心に枠のない世界―鈴木大拙館をたずねて―
 
                  鈴木大拙館名誉館長 岡 村(おかむら) 美穂子(みほこ)
昭和十年(1935年)、米国ロサンゼルスに生まれる。昭和二十六年、鈴木大拙博士と出会い、昭和四十一年(1966年)のご逝去まで師事する。ハンター・カレッジとコロンビア大学に学び、昭和四十四年から平成十年まで『ザ・イースタン・ブディスト』編集員。昭和五十年から五十六年、国際交流基金役員秘書室主任。平成四年から十八年まで大谷大学非常勤講師。日本民芸館評議員。共著に、「大拙の風景:鈴木大拙とは誰か」「思い出の小箱から:鈴木大拙のこと」ほか。
                  き き て     金 光 寿 郎
 
ナレーター:  北陸地方の中心都市の一つ、石川県金沢市。江戸時代加賀前田藩百万石の城下町として栄えた町は、今も随所に昔の面影を残し、八月の太陽に照らされて輝いています。市内を犀川(さいかわ)、浅野川の二つの川が流れ、陶芸、漆器、友禅染などの伝統産業が息づいています。今日はこの金沢市の中心部、本多町(ほんだまち)に新しく誕生した「鈴木大拙館(すずきだいせつかん)」を訪ね、名誉館長岡村美穂子(おかむらみほこ)さんのお話を伺います。鈴木大拙館は世界的な仏教哲学者、鈴木大拙の生涯に学び、その思想に出会う場所として建てられました。大拙は、明治三年(1870年)この地に生まれ、鎌倉円覚寺(えんがくじ)で禅を修行をした後、アメリカに渡り、その思想を広く欧米人に伝え、大きな影響を与えました。鈴木大拙館は、大きく三つの空間に分けられ、その一つが展示空間です。ここには大拙の著作や直筆の書、書簡、その活動を伝える写真などが展示され、昭和四十一年(1966年)、九十五歳で亡くなるまでの足跡に触れることができます。展示空間の隣には、学習空間があって、大拙の主要な著作や全集が揃えられ、静かな空間でそれらの資料を読むことができます。三期に渡って編集出版された『鈴木大拙全集』は、実に四十巻に及び、英文の著作も多く、その精力的な活動には目を見張ります。展示空間、学習空間の先に、緑の林に囲まれ、水を湛えた池が広がる思索空間があります。鈴木大拙館の設計は、同じ金沢出身で大拙と交流があった建築家谷口吉郎(たにぐちよしろう)の子息・谷口吉生(たにぐちよしお)氏によるもので、特にこの思索空間は大拙によって学んだことをじっくりと思索瞑想する場所として設計されています。
 

 
金光:  ここは金沢市の、いわば真ん中、一番中心に近いところなんですけれども、こういうところに、こんな昔の自然が残っているというのにビックリしたんですが、そこにこういう鈴木大拙館というものができて、それがまた素晴らしいのでビックリしたんです。岡村さんは、この鈴木大拙館ができて、最初に完成した時にご覧になった印象は如何でしたか。
 
岡村:  その前からこのお話を伺った時に、どういうことになるんだろうというのがありまして、建築の谷口吉生先生が、「鈴木大拙先生ってどういう人ですか?」と聞かれたのが発端なんですけどもね。私はなんとご返事していいのかわからなくって、お写真をお見せするとかというのがありましたけれども、その間に谷口先生凄くいろいろ勉強されたというのか、研究されたというのか、それでこういう建物が現れまして、これは真四角の建物なんです。そしてその外には水が全部四方八方に水が張ってありまして、これを「水鏡の庭」というふうに命名しておられるようでしてね。そして真四角というのは、どういう意味があるのかな、って、その時は説明を受けなかったものですから、伺ってみますと、「方丈(ほうじょう)だ」とおっしゃるんですね。よくお寺で一番大きなお部屋が方丈とありますが、その方丈のつもりであるんだ、ということを伺いまして、これは凄いな、と。私の頭の中にすぐ思ったのは、『維摩経(ゆいまきょう)』というのがありますが、釈尊のお弟子さんの維摩居士に関するお経なんですけどね。『維摩経』の中に、「維摩の方丈」というのがありまして、究極的にいうと、全宇宙が入っても窮屈じゃない四畳半というのが―四畳半であったら真四角のお部屋ですよね―維摩さんがちょうど身体を悪くされて横たわっておられたお部屋なんですけども、それをイメージしましてね、これはまったく大拙先生のあり方というか、生き方というか、境涯というのが、そこに現れているように思いまして、もの凄く嬉しかったのが初めなんです。
 
金光:  禅のお寺の庭というと、石庭が有名ですけれども、ここは石ではなくて、水で、しかもさっきから眺めていますと、風が吹くと水面が、波がゆるやかに立ちますし、自然と波が立って風があるのはわかりますし、それから白い壁の方を見ますと、光が射すとちゃんと影が映りましてね。それまで日頃は風だとか、光というのは我々は気が付かないですけども、ここへ来ると、あ、今風が吹いているな、と。
 
岡村:  それを確認できるようなところを、空間を作って頂いたなと思って、谷口先生にとっても私感謝申し上げているんです。
 
金光:  それだけでもここへ来た甲斐があったなと思ったんですが、もう少し詳しい話を続けて聞かせて頂きたいと思います。よろしくお願い致します。
 

 
金光:  ここの鈴木大拙館ができたのが去年で、鈴木大拙先生が亡くなられたのは確か一九六六年(昭和四十一年)ですから、もう四十数年経っているわけで、その亡くなられる前、十五年間、岡田美穂子さんはずっと生活を―秘書的な仕事として生活を共にしていらっしゃったんですが、その後別宮(べっく)さんになられたんですけれども、鈴木大拙先生のお話を伺うので、「岡村美穂子さん」ということでお話を伺いたいと思いますが、そもそも鈴木大拙先生に、岡村さんがお会いになった時は、年齢からいうと、高校生と八十歳過ぎた老大家とのご対面ということなんですが、その経緯はどういうことだったんですか。
岡村:  まだ十五になっていなかったと思うんですけれども、いろいろありまして―いろいろと申しましても、
 
金光:  ご自分の?
 
岡村:  ええ。個人的に十代の人間ですから、いろいろ―例えばですね、両親がよく喧嘩するとか、それかなわんなと思いながら、それからもう一つ、これも大拙先生に後になってお話するんですけど、明治時代に生まれた父親が、「何故自分の子どもには、男の子がいないんだろう」とかね、そういうようなことを家の中で言うものですから、それで女の子に生まれたということはどういうことなんだろう、というような、
 
金光:  言われたたってどうにもならないことですよね。
 
岡村:  どうにもならないことでもあるんですけどね。じゃ、女の子というのは、結局どういう人生を送るんだろう、ということを考えるわけですよ、十代になってきますと。そうすると結婚して子どもを生んで、母親姿というんですか、子どもを連れて暮らしている人たちの姿を見ると、私は、ああいう暮らしをしたくないというのが、先ず第一ありましたね。女であればそういうことをしなくちゃいけない一生なんだ、というふうに思ったのが―それは一部ですけれども―いろいろありまして、自分自身というものも不満ですし、勿論のこと完全じゃないですから、そういうこともあり、どうも私の若い時からのあり方というのは、結論から逆算するという癖がありましてね、こういうことなら何にも一生生きるのは面白くないな、というのがあったんですね、どっかにね。そしてそういうことをぶつぶつ言って、母親は母親でそういう時期なんだろうと言うので我慢していたようですけれども、私はちょうどニューヨーク仏教会というのがありまして、そこで日本語を教えて貰ったり、勿論日曜学校なんか行ったりしておりましたものですから、そこの開教師(かいきょうし)さんとお話ができたわけですね。ふとある時に、その開教師さんがちょうどハワイから見えておられまして、「あなたみたいな、ぶつぶついう女の子には、きっと最近日本から見えた偉い先生がコロンビア大学でお話をされるから、公開講演だから、あなた聞きに行ってご覧なさい」と言ってくださったんですね。私がそれを聞いて、何にしたかったかというと、「偉い先生」という言葉に引っかかりましてね、何が偉いんだ、と。どういうことが偉いということなんだ、と、こういうのがありましてね。どれ見てみようと、こういうのがあったんです。それで一日学校をさぼって、聞きに行ったというのが発端なんですね。それでちょうどコロンビア大学の図書館というところがありまして、これは非常に大きいギリシャ宮殿みたいな大理石でできた立派なものなんですね。そこのちょうど一階に広い広間がありますから、そこの一角を鈴木大拙先生の講演にセットされていまして、折りたたみの椅子がずらっとありましたから、そこの一番遠いところに座っていたんですね。と、時間がきたならば、小柄な老人とも言えなかったですね。あの時、私は老人という感覚は受けなかったんですね。身体の半分は足でしたね。割と長い足、日本人としては長い足だと、私は思いました。それでサッサッサッと歩いて来られまして、何の躊躇もないというか、ただ自然とサッサッサッと入って来られて、教壇を目指して歩いて行かれましてね。〈あぁっ〉と思って、その初めて見るお姿には、〈あぁっ〉と思ったのがあったんですけど、それからそこの壇に上がって、和綴じの本が風呂敷包みに入っていたんです。これまたニューヨークでは珍しい光景なんですけど。
 
金光:  木版の本で、江戸時代に印刷された?
 
岡村:  古い木版で印刷されたもので、風呂敷包みを丁寧に開かれて、その木版のものをお出しになって、それをめくっていらっしゃるんですよ、ページをですね。それでご自分の講演をされる箇所のところに到達するまでこう静かにめくっていらっしゃるんですね。非常に薄い紙で、落ち着いて静かで、みんなシーンとしていました、周囲も。それでもうそこだけで、私にとっては凄い意味があったというのは、少しずつわかってきたのは、人間以外の生き物というのがおりますでしょう―動物でも鳥でも虫でもですね―犬、猫も勿論そうですね―私は、そういうものに囲まれて六つまでずっと一人子だったんです、六つまで。そうすると、そういうものに囲まれて―鶏とかね―鶏に一羽ずつ名前が付いていましてね、家では。それで友だちだったんですね。それでそういう環境の中で、人間よりはどっちかというと、他の生き物といったものと仲良しなんですね、毎日。そうすると、気が付いてみると―六つでわかるんですよ―六つでわかったことは、人間は嘘を付くんだけれども、動物は嘘をつかない。偽りはないというのが、不思議と質が違うというのが、なんで自分の親も含めて嘘つきだというのが見えるんですね。それで人間社会の中には、偽りというものがあるけども、私の友だち―他の生き物には、まったくそういうものを必要としていないというのが、よくなんか身体で知っていたですね。それで大拙先生のところに戻りますけれども、大拙先生の仕草を見ていますと、初めて人間の中であの時の感覚が、そこにあったというのが、私にはすぐわかったんですね。
 
金光:  嘘付かない人だ、と。
 
岡村:  嘘を必要としない。私は、さっき言って頂きましたけれども、十五年ご一緒したんですけれども、真実と偽りとの境目がないんですよ、先生に。そういう言葉も要らないくらいに、そのままを生きておられた。「そのまま」というのは、他の生き物と一緒の生き方ですよね。私たちは、「畜生だ」とかと言って馬鹿にしますけれども、実は人間の方が不自由なんですよね。そういうのが大拙先生の、なんとも嘘のない、ニコッとされるんだけれども、心底からニコッと思っておられるのがわかるし、その指先が、もう嘘がないのがよく見えました。それはね、ホッとしましたね。私は、十五に近い女の子でしたけれども、なんかホッとした気持ちになりましたね。
 
金光:  でも嘘を付かない、他の人間と違う鈴木大拙先生という方は、お亡くなりになるまでに―この後ろにもありますけれども―ああいう『鈴木大拙全集』というような膨大な書物を書いていらっしゃったり、あちこち世界中講演して歩かれたりなさっていらっしゃるわけですけれども、そういうことでいながら、嘘付かない生活ができた人という、その辺のところは、
 
岡村:  嘘を知らないんじゃないんです。よく知っていらっしゃるんですね。
 
金光:  講演の時、そういうふうにお感じになった後、どういうふうに?
 
岡村:  それでその時はお会いできませんでした、直接には。大勢の中の一番びりにおりましたですし、本当は十代で行って良かったのか、悪かったのかわからないんですけど、それで聞くところによりますと、大拙先生は、その同じ私が属していた仏教会で、五回の講演を、ゼミナール―ゼミのようにしてなさる、ということを聞きまして、それの五回ずっと行ったんですね―夜でしたけれども、行ってみたんですね。そして私としては、珍しく静かに大人しく座って、五回聞きに行ったというのがあるんですね。そして最後の五回目の時に、これで終わりだという時がありまして、それでご挨拶しようと思って先生の控え室に行きまして、自己紹介しまして、それで、「私、五回伺っているんですけど、何にもわかりませんでした」って。それに等しいことを英語ですけれども、申し上げたんですね。そうしたら先生は、ジッと―私お下げ髪の子どもでしたけれども―ジッと見ておられて、「明日は土曜日だから、あなたは学校がないでしょうから、お茶にいらっしゃい。説明してあげましょう」って、ご親切に言ってくださったんですね。それで私は、もう心勇んで、それこそ嬉しくって伺ったのが初めてなんですけどもね。
 
金光:  それで次の日、お出掛けになって、如何でした?
 
岡村:  それで自分ではたくさん質問を用意したんですけども、行きますと、先生のお部屋の一面の壁に大きな曼荼羅(マンダラ)があったんですよね。ずらっと仏さんが座っているのが、曼荼羅とは知らないで、それをそんなのを見ていたり、それから先生お部屋の様子を拝見すると、ギリシャ語やら漢文だとか、英語だけでないものがいっぱい山のように積んでありまして、そういうのを見ているだけで、何か別の宇宙に来たような気がしたのを覚えていますね。それでお茶とおっしゃるもので、お茶を先生が出してくださって、さっきの夫婦喧嘩がしょっちゅある親の話とか、それから自分の境涯、境地というんですかね、面白くない境地ということなんか話して、鼻先でほんとに厚かましいんですけども、どんな偉い先生かわかりませんし、どんな背景の方ともわからない。「禅」って聞いたことないですし、それから仏教は、多少浄土真宗関係のことは、家のことですから多少は聞いていたんですけど、何の先生かわからないんですよ。それで五回のゼミは、精神分析医がたくさん見えていまして、精神分析医の言葉でたくさん実存主義だとか、そういうような話をしておられたのを覚えているんですけれども、それでも何の先生かわからなくて、
 
金光:  でも岡村さんの話されることは、親身(しんみ)になって聞いてくださるわけですね。
 
岡村:  もう子どもというような感じじゃないんですね。やっぱり真剣な生き物というかな、どっかでもしかしたらわかって頂いたのかな。それから不幸だと思っていると―自分がね―自分が不幸だと思っている子どもだというのが、きっとおわかりになったんだと思うんですね。そう思いたいですね。そしていろんなことを聞いてくださっておりますけれども、そうしたらば、「美穂子さん、手を出してご覧」とおっしゃるんですね。「手を出してご覧」とおっしゃるから、手を出したんです、先生の前にですね。そうしたら先生が、向かいの席に座って、こうやってこう、「綺麗な手じゃないか」と言って、こうやって撫でてくださるんですよ、手をね。「よーく見てごらん」とおっしゃるから、よーく自分の手を、自分が見るわけです、こうやってね。「よく見なさい」というからよく見る。「仏の手だぞ」とおっしゃったんですよね。「これって仏の手だぞ」と言われて、どう理解していいかわからないんですね。「自分の手だ」とはおっしゃらない。「あなたの手ですよ」という代わりに、「仏の手だぞ」っておっしゃるということは、じゃ、この手は別の次元があるのかな、ということぐらいはわかってくるんですね。なんか別の用語を使うと、これが、「あなたがそれを作ったんじゃないだろう」とおっしゃるわけですね。「あなたの親がそれを作ったんじゃないだろう」って。「その親の親も作ったんじゃないだろう」というような話に、少し私を導いてくださるというのかね、そういうことがありましたね。結局私の考えが固まっている。それで、あなたは自分を見る時に、外から見ているだろう、というような感じでした。外から見ている自分、という自分と、それだけかな、というふうに。あなたが見る自分は、それだけで終わるかな、というふうな、そういう言い方であったか、ちょっと私も六十年前の話ですから、ちょっと記憶がはっきりしないんですけども。私が、止まっているところを、止まったところで終わっていないんだ、ということを、その位置から少し動かしてくださる。先に動かしてくださる。もっと先がある。先といったら横に広いものもあるけども、下に深いものもある、ということもなんとなく感じさして頂けるという。
 
金光:  岡村さんのお訴えられているこの内容を聞いていらっしゃった鈴木大拙先生は、おそらくこの少女は今自分の枠の中で、いろいろ悩んでいるな、ということをお感じになって、もっと広い世界があるんだぞ、ということを、なんとか知らせたいというようなお気持ちで、その話になったんじゃないかと思いますが、その後そういう手の話、すべて納得できないにしても、やっぱり少し世界があるな、というようなことで、続けて会いに行かれたわけですか。
 
岡村:  自分の考え以外に、ものの考え方ってあるんだな、というのもありますし、それからだんだん「自分の殻」というものを知りまして―「枠」とおっしゃいましたけど―「殻」ですね、それをどうにかしなくちゃいけないと思いながら、それはすぐにはできない話ですし、だんだんわかってくるのは、意識というものが、結局人間の「業(ごう)」である、ということをわかってくるんですね。他の生き物は、意識はまだ進化していないという。しかし人間は進化したことによって、ものが二つに分かれるわけです―主観と客観がね。そのことによって、私たちは殻を作っちゃうわけですね。その殻をどうにかして崩さなくちゃいけないか、割らなくちゃいけない、壊さなくちゃいけない。結局、さっきの手の話じゃありませんけど、自分の手であって、自分の手ではない、という。この重なった有限と無限の世界が同時にある、ということの理解が、だんだんと―先生のところにいろんなお客様が見えるわけですよ―学者さんとか、お医者さんとか、精神分析医の方とかね、そういうお話を聞いていますと、実に有限の枠の中に、無限が働く、ということの話にもっていかれる、というのがよくわかりますし、そういうことを聞いているうちに、非常に面白くなる、と言ったらおかしいですけれども、自分の問題として掴めるようなふうに徐々になっていったのかもわかりません。それは随分後の話でして。
 
金光:  その当時、鈴木大拙先生の風貌と言いますか、それはそこに今写真がありますけれども、その感じとあんまり違わない?
 
岡村:  違いませんですね。
 
金光:  それでちょっと後ですけれども、こちらにあるお写真は、若い頃の岡村さん―こちらにも先生と一緒に並んでいらっしゃる写真がありますけれども、やっぱり「仏さんの手だぞ」と言われた後も、大拙先生のところに、
岡村:  もっとたくさんありますけどね、いろんなところへお連れくださって、学校がありますから、日中はそうはいきませんですけれども、夏休みなどはヨーロッパにご一緒したり、エラノス会議だとかですね、それからロンドンとか、ドイツだとか、
 
金光:  それで岡村さんの自宅は、ビルを買って、そこのビルで大拙先生も一緒に引き取ってというか、
 
岡村:  そのうちに家の母も現れて、「ご老人が一人でお暮らしするのは、とてもお気の毒だ」というので、「もし良ければ家の二階をお使いください」ということになって引っ越してくださったんです。
 
金光:  そうすると、お話を伺えるチャンスもだんだん増えてくるわけですね。
 
岡村:  もう四六時中、二十四時間というか、お会いできました。
 
金光:  そういう中で、やっぱり日頃の自分というか、やっぱりそう簡単に自分の殻が割れるわけではなくて、
 
岡村:  割れません。私みたいなのはなかなか割れない。しかしほんとにもしかすれば、というのが最近になって思ってくるんですけども、お会いした時に、「疑問をもつ」というのかな、「問いをもつ」ということがあったことによって、先生はそれに答えなくちゃいけないと。答えて、答えることも手伝ってあげようという姿勢にまわってくださったんではないか、と思うんですね。それは私だけでなくて、現れる方で疑問をもった―疑問というかね、質問をしてくるという人には、非常にご親切であった。ご親切というのか、わりと骨を折ってお話をされるというか、そういうことをしておられる姿勢を拝見しておりますと、やっぱり人間は、「問う」ということが、どんなに大事なことか。問わなければ答えがないと言うし、それこそ問うことが既に答えなんですけども、そのことを示してくださるというのは、やっぱり問いがなければどうしようもないという。その関連する話は、やはりアメリカとか、ヨーロッパは、キリスト教文化圏ですから、バイブルの中には、「天国の扉を叩く」というか、「Knock, and the door will be opened to you」(マタイ福音書)という、その扉を開くというのは、ノックすれば開くと。日本語で何というんでしたか?
 
金光:  「叩けよ、さらば開かれん」と。文語の文体で訳すと、「叩けよ、さらば開かれん」ということになっていますね。
 
岡村:  その例を取り出されましてね、先生は、「コンコンとノックすることじゃとてもダメだぞ」というお話をよくされていました、英語で。それで「命をもって全身でぶっつからないと」―こうやってぶっつかるところをお見せするんですよね、来ておる方にね―「こうやって全身をもって、天国の扉をこうぶっつかっていかないと開くもんじゃないぞ」って、そういうことを言っておられた、ということを思い出しますと、やはり質問するということは、ぶっつかることですよね。そういうことがとっても大事。禅で言うと問答。禅問答というと、みんな馬鹿にしますけど、
 
金光:  訳のわからん意味に使いますからね。
 
岡村:  実は大変なことなんで、問い掛けるということは、答えることである、ということですね。
 
金光:  そうなんですけどね、ただ「問い」というのに対しては、わかりたいわけですね、答えを。答えがわかるということは、日本語でいうと、「わかる」というのは、「分ける」わけですね。丸ごとじゃなくて、「分別」って、分けて分けて、「解」もわかるですね。裁判所の「判」も分けるわけですね。二つに分けないとわからないという。
 
岡村:  意識の上のわかり方ですから、分かったことにならないですよ。
 
金光:  そこのところが、もう一つ本当の答えは、分けて考えたんじゃだめだ、
 
岡村:  分かったことじゃない。それでそういうことを、私、先生にぶっつけたことがあるんです。「二元性を超えるって、どういうことですか」と、聞いてみたことがあるんです。そうしたらば、これはしょっちゅうでもないけども、わりと私がそういうわからんことを聞くと、こういう拳に、この真ん中の指を出して、こう叩くんですよ、テーブルを。テーブルがあったとするね。そうしたら、私に向かって、「美穂子さん、今の聞こえたか」とこうおっしゃるんですよ。「今の聞こえたか」とおっしゃるから、「はい。聞こえました」と、私、言うじゃありませんか。「どこで聞いた」とおっしゃるんです。「足の裏か、髪の先か、鼻の先で聞いたのか」って。「この爪の先で聞いたのか」と、こういうふうにしてですね、攻めてこられるんですよ。なんか言わんといけない。美穂子、賢いから「耳で聞いた」と言わないわけです。「聞いた」と言っても、「よし」とされないのはわかっているから、どっかでね。そうすると、「全身で聞きました、先生」って、こう賢い答えを出したと思うわけです。そうしたら大拙先生は、「そんなけちくさいことじゃないぞ」とおっしゃるんです。私の全身がけちくさい、とおっしゃった。気持ちがいいわけじゃないんですけどね。そうすると、「全宇宙が聞いたから、美穂子さん、あんたが聞いたんじゃないか」って、こう言ってくださるんですね。「真実」と言ったら、そんなものですよ。全宇宙が聞いたから、私が聞いたんですね。そういうことを言ってくださるのは、それは分別智じゃないんですよ。だからわかる人がいて、わかることがあって、わかる人がわかるものを掴んで、わかったんじゃないんですよ。こういうわかり方じゃないんですね。そういうことで教えてくださるわけですね。トーンと、こうやって叩くんですよ。こうやってテーブルを。それでわからない時があったんですね。そうすると、私のここの二の腕(肩と肘との間)のところをこうやって抓(つね)るんですよ。抓るの、こうやって。こんな痛いところないんですよ。抓って、みなさんごらんになるとわかるんですけどね。ここ痛いんです。先生、私の二の腕のところを抓るんです、こうやって。「ギャッ!」と言うじゃないですか、痛いから。そうしたら、「その声はどこからきた」とおっしゃるんです。「どこから出たんだ」って、私に攻めてくるんです。どうしようも、どう言いようもないですね。「そらっ!」とおっしゃるんですよ。「そこにある」とおっしゃるわけですね。痛いからあるじゃないんですよ。「そこにある」とおっしゃるんですね。言うことがあるか、という、そうおっしゃらないけども、如何にもそういう姿勢をもって、私をこうやって抓ってくるんですね。
 
金光:  今のは禅の禅問答の感じを受けるんですけれども、浄土真宗なんかの場合、浄土での場合だと、『無量寿』のお経の中に出てくる「本願」というのがありますね。「宝蔵菩薩の本願」という、それですべて本願力ということですが、岡村さんが本願力について、やっぱり同じように、いろいろお尋ねになった時の答え、これは素晴らしいと思ったことがあるんですか。
 
岡村:  私ね、大拙先生が『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を英訳される依頼を受けられましてね、随分時間をどう工夫していいかというのを悩んでおられるのを知っているものですからね、なんで悩まれるほどこの訳をやらなくちゃいけなんだということを、何も知らない人間が思ったことなんですよね。それで親鸞聖人は、大事なんだけどね、今これをしていなくちゃいけない大拙先生というのはおられるんだろうか、と思ったものですから、ある朝五時頃だったかな、先生、鬚を剃っておられましてね、流し台のところでね。流し台の向こう側にガラス窓がありまして、外に面しているんですね。外に何か見えるかと言ったら、円覚寺の山が見えるんです。鎌倉の話です。それで鬚をこうやって剃っておられまして、そして私ね、「先生、申し訳ないけどもね、本願ってどういう意味ですか」と言って、半分腹が立っていたものですからね。何で『教行信証』なんか訳さなければいけないのか。先生、今九十にもなってですね、何で九十というご老体を押してやらなくちゃいけないんだろう、と思ったものですから、その質問をしてみたんです。そうしたらですね、鬚を剃りながら、「本願か」って、こうやって、私の質問を、「本願か」って。答えがすぐこないな、と思ったから、別の部屋に行っちゃったんですね。そうしたらほんの暫く経って、先生が、「美穂子さん、ほら!本願が現れた」とおっしゃってね、私を呼ぶんですね。それで私が飛んで入って行ったら、朝日がこう上がってきているんですよ、円覚寺の山から。「本願が現れたぞ!」って、指をさしてね。「Here you have "Hongan"!」と言って、指差して見せてくださった。そうしたら朝日がこう徐々に上がってくるんですよ。「ほーら! 本願力だ」って。まさしく本願力ですね。おっしゃった、私、二の口が告げませんでしたね。そういう人ですね。
 
金光:  やっぱり人間の分別心を超えた世界、
 
岡村:  全然超えていました、端的に。ご自分があっても、むしろ自分がいるということが邪魔になるくらいにね、なんか動かされていると言ったら、ちょっと言い過ぎかも知れませんけどね、何かに何かが動いているんですよね。その動いていることが別に、ご自分が邪魔しているわけじゃないんですよね。そういうのが凄くよく見えましたね。
 
金光:  そうしますと、大拙先生の場合は、いつもそういう本願力と言おうか、あるいは分別以前の世界と言うか、そういう世界に常に足がついていた、と言いますか。
 
岡村:  後はみんな言葉ですから、言葉以前の何かが、そこがぶれていないんですね。ぶれないんでしょう、きっと。
 
金光:  そういうところを、ここに今掛かっています軸には大きな「無」という字が書かれた書がありますけれども、そういう人間の分別で掴まえようのないところを「無」と。
 
岡村:  「有」と「無」の相対の「無」じゃないんですね。有る無しの無じゃなくって、もう「そのまま」ということの無なんですね。言うことがまったく必要のないくらいの無なんですね。
 
金光:  その無の世界をいろんな人に気付いて貰おうと思って、いろんな言葉を使われたと思うんですけど。
 
岡村:  一生懸命どうやったならば、他の人たちにお釈迦様のお悟りが―今の、「ほーら! 本願力が」という、あの感激の「ほーら!」と言えるあの次元が伝わるかということ、一言で収まるじゃないでしょうかね。
 
金光:  それをそこのところで意識で掴まえてしまうと、もう違ったことになってくる可能性があるんで―ということは、その長い間にはおそらく岡村さんの本当の一番正しい答えというか、一番自分が悩んでいた問題の解答を、なんとか教えて貰いたいことがあったでしょう。
 
岡村:  一生懸命なんですよね。何故この辺までこう来て、もうちょっと、もうちょっとというところで掴めないというのは苛立たしいですし、これ「ちょっと」がないですよね。ちょっとという寸法はないですけどね。
 
金光:  「ちょっと」が、無限の距離がある。
 
岡村:  無限の距離があるんですね。それを、面白いことに、サルトルって、いらっしゃるでしょう、フランスの哲学者で、ジャン=ポール・サルトル(フランスの哲学者、小説家、劇作家、評論家:1905-1980)、実存主義者のね、そのサルトルを読んでおりましてね、ある日、この崖っぷちに立って下をこう見るところがあるらしいんですね。下をこう覗き込んで、「あ、恐い、恐いと思う」というんですね。大拙先生が独り言で―私がそこにいるからと言うんじゃないでしょう。「恐い恐いと言っている、これがあるんだけどな」って、面白そうにおっしゃる。「飛び込めばいいんじゃないか」とおしゃるんですよ。「なんで、崖っぷちに立って、こうやって覗き込むだろう」って、「飛び込め」って、先生がおっしゃるんですよ。いやぁ、面白いことをおっしゃるなと思って、「飛び込めば救われるのにな」っておっしゃるのね。つまり「死人となりてなりはてて思いのままにするわざぞよき」と至道無難(しどうぶなん)禅師の歌がありますね。一遍死んで生きる、というか、それがどうもお悟りの寸前にあるというのが、どうもあるな、というのを感じとっていたんですけどね。
 
金光:  それは飛び込んでみなければダメだ、
 
岡村:  そういうわけなんです。飛び込まなくちゃいけないんですね。それをとっても先生、英文で―フランス語でなかった―英文で読んでおられましてね、「どうして飛び込まないんだ」って、英語で私におっしゃったんですね。「Why doesn't the jump in?」とおっしゃるんですよ。それで「どうして彼はそうしないんだ」と言ってね。そのオプションがあるというわけですね。飛び込むというオプションがある。そういうことを面白く話してくださったのがありましたですね。
 
金光:  そうやって長い間大拙先生の秘書役をなさっていらっしゃると、いろんな人が訪ねて来られると思うんですが、やっぱり中には人生相談と言いますか、身の上相談なんかのような問題を持ち込んでくる方もいらっしゃるわけでしょうね。
 
岡村:  そういうのがありますですね。それで思い出すのは、二、三回あったと思うんですけれども、例えば夫婦喧嘩でお見えになって、二人がお見えになるんですよね。どっちも言い分があるわけですから、どっちの方もお聞きになるわけですね。耳の遠い先生が、いつもこうやって耳をあれして、「なぁ、なぁ」って聞かれる。「なぁ」っていうのは、「なるほど」という「なぁ」なんですけどね。「なぁ、なぁ」って、こうやってどのくらい時間かかるのかな、そういうのを聞いていらっしゃるんですよ、一人ずつね。それで、こうやってしばらく考えられるんですけどね。こうやって一つひとつ聞きながら、考えられるんですけどね、二人ともが終わった時に、先生は大体決まっているというわけじゃないんだけれども、大なり小なりですね、「それはそれとして」とおっしゃるんですよ。決まっているわけじゃないんだけど、どちらの言い分も、「それはそれとして」ということになるでしょうね、両方聞かされて。
 
金光:  それぞれ言い分があると。それは聞いたと。
 
岡村:  「それはそれとして」という言葉が現れるんですね、大拙先生の口から。それを私、もの凄く一回目じゃなくて、二回目ぐらいから気が付いていたんですけど、これは言い言葉だな、と思って。つまりそのガタガタした次元をおっしゃっていないな、と。そのままにしておいて、それはそれなりに置いておいて、もっと違う次元があるじゃないか、という考え方があるじゃないか、ということに―私の手と一緒なんですよ。「仏の手だぞ」って、「よく見えないか」って言わんばかりなんですよね。だからあなたたちもおそらく口ではおっしゃらないけれども、「おそらくそれ以上のことが元にあるんじゃないか」ということを―元というのか、その先にあるじゃないか、と。先でもいいし、元でもいい。元というのは、「本来」という有り難い仏教用語があるんですよね。本来という、もう少し私、言ってもいいんじゃないかと思うんです。「本来」というのは、分別以前ですよ。以前のことを指して言っていることですから、その以前があるんですよ、ということを、「それはそれとして」という言い方で、指して言っていらっしゃるというふうに、私は私なりに解釈しているんですけれども。それをお願いしたんです、大拙先生に。
 
金光:  軸になっているのは、
 
岡村:  私がお願いしたんです。そうしたら、先生、面白がってですね―気が付いていらっしゃらなかったんですよ、ご自分では。私がそれ頼みましたらば、面白がって、「そうか」と言って書いてくださったのが、あそこにあるんですけどね。
 
金光:  そうすると、そういう日常はお互いの立場を主張して、意見が食い違っているような、そういう人たちに、「それはそれとして」もう一つ違った別の、
 
岡村:  「まだあるんだぞ」と。「そこで終わらないぞ」ということを指して言ってくださる言葉だと。
 
金光:  それを気付かしてもらう言葉としては、向こうに「平常心」という掛け軸がありますね。
 
岡村:  「無」と一緒でしてね。「何も無いか」と言ったら、全部あるわけですよね。ゼロが無限であると。「Zero equals infinity,infinity equals Zero」という言葉を、大拙先生しょっちゅう使っていらっしゃいました。「ゼロが無限」と。「即無限」と。「ゼロ即無限」と。今度は逆に、「無限即ゼロ」と。両方ね。それは『般若心経』と一緒ですけど。「色即是空、空即是色」の、これはわりとしょっちゅう使っていらっしゃいました。それはもう言いたいことのすべてだ、と言わんばかりですね。
 
金光:  そういうふうに聞きますと、分別心で聞きますと、平らな平常、波立たない心が、きっちり固まった心があるような気もしますけれども、そうじゃないんですね。常に動いている心というのは、こだわったところで固まっちゃうと平常心でなくなってしまう。
 
岡村:  なくなっちゃうんですね。一分だって二度とこない一分ですから、一秒でも。私ね、「お寺にみなさん、お坊さんたちが入っていらっしゃるけど、何を修行しているんですか」と聞いたことがあるんです。「何を雲水さんたちは、毎日ああいうふうにして修行されるんですか」と言ったら、「何でもないんだ、美穂子さん、スッとすればいいんだ」とおっしゃった。「スッとすることを修行するんだ」って。如何に人間が、スッとができないか、ということを、逆に示しておられるような感じがするんですね。
 
金光:  できませんね。
 
岡村:  スッとすることが、なかなか。つまり意識が発達すると、スッとできなくなるというふうなことをおっしゃるじゃないかな、って、今になったら思いますけどね。「何でもないんだぞ、美穂子さん。スッとすることだ」。手をこう出してこうやっていらっしゃる。
 
金光:  動物はそんなことなくて、スッとしますけど、人間はスッとできないことが多い。
 
岡村:  誰か見ていないかとか、なんか美味しいものがその辺にないかとか、誰か誉めてくれるんじゃないかとかですね、そういう要らんことを考えるんですね。「何でもないぞ、美穂子さん、すっとすることだ」ってね。二、三回言って貰ったような気がしますね。
 
金光:  すっとできるようになりますか。
 
岡村:  なかなか、どうしてどうして。
 
金光:  でもスッとできたら、随分、
 
岡村:  随分ムダがはぶけるんですよね。
 
金光:  「軽安(きょうあん)」と言いますか、軽く安らかになるという「軽安」という言葉がありますけれども。
 
岡村:  「安らぎ」というのは、「安心決定(あんしんけつじょう)」って、親鸞聖人がおっしゃいますけども、「安らぐ」ということは、だから「本来に戻ることだ」って言うじゃありませんか。違う?
 
金光:  そうなんです。
 
岡村:  本来の自分を知ることは安心なんです。安心することなんです。自分の家に帰ったことですから、という言い方がありますね。
 
金光:  今思い出したんですけれども、大学者の中村元(なかむらはじめ)先生が、「涅槃(ねはん)」という言葉はニルヴァーナですね。「涅槃」という言葉は、いろいろ難しい解説が多すぎるけれども、安らぎで、本来は涅槃、涅槃は安らぎ、という言葉がいいじゃないかとおっしゃったそうなんですが。
 
岡村:  生きながら涅槃ですね。
 
金光:  安らぐということができれば、
 
岡村:  もうその通りなんですね。
 
金光:  その安らぎの世界というのは、あれだ、これだと、ガタガタしないで、がたぴししないで、スッとという。
 
岡村:  「スッとすることだ」っておっしゃっていましたね。だからなんかお寺に入って、「先生、私は女の子だからお寺に入る修行ということはないでしょうけれども、みなさん何をしていらっしゃるでしょうね」と聞いたことがあるんですよ。もう一つ思い出の中に、私ほんとの晩年ですけど、大拙先生私の顔をじろじろ見ながら、「美穂子さん、長生きするんだよ」って、おっしゃったんですね。「長生きしないと、わからないこともわかるようにならないじゃないか」って。ですから長生きすることの意味が、そういうところにあるんだということを、もう一度おっしゃってくださったような気がするんですね。ですからみなさんも、できるだけ人間は長生きして、できるだけ理解―物事がわかるようになる、という境地が現れるということを、なんか大拙先生は保証してくださっているような気が、私はしているんですね。実際私も歳をとってきて、そう思うようになりましたし、有り難いなと思っています。
 
金光:  こういう方が、私たちと同じ時代の空気を吸って生きていらっしゃった、ということを知っているだけでも、長生きして、そういう世界に少しでも近づきたいなと思いながら聞かせて頂きました。どうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十四年九月二十三日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである