末法の世を生きる
 
                 作 家   (コ)   史 明(サミヨン)
一九三二年(昭和七年)山口県生まれ。三歳にして母と死別し、石炭仲仕であった父に育てられる。高等小学校中退後、職を転々としつつ政治活動などを行う。一九七一年、初の著作を上梓、評論家となり、一九七五年、『生きることの意味』で日本児童文学者協会賞、産経児童出版文化賞を受賞するが、同年、一人息子の岡真史が十二歳で自殺、その遺稿詩集『ぼくは12歳』を妻の岡百合子との編纂で刊行し、話題となり、一九七九年にNHKでテレビドラマ化もされる。その後、親鸞と『歎異抄』の教えに帰依し、著作のほか、各地で講話活動を行う。二○一○年、自らのメッセージを綴った言葉の本『高史明の言葉ーいのちは自分のものではない』、また集大成として『古事記』の時代から現代まで日本史の闇をひもとく五年がかりの書き下ろし大著『月愛三昧』を上梓。著書に「夜がときの歩みを暗くするとき」「一粒の涙を抱きて 『歎異抄』との出会い」「『歎異抄』との出会い」ほか
                 ききて 金 光  寿 郎
 
ナレーター:  相模湾(さがみわん)を望む神奈川県大磯町(おおいそまち)。太平洋に接した気候温暖なこの地は、かつては政界財界の人々や文人たちの別荘が建ち並んでいた場所でした。この自然豊かな大磯の地に、それまで東京で暮らしていた作家高史明さんが住まいを移したのは、今から十三年ほど前のことでした。高史明さんは、一九三二年(昭和七年)に、在日朝鮮人二世として山口県下関に生まれました。太平洋戦争前後、朝鮮の人々が暮らす集落での極貧生活を経験し、さまざまな職業を点々とした後、作家となった自身の歩みを、自伝的小説に表しています。高さんに大きな転機をもたらしたのは、作家活動が軌道に乗ったおよそ四十年前、十二歳の一人息子真史(まさふみ)さんの自死(じし)という出来事に出会ったことでした。以来記憶に残る『歎異抄(たんにしょう)』の言葉を手掛かりに、親鸞聖人(しんらんしょうにん)(鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。浄土真宗の宗祖とされる:1173-1262)の教えに深く分け入って、仏の世界、いのちの根源の世界を歩んでこられました。
 

金光:  最近のいろんな出来事を見ていますと、地震がありましたり、人間が起こした災害がありましたり、それからいろんな秋葉原(あきはばら)の事件がありましたり、日本だけかと思ったら、グアムの方でも無差別に人を殺して、というような事件もありますし、やっぱり仏教の方でいう末法(まっぽう)の世(仏法の行われる時期を三つに分けた三時のうち、最後の退廃期。釈迦(しゃか)の入滅後、正法(しょうぼう)・像法(ぞうぼう)を経たあとの一万年間。教えが説かれるだけで修行する者もなく、悟りを開く者のいない時期とされる)であるというような気がなんとなく強く感じるようになったんでありますが、こういう世の中をどういうふうに生きればいいのかというようなことで、今日はお話を聞かせて頂ければと思ってお邪魔をしているんでございますが、先生のものを拝見しておりますと、私たちの生き方として、大事な問題として、一つは、人間が言葉を発明したと云いますか、言葉を使うことによって、人間らしくなっているんだけれども、同時にそれがまた人間を見えなくする面もある、というような、これが非常に現代の人の生き方に大きな影を落とす原因にもなっているということ。それからもう一つは、いのちを自分一人の私物として考えている。それは問題ではないかと、そういうようなご指摘があるように思うんでございますが、その辺のところを聞かして頂ければと思うんですが、最初に「言葉の知恵」という、これはどういうふうなお考えでございましょうか。
 
高:  「言葉の知恵」をしっかりと見詰めて、それを良しとする現代ですけれども、仏教は非常に早くから、例えば親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、最晩年の八十八歳の時に「よしあしの文字をもしらぬひとはみな まことのこころなりけるを 善悪の字しりがおはおおそらごとのかたちなり(「正像末和讃」)」(私たちが、あたかも何が善いことで、何が悪いことであるのかを知っているような顔をして生きていることは、大嘘つきのすがたである、という意)と、これが最期の言葉として残されておられますけれども、それは仏教の原点を鎌倉という動乱期に改めて正確に捉え直して示されたお言葉だと思うんですけれども、現代の私たちは、ちょうどその真裏をいくように、善し悪しの文字ですべてを解決しようとする。しかし善し悪しの文字を使うということが、一体生き物全体にとってどういうものなのか。人間にとっては、それを人間の最大の力にして、この地球上もっとも強い生き物にしておりますけれども、その人間が現代に至って考えてみますと、その善し悪しの文字の知恵の焦点で明らかにした原子力という、その一点を見ましても、現代身動きできないような事態が起きつつあるんではないか。これは日本だけの問題ではなくて、近代世界全体が、善し悪しの文字を善しとして、それを数学的な精密さにまで鍛え上げた時に、一時人間世界はバラ色に輝くように見えたんですけれども、今になってみると、それが全部それこそ津波の怒濤のように、人間世界に襲いかかっているんではないか。そういう思いがいま私には切実にありますね。
 
金光:  善と悪の問題を考えますと、卑近な我が身のことで考えますと、やっぱり自分の都合のいいことは、善いと思いますし、自分に都合が悪いと、悪いことという、基本的には自分中心のそういう判断がありますし、学校教育なんかでも、問題はAかBか。Aが間違っていたらBが正しいというか、二つに分けて、善と悪というふうに割り切ってしまっていますけれども、ところが実際に私たちが、生まれて大きくなって歳とっていく。その過程というのは、善も悪も入る余地のない、みんな赤ん坊になって、みんな子どもになって、みんな成人になって、みんな年取って、みんな死んでいくという。そこのところになってくると、善も悪もないところで、人間は生かされているような気がするんですが。
 
高:  そうですね。私にそのしっかりした目線があるわけではありませんけれども、その文字で現代世界が行き着いているところ、例えば生きているものということで、生命ということでみますと、確か量子力学者でしたか、シュレーディンガー(オーストリアの理論物理学者:1887-1961)という人が、生命について非常に深い目線を展開しておりますけれども、善し悪しの文字を数学的な精密さで鍛えて、それを物差しに、生命に当ててみると、人間も時計と変わりないという、彼は結論ですね。ですけど、人間と時計の唯一の違いは、人間は死ぬということを、前もって自分のこととして問題にして、そしてその時計と同じだというところまで論理的に証明できるその人間が、自分の生死(しょうじ)については、結論が出せないという。これはシュレーディンガーの個人的な生命観ですけれども、現代世界の最先端の知性が行き着いた最高の数学的理性でもって、自然は開拓することができるけれども、自分の生死はのっぴきならないところに逐い込められた時、なんとも回答が見え出せない。ここへきているのが、現代ではないかなという思いがありますね。
 
金光:  今のご指摘で非常に面白いと思うのは、自分自身のことを考えてみまして、自分でいろんなことを自分で考えているという考えは見えるんですけれども、それを見ている自分というのは、どこまでいってもそのままですから、遂に自分自身は見えない。そして今の生き死にの問題も、生まれる時も知りませんし、おそらく自分が亡くなったというのを、自分が客観的に知る機会はないんじゃないかという気もするんですが、そこでどう生きればいいのかという問題を違った観点から、そういう生き死にの問題も問い直さないと、そのシュレーディンガーのいうふうな客観的に自分をみるというところだけでやっぱり解決できない問題があるんじゃないかと思いますね。
 
高:  そうですね。私事になって、ちょっと大きな声では言えませんけれども、私たちの一人子は、十二歳と九ヶ月で自分でいのちを絶って死ぬということになったんですけれども、その子が六年生を卒業する頃から、最大の問題にしておりましたのは、「自分で自分が信じられない」ということだったんですね。彼の残していた日記帳のような、詩の手帳のような、その時々の思いを書き散らしたような手帳に、四年生になる頃から、「自分というものへの問い」が芽生えてきているんですね。
 
金光:  小学校四年生で!
 
高:  はい。そして一体「自分とは何か」。その根っ子には、「自分で自分が信じられ ない」と。だから「他のものも何も信じることができない」という形で、自分というものが芽生えると同時に、自分自身へのその目線というものをどこに置いたらいいのか。それを私たちは、亡くなった後に気が付いたんですけど、雑記帳のような詩の手帳に、そういう言葉で書き残していたんですけど、奇しくもその子の残した言葉が、夏目漱石の最晩年の『行人(こうじん)』の主人公の悩みと同じテーマだったんですね。「私は私を信じられない。だから何人も信じることができない」というのが、漱石が最晩年に行き着いた問いだったんですけど、その同じ問いが「自分」というところで、実は死んだ子もそれを問いにしていた。ところが私の方はちょうど逆なんですね。「自分」ということが言えるようになって、「自分とは何者か」と、子どもの方は考え始めたんですけど、私はその子に向かって、「自分と言えるようになったんだ。これからは自分をたよりにして、自分を鍛えていきなさい」ということしか言えなかったんですね。それが亡くなった後のことですけれども、その子の残した言葉を振り返っていくと、かえって「自分を鍛えていきなさい」という言葉で、その子の自分を追い詰めていたんではないか。それがまた現代では時代の問題でもあるんではないか、というような思いが、今非常に強くしております。
 
金光:  それからは随分月日も経っているわけでございますが、その問題について、今だったらどういう方向で、自分ということについてお話になられるでしょうか。
 
高:  そうですね。今の若い人たち―中学生、高校生、小学校高学年からもそうだと思うんですけれども、「自分」と言い始めた時に、「自他の違い」が起きますから、それまでの幼い時の子どもたちの関係とは違って、いずれも自分を基準にした、孤立したり、グループを作ったりという形の人間関係が、子どもの世界でも、それが一般的になっていると思うんですけれども、そこはある意味では、人間の成長過程の非常に大事なステップですけれども、そのステップを正確に大人の世界が子どもに提示しきれないで、大人は大人の自分を中心に生きていますから、子どもにもそういう目線で、子どもを励ましているつもりで「自分中心の世界へと導いていく」というところが、私の我が家での子どもと私たち親との関係での大きな迷路になっていたと思うんですけれども、私はそれが今の時代全体でも、いろんなところで若い人の話を聞いていると、みんな「自分」と言い始めた時から、自分に躓いて、自分とは一体何者であるのか。自分とは自分で信じられないもの、そういう問題が現代の世界に、私は深く浸透していると思いますね。これにどう回答を与えるか。これが大きな課題だと私は思います。
 
金光:  その点につきまして、以前にも伺ったことがあるんですけれども、「現代の人は、〈思いの自分〉と、それから〈本当の自分〉があるのを知らないで、〈思いの自分だけを自分だ〉と思っている。そこに現代人の不幸と差別の根本原因がある」というようにおっしゃるということを伺って、これは本当に名言だと思うんですが、〈本当の自分〉と〈思いの自分〉というのを分けて考えるとしますと、対象化されたのは〈思いの自分〉であるけれども、〈思いの自分〉というのは、これはまだまだ自分であっても〈本当の自分〉ではない。〈本当の自分〉というのを、これどうするのかというのは、これは対象化して言葉にしようがないところがあるでしょうけれども、そこのところが今の問題の基本的な方向を示しているのかなというふうな、なんとなくそういう感じがしているんでございますが。
 
高:  漱石が、文学活動を通じた最晩年に、「私は私が信じられないのです。だから何 人も信じることができないです」と。そういう近代の世界が、人間の拠り所にした私自身の自分というものへの問題提起をしたわけですけれども、その漱石の問題提起を我が子も同じような―言葉は違いますけれども―問題提起をしていたということを考えると、現代世界は、自分中心に回転していますけれども、一体自分とは何者であるのかと。ここの地球には、五億近い生き物の種類があるようですけれども、「自分」と名乗って生きる生き物は人間だけなんですね。近代世界は、それを良しとして、いわゆる世界を開いているわけですけれども、それだけで果たして地球上の全生命に対する責任が果たせるのか、と。今果たせないところにまできているんではないか。そういう思いが非常に強いんですね。その象徴的として、例えば原子を扱うようになった人間が、原子を自分で扱うようになりながら、もてあまして、どうしていいかわからない。そういう極限にまできているような気がしてなりませんですね。
 
金光:  作物を作るのも、一切の人間の知恵は要らないということで、自然農法を最初に始められた福岡正信(ふくおかまさのぶ)(自然農法の創始者:1913-2008)さんが、「人間というのは、人類は地球の幕引きに出てきたのか、という気さえする」ということをおっしゃっていましたけれども、今おっしゃった「人間の知恵が、地球を滅ぼす方向へきているんじゃないか」と。地球にとっても、人間というのはあまりいいことをしていないというようなのが現実だ、ということを、どなたも認められるんじゃないかと思いますが、その点に関連して、先ほどの言葉の点から申しますと、私、以前日本語の言葉というのは、先ず事があって、事から派生したもの。事の一端が言葉になったんだ、と。ですから言葉は、先ず言葉の前に、事がわかっている。そこから言葉が出てきたのならいいけれども、人間が頭の中で勝手に自分で言葉だけを操作して、ということになってくると、これはおかしなことになる。そこのところは気を付けないといかん、というようなことを聞いたことがあるんですが、私たち人間が生きているという生き死にの問題、先ほどお話になりましたけれども、「生きている」ということと同時に、現代では「自分たちが生かされている」という方があまり見えていないんじゃないかという、なんか人間の見る目が、ある一方の方向に偏っているところに、今の歪みがあるのかなという気もしているんですが、その点は如何でございましょうか。
 
高:  そうですね。これもまた私の独断であるかも知れませんが、私は、子どもが早く亡くなったことがあって、その子が姿がなくなるという形で、「言葉とは何か」「生きているとは何か」ということを、考えさせられることになったんですけど、その中で日本では、親鸞聖人との出会いが、私の中では非常に大きな根本的な意味をもつ出会いになっていると、今も思っていますけれども、この聖人の言葉に「生きる」ということについての非常に象徴的なお言葉がありまして、最晩年の八十八歳の最期の、もうほとんど遺言と言っていいかと思いますが、最晩年に生まれた歌ですね―仏教賛歌だと言っていいと思うんですが、その歌が、「よしあしの文字(もんじ)をも知らぬ人はみな、まことの心なりけるを、善悪の字知りがおは、おおそらごとのかたちなり」(私たちが、あたかも何が善いことで、何が悪いことであるのかを知っているような顔をして生きていることは、大嘘つきのすがたである、という意)と、このようにおっしゃっているのが最晩年の言葉ですけれども、そのお言葉に行き着く前に、人間と仏の出会いを説き起こされて、その説き起こされていく過程で、人間と自然との出会いをさらに展開していかれるんですね。非常に象徴的ですけれども、「自然(しぜん)」という言葉を漢字で書き表して、あの時代では「しぜん」とは読まれず、「自然(じねん)」と読まれたんでしょうけども、現代人の「自然(しぜん)」ということを通してでも、同じように考えられると思うんですけど、「自(じ)はおのずからという行者のはからいにあらず」(人間の小賢しい計らいでどうにかなるものではないことを示す)。親鸞聖人のお言葉ですけれども、これが繰り返し繰り返し言われるんですね。「自はおのずからという行者のはからいにあらず」ということを、何度も何度も繰り返して、「然(ねん)というはしからしむということば」(「然(ねん)」はしからしむと読む言葉で、そのようになさしめるということ。阿弥陀仏の本願は「ただ今救う」という本願ですから、私が「堕ちて当然」と思おうが思うまいが関係なく、私を救うようになっているということ、の意)になるというふうに説かれてきまして、最後のそれが仏の智慧を人間の知恵と比べて説かれていく言葉の中の文脈の中で出てくるんですけども、行き着くところは、「阿弥陀仏は自然ようをしらせんりょうなり」(阿弥陀さまは、この私をこの上ないさとりの仏に成らせようと誓われました。「自然」とは自己中心的なまなこ、すなわち「自と他」「生と死」という限定された姿や形などの分別を超えた、仏さまのまことの世界。その真実の世界を、思量・分別の心に縛られ続ける私に知らせんがために阿弥陀仏となられたのです。阿弥陀さまは「自然」の世界を知らせんがために、片時も休むことなく「すべてのいのちは、皆、かげがえなく、等しい」とはたらき続けて下さっている、の意)と、このように言い切っておられるんですね。
 
金光:  阿弥陀仏は自然の、「よう」は姿でしょうか、知らせん「りょうは」?
 
高:  「りょうは」これは要点だと思う。要(かなめ)です。これは凄い。だから現代人からみ ると、自然というのは、人間の対象世界であるわけですね。
 
金光:  何か働きかけて、人間の便利なように細工をしてもいいと、いうような見方でしょうね、現代というのは。
 
高:  それがもう逆転してしまうわけですね。それでそこへ行き着いた経緯をみますと、大事な子が、姿・形がなくなって居なくなりますね。居なくなっても、その子どもをさらに居ないままにたずねていくということが、止(や)められないのが人間の親というものではないかと、今身に沁みて感じるんですけれども、そういう中で行き着いたもう一つの親鸞聖人のお言葉で言いますと、絶対絶命で子どもがもうどこにもいないというふうに思い知らされて、行き着いたところが、「念仏を称えるしか、もう私には道はないか」と、このように思い始めた時に、『歎異抄』の五章で非常にきっぱりと言い切っておられるんですけど、親鸞は、「父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一返(いっぺん)にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」、親の供養ということでは、一遍も念仏を称えたことはありません、と。これはビックリ致しましたね。
 
金光:  大体お経なんかは、供養のために、という考えが一般的ですね。
 
高:  そうです。そういうことでは「一遍も称えたことがない」と、そういうふうに言われる言葉が、随分子どもが亡くなった後、時間が経って、はたと何度も何度も読んでいた『歎異抄』なんですが、気が付いたんですね。
 
金光:  何でそんなことをしたことがないと言われたのかと、これは大問題ですね。
 
高:  それが次のだんだん私自身の問いになった時、何故そうおっしゃるのかと、そういうふうに思いましたら、次の答えが、「一切(いっさい)の有情(うじょう)は、みなもって世々生々(せせしょうじょう)の父母(ぶも)兄弟なり」一切の生きとし生けるものは、みな父・母兄弟に等しい。そういう関係にあると、こうおっしゃるんですね。それがまた最初の言葉がわからなかったと同時に、現代人の一人であった私、先ほどおっしゃいました自分というものに立って、生きていた私にとっては、「一切の生きとし生けるものが、みな親兄弟だ」とおっしゃられるわけですね。
 
金光:  そんなバカなって、とてもじゃないけど、そうは受け取れないのが普通ですね。
 
高:  受け取られませんね。それで、これは何をおっしゃっているのか、というふうに思い始めて尋ねていくと、「いずれもいずれも、この順次生(じゅんじしょう)に佛になりて」とこうおっしゃった。この「順次生(じゅんじしょう)」というのがまたよくわからなくて、結局「死ななければ子どもの本当の意味の供養というのはできないのか」と、こう思いましたけども、それがまあ行き着いた極点だったですけど、そうじゃなくて、自分というところに立っていると、「死ななくちゃは生きないのか」という。その極点までいった時に、「そう思っている自分を根こそぎ問うてみるということが仏道なんだ」というふうに言われていたんですね。「そこへ立たないと、人間は他の生き物、生きとし生けるものと、助け合って生きていくことはできない」ということをおっしゃっておられるので、ビックリ致しました。それから親鸞聖人の教えを一層紐解くようになりましたですね。
 
金光:  「順次生(じゅんじしょう)」なんていう言葉につい引っかかりますと、何だ輪廻転生(りんねてんしょう)かみたいな ことを考えていると、とてもそちらの、今おっしゃったような方向には行けないんですけれども、自分自身のそういう対象化して考える。自分がこうしたらこうなるだろうと思っている、その考え方の根本の見方をもう一度振り返ってみなさいとか、その方向ではございませんよ、ということを、仏様の教えというのは説いていらっしゃる、と、そういう方向になるわけでしょうか。
 
高:  そうですね。これがそれまで読んでいた活字のうえの『歎異抄』ですね。それでいくと、解釈の問題になってきますけれども、子どもが亡くなったということが、問いの根っ子にいつもありまして、この順次生も、要するに輪廻転生のレベルでの順次生ということになると、文字の上の順次生になってきますけど、〈子どもが亡くなっている〉という事実の上で、〈子どもとの共通の世界を求めよう〉とすると、文字がここでは、
 
金光:  まったく役に立っていらっしゃらない。
 
高:  ここに「順次生(じゅんじしょう)」ということの本当の意味があるのかなと、私はだんだんにそ れは随分と長い時間かかりましたけれども、思い至るようにまりましたですね。そこまでいった時に、初めて私自身が拠り所にして、子どもにも小学校高学年から中学生になる時には、「これからは自分を頼りにして、自分を磨いて鍛えて、そして人の迷惑にならないように生きていきなさい」と。
 
金光:  よく聞く言葉ですよ、それは。
 
高:  それをよく言っていたんですけど、そうではなくて、〈もっと他の人、他の生き 物と共通して、同じいのちの場に立って生きていく〉ということを、親としては、これは自分が言わなければいけない言葉だったな、と、初めて気が付きましたですね。
 
金光:  でもその世界になると、今度は人間というのは、他の生き物を食べていかないと生きていけないということがあって、食べるということをまたどう考えるのかとか、やっぱり自分が生きているという、その生きるために行っている行為自体を、反省せざるを得ないところに追い込まれてきますですね。
 
高:  そうですね。その極限は、「慚愧(ざんき)」という言葉で示されていると思うんですね。 「慚愧(ざんき)」という言葉を非常に深く見詰めておられたと思いますね。「念仏を称えるということを、供養のためではない」とおっしゃる。その理由は何かと言えば、「生きとし生けるものはみな親兄弟に等しい」と。ところが「人間は生きとし生けるものを、自分の生命を繋ぐ糧にしてしまっている」。そこのところを死んだ子どもに問い掛けられて、「どこにあなたが立ってそれを見詰めるのか」というふうに問い掛けられてきますと、単なる観念でそれ解決できなくなりましたですね。そこで初めて「順次生」の意味―それに順次生は文字通りの言葉から言えば、「今の人間としての生命を終わって、新しく生まれる次ぎなる仏との生命ですね、そのような世界に立って、初めてもっとも身近なものを助けることができる」と、こういうふうに結論が行き着いてきているんですね。「あ、ここへ仏道の根本があったんだな」というふうに、やがて何年も経って気が付くようになりましたですね。それでさらにその名句を尋ねていきましたら、日本の仏教の最初の時代に、もう既に提起されていた「維摩(ゆいま)の沈黙」があったんですね。あの沈黙の言葉―維摩がなんと論争していて、「生きる根拠はどこにあるか」と尋ねてきた時に、維摩は黙って答えないという問答がありますけれども、「その沈黙というところが、無限の意味をもっていた」というふうに、私は感じて、そこを鎌倉期の人たちは、日常生活の中で、それが生きられるようにしたという思いがあるんですけど、それ私自身も、体験で言いますと、日本海側の深い森の中の村を訪ねますと、お寺と神社がほとんどくっついて村の中の山の中にあるんですね。その人たちの暮らし方を見ると、一鍬一鍬掘り起こして生きていると。それがもう実感として感じられる。同時に周りの自然と一緒に生きている。そういうふうに感じられる場所が、日本の山奥の方の村へ行くと感じられるんですね。だから神社が最初にあったんでしょうけど、後から入ったお寺さんが、ちゃんと神社の周りにお寺を造っているんですね。そして自然と生きている。実はそこのところに土を掘り起こして、種を蒔いて生きていくという生き方の原点みたいなものが、山奥の村にはあるんではないかな、と思いましたですね。
 
金光:  私たち、どうもわかりたい。そういうお話を聞いても、もうちょっと「わかりたい」というような気持ちがあるんですけれども、その「わかる」ということは、「分ける」ということですね。今のお話だと、そんなこと考えないで、自然と一体となって生きていらっしゃるわけですけれども、その話を聞くと、自然と一体になって生きているというは、その人たちはなんて、すぐ分けて、「こうだろうかこうだろうか」と分けて、納得できたら「わかった」というんですけど、わかった時に、そういう生き方ができたかというと、それとはまた逆なんですね。その辺の面白さというか難しさというか、その辺がやっぱり仏さまに対する姿勢と言いますか、受け取り方にしても、やっぱり微妙なところがあるんでございましょうね。
 
高:  そうですね。これは、面白い話を田舎のお婆さんから伺ったことがあるんですけれども、田舎の方の人家疎らなような家では、浄土真宗のお寺のお坊さんのお勤めとして、「月忌(がっき)参り」毎月命日の日に仏壇にお詣りするという。村の家の人たちは、鍵を掛けたことがないんですね。そうすると若いお坊さんが、勝手に誰も居ない家へ上がって、そしてお勤めをして帰る。ところがある時お婆さまに叱られたという。何で叱られたかというと、「お前さんは、お勤め半分省(はぶ)いている」と言われてビックリした、と。どうしてそれがわかったかというと、蝋燭が禿(ち)びっていない。蝋燭を点けてチョコチョコと真似事だけして、省(はぶ)いて帰ったという。それで「仏教が勤まるかと、お婆さまに叱られた」と聞いたんです。それでそれを聞いた時、私はほんとに感動しましたですね。ああ、こういうふうに仏教というのは檀家さんに密着して、若いお坊さんもそういうお婆さんに叱られながら、仏道を学門ではなくて、分けるんじゃなくて、自分の生き方として、お婆さまたちに教えられているんだな、と思いました。
 
金光:  先ほどの「自然(しぜん)」と「自然(じねん)」の話でございますが、現代の人ですと、「自然(しぜん)のま ま」と言いますか、そうしますと、「自分のしたいようにする」というのを「自然のまま」というふうに考える方の方が多いんではないかと思うんですが、その結果自分の煩悩と言いますか、「ああしたい、こうしたい」という思いに引きずられる方向にいく可能性が多いんですけれども、「自然(じねん)」というのは、本来そういうふうに「然らしめるという働き」と、人間がそういうふうに「ありのまま自分のしたいように生きる」との違いというのは、どういうところからでてくるんでしょうか。
 
高:  その出所というところにまで入る前に、今おっしゃった問題についての、私自身が日頃考えて教えられていることを、二つの例で申し上げたいと思うんですけれども、日中戦争の時に、中国大陸に一兵卒(いっぺいそつ)として出掛けていたお爺さん―もう亡くなっておられますが―私の子どもの時、もう相当のお爺さんでしたけど、「中国大陸で塹壕戦になって、向かい側に中国の兵隊が塹壕(ざんごう)にいる。それでちょっとでも顔を出すと、弾がパッと撃ってくる。だから帽子を木の棒の先にかぶせてちょっと出すと、もう弾がパッと飛んでくる。だから塹壕から出られない。向こうも出られないというわけです。それで一月以上雨が降ってもそこにいた、水浸しになって。その話を聞いたことがあるんですね。その極限まできてしまうと、横になることもできないし、そして一日中立って、交代で寝るにしても、そういう極限状態を一月以上続けていくうちに、だんだん両方が顔を出すようになってきた。そういう極限を通して向こうの顔がはっきり見えるようになってくると、向こう側の顔が笑うというんです。そうするとこっちも笑う。そうするとだんだん全身が出てくるようになって、それでお互いに生き延びて、こうして帰って来たんだよ」という話をしてくださる。お爺さんがいらっしゃった。その話でよく思い出すこととして、私は在日朝鮮人ですけども、生活が非常に苦しい時代というのがあったんですね。この非常に苦しいということは、食べていくことができないという時代ですね。そういう時に人々の生き様を目の当たりにしたんですけれども、近所に造船所がありまして、造船所の工場の掃除をしますとゴミが出ますけど、それだとか関門トンネルを掘りますと、トンネルの泥が出てくるんですね。その時に一番苦しかった時に、そのトンネルの泥と一緒に出てくる材木とか釘とか、そういうものを拾い集めて生き延びてきたわけですね、その人たちが。その極限は、造船所のゴミを捨てる場所に行って、貝掘りのような熊手で掘りますと、鉄屑が出てくるわけですね。その鉄屑を拾い集めて生き延びてきたというんですけど、手がね、本物の熊手のように真っ黒になって、爪が半分くらいになくなるぐらい掘っているんですね。人間というのは、そういうふうな極限状態になって生きる時に、有り難いなと、私は思ったんですけども、その極限を生きている人たちが―私は親不幸者で、親の子としての親への務めを全然果たせなかったんですけど―たまに家出をして帰るということがあると、その手の爪の先まで真っ黒になっている長屋のおばさんたちが、自分たちが作った濁酒(どぶろく)を、その年寄りのところへ持って来るんですね。それには本当に感動しましたね。そして受け取る方も、平気で「有り難う」で呑んでいるんですね。私は、非常に苦しい状態を生きてきた人たちには、そういう感性、要するに若い人が年寄りに食べ物を持って来る。年寄りは、わびることなくそれをちゃんと頂く。そういうことが生きてきたということが、あの人たちを生き延ばしてきた原点だと思うんです。それをもっと端的に言いますと、いよいよ食べ物が無くなってきた時に、女の人は全部雑草地に入って雑草で食べられる草を集めてくるんですね。その食べられる草をやっと集めてきたような生活をしていながら、水辺ですから湧き水なんかあるんですけど、砧(きぬた)で洗濯しながら歌を歌いながら、辛うじて雑草を食べて、しかも時には家の父親は、その荒れ地を耕して田圃に仕上げて、お米まで収穫する。つまり一口で言えば、土と生きて、土に生かされている関係があって、人同士が助け合うという、そういう生き様をしていたんじゃないかなと。
 
金光:  それも「自ずから然らしめる」ことですね。
 
高:  ええ。まさに活字の上での「わかる」じゃなくて、「分ける」ではなくて、一緒 なんですね、土と。あれが強かったんだと、私は思いましたですね。
 
金光:  そのお話と同時に、私は、「分かる、分からない」で言いますと、分からないこ とがいっぱいあるわけですね。それで仏様のことにしたって、どこまで分かるかというと、分からないことがいっぱいあるんですけれども、人間には分からなくても生きていける。だからそれわかることをやめるということじゃないです。わかるようになりたい、わかりたいのが本能ですから、それはそれなりにしておいて、分からないということがあっても、そこでわからないからダメだと、自分でこれだけしかわからないからお終いだ、というふうに考える必要はないんじゃないかという気が、この頃しているんでございますけども、「分かる、分からない」という人間の言葉の知恵というのは、どういう位置付けで考えていらっしゃるんでしょうか。
 
高:  そうですね。先ほどからのお話の続きで、お話の流れの中で、今頭に浮かぶことですけれども、その食べられない時に、雑草を収集して来て、年寄りに食べ物を作って持って来る。その子どもの時の記憶が、私の中では忘れた時も、鮮明に刻まれていたんだと思うんですね。何十年か経って、そこの家を探して行ったんですね。小さなお家ですけど、そのお部屋に入りましたら、その時のお婆さんの写真があったんです。思わずその前に座り込んでしまいましたですね。だから「分かる」ということは、分かった瞬間に、そのお婆さんから受けた子どもの時の思いがドッと身体の中に湧いてくると、手が合って、正座してしまうということが、やっぱり「分かる」ということの原点には、なくてはならない。その時には、その部屋に入ったら、いきなり写真がパッと出てきましたからビックリしたんですね。そして思わず座り込んで手を合わせたんですけど。だから「分かる」ということが、人間に避けられない。そして「わかる」ことを通して生きるんだとすると、まず手が合うという動作が同時にあって、初めてわかるということのもっている、暗がりが明かりに点火していくんじゃないかなと、私はその時、改めて若い時の―十歳頃ですから、半世紀以上も、六十年も経っている時、急に出てきたお婆さんに思わず両手が合って、正座してしまいましたけど、その「わかる」というところの原点には、そういう「手が合っていく」という、そういうことが人間には本能的にあるような気が致しますですね。
 
金光:  そういう世界が感じられると、それは自分が居て、他人が居て、それで他人は自分に何をしてくれたとか、そういう次元ではないところへ、そういう枠が取り払われた世界ですね。
 
高:  そうですね。私はそうだと思います。そういう人たちのお陰で、私自身は家出を繰り返していましたけれども、だんだんに成長してきたんですけれども、一番どん底に生きている人たちが、ある意味では一番悲惨ですけれども、一番どん底までくると地面なんですね。何にもないんですね。地面に裸足で立ってみたら、初めて生きている原点というのが、人間には開けてくるんではないかな、そういう思いが致しますですね。
 
金光:  大地との繋がりは、昔は裸足で、足の裏で直に感じていた。その世界というのは、それこそ「わかる、わからん」の世界ではなくて、土と地続きの、それこそ分け目のない世界ですよね。
 
高:  そうですね。生きている原点ですね。だけど現代人は、靴下履いて、靴履いて、という。そしてほとんどアスファルトで地面のままがないところを都会人は生きていますけど、そうでなくて、やはり人間は、自我が誕生して、自我を確認していく時、改めて土を裸足で噛みしめていくと。これが非常に大事だと思ったのは、東北の方のある中学校へ行きました時に、校長先生が、田圃の中の一軒家のような中学校ですけれども、「こういう中学校に来る子であっても、現代人は田圃の土を足の裏で知らない」と、そうおっしゃられたのを未だに記憶していますけれども、現代の豊かさというのが、ある意味では根源的に貧しさと通底(つうてい)(ある事柄や思想などが その基本的なところで他と共通性を有すること)してしまっているなという。田圃の土を知らない人間の足は、やはりひ弱になっていると思います。
 
金光:  ということは、田圃の土の問題だけではなくて、私たち人間を取り巻く自然との繋がりが、頭の中の観念を通してしか知らないという。自分の頭の中の、あるイメージの枠の中に入れてしまおうと。それでわかったと思ってしまう。そこのところに気付かない危うさみたいなものが、現代人のものの見方の中にはあるのかなと。やっぱりいのちの私物化みたいなのは、その辺のところから出てくるのかなという気がしますが。
 
高:  そうだと思いますね。現代人の生き方、幼稚園の頃から土から離れていく。なるべく遠くへ遠くへと離れていくことが、成長のように思っている現代人が大勢いて、人間が大きくなるということが、地球の土から離れていくことに通底していく。それが近代文明全体の基本的な流れになっていって、今転換期にきているんではないかと思いますね。
 
金光:  観念の肥大化みたいなのが、地球にまた働きかけて、その自然自体をこう変えてしまうと、本来のそれこそ自ずから然らしめる方向とは、違った方向へいく可能性がありますですね。
 
高:  ほんとにそうだと思います。最近の映像で見ておりましたら、北極圏の氷がどんどん小さくなって、これは重大な問題だと私は思いますね。北極は遠いところのようですけども、あの広大な氷が小さくなっていくということは、足下の土が見えなくなって、感じられなくなっているという、人間の現代の暮らし方と同じだと思えば、何か寒気がしてきますですね。だから私たちは、さんざん裸足で走ってきましたけど、もっとそういう環境を子どもたちに提示していきたい。子どもを見ておりますと、昔の子ども、今の子どもと違いはありますけど、近所に小学校がありまして、すれ違ったりする時の子どもたちの顔、声というのは、非常に生き生きとして変わらないですね。そういう声をほんとに大地に響かせていけるような方向性を大人が持てば、というところから願いますね。
 
金光:  そういうお話を伺いながら、今日のテーマは「末法の世をどう生きるか」ということでお話をお伺いしたいと思ってお邪魔していると申し上げましたけれども末法であろうと、像法(ぞうぼう)であろうと、正法(しょうぼう)であろうと、個々の人間の生きる生き方というのは、正しく自ずから然らしめる方向に生きていけば、そういう行き詰まりみたいなところとは違った方向にいけるんではないかという気もするわけですけれども、その辺はどういうふうに考えればよろしいでしょうか。
 
高:  そうですね。例えば、私は、親鸞聖人の教えを学んでいますけれども、この親鸞の最期ですね、要するにお嬢さんが傍へ就いておられて、「往生したように見えない」ということを、お母さんの方に手紙で報せられているという、そういう話がありましたけれども、何か奇瑞(きずい)が現れてくるというふうな形じゃなくて、自然に生きて、自然にそのいのちをある時には、また自然に息途絶えていくんだと、私は思いますね。現代の時代で、私自身の思いであるかも知れませんが、人が亡くなったら、なるべく早く見えないようにしていく。一刻も早くと言ってもいいぐらい。そうでなくて、人が亡くなって、特に身近な人の場合は、その頭の天辺から足の先まで、綺麗に縁者が見詰めて、それを私の言葉で言えば、「頂いていく」と。その時に、亡くなられれば、当然声はありませんけれども、その頭の天辺から足の先まで頂いていくという気持ちで、綺麗に亡くなった人の姿を、私たちが手を合わせて頂いていくと、声にならない声が聞こえてくると思うんですね。これが、私は、現代人が生きるうえで、非常に大事なことのように思うんです。現代はなるべく早く、亡くなったらすぐ、もう一刻も早く納棺してという作業にいって、昔はまだ形だけでも、儀式が残っていましたけれども、この頃は儀式すらだんだんなくなっていく。そうしましたら、人間が生きるということは、「生きる」という一字ではなくて、「生死」という「生きる・死ぬ」という二つの字で、人間の生を見ている思いがあると思うんですが、生きるということは、同時に死ぬということを含んであって、「死ぬということをほんとに大事にした時に、生きるということに光りが私は当たってくる」と思うんですね。そこのところが、現代人は生きている時は、呼吸しているまでで、呼吸が止まったらもう死んで物になった、と。死んで物になったという。要するに現代文明の、いわゆる科学的な合理主義ですね、その合理主義が生み出している現代世界のさまざまなマイナス点を考えますと、一遍その合理主義が、仏に手を合わせて、どっかで「仏の方から見つめ直す」という世界が開かれてほしいと思いますね。
 
金光:  そこが本当のいのちのまるごとの世界である、と。全宇宙を含みてのいのちの世界であるというふうに伺いました。どうも有り難うございました。
 
     これは、平成二十五年四月七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである