日々是般若心経
 
                    薬師寺執事長 加 藤(かとう)  朝 胤(ちょういん)
昭和二四年(一九四九年)愛知県生まれ。昭和四七年日本大学法学部卒業。平成二三年龍谷大学文学部佛教学科卒業。平成二年薬師寺執事に就任。平成一○年奈良喜光寺副住職に就任。平成一三年蓼科聖光寺副住職に就任。平成一八年東京別院輪番。平成二一年唯識学寮主事に就任。平成二三年薬師寺宝物管理研究所主任研究員に就任。平成二三年薬師寺副執事長に就任。平成二四年薬師寺執事長に就任。NHK文化センター講師。朝日カルチャーセンター講師。中日文化センター講師。著書に、「開」など。
                    き き て  住 田  功 一
 
ナレーター:  もっとも短いお経と言われる『般若心経(はんにゃしんぎょう)』。わずか二百七十字あまりで仏教の神髄を説いているとされます。
奈良薬師寺の執事長加藤朝胤さん。『般若心経』を一般の人に分かり易く説く法話や講演を三十年にわたって続けています。奈良薬師寺。白鳳時代に創建された一三○○年以上の歴史を誇る古刹(こさつ)です。境内に鎮座するのは、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)。唐から天竺(てんじく)へ赴(おもむ)いて、数多くの経典を持ち帰り、『般若心経』を翻訳したことで知られます。加藤さんが、薬師寺に入ったのは、大学を卒業した二十二歳の時です。東京の会社に就職が内定していたのを断って、奈良で仏門に入りました。薬師寺で『般若心経』と出会い、その深い教えを人々に説くようになったのです。東日本大震災が起きると、被災地を訪れ、心の復興に取り組んでいます。今回の「こころの時代」は、『般若心経』は人生の永遠の指南書という、薬師寺執事長加藤朝胤さんに、『般若心経』の説く教えとその魅力を聞きます。
 

 
住田:  『般若心経』と言いますと、多くの人に親しまれていて、本屋さんへ行っても『般若心経』の解説の本がずらっと並んでるぐらいですよね。その『般若心経』と、この薬師寺というのは、実は深い縁(ゆかり)があるんだそうですね。
 
加藤:  そうですね。『般若心経』と薬師寺というよりも、仏教の中で、お釈迦様の教えの中で一番中心というか、基本的なことが書いてあるのが『般若心経』ですから、お釈迦様の教えの神髄と、こう考えればいいのかなと思います。この『般若心経』を翻訳されたのは、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)さんなんですが、六四九年―中国の年号で貞観(じょうかん)二九年という年で、五月二十四日に翻訳をされた、という記録が残っております。その記録が、玄奘三蔵さんのお弟子さんの慈恩(じおん)大師(大慈恩寺に住したので、慈恩大師と尊称される。正式には「基(き)」である。中国唐代の仏教家であり、法相宗を起した:632-682)というお方が、瑜伽(ゆが)唯識(ゆいしき)の教えを大成されて、その教えがそのまま伝えられている、ということで、瑜伽唯識の教えを引き継いでいるのが、この薬師寺ということでございます。それで日本に伝わりまして、いろんなところでこの『般若心経』が称えられたんでありますけれど、この『般若心経』の奉讃文(ほうさんもん)というのがありまして、それは「神前にては宝の御経、仏前にては花の御経、況(ま)して家の為 人の為には祈祷の御経」とこうあって、神様の前でも、仏様の前でも、どこでも称えるのが『般若心経』ということなんですね。ですから一番親しまれているお経なんです。
 
住田:  みなさんが毎日毎日こちらに訪れては、お写経をなさっていらっしゃるいらっしゃいますが、そういう縁(ゆかり)の深い薬師寺で御写経をなさっていらっしゃるということですね。
加藤:  そうですね。お経というのは、見るだけでも功徳がある、と、こう申しましてね、このお経を声に出して称えたならば、さらに功徳がある。そのお経を自分の手で書くと、一文字書く毎に仏様一体を作るのと同じだけの功徳がある、と、このように言われておりまして、これ以上言うとくどくなりますので言いませんけれど。ですからお釈迦様の教えは、お亡くなりになった方々に対して教えを説くんではなしに、生きている私たちに対して、「今日一日を如何に生きたらいいか」ということを学ぶ場所、勉強する場所、それがこのお寺である、ということなんですね。ですからこうやって薬師寺にお出で頂いても、とっても薬師寺の境内は明るうございましてね、みなさん方が喜んでお帰り頂ける。時には笑え声も聞こえるというようなところがお寺であるということなんですね。
 

 
ナレーター:  加藤さんは、愛知県の商家の生まれです。大学に進学して東京で暮らしていた時のある出会いが仏門に入るきっかけでした。
 

 
加藤:  私、東京で大学(日本大学法学部)へ行っておったんでございますが、といっても、勉強は何もしていなかったんです。ちょうどその頃ですね、学生運動が大変盛んな時期でございましてね―昭和四十三年から四十七年でございますので、一番盛んな時期でございまして、むしろ学校へ行くよりもアルバイトばっかりしていた、ということなんですね。
 
住田:  それで大学法学部で学ばれて、銀座の宝石店へ就職の内定も実は貰っていた、ということですが。
 
加藤:  そうですね。私ね、前から思っていたのは、人を喜ばせること―綺麗なもので、それで喜ばせるもので、という、なんかそんなことができたらな、と。それでふとまたこれも出会いがあって、その宝石屋さんはどうかということで、就職こういろいろある中で、あ、こういったものはなかなかいいなぁ、と。みんな宝石を見て腹を立てる人というのは少のうございましてね、綺麗だし、まあいいなと思っていたんですよ。それで就職もそんなことで内定がでた。
 
住田:  じゃ、その宝石店に就職するのを止めて、お寺に入ろう、と。しかしこれは百八十度違うように、端から見ると思うんですがね。
 
加藤:  そうですね。大学の一年生の時に、奈良へ遊びに来たんです。学校が休校していてありませんので、じゃ、奈良へ行こうかと言って、奈良に来る時に、「奈良へ行くから」ということを父親に言いましたら、「それだったら薬師寺の高田(好胤(こういん))管長さんを存知あげているから、良かったら寄って来てはどうか」ということで、薬師寺に寄せて頂いた。そうしたらたまたま高田管長さんにお目にかかることができたんですね。
 
ナレーター:  当時の薬師寺さんの管長が、昭和の名僧の一人・高田好胤さんです。ユニークな法話が人気を呼び、マスコミにもたびたび取り上げられました。高田さんは、『般若心経』を写経して貰うことで、布施を集める「お写経勧進」を広め、荒れていた薬師寺の境内を次々と復興しました。その高田さんの人柄に、加藤さんは強く惹かれ、僧侶になる決心をするのです。
 

 
加藤:  高田管長さんは、大学生とか高校生をとっても温かく迎えてくださっておりましたし、それから薬師寺の伝統行事がございますけど、そういった行事に大学生や高校生がお手伝いに大勢来るんです。今までそれがずっと続いているんでありますが、「それに来ないか」ということで誘いを受けまして、それで四年間知らず知らずのうちにご縁が深まったということなんですね。ですから四年の卒業する直前なんですけれど、ふと滅相なことを思いまして、やっぱり商売も良いけれど―もうその頃高田管長お写経勧進で、お堂復興ということをされておりましたので、高田管長さんのそういうお姿を見ていて、やはり何が大切かと言ったら、情熱をもって大勢の方々にお釈迦様の教えをお説きになっている、仏心に種蒔きをされている高田管長さんに触れて、やはり宝石屋さんも良いけれど、このお寺で、ということも良いのかなと、こう思いまして、「薬師寺へ入りたい」と言ってお願いしたんです。そうしましたら、高田管長さんは、最初お断りになりました。「それは外から見ているのと、実際にお寺に入るのとは、それは違うぞ、と。そんな生易しいものじゃないぞ」ということで、最初はお断りになったんですけれど、私は、「是非管長さんの元でお手伝いをさせて頂きたい」ということをお願いを致しましてね。それで暫くお考えになって、「わかった」とおっしゃってくださいましてね。それで暫くして、私は実家へ戻りまして、両親にそんなことを話たら、両親は今度は反対致しましてね。「そんなお寺なんて」―父親も母親も思ってもみなかったことで、「お寺なんて」とこういうんですけれど、「いや、もう決めてきた」と。
 
住田:  高田好胤さんは、当時はかなり荒れた寺だったこの薬師寺を、次々に塔を建て、金堂を建て、復興されていかれますね。その高田好胤さんの傍でご覧になっていて、好胤さんってどういうお方だったですか。
 
加藤:  そうですね。高田管長さんという方は、一口でいうと、とても優しいお方。だけど、ご自身にはとても厳しいお方でした。ですから「人に優しく、自分に厳しく」というのが高田管長さんですね。
 
住田:  法話などは、よくメディアでも取り上げられました。非常に楽しくて朗らかで、と見えますが、自分には随分シビアだったんですね。
 
加藤:  そうです。それで高田管長さんの生活をされておったところが法光院(ほうこういん)というんでありますけれど、江戸時代の建物でして、隙間風が入りましてね、大変寒いところなんですよ。いつもそこでお弟子さんと一緒にいるわけなんですけれど、畳の縁(へり)がもう無くなってしまいまして、ボロボロなんですよ。そこにガムテープを貼りまして、畳が捲(めく)れないように、畳の表がとにかくすり減って、「管長さん、畳取り替えましょうよ」とこう言うと、「いや、そのままでいい」とおっしゃるんですね。それであまり酷いので、管長さんが十日ほどですか、長期のお写経勧進でお出ましになった時に、畳表を替えてしまったんです。
 
住田:  周りの方が替えてしまった。
 
加藤:  私が指示をしましてね。とにかく替えてくれ、って。で、私は、管長さんが帰って来られたら、「おぉっ、替えたのか」と言って、まあ喜んでくださるだろうな、と思ってお帰りになるのを待っていたんですよ。そうしましたら、部屋に入るなり、「畳、誰が替えた!」その次に何と言うたかというと、「元に戻せ!」とおっしゃるんですよ。そんなボロボロになった畳ですから元に戻せないわけです。勿論畳屋さんも、「そんなもの使えものになりませんから、もう捨ててしまってありませんし、元に戻すことはできません」と。ですけど、「とにかく元へ戻せ!」とこうおっしゃるんですよ。ほんとに烈火の如く私叱られましてね。それで暫くしてから何とおっしゃったかというと、「なぁ、朝胤、今大勢の方々にお写経ということを通して、このお堂を建てて貰っているんや。なのに枕を高くして、ぬくぬくと良い部屋で寝るわけにいかんのや。だからこの畳の削れてボロボロになった畳が、一つの励みであるので、そのための畳みだったんだ」とこうおっしゃいましてね。だから私は、ほんとにどうしていいかね、あ、なるほど、師匠というのはとっても厳しいお方だな、ということを、その時に思いましたね。
 
住田:  高田好胤さんとのやり取りの中で、何を得ればいいと思われましたか。
 
加藤:  そうですね。これ「御写経」と言って、『般若心経』のお手本です。お手本があって、その上にこうやってお写経用紙を重ねて頂いて、上をなぞって写して頂くんです。下のお手本の字が写りますので割と簡単に写せるんですね。家族揃って、お仲間同士一緒に写して頂いたらいいんでありますけど、まねることが大切。「まねる」が「まねぶ」で「まなぶ」。「学ぶ」の語源は「まねる」なんですよね。じゃ、まねて写して、といって、写し始めた途端に、私たちの心というのは変わっていってしまうんですよ。どう変わっていくかというと、上手く上手に誉められたい。それは自我なんですね。これは謙虚だ、素直だ、人に思いやりのある優しい心の養いの訓練でありますから、ですから字の上手下手ではございません。ですから鉛筆でいいんです。鉛筆で写して頂いたら三十分。そしてこの写して頂いた薄い方の紙だけを、またこの最初の筒に巻いて頂いて、そして薬師寺に納めて頂くんです。その浄財でお堂復興ということをさして頂いているんでありますが、ですから世間は、「お経を売り歩く坊主だ」とかよく言われたんですよ。だけどそういったことにめげることなくと言いますか、世間のそういう批判を気にすることなく、信念を貫かれたお方が高田好胤という管長さんなんですよね。
 
住田:  善いと思ったことはやろう、ということですね。
 
加藤:  そういったところに、私は惚れたんじゃないでしょうか。私はよく言われたんですけど、管長さんに、「こんなこと、あんなことしたい」と相談なんかしたりすると、「善いことだったらしたらいいじゃないか」とこうおっしゃったんですね。ですから、「あ、そうか」と思ってね。人が喜んでくださることであるならば、何でもやればいいんだな、と。だから私自身の考えの基本は、「不可能はない」と。実際やってみて、不可能なことたくさんありますよ。だけどやり始める時に、これは最初から「できないから」と言って、捨ててしまうのではなしに、「何でもいいからとにかくやってみよう。不可能はないんだから、もうやってみよう」と言って、それで結果として、できなかったらこれは仕方がない。それから結果として自分が決めてしたけれど、間違うことってありますよね。そんな時は素直に謝る。そして早く軌道修正すると言いましょうか、改めるということを心掛けましたね。ですから「善いことだったらしたらいい。その代わり自信をもって、責任をもってやれ」ということだったと思うんですよね。ですから私自身も、自信をもって、責任をもって、何でもこうやっていこう、ということを心掛けて、今でもそういったことを心掛けているんでありますけれど。

 
ナレーター:  薬師寺に入った加藤さんは、高田好胤さんの元でひたすら仏教の修行に励みました。
 

 
住田:  薬師寺に入られて、仏の道を選ばれたんですけれども、『般若心経』の教えと重なるな、という部分はありましたか。
 
加藤:  そうですね。薬師寺へ来たからには、薬師寺で頑張ろうという思いはしたんですけど、そういう中で、私、三十ぐらいの時でしたかね、病気になったんですよ。どんな病気かというと、顔面神経麻痺と申しまして、それで私、毎朝お詣りしていますわね。みなお詣りする中で、ご本尊は御薬師様です。病気平癒の御薬師様の元で生活して、何で自分が病気にならないといけないのか、と思ってね、最初は「どうぞ病気を治してください」とこう思っていたけれど、病気が治らないんですよね。その神経麻痺が治らない。この御薬師様、効き目無いな、と、恨んだというわけではありませんけど、何故病気が治らないんだ、と思ったこともあったんでありますけれど、でも私は、実際に自分自身が顔面神経麻痺になったお陰で、正しいものの心の受け取り方ということを学ばせて頂けたな、と思ったり致しております。それが『般若心経』の中に出てまいります「色即是空(しきそくぜくう)」ということに繋がってくるかなと思ったりしておるんであります。「色」というのは、目に見えるものの相(すがた)。「空」というのは、目に見えない心の相(すがた)。その物の相と心の相、この物と心の調和が一番大切だということではないか、と。ですから病気になったならば、先ずお医者さまに正しい治療を受けるということ。そしてその時に治療を受けたら、それで病気が治るかと言ったら、そうではなしに、やはり「病は気から」ということをよく言ったりするんでありますけれど、病気を治そうという気持ちがなかったならば、病気は治らない。ですから物と心の調和というのは、とっても大切なことなんだ、ということを教えて頂いているのが、実はこの『般若心経』というお経であるんです。
 

 
ナレーター:  加藤さんは、三十年にわたって全国各地に出向き、『般若心経』を一般の人に分かり易く説いています。
 
加藤:  善因善果―善いことをすれば善い結果になってくる。悪因悪果―悪い因を持つならば悪い結果になってくるし、その結果は人にかかるんではなしに、必ず自分のところに降りかかってくる。
 

 
ナレーター:  仏教と『般若心経』の説く世界をより深く理解しようと、加藤さんはインドや中国の仏教遺跡へ何度も足を運んでいます。加藤さんが、辿り着いた『般若心経』とは、どういうものなのでしょうか。
 

 
加藤:  『般若心経』の中には、どういうことが書かれているのでしょうか。
 
住田:  先ず登場人物は、お釈迦様、それから観音様―観自在様、それから舎利弗様、それからその他多くのお弟子様がこの話をお聞きになっているという、先ず登場人物というと、そういうことですね。そして全体のあらすじとしましては、例えば多くのお弟子様がお釈迦様を囲んで修行をされておりました。その多くのお弟子様、その中でいわゆる観自在様が、ご自身の修行の成果を舎利弗様初め多くのお弟子様にお話をされました。その内容は、般若の行によって、静かな安らぎの境地を得ることができる、そこに至ることができました、というお話です。そしてそのことをお釈迦様によって、その成果がとっても素晴らしいものであり、そしてまた実践に優れたものである、というお話があり、多くのお弟子様が、それじゃ般若の実践を私たちも致します、というのが、まあ全体の『般若心経』のあらすじですね。これは一字一句の語句を言ったわけではなしに、全体の流れの中で、そういったことがあろうかなと思うんですね。
 
加藤:  『般若心経』、大変短い中に、実は仏教の神髄が込められている、と。どこがその神髄の部分なんでしょう。
 
加藤:  幸せを得るためには何か、ということが書いてあることと、もう一つは、お釈迦様の教えの基本は何かというと、必ず原因があって、そして縁が働いて結果が生まれる。原因と結果、それを「縁起の法」とこう申しますけど、「この世の中は、奇跡が起きない」ということをお説きになった方がお釈迦様なんですよ。ですから必ず原因があって、そして縁が働いて結果が生まれる。例えばここに一つの花の実があったと致します。この花の実が、そのままであったならば、いつまで経っても花の実、種なんですね。この種をどうすれば花が咲くか、と言ったら、蒔いてやらなければいけない。じゃ、蒔いたら、それで花が咲くか、と言ったら、そうじゃありませんよね。それに水をかけてやり、そして太陽の熱があって、そうするとやっと芽が出てくる。じゃ芽が出たら、それで花が咲くかと言ったら、違いますよね。それを育ててやらないといけない。ですから縁というのは、それは条件なんですよ。いわゆる種があって―種というのは原因。その原因である種に、条件である水や太陽の熱や、という、そういう縁を加えてあげることによって、結果―花が咲く、ということなんですね。ですから縁が欠けたら生まれない。「縁欠不生(えんけつふしょう)」とこういうわけなんですが、お釈迦様は、二千五百年前に、奇跡は起きない。「縁起の法」というのを発見された。ニュートンが「万有引力の法則」を発見したと同じように、お釈迦様は二千五百年前に、「縁起の法」すべてのものは原因があって、縁が働いて結果が生まれる。奇跡は起きない、ということをおっしゃったのが、お釈迦様なんですよね。ですから、まさに『般若心経』というのは、それだけなんですよ。そして、どうなるかというと、私たちはすぐに夢を見たり、自分の身勝手なことばっかり考えたりしますが、そうではなしに、この現実というものをもっとしっかりと見なさいよ、と。ですから、すべてを否定する。特にこの『般若心経』というお経は、「無、無、無・・」「不、不、不・・」とありますので、「否定のお経だ」ということをよく言われたりするんでありますけども、決してそうではありません。こういったものが、あるということをちゃんと認めたうえで、そして自分はどうしたらいいのか、と。煩悩がある。この煩悩を無くせと言ったって無理なことなんです。ですから先ほどの御写経でも、無心になって御写経と言ったら、無心になるまでもう誰も御写経できません。「御写経いつするんですか?」「心が綺麗になった時にするんですか?」とこうよくお尋ねの方があるんですけれど、むしろ腹が立った時に書けばいいんですよ。腹が立ちながら、「何であんなことに腹立てたんだろう」「何でこんなふうになってしまったんだろう」と言って、悩みをぶっつけながらお書きになったらいいんです。そうしたら何でこんなことに腹立てたんだろう。向こうも悪いけど、こっちも意地張って悪かったなあ。まあ赦してあげよう、となる。その赦す心、このことが大切なんですよね。私たちって、幸せを邪魔する鬼がいるんですよ、心の鬼。その心の鬼というのは何かというと、
貧(とん)―貧欲(とんよく)(むさぼり)
瞋(じん)―瞋恚(しんに)(いかり)
痴(ち)―愚痴(ぐち)(物事の道理を知らないこと)
一つは、貧欲(とんよく)(むさぼり)―何でも欲しくなる。見たもの何でも欲しくなるという貪り、欲望ですよね。瞋恚(しんに)(いかり)―自分の気持ちを受け入れて貰う時は相手方って善い人なんですよ。それがなんかの拍子に反対のことを言われたりすると、途端に悪い人になるんですよね。自分の意見と合わなくなると悪い人。自分の意見に合う時だけは善い人という、これが瞋恚(しんに)(いかり)なんですよね。愚痴(ぐち)(物事の道理を知らないこと)。そういった煩悩を繰り返して繰り返しているから、今私たちは迷ってあるわけなんです。人間である以上迷いはなかなかこれを消すことができない。ですからそれを否定する、それを全部取り去ってしまうんではなしに、迷いというものはそのままあって、煩悩というものはあるんですが、それを乗り越えたところに、そこに悟りの境地がある、と。煩悩を無い無い無いと否定するのではなしに、それを乗り越えたところに素晴らしい世界があるんだ、と。ですから悟りというのは、決心することだ、と思うんですよ。私たちはついつい決心が揺らいでしまう。決心というのは、どんなことがあっても変わらない。正しい決心というのは、これが「悟り」だと思うんですよね。ですからしょっちゅう悟っているわけなんですけれど、それが先ほどいうように、間違った決心をしているから、間違った方向に行ってしまっている。ですからすべてのものを冷静に判断して、そして何が正しいか、何が大切か、ということを見極めることが大切なことであるかな、と。
 

 
ナレーター:  加藤さんは、還暦を迎える年の平成二十一年、仏教を学び直したいと大学の三年に編入入学、二年後に卒業しました。
 

 
住田:  六十になろうとする時に、大学に行って仏教を学ぼうとされた。それはどうしてですか。
 
加藤:  私たちはお寺で四十年、これ「実践仏教」と申しますよね。学校の場合は、「学問仏教」。その実践仏教に学問仏教というのは、ちょうど裏打ちになるようなものですから、そういう意味においては、大変私自身大きな力を頂けたかな、と、このように思っております。私、最初のお話にありましたように、東京の学校(日本大学法学部)に学んだ自分自身のどこかにちょっと不安があることは確かですよね。大丈夫かな、という。それで割と早くから実はそういう仏教系の大学へ行って、仏教の勉強したいなと思っていたんですよ。学校も入学許可してくださいまして行ったんですよ。そうしましたら、私って仏教のことを知っていると思うじゃないですか。知らないことが九割と言っていいほどで、もう知っていることってごくわずか。そして知っていることでも、私が理解していることを、学校へ行くと、同じことをまた違う角度からお話くださるんですよね。なるほど、こういうように話すればもっと理解できるじゃないか、ということを教えて頂きました。
 
住田:  勇気がいることだと思うんですが、もう既に自分は身に付けた、と、周りもそう見ている。その人がもう一度学び直し、というわけですね。
 
加藤:  ですからお寺でも、「もう今更行くことないじゃないか」と。私の友人も、「何で今頃大学へ行くんだ」と言われたんでありますけれど、やはり人間一番大切なのは、「初心に帰ること。基本ということが大切じゃないかな」と思ってね。私どもはこうやっていますと、何かというと、どうしても歳が重なってくると、それぞれお寺においても役職がついたりとかという、いわゆる背中に付いている看板がものを言ったりすることがありますよね。その看板が偉いんじゃなしに、この加藤朝胤という人格が大切である。自分自身を切磋琢磨するということはとっても大切かなと思っています。
 

ナレーター:  この日、加藤さんは、横浜にあるショッピングセンターに姿を現しました。ここで三ヶ月に一度、辻説法を行っているのです。この辻説法は六十回近くになります。僧侶は寺に籠もっているのではなく、人々のところへ出向くべきだ、というのが、加藤さんの信念です。
 

 
住田:  加藤さんは、街の中―ショッピングセンターの中でも説法をなさっていらっしゃるんですね。
 
加藤:  そうですね。ショッピングセンターですから、むしろまあ食事をするレストラン―一軒はカレー屋さん、一軒は中華料理屋さん、それから向かい側にレンタル屋さんと本屋さんでして、カレーの匂いはするわ、中華料理の匂いはするわ、それからレンタル屋さんからは音楽は聞こえてくるわ、というところで法話をしているんですけど、あんまりそういった音とか匂いというのは気にならないですよ。一番気になるのは、聞きたいけど、なんか聞いていいのかしら、というようなことで、聞こえるようだけど、後ろ向いてお聞きになっている。だけど、そういった方が次の回に行きますと、今度は後ろ向いていたのが前を向いて、その方はだんだん近づいてきて、そして最後には椅子に座ってくださるんですよ。なんか心につかえいたものが取れたとかですね、何とかここへ来て話を聞くだけですっきりするとか、穏やかになるとか、と言って喜んで頂いているんでありますけれど、このことが一番有り難いですよ。仏教というのは、今どんどん形だけになってしまっているところも、なきにしも非ず、そういった中で仏教というのは、もっともっと身近なものである。お釈迦様の教えというのは、身近なものである、ということを教えて頂くために、とってもいい場所を提供してくださっている。
 
住田:  人のいる場所、街に出るということは、やはり大切なことなんですね。
 
加藤:  そうですね。『般若心経』の登場人物、「観自在菩薩行深」と最初に出る観自在菩薩ですね。私どもよく知っている観世音菩薩っておられますよね。この観世音菩薩様=(イコール)観自在菩薩様なんですよ。玄奘さんが、どうして観自在菩薩とお付けになったかというと、「自在」という言葉は、私たちはそれをもうちょっと別の言葉とつけると「自由自在」とこうなりますよね。「自由自在」というのは、自由自在に飛び回って出掛けて行って、ですから玄奘三蔵さんは、十七年間ずっと旅をされた中で、自分自身で取りに行って、自分で身体を使っていろいろされた。ですから出向いて行かれた。悩みある方はここで待っているよりも、そこへ出掛けていくことの方が効率いいと、そういうことではありませんけれど、その方がもっと心が籠もっている。ですからその翻訳の中でも、「観世音」ではなしに、「観自在」というお言葉にされたんじゃないか。これが加藤朝胤流の「観自在」の解釈なんですけれど。
住田:  そうやって街に出られると、心に聞こえているものは多いですか。
 
加藤:  そうですね。我々僧侶というのは、業種は何だとお思いですか?
 
住田:  宗教家と思うんですが。
 
加藤:  もっと一般的にいうと、私たちはサービス業なんですよね。サービス業というのは、ここにこうやって座って、来る方を待つんではなしに、やはり外へ出て行って、先ほどの話じゃありませんけど、仏心の種蒔きをするのが私たちの役目なんですよ。ですから会社で言えば、私たちは営業部員。ですから、私たちは何かというと、外へ廻っていろいろな方々にこういう種蒔きをする。これが私たちの役目だと思うんです。
 

 
ナレーター:  平成二十三年に起こった東日本大震災。加藤さんは、何度も被災地に赴いています。
 
案内者:  ここ全部(津波の)圧力で抜けてしまっています。壁はもちろんありません。
ここだけではなく三陸沿岸全部を破壊した力ですからね。
ここに大勢の亡くなられた方もおられて、折り重なるようにして逝かれたんだなと思うと・・・
 
(お経をあげる)
 
ナレーター:  多くの犠牲者を弔うことはもとより、悩みや苦しみから抜け出せないでいる被災者に寄り添え、心の復興の手助けをしたいと、加藤さんは願っています。
 

 
住田:  東日本大震災の被災地にも赴かれていますよね。そこではみなさんどういう話をなさっていやっしゃるんですか。
 
加藤:  どうして東日本大震災の被災地に行かせて頂いているかと申しますと、私ども震災が起きて、すぐに義捐金もお届けをさして頂きました。それから被災地へまいりまして、「何が欲しいですか?」「何が必要ですか?」とお尋ねすると、一番足らないのが、何かというと、「お線香が欲しい」とおっしゃるんですよ。「それじゃ」と言って、お線香をお持ちして、薬師寺から三千箱ほどですかね、行く度に、「どうぞ必要なだけお持ちください」と言って差し上げたんです。
 
住田:  それは何ヶ月ぐらいですか?
 
加藤:  それは半年目ぐらいですかね。少し物資もこう行き届いた、そういった時だったと思うんですが、「お線香欲しい」とおっしゃった。「それじゃ、お線香」と言ってお届けをさして頂いたんですよ。だけどその義捐金やお線香や物やという、そういう形あるものも必要ではあるんですが、我々僧侶というか、宗教に携わる者は、物だけではなしに、一番必要なことは何かというと、今被災された方が、やはり前を向いて生きていかないといけない。その現況を察しあげるというか、そういういわゆる人生の案内者であるのが、私たちである、と思うんであります。ですからお釈迦様の教えというのは、そういったことで幸せになるためにどうしたらいいか、ということであるわけなんですが、それじゃ幸せを頂くためには、ただただ言葉ではなしに、みなさま方に、先ほどの話じゃありませんが実践をして頂こう。それで薬師寺は、昭和四十三年以来、御写経ということを致しましたので、みなさま方に御写経して頂いたらどうか、と、被災地で。それで今までに御写経をして頂いた中で感想文を寄せて頂く方がよくあるんですよ。よくおっしゃって頂くのは、「御写経をしたら、御写経は心の洗濯機です。御写経は心の掃除機です」「御写経していたらなんか心につかえていたものが取れてすっきりしました。元気がでました」と、こういう感想を頂く方が時々ございましてね。「それじゃ被災地の方々にも元気を頂くために御写経をして頂いたらどうだろう」と言って、薬師寺の場合、四十年もみなさんに御写経をして頂いておりましたので、とにかく実践いて頂こう、と言って、御写経をお持ちしてですね、みなさん方に御写経をして頂いた。その時に、またいろんなお話をさせて頂いたんであります。ですから心を変えないことには、どうしても、どういうこともできない。そしてどうして私たちがそういったところへ行かせて頂いたかと言いますと、『般若心経』の一番最後は何かというと、「掲諦掲諦波羅掲諦(ぎゃていぎゃていはらぎゃてい)」掲諦掲諦というのは、どういう意味か。これ呪文なんですけれど、『般若心経』の呪文は、「掲諦掲諦」とこう最後出てくるんでありますが、「掲諦掲諦」これを分かり易く言葉を換えていうと、「掲諦掲諦」というのは「行こう行こう」。「波羅掲諦」は「さあ行こう」。「波羅僧掲諦」は「さあみんなで行きましょう」。どこへ行くのか。幸せの世界へ向かって、みんなで手に手を取って一緒に行きましょう、ということなんですよ。ですから物は、分ければどうなるか、と言ったら、ともかく小さくなってしまいますよね。幸せや喜びは分けるとどうなるかというと、大きく広がりますよね。苦しみや悲しみはどうなるかというと、分ければ軽くなりますよ。今この日本という国に命を頂いた私たちが、この東日本大震災でご苦労された方々のご苦労を少しでも共有できたならば―少しでも私たちが行ってお経をあげたから、私たちが行って何をしたから、その方がそんなすぐに救われたり、ということはありませんけれど、でもそういう苦しみを、たとえ一つでも共有させて頂けるということは、これはこの日本という国に命を頂いた、そしてこの今の時期に命を頂いた私たちの唯一できることではないかな、と、そう思いましてね。そんなことはお寺の中でみんなで話を致しまして、それで今手分けをしまして―私だけではありません―薬師寺の僧侶みんな手分けをして、そういう被災地へ行って御写経をして頂き、お話、法話をさして頂き、またいろんなこともできるお手伝いをさして頂いていると、そういうことなんですね。
 
住田:  お寺の復興のお手伝いもなさっていらっしゃるそうですね。
 
加藤:  岩手県の大槌町(おおづちちょう)というところの江岸寺(こうがんじ)さんというお寺なんですけれど、地震の後、津波が押し寄せて来て、それでその津波の波に乗ってきたのが何かというと、火のついた車、そういったものがこう押し寄せて来て、その火によってお寺が三日間焼けたんですって。それで大きな釣鐘があったんですけれど、それも焼けてしまって溶けてしまった。今残骸が少しだけ残っておるんでありますけれど、そういう中で途方に暮れておられた。そしてお堂も無くなってしまって、檀家の方々も勿論おられる。そういうところにお出会いを致しましてね、そういう中で復興していきたいけれど、なかなか元気がでませんよね。元気が出ない中で、何かその復興の糸口ということで、本堂も大切、ご本尊も大切なんですけど、「先ず釣鐘を造ったらどうですか」と言って、私言いかけたんですよ。だけどご住職が、「やっぱり順序があって、釣鐘は一番最後に」こうおっしゃる。「いやいや、そうじゃない。みんなで釣鐘を撞いて―この三月が、仏教でいうと三回忌に当たりますので、「それだったらその前の除夜の鐘をみんなで撞いたらどうですかと。それで除夜の鐘で行く年は、いわゆる追悼の鐘を、来る年は復興の鐘を撞いたらいいじゃないですかと。それも檀家の方々だけでなしに、みなさんに「復興の鐘を、追悼の鐘をお撞きください」と言って、お声掛けをしたら、みなさん方大勢集まってくださるんじゃないか。その鐘の音が、また元気を頂くことができるんじゃないか」と申し上げたんです。それで音というのはやはり心に響く。それもやはり音だけではいけないし、そういう音と、先ほどの『般若心経』「色即是空」じゃありませんけど、形だけではなしに心―心を込めて撞いた鐘の音は、やはり心に響くし、心を込めて称えた『般若心経』は、みんなの心に響いてくるんですよね。ですから音というのは、とっても大切なことかと思いますね。
 
住田:  『般若心経』も声に出して称えなければいけない。お経は声に出すんだ、とおっしゃる。この『般若心経』は、それでは現代に生きる私たちに何を語りかけてきているでしょうかね。
 
加藤:  何度も申しますように、お釈迦様の教えというのは、私たちを幸せにする教えです。私たちの過去というのは何でしょう? お父さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、ご先祖さん。じゃ、未来は何かと言ったら、私たちの子どもや孫や曾孫。未来というのは、子どもや孫や曾孫というのは、私たちの未来なんですよ。その未来を担っていく子どもたちが、如何に幸せになるためにはどうしたらいいか。自分の幸せだけではなしに、子どもや孫や曾孫、まだ命を頂いていないかも知れないけど、そういった人々が幸せになるためには、どうしたらいいか、ということを考えることが大切なことではないかな。今私たちは、自分たちの目先のことばっかり考えている。自分さえ良ければいいということを思ったりすることが大変多い。そういう中で、未来のことも考えたならば、何をすることが一番幸せを頂いたことになるのか。そのことを考えながら、「毎日毎日を精一杯生きること」このことが大切なことではないかな、と思っております。それがお釈迦様の教えであり、『般若心経』の一字一句にはそんなこと書いてありませんけれど、『般若心経』の神髄というか、その教えの中には、そんなことが書かれてあるのかなと思うんですね。
 
住田:  私たちは、ほんとに日々妬み嫉みもあれば、目先の利益を追うという生活で、なかなか『般若心経』の中に書いてあることを私たちは体得できない。そこに辿り着けない。
 
加藤:  でもね、辿り着けなくても、そんなに何でもできる私たち完璧なものではありません。でも「できることを一つひとつすること」このことが大切なんですよ。もし歩いていたらゴミがいっぱい落ちている。そのゴミをこう避けて通るんではなしに、そのゴミをちょっと拾ってゴミ箱まで持っていく。先ほどの観自在菩薩・観世音菩薩―「菩薩」というのはどういう人か、というと、「正しいことに向かって一生懸命努力している人」それを「菩薩」とこう言うんですよ。高田管長さんは、「永遠なるものを求めて、永遠に努力する人を菩薩という」こうおっしゃっておられた。だから一生懸命する人のこと、これを「菩薩」と言うんでありますが、我々は菩薩になることって少ないんです。でもたまにあるんですよ。だから私たち、みなさん方、なんと言うかいうと「瞬間菩薩」。その瞬間菩薩―たまの一回でもいいんです。たまの一回でもいいので、それを実践すること、このことが大切。例えば一枚の紙、破こうと思ったら簡単に破けますよね。だけど三枚五枚十枚となったら、十枚に束になったら、なかなか破けない。瞬間菩薩がずっと積み重なっていったならば、強い力になってくるわけなんですね。その積み重ね―「継続」ということが大切なんです。
 
住田:  私たち、日々『般若心経』を読む時に、そういう心をもっていることですね。今日はどうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十四年十月十四日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである