サボテンに学んだ“いのち”と仏道
 
                 中山寺長老 村 主(すぐり)  康 瑞(こうずい)
一九五○年(昭和二五年)、兵庫県生まれ。早稲田大学を卒業後、大阪大学大学院山口恵照研究室に在籍。昭和六二年、中山寺塔頭・総持院住職に就任し、派内で法務・財務・総務部長を歴任後、平成一○年に中山寺長老に就いた。二二年から種智院大学長を務め、二四年からは綜藝種智院理事長も兼任している。著書に「法語「不二」を観る」「アンデスのサボテン」「サボテン―故郷と栽培―」
                 き き て  住 田  功 一
 
ナレーター:  兵庫県宝塚市にある中山寺(なかやまでら)。この寺の長老を務めているのが、村主康瑞さんです。
 
村主:  生きている限り、動ける限り、誰かのなんかの役に立っているんです。例えば寝込んじゃうじゃないですか。「あ、儂はみんなに迷惑かけているな」と、これっぽっちも思ったらあかんのですよ。介護している方が亡くなったら、寂しかったでしょう。絶対寂しい筈です。みなさんは決して用がなんかないということ、絶対ございません。誰かの役に立っておるわけです。
 

 
ナレーター:  実は村主さんには、僧侶とは違うもう一つの顔があります。それはサボテンの専門家です。塔中(たっちゅう)である自宅の温室には、世界各地のサボテンが並び、その数は三百株にものぼります。村主さんとサボテンとの付き合いは、半世紀を超えています。
 

 
住田:  何年ぐらい育てるとこんなに大きくなるんですか。
 
村主:  これは、実は私が小学校一年だったと思いますね。
 
住田:  かれこれ五十数年ですか?
 
村主:  そうですね。五十五年ぐらい経っていますね。ですからちょうどおそらく僕と同じ歳か、ちょっと向こうの方がお兄ちゃんかな、そんな感じしますね。
 
住田:  サボテンって、他の植物とやっぱり違う魅力がありますか?
 
村主:  ありますね。よく言われるんですけども、「ものを言いそう」で、なんというか、非常に「動物的な植物だ」と、僕は感じていますね。
 
住田:  「動物的」というのは?
 
村主:  別に喋ったり、動いたりするわけじゃないんですよ。何かしら存在感があって、ものをあたかも言っているような、例えば、「おい、水が足らんぞ」とか、「ちょっとお腹減ったぞ」とか、そういう声が聞こえてくるような雰囲気をもっているわけです。
 
住田:  もの言わぬ、しかも非常に厳しい土地に育つと、私たちは思っていましたけれども、サボテンが何か訴えかけてくるものがあると。
 
村主:  実はある。これはまたお話しますけれども、実はそれは自分が問い掛けていることなんですね。
 
住田:  じゃ、その辺りちょっと場所を移してじっくりお話を伺いたいと思います。よろしくお願い致します。
 
ナレーター:  村主さんが、長老を務める中山寺は、およそ千四百年前、聖徳太子(574-622)によって、開かれたと伝えられています。西国三十三所の第二十四番札所としても知られ、各地から参拝者が訪れます。
 

 
住田:  若い頃にはサボテンを訪ねてメキシコに行かれて、今も行っていらっしゃるそうですけれども、そのメキシコに最初に行かれた時に、何かサボテンの発見というのはありましたか。
 
村主:  やっぱり感動しましたね。生きているのに感動しました。この条件の中でいのちを繋いでおるということに、非常に感動を覚えましたし、巧みに限られた自然というんですかね、地域の中で、懸命に生きているというところに、大きな感動を得ることができましたね。
 
住田:  実際にメキシコに生えているサボテンと、そして日本にもってこられて、こちらで育てられているサボテンというのは、何か違うものがあるんですか、それとも共通しているものあるんですか、どうなんでしょうね?
 
村主:  残念ながら、日本で現在育てられているサボテンは、全部種子によって育てられて、いわば温室育ちなんですね。それでどっちかというと、ワイルド(wild:野生の、野育ちの)ではなくって、メタボ(メタボリックシンドローム(metabolic syndrome)の略で、内蔵脂肪型肥満 によって、さまざまな病気(肥満症・高血圧・糖尿病・高脂血症といった生活習慣病)が引き起こされやすくなった状態のことをいう)ちゃんなんですね。ですから水をどんどん小さい時からやって、そして大きく肥培(ひばい)していきますから、そのワイルドさというのには非常に乏しいんですね。今現在日本で作っているサボテンを、メキシコなり、南米へ持って行って植えたらどうなるかというと、おそらく死ぬんじゃないかと思う。
 
住田:  豊かさにもう慣れているサボテンということなんですか。
 
村主:  なんかちょっと我々頭が痛いというか、耳が痛い話なんですけどね。野生のサボテンは、大体種が落ちて、自分たちが大きくなるまで、おそらく日本で人工栽培した場合の一・五倍から二倍ぐらいは、大きくなるまでかかるんじゃないかなというふうに思っていますね。
 
住田:  じゃ、同じサボテンでも、やはり厳しい中でなんとか生きようと思っているサボテンと、豊かな中で育ったサボテンでは、ちょっと同じサボテンでも歩みが違う。
 
村主:  歩みが違いますね。でも持っている気質というのは一緒ですね。先ほど申しましたように、非常に動物的で、「サボテンを介して自分を見つめる」こともできるし、「サボテンに、ものを言わす」こともできるという感じ。でもおそらく僕は思うんですけども、ものを育てておられる方、それからまた農家の方は、同じような経験をおそらくいろんなところでなさっていると思いますね。種を蒔いて、そして収穫までもっていく間にいろいろな世話をする。そういうような中で、植物たちが生きていく、また育っていくという過程を見るなかで、我々と同じようないろんな人生観なり、そういった感情なり、そういったものを垣間見ることは、おそらく私は多いと思いますね。そしてこのいのちをもっておるもの、それにはすべて仏性(ぶっせい)―「ぶっしょう」とも言いますね―仏になる性質をもっておると、そういうふうに感ずることが、私はできるんです。「サボテンと話をする」というふうに申し上げましたが、サボテンと語り合うこと、即ち「自分の胸の中におられる仏と話をすること。サボテンを介して、仏となる性質を探り当てようとしている」ことだと、私は感じています。私は、このサボテンに関して、それを感じるわけなんですが、いのちというものは、すべてのものに宿っておるわけで、そしてそのいのちといのちが、もし手を取り合うことができたら、ましてや人間同士がお互いの心の中で手を取り合うことができたら、もっと強いいのちを、次の世代に手渡すことができるんじゃないかと、そういう可能性を、私は信じております。
 

ナレーター:  小学一年生の時に、夜店で買った一鉢が、村主さんとサボテンとの付き合いの始まりでした。そのサボテンが花を咲かせると、村主さんは栽培にのめり込んでいきました。サボテンへの熱は冷めることがなく、自然の中で生きるサボテンの姿をこの目で見たいと、メキシコ初め、サボテンが自生している中南米へ、何度も足を運ぶようになります。ついには、撮り溜めた写真をもとに、サボテンの専門書まで出しました。そんな村主さんには、サボテンによって不思議な縁が結ばれた体験があります。
 

 
村主:  池田の付嘱小学校(大阪教育大付嘱小学校)で痛ましい事件がございましたね。それに関してなんですけども、私が、ある時サボテン屋さんにお邪魔して話をしていた時に、一組のご夫婦が来られましてね、手にこんな柱サボテンを持っておられた。小さいこれぐらいのサボテンです。それがクニャッと萎れている。それを持って来られまして、それで「すいませんが、このサボテン元気になりませんでしょうか」と、そういうふうにおっしゃる。
 
住田:  お店の方に聞いていらっしゃるわけですね。
 
村主:  そうです。その後、お店の方が、「あ、この人に聞けばいいですよ。この人はサボテン五十年以上やっている方で、何でもわかってくれはりますよ」ということで、見せて頂いた。それで、「このサボテン、どうなさったんですか?」と聞いたら、「実は、このサボテンは、私の娘が種を蒔いて、やっとここまできたんですが、先日の事件に巻き込まれて亡くなってしまった」。そうしたらその後、世話をしなくなったということもあるでしょうが、このように萎れてもう枯れる寸前、ほんとに枯れる寸前までいっていたんですね。「これを何とか生かしてやりたい」こういうふうにおっしゃる。しかし困ったなと思いましてね。「とにかく預かりましょう」ということで、持って帰りました。そして僕は最悪の場合は、接ぎ木という方法がある。サボテンは、他の元気なサボテンに接ぎ直してそれを助けるということを、僕はよくやるんですけども、その事件があったので切ったりとか、そういうことは避けたいと思ったんですね。それでどうしようと思って、根を調べてみたら、根がしっかり生きていたので、ひょっとしたらこのままいくかも知れないと思って、土を変えて、何をしたかというと、毎日、「お前、生きろよ。絶対生きろよ。これはお父さんお母さんが、願いを込めて、お前に言っているんやから、お前はあの子の代わりに、お父さんお母さんの希望とならんとあかんで」と言うて、毎日言ったんですよ。そうしたら、元気になりました。途中までグゥッと立ち上がってきて、それは僕、ビックリしたんです。ひょっとしたら効いてくれたかな、というふうにも思いました。そして今でも毎年年賀状で、「こんなに大きくなりました」と言って―二メートルぐらいになったね。
 
住田:  そこまで大きくなったんですか。
 
村主:  そうです。「喜んでいます」という、年賀状を頂きますわ。これはちょっとした譬え話なんですけどね。そういうことが通じやすい植物なんではないかと、僕は勝手に思っている。それで例えば、ちゃんと面倒みなくなると、途端に機嫌が悪くなるんですね。拗(す)ねるというんですか、「見てくれへんのですか」というのが、そういうことが多いですね。
 
住田:  つまりそれだけ手間がかかる。でも手間を掛けたらちゃんと応えてくれるという、そういうことですか。
 
村主:  そうなんです。でも「手間を掛ける」と言っても、こまめに何かやったり、何をやったりということはあんまり要らない植物です。それで昔はよく「怠け者には、サボテンピッタリや」とこういうふうに、もう別に何にも手をかけんでも勝手に大きくなるというような言い方をされていたんですけど、つまりそれは他の、いわゆるランであるとか、他の植物みたいに、直接的にいろんな手をかけるというよりは、サボテンと向き合う。向き合ってやる。そのことの方が、かえって何かサボテンが応えるというような、そういう気がしますね。
 

 
ナレーター:  毎月何度か訪れる戌(いぬ)の日。中山寺は、出産を控えた夫婦や家族連れで賑わいます。戌(いぬ)の日には、安産を願う祈祷が執り行われるのです。本堂には、祈祷を受ける腹帯が堆(うずたか)く積まれます。
 

 
住田:  お寺と言いますと、非常に静かに、場合によっては御先祖様や亡くなった人に掌を合わせるという場所だと。そういう機会にお寺さんと接することが多い。そういう方が多いと思うんですけれども、こちらの境内を歩いていますと、お腹に新しいいのちが宿ったお母さん、あるいは生まれてお礼参りに来た赤ちゃん、非常に新しいいのちの息吹と言いますかね、それを感じる境内ですね。
 
村主:  そうですね。この中山寺は、勿論亡くなった方のお詣りはするんですけども、新しいいのちも迎える、そういうことを昔からやっておるんです。実は新しいいのちを迎えるということは、いのちが前からずっと続いてきて、そして現実の姿としてこの世にお迎えする。お迎えして、それがずっと大きくなって歳をとって、またこの世から姿を消していく。消していって、その後もまだいのちというのは、ずっと続いているということを実感できる場所でもあるわけです。例えば今妊婦さんたちは、お腹の赤ちゃんを保護すると共に安心を得るために腹帯というのを巻きますわね。その腹帯を返すんですね。
 
住田:  腹帯を境内で一旦授かって、そしてお産が済んで、今度返しにお見えになる。
 
村主:  返しに来られるんですね。それで昔は布ですね―帯は非常に高価なものだったんですね。その高価なものですので、ちゃんと洗濯して綺麗に洗って、また新しい状態にして返すんです。そしてそれを次の人がまた使うんですよ。
 
住田:  同じものを?
 
村主:  同じものを。
 
住田:  じゃ、赤ちゃん生まれて、目出度いこの腹帯をまた次の人が使う。
 
村主:  はい。使う。そしてまた無事出産しますと、「私はこういう子を産みましたよ」ということを書きましてね。
 
住田:  どんなふうに?
 
村主:  例えば「辰年の男を生みました」。はい、次ぎ、あなた、これで頑張ってね、というふうにして、次の妊婦の方にバトンタッチをしたんです。いのちのバトンタッチなんです。今は衛生上とか、そういういろんな問題がありますので、全部新しい腹帯をするんです。本来はそういうものなんです。ですから、うちの帯に「辰年、男」とか書いてあるのは、実はその子が生まれるよ、というんで来たんじゃなくて、「私は辰年の男の子を産んだから、次ぎ、あなたも頑張るのよ」というて渡す。そういう習慣が生きているんです。ですから、妊婦さんから妊婦さんへのメッセージみたいなものです。
 
住田:  襷(たすき)リレーなものですね。
 
村主:  そうなんです。
 
住田:  昔はお産というのは、ある意味命がけのところもあったでしょうから。
 
村主:  で、そのお陰で、それをその子が大きくなった時に、母親なり父親なりに、もし「お前は生まれる前にこの中山寺に来たんだ。そしてお父さんお母さんと一緒にお詣りして、これを貰って、それで生まれたんよ」ということをどっかに聞いておれば、その子はまたお詣りに来るんですよ。それが二十歳の時かもわからない。七十になってからかも知れない。
 
住田:  自分がお婆ちゃんになって、娘を連れて来るかもわからない。
 
村主:  かも知れない。でもその時には何があるかというと、自分の親たちが、かつてここへ来たんだという、この境内におれば、かつての自分の父親や母親と同じ景色や同じ情景や同じ空気を感じることがこの場でできる。それで、うちのお寺は二十四時間オープンなんです。
 
住田:  山門をずっと開けていらっしゃるんですね。
 
村主:  そうです。コンビニみたいですけどね。二十四時間オープン。ですから夜中一時とか、十二時ぐらいにね、若い男の子や女の子が、境内へ行くとお詣りにいくんです。良いことだなと、そういうふうに思っているんですね。それは何故二十四時間オープンなんかというと、例えば人間不安になったり、「わぁ、どうしよう」とか、明日のことを思って辛くなったり、居ても立ってもいられない時ってあるじゃないですか。その時に、「あ、あそこへ行って、ちょっと拝んでこう。仏さんに会いに行こう」と、こういうふうに思った時に、これほんとにコンビニみたいな、そういう要素が僕はあると思います。
 
住田:  人生の大切なポイントで、この仏の道と接している場所ということも言えるかも知れませんね。
 
村主:  そうなんですね。ですから人が、宗教とか、そういうものに目覚めるというんですかね、出会う時というのは、生と死なんですよ。およそこの世界の宗教の中で、生死観を持たない宗教はないわけですね。それから思いますと、やはり人が亡くなる時というのは重要な場面ですね。それと同じように生まれる時も非常に重要な場面である。この世に出てくる。繋いできたいのちが、この現実の世の中に出て来られる。その時の瞬間というのは、やはり神秘さもあるだろうし、それから感動もあるだろうし、繋いできたいのちというものが、現実に自分の目の前、また自分の腕の中に抱いて実感をするわけなんです。この世の中にしっかり出てお出でよ、と。そしてまた人と関わり合って、いのちを繋いでね、ということを告げられる喜びというのはありますね。それで勿論送る時も、あなたは亡くなるかも知れないけど、あなたの思いや、あなたの面影や、あなたのやってきたこと、またあなたのいのちというのは、絶対どっかへ伝わっていますよ。だから心配しないでいいよ、ということを申し上げたいと思っているんですけどね。
 
住田:  その時に仏の道を思いだし、そして思いを寄せて、そして次ぎに繋いでいく大事なポイント、場面ですね。
 
村主:  ですから非常に私どもも有り難いと、そういう思っていますね。人のいのちが生まれる前から、ずっとこのお寺を舞台にして、ずっと流れていくという様を一緒に過ごせるわけですからね、その時を。非常に有り難い、そういうふうに思っていますね。
 
 
ナレーター:  村主さんは、空海が設けた「綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)」(天長五年(829年)、空海が庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、藤原三守から譲り受けた京都の左京九条の邸宅に設置した私立学校といわれている)を起源とする種智院大学の学長を務めています。学生たちには、どのようなメッセージを伝えているのでしょうか。
 

 
村主:  僕は、大体教育畑というんですかね、中高の先生を十六年ほどやりました。そこで生徒と接して自分も勉強さしてもらうというようなことが大好きなんで、それで縁がありまして、種智院大学―これは宗祖弘法大師さんが創られた大学で、非常に小さな大学なんです。で、うちの大学は、ちょっと面白くって、それは何かと言ったら、「仏の慈悲」ということなんです。「仏の慈悲」ということは、究極言いますと、「あなたの慈悲を目覚めることができますように」ということなんです。「慈悲」と言ったら―「慈愛」の「慈」に「悲しい」と書きますわね。あれはどういうことなのかと言いますと、「あなたと一緒に悲しんで、あなたと一緒に喜びましょう」ということなんです。つまり「あなたと私と一緒、同一にしましょう」そういうことなんです。ですからなんかわからなくて困っていたら一緒に考えよう。病気になって苦しい、一緒にやりましょう。なんか面白いか、じゃ一緒に楽しみましょう、ということなんです。実は慈悲の一番の根本なんです。先ずそれを根本的に浸透させていく、そういうことをやっているんです。
 

 
ナレーター:  村主さんは、半世紀あまりにわたって世話をしているサボテンに、人が育っていく姿を見ています。
 

 
住田:  サボテンの可愛らしいのがありました。これちょっと大きめですね。これかなり小さな球ですけども、そしてこちらは?
 
村主:  これが確か去年咲いた種からできたものなんですね。同じ種類です。
 
住田:  同じなんですか?
 
村主:  同じ種類なんです。
 
住田:  サボテンは種から芽生えてくるんですか。
 
村主:  そうです。これはこういう花が咲きましたら、交配して、種を採って、こうやって蒔くわけなんですね。それでこれが大体二年から三年ですね。
 
住田:  やっとこれですか。
 
村主:  これです。
 
住田:  直径三センチぐらいですね。
 
村主:  そしてこちらが大体四年ぐらいですかね。四年から五年というとこですね。これでやっと花が咲く。
 
住田:  ちょっと花芽ですか、これ出てきているのはね。
 
村主:  はい。
 
住田:  何年ぐらいでちゃんと花が咲くんですか?
 
村主:  この種類は大体早い方で、五年ぐらいで花が咲くんですけど、僕の経験では、大体平均は、七年ぐらいはかかってしまいますね。それでこうやって、人間で言えば生まれたてですわ。まだ幼稚園も行かない。非常に敏感な頃ですね。これが小学生ぐらいですかね。でもこの中でもいろいろなサボテンが、変化があるのをおわかりになりますか?
 
住田:  そうですね。先ず同じ時期に種を蒔いたのに、大きさが先ず違いますし、あと色合いもちょっとずつ違いますね。
 
村主:  違うでしょう。
 
住田:  浅い緑と深い緑とね。
 
村主:  それがこうなりますとね、どうでしょう?
 
住田:  大体見た目も揃ってきますが、しかしそれでも花が咲きそうなものと、まだちょっと堅くてちっちゃいものとがありますね。
 
村主:  それでどうです。住田さん、この中でどれが一番いいと思われますか? 勝れていると思われますか?
 
住田:  勝れているというのは、花を咲かせることが勝れていると言っていいのか。ただまあ後でもっと立派な花が咲かせるのがいるかも知れませんね。どれなんでしょう?
 
村主:  でしょう? わからないですね。
 
住田:  わからないですね、この段階では。
 
村主:  わからないですね。私は、子どももそうだと思うんですよ。例えば、これが小学生、これが中学生、それから高校生と思いますと、ここで「お前はいい」とか、「お前は勉強がよくできる」とか、「お前は善い子だ」とか、「お前は悪い子だ」って、なかなか言えないですね。
 
住田:  大きなものになるまでには、いろんな道程があるでしょうからね。
 
村主:  それで私は、いつも思っているのは、金子みすヾ(大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人:1903-1930)さんではないですけど、「みんな違ってみんないい」なんです。つまり「お前も良い、お前も良い、お前は小さいけど、なかなか良い顔している」とか、それを見てやれる目、耳、それからそのことを告げてやれる言葉、そういうものが大切になってくる。特に学校の先生はそうなんです。例えば一クラス、三十人、四十人いて、いろんな生徒がいるわけです。それでそれの中で、みんな一つひとつに、「お前、もっと頑張れよ」「お前、今こんなちっさいけれども、将来もっと大きくなるかも知れない」「お前は大きいけども、あんまり他の奴を虐めるなよ」そういうことを、おそらく今の小学校なんかの先生だったら、やっておられるだろうと、僕は思う。中学生でもやっておられる。でもひょっとして、この中には、「俺のことは、一向(いっこう)誰も振り返ってくれへん」と思っている子がおったら、これ可哀相ですね。その一つの大きい要因になるのは、例えば学校の成績だろう。偏差値―平均値でも違う偏差値という、わけのわからんものを網に掛けてしまって、これおそらく偏差値で言ったら、僕の目から見たら高いです。
 
住田:  ここにいるのはね。
 
村主:  高いです。高いですけども、例えばこんなちょっと怪我をして、成長点がなんかぐちゃぐちゃとなった奴、これは偏差値低いのですかね―ということになる。そんなら此奴の一生はもうダメなのか、と言ったら、僕はそうは思わない。ですから、今この中にもっている可能性を、将来もっと高めることができる。次ぎに繋ぐことができるためには、この全体を見ている人間たちの責任というのは、もの凄く大きい、と、私はそう感じています。ですから大学でもそのようにやっています。
 
住田:  おそらくいろんな学生さんがいらっしゃると思いますね。
 
村主:  そうなんです。お坊さんになりたい。良いお坊さんになりたいと思っている子。いや、家がお寺で継がなければならないと思っている子。それから他の大学を落ちたからここへ来たんだ。僕の成績ではここしか来れないから来たんだ。そう思う子に、「いやぁ、実はそうじゃないんだ。お前がここに来たのは、それなりの理由があるんだ。ここで今までとは違う自分を見付けるチャンスである」。ですから、この中で言えば、曼荼羅(マンダラ)ということができるんです。人生の中でも曼荼羅がある。その中にいろんな仏さんが居ている。それでいろんな仏さんは、いろんな修行をしている。その修行していることによって、我々と関わり合う。その関わり合った我々も、また仏さんと一緒に高いところへ上っていける。悟りに近づける。そういうことがすべてのものにこうやって通じていくわけですね。ですからあながちこのサボテンだけに、私は拘らないとは思うんです。おそらくものをこうやって作っておられる方は、同じようなことを感じておられるだろうと、そういうふうに思います。
 
住田:  しかし一つひとつは、もしかするといろんな思いをもっていて、私は何故隣のように大きくならないんだろう。隣のもののように花が今咲かないんだろう。芽も出ない、と悩んで焦っている。それは人生よくいろんな場面でありますわね。人と比較してしまう。
 
村主:  人間は辛いことがありますと、すぐ人と比較して自分はどうなんだ。世の中の平均というのがあって、それと比べて自分はどうなんだ、と思っちゃうんですね。これが一番辛いことですね。ひょっとしたら、自分は人から劣っているんじゃないだろうか。でもその時に、「違うよ。お前はお前でいいんだよ。それで十分だ」と言ってやれる人がいなければダメじゃないか、と。電車に座った隣の人が、「大丈夫ですか?」と、こう言ってくれたら嬉しいと思わないと、またいけない。鬱陶しいな、と思ったら、僕はダメだ、と思う。よく電車の席を替わるタイミングは難しいというじゃないですか。僕は、法話の時なんかによく言うんですが、お年寄りの方に、「席替わられたらショックでしょう。実は私も一遍替わられて、そんなに爺さんに見えるかな」と思ったことがあるんです。でもその時はその替わってくれようとした人の気持ちに応えてあげなくてはならない。「どうぞお座り下さい」「すいませんなぁ。もうちょうど座りたかったんですわ」と言って座れる素直な人に先ずならないかん。「大丈夫です。もうすぐ降りますから、大丈夫」と言うと、そうすると、その人の顔もなくなるんですね。だからその人をちゃんと立ててあげる。実はその人が、その時には仏になっているんですね。相手の慈悲心に応えられるということは、実は共に喜び、共に悲しめる仏になられているわけなんです。ですから、みなさん、ひょっとして仏になるチャンスをなくしているかも知れませんね。「どうぞお座りください」と言われて、「いや、次で降りますから大丈夫です」と言った時は、惜しいなと思わないといけない。「すいません。有難うございます」と言って座ったら、お互いが仏にその時一緒になられるわけです。またすぐもとの人間には戻るんですけどね。戻るんですけども、その時に自分の中にいている仏さんが、ちゃんとお互いの手と手を握り合っているわけです。
 

 
ナレーター:  村主さんが、長老を務める中山寺は、いつ何時も山門を開けておくことを常としていました。ところが、その山門を閉ざしたことがあります。それは平成七年一月十七日に起きた阪神淡路大震災の時でした。震源地の北東四十キロメートルほどのところにある中山寺も、大きな被害を受けました。村主さんは、倒れた寺の姿を人々に見せるべきではないと判断し、門を閉ざしたのです。
 

 
住田:  阪神淡路大震災と言いますと、宝塚のこの辺りも激震地でしたよね。
 
村主:  私、ちょうどお詣りに上がる時だったんですけどね、上に、朝。
 
住田:  ちょうど朝の五時四十六分、
 
村主:  ものすごかったですわ。もうこの土塀とか、いくつかの伽藍も壊れましたしね。その門も、小さい門ですけど―大きい山門は大丈夫だったんですけど、ほとんど全部全壊で大変だったんです。それで当然報道の方もたくさん来られますので、格好の撮影材料になりますけれども、私の独断で門は閉めさして頂いて、「中に入らないように」ということにさして頂いたんですわ。それは何故かと言いますと、確かに正しく報道するというのは良いことなんですね。ところが、その地震の前に、この中山寺に腹帯を受けに来られた妊婦さんがおられるんですね。それでその方が、この中山寺にやはり頼りにされて、観音さんにお願いして、「どうか良い子が生まれますように」と言うて頼りにされているそのお寺が、ぐちゃぐちゃになっていると思ったら、やはり影響が出ると考えたんですね。ですから一ヶ月間、境内が綺麗に掃除して整理できるまで門を閉めさして貰いました。
 
住田:  震災の被害で、勿論この近くのお寺といろいろ繋がりがあった方も、いのちを失われた方もいらっしゃるんですよね。
 
村主:  ございましたね。私どもに「亡くなったのでお葬式をしてください」と言って来られる方のところへ行くにも、着ていくその衣が出せないんですよ。もう中が倒れてしまって。ですからあの時防寒用のジャンパーだけと辛うじてその時持っていた念珠、「それしかありませんけど、それでいいですか」と。「それでもいいですから来てください」と言って、行きましたね。あの時はなかなか辛い思いをしましたね。それでお寺としての社会的責任と言うんですかね、それも果たさなくてはならないために、炊き出しもしたんですよ。それで幸いにもお米は備蓄があって、それから水も消火用の水道水がありましたので、それを炊き出しと給水に回しました。炊き出しは百日間ぐらいさして頂きましたかね。
 
住田:  お寺の復興もしなければいけない。しかしそこで炊き出しなどもある。檀家さんも亡くなるという大変試練の時でしたね。
 
村主:  はい。私の人生の中でも、まあかなり窮地のとこでしたね。幸い周りの人間も一つの方向へ向かって頑張ろう、と。へこたれる人がなかったので、みんなでなんとか手を携えて復興へ向けていこうという気概が生まれて、それで助かりましたね。みんなで助け合うという姿がね。
 
住田:  確かにあの時は、人と人との力で助け合うことの何か有難味、その力強さというのがありましたが、もう一方で、人間の力ではどうしようもない自然の力があるものだという、虚しさを私たち感じましたね。
 
村主:  そうですね。特に虚しさと言えば、この東北の津波もそうなんですね。特に津波は、寂しさがもの凄く伴いますね。私も行って拝まして頂きましたけどね。あの寂しさを贖(あがな)うものは一体何があるだろうかと、そういうふうにいろいろ思いました。その時にやはり信仰というんですかね、宗教心―これは仏教だけに限らないと思います。いろんな信仰心や宗教というものの力、今こそ要るんじゃないかなと、そういうふうに思いました。ですから仙台のある会場を借りましてね、西国の観音様のお軸を持って行って、そこで供養さして頂いて、たくさんの方にお詣り頂きました。もっともっと今助けを求めている方がたくさんおられると思います。それは経済的にも、勿論です。それから法整備的にもそうでしょう。たくさんそういうものも。やっぱり一番大事なのは、心の救いであろう、と、私はそういうふうに思っております。御大師さんが、『性霊集(しょうりょうしゅう)』(弘法大師・空海の詩文集)という本の中に、こういうことが書いてあるんです。
 
貧を済(すく)うに財を以(も)ってし、愚を導くに法を以ってす
法を惜しまざるを以って性となす
 
財をもって貧者を救う。それから愚かなる者を法をもって裁く。これは普通のことです。だけど貧者を救うのに心をもって救うことができたら、愚かなる者を法を用いないで諭すことによって救うことができる、それが一番最高ではないか。これは実は御大師さんの師匠に当たります恵果(けいか)阿闍梨(あじゃり)(空海が師事した唐の高僧)の人柄を讃えて言った言葉なんですけど、私、それを非常に感銘を受けておりましてね。御大師さんが、私たちに、「お前等も、こういうふうに考えなければダメだぜ」と言われているような気がしました。「物やお金では埋められない心の隙間は、やはり心で埋めないと埋まらない」。同じ材質のものでそこを埋めないと、例えば金属に穴が開いたら、それを塞ぐのに紙で蓋してもダメです。やはり金属で蓋せねばならん。障子に穴が開いたら、アルミ箔貼ってもダメで、やはり障子紙で穴を塞がないとダメです。だから心に穴は開いたら、やはり心で塞いであげなくては、私はダメだと。何をしても、尽くせるものを尽くすということ、その大事な要素というのは、やはり心であろうな、とそういうふうに思っております。
 
住田:  「心でもって心を埋める」というのは、理屈としてはわかるんですが、なかなかそれが埋められない。そして残念ながら苦しんで自ら命を絶つ方もいらっしゃる。それが非常に問題になっていますが、何が本当に心で心を埋めることに繋がるんだろうか。それが問われているかも知れませんね。
 
村主:  それはなかなかそれぞれの条件や場面があると思います。それぞれにあると思います。だけど共通して言えることは、自殺なさったり、自ら命を絶つという、そういう心が弱ってしまった方たちに対して、「あなたは、他の人があなたを必要としていますよ」ということをわかって頂くこと、これが一つ大きな要素になると思いますね。「頑張りなさいよ。これぐらいでくじけたら」とか、そういう声かけも大事なんですけど、「あなたは、気が付いていないかも知れないけれども、あなたを必要としている人が、まだどっかにいるかも知れませんよ」ということに、気が付いて頂く。そのことが、私は大事なことだと思いますね。大きな災害でたくさん人が亡くなって、たくさんその何倍もの人が悲しい。その悲しむのに加えて、またあなたが居なくなったら、またあなたの数倍の方が悲しいよ、ということを伝えてあげられたらいいな、と。そしてそれがほんとにその人の心にポコッと穴が開いたり、凹んだりした部分が埋まるようであればいいなと、そういうふうに思いますね。
 
住田:  人間は、一人で生きているだけではなく、そこに繋がる友人もいれば、親兄弟もいれば、あるいはお互いあまり話はしない近所同士だけど、知っている人を含めると、いろんな繋がりで私たちは生きていますよね。
 
村主:  そうです。それが実は人間だけではないんです。例えばペットである犬、猫である。で、その中の一つが、僕にとってはサボテンなんです。つまりサボテンを見ることによって、サボテンが何かを語り掛けてくれる。それを私が感じられるなら、それはそれもありか。別にそれが庭の木でもいいわけです。石でもいい。そういうところは、実は信仰心、仏や神が宿るのではないか、と僕は思っている。特に日本人は、そういった自然の中に神や仏が宿るということを得意としている。これはいろんな民族とか、そういう宗教とか、たくさんありますけれども、私が思うには、四季があって、そして非常に自然というものが身近に大きく変化していく。その中で生活している我々が、敏感に感じられる事柄であったような気がするんです。ですから何か目立った石、高い木、大きな山、そういったところには神が宿ったり、仏が御座(おわ)す。また石の中には、何かがおられる。よく仏師の方が、「私は、仏さんを彫っているんではない。木の中に既に仏さんがおられるのを出そうとしているんです」こういうふうに言われますね。あれはまさに、いわゆる日本人が言わせる言葉だろうな、と、僕は思いますね。
 
住田:  そういった心が宿るものというのが、本当はそれぞれもっているのかも知れない。
 
村主:  もっているんですね。そのものはもっていないかも知れないけれど、あなたの心の中にはひょっとしたらありますよ。それを何か他のものに一度映してみたらどうですか、ということを説明したいですね。
 
住田:  何かそういった澄んだ心で見れば、そういったものを映せるものがあるかも知れないですね。
 
村主:  そうですね。是非みなさん方にも、自分の心を映せる何か、それを探して頂くと嬉しいな。ですから昔の人は、それを具体的にするために、仏を木で刻んだり、土で作ったり、鋳物で作ったり、そうしたわけですね。具体的なものの姿の仏の形というものを見ることによって、もっとより自分の心の中と、その像とを結びつけようと、そういうふうにしているんではないかと、私はそう感じたんです。
 
住田:  今日はどうも良いお話を有難うございました。
 
     これは、平成二十五年六月九日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである。