ですね。これが一番有り難い。我が身を支えてくれておるものだな、というふう に思います。お遍路でまた同じような句碑で、確か五番のお札所で見ましたが、
 
百薬にまさる遍路にいでにけり
 
というのがございましたですね。私もお酒は嗜(たしな)むほうですけれども、「百薬の 長」などと申しますが、それに「まさる遍路にいでにけり」と。実にほんとに百 薬にまさる妙薬。人生の妙薬、これが歩くことによって得る巡礼の喜びと理解し ているわけです。
 
金光:  そうやって、歩かれた、歩くコツというようなものは、最初の頃とだんだん慣れ て、こういうふうに歩けばいい、という―また明日ゆっくり伺いますけれども、 簡単に一言で言えば、何かありますか。
 
松尾:  直接自分で身近に感じたことですけれども、齢(よわい)は七十四歳となりますと、やは り年齢を思わざるを得ないわけで、他人様(ひとさま)より遅れがちなんで、つい坂道など歩 幅を広くして追っかけようとするわけです。そうすると疲労度がさらに増してま すます遅れる。ますます焦る、というふうになります。私に終始付いていて下さ った方があるんですが、「どうか一つ歩幅を小さくしなさい。そうすれば楽なん だ」と言われたけれども、遅れるのが気になるものですから、ついどうしても早 く歩こうとする。同じ轍(てつ)を踏んでなかなか追っつかない。またもう一人の方に同 じようなことを言われました。私が、富士山を登山致しました時に、自衛隊の方 がおられて、その方は走ってあがられる。
 
金光:  マラソンがありますね。
 
松尾:  そのマラソンをなさる方でした。「二十五センチ位の歩幅で五歩ほど歩いたら、 一呼吸しなさい」ということを教えて下さった。それを思い出しまして、これは やっぱり小さく歩かなければならない。はやる心を抑えて、と思いました。平地 については今のところ十年、十五年若い方には決して負けずに歩くことができま す。要は絶えず一つの調子がついていることが大事で、京の街中の西国詣りは、 坂も何もなくて楽だろうと思いますと、さにあらず、赤信号で止まらんといかん。 黄信号で走らんといかん。歩行者の信号が点滅したら、やれ走れ、こういうこと になりますと、一定の調子でいかんものですから、存外街中の巡礼道というのは 疲れが出る、ということを実地に体験しました。
 
金光:  一回目の今日はこの辺でどうも有り難うございました。また明日聞かせて頂きま す。
 

 
(第二回目)
 
金光:  昨日は西国巡礼を歩き始められて六千キロですか、現在まで歩かれたという、そ の西国巡礼のお話を中心に聞かせて頂いたわけですが、その中でお書きになった ものを拝見しますと、呼吸、それから禅(ジャーナ)といいますか、歩きながら の歩行禅というようなことについて随分詳しくお書きになって実践なさっていら っしゃるようでございますので、今日はそのお話を中心に聞かせて頂きたいと思 うんですが、歩かれるということと、呼吸ということとの関係、これはどういう ところから気付かれたんでございますか。
 
松尾:  日々行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、仏作仏道(ぶっさぶつどう)、仏作仏行(ぶっさぶつぎょう)と申します通りでございますので、行住坐臥、 常に禅というものはあるわけです。行(ぎょう)―歩く、住(じゅう)―立ち止まって、プラットホ ームで電車を待っている時にも、禅はなし得るわけです。坐禅は言わずもがな、 そして臥禅(がぜん)―寝て行う禅、これは白隠禅師が大変提唱なさいました。その中で、 「歩く禅」という問題になるわけですが、ちょっと話が迂遠になりますけれども、 この禅の基本的なことは、「調身」―身を調える。そして「調息」―息を調える。 そして「調心」―心を調える。これが三本の柱になるわけですが、就中(なかんずく)、私は 興味を持ち、また重んじておりますのは、「調息」―息を調える、ということで す。生き物は全部息をするわけで、食べ物は一月断ってもなお生きることが出来 る、と言いますけれども、息のほうはものの三分も止めることは出来ないわけで、 英語の「アニマル」(動物)が由来する「アニマ(anima:霊魂、精霊、生命)」 というラテン語が、「息」で、息というものは、「息長ければ命長し」というよ うに、生命ときわめて深い関係を持っている。しかもこの息というのは腹式も出 来れば、胸式―胸ですることも出来れば、深くも、浅くも、或いは遅くも、早く も、これが出来るという点で、自分の意志によっても出来るという、きわめて特 異な機能であるわけなんです。ではどういう息をするかということなんですけれ ども、荘子が、「足の踵(かかと)から呼吸をしろ」ということを申します。「真人(しんじん)の息は これを息するに踵をもってし、衆人―諸人(もろびと)、一般の人―の息は、これを息するに 喉で呼吸する」ということを言っておりますが、これを後世用いましたのが、白 隠禅師でございます。「自らが禅病のために、息も絶(た)え絶(だ)えの状態になりまして、 白河(しらかわ)なるところの白幽(はくゆう)というさる老人に会うて教えを請うて教えてもらった」と いう。『夜船閑話(やせんかんな)』という本を著(あらわ)したわけですが、ここに荘子の「足の裏から 呼吸しろ」ということを使っておられるんです。肺で人間は呼吸するわけで、如 何にも足の裏からの呼吸というのは、ちょっと荒唐無稽(こうとうむけい)という感じがするわけで す。しかし、あくまでもイメージでございますが、具体的には、例えば舞台での 俳優の発声法なんていうのは、やはり足の裏から息を吸って背骨を通して後頭部 へ持っていって、最後喉から発声する。そうすると声が円(まろ)やかになるんだそうで す。山本安英(やすえ)、滝沢修(おさむ)といった名優に、「どこから声を出すのか?」と聞きま したら、異口同音(いくどうおん)に、「足の裏から出すんだ」と言っています。なるほど息が出 来れば、声も出る筈だな、と思って了解したんですが。司馬遼太郎さんの『龍馬(りょうま) がゆく』という小説がございますが、あの中で寺田屋のお龍(りょう)という女性が、龍 馬にお風呂の中から裸のまま駆け付けて危急を告げた、という有名な話がありま すが、お龍は龍馬を恋い慕いまして、寝れない晩のこと、その時に、龍馬に、「寝 れない時は足の裏から息をしろ」と教えられたというんで、一生懸命に試みる場 面が出てまいります。いったい司馬さんはどこから足の裏からの呼吸なんていう ものを知られたのか。おそらくフィクションでしょうけども、これなども大変面 白いな、と思ったわけです。「足の裏から息を吸って、そして気海丹田(きかいたんでん)に息を集 めろ」と。「気海丹田」といいますけれども、この頃死語化しまして、一般の理 解がないようなんですが、「臍下丹田(せいかたんでん)」でもあるわけで、お臍の下一寸のところ の位置を示すわけですが、この宇宙の海に対しまして、大気が海の如くある、こ れが「気海」で、その気が―大気が出入りする場所がお臍の下一寸の臍下になる わけです。「丹(たん)」は千金丹・万金丹の丹、例の不可思議な力を与えてくれる丹が 生まれるところ、或いは実るところの田圃というので、臍下丹田、気海丹田と言 われる。ここへ息を集めて、そしてまた足の裏から吐く。白隠さんの『夜船閑話』 の場合には、臥禅(がぜん)―寝る禅でございますが、寝る前に両足をしかるべく開いて、 足の裏から息をして、気海丹田に気力を集めて、また吐く、と。その時に実は一 つの観想(かんそう)を凝らすわけです。いわゆる内観と申しますか、観想を凝らす。これは 本来の言葉ではございませんですが、私流に砕いて言っているわけですけれども、
 
わが気海丹田、まさにこれわが面目なり
わが気海丹田、まさにこれわが故郷(ふるさと)なり
わが気海丹田、まさにこれわが浄土なり
わが気海丹田、まさにこれ弥陀仏(みだぶつ)なり
 
ここの気海丹田は、わが真面目(しんめんぼく)―面目のところなんだ、と。故郷(ふるさと)なんだ。浄土な んだ。阿弥陀仏がおわすところなんだ、と。こういう観想なんですが、「これを 繰り返し繰り返し呼吸をしながら、これをして、二十一日ないし、三十五日続け て、いろんな病気で治らん病気があったら、来たって拙僧の首を切れ」と、こう いうふうに教えておるわけです。これは藤田霊斎(れいさい)という方、真言宗のお坊さんで して、大変病弱な方だったようですけれども、また付いたお師匠さんがなんか無 類のお酒好きで、それに感化されて、なお身体を痛めでおったんですが、たまた ま『夜船閑話』との出逢いがありまして、爾後この本一冊を持って、世に広く説 いて回ったのが、「調和道(ちょうわどう)丹田呼吸法」というんです。その後この系累をお継ぎ になって、「調和道呼吸」というものを広められましたのが、村木弘昌(むらきひろまさ)というお 医者さんで、一九九一年に亡くなっておられますけれども、そういう点では現代 まだ生きた一つの呼吸法だと思うんです。これを今度またさらに歩行にも、その 思い、その気持を使って活かしていきたい、というのが、私の「歩行禅」という ことになるわけです。
 
金光:  松尾さんは、今、お名前が出た方以外にも、私、拝見していると、若い頃から呼 吸には随分関心をお持ちで、明治以後いろんな方が唱えられた呼吸法を随分調べ ていらっしゃるようでございますが、有名な静坐法の岡田虎二郎さんのものも随 分関心を持って実践なさっていらっしゃるそうですね。
 
松尾:  私自身が、学生自分から長い間神経性胃弱とでも申しますか、胃の病気に随分苦 しみまして、ヨガとか、江間式呼吸法とか、そういう形の呼吸法というものに関 心を持ちながら、今日に至ったわけですが、これはまだ四、五年にしかならない んですけれども、地元の元小学校の校長先生から、「岡田式静坐法」というのを 教えて頂きまして、いろいろ文献を頂きますと、非常に私の気持ちにもピッタリ くるものがございまして、爾後非常に岡田さんの静坐というものについては、興 味を持ち、関心を持ち、自らも実行しております。ざっと岡田さんのことを申し ますと、明治五年に愛知県に生まれられまして、アメリカへいらっしゃって、四 十三年に戻って来てから、いわゆる静坐―静かに坐る方の静坐でございます―静 坐というものを一般に広めらる緒に就かれたわけですが、結跏趺坐(けっかふざ)、或いは半跏(はんか) 坐(ざ)という、いわゆる禅堂での坐禅とは違いまして、これをいわゆる日本化した― 興福寺さんにある仏像からヒントを得たというようなことも聞いておりますが、 両足を重ねて坐るという、独特のいわゆる静坐でありますが、ここでも呼吸とい うものに大変重きを置きまして、吐く息は長く、吸う息は自然に任して、「呼主(こしゅ) 吸従(こじゅう)」と申しますが、呼吸の呼が主で、吸うほうはそれに従う。「呼主吸従」と いう言葉が使われておりますけれども、そういういわゆる坐り方、呼吸の仕方、 これを―この歳になりますと、つい夜、目覚めるようなことが多うございます― 白隠の臥禅を試みたり、時によるとまた坐って、岡田式静坐というものを試みた り、これも老齢による目覚めも一つの特権だと思いまして、こういうのを実行し ているわけで、私の呼吸法というのは、「白隠・岡田式呼吸法」とでも言います か、そういうのを私は試みておるわけです。
 
金光:  岡田式静坐法を直接教わった柳田誠二郎(せいじろう)(元日本航空社長)さんのお話を何回か 伺ったことがあるんですが、呼吸の、吐くということと同時に、お尻を突き出す。 腰骨を立てる、ということを非常に大事に、それと肩の力を抜いて、鳩尾(みぞおち)を引っ 込める、という。それによってそれまでの禅病がコロッと治ったというようなこ とを伺ったことがありますが、腰を立てるということもなかなか大切なことです ね。
 
松尾:  これにつきましては、当時十五歳で小学校の用務員―当時小使さんをしておられ た森信三(しんぞう)先生、後の神戸大学の先生ですが、小学校で用務員をしておられた、そ の作法室で、たまたま岡田虎二郎の静坐法の講習会がございまして、それに参加 して、非常に感銘を受けまして、爾後、岡田式静坐を実践する人になるわけです が、この方の教え方は、腰を立てる。「立腰(りつよう)の勧め」ということを、教育の基本 になさいまして、特に今の子供たちがいろんな教育上の問題があるのは、「まず 腰を立てることが大事だ」ということで、このことについて、次のようなことも 言っておられますね。「人の修業の道には二道ある。歩くこと、坐ること。究極 するところは坐歩一如(ざほいちにょ)だ。坐、そして歩くことが一つの如し。一体化する。これ が究極のところだ」ということが出てまいりますが、そのお言葉の通り、歩行禅 はまさしく坐歩一如ということではないかと思うんです。昨日長い徒歩巡礼の中 での歩き方というお話が出たわけですけれども、歩く姿、歩き方と言いますか、 それと人格と言いますか、人柄というものとは、かなり深い結び付きがあるよう でして、例えば名横綱と言われました双葉山が、『相撲求道録』という本を残し ておりますけれども、その中には、「廊下を歩いている力士の足音を聞いて、あ れはダメだ、と言って、判断した」という話が出て参ります。また将棋の升田幸 三名人が、山本玄峰(げんぽう)老師の歩き方が素晴らしいので、文字通り一歩一歩歩くと、 清い風が立つという、歩々清風(ほほせいふう)という類ではなかったかと思うんですが、その後 を付けて行ったら、玄峰老師はある新聞社に入ったんで、「本当の名人はどこへ 行ったか」と、新聞社の人に聞いた、という。ご自分が将棋の名人でしたが、そ れが「本当の名人はどこへ行ったか」と聞いた、という、非常に有名な話があり ます。また会田雄次(あいだゆうじ)先生(元京都大学名誉教授)が、『アーロン収容所』という 本を書かれて、
 
金光:  京大の先生の?
 
松尾:  京大の先生ですね。「収容所にいた時に、足音を聞けば、将校か兵かが分かった」 という。歩くということと、歩く姿ということと、人格とには、何か深い繋がり があるんじゃないか、と思います。そこでいわば歩行禅―歩き方については、宮 本武蔵が、「鳥足はダメだ」と。飛んだような足はダメだ、と。要するに浮き足 だった歩き方はダメだということですね。「踵からしっかり付けて歩く歩き方で ないとダメだ」ということを宮本武蔵は言っておりますし、それからこれは平野 重(しげ)誠(まさ)という人は、この人は佐藤一斉(いっさい)のお弟子さんだったようですが、「歩行には 気息(きそく)をもって―ちゃんと下っ腹に息を吸って―小腹を牢紮(ひきしむる)ようにして、脚歩(あし)よ り小腹まず進むが如く」と。要するにお腹にグッと、臍下丹田に力を入れたら、 足よりむしろお腹の方を先に出すような姿勢で歩け、ということを、こういうこ とを平野重誠(しげまさ)という人は『養生訣』という本の中に勧めております。今申しまし た「宮本武蔵の考え方、鳥足ではいかない、飛び足ではいかない。踵からしっか り付けて歩け。そしてまた一方では臍下丹田に力を入れて、そのお腹のほうから、 足よりも先に進むが如くせよ」。こういう姿が、「歩行禅」というものの歩き方、 そのものではないか、というふうに思うわけです。当然のことながら、私どもの 巡礼の場合、お連れがありますので、世間話しながら、或いはジョークを飛ばし ながら歩く時間もあるわけですが、自分一人の時間に戻りました時は、出来る限 りこれを心掛けていきたいと思っています。大体、「六歩吐いて、四歩吸う」と いうようなぐらいのリズムが一番いいように思います。その間、その時によりま すと、先ほど申しました白隠さんの内観を口にしたり、時には、「なむあみだぶ つ、なむあみだぶつ」と。いわば白隠さんは、「臍下丹田に阿弥陀仏がおわす」 と言っておられますので、そういう念仏をしながら、大体六・四ぐらいの割合で 歩く、ということ。これは平地ですけれども、坂道なんかになりますと、随分そ の点が思ったようにはまいりません。先日は修験の法螺を吹いて出発等々の連絡 も全部して頂いた方がおられて、この方が掛念仏(かけねんぶつ)を「さんげ(懺悔)!さんげ!」という、 「六根清浄(ろっこんしょうじょう)!」とこちらが和するわけですが、これも節回しというと、ちょっ と語弊がありますけれども、やはり専門の方はなかなか深みのある、味わいのあ る節回しで言うて頂くので、こちらも自ずと「六根清浄!」と、力が入りまして、 ああいうのもリズミカルに歩いていく一つの方法だ、ということを痛感したんで す。実際は、私の場合は、掛け念仏を掛けて頂くのはいいんですけれども、遅れ ている私をいわば優しい鞭で後ろから追っているというような嫌いがなきにしも あらずであったと思うんですが、しかしこの時の声が非常に耳に残りまして、の ち山へ帰りましてから、先ほどちょっと触れました心臓の造影の検査がございま して、心臓にカテーテルなんかどういう形で入るのか知りませんが、あまり気持 のいいものではないんですが、検査して頂いている間中、目を瞑って、「懺悔懺 悔六根清浄」をいうておりました。あまり黙って目を瞑っているので、「松尾さ ん、大丈夫ですか!」と声を掛けられたのですが、処々方々に、そういうことが ございますと、それが一つの自分の生活のリズムということに活かされてまいり ます。
 
金光:  確かに、お山へ登られる時の「さんげ(懺悔)!さんげ!」という一つのリズムができる と、足も自然に運べるようでございますね。ですから先ほどおっしゃった村木先 生なんかも、「三呼一吸」がちょうどいいんじゃなかろうか。自分の場合は、「三 つ吐いて、一つ吸う。そのほうが特に力を入れなくて自然に入る」というような こともおっしゃっていましたが、やっぱり実践の中で自分に合った呼吸法という のが、自然に身に付いてきたということになるんでございましょうかね。
 
松尾:  それのトレーニングを絶えずするということが、私にとっては巡礼に出る喜びの 一つになっておりますが、しかし、精神的な深まりというものになってまいりま すと、果たして如何なものか。種田山頭火(たねださんとうか)が、
 
分け入っても分け入っても青い山
 
という有名な句を作っておりますが、一方また、どうしょうもない私が歩いてい る、と。どうしょうもない私が歩いて、結局「分け入っても分け入っても青い山」 という句を残したわけです。けれども私の場合は、この頂いている杖、一杖(いちじょう)を 頼りに歩くという気持で歩いています。ある新聞に「私の履歴書」という連載が ありますが、その中にある実業家の方が、ある時、無一文になって、しかも厳し い税務署の監視下に置かれた時に、自分の座右の銘としたのは、
 
漁夫生涯竹一竿(ぎょふしょうがいたけいっかん)
 
漁夫は漁師の方ですね。生涯、竹一竿―竹一本の竿が頼りで、また同時に一本の 竿さえあれば生きていけるんだ、という気概を示した言葉なんでしょうけど、そ の実業家の方は、それを座右の銘として、どういう形でしたか、竹一竿を持って、 また再起なさった、という履歴書の話でした。それを捩(もじ)りまして、私は、
 
巡礼生涯杖一杖(じゅんれいしょうがいつえいちじょう)
 
これが自分の人生のすべてだ、と。昔の巡礼は道で果てますと、土の中に埋めら れまして、杖がそこに立てられて、墓碑になったわけですが、まさに自分が朽ち た後には、それを現すのが、杖一本ではないか、という。そういう気持もあるわ けですが、「分け入っても分け入っても青い山」の中で、いつかその杖に、青い 鳥が留まってくれることを、これを念じておるんです。案外もう既に留まってい て、気が付かないのかも知りませんけれども、できればこれからも許す限り末永 う歩いていきたい、と思っております。昨日触れました山本玄峰老師という方は、 お生まれになったのが、熊野の湯の峰で、生まれると同時に岡本家という資産家 の家に引き取られて、岡本芳吉(よしきち)という名でしたが、その家の方は非常に律儀な方 で、その後実子が生まれたんですけど、身を固めさせて、家督を継がせるという ことになったんですが、失明に近い病気になりまして、目が自由になることを願 って、四国遍路へ旅立ちます。巡ること七周目になりまして、三十三番の雪蹊寺(せっけいじ) で行き倒れになる。これを助けましたのが山本太玄(たいげん)というご住職で、同時にお坊 さんになることを、当時の岡本芳吉に勧めたわけです。「この目では碌(ろく)に経文も 読めないが、お坊さんになれるか」ということを尋ねますと、太玄(たいげん)住職がお答え になったのは、「経文だけ読むお坊さんならいくらでもいる。親から貰ったこの 目はいつの日か見えなくなる。しかし心の眼は一旦見開いたら、生涯見えなくな ることはない」という、この一言が、当時の岡本芳吉の一生を決定しまして、後 の山本玄峰老師を生む機縁になったという話を聞いております。三十三番目の雪 蹊寺をお詣りした時には、特にその思いを込めてお詣りをしてまいりました。つ いては私の徒歩巡礼のほうも、その顰(ひそみ)に倣(なら)うて、「親から貰った足はいつか歩 けなくなる日がくる。けれども、この歩きたい心、歩いて得た心、これは朽ちる ことはない」。そういう思いをいつまでも抱き続けていきたい。カール・ルイス というあのアメリカの陸上選手が、引退に臨んで言った言葉は、「Run forever」 ―走ろう永久に、ということでしたけども、差詰めその伝でいけば、「Walk foー rever」―歩きたい、歩こう。生涯に亘って永久に、と。こういう思いで、まさ に「巡礼生涯杖一杖」と、こういう思いを込めて、今後とも歩いていきたい。こ ういうことでございます。
 
金光:  歩くということについて、昨日・今日のお話ですと、日本の伝統についてのお話 だったんですが、東洋には、ベトナム辺りのお坊さんなんかも、歩く瞑想と言い ますか、歩き禅を実践なさっていらっしゃる方も現にいらっしゃるそうですね。
 
松尾:  ティク・ナット・ハン(欧米で著名なベトナム出身の禅僧・仏教指導者・詩人・ 平和運動家)という方は仏教学者でありますし、また詩人でもあり、平和運動家 でもございます。その活動が目に止まりまして、例のキング牧師が、ノーベル平 和賞の候補に推したこともあるという方なんですが、「ウオーキング・メディテ ーション(瞑想)」ということを絶えずいうておられまして、「歩く瞑想」と言 いますか、これを実践なさっているのが、ティク・ナット・ハンという方ですね。 ただその運動が、南の方からはコミュニスト(communist:共産主義者)に見られ、 北の方からはアメリカに同調する者というような誤解を受けられまして、ベトナ ムに入ることを許されなくて、パリの郊外で僧園を作って、「ウオーキング・メ ディテーション」―歩く瞑想というのを続けておられます。これはまさに「歩行 禅」ということですが、この方のお作りになった詩というものを、私は大変愛読 しております。
 
金光:  「いま、こんにち、ただいまの、いまのことをみなさい」ということをおっしゃ るんだそうですね。だからよく人間だから、「あのことがなければ」とか、「こ うこうしたい」とか、そういうことは誰でも知らず知らずのうちにやっているわ けですが、「いま、現在を見なさい」ということはやっぱり素晴らしいですね。
 
松尾:  井上靖の小説に『昨日と明日の間』という題名の小説がございます。昨日と明日 の間は今日なんですが、今日と書かない理由ということを井上さんが言われたこ とがありますけれども、塩尻公明さんの本にも、フィッチャーという人の言葉の 中に、「人間が最も多く使う嘆きの言葉は、It might have been=iこうして いたら、こうであったろうに)というのが一番多い」というわけです。昨日まで のことにはこのように後悔する。一方、明日のことは、It may be=iこうな るんじゃないか)という、そういう期待感をもつ。人間の意識の中にあるのは、 後悔と期待とが、ちょうどブラウン管の中で、光が飛び交うような格好でありま して、現在というものについては、じゃ、何すべきか、という、それがとかく疎(うと) んじがちなんですね。その点は、ティク・ナット・ハンは、「Be here now」― ここに今ある、という。このことを非常に強く言いまして、これは佐藤一斉とい う人が、「人生一呼吸の間」と。長いこの人生もたった一つの呼吸の間、まさに 今あるこの一つの呼吸が一番証(あかし)になっている現在のありようなんですから、こ れともまったく同じ意味ではないか、と。そういう意味では、「今、現にあるこ とを深める」という。そういう点ではティク・ナット・ハンという人は、この「ウ オーキング・メディテーション」の中で、これを一歩一歩絶えず確かめる歩き方、 そのものではなかったかと思います。
 
金光:  歩くことによって、歩く巡礼を実践なさる方は、それまでの悩みが歩いているう ちに、いつの間にかその悩みが悩みでなくなっているようなことに気付かれるこ とが、巡礼を何回もなさっている方から伺ったことがあるんですが、坐禅なんか の場合でも、今の自分を考えるという、考えるというと、頭で「ああか、こうか」 と思うことを、考えると思うかも知りませんが、歩くことに徹底したり、坐るこ とに徹底していると、どうも思うほうには力を入れない、ということがあるんで すが。
 
松尾:  「歩く」という字の一番の原点を探りますと、上が左足で、下が右足の象形文字 が「歩く」というのだそうで、それで左足、右足交互に歩くんですけれども、先 ほど臍下丹田ということを申しましたが、まさに人間には心の田圃がございます。 「心田(しんでん)」と申しますが、歩くという行動は、ちょうど右足が鍬(くわ)で、左足が鋤(すき)なん だ、と。右の足、左の足で心田を耕す、と。そうして悩みを解決ということはな かなか難しい。しかし少なくとも悩みを受け入れる―受容する心、そういうもの を心田の中で、心の実りとして作っていく。こういうのが歩行による悩みの解決 とまで言いませんけれども、悩みを和らげる一つの手立てではないか、と。やは り巡礼というものも、遍路というものも、歩くということが、人の心を和らげる、 ということが基本で広まっていったものだと、私はそのように理解しております。 今の息を調える。「息」は「自ら」の「心」と書いて「息」で、息を調えるとい うことは、我が心を調えることで、気功法やら真っ向法といった類のものでは「上 虚下実」ということを申します。上を虚しくして、下を実。要するに臍下丹田、 そういったところに自分の重きを置く。とかく、「切れる」とか、「頭へきた」 というのは、要するに「逆上(のぼ)せる」というか、火が上がるわけで、「煩悩(ぼんのう)」の「煩(ぼん)」 というのは、火偏に、普通「頁」と呼んでいますあの「煩(ぼん)」という字を書きます が、この「頁」という字は実は「頭」という意味なんだそうですね。そこへ火が 上ると煩いになるわけです。「脳」も、月(にくづき)に偏の字書いて「脳(のう)」な んですけども、そこへ気持が上へ上がって、?(りっしんべん)になりますと、 「悩み」になりますので、やはり足の裏から呼吸して、臍下丹田に気を充実させ るというのも、「上虚下実(じょうこかじつ)」と言いますか、自らの足下を固める。そしていたず らに逆上(のぼ)せることないように、上気(じょうき)することのないように、静かなる思い、いわ ゆる禅の境地というものを作らんがためのへの一つの努力ではないか、と思いま すね。
 
金光:  そういうつもりで、そういうふうに身と心を調えて―「調身・調息・調心」です ね、歩く時もその状況で歩くと、歩くのもスムーズに歩ける。
 
松尾:  それも実は理想でございまして、現実に目指してはおりますけれども、その境涯 に至るには、はなはだ日暮れて道遠しで、なかなかそこには至らないんです。け れども、先ほども申しました通り、虚しい努力で果てしなき青い山を巡っている のかも知りませんが、その努力の果てに、青い鳥が見えるのではないか、と。こ れが私の唯一の生き甲斐、希望として、今考えていることを実践し努力し、生涯 に亘って、これを限りなく努めていきたい、という気持でございます。
 
金光:  ただ日々の充足感、満足感は得られるわけでございましょう。遠い目標というよ りも、それはもう身近に。
 
松尾:  これは身体が正直に応えてくれます。それこそ頭が白くなっておりますので、得 てして、右足と左足さえ交互に前へやっておったら目的地まで着くんだ、という ような思いになる時が、これが修行の境地と言いつつも、実はこれが法悦という ものだ、と思っています。
 
金光:  非思量(ひしりょう)の境地ですね。
 
松尾:  そうですね。
 
金光:  有り難うございました。
 
松尾:  どうも。
 
 
     ここは、平成十五年七月十三日、十四日に、NHKラジオ深夜便
     「こころの時代」で放送されたものである