人間探求ー身体の不思議 心の不思議ー

 

                           医 師 沼 田  勇

大正二年茨城県日立に生まれ、臨床医学から生化学の研究に進み、北里研究所に入所。召集され、軍医として防疫の仕事に従事。復員後、大仁町で開業。日本綜合医学会を創立、玄米食など食物中心の養生法を普及。

                           ききて 金 光  寿 郎

金光: 静岡県田方(たがた)郡大仁町(おおひとちょう)、町は狩野(かの)川に沿って、東西に細長く延び、東は熱海市、伊東市に境を接しています。狩野川は鮎釣りの名所として知られ、毎年シーズンになると大勢の釣り人が集まって来て腕を競います。大仁町は、富士山や天城山(あまぎさん)の展望に優れ、温泉宿もあり、地元の鮎や鰻が食膳を賑あわせます。狩野川を離れ、少し東の山間(やまあい)に入ったところに、福(ふく)厳院(ごういん)という小さなお寺があります。此処で毎週土曜日の夜、坐禅会が開かれています。昭和四十六年、太田洞水(とうすい)(1913-1979)老師によって始められたこの坐禅会は、昭和五十四年老師遷化(せんげ)の後、大仁町の医師・沼田勇さんが堂主となって現在も続けられ、遠く房総半島から参加している熱心な人たちも混じっています。

沼田勇さんは、医学生時代から生化学の分野に関心が深く、北(きた)里(ざと)研究所勤務時代には、ビタミンC酸化酵素の発見などで業績を挙げる一方で、食物養生法や仏法への関心を深め、特に澤木(さわき)興道(こうどう)(1880-1965)老師との出会いから坐禅に打ち込んできました。今年八十九歳になる沼田さんが、人間について、その心と身体をどう考えているか、大仁町のお宅でお伺いしました。 


金光: 沼田先生は、お医者さんで、しかも長い間坐禅をなさっていらっしゃっているわけですが、そもそもお医者さんになろうと思われたのは、どういうところからでございますか。

沼田: 僕は身体が弱かったから、自分の両親が僕は一番の末子(ばっし)だったものですから、早く一人前にならないといかんというようなことだけしか考えていなかったのですね。 

金光:  そうなんですか。それじゃ、患者さんを診て、患者さんの病気を治すことに関心があったとか、特別そういうことじゃなくて。 

沼田: ええ。むしろ自分の健康のためにね。そういうことばかり考えて。

金光: それでお医者さんにもいろいろな分野があるわけですが、その中では興味を惹か れたのはどういう方面でございますか。 

沼田:  僕は学校へ通う途中で、中村敬三先生と云う化学者と親しくなりまして、そのは理研の先生で、ドイツのシュタイジンガーの弟子で、『有機分析法』なんていう本を出していました。その人が、「あんた、化学好きですか」と聞くんですね。「いや、私はあまり好きじゃありません。どうも化学は分からない」と言ったんですよ。そうしたら、「僕の研究室へ一度来ませんか。化学好きにさせてあげます」というんです。それで行きましたところ、今でも忘れないフェナントレンヒノンという、その合成の手順を次々と紙片に書いて示されフェナントレンヒノンということを先生は言わないで、「これとこれを何グラムで、これを何に溶かして」と実験進めた。それがすむと途中から先生はまた、「今度はこれを混ぜなさい」と云った調子で、完全な結晶ができました。その結晶が素晴らしいと思いましたね。それでその結晶がまた正しいかどうかを確かめる方法を教えて頂きました。感動しました。普通、化学実験というと、酸、アルカリなどの滴定(てきてい)からやるんです。塩酸を苛性ソーダに入れる。あれで嫌になったんですがね。

金光: 成る程。 

沼田: 中村敬三先生と言うんですが、その先生が、そういう結晶を作ることを教えてくれましたね。それからその次ぎに、金のコロイドを作る。金をコロイドにすると真っ赤な液体になるんです。 

金光: へえー。 

沼田: 金属の原子の幾つかがかたまって浮遊してコロイド状態を作ります。それをまた教えて貰いましてね。 

金光: それでだんだん興味がそちらの方に向いていった?

沼田: そうです。 

金光: そういう研究と同時に、食養を? 

沼田: 食養はずーっと後なんです。 

金光: それはもっと後なんですか。 

沼田: 後なんです。それで学校を出てから、また東京工大へ行ったんです。そして分析に入りましてね。 

金光: ああ、じゃ、分析が面白いからそちらの方に進まれた? 

沼田: そうしましたところ、あまりにも医学と離れてしまうので、それで辞めまして、北里研究所に行ったんです。 

金光: 研究としては、沼田先生の研究は、いわば順風満帆みたいにうまく進んでいたわけですね。身体の調子なんかは別にそれだけ研究を続けられても、何ともなかったんですか。 

沼田: いや、その時も相当フラフラしていたんです。そしてやっぱり甘いものが好きで、やたらに食べ、また、肉が好きで、すき焼きなんかを好んで食べました。北里研究所で独身者は付属病院の当直をやらされるんですよ。独身者は私ひとりだったので万年当直医となりました。 

金光: 病院の方の─。 

沼田: そうです。病院の。当直医のところに、特等、一等、二等の食事がくるんです。見本としてね。その他に当直の先生の食事と、毎回四人分くるんです。もちろんみんなに、「おーい」と言って、研究室に残っている連中を呼び集めて十人位で食べるんですがね。その他に肉屋が大皿へ山盛り肉を、「当直の先生に」と言って差し入れてくれる。それで肉は健康にいいということに頭がなっているもので、一生懸命食べましたね。いよいよ体の調子が悪くなってきまして、どうもこれは長生き出来ないんではないかと思っていました。そうしたところ、たまたま研究所に来ている林仁一郎さんという人が、「僕のところへ一度来ないか」というのです。彼は研究所から歩いて十分位のところに診療所を開いていました。そこを覗きましたところ、医者の癖に、薬は何にも使わないんですね。 

金光: その林さんという方のところには─。 

沼田: ええ。そして、味噌樽なんて、こういうでかい醤油樽だの味噌樽だのがありましてね。 

金光: 日本食ですね。味噌とか─。 

沼田: そうです。注射も薬も何にもないんですね。そこで食事をさせられました。それが意外に美味しかったんですね。玄米ですがね。「玄米」と言わないで食わされました。それをよく握りまして油で揚げるんです。 

金光: おにぎりにして、それを油で揚げる。 

沼田: そして、そのほかに味噌汁の中にはまた油で揚げた玄米餅が一切れ入っている。後は沢庵です。それで十分満足出来るんですね。それが素晴らしく美味しい。それでその後二、三回玄米のおにぎりを食べに行きました。そこで、「僕は北里研究所の当直を辞めるからお宅へ当直させてくれ」と言って、そこへ住み込みました。そうすると、そこは宗教家の出入りが多いんです。坊さんが、坐禅をする人がね。そこへ澤木老師が現れたり。椎尾(しいお)弁匡(べんきょう)(1876-1971)老師を知っている人が、「おれが紹介する」とか言って。そういうことでそこでなかなか多士済々と会うことが出来ました。 

金光: で、そちらへいらっしゃってから、身体の調子は良くなったわけですか。 

沼田: すぐよくなりましたね。それも肉を止めましたしね。それから甘いものも全然欲しく無くなったですね。そしていろいろジュースだの、何かそういうものを一切欲しく無くなった。 

金光: 「食養」の説明はそこで受けられたわけですか。 

沼田: いや、本がたくさんありましてね。民間人の書いた本ですが、読みやすい。それをパラパラめくって読むと、なんかその本は本当のような気になってきましたですね。そしてまた患者がそこに三十人位入っていました。これがまたみんな成績が良いんです。薬を使わないのですがね。 

金光: へえー。で、もう沼田先生もそういう─。 

沼田: 僕は、それらを全部知っている先生として扱われたものですから、知らないという訳にいかない。窃かに勉強しました。 

金光: そこで仏教とのご縁も出来たわけですか。 

沼田: はい。 

金光: しかし、その時にはまだ坐禅なんかは始めていらっしゃらないわけですね。 

沼田: まだ坐禅はしていません。僕は中学時代の坐禅で懲(こ)りていましたから。 

金光: と言いますと、中学時代に坐禅させられたわけですか。 

沼田: ええ。中学時代に伊豆山善太郎という人が先生で、中学校にちょっと坐禅をするような建物が一つありまして、そこにずーっと通ったんです。 

金光: その時は、足は痛いし、ということで。 

沼田: いや、足は痛くなかったんです。ただその建物の隣に留守番の爺さん、婆さんと孫娘が三人で寝ていまして、これが会話しているんですよ。坐禅していると、それがハッキリ聞こえるんですね。 

金光: それはいかんですね。 

沼田: ええ。それを伊豆山先生は何とも言わないんですね。そして、大体坐禅に来るの はみんな秀才なんですよ。こっちも秀才になれるかと思ってね(笑い)。 

金光: あ、そうですか。それで、じゃ、中学校の時はそれで懲りた、と。もうあまりこれじゃ秀才にもなれないということでお止めになった。それがまた仏教に関心をお持ちになるようになったのは、何かきっかけがお有りなんですか。 

沼田: それから、僕は、東京では上野の寛永寺(かんえいじ)に下宿しました。此処でそういう雰囲気はあったんですが、懲りているものですから成る可く回避しておりました。

金光: やっぱりいろんなきっかけが重なってだんだん仏教に関心を深められたということでございましょうが、最初はどんなところに。 

沼田: 初めは駒沢の学生で、僕の所に東大の坂口先生という、お酒の大先生が、 

金光: 謹一郎先生ですね。 

沼田: ええ。あの研究室の男が僕の所へビタミンCの測定の方法を習いに来たんです。普通の瓶に良い酒を入れて、毎回持って来てくれました。僕は、これを僕の部屋の押入に隠して置いたんです。僕はあまり飲まなかったものですから。ところが、駒沢の学生がそれを見付けまして、それを飲みに毎日のように来て、何のために来るんだか分からなかったんですが、気が付いた時にはその酒が一本も無かったです。空瓶になっていました。それは別ですがその男が盛んに僕に、科学と仏教のディスカッションを言ってくるんですね。「科学が正しいか、仏教がどうのこうの」と言って大変だったんです。結局、向こうは酒を飲みたい。それで僕と話題を作る為に論争をしてきました。で、別なやっぱり坊さんですが、「増上寺の椎尾弁匡さんを紹介するから一遍会ってみろ」というので、それで連れて行かれました。

金光: 椎尾弁匡さんに。 

沼田: 紹介された。その弁匡さんが、「あんたは科学者ということですが、科学やっていると、死ぬ時、楽に死ねますか」と言われた。これには僕はビックリしました。 

金光: 何とお答えになりましたですか。 

沼田: いや、ちょっとしどろもどろになりましてね。 

金光: それはそうでしょうね。 

沼田: 「いや、これは科学をやっていればますます死にたくなくなるでしょう」と答えましたところ、「それはおかしいね」と言われました。「死なない人はありますか」と言われた。そのまま後雑談で引き下がってきました。 

金光: 椎尾弁匡大僧正さんも、その頃はかなりお若い頃ですね。 

沼田: そうですね。あの人は目がショボショボしているものですから。 

金光: あ、そうですか。 

沼田: ですから何か年齢がよく掴めませんでしたね。 

金光: 晩年目がご不自由になりましたけれども。でもやっぱり「科学をやっていると上手に死ねますか」というのは大問題ですね。 

沼田: なかなかきついですね。パッと言われましたね。ちょっと立ちろぎました。 

金光: それはそれとしてやっぱりどっか頭に、心に引っかかることでしょうが─。 

沼田: それで僕も仏教というものを少し知りたいと思いましたね。たまたま夜店で、『禅談』を見付けて、『禅談』を買うつもりはなかったんですがマンガが面白いので。

金光: 澤木興道老師の有名な禅の談話の『禅談』ですね。 

沼田: それを読んでイメージが変わりましたね。仏教に対する常識と大分対応が違うんで、「いや、これは」と思っておりました。 

金光: そうですね。非常に内容はカラッとした内容で、じめじめしたところはどこにもないお話ですから。 

沼田: それから間もなく澤木老師が林さんの診療所に現れました。 

金光: ご本人が林先生の診療所へいらっしゃった? 

沼田: 駒沢の学生が二、三人で連れて来たわけです。 

金光: やっぱり調子が悪かったんですか。 

沼田: 胃潰瘍でした。その時まで二度ほど入院しているんです。 

金光: そうですか。 

沼田: 血色も悪かったですね。それで食養の方では、「病気をするというのは、不陰徳が原因だ」というふうに言っておりますものですからね。『禅談』で知っている澤木老師が、「不陰徳するとはおかしい」ということで、なんか僕は全面的に頭を下げる気になれなかったですね、その時はね。それでまあ普通に会話して、あと玄米を食べることを学生らに言いまして、それで別れました。それっきり別に老師とは関係がなかったんです。こっちへ疎開して来たところ老師がこの大仁に居たんです。 

金光: あ、成る程。戦後引き揚げられて、それで此処は伊豆の大仁ですが、此処へ疎開していらっしゃると、この近くに澤木老師もいらっしゃったわけですか。 

沼田: そうです。例のお寺にね。それで八年程ね。その時もどうも全面的に老師に傾倒するわけにいかなくて、なんかこの人は誤魔化しているんじゃないか、というような気持で、初めからぶつかっていました。 

金光: でもそこで、この近くの三福(みふく)にあるお寺さんにいらっしゃった澤木老師が禅の指導もなさっていたんですか。 

沼田: いや、その時はただ疎開していただけです。 

金光: 疎開していただけですか。ただお会いにはなったわけですね。 

沼田: そうです。 

金光: それからあとだんだん深入りなさるようになったのは、それはどういうところからなんですか。 

沼田: それで澤木老師をお世話している安陪(あべ)豊治さんという人がユニークな面白い人で、この人に魅力を感じました。ここの疎開の問題も、これは修善寺の皆川院代の紹介で例の福厳院(ふくごういん)に安陪さんが来て見たところ、屋根は落ち破れ放題の寺で、家の中にも竹の子が生えたりしていて、とても住める状態でなかったらしい。それを安陪さんがすっかり直しましてね。そして、家もキチンとして澤木老師を迎えたわけですね。ですから、僕は、その安陪さんを初め澤木老師よりも興味深かったんです。安陪さんとの付き合いが否応なしに澤木老師とのお付き合いになって、どうも初めはなんとなく澤木老師を疑っていましたね。どうも胃潰瘍になる老師じゃ大したことはないくらいに思っておりました。そうしているうちに、老師をお世話している安陪さんの姉さんが胃潰瘍になったんですね。僕が此処で開業した早々の頃、戸板で担がれて、夜中に来たんです。その人を一ヶ月位預かりまして、すっかり治しまして、玄米党にして帰しました。ですから、その人が煮炊きをするものですから、澤木老師も否応なしに玄米を食べさせられまして、いつの間にか澤木老師の胃の調子が良くなってしまった。それで安陪さんの話では、「澤木老師を中心に坐禅会をするところ。全国の責任者が、みんな集まる夏の信州の矢坪(やつぼ)というところがあるから、あんたも行かんか。そこを玄米にすれば全国に広まるぞ」というわけで、むしろ玄米食を広める目的で、信州の接心に参加するべく行きました。そして、そのお陰でほんとに澤木老師は健康になったんです。どこへ行っても玄米の食事が出る。また接心(せっしん)ですと、お腹が空きまして、玄米もまずいもないんです。みんなガツガツと食べますね。それで全国に矢坪のご飯は美味しいということになりまして、老師の行くところどこでも玄米になったんです。澤木老師が行く先々で玄米になりましたから。それまでは澤木老師は二回胃潰瘍で大阪の池田病院に入院しているんですが、その後は胃の話は一切無くなりました。 

金光: そうすると、玄米食のお陰で、澤木老師の胃の調子も良くなるし、胃の調子が良くなると、澤木老師の真価もだんだん分かってくるということになったわけです ね。 

沼田: そうです。それで澤木老師が、僕を人に紹介する時は、「これは玄米にとらわれた男だ」と言って紹介しました。その後今度は老師が玄米を食べ出したら、「この前病気して坐禅に行けませんでした」と言って来る人に対し、「玄米食べんからだ」と言われました。老師は私に対しても全然変わりました。

金光: そうやって澤木老師にだんだん近付かれる。同時に、此処の伊豆の大仁(おおひと)という所は、三島にも近いわけですし、三島の龍沢寺(りゅうたくじ)という有名な山本玄峰(げんぽう)(1866-1961)老師とか中川宋淵(そうえん)(1907-1984)老師がいらっしゃったお寺にもお近づきになっていらっしゃる。これはどういうご縁なんですか。 

沼田: これは澤木老師のおられる寺を紹介してくれた杉山という工学博士は学生時代から臨済の修行者だったんです。それが澤木老師の疎開しておられた寺のすぐ近くなもので、澤木老師を紹介した後で、「澤木老師より偉い和尚を紹介する」とか言って、 玄峰老師を紹介してくれたんです。

金光: 玄峰老師にお会いになっての印象は如何でございましたか。 

沼田: 悪い感じはしませんでしたね。しかしちょっと見当付きませんでした。そこには玄米のことで私を知っておられた中川宋淵老師がいまして、これがまた俳人ですよね。 

金光: 随分俳句の方をやる有名な方ですね。 

沼田: この人がいろいろと世話をしてくれましたね。 

金光: もうお会いになった時は、中川宋淵老師が住職さんですか。 

沼田: いや、玄峰さんが住職でした。 

金光: そうですか。 

沼田: そして、玄米を食べていました。僕が行きますと、野草の料理を出して、「これをどうぢゃどうぢゃ」と言ってね。むしろ澤木老師は出て行って一年に二回位しか来ませんものですから、もっぱら龍沢寺へ通いました。 

金光: そうですか。それじゃ龍沢寺の禅会にもお出でになった。しかし、臨済ですと公案なんかを普通はやりますね。 

沼田: 龍沢寺では全然公案はなかった。僕はまだ澤木老師に傾倒しているわけではなかったが、初めから「これは澤木門下ですから」という杉山博士の紹介でしたものですから、僕には公案はくれませんでしたね。 

金光: そうですか。まあ仏教の勉強をなさってくると、仏教では随分いろんな教えが、いろんな方面にあるわけですけれども、短い時間ですが、肝心なところというと、例えば、お釈迦様はどういうことを言われた、というふうに感じていらっしゃいますか。 

沼田: その間に絶えず「空」とか「無」とかいうことがやたらに出てきますね。これは掴まえようがなかったですね。これにやっぱりとらわれていたでしょうね。そして、まあ此処に坐禅堂を太田老師が作ってくれましたから。

金光: 太田洞水老師さんが。 

沼田: はい。 

金光: この方は澤木興道老師のお弟子さんということですが。 

沼田: お弟子です。それで、この老師は非常に真面目ないい人でしたね。ですからこの人を盛り立てようということで努力してきたんです。それでまあその人の影響でしょうね、我々もみんな臨済かかった曹洞宗という。これは、澤木老師に太田老師が軍隊から帰って来て挨拶に行ったところ、「それでいい。おれも若い時臨済や法相を見て来た。お前も方々見て来い」と澤木老師に言われた。それで彼は先ず天龍寺に行きましたね。そして、天龍寺の関牧翁と逢いました。しかもあそこから浄土真宗の大谷大学の大学院に通いましたね。 

金光: あ、そうですか。それじゃ臨済の禅も、それから浄土真宗も─。 

沼田: それで両方、臨済と曹洞と。 

金光: 念仏の方も。 

沼田: そっちもマスターしたような方で。それからそこを出てから、日光の近くの茂呂(もろ)山(やま)の山の中に二十五年入っていたでしょう。 

金光: えー、そうですか。今時珍しい方ですね。 

沼田: それから出て来ましてね。そして、弟子丸泰仙(でしまるたいせん)が三年位フランスへ行って、今度フランス人を連れて帰って来るという連絡があったもので、弟子丸が日本へ帰って来てもお寺がないわけですよ。住むところがない。外人連れて来て、泊めるお寺もないんじゃ権威がないだろうというわけで、弟子丸のためにお寺を捜しだしました。それで玄米連中にも、「玄米の道場を作る」と言いましたところ、七百万円寄付してくれる人がありましてね。 

金光: それで一応落ち着き先が見付かったということですね。弟子丸泰仙さんも澤木門下のお一人でございますけれども、随分いろんな方とその後沼田先生はご縁があったわけですが、それ以来ずーっと仏教に関心をお持ちだし、坐禅も続けていらっしゃるわけですが、お釈迦様が説かれた仏教、仏法の大事なところを今どういうところに肝心要(かんじんかなめ)のところがあるとお考えでございましょうか。 

沼田: やっぱり「空」と「無」は一体何を意味しているか、ということですね。たまたま僕は、都庁で、「玄米の話をしてくれ」というので東京都へ行きました。そこで僕の前に老僧が、般若心経の話をやっていました。僕が壇に上って僧は出て行きました。「今、般若心経の有り難いお話がありましたが、みなさん分かりましたか」と言ったところ、みんな、「難しいですね」と言って、納得した顔をしている人がいません。誰もね。それで僕がその時、「知識が災いをしている」という話をちょっとしたんですよ。「その無知識を獲得することが出来れば、死ぬことの心配はなくなる」というようなことを、僕がひょっと言ったらしいんです。その時九十二歳のお爺さんが、僕の前に来て、「私は、東京に般若心経の話がある時にはかかさず聞いてきました。何十回、何百回か聞いた。しかし未だに分からなかったが、あんたの今の話で、今初めて分かりました」と。それで僕も何を喋ったか思い出すのに骨折れましたが。その時に、「知識の災いだ」と。 

金光: そうですね。赤ん坊の頃から人間というのは、いろんな知識を蓄積して溜めて、それによってどうしようか、と考えていますね。 

沼田: 知識があるから死ぬ恐怖があるんだ、と。 

金光: そういうものによって生活はしているけれども、それと同時に、それは死んだらどうなるのか、と余計なことというか、いろんなことを考える。 

沼田: そうそう。 

金光: それをカットするわけですか。 

沼田: そうですね。それが、「空」とか「無」とか言っているんじゃないか、と僕は思いまして、他の人にもそれをちょっと大胆に言ったことがあるんですね。で、太田老師にも言ったんです。そうしたら、「それはいいよ」というんですね。その時点 で、太田老師も死んでしまったんで、今度は僕はそれを本気でみなさんに指導原理として言っていく他に経験がないものですから、それをずーっと押し進めているわけです。 

金光: 般若心経の話から今伺っているわけですが、般若心経ですと、有名な「色即是空、空即是色」というのがございますね。その色というが形あるものが、それは空であるというか、それこそ実体というか、固定したものではないという。それがしかし固定しない、つかみどころがないものが、即また形のあるものになるというか、文字を追っかけると、そういう形になると思うんですが、それを知識をカットするという場合には、どうするんですか。 

沼田: 何も考えないというだけのことですから。何にも考えない訓練をする。知識のカットですね。坐ってジッとしていれば何にも頭から無くなります。 

金光: 最初はいろいろ湧いてきますけれども、 

沼田: ところが今度は考えをいれようと、再び前に考えていたことが立ち返ります。これが色即是空ではないか、と。で、ただ眠っている時には空ですね。ところが寝ていてフッと起こされた時は、色にもどるのに時間がかかります。空即是色にはなれません。ですから、寝ていたんでは色即是空はないんです。起きていて坐禅をしていれば、何も考えなければ、これ出来ます。すぐにハッと気が付いてやれば、同時に色即是空でいける、と。しかるに、寝ていたんじゃ色即是空にはならんということに気が付く。太田老師も認めてくれました。「父母未生以前に立ち返れ」とか、「本来の面目」はこの消息と思っております。 

金光: それは坐禅という行(ぎょう)を教わって、形を調えて、それでいろいろ知識で考えることをストップしてしまう、と。 

沼田: カットする。これは電車の中でも出来ます。どこに居てもパッと考えないことは出来ます。これが色即是空じゃないかと思っております。 

金光: 考えないようにしよう、なんて思うと、かえって考えますから、そういうことも何にもしないで、と。 

沼田: ええ。自然に慣れてくれば、そういうことを考えないで、すーっとカット出来ます。 

金光: そうやってカットして、また元に返ると、それまでいろんな溜めてあった知識というのはまた活きて使うことが出来る。 

沼田: そうそう。すぐ同時に、色即是空というような形で、何も考えなくても、ハッとすぐ戻る。またものを考える状態に戻るのは迅速です。 

金光: そうなりますと、若い頃椎尾弁匡さんに言われた、「死ぬのは上手に死ねますか」という、そこのところの答えも自ずから出てくるわけですね。 

沼田: そうですね。ただ初めは十分位、十五分位で断続し、なかなかそれを一時間維持するということはそう簡単ではない。これは訓練だと思いますがね。

金光: そうしますと、死ぬということも、怖がっているのは知識が怖がっているんだから。 

沼田: そうです。ですから何も考えないでいけば、そのまま死ねるんじゃないか、と。 

金光: それから仏教ですと、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」とか「諸法無我(しょほうむが)」とか、いろいろ言葉があるわけですけれども、そこのところとの繋がりなんかは、どういうふうにお考えでございますか。 

沼田: 「諸行」というのは、「諸々の現象」でしょう。「無常」というのは、「常でない」という。これは「時間」ですね。そうすると、これは「科学」ですね。「一切の現象」というものは「時間」。これは、地球が回っていますね。一秒間で四百六十メートル。そして太陽の周りを地球が回っている。一秒間に三十キロですからね。こうやって喋っているうちに東京からきっと青森くらいまで行ってしまうからね。それくらいのスピードで動いている。これは光の速度にすると、三十光年と言った形になってきますからね。それを指摘したのがニュートンなんですよ。ニュートンの前の科学者がいますね。この人たちはそういうことを考えないで、科学の研究をやってきた。百人位有名人がいますね。その人たちは、現象であるということを、気が付かないでやっていたんですから、自然哲学者だ、と。現象と認めたニュートン以降の人を自然科学者だというふうに分けています。これはニュートンばかりでなく、ライブニッツだとか、カントとか、そういう人たちもそれを認めております。今、小学校で一+二=三になるという。一と書いているうちにずーっと三島くらいに飛んでしまいますからね。二と書く時には新潟の方までいってしまうんですから、その時間をカットしない限りは何も出来ません。科学自体もね。科学も全部一応時間をカットして、そして全部それぞれの独立した単位を約束して、それを組み合わせて、最後は宇宙ロケットを飛ばすというところにいくんです。ですから一つ一つ原理を聞いただけで、科学が終わってしまうならば、これは科学でなくて、宗教なんですね。ですから、お釈迦様の言っていることは科学で、一般学校で教えているのは宗教だ、という。 

金光: 現在の解釈と逆みたいな感じになりますね。今、おっしゃったような意味で、時間を考える人というのは割りに少ないというか、そんなにいませんが、いま一秒間にこれだけ人間は動いていると言われても、それは言われてみればそうだけれども、実感としてはまったくそういうことを感じないで生活していますから。 

沼田: それは同じ条件にあるからです。例えば、「香厳(きょうげん)の撃竹(きゃくちく)」なんというのは、それを感じて、要するに、庭を掃いていて、石がポンと竹に当たってカチンと音がした。これは時間を感じたでしょうね。ですから、「諸行無常、諸法無我」、諸々の存在、存在は無我であると。「我」というのは固定観念ですね。それが分かれば「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)だ」というわけですから、オリジナルとしての仏教。お釈迦さんの権威というものは科学そのものだ、と。 

金光: なるほど。現在という時代は、随分、情報の伝達が便利になりましたですね。いろんな知識を溜めるのは非常に楽にできるようになっているわけですけれども、先程のお話で、「知識があることによってのメリットとデメリットがある」とおっしゃいましたが、知識があることによって、この世を、自分に都合のいい、いわば知識のご利益を頂いて生きることも出来ているわけですけれども、それが同時に、知識があることが邪魔になって、かえって生きていくうえで、それに不利益を蒙っているという。そこのところに気が付かない人が多いんじゃないかと思うんですが、その知識をカットすることによってこんなによくなり、それからその知識の弊害を蒙らないで済むようになるという、その辺の例をもう少し聞かせて頂けませんですか。 

沼田: 結局ですね、道元さんが、「山川草木悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」ということに対して、鶏だとか、 牛、豚は全然殺されるまで気が付かないわけですがね。 

金光: 別に修行も何もしていない。成仏しているとも思わない、と。 

沼田: 彼らにはそういうことに対する知識を持たないのでノイローゼはないわけです。人間の場合結局、知識全体のカットの必要はなくて、やっぱり死の恐怖と言ったようなことだけのカットだけでいいと思いますね。ですから、我々が一番問題にしているのは、死ぬこと、或いは病気になる。病気になったらこうなる、というような、これはこういうことに関するだけの知識のカットでよい。知識全体をカットする必要はない。それと人間は頭を使うことは急激に発達しました。オリンピックなんかでわかるように、人間の身体というものは鍛えなければダメになる。フランスのラマルクという人の、「用・不用説」というのがあります。「使えば発達するが使わなければ退化する」という原理を打ち出しています。坐禅の場合でもそうですね。坐禅しなければ退化します。 

金光: 一度なんかいい境涯にいくと、もうずーっとそこにいるわけじゃないわけですね。 

沼田: その通りです。修ぜざれば現ぜず。努力していかなければね。 

金光: 知識のカットも常にカットの練習をしないとダメだ、と。 

沼田: そうそう。澤木老師は四六時中、「不空過」と云っています。 

金光: そういうことですか。 

沼田: 道元禅師の疑団の問題はそこにあると思いますね。「非思量底(ひしりょうてい)を思量せよ」という。「非思量」というのがカットです。「思量に非ず」と書いています。ですから、道元さんもそう言っているわけなんですね。ただお経で、「非思量底を思量せよ」とやっているんじゃ、一つも非思量することにならない。やっぱり坐禅でしょうね。 

金光: それは先程ちょっと言われたように動物には知識がないから思量する必要はなくて屠殺されるまで平然としていられるのに対し、人間の場合は、何故人間だけが、そういうふうなものが必要かというと、知識のデメリットという基本のところで、今おっしゃった「非思量底を思量せよ」と。死の恐怖がなくなる世界に。 

沼田: だから、「生物は発達したもので滅びる」という、佐伯理一郎博士の原理がありますね。ですから、人間が非常に発達して、他の動物よりも抜きん出て、特に知識・智能の方面が発達した。そのお陰で、身体は退化し、すべての機能も動物に比較して退化しています。 

金光: そういう意味では、改めて知識の発達によって、人間の生活が如何に退化しているか。或いは不自由になっているか、ということを、もう一度目を向けて、という、そこのところがやっぱりこれから大事になってくるようですね。 

沼田: 大事なんですね。 

金光: ところで、沼田先生はもう五十年以上俳句を作っていらっしゃるということで、今までのお話に関連しているような句もあるようでございますから、ちょっとその句を拝見しながらお話を聞かせて頂きたいと思うんですが、例えば、

    木枯らしや死も遺伝子に組み込まれ

というのがありますね。人間が死ぬというのを恐がるようにちゃんとこれは遺伝子の中に入っているんじゃないかと思うんですが、この句はどういう時に出来たんですか。

沼田: 自分の親しくしている人が死にました時に、ちょっとこれもしょうがないという感じから、遺伝子で決定しているんだ、ということで、ちょうど冬だったものですから木枯らしという言葉がまあ一つの木枯らしと死というようなものが組合わさってくると思いますね。 

金光: 確かに人間は、死なない人はいらっしゃらないと思うんですけれども、死ぬことが決まっていながら、しかし日頃あんまり死ぬことを考えないで過ごす人の方が多いような気がするんですが、でも仏教の場合ですと、やっぱり死の問題を外すとちょっと一番大事なところを抜かすようなことになるでしょうね。 

沼田: お釈迦さんが、「生・老・病・死」という。これは、お釈迦さん時代から現在に及んでも、何にも変わらんですね、この問題は。ただ科学的に遺伝子というようなものの研究が進んできたものですから、全部遺伝子に支配されているということですね。

金光: でも遺伝子に支配されているということが分かっても、じゃ、安心して死んでいけるかというと、これはまた別問題ですね。 

沼田: そうですね。それも誤差がありますからね。相当の誤差がありますから、やっぱりトコトンまで生きたいですからね。 

金光:     生(しょう)も死も所詮(しょせん)はひとり夏薊(あざみ) 

これはどういう時の歌ですか。 

沼田: そうですね。やっぱり仲間が死んだ時みたいな時でないと、こういうなんか感じが出てこないですね。日頃は考えていません。やっぱり俳句をやっている仲間が死ぬと非常に感じが強いですね。 

金光: そうでしょうね。 

沼田: ですから、結局、俳句が出てくるんですね、自然と。 

金光: 他の時は特に薊の花が咲いていても特に感じないのが、ここでは夏薊が非常に強く、しかも、「生も死も所詮はひとり」というとこで、しかも薊の花だから、これはまた一段と強く印象が伝わってきますね。

こういう句もございますね。 

    余生(よせい)とは今のことなり梅は実に 

余生ということは余っている生で、死ぬまでが余生というふうに思えるんですけれども、余生は今のことになってくると、あんまり死の恐怖は感じていらっしゃらないところですね。 

沼田: そうですね。本当はこの時点で居たいですがねなかなかね。その後に、死という不愉快なものがあるが、そういうものを頭に入れたくないという。 

金光: でも、梅もちゃんと実になっているじゃないですか。 

沼田: そうそう。どうにもならんという。 

金光: でもなんとなく、ここには、「余生とは今のことなり梅は実に」というとなんか確かさがあるようですね。

沼田: はい。 

金光: そこにいられるといいですね。 

    希(ねが)ひごとなくて落花の自在かな 

沼田: 花が勝手に失敗したと思わないですよ。散っていくのをね。死ぬことも生きることも感じないね。人間だけが悲しんだり悔しがったりしているんですね。 

金光: 花が落ちる時は、それこそ非思量で落ちていますね。思量なしで、考えることなしで。「希ひごとなくて落花の自在かな」という気持で生きられると、これは非常に幸せだろうと思いますが。動物の歌もありますね。

     来世などなき身の軽さ石たたき 

沼田: これは人間だけが悩んでいる世界ですよね。来世があるとか─。 

金光: 「石たたき」というのは、 

沼田: 「セキレイ」ですね。 

金光: セキレイのことなんですか。お釈迦さんは来世のことを聞かれたら、お答えにならなかったということですね。少なくともセキレイはこう尻尾で叩いている。 

沼田: 自在にね。来世はバラモン思想です。仏教にはありません。 

金光: 「来世なき身の軽さ」ですか。 

沼田: 羨ましいです。 

金光: 要するに、非思量のところで、知識をカットしたところで、しかも、「空即是色」で生きられると、これはもう一番いいわけでしょうけれども、その辺のところからの、坐禅の関連で詠っていらっしゃるでしょうか。 

    禅定(ぜんじょう)のたしかなまなこ明け易し 

というのがありますね。 

沼田: これは、自分が坐禅をやっている状態を、そのまま詠っただけですね。 

金光: 禅定の状態で、坐禅の定に入っている状態が、先程のお言葉を拝借しますと、「非思量」のところをずーっとやっていると、明けるにしても確かに爽やかに空即是色で入れるということですね。そういう世界を坐禅をなさるたびに感じていらっしゃるわけでしょうけれども、間もなく秋のお彼岸になるわけで、 

    一粒の米にもほとけ秋彼岸

というのがありますね。 

沼田: これは米をボロボロとこぼしながら、踏みつけながらしている。こういう気持に対して、「食養」を知った人は、自分のいのちがこの米粒によって支えられている。米粒のいのちが自分のいのちである、という。それを白米にしてとんでもない、という。 

金光: 玄米食をずーっと続けていらっしゃる。しかも玄米食のお陰で健康になっている方も随分いらっしゃるわけですが、この「一粒の米にもほとけ」ということを、知らないでいる人もけっこう多いのに、勿体ないみたいなこともあるでしょう。間もなく今年も秋の彼岸がくるわけでございますが、年が明けると、沼田先生は満九十歳をお迎えになるわけでございますが、これからも坐禅をお続けになりまして、これまで以上にご活躍お続け頂けますようにお願い致します。どうも有り難うございました。 

沼田: どうも失礼致しました。 

  

           野の花の揺るヽは

             南無阿弥陀仏かな

              (沼田 一老((俳号)))

 

     これは、平成十四年八月二十五日に、NHK教育テレビの

    「こころの時代」で放映されたものである