幸せの形と向き合う
 
                   宗教人類学者・僧侶 本 林(もとばやし)  靖 久(やすひさ)
一九六二年、石川県の浄土真宗の寺院(真宗大谷派妙成寺)に生まれる。大谷大学大学院博士課程満期退学。大谷大学・佛教大学・大阪外国語大学・京都橘大学・びわこ学院大学非常勤講師。文化人類学・宗教民俗学・地域社会学専攻。著書に「ブータン スタイル―仏教文化の国から」「「生と死」の文化―ブータンと日本の生死観の比較を通して」「ブータンの宗教世界観と祭礼」ブータンと幸福論」ほか。
                   き き て     品 田  公 明
 
ナレーター:  新婚ほやほやの若い国王夫妻が来日したことで、注目を集めたアジアの国ブータン。ブータンはヒマラヤ山脈の東の端、中国とインドの間に位置します。国民の大部分がチベット仏教を信仰するブータンでは、仏の教えに基づいた国づくりが行われてきました。多くの国民が幸せを実感している世界一幸せな国とされています。そのブータンを、二十年以上にわたって研究している人がいます。宗教人類学者で僧侶の本林靖久さんです。本林さんは、葬儀を中心とした儀礼を通して、日本とアジアの各地の仏教のあり方を研究してきました。ブータンにも何度も足を運び、人々が幸せを感じる源について考察を続けています。今回の「こころの時代」は、宗教人類学者で僧侶の本林靖久さんに、実家である石川県津幡町(つばたまち)の寺で、ブータンの人々と向き合ってきた中で辿り着いた心の境地について聞きます。
 

 
品田:  本林さんは、僧侶として、そして宗教学者でもあるわけですけれども、普段はどのような活動をされていらっしゃるんですか。
 
本林:  大学で主に講義をしながら、いろいろなところに―市町村ですね―そういうところでいろいろな調査をしたり、それから必要に応じてこちらに帰って来てお寺の仕事もしたりということですけれども。
 
品田:  本林さんを語るうえで欠かせないのが、ブータンの幸せについての研究ということですが、ブータンというのはどういう国なんでしょう?
 
本林:  そうですね。昨年ワンチュク国王が新婚旅行で来られて、けっこうブータンという国について関心をもたれた方も多いので、知られている方も多いと思うんですけれども、インドの上と言いますか、ヒマラヤの東端に位置する小さな仏教王国なんですね。日本との比較でいえば、ちょうど緯度が沖縄ぐらい、形が埼玉県のような形でして、国土面積が九州程度、そして人口が約七十万人―日本で言いますと、島根県が七十二万人となっていますので、大体人口としては島根県の人口で、国土面積が九州程度、そういうところなんですが、実はヒマラヤの麓ですので、東西が三百キロ、南北が百五十キロなんですね。
 
品田:  横長の国なんですね。
 
本林:  そうなんです。そして実はそこが南の方が海抜二百メートル、そして百五十キロずーっと行くとなんと標高七千五百メートルと、
 
品田:  随分差がありますね。
 
本林:  そうなんですね。ほぼブータン人の多くの方々は、標高が大体千二百、三百メートルから二千七百から八百メートルぐらいのところに住んでいるんです。で、温暖で、どちらかというと、日本と同じような植生(しょくせい)の中で生活をしているということなんですね。ブータン人は、チベット仏教の敬虔な信者でありまして、仏教世界観の中で生活を営んでいるということになるんですけれども。
 
品田:  仏教の国ということですけれども、お寺も多いんですか?
 
本林:  そうですね。至る所にお寺があります。それもほんとにこんな山の中に、誰が住んでいるの、というようなところで、瞑想したり、修行しているお坊さん方がたくさんいますし、勿論信者というかブータン人も敬虔なチベット仏教の信仰者でありますので、仏教というのがまさしく息づいているな、ということを実感するということですね。
品田:  国民性としてはどういう感じなんでしょう?
 
本林:  そうですね。ブータンへ行きますと、本当に日本人に出会っているのかというような、まず顔付きとか穏やかな性格、そして実はブータンでは民族衣装という、男性はゴーという、日本の丹前(たんぜん)と言いますか、褞袍(どてら)に似たような民族衣装を着て、女性はキラという、一枚の布を巻き付けるんですが、一見すると日本の着物によく似ている。ですからブータンへ行くとほんとに日本の古い時代にタイムスリップしたような、そういうようなイメージをもたれる方が多いというふうに思いますけれども。凄く面白い話がありましてね、「ヘレヘレじいさん」という民話があるんです。ブータン人の生き方をみていく中で、多くの人がヘレヘレじいさんのように生きたいというんですね。そこが凄いなと、ある意味思ったりするんですよ。村に住んでいるおじいさんがいて、一人暮らしをしていた、と。たまたま畑を掘っていたら、切り株からトルコ石が出てきた。これで金持ちになれるなと思ったんですね。これを市場へ持って行って交換しようと思った。ところがテクテクと歩いているうちに村の人がやってくるわけです。村人がやってくる間に、何度か交換していくんですね。実は最後に楽しそうに歌を歌っている人がやって来て、その人と交換することになるんですが、「何でそんなに喜んでいるの?」って、歌を歌っている人が言うと、「いや、実は聞いておくれよ。トルコ石が出てきて、それを実は馬に換えたんだよと。馬に換えて、その次が老いた牛に換えて、羊に換えて、そして鶏になった。で、お前が今歌っているその歌とこの鶏を交換してくれないか」というんですよ。で、その鶏にあげて、彼が歌っている歌を歌いながら帰って来る、という話なんですね。で、実はこれは、ここで終わるんじゃなくて、最後にはオチがあって、歩いている最中に転んで歌を忘れてしまった。結局最後は何にも残らなかった、という話なんです。
 
品田:  せっかくトルコ石という高価なものを見つけたのが、だんだんと小さくなっていって、鶏から歌という楽しむものに変わったけれども、さらにそれも忘れてしまった。
 
本林:  で、一見すると、「何?それ?」という話なんですが、実はつまり惜しみなく困っている人に施していく。その実直な生き方をしていくということが、実は何よりも大事なことなんだと。そういう生き方をしていけば、その先、つまり死後―来世はもっといい境遇というかね、そういう状況におかれるであろうと。そういうような生き方というものを、これはなかなか言うは易く、行うは難しですね。ところが私もブータンへ行って、多くの人たちに接していると、ほんとによくここまでできるな、というのがあるんですよね。例えば田舎から首都のティンプーへ出て来て一生懸命働いて、ある意味頑張って稼ぐわけです。そうすると、そこで地方で、そこで生まれた人たちがみんな訪れるわけです。首都へ来て、「泊めてくれよ」とか、「何かあったら、困ったら援助してくれないか」というわけです。そうしたら惜しみなくするわけです。で、私は、「そんなしんどいこと止めておけよ」とかと逆に思うんだけど、「いやいや、私の両親はまだそこに生きているし、まあいろいろお世話になっているし、私がこうやってなんとか成功できているのも、その村の人たちの支えがあったからだから、それはできる限りのことはしてあげるよ」というふうに言ったりするわけですね。そういうところになんかブータン人というのはやっぱり凄いな、というふうに思うことがありますよね。
 

 
ナレーター:  他人を思いやる人々の心の深さに、本林さんが驚嘆したブータン。世界一幸せな国とされ、注目を集めています。その幸せな国の柱となっているのが、先代の国王が掲げた国づくりの指標です。それはGNH(Gross National Happiness:国民総幸福)と呼ばれ、伝統や自然、宗教を大切にする考え方です。
 

 
品田:  ブータンと言いますと、代名詞とも言われているのが、GNH(国民総幸福)という考え方ですけれども、これはどのような考え方なんでしょう?
 
本林:  一九七六年に先代の国王が、国際会議後の記者会見で、「Gross National Happiness:国民総幸福というものが、Gross National Product:国民総生産よりも大事である」ということを語ったんですね。つまり世界の国々が、「国民総生産こそが豊かさの指標になるものだ」というふうに言われていて、必死に物を作って、物を売るということが幸せなんだ、という時に、先代国王が、「私たちは、GNP(国民総生産)も大事だけれども、GNH(国民総幸福)ということを一番に考え、国民の幸せを何よりも考えていこうと。そういう中で発展していきたいんだ」ということから生まれた言葉なんですよね。具体的に言えば、四つの柱というのがありまして、
 
一、経済成長と開発
二、文化遺産の保護と振興
三、環境の保全と持続可能な利用
四、よき統治
 
と。この四つをベースにしながら、全体の幸せを考えていこうという、そういうものが実は「国民総幸福」ということなんですね。ですからもっというと、開発の哲学として、近代化の中で開発を否定しているわけではないと。ただやっぱり伝統文化を継承し、自然環境を保護し、そして仏教世界観を継承しつつ、国の発展をしていこうと。例えばブータン人の一つの政策として、凄いなと思うことは、「電気と鶴と、どっちが大事?」ということがあるんですよね。我々が、「電気と鶴と、どっちが大事?」なんて聞くと、どう思われますか?(笑い)
 
品田:  電気というのは、明かりとかの電気ですよね。鶴というのは飛ぶ鳥の鶴ですよね。
 
本林:  実はブータンのある村―まだ電化されていなかった村なんですね。ブータン人も先ほど言いましたように、開発を否定しているわけではないわけですね。ですから電気というのは、とても生活の中で大事なものであると。当然電線を引こうという話になっていくわけですよ、ブータンの国内のいろんなところに。ところがそこが鶴の越冬地であった。オグロヅルという鶴がチベットから冬にやって来る。そうすると、どういう問題が生じるかというと、電線を引くと、鶴にとっては邪魔になるわけですね。大きな鶴が電線にぶっつかっちゃって、怪我をしたり、死んでしまう。それで、さぁどうしようかとなったわけです。で、そこで我々であれば―実は大学生によく聞くんです。「鶴と電気と、どっちが大事だ?」と聞くと、まあ正直いうと、ほとんどの人が、「電気」と言います。ところがブータンのその村では、結局どうしようか、という話になった。その時に政府も、どうするかということで、村人との議論になった。その時に結局鶴を守ろうということになるわけです。それでどうしたかというと、それなら政府も援助するからという形で、ソーラー(太陽光)発電にする。ところがソーラー発電と言っても、言ってみれば精々四十ワット程度で夜に電球として使える程度のものなんですね。でもそれでもやっぱり鶴の方が大事だな、となりますね。日本であれば、戦後になって、高度経済成長があり、もっと言えば日本列島改造があり、つまりどんどんどんどん経済発展していくことが何よりも幸せだという中で、例えば一旦朱鷺(とき)が死滅してしまったり、そういうようなことがあったんですが、ブータンでは何よりも自然と、あるいは動植物と共存しながら生きていく、という。そういう世界観がブータン人の生き方の中にあるということなんですね。でも何でこんなことが可能なのかな、と思ったりもするわけなんですよね。それをいろいろ考えていくと、例えば「鶴と電気のどっちが大事だ」と、今の日本人に聞いても、そんな質問自体もナンセンスですし、それはやはり電気のない生活なんて、もう我々にとって考えられない話なんですよね。そこで私、よく学生に聞くんですよ。「親と電気、どっちが大事だ?」と(笑い)。「親と電気、どっちが大事だ」というと、まあ多くの学生は、それはやっぱり「親でしょ」といいますよね。でも最近ちょっと恐いなと思うのは、そういう質問に対しても、やっぱり「電気」と答える学生もいるんですよね。「どうして?」と言ったら、「だって電気のない生活なんて考えられないし、親はどうせ死ぬもん」というね(笑い)。なんかそうなのかな、という。でもそういうところがあるわけですよ。「じゃ、友だちと電気どっちが大事?」これは不思議と分かれますね。どちらかというと、友だちという方が多いのかも知れないけど、やっぱり「電気の方が私にとって大事だ」と言いますよ。もっというと、「じゃ、他人と電気は?」と言ったら、ほとんどの人は、正直言って「電気」と答えますわ(笑い)。それが日本の置かれた現状かなと思いますね。ところがブータンでは、何故こんなことを問うかというと、実は鶴も親も知人も友だちも、それから他人もみな同列なんですね。生きとし生けるものが、みんなどこかで繋がっているんだと。そういうような生き方が、それがブータン人の仏教世界観の中にあって、もっというと、人が亡くなって、村で火葬にして、そして煙が天に舞い上がり、そしてそこから舞い戻って来るのが鶴であると。勿論それは誤解のないように言っておくと、亡くなった人が全部鶴になって舞い戻ってくるわけじゃありませんよ。しかしそういうような輪廻(りんね)する世界観の中で、生きとし生けるものがみんなどこかで繋がっている。だから大事にしていこうという、そういう世界観をブータン人は持っているな、というふうに思うんですね。
 
品田:  ブータンの人たちに比べて、日本人は今とても幸せを感じ難い時代にあると言えると思うんですけれども、長年ブータンをご覧になってきた本林さんが、考える「幸せ」というのは何でしょう?
 
本林:  これはなかなか難しいテーマだと思うんですが、確かに私たちは、物を持つことが幸せだ、というふうに、どちらかというと、そういうふうに、戦後教育の中であったのかなということを思ったりするわけなんですよね。まさしく高度経済成長期以降ですね、物を持つということが大事にされてきたように思います。で、私がブータンへ行った時に、ほんとに民家へ入った時に、ほんとに物がなかったんですよ。〈何にもないや〉と思ったような、台所へ行ってもなんか大きな鍋とか釜とかあったけれども、〈えっ!何にも他ないの?〉というような状況だったと思うんですよね。だからと言って、ブータン人が不幸せなのかというと、そうでもないな、ということを思いつつ、でもやはり物のある幸せというものを、ずっと実感してきたように思うんですね。で、ある経済学者によると、「幸せとは欲望分の財だ(幸せ=財/欲望)[井上信一さんによる幸せの定義]」というふうに言っているわけですよね。西欧では増大する欲望を財を増やすことで満たし、幸福を得ようとする。つまりコマーシャルとか広告で、「新しくこういう物ができました。さあみなさん買いましょう」と欲望を押し付けるわけですね。で、それを我々は手に入れて、「あ、なんか幸せになった」というところがあるようなところがありますよね。ある面白い写真集があって、「それぞれのみなさんの家庭にあるものを全部見せてください」という、世界三十カ国の、そういう普通の家庭の家財道具を全部玄関の前に出して貰って、そしてそれを一枚の写真で写すんですね。三十カ国の中に日本が入っているわけです。バラバラと見ると、一番物が多いのが日本なんです。四人家族のある家庭―東京に在住のある家庭のごく普通の平均家庭の家財道具がバァッと出るんですが、四人家族なんだけど、靴だけでもズルズルと列ぶんです。その時の―これは一九九○年代の写真集なんですけどね。日本はGDP(Gross Domestic Product:国内総生産)は世界第二位であると。「幸福の象徴は何ですか? 幸せの象徴は何ですか?」と言ったら、「家を持つことだ」と書いているわけです。で、実は三十カ国の中にブータンも入っているんですよ。ブータンは、三十カ国で一番低いんですよ、GDPは。十四人家族で、三世代。家財道具なんて何にもないんです。で、「あなたの一番大事なものは何?」と言ったら、「仏像」と書いてありますね。だからと言って、ブータン人が不幸せなのかと言ったら、そんなことは全然ないな、と思うんですよね。そういうことを考えていった時に、「一体幸せって何なのかな?」ということを感じるわけですよね。
 
品田:  物質の豊富さじゃなさそうなんですね。
 
本林:  そうですよね。ですから「物があれば幸せだ」とは言えなくなってくるし、増して日本の今の経済が、どちらかと言うと、少し下がり気味になってくる時に、じゃ、一体どうしたらいいんだ、というような現状に今置かれているのかな、というふうに思いますよね。そういうことで、私も、例えば日本の学生なり、あるいはブータン人なりに、「あなた方の幸せの方式って何だろう?」ということで、いろいろ聞いて回るということがあるんですよね。「何が幸せの方式なのか」ということを見ていくと、やはり日本人とブータン人に若干違いが出てくるんですよね。日本人に、「あなたにとっての幸せって何ですか?」と聞くと、例えば健康であるとか、経済力であるとか、笑顔とか、中には温かい御飯とか、いろいろ出てくるんですよね。多分ブータン人との違いの中で出てくるのは、ブータン人は、「あなたの幸せは何ですか?」という時に、そこには私だけではなくて、家族であるとか、それから他人であるとか、あるいはもっと言うと、国王であるとか、そういう意味で言うと、幸せというものが、自分だけではなくて、他にも及んでいる。ブータン人は自分の足下をしっかり見ているな、という気がするんですね。何か我々は、なんか遠いところにあるものを必死に掴もうとするというようなところがあるような気もするんですが、何かブータン人は、ほんとに自分自身というものをしっかり見つめていて、そして「自分が一人で生きているんではない。人と人との関わり、繋がりの中で生きている。そして誰か困った人がいれば、そこに惜しみなく手助けをし、また自分が困っている辛い時には、誰かが援助してくれることを有り難く受け入れる」という。そういう生き方の中で、幸せというものを実感しているように思うんですね。そういう意味でいうと、日本人ももう一度「自分だけだ」というような利己的な立場ではなくて、「他者との関わりの中で自分が生かされている」というようなことを、もう一度実感すると、実は幸せというのは、自分の側にあるんだ、ということがよくわかるんじゃないかなという気がするんですよね。そういう方向へ一人ひとりがもっていければ、そこにいっぱいの幸せがあるんだよ、ということに気付くことになるのかなという気がしますけどね。
 

 
ナレーター:  本林さんが、ブータンの研究を始めるようになった背景には、子供のころの強い思い出があります。本林さんは、一九六二年、石川県津幡町の小さな集落の寺に生まれました。当時日本は、高度経済成長に入り、開発が進んでいましたが、本林さんが住んでいた集落には、まだ昔の農村の暮らしが残っていたと言います。
 

 
品田:  本林さんは、どういうお子さんだったんでしょう?
 
本林:  そうですね。よく遊びましたね、村の中でね。それから今では信じられないと思うんですが、まだこの家の前の家というのは、囲炉裏もあって、それから土間があって、そして私なんかは小学校の時に、学校から帰ってくるでしょう。まずお風呂を沸かすというのがあるんですよ。それもよく五右衛門風呂みたいな風呂だったので、薪を入れて、もう学校から帰って来たら、お風呂を沸かすのに一時間ぐらいかけてお風呂も沸かしていましたし、それから当然トイレというのが、ほんと昔のトイレですね。言葉が悪いんですが、よく「ボットン便所」と言いましてね、そういうようなトイレで、子供の時に、父親が大きな柄杓のようなもので、糞尿を―当時は桶ではなかったんですが、なんかプラスチックのバケツに入れて、天秤棒で担いで、そして畑へ行って、それを下肥というか、肥料としてやっていたんです。そういうことが当たり前な時代だったんですよね、まだ一九六○年代の後半ですのでね。もっと言えば、その頃今で言えば、そうだったよな、と思うことがいっぱいありましてね、例えばその当時はまだ田植えも手で植えるという形でしたのでね、私の母親なんかも村の中で結(ゆい)(主に小さな集落や自治単位における共同作業の制度である。一人で行うには多大な費用と期間、そして労力が必要な作業を、集落の住民総出で助け合い、協力し合う相互扶助の精神で成り立っている)というのがあるんですよ。主婦たちが協力しあって、順番順番に自分の家の田圃に稲を植えていくとかね、そういうようなことをやっている。大変だなということもありましたし、逆にいうと、秋になると刈り入れが終わった後に、実はここら辺では、竹で稲架(はさ)というのを立てるんですよ。稲を天日干しにするんですよ。学校から帰って来ると、母親の手伝いとして、稲を稲架に掛ける手伝いをしていましたし、そういうことをいうと、いろんなことで村の付き合いというのはたくさんあったんですね。もっと言えば、お祭りの時には若者と子どもたちがみんなで御輿を担いで家々を回ったり、身内に結婚式があれば、そうしたら必ず帰って来ると、近所に引き出物を配ったりするんですね。だから北陸の結婚式は引き出物が多いんですよね。そういうものを身内に何かお祝いがあったらまた近所に配る。それから節供毎に、ぼた餅とか、笹餅とか、おはぎを作れば、近所に渡すとか、さまざまなところで人と人というか、家と家が関わり合って生きてきたように思いますね。それが子どもの頃の、わぁ凄いよな、こういうふうにいろんなことがあるな、ということを思うことがいっぱいありましたよね。もう一つ、お葬式ですね。お葬式というのは、当然のことながら、私がまだ幼少期の頃は、村人がみんな揃って、いろんな葬式の準備をしたりするわけですよね。当然葬式組みたいなのがありましてね、で、その組み以外の人も葬列には参加すると。その時に凄いなと思ったのは、亡くなった人を出棺しますよね。家なりでお葬式―金堂でやる場合もありますが、家でお葬式が終わって出棺する。村人がみんな集まって来ているわけです。その終わった後に、出棺して出て行った後に、篭がたくさんあるんですね。親戚とかが、お供えのために、お菓子とかお餅とか、そういうものを篭の中に入れて、ズーッと並べてあるんです。それをバァッと配るんですね。それは神社の祭礼の餅まきのように、それをみんなでわぁっと取って、
 
品田:  お葬式の時にもまいて?
 
本林:  まくんです。最後それを貰って帰る。私なんか小学校の時に、「先生、今日葬式がありますので早退します」と言って、お葬式へ行って、そしてたくさんのお菓子を貰って帰って来た、ということがよくありましたね。でもそれはやはり多くの人に、ある意味で見守るというか、多くの人が葬式に参加して亡くなった死者を送るという。そういうような一つのシステムと言いますかね、そういうものがあったんだろうなということを感じるんですよね。みんなで死者を悼(いた)んで、という。私の母親の両親が、ちょうど小学校の頃に亡くなるんですね。初めて火葬場へ連れて行かれて、そして火葬場で点火して、それから三時間ぐらい待って遺骨が出てくる。その時に、まったく骨だけの形で綺麗な形で出てくるんです。これを見た時に、「あ、死ってこういうことなんだな」ということを思いつつ、それがどっかに死生観とか、私にとって死って一体何だろうかとか、そういうこともその頃に実感したというのがありますね。それともう一つ、私が凄く宗教に関わっていくうえで、いろいろ関心を持った一つが、ちょうど私は、お盆の頃になると、お墓掃除が私の担当だったんですね。よく自分の家のお墓へ行って、あるいは周りのお墓を見ていると、普通墓と言ったら、墓石があって、そこに「先祖代々」とか書いてあるのが普通ですよね。実は私のところは、土まんじゅうの中に榊の木がポンと植えてあるんですよ。
 
品田:  それがお墓なんですか?
 
本林:  お墓なんです。そしてその他のところへ行くと、松の木があったり、杉の木がお墓なんですよね。そういうのを見ていて、ちっちゃい時に、「何でこれがお墓なの? 何でこんな木がお墓なの?」というふうに思いつつね、で、「いや、これは貧しいからかな」なんていうふうに思っていたんですよね。ところが父親に連れられて、月参りとか、いろいろな形で、その家へ行って仏壇を見るじゃないですか。もの凄い立派な仏壇なんですよね。もう驚くような仏壇で、〈あぁ、凄いな〉というふうに思うんです。でもお墓はそういう木なんですね。これが実は凄い不思議な思いとしてあった、ということですね。
 

ナレーター:  墓や亡くなった人の弔い方に興味を抱きながら成長した本林さんは、一九八二年、大谷大学に入学します。そこで日本各地に伝わる仏教の儀礼や墓の研究に取りかかります。
 

 
本林:  大学へ入って、「民俗学研究会」というサークルに入りまして、そして日本の各地の民族調査をするようになるんですね。そしてその中で特に私は、死生観ということだったので、葬送儀礼であるとか、お墓であるとか、そういうところに関心を持って調査して行く、ということになるわけなんですね。そういう形で日本各地の葬送を見ていくと、実は自分が小学校の頃に自分の村で見た、墓の代わりに木を植える、というのが、実はこれは日本人の古いスタイルとして、墓石が登場してくる前に、そういうような土まんじゅうのうえに木を植えるという、墓上植樹(ぼじょうしょくじゅ)というような形が広く行われていたんだな、ということがわかってくるんです。お骨を土に入れ、そこに木の苗木を植えるわけですよね。そうすると、その木がどんどん大きく成長していって、枝を出し葉を出すという形で、もの凄く大きなものになっていく。何かそこに死んだら無ではなくて、なんかそのまま生命力が息づいていて、そしてそれが天まで伸びていく。そして何か魂が天へ行くような、そういう何と言うんですか、死んだら無ではないという、そのまま亡くなった人の魂が息づいている。で、あちらへ行くような、そういうようなもの、そういうリアリティを感じられる、というところがあるような気がするんですよね。
 
品田:  墓石の前にそういう時代があったという。
 
本林:  一方では五輪塔(ごりんとう)というのが出てくるんですが、しかしなかなか五輪塔というのは、ほんとに庶民というか、一般の人はそんなのはなかなか作れないわけで、そういう中で墓に木を植えるというようなことが広くあったんだなと。それが今も残っているんだな、ということがわかってくるんですね。ちょうど私が学生の頃、ちょうど日本はバブルになっていくんですね。一方で「墓のない人生は儚い人生だ」というような(笑い)時代であってね、立派な墓を持ちましょうと。ちょうどそういう時代になっていくわけなんですよね。で、その中でどういうことが言われてくるかというと、例えば日当たりのいい場所であるとか、見晴がいい場所であるとか、もっと言えばお嫁さんはお姑さんと一緒の墓には入りたくないとか、そういうような時代になっていくわけですよね。その中で、ふと考えると、そもそも何だったんだろうかな、と思うんですよね。で、都市部で言われるような墓というのは、どちらかというと、所詮現世の終着点というところでの墓であって、墓があちらの世界まで繋がっていないんではないかな、というような思いがしてきたりしていたんですね。つまり要は、どこにお骨を納めるか、というそのことが大事で、それも現世のさまざまな生き様の中で墓というものが作られている。だからお姑さんと一緒の墓に入りたくないとかというようなことになっちゃうという。そういうような自分の育った中で見てきた墓制というか葬制と、近代とのいろんなギャップの中で、一体我々の日本人の死生観ってどんなものなんだろうかな、というようなことをいろいろ考えていた時に、実は大学に入って私の先生であった岩田慶治(いわたけいじ)(文化人類学者。現在、東京工業大学名誉教授、国立民族学博物館名誉教授:1922-)先生という文化人類学者なんですが、この先生はずっと東南アジアを歩いていて、で、私に、「本林君、一緒にアジアを歩きませんか」と言われて、そこでタイであるとか、インド、ネパール、ブータンという国を歩いた中で、ブータンへ入った時に、もの凄く感動するというか、驚くことがいっぱい私の中に飛び込んできた、ということなんですね。
 

ナレーター:  本林さんが、初めてブータンを訪れたのは、一九八八年、二十五歳の大学院生の時でした。その時見たブータンの人々の死者の弔い方に深い感動を覚えたことが、ブータンの研究を始めるきっかけだったのです。
 

 
本林:  最初に墓がないということだったんですよね。先ほど言いましたように、日本では、「墓のない人生は儚い人生だ」なんて、ちょうどそういう時代で、ちょうど正直言って、私の家でも父親が、「もうそろそろ土まんじゅうの上に榊の墓というのもなんだから、立派な更地にして立派な墓石を建てようか」と言っていた時なんです。私の中でも多少葛藤があって、「いや、もうちょっと考えさせて」と言っていたんですね。そしてブータンへ行って、そしていろいろ見て行くと、墓がない。墓が無いってどういうことなんだろう、というようなことを感じるわけですよね。いろいろ調べていくと、実はブータンでは、基本的には火葬なんですよね。火葬にして、薪の上で死体を焼いて、そして骨になる。骨のほとんどは近くの川に流してしまう。で、一部の、特に頭蓋骨の頭の骨を取ってきて、それを砕いて、で、粘土と混ぜて、それをちょうど円錐形の塔のようなものの雛型があるんですね。そこで粘土で押し付けて、それでちっちゃな仏塔みたいなものを作るんです。これは「ツァツァ」と言うんですけどね。五センチほどのものもありますし、もっと十五センチとか大きいのもあるんですが、普通はちっちゃなものが多いんですけれども、そういうものを風通しのいい、例えばお寺の屋根裏とか寺壁であるとか、洞窟のところとかに置くんですね。実はブータンは、ヒマラヤからもの凄い風が吹いてくるんですよ。「風は宇宙の息だ」というふうに言うんですね。実はその風によって骨灰が入ったちっちゃな仏塔は、強い風によって、一年か二年すると自然の中に融け入ってくる。そういうような世界観。そこに何か生と死というものが一体になった、そういうような姿が実は見えてくるんですね。そう考えると、日本ではどちらかというと、墓というところまでで終わってしまって、あちらの世界に行っていないような気がしたんですね。そういう意味で、ブータンという国は凄いな、ということを先ず最初に思ったんですよね。
 
 
ナレーター:  ブータンでは、命は一度きりのものではなく、この宇宙の中で巡っていると信じられています。その根底にあるのが、仏教の六道輪廻(ろくどうりんね)の教えです。
 

 
本林:  ブータンへ行きますと、それぞれのお寺とか、「ゾン」と言いまして、これは宗教の施設と、今でいうところの県庁みたいなものが混在しているところなんですが、要はいずれの宗教施設にも、「六道輪廻図」というのが描かれています。その六道輪廻図というのは、怪獣のようなものが大きな車輪を回しているんですけれども、実は一番中心に、そこに三匹の動物―「鶏と蛇と猪」が描かれています。猪の代わりに豚になる場合があるんですけどね。これが仏教でいうところの「三毒(さんどく)」三つの毒ですね。それは「貪欲(とんよく)=貪(むさぼ)り、瞋恚(しんに)=怒り、愚痴=無知」という、そういうものを説いて、その外側には、六道の世界を、下へ下りていく―地獄へ下りていくのと、地獄から上がっていくという二つの絵が描かれていて、その外に実は六道の世界が描かれている。「天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界」という六道があって、そしてその外には十二の縁起が描かれていて、人間が誕生して、死までの苦しみみたいなものが描かれているんですね。で、そういう世界観をブータン人はいつも目の当たりにするわけです。そういう中で絶えず人間は厭世の中で生まれ変わって生きていくという、そういう価値観を持っているんですね。それをもっともよく現しているのが、お祭りなんですね。日本人の観光客はよくブータンのお祭りを見に行くんですけどね、「ツェチュ」というお祭りがあるんですね。これはブータンに仏教を広めたグル・パドマサンバヴァ(グル・リンポチェともいわれる)という人の遺徳を偲ぶようなお祭りなんですね。そういうお祭りが至るところにあるんです。そのグル・パドマサンバヴァというのは、月の十日にいろんな奇蹟が起こるんですね。それでそれぞれの地域では、ブータンの暦の十日に、お祭りがある。実はそのお祭りというのは、三日間から五日間にわたって行われるわけなんですね。閻魔大王が出てきて、さまざまな劇が行われるわけなんです。その中で死んだら、閻魔の前に出て、そして悪いことをしたら地獄に堕ちる。しかしその責め苦に耐えて、また舞い戻って来て、善い行いをしたら、今度は天上界、極楽へ行けますよというね。そういうお祭りの中に、実は我々はそうだよな、こういうことをしてはいけないんだよな、ということを教えていくということがあるわけなんですね。そういう中で我々の生き方というものを問い直す、ということが、実はあるということなんですね。ブータン人というのは、人が見ていなくても、こういうことをしたら必ずその先に報いがあるよ、ということを教えるわけですよね。どっちかというと、日本人の場合は、人が見ていなかったら何してもいい、という感覚がどっかあるじゃないですか。だから監視カメラが必要になって、という部分があるわけですね。でも日本人だって、やっぱり何か悪いことをしたら、こんなしたら罰が当たるよな、人が見ていなくても、してはいけないよ、というのは確かにあった筈なんですよね。でもなかなか今の日本では、そういうことというのは難しい中で、ブータン人にはそういうのがあるわけですね。
 
品田:  こうなってしまって、また次があるんだよ、という形で、
 
本林:  そうそう。ですから仮に悪い状況であったとしても、またいずれ巡り巡って戻って来ると。自分のしてしまったことを悔い改め、最後の瞬間まで、死ぬ瞬間までどう生きるか。そこがとっても大事なんだよ。そうすれば必ず来世では幸せになれるよ。ブータン人の宗教世界観というものを通して、示唆を受けるというのは、人間の側から世界を見るのではなく、むしろ世界の大きな循環の中で人間を見つめることの大切さ、ということがあるのかなというふうに思うんですよね。この命は、この場における私だけのものではない、ということですね。命の繋がりの一端を、この時の私、この今の世界でたまたま私が授かっているんだ、ということを気付かせてくれるというふうに思うわけですよね。
 
ナレーター:  仏の教えに基づく心の世界を守ってきたブータン。しかし首都ティンプーの周辺では、生活の近代化が急速に進んでいます。外国から多様な情報がもたらされる中で、ブータンの人々の心はどう変わっていくのでしょうか。
 

 
品田:  日本が便利になっていくのと同時に、世の中がどんどん変わってきた。それぐらいの速度でブータンも変化しているそうですね。
 
本林:  そうですね。一九九九年に、テレビ放送が開始され、そして二○○○年に入ってから、インターネット、携帯電話などが入ってくることによって、もの凄い情報が入ってくる。そうすると、やはりブータン人もさまざまな欲望に駆られる部分というのはあるんですよね。そういう意味でいうと、ほんとにこの二○○○年に入ってからビックリするぐらいにブータンも変化はしています。
 
品田:  それによってブータンの人々の考え方というのは変化してきているんでしょうか。
 
本林:  そうなんですね。確かに首都ティンプー辺りでは、若い世代の人たちにとっては、やはり西欧や日本、あるいは韓国なんかのファッションというのが憧れになったりとか、いろいろな意味で欲望が尽きないという状況もありますね。先ほど出てきた「鶴と電気」の村もそうなんですがね、電気が入ってきて、電化製品がやっぱり入ってくるんですよね。そういう中で、一体これからブータンがどういうふうに変化していくのか、というのはとっても不安な部分も多いのは事実なんですね。
 
品田:  どのように変わっていってしまうんでしょう? ただ残っていって欲しいとは思いますね。
 
本林:  そうなんですね。ですから多くの外国人が、ブータンを研究している中で、そこはとっても不安視して、結局西欧とか日本のような物質的な発展を目指していくと、他の国と同じようになるんじゃないか、というふうに危惧する人も多いんですね。ただ私は、そこまで悲観的に見ていなくて、というのはブータンに入ってブータン人といろいろ接していますと、例えばエリートの人たちと言われる人が外国へ留学してブータンに帰ってくると、やはり西欧とか日本のような物質的な文化に憧れつつも、ブータン人はそういう文化、あるいはそういう経済発展だけが幸せじゃないな、ということを理解しているんですよね。先ほども話しましたが、ヘレヘレじいさんのような生き方を、まだ若者も理解していて、やはりどっかでそういうような生き方に共感をしっかり覚えているんですよね。ですからそういうものが薄れない限りは、まだまだ大丈夫なのかな、というふうにも思いますね。
 
 
ナレーター:  本林さんは、日本各地でブータンに関する講演を行っています。最近のテーマは、「ブータンで学んだ死と真っ正面に向き合って一瞬一瞬を大切に生きることが幸せの根元になる」ということ。本林さんは、それを「死を含む幸福」と呼んでいます。
 

 
本林:  昨今の日本では、どちらかというと、死というものは否定的に受け止められがちなところがありますよね。できるだけ死を隠そうとするというか、例えば学生たちと喋っていた時に、いろいろ話をしていて聞いたんですが、例えばおじちゃんが亡くなる。自分が孫であって、で、普通ならおじいちゃんが亡くなれば、お通夜に参加して、お葬式に参加するというのが、我々には当然だったような気もするんですが、今の子どもたちは、それよりも「塾へ行きなさい」とか、「学校の方が大事でしょう」とかという形で、家族においても死という、つまり葬式にも参加しないような中で、どちらかというと、死が忌み嫌われている。輝く生だけが持て囃されるような、そういう現代社会があると思うんですよね。ところがよくよく考えてみると、私の子どもの頃は、みんなで死に参加し、死というものを身近な問題として、自分自身が受け止める、というようなそういう世界があったわけなんですよね。それが今日本では、家族葬とか、もうできるだけ葬式も身内だけ、あるいはそのままさっと葬式もせずに火葬にするような時代になってきたように思うんですよね。そういう意味でいうと、死というものに触れ合うことが少なくなって、死は絶対的な不幸だ、というふうに考えてしまうようになった、と思うんです。しかし我々は必ず死ぬんでして、死を否定したところで、結局死は避けられないわけですよね。やはりここで大事なのは、死というものを日常でしっかり考える。つまり死というものを考えることによって、我々は如何に生きるのか。つまりどのように死するかということを考えることが、如何に我々は生きていくのか、ということを考えることになる、と思いますよね。だからそういう意味で、「死を含む幸福」というのは、日常でしっかりと「如何に死ぬ」あるいは「如何に生きる」ということを問い直すことによって、そのことが、自分が今生かされている自分というものを考え、そしてどう生きていくか、ということになり、それが実は幸福ということともの凄く深く関わってくるんじゃないかな、と思うんですよね。だからそういう意味でいうと、私は、「死を含む幸福」ということを、もう一度日本人が考えて頂きたい。そういうことをできるだけ伝えていく。それが実は日本の昔の伝統的な地域社会の中にいっぱいあったんだと。そういう意味で死を含むそういう世界というものをできるだけもう一度日本人に考え直して頂きたい、ということなんですね。
品田:  本林さんは、今後どのような活動を続けていらっしゃいますか。
 
本林:  そうですね。これからもブータンという国をずっと見ていきたいなと思っています。それと共にブータンを通して、一方では日本の地域社会の中における人々の暮らしというものの中で、一体どういうふうに我々は幸せを実感していけばいいのか。そういうものをしっかりこれからも見定めていきたいな、というふうに思っています。
 
     これは、平成二十四年五月十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである