力の限りともに生きる
 
                              はばたき福祉事業団
                              理事長 大 平(おおひら)  勝 美(かつみ)
                              ききて 迫 田  朋 子
 
(国際医療センターの診察現場から)
医師:  ヘモグロビン(血色素量)15・0、MCV が100、血小板19・9。
 

 
ナレーター:  二ヶ月に一度、この病院で検査を受けている 大平勝美さん。血友病の治療薬からエイズウ イルスに感染しました。免疫の状態や発症を防ぐための薬の副作用のチェックな ど、定期的な診察がかかせません。今は、自分と同じように、薬害でエイズ感染 した人たちのために、「はばたき福祉事業団」の理事長として、相談や生活支援 などに力を注いでいます。大平さんが、高校生の時から四十年近く書き続けてき た治療日誌があります。その一ページ目は、 自分の病、「血友病とは何か」という記述で 始まります。血友病は血液の中に血を固める 成分が不足しているため、出血すると止まら なくなる病気です。根本的な治療法はありま せん。怪我をしたり、ぶつけて内出血したり した時、如何に早く止血するかが唯一の治療 です。八十年代初めには、大平さんは、止血 に使う薬を自分で注射するようになっていました。日誌には、症状と薬の量、そ の効果などが書き込まれ、出血した時、どう対処したら良いか、体験として分か るよう、克明に記録されています。



 
一九八一年七月十五日。右足甲、す りむき傷による出血及び打ち傷の内 出血、止血しにくい。腫(は)れて痛む。
 
七月十六日。落下物による打撲。少 し腫れて患部が痛む。クリオ三本投 与する。
 
七月二十一日。踏み台に引っかける。直ちに注射する。効果(+)副作 用(−)。




 
止血には、それまで使っていた血液製剤クリオに加えて、海外 から輸入された新しい濃縮製剤を使い始めていました。その輸 入された薬からエイズに感染する危険があると、大平さんが知 ったのは、一九八三年のことでした。不安を感じた大平さんは、 医者に尋ねたり、製薬メーカーに確認したり、懸命に情報を得 ようとしましたが、正確なことを教えて貰うことは出来ません でした。外国の医学雑誌の論文を自ら翻訳するうちに、エイズ という病気の深刻さを知るようになりました。しかし、その後 二十年の間に、五百五十人もの仲間が亡くなるとは思いもよらないことでした。

 
(「おはようジャーナル」の映像か  ら)
 
ナレーター:  そのエイズがついに日本にも上陸しました。 厚生省は今までに八人をエイズ患者として認 定しています。
委員:   本日検討致しました結果、エイズである疑いがきわめて濃いと いう結論になりました。その医学的所見でございますが、(説 明続く)
 

 
ナレーター: 一九八五年、大平さんの恐れていたことが起きました。血友病の薬から感染した エイズ患者がいることが報告され、感染が広がっていることが、現実のものとし て伝えられました。同時に血友病患者である大平さんたちを取り巻く社会の目が、 冷たいものになっていきました。

 
患者:  血友病ということは別に恥ずかしいことでも何でもなくて、ち ゃんとした治療を受ければ、一般の人と同じように働けるんだ ということで、遺伝病という暗いイメージを、とにかく消して、 社会に出て活動しましょう、というふうに心掛けてきたことが、 すべてがご破算になってしまった。それだけじゃなくて、エイ ズによって何か汚染源と言いますか、病原みたいなふうに受け止められてしまっ た。
 

 
ナレーター: この時、仲間とともに後ろ向きでインタビューで応えるしかなかった大平さん。 自分の命を見詰めながら病とともに生きてきた歩みを伺います。
 

迫田:  体調のほうは、今はどんな感じなんですか。
 
大平:  お陰様で、今はそう心配なく、順調というんですかね。
 
迫田:  私が、最初に大平さんにお目にかかったのは八十五年で、その 時はまだ感染が、ご自身分かっていらっしゃらない時でしたね。
 
大平:  そうです。
 
迫田:  その時、血友病という病気は、治療薬も出来て、普通に活動で きるようになって、自分たちは元気に普通に暮らせるようにな った時に、こういうことが起きて、という形で後ろ向きでイン タビューさせて頂いたことを、今でも覚えているんですが。
 
大平:  もうエイズのパニックが始まっていて、血友病=エイズではな いかということの図式が定着してしまっているというような、 そういう社会だったと思うんですね。それがだんだん社会に偏 見というような形で広まっていってしまう。でも、私個人はなんとか生きたい、 生き延びたいという思いもありました。何とかみんな生きれるんではないか。で も、このまま何もしなかったら、みんな死んじゃうんじゃないか、という思いが あり、八十五年当時から、そういう思いで動き始めていた、ということになりま すね。


 
迫田:  告知をされた時のことを伺いたいんですが、告知は八十五年の 十月ですね。
 
大平:  そうです。
 
迫田:  どういう形で告げられたんですか。            
 
大平:  告知は、当時、未知の病ですけども、今考えてもやっぱり半信半疑―半分半分と いうんですかね、もしかして感染していないんじゃないか、感染しているんでは ないか、という。その検査結果についての判断が出る時というのは―通常の診療 で検査結果を受けていくわけですけども―すごく重い感じで行った、と思います ね。
 
迫田:  主治医からは何と言われたんですか。
 
大平:  残念ながら、「プラス(+)―感染している、陽性というんですかね―HIVに 感染している」ということを告げられましたね。サッーと血の気の引くような感 じで、何も考えられなくなったような感じがします。でも、「これからどうしよ うか」という思いと、「今までの人生みたいなのが、全部崩れていく」と言うん ですか、「ガラガラッと、ガタガタッというような感じで、ほんとに崩れていく ような感じだった」と思いますね。自分で車を運転して自宅に帰っていくわけで すが、どういうふうに帰って行ったか、その時のことはよく思い出せなかったで すね。
 
迫田:  奥様はどういうふうに?
 
大平:  大変ショックで泣き崩れるというんですかね。ほんとに血友病患者である私と結 婚して、そういう強さがあったのか、「中世の疫病でペストとかありましたよね。 ああいう時代でも生き延びてきた人たちがいるわけなので、何とか頑張って生き ようよね」という力付けを、私は彼女から貰いましたね。
 
迫田:  エイズという病気は、当時はやはり実感として凄く恐ろしく、
 
大平:  血友病の問題というよりかは、「血友病を圧倒的に凌駕する。そういう大変な問 題が起きた」という思いが八十三年の初めからありました。八十四年に、自分が 親しくしていた患者さんが、そういう症状を疑われるような状態で、患者会の集 まりの時に来られたんです。それを見て、ほんとに大変な病気だな、と思いまし た。
 
迫田:  親しい方の症状というのは、痩せて?
 
大平:  そうですね。「自分は最初癌ではないか」というふうに思っていたらしいんです。 昔は脹(ふく)よかな方で、私たちにとっては先輩の血友病の患者さんなんです。患者会 の集まりでお会いした時、大変頬がこけて、ほんとにガリガリに痩せていて、私 も、「癌か何かを患っているのかな」というふうに思ったんですね。でも、「い ろいろ検査しても、そうじゃないんだ。もしかして、自分はエイズかも知れない よ」とおっしゃられたんですね。その体験は、私にとっては鮮烈な思いでした。 八十三年の初めの頃の報道とか、情報で得た恐怖を実感するという、そういう実 体験するという感覚でしたね。
 
迫田:  その方は?
 
大平:  残念ながら八十五年の初めの頃に亡くなられてしまいましたね。
 
迫田:  そうですか。その後に大平さんご自身の感染が分かったわけですね。
 
大平:  そうです。将来設計はそこで崩れてしまったわけですけど、結婚していますし、 家庭があるわけですから、結婚した責任、家庭を維持していく責任ということが ありますので、それを考えると自分の感傷に浸ってもいられないな、と。生き延 びるにはどうしたらいいか、という。それは血友病時代からもともと少しあった と思うんですけども、血友病患者自身の生き方というのは、「お医者さんが全部 支えてきてくれている」という話ではなくて、患者の体験を通して、患者が一人 ひとり一生懸命自分たちを生きていく。遺伝性疾患ですから、小さい時からのそ ういう生きる術(すべ)―自分でなんとか生きていこうということの中で、それぞれ違う かも知れませんけども、私なんかは仲間と一緒に、先ずは医療のこと、治療のこ とに没頭していったわけです。
 

 
ナレーター:  大平さんは、血友病患者としてのあらゆる歩みを、この治療日 誌を記そうとしてきました。両親から聞いた幼い日々の出来事 も、詳細に書き留めています。
 
生後一年。歩き始めて刃物に躓き足親指に切り傷、止 血せず。東京医大を受診、血友病と判明。
 
歳。三輪車に乗るようになると、膝にはいつも痣(あざ)が あった。ペダルを漕ぐとき、ハンドルの杖にぶつけ るためだ。筋肉内出血の痛みは腫れ上がった疝痛(せんつう)と 脈打つ鈍痛の合わさったもので、二晩も三晩もシク シク泣き通していた。ジッと動かないでいるのも辛 く、無理に動かすと余計辛くなる。長椅子に寝てみ たり、毛布を積み上げたところに寄り掛かって、ウ トウトしてみたり、子供をいたぶる悪魔のようであ る。
 
十歳。一人で雪掻きをした次の日、右肩が腫(は)れる。激しい頭痛があり、 次第に吐き気が出て、意識が薄くなって行き、急いで入院。二日間完全 に意識を失い、昏睡状態。親戚が集まったとのことだった。入院は二ヶ 月半。頭蓋内出血であった。
 
十二歳。状態が悪く、膝関節内出血や肱の間接内出血が頻繁にあり、治 ってはまた出血するという悪循環。かなりの日数を病院で過ごすことに なる。間接など腫れて動けなくなり、入院すると、二、三日は絶対安静 で、ベッドに括り付けになる。見かねて担任の先生が転校を勧める。私 の入院も、その年の三分の一にのぼることになる。私の友人は、今や病 院仲間に変わりつつある。
 
十六歳。歯茎が出血しだし、輸血がだんだん効(き)かなくなってきた。輸血 でとうとうアレルギーを起こし、全身に痒(かゆ)み、顔は赤くなり、いつもお 酒を飲んでいるよう。一ヶ月半毎日輸血されたのでは堪りません。十一 月末強引に退院してしまった。
 

 
ナレーター:  大平さんが治療日誌を付け始めたのは、この退院の後でした。自分の身体を自分 で守るために、患者にしか分からない感覚を、きちんと見詰めていくことが大事 だ、と思ったからです。
 

 
迫田:  患者としての感覚は、患者であれば誰でも、というわけではないですよね。
 
大平:  多分それは患者として生きる術かも知れないですね。血友病患者としてね。ある 病院に入院していて、輸血ばっかりされていて、「なんかおかしい」と。毎日毎 日輸血されていて、輸血に対しての反応―アレルギーみたいなものが出てしまっ ていた。目も充血して来て、赤血球もいっぱい入ってしまったような目で、ウサ ギの目みたいになってしまった。逆に出血が止まるどころか、止まらなくなって しまった。そういう時に、入院していた同じ病室にいた再生不 良性貧血という大変重い病気を持った方だったんですけど、そ の人が心配してくれて、「このまま治療していたら死んじゃう よ」と言われたんです。その方はいろいろ医学情報を知ってい て、ラジオ聞いたりしていて、当時、抗プラスミン剤と言うん ですが、試薬を私のために入手してくれました。
 
迫田:  その方が?
 
大平:  「これ飲んでみたらいいんじゃない」と言って。で、飲んだわけです。
 
迫田:  お医者さんには内緒で?
 
大平:  お医者さんに内緒で飲むんです。そうしたら今まで輸血していても止まらなかっ たのが、もの凄く劇的に治療効果があがって、キチッと止まるようになってしま ったわけですね。凝固時間が正常になてしまった。凝固の検査が凄くよくなって しまった。お医者さんは、「あ、これは輸血の効果だ」なんて言っていたわけで す。でも実は、「違うんだよ」と、二人でニヤニヤしていたわけです。素人の患 者さんの中でも、キチッと勉強していれば、「これはおかしいんじゃない。こん な治療をしていたらおかしいんじゃない」ということが分かることがあるわけで すよ。専門の人たちがそういうことを勉強していない、勉強しない。そういうこ とで、「此処に居たら危ないな」ということで、無理言って、退院させて貰って、 そして別の病院に移った。その方も再生不良性貧血という大変重い病気で、命の 瀬戸際にいるわけですけど、「やっぱり命って大切なんだよね」という感覚とい うのを持っておられて、私はほんとに小さい時ですから、そういうことを身をも って教えて頂いた。だからそういうことは凄く大切な体験ですね。割と血友病の 痛みとか、出血の管理ということは、そんなに大変なことではなくて、でも頭蓋 内出血なんかがあった時には、命との鬩(せめ)ぎ合いのところにくるわけですけどね。 そういうのを持ちながら生きているというと ころがあると思うんです。話が飛ぶんですけ ど、私が好きな光景というのは、山の稜線を 歩いているとか、なんか冒険するというか、 もしかして落ちてしまうんじゃないかという 凄いギリギリのところ、そういうことが割と 好きで、自分にとっては百パーセントではな くて、百二十パーセントを賭けたような冒険 をしてみる。動いているというのが、なんか生きているエネルギーなんかな、と 思いますね。
 

ナレーター:  青年時代の大平さんに、自分で道を切り開いていくことが大切 であると教えてくれた一人の血友病の先輩患者がいました。
 
四月二十四日。昼過ぎから川崎の安藤さん宅へお邪魔 する。ゆっくりお話するのは初めてだ。なかなか話せ る人。夜までゆっくりしてしまった。来た甲斐があり ました。
 

 
大平:  私たちはよく「安藤学校」と言っているんですけども、そこで患者というだけで はなくて、生き方とか、そういうのも学ばさせて貰ったんですね。
 
 
ナレーター:  エイズウイルス感染することなく、去年四月に七十四歳で亡く なった安藤哲夫さんの手帳や記録を、大平さんは大切に保管し ています。「患者が自分の身体を理解して、病と付き合ってい くために、日々詳細な記録を付けることが大事である」と主張 していたのも安藤さんでした。
 

 
大平:  「自分で道を切り開いていく。自立していく」という。慢性疾患ですから、「お 医者さんに頼らないで、自分で自分の一番ベストの治療を見つけていく」。そう いうことを教えて貰いました。
 

ナレーター:  大平さんが出会った当時、画家・安藤哲夫 さんは、若い血友病患者たちの精神的な拠 り所でした。自宅や病院で患者としての生 き方を語り合い、ともに学び合いました。 安藤さんは、出血の度に病院に行かなくて もいいように、それまで医師が行(おこな)っていた 止血のための注射を、患者が行うように勧 め、自ら手本を示しました。そうした考え に刺激を受け、痛みや不自由な足のため、閉じ籠もりがちだった若い者たちが、 積極的に外へ出るようになりました。硬くなった関節のリハビリのために、皇居 半周の競歩を始めたのもこの頃です。病気に負けることなく、自分で人生を選び 取っていく安藤さんの姿勢は、その後の大平さんに影響を与えました。
 

 
大平:  昔のあの闕所(けっしょ)の側に車を止めさせて頂いて、そこからみんなで皇居半周の競歩み たいなのをしながら、足を引きずりながら競歩をして、そしてリハビリをしてい った。当時、血友病の医療者から反感を買いましたけど、でもそういうことをや ることで、血友病のリハビリというは、積極的にやれば、結構回復するんだな、 ということも、自分たちで手本を示していく。
 
迫田:  そうやって患者さん同士で、専門医からも反感を買いながら、ご自分たちで自分 の身体を守りながらやってこられたわけですね。
 
大平:  そうですね。昔は、専門医でも、患者の体験を通して、いろいろ血友病の治療を 推進していくことに対しては、大変理解ある先生たちも多かったですよ。このエ イズの問題が起きた時は何か変でしたね。そういう人たちがまったく逆で、患者 の意見に対して、不安とかも含めて、耳を貸さなくなった。それが異常でしたね。 そういう面で、何かあるんではないか、と。そしてまた私たちも、昔から血友病 の問題とか、今的な問題も、素人なりにいろいろ文献や医学雑誌を見たり、調べ ていて、「正直に言っていない。患者、家族に事実を告げていない」という。お 医者さんのほうが、「マスコミに踊らされるな」というのが、あまりにも奇異で したよ。だからそういう面で、「ああ、やっぱりこれはおかしいな」と。私たち 自身の直感ですけれど。変な話が、「これは危ないんじゃないか」「ちょっとお かしいんじゃないか」と、理論という話ではなくて、感覚を通して、何か会得し ていく。そういうのがあると思うんですね。
 

 
ナレーター:  血友病の専門医たちの態度に疑問を感じた大平さんは、治療を引き受けてくれる 医療機関を、自ら探し求めました。エイズ感染の告知から四ヶ月後、感染症専門 の医療機関で初めて診察を受けます。当時、「治療法がない」と言われたエイズ 診療に取り組んでくれる数少ない病院でした。
 
一九八六年二月七日。東京大学医科学研究所付属病院 内科受診。十一時、島田ドクター。肝機能、血液検査、 リンパ腺、触診。
 
診療を引き受けた医師・島田馨(かおる)さんにとっても、エイズは未 知の病気でした。しかし大平さんたちの切実な働きかけによっ て、患者と医療スタッフがともに治療法を探っていく場が生ま れることになりました。
 

 
大平:  一番最初、私が、八十三年位の時に、伝染病としてのエイズのいろいろな恐怖と いうのは、「自分だけの問題じゃなくて、家族全体に、どういう被害が起きるの か」というのが一番大きな心配事でしたね。血友病は自分で苦労して痛みを堪え ればいいという話ですけども、エイズの問題は、社会的な差別とか偏見、いろい ろな問題もありますし、感染症としての広がりの問題もあって、それがどんなふ うな形で広がっていくか。その恐怖というのが、私もそうでしたし、多分、日本 の血友病患者さん全体の大きな恐怖感というのは、そこにあるんだろうと思いま すね。
 
迫田:  すぐに治療してくれる医者を捜そうと思って行動されたんですよね。
 
大平:  私の仲間も、そういう思いが強かった人たちが、ごく少数ですけどもあったわけ なので、そういう事実をキチッと言わないような血友病の専門医の人たちは諦め て、もっとほんとに感染症のプロフェッショナルが要るんではないか。そういう 人がどうやってウイルスをきちっとコントロールしていくか、そういうことにや っぱり専門性がある方たちを頼っていってみよう。そこで、「そういう先生を捜 してみよう」というところから、当時、東大医科学研究病院の島田先生に辿り着 いた、ということですね。
 
迫田:  それは思っていたような先生方でしたか。
 
大平:  そうですね。大変私たちを心温かく迎えて頂いて、大変優しい先生で、「先生に 声をかけてもらうだけでも、気分が穏やかになるね」というようなお話ぶりの先 生なんです。ちゃんとした科学的な治療の筋立てというものを持っておられて、 私たちもある面では、「自分たちの身体を張ってでも治していって貰いたい」と いう思いと合致するという。
 
迫田:  当時、でも「治療法がない」と言われましたよね。
 
大平:  そうですね。でも、島田先生もそうですけども、「やってみよう」という。海外 のいろいろな文献も多分調べられたんだろうと思います。それから、「インター フィロンでまずは少しウイルス叩いてみよう」という治療とか、積極的な治療と いうのを、こちらもお願いして、始まった。
 
迫田:  死の恐怖みたいなものと、生き抜くことと、同時にあったんですか。それとも何 かで変わる?
 
大平:  恐怖はあっても、でも自分が死んでしまったら元も子もないわけですよ。だから 生き抜くための手立てというのはなんかあるんじゃないか。それは少し楽観的な 考えかも知れないけど、でも最善の方策というのはどっかにあるんじゃないか。 それを何もしないで、「性がないね」という話では済まされない。それは今もず ーっと続いている思いですね。医療スタッフの方たちも、島田先生もそうでした。 今、私の主治医でもあります岡先生もその後来られて、「絶対 に諦めない治療」というのが、今の私たちの命を支えてくれて いる、と思います。
 
迫田:  「諦めない」という確信みたいなものは、それまでに培われて きた血友病の患者さんとしての生き方みたいなものにあるんで しょうか。
 
大平:  それはあるかも知れないですね。それと生きていかないと、歴史の証人がすべて 無くなってしまう、という感じもありますね。
 

ナレーター:  大平さんは、エイズ検査や発症予防に取り組んでくれる場が出 来たことを、患者会を通して仲間に伝えようとしました。一刻 も早く、適切な治療を受けて欲しいと願ったからです。エイズ パニックと言われる状況の中でも、プライバシーが守られ、検 査や治療では、患者の意志が尊重され、安心して医療が受けら れる体制を整えたうえでの呼び掛けでした。しかし、それまで の主治医の元を離れることが出来ずに、エイズが発症して手遅 れになってからやって来る人も多かったのです。命を救うために用意された筈の 場が、仲間を見送る場となっていきました。病気を恐れて、見舞いに来ない家族 に代わって病室を訪れたり、亡くなっていく仲間を看取ったり、葬儀の手伝いを したりすることに、大平さんは追われることになりました。
 

 
大平:  ほんとに多くの小さい子から、私よりも年輩の多くの患者さんが―私よく言うん ですけども、「神隠しに遭う」ような感じで、ある短い期間に、たくさんの方た ちが亡くなってしまった。日常のように、仲間が入院して、そして具合悪くなっ て、そして命が奪われていくという。それが次々に起きていく。そういうことは ほんとに異常でしたね。その方は、お母さん、お父さんに心配掛けまいとして、 病気のことをまったく話さないんですね。
 
迫田:  「感染している」ということを言わない。
 
大平:  そうですね。「何のために此処に来ているか」ということも言っていない。「絶 対言って欲しくない」という。私にもこうずーっと言い続けてきていました。そ れは「近所に知られたくない」ということもありますし、それから「お父さん、 お母さんにほんとに心配掛けたくないんだろう」と思うんですけど、どうしてそ こまで頑張らなくっちゃいけないのかな、と私は疑問をずーっと持っていました ね。多分一人っ子で育てられて、大変な中を育ててくれたお父さん・お母さんに、 エイズで死んでしまう、ということを見せたくない。言いたくない、というのが あったんだろう、と思うんですね。
 
迫田:  大平さんにいろんなことを逆に託されていた、という感じなんですね。
大平:  そうですね。当時の治療―丹念にいつ熱発(ねっぱつ)して、そして高熱が 続いているとか、どういう状態なのか、ということを凄く精緻 に記録を付けている方なんですね。私に「是非これを預かって おいて欲しい」と。多分、自分は死ぬという実感になかなか思 わなかったんだろうと思うんですけど、でももしかして死んだ らどうしようか。そういう思いと両方あったんだろうと思うん ですね。でもほんとに具合が悪くなった時には、私はお母さん にお話しました。多分、医療スタッフの方も言わないと、ちゃんとした治療や看 護が出来ないんでお話したんだろう、と思うんですね。その時、お母さんは、ほ んとに「何で家の息子がこんなんで死ななくちゃいけないのか!」と、ほんとに 私の胸を両手でドンドン叩いて、泣かれて、「どういう経過で亡くなったのか?」 と。「解剖をお願いしたい」という申し出に、ちゃんと受け止めて頂いて、そし て解剖されるわけですね。その病院の霊安室の横に解剖の部屋があった。そこで 解剖が終わるまで、私はご両親と一緒にずーっと待っていて、そういう方たちの ほんとに命の尊さ、積み重ねがいっぱいの中に、私たちが生きている、というの を感じるわけです。ほんとに次から次へ、仲間がそういう形で霊安室から見送ら れていくのが「何だったのだろうか」と。その時、解剖されて、安らかな顔で、 霊安室に戻っていくわけですよ。ご臨終の時に立ち会った顔と違って、私はすご く冷静に見るわけですけども、「何か語り掛けている」というような感じで、「ほ んとに悔しいね」という思い、そういう訴えかけと同時に、僕が、「後に次々こ ういう人たちを作っちゃいけないよ」と、私自身に対しての自問自答になるのか も知れないんですけども、「ほんとにお医者さんは一生懸命やっているのか?」 という感じ、「百二十パーセントかけているのかな」という訴えかけがあって、 そこではほんとに涙が出ない。「みんな一生懸命やっていないんじゃないか」と いう、何か一人ひとりに訴えかけが、ズシッと、いつもその度にあるわけなんで すね。多分、そういうことが私の心の中にたくさん占めていて、今の動いている エネルギーなのかも知れないと思います。
 

 
(「情報交換会」の場面から)
 
ナレーター:  大平さんたちの働きかけで出来上がったエイズ治療の場は、今この病院に引き継 がれ、患者と医療スタッフが、よりよい体制のために議論を重 ねています。
 
医者A: どこでも出来るということを期待されていると思うんですけど も、僕は、佐賀にいる時に、研修に行った病院の先生が言われ たんですが、「病院は患者が育てるんだ」という言い方をされ たことがあるんですよね。それはやっぱり本当だろうと思いま す。
 
ナレーター:  今課題になっているのは、エイズ治療に地方格差が大きいことです。エイズ感染 者の増加が指摘されている中で、全国どこでも最善の医療を受けられるようにす るには、どうしたらいいのか。それぞれが本音で意見を述べ、解決の道を探って います。
 
医者A: 僕はHIV診療は、どこでも出来るとは思いますけれど、それ はやっぱり患者数がある程度累積した病院で出来るということ で、ある程度の数が溜まるとマンパワーが発揮されてきて、そ の病院がしっかり動いていくんじゃないかなあと思うんですよ ね。ですけど、今の患者さんのこの分布の状態では、なかなか 三年後、五年後経っても、例えばある県で患者さんが一人しか 居ないとか、二人しか居ないとか、そういう状況で、そこはなかなか伸びないん じゃないかと思うんですね。繰り返しになりますけど、どこでも出来るというこ とは、十分可能だと思いますけど、それは医療側の側面もありますけども、絶対 数としての患者数というのが、やっぱり僕は要るんじゃないかと思うんですね。 それがないと、そういう施設は出来ないのではないかなあという気がするんです。
 
医者B: 今、立川先生が言った通りだと思うんですね。たまにしか来ない、月に一人位し か診ないと、やっぱり力が入らないというのも、やっぱり正直なところだろうと 思うんです。血友病のHIVのことをおいておけば、ほんとは一般のHIV患者 はもっと居る筈なんですね。そういうところは検査すらしないと。ある地域は、 ある県はもの凄い患者がいるけど、他の県は、患者がほとんど居ない、新規患者 はゼロ。ゼロということはあり得ないので、そういう意味でいうと、意識が下が りすぎているところがあって、そこら辺は常にもうちょっと刺 激し、訴えかけていかないと、医療レベル以前の問題のところ で、自分たちにはまったく関係ないというような雰囲気が漂っ ている地域もあるんですよ。具体的な県名は別にして、地域に よって随分ばらつきがある。
 
大平:  今の件で、やはり全国回らせて頂いて、立川先生が言われるこ とはその通りだと思うんですけど、いざ来た時に、じゃ、初期 治療というんですかね、検査から初期治療を専門医療機関に紹介していくという ところが、そこは一般的なことでキチッと覚悟されないと、患者は浮かばれない んじゃないか、というところがあると思うんですね。なかなか患者がいないから、 というところで、万一来た時に、じゃ、どうするかというところをなんか覚悟と いうんですかね、それをどういうふうに早期診断して頂いて、そして専門医療機 関に繋げて貰うかというところで、患者は命を守れるか、守れないか、というと ころに繋がるんだろうというふうに思うんで、そこのところが一番大きなテーマ なんでしょうね。
 

 
大平:  「楽しいこと」と言ったら、語弊があるかも知れないんですけ ど、今の私たちの受けている医療の問題も一生懸命働きかけて いけば実現していくんではないか。百二十パーセントの実現じ ゃないかも知れないんだけども、でも何か変えていかれる。「変 えていくことの楽しさ」というんですか、「楽しみ」と言った ら怒られるかも知れませんが、変えていくということが新しい こと、自分の命が延びていくことにも繋がるし、希望にも繋が る。
 
迫田:  諦めずに努力してきた結果、それが「自分の命とともにある」という実感を持っ ていらっしゃる。
 
大平:  それはありますね。先ほどちょっとお話した「共感持てる人が一緒にやっていけ ば、なんか実現していく。先にどういう道があるか分からないんですけども、何 か道は繋がっている、あるんじゃないか。此処で二つに分かれていくかも分から ない。分かれているかも知れないんですが、どっちでもいいから行ってみよう。 行ってダメなら戻って来て、こっち側に行ってみればいい、という感じで前に突 き進んでいく、ということが一番大事かな、というふうに思いますね。それがな んかあって、今があるかなあというふうに思います。
 

 
ナレーター:  血友病患者、およそ五千人のうち、千五百人近くが、エイズウイルスに感染し、 五百五十人が亡くなりました。大平さんは、感染者の支援のために作られた「は ばたき福祉事業団」の理事長として、血友病患者を襲った悲劇が、二度と繰り返 されないよう、「自分が出来ることは何か」を問い続けながら、「病とともに歩 もう」と考えています。
 
 
     これは、平成十五年十二月七日に、NHK教育テレビの
     「こころの時代」で放映されたものである