第二の人生―仏法を生きる―
 
                    金沢大乗寺専門僧堂講師
                    地蔵院住職 松 野(まつの)  宗 純(そうじゅん)
一九二八年生まれ。士官学校を経て慶応大学工学部卒、昭和石油に入社。五七年に米国に留学し、六一年レンセラー工科大学大学院博士課程修了、工学博士。米マサチューセッツ工科大学経営学部に学んだ後、今度はエッソ石油に入社。専務、副社長などを経て二八年間勤めた同社を定年退職し、禅の道へ。金沢の大乗寺で現大本山総持時貫首・板橋興宗禅師より出家得度。平成六年、福井県武生市の地蔵院住職、現在は東堂。全国PHP 友の会名誉会長、青森銀行顧問など。またカンボジアに学校を四校も寄付するなどボランティア活動にも熱心。著書に、「一日一生、今を生きよ」「人生、苦だからこそ感動がある」「定年後は般若心経で悔いなく生きよう」「己の立つところを深くほれ」「不執の経営学」ほか。
                    き き て 白 鳥  元 雄
 
白鳥:  「こころの時代」、今日はビジネスの世界から禅の世界へと、第二の人生を生きていらっしゃる松野宗純さんにお話を伺います。松野さんは、現在北陸金沢の大乗寺(だいじょうじ)の専門僧堂で講師を務めていらっしゃいます。そして近々福井県武生市(たけふし)の廃寺・地蔵院の再建に取りかかろうと、こういう松野さんなんですが、松野さんは、五十八歳で出家得度されたわけなんですが、その前はエッソ石油で副社長という役職を務めていらっしゃいました。ビジネスの世界からこの仏法に沿って生きる。その体験について、今日はお話を伺ってみたいと思います。
松野さん、今金沢大乗寺、この冬の最中の修行というのは大変なんでございましょうね。
 
松野:  今年は例年になく、雪が多くて、毎日毎日雪なんですけれども、一月六日の日から二月三日まで、いわゆる「寒修行」というのがございましてね。「寒修行」というのは、一言で言いまして、「寒托鉢」というんです。寒中托鉢をするんです。
 
白鳥:  寒の最中に托鉢をなさる。
 
松野:  そういうわけです。九時、あるいは九時半、日によって違いますけれども、托鉢をして、その時間になりますと、みんな修行僧が托鉢姿に身を固めまして、韋駄天(いだてん)さんの前で、『般若心経』を読んで、今日の托鉢の無事を祈る。それが終わりますと、一団となって、参道を下りて、街へ出て行くんですね。ちょうど一ヶ月続くわけですから、その間にはいろんなことがあると思いますけども、托鉢の修行は、「辛いかどうか。どうなんだ」と言われますと、「いや、辛くはありません」とは、やはり言えませんですな。やはりその日によって身体の調子が悪い時もでますし、今日は休みたいな、という気もないわけではありません。しかしやはり自分で自分を盛り返して、修行というのは、結局は自分との戦いだと。他人が私たちのために修行してくれるわけではない。結局は自分で自分のため―自分のため、といいましょうかな、自分との闘いが修行だと、そういうふうに思っておるわけですね。今この一歩が出ないで、何故、どこに仏道修行があるんだと。この雪の道を一歩踏み出してこそ、初めてそこに仏道と言いましょうかな、道がそこにあるんだ、というような思いですね。
 
白鳥:  毎日托鉢にお出でになるんですか。
 
松野:  勿論、原則として毎日ですね。それで托鉢の時には、一団が一軒一軒、「門付(かどづけ)」というんでしょうかね、お経を読んで、托鉢をして回るということです。
 
白鳥:  そのお経は?
 
松野:  そのお経はお寺によっていろいろ違うんですけども、私ども大乗寺では、「延命十句観音経」と言いまして、お経では一番短いお経と言われているんですけども、観音様のお経ですね。どういうお経かと言いますと、「観音様失敬致します。朝な夕なに観音様にお祈り致します。そしてすべてが、自分の心が仏心になります」そういうような意味のお経なんですけどね。それを読んで、一団となって歩いて行くんですね。ちょっとそのお経をご紹介してみましょうかね。こんなお経なんですよ。鈴(れい)を鳴らしながらやるんですけどね。
 
「延命十句観音経」
観世音(かんぜおん) 南無仏(なむぶつ)
与仏有因(よぶつういん) 与仏有縁(よぶつうえん)
仏法僧縁(ぶっぽうそうえん) 常楽我浄(じょうらくがじょう)
朝念観世音(ちょうねんかんぜおん) 暮念観世音(ぼねんかんぜおん)
念念従心起(ねんねんじゅうしんき) 念念不離心(ねんねんふりしん)
 
と言って、一歩一歩雪の中を歩いて行きます。
 
白鳥:  想像するだけでも、映像として、それは雪の降る中で。
 
松野:  そうですね。如何にも禅の世界の厳しさというのがあるんじゃないかと思いますけども。私も一月二十二日がちょうど六十七歳になります。六十七歳の老修行僧が、自分で言うのもおかしいですけども、若い二十数人の人と一緒になって托鉢をする。なんか自分でこう心の高まりというんでしょうかね、儂は托鉢をしているぞ、という心の高まりがあるんですね。気負いというんでしょうかね。あるいは悪いことでいうと、他人の目が気になるんでしょうな。偉いな、よくやっている、というところもあるんでしょうかね。そういう気持ちが、毎日毎日続けるに連れて、日を追うに連れてなくなってきますね。不思議なもんですよ。外からの目を気にすることが全然なくなる。そしてただ無心に「観音経」を読んで、そして鈴を振る自分の姿をそこに見出すわけですね。そしてそうさして頂いているのは幸せだな。やっぱり健康でなかったらできないわけですから、この雪の降る中で若い修行僧と一緒に托鉢行をさして頂いている幸せというのを、こう言葉では言わなくても、本当にそういうような気持ちが致しますね。それと同時に、やはりこの中で托鉢をさして頂く、私にそういうことをさせる、私をそうやって動かす、なんかそういう大きな力が自分の身体の中にあるような気がするんですね。そういうことを改めて雪の中で托鉢をしながら感じるんですね。この大きな偉大な力、これが仏さんじゃないかな。仏の命じゃないかなというふうな思いが致します。そして一歩一歩托鉢をしながら、ちょっとかつての昔のことを思い出しましてね、今托鉢をさして頂いている縁というのは、一体どこから始まったんだろうな、というようなことを、ちょっと頭の中をよぎりますね。本来はもっと無心にやらなければいけないのでしょうけれども。
 
白鳥:  今日はそこをこそ伺いたいと思いましてね。
 
松野:  そうですか。まあそんなことでございまして。本当は遠い縁というのは、それは家の母親が非常に信心深い人でございまして、宗派は日蓮宗なんですけれども、非常に信心深かったんですね。ちょうど私ども托鉢やっていますけれども、日蓮宗では「寒修行」と言って、朝早くからお経を読むんですね。お経というよりも「南無妙法蓮華経」ということをどんどん唱えるわけですね。子どもの時、五、六歳になりますと、寒修行に母にいつも連れて貰ったということがあるんですね。ですから意識はしないんだけれども、なんかそういうものがどっかにあるんじゃないでしょうかね。今度はもっと直接的な、もっと近い意味の関係は、実は第二次石油危機というのがございましたですね。
 
白鳥:  昭和五十年代半ば頃でございましたですかね?
 
松野:  一九七八年(昭和五十三年)だったでしょうかね。その時に、いわゆるまさに今の現在のバブルの危機よりも、不況よりも長かったんですね。バブルの危機が長いと思ったんですけど、最近の発表によると、第二次石油危機の時の方が、日本の経済の不況の期間は長かったんですね。原油の値段が、今のお金にしてバレル(barrel)当たり一万ですよ。今千五百円ですからね。
 
白鳥:  そうですか。円がドルに相対して高くなっていますから。
 
松野:  そうそう。ドルでいきますと、当時四十ドルですね。今十五ドルですけどもね。円にするとそれだけの差ですね。非常に日本経済に影響がある。私が勤めておりましたエッソ石油も連結決算がある。安定して石油を供給するためには、会社そのものが健全でなければいけない。そういうことで、「一九八○年代に生き残るエッソ石油の戦略を作れ」と、こういうご下命を社長から頂いたんですね。
 
白鳥:  この時は、当然経営の役員をなさっていたわけですね。
 
松野:  私は、専務だったと思いますけどね。で、社長は、当時アメリカ人でしたですけども、この人の下でご下命を受けた。私は、営業統括責任者でありましたから、作った戦略は自分で実行しなくちゃいけないというような立場にあったんですけども、一言で言えば、一九八○年代に生き残る戦略というのは、いわゆる今でいうリストラですね。構造改革ですよ。
 
白鳥:  経営のある部分を切らなければいけないという。
 
松野:  切る部分もありますね。基本的には、一九八○年代に想像される環境に合うように、費用のあり方、組織、商売のあり方、あらゆるものを改革していこう、と。ですから、勿論その中には、設備を廃棄しなくちゃならないものもあるだろうし、あるいは人間の問題も出てくるだろうし、それだけではないですね、やはり将来に向かって企業というのは永続しなくちゃいけませんから、それでやがてまた景気が戻ればその時に安定した石油を供給するためには設備を作っておかなければならない。ですから両方やらなければならないですね。そういうような形です。いずれにしても、作る方は前向きですから、これは誰でもいいわけですよ。ところが設備を廃棄するとか―設備というと、具体的にはガソリンスタンドの数を減らすとか、それから人間の問題、いろいろございますね、組織の問題、支店の数を減らせば支店長の数は減る。支店長だった人は、そうじゃなくなる。いろんなモラルの問題も出てきますね。いずれにしても、一九八○年代のエッソの生き残り戦略は、そういうことを含めたリストラですね。この理論、この戦略に対して反対した人は一人もおりません。きわめて論理的だから。ところが実際始めてみると、やはり人を切れば―切るという言葉は悪いけど、いろんな問題が出てくるわけですね。そこで始めてビジネスマンとして初めて壁にぶち当たったような気がしましたね。
 
白鳥:  そうですね。総論はできても、実際の具体的な進行の中から、その問題が実施責任者だったわけですね。
 
松野:  そうです。横並びならできるんですよ。他社がやっているからやれます、ということはできる。大体一番の問題点は、「他社がやらないのに何故やるんだ。何故そういう厳しいことをやるんだ。外資だからだ」と、こういう議論ですね。「そうじゃないんだ。他社がやらなくても、やらなければいけないことは早くやっておくべきだ」というのが、私の理論です。しかしそれはそれとして、実行段階は難しくて、それは私の初めてのビジネスマンとしての壁だったですね。これもご縁でしょうかね。石川県の金沢市のある代理店さんの社長ですけどね、山上嘉久さんという方なんですが、その方が、「松野さん、私が何か言うよりも、一度、坐禅してみませんか。また違った世界が開けるかもしれませんよ。坐禅でもして心を静められたらどうですか」という話になったんですね。私は、多分それまでは、いわゆる宗教というものと、ビジネスは違うという気持ちだったものですね。だから素直に受けなかったと思います。その時はさすがに悩んでいたんでしょうね。「あ、そうですか」。それで早速その方のご紹介で、その方は石川県の能登半島に総持寺祖院(そうじじそいん)(輪島市門前町)というお寺がございます。かなり奥の方の門前町というところです。そこの檀家総代をやっていらっしゃいましたからね、「そこでご希望ならいつでもご紹介します」ということでまいったんですね。そこで初めて坐禅というものを経験さして頂いたですね。夏だったでしょうかね。山奥でしょう。朝早いでしょう。四時半頃坐禅をうやるんでしょうか。シーンとして静かになるんですね。そこでカナカナカナという蝉の声が聞こえるんですね。ヒグラシの声。蝉が急に出てくるわけではありませんね。しかし何か久しぶりに蝉を聞いたな、という感じがしました。心が乱れていたんでしょうかしら。いずれにしても、そこで三週間お世話になって、得られたのは、道元禅師の教えでは、「坐禅は何々のためにするんではない」ということなんでしょう。教えなんですが、「只管打坐(しかんたざ)」ただするんだ、という教えなんですけれども、まあ実体験としては、坐禅することによって静かな心が得られましたね。そして勇気のある心が得られましたね。というのは、姿勢がいいでしょう。胸を張るでしょう。今までの悩みが飛んじゃったですね。責任者として、やらなければいけないことをやらなければいけないんじゃないか、という不退転の決意というものが得られましたよ。第三番目は、柔軟な心が得られましたね。その三つの心が得られた。
 
白鳥:  「静かな心」「勇気」「柔軟な心」ですね。
 
松野:  その三つが、体験的に得られましたね。
 
白鳥:  これが五十歳代の初めの方のご体験ですね。
 
松野:  そうです。やがて定年になるわけですけども、得度したのは、五十八歳なんですが、実は会社は六十歳までおりましたから、少し早めに得度さして頂いて、実際の修行、本当の修行は六十歳から始めたんです。いずれに致しましても、六十歳に近くなって、第二の人生を模索をするということになるわけですが、確かにビジネスマンとして、自分なりに完全燃焼しましたよ。人はどう思うか知らないけれども、自分なりに一生懸命やった。自分の密かな誇りもありましたよ。しかし定年がきて、その誇りとすべき対象が、アッという間に目の前から聞いてしまうわけですから。
 
白鳥:  定年というのは、そういうものかもわかりませんね。
 
松野:  そういうもんですね。それはわかっているんだけども、その時点にならないと実感がないんです。何にもない。そこで一体これからどう生きていこう、そういう思いですね。
 
白鳥:  しかし得度が五十八歳ですね。ビジネスマンとして、ほんとにそれこそそのプランを実行に移されて、専務から副社長まで進まれて、ビジネスマンとしては、もう言えば油の乗りきった時期ですよね。そこでその決断というのは、ほんとに後悔はなかったですか。
 
松野:  「後悔がなかった」と言えば嘘になるかも知れませんね。やはり何よりも一番大きな理由は、人と比較することですね。坊さんになって、自分はそういう意味で、例えば「生とはなんだ」「生きるとはなんだ」「生と死とは何だ」「意義ある生き方はなんだ」ということを初めて定年後に迷いに迷ったんですね。その前は迷う必要もなかったんでしょうな。特に考えなくても、毎日毎日充実した生活していたんじゃないでしょうかね。いずれにしても、そういうことで、これからどうしていこうかな、と。とにかく残った人生―第二の人生と言いましょうかな、それは一回しかない人生ですから、自分らしい人生をしていこうと。人生とは、時間という画幅の上に描いた墨絵のようなものではないか。一瞬一瞬が勝負の墨絵は、一度描いたら決して消えない。塗り重ねても跡が残る。人生の生き甲斐とは、結局その一瞬一瞬を自分の絵として必死に描いていくことではないか。そういう絵を描くことのできる仕事は何だろう。消えない一つ一つの筆に自分の命を燃焼していきたいな。そういうものはないかな、と思った時に、そこに禅があったですね。
 
白鳥:  初めはなんか一種ビジネスマンとしての壁にぶち当たって、それで精神的な安定のために坐禅でも組んでみようかと、そんな出会いだったですね。
 
松野:  そうですね。
 
白鳥:  それが次第に高まっていく。
 
松野:  そして、基本的に、「自分って一体なんだろう」と。後でわかったんですけど、「己事究明(じこきゅうめい)」というんですね、自分のことを究明していく。とにかく定年のないものに最後の人生を完全燃焼していく。定年のないものですね。身体に定年があるわけですが、そうじゃないものをやっていこうと。それからもう一つ考えたのは、自分の財産もあるわけじゃないし、そういうものを子どもたちに残していっても、結局はなくなってしまう。やはり父親としての死を迎える最後の一日まで、「親父は非常によくやったな。充実した人生を生きていったな」と、そういうものをなんか残していきたい。きれい事かも知れないけれど、そういうふうに思いましたね。
 
白鳥:  しかし、仏の道への接近ということは、かなり多くの方が一種の憧れをもって考える。ただ在家の形でもすむことなんですね。特に禅というのは、学びの部分がかなり多いですから、そういう意味では在家―普通の生活をしながらという形ですませる方の方がずっとずっと多いと思うんです。松野さんの場合には、そういう形で通り過ぎることができなくて、ほんとに得度までされるわけですね。
 
松野:  それは、私はこういうことだと思うんですけどね。私は、はっきりいうと、非常に意志が弱いんですよ。だからアマチュアでいますと、甘えられるんです。今日は、私は身体の調子が良いから坐禅へ行こうかと。明日はどうしよう、具合が悪ければ止めていこう。必ず私は多分そうなると思いますよ。だから甘えのない世界に入ろうと。もうどうにも逃げられない。自分で決心をしてそこへ入れば甘えがない。アマチュアに対して、プロの世界でしょうかね。そういうものに入ってみたい。自分が弱いからです。強い人はそれやる必要はないと思うんですね。禅というのは、僧堂にあるだけじゃないんですから。どこにもあるわけですから、その人の生き方んですから。私は自分のことを考えて、これが良いだろうと。それだけではやはり坊さんになれないんですね。やはり出会いですよ。そうじゃないでしょうか。
 
白鳥:  さっきの坐禅への関わり方と言わずに、まさに有縁と言いますかね、縁というのがありますね。
 
松野:  そしてご承知のように、得度するためには、師匠が必要でしょう。その師匠が、ずっと通っておりました大乗寺の住職・板橋興宗(いたはしこうしゅう)老師(元総持寺貫主、元曹洞宗管長、御誕生寺住職:1927-)という方にお願いをして得度さして頂いたんです。もし板橋老師にお会いしなかったら、まあ頭を剃って、今のような形でいるかどうかはちょっと疑問かも知れませんね。板橋老師に、一生のことですから、いろいろ質問さして頂きました。その答えが胸にジーンときたですな。それはやはりもう一つ最終的な、心の中にもめるものもあるけど、最終的に「それ行け!」といったね、
 
白鳥:  いわゆるジャンピングボード的な、
 
松野:  そうですね。そんな感じじゃないでしょうか。
 
白鳥:  それはどういうお言葉なんですか。
 
松野:  例えば、板橋老師に、「仏道とは何ですか?」と質問した時に、。具体的には、はっきり覚えていないんですけど、「仏道というのは、一回しかない人生を如何に生き生きと生きるか、ということを教えてくれるものが仏法だ。仏さんというのは、松野さんね、私の前で息をしていらっしゃいますな。そのあなたの息づかい、その生きている命。命のあり方。いのちそのものが仏様だ」。私は仏様というのは、そういうイメージで思っておりませんでしたから、「ああ、そうか。私のこの命は仏様なのかな」と。またこうおっしゃったですよ。「仏道を学ぶということは、自己を学ぶことだ」。道元禅師の言葉にございますね。それを聞いた時、自分が、かつて二千人近い部下がおったわけですけども、その部下に対して一体自分はどんなことをしたんだろう、と思った時に、申し訳ないな、言葉がきつかったしね。随分嫌な思いをした人もいっぱいいただろうな。この際それも含めて、もう一度自己を学んでみようかな、という気持ちもありますね。そういうものが、いろんな理由があって、これ一つということはありません。そういういろんな理由があって、最終的には、一言で言えば、「ご縁」ということになろうと思いますけどね。
 
白鳥:  しかし、こう人が生きていく。私も含めて、まさに第二の人生を歩んでいる我々からいうと、日々の生活というのは、そういうことだけではすまなくて、なんといっても家族の問題があるし、暮らしの問題があるし、そういう問題は上手くクリアできたんでございますか。
 
松野:  経済的な問題は、お陰様で勤めておりました会社の方からも過分な年金頂いておりますし、そういう面では別に問題はない。当然家内のイメージとしては、誰でも考えるような第二の人生を考えているでしょう。つまり子どもが大きくなったわけですから、二人でゆったりしたゆとりのある好きなもの―ゴルフをやったり、絵を描いたり―そういった静かな第二の人生を送っていきたい、という気持ちがあったようですね。これは誰でもそうかも知れません。ある日私が、「坊さんになる」と家内に言ったら、ビックリしましてね。
 
白鳥:  そうでしょう。それは有名企業の役員まで務められた方の卒業後といったものだったら、さっきおっしゃったようなイメージできっと考えていらっしゃるでしょう。
 
松野:  家内はビックリしましたですよ。それで最終的に、納得はなかなかしてくれませんでしたね。「出家というのは何ですか! 出家というのは、家出ですよ! あなたは私たちを置いて家出するんです」というようなことを言われましたよ。しかし最終的には、納得はしてくれませんですた。「だけどどうせあなたは、今までだって自分で、自分の人生を勝手にやってきたんだから、今更止めても止まらないでしょう。どうせやるならしっかりやりなさい」と言ってくれましたね。後ほど講演会へ行く機会がありましてね、石川県のある街で講演したことがありました。話が終わった後に、「質問がある」と言われたんです。その質問はこういう質問でしたね。「あなたは出家をして、禅の道、それに対して生き甲斐を感じている。あなたは幸せでしょう。しかしあなたは奥さんの幸せの犠牲においてやっているんじゃないですか。あなたはそれに対してどう思いますか!」と言われましたね。
 
白鳥:  まさにそのお答えが聞きたいとこですね。
 
松野:  黙っていましたよ(笑い)。その通りでね。そんな経験がありましたよ。いずれにしても、家内はそういうことで、子どもは、「パパがやることなら、身体を気を付けてやられたらどうですか」ということでしたけどね。
 
白鳥:  今の大乗寺での日々というのは、かなり厳しいものなんでしょう。先ほど寒修行の話を伺いましたけれども、その修行の時期でなくても、日々の修行生活というのは、相当な厳しさじゃないんでしょうか。
 
松野:  そうですね。僧堂生活に入る前に、当然得度をするわけです。得度というのは出家をして、頭を剃って坊さんの位になるわけですね。その得度式の話をちょっとご説明したいと思いますけども。
 
白鳥:  得度は五十八歳の時ですね。
 
松野:  そうです。得度式というのは、師匠から最終的には戒を受けて、そこで坊さんになるわけですね。その戒を受ける前に、まず自分の心も身も清らかにするということで、一つのお経を―自分だけでなく、修行僧みんながずっと並んでくれるんですね。その方々が一緒に読んでくれるんですね。まず始めに「懺悔文(さんげぶん)」を読んで―我々の世界では「さんげ」と言いますけども―それから今度は師匠が、「何々の戒を受くるや否や」と聞かれるんです。「受くる」受けるということですね、自分だけではなくて、雲水の人も一緒に言ってくれるんです。初めは真っ白の着物で行きましてね。着せ替えではないんだけども、師匠から衣を頂き、それからお袈裟を頂き、そしてこの介添えの人がだんだん着せてくれるんですね。そしてだんだん一人前の坊さんの格好になるわけです。その前にちょっと「懺悔文(さんげもん)」を読んでみましょうかね。
 
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)
 
と言ってこう読むんですね。これはなにも得度する時だけではないんですね。常に我々はこのお経を読んで、自分を振り返る、ということをやっています。先ほどのご質問ですけれども、起床は四時二十分に起きるんですね。これはお正月も含めて、三百六十五日一切変わることはありません。四時四十分から坐禅。「暁天(ぎょうてん)坐禅」と言いますけども、朝四十分ほどの坐禅をします。それが終わりますと、坐禅は坐禅堂でやるんですけども、本堂の方に移りまして朝のお勤めをする。その後太鼓が鳴ると同時に、朝の掃除にかかる。いずれにしても、僧堂の生活というのは、特別なことはないですね。坐禅をし、作務(さむ)をし、そしてお経を読み、勉強する。そういう日の毎日毎日の繰り返しですね。九時になると、一緒に寝る。それで僧堂の一番私にとって大事だなと思うのは、あらゆる修行僧が一緒に修行するということですね。団体生活をするということですね。我々の悩みのかなりの部分は、自分の我(が)というものはなかなか捨てられませんね。その我(が)を否定したんでは、団体生活できませんでしょう。ですからその我を取るといいましょうかね。我を修めると言いましょうか。そういうものに非常によろしいんじゃないでしょうか。修行道場で、雲水がみんなで修行しているでしょう、それを見るたんびに私は思うんですよ。今ありませんけど、昔里芋を剥(む)く時、包丁で剥かないで、樽に入れて、ゴシゴシやりましたでしょう。あれやりますと、お互いに身体をぶっつけて、それで綺麗な真っ白になるでしょう。あれと同じじゃないでしょうかね。初めに入ってくると、ガタガタです、お互いにね。そういう中にそういう毎日毎日の繰り返しが、禅僧と申しましょうかね、育っていくんじゃないでしょうかね。
 
白鳥:  松野さんは、先ほどご紹介したように、有名企業の副社長までという、その前にですね、アメリカにも留学されたことがあるし、工学博士号を持っていらっしゃるし、そういった意味での「我(が)」というかな、良い意味での、なんか一つの人格像というものが、既に得度の段階では十分におありになったでしょう。そういった意味での、それこそ里芋の例じゃないですけども、そういった形でなんとか我というものがなくなっていくことに対しての抵抗感みたいなものはございませんでしたか。
 
松野:  それは、別な言い方でいうと、修行道場で修行し続けるためには、大事なことは「し続ける」ことですよ。「精進(しょうじん)」という言葉があるでしょう。「精進」というと、なんか肩に力が入ったような感じがするんですけれども、「精進」というのは、「止めない」ということなんですね。し続けること―「継続は力」と申しますけど―し続けることが精進なんですね。ですから修行道場で精進し続けるためには、同僚の雲水から、修行僧から受け入れられなければいけないんですね。受け入れられて、修行そのものは厳しいかも知れないけども、人間関係が受け入れられれば、それなりに楽しい修行になるんですね。そういう観点に立ちますと、地位のあった人は非常に難しいですね。
 
白鳥:  そうでしょうね。
 
松野:  よく「私はゼロからの出発だ」というでしょう。ところがそうじゃないんですよ。その人はマイナスからの出発なんです。まずゼロにもっていく必要があるんです。ですから私もいろいろな厳しい冷たい目で見られたこともありますよ。ある日のことですけどね、朝お経を読んでおりましてね、初めのうちはなかなか正座できません。
 
白鳥:  そうでしょうね。
 
松野:  甘えがあるでしょう。足を崩しましたら、向こうから三十五、六(歳)の普段から厳しい人なんですけども、飛んで来て、「お前、何だ!」と、パーンと蹴飛ばしましたよ。蹴飛ばされた。その時は蹴飛ばされた痛さよりも、心の痛みを感じましたね。みんなの前で蹴飛ばさないでもいいじゃないかと。口で言ったってわかることじゃないか、という思いもありました。
 
白鳥:  よく警策(きょうさく)ですか、あれでピシッと叩きますね。あれでなくて、蹴飛ばされたんですか。厳しいものですね。
 
松野:  今はそういうことありません。たまたまその時は、そうだったんですよ。蹴飛ばされた。しかしその後何年か経って、彼に感謝するんですよ。その時はほんとに面白くない、不愉快な、なにもそれまですることないじゃないかと。普段から、私のことを必ずしもよく思っていない人だったからね。でも、何年か経って考えましたね。お陰様で私は早く正座ができるようになりました。
 
白鳥:  先ほど、「四時二十分に起きて、夜九時まで、なんということはない毎日ですよ」と、実にさり気なくおっしゃった。やはり最初の力の入った「修行するぞ」というところから、今は肩の力が抜けて、さっきの言葉になったんですかね。
 
松野:  はい。しかし肩の力が抜けてくると、今度はいわゆるマンネリに陥(おちい)りやすいですね。
 
白鳥:  ああ、その恐ろしさというのはある?
 
松野:  あるんじゃないでしょうかね。自分の心が一番緊張した清らかだったのは、いつだったろうな、と反省してみると、あの「我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)」と「懺悔文」を読んだあの得度の一瞬じゃないでしょうかね。ほんとに心が綺麗になった。この仏道に自分の身を投げ入れてやろう。だんだん慣れてくるうちに、確かにいろんなことを覚え、所作事を覚え、理論も覚えたりしたけれども、どうかな、という壁にぶち当たりますね。そのたんびに私としては過去の経験があるでしょう。それを破るための具体的なアクション(行動)と申しましょうか、例えば立職(りっしょく)するんです。「立職」というのは、坊さんになるためには、元服(げんぷく)みたいなことをやるんですね。そのためには方丈さんにお願いをして、一年に二回しか機会がないんですけども、私は十月から一月までの間、「首坐(しゅそ)」というんですね。首坐(しゅそ)に任命して頂くんです。
 
白鳥:  それは修行の責任者?
 
松野:  そうです。「修行僧第一坐」ということですね。そういうことに任命して頂いて、そして百日間ある仕事をするんですね。
 
白鳥:  その仕事は、名誉職ではなくて、凄い責任を持つお仕事なんですね。
 
松野:  そうです。その第一番目の仕事は、朝みんなを起こすことです。「振鈴(しんれい)」というんですね。鈴を振る、この役が振鈴なんですね。四時二十分に起こすでしょう。ところが四時二十分に起こすだけではない。その前にお寺の内外の戸を開けたり、いろんな準備があるんですね。実際は三時半に起きるんですね。三時半に起きて、四時二十分にみんなを起こす。修行僧は全部坐禅堂で寝ていますから、一分早いとみんな怒るんですよ。ですから抜き足差し足行って、ソッ〜と戸を開けて、四時二十分になるまで待って、ジャジャジャンと鈴を振る。百日間続けますね。
 
白鳥:  それを自ら手を上げておやりになったんですか。
 
松野:  そうです。そうしないと自分はダメだなと。もう一つの仕事は、「東司(とうす)」と言いまして、「厠(かわや)」と言いましょうか、「トイレ」と言いましょうか。
 
白鳥:  トイレですね。お寺では「東司(とうす)」と言いますね。
 
松野:  その掃除を百日間やるんですね。
 
白鳥:  便所掃除というのは、誰でも嫌がるところですが、それを積極的におやりになるわけですね。
 
松野:  それも役目ですね。ですから首坐に任命された時点で、その仕事をする。もう一つの仕事は、また「法戦式(ほっせんしき)」と言って、禅問答ですね。それもやらなくちゃいけない。その三つが一番大きな仕事ですね。トイレ(東司)の仕事は非常に大事なんですね。事実道元禅師のお師匠さんの天童如浄(てんどうにょじょう)禅師という方は、お師匠さんの雪竇智鑑(せっちょうちかん)という方に申し出て「浄頭(じょうとう)」トイレ係ですよ。その役目を頂いて、トイレを掃除しながらお悟りになった、ということですから、トイレの掃除は修行の上では大事なんですね。やっているうちに、初めのうちは不思議なものですよ。綺麗なところをやった方が楽だと思うけれども、どうせやるなら汚いところがいいですね、結果がでるから。初めのうちはそうですね、一ヶ月ぐらいは。だんだん百日もやっていると、心のありようが変わってくるんですね。そのうちに綺麗じゃなくても汚くても、それは関係ないです。とにかく自分の仕事はこれだと。昔と違って、今のトイレの磁器は綺麗でしょう。綺麗にやればやるほど凄く美しくなるんですよ。またそれに対する愛着も出てくる。不思議なものですね。このトイレを綺麗にすれば、みんなが誰だって一日に一回は使うわけだから、喜んで使って頂けばなんて思いながら考えたり、それからトイレの掃除の順番を考えてみて、できるだけ時間を早くあげて、余った時間で他の人の手伝うと、そんなことを思ったりしましてね。
 
白鳥:  そういったことを積極的におやりになる。いわば自己啓発というんでしょうかね。
 
松野:  そうですね。それをしないと私は、なんか壁にぶつかっちゃうんですね。マンネリになっちゃうんですね。それで先ほど申しましたように、「法戦式」という禅問答のことなんですが、
 
白鳥:  それは禅の修行の大事な部分ですね。
 
松野:  そうですね。「法戦式」というのは、一種のセレモニーなんですけどね。予め問題を作って、で、修行僧に頼んで質問をして貰う。それに対して私が答える、ということですね。ですから予め問題は作ってあるんです。セレモニーですね。でもセレモニーはセレモニーなりに、十月十四日というのは、大乗寺の開山式なんです。開山忌なんですね。
 
白鳥:  お寺ができた時の記念日ですね。
 
松野:  そうです。ですからその時は近所のお寺さんの住職さん、二、三十人集まるし、それから一般の人が三、四○○人集まるんですよ。その中でいわゆる歌舞伎と同じでしょうけどもね。
 
白鳥:  そこでその法のやりとりがある。
 
松野:  やりとりをやるわけですね。まず「般若心経」から始まるんです。「般若心経」から始まって、そこから「法戦式」が始まるんです。
 
白鳥:  例えばどんな質問が出るんですか。
 
松野:  質問の前にテーマがやっぱりあるんですね。テーマは、人によって自分で自由に決めていいんですけれども、私の場合には、テーマは中国の坊さんで有名な無門(むもん)禅師という人がおったんですね。その人がいろんな公案を纏めた四十八の古則『無門関』というのがあるんですよ。その中から一つとって、それをテーマに私はやったんです。それは有名な「趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)」なんです。趙州というのは、中国の有名なお坊さんなんですけれども、そのお坊さんの「洗鉢」というのはご飯を食べる入れ物ですね、それを洗うということでしょう。「本則」というのは、テーマというんですね。まずこういうテーマをまず言うんですね。
 
「趙州洗鉢 本則」
趙州因僧問(じょうしゅうちなみにそうとう)
某甲乍入叢林(それがしさにゅうそうりん)
乞師指示(こうし、しじしたまえ)
州云、喫粥了也未(しゅういわく、きっしゅくりょうやいまだしや)
僧云、喫粥了也(そういわく、きっしゅくりょう)
州云、洗鉢盂去(しゅういわく、はつうをあらいされ)
其僧有省(そのそうせいあり)
(『無門関』七)
 
ということです。簡単に申しますと、趙州和尚のところにある一人の修行僧が訪ねて来た。ただ今まいりました。修行のあり方について教えて頂きたい、ということを、趙州和尚に聞くわけですね。そうしますと、趙州和尚がいうには、「喫粥了也未(きっしゅくりょうやいまだしや)」お粥を食べたかね。お寺で朝のお食事はお粥でございましょう。娑婆の言葉で言えば、朝食を食べたかね、ということでしょうね。そうしますと、この雲水が、「はい。頂きました」。そうしますと、趙州和尚が、「それではお粥を食べるに使った茶碗、お椀を洗っておきたまい」。その話を聞いて、この雲水が悟った、ということなんですね。
 
白鳥:  まさに禅問答ですね。
 
松野:  この解釈にはいろんな解釈があるでしょうけども、我々は常に「道(みち)」とか、「道(どう)」とか言いますと、なんか我々から遠いところにある。理想郷にある抽象的な世界と思うけれども、そういうものではない。毎日毎日の具体的なあり方、生き様、それが大事だということをおっしゃっているんですね。食事をする時は、一生懸命食事をしなさい。そうしたら必ずちゃんと洗っておきなさい。そういうものをおいて法はないぞ、ということではないんでしょうかね。つまり自分にかえりなさい。自分を見つめなさい。毎日毎日の生活そのものの中に禅の教えがある、ということではないんでしょうか。それが一つのテーマでしょう。そうすると、こんな質問をするんですよ。修行僧が、首坐の私に、「首坐、喫粥了也未(きっしゅくりょうやいまだしや)。乞尊意」首坐というのは私です。お粥を食べたか、まだですか。あなたの意見はなんですか、と言うんですね。それに対して、今度は、「未喫粥了」粥なんか食べたことないぞ。わけのわからない、そういうようなことをずっとやっていきますね。その時は、あれほど反対した家内も来てくれましてね。多分間違いがあるんじゃないかな、と心配したんじゃないでしょうかね。
 
白鳥:  この緊張した雰囲気の中で、そういう問答というのは、また凄まじい気迫が飛びますね。
 
松野:  それはほんとに腹から声を出しましてね。私は、六十過ぎますと、なかなか覚えられないですよ。これは一生懸命覚えましてね。そして大きな声でやりました。そうしたら、その日に限って猛烈な嵐になった。雷がパッと。十月十四日ですよ。何がそれを示しているかわかりません。しかし具体的にはパッと鳴った。それで一つの壁を乗り越えた。その時の壁もまた二年ぐらいすると、またぶっつかるんですよ。
 
白鳥:  今のお話を聞けば、次々にやはり自己啓発で乗り越えていらっしゃるでしょう。やはりこれで禅の世界にお入りになって、それまでのビジネスの世界の人の繋がりとは違うものができましたですね。
 
松野:  そうですね。板橋老師に大変お世話になりましてね。私、現在ここにあるのは板橋老師のお陰そのものですけどね。まあ例えば一緒に修行させて頂いた兄弟子と言いましょうかね、今伊豆の修善寺に吉野真常(よしのしんじょう)さんという人がおられます。この方は確か北海道大学を出たんじゃないでしょうかね。やはり途中から出家された人ですけどね。徳があるんでしょうかね、子どもが寄るんですよ。どんな子どもが来ても、真常さんは必ず話をする。そして目線を同じにするんですよ。
 
白鳥:  ということは、自分が小さくなって、
 
松野:  そうそう。自分は膝をついています。その目線を同じにしてしゃべっている。言うことは易しいけど、できませんよ。そういう方にお会いしたし、私、今度は地蔵院(武生市小松町)というお寺に入るわけですけども、その時にお世話になった人は、今村源宗(いまむらげんしゅう)さんという方ですね。この方は板橋老師のお弟子さんでもあるんですが、この方がまたできる人で、頭もいいし、所作をやらしても、何でも大したものですな。この人のご縁で、地蔵院の親寺の金剛院住職の諏訪大明(すわだいめい)さんという方をご紹介してくれましてね。それでとんとん拍子で縁ができたんですよ。しかし現在は大乗寺というお寺の中ですから、他の僧侶の方とのお付き合いはほとんどないんですね。今言った方以外はね。しかし大乗寺に修行させて頂いたためにできた縁というのは非常に多いんですよ。
 
白鳥:  やはり有縁ということなんでしょうかね。
 
松野:  そうでしょうね。「凡事徹底」ということで、NHKの番組にも出られた方で、(株)ローヤルという会社の鍵山秀三郎(かぎやまひでさぶろう)さんという方にも知り合ったし、それから森信三先生という教育界の、今は亡くなられましたけど、「人生二度なし」ということで有名な森先生の右腕と言いましょうか、お弟子さんの寺田一清(てらだいっせい)さんにもお会いすることができました。この方は実は呉服屋さんだったんですね。それでご縁ができて、森信三先生の後をいつでも一緒に付いて講演に出掛ける。いつでも一緒だったという方です。その方はまた素晴らしいですね。道元禅師と弟子の孤雲懐奘(こうんえじょう)の形でしょうかね。
 
白鳥:  一つの世界だけではなしに、いわゆるどこの世界にもいろんなネットワークで新しい出会いが生まれるわけですね。
 
松野:  私は確かに実業界におりましたけれども、今まで自分の知らないこんな世界があるんだと。また学歴とか何にも関係ない、そういう素晴らしい人がいっぱいいるということを改めて知ったんですよ。
 
白鳥:  それで今のお話に出ました、今度福井県の武生市の地蔵院、これはもう廃寺になっていた、いわばお寺の席があるようなお寺なんですね。
 
松野:  そうです。
 
白鳥:  それを再建なさるというその志は、
 
松野:  それも、仏道というのは、先ほどお話しました「己事究明」自分のことを究めていくという面と、もう一つは、「衆生済度(しゅじょうさいど)」と言いましょうかね。
 
白鳥:  まあ大衆を救っていくんだという。
 
松野:  そうですね。有名な言葉に、「自未得度先度佗(じみとくどせんどた)」という有名な言葉があります。要するに、自分は渡れなくても、大衆を悟りの岸に渡していく。そういうふうなことですね。それで自分は「衆生済度」ということを考えた時に、大乗寺で修行をしていて、衆生済度はできないのかな、と思ったことがありますね。それは大乗寺で修行していること自体が、ちょうど灯台の灯が点っていて、安全な航海ができるでしょう。それと同じように、修行僧が何人かこのお寺に、朝起きて、托鉢をし、朝起きて坐禅をする。そういうこと自体が生き方の灯台みたいなものになるかも知れない。そういう立場からみれば、確かに衆生済度なんだけれども、もっと直接的に現場というんでしょうかね、その世界に入ってこの思いをしてみたいな、と思ったんですね。それでお寺では、四時から四時半ですけどね、必ず夜のお勤めがあるんです。夜のお勤めの時に必ず「四弘誓願文(しくせいがんもん)」というお経を読むんです。
 
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
 
この四つの誓いを立てて、我々は修行しています。修行は限りなく多いけれども、誓って悟りたい。そういうようなことですね。そういう思いがある。なかなか私のように歳をとって、六十過ぎたお坊さんにお寺はなかなかないですよ、実際問題として。しかし先ほど申しました、今村源宗老師と諏訪大明老師の温かい気持ちで、初めてこの縁があったんですね。縁があって地蔵院の住職として入る。だけどよく聞いてみたら、いわゆる「青空寺院」というんですね。
 
白鳥:  これから本堂もお建てになられなければいけない。
 
松野:  建てなければいけない。勿論建てると言っても、私、考えているのは、土地が四十坪ぐらいしかありませんから、いわゆる庵でしょうかね。そういうふうなものを建てさして頂いて、これは修行のベースに、あるいは衆生済度のベースとして、私の残っている人生を生きていきたいと思いますね。
 
白鳥:  今までお書きになったものも随分版を重ねていますし、逆にいうと、非常に思いを一(いつ)にする方が多いと思うんですね。そういった形で、修行、衆生済度をたくさんの方に教えを広めていって頂きたいと思っております。どうぞお元気で、どうも有り難うございました。
 
     これは、平成七年二月十二日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである